石川 勝夫(いしかわ かつお、1937年(昭和12年)12月… 石川 勝夫(いしかわ かつお、1937年(昭和12年)12月14日 - )は、日本の政治家。元埼玉県蓮田市長(2期)。 埼玉県蓮田市出身。埼玉県立浦和商業高等学校卒業。1957年(昭和32年)、日本交通公社に勤務。1980年(昭和55年)、同公社代理店サントラベルを設立した。 政界入り後、蓮田市議会議員、同市議会議長を経て、1990年(平成2年)に蓮田市長に初当選。1994年(平成6年)に再選。1998年(平成10年)、元蓮田市食生活改善推進員協議会会長の樋口曉子に敗れ落選した。 市長退任後は、社会福祉法人清勝会の理事長に就任した。2002年(平成14年)の市長選でも樋口に敗れた。
武藤 博(むとう ひろし、1937年〈昭和12年〉4月20日… 武藤 博(むとう ひろし、1937年〈昭和12年〉4月20日 - )は、日本の政治家。埼玉県・旧上福岡市の最後の市長である。 埼玉県浦和市生まれ、6人兄弟の次男。父は浦和市議会議員、浦和市収入役を務めた。 元大蔵・財務事務次官、元日本銀行副総裁で、2020年東京オリンピック・パラリンピック競技大会組織委員会事務総長及び理事の武藤敏郎は弟。 1955年3月、浦和市立高等学校卒業。父病気のため高校卒業後は東京都内で3年間の修業を積んだ後、地元で浴場を開業した。1966年、上福岡に支店を出したことを契機に転居。PTA活動などをきっかけに市議会議員へ。 1979年4月、統一地方選挙上福岡市議会議員選挙に無所属で立候補し初当選。
新井 弘治(あらい こうじ、1936年〈昭和11年〉11月2… 新井 弘治(あらい こうじ、1936年〈昭和11年〉11月23日 - )は、日本の政治家。元埼玉県上尾市長。 埼玉県北足立郡大石村(現・上尾市)出身。埼玉県立川越農業高等学校中退。 中退後は、農業に従事後、実業家に転身した。 1979年(昭和54年)、父の死去に伴い、上尾市議会議員選挙に立候補して初当選を果たした。1983年(昭和58年)、再選を果たした。 1987年(昭和62年)埼玉県議会議員に当選。3期務めた。 1996年(平成8年)、現職の荒井松司と新人1人を破って、上尾市長に当選した。 ※当日有権者数:-人 最終投票率:43.02%(前回比:-pts) 第35代市議会議長など新人2人との争いとなったが、これを破って再選を果たした。
藤原 弘(ふじわら ひろし、1936年 <昭和11年> 11… 藤原 弘(ふじわら ひろし、1936年 <昭和11年> 11月16日 - 2009年 <平成21年> 6月6日)は、日本の政治家、元地方公務員。北海道根室市市長(1998年-2006年)。旭日小綬章受章者。位階は正六位。 埼玉県出身、埼玉県立熊谷高等学校卒、北海道大学水産学部卒。 1959年(昭和34年)- 北海道庁に入庁する。1980年(昭和55年)- 同庁後志支庁水産課長に就任する。 1985年(昭和60年)- 同庁水産部漁政課長就任にする。1988年(昭和63年)- 同庁水産部技監に就任する。 1989年(平成元年)- 同庁根室支庁長に就任する。1991年(平成3年)- 同庁水産部長に昇格する。
大野 松茂(おおの まつしげ、1936年(昭和11年)1月1… 大野 松茂(おおの まつしげ、1936年(昭和11年)1月15日 - )は、日本の政治家。衆議院議員(4期)、内閣官房副長官、埼玉県議会議員(2期)、狭山市長(3代)を歴任。狭山市名誉市民。現在は西武文理大学の特命教授である。 埼玉県入間郡入間川町(現・狭山市)に生まれる。大野家は、慶長年間から続く精農家。古くから「花屋」の屋号で知られ、地域からの信頼の厚い旧家であった。1954年3月、埼玉県立川越農業高等学校(現・埼玉県立川越総合高等学校)卒業。以後、家業の農業と資産管理業に従事し、地元の青年団活動にも参加した、1974年1月、狭山市立中央公民館館長。1979年4月、第9回統一地方選挙埼玉県議会議員選挙に無所属(新自由クラブ推薦)で出馬し初当選。
今成 守雄(いまなり もりお、1934年〈昭和9年〉12月1… 今成 守雄(いまなり もりお、1934年〈昭和9年〉12月1日 - 2006年〈平成18年〉5月1日)は、平成時代の政治家。埼玉県羽生市長。 羽生市出身。埼玉県立不動岡高等学校卒。 羽生市監査委員事務局長、同総務部長を経て、1994年(平成6年)羽生市長に当選した。3期目の任期途中に死去した。
美田 長彦(みた おさひこ、1933年(昭和8年)11月2日… 美田 長彦(みた おさひこ、1933年(昭和8年)11月2日 - )は、日本の政治家。元埼玉県三郷市長(第7代 – 第9代)。旭日中綬章受章。 埼玉県三郷市出身。東京都立小石川高等学校(現・東京都立小石川中等教育学校)を経て、学習院大学政経学部卒。卒業後は埼玉県庁に入り、1975年、埼玉県議会議員(自由民主党)に当選する。県議を5期務め、1994年、三郷市長に当選する。市長を3期務め、2006年の市長選挙では、元三郷市議会議員で前市長の実子である木津雅晟に敗れた。このほか三郷市国際交流協会会長、住みよい三郷をつくる会の代表を務めた。
島田 博(しまだ ひろし、1933年(昭和8年)2月6日 -… 島田 博(しまだ ひろし、1933年(昭和8年)2月6日 - 1998年(平成10年)2月28日)は、昭和から平成時代前期の政治家。埼玉県鴻巣市長。埼玉県議会議長。 埼玉県北足立郡鴻巣町(現鴻巣市)出身。1951年(昭和26年)埼玉県立熊谷高等学校卒業。1963年(昭和38年)鴻巣市議会議員に当選し、1965年(昭和40年)議長となる。1967年(昭和42年)埼玉県議会議員に当選し5期務めた。その間、1977年(昭和52年)3月から翌年3月まで副議長、1982年(昭和57年)3月から翌年4月まで議長を歴任した。1986年(昭和61年)7月、鴻巣市長に当選し1期務めた。
石井 道子(いしい みちこ、1933年〈昭和8年〉2月5日 … 石井 道子(いしい みちこ、1933年〈昭和8年〉2月5日 - 2012年〈平成24年〉12月7日)は、日本の政治家。位階は従三位。 自由民主党所属の元参議院議員、元環境庁長官。旧姓は斎藤。 埼玉県所沢市出身。父は自由民主党元埼玉県議会議員で元埼玉県議会議長の斎藤徳次郎。1956年、東京薬科大学卒業。大学卒業と同時に飯能市の医師石井泰彦と結婚。薬剤師となる。その後泰彦は埼玉県議会議員となるも、任期中に死去。夫の地盤を受け継ぎ、1975年に統一地方選挙埼玉県議会議員選挙に立候補し初当選(西三区・飯能市)。1979年、県議再選。この間医療法人飯能中央病院理事長(1996年11月退任)などを経て、自身の経歴を活かし日本薬剤師連盟副会長を務める。
斎藤 伝吉(さいとう でんきち、1932年〈昭和7年〉12月… 斎藤 伝吉(さいとう でんきち、1932年〈昭和7年〉12月4日 - 2016年〈平成28年〉1月22日)は、日本の政治家、埼玉県岩槻市(現・さいたま市岩槻区)長(第9代 - 第12代)。 現在のさいたま市岩槻区に生まれる。埼玉県立春日部高等学校卒。岩槻町役場に入り、市制施行後は土木課長、産業建設、総務の各部長、助役を経て、1985年の岩槻市長選挙に立候補し、元市長を破って初当選した。以来1998年まで市長を4期務めた。1997年に4回目の当選を果たして半年後の1998年1月、市内の再開発に関し、納入業者から200万円を受け取ったとして、収賄容疑で逮捕された。逮捕後に市長を辞職。同年6月、浦和地裁で懲役2年6ヶ月、執行猶予3年、追徴金200万円の有罪判決を受けた。
田並 胤明(たなみ たねあき、1932年〈昭和7年〉10月3… 田並 胤明(たなみ たねあき、1932年〈昭和7年〉10月31日 - 2026年〈令和8年〉3月18日)は、日本の政治家。衆議院議員(通算4期)、埼玉県議会議員(通算3期)を務めた。 次男は立憲民主党埼玉県議会議員の田並尚明。 埼玉県熊谷市出身。埼玉県立熊谷高等学校卒業後、郵政省に入省。郵便局に勤務するかたわら、全逓信労働組合に加入し、活動。専従役員となる。 1975年、埼玉県議会議員選挙に北7区選挙区より立候補し初当選。以後3期連続当選。1983年の第37回衆議院議員総選挙に日本社会党公認で旧埼玉3区より立候補し当選。以後3期連続当選。 1993年の第40回衆議院議員総選挙では社会党退潮のあおりを受け落選。
新藤 享弘(しんどう たかひろ、1932年〈昭和7年〉9月3… 新藤 享弘(しんどう たかひろ、1932年〈昭和7年〉9月3日 - 2020年〈令和2年〉12月19日)は、日本の政治家。元大宮市長(第16代 - 第18代〈最終〉)。中央大学商学部卒業。埼玉県北足立郡大宮町(現:さいたま市)出身。父は元埼玉県議会議長を務めた新藤元吉。 大宮市の助役、市長を務めていた1980年代から90年代にかけては、JR東日本、ルミネ等と協力し大宮駅の利便性向上に貢献した。また、大宮市長選挙に初の立候補をした時から、政令指定都市移行をいち早く打ち出した。まんが「大宮の歴史」 などの書籍を刊行し、大宮市のPRと活性化に尽力。また同市は財政の緊縮を進め、地方交付税不交付団体となった。
木下 博(きのした ひろし、1932年(昭和7年)8月20日… 木下 博(きのした ひろし、1932年(昭和7年)8月20日 - )は、日本の政治家。元埼玉県入間市長(5期)。 1951年3月埼玉県立豊岡実業高等学校(現埼玉県立豊岡高等学校)卒業。小林駿介東京農工大学名誉教授は同級生。同4月、豊岡町役場に就職。1956年、豊岡町の武蔵町への移行に伴い、武蔵町役場職員。1966年、武蔵町の市制移行により入間市職員。入間市企画部長や助役を務める。 1992年、水村仁平入間市長の引退に伴い、水村から後継指名を受け、自民・社会・公明・民社の与野党及び連合埼玉の推薦で入間市長選挙に出馬し、初当選を果たした。1996年の市長選でも自民・新進・社民・連合埼玉の推薦を受け、与野党の枠を超えた事実上のオール与党体制の下、再選。
内野 欣(うちの よし、1931年(昭和6年)12月25日 … 内野 欣(うちの よし、1931年(昭和6年)12月25日 - 2005年(平成17年)11月27日)は、昭和から平成時代前期の政治家。埼玉県入間郡鶴ヶ島町長、鶴ヶ島市長。 埼玉県入間郡鶴ヶ島村(鶴ヶ島町を経て、現鶴ヶ島市)出身。埼玉県飯能実業学校を卒業し、鶴ヶ島町役場に奉職する。同総務課長、企画財政課長、坂戸、鶴ヶ島水道企業団事務局長、鶴ヶ島町助役を経て、1989年(平成元年)鶴ヶ島町長に就任。1991年(平成3年)市制施行に伴い鶴ヶ島市長に就任し1993年(平成5年)引退した。
矢島 恒夫(やじま つねお、1931年11月15日 - 20… 矢島 恒夫(やじま つねお、1931年11月15日 - 2025年12月3日94歳)は、日本の政治家。日本共産党元衆議院議員(通算4期)。
永瀬 洋治(ながせ ようじ、1931年(昭和6年)9月10日… 永瀬 洋治(ながせ ようじ、1931年(昭和6年)9月10日 - 2012年(平成24年)2月11日)は日本の政治家。埼玉県川口市長(第15代 - 第18代)。 埼玉県川口市出身。市立浦和高等学校を経て1954年に立教大学を卒業し、川口市役所に就職、1967年に川口市議会議員に初当選、この年の第22回国民体育大会では事務局長を務めた。 埼玉県議会議員を経て1981年から1997年まで4期16年川口市長を務めた。市長退任後も日本体育協会の理事、埼玉県体育協会の副会長、埼玉県国際交流協会の副会長、日本オペレッタ協会の理事を務めた。 市長在任中、「文化の香る街づくり」を掲げて川口駅前の公害資源研究所跡地の払い下げを受けて川口リリアを建設すると共に川口市民音楽協会会長(市長を退任した1998年から名誉会長)に就任、第九の会などを設立した。
秋谷 昭治(あきや しょうじ、1931年3月11日 - 20… 秋谷 昭治(あきや しょうじ、1931年3月11日 - 2022年2月19日)は、日本の医師・医学博士、政治家。日本医師会代議員であり埼玉県医師会参与。元埼玉県議会議員(議長経験のある自由民主党議員)。 医療法人社団彩優会の元理事長で、現在は社会福祉法人昭仁会及び北葛北部医師会の学校法人橘心学園の理事長を務める。 2011年、医療法人社団彩優会の理事長を辞任した。後任は吉岡利孝が理事長で、現在は、弟である秋谷行男。 2013年、秋谷昭治氏及びその家族が、医療法人社団彩優会から多額の資金を流用しているとの報道が一部の雑誌に掲載される。 また、幸手市が旧香日向小学校の校舎の賃貸借契約において学校法人橘心学園への賃料を格安に設定したことから、市民より幸手市に対して住民監査請求が提出されるなど、地元住民と幸手市政を巻き込む問題に発展している。
関根 則之(せきね のりゆき、1931年〈昭和6年〉1月13… 関根 則之(せきね のりゆき、1931年〈昭和6年〉1月13日 - 2022年〈令和4年〉6月19日)は、日本の自治官僚・政治家。 第17代消防庁長官、参議院議員(2期)、静岡県副知事を務めた。位階勲等は正四位勲二等。 埼玉県比企郡吉見町出身。1943年、埼玉県立松山中学校入学。1945年、海軍兵学校入学。1948年、旧制浦和高等学校入学。 1953年、東京大学法学部第3類(政治コース)卒業、自治省入省。1957年、フルブライト留学生としてシラキュース大学、マンハッタン大学(英語版)に留学。 1960年、宮城県地方課長。1971年、三重県教育長。1976年、自治省財政局財政課長、大臣官房審議官。
小松 定男(こまつ さだお、1930年10月16日-2004… 小松 定男(こまつ さだお、1930年10月16日-2004年11月25日)は、日本の政治家。元日本社会党衆議院議員(1期)。
小山 誠三(こやま せいぞう、1930年(昭和5年)4月30… 小山 誠三(こやま せいぞう、1930年(昭和5年)4月30日 - 2012年(平成24年)9月21日)は、昭和時代後期から平成時代の政治家。埼玉県飯能市長。 埼玉県入間郡飯能町(現飯能市)出身。埼玉県立川越中学校卒業。農業を営む。1972年(昭和47年)から石油会社を経営し、飯能市連合青年団長、飯能市議会議員を3期務めたのち、1989年(平成元年)飯能市長に当選した。
内田 全一(うちだ ぜんいち、1930年(昭和5年)3月6日… 内田 全一(うちだ ぜんいち、1930年(昭和5年)3月6日 - 2012年(平成24年)7月25日)は、昭和から平成時代前期の政治家。精神科医。埼玉県秩父市長。秩父市名誉市民。位階は正五位。 埼玉県秩父郡秩父町(現秩父市)出身。1947年 (昭和18年) 埼玉県立熊谷中学校(現在の埼玉県立熊谷高等学校)、1954年(昭和29年)日本医科大学医学部を卒業。卒業後、精神科医となる。秩父中央病院院長を務めた。1987年(昭和62年)5月、秩父市長に就任し、2003年(平成15年)4月まで務めた。在任中は西武鉄道の秩父乗り入れ、秩父公園橋の架橋、国道や県道の改良、国道140号雁坂トンネル、皆野寄居バイパスの開通などに尽力した。
鴨田 利太郎(かもだ としたろう、1930年(昭和5年)1月… 鴨田 利太郎(かもだ としたろう、1930年(昭和5年)1月17日 - 1985年(昭和60年)1月16日)は、日本の政治家、衆議院議員(2期、自由民主党)。 埼玉県熊谷市出身。父は熊谷市長と衆議院議員を務めた鴨田宗一。1950年(昭和25年)3月、拓殖大学政経学部卒業。1952年(昭和27年)3月、早稲田大学教育学部卒業。1979年(昭和54年)2月、熊谷商工信用組合理事長となった。同年、宗一の後継者として第35回衆議院議員総選挙に埼玉県第3区から自民党で立候補し当選した。1980年(昭和55年)、第36回衆議院議員総選挙でも再選した。しかし、1983年(昭和58年)の第37回衆議院議員総選挙には3回目の立候補したものの、加藤卓二と糸山英太郎(無所属)と議席を争ったが落選した。
品川 義雄(しながわ よしお、1929年(昭和4年)12月2… 品川 義雄(しながわ よしお、1929年(昭和4年)12月25日 - )は、日本の政治家。元埼玉県鶴ヶ島市長(3期)。旭日小綬章受章。 内野欣鶴ヶ島町長(後に市長)の下で助役を務めた。市制移行後に内野が勇退したことによる鶴ヶ島市長選に出馬し無投票で当選。鶴ヶ島市長に1993年11月5日就任。2005年11月5日に任期満了となり藤縄善朗に職を譲り退任した。通算3期12年。 2007年には旭日小綬章を受章した。 この項目は、まだ閲覧者の調べものの参照としては役立たない、人物に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(P:人物伝/PJ:人物伝)。 この項目は、日本の政治家に関連した書きかけの項目です。
関 眞(せき まこと、1929年〈昭和4年〉12月6日 - … 関 眞(せき まこと、1929年〈昭和4年〉12月6日 - 2005年〈平成17年〉11月29日)は、日本の政治家。埼玉県日高市長(2期)。 埼玉県出身。埼玉県立川越中学校(現・埼玉県立川越高等学校)卒。1983年(昭和58年)、日高町議会議員に初当選。3期務めた(1991年(平成3年)からは日高市議会議員)。また、1989年(平成元年)5月9日から1990年(平成2年)5月14日まで第37代日高町議会副議長を、1993年(平成5年)5月12日から1994年(平成6年)5月10日まで第41代日高市議会議長を務めた。 1995年(平成7年)の日高市長選挙に立候補したが、駒野昇に敗れて落選した。 ※当日有権者数:40,280人 最終投票率:70.95%(前回比:-pts) 1999年(平成11年)、日高市長に立候補して3人を破って初当選を果たした。
山口 光一(やまぐち こういち、1929年〈昭和4年〉11月… 山口 光一(やまぐち こういち、1929年〈昭和4年〉11月18日 - 2008年〈平成20年〉9月14日)は、日本の政治家。自由民主党所属。参議院議員(1期)を歴任。 埼玉県深谷市出身。1953年(昭和28年)早稲田大学第一政経学部政治学科卒。同年自由党政務調査会勤務となった。1955年(昭和30年)の保守合同により自由民主党本部職員となる。1980年(昭和55年)に事務局次長、1983年(昭和58年)に事務局長に就任する。1986年(昭和61年)の参院選で比例区から立候補するが名簿順位が25位(最下位)のため落選。1990年(平成2年)に宮田輝の死去により繰り上げ当選する。同年8月20日に当選が告示された。
高瀬 一太郎(たかせ いちたろう、1929年(昭和4年)8月… 高瀬 一太郎(たかせ いちたろう、1929年(昭和4年)8月9日 - 2010年(平成22年)9月11日)は、昭和から平成時代前期の政治家。埼玉県加須市長。加須市名誉市民。 埼玉県北埼玉郡加須町(現加須市)出身。東京農業大学専門部卒業。埼玉県農業振興公社理事長、加須市助役を経て、1994年(平成6年)加須市長に当選した。2006年(平成18年)12月、加須市名誉市民に推挙された。2008年、旭日小綬章受章。没後叙従五位。
増田 敏男(ますだ としお、1929年(昭和4年)4月20日… 増田 敏男(ますだ としお、1929年(昭和4年)4月20日 - )は、日本の政治家。衆議院議員(5期)、熊谷市長(2期)を歴任した。 埼玉県熊谷市出身で埼玉県立熊谷高等学校を中退。 1959年5月、熊谷市議会議員に初当選する。 1967年4月、埼玉県議会議員に当選。 1981年3月、第82代埼玉県議会議長に就任した。 1982年5月、熊谷市長に初当選したが、1986年6月、熊谷市長を辞職。同7月、衆議院議員選挙旧埼玉3区で落選。 1990年2月、衆議院議員選挙旧埼玉3区で初当選。同3月、衆議院地方行政委員会理事となる。 1993年8月、国土政務次官に就任し、1996年1月、衆議院農林水産委員会理事となる。
三枝 安茂(みえだ やすしげ、1928年〈昭和3年〉10月2… 三枝 安茂(みえだ やすしげ、1928年〈昭和3年〉10月24日 - 2025年〈令和7年〉2月28日)は、日本の政治家。位階勲等は従四位旭日中綬章。埼玉県春日部市長(5期)等を歴任した。 埼玉県出身。旧制埼玉県立粕壁中学校(現在の埼玉県立春日部高等学校)を経て、海軍通信学校に入る。戦後、明治大学商学部に入り、1949年(昭和24年)に卒業する。卒業後は幸手町(現在の幸手市)の肥料店に勤務する、1955年(昭和30年)、春日部市議会議員に当選。市議を6期務め、副議長、議長になる。6期目途中の1978年(昭和53年)、春日部市助役となる。1986年(昭和61年)春日部市長に当選。春日部市長を5期務める。
新井 馨(あらい かおる、1927年(昭和2年)7月2日 -… 新井 馨(あらい かおる、1927年(昭和2年)7月2日 - 2016年(平成28年)7月26日)は、昭和から平成時代前期の政治家。埼玉県北本市長。 のちの埼玉県北本市出身。石戸国民学校(現北本市立石戸小学校)卒業。北本市収入役、助役を務め、1987年(昭和62年)北本市長に当選した。 2016年(平成28年)7月26日、横行結腸がんのため死去した。
宮崎 雅好(みやざき まさよし、1927年(昭和2年)1月1… 宮崎 雅好(みやざき まさよし、1927年(昭和2年)1月10日 - 2021年(令和3年)1月26日)は、昭和から平成時代の政治家。埼玉県坂戸市長。坂戸市名誉市民。 埼玉県入間郡坂戸町(現坂戸市)出身。海軍兵学校卒業。1955年(昭和30年)1月、坂戸町議会議員に当選し、以来坂戸町および坂戸市収入役を経て、1980年(昭和55年)5月、坂戸市長に当選した。2000年(平成12年)5月、政界から引退した。2002年(平成14年)7月、坂戸市名誉市民に推挙された。 2021年1月26日、盲腸がんのため死去。94歳没。死没日をもって従四位に叙される。
井原 勇(いはら いさむ、1926年〈大正15年〉11月17… 井原 勇(いはら いさむ、1926年〈大正15年〉11月17日 - 2007年〈平成19年〉10月7日)は、日本の政治家。与野市長(第8代 - 第12代〈最終〉)。さいたま市長職務執行者。 埼玉県北足立郡与野町(現さいたま市中央区)出身。旧制浦和中、東京大学工学部を卒業後、新潟鐵工所に入社。新潟コンバータ取締役や大宮工場長を経て、1979年に与野市の収入役に就任した。1983年、白鳥三郎の事実上の後継指名を受け市長選挙に立候補し当選、第8代与野市長に就任した。その後5期18年、さいたま市として合併するまで市長を在任した。 篤実な人物で、2001年5月の合体合併によるさいたま市設置に際しても、浦和方と大宮方の仲介役として、さいたま市の誕生に大きな役割を果たした。
加藤 卓二(かとう たくじ、1926年9月19日 - 200… 加藤 卓二(かとう たくじ、1926年9月19日 - 2004年7月22日)は、日本の政治家。衆議院議員(5期、自由民主党)。 埼玉県小鹿野町出身。1951年明治大学専門部法科卒。 秩父長瀞の舟下りの会社や、池袋のロサ会館経営など、さまざまな事業を手がけた。1983年の第37回衆議院議員総選挙で旧埼玉3区から立候補して当選。衆議院議員を5期務めた。 竹下改造内閣の総務政務次官、第2次海部内閣の労働政務次官、小渕第2次改造内閣と第1次森内閣の建設政務次官などを務めた。 2000年(平成12年)春の叙勲で勲一等瑞宝章受章。 2004年7月22日、敗血症のため東京都新宿区の病院で死去、77歳。
松本 幸男(まつもと ゆきお、1926年3月28日 - 19… 松本 幸男(まつもと ゆきお、1926年3月28日 - 1983年1月28日)は、日本の政治家。日本社会党衆議院議員(1期)。社会保険労務士。 埼玉県入間郡三ヶ島村(現・所沢市)出身。1940年、三ヶ島村立三ヶ島尋常高等小学校卒。陸軍特別幹部候補生を経て、戦後、豊岡町(現・入間市)にあったジョンソン基地に入り、労働運動に参加。全駐労埼玉地連書記長、同副委員長となる。その後所沢市議会議員を経て、日本社会党から埼玉県議会議員選挙に立候補し当選。1979年4月の県議選で落選、同年10月の第35回衆議院議員総選挙に旧埼玉2区から日本社会党公認で立候補するも次点落選。翌年の第36回衆議院議員総選挙で初当選した。
坂本 友雄(さかもと ともお、1924年(大正13年)12月… 坂本 友雄(さかもと ともお、1924年(大正13年)12月16日 - 2013年(平成25年)1月20日)は、昭和から平成時代前期の政治家。埼玉県久喜市長。久喜市名誉市民。 埼玉県南埼玉郡久喜町(現久喜市)出身。1942年 (昭和17年) 3月、埼玉県立粕壁中学校(現在の埼玉県立春日部高等学校)を卒業。久喜市助役を経て、1981年(昭和56年)9月、久喜市長に当選。4期16年務めた。久喜駅西口再開発事業、各都市計画道路の整備促進、公共下水道・農業集落排水事業などに尽力した。1998年(平成10年)3月、久喜市名誉市民に推挙された。 2013年(平成25年)1月20日、多臓器不全のため死去した。
芝 宏(しば ひろし、1923年(大正12年)10月3日 -… 芝 宏(しば ひろし、1923年(大正12年)10月3日 - )は、日本の政治家。元埼玉県幸手市長。 埼玉県出身。1968年、埼玉県立浦和商業学校(現・埼玉県立浦和商業高等学校)卒。幸手町議会議員を5期務め、1985年、幸手町長に当選した。翌1986年、幸手町は市制施行により幸手市となり、幸手市長となる。1989年に再選。1993年に市長を退任した。同年、勲四等瑞宝章を受章した。
井原 弥一郎(井原 彌一郎、いはら やいちろう、1922年〈… 井原 弥一郎(井原 彌一郎、いはら やいちろう、1922年〈大正11年〉8月29日 - 1972年〈昭和47年〉10月13日)は、日本の政治家・実業家。埼玉県与野市議会議員・埼玉県議会議員・与野フードセンター初代社長を歴任した。元与野市長・さいたま市長職務執行者の井原勇は実弟、衆議院議員の井原隆は孫である。 埼玉県北足立郡与野町(現:さいたま市中央区)出身。貿易商に勤めていた井原和一(旧姓:網野)の長男として生まれる。井原家は与野でも有数の名家で、弥一郎の曾祖父である弥四郎・祖父である貞亮(ていすけ)はともに与野町長を務め、貞亮の娘婿となった和一ものちに与野町会議員・与野町長・埼玉県議会議員を務めることになる名望家であった。
森田 重郎 (もりた じゅうろう、1922年(大正11年)4… 森田 重郎 (もりた じゅうろう、1922年(大正11年)4月14日 - 1990年(平成2年)9月18日)は、日本の実業家、政治家。参議院議員(2期)。 埼玉県秩父市出身。西武自動車秩父営業所長を務めた森田實太郎の長男として生まれる。 埼玉県立熊谷商業高等学校を経て、1946年(昭和21年)に中央大学経済学部を卒業すると近江鉄道に入社。その後国土計画興業、西武鉄道グループの各社で職を転々としつつ、グループ首脳の堤康次郎の次女・邦子と結婚した(後に離婚)。康次郎が死去すると息子の堤清二、義明兄弟や女婿で西武鉄道社長だった小島清治郎、グループ全体の財務を担当していた西武鉄道専務宮内巌とともにグループの最高意思決定にかかわる立場となり、自らは、西武化学工業、三笠コカ・コーラボトリング、近江鉄道社長などを務めた。
大成 正雄(おおなり まさお、1921年11月23日 - 1… 大成 正雄(おおなり まさお、1921年11月23日 - 1993年4月23日)は、日本の政治家。衆議院議員(1期、新自由クラブ)。 埼玉県北足立郡三橋村(のち大宮市、現・さいたま市)出身。浦和商業学校(現埼玉県立浦和商業高等学校)を経て、中央大学専門部経済科中退。国鉄大宮工場(現大宮総合車両センター)に入るが、間もなく召集され、陸軍中尉で終戦を迎える。終戦後は大宮工場に復帰し、同工場の労働組合の書記長になり、日本社会党に入る。1947年、大宮市議会議員に当選し、2期務める。その後、労働組合を脱退し、社会党を離党し、衆議院議員福永健司の秘書になる。1959年、埼玉県議会議員に当選し、3期務め、同議長となる。
平田 藤吉(ひらた とうきち、1921年10月28日 - 1… 平田 藤吉(ひらた とうきち、1921年10月28日 - 1991年1月31日)は日本の政治家。元衆議院議員(日本共産党公認)。日本共産党中央委員会委員。 埼玉県上尾市出身。1933年、新潟県出雲崎尋常小学校卒業。1946年に共産党に入党した。保育園理事長や日本共産党埼玉県委員長などを務めた。1958年の第28回衆議院議員総選挙は旧埼玉3区から立候補して落選。1960年の第29回総選挙から第32回総選挙まで旧埼玉1区で立候補して落選した。1972年の第33回総選挙で初当選を果たす。国政選挙6度目の挑戦にして、トップ当選であった。当選1回。1976年の第34回総選挙では旧埼玉5区から立候補したが落選した。
松永 綠郎(まつなが ろくろう、1921年9月21日 - 2… 松永 綠郎(まつなが ろくろう、1921年9月21日 - 2005年5月22日)は、日本の政治家。元埼玉県副知事。元桶川町長。旭日中綬章受章。位階は従四位。 埼玉県に生まれる。1938年、軍記章を受賞(歩兵二等兵)。旧制埼玉県立熊谷中学校を経て、1943年、中央大学法学部卒業。1947年4月に桶川町(現・桶川市)長に就任。その後、埼玉会館会長、埼玉県労働部長、埼玉県民生部長、埼玉県企画財政部長を歴任する。1976年~1984年の間埼玉県副知事となる。1993年、旭日中綬章受章。副知事を退任後、株式会社エコ企画顧問、社団法人北海道野生生物保護公社理事長、一般社団法人日本資材管理協会第四代会長となる。
駒野 昇(こまの のぼる、1921年(大正10年)4月10日… 駒野 昇(こまの のぼる、1921年(大正10年)4月10日 - 2011年(平成23年)1月11日)は、日本の政治家。埼玉県日高市長(初代)。陸軍大尉。 旧日本陸軍将校から自治体首長に転じた異色の人物。ベッドタウン化が進展していた日高町の市制施行を実現し、近隣市町と足並みを揃えつつ都市基盤の充実に取り組んだほか、巾着田等市内の観光・ハイキングコースの整備を行った。
野中 英二(のなか えいじ、1920年1月16日 - 201… 野中 英二(のなか えいじ、1920年1月16日 - 2015年2月25日)は、日本の政治家。勲章は勲一等瑞宝章。 国土庁長官(第18代)、衆議院議員(6期)、埼玉県議会議員(3期)等を歴任した。 衆議院議員の野中厚は孫。 埼玉県加須市生まれ。旧制粕壁中学校、慶應義塾大学法学部卒業。 大越村議会議員、埼玉県議会議員を経て、1967年の第31回衆議院議員総選挙に旧埼玉4区(定数3)から無所属で出馬したが、次点で落選した。1969年、第32回衆議院議員総選挙に旧埼玉4区から再び無所属で出馬し、得票数2位で当選した(野中に代わり、日本社会党の板川正吾が落選し、保守系で3議席を独占した)。当選後、自由民主党に入党。
鈴木 泰治(すずき たいじ、1919年(大正8年)7月14日… 鈴木 泰治(すずき たいじ、1919年(大正8年)7月14日 - 2015年(平成27年)4月15日)は、昭和から平成時代の政治家。埼玉県八潮市長。位階は正五位。 埼玉県出身。1937年(昭和12年)、埼玉県立粕壁中学校(現在の埼玉県立春日部高等学校)を卒業する。1947年(昭和22年)南埼玉郡八条村収入役、1956年(昭和31年)合併により八潮村収入役となり、1964年(昭和39年)町制、1972年(昭和47年)市制施行後も連続7期務める。同年助役を経て、1973年(昭和48年)八潮市長に当選し、4期務めた。2015年死去。死没日付をもって正五位に叙された。
山口 治郎(やまぐち じろう、1919年(大正8年)6月13… 山口 治郎(やまぐち じろう、1919年(大正8年)6月13日 - 2008年(平成20年)2月7日)は、平成時代前期の政治家。埼玉県行田市長。 埼玉県北埼玉郡忍町(現行田市)出身。青年学校卒業。行田市消防長、助役などを経て、1991年(平成3年)5月、行田市長に当選し、3期12年務めた。ものつくり大学の誘致や総合体育館グリーンアリーナの開設、道路交通網や上下水道の整備などに尽力した。 2008年(平成20年)2月7日、急性心不全により死去した。死没日をもって従四位に叙される。
三ッ林 弥太郎(三ッ林 彌太郎、みつばやし やたろう、191… 三ッ林 弥太郎(三ッ林 彌太郎、みつばやし やたろう、1918年〈大正7年〉11月22日 - 2003年〈平成15年〉8月18日)は、日本の政治家。位階は正三位。自由民主党所属の衆議院議員(10期)。 科学技術庁長官(第3次中曽根内閣)を務めた。 埼玉県北葛飾郡行幸村千塚(のち幸手町、現・幸手市)、三ッ林幸三の長男として生まれる。埼玉県立杉戸農業学校、埼玉青年師範学校(現・埼玉大学教育学部)卒業。奉天予備士官学校卒業。 青年学校教諭兼小学訓導、埼玉県農業会勤務を経て1948年に埼玉県指導農協連北葛飾支所経営課長となり1951年以来4回県議に当選。 自民党県連副幹事長を務め1960年に県議会副議長、1964年に議長に選ばれる。
野本 重雄(のもと しげお、1917年(大正6年)11月20… 野本 重雄(のもと しげお、1917年(大正6年)11月20日 - 没年不明)は、日本の政治家。埼玉県桶川市長(2期)。勲四等旭日小綬章。 埼玉県北足立郡桶川町(現・桶川市)出身。1935年、埼玉県立大宮工業学校(現・埼玉県立大宮工業高等学校)卒。桶川市議会議員、同議長を経て、1985年、桶川市長選挙に立候補し現職の岡田仲太郎を破って当選する。桶川市長を2期務め、1993年に退任した。1999年秋の叙勲で勲四等旭日小綬章を受章。
小島 慶三(こじま けいぞう、1917年(大正6年)3月11… 小島 慶三(こじま けいぞう、1917年(大正6年)3月11日 - 2008年(平成20年)8月30日)は、日本のエコノミスト、思想家、教育者、実業家、官僚、政治家、俳人。参議院議員(1期)。
晝間 仲右衛門(ひるま なかうえもん、1915年(大正4年)… 晝間 仲右衛門(ひるま なかうえもん、1915年(大正4年)1月21日 - 1997年(平成9年)1月18日)は、日本の政治家。埼玉県鳩ヶ谷市(現・川口市)長(6期)。 埼玉県出身。1932年、埼玉県立浦和中学校(現・埼玉県立浦和高等学校)卒。1954年、鳩ヶ谷町議会議員となり、2期務める。1966年、鳩ヶ谷町長に当選。翌1967年、鳩ヶ谷町の市制施行により鳩ヶ谷市長となる。市長を6期務め、1990年に退任した。1997年に死去した。
丸木 清美(まるき せいみ、1914年(大正3年)11月12… 丸木 清美(まるき せいみ、1914年(大正3年)11月12日 - 1994年(平成6年)8月27日)は、日本の医師、精神科医、政治家、教育者。 埼玉医科大学創立者。日本医科大学卒業、医学博士(東京大学)。 埼玉県入間郡毛呂村(現毛呂山町)生まれ。旧制埼玉県立川越中学校から、1939年(昭和14年)3月に日本医科大学を卒業後、東京帝国大学(現東京大学)精神科教室に入局。教授は内村祐之。医学博士(東京大学)、同年10月海軍軍医(中尉)。1944年(昭和19年)少佐。1947年(昭和22年)に祖父の丸木清太郎が創設した毛呂病院の院長となった。1949年(昭和24年)精神薄弱児施設(現障害児入所施設)育心寮を、1950年(昭和25年)救護施設育心寮を開設。
木津 三郎(きづ さぶろう、1914年(大正3年)6月12日… 木津 三郎(きづ さぶろう、1914年(大正3年)6月12日 - 没年不明)は、日本の政治家。埼玉県三郷市長(第4代 – 第6代)。 実子は現三郷市長の木津雅晟。 埼玉県北葛飾郡早稲田村(現・三郷市)出身。埼玉県立粕壁中学校(現・埼玉県立春日部高等学校)、東京専修学院卒。卒業後は早稲田村役場に奉職する。その後は三郷村、三郷町、三郷市に勤務し、市制施行後に収入役、助役となる。1982年、三郷市長選挙に立候補して当選する。市長を1994年までの3期務めた。1995年、勲四等旭日小綬章を受章した。