相馬 和夫(そうま かずお、1927年1月15日 - 200… 相馬 和夫(そうま かずお、1927年1月15日 - 2005年7月23日 )は、日本の実業家。ヤクルト本社取締役、ヤクルトスワローズ球団社長。 埼玉県熊谷市出身。ヤクルト本社取締役を経て、1970年からヤクルトアトムズ(1974年よりスワローズ)の球団取締役、球団代表などを歴任。 1985年4月に球団社長に就任すると、球団代表の田口周と共に、低迷状態にあったチーム体質の改革に取り組んだ。まず、前年途中に投手コーチから代理監督へと昇格していた土橋正幸を続投させ、若手の抜擢を依頼して新旧交代を推し進め、「ぬるま湯」と称されたチームの雰囲気を変えていった。1987年には田口の勧めで関根潤三監督を招聘し、イケトラコンビ(池山隆寛・広沢克己)をはじめとする若手選手たちを徹底的に鍛え上げさせた。
井原 弥一郎(井原 彌一郎、いはら やいちろう、1922年〈… 井原 弥一郎(井原 彌一郎、いはら やいちろう、1922年〈大正11年〉8月29日 - 1972年〈昭和47年〉10月13日)は、日本の政治家・実業家。埼玉県与野市議会議員・埼玉県議会議員・与野フードセンター初代社長を歴任した。元与野市長・さいたま市長職務執行者の井原勇は実弟、衆議院議員の井原隆は孫である。 埼玉県北足立郡与野町(現:さいたま市中央区)出身。貿易商に勤めていた井原和一(旧姓:網野)の長男として生まれる。井原家は与野でも有数の名家で、弥一郎の曾祖父である弥四郎・祖父である貞亮(ていすけ)はともに与野町長を務め、貞亮の娘婿となった和一ものちに与野町会議員・与野町長・埼玉県議会議員を務めることになる名望家であった。
森田 重郎 (もりた じゅうろう、1922年(大正11年)4… 森田 重郎 (もりた じゅうろう、1922年(大正11年)4月14日 - 1990年(平成2年)9月18日)は、日本の実業家、政治家。参議院議員(2期)。 埼玉県秩父市出身。西武自動車秩父営業所長を務めた森田實太郎の長男として生まれる。 埼玉県立熊谷商業高等学校を経て、1946年(昭和21年)に中央大学経済学部を卒業すると近江鉄道に入社。その後国土計画興業、西武鉄道グループの各社で職を転々としつつ、グループ首脳の堤康次郎の次女・邦子と結婚した(後に離婚)。康次郎が死去すると息子の堤清二、義明兄弟や女婿で西武鉄道社長だった小島清治郎、グループ全体の財務を担当していた西武鉄道専務宮内巌とともにグループの最高意思決定にかかわる立場となり、自らは、西武化学工業、三笠コカ・コーラボトリング、近江鉄道社長などを務めた。
正野 三郎(しょうの さぶろう 1922年(大正11年)3月… 正野 三郎(しょうの さぶろう 1922年(大正11年)3月10日 - )は埼玉県与野市(現さいたま市)出身の実業家・文筆家。 知己であった与野市議会議員(のちに埼玉県議会議員)の井原弥一郎(元与野市長・井原勇の実兄)と共に食品スーパーマーケット経営の(株)与野フードセンターを創業。 与野フードの専務や社長・会長等を歴任する一方で、日本全国の中小スーパーを組織化。ボランタリーチェーンである協同組合セルコチェーン(全国セルコグループ)を設立し20年近く代表を務めた他、全国スーパーマーケット協会の副理事長も務めた。 現役の経営トップだった時代だけではなく経営の一線から退いた後も文筆活動に精力的に取り組み、食品小売業の経営哲学や井原弥一郎初代社長・与野フード従業員らとのエピソード等を多く含んだ与野フード社史も兼ねた自伝・回顧録や、少年時代の円阿弥(えんなみ)地域での思い出を基に執筆した児童書など5冊の書籍を出版した。
小島 慶三(こじま けいぞう、1917年(大正6年)3月11… 小島 慶三(こじま けいぞう、1917年(大正6年)3月11日 - 2008年(平成20年)8月30日)は、日本のエコノミスト、思想家、教育者、実業家、官僚、政治家、俳人。参議院議員(1期)。
根岸忠雄(ねぎし ただお、1916年2月28日 - )は、日… 根岸忠雄(ねぎし ただお、1916年2月28日 - )は、日本の実業家。東邦チタニウム社長、日鉱エンジニアリング社長。 埼玉県出身。旧制埼玉県立熊谷中学校、旧制浦和高校を経て、1940年、東京帝国大学工学部卒業。 大学卒業後、日本鉱業に入社。金属事業本部金属加工部長、倉見工場長を経て、1968年、理事金属加工事業本部管理室長、1969年に取締役、1973年、常務、1976年、専務、1979年、日鉱エンジニアリング社長となる。日鉱エンジニアリング退社後、東邦チタニウム社長となる。 チタニウム協会副理事長、日本伸銅協会理事も歴任した。
大久保 竹治(おおくぼ たけじ、1916年〈大正5年〉1月5… 大久保 竹治(おおくぼ たけじ、1916年〈大正5年〉1月5日 - 2010年〈平成22年〉5月30日)は、日本の実業家。丸広百貨店グループ創業者。勲四等瑞宝章。日本百貨店協会常任理事、埼玉県公安委員長、川越商工会議所会頭などを務めた。 埼玉県入間郡飯能町(現在の飯能市)の製茶農家に5人兄弟妹の二男として生まれる。少年の頃に都心の百貨店をみた竹治は「こんな大きな店があったのか。いつの日にか自分の店を持ちたい」と思い、それが夢となり進学も就職も商業の道を進んだ。 飯能実業学校卒業後は東京都八王子市で衣料を扱う「丸木」で働き修行。1939年(昭和14年)に飯能で修行先の名前を借りて「丸木商店」を開店。
堀口 定義(ほりぐち さだよし、1914年2月1日 - 20… 堀口 定義(ほりぐち さだよし、1914年2月1日 - 2005年5月11日)は、日本の詩人、官僚、実業家。 埼玉県熊谷市生まれ。国鉄御徒町駅に勤めながら苦学して専門学校入学資格検定試験(専検)に合格し1934年 第一高等学校に入る。1940年、高等試験に合格。1941年、東京帝国大学法学部政治学科卒業。大蔵省入省。管財局属。1959年、東京国税局総務部長。1960年、熊本国税局長。1961年、国税庁徴収部長。1962年調査査察部長、1964年、直税部長。1965年、原子燃料公団理事。1967年、動力炉核燃料事業団理事。1969年、忠勇社長。1975年、相談役。1976年、大阪証券金融社長。社業の傍ら、詩を書き、1978年「弾道」で日本詩人クラブ賞受賞。
柿原 謙一 (かきはら けんいち、1913年 <大正2年> … 柿原 謙一 (かきはら けんいち、1913年 <大正2年> 8月19日 - 2000年 <平成12年> 1月16日) は、日本の実業家。六代目秩父鉄道社長。日本民営鉄道協会副会長。位階は正五位。 秩父市で秩父鉄道4代目社長・柿原亀吉の6人兄弟の長男として生まれる。旧制埼玉県立熊谷中学校を経て、1937年、東京商科大学卒業。謙一自身はこれで学校は終わりだと思っていたが、陸軍経理学校に入学させられた。 大学卒業後、一年半ばかり家業を手伝っていたが、1934年に補充兵で応召。その後9年間兵役に従事。大尉となる。 戦後、秩父鉄道に入社。1947年に取締役経理部長となり常務取締役を経て、1969年に六代目社長に就任。
井上 栄一(いのうえ えいいち、1913年 - 1992年)… 井上 栄一(いのうえ えいいち、1913年 - 1992年)は、日本の実業家。赤城乳業の設立者。 「味覚の天才」といわれていた。 埼玉県大里郡深谷町(現在の深谷市)に生まれる。1930年、旧制熊谷中学校を卒業した。 1938年、父である井上徳四郎が始めた合資会社広瀬屋商店を継承する。 広瀬屋商店は天然氷を商いとしており、特に夏場の氷の需要が多かった。栄一は、天然氷の商いにとどまらず、1949年には冷菓製造に乗り出し、1960年には合資会社赤城乳業と社名を変更した。1961年には組織変更して株式会社赤城乳業を設立した。 1964年、『赤城しぐれ』を開発した。 1961年から1987年まで社長を務めた。
市川 宗貞(いちかわ むねさだ、1909年(明治42年)5月… 市川 宗貞(いちかわ むねさだ、1909年(明治42年)5月22日 - 2000年(平成12年)6月11日)は、昭和から平成時代初期の政治家・実業家。埼玉県飯能市長。位階は正五位。勲三等瑞宝章。 埼玉県入間郡飯能町(現飯能市)出身。1927年(昭和2年)埼玉県立川越中学校卒業。1943年(昭和18年)飯能町会議員を経て、1951年(昭和26年)埼玉県議会議員に当選する。1962年(昭和37年)3月28日に同副議長、同年10月8日に同議長と歴任し、1965年(昭和40年)4月から飯能市長を6期24年務めた。2000年死去。死没日付をもって正五位に叙された。
森 章(もり あきら、1907年12月12日 - 1991年… 森 章(もり あきら、1907年12月12日 - 1991年11月10日)は、日本の経営者。沖電気工業社長、会長を務めた。埼玉県出身。 旧制熊谷中学を経て、1928年に東京高等工業学校電気科を卒業し、同年に沖電気工業に入社。1947年に取締役に就任し、1956年に常務、1963年に専務を経て、1966年11月に社長に就任。1972年11月に会長に就任し、1976年6月に相談役を経て、1979年6月から特別顧問を務めた。 1971年4月に藍綬褒章を受章し、1978年4月に勲二等瑞宝章を受章。 1991年11月10日肺炎のために死去。83歳没。
荒舩 清十郎(あらふね せいじゅうろう、1907年(明治40… 荒舩 清十郎(あらふね せいじゅうろう、1907年(明治40年)3月9日 - 1980年(昭和55年)11月25日)は、日本の政治家、実業家。位階は正三位、勲等は勲一等。運輸大臣(第33代)、行政管理庁長官(第40・42代)、衆議院副議長(第49代)。衆議院議員(13期)。東映フライヤーズのプロ野球選手(1970年 - 1972年)、埼玉県議会議員(1期、1979年4月 - 1983年3月)であった荒舩洋資は甥であり後に養子となる。 埼玉県秩父郡高篠村(現秩父市)出身。先代・清十郎の長男。埼玉県立工業学校卒業、明治大学専門部中退。織物製造業を経営。 「清十郎」は先祖代々の襲名で、本人は16代目にあたる(以後は襲名者は出ていない)。
鴨田 宗一(かもだ そういち、1906年(明治39年)9月1… 鴨田 宗一(かもだ そういち、1906年(明治39年)9月17日 - 1979年(昭和54年)2月8日)は、日本の政治家、実業家。位階は従三位勲一等。衆議院議員(7期)、熊谷市長(3期)。熊谷市名誉市民。1953年3月熊谷商工信用組合を設立し、初代理事長に就任。その後、自由民主党より国政へ進出し、商工部会長、中小企業調査会長、政調審議委員、副幹事長、池田内閣建設省政務次官、佐藤内閣経済企画政務次官、衆議院大蔵委員長などを歴任。専門は中小企業問題、経済企画。地元、熊谷駅への新幹線開通を実現した。衆議院議員の鴨田利太郎は息子。
伊藤 啓介(いとう けいすけ、1904年(明治37年)12月… 伊藤 啓介(いとう けいすけ、1904年(明治37年)12月31日 - 没年不明)は、日本の実業家。高岳製作所元取締役。三井銀行(現・三井住友銀行)元常任監査役。東京光学機械(現・トプコン)元監査役。 埼玉県大里郡寄居町の吉田正治の次男として生まれた。早くに父を亡くし、義兄の医師・幾瀬量(娘は幾瀬マサ)の世話になる。幾瀬の先輩の伊藤新作(日本煉瓦製造営業部長)を紹介され懇意になり、望まれて伊藤の末期養子及びその妻伊藤乃ふの養子となる。 旧制熊谷中学、旧制松本高校文科乙類を経て、1928年(昭和3年)に東京帝国大学経済学部を卒業。大学卒業後、三井銀行(現・三井住友銀行)に入行。同行にて監査役・常任監査役を歴任。
佐野 喜智平(さの きちへい、1904年(明治37年) - … 佐野 喜智平(さの きちへい、1904年(明治37年) - 1979年(昭和54年))は、日本の実業家。粕壁宿で慶長年間創業15代400年の老舗伊勢屋当主。 佐野喜智平は1904年(明治37年)、埼玉縣南埼玉郡粕壁町に生まれる。旧制縣立粕壁中學校を1922年(大正11年)に卒業後、老舗伊勢屋に勤務。1934年(昭和9年)に伊勢屋代表取締役社長を継承した。 戦後の高度成長時代には、スーパーマーケット・プラスを立ち上げた。1968年(昭和43年)に伊勢屋代表取締役会長に就任した。 氏は、1970年代に将来移転予定の春日部薬草園の跡地に、文化施設を提案。および、粕壁三枚橋の薬草園の隣接地に商業施設を誘致した。
松崎 朝治(まつざき あさじ、1903年〈明治36年〉9月1… 松崎 朝治(まつざき あさじ、1903年〈明治36年〉9月10日 - 1964年〈昭和39年〉3月31日)は、日本の実業家、政治家。衆議院議員。 埼玉県大里郡熊谷町(現:熊谷市)で生まれる。旧制熊谷中学を経て、1925年(大正14年)、早稲田大学政治経済科を卒業した。 その後、松崎製糸社長、埼玉繊維工業社長、丸佐生糸取締役、日本輸出生糸保管監査役、日本製糸協会常任幹事、ジャパン・シルク・アソシエーション理事などを務めた。 1933年(昭和8年)5月、1937年(昭和12年)5月、1942年(昭和17年)7月の3回、熊谷市会議員に選出されている。またこの間、1939年(昭和14年)5月15日から1942年(昭和17年)7月20日まで第3代同副議長を、1944年(昭和19年)6月1日から1945年(昭和20年)4月25日まで第5代同議長を務めた。
松岡 秀夫(まつおか ひでお、1898年〈明治31年〉3月7… 松岡 秀夫(まつおか ひでお、1898年〈明治31年〉3月7日 - 1944年〈昭和19年〉9月4日)は、日本の実業家、政治家。衆議院議員、星河村長、忍町長。 埼玉県北埼玉郡星河村(現行田市)で、醤油醸造業・松岡三五郎の長男として生まれる。1915年、埼玉県立熊谷中学校(現在の埼玉県立熊谷高等学校)。1920年、東京帝国大学農学部農学実科を卒業した。1923年から1931年まで忍高等女学校で理科・実業科嘱託教師を務めた。 また、星河村農会長、蚕業組合長、忍貯蓄銀行取締役頭取、忍商業銀行(現・りそな銀行・埼玉りそな銀行)取締役頭取、星河村会議員、同村長、忍町会議員、同議長、同町長、埼玉県会議員、帝国在郷軍人会北埼玉郡連合分会長などを歴任。
平岡 良蔵(良藏、ひらおか りょうぞう、1897年(明治30… 平岡 良蔵(良藏、ひらおか りょうぞう、1897年(明治30年)1月5日 - 1963年(昭和38年)5月20日)は、日本の実業家、政治家。衆議院議員、埼玉県入間郡飯能町長。 埼玉県入間郡元加治村(現:入間市)で、平岡専吉の二男として生まれる。1928年、兄・仙太郎と共に刺繍レース製造を始める。 その後、埼玉県商工経済会理事、同繊維団体協議会長、日本レース工業組合理事、所沢織物商工協同組合理事、東京繊維商品取引所理事、飯能商工会議所会頭、御嶽登山鉄道取締役、平岡工業所取締役、飯能繊維工業社長、飯能商事社長、埼玉県繊維品価格査定委員会委員長などを務めた。 政界では、埼玉県会議員、同議長、飯能町長を務める。
関根 久蔵(久藏、せきね きゅうぞう、1894年(明治27年… 関根 久蔵(久藏、せきね きゅうぞう、1894年(明治27年)12月20日 - 1969年(昭和44年)3月29日)は、日本の農業経営者、政治家。衆議院議員(2期)、参議院議員(1期)、埼玉県児玉郡金屋村長。 埼玉県児玉郡金屋村(のち児玉郡児玉町、現:本庄市)で生まれる。1913年、群馬県立富岡中学校を卒業し、農業を継いだ。 1920年、金屋村助役に就任し、農業恐慌への対策に取り組む。その後、金屋村信用販売購買組合長、同村産業組合長、同村農業会長、埼玉県信販購利用組合連合会専務理事、同農業会専務理事、同農業共済組合連合会長、同信用農業協同組合連合会長、同養蚕農業協同組合連合会長、全国乾繭組合連合会副会長、全国養蚕農業協同組合連合会長、農林中央金庫評議員などを務めた。
横川 重次(よこかわ じゅうじ、1894年(明治27年)11… 横川 重次(よこかわ じゅうじ、1894年(明治27年)11月9日 - 1964年(昭和39年)9月11日)は、日本の実業家、政治家。衆議院議員(8期)。埼玉県多額納税者。武蔵野銀行相談役。位階は正四位。勲二等旭日重光章。 埼玉県比企郡大河村腰越(現・小川町)出身。横川宗作の長男。旧制早稲田中学を経て[要出典]1917年、早稲田大学大学部文学科哲学科卒業。ドイツに留学し、ベルリン大学で社会学を専攻した。1924年、家督を相続した。 農業、製材業を営み埼玉県多額納税者となった。大河村信用組合長、小川無尽、横川製材各社長、武州本場絹織物工業、比企繭販売利用各組合長などをつとめた。 1927年3月28日、第15回衆議院議員総選挙の埼玉県第3区補欠選挙で衆議院議員に当選。
細田 栄蔵(榮藏、ほそだ えいぞう、1893年〈明治26年〉… 細田 栄蔵(榮藏、ほそだ えいぞう、1893年〈明治26年〉1月12日 - 1964年〈昭和39年〉2月13日)は、日本の実業家、政治家。衆議院議員(1期)、埼玉県議会議員(1期)、埼玉県入間郡飯能町長。 埼玉県高麗郡飯能町(のち入間郡飯能町、現:飯能市)で生まれる。埼玉県立川越中学校を中退。 1908年(明治41年)、織物製造業を継いで細田織物工場を設立した。その後、埼玉染絨取締役、埼玉県農業会理事、所沢毛織物工業所代表取締役、武蔵織物工業所代表取締役、武蔵織物工業協同組合常務理事、関東羊毛工業協同組合理事長、飯能商工会議所会頭、武蔵織物社長、西部編織社長、所沢毛織会長などを務めた。 政界では、飯能町会議員を務める。
田村 新蔵(たむら しんぞう、前名・章四郎、1892年〈明治… 田村 新蔵(たむら しんぞう、前名・章四郎、1892年〈明治25年〉11月13日 - ?)は、日本の政治家、資産家、実業家、埼玉県多額納税者。粕壁町会議員(立憲政友会)。東武商事代表取締役。粕壁町学務委員。粕壁町体育会会長。 埼玉県南埼玉郡粕壁町(現・春日部市)出身。先代・田村新蔵の四男。1910年、粕壁中学校(現・春日部高等学校)を卒業。1914年、早稲田大学大学部商科を卒業。同年麻布入隊、従七位陸軍二等主計。 粕壁銀行専務取締役、同行取締役を務め、一切の行務を統宰する。1936年、父・退隠の後を承け家督を相続し、前名・章四郎を改め襲名した。 農業並びに洋紙、砂糖、小麦粉販売業を営む傍ら、東武商事代表取締役および公職を務めた。
永瀬 寅吉(ながせ とらきち、1890年(明治23年)11月… 永瀬 寅吉(ながせ とらきち、1890年(明治23年)11月5日 - 1965年(昭和40年)7月17日)は、日本の実業家・政治家。貴族院多額納税者議員、埼玉県川口市長(第3代)。 埼玉県北足立郡川口町(現:川口市)で、川口町長・鋳物業、永瀬庄吉の長男として生まれる。1909年、埼玉県立浦和中学校卒業後に東京高等工業学校を修了した。 1912年以降、永瀬鉄工所管理者、川口商工会議所会頭、川口鋳物工業組合理事などを務めた。 1933年、川口市の市制施行に伴い市会議員に就任し、初代議長を務めた。1935年7月1日、第3代川口市長に就任し、1938年4月1日まで在任。その他、埼玉県産業報国会副会長、大政翼賛会埼玉県支部参与などを務めた。
井田 友平(いだ ともへい、1889年(明治22年)3月17… 井田 友平(いだ ともへい、1889年(明治22年)3月17日 - 1965年(昭和40年)10月31日)は、日本の実業家、政治家。衆議院議員、妻沼町名誉町民。メヌマポマードの製造販売で知られた。 埼玉県幡羅郡弥藤吾村新田、のちの大里郡妻沼町大字弥藤吾1520番地の1(現:熊谷市)で、農業・井田定吉、フク夫妻の長男として生まれる。父方は代々、教師の家系である。幡羅高等小学校を卒業し、太田村上江袋の能泉寺塾で漢学を修めた。家業の手伝いをしていたが、父の失敗で井田家は土地家屋を失ったため、17歳の春に上京して石鹸雑貨行商の見習奉公についた。 1910年3月、独立して本所区本所緑町四丁目に井田京栄堂を設立して石鹸雑貨卸商を営む。
鈴木 康太郎(すずき やすたろう、1889年(明治22年)1… 鈴木 康太郎(すずき やすたろう、1889年(明治22年)1月18日 - 1964年(昭和39年)5月8日)は、日本の実業家、政治家。衆議院議員。 埼玉県北足立郡大間木村(のち北足立郡尾間木村大間木、現:さいたま市緑区大間木)で、鈴木順太郎の長男として生まれる。1908年、埼玉県立浦和中学校を卒業。農業を営む。 卒業後、浦和商業銀行に入行。以後、同行取締役、第八十五銀行取締役、埼玉農工銀行取締役、尾間木村信用販売購買組合長などを務めた。 政界では、尾間木村会議員、埼玉県会議員、同参事会員、足立同志会会長、憲政会・立憲民政党埼玉県支部総務などを務めた。1936年2月、第19回衆議院議員総選挙で埼玉県第一区から出馬して当選し、衆議院議員を一期務めた。
宮部 一郎(みやべ いちろう、1888年〈明治21年〉12月… 宮部 一郎(みやべ いちろう、1888年〈明治21年〉12月22日 - 1990年〈平成2年〉10月3日)は、日本の実業家。 埼玉県羽生市出身。東京帝国大学経済学部卒業。昭和期における産業組合(農業協同組合の前身)の指導者として活動した。協同組合短期大学(1973年廃止)の2代目学長も務めた。植物学者・宮部金吾の女婿。 宮部一郎 | 打越顕太郎 | 美土路達雄 | 湯河元威 | 江上繁一
小此木 歌治(おこのぎ うたじ、1888年〈明治21年〉9月… 小此木 歌治(おこのぎ うたじ、1888年〈明治21年〉9月28日 ‐ 1953年〈昭和28年〉11月20日) は、大正末から昭和期の実業家、政治家。横浜木材社長。衆議院議員、横浜市会副議長。旧姓・栗原。 埼玉県幡羅郡、のちの大里郡秦村(妻沼町を経て現熊谷市)生まれ。栗原陸五郎の四男。1898年(明治31年)、横浜に移り、横浜三省小学校を卒業。小此木才三の養子となる。1903年(明治36年)、横浜補修夜学を卒業。 1923年(大正12年)、家督を相続し木材販売業を継承。関東大震災後の木材特需で財を成した。 1935年(昭和10年)、倉庫会社を設立。横浜港に大きな倉庫を構え、小此木家は港湾荷役の元締めである藤木組(現・藤木企業)との関係を深める。
荒井 八郎(あらい はちろう、1888年(明治21年)5月1… 荒井 八郎(あらい はちろう、1888年(明治21年)5月10日 – 1950年(昭和25年)1月11日)は、大正から昭和前期の実業家、政治家。参議院議員(1期)。 埼玉県北埼玉郡佐間村(忍町を経て現行田市)で、荒井久之助の二男として生まれる。1907年(明治40年)関直彦の私塾を卒業。東京で足袋見習修行を行い、1917年(大正6年)独立して忍町で足袋製造業を始め、その後、業界屈指の規模に成長した。行田足袋被服工業組合理事長、全日本足袋工業組合連合会理事、日本足袋共同販売取締役、日本足袋製造統制取締役、日本足袋統制 (株) 理事、忍町被服製造取締役会長、行田足袋元売販売社長、行田足袋工業会理事長、日本足袋配給 (株) 理事、全国足袋卸商業協同組合理事長、忍商工会議所会頭、忍町農業会長などを務めた。
相川 宗次郎(あいかわ そうじろう、前名・幾太郎、1888年… 相川 宗次郎(あいかわ そうじろう、前名・幾太郎、1888年〈明治21年〉1月25日 - 1978年〈昭和53年〉11月28日)は、日本の商人(米穀商)、会社役員、政治家。埼玉県浦和市長〈第3代〉、浦和市会議長。 埼玉県・先代宗次郎の長男。1914年、家督を相続し、前名幾太郎を改め襲名する。米穀商を営む。 1921年、浦和町会議員に当選する。1925年、浦和町助役。浦和市会議員時代には市会議長に選ばれた。1938年9月に浦和市長に就任し、1942年9月に退任した。 戦争中は大政翼賛会の支部長だったため、戦後に公職追放となった。 また浦和商工会長、相川精麦取締役、浦和商業銀行監査役、埼玉県食糧営団理事長、埼玉県中小企業団体中央会会長、全国食糧事業協組連理事などをつとめる。
金井 滋直(かない しげなお、1887年〈明治20年〉2月1… 金井 滋直(かない しげなお、1887年〈明治20年〉2月1日 - 1979年〈昭和54年〉12月3日)は、日本の実業家。興国人絹パルプ社長を務めた。 埼玉県大里郡大寄村(のちの深谷市)生まれ。旧制群馬県立前橋中学校(のちの群馬県立前橋高等学校)を経て、1911年東京高等商業学校(のちの一橋大学)卒業、東洋生命保険入社。同社業務部長、同社総務部長を経て、1931年同社常務。1936年日本曹達常務。1937年日曹人絹パルプ常務。1941年興国人絹パルプ(のちの興人)社長。1946年山陽パルプ発起人。同年同社取締役。1949年マードック賞受賞。1953年矢野恒太記念会理事。1955年経済審議会委員。
根岸 耕一(ねぎし こういち、1886年11月 - 1933… 根岸 耕一(ねぎし こういち、1886年11月 - 1933年11月2日)は、日本の実業家、映画製作者である。日本活動写真(現在の日活)で本社支配人、向島撮影所長、常務取締役を歴任した。日活向島撮影所で初めて「監督制度」を敷いた人物である。 1886年(明治19年)11月、埼玉県に生まれる。 旧制埼玉県立熊谷中学校を卒業後、東京に出て、旧制・明治大学商科を卒業する。 1919年(大正8年)、ヨーロッパ諸国、アメリカ合衆国の映画産業を視察する。もともと羊毛事業に関わり、3年間をアメリカで過ごした。 帰国後間もない1923年(大正12年)2月、日本活動写真社長の藤田謙一の推挙により、満36歳で取締役支配人に就任する。
石川 一衛(一衞、いしかわ かずえ、1886年(明治19年)… 石川 一衛(一衞、いしかわ かずえ、1886年(明治19年)9月30日 - 1960年(昭和35年)9月1日)は、日本の実業家、政治家。参議院議員。 埼玉県榛沢郡新戒村(のち大里郡新会村、現:深谷市)で生まれる。埼玉県立熊谷中学校を卒業した。 日本蹄鉄社長、釜渕木材工業取締役、釜渕産業取締役、日米工業会長などを務めた。 政界では、民主党埼玉県副支部長を務め、1947年4月、第1回参議院議員通常選挙で埼玉県地方区から立候補して当選(任期3年)し、その後、国民民主党に所属して参議院議員を一期務めた。議員退任後、埼玉県モーターボート競走会長を務めた。1957年3月、埼玉県大里郡豊里村(新会村の後継自治体)育英資金として10万円寄付より同年9月28日に紺綬褒章受章する。
高田 良平(たかだ りょうへい、1886年(明治19年)6月… 高田 良平(たかだ りょうへい、1886年(明治19年)6月30日 - 1972年(昭和47年)9月15日)は、日本の実業家、政治家。衆議院議員。 埼玉県榛沢郡、のちの大里郡深谷町(現:深谷市)で、高田惣五郎、ひこ夫妻の二男として生まれる。旧制熊谷中学卒業。 深谷物産専務取締役、深谷商業銀行取締役、深谷製材社長、武蔵土地証券社長、富岡製織取締役、大里郡織物同業組合織物研究会長、深谷商工会副会長、関東商事社長などを務め、商工業の振興に尽力した。 1920年5月、第14回衆議院議員総選挙で埼玉県第三区から立憲政友会所属で出馬して当選し、衆議院議員を一期務めた。
石坂 泰三(いしざか たいぞう、1886年(明治19年)6月… 石坂 泰三(いしざか たいぞう、1886年(明治19年)6月3日 - 1975年(昭和50年)3月6日)は、日本の財界人、経営者。逓信省を退官、第一生命保険に入社。第一生命保険、東京芝浦電気社長を経て、第2代経済団体連合会(経団連)会長(在任、1956年(昭和31年)2月21日 - 1968年(昭和43年)5月24日)。経団連会長を4期、12年務めた。経団連会長の異名 「財界総理」は石坂泰三を嚆矢とする。正三位勲一等。 1886年(明治19年)6月3日、東京に石坂義雄・こと夫妻の三男として生まれる。父・義雄は埼玉県大里郡奈良村の地主の子として生まれ、東京へ出て家庭教師や書記等の仕事をしていた。とくに裕福というほどでもないが、平和な中産家庭だったという。
遠藤 柳作(えんどう りゅうさく、1886年〈明治19年〉3… 遠藤 柳作(えんどう りゅうさく、1886年〈明治19年〉3月18日 - 1963年〈昭和38年〉9月18日)は、日本の政治家、官僚、実業家、弁護士。衆議院議員。貴族院議員。参議院議員。武蔵野銀行初代頭取。 埼玉県葛飾郡千塚村(北葛飾郡行幸村、幸手町を経て現幸手市)生まれ。遠藤幸五郎の二男。第二高等学校を経て、1910年、東京帝国大学法科大学独法科を卒業後、文官高等試験に合格し、内務省に入る。朝鮮総督府に入り試補、同書記官、同秘書官を務めた。1920年、東京府産業部長、次いで千葉県内務部長、青森・三重県知事を歴任した。 1928年、埼玉3区から立憲政友会に属して衆議院議員となった。弁護士を開業し、武蔵野鉄道会社社長に就任。
岡田 徳輔(おかだ とくすけ、1886年(明治19年)2月1… 岡田 徳輔(おかだ とくすけ、1886年(明治19年)2月19日 - 1971年(昭和46年))は、日本の政治家、実業家。埼玉県蕨市長。 第5代埼玉県蕨町長、蕨町会議員、埼玉県町村議会議長会会長、全国町村議会議長会会長、自治大学校運営審議会委員、地方制度審議会委員、町村合併促進審議会委員、自治庁参与をつとめたのち第二代蕨市長に就任した。ほか実業界でも秩父セメント連合会関東支部長、セメント共版会社常務取締役社長、埼北自動車取締役社長など歴任した。
櫻澤千藏(さくらざわ せんぞう、1884年4月23日 - 1… 櫻澤千藏(さくらざわ せんぞう、1884年4月23日 - 1949年7月7日)は、日本の実業家。日東製粉(現・日東富士製粉)元社長。 埼玉県児玉郡東児玉村で生まれる。旧制埼玉県立熊谷中学校を経て、中央大学卒業。その後、北海タイムス記者となり活躍する。1908年、埼玉公論を主宰し埼玉公論社長となる。 1912年、松本米穀製粉会社に入社し支配人を経て、取締役となる。満州北支の治安回復とともに事業の大陸進出を進める中心人物となり日東製粉を、三大製粉会社といわれるまで成長させる。1948年、日東製粉社長となる。青柳製作所専務取締役。 郷里の埼玉県新井村に、農民武徳殿や農場を寄付し、熊谷市の小学校跡に児童公園をつくるなど篤行の紳士としても知られる。
清水 藤左衛門(しみず とうざえもん、1880年 - 195… 清水 藤左衛門(しみず とうざえもん、1880年 - 1952年)は、日本の実業家、政治家。埼玉無尽株式会社(現・三井住友銀行)創業者。 中山道熊谷宿の宿屋「清水屋」(現・大盛商店)で生まれる。第15代当主。1900年、旧制埼玉県第二中学卒業。1907年、熊谷駅前に客待ちの茶店を出し、駅売り弁当や熊谷五家宝の駅売りを初めて行った。1915年、熊谷町選出で、大里郡会議員となる。1933年、熊谷市市政施行後議員に当選し2期務め、初代市会議長に就任する。1936年、熊谷市第一土地区画整理組合が設立されると、同組合長に就任。東京諸新聞販売、埼玉無尽株式会社(現・三井住友銀行)を創業する。
松本 真平(眞平、まつもと しんぺい、1878年(明治11年… 松本 真平(眞平、まつもと しんぺい、1878年(明治11年)5月12日 - 1971年(昭和46年)5月29日)は、日本の実業家、政治家。衆議院議員、貴族院多額納税者議員、熊谷市名誉市民。 埼玉県大里郡熊谷町(現:熊谷市)で、米穀商・4代目松本平蔵の長男として生まれる。高等小学校卒業後、1891年に開京英語学校に入学したが病のため帰郷し、埼玉英和学校(現:埼玉県立不動岡高等学校)で学び、1900年、東京高等商業学校を卒業。 大倉商業学校教諭となり、1901年、尾張屋銀行に入行し、明治義会中学校の英語教師を兼務。1903年、実業界に進むことを決意して帰郷した。 1914年、松本米穀会社を設立して、父が社長に真平が専務に就任。
根岸 太助(ねぎし たすけ、1878年〈明治11年〉 - 没… 根岸 太助(ねぎし たすけ、1878年〈明治11年〉 - 没年不明)は、日本の商人(呉服太物商、升屋)、実業家、政治家、名望家。多摩銀行、中武馬車鉄道各監査役。東京府西多摩郡青梅町長。東京府会議員。族籍は東京府平民。 川越に生まれ、根岸家に入る。呉服太物販売業を営む。青梅町長、同町会議員、郡会議員、東京府会議員などをつとめる。 6歳の時に青梅町仲町「升屋呉服店」の養子となる。 政友会に於ける地方の重鎮である。 信仰は仏教。趣味は書画、骨董。愛読書は伝記、自治書。住所は東京府西多摩郡青梅町(現・青梅市)。 この項目は、日本の政治家に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(P:政治学/PJ政治)。
神谷 弥平(彌平、かみや やへい、1875年(明治8年)11… 神谷 弥平(彌平、かみや やへい、1875年(明治8年)11月15日 - 1944年(昭和19年)6月17日)は、日本の農業経営者、政治家。衆議院議員、埼玉県北葛飾郡彦成村長。 埼玉県葛飾郡谷口村(のち北葛飾郡彦成村、現:三郷市谷口)で、神谷長吉の長男として生まれる。農業を営む。 彦成村会議員、同村長、北葛飾郡会議員、同議長、埼玉県会議員などを務めた。1920年5月、第14回衆議院議員総選挙で埼玉県第四区から憲政会所属で出馬して当選。第15回総選挙で再選され、衆議院議員を連続二期務めた。 その他、彦成信用組合長、埼玉県産業組合連合会理事、北葛飾郡農会副会長などを務め、宮内省主猟局から鳥類保護事務を嘱託された。
田中 徳兵衛(四代目 德兵衞、たなか とくべえ、1875年(… 田中 徳兵衛(四代目 德兵衞、たなか とくべえ、1875年(明治8年)5月15日 - 1947年(昭和22年)7月30日)は、日本の実業家、政治家。貴族院多額納税者議員、埼玉県北足立郡南平柳村長。幼名・徳蔵。勲四等旭日章。味噌醸造業。 埼玉県足立郡十二月田村(のち北足立郡南平柳村、現・川口市)で、味噌醸造業、素封家・三代目田中徳兵衛の長男として生まれる。1894年(明治27年)家督を相続し四代目徳兵衛を襲名した。 埼玉味噌醸造組合長、帝国実業協会幹事、東京共立銀行監査役、東京紡績監査役などを務めた。 南平柳村会議員を務めた後、1922年(大正11年)から1929年(昭和4年)まで同村長を務めた。
野呂 丈太郎(のろ じょうたろう、1874年(明治7年)1月… 野呂 丈太郎(のろ じょうたろう、1874年(明治7年)1月29日 - 1927年(昭和2年)10月3日)は、日本の実業家、政治家。衆議院議員。 埼玉県足立郡安行領根岸村(のち北足立郡神根村、現:川口市安行領根岸)で、染織業・野呂栄次郎の長男として生まれる。東京で警察官を務めながら法律学を学ぶ。その他、榊原鍵吉から剣術を学び、さらに柔道を修めた。父の病により帰郷し家業を継いだ。埼玉製織会社を設立して社長となり、茨城県で鉱山事業も営んだ。 政界では、神根村会議員、北足立郡会議員、埼玉県会議員などを務めた。1920年5月、第14回衆議院議員総選挙で埼玉県第一区から憲政会所属で出馬して当選し、衆議院議員を一期務めた。
出井 兵吉(いでい ひょうきち、1871年8月6日(明治4年… 出井 兵吉(いでい ひょうきち、1871年8月6日(明治4年6月20日)- 1960年(昭和35年)8月14日)は、日本の政治家、実業家。衆議院議員(6期)、立憲政友会総務、羽生市初代市長等を歴任。 武蔵国埼玉郡下羽生村(のち埼玉県北埼玉郡須影村、現:羽生市)で、地主・出井熊吉の三男として生まれる。慶應義塾大学を2年で中退し、農業を営む。のち埼玉新聞社を経営。 北埼玉郡会議員、須影村会議員、須影村村長を経て、埼玉県会議員、同副議長、同議長などを務めた。1928年(昭和3年)2月20日の第16回衆議院議員総選挙に立憲政友会の推薦を受けて当選。以後、1942年(昭和17年)4月の第21回総選挙まで連続6回の当選を果し政友会総務を歴任。
星野 仙蔵(ほしの せんぞう、1870年2月15日〈明治3年… 星野 仙蔵(ほしの せんぞう、1870年2月15日〈明治3年1月15日〉 - 1917年〈大正6年〉8月26日)は、日本の実業家、政治家、剣道家。 星野家の当主は代々星野仙蔵を名乗っており、10代目に当たる。別名は星野安大郎。家業は回漕問屋「福田屋」。埼玉県会議員、衆議院議員を務め、東上鉄道(現、東武東上線)建設に尽力した。また、大日本武徳会の剣道家としても有名で、中等学校への剣道採用請願運動を推進し、大日本帝国剣道形制定委員も務めた。 武蔵国入間郡福岡村(現埼玉県ふじみ野市)生まれ。新河岸川の舟運で栄える福岡河岸で回漕問屋「福田屋」を営み、米穀取引所監査や川越商業銀行頭取、黒須銀行を経て、1899年(明治32年)に埼玉県会議員になる。
宮本 嘉楽(嘉樂、みやもと からく、1868年12月23日〈… 宮本 嘉楽(嘉樂、みやもと からく、1868年12月23日〈明治元年11月10日〉 - 1956年〈昭和31年〉10月29日)は、日本の実業家、政治家。衆議院議員、埼玉県大里郡長井村長。 武蔵国幡羅郡西野村(のち埼玉県大里郡長井村、現:熊谷市)で、大地主・宮本楽只の長男として生まれる。漢籍を修めた。 長井村収入役、同村長、大里郡会議員、埼玉県会議員、所得税調査委員などを務めた。 1904年3月、第9回衆議院議員総選挙で埼玉県選挙区から立憲政友会所属で出馬して当選し、衆議院議員を一期務めて政界を引退した。 実業界では、埼玉実業銀行頭取、深谷商業銀行取締役などを務めた。 甲源一刀流の師範免状を授けられ、高野佐三郎に師事して小野派一刀流(一刀流中西派)の研鑽を積んだ。
飯野 喜四郎(いいのきしろう、慶応4年6月28日(1868年… 飯野 喜四郎(いいのきしろう、慶応4年6月28日(1868年8月16日) - 昭和15年(1940年)3月21日)は、埼玉県出身の政治家・実業家。埼玉県会議員・埼玉県会議長。 武蔵国埼玉郡蓮田村(現・埼玉県蓮田市)生まれ。粕壁中学校(現埼玉県立春日部高等学校)卒業。1887年に飯野運送店を開業し、東北本線でサツマイモを東北地方に販売した。1894年から埼玉県会議員を通算11期務めた。この間、1918年から1919年までと、1921年と1922年までの2度に渡って埼玉県会議長を務めた。また、教育の普及にも尽力し、粕壁中学校や旧制浦和高校(現埼玉大学)の設置に力を注いだ。元荒川、中川、古利根川などの河川改修や耕地整理にも尽力した。
荻野 六郎(おぎの ろくろう、1867年4月1日(慶応3年2… 荻野 六郎(おぎの ろくろう、1867年4月1日(慶応3年2月27日)- 1923年(大正12年)2月6日)は、明治時代の実業家、政治家。衆議院議員。 武蔵国榛沢郡横瀬村(のち埼玉県大里郡豊里村、現深谷市)で、名主・荻野竹五郎の長男として生まれる。1887年、埼玉県師範学校を卒業した。 1896年、大里郡会議員補欠選挙で当選し、同参事会員も務めた。1897年、進歩党所属で埼玉県会議員に当選した。1894年9月、第4回衆議院議員総選挙で埼玉県第五区から選出された原善三郎が、1897年 9月29日、貴族院多額納税者議員に就任したため、その補欠選挙に出馬して当選し、衆議院議員を一期務めた。 その他、下谷商業銀行頭取、深谷銀行専務取締役、吾妻馬車鉄道株式会社社長、赤坂湖泉株式会社取締役、深川電灯株式会社社長、大日本生命保険株式会社取締役、中央商業銀行監査役、日本商業興信所評議員などを務めた。
田島 竹之助(田嶋、たじま たけのすけ、1867年1月21日… 田島 竹之助(田嶋、たじま たけのすけ、1867年1月21日〈慶応2年12月16日〉 - 1939年〈昭和14年〉7月14日)は、日本の篤農家、実業家、政治家。貴族院多額納税者議員。族籍は埼玉県士族。 武蔵国埼玉郡小針村(のち埼玉県北埼玉郡太田村大字小針、現:行田市)で、豪農・田島新之助、いよ夫妻の長男として生まれる。1879年6月、祖父・新六から家督を相続した。農業を営む。 農事改良に熱心に取組み、小針沼の浚渫事業を実施して良田に変え、1910年、耕作組合を組織して農民の意識と技術の向上に努めた。また、教育の充実を図り、設備整備、貧困家庭への教育援助を実施した。その他、青年文庫の設立、青年会の組織を行い風紀の改善に努め、家庭会を組織して会長に就任し、講習会を実施するなど太田村民の意識の向上に寄与した。