安田 和博(やすだ かずひろ、1967年11月17日 - )… 安田 和博(やすだ かずひろ、1967年11月17日 - )は、日本のお笑い芸人。 郵便局で2年間内勤勤務した後、劇団七曜日を経て芸能界入り。 1988年、ノッチ(佐藤望)と「デンジャラス」を結成。ノッチの方が年上のため、現在も「ノッチさん」とさん付けで呼ぶ。90年代半ばごろに「ボキャブラ天国」シリーズへの出演したことをきっかけに、出るようになる。 2000年代には、ノッチが第44代アメリカ合衆国大統領・バラク・オバマの物真似で再ブレイクすることとなる。その場合、安田はサングラスを着用したシークレットサービスのコスプレをする。 2012年1月17日に結婚。mixiのコミュニティで知り合った19歳年下の一般女性と結婚し、三児の父親である。
葺本 光秀(ふきもと みつひで、1966年9月17日 - )… 葺本 光秀(ふきもと みつひで、1966年9月17日 - )は、お笑い芸人。ものまねコンビ・ノブ&フッキーのフッキー。東京都立川市出身。相方は小沢信弘。身長174cm、血液型O型。 子役(東京放映テレビ)経験があり、現在は相方ノブと共に日本テレビのものまね番組『ものまねバトル』、フジテレビ『ものまね紅白歌合戦』・『ものまね王座決定戦』に出演中。 所ジョージのCDアルバム『ハーレーの唄』に本人名義で2曲『雪ゆらゆら』『夜はつづくから』を収録。 テレビ出演は『笑点』の華のコーナー10回、ダウンタウンの大晦日年越しスペシャル 笑ってはいけないシリーズの『笑ってはいけない温泉宿一泊二日の旅in湯河原』『絶対に笑ってはいけない警察24時』、『絶対に笑ってはいけない新聞社24時』および『水曜日のダウンタウン〜替え歌選手権』、『ダウンタウンDX』、『とんねるずのみなさんのおかげでした〜二億四千万の瞳ものまねメドレー』などに出演。
住田 隆(すみた たかし、1966年1月7日 - )は、日本… 住田 隆(すみた たかし、1966年1月7日 - )は、日本の俳優、コメディアン。 東京都三鷹市出身。プロダクション人力舎所属。同社の新人養成課程「スクールJCA」にて講師も務める。 コンビでの出演歴についてはビシバシステムを参照。
ほい けんた(本名:塩田 謙一〈しおた けんいち〉、1965… ほい けんた(本名:塩田 謙一〈しおた けんいち〉、1965年7月7日 - )は、日本のピン芸人(お笑い芸人・ものまねタレント・バラエティーアーティスト)。物真似・トーク演技・バルーンアート・マジック・パントマイムなど様々な芸を得意とするマルチタレントである。歌も得意であり、数々の歌番組にも登場している。特に千鳥の鬼レンチャンでは独特な歌い方で注目を集めている。東京都中野区で生まれて東京都日野市で育つ。身長182cm。体重85kg。既婚。 映画の『Mr.BOO!』シリーズが好きで、芸名もシリーズで主演するホイ兄弟のマイケル・ホイやサミュエル・ホイから採った。
佐藤 あつし(さとう あつし、1965年2月9日 - )は、… 佐藤 あつし(さとう あつし、1965年2月9日 - )は、日本のコメディアン、歌手。本名、佐藤 淳(読み同じ)。 東京都出身。佐藤企画所属。一部「さとうあつし」名義で活動。 芸名の変遷:奈津あつし(なつあつし)→なつあつし→佐藤あつし 少年時代より、奈津あつしの芸名で子役として活躍。1970年代中頃に放送された『マチャアキのガンバレ9時まで!!』に出演していた。修徳高等学校時代は、劇団ひまわり高等部に所属。1984年に自身含む高等部の13人で路上パフォーマンスグループ「時代錯誤」を結成。 当時流行していた「劇男一世風靡」のフォロワー的に、原宿の歩行者天国を中心に活動を始め、ルイードなどのライブハウスにも進出。
関根 勤(せきね つとむ、1953年〈昭和28年〉8月21日… 関根 勤(せきね つとむ、1953年〈昭和28年〉8月21日 - )は、日本のお笑いタレント、コメディアン、俳優、歌手、司会者、YouTuber。旧芸名はラビット関根。東京都港区出身。浅井企画所属。娘はタレントの関根麻里。愛称は、ラビー。 所属事務所の後輩で長年の親友でもある小堺一機とのコンビは、コサキンとして知られている。 4人兄弟の末っ子(兄2人に姉1人)として生まれる。父は東京消防庁高輪消防署勤務の消防士で、謹厳実直な家庭だったと回想している。「勤」の名前の由来は、関根が生まれた年(1953年)が父にとって勤続25年目の年に当たったことに由来する。幼少時代は奔放かつ我が儘であり、父にはよく「勤、怒鳴るなよ」と窘められていた。
小林 のり一(こばやし のりかず、本名:田沼 則一〈たぬま … 小林 のり一(こばやし のりかず、本名:田沼 則一〈たぬま のりかず〉、1951年5月9日 - 2022年7月6日)は、日本のコメディアン・漫画家。以前は、三木のり一と名乗っていたが、結婚後改名。舞台、TV、映画、漫画、お笑いとこなすマルチ活動している。 父親の三木のり平は、昭和を代表する喜劇役者。東京都中央区日本橋浜町出身。母方の祖父は新宿末廣亭の高座上の額「和気満堂」を書いた中山呑海。息子はものつくり株式会社の田沼遊歩。 父・三木のり平と仕事で何度も共演したが、私生活では三木は小林たちの育児に一切関わらなかったことから父子としての触れ合いはあまりなかった。本人によると「父と一緒に外出することや家族団欒で食事をした記憶も数えるほどしかなく、『おはよう』の挨拶のやり取りすらほとんどなかった。
野口 寅次郎(のぐち とらじろう、本名:野口 陽一(のぐち … 野口 寅次郎(のぐち とらじろう、本名:野口 陽一(のぐち よういち)、1950年3月7日 - )は、日本のお笑い芸人。東京都新宿区生まれ。 NTTの関連会社勤務の傍ら、「5時から芸人」、「サラリーマン芸人」と称してものまね漫談を披露していた。現在は寅さんのものまねを中心に活動をしている。ボーイズバラエティ協会所属。元東京都ヘブンアーティスト。東京善意銀行会員(東京都社会福祉協議会)。血液型はAB型。別名義に「野口よういち」がある。 埼玉県立与野高等学校を卒業し、大学に入るために浪人するも2浪して諦め、フリーターを経てNTTグループ関連会社に就職する。芸人を目指した理由は、1979年4月に声帯模写の桜井長一郎が主催者であり、上野本牧亭で行われた第1回おおむの会のものまねコンテストでグランプリを獲得したことに始まる。
志村 けん(しむら けん、1950年〈昭和25年〉2月20日… 志村 けん(しむら けん、1950年〈昭和25年〉2月20日 - 2020年〈令和2年〉3月29日)は、日本のコメディアン、ギタリスト、俳優、司会者。ザ・ドリフターズのメンバー。東村山市名誉市民。 1973年までの芸名の表記は「志村 健」。活動名「志村 けん」本名は志村 康徳(しむら やすのり)で、構成作家としては本名名義でクレジットされた。 2020年3月、当時パンデミック初期であった新型コロナウイルス感染症(COVID-19)による肺炎で死去(後述)。生前は渡辺プロダクションを経てイザワオフィスに属し、死去したザ・ドリフターズのメンバーのいかりや長介や仲本工事と同様、没後も籍を残している。 志村家の三男として東京都北多摩郡東村山町(現:東京都東村山市)に生まれる。
星 ルイス(ほし ルイス、本名:藤江 充夫(ふじえ みつお)… 星 ルイス(ほし ルイス、本名:藤江 充夫(ふじえ みつお)、1948年11月17日 - 2005年3月10日)は、日本の漫才師。東京都出身。 1972年、星セントと共に星セント・ルイスを結成。1980年代、漫才ブームをリードする存在として活躍し「田園調布に家が建つ!!」などのギャグを取り入れて人気を集めた。 しかし、セントの体調不良をきっかけとして2003年に32年間の長きに渡るコンビを解消した。その後のルイスは俳優・司会などソロ活動を行っていた。2004年には、NHK大河ドラマ『新選組!』にも出演している。 2005年3月7日に体調不良を訴えて入院。3日後の3月10日午後2時5分、肺癌により埼玉県越谷市内の病院で死去した。
泉 ピン子(いずみ ピンこ、1947年〈昭和22年〉9月11… 泉 ピン子(いずみ ピンこ、1947年〈昭和22年〉9月11日 - )は、日本の女優、コメディアン、漫談家、歌手、タレント。東京都中央区日本橋生まれ。静岡県熱海市在住。所属は pi企画株式会社。血液型はB型。身長154cm。戸籍名:坂井 小夜(さかい さよ)、旧姓:江口(えぐち)。デビュー直後の芸名は三門 マリ子(みかど マリこ)。 東京都品川区立第二日野小学校、品川区立日野中学校卒業。日本音楽高等学校中退後の1966年、牧伸二に師事し三門 マリ子(みかど まりこ)の芸名で歌謡漫談家としてデビューするがキャバレー巡りを続ける。1975年に日本テレビ『テレビ三面記事 ウィークエンダー』で出演者に欠員が生じた際に話しぶりの面白さでリポーターに起用され、芸名を泉ピン子へ改名する。
井上 順(いのうえ じゅん、本名同じ、1947年〈昭和22年… 井上 順(いのうえ じゅん、本名同じ、1947年〈昭和22年〉2月21日 - )は、日本のタレント、歌手、俳優、コメディアン。東京都渋谷区生まれ・在住。一時は井上 順之(いのうえ じゅんじ)の芸名も使用していた。身長171cm。血液型はAB型。 東京都渋谷区の代々木公園前で馬場を営む家の3人兄弟の末子として生まれる。麻布龍土町で育った。祖父は日本で初めて競走馬を輸入し、富ヶ谷で「井上馬場」を経営していた。父は馬場専属の獣医師である。 父の影響もあり、幼少期は獣医に憧れていた。 渋谷区立大和田小学校、渋谷区立松濤中学校卒業。小学校の時分は映画が好きで、当時は保護者同伴の場合には小学生は無料であったため、父に相当する年齢の男性に付いて入館し、数多く鑑賞したという。
おばあちゃん(1947年〈昭和22年〉2月12日 - )は、… おばあちゃん(1947年〈昭和22年〉2月12日 - )は、吉本興業に所属する日本のピン芸人。 東京都国分寺市出身。身長155 cm、体重70 kg、血液型はO型。4人きょうだいの第2子・長女(唯一の女子。兄が1人、弟が2人)。実際は2人の弟の後に更に弟が3人生まれているが、その3人の弟たちはいずれも1歳になる前に亡くなっている。趣味は近場の温泉へ行くこと。お笑いは子供の頃から好きで、本人によると中田ダイマル・ラケット、花菱アチャコ・横山エンタツ、京唄子・鳳啓助などのしゃべくり漫才を聞いて育ったとのこと。 身近に大学生がいたこともあって小学生の頃から漠然と大学に行きたく、中学卒業後は進学を希望するも、母親が「女の子には学問はいらない」という方針で反対に遭い、中学の先生による奨学金の案内も拒否したことで、家の生活のために中学卒業後に就職して無線会社で事務職として務める。
高田 純次(たかだ じゅんじ、1947年1月21日 - )は… 高田 純次(たかだ じゅんじ、1947年1月21日 - )は、日本の俳優、コメディアン、実業家、タレント、司会者である。芸能事務所・テイクワン・オフィス所属で、代表取締役も務める。 愛称は純ちゃん、純じい、Mr適当、TJ、ミスター無責任、テキトー男、5時から男。 東京都北多摩郡調布町大字国領(現:調布市国領町)出身。4歳時に母親が32歳で病没し、東京ガス勤務の父親と再婚相手たる継母との家庭で育つ。 調布市立第二小学校、調布市立第三中学校、東京都立府中高等学校卒業後、東京ガスへの就職や弁護士などを志し、中央大学・明治大学・法政大学・青山学院大学を受けるが全て不合格となる。その後一浪し、東京藝術大学・武蔵野美術大学・多摩美術大学・日本大学芸術学部などの美大系や成城大学を受験するがいずれも不合格となり、東京デザイナー学院グラフィックデザイン科 へ進学した。
萩本 欽一(はぎもと きんいち、1941年〈昭和16年〉5月… 萩本 欽一(はぎもと きんいち、1941年〈昭和16年〉5月7日 - )は、日本のコメディアン、テレビ司会者。 1966年、相方の坂上二郎と結成した「コント55号」が絶大な人気を得て、60年代後半のテレビを席巻する。 70年以降は司会者としての単独活動も開始。特に80年代以降は彼の名前を冠したレギュラー番組が軒並み高視聴率を記録、「視聴率100%男」との異名を取った。また、これらの番組から始まった様々なお笑いのスタイルは(後述)その後のバラエティー番組へ多大なる影響を与えた。 昭和のバラエティー番組黄金期を代表する人物である。 日本野球連盟に所属する野球クラブチーム「茨城ゴールデンゴールズ」創立者で、初代監督を務めた。
小島 三児(こじま さんじ、1939年〈昭和14年〉1月1日… 小島 三児(こじま さんじ、1939年〈昭和14年〉1月1日 - 2001年〈平成13年〉4月16日)は、日本のコメディアン・俳優。東京都足立区出身。 駒込高校卒業後、佐山俊二に弟子入り。その後テレビの台頭に伴い東八郎・原田健二とともにトリオスカイラインを結成。東など他人の肩に頭を乗せて「懐くな!」とツッコミを入れられる芸風や、とぼけた風貌で人気を博す。トリオ解散以降も数多くの映画やテレビドラマにおいて、コミカルな三枚目から悪役まで、多様な役柄をこなす脇役として活躍した。 2001年4月16日、腎不全のため62歳で死去。
伊東 四朗(いとう しろう、本名: 伊藤 輝男、1937年〈… 伊東 四朗(いとう しろう、本名: 伊藤 輝男、1937年〈昭和12年〉6月15日 - )は、日本のコメディアン、俳優、タレント、テレビ司会者。日本喜劇人協会相談役。オルテ企画所属。東京府東京市下谷区(現在の東京都台東区)出身。血液型はO型。5人きょうだい(兄2人、姉1人、妹1人)の三男。 兄は教育評論家の伊藤竹三。息子は俳優・タレントの伊東孝明。 1937年6月15日、東京府東京市下谷区竹町(現在の東京都台東区台東)にて、服地商の子として生まれる。父親は静岡県榛原郡相良町(現在の牧之原市)、母親は同県掛川市の出身。男、女、男、男、女の5人きょうだいの上から4番目の三男が伊東。戦時中は母親の実家のある掛川市に疎開した。
東 八郎(あずま はちろう、本名:飛田 義一(ひだ ぎいち)… 東 八郎(あずま はちろう、本名:飛田 義一(ひだ ぎいち)、1936年〈昭和11年〉5月31日 - 1988年〈昭和63年〉7月6日)は、日本のコメディアン、タレント。昭和を代表するコメディアンの一人。妻との間に3男2女があり、次男はお笑いコンビ・Take2の東貴博、三男はタレントの東朋宏。タレントの安めぐみは義娘(次男・貴博の妻。ただし、東の死去から23年後の2011年に結婚したため、生前に面識は無い)にあたる。 東京府東京市浅草区 (現・東京都台東区浅草) 出身。父は岐阜県大垣市の出身で皇宮警察官であった。戦時中に家族とともに名古屋市に疎開し、名古屋時代の親友にプロゴルファー塩谷育代の父親がいた。
前田 隣(まえだ りん、1936年4月12日 - 2009年… 前田 隣(まえだ りん、1936年4月12日 - 2009年2月19日)は、日本のコメディアン。本名:中澤 永一郎(なかざわ えいいちろう)。芸名はMy Darling(マイ・ダーリン)から。後輩芸人らからは「ダーリン先生」の愛称で呼ばれた。 東京都品川区出身。のち浅草に住む。イラストレーター・山藤章二は立正中学校・高等学校時代の同級生。 1956年、東京池袋アヴァンギャルド(後に池袋アバン座に名称変更)を振り出しに、名古屋、大阪の劇場で修行を積み、コロムビア・トップ・ライトの門下として、漫才「青空あれや・これや」で活躍。 1964年、「ナンセンストリオ」に加入。「親亀の背中に小亀を乗せて〜」「赤あげて! 白下げて!」などのギャグでトリオブームの頂点に立つ。
内海 好江(うつみ よしえ 、本名・奥田 好江、1936年〈… 内海 好江(うつみ よしえ 、本名・奥田 好江、1936年〈昭和11年〉2月23日 - 1997年〈平成9年〉10月6日)は、日本の漫才師。東京市浅草区(現・東京都台東区)出身。マセキ芸能社に所属し、内海桂子・好江の名で内海桂子と女性漫才コンビとして活動していた。 両親は夫婦漫才師の荒川小芳・林家染寿。1945年にデビュー。女剣劇や父娘漫才を経て、1950年の14歳の時に内海桂子と女性漫才コンビ「内海桂子・好江」を結成。 三味線教室へ通い毎日10時間以上の猛練習を行い、猛スピードで成長。1958年、4度目の挑戦で『NHK新人漫才コンクール』で優勝。その前年は、準優勝だったことを桂子から「好江のせいだ」と当たられ自殺未遂を起こしたことがある。
岸野 猛(きしの たけし、1935年5月 - )は日本のお笑… 岸野 猛(きしの たけし、1935年5月 - )は日本のお笑い芸人である。本名:伊東 正弘。東京都世田谷区出身。社団法人漫才協会専務理事。
世志 凡太(せし ぼんた、1934年1月4日 - 2025年… 世志 凡太(せし ぼんた、1934年1月4日 - 2025年11月18日)は、日本のソングライター(作詞家・作曲家)、俳優、コメディアン、演出家、音楽プロデューサー。本名は市橋健司(いちはし・けんじ)。東京都豊島区出身。芸名は、フランス語の「C'est si Bon.」(セシボン・「とってもいい」の意)から来ている。事実上の内縁関係にあった女優の浅香光代と35年間生活を共にしていた。浅草喜劇人協会会長。 18歳の時からアルバイトでバンドに加わって進駐軍のキャンプを回り、1957年に「原信夫とシャープス&フラッツ」にベーシストとして参加。渡邊プロに所属しバンドマンとしての活動他に同時期にコメディアンとして朝日放送の「てなもんや三度笠」などのテレビ番組、ハナ肇とクレージーキャッツ主演の映画、東宝・松竹の喜劇映画、NHKの音楽番組等に出演する。
平 凡太郎(たいら ぼんたろう、1933年3月10日 - 2… 平 凡太郎(たいら ぼんたろう、1933年3月10日 - 2002年10月4日)は、東京市(現:東京都)中野区出身の俳優、コメディアン。本名平正美。 東洋工業学校(現:東洋高等学校)卒。 15歳の時に九州地方で「コミック一座」を立ち上げ、全国を巡業。その後は喜劇俳優の柳家金語楼に弟子入りし、「メリケン小僧」の名でデビュー。 映画、テレビドラマ、舞台と幅広く活動。森川信、由利徹、谷村昌彦らと喜劇の一時代を築いた。 1950年、東宝の専属女優であった持田和代(柏まゆみ)と結婚(1985年、死別)。1988年、桂子と再婚。 2002年10月4日、肺炎のため死去。69歳没。 弟子は俳優・司会者の仲良太郎。
谷 幹一(たに かんいち、1932年11月21日 - 200… 谷 幹一(たに かんいち、1932年11月21日 - 2007年6月25日)は、日本の俳優・コメディアン。東京都出身。本名は西村 昌明(にしむら まさあき)。「タニカン」の愛称で親しまれた。 1950年に都立農芸高校を中退後、新宿のムーランルージュ新宿座に最後の研究生として入る。 ムーランルージュ解散後は、劇団東京喜劇での地方巡演の後、浅草フランス座で渥美清、関敬六と出会い、下積み時代を共に送った。葛飾区青戸の自宅には渥美や関が頻繁に訪問し、谷の義母が振る舞うカレーライスを好んで食べていた。後年、渥美は「あの味だけは忘れられない。もう一度食いたいねえ」と懐かしがったという。 戦前の役者谷幹一に似ていると言われたことから芸名を谷昌明から谷幹一に改める。
海野 かつを(うみの かつを、1932年4月29日 - )は… 海野 かつを(うみの かつを、1932年4月29日 - )は、日本の芸人・俳優・声優。本名は海野 教麿(うんの きょうまろ)。旧名:海野かつお。東京府東京市(現・東京都区部)出身。 代々浅草区育ちで、実家は仁丹塔の傍のお好み焼き屋。来店する芸人に幼少時より可愛がられ、1944年の大映作品『五重塔』に子役で初出演。 戦後コメディアンを志し、日本大学第一高等学校を休学してムーランルージュ新宿座で演出見習として働き始めた途端に閉館の憂き目に遭い、同高に復学して卒業。東京吉本のシミキン一座に入り、浅草花月劇場のストリップの幕間コントで初舞台を踏んだ。 その後は脱線トリオ一門に移り、浅草フランス座をホームグラウンドに活動した。
青空 たのし(あおぞら たのし、1931年10月30日 - … 青空 たのし(あおぞら たのし、1931年10月30日 - 2021年8月24日)は、ハーモニカ漫談家、元漫才師、司会者、ラジオパーソナリティ。東京都台東区浅草出身。本名:北川 要。旧芸名:神田 一郎、青空 田の志。 コロムビア・トップ・ライト門下で「青空たのし」を名乗った人物は3人いる。 1949年9月、双葉バラエティー団で初舞台を踏んだ。その後浅草松竹楽劇団員、1955年からは岡晴夫歌謡ショー専属司会者を経て、1958年に中野四郎(元『ハッピーボーイズ』の瓶九郎)と立体司会コンビを組み、松山恵子歌謡ショー専属司会者として巡業した。 1960年6月にコロムビア・トップ・ライト同門の司会者・島田寿三(青空うれし)と、漫才コンビ青空うれし・たのしを結成した。
ハナ 肇(ハナ はじめ、本名:野々山 定夫(ののやま さだお… ハナ 肇(ハナ はじめ、本名:野々山 定夫(ののやま さだお)、1930年〈昭和5年〉2月9日 - 1993年〈平成5年〉9月10日)は、日本のドラマー、コメディアン、俳優。コミックバンド「ハナ肇とクレージーキャッツ」のリーダーであり、同バンドのドラマーでもある。 東京府北豊島郡(現在の東京都豊島区)長崎町生まれ。工学院土木科(後の工学院大学専門学校)を中退した。1990年10月13日、特選校友として学長より証書を授与され卒業を認められる。 妻は、結婚当時日活のスター女優だった島村葉子。かつて阪神タイガース、埼玉西武ライオンズに在籍した元プロ野球選手の桟原将司は又甥に当たる(ハナの兄が桟原の祖父という関係である)。
ショパン 猪狩(ショパン いがり 、1929年6月20日 -… ショパン 猪狩(ショパン いがり 、1929年6月20日 - 2005年11月13日)はコメディアン。本名は猪狩 誠二郎(いがり せいじろう)。 子供のころに見た覗きからくりをヒントにアラブ人風の顔・派手な衣装で「ヘェ〜イ!!レッドスネェ〜ク!!!カモォ〜ン!!」と言いつつ笛を吹き、3つの壷からカラフルな蛇の縫いぐるみをニョロニョロと登場させる芸「三蛇調教」で人気を博す。他にマジックも演じており、相方が突っ込みを入れたりするコミック的な要素を取り入れた芸もしていた(マジックの最中に「手順がおかしい」と言う、ナイフを突き刺すマジックで「痛い」と言う等)。 東京目黒の生まれ、宮大工の五男として育つ。
荒井 注(あらい ちゅう、1928年〈昭和3年〉7月30日 … 荒井 注(あらい ちゅう、1928年〈昭和3年〉7月30日 - 2000年〈平成12年〉2月9日)は、日本のコメディアン、俳優。ザ・ドリフターズ元メンバー。東京都出身。本名は荒井 安雄(あらい やすお)。 四谷にて生まれる。家は料亭を営んでいた。旧制日本学園中学校を経て、立教大学文学部宗教学科を中退後、二松學舍大学文学部国文学科卒業。 大学卒業後は脚本家を目指しながら、音楽バンドグループ『クレージーウエスト』のバンドマンを務めていた。なお、二松學舍大学在学中に中学と高校の教員免許(高校の科目は国語)を取得したことから、同大学卒業後に教師を務めたことがあるとの文献もあるが、真偽は不明である。芥川龍之介や太宰治を愛読する文学青年という一面もあった。
渥美 清(あつみ きよし、1928年〈昭和3年〉3月10日 … 渥美 清(あつみ きよし、1928年〈昭和3年〉3月10日 - 1996年〈平成8年〉8月4日)は、日本のコメディアン、俳優、歌手。本名:田所 康雄(たどころ やすお)。 代表作『男はつらいよ』シリーズで、柴又育ちのテキ屋で風来坊の主人公「車 寅次郎」を演じ、「寅さん」として広く国民的人気を博した昭和の名優。 没後に国民栄誉賞を受賞している。 1928年3月10日、東京府東京市下谷区(現:台東区下谷)で、地方新聞の記者をしていた父・友次郎と、元小学校教諭で内職の封筒貼りをする母・タツとの間に次男として生まれる。兄・健一郎がいる。 1934年11月、板橋尋常小学校に入学。1936年、一家で板橋区志村清水町に転居し、志村第一尋常小学校へ転入。
コロムビア・ライト(1927年3月30日 - 2010年10… コロムビア・ライト(1927年3月30日 - 2010年10月26日)は、日本の漫才師、漫談家。落語芸術協会所属。社団法人あゆみの箱常務理事。本名、鳥屋 二郎(とりや じろう)。
三木 のり平(みき のりへい、1924年4月11日 - 19… 三木 のり平(みき のりへい、1924年4月11日 - 1999年1月25日)は、日本の俳優・演出家・コメディアン。日本喜劇人協会第5代会長。本名は田沼 則子()。長男は、コメディアンの小林のり一。 東京市日本橋区浜町(現:東京都中央区日本橋浜町)生まれ。母は待合「芳柳」を営んでいた。 1942年、旧制日本大学第一中学校を卒業。日本大学法文学部芸術学科に入学し、同期生には映画科に小沢茂弘・沼田曜一がいた。大学には当初画家を目指して入学したが、その後舞台美術に興味を持ったことで演劇学科に転籍し、1947年に同学科を卒業。 その後慰問公演の俳優に欠員が出てその穴埋めとして出演を頼まれたのを機に、新劇の世界に入ることになった。
内海 桂子(うつみ けいこ、本名:安藤 良子(あんどう よし… 内海 桂子(うつみ けいこ、本名:安藤 良子(あんどう よしこ)、1923年〈大正12年〉1月12日 - 2020年〈令和2年〉8月22日)は、日本の芸人、漫才師、女優。漫才協会名誉会長、マセキ芸能社所属。 内海好江と約半世紀に渡って音曲漫才コンビ内海桂子・好江(1950年 - 1997年)を組んで人気となった。今村昌平との縁で横浜放送映画専門学院(当時)の専任講師も務めた。 桂子の当時の相方と好江の母親が兄弟弟子という縁で、当時14歳の好江を預けられる形でコンビを組んだ。好江とは14歳差で血縁関係はない。 好江の没後は漫才協団会長として東京演芸界を率いる傍ら、最古参の現役ピン芸人として都々逸や漫談、「名鳥名木 何の木に留めた」、「○○尽くし」などの軽口もこなした。
堺 駿二(さかい しゅんじ、1913年〈大正2年〉12月10… 堺 駿二(さかい しゅんじ、1913年〈大正2年〉12月10日 - 1968年〈昭和43年〉8月10日)は、東京都出身のコメディアン、喜劇俳優である。本名は栗原 正至。 実兄は浪曲師の港家小柳丸(初代)、次男はマルチタレントの堺正章。甥にボンボンブラザースの鏡味繁二郎(本名:栗原重夫)がいる。 東京府東京市本所区太平町1丁目(現:東京都墨田区太平1丁目)の桶製造業の家に8人兄弟の末子の3男として生まれる。芝居好きの母の勧めで尋常小学校を中退し11歳で新派の伊村義雄一座に入る。伊村は師匠の伊井蓉峰と河合武雄から一字ずつもらって芸名とした新派俳優で、20代半ばで一座を立ち上げ、浅草公園六区の公園劇場を中心に活躍していた。
岸井 明(きしい あきら、1910年10月13日 - 196… 岸井 明(きしい あきら、1910年10月13日 - 1965年7月3日)は日本のコメディアン、俳優、歌手。
伴 淳三郎(ばん じゅんざぶろう、1908年〈明治41年〉1… 伴 淳三郎(ばん じゅんざぶろう、1908年〈明治41年〉1月10日 - 1981年〈昭和56年〉10月26日)は、昭和期のコメディアン、俳優。本名は鈴木 寛定(すずき ひろさだ)、愛称は「バンジュン」。息子はスタイリストの山本康一郎(1961年生まれ)。 山形県米沢市に南画家の鈴木蘭涯と、妻フクの息子として生まれる。父について山形と東京を行ったり来たりするが、5歳のときから山形市小姓町で育つ。 山形市立第一尋常小学校卒業後、熊谷市の兄の家に寄宿して高等小学校に通っていたが、兄との折り合いが悪く家出し、東京に出る。そこで、母方の叔父で新派劇の河合武雄の番頭をしていた斎藤好三郎を頼り、「文芸協会」出身の新劇俳優、東儀鉄笛の付き人となり、彼が主演した映画に出演する。
川田 晴久(川田 義雄)(かわだ はるひさ(かわだ よしお)… 川田 晴久(川田 義雄)(かわだ はるひさ(かわだ よしお)、本名:岡村 郁二郎、1907年〈明治40年〉3月15日 - 1957年〈昭和32年〉6月21日)は、昭和期を代表する日本の俳優、歌手、コメディアン、ボードビリアン。いわゆるボーイズものの創始者である。灘康次を始め、多くの弟子を育てたことでも知られる。また、美空ひばりの「師匠」または「芸能界の育ての親」としても、近年、再評価が為されている。戦前は主に吉本興業(東京吉本)所属。 東京府東京市本郷区根津の印刷所を経営する岡村嘉松の子として生まれる。貧しかった少年時代に、家々の屋根を棒で飛び越えるという遊びに興じていた際に転落してしまう。この不慮の事故により脊椎カリエスを患うことになり、これが終生川田を悩ませる病となる。
古川 ロッパ(ふるかわ ろっぱ、古川 緑波とも、1903年〈… 古川 ロッパ(ふるかわ ろっぱ、古川 緑波とも、1903年〈明治36年〉8月13日 - 1961年〈昭和36年〉1月16日)は、1930年代の日本の代表的コメディアン。本名は古川 郁郎(ふるかわ いくろう)。編集者、エッセイストとしても活動した。 古川郁郎は東京帝国大学総長を務めた加藤弘之男爵の長男である加藤照麿男爵の六男として東京市麹町区に生まれた。嫡男以外は養子に出すという家訓により、生後間もなく義理の叔父(父の妹婿)で満鉄役員の古川武太郎(元陸軍中将の古川宣誉の長男)の養子となる。幼少期より文才に優れ、のちに芸名として用いた「緑波」の号は尋常小学校3年生の頃、童話作家の巖谷小波にちなんで自らつけた筆名である。