服部 一成(はっとり かずなり、1964年12月24日 - … 服部 一成(はっとり かずなり、1964年12月24日 - )は、日本のアートディレクター、グラフィックデザイナー。2015年から多摩美術大学グラフィックデザイン学科教授。東京都生まれ。 1964年12月生まれ。東京に育ち、少年時代は野球選手を志していた。中学時代にイラストレーターという職業を知り、和田誠や湯村輝彦の作品に憧れを抱く。その後、当時隆盛であったパルコや西武百貨店をはじめとしたセゾングループの文化活動に影響を受け、仕事を通じてそうした文化の様々な場面にアクセスすることのできるグラフィックデザイナーという職業に憧れが移っていった。また、4歳上の姉からの影響もしばしば語っている。1982年、武蔵高校の3年生の時にすいどーばた美術学院の夜間部に通い始める。
芦田 多恵(あしだ たえ、1964年7月3日 - )は、日本… 芦田 多恵(あしだ たえ、1964年7月3日 - )は、日本のファッションデザイナー。 1964年、ファッションデザイナー芦田淳の次女として東京に生まれる。 東洋英和女学院小・中学部を経て、スイスのル・ローゼイ高等学校を卒業。 1987年、米国ロードアイランド造形大学を卒業。在学中の1984年からジャン・パトゥやクリスチャン・ラクロワのもとで研修、1987年にはニコル・ミラー社で研修を積んだ。 1988年、株式会社ジュンアシダ入社。 1991年、「ミスアシダ」コレクションを発表し、デザイナーとしてデビュー。 1993年、山東昭子参議院議員の甥で日本興業銀行勤務であった山東英樹と結婚。2児をもうける。
加藤 裕美(かとう ひろみ、1964年4月28日 - )は、… 加藤 裕美(かとう ひろみ、1964年4月28日 - )は、日本の男性アニメーター、キャラクターデザイナー。東京都八王子市出身。 高校卒業後、日本アニメーションへ入社し『世界名作劇場シリーズ』や同社のその他の諸作品に原画マン・作画監督として参加した。キャラクターデザイナーとしてのデビュー作は『大草原の小さな天使 ブッシュベイビー』。 1997年以後はフリーランスとなり、『天使になるもんっ!』・『NEEDLESS』・『ギルティクラウン』等ではキャラクターデザインを担当している。 この項目は、アニメ関係者に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(P:アニメ/PJアニメ)。
小林 治(こばやし おさむ、1964年1月10日 - 202… 小林 治(こばやし おさむ、1964年1月10日 - 2021年4月17日)は、東京都出身のイラストレーター、メカニックデザイナー、アニメーション演出家、アニメーション監督。小林誠は実兄。 同業のアニメーターの小林治(1945年生)とは同姓同名の別人である。 高等学校卒業後、デザイナーや漫画家の仕事をしていたが、1997年のコンピュータRPG『グランディア』への参加を期に、ゲームやアニメーションの分野に主な活動の場を移す。 アニメ監督としては『BECK』や『Paradise Kiss』などの作品で知られ、無名時代のりょーちも、沓名健一ら若手アニメーターを積極起用するなど、型にはまらない作品を志向していた。
小林 治(こばやし おさむ、1964年1月10日 - )は、… 小林 治(こばやし おさむ、1964年1月10日 - )は、東京都出身のイラストレーター、メカニックデザイナー、アニメーション演出家、アニメーション監督である。
伊藤 ガビン(いとう ガビン、本名:伊藤雅敏(いとう まさと… 伊藤 ガビン(いとう ガビン、本名:伊藤雅敏(いとう まさとし) 1963年4月13日 - )は、日本の書籍編集者、ゲームデザイナー。 成城大学経済学部経済学科卒業。1985年に株式会社アスキーのパソコンホビー誌『ログイン』の「次期主力ライター募集」に応募し、編集者として採用される(同期に船田巧(現・株式会社武蔵野電波代表取締役)、青柳昌行(現・KADOKAWA常務執行役員)がいる)。1991年にアスキーを退社し、1993年にボストーク有限会社(1997年に株式会社に改組)設立。2021年3月まで女子美術大学短期大学部造形学科教授、2021年4月から京都精華大学デザイン学部メディア表現学科教授 。
鈴木 学(すずき まなぶ、1963年3月20日 - )は、東… 鈴木 学(すずき まなぶ、1963年3月20日 - )は、東京都足立区出身の元レーシングドライバー、自動車レビュアー、グラフィックデザイナー、自動車イベントなどでのMC。有限会社エムエスアール代表取締役。愛称は「マナピー(マナP)」、「マカオちゃん」、「鈴木ペラ男」、「舌の乾かない男」。 全日本プロドリフト選手権(D1グランプリ)やD1グランプリの下位カテゴリーであるD1ライツなどのドリフト大会・イベントのMC・実況として活動しつつ、D1車両やチューニングカーなどのバイナルグラフィックのデザインを手掛ける。 18歳で運転免許を取得後、アマチュアレースの世界に飛び込む。20歳頃から、レース資金のためにカッティングシートを使った自動車の外装のグラフィックデザインを手掛けるようになる。
藤井 豊(ふじい ゆたか、1962年〈昭和37年〉12月30… 藤井 豊(ふじい ゆたか、1962年〈昭和37年〉12月30日 - )は、東京都出身の日本の番組セットデザイナー、舞台美術家、画家である。1997年第25回伊藤熹朔賞 新人賞受賞。東放学園専門学校 美術制作科(旧テレビ美術科)非常勤講師。 世田谷区生まれ。東京都立富士高等学校、武蔵野美術大学造形学部基礎デザイン学科卒業。株式会社アックスに入社。2007年退社、独立。ボイジャーズデザイン株式会社を設立。
北爪 宏幸(きたづめ ひろゆき、1961年7月24日 - )… 北爪 宏幸(きたづめ ひろゆき、1961年7月24日 - )は、日本のアニメーター、キャラクターデザイナー、漫画家。東京都目黒区出身。東京デザイナー学院アニメ科(現:専門学校東京クールジャパン)卒業。 1980年代後半を代表するキャラクターデザイナーの一人。代表作は『機動戦士ガンダムΖΖ』『機動戦士ガンダム 逆襲のシャア』『モルダイバー』など。 東京都立駒場高等学校卒業。高校生の時は理科系の大学への進学を目指していたが、「何となく大学に行ってサラリーマンになる」ことに抵抗感を持ったことから、進路を美術系に転換。美術大学を目指すも、試験日になって病気になったことから試験を半分しか受けられず、他の美術大学の試験も間に合わなかったことで失敗。
小林 誠(こばやし まこと、1960年7月13日 - )は、… 小林 誠(こばやし まこと、1960年7月13日 - )は、日本のモデラー (模型)、イラストレーター、メカデザイナー、漫画家、アニメ監督。代表作に『ドラゴンズヘブン』『迷宮都市』『未来兵器AS』『ICE』などがある。東京都出身。イラストレーター・アニメ監督の小林治は実弟。 1980年代半ばに雑誌「ホビージャパン」誌上で数々のオリジナルデザインによるフルスクラッチ製作を行い、注目を集める。『機動戦士Ζガンダム』や『機動戦士ガンダムΖΖ』に登場するモビルスーツ (MS) 群を手がけ、これらのデザインワークによってアニメファン・メカファンへの知名度が急上昇し、ガンダム世界を独自に解釈・展開した作品群を模型誌で多数発表した。
岡本 英郎(おかもと ひでお|1960年〈昭和35年〉3月2… 岡本 英郎(おかもと ひでお|1960年〈昭和35年〉3月28日 - )は、日本のデザイナー、メカニックデザイナー、イラストレーター、映画監督。東京都葛飾区亀有出身。別名義に島本高雄がある。 高校当時にイラストに熱中していたところをアニメプロデューサーの野崎欣宏に才能を認められ、18歳で彼からの初仕事としてテレビアニメ『宇宙大帝ゴッドシグマ』の玩具のミニカードを描く。その後、デザイン会社「デザインメイト」への就職を経て独立し、同社のサブマリン、伸童舎、3Dプラネッツなどのスタジオに出入りしていた。『機動戦士Ζガンダム』や『機動戦士ガンダムΖΖ』、『桃太郎伝説 PEACHBOY LEGEND』などのデザインに関わった後、『鎧伝サムライトルーパー』の鎧デザインコンペに「負けたら業界から身を引くつもりで」参加し、採用される。
美樹本 晴彦(みきもと はるひこ、1959年8月28日 - … 美樹本 晴彦(みきもと はるひこ、1959年8月28日 - )は、日本のイラストレーター、キャラクターデザイナー、漫画家、アニメーター。本名は佐藤 晴彦(さとう はるひこ)。東京都出身。
大貫 卓也(おおぬき たくや、1958年 - )は、日本のク… 大貫 卓也(おおぬき たくや、1958年 - )は、日本のクリエイティブディレクター、アートディレクター、グラフィックデザイナー。大貫デザイン代表。多摩美術大学教授。 東京都出身。桐朋高校、多摩美術大学グラフィックデザイン科卒業(1980年)。同年博報堂入社。新人の頃に任されたとしまえんの仕事でいきなり東京ADC賞を受賞。以降次々と話題作を世に出し「クリエイティブの博報堂」の象徴的存在となる。当時大貫が在籍していた同社の「宮崎グループ」は金鳥のCMなどで知られる電通関西「堀井組」と並ぶ名物チームとして業界にその名を轟かせ、優秀な美大生たちが次々と就職した。そのシンプルで強力な作風は佐藤可士和を初めとする多くのグラフィックデザイナーに影響を与えた。
尾沢 敏明(おざわ としあき、1958年 - 2021年10… 尾沢 敏明(おざわ としあき、1958年 - 2021年10月12日)は、日本のイラストレーター、グラフィックデザイナー、政治家。本名は尾澤 敏明(おざわ としあき)。選挙活動等では尾沢 としあき(おざわ としあき)と表記されることもある。 東京都稲城市議会議員(1期)などを歴任した。 1958年(昭和33年)、東京都新宿区にて生まれた。3歳で父を亡くし、以降は母がアパート経営で生計を支えていた。その後、南多摩郡稲城町に転居し、稲城市立稲城中学校、東京都立府中東高等学校を卒業した。1979年(昭和54年)に桑沢デザイン研究所を卒業し、アド・プロジェクトに入社した。その後、クリエイト・リキに移った。
加藤 靖隆(かとう やすたか、1957年5月11日 - 20… 加藤 靖隆(かとう やすたか、1957年5月11日 - 2014年9月10日 )は、東京都品川区生まれのアートディレクター、グラフィックデザイナー。株式会社ソニー・ミュージックエンタテインメントを経て、1994年5月11日に有限会社ゴースト・ランチ・スタジオ設立、主宰。 ロサンゼルスのロッド・ダイヤー・デザイン事務所、東京の日本デザインセンター、エピックレコードジャパン、ソニー・ミュージックレコーズなどの勤務を経て、1994年にフリーのグラフィックデザイナーとなる。1982年発売のシャネルズ(現:ラッツ&スター)のアルバム『SOUL SHADOWS』を皮切りに、本格的にジャケット・デザインを始める。
稲吉 紘実(いなよし ひろみ、1956年(昭和31年) - … 稲吉 紘実(いなよし ひろみ、1956年(昭和31年) - )は、日本のCIデザイナー。ブランディングデザイナー、グラフィックデザイナー、アートディレクター、クリエイティブ・ディレクター、ソーシャルデザイナー、芸術家、絵本作家、児童文学作家、教授、音楽監督。 グラフィックデザイン、特にマーク・ロゴを中心とした企業、団体のコーポレートアイデンティティ(Corporate Identity,CI)デザインを1980年代後半から、個人のパーソナルマーク-PI(Personal Identity)デザインも1990年代後半から行う。
おーくん・あきら(1955年8月30日 - )は、日本のデザ… おーくん・あきら(1955年8月30日 - )は、日本のデザイナー、アートディレクター、デザイン教育者、大学教員。本名は、大久保 晃。元サンミュージックプロダクション所属。特定非営利法人「日本障害者芸術支援協会」理事長、湘南スタジオ代表。 東京都文京区出身。1974年、東京都立大泉高等学校卒業。1975年、筑波大学芸術専門学群入学。デザイン学者の高山正喜久に師事し、構成学を専攻する。筑波大学卒業後、特殊法人国際協力事業団(JICA・現在の国際協力機構)から中米のホンジュラス共和国に派遣され、ホンジュラス国立自治大学、ホンジュラス国立美術学校にて2年間デザイン教育に携わる。1981年に帰国後、デザイン業務、制作・発表とデザイン教育を続ける。
高田 明美(たかだ あけみ、1955年3月31日 - )はア… 高田 明美(たかだ あけみ、1955年3月31日 - )はアニメや装幀画で活動する日本のイラストレーター、宝飾デザイナー。
佐藤 卓(さとう たく、1955年 - )は、日本のグラフィ… 佐藤 卓(さとう たく、1955年 - )は、日本のグラフィックデザイナー。パッケージデザイン、グラフィックデザイン、アートディレクションを中心に活動する。東京都杉並区出身。TSDO Inc.主宰、21_21 DESIGN SIGHTディレクター・館長、日本グラフィックデザイン協会(JAGDA)六代目会長、京都芸術大学学長。NHK Eテレ「にほんごであそぼ」のアートディレクター、「デザインあneo」総合指導。 東京ADC・東京TDC・JAGDA・日本デザインコミッティー・AGI会員。 1955年、東京都生まれ。練馬区立関町北小学校、練馬区立石神井西中学校、東京都立豊多摩高校(第26期生)卒業。御茶の水美術学院を経て、東京芸術大学に入学。
黒澤 和子(くろさわ かずこ、1954年4月29日 - )は… 黒澤 和子(くろさわ かずこ、1954年4月29日 - )は、日本の映画衣裳デザイナー、エッセイスト。 東京都出身。黒澤明の長女。兄は黒澤久雄。元夫は俳優の加東大介の息子の加藤晴之。長男は俳優加藤隆之、次男は画家加藤秀之。三男は黒澤爽。 成城学園高等学校中退、サン・デザイン研究所、伊東衣服研究所デザイン課卒業、イタリア在住後デザイン会社を設立も、母の死を機に黒澤プロダクションを手伝う。 父黒澤明存命中は株式会社黒澤プロダクションにて、父の秘書的仕事をする。1988年父親の進言で映画界に入り、『夢』から黒澤組の衣裳担当。 2019年、『万引き家族』の衣裳デザインで第69回芸術選奨文部科学大臣賞(映画部門)受賞。
立花 ハジメ(たちばな はじめ、1951年10月28日 - … 立花 ハジメ(たちばな はじめ、1951年10月28日 - )は東京都出身のミュージシャン及びグラフィックデザイナー、映像作家。
鈴木 一誌(すずき ひとし、1950年〈昭和25年〉4月8日… 鈴木 一誌(すずき ひとし、1950年〈昭和25年〉4月8日 - 2023年〈令和5年〉8月19日)は、日本のグラフィックデザイナー、映画批評家である。 東京造形大学中退。杉浦康平事務所に12年間在籍したのち、1985年に独立。1981年、第1回ダゲレオ出版評論賞を受賞する。1998年、第29回講談社出版文化賞ブックデザイン賞を受賞する。1995年から1999年にかけて、『知恵蔵』のフォーマットをめぐる裁判が朝日新聞社とのあいだで行われ、2001年、その記録をまとめた『知恵蔵裁判全記録』が刊行される。2001年より戸田ツトムとともに雑誌『d/SIGN』の責任編集にたずさわる。2011年、土本典昭との編著『全貌フレデリック・ワイズマン アメリカ合衆国を記録する』が刊行される。
前田 誠(まえだ まこと、1949年12月4日 - )は、日… 前田 誠(まえだ まこと、1949年12月4日 - )は、日本のファッションデザイナー、ディレクター、作家。 1972年、ファッションブランド「BIGI」(ビギ)の創立期に合流。マーチャンダイザー、マーケティングディレクターとして活動後、複数のブランドでディレクターおよびデザイナーを歴任。その後イタリアに渡りバレンチノ社のデザイナーに就任し、メンズコレクションなどを手掛ける。2005年よりアクセサリーブランド「Le Tabou」(ル・タブー)を主催。2018年より作家としても活動中。 1949年、秋田県に生まれる。生後すぐに本牧(神奈川県横浜市)に引越し。その後、東京都に移り都立小平高校に進学。
大河原 邦男(おおかわら くにお、1947年12月26日 -… 大河原 邦男(おおかわら くにお、1947年12月26日 - )は、日本のメカニックデザイナー。日本のメカニックデザイナーの草分け的存在で、『機動戦士ガンダム』に登場するモビルスーツのデザインで知られる。 東京都稲城市出身。息子はアニメーターの大河原烈[要出典]。 日本のアニメーション作品で初のメカニック専門のデザイナー。代表作は『科学忍者隊ガッチャマン』、『ヤッターマン』をはじめとするタイムボカンシリーズ、『機動戦士ガンダム』とそのシリーズ、『装甲騎兵ボトムズ』、『勇者王ガオガイガー』を含む勇者シリーズなど多数。特に『機動戦士ガンダム』が起こした大ブームにより、自身の名前と「メカニックデザイナー」という職種が社会に認知された。
海藤 春樹(かいとう はるき、1947年3月28日 - )は… 海藤 春樹(かいとう はるき、1947年3月28日 - )は、日本の照明デザイナー、ライトコンポーザー。国内外の数多くのステージライティング、店舗の照明を手がける。株式会社海藤オフィス代表。一般社団法人 光と音・環境文化研究院 代表理事。 東京都出身。桐朋中学校・高等学校を卒業。日本大学藝術学部演劇学科卒業。 1970年頃から照明デザイナーとして活動開始。 演劇、ミュージカル、コンサートなどの舞台照明では「見せるもの」が一番引き立つような、「照明自体の存在を感じさせない照明」として常に独自の手法をつかい空間を作り出している。近年はアートディレクターとしても多くのプロジェクトを手がけている。 2006-2010年、芸大客員教授・東京芸術大学非常勤講師・ICSカレッジオブアーツ特別講師。
森脇 基恭(もりわき もとやす、1946年4月27日 - )… 森脇 基恭(もりわき もとやす、1946年4月27日 - )は、日本の自動車技術者、レーシングカーデザイナー、モータースポーツ解説者、ノバ・エンジニアリング技術部長および取締役副社長。東京都出身。成蹊大学工学部卒業。 1968年に成蹊大学工学部を卒業し、ホンダに入社、本田技術研究所に配属され四輪車の車体・サスペンションの設計を担当。上司は第1期ホンダF1の車体設計者として知られる佐野彰一。同期には元ホンダ社長の福井威夫、第2期ホンダF1のプロジェクトリーダーからマクラーレン・フェラーリ・ザウバーのエンジニアに転身した後藤治らがいる。 1973年にホンダを退社して渡英。イギリスのレーシングカーコンストラクターであるGroup Racing Development(英語版) (GRD) 社に入社。
矢吹 申彦(やぶき のぶひこ、1944年4月7日 - 202… 矢吹 申彦(やぶき のぶひこ、1944年4月7日 - 2022年10月28日)は、日本のイラストレーター、グラフィックデザイナー、装丁家、随筆家。俳号は矢吹猿人(さるんど)。 東京都世田谷区出身。東京都立駒場高等学校卒業。1965年に桑沢デザイン研究所へ入学、1967年に同研究所抹籍。同年から、フリーのグラフィックデザイナー、イラストレーターに。専門学校時代から音楽雑誌のイラストなどを手がける。和田誠のアシスタントをしながら、雑誌『話の特集』のスタッフもつとめていた。 1969〜76年月刊『ニューミュージック・マガジン』のADと表紙絵を担当。1981〜1990年月刊『潮』、1983年〜季刊『教育と施設』、1992〜1995年月刊『東京人』各誌の表紙絵担当。
山本 耀司(やまもと ようじ、1943年10月3日 - )は… 山本 耀司(やまもと ようじ、1943年10月3日 - )は、日本のファッションデザイナー。ヨウジヤマモト(Yohji Yamamoto)の名でプレタポルテ(高級既製服)ブランドを展開している。 長女の山本里美(英: Limi Feu )(りみ)も、自身のブランド「LIMI feu」(リミフゥ)のデザイナー。ヨウジヤマモトグループである。 歌舞伎町で百貨店に総菜を卸す会社を経営する父・山本文雄と、その経理や事務作業を手伝っていた母・山本冨美の長男として東京都新宿区に生まれた。父がルソン島で戦死した後、母は歌舞伎町でオーダーメイドの洋装店(フミ洋装店)を営んでいた(母も文化服装学院出身)。 歌舞伎町の風紀の悪さを密かに心配していた茨城県水戸市に住む叔母(母の妹)の勧めで、新宿区立大久保小学校から暁星小学校に編入(小6)。
湯村 輝彦(ゆむら てるひこ、1942年11月1日 - )は… 湯村 輝彦(ゆむら てるひこ、1942年11月1日 - )は、イラストレーター、デザイナー、漫画家、音楽評論家。ヘタウマなイラストと、スウィート・ソウルなどのR&Bや、Gラップのフリークとしても知られる日本グラフィック界のベテランである。東京都新宿区角筈(現在の西新宿)生まれ。ペンネームはTerry Johnson(テリー・ジョンスン)、ゴンゾ。また、かつては、「FLAMINGO TERRY」、「FRAMINA TERRENO GONZO」、「TERRINO FLAMINI' GONZAREZ」、「紅鶴照万太」などのペンネームも用いていた。愛称は「キング・テリー」(略して、「キンテリ」とも)。
稲葉 賀惠(いなば よしえ、本名:稲葉 佳枝、1939年(昭… 稲葉 賀惠(いなば よしえ、本名:稲葉 佳枝、1939年(昭和14年)12月18日 - )は、日本のファッションデザイナー、モデル。 東京出身。八重洲生まれ、鎌倉・横浜育ち。祖父・父は横浜でタイプライターを取り扱う「稲葉商会」を営んでいた。 1958年、横浜雙葉学園を卒業。1960年に文化学院美術科を卒業。文化学院の同級生に山東昭子、鳥居ユキ、安井かずみ、菊池武夫。1963年菊池と共に原のぶ子アカデミー洋裁学園(現・青山ファッションカレッジ)を卒業。その頃東京に進出した欧米のオートクチュールのアトリエで働くことを志願したが叶わず、1964年に赤羽に自らのアトリエを開いた。その後1970年に菊池や大楠裕二とともに、ビギ(BIGI)を設立。
青葉 益輝(あおば ますてる、1939年7月18日 - 20… 青葉 益輝(あおば ますてる、1939年7月18日 - 2011年7月9日)は、日本のグラフィックデザイナー。
前澤 義雄(まえざわ よしお、1939年3月18日[要出典]… 前澤 義雄(まえざわ よしお、1939年3月18日[要出典] - 2014年11月17日)は、カーデザイナーであり、日本の自動車評論家である。元・日産自動車チーフデザイナーとして、おもに自動車のデザインについての評論を行っていた。 東京都青梅市出身。1965年3月東京藝術大学美術学部を卒業後、同年4月プリンス自動車工業(現・日産自動車)に入社。1980年10月から1984年3月までの日産ディーゼル工業(当時)への出向期間を含め、1992年12月に日産自動車を退社するまでの長期間にわたって数々の日産車のデザインに携わった。 1993年1月、フリーランスの自動車評論家、デザインコンサルタントとして独立し、自動車関連メディア等において活動していた。
石井 幹子(いしい もとこ、1938年10月15日 - )は… 石井 幹子(いしい もとこ、1938年10月15日 - )は、日本の照明デザイナー。石井幹子デザイン事務所主宰。 日本に「ライトアップ」という文化を根付かせたパイオニア的存在であり、東京タワーやレインボーブリッジの照明を手がけるなど、日本の都市夜景に変革をもたらした人物として知られる。 東京都出身。幼稚園から高校までお茶の水女子大学附属に通い、1962年に東京芸術大学美術学部図案計画科を卒業。デザイン会社で照明器具のデザインに携わり、1965年から1967年にかけてフィンランドとドイツの照明設計事務所に助手として勤務する。 帰国後の1968年に石井幹子デザイン事務所を設立し、1970年に開催された大阪万博、1975年に開催された沖縄国際海洋博覧会の照明デザインを手がけるが、オイルショックの影響で照明デザインは電力の浪費と受け取られ日本国内では不遇の時期を過ごす一方、日本の建築雑誌で作品を見たミノル・ヤマサキの目に留まったことをきっかけに「日本に仕事がなくても、地球上のどこかにはあるはず」とオイルマネーで建設ラッシュに沸く中東をはじめ海外での仕事をこなし実績を作っていった。
ユミ・シャロー(Yumi Charraut、1938年8月1… ユミ・シャロー(Yumi Charraut、1938年8月1日 - )は、日本人ファッションデザイナー。出生名は高木弓。 1938年、東京都港区麻布の鳥居坂に生まれる。父は建築家の高木秀寛。祖父は医学者・貴族院議員の高木喜寛。曽祖父は東京慈恵会医科大学を創設した高木兼寛。祖母・シマは有島武郎と有島生馬の妹で、里見弴の姉。学習院幼稚園、田園調布雙葉小学校、田園調布雙葉中学校・高等学校を経て、女子美術大学油絵科に進学。大学在学中から既にセツ・モードセミナーで学び、当時より「装苑」のスタイル画の仕事をする。 1967年、パリに渡り、高田賢三らと活躍。フリーで「ELLE」「ジャルダン・デ・モード」のデザイン活動やファッション・ジャーナリストとして活躍後、デザイン会社レラシオン・テキスタイルに入社。
石岡 瑛子(いしおか えいこ、1938年7月12日 - 20… 石岡 瑛子(いしおか えいこ、1938年7月12日 - 2012年1月21日)は、東京府出身のアートディレクター、テキスタイルデザイナー。 妹は同じくアートディレクター、イラストレーターの石岡怜子。米国映画芸術科学アカデミー協会 (Academy of Motion Picture Arts and Sciences) 会員。 お茶の水女子大学附属中学校・ お茶の水女子大学附属高等学校を経て、東京藝術大学美術学部図案計画科を卒業後、資生堂宣伝部に入社。村瀬秀明、中村誠らとともにグラフィックデザイナー、アートディレクターとして活動した。 1970年、石岡瑛子デザイン室として独立し、パルコや角川書店などの広告で1970年代の日本で活躍。
三宅 康文(みやけ やすぶみ、1937年 - )は、東京都出… 三宅 康文(みやけ やすぶみ、1937年 - )は、東京都出身の男性書体デザイナー。
鈴木 銀一郎(すずき ぎんいちろう、1934年11月24日 … 鈴木 銀一郎(すずき ぎんいちろう、1934年11月24日 - 2021年1月6日)は、日本の作家、ゲームデザイナー。有限会社翔企画取締役。愛称は「G大佐」「(ヒゲの)大佐」「銀爺」など。妻を将軍と称していたために、「大佐」を名のったという。 日本におけるカードゲーム・ブームの火付け役となった『モンスターメーカー』シリーズのデザイナーとして知られるほか、ボードゲーム(ウォー・シミュレーションゲーム)、テーブルトークRPG(モンスターメーカー関連など)のデザインも手がけている。同じゲームデザイナーである鈴木一也は実子である。 1934年(昭和9年)11月24日、東京生まれ。早稲田大学高等学院卒、早稲田大学政治経済学部中退。
松田光弘(まつだ みつひろ 1934年4月2日 - 2008… 松田光弘(まつだ みつひろ 1934年4月2日 - 2008年5月17日)は、日本のファッションデザイナー。 1934年4月2日、東京八王子の呉服店に生まれる。桐朋中学校・高等学校を経て早稲田大学教育学部を卒業後、文化服装学院、セツ・モードセミナーで学び、三愛へ入社する。退職後の1967年3月、ファッションブランド「ニコル」を立ち上げ、数寄屋橋阪急に店舗をオープンする。その後、1971年には服飾会社である株式会社ニコルを設立して代表取締役となる。ファッションの創作においては、コントラストの強い色調や複数テーマによるデザイン傾向もみられた。肝細胞癌のため、2008年5月17日に東京で逝去。
土肥 博至(どひ ひろし、1934年 - )は、日本の建築家… 土肥 博至(どひ ひろし、1934年 - )は、日本の建築家、都市計画家、アーバンデザイナー、芸術工学者。工学博士。元神戸芸術工科大学学長。専門は環境デザイン、建築デザイン。筑波大学名誉教授。東京都出身。 1934年に東京都で生まれる。東京大学工学部建築学科を経て、同大学院数物系研究科へ進学する。その後、日本住宅公団に就職し、若林時郎,小林篤夫,東京大学高山研の土田旭,大村虔一らと高蔵寺ニュータウン計画、若林、南條道昌らと、筑波研究学園都市の計画、設計、建設を担当した。1971年に東京教育大学助教授となり、筑波大学のキャンパスデザインを行った。1976年に筑波大学芸術学部(後に芸術系)の教授となり都市計画・建築計画、園芸学・造園学、農業土木学・農村計画学などの研究を行う。
豊口 協(とよぐち きょう、1933年4月29日 - )は、… 豊口 協(とよぐち きょう、1933年4月29日 - )は、日本の、工業デザイナーである。現在、長岡造形大学名誉教授、東京造形大学名誉教授。元東京造形大学学長、元長岡造形大学学長。専門分野はインダストリアルデザイン。
芦田 淳(あしだ じゅん、1930年8月21日 - 2018… 芦田 淳(あしだ じゅん、1930年8月21日 - 2018年10月20日)は、日本のファッションデザイナー。株式会社ジュンアシダ創業者。 上皇后美智子の皇太子妃時代における専任デザイナーを務めたことで知られている。アトランタオリンピック日本選手団の公式ユニフォームや、全日空など有名企業の制服も多数手かげた。師匠はイラストレーターの中原淳一。 1930年、日本統治時代の朝鮮全羅北道全州において、京都府出身の両親のもとに生まれる。本名は淳(あつし)。8人兄弟の末っ子で、当時、父親は京都府丹後地方の実家から日本統治下の朝鮮に渡り病院を開業していた。1941年、父親の急逝を受け家族で日本に引き揚げる。
大野 松雄(おおの まつお、1930年6月17日 - 202… 大野 松雄(おおの まつお、1930年6月17日 - 2022年12月19日)は、日本の音響デザイナー、音響効果技師、現代音楽家。テレビアニメ『鉄腕アトム』に関わったことで知られている。 1930年、東京府神田区に生まれる。東京府立第六中学校(現・東京都立新宿高等学校)を経て、旧制富山高等学校を中退。 文学座、NHK東京放送効果団に勤めたのち、独立した。 1963年から1966年にかけて放映された『鉄腕アトム』において、テープ変調を使用してアトムの足音やビームの音などを作り出し、これが日本SFアニメの効果音の定型となった。1975年には、それらの効果音を集めたアルバム『鉄腕アトム 音の世界』が発売されている。
粟津 潔(あわづ きよし、1929年2月19日 - 2009… 粟津 潔(あわづ きよし、1929年2月19日 - 2009年4月28日)は、日本のグラフィックデザイナー。 東京都目黒区出身。法政大学専門部中退。絵画・デザイン技法は独学である。背景やフォルムを緻密な線や混沌とした色彩で構成し、一見ファインアートであるかのように見える作風が特徴。油彩作品も多数制作している。建築家の原広司とは1960年代に出会い、原は粟津潔邸の建築デザインを施した。 1955年の日本宣伝美術会展(日宣美)で日宣美賞受賞。1960年に建築家の有志を募り『メタボリズム』を結成する。その後、武蔵野美術大学商業デザイン学科(現・視覚伝達デザイン学科)助教授に就任、デザイン教育に携わる。
河本 将(こうもと まさ、1915年(大正4年)4月12日 … 河本 将(こうもと まさ、1915年(大正4年)4月12日 - 没年不詳)は、日本の女性ファッションデザイナーである。本姓は山崎。 京都にて河本大作の長女として生まれる。後に上京し桜蔭高等学校卒業後、伊東茂平に師事し洋裁を学んだ。1941年(昭和26年)に鐘淵紡績(後のカネボウ、現在のクラシエホールディングス)に入社し、同社が製造・販売するディオールの商品開発を担当し、使用普及に貢献した。 1967年(昭和42年)に退社後はフリーランスとしての活動を開始し、後に自身が主催するファッションショーの開催を始める。1975年(昭和50年)には当時イギリス国王であったエリザベス2世の専属デザイナー・ハーディー・エイミス(英語版)日本銀座店の店長を務めた。
太田 祐一(おおた すけかず、1913年 - 1998年)は… 太田 祐一(おおた すけかず、1913年 - 1998年)は日本の自動車技術者・自動車デザイナー。1957年(昭和32年)に日本内燃機と合併するまで存在していた日本の自動車メーカー・オオタ自動車工業の創業者・太田祐雄の長男である。 父・祐雄が巣鴨郊外に個人経営の「太田工場」を開業、教材用の小型発動機、模型飛行機、オートバイ部品製造に着手した翌年に出生。少年時代から父の仕事を手伝い、府立実科工業学校機械科在学中も、教師の許可を得て製図の時間に父の描いた図面のトレースを行っていた。 父の町工場が三井財閥の出資で、資本金100万円の「高速機関工業」に改組された翌年の1936年(昭和11年)、同社に入社。
桑沢 洋子(くわさわ ようこ、1910年11月7日 - 19… 桑沢 洋子(くわさわ ようこ、1910年11月7日 - 1977年4月12日)は、20世紀の昭和時代に活動した日本のファッションデザイナー。桑沢デザイン研究所および東京造形大学の創立者で、服飾から生活全般にわたる分野において「産業デザイン」を提唱した。桑澤洋子と表記されることもある。 東京市神田区東紺屋町(現在の東京都千代田区)に出生。神田高等女学校(現在の神田女学園高等学校)卒業後、1928年に女子美術学校(現在の女子美術大学)師範科西洋部へ入学、1932年に卒業。卒業後は東京社に就職するが、1933年に新建築工芸学院へ入学しバウハウスの思想に触れた。写真家の田村茂と1934年に結婚するも、1951年に離婚。
秦 万紀子(はた まきこ、1910年1月30日 - 1965… 秦 万紀子(はた まきこ、1910年1月30日 - 1965年10月10日)は日本のファッションデザイナー、カラリスト。自らのコレクション発表と共に、日本各地で編物デザイナー養成をし、服飾編み物界の興隆に寄与した。1951年、財団法人白南風社 しらはえしゃ (1951-2009)を労働省の認可を得て設立。編物手芸にデザイン・色彩・製図 法の指導で付加価値を高めて提供をする授産事業を行い、第2次大戦による戦争未亡人の自立のために活躍した。1961年パリのサロン・デ・エトワール(SALONS DE L’ETOILE)にて「秦 万紀子コレクション」を開催し、パリ市会よりパリ名誉市民賞(AMI DE PARIS)を受賞。
田中千代(たなか ちよ 1906年8月9日 - 1999年6… 田中千代(たなか ちよ 1906年8月9日 - 1999年6月28日)は、教育者、服飾デザイナー。昭和初期に渡欧し欧米の文化・服飾を学び、日本に近代洋裁教育、服飾デザインの礎を作った。民族衣装の研究・収集家でもあった。
河野 鷹思(こうの たかし、本名・河野孝、1906年3月21… 河野 鷹思(こうの たかし、本名・河野孝、1906年3月21日 - 1999年3月23日)は、日本のグラフィックデザイナー、エディトリアルデザイナー。愛知県立芸術大学名誉教授。日本における商業デザインの草分けの1人。 東京都神田出身。1929年に東京美術学校(現・東京芸術大学)図案科卒業。同年松竹の宣伝部に入り、その後、ポスター、舞台美術、衣裳(コスチューム)、パッケージ、ディスプレイ、(屋外の)サインなど、幅広いデザインをこなした。 名取洋之助の日本工房にも参加し、雑誌NIPPONのレイアウト、グラフィックデザイン等も担当した。 1940年から1941年にかけては、日本写真工芸社に参加し、『VAN』と『NDI』という対外宣伝誌のデザインを担当した。
村山 知義(むらやま ともよし、1901年(明治34年)1月… 村山 知義(むらやま ともよし、1901年(明治34年)1月18日 - 1977年(昭和52年)3月22日)は、日本の小説家、画家、デザイナー、劇作家、演出家、舞台装置家、ダンサー、建築家。日本演出者協会初代理事長。