亀川純一 (かめかわ じゅんいち、1948年-) は、民間歴… 亀川純一 (かめかわ じゅんいち、1948年-) は、民間歴史研究家、実業家。郷土史研究会「古志の会」代表。元・長岡市史編集専門委員。 1948年、新潟県長岡市で生まれ、阪之上小学校、長岡高校を卒業した。総合テナントビル「笑月」社長。1989年に郷土史研究グループ「古志の会」を発足させた。 芸者だった叔母が「長岡おけさ」を歌っている録音テープを聞いたことをきっかけに、新潟の民謡「おけさ」に興味を持つ。自身の主宰する「古志の会」の活動としておけさのデジタルアーカイブ化を進め、歌と踊りの収録を各地で行なった。
小原 雅之(おばら まさゆき、1947年9月2日 - )は… 小原 雅之(おばら まさゆき、1947年9月2日 - )は、日本の経営者。第四銀行頭取を務めた。 新潟県新潟市出身。1970年に慶應義塾大学経済学部を卒業し、同年に第四銀行に入行した。2000年6月に取締役に就任し、2004年6月に常務、2007年4月に専務を経て、2008年4月には頭取に就任し、2012年6月までに務めた。 この項目は、人物に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(プロジェクト:人物伝、Portal:人物伝)。
堤 芳夫(つつみ よしお、1947年9月 - )は、日本の実… 堤 芳夫(つつみ よしお、1947年9月 - )は、日本の実業家。元独立行政法人農林漁業信用基金理事長。 新潟県生まれ。新潟県立新潟高等学校を経て、1970年東北大学法学部卒業、農林中央金庫入庫。1995年農林中央金庫金沢支店長。1997年農林中央金庫秘書役。1998年農林中央金庫総合企画部長。2000年農林中央金庫常務理事大阪支店長。2003年農中情報システム代表取締役社長。2005年農林漁業信用基金理事長。2011年責任あるまぐろ漁業推進機構会長。
南雲 忠信(なぐも ただのぶ、1947年2月12日 - )は… 南雲 忠信(なぐも ただのぶ、1947年2月12日 - )は日本のエンジニア、実業家。横浜ゴム代表取締役会長、日本ゴム工業会会長、渋沢栄一記念財団名誉顧問。タイヤ開発に長年携わり主に技術畑を歩んだ。新潟県生まれ。
さとう 一声 (さとう いっせい、1947年1月15日 - … さとう 一声 (さとう いっせい、1947年1月15日 - )は、アナウンサー、リポーター、ラジオパーソナリティ、司会者、実業家。 実業家としては廣井 正一(ひろい まさかず)名義で坂東まちづくり代表取締役社長(在任期間 2016年 - 2017年)を歴任した。新潟県小千谷市出身。かつてはオフィスケイアールと業務提携していたが、2024年時点では公式サイトからプロフィールが削除されている。 新潟県立長岡高等学校、学習院大学文学部哲学科を卒業後、1970年に日本教育テレビ(NET・現在のテレビ朝日)へ入社し、新潟県出身者で初めて同局のアナウンサーとなった。テレ朝時代はアナウンサーの他、海外特派員、番組ディレクターやプロデューサーを経験する。
栗和田 榮一(くりわだ えいいち、1946年10月10日 -… 栗和田 榮一(くりわだ えいいち、1946年10月10日 - )は、佐川急便株式会社の持株親会社であるSGホールディングス(英文社名:SG Holdings Co.,Ltd.)の代表取締役会長である。新潟県上越市生まれ。 1946年10月10日、新潟県上越市板倉区出身。新潟県立新井高等学校卒業。 父は佐川急便創業者の佐川清。母方の実家は新潟において栗和田組という土建屋を営んでおり、佐川もそこで働いていた。 栗和田組の社長であった祖父が佐川を見込んで娘を妻合わせるが、栗和田が生後5ヶ月の時に佐川は栗和田組を出奔してしまった為、栗和田は父を知らずに育つ。 30代まで日本国有鉄道新潟鉄道管理局貨物課に勤務していたが、実父である佐川の誘いにより、1977年東京佐川急便(現佐川急便)に入社。
韮澤 潤一郎(にらさわ じゅんいちろう、1945年1月9日 … 韮澤 潤一郎(にらさわ じゅんいちろう、1945年1月9日 - )は、日本の実業家で、たま出版社長・編集長である。自称UFO、超常現象研究家。量子力学、意識の問題を研究しているとも述べている。 新潟県生まれ。法政大学文学部を卒業。 1995年に第17回参議院議員通常選挙(参院選)の比例代表区で「開星論」のUFO党より立候補、落選。
大坪 賢次(おおつぼ けんじ、1944年(昭和19年)5月2… 大坪 賢次(おおつぼ けんじ、1944年(昭和19年)5月25日 - )は、新潟県南魚沼市出身のニューヨーク在住の実業家。
松井 利夫(まつい としお、1943年1月1日 - )は、日… 松井 利夫(まつい としお、1943年1月1日 - )は、日本の実業家。アルプス技研最高顧問〈創業者〉。南魚沼市産業育成支援特別顧問。小千谷市まちづくり・人づくり支援特別顧問。 新潟県南魚沼市〈六日町五十沢〉の出身。1961年3月、新潟県立六日町高等学校を卒業。1964年3月、工学院大学専修学校電気科(夜間)を卒業。1968年7月、アルプス技研(松井設計事務所:当時〉を創業。1971年1月、株式会社アルプス技研を設立〈代表取締役社長に就任〉。1996年3月、多摩大学大学院経営情報学研究科を修了〈経営学修士:MBA〉・6月、株式店頭公開。1997年4月、代表取締役会長に就任。 2004年12月、アルプス技研が東証一部に上場(現プライム市場)2006年3月、最高顧問に就任。
愛田 武(あいだ たけし、本名:榎本 武(えのもと たけし)… 愛田 武(あいだ たけし、本名:榎本 武(えのもと たけし)、1940年7月1日 - 2018年10月25日)は、日本の実業家。愛田観光株式会社元代表取締役社長。歌舞伎町ホストクラブ協力会初代会長。 源氏名は大ファンであった歌手の愛田健二に因む。 この項目は、性風俗関係者に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(P:性/PJ:性)。
猪俣 博(いのまた ひろし、1938年12月4日 - )は、… 猪俣 博(いのまた ひろし、1938年12月4日 - )は、日本の技術者、実業家。日立メディコ代表取締役社長や、同社取締役会長、日本医療機器産業連合会副会長、日本画像医療システム工業会会長などを歴任した。 新潟県長岡市出身。1961年新潟大学工学部電気工学科卒業、日立製作所入社、那珂工場配属。1980年日立製作所那珂工場医用機器設計部長。1991年日立製作所那珂工場長。1995年日立製作所計測器事業部長。1997年日立製作所取締役計測器事業部長。1999年日立製作所上席常務取締役計測器グループ長&CEO。2001年日立メディコ代表取締役社長。2005年日立メディコ取締役会長。2006年日本画像医療システム工業会会長、日本医療機器産業連合会副会長。
星野 壽市(ほしの じゅいち、1938年5月20日 - )は… 星野 壽市(ほしの じゅいち、1938年5月20日 - )は、日本の実業家、馬主。 鉄のスクラップ加工、産業廃棄物処理などを手がける三栄商事株式会社代表取締役会長を務める。 星野 寿市とも表記される。 新潟県三条市出身。高校卒業後、群馬県高崎市のスクラップ屋に勤める。一度新潟県に戻ったのち、1964年に26歳で高崎市堰代町に三栄商事を起業した。2020年2月、社長職を長男の佑介に譲り、代表取締役会長となる。 日本中央競馬会(JRA)に登録する馬主としても知られる。勝負服の柄は黒、水色十字襷、袖水色縦縞で、冠名は特に用いないが、所有馬に「上毛かるた」のフレーズを使用していることで知られる。 三条市出身ということもあり、三条競馬場には父に連れられよく訪れていたという。
三澤 千代治(みさわ ちよじ、1938年3月29日 - )は… 三澤 千代治(みさわ ちよじ、1938年3月29日 - )は、日本の実業家。MISAWA・international株式会社代表取締役社長。(現)株式会社MISAWA代表取締役会長。 実業活動と並行して積極的に執筆活動を行っており、著書も数多い。 1938年3月29日、新潟県中魚沼郡十日町(現在の十日町市)土市に生まれる。新潟県立十日町高等学校卒業後、進学に伴い上京し、日本大学理工学部建築学科において建築工学を学んだ。 1967年、ミサワホームを創業した。ミサワホームは短期間で順調に業績を伸ばし、1971年に上場を果たす。上場企業の代表取締役としては、史上最年少であった。 耐久性やデザイン性に優れた商品開発を進めるなど、積極的な事業展開を行った。
中山 輝也(なかやま てるや、1937年6月9日 - )は、… 中山 輝也(なかやま てるや、1937年6月9日 - )は、日本の実業家、地質学の専門家。 新潟県新発田市出身。1952年に新潟市立関屋中学校、1956年に新潟県立新潟高等学校、1960年に新潟大学理学部を卒業した。技術士(応用理学部門)の資格を持つ。 1960年の応用地質株式会社、1961年からの新潟県企業局の土木部を経て、1973年(昭和48年)に北日本技術コンサルタント株式会社(現、株式会社キタック)を設立。 1979年、大湿地帯で食物生産がまともにできなかった中華人民共和国の三江平原を農業地帯として開発するプロジェクトに参加、当時42歳で最年少だったが、専門知識があっただけでなく過去に訪中経験があったことからプロジェクトチームの亀田郷土地改良区の理事長であった佐野藤三郎に声をかけられ、対中国初の政府開発援助である竜頭橋ダム建設事業に貢献した。
庄山 悦彦(しょうやま えつひこ 1936年3月9日 - 2… 庄山 悦彦(しょうやま えつひこ 1936年3月9日 - 2020年6月5日)は、日本の実業家。位階は従三位。勲等は旭日大綬章。 株式会社日立製作所社長(第7代)、社団法人日本経済団体連合会副会長、株式会社日立製作所会長、日本赤十字社監事、公益社団法人発明協会会長などを歴任した。
小林 公生(こばやし きみお、1935年(昭和10年)- )… 小林 公生(こばやし きみお、1935年(昭和10年)- )は、日本の実業家。カルピス株式会社代表取締役会長・社長を歴任した。現在はカルピス株式会社相談役・財団法人三島海雲記念財団名誉理事。
渡辺 広康(わたなべ ひろやす、1934年5月2日 - 20… 渡辺 広康(わたなべ ひろやす、1934年5月2日 - 2004年1月11日)は、日本の実業家。東京佐川急便社長。自民党や二子山部屋などのタニマチとしても知られる。 新潟県北魚沼郡堀之内町(現魚沼市)で出生。1963年、渡辺運輸を設立。 1980年代に入ると佐川急便の東京進出に伴い、業務提携の後、佐川急便の系列下として東京佐川急便を設立し社長となる。社員に労働基準法を無視した超長時間労働を強いる一方、巨額の金を自民党の有力政治家をはじめ、読売ジャイアンツの選手やOB、橋幸夫などの芸能人、二子山部屋を中心とした力士たちに気前良く配るタニマチとして知られた。 1986年、暴力団・稲川会会長石井進と住友銀行による平和相互銀行乗っ取りに協力して多額の報酬を手にし、岩間カントリークラブ開発の所有権を得る。
安城 欽寿(あんじょう きんじゅ、1934年3月15日 - … 安城 欽寿(あんじょう きんじゅ、1934年3月15日 - 2024年9月25日)は日本の実業家。京セラ株式会社代表取締役社長を務めた。 新潟県西蒲原郡味方村(現新潟市南区)出身。1954年新潟明訓高等学校を経て、1960年東京経済大学経済学部卒業。京セラで副社長を経て、1986年から創業者稲盛和夫から譲られ代表取締役社長を務めた。副会長、相談役を経て、2007年財団法人京都花鳥館理事長。 2024年9月25日、京都市内の病院で死去。
高橋 宏(たかはし ひろし、1933年12月21日 - )は… 高橋 宏(たかはし ひろし、1933年12月21日 - )は日本の実業家。日本郵船副社長、郵船航空サービス社長、公立大学法人首都大学東京理事長、特定非営利活動法人一橋総合研究所理事長等を歴任。
捧 賢一(ささげ けんいち、1933年6月24日 - 201… 捧 賢一(ささげ けんいち、1933年6月24日 - 2018年5月8日)は、日本の実業家。株式会社コメリの創業者、名誉会長ファウンダー。
渡邊 栄一(わたなべ えいかず、1933年2月5日 - 20… 渡邊 栄一(わたなべ えいかず、1933年2月5日 - 2016年11月29日)は、日本の実業家。ヤスダヨーグルト前社長。 新潟県北蒲原郡安田村(現阿賀野市)出身。 新潟県立水原農学校卒業後、農業に従事。 1961年、1頭の牛を購入して酪農家としての人生を歩み始める。1987年4月、志を同じくする酪農家たちと渡邊含めた9人で安田牛乳加工処理組合を設立し、初代責任者に就任する。1989年8月、同組合を有限会社ヤスダヨーグルトへと改組する。1995年、同社初代社長に就任する。 2016年11月29日、死去(享年84)。
佐久間 曻二(さくま しょうじ、1931年11月23日 - … 佐久間 曻二(さくま しょうじ、1931年11月23日 - )は、日本の実業家。WOWOW代表取締役会長兼最高経営責任者などを務め、経営危機にあった同社の再建を行った。 新潟県上越市で5人兄弟の末っ子として生まれる。実家は酒屋。1950年新潟県立高田高等学校卒業。1956年大阪市立大学大学院経営学研究科修了、松下電器産業(現パナソニック)入社。1980年経営企画室長。1983年取締役昇格。1987年から副社長を務めたが、ナショナルリース不正融資事件で1992年参与に降格。 再建者を探していた中山素平からの打診を受けた山下俊彦の紹介で、1993年から日本衛星放送(現WOWOW)代表取締役社長を務め、債務超過状態にあった同社の再建を行った。
高島 準司(たかしま じゅんじ、1930年4月11日 - 2… 高島 準司(たかしま じゅんじ、1930年4月11日 - 2019年9月25日)は、日本の実業家。住友不動産社長を務めた。 新潟県三島郡出雲崎町出身。1954年に東京大学法学部を卒業。 住友石炭鉱業での勤務を経て、1971年9月に住友不動産に転職。1979年6月に取締役に就任し、常務、専務を経て、1991年6月に副社長に就任し、1994年6月には社長に昇格。2007年6月には会長に就任。社長在職中は、バブル崩壊で悪化した財務体質の改善に全力を尽くした。 2019年9月25日、心不全のために死去。89歳没。
井上 正治(いのうえ しょうじ、1925年11月14日 - … 井上 正治(いのうえ しょうじ、1925年11月14日 - 1990年5月23日)は、日本の経営者。東京証券社長を務めた。新潟県小千谷市出身。 1950年に明治大学政治経済学部を卒業し、同年に日興證券に入社した。1969年に取締役に就任し、1972年に常務、1977年に専務、1981年に副社長を経て、1985年12月に東京証券社長に就任。 1989年に藍綬褒章を受章。 1990年5月23日心筋梗塞のために在任中に死去。64歳没。
大滝 秀治(おおたき ひでじ、1925年〈大正14年〉6月6… 大滝 秀治(おおたき ひでじ、1925年〈大正14年〉6月6日 - 2012年〈平成24年〉10月2日)は、日本の俳優・ナレーター・実業家。昭和時代中期から平成時代中期にかけて活躍した。位階は正四位。勲等は旭日重光章。文化功労者。 株式会社劇団民藝代表取締役などを歴任した。 本名同じ。身長167cm、体重63kg[要出典]、血液型O型。母親が里帰りしたため出生地は新潟県現・上越市であるが、生まれてすぐ戻ったため出身地は東京・本郷。2011年(平成23年)に文化功労者として顕彰された。名優の一人として舞台・テレビドラマ・映画・テレビコマーシャルと60年以上にわたり幅広く活躍。劇団民藝に所属し、宇野重吉没後には奈良岡朋子と共に代表を担っていた。
下山 敏郎(しもやま としろう、1924年5月4日 - 20… 下山 敏郎(しもやま としろう、1924年5月4日 - 2013年6月30日)は、日本の実業家。光学機器メーカー、オリンパス光学工業の社長、会長を歴任した。同台経済懇話会副代表幹事。新しい歴史教科書をつくる会賛同者[要出典]。 1945年(昭和20年)陸軍士官学校(第58期)卒。 1984年(昭和59年)に北村茂男の後を受けてオリンパス光学工業社長に就任。 1980年代半ば、急激な円高で営業利益が急速に落ち込んだオリンパスの業績を挽回するために財テクを行う方針を打ち出す。バブル崩壊後に財テクによる損が発生したため、損失を取り戻すため営業特金を増やした。営業特金だと算定上損が分かりにくくなるというのも理由の1つであったという見方もある。
田中 敏夫(たなか としお、1923年〈大正12年〉12月1… 田中 敏夫(たなか としお、1923年〈大正12年〉12月14日 - 2003年〈平成15年〉3月12日)は、日本の実業家。北越製紙第13代社長。 新潟県中蒲原郡横越村(現 新潟市江南区)出身。1941年(昭和16年)3月に新潟中学校を卒業、1943年(昭和18年)9月に新潟高等学校を半年繰り上げ卒業、1944年(昭和19年)9月30日に海軍経理学校(第12期)に補修学生として入校、1945年(昭和20年)3月または4月に卒業、6月1日に海軍主計少尉に任官、8月15日に太平洋戦争が終戦、1947年(昭和22年)3月に東京帝国大学法学部法律学科を卒業。 1947年(昭和22年)7月に北越製紙に入社、新潟工場勤労課長を経て、1970年(昭和45年)8月に本社勤労部長に就任、1973年(昭和48年)7月に長岡工場長に就任、同年12月に取締役 長岡工場長に就任、1977年(昭和52年)1月に取締役 勤労部長に就任、1978年(昭和53年)5月に取締役 営業本部副本部長に就任、1981年(昭和56年)7月に常務取締役に就任、1983年(昭和58年)7月に専務取締役に就任、1985年(昭和60年)7月に取締役副社長に就任、1987年(昭和62年)7月に北越製紙第13代代表取締役社長に就任、1995年(平成7年)6月に代表取締役会長に就任、1997年(平成9年)6月に相談役に就任、1999年(平成11年)1月に相談役を退任、以後、社賓。
中山 修(なかやま おさむ、1923年5月10日 - 201… 中山 修(なかやま おさむ、1923年5月10日 - 2010年4月13日)は、新潟県五泉市(旧村松町)出身の実業家、元全日本トラック協会副会長。
山城 彬成(やましろ よしなり、1923年2月7日 - 19… 山城 彬成(やましろ よしなり、1923年2月7日 - 1996年2月6日)は、日本の経営者。日本鋼管社長、会長を務めた。新潟県新潟市出身。 1946年に東京帝国大学法学部政治学科を卒業し、翌年に日本鋼管に入社した。経理部長などを経て、1976年に取締役に就任し、常務、専務を経て、1982年に副社長に就任し、1985年6月に社長に昇格した。1992年6月から会長を務めた。 経済同友会副代表幹事も務めた。 1986年に藍綬褒章を受章した。 1996年2月6日肺炎のために死去。72歳没。
中山 真(なかやま まこと、1922年11月1日 - 200… 中山 真(なかやま まこと、1922年11月1日 - 2008年5月3日)は、日本の経営者、銀行家。北越銀行頭取を務めた。 新潟県出身。1947年に東京大学経済学部商業学科を卒業し、同年10月に三洋商会に入社。新潟アスファルト工業での勤務を経て、1951年12月に北越銀行に転じ、1972年5月に取締役に就任し、1975年12月に常務、1981年6月に専務を経て、1986年6月に副頭取に就任し、1987年6月には頭取に昇格。1993年6月に会長に就任。 1993年4月に勲四等旭日小綬章を受章。 2008年5月3日多臓器不全のために死去。85歳没。
新津 義雄(にいつ よしお、旧姓:数間、1922年〈大正11… 新津 義雄(にいつ よしお、旧姓:数間、1922年〈大正11年〉6月22日 - 2011年〈平成23年〉12月27日)は、日本の実業家。丸新グループ創立者・初代代表、テレビ新潟放送網第2代社長・最高顧問、新津記念館初代館長・理事長。 新潟県新潟市(現 新潟市中央区)に生まれ、新潟市旭町通1番町(現 新潟市中央区旭町通1番町)の新津石油創業者・新津恒吉の養子になった。 新潟師範学校附属小学校を経て、1940年(昭和15年)3月に新潟中学校を卒業、1942年(昭和17年)9月に新潟高等学校を半年繰り上げ卒業、1946年(昭和21年)9月に東北帝国大学法文学部法科を卒業。 1946年(昭和21年)10月に石油販売会社・丸新産業を創立し副社長に就任、1949年(昭和24年)5月に丸新石油を創立し社長に就任、同月に昭和石油監査役に就任、1972年(昭和47年)9月に新津石油を創立し社長に就任、1984年(昭和59年)5月に全国石油協会副会長に就任、1988年(昭和63年)6月にテレビ新潟放送網第2代社長に就任、1992年(平成4年)8月に父の新津恒吉が建てた迎賓館を新津記念館として開館し初代館長に就任。
佐川 清(さがわ きよし、1922年3月16日 - 2002… 佐川 清(さがわ きよし、1922年3月16日 - 2002年3月11日)は、日本の実業家。佐川急便株式会社の元社主(初代社長・会長)である。 新潟県中頸城郡板倉村(板倉町を経て、現在の上越市板倉区)の旧家に生まれる。有恒学舎に学んだのち、家業に従事した。1948年に建設業「佐川組」を設立し、建設会社の経営などを経て、1957年に自転車2台を使って妻と2人で運送業を創業した。中小企業の小口貨物に狙いを定めて得意先を開拓し、1966年に「佐川急便」株式会社に改組した。 日曜集配などの迅速な配達や運転手の集金担当など運送業の革命的な発想で高収益を上げ、各地の運送業者の吸収合併や新会社の設立で全国進出を図り、1977年に全国ネットワーク網を完成させた。
錦織 登美夫(にしきおり とみお、1919年〈大正8年〉11… 錦織 登美夫(にしきおり とみお、1919年〈大正8年〉11月3日 - 2008年〈平成20年〉1月22日)は、日本の出版人、実業家。東洋館出版社創業者・初代社長。 新潟県中蒲原郡新津町大字新津字三之町(現 新潟市秋葉区新津本町3丁目)の東洋館書店・東洋館印刷所の錦織豊松の長男として出生。 1937年(昭和12年)3月に新潟中学校を卒業、1940年(昭和15年)3月に慶應義塾大学予科経済学部を修了、1942年(昭和17年)9月に慶應義塾大学経済学部を半年繰り上げ卒業。 第二次世界大戦で兵役に服し、1948年(昭和23年)にシベリア抑留から帰還、同年6月に東洋館出版社を設立して社長に就任、のちに会長に就任。
長田 正松(おさだ しょうまつ、1915年〈大正4年〉5月1… 長田 正松(おさだ しょうまつ、1915年〈大正4年〉5月1日 - 2003年〈平成15年〉12月25日)は、日本の実業家。有限会社つかれ酢本舗創業者。政治運動家。 以下は総て自費出版である。 この項目は、実業家に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(P:経済学、PJ:経済)。
上山 善紀(うえやま よしのり、1914年9月21日 - 2… 上山 善紀(うえやま よしのり、1914年9月21日 - 2009年8月25日)は実業家。近畿日本鉄道(近鉄)元社長(大阪電気軌道創業から10代目)・会長、近鉄グループの元代表者。
庭野 正之助 (にわの しょうのすけ、1914年3月25日 … 庭野 正之助 (にわの しょうのすけ、1914年3月25日 - 2004年1月11日)は、日本の実業家。日本鉱業(現ENEOSホールディングス)の社長・会長や日本鉱業協会会長を務めた。勲一等瑞宝章。 新潟県十日町市川原町生まれ。旧制新潟県立十日町中学校(のちの新潟県立十日町高等学校)卒業後、1936年旧制東京商科大学(のちの一橋大学)卒業。内池廉吉ゼミ出身。大学予科時代には、文部省による東京商科大学予科および専門部廃止案に反対し籠城闘争を決行(籠城事件)。後藤達郎(のちにホテルオークラ社長)らとともに警察に検挙され勾留されたが、商法の本間喜一教授や民法の常盤敏太教授の尽力で釈放された。 1936年日本鉱業入社、1964年取締役、1971年専務、1973年副社長。
等々力 英男(とどりき ひでお、1914年 <大正3年> 1… 等々力 英男(とどりき ひでお、1914年 <大正3年> 1月25日 - 1992年 <平成4年> 5月6日)は、日本の経営者。位階は正五位。 新潟県新潟市出身。1936年に京都帝国大学法学部を卒業し、同年に新潟トヨタ自動車に入社。1951年に社長に就任し、1987年には会長に就任。1980年10月から1988年6月までにテレビ新潟放送網社長を務め、第四銀行顧問、新潟商工会議所会頭なども歴任。 1975年4月に藍綬褒章を受章し、1984年4月に勲二等瑞宝章を受章した。また馬主ともなり、1971年から1979年にかけて新潟馬主協会会長を務めた。 1992年5月6日肺気腫のために死去。78歳没。死没日付をもって正五位に叙された。
白勢 誠一(しろせ せいいち、1913年〈大正2年〉10月2… 白勢 誠一(しろせ せいいち、1913年〈大正2年〉10月22日 - 1982年〈昭和57年〉10月26日)は、日本の実業家。白勢商事社長。早稲田大学校友会 新潟市稲門会会長。新潟県損害保険代理業協会初代会長。 新潟県新潟市出身。白勢量作の長男。1938年、早稲田大学商学部卒業。1944年、白勢代表社員となる。1953年、白勢商事社長に就任。 1954年、新潟商工会議所監事に選ばれる。1959年、第四銀行監査役を兼ねる。1982年(昭和57年)10月26日死去。 趣味はゴルフ、囲碁。宗教は浄土真宗。住所は新潟県新潟市本町通八番町。 この項目は、実業家に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(P:経済学、PJ:経済)。
小森 英夫(こもり ひでお、1913年8月19日 - 199… 小森 英夫(こもり ひでお、1913年8月19日 - 1996年9月9日)は、日本の経営者。同和鉱業社長を務めた。新潟県新潟市出身。位階は正四位。 1934年に横浜商業専門学校を卒業し、1946年2月に同和鉱業に入社。1962年11月に取締役に就任し、1966年5月に常務を経て、1973年5月に副社長に就任し、1977年6月には社長に昇格。1981年6月には会長を経て、1987年6月には相談役に退いた。 1975年10月に藍綬褒章を受章し、1984年11月に勲二等旭日重光章を受章。 1996年9月9日急性心不全のために死去。83歳没。死没日付をもって正四位に叙された。
広瀬 真一(ひろせ しんいち、1913年1月25日 - 19… 広瀬 真一(ひろせ しんいち、1913年1月25日 - 1986年1月20日)は、日本の官僚、経営者。運輸事務次官や、日本通運社長、会長を務めた。「日通中興の祖」と呼ばれた。 新潟県柏崎市出身。1938年に東京帝国大学法科を卒業し、同年に鉄道省に入省し、同期に若狭得治がいた。運輸省鉄道管理局国有鉄道部長、鉄道管理局長などを経て、1964年6月に運輸事務次官に就任した。1968年をもって退官し、地元新潟県選挙区で参議院選挙に自由民主党公認で出馬したが、落選した。1968年11月に日本通運専務に就任し、日通事件で揺れていていた会社の立て直しに尽力していた。1972年に副社長に就任し、1976年に社長に就任した。
斎藤 英四郎(さいとう えいしろう、1911年11月22日 … 斎藤 英四郎(さいとう えいしろう、1911年11月22日 - 2002年4月22日)は、日本の実業家。新日本製鐵(新日鉄、現・日本製鉄)の元社長。経済団体連合会(経団連)第6代会長。 新潟県北蒲原郡安田町(現・阿賀野市)出身。新潟中学校、旧制新潟高等学校を卒業。東京帝国大学法学部(東京大学)の入試に失敗、神戸商業大学に入学するも、翌年、東京帝大経済学部に入学。 経済学部を卒業後、三菱鉱業(現・三菱マテリアル)入社。のち、日本製鐵に移り、八幡製鐵専務、新日鉄専務、副社長などを経て社長。2002年4月22日、心不全のため死去。90歳没。 2002年の死去に伴う遺産相続において、長男(当時、新日本製鉄常務)が相続財産の一部である約16億3000万円を申告せず、相続税約9億8000万円を脱税したとして、2005年8月に相続税法違反の罪で在宅起訴された。
高橋 静之助(たかはし せいのすけ、1911年6月19日 -… 高橋 静之助(たかはし せいのすけ、1911年6月19日 - 1991年6月26日 )は、日本の経営者。北越銀行頭取を務めた。 新潟県長岡市出身。1932年に名古屋高等商業学校を卒業し、1933年4月に六十九銀行(のちの北越銀行)に入行。1963年5月に取締役に就任し、1965年11月に常務、1970年11月に専務を経て、1972年11月には頭取に就任。1977年6月から1981年6月までに取締役相談役を務めた。長岡商工会議所会頭、長岡市教育委員長なども歴任。 1978年11月に藍綬褒章を受章し、1983年11月に勲四等瑞宝章を受章。 1991年6月26日、心不全のために死去。80歳没。 この項目は、人物に関連した書きかけの項目です。
池田 恒雄(いけだ つねお、1911年〈明治44年〉5月3日… 池田 恒雄(いけだ つねお、1911年〈明治44年〉5月3日 - 2002年〈平成14年〉2月9日)は、日本のスポーツを中心としたジャーナリスト、出版社経営者。ベースボール・マガジン社(以下、BBM)の創立者。社長・会長を歴任。 相撲評論家の池田雅雄は弟。工藤写真館が実家の妻とは離婚。作家の工藤美代子、BBM2代目社長の池田郁雄、3代目社長の池田哲雄(三男)、翻訳家の池田晶子は実子。スキー選手の猪谷千春は元娘婿。元産経新聞記者でジャーナリストの猪谷千香は孫。英文学者の池田雅之は甥。 新潟県北魚沼郡小出町(現・魚沼市)出身。旧制・新潟県立小千谷中学校を経て、早稲田大学文学部を卒業。大学在学中の1931年に雑誌「野球界」の編集に携わり、雑誌編纂や野球の魅力にとりつかれていく。
大野 市郎(おおの いちろう、1910年(明治43年)11月… 大野 市郎(おおの いちろう、1910年(明治43年)11月25日 - 1988年(昭和63年)2月9日)は、昭和期の実業家、政治家。衆議院議員(7期)。 新潟県長岡市で大野屋旅館主・大野甚松の孫として生まれた。新潟県立長岡中学校[要出典]を経て1932年(昭和7年)兵庫県立神戸高等商業学校卒業。箱根富士屋ホテルに勤めた。 1936年(昭和11年)静岡県熱海市でホテル大野屋を開業した。1940年(昭和15年)父から大野屋本店社長を継承した。熱海市会議員を務め、1950年(昭和25)熱海商工会議所会頭に就任した。日本温泉協会会長などの役職も務めた[要出典]。 佐藤栄作の秘書を経て1952年(昭和27年)自由党から第25回衆議院議員総選挙に旧新潟3区から出馬して初当選。
近藤 敬四郎(こんどう けいしろう、1910年 <明治43年… 近藤 敬四郎(こんどう けいしろう、1910年 <明治43年> 1月2日 - 1991年 <平成3年> 4月2日)は、日本の経営者、銀行家。新潟県長岡市出身。位階は従五位。 1936年に慶應義塾大学経済学部を卒業し、同年に六十九銀行(のちの北越銀行)に入行。 1965年11月に取締役に就任し、1968年12月に常務、1972年11月に専務を経て、1977年6月には頭取に就任。1981年6月には相談役に就任。 1982年4月に勲四等瑞宝章を受章。 1991年4月2日心不全のために死去。81歳没。死没日付をもって従五位に叙された。
板倉 治作(いたくら じさく、1907年(明治40年)7月4… 板倉 治作(いたくら じさく、1907年(明治40年)7月4日 - 1964年(昭和39年)9月14日)は、日本の教員、実業家、政治家。衆議院議員。 新潟県中頸城郡上杉村(現上越市)で生まれる。1927年、高田師範学校を卒業し、新潟市湊小学校、三島郡日越小学校の訓導を務めた。 その後上京して、日本橋で三京堂(カーボン卸製造業)を経営した。戦災を受けて帰郷し農業を経営した。 1946年4月、第22回衆議院議員総選挙に新潟県第二区から日本自由党公認で出馬して当選し、衆議院議員を一期務めた。
高橋 一臣(たかはし かずおみ、1907年(明治40年)3月… 高橋 一臣(たかはし かずおみ、1907年(明治40年)3月21日 - 没年不明)は、日本の実業家。東邦自動車、弥栄化学工業創業者。大和郷会元理事。 本名は高橋 繁正(たかはし しげまさ)。正六位・勲五等受章。紺綬褒章受章。長男は弥栄化学工業元社長の高橋一永。 高橋叶五郎・コンの四男として新潟県南魚沼郡塩沢町に生まれる。戦前は自動車業を営み、1939年(昭和14年)10月に東邦自動車を設立した。 その後企業合同により化学業界に進み、1941年(昭和16年)11月に弥栄化学工業を設立。 タクシー業界に明るく、事故防止対策又会社給与明細等のパンフレットを関係諸官庁等に配布し、現在の交通運輸行政の陰の力となった。
佐藤 保三郎(さとう やすさぶろう、1906年2月28日 -… 佐藤 保三郎(さとう やすさぶろう、1906年2月28日 - 1998年8月6日)は、日本の経営者。キリンビール社長、会長を務めた。新潟県長岡市出身。 1926年に福島高等商業学校を卒業し、明治屋での勤務を経て、1927年にキリンビールに入社した。1965年に取締役に就任し、常務、専務を経て、1973年に社長に就任した。1978年に会長に就任し、1981年から相談役を務めた。 1978年に勲三等旭日中綬章を受章した。 1998年8月6日肺炎のために死去。92歳没。
柴野 安三郎 (しばの やすさぶろう、1903年 <明治36… 柴野 安三郎 (しばの やすさぶろう、1903年 <明治36年> 8月12日 - 1995年 <平成7年> 1月5日)は、北海道の実業家。北海道交通株式会社代表取締役社長。位階は正五位。 1903年、新潟県刈羽郡荒浜村(現・柏崎市)の漁民安二郎の三男として生まれる。荒浜尋常高等小学校を卒業後、1917年に柏崎の西川鉄工所に就職する。1923年、舞鶴海兵団に徴兵となる。その後、横須賀の海軍機関学校に学び、戦艦「長門」の乗組員となる。1926年、北海道の小樽の佐藤鉄工所に旋盤工として就職する。そこでは工場長に抜擢されるが労働争議に参加し、拘留される経験も持つ。1929年、阿部自動車の運転手となる。 1931年、小樽でタクシー会社の「稲穂タクシー」を自ら創業する。
早山 洪二郎(はやま こうじろう、1903年〈明治36年〉5… 早山 洪二郎(はやま こうじろう、1903年〈明治36年〉5月14日 - 1990年〈平成2年〉6月16日)は、日本の実業家。昭和石油第3代社長。 新潟県新潟市寄居町(現 新潟市中央区寄居町)の石油精製業・早山与三郎の長男として出生、新潟県新潟市白山浦2丁目(現 新潟市中央区白山浦2丁目)に転居。 1920年(大正9年)3月に新潟中学校を4年で修了(四修)、1923年(大正12年)3月に新潟高等学校を卒業、1926年(大正15年)3月に東京帝国大学経済学部経済学科を卒業。 父の早山与三郎が新潟市関屋大川前で営む早山製油所で石油精製業に従事、日米礦油新潟製油工場や早山製油所川崎工場を経て、1932年(昭和7年)6月に日米礦油取締役に就任、1933年(昭和8年)2月から不二商事監査役を兼任。