北野 弘久(きたの ひろひさ、1931年(昭和6年)1月28… 北野 弘久(きたの ひろひさ、1931年(昭和6年)1月28日 - 2010年(平成22年)6月17日)は、日本の法学者(租税法)。法学博士(立命館大学・論文博士・1974年)。日本大学法学部教授を経て、日本大学名誉教授。 富山県富山市大広田生まれ。学位は法学博士(1974年)、税理士・弁護士資格保有。租税法を専攻し、納税を国民の権利としての側面から再評価した「納税者基本権論」を展開する。 国税不服審判所による審判や裁判所での判決に対して、憲法を基礎に国民を主体にした批判・研究を展開、多くの論文を発表した。 憲法を軸に置いた視点からの判例研究では嚆矢となる。裁判での証人も引き受け、納税者に有利な判決を勝ち取った点も高く評価される。
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佐伯安一(さえき やすかず、1930年1月2日 - 2016… 佐伯安一(さえき やすかず、1930年1月2日 - 2016年8月3日)は、日本の郷土史家、建築史学者。 富山県砺波市久泉生まれ。1946年富山県立高岡商業学校卒業。1948~1954年北日本新聞社記者。1955年礪波商工会議所勤務。1959年市堰建工株式会社勤務。1987~1996年砺波郷土資料館長を務めた。 1974~2006年に富山県文化財保護審議会委員(1997年度~2000年度会長)、2007年~2016年に富山民俗の会代表、礪波市文化財保護審議会委員、高岡市文化財審議会委員、南礪市文化財保護審議会委員、富山県うるおい環境づくり会議専門委員、礪波市立礪波散村地域研究所所員、礪波市50年史編纂委員長、富山市日本海文化研究所所員等の要職を務めた。
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東川 清一(とうかわ せいいち、1930年1月2日- )は、… 東川 清一(とうかわ せいいち、1930年1月2日- )は、日本の音楽学者であり音楽評論家、東京学芸大学名誉教授。 富山県滑川市生まれ。1957年東京芸術大学音楽学部楽理科卒業。1965~67年アレクサンダー・フォン・フンボルト財団給費留学生としてケルン大学音楽学研究所に留学。東京学芸大学助教授、教授、93年定年退官、名誉教授、東海大学教授。2010年退任。バッハ研究の権威として名高い。 この項目は、クラシック音楽に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(ポータル クラシック音楽/ウィキプロジェクト クラシック音楽)。 この項目は、文人(小説家・詩人・歌人・俳人・著作家・作詞家・脚本家・作家・劇作家・放送作家・随筆家/コラムニスト・文芸評論家)に関連した書きかけの項目です。
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崎田 文二(さきた ぶんじ、1930年 - 2002年8月3… 崎田 文二(さきた ぶんじ、1930年 - 2002年8月31日)は、日本の物理学者。専門は素粒子物理学。富山県東礪波郡井波町(現在の南砺市) 出身。
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佐伯 弘治(さえき こうじ、1928年 - 2016年2月3… 佐伯 弘治(さえき こうじ、1928年 - 2016年2月3日)は、日本の法学者、柔道家。専攻は民法、法社会学。前学校法人国士舘理事長。学校法人日通学園学園長。流通経済大学名誉学長。学生柔道の振興にも寄与した。 富山県富山市生まれ。 富山県立富山商業学校、国士舘専門学校を経て、1951年、法政大学法学部卒。 1953年、法政大学大学院(旧制)修了。指導教授は薬師寺志光。 大学院修了後、法政大学短期大学部商経科講師(法政大学柔道部監督と兼任)を経て、1965年流通経済大学の開学に伴い経済学部助教授、1969年教授。 1974年、46歳の時、流通経済大学学長に就任し、2001年3月まで、9期27年務める。
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大浦 猛(おおうら たけし、1919年8月9日 - 2001… 大浦 猛(おおうら たけし、1919年8月9日 - 2001年12月15日)は、日本の教育哲学者。元山梨県立女子短期大学学長。 富山県滑川市出身。東京文理科大学教育学科卒。1945年青森青年師範学校講師、46年助教授、47年教授、1949年東京高等師範学校助教授、1952年東京教育大学助教授、66年教授、1962年「ジョン・デューイにおける初期教育思想の形成 実験主義教育思想の成立過程」で東京教育大学文学博士。1974年埼玉大学教育学部教授、84年定年退官、創価大学教授ののち、山梨県立女子短期大学長を歴任。専門は、教育哲学、デューイ研究。 東京教育大学在職中、筑波移転に反対し、その意思を表明する意味で埼玉大学に移籍した。
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冨士 信夫(ふじ のぶお、1917年(大正6年)8月 - 2… 冨士 信夫(ふじ のぶお、1917年(大正6年)8月 - 2005年(平成17年)1月24日)は、日本の歴史家、海軍軍人。東京裁判(極東国際軍事裁判)研究家。 富山県生まれ。府立八中(現東京都立小山台高等学校)を経て、1938年海軍兵学校(第65期)卒業。戦艦「金剛」、重巡洋艦「熊野」、「利根」乗組。1939年海軍練習航空隊飛行学生。航空母艦「飛龍」乗組を経て、1941年霞ヶ浦海軍航空隊司令承命服務。1944年海軍少佐。1945年台湾第29航空戦隊(新竹)参謀、1946年第2復員省臨時調査部勤務。以後、法廷係として極東国際軍事裁判(東京裁判)のほとんどを傍聴。この間、「海軍少佐」の経歴のため公職追放となる。
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沼田 稲次郎(ぬまた いねじろう、1914年5月25日 - … 沼田 稲次郎(ぬまた いねじろう、1914年5月25日 - 1997年5月16日)は、日本の法学者。専門は労働法。学位は、法学博士(立命館大学・論文博士・1952年)(学位論文「労働法原理の論理的構造」)。東京都立大学名誉教授。同大学第5代総長。 1914年、富山県高岡市出身。1938年、京都帝国大学法学部法律学科卒業。 大学院生の際に徴兵を受け、復員後の1946年に夕刊京都新聞社へ入社。同社では論説委員や労組委員長を歴任したが、1950年のレッドパージで退社を余儀なくされた。 1951年、東京学芸大学教授に就任し、翌1952年には(旧)東京都立大学へ移る。1952年、「労働法原理の論理的構造」で立命館大学より法学博士の学位を取得。
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林 宏(はやし ひろし、1914年 - )は、日本の民俗学者… 林 宏(はやし ひろし、1914年 - )は、日本の民俗学者・地理学者。奈良教育大学元教授。
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米沢 滋(よねざわ しげる、1911年 <明治44年> 2月… 米沢 滋(よねざわ しげる、1911年 <明治44年> 2月1日 - 1999年 <平成11年> 5月2日)は、日本の逓信官僚、工学者。日本電信電話公社総裁、経済団体連合会理事、電気通信協会長などを歴任。位階は正三位。 米沢与三七の子として生誕。富山県下新川郡入善町出身。1933年、東京帝国大学工学部電気工学科を卒業し、逓信省に入省。電気通信省業務局計画部長、日本電信電話公社保全局長、電気通信研究所長、総務理事などを歴任。1965年から1977年にかけて日本電信電話公社の総裁を務める。 超短波電波による無線多重電話方式を提唱し、1940年に世界に先駆けて実用化。また、通信設備の保全を合理化するため、初めて統計的品質管理方式を導入。
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浅香 幸雄(あさか ゆきお、1910年4月29日 - 199… 浅香 幸雄(あさか ゆきお、1910年4月29日 - 1994年7月24日)は、日本の地理学者。学位は、理学博士(東北大学)。東京教育大学名誉教授。 富山県高岡市出身。1932年東京高等師範学校卒、陸軍士官候補生、1936年東京文理科大学地理学科卒。 1953年「近世期の集落発達に関する地理学的研究」で、東北大学より理学博士の学位を取得(主査:富田芳郎教授)、東京市立第二中学校(現東京都立上野高等学校)教諭、朝鮮水原の高等農林学校の地理博物教員養成所教員、1944年東京高等師範学校教授、1949年至徳専門学校(現国士舘大学)地理科教授(兼任)、東京教育大学教授。74年定年退官、名誉教授、専修大学教授、1981年北陸工業専門学校教授、富山県教育委員会長。
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相川 春喜(あいかわ はるき、1909年〈明治42年〉8月1… 相川 春喜(あいかわ はるき、1909年〈明治42年〉8月15日 - 1953年〈昭和28年〉4月29日)は、日本の科学史家、社会運動家。本名は矢浪久雄。 第二次世界大戦前の時期に唯物論研究会に参加し、技術史、科学哲学を中心にした理論学習運動の中核を担い、戦後は、シベリア抑留を経て、アジア地域における抑留者引揚運動に尽力した。第四高等学校中退。 新潟県高田市(現・新潟県上越市)南土橋出身。新潟師範附属小学校、佐渡河原田小学校、佐渡中学校、富山中学校を経て、第四高等学校文科乙類に首席で入学後、社会研究会、全国学聯支部に加盟。1928年6月の学生ストライキの責任者となる。 1929年、卒業試験後、雑誌「広場」の編集責任者であることを理由として卒業を取り消され、退学を命ぜられる。
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水上 武(みなかみ たけし、1909年6月20日 - 198… 水上 武(みなかみ たけし、1909年6月20日 - 1985年9月8日)は、日本の火山学者。理学博士。東京大学名誉教授。 富山県高岡市出身。高岡信用金庫理事長を務めた水上良作の子として生まれる。東京帝国大学理学部地震学科を1934年に卒業。火山噴火予知研究等において世界的な業績を残した火山学者であり、火山物理学の権威である。中でも、東京大学地震研究所の浅間火山観測所に勤め始めて以来、浅間山の噴火予知の業績は世界的に知られる。1967年4月より東京大学地震研究所の所長を務めたが、東大紛争のため翌年に辞任。1981年日本学士院会員となった。
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板垣 與一(いたがき よいち、1908年 <明治41年> 1… 板垣 與一(いたがき よいち、1908年 <明治41年> 10月15日 - 2003年 <平成15年> 8月28日)は、日本の経済学者、国際政治学者。1932年に旧制東京商科大学を卒業。以後同大学(のち一橋大学)を研究拠点とし、戦前は植民地政策を研究領域として南方軍占領地の軍政に関与。戦後はアジア政治経済を研究領域とし、アジア経済研究所の設立を提言した。1972年亜細亜大学教授、経済学部長。1988年八千代国際大学初代学長。1972年一橋大学名誉教授。1980年勲二等瑞宝章受章。1984年経済社会学会会長。位階は正四位。 1908年、富山県射水郡新湊町(現射水市)の漁師の家に生まれた。1921年に富山県立高岡甲種商業学校(現富山県立高岡商業高等学校入学。
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柏 祐賢(かしわ すけかた、1907年〈明治40年〉11月1… 柏 祐賢(かしわ すけかた、1907年〈明治40年〉11月10日 - 2007年〈平成19年〉3月12日)は、日本の農学者、農業経済学者。京都大学名誉教授、第2代京都産業大学学長。李登輝(第4代中華民国総統)の京大農学部在籍時の恩師として知られる。 1907年、富山県立山町生まれ。京都帝国大学農学部農林経済学科で学び、1933年に卒業。 卒業後は同1933年に農林省入省。1936年、京都帝国大学農学部助手に任じられる。1939年、同大学農学部講師に昇進。11月、京都帝国大学人文科学研究所助教授となる。 1945年、太平洋戦争が終結。1947年4月、京都帝国大学人文科学研究所教授に昇進。1948年8月に学位論文『経済秩序個性論:中国経済の理論的研究』を京都大学に提出して農学博士を提出。
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木場 深定(きば じんじょう、1907年 <明治40年> 4… 木場 深定(きば じんじょう、1907年 <明治40年> 4月28日 - 1999年 <平成11年> 9月20日)は、日本の哲学者。ドイツ哲学を専攻。東北大学名誉教授。位階は正四位。 富山県小矢部市出身。1932年東北帝国大学法文学部哲学科卒、1962年「ヘーゲル宗教哲学の研究 特に宗教的意識と哲学的思惟との関係について」で東北大学文学博士。東北大学文学部教授。1971年定年退官、名誉教授、大谷大学教授を務めた。 1999年死去。死没日付をもって正四位に叙された。 父・木場了本は第四高等学校で西田幾多郎の教えを受けた後、1911年東京帝国大学文学部哲学科卒、京都で大谷大学の教授を勤め、後郷里金沢に帰って第四高等学校の教授となった。
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見田 石介(みた せきすけ、1906年4月23日 - 197… 見田 石介(みた せきすけ、1906年4月23日 - 1975年8月9日)は、日本の哲学者・マルクス主義経済学者・ヘーゲル研究者。旧姓は甘粕、筆名「佐竹 恒有」、「瀬木 健」。 1906年、島根県津和野生まれ。1923年3月県立富山中学校4学年修了。1927年3月旧制第四高等学校理科卒業。1930年京都帝国大学文学部哲学科卒業。波多野精一に師事し、ヘーゲルの歴史哲学を研究した。 1930年4月に同大学大学院に進学し、同時に平安女学院講師に就職するが、1931年3月に大学院を退学。同年4月に平安女学院講師も退職する。1932年10月に創立された唯物論研究会に11月に参加。1933年機関誌『唯物論研究』に執筆開始。
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高崎 正秀(たかさき まさひで、1901年10月16日 - … 高崎 正秀(たかさき まさひで、1901年10月16日 - 1982年3月2日)は、富山県生まれの国文学者、万葉学者、歌人。國學院大學名誉教授。國學院大學栃木短期大学名誉学長。文学博士。 折口信夫に師事(著書『折口学への招待』(桜楓社)がある)、折口信夫の五博士のうちの一人である。著作は『高崎正秀著作集』(桜楓社、全8巻、1971年)にまとめられている。
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大間知 篤三(おおまち とくぞう、1900年(明治33年)4… 大間知 篤三(おおまち とくぞう、1900年(明治33年)4月9日 - 1970年(昭和45年)2月26日)は、日本の民俗学者。 1900年、富山県富山市愛宕町生まれ。呉服屋を営む旧家に生まれ、父は富山橋北銀行の頭取。富山中学校、第四高等学校卒、1927年、東京帝国大学文学部独文科卒。在学中、新人会に所属し、幹事長を務める。 卒業後には労働農民党書記を務め、日本共産党に入る。金沢連隊に入営ののち、1927年三・一五事件で三年間下獄。大間知ら、1927年2月『政治批判』創刊、1928年2月まで。1931年、出所して大宅壮一の翻訳団に加わる。1933年より柳田國男に師事、民間伝承の会(現日本民俗学会)の創立に参加。
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浅尾 荘一郎(あさお そういちろう、1898年12月29日 … 浅尾 荘一郎(あさお そういちろう、1898年12月29日 - 1978年5月31日)は、日本の電子工学者。富山県出身。 銀セシウム光電管の光電感度を飛躍的に高めた。また日本真空協会会長の初代会長を務めた。 妻は大日本帝国陸軍軍人・矢木亮太郎の長女。長女の夫は西洋史学者で大東文化大学名誉教授の穂積重行。次女の徳川陽子は物理学者で東京工芸大学名誉教授。同夫は言語学者で大阪大学名誉教授の徳川宗賢。孫は日本史学者で東京大学教授の松方冬子。 旧制富山中学、旧制四高を経て、1923年に東京帝国大学理学部物理学科を卒業後、東京電気に入社。 ドイツのエルスターおよびガイテルにより1888年に発明された光電管は光電感度が低く実用で使えるものではなかった。
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大坪 喜久太郎(おおつぼ きくたろう、1898年(明治31年… 大坪 喜久太郎(おおつぼ きくたろう、1898年(明治31年)3月1日 - 1967年(昭和42年)11月23日)は、日本の工学者、官僚。工学博士。室蘭工業大学元学長。北海道大学・室蘭工業大学名誉教授。専門は、水理工学・河川工学。富山県黒部市出身。河川水理学の権威で北海道開発における技術的指導者であった。 1922年(大正11年)九州帝國大學工学部土木工学科を卒業し、東洋アルミナムや、日本電力に勤務。1925年(大正14年)5月に北海道帝國大學工学部講師。1925年7月に同助教授。1942年(昭和17年)に論題「段落個所に於ける流体運動」で北海道帝国大学より工学博士号受く。1942年北海道帝國大學工学部教授(水理工学・河川工学講座を担当)。
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稲塚 権次郎(いなづか ごんじろう、旧字:稻塚 權次郎、18… 稲塚 権次郎(いなづか ごんじろう、旧字:稻塚 權次郎、1897年(明治30年) - 1988年(昭和63年)12月7日)は、日本の農学者。 緑の革命以降、世界に流通することになった小麦品種「ゲインズ」の親品種である「小麦農林10号」(ノーリン・テン)の育成者として知られる。 2015年に稲塚権次郎の生涯を描く映画『NORIN TEN〜稲塚権次郎物語〜』(稲塚秀孝監督)が公開された。
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宇田 新太郎(うだ しんたろう、1896年(明治29年)6月… 宇田 新太郎(うだ しんたろう、1896年(明治29年)6月1日 - 1976年(昭和51年)8月18日)は、日本の工学者。東北大学教授。 専門は電気工学、通信工学で、八木・宇田アンテナの発明者として知られ、同郷の盛永俊太郎、川原田政太郎と共に「魚津の三太郎博士」と呼ばれた。 富山県下新川郡舟見町(現・入善町)出身。旧制魚津中学、広島高等師範学校を経て、一旦長野県の旧制大町中学で教職に就くが、その後に東北帝国大学工学部電気工学科に入学。1924年に卒業後そのまま大学に奉職し、当時東北帝国大学で隆盛をみた超短波をはじめとする電磁波による電気通信の研究に従事し、八木秀次とともに八木・宇田アンテナを共同発明した。
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盛永 俊太郎(もりなが としたろう、1895年9月13日 -… 盛永 俊太郎(もりなが としたろう、1895年9月13日 - 1980年1月25日)は、日本の農学者。九州大学名誉教授。イネの研究で知られる。 同郷の川原田政太郎、宇田新太郎とともに「魚津の三太郎博士」と呼ばれた。 富山県上野方村(現・魚津市)出身。魚津尋常高等小学校、魚津中学校を経て東京帝国大学農学部卒。1926年九州帝国大学教授、1946年農林省農事試験場長、1950年東大農学博士、1954年農業技術研究所長、1950年から農業発達史調査会(東畑精一会長)で編集長。1955年アブラナ属およびイネ属の細胞遺伝学的研究で日本学士院賞受賞。 細胞遺伝学を用いて病害虫に強いイネの品種を作るための基礎研究を行い、 イネの発祥地を探る手掛かりや多数の新種を発見した。
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川原田 政太郎(かわはらだ まさたろう、1890年8月7日 … 川原田 政太郎(かわはらだ まさたろう、1890年8月7日 - 1983年9月6日)は、日本の工学者、早稲田大学名誉教授。日本におけるテレビジョン研究において、高柳健次郎と並ぶ第一人者。 同郷の宇田新太郎、盛永俊太郎と共に「魚津の三太郎博士」と呼ばれた。 富山県下新川郡下野方村(現・魚津市)に生まれ、素質を認められ地元の医師の支援のもとで働きながら苦学し、魚津町立魚津尋常高等小学校(後の魚津市立大町小学校、現在は魚津市立よつば小学校に統合)→魚津中学校(現富山県立魚津高等学校)を経て早稲田大学大学部予科に入学。1915年早大理工科電気工学科卒業。早稲田大学助教授としてイギリスに留学した際、ロンドン大学のテレビジョン実験に感銘を受ける。
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岡崎 文夫(おかざき ふみお、1888年(明治21年)2月2… 岡崎 文夫(おかざき ふみお、1888年(明治21年)2月23日 - 1950年(昭和25年)3月24日)は、富山県生まれの東洋史学者。字は煥卿、号は桜洲。東北大学文学部教授。 江戸時代から続く鵜坂村(現・富山市西本郷)の豪農で、代々富山藩の十村役を務めた名家・岡崎家の十六代として1888年に生まれた。1905年、旧制富山中学校(現:富山県立富山高等学校)を卒業し、第四高等学校に進んだ。京都帝国大学文科大学史学科に入学し、内藤湖南に師事。1912年に卒業した。同大学大学院に進学し、在学中の1919年から1921年まで上野育英会の資金補助を受けて中国に留学した。 帰国後、東北帝国大学における東洋史学専攻講座の開設にあたった。
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若宮 卯之助(わかみや ゆうのすけ、明治5年9月23日〈18… 若宮 卯之助(わかみや ゆうのすけ、明治5年9月23日〈1872年10月25日〉 - 昭和13年〈1938年〉4月30日)は、日本の社会学者、新聞記者。国粋主義者、反ユダヤ主義思想家として知られた。慶應義塾大学社会学教授。原理日本社同人、国際政経学会常務理事、新聞「日本」社長兼主筆、中央新聞主筆等を歴任。号は泰山(たいざん)。 富山県西礪波郡埴生村(現・小矢部市)生まれ。 郷里の小学校を約2年で中退して曹洞宗に落飾し、のち上京して蕎麦屋の出前等の職を転々としながら1898年(明治31年)にアメリカ大陸に渡り、約10年間の放浪生活を経たのちに帰国して日本新聞社に入社したという異端の経歴を持つ人物である。
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高峰 譲吉(たかみね じょうきち、嘉永7年11月3日(185… 高峰 譲吉(たかみね じょうきち、嘉永7年11月3日(1854年12月22日) - 大正11年(1922年)7月22日)は、日本の化学者、実業家。工学博士号と薬学博士号を受ける。タカジアスターゼ、アドレナリンを発見し、アメリカ合衆国で巨万の財を成した。日本人による開発型ベンチャー企業やスタートアップの先駆者とされる。理化学研究所の設立者の一人。1912年帝国学士院賞受賞、1913年帝国学士院会員。 現在の東京大学工学部の前身の一つである工部大学校卒、応用化学を専攻し、社会人となってから3年間、官費で留学。 1854年に越中国高岡(現:富山県高岡市)の山町筋と呼ばれる御馬出町(おんまだしまち)の漢方医高峰精一の長男として生まれる。
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磯部 四郎(いそべ しろう、1851年6月25日(嘉永4年5… 磯部 四郎(いそべ しろう、1851年6月25日(嘉永4年5月26日) - 1923年(大正12年)9月1日)は、日本の法学者。大審院検事・判事。弁護士。法典調査会委員。衆議院議員。貴族院勅選議員。 娘婿は政治家の磯部尚、孫は歌舞伎役者の二代目坂東市太郎。 花札賭博が大好きで、大審院検事のとき、大審院長や同僚を誘い、柳橋で芸者をあげて遊興三昧のあげく、辞職に追い込まれた。それでも花札は終生止められず、明治天皇にまで教え、いたく興味をもたれたという。 1892年(明治25年)の弄花事件は、前年の大津事件の報復とも、大審院内部の判事対検事の抗争とも言われるが、磯部の免官は、この事件で訴追側の検察内部に疑惑の中心人物がいては不都合だったためとも考えられる。
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松村 精一郎(まつむら せいいちろう、嘉永2年(1849年)… 松村 精一郎(まつむら せいいちろう、嘉永2年(1849年) - 1891年(明治24年)5月10日)は明治時代の漢学者、聾啞教育者。越中国福光町(富山県南砺市)出身。幼少時奇病により聾啞者となる。稲坂謙吉、中村正直等に学び、金沢に聾学校金沢盲啞院を創立したが、2年で廃校となり、その後福光、富山、金沢で漢詩文を教え、また一時期富山で『中越新聞』客員を務めた。 嘉永2年(1849年)越中国砺波郡福光村新町(富山県西砺波郡福光町新町村44番地)旧家松村与三郎の次男として生まれた。5歳で宮永菽園に経史の句読を学んだが、6歳で天然痘に罹患、奇病を併発し、7年間病床に伏した結果、聴覚・発話・歩行に障害を負った。
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中野 克彦(なかの かつひこ)は、構造工学、鉄筋コンクリート… 中野 克彦(なかの かつひこ)は、構造工学、鉄筋コンクリート構造の研究者、新潟工科大学工学部准教授(工学博士)。
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瀧川 修(たきかわ おさむ)は、日本の生物学者・生理学者(機… 瀧川 修(たきかわ おさむ)は、日本の生物学者・生理学者(機能生物化学・薬理学一般・病態医化学)。学位は医学博士(京都大学・1983年)。国立研究開発法人日本医療研究開発機構戦略推進部脳と心の研究課調査役。姓の「瀧」が常用漢字表に収録されていないため、滝川 修(たきかわ おさむ)と表記されることもある。 和歌山県立医科大学医学部助手、財団法人大阪バイオサイエンス研究所研究員、北海道大学医学部助教授、国立長寿医療センター研究所ラジオアイソトープ管理室室長、独立行政法人国立長寿医療研究センター研究所ラジオアイソトープ管理室室長などを歴任した。 富山県富山市出身。地元の富山県立富山高等学校を卒業した。
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浅野 泰久(あさの やすひさ)は、日本の農芸化学者。勲等は瑞… 浅野 泰久(あさの やすひさ)は、日本の農芸化学者。勲等は瑞宝中綬章。富山県立大学生物工学研究センター所長・工学部教授。専門は、酵素化学・酵素工学・応用微生物学・有機化学。農学博士(京都大学)。2011年紫綬褒章授章。 酵素化学・酵素工学・応用微生物学・有機化学を専攻する農芸化学者である。蛋白質の高次構造解析により得られた情報に基づき、異種蛋白質の可溶性の研究や酵素の探索に取り組んだことで知られる。京都大学で学び、パデュー大学薬学部博士研究員、オハイオ州立大学理学部博士研究員、財団法人相模中央化学研究所副主任研究員、富山県立大学工学部助教授、富山県立大学附属図書館館長、浅野酵素活性分子プロジェクト研究総括などを歴任した。
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織田 克利(おだ かつとし、Katsutoshi Oda)は… 織田 克利(おだ かつとし、Katsutoshi Oda)は、日本の医師、医学者。専門は産婦人科学、婦人科腫瘍学、がんゲノム医療。 富山県立富山中部高等学校を経て、1994年に東京大学医学部医学科を卒業。 その後、産婦人科医として臨床・研究に従事し、婦人科腫瘍(特に子宮体癌・卵巣癌)の分子標的治療やがんゲノム研究の分野で活躍する。 2020年代以降、東京大学大学院医学系研究科生体物理医学専攻医用生体工学講座および東京大学医学部附属病院ゲノム診療部において教授を務めている。 「東大オンコパネル」などのがん遺伝子パネル検査や、がんゲノム医療の推進に携わっており、講演や市民向け啓発活動にも積極的に参加している。
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酒井 康彦(さかい やすひこ) は、日本の機械工学者。名古屋… 酒井 康彦(さかい やすひこ) は、日本の機械工学者。名古屋大学大学院工学研究科教授。元日本機械学会流体工学部門長。 富山県立富山中部高等学校を経て、1978年名古屋大学工学部機械学科卒業。1983年名古屋大学大学院工学研究科機械工学及び機械工学第二専攻博士後期課程単位取得満期退学、名古屋大学工学部機械学科助手。 1984年名古屋大学教養部図学教室助手、名古屋大学より工学博士の学位を取得。1989年ケンブリッジ大学応用数学及び理論物理学科留学。名古屋大学講師、名古屋大学助教授を経て、2001年名古屋大学大学院工学研究科教授。2007年日本流体力学会中部支部支部長。2010年日本機械学会流体工学部門副部門長。
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白川 功(しらかわ いさお)は、日本の電子工学者。大阪大学名… 白川 功(しらかわ いさお)は、日本の電子工学者。大阪大学名誉教授。元電子情報通信学会副会長。 富山県出身。富山県立富山中部高等学校を経て、1963年大阪大学工学部電子工学科卒業。1965年大阪大学大学院工学研究科電子工学専攻修士課程修了。1968年大阪大学大学院工学研究科電子工学専攻博士課程修了、工学博士、大阪大学工学部電子工学科助手。1973年大阪大学助教授。1986年郵政省近畿テレコム懇談会運営委員長。1987年大阪大学教授。1994年NTT電気通信技術委員。1995年IEEE Circuits and Systems Society Vice President。1996年電子情報通信学会理事。
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