成沢 未来(なるさわ みらい、1986年4月23日 - )は… 成沢 未来(なるさわ みらい、1986年4月23日 - )は、日本の歌人、エッセイスト。日本歌人クラブ会員、「白夜」短歌会同人。 長野県小布施町生まれ。先天性脊髄髄膜瘤で下肢が麻痺し、その後右手も不自由となる。合併症による水頭症を発症し13回の手術を受ける。 小中学校は入退院を繰り返したが、両親の影響で短歌に傾倒し中学時代から『白夜』の中島雅子に師事頭角を現す。中央歌壇級の大会に投稿を重ね、以下の賞を獲得する。 17歳でエッセイ集『一等賞の旗 - 障害をみつめる十七歳』(里文出版)を、19歳で歌文集『沖縄哀歌』(里文出版)を出版。エッセイ集は詩人谷川俊太郎が序詩を、歌文集は写真家桜井恵武が表紙や文中の全ての写真を提供し、共に話題となった。
相子 智恵(あいこ ちえ、1976年2月25日 - )は、長… 相子 智恵(あいこ ちえ、1976年2月25日 - )は、長野県飯田市出身の俳人。 1995年より小澤實に師事、2000年「澤」入会。2003年第3回澤新人賞、2005年第3回澤特別作品賞受賞。2009年『萵苣』50句で第55回角川俳句賞受賞。2022年『呼応』で第13回田中裕明賞受賞、第46回俳人協会新人賞。 「北斎漫画ぽろぽろ人のこぼるる秋」「阿修羅三面互ひ見えずよ寒の内」のような古典的な素材を扱った諧謔味のある作品から、「冷やかや携帯電話耳照らす」などの現代的な素材、「にはとりのまぶた下よりとぢて冬」のような写生、「一滴の我一瀑を落ちにけり」のような雄大な句まで幅広い。俳人協会会員。信濃毎日新聞にて、郷土の俳人井上井月を追った「井月をめぐる旅」を連載。
小林 貴子(こばやし たかこ、1959年8月15日 - )は… 小林 貴子(こばやし たかこ、1959年8月15日 - )は、長野県出身の俳人。 飯田市生まれ。松本市在住。1981年、信州大学学生俳句会、宮坂静生の「岳」入会。1982年、藤田湘子の「鷹」入会。1997年「鷹」退会。2003年、第58回現代俳句協会賞受賞。2020年、句集『黄金分割』により第8回星野立子賞を受賞。 代表句「この世から三尺浮ける牡丹かな」「海市見せむとかどはかされし子もありき」など、自在な詠みぶりと評論活動で信州俳壇を牽引。松本市在住。「岳」編集長、現代俳句協会、俳文学会会員。2022年4月より朝日新聞俳壇選者に就任。
小澤 實(おざわ みのる、1956年8月29日 - )は、日… 小澤 實(おざわ みのる、1956年8月29日 - )は、日本の俳人、俳文学者。大学時代より「鷹」に所属し藤田湘子に師事。2000年に俳誌「澤」を創刊・主宰。本名・実。 長野県長野市生まれ。1972年、長野県松本深志高等学校に入学。同級にのちに小説家・長野県知事となる田中康夫がいた。高校時代は文学部の機関誌に小説を寄せ、ガリ版刷りの小詩集を刊行するなどした。1976年、信州大学人文学部在学中に信大連句会に参加、東明雅の指導を受ける。翌年、連句会の連衆であった宮坂静生のてほどきで俳句をはじめ、同年「鷹」に入会、藤田湘子に師事。また大学で信大俳句会を結成する。 1979年、大学を卒業し、成城大学大学院文学研究科修士課程に進学、尾形仂に師事し、北条霞亭など江戸時代の漢詩人の書簡を解読。
伊藤 伊那男(いとう いなお、1949年 - 2025年11… 伊藤 伊那男(いとう いなお、1949年 - 2025年11月14日)は、長野県伊那地方の出身の俳人。出身地をそのまま俳号にした。本名正徳。 長野県駒ヶ根市生まれ。長野県伊那北高等学校、慶應義塾大学法学部政治学科卒業後に野村證券に入社。その後退社し、オリックス勤務、金融会社経営を経て、53歳で脱サラ。神田神保町で、「銀漢亭」という居酒屋を経営(2020年5月閉店)。 俳句は取引先の職場句会をきっかけに始め、1982年、「春耕」に入会、皆川盤水に師事。1990年春耕賞受賞。1998年、句集『銀漢』により第22回俳人協会新人賞。2011年、「春耕」の僚誌として「銀漢」を創刊・主宰。2018年、句集『然々と』により第58回俳人協会賞。
土屋 浩子(つちや ひろこ、1941年5月16日 - 200… 土屋 浩子(つちや ひろこ、1941年5月16日 - 2008年11月1日)は、日本の歌人。 長野県佐久市出身。1973年(昭和48年)3月、「短歌新潮」入会、丸山忠治に師事。その後同人となり、歌誌編集と後進の指導に携わった。1985年(昭和60年)12月、第一歌集「風花」を出版。2007年(平成19年)6月、第二歌集「水辺の秋」を出版。元シンガーソングライターの土屋竜一は長男。2008年(平成20年)11月1日没。 この項目は、文人(小説家・詩人・歌人・俳人・著作家・作詞家・脚本家・作家・劇作家・放送作家・随筆家/コラムニスト・文芸評論家)に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(P:文学/PJ作家)。
岩崎 信子(いわさき のぶこ、1940年5月26日 - )は… 岩崎 信子(いわさき のぶこ、1940年5月26日 - )は、日本のディレクター、プロデューサー、俳人、元アナウンサー。 東京府生まれ。長野県茅野市育ち。1959年長野県諏訪清陵高等学校卒業。信越放送テレビアナウンサー第一期公募試験に合格し入社。アナウンサーとしてテレビ草創期のテレビ・ラジオ番組(「日曜教室」、「暮らしのターミナル」等)担当。1981年上田放送局に転勤し、ディレクター・プロデューサーとして「カクテルトークかるいさわいろ」、「ヒーリングラジオ木の子守唄」、「ぷらっとほーむ小海線」、「里枝子の窓」等の番組を手がける。1994年俳句結社「梟」入会、矢島渚男に師事。2000年信越放送定年退職。
宮坂 静生(みやさか しずお、1937年11月4日 - )は… 宮坂 静生(みやさか しずお、1937年11月4日 - )は、日本の俳人、国文学者。信州大学名誉教授。本名、敏夫。 長野県千曲市生まれ、松本市育ち。信州大学で近世文学を専攻。卒業後、1961年から長野県の公立高校教諭となり、1974年信州大学医学部保健学科助教授、教授を経て2001年定年退官、名誉教授。大学では近世および近現代国文学、日本人の死生観等を専門とした。 俳句は14歳から始め、18歳から「若葉」に投句、富安風生、加倉井秋をに師事。1962年、「龍膽」編集長となり同誌を小諸から発行。1968年、藤田湘子に会い「鷹」に入会、翌年に無鑑査同人となる(1995年に退会)。1978年俳誌「岳」(たけ)を創刊、主宰。
奥村晃作(おくむら こうさく、1936年6月14日 - )は… 奥村晃作(おくむら こうさく、1936年6月14日 - )は、日本の歌人。歌誌「コスモス」選者。 長野県飯田市生まれ。長野県飯田高等学校を経て、1962年東京大学経済学部卒業。三井物産に入社後、2年程で退職し学士入学して教員免許を取得。のち芝中学校・高等学校社会科教諭に着任。大学在学中に『コスモス』に入会、宮柊二に師事する。1967年、「荒涼たる風景」で第13回角川短歌賞候補。1985年には「コスモス」の仲間である桑原正紀や高野公彦らと同人誌『棧橋』を創刊。 橘曙覧などの近世和歌を消化し、現代短歌の一領域として「ただごと歌」を認知させた。教師時代の奥村に短歌の手引きを受け、後に『コスモス』に入会した教え子に、影山一男や大松達知がいる。
矢島 渚男(やじま なぎさお、1935年1月24日 - )は… 矢島 渚男(やじま なぎさお、1935年1月24日 - )は、日本の俳人。2020年旭日小綬章受章。2024年文化功労者。本名は薫。 長野県丸子町(現上田市)生まれ。上田松尾高校、九段高校を経て、東京大学文学部国史学科卒業。大江健三郎と同期だった。卒業後は長野県内で歴史の高校教諭となる。1957年「鶴」に入会し石田波郷に師事したが、波郷没後「寒雷」に移り、加藤楸邨に師事する。1994年、俳誌「梟」主宰。2003年、句集『延年』で第3回俳句四季大賞受賞。2008年、句集『百済野』で芸術選奨文部科学大臣賞受賞。2016年、句集『冬青集』で第50回蛇笏賞受賞。読売新聞及び朝日新聞長野版俳壇選者。2020年、旭日小綬章受章。
伊藤 郁男(いとう いくお、1930年9月11日 - 202… 伊藤 郁男(いとう いくお、1930年9月11日 - 2020年10月26日)は、日本の政治家、俳人。元民社党参議院議員(1期)。長男は作家・ミュージシャン、タレントのいとうせいこう。 長野県諏訪市出身。長野県岡谷南高等学校を卒業後、1953年日本社会新聞記者を経て、1960年に民社党本部書記局に入り、機関誌局事務長、1977年に組織局次長などを経て、1980年の第12回参議院議員通常選挙に民社党公認で全国区から立候補し初当選を果たす。1986年、第14回、1989年、第15回の各参院通常選挙に比例区から立候補するもいずれも落選した。 2000年11月の秋の叙勲で勲三等に叙され、旭日中綬章を受章する 2020年10月26日、老衰のため、東京都八王子市の老人ホームで死去した。
田井 安曇(たい あずみ、1930年2月19日 - 2014… 田井 安曇(たい あずみ、1930年2月19日 - 2014年11月2日)は、日本の歌人。本名、我妻 泰(わがつま とおる)。ペンネームの安曇は安曇野よりとっているが出身は飯山市である。クリスチャン。 長野県飯山市出身。旧制飯山中学校(現・長野県飯山北高等学校)、岡崎高等師範学校(現・名古屋大学)社会科卒業。中学校の社会科教師となる。立原道造の影響で詩作を始め、のちに短歌に専念。「花実」を経て、1950年に「アララギ」中部青年の会「環」に参加。1951年には近藤芳美を中心にして創刊された短歌雑誌「未来」の創刊に関わる。岡井隆は同じく創刊メンバーである。秋村功と歌誌「河」を編集。1988年、柳川創造らとともに「綱手」創刊。
木下 照嶽(照岳、きのした てるたけ、1930年1月30日 … 木下 照嶽(照岳、きのした てるたけ、1930年1月30日 - )は、日本の会計学者、俳人。明星大学名誉教授。俳号・星城。 長野県下伊那郡泰阜村生まれ。早稲田大学政治経済学部政治学科卒業。1973年早稲田大学大学院商学研究科博士課程満期退学。 1949年から1952年まで東京都庁勤務。1974年早稲田大学産業技術専修学校講師、1977年明星大学文学部教授。1994年「社会報告に関する会計の研究」で商学博士の学位を取得。明星大学教授、2000年定年、名誉教授。神奈川大学非常勤講師。文化会計学会代表。俳句療法学会会長。心の文化研究所(附属富嶽出版)代表。
松林 尚志(まつばやし しょうし、1930年 – 2022年… 松林 尚志(まつばやし しょうし、1930年 – 2022年10月16日)は、日本の詩人、俳人。 長野県松本市出身。松本県ヶ丘高校、慶應義塾大学経済学部卒業。現代俳句協会、現代詩人会の各会員。俳句雑誌「木魂」代表、「海原」同人。 1985年、第4回現代俳句評論賞受賞。1998年–2018年[要出典]、現代俳句協会現代俳句評論賞選考委員。
藤岡改造(ふじおか かいぞう、1923年10月11日- )は… 藤岡改造(ふじおか かいぞう、1923年10月11日- )は、日本の作家、俳人。 長野県松本市生まれ。旧制松本中学(長野県松本深志高等学校)を経て旧制二松學舍専門学校卒。新制高等学校移行後の母校国語教師となった。号は筑邨(ちくそん)。学校で飼っていた犬クロの世話役をしていた体験から、『職員会議に出た犬クロ』を執筆。ベストセラーとなり、2003年「さよなら、クロ」として映画化された。「信毎俳壇」「俳句四季」の選者。俳人協会評議員。
北沢 郁子(きたざわ いくこ、1923年8月22日- )は、… 北沢 郁子(きたざわ いくこ、1923年8月22日- )は、歌人。
唐沢 隆三(からさわ りゅうぞう、1918年5月4日 - 2… 唐沢 隆三(からさわ りゅうぞう、1918年5月4日 - 2011年5月6日)は、社会運動研究者・俳人・自由律俳句研究者・作家。「唐沢柳三」の筆名も使用する。石川三四郎に師事する。 長野県に生まれる。滋野尋常高等小学校、長野県上田中学校(現:長野県上田高等学校)、純真学園、東京物理学校(現:東京理科大学)を経て、北海道帝国大学理学部数学科を卒業。北海道大学応用電気研究所に勤務。同研究所を退職後、東京に移住し、東京都立桜町高等学校、東京都立北高等学校ほか都立高校の教員を務めた。 出版のためにソオル社を興し、書籍の編集・発行も行った。 上田中学校時代に荻原井泉水の俳句誌『層雲』に参加した。 個人誌『柳』および『美』の発行者。
林 翔(はやし しょう、1914年1月24日 - 2009年… 林 翔(はやし しょう、1914年1月24日 - 2009年11月9日)は、日本の俳人。本名は林 昭(はやし しょう)。 長野県長野市生まれ。生後10ヶ月で母と死別し、5歳まで祖母に養われる。國學院大學を卒業。大学在学中に能村登四郎と知り合い、登四郎とともに短歌雑誌「装填」の同人となるが、同誌の廃刊後ともに俳句に転じた。1939年から1982年まで旧制私立市川中学(現・市川高等学校)に勤務。1940年、水原秋櫻子の「馬酔木」に初入選。この頃から「翔」を俳号に用いた。1950年「馬酔木」同人となる。1962年、現代俳句協会を脱会し、俳人協会に加入する。1970年、登四郎が「沖」を創刊すると編集主幹に就く。
戸枝 弘(とえだ ひろし、1914年 - 1992年1月25… 戸枝 弘(とえだ ひろし、1914年 - 1992年1月25日)は、昭和時代日本の詩人、歌人、作詞家。長野県出身。別名義に戸枝 ひろしや並木 ひろし、野中 ゆきみがある。 1914年(大正3年)、長野県上伊那郡南向村(現在の中川村)に生まれる。旧制伊那中学校在学中は万葉集やアララギ叢書を愛読していた。横浜専門学校を卒業、帰郷した後は会社嘱託の傍ら著述業に入り1951年(昭和26年)の歌会始で入選を果たす。 1960年(昭和35年)より、中川村から伊那市へ転居した。 1963年(昭和38年)1月、同年の歌会始で岡山県から応募のあった入選作が前年に「野中ゆきみ」名義で雑誌に掲載された短歌の盗作であると主張し、宮内庁が入選者に事情を聴いたところ応募者は盗作の嫌疑を否定したものの賞を辞退することとなった(昭和38年歌会始盗作事件)。
田中 重弥(田中 重彌、たなか しげや、1908年(明治41… 田中 重弥(田中 重彌、たなか しげや、1908年(明治41年)3月30日 - 1993年(平成5年)2月25日)は、日本の出版実業家、俳人、衆議院議員(2世議員)。雅号は茂哉(しげや)。田中弥助の長男。 長野県長野市に生まれる。1926年(大正15年)旧制長野商業学校卒業。父業を継いで第一法規出版社長となる。1950年(昭和25年)、全法令を網羅した『現行法規総覧』全100巻を出版して行政関係者必備の書との声価を得て、1953年(昭和28年)から日本の古今の全裁判例を網羅した『判例体系』全300巻を刊行した。さらに一般書籍まで出版を広げ、美術書「光悦」、歴史書「日本政治裁判史録」は毎日出版文化賞特別賞受賞。
市村 宏(いちむら ひろし、1904年5月6日 - 1989… 市村 宏(いちむら ひろし、1904年5月6日 - 1989年11月10日)は、日本の国文学者、歌人。文学博士(東洋大学・論文博士・1961年)。東洋大学名誉教授。雅号は「迯水居」。 長野県上高井郡小布施町生まれ。旧制大分高等商業学校、1941年東洋大学文学部国文学科卒業。1926年から出版社の辞書部に勤務、1948年から新村出の委嘱により岩波書店で「広辞苑」の編集主任を務めた。1953年東洋大学国文学科講師、1956年同教授、1973年退任、名誉教授。1961年「萬葉集考」で文学博士(東洋大学)の学位を取得。1973年から迯水短歌会を主宰し、機関誌を発行した。 この項目は、文学に関連した書きかけの項目です。
栗生 純夫 (くりう すみお、1904年(明治37年)4月2… 栗生 純夫 (くりう すみお、1904年(明治37年)4月20日 - 1961年(昭和36年)1月17日)は、日本の俳人、小林一茶研究家。本名は神林 新治(かんばやし しんじ)。須坂市名誉市民。 長野県上高井郡須坂町(現在の須坂市東横町)の農業・繭糸商の家に生まれる。小諸市出身の臼田亜浪に師事。実作者の立場から小林一茶を研究し、軍隊入営中に『一茶新考』を出版するなど、書物を数多く発表。1946年(昭和21年)、郷里の長野県須坂町で俳誌『科野』(しなの)を創刊し、『信濃毎日新聞』俳壇選者を長く担当するなど、信濃俳壇の中心となって活躍した。一茶研究により日本俳文学会会員に推挙される。1961年死去。
峯村 英薫(みねむら ひでしげ、1902年3月24日 - 1… 峯村 英薫(みねむら ひでしげ、1902年3月24日 - 1991年3月21日)は、日本の経営者、歌人。 長野県小県郡富士山村(現在の上田市)出身。旧制上田中学(長野県上田高等学校)、旧制松本高等学校を経て、1940年に東京帝国大学法学部を卒業。 加島銀行での勤務を経て、野村銀行に入行し、大和銀行専務を経て、1959年に副頭取に就任し、1963年に会長に就任し、1968年から顧問を務めた。積水化学工業取締役なども歴任した。 1923年に太田水穂に師事し、歌人としても活躍し、「峯村英薫歌集」がある。 1965年に藍綬褒章を受章し、1972年に勲二等瑞宝章を受章した。 1991年3月21日急性心不全のために死去。
五味 保義(ごみ やすよし、1901年8月31日 - 198… 五味 保義(ごみ やすよし、1901年8月31日 - 1982年5月27日)は、日本の歌人・万葉学者。末弟は万葉学者の五味智英。長野県下諏訪町出身。 旧制諏訪中学(現・長野県諏訪清陵高等学校)、東京高等師範学校文科を経て、京都帝国大学国文科卒業。中学時代より叔母のアララギ派詩人・五味えい、同郷の島木赤彦の影響を受け、短歌の道を志した。1929年上京後、齋藤茂吉、土屋文明の指導を受けながら、アララギの中興や、歌誌「アララギ」の発行に携わり、特に戦後は、世田谷区奥沢の自宅を「アララギ」発行所として専念した。数多くの学校で教壇に立ち、東京第三師範学校や日本女子大学の教授も勤めた。1953年から1982年まで信濃毎日新聞歌壇撰者。
今井 野菊(いまい のぎく、1900年〈明治33年〉 8月1… 今井 野菊(いまい のぎく、1900年〈明治33年〉 8月14日 - 1982年〈昭和57年〉10月6日)は、日本の郷土史家、歌人である。本名は今井 すみ江(いまい すみえ)。 長野県諏訪郡宮川村(現・茅野市宮川茅野)に生まれ、諏訪高等女学校(現・諏訪二葉高等学校)へ入学。女学校一年の時に『アララギ』へ入会し島木赤彦と森山汀川に師事。大正7年(1918年)に卒業し小学校の代用教員となり、その翌年(当時19歳)寒天問屋「地紙世(ちがみせ)」(現・地紙世商店)の今井平左衛門に嫁ぐ。池坊華道の教授でもあり、地元の人々が敬意を込めて「地紙世の先生」と呼んでいた。戦後、『旧宮川村誌(史)』の編纂に奮闘する傍ら諏訪大社及び諏訪地域の在地信仰(ミシャグジ、千鹿頭神、天白神 等)の研究を行い、踏査集成を広範囲に渡って行った。
伊東 月草(いとう げっそう、1899年(明治32年)12月… 伊東 月草(いとう げっそう、1899年(明治32年)12月17日 - 1946年(昭和21年)12月4日)は、長野県出身の日本の俳人。本名は秀治(ひでじ)。 1899年(明治32年)長野県上伊那郡藤沢村 (現在の伊那市)に生まれる。16歳から俳句を始め、大須賀乙字に師事、乙字の死後は同じ乙字門下の吉田冬葉が立ち上げた「獺祭」に参加、1928年に独立し「草上」を主宰する。 満州事変、日中戦争を機に新体制運動に傾倒、大野林火との戦火想望俳句論争を皮切りに、俳句報国のための団体を結成すべしと全国の主要俳人、結社に「この昭和維新に際会して、新体制に協力しないやうな非国民はあるまい」と檄文を送り、『俳句研究』を中心に論陣を張った。
小口 太郎(おぐち たろう、1897年(明治30年)8月30… 小口 太郎(おぐち たろう、1897年(明治30年)8月30日 - 1924年(大正13年)5月16日)は、日本の科学者、歌人。第三高等学校、東京帝国大学理学部物理学科卒業後、同大学航空研究所入所。大学在学中に電信電話に関する発明をし、日本を始め諸外国に特許申請をし、許可を得ている。 科学者以外の彼を有名にしたのは、「琵琶湖周航の歌」の作詞者としてである。1917年、三高ボート部員として琵琶湖周航中、故郷諏訪湖に思いを馳せながら詩情豊かに作詞した「琵琶湖周航の歌」は、吉田千秋(新潟県出身、歴史地理学者吉田東伍の次男)の「ひつじぐさ」の原曲により現在まで広く歌われ続けている。この二人はお互いを知らず、それぞれ26歳と24歳で死去している。
潮 みどり(うしお みどり、1897年6月12日 - 192… 潮 みどり(うしお みどり、1897年6月12日 - 1927年10月13日)は日本の歌人。本名は長谷川桐子。旧姓は太田。姉の若山喜志子も歌人。 長野県東筑摩郡広丘村(現塩尻市)生まれ。大正4年(1915年)三浦半島に療養中の姉・喜志子を見舞い、翌年まで滞在した。大正4年から歌作を始め、義兄の若山牧水に師事し、詩歌雑誌「創作」に作品を発表する。同7年(1918年)に上京し、翌年、喜志子・牧水夫妻の仲人により、牧水の弟子である長谷川銀作と結婚したが、同10年(1921年)ころから結核に罹患し、療養を続けながらも創作を続けたが、31歳で夭逝した。遺歌集に「潮みどり歌集」が刊行された。 この項目は、文人(小説家・詩人・歌人・俳人・著作家・作詞家・脚本家・作家・劇作家・放送作家・随筆家/コラムニスト・文芸評論家)に関連した書きかけの項目です。
松井 芒人(まつい ぼうじん、本名: 源衛、1895年1月2… 松井 芒人(まつい ぼうじん、本名: 源衛、1895年1月25日 - 1980年12月27日)は、日本の歌人、教育者である。 長野県上伊那郡伊那富村(現辰野町羽場)生まれ。長野県立諏訪中学校を経て、1914年長野県師範学校(現・信州大学)を卒業。上伊那郡七久保小学校を振り出しに県内各地で教職に携わる。高遠国民学校、高遠拓殖青年学校、高遠実科高等女学校の校長を歴任。 1917年、「アララギ」入会。島木赤彦、土屋文明、土田耕平と相識り、歌は「アララギ」一筋によりながら、1947年には歌誌「流域」を主宰して、上伊那地域の人々の短歌指導にあたった。 この項目は、文人(小説家・詩人・歌人・俳人・著作家・作詞家・脚本家・作家・劇作家・放送作家・随筆家/コラムニスト・文芸評論家)に関連した書きかけの項目です。
久米 正雄(くめ まさお、1891年(明治24年)11月23… 久米 正雄(くめ まさお、1891年(明治24年)11月23日 - 1952年(昭和27年)3月1日)は、日本の小説家、劇作家、俳人。俳号は三汀(さんてい)。“微苦笑”という語の造語者として有名。 芥川龍之介らと第三、四次「新思潮」同人となる。理知的な作風から、のち感傷的作風の通俗小説に転じた。作品に戯曲『牛乳屋の兄弟』(1914年)、小説『受験生の手記』(1918年)、『破船』(1922年)など。 永井龍男は義弟(永井の妻が久米の妻の妹)。 長野県上田市生まれ。父・由太郎は江戸出身で町立上田尋常高等小学校(現在の上田市立清明小学校)の校長として上田に赴任し、正雄が生まれた。父は1898年(明治31年)に小学校で起きた火災によって明治天皇の御真影を焼いてしまった責任を負って割腹自殺した。
若山 喜志子(わかやま きしこ、1888年5月28日 - 1… 若山 喜志子(わかやま きしこ、1888年5月28日 - 1968年8月19日)は、明治期から昭和期の歌人。若山牧水の妻。旧姓は太田、本名は喜志。妹の潮みどりも歌人。 1888年(明治21年)、長野県東筑摩郡広丘村吉田(現・塩尻市)生まれ。松本高等女学校への進学を希望したが、母が病弱だったため断念した。高等小学校から補習科を終えて、島木赤彦が校長を務める広丘尋常高等小学校(現・塩尻市立広丘小学校)に裁縫教師として奉職。しかし赤彦からの影響は特に受けていない。「女子文壇」に投稿するようになったことで今井邦子や生田花世らを知り、横瀬夜雨から高い評価を受ける。22歳の頃、信濃毎日新聞歌壇に投稿し、選者の太田水穂に認められる。
久保田 不二子(くぼた ふじこ、1886年〈明治19年〉5月… 久保田 不二子(くぼた ふじこ、1886年〈明治19年〉5月16日 - 1965年〈昭和40年〉12月17日)は、明治 - 昭和時代の歌人。島木赤彦の二人目の妻でもある。 1886年(明治19年)に長野県下諏訪町高木で生まれた。父は政信、母はぬい。10歳上に姉のうたが居た。 1902年(明治35年)1月、不二子が同年7月、16歳の時に姉のうたが亡くなる。その後彼女の子ども(長男)の面倒を見るため、後妻として島木赤彦に嫁ぐ。1903年(明治36年)に島木との間に二女、初瀬(はつせ)が生まれた。島木との年齢差は10歳であったが、妻として夫を支えようと努めていた。島木が東筑摩郡広丘村(現在の塩尻市)で小学校の校長として勤めている間も、下諏訪にて子育てと家事、農作業に勤しんでいた。
斎藤 瀏(さいとう りゅう、1879年(明治12年)4月16… 斎藤 瀏(さいとう りゅう、1879年(明治12年)4月16日 - 1953年(昭和28年)7月5日)は、日本の陸軍軍人、歌人。最終階級は陸軍少将。長女の斎藤史は同じく歌人。 長野県北安曇郡七貴村(後の安曇野市)に旧松本藩士・三宅政明の四男として生まれる。既に帰農していたため、士族籍ではなく平民籍であった。貧しかったため幼少期には丁稚奉公に出されている。旧制松本中学(後の長野県松本深志高等学校)を経て1901年に陸軍士官学校(12期)を卒業。歩兵少尉に任官した。同期に杉山元、小磯國昭、香椎浩平らがいる。旧制中学時代に医師で漢学者の斎藤順の養子となった。 1903年中尉に昇進し、1904年に勃発した日露戦争に従軍。
窪田 空穂(くぼた うつぼ、1877年(明治10年)6月8日… 窪田 空穂(くぼた うつぼ、1877年(明治10年)6月8日 - 1967年(昭和42年)4月12日)は、日本の歌人・国文学者。日本芸術院会員。元早稲田大学教授。文化功労者。本名は窪田 通治。息子に、同じく歌人の窪田章一郎がいる。 草創期の「明星」に参加。浪漫傾向から自然主義文学に影響を受け、内省的な心情の機微を詠んだ。古典の評釈でも功績が大きい。詩歌集に『まひる野』(1905年)、歌集に『土を眺めて』(1918年)など。 長野県東筑摩郡和田村(現・松本市和田)生まれ。長野県尋常中学校(現長野県松本深志高等学校)から東京専門学校文学科に進学するも、一度中退。代用教員として働いていたときに校長の影響で作歌を始める。
島木 赤彦(しまき あかひこ、1876年(明治9年)12月1… 島木 赤彦(しまき あかひこ、1876年(明治9年)12月16日 - 1926年(大正15年)3月27日)は、日本の明治・大正時代のアララギ派歌人。本名は久保田俊彦。別号、柿乃村人。 長野師範学校を卒業後、小学校教員を務める傍ら、1903年に歌誌「比牟呂」を創刊、やがて伊藤左千夫の門下となった。 1909年には「比牟呂」を「アララギ」に合流させ、以来、斎藤茂吉、土屋文明らと並ぶアララギ派の有力歌人として活躍。左千夫と長塚節なきあとは上京し、「アララギ」の編集責任者となった。 1876年(明治9年)12月16日、長野県諏訪郡上諏訪村角間(現諏訪市元町)に旧諏訪藩士・塚原浅茅と妻・さいの四男として生まれる。
太田 水穂(おおた みずほ、1876年(明治9年)12月9日… 太田 水穂(おおた みずほ、1876年(明治9年)12月9日 - 1955年(昭和30年)1月1日)は、明治期から昭和期の日本の歌人・国文学者。本名は太田貞一、別号・みづほのや。歌人・太田青丘は養子。 長野県東筑摩郡広丘村(現・塩尻市)に、太田億五郎の三男として生まれる。太田家は太田道灌の一族との伝がある。幼少から父より孝経の素読や百人一首の和歌を教えられる。 広丘高等小学校(現・塩尻市立広丘小学校)卒業後、長野県師範学校(現・信州大学教育学部)に進学。教師には高橋白山、浅井洌、高島平三郎がいた。在学中に詩歌に興味を持ち、文芸雑誌「文学界」に新体詩の投稿を始め、信濃毎日新聞に「和歌日抄」を掲載する。
伊藤 松宇(いとう しょうう、安政6年10月18日(1859… 伊藤 松宇(いとう しょうう、安政6年10月18日(1859年11月12日) - 昭和18年(1943年)3月25日)は俳人、古俳書収集家である。本名は半次郎、俳号は松宇・雪操居。 伊藤洗児の長男として、信濃国小県郡上丸子村(現長野県上田市)に生まれた。10代頃から俳句を作り、加部琴堂に師事する。1882年、家業の藍取引を通じて知遇を得た渋沢栄一に認められて、第一国立銀行横浜支店の調査職につき、王子製紙、渋沢倉庫などの渋沢財閥の幹部社員となった。1897年、静岡に転勤し、のちに東京に戻った。 旧来の宗匠の指導をうける句会の形にあきたらず、1890年、一高学寮舎監の片山桃雨、郵便局員の森猿男らと「椎の友社」を結成した。
藤森 桂谷(ふじもり けいこく、1835年11月25日(天保… 藤森 桂谷(ふじもり けいこく、1835年11月25日(天保6年10月6日) - 1905年(明治38年)7月26日)は、南画の画家、歌人、啓蒙家。現在の長野県安曇野市出身。 桂谷は画家としての主たる号であり、俳句の雅号は「麦里」、和歌には本名の「寿平」「としひら」が使われている。その他、自作の絵には「南安迂農」「辛田」「雪蝶山人」「桑渓」「小倉山人」「新田迂農」など種々なオートグラフがある。 信濃国安曇郡成相新田町村(千国街道成相新田宿)に藤森郁三郎の長男として生まれる。幼名を厚、長じて寿平と名乗る。歌人であった父親の影響で少年時代から和歌を作り多くの歌を遺した。 成相新田宿の大庄屋である藤森一族の学問所となっていた同郡寺所村の細萱伝兵(漢学・書家)から読み書きを教えられ、長じて漢学は同郡中萱村の相馬古処、和歌は歌人丸山保秀の教えをうけ、絵は安政元年(1854年)、近郷の松本を訪れた伯耆出身の南画家古曳盤谷に入門した。
月野 ぽぽな(つきの ぽぽな)は、日本の俳人。本名、木川実千… 月野 ぽぽな(つきの ぽぽな)は、日本の俳人。本名、木川実千代(きがわ みちよ、旧姓日野)。アメリカ合衆国ニューヨーク市在住。金子兜太主宰「海程」同人(終刊まで)、「海原」同人(2018年9月より)。現代俳句協会会員。星の島句会(旧称「ニューヨーク句会」)代表。夫はピアニストの木川貴幸。 長野県に生まれる。長野県伊那北高等学校、信州大学教育学部卒業。教員を経て渡米。2004年俳句結社「海程」に入会、金子兜太に師事。2008年第43回海程新人賞受賞。2009年豆の木賞受賞、2010年「ハミング」で第28回現代俳句新人賞受賞、海外日系人協会主催の第8回海外日系文芸祭海外日系新聞放送協会会長賞受賞、2011年北米伊藤園俳句グランプリ優秀賞受賞。