飯塚 正二(いいづか しょうじ、1913年〈大正2年〉2月2… 飯塚 正二(いいづか しょうじ、1913年〈大正2年〉2月24日 - 1999年〈平成11年〉4月27日)は、昭和から平成時代の政治家。位階は正五位。静岡県藤枝市長。 藤枝市出身。1930年(昭和5年)静岡県藤枝農学校卒業。 静岡県庁に入り、1966年(昭和41年)副出納長、1967年(昭和42年)事業部長、1968年(昭和43年)公営企業管理者を経て、1972年(昭和47年)藤枝市助役に転じた。 1976年(昭和51年)6月、藤枝市長に就任。4期務め、1992年(平成4年)引退した。 1999年(平成11年)4月27日死去、86歳。死没日をもって正五位に叙される。
塚本 俊雄(つかもと としお、1912年(明治45年)3月2… 塚本 俊雄(つかもと としお、1912年(明治45年)3月29日 - 1990年(平成2年)9月1日)は、昭和から平成初期の地方公務員、政治家。東京都目黒区長(4期)。 静岡県磐田市生まれ。目黒区総務課長、1965年総務部長、監査委員、1970年助役を経て、1975年区長。 1990年9月1日、急性心不全のため任期中に死去。78歳没。 この項目は、日本の政治家に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(P:政治学/PJ政治)。
安藤 はつ(あんどう はつ、1912年〈明治45年〉1月20… 安藤 はつ(あんどう はつ、1912年〈明治45年〉1月20日 – 1985年〈昭和60年〉12月4日)は、政治家、衆議院議員(1期)。旧姓は千。日本初の女性代議士の一人である。 静岡県田方郡韮山村(現伊豆の国市)出身。静岡県の教員養成所を卒業後、大見村の国民学校で教鞭を執り、安藤秀雄との結婚により退職した。その後、疎開で長野県に移った。 1946年の第22回衆議院議員総選挙に日本平和党公認で長野県から立候補し当選し、日本初の女性代議士の一人となった。その後、国民協同党に移り、1947年の第23回衆議院議員総選挙で落選した。 1951年7月23日に有価証券詐欺などの容疑で夫婦ともに起訴され、懲役一年に処された。
加藤 静雄(かとう しずお、1911年(明治44年)4月25… 加藤 静雄(かとう しずお、1911年(明治44年)4月25日 - 1960年(昭和35年)12月7日)は、昭和期の実業家、政治家。衆議院議員(1期)。旧姓は増田。 静岡県志太郡豊田村(現焼津市)の増田家に生まれる。静岡県立志太中学校(現静岡県立藤枝東高等学校)の第一期生で、同校4年修了で静岡高等学校に進んだ。1939年(昭和14年)京都帝国大学法学部法律学科を卒業。戦後、東京の加藤家の養子となるが、焼津に在住した。 実業界では、合資会社東亜製作所副会長、焼津水産取締役社長などを務めた。 1947年(昭和22年)4月の第23回衆議院議員総選挙で静岡県第1区から日本社会党公認で出馬して実業家の長兄、増田年郎の援助と志太中同窓生の支援を受けて当選し、衆議院議員に1期在任した。
足立 篤郎(あだち とくろう、1910年〈明治43年〉7月2… 足立 篤郎(あだち とくろう、1910年〈明治43年〉7月22日 - 1988年〈昭和63年〉8月14日)は、日本の政治家。位階は正三位、勲等は勲一等。 科学技術庁長官(第28代)、農林大臣(第43代)、衆議院議員(12期)などを歴任。 静岡県周智郡山梨村(現袋井市)生まれ。掛川中学校(現静岡県立掛川西高等学校)、旧制静岡高等学校を経て、1934年、京都帝国大学法学部を卒業。南満洲鉄道に入社する。戦後は静岡県農業共済組合連合会会長などを経て、1949年の第24回衆議院議員総選挙で吉田茂率いる民主自由党公認で旧静岡3区から立候補し、初当選。以後当選12回。 自民党では佐藤栄作派-田中角栄派に所属。
荻野 凖平(おぎの じゅんぺい、1909年(明治42年)6月… 荻野 凖平(おぎの じゅんぺい、1909年(明治42年)6月1日 - 2001年(平成13年)1月22日)は、日本の政治家。(旧)静岡市長。位階は従四位。
大石 八治(おおいし はちじ、1908年〈明治41年〉3月… 大石 八治(おおいし はちじ、1908年〈明治41年〉3月10日 - 1976年〈昭和51年〉7月20日)は、日本の政治家。衆議院議員(3期、自由民主党)。 1908年(明治41年)静岡県榛原郡吉田町に生まれる。1926年(大正15年)静岡県立榛原中学校を卒業。1929年(昭和3年)横浜高等商業学校を卒業。1934年(昭和9年)日本共産党に資金提供していたとして治安維持法違反の疑いで逮捕。 1951年(昭和26年) 静岡県議会議員に初当選。4期務め、静岡県議会議長も歴任。1960年(昭和35年)第29回衆議院議員総選挙に自由民主党から静岡1区へ立候補するも落選。 1963年(昭和38年)第30回衆議院議員総選挙静岡1区初当選。
勝間田 清一(かつまた せいいち、1908年〈明治41年〉2… 勝間田 清一(かつまた せいいち、1908年〈明治41年〉2月11日 - 1989年〈平成元年〉12月14日)は、日本の政治家。日本社会党委員長、政審会長、国対委員長、衆議院副議長を歴任した。企画院事件の左派官僚。正三位勲一等旭日大綬章。 静岡県御殿場市出身。勝間田氏は遠江国榛原郡勝間田庄(現在の牧之原市)の国人(領主)だったが、1476年、今川義忠に反旗を翻して敗れ、一族は四散した。その末裔は細々と農業を行い暮らしを立てており、清一が生まれたときも実家は養蚕などを営む農家だった。御殿場実業学校(現:静岡県立御殿場高等学校)を経て、宇都宮高等農林学校(現:宇都宮大学)に進学し、さらに京都帝国大学(現:京都大学)へと進んだ。
川野辺 静(川野邉 静、かわのべ しづ、1907年(明治40… 川野辺 静(川野邉 静、かわのべ しづ、1907年(明治40年)9月24日 - 2003年(平成15年)4月25日)は、日本の政治家、小児科医。位階は正五位。参議院議員(1期、自由民主党)。 静岡県静岡市出身。7人兄弟の長女。不二高等女学校を経て、1930年に東京女子医学専門学校を卒業。同附属病院の小児科医局長となる。帰郷後、1935年に焼津市で小児科医院を開業、2年後には静岡市に移転。静岡大火や空襲でたびたび被災するが、恩師の吉岡彌生からの医療器具の寄付や、趣味の日本舞踊を通じて懇意にしていた尾上菊五郎(6代目)の見舞金に助けられたという。 1951年、静岡市議会議員に当選。児童福祉事業中心に活動、静岡県婦人団体連絡会の会長となる。
大倉 重作(おおくら じゅうさく、1906年〈明治39年〉8… 大倉 重作(おおくら じゅうさく、1906年〈明治39年〉8月4日 - 1982年〈昭和57年〉5月7日)は、日本の政治家。位階は従五位。勲等は勲四等。 静岡県小笠郡千浜村議会議員、静岡県小笠郡千浜村助役、静岡県小笠郡千浜村長、静岡県小笠郡大浜町長、静岡県小笠郡大東町長(初~第3代)などを歴任した。 静岡県出身の政治家であり、静岡県小笠郡にて千浜村の村長を経て、大浜町の町長や大東町の町長を務めた。大東町においては全町農業構造改善事業を提唱し、全国的な注目を集めた。企業誘致や教育機関の整備などを積極的に推し進めたが、町長在任中に死去した。 1906年(明治39年)8月4日、静岡県小笠郡千浜村にて生まれた。
山田 弥一(山田 彌一、やまだ やいち、1906年4月5日 … 山田 弥一(山田 彌一、やまだ やいち、1906年4月5日 - 1978年8月5日)は、昭和期の日本の政治家。衆議院議員(当選5回、自由民主党所属)、運輸政務次官(第1次池田内閣)、全国旅館生活衛生同業組合連合会(全旅連)、社団法人全国生活衛生同業組合中央会各会長。早稲田大学専門部商科卒業。 静岡県熱海市出身。1925年創業の老舗旅館・大月ホテル(2005年経営破綻、再建中)創業者であり、熱海町議、熱海市議・同議長、静岡県議・同議長を経て、1952年の第25回衆議院議員総選挙で初当選。以降、同じく熱海の老舗旅館・つるや(2001年に廃業)の創業者で共に自由民主党衆議院議員である畠山鶴吉と選挙・事業の両面で激しく覇を争った。
久保田 豊(くぼた ゆたか、1905年10月4日 ‐ 196… 久保田 豊(くぼた ゆたか、1905年10月4日 ‐ 1965年10月24日)は、日本の政治家。衆議院議員(5期)。韮山村長(2期)。
大村 純毅(おおむら すみたけ、1903年(明治36年)4月… 大村 純毅(おおむら すみたけ、1903年(明治36年)4月11日 - 1974年(昭和49年)4月17日)は、日本の昭和時代の華族、陸軍軍人、政治家(第5代〜第8代大村市長)。大村家第33代当主。大村市名誉市民。 父大村純英が陸軍軍人として赴任中の静岡県静岡市で誕生、ほどなく東京へ移る。 学習院初等科で院長であった乃木希典の薫陶を受け、学習院中等科を経て陸軍中央幼年学校へ入り、1924年(大正13年)7月に陸軍士官学校本科卒業(第36期)。同年10月に砲兵少尉任官。以後、砲兵部隊中心に軍歴を重ねる。最終的には野戦重砲第八連隊付を経て中佐に昇進した。1933年(昭和8年)6月、父の死没に伴い伯爵を襲爵。
蜂須賀 正氏(はちすか まさうじ、1903年〈明治36年〉2… 蜂須賀 正氏(はちすか まさうじ、1903年〈明治36年〉2月15日 - 1953年〈昭和28年〉5月14日)は、日本の鳥類学者、華族(侯爵)、貴族院議員、探検家、飛行家。絶滅鳥ドードー研究の権威として知られた他、沖縄本島と宮古島との間に引かれた生物地理学上の線である蜂須賀線に名をとどめている。徳川家斉の玄孫。 旧徳島藩藩主・蜂須賀家の当主。蜂須賀小六から数えて第18代目にあたる。 1903年(明治36年)2月15日、東京で誕生した。父・蜂須賀正韶は侯爵、貴族院副議長。母・筆子は徳川慶喜の四女。長姉・年子はデザイナー。 学習院初等科に入った頃から生物に著しい関心を示し、先輩の黒田長禮に出会ってから鳥類学に志す。
山崎 釼二(やまざき けんじ、1902年9月19日 - 19… 山崎 釼二(やまざき けんじ、1902年9月19日 - 1958年1月31日)は、日本の政治家。衆議院議員(2期)。 静岡県駿東郡御厨町(現:御殿場市)出身。1915年御殿場実業学校卒。卒業後は満洲に渡り、満鉄に入るが、社会主義に関心を寄せ、満鉄を退職し、帰国した。帰国後は東京帝国大学に聴講生として通い、帰郷。以後、農民運動の指導者になる。この間、看護婦の藤原道子と結婚した。 その後、労働農民党、社会大衆党に入り。沼津市議、静岡県議を経て。1936年の第19回衆議院議員総選挙において静岡2区(当時)から社会大衆党で立候補して初当選する。翌年の第20回衆議院議員総選挙でも再選。1942年の第21回衆議院議員総選挙には立候補しなかった。
長島 銀蔵(ながしま ぎんぞう、旧字体: 長島 銀藏、190… 長島 銀蔵(ながしま ぎんぞう、旧字体: 長島 銀藏、1901年〈明治34年〉11月25日 - 1984年〈昭和59年〉9月8日)は、日本の実業家、政治家。貴族院議員、参議院議員。 現在の静岡県富士宮市出身。長島化学製品所を経営し、清水栄寿座、長島商事、横浜瓦斯化学工業の各社長、日本海獣化学工業代表取締役、清水商工会議所議員などを務めた。 1946年(昭和21年)5月、静岡県多額納税者として貴族院多額納税者議員に互選され、同月18日に就任し研究会に所属した。翌1947年(昭和22年)5月2日の貴族院廃止まで在籍した。同年4月に行われた第1回参議院議員通常選挙において、静岡地方区から無所属で立候補したが落選した。
竹山 祐太郎(たけやま ゆうたろう、1901年4月25日 -… 竹山 祐太郎(たけやま ゆうたろう、1901年4月25日 - 1982年7月7日)は、昭和期の政治家。位階は正三位。元建設大臣・静岡県知事。長男は元参議院議員の竹山裕。 静岡県磐田郡見付町(現・磐田市)に、農業・竹山宗一郎の長男として生まれる。中泉農業学校(現・静岡県立磐田農業高等学校)を経て、1922年東京帝国大学農学部実科(1935年東京高等農林学校として独立、現・東京農工大学)を卒業。農商務省に入省する。農林技官として、1930年代の農山漁村経済更生運動(いわゆる“自力更生運動”)に取り組み、全国各地を回った。1941年からは東京高等農林学校教授を兼任した。 1945年農林省を退官し、全国農業会指導部長となる。
杉山 昌作(すぎやま しょうさく、1900年(明治33年)1… 杉山 昌作(すぎやま しょうさく、1900年(明治33年)10月18日 – 1994年(平成6年)3月1日)は、昭和期の大蔵官僚、政治家。参議院議員(2期)、専売局長官。 静岡県静岡市出身。小樽高等商業学校を卒業。1924年(大正13年)11月、高等試験行政科試験に合格。1925年(大正14年)京都帝国大学経済学部を卒業した。同年、大蔵省に入省し専売局書記となる。 以後、専売局参事、大蔵省調査官、専売局長官などを歴任。その他、東北興業(のち東北開発)副総裁、専売事業協会会長、全国たばこ耕作組合中央会理事などを務めた。 1950年(昭和25年)6月の第2回参議院議員通常選挙に全国区から無所属で出馬して初当選し、1956年(昭和31年)7月の第4回通常選挙に全国区から緑風会公認で出馬して再選され、参議院議員に連続2期在任した。
榊原 千代(さかきばら ちよ、1898年〈明治31年〉7月1… 榊原 千代(さかきばら ちよ、1898年〈明治31年〉7月15日 – 1987年〈昭和62年〉4月28日)は、日本の雑誌記者、教育者、政治家。衆議院議員(2期)、女性初の代議士の一人。旧姓は間野。 現在の静岡県三島市に生まれる。 1917年(大正6年)、フェリス和英女学校を卒業。1919年(大正8年)、青山女学院英文専門科本科卒業。同年、雑誌「婦人の友」の記者となる。自由学園教授などを経て、1927年(昭和2年)に経済学者の榊原巌と結婚。結婚後、夫とともにドイツとイギリスに留学する。マルブルグ大学(ドイツ)、セリオーク大学(イギリス)等で聴講する。 帰国後、夫・巌が福島経済専門学校(現福島大学経済経営学類)教授に就任したことにより福島県に移り、福島高等女学校で教鞭を執る。
森口 淳三(もりぐち じゅんぞう、1897年(明治30年)1… 森口 淳三(もりぐち じゅんぞう、1897年(明治30年)10月17日 - 1975年(昭和50年)3月10日)は、昭和時代の政治家。衆議院議員。静岡県引佐郡気賀町長。大日本帝国陸軍軍人。最終階級は陸軍歩兵中尉。 静岡県引佐郡気賀町(細江町を経て現浜松市浜名区)に生まれる。1917年(大正6年)浜松商業学校卒業。 陸軍歩兵中尉として支那事変に従軍した。気賀町長、静岡県会議員、同副議長を歴任。ほか、在郷軍人会郡連合分会長などを務めた。 1942年(昭和17年)4月の第21回衆議院議員総選挙では静岡県第3区から翼賛政治体制協議会の推薦を受け出馬し当選。衆議院議員を1期務めた。議員在任中は、翼賛会政調幹事、内閣、農林兼務委員を歴任した。
岡野 繁蔵(繁藏、おかの しげぞう、1894年(明治27年)… 岡野 繁蔵(繁藏、おかの しげぞう、1894年(明治27年)6月4日 - 1975年(昭和50年)7月16日)は、大正から昭和期の実業家、政治家。衆議院議員(1期)。「南洋の貿易王」と称された。 児童文学作家の岡野薫子の大伯父にあたる。 静岡県志太郡青島村南新屋(青島町を経て、現藤枝市)で、岡野和吉の二男として生まれる。高等小学校を経て私立育英学校中学科に進んだ。2年次に瀬戸川の氾濫で実家が被災したため学校を中退し、藤枝駅前の丸十運送で住み込みで働く。育英中学に教師として赴任してきた橋本清之助と知り合い、社会教育団体の修養団藤枝支部の結成に関わった。 1914年(大正3年)にスマトラの雑貨商・豊原辰熊から青年の紹介依頼を修養団の蓮沼門三を通して聞き、同年、東洋貿易に入社した。
小松 勇次(こまつ ゆうじ、1893年〈明治26年〉12月2… 小松 勇次(こまつ ゆうじ、1893年〈明治26年〉12月20日 - 1962年〈昭和37年〉7月29日)は、日本の政治家。衆議院議員(2期)。熱海市長。 静岡県で小松鹿太郎の長男として生まれる。旧制韮山中(現・静岡県立韮山高等学校)卒。農業・漁業を営み、多賀村議、同村長、熱海市議、静岡県議を経て、1947年の第23回衆議院議員総選挙において静岡2区から民主党公認で立候補して初当選。2期務め、1952年の第25回衆議院議員総選挙で改進党から立候補したが落選した。 その後、1956年に熱海市長となり、1960年にも再選された。観光都市熱海の発展に尽力した。再選から2年後の1962年、在職中に死去した。
中井 光次(なかい みつじ、1892年(明治25年)10月5… 中井 光次(なかい みつじ、1892年(明治25年)10月5日 - 1968年(昭和43年)4月9日)は、日本の政治家、内務官僚。大阪市長(第10・12代)。 静岡県出身。大阪府立市岡中学校6期、1917年に東京帝国大学卒業。内務省に勤務し、各府県の内務部長・警察部長を歴任。1936年4月1日から9月2日まで島根県知事(官選第32代)、同年9月3月から1945年9月7日まで大阪市助役を務める。 1945年9月8日から1946年12月13日まで第10代大阪市長を務める。1947年、第1回参議院議員通常選挙で当選(大阪府選出)、民主党、国民民主党に所属。1951年3月31日まで務めた。 その後第12代(公選2代目)大阪市長に当選(1951年4月25日 - 1963年3月23日)。
勝亦 干城(かつまた たてき、1892年〈明治25年〉5月2… 勝亦 干城(かつまた たてき、1892年〈明治25年〉5月26日 - 1953年〈昭和28年〉6月12日)は、昭和時代の政治家。漁業家。実業家。静岡県沼津市長。 静岡県出身。県立沼津中学校を経て、1916年(大正5年)明治大学商科卒業。 歩兵第18連隊へ一年志願兵として入隊し、陸軍三等主計に進んだ。千本浜で定置網漁を営む傍ら、1939年(昭和14年)9月に沼津市会議員に当選。1943年(昭和18年)9月には同議長に推挙された。ほか、駿東地方事務所参与、沼津漁業会長、静岡県水産業会副会長を歴任した。 1945年(昭和20年)11月、沼津市の最後の官選市長に就任。戦後の混乱期にあって復興部を設け庶務・土木・都市計画・建設・水道の5課を置き戦災復興を進めた。
勝又 春一(かつまた はるいち、1892年(明治25年)3月… 勝又 春一(かつまた はるいち、1892年(明治25年)3月21日 - 1964年(昭和39年)12月24日)は、日本の政治家。衆議院議員(3期)。初代御殿場市長(3期)。 静岡県駿東郡御殿場町(現:御殿場市)出身。御殿場農業学校(現:静岡県立御殿場高等学校)を経て、1914年早稲田工手学校卒。卒業後は山梨県林業技士となり、その後は地元御殿場で土木・電気工事請負や畜産業を営んだ。 1932年の第18回衆議院議員総選挙に静岡2区から立憲政友会公認で立候補し初当選。次の1936年の第19回衆議院議員総選挙で再選。1937年の第20回衆議院議員総選挙では落選した。1942年の第21回衆議院議員総選挙(いわゆる「翼賛選挙」)では非推薦で立候補して当選した。
高瀬 荘太郎(たかせ そうたろう、旧字体:髙瀨莊太郎 189… 高瀬 荘太郎(たかせ そうたろう、旧字体:髙瀨莊太郎 1892年3月9日 - 1966年9月4日)は会計学者、政治家。正三位勲一等瑞宝章。
戸塚 九一郎(とつか くいちろう、1891年3月27日 - … 戸塚 九一郎(とつか くいちろう、1891年3月27日 - 1973年10月13日)は、日本の官僚、政治家。位階は正三位。 衆議院議員(3期)、徳島県知事、山口県知事、宮城県知事(第28代)、福岡県知事、北海道庁長官(第25代)、労働大臣(第8代)、建設大臣(第8代、第9代)、北海道開発庁長官(第5代、第6代)、衆議院議員(3期)を務めた。 静岡県出身。酒造業・町長、戸塚藤平の三男として生まれる。掛川中学(現在の静岡県立掛川西高等学校)、一高を経て、1917年7月、東京帝国大学法科大学法律学科(独法)を卒業。同年11月、内務省に入り香川県属となり内務部地方課に配属。1918年10月、高等試験行政科試験に合格。
加藤 七郎(かとう しちろう、1889年(明治22年)9月1… 加藤 七郎(かとう しちろう、1889年(明治22年)9月11日 - 1944年(昭和19年)8月23日)は、昭和時代戦前の政治家。実業家。衆議院議員。静岡県会議長。 静岡県、のちの浜松市上池川町(現・浜松市中央区布橋一丁目)出身。旧制浜松中学校中退。 浜松市会議員、静岡県会議員、同副議長、同議長、浜松市茶業組合長、静岡県茶業組合連合常議員、全国茶業組合中央会議員、日本紅茶、東亜製茶各監査役、東海精機重工業社長、遠州鉱物工業組合理事長を歴任した。 1942年(昭和17年)4月の第21回衆議院議員総選挙では静岡県第3区から翼賛政治体制協議会の推薦を受け出馬し当選。在任中に死去した。
海野 数馬(うんの かずま、1889年(明治22年)6月22… 海野 数馬(うんの かずま、1889年(明治22年)6月22日 - 1971年(昭和46年)1月4日)は、明治時代後期から昭和時代の政治家、実業家。衆議院議員(3期)。 静岡市に生まれる。大井善吉の三男として生まれ、のち先代平作の養子となり1916年(大正5年)家督を相続し前名勇吉を改める。静岡県立静岡中学校退学。1911年(明治44年)日本大学法律科を卒業する。請負業を営む傍ら、静岡県農会議員、静岡県会議員を務めた。ほか財界では、昭和工業、昭和木材各社長を歴任した。 1928年(昭和3年)2月の第16回衆議院議員総選挙では静岡県第1区から立憲民政党所属で出馬し当選。つづく第17回、第18回総選挙でも当選し衆議院議員を3期務めた。
清 寛(きよし かん / せい ゆたか、1887年〈明治20… 清 寛(きよし かん / せい ゆたか、1887年〈明治20年〉3月13日 - 1966年〈昭和41年〉9月30日)は、日本の政治家。衆議院議員(4期)。 静岡県富士郡青木村(富丘村青木を経て現富士宮市)で、清重太郎、ゆう夫妻の息子として生まれた。名古屋市会議員、大蔵省委員、名古屋製紙、中央紙業、紙業新聞、中外商事、太陽製紙、帝国製紙各(株)取締役社長や重役、岐阜新聞、岐阜製紙、平湯温泉土地、濃飛印刷各(株)社長となる。 1932年の第18回衆議院議員総選挙において岐阜1区(当時)から立憲民政党公認で立候補して初当選。以来連続4回当選する。1942年の第21回衆議院議員総選挙では大政翼賛会の推薦を受けて当選する。
太田 正孝(おおた まさたか、1886年〈明治19年〉11月… 太田 正孝(おおた まさたか、1886年〈明治19年〉11月13日 - 1982年〈昭和57年〉7月10日)は、日本の大蔵官僚、政治家。衆議院議員(7期)、参議院議員(1期)。 静岡県出身。静岡商業学校、七高を経て、1912年に東京帝国大学法科大学経済学科(現・東京大学経済学部)を卒業し、大蔵省に入省(東京税務監督局兼主税局)。後に主計官となる。 1919年退官。政界入りするまでに報知新聞社副社長、中央大学教授等を務める。1924年には経済学博士号を取得。 1930年の第17回衆議院議員総選挙に立憲政友会公認で立候補し初当選。その後大蔵参与官、大蔵政務次官などを歴任。1939年の政友会分裂に際し金光庸夫、犬養健らとともに中立派に属す。
大橋 亦兵衛(おおはし またべえ、1884年(明治17年)2… 大橋 亦兵衛(おおはし またべえ、1884年(明治17年)2月11日 - 1946年(昭和21年)10月16日)は、大正から昭和時代戦前の政治家。治水家。衆議院議員。静岡県会議長。静岡県磐田郡井通村長。俳号は天竜。 大橋頼摸の長男として、静岡県豊田郡小立野村(豊田郡井通村、磐田郡井通村、豊田村、豊田町を経て現磐田市)に生まれる。1912年(大正元年)家督を相続する。書籍業を営む。浜松中学校を卒業する。 井通村会議員、同村長を経て、1919年(大正8年)静岡県会議員に当選。1926年(大正15年)同議長に推された。1928年(昭和3年)2月の第16回衆議院議員総選挙では静岡県第3区から立憲政友会所属で出馬し当選。
金子 彦太郎(かねこ ひこたろう、1883年〈明治16年〉1… 金子 彦太郎(かねこ ひこたろう、1883年〈明治16年〉12月15日 - 1963年〈昭和38年〉12月4日)は、昭和時代の政治家。衆議院議員。静岡県富士郡今泉村長、吉原市長。静岡県会議長。大日本帝国陸軍軍人。最終階級は陸軍砲兵少尉。富士市名誉市民。 金子利七の長男として静岡県富士郡今泉村(吉原町、吉原市を経て現富士市)に生まれる。小学校卒業後、静岡中学校に学び、野球部(現在の静岡高校野球部)に所属した。1905年(明治38年)札幌農学校林学科を卒業。翌年の1906年(明治39年)9月、陸軍に入り、陸軍砲兵少尉に進み、1910年(明治43年)除隊帰郷した。 1921年(大正10年)今泉村会議員に当選。
今井 健彦(いまい たけひこ、1883年(明治16年)7月2… 今井 健彦(いまい たけひこ、1883年(明治16年)7月22日 - 1966年(昭和41年)1月20日)は、日本の衆議院議員(立憲政友会)、文部政務次官、商工政務次官、農林参与官。ジャーナリスト。歌人の今井邦子は妻。坂本龍馬暗殺の犯人とされる今井信郎の三男。 静岡県榛原郡初倉村(現在の島田市)に村長今井信郎の三男として生まれる。『中央新聞』『中外商業新報』記者を経て、福井日報社社長となった。 1924年(大正13年)、第15回衆議院議員総選挙に出馬し、当選。第21回衆議院議員総選挙まで7回連続当選を果たした。その間、犬養内閣で農林参与官を、平沼内閣で商工政務次官を、小磯内閣で文部政務次官を務めた。
大塚 甚之助(おおつか じんのすけ、1883年(明治16年)… 大塚 甚之助(おおつか じんのすけ、1883年(明治16年)3月13日 - 1951年(昭和26年)3月19日)は、大正から昭和時代の政治家。実業家。醸造家。衆議院議員。静岡県会議長。 静岡県志太郡藤枝宿(藤枝町を経て現藤枝市)出身。生家は酒造業を営み、父の先代大塚甚之助は志太電気会社や藤相鉄道などを創設した実業家。 藤枝町長、同町会議員、静岡県会議員、同副議長、議長、静岡県鉄工組合連合会理事、同酒造組合連合会長、全国酒造組合中央会理事、藤相鉄道監査役、静岡県酒類販売社長を歴任した。 1946年(昭和21年)4月の第22回衆議院議員総選挙では静岡全県区から出馬し当選。衆議院議員を1期務めた。議員在任中は日本自由党総務、衆議院請願委員長を務めた。
八木 元八(やぎ もとはち、1883年(明治16年)2月10… 八木 元八(やぎ もとはち、1883年(明治16年)2月10日 – 1946年(昭和21年)10月29日)は、衆議院議員、外交官。 静岡県榛原郡相良町(現在の牧之原市)出身。1902年(明治35年)、外務省留学生試験に合格し、サンクトペテルブルク・アモイに留学した。1906年(明治36年)、外務書記生となり、アモイ、奉天、香港、漢口、ニューヨークに勤務した。1918年(大正7年)より長沙副領事、北京副領事、天津副領事、青島領事、ニューオーリンズ領事を歴任した。1928年(昭和2年)よりハルビン総領事を務めた。 退官後は鴨緑江採木公司理事長、鴨緑江製材株式会社代表、安東市商工公会会長などを務めた。
山口 忠五郎(やまぐち ちゅうごろう、1882年(明治15年… 山口 忠五郎(やまぐち ちゅうごろう、1882年(明治15年)1月3日 - 1955年(昭和30年)10月18日)は、日本の政治家。衆議院議員(5期)。幼名・治作。 静岡県志太郡西益津村(藤枝町を経て現藤枝市大手)出身。先代忠五郎の息子として生まれ、忠五郎を襲名した。西益津高等小学校、永井東陵の私塾育英学校で学んだ。 農業に従事し、西益津村長、同村会議員、志太郡会議員、静岡県会議員、同副議長、同議長、全国町村会会長を歴任し、1928年の第16回衆議院議員総選挙で静岡1区(当時)から立憲政友会公認で立候補して初当選。1930年の第17回衆議院議員総選挙では落選。1932年の第18回衆議院議員総選挙から4回連続当選した。
岩崎 彦雄(いわさき ひこお、1881年(明治14年)12月… 岩崎 彦雄(いわさき ひこお、1881年(明治14年)12月1日 - 1956年(昭和31年)6月29日)は、明治時代後期から昭和時代前期の政治家、実業家。衆議院議員(1期)。 素封家・岩崎彦左衛門の長男として、のちの静岡県安倍郡麻機村(現静岡市葵区)に生まれる。26歳にして麻機村農会長に選ばれ、安倍郡農会幹事を経て、30歳の時、麻機村長に就任する。さらに翌年、安倍郡農会長を経て、静岡県会議員に当選。ついで33歳の時、静岡県柑橘組合連合会長に推された。ほか、日本農具、静岡賤機焼陶業、日本山羊各社長を歴任した。 1915年(大正4年)3月の第12回衆議院議員総選挙では静岡県郡部から出馬し当選。衆議院議員を1期務めた。
山本 勝次(やまもと かつじ、1880年(明治13年)10月… 山本 勝次(やまもと かつじ、1880年(明治13年)10月12日 - 1928年(昭和3年)1月10日)は、明治から昭和時代初期の政治家。衆議院議員(1期)。 山本庄次郎の二男として静岡県浜名郡白須賀宿伝馬街(白須賀町、湖西町を経て現湖西市)に生まれる。小学校を卒業後、敷知郡新所村(浜名郡新所村、湖西町を経て現湖西市)の湖西高等小学校から浜松中学校を経て、1900年(明治33年)東京専門学校政治経済学科を卒業する。浜名郡会議員、白須賀町会議員、同町長、静岡県会議員、浜名郡農会長、県農会、県蚕業組合、県畜産組合の役員などを歴任した。1924年(大正13年)5月の第15回衆議院議員総選挙では静岡県第9区から憲政会所属で出馬し当選したが、任期満了を待たずして死去した。
津倉 亀作(つくら かめさく、1879年(明治12年)9月1… 津倉 亀作(つくら かめさく、1879年(明治12年)9月1日 - 1947年(昭和22年)2月27日)は、昭和時代の政治家。実業家。立憲民政党所属の衆議院議員。 静岡県磐田郡掛塚町長。大日本帝国陸軍軍人。最終階級は陸軍主計中尉。 静岡県長上郡、のちの磐田郡掛塚町(竜洋町を経て現磐田市)出身。津倉勘六の弟として生まれ先代の津倉録平の養子となり1891年(明治24年)家督を相続する。日露戦争に従軍し、陸軍主計中尉に進む。 掛塚町会議員、磐田郡会議員、浜松市会議員、静岡県会議員、掛塚町長、所得税調査委員などを歴任。また材木商を営み、浜松商工会議所副会頭、浜松倉庫、浜松合同運送各取締役社長、遠州銀行、帝国製帽、浜松貯蓄銀行各監査役を務めた。
岩崎 勲(いわさき いさお、1878年(明治11年)2月25… 岩崎 勲(いわさき いさお、1878年(明治11年)2月25日 – 1927年(昭和2年)1月18日)は、日本の弁護士、弁理士、政治家。衆議院議員(静岡県第五区選出、当選4回)。族籍は静岡県士族。 静岡県駿東郡八幡村(清水村八幡を経て現清水町)の人である。三嶋大社の禰宜岩崎元功の長男。家は代々八幡神社の社掌だったが、父の代に至って三嶋神社の禰宜を兼ねた。 静岡県尋常中学校、第一高等学校を経て東京帝国大学に入る。在学中には各大学の同志とともに青年革進協会を組織してその幹部となり、雑誌『革進』の編集主任を務めた。 1903年(明治36年)、東京帝国大学法科大学法律学科(仏法)を卒業、同年文官高等試験に合格したが、官界には入らず弁護士・特許弁理士となった。
河井 彌八(かわい やはち、1877年(明治10年)10月2… 河井 彌八(かわい やはち、1877年(明治10年)10月24日 - 1960年(昭和35年)7月21日)は、日本の官僚・政治家。侍従次長や参議院議長(第4代)を歴任する。静岡県出身。 静岡県佐野郡上張村にて生まれた。1897年(明治30年)静岡県尋常中学校卒業。1904年(明治37年)7月、東京帝国大学法科大学政治学科を卒業。 内務省に入省して佐賀県内政部長代理などを歴任する。1918年(大正7年)に内閣法制局に移り、翌年に貴族院書記官長、1926年に内大臣府秘書官長となった。1927年(昭和2年)から侍従次長兼皇后宮大夫、1930年(昭和5年)から7年間にわたって皇后宮大夫兼侍従次長として昭和天皇・香淳皇后の側近として仕えた。
宮本 雄一郎(みやもと ゆういちろう、1877年(明治10年… 宮本 雄一郎(みやもと ゆういちろう、1877年(明治10年)9月12日 - 1945年(昭和20年)5月7日)は、大正から昭和時代戦前の政治家。衆議院議員。静岡県会議長。静岡県小笠郡朝比奈村長。前名は熊太郎。 静岡県城東郡、のちの朝比奈村(小笠郡朝比奈村、浜岡町を経て現御前崎市)に生まれる。1898年(明治31年)宮本庄平の婿養子となり熊太郎から雄一郎に改名した。 1907年(明治40年)朝比奈村会議員に選ばれ、以後同村助役、村長と1942年(昭和17年)まで33年間に渡り村政を担当し、河川改修、砂防、郡道、県道の新設などに尽くした。 1901年(明治34年)小笠郡農会農事巡回教師、小笠郡農会長、1924年(大正13年)静岡茶業組合理事を歴任し茶業を振興した。
松城 兵作(まつしろ ひょうさく、1874年(明治7年)4月… 松城 兵作(まつしろ ひょうさく、1874年(明治7年)4月26日 - 1942年(昭和17年)2月8日)は、明治から昭和時代前期の政治家、実業家。衆議院議員(1期)。 静岡県田方郡戸田村(現沼津市)出身。先代松城兵作の長男として生まれ、1892年(明治25年)1月、家督を相続する。 農業を営む傍ら、静岡県会議員、地方森林会議員、静岡県山林会常議員、同水産会、同漁業連合会各顧問を歴任した。財界では、松崎水力電気取締役、沼津回漕店取締役社長を務めた。1912年(明治45年)5月の第11回衆議院議員総選挙では静岡県郡部から立憲政友会所属で出馬し当選。衆議院議員を1期務めた。
寺崎 乙治郎(てらさき おとじろう、1872年4月8日〈旧暦… 寺崎 乙治郎(てらさき おとじろう、1872年4月8日〈旧暦明治5年3月1日〉 - 1937年〈昭和12年〉1月22日)は、日本のジャーナリスト、政治家。雅号は斗南(となん)。 合資会社静岡新報社での勤務を経て、株式合資会社静岡新報社主筆、静岡市会議員、静岡県会議員、静岡県会議長(第24代)などを歴任した。 静岡県出身のジャーナリストである。静岡新報社で主筆を務めるなど、地域の論壇で重きをなしていた。その傍らで、静岡市会議員や静岡県会議員など政治家としても活動した。 1872年(旧暦明治5年3月1日)、浜松県城東郡、のちの静岡県小笠郡佐束村に該当する地域で生まれた。 1901年(明治34年)2月1日に静岡新報社に入社した。
仁田 大八郎(にった だいはちろう 、1871年11月19日… 仁田 大八郎(にった だいはちろう 、1871年11月19日(明治4年10月7日) - 1945年(昭和20年)3月1日)は、明治から昭和時代前期の静岡県田方郡で活躍した実業家、政治家。
加藤 定吉(かとう さだきち、1871年2月1日(明治3年1… 加藤 定吉(かとう さだきち、1871年2月1日(明治3年12月12日) - 1934年(昭和9年)4月14日)は、明治から大正時代の政治家、実業家。衆議院議員(3期)。 のちの静岡県城東郡土方村(小笠郡土方村、城東村、大東町を経て現掛川市)に生まれる。土方嶺小学校、韮山の伊豆学校を経て、1891年(明治24年)慶應義塾大学部を卒業する。ドイツ人の経営するイリス商会、横浜貿易商会、兜町金万商会と転じた。日清戦争後の1895年(明治28年)に台湾に渡り、さらに義和団の乱が勃発すると中国に渡り、天津や北京で請負雑貨商を営み巨万の富を築いた。 1915年(大正4年)3月の第12回衆議院議員総選挙では静岡県郡部から出馬し当選。
尾崎 元次郎(おざき もとじろう、1870年10月5日(明治… 尾崎 元次郎(おざき もとじろう、1870年10月5日(明治3年9月11日)- 1945年(昭和20年)1月9日)は、日本の政治家、実業家。衆議院議員、貴族院議員。 現在の静岡県静岡市出身。尾崎伊兵衛の長男。1890年(明治23年)静岡県立尋常中学校を卒業。 日清戦争・日露戦争に従軍し、陸軍歩兵大尉に昇る。退役後、茶業・林業の経営を行い、静岡銀行監査役、静岡地方森林会議員、静岡市奨兵会長、静岡県勧善会理事、静岡市消防組頭などを務める。 1912年(明治45年)5月の第11回衆議院議員総選挙に静岡県静岡市区から出馬し当選。1917年(大正6年)4月の第13回総選挙まで当選し連続3期を務める。政党は中正会、正交倶楽部に所属した。
松本 君平(まつもと くんぺい、明治3年4月10日(1870… 松本 君平(まつもと くんぺい、明治3年4月10日(1870年5月10日) - 昭和19年(1944年)7月28日)は、静岡県出身のジャーナリスト、政治家、教育者、思想家。文学博士、衆議院議員。 妻は旧土佐藩士・岡内重俊の娘「壽(ひさ)」。 遠江国小笠郡中内田村(現:静岡県菊川市)の初代村長・松本丑太郎の二男として中内田村213番地に生まれる。幼名は貞次郎。母は木佐森茂助の三女「幸(こう)」。長じて岡田淡山の私塾・冀北学舎で国学・漢学・英語を3年間学んだ後、東京に遊学した。 1887年(明治20年)8月31日、名を「君平」と改める。 1890年(明治23年)9月11日、兄・栄太郎が廃嫡し、同月17日、静岡県佐野郡西郷村の松浦五平治の養子となって家を出た為、君平が惣領息子となる。
増田 次郎(ますだ じろう、慶応4年2月26日〈1868年3… 増田 次郎(ますだ じろう、慶応4年2月26日〈1868年3月19日〉 - 1951年〈昭和26年〉1月14日)は、明治末期から昭和初期にかけて活動した日本の実業家・政治家。 後藤新平秘書から衆議院議員となり、さらに実業界に転じて電気事業に参加。大同電力社長、日本発送電(日発)初代総裁、台湾電力(台電)社長などを務めた。駿河国(現・静岡県)出身。 増田次郎は慶応4年2月26日(明治元年、新暦:1868年3月19日)、駿河国志太郡稲川村(現・静岡県藤枝市)に増田儀右衛門の次男として生まれた。生家は120俵あまりの収穫がある比較的裕福な農家で、父儀右衛門は戸長に選ばれるような村の有力者であった。 小学校を出た後、世継ぎであり体の丈夫な兄・太郎に農業を継がせるので次郎は商人になるのがよい、という父の意向で、13歳のとき奉公に出され六合村にあった親類の商家に預けられた。