山崎 善郎(やまざき よしお、1934年1月5日 - )は、… 山崎 善郎(やまざき よしお、1934年1月5日 - )は、日本の経営者。リンナイ社長を務めた。 愛知県出身。1952年に松蔭高等学校を卒業し、同年に林内製作所(のちのリンナイ)に入社。1967年5月に取締役に就任し、1975年5月に常務、1979年6月に専務を経て、1985年6月に副社長に就任し、2001年6月には社長に昇格。2005年11月に高齢で社長を退任。
和田 明広(わだ あきひろ、1934年1月3日 - 2022… 和田 明広(わだ あきひろ、1934年1月3日 - 2022年3月13日)は、日本の実業家。元トヨタ自動車副社長。元アイシン精機代表取締役会長。第76期日本機械学会会長。藍綬褒章受章。愛知県名古屋市出身。 1956年、名古屋大学工学部卒業。同年、トヨタ自動車工業(現トヨタ自動車)に入社。主にボディー設計のエンジニアとしてコロナ、セリカなどの車種開発に従事。1986年トヨタ自動車取締役、1994年同社副社長に就任。トヨタ自動車副社長の時には、プロジェクトの最高責任者として、プリウスの開発を指揮した。その後、1999年アイシン精機代表取締役会長に就任。2005年からは相談役に就任している。
黒川 孝雄(くろかわ たかお、1934年(昭和9年) - )… 黒川 孝雄(くろかわ たかお、1934年(昭和9年) - )は、日本の実業家。 愛知県出身。愛知県立津島高等学校を1952年(昭和27年)に卒業して、その年名古屋大学経済学部に入学し1956年3月(昭和31年)に卒業した。 無類の読書家で蔵書は一万冊を超える。 高校・大学時代は山男で北アルプスを闊歩した。
金田 正一(かねだ まさいち、1933年8月1日 - )は、… 金田 正一(かねだ まさいち、1933年8月1日 - )は、愛知県中島郡平和村(現・稲沢市)出身の元プロ野球選手(投手)・監督、解説者・評論家、実業家・タレント。愛称は「カネやん」「カネさん」。
三輪 尚治(みわ なおはる、1933年3月 - )は、日本の… 三輪 尚治(みわ なおはる、1933年3月 - )は、日本の実業家。名港海運代表取締役社長や、東海港運協会副会長等を務めた。黄綬褒章受章。 1951年愛知県立明和高等学校卒業。1955年早稲田大学教育学部卒業。1956年名港海運入社。1978年名港海運取締役輸出第二部長に昇格。1983年名港海運常務取締役。1988年名港海運専務取締役。1991年名郵不動産取締役。1991年Meiko Trans Canada, Inc.取締役会長。1995年名港海運取締役副社長。2001年から名港海運代表取締役社長及び名港陸運取締役を務め、情報技術の活用などを進めた。2007年名港海運取締役相談役に退いた。東海港運協会副会長等も歴任し、2010年秋の叙勲で黄綬褒章を受章した。
立石 孝雄(たていし たかお、1932年11月2日 - 19… 立石 孝雄(たていし たかお、1932年11月2日 - 1995年11月22日)は、日本の経営者。立石電機(現在のオムロン)社長を務めた。愛知県名古屋市出身。創業者の立石一真の長男 1956年に京都大学工学部電気工学科を卒業し、同年に立石電機(現在のオムロン)に入社。1959年9月に取締役に就任し、1960年9月に常務を経て、1962年9月に副社長に就任し、1979年6月には社長に昇格。温厚な人柄とバランス感覚が優れていることで知られており、多角化と国際化を推進し、経営基盤を固めた。1987年6月に会長に就任。1995年4月から京都商工会議所副会頭、1995年5月から関西経済連合会副会長を務めた。
佐藤 大治(さとう だいじ、1932年9月19日 - 200… 佐藤 大治(さとう だいじ、1932年9月19日 - 2007年5月4日)は、日本の経営者。名鉄百貨店社長を務めた。 愛知県名古屋市出身。1955年に関西学院大学商学部を卒業し、同年に名鉄百貨店に入社。1974年10月に取締役に就任し、常務、専務を経て、1992年5月に副社長に就任し、1995年5月には社長に昇格。2001年5月に会長に就任。 2007年5月4日に悪性リンパ腫のために死去。85歳没。 この項目は、人物に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(プロジェクト:人物伝、Portal:人物伝)。
矢入 一男(やいり かずお 1932年(昭和7年)7月27日… 矢入 一男(やいり かずお 1932年(昭和7年)7月27日 - 2014年(平成26年)3月5日)は、日本の実業家、ギター製造職人。現代の名工。ヤイリギター社長。
大橋 正昭(おおはし まさあき、1932年6月 - )は、日… 大橋 正昭(おおはし まさあき、1932年6月 - )は、日本の実業家。愛知製鋼代表取締役社長や、日本金属学会会長、ファインセラミックスセンター理事長、学校法人名城大学理事長などを務めた。藍綬褒章受章。 愛知県出身。愛知一中入学後、在学中に学制改革が起こり、愛知県立旭丘高等学校を卒業。東北大学大学院工学研究科修士課程修了後、1957年トヨタ自動車工業(現トヨタ自動車)入社。労働組合書記長、取締役、常務取締役、専務取締役を経て、1992年愛知製鋼取締役副社長。愛知製鋼で取締役社長や、取締役会長、相談役を歴任した。 1990年ファインセラミックスセンター理事長。1993年日本金属学会会長。1997年中部実業団陸上競技連盟会長。
安井 治雄(やすい はるお、1932年2月11日 - 200… 安井 治雄(やすい はるお、1932年2月11日 - 2003年10月30日)は、日本の経営者。ユニー社長を務めた。 愛知県知多郡東浦町出身。1954年に岐阜薬科大学製造薬学科を卒業し、同年に中外貿易に入社。1957年にエーザイを経て、1960年に西川屋(のちのユニー)に転じ、1963年に取締役に就任し、1979年5月に専務、1984年1月に副社長を経て、1990年2月に社長に就任。1991年5月から1993年5月までにに会長を務めた。 2003年10月30日動脈瘤破裂のために死去。71歳没。
広瀬 豊(ひろせ ゆたか、1932年(昭和7年)1月18日 … 広瀬 豊(ひろせ ゆたか、1932年(昭和7年)1月18日 - 2006年(平成18年)7月20日)は日本の実業家、編集者。陸上競技社設立者・元社長、元関東学生陸上競技連盟会長。苗字の広は正確には广に黄。 愛知県稲沢市に生まれる。愛知県立一宮高等学校を1950年(昭和25年)に卒業、1954年(昭和29年)に法政大学経済学部を卒業し、ベースボールマガジン社に入社。季刊だった『陸上競技マガジン』の編集長に就任し、月刊化する功績を果たしたものの退社。その頃教科書出版に進出する講談社から、保健体育の編集者として声を掛けられ入社し、同時に1967年(昭和42年)に陸上競技専門誌『月刊陸上競技』を創刊、編集長を務める。
田中 恭一(たなか きょういち、1931年7月8日 - 20… 田中 恭一(たなか きょういち、1931年7月8日 - 2024年3月10日)は、日本の実業家で、株式会社メニコンの創業者、会長。日本コンタクトレンズ協会名誉会長。愛知県葉栗郡木曽川町(現:一宮市)出身。 国民学校高等科を卒業後、手先の器用さを買われて名古屋市の老舗眼鏡店、玉水屋に勤務。そこに訪れたアメリカ軍将校夫人からコンタクトレンズを持っているという話を聞くものの、どうしても見せてもらえなかったことに発奮し、独学でレンズの開発に取り組む。デザインの設計から加工、装用実験など全て独自に行ない、1951年、それまで国内で研究されていた白目まで全てを被う強角膜コンタクトレンズではなく、現在のハードコンタクトレンズとほぼ同じ黒目のみを被うタイプを、日本で初めて開発した。
坂田 佳代(さかた かよ、1931年1月 - )は、愛知県碧… 坂田 佳代(さかた かよ、1931年1月 - )は、愛知県碧海郡新川町(現在の碧南市)出身の実業家・ジャーナリスト。『中部新報』を発行する中部新報社代表取締役社長。1992年(平成4年)に日本地方新聞協会の風雪賞を受賞。 「ローカル新聞の発行者としてはおそらく全国でもただ一人の女性」とされることがある。坂田は赤い原付で取材に走り回り、地元住民からは(「坂田記者」などではなく)「お佳代」「お佳代さん」「佳代さん」「佳代ちゃん」などと呼ばれた。 1931年(昭和6年)1月、愛知県碧海郡新川町(現在の碧南市)に生まれた。坂田家は安政年間(1855年~1860年)からこの地に住んでおり、三州瓦を伊勢国や志摩国に運搬して薪炭を持ち帰る入船問屋をしていた。
長谷川 武彦(はせがわ たけひこ、1931年 - 2024年… 長谷川 武彦(はせがわ たけひこ、1931年 - 2024年5月7日)は、日本の技術者、実業家。愛知県名古屋市出身。 1958年、ヤマハ技術研究所を経てヤマハ発動機株式会社に入社。同社では、オートバイのエンジン開発を担当するとともに、世界グランプリレース監督を務めた。また、名車と謳われた「トヨタ2000GT」の共同開発、ソフトバイク「パッソル」の開発などに関わり、同社社長(1994年~2001年)、会長(2001年~2003年)等を歴任した。 2004年4月旭日中綬章受章。 2024年5月7日、老衰のため死去。92歳没。 この項目は、人物に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(プロジェクト:人物伝、Portal:人物伝)。
清水 定彦(しみず さだひこ、1930年〈昭和5年〉12月1… 清水 定彦(しみず さだひこ、1930年〈昭和5年〉12月13日 - 2014年〈平成26年〉1月1日)は、日本の実業家、元東邦ガス社長、会長。
神野 信郎(かみの のぶお、1930年(昭和5年)8月2日 … 神野 信郎(かみの のぶお、1930年(昭和5年)8月2日 - 2018年(平成30年)11月12日 )は、日本の実業家。サーラグループ名誉顧問、中部ガス元社長、相談役。勲三等旭日中綬章。長男は神野吾郎。父は神野太郎。祖父は神野三郎。 祖父・神野三郎が創立した中部ガスの社長を29年間、会長を16年間にわたって務める一方、日本青年会議所会頭をはじめとして、豊橋商工会議所会頭、中部経済連合会副会長などを歴任。この功績から、2016年には豊橋市名誉市民に推挙された。 神野新田の管理のために八開村(現・愛西市)から移り住んだ神野金之助を初代とする神野家の4代目。出生地は父である神野太郎の仕事の関係で東京都であるが、1933年に豊橋市に転居。
江副 茂(えぞえ しげる、1930年2月22日 - 2017… 江副 茂(えぞえ しげる、1930年2月22日 - 2017年5月20日)は、日本の技術者、実業家。東陶機器(現TOTO)元社長江副孫右衛門の甥で、同社社長や会長、九州・山口経済連合会(現九州経済連合会)副会長、福岡県公安委員会委員長などを務めた。正四位勲二等瑞宝章。 関東州大連市生まれ。東陶機器(現TOTO)社長を務めた江副孫右衛門は伯父。愛知県立旭丘高等学校1期を経て、1955年名古屋大学工学部機械学科卒業、東洋陶器入社。水栓金具技術者としてウォシュレット等の開発を手掛けた。 東陶機器常務、専務、副社長を経て、1992年から社長を務め、アジア進出などを進めた。1998年から会長。 2001年勲二等瑞宝章受章。
齊藤 喜幸(さいとう きこう、1930年1月30日 - 20… 齊藤 喜幸(さいとう きこう、1930年1月30日 - 2007年9月6日 )は、日本の経営者。松坂屋社長、会長を務めた。 愛知県名古屋市出身。1951年に三重水産専門学校を卒業し、翌年に松坂屋に入社。1982年5月に取締役に就任し、常務、専務を経て、1989年5月に副社長に就任し、1991年5月に社長に就任。1993年5月に会長に就任し、1997年までに務めた。 中京テレビ放送非常勤取締役も務めた。 2007年9月6日胃がんにより、死去。77歳没。 この項目は、人物に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(プロジェクト:人物伝、Portal:人物伝)。
豊田 達郎(とよだ たつろう、1929年6月1日 - )は、… 豊田 達郎(とよだ たつろう、1929年6月1日 - )は、日本の実業家。学位は経営学修士(ニューヨーク大学経営大学院)。トヨタ自動車株式会社相談役、公益財団法人トヨタ財団会長(第2代)、学校法人トヨタ学園理事長(第2代)。
友松 建吾(ともまつ けんご、1929年 <昭和4年> 5月… 友松 建吾(ともまつ けんご、1929年 <昭和4年> 5月5日 - 2003年 <平成15年> 4月3日)は、日本の経営者。古河電気工業社長、会長を務めた。位階は正四位。 愛知県名古屋市出身。1952年に東京大学法学部を卒業し、同年に古河電気工業に入社。1977年6月に取締役に就任し、1982年6月に常務、1985年6月に専務、1987年6月に副社長を経て、1989年6月に社長に就任。1995年6月に会長に就任。 1993年4月に藍綬褒章を受章し、1999年11月に勲二等旭日重光章を受章。 2003年4月3日呼吸不全のために死去。73歳没。死没日付をもって正四位に叙された。
澤木 秀夫(さわき ひでお、1928年10月1日 - 201… 澤木 秀夫(さわき ひでお、1928年10月1日 - 2018年5月21日)は、日本の実業家。丸栄代表取締役社長や、同社代表取締役会長、中部百貨店協会会長などを務めた。 愛知県出身。愛知県第一中学校(現愛知県立旭丘高等学校)を経て、1949年名古屋経済専門学校(現名古屋大学経済学部)卒業、東海銀行入行。東海銀行専務などを経て、1986年丸栄副社長。1989年丸栄社長。1996年キタン会会長。1998年丸栄会長。2001年退任。中部百貨店協会会長なども務めた。2018年肺炎のため死去。享年89。
日比 賢昭(ひび よしあき、1928年9月15日 - 201… 日比 賢昭(ひび よしあき、1928年9月15日 - 2012年9月29日)は、日本の経営者。サンゲツ社長、会長を務めた。 愛知県名古屋市出身。1947年に旧制名古屋中学校を卒業し、同年に家業の山月堂商店(のちのサンゲツ)に入社。1953年に常務に就任し、1963年に専務を経て、1965年に社長に就任。2012年9月に会長に就任。 2009年4月に旭日小綬章を受章 2012年9月29日心不全のために死去。84歳没。
白井 文吾(しらい ぶんご、1928年〈昭和3年〉1月27日… 白井 文吾(しらい ぶんご、1928年〈昭和3年〉1月27日 - 2024年〈令和6年〉10月29日)は、愛知県渥美郡田原町(現:田原市)出身の日本の新聞記者、実業家。株式会社中日新聞社顧問名誉会長。株式会社中日ドラゴンズ名誉オーナー。 株式会社中日新聞社代表取締役社長・会長、株式会社中日ドラゴンズオーナー、株式会社ナゴヤドーム代表取締役社長、一般社団法人共同通信社理事会長、東海テレビ放送取締役、名古屋市教育委員会委員長、日本新聞協会理事を歴任した。 愛知県成章中学校(現:愛知県立成章高等学校)、静岡高等学校(現:静岡大学)を卒業後、1949年(昭和24年)中部日本新聞社(現:中日新聞社)に入社する。
立松 延廣(たてまつ のふひろ、1927年10月2日 - )… 立松 延廣(たてまつ のふひろ、1927年10月2日 - )は、日本の経営者。井村屋社長を務めた。 愛知県名古屋市出身。1952年に名古屋大学法学部政治学科を卒業し、同年に東海銀行に入行。1977年に井村屋取締役に就任し、1979年に常務、1983年に専務、1985年に社長に就任。1991年に会長を経て、1997年6月に取締役相談役に就任。
盛田 正明(もりた まさあき、1927年5月29日 - )は… 盛田 正明(もりた まさあき、1927年5月29日 - )は、日本の実業家。ソニー副社長、ソニー・アメリカ会長、ソニー生命保険社長・会長を歴任した。 愛知県名古屋市出身。実家は江戸時代創業の老舗造り酒屋『盛田』。三人兄弟の末子で、長兄にはソニー創業者のひとりである盛田昭夫、次兄には盛田を引き継いだ盛田和昭(和昭の妻は大日本紡績常務田代重三の四女)がいる。義兄(姉の夫)はソニー元社長の岩間和夫。母方の祖父は旧大垣藩家老家で大垣共立銀行頭取の戸田鋭之助で、母方の伯父には実業家の戸田直温・戸田良直兄弟がおり、早川種三は母の従兄弟にあたる。 愛知県立第一中學校(旧制愛知一中・現 愛知県立旭丘高等学校)時代はバレーボール部に入り、セッターとしてプレーしていた。
三輪 隆康(みわ たかやす、1927年 <昭和2年> 1月2… 三輪 隆康(みわ たかやす、1927年 <昭和2年> 1月21日 - 2013年 <平成25> 1月14日)は、日本の経営者。興和社長、会長を務めた。位階は正五位。 愛知県名古屋市出身。1950年に慶應義塾大学経済学部を卒業し、同年に興服産業(のちの興和)に入社。1951年に取締役に就任し、1959年8月には社長に昇格。1995年8月に会長に就任。 1990年3月に名古屋商工会議所副会頭に、1994年7月に愛知県公安委員長にそれぞれ就任。 1985年4月に藍綬褒章を受章し、1998年11月に勲三等瑞宝章を受章。 2013年1月14日肺炎のために死去。85歳没。死没日付をもって正五位に叙された。
内藤 明人(ないとう あきと、本名・内藤 進、ないとう すす… 内藤 明人(ないとう あきと、本名・内藤 進、ないとう すすむ、1926年3月29日 - 2017年3月20日)は、日本の経営者、リンナイ株式会社社長、会長や、社団法人日本ガス石油機器工業会会長、中部経済同友会代表幹事、名古屋商工会議所副会頭などを歴任した。 愛知県名古屋市生まれ。父は、林兼吉とともに林内商会(後の林内製作所〜リンナイ)を創業した内藤秀次郎で、その三男として生まれた。旧制明倫中学校(現愛知県立明和高等学校)、旧制第八高等学校から東京大学工学部に進んで、機械工学を学び、村田一、山口開生、石川六郎らと交わる。卒業後は大企業へ就職するつもりだったが、兄が第二次世界大戦で戦死したため事業の後継者と期待され、1948年に大学を卒業し、林内商会に入社した。
佐橋 薫(さはし かおる、1925年(大正14年)6月28日… 佐橋 薫(さはし かおる、1925年(大正14年)6月28日 - 2015年(平成27年)4月28日)は、日本の政治家、実業家。愛知県小牧市長(4期)、愛知県議会議員(5期)。 愛知県小牧市生まれ。小学校3年生のとき、養鶏業を営んでいた父親を亡くす。新聞配達やおけ製造職人見習いなどを経て、1952年(昭和27年)6月、味岡木毛合資会社(現・佐橋工業株式会社)を設立した。愛知県青年団協議会の会長時代に青年会館建設に奔走。これがきっかけで政治の道に入り、1959年(昭和34年)の愛知県議会議員選挙に無所属で立候補するが次点で落選。1963年(昭和38年)4月、県議選に自民党公認で立候補し初当選。同年中京大学専科を中退。
佐伯 進(さえき すすむ、1925年5月13日 - 2021… 佐伯 進(さえき すすむ、1925年5月13日 - 2021年7月1日)は、日本の実業家。ノリタケカンパニーリミテド社長・会長や、中部経済同友会代表幹事、学校法人名城大学理事長を務めた。勲三等瑞宝章、スリランカラトナ勲章、藍綬褒章受章。 愛知県で佐伯卯四郎(のちに日本陶器社長・会長)の子として生まれる。 旧制愛知一中(のちの愛知県立旭丘高等学校)を経て、1943年東京商科大学(のちの一橋大学)予科入学、1945年陸軍予備士官学校卒業。1948年旧制東京商科大学(のちの一橋大学)を卒業し、日本陶器入社。大学では古川栄一ゼミナールに所属。 日本陶器では一貫して営業畑を歩み、本社での営業やニューヨークに通算17年駐在を経て、1971年取締役、1973年常務取締役、1981年専務取締役、1985年代表取締役副社長。
豊田 章一郞(とよだ しょういちろう、1925年(大正14年… 豊田 章一郞(とよだ しょういちろう、1925年(大正14年)2月27日 - )は、日本の実業家、技術者。勲等は桐花大綬章。学位は工学博士(名古屋大学・1955年)。トヨタ自動車株式会社名誉会長、日本経済団体連合会名誉会長、株式会社デンソー取締役、東和不動産株式会社取締役会長、社会福祉法人恩賜財団済生会会長、学校法人海陽学園理事長(初代)、学校法人トヨタ学園理事。
鈴木 哲夫(すずき てつお、1924年12月5日 - 201… 鈴木 哲夫(すずき てつお、1924年12月5日 - 2015年6月15日)は、日本の技術者、実業家。HOYA中興の祖・元名誉会長。 愛知県瀬戸市生まれ。1943年東京工業大学(のちの東京科学大学)付属高等工業教員養成所卒業。 1944年東洋工学硝子製造所(現HOYA)技術長。1949年同社取締役工場長に昇格。1957年に岳父であり同社創業者の山中茂が病で倒れたため、その跡を受けて代表取締役社長に就任、5年間で売り上げを10倍の20億円に拡大し、社名を保谷硝子に変更、1961年に東証2部に株式上場を果たしたが、昭和40年不況により赤字・無配となり、1967年相談役に降格。 1970年代表取締役社長に復帰。
蟹江 英吉(かにえ えいきち、1924年9月28日 - 20… 蟹江 英吉(かにえ えいきち、1924年9月28日 - 2023年12月16日)は、日本の経営者。カゴメ株式会社社長を務めた。 愛知県知多郡上野町(現・東海市)出身。1942年(昭和17年)に愛知県安城農林学校を卒業し、愛知トマト製造株式会社(のちのカゴメ株式会社)に入社。東海市には蟹江という姓が多く、父親はカゴメ創業者の蟹江一太郎の協力者であったものの、蟹江一太郎と血縁関係はない。戦前には羊羹状の固形ケチャップを呉の海軍に納めていた。召集されて入隊したが戦地に赴くことはなく、世田谷の陸軍本部で1945年(昭和20年)8月の終戦を迎えた。 24歳だった1949年(昭和24年)、愛知トマト製造から改称した愛知トマト株式会社の取締役に就任した。
長谷川 薫(はせがわ かおる、1924年4月15日- 200… 長谷川 薫(はせがわ かおる、1924年4月15日- 2004年1月9日 )は、日本の経営者。レンゴー社長、会長を務めた。 愛知県名古屋市出身。1945年5月25日、長谷川薫大尉は特攻機に乗り沖縄で被弾する。米駆逐艦キャラハンに救助される。1952年に学習院大学政経学部を卒業し、同年に聯合紙器(のちのレンゴー)に入社した。1961年に監査役に就任し、1962年5月に常務、1970年5月に専務を経て、1973年2月に副社長に就任し、1984年6月には社長に昇格した。包装機械や紙器などの関連分野に進出し、業務内容を拡大し、東南アジアや中国にも事業を拡げた。コンピューターを使った管理システムを導入し、1999年にはセッツとの合併を主導した。
髙野 鎮雄(たかの しずお、1923年8月18日 - 199… 髙野 鎮雄(たかの しずお、1923年8月18日 - 1992年1月19日)は、日本ビクターの元副社長。事業部長だった頃にVHSの開発を指揮し、「VHSの父」「ミスターVHS」と呼ばれる。1986年に副社長に就任した。 愛知県碧海郡依佐美村(現・安城市)出身。旧制刈谷中学校(現・愛知県立刈谷高等学校)、浜松高等工業学校精密機械科(現・静岡大学工学部)を卒業。 日本光学工業(現・ニコン)に入社後、応召。1946年、日本ビクターに入社。 1986年6月、副社長に就任。エミー賞受賞。1989年、藍綬褒章受章。 1992年1月19日、死去。68歳没。墓は刈谷市の昌福寺にある。 VHS開発の経緯はNHKのドキュメンタリー番組「プロジェクトX〜挑戦者たち〜」で2000年4月4日に放送された「窓際族が世界規格を作った~VHS・執念の逆転劇~」で紹介され、大きな反響を呼んだ。
稲垣 正夫(いながき まさお、1922年10月27日 - 2… 稲垣 正夫(いながき まさお、1922年10月27日 - 2015年4月16日)は、日本の実業家。外務省勤務を経て1956年に広告代理店の旭通信社(現・ADKホールディングス)を創業した。 日本広告業協会副理事長、日本広告業厚生年金基金理事長などを歴任した。
米倉 功(よねくら いさお、1922年5月25日 - 201… 米倉 功(よねくら いさお、1922年5月25日 - 2015年12月6日)は日本の実業家。伊藤忠商事の社長・会長、経済団体連合会副会長を務めた。勲一等瑞宝章、藍綬褒章、トルコ共和国功労勲章受章。
生島 実(實、いくしま みのる、1921年 <大正10年> … 生島 実(實、いくしま みのる、1921年 <大正10年> 6月12日 - 2004年 <平成16年> 12月11日)は、日本の経営者。北海道ガス社長を務めた。位階は正五位。 愛知県名古屋市出身。1947年に慶應義塾大学経済学部を卒業し、1948年に東京ガスに入社。1972年9月に取締役に就任し、1973年9月に常務、1977年1月に専務を経て、1981年7月に副社長に就任し、1985年6月には北海道ガス社長に就任。1990年6月に取締役相談役に就任。 1991年11月に勲三等旭日中綬章を受章した。 2004年12月11日肺水腫のために死去。83歳没。死没日付をもって正五位に叙された。 この項目は、人物に関連した書きかけの項目です。
盛田 昭夫(もりた あきお、1921年1月26日 - 199… 盛田 昭夫(もりた あきお、1921年1月26日 - 1999年10月3日)は、日本の技術者、実業家。井深大と共に、電気機器メーカーソニー創業者の一人。1992年(平成4年)、名誉大英帝国勲章を受勲。
野々川 大介(ののがわ だいすけ、1921年1月15日 - … 野々川 大介(ののがわ だいすけ、1921年1月15日 - 2019年8月4日)は、日本の実業家。日本メナード化粧品の創業者。愛知県小牧市出身。 1935年に篠岡高等小学校を卒業。1941年に野々川産業を設立し、1950年にダリヤ商事社長を経て、1959年に日本メナード化粧品社長に就任し、1990年には会長に就任。1987年にはメナード美術館を開館させた。 1980年に藍綬褒章を受章し、1991年に勲三等瑞宝章を受章。 2019年8月4日老衰のために死去。98歳没。
野々川 美寿子(ののがわ みつこ、みづこ、1920年〈大正9… 野々川 美寿子(ののがわ みつこ、みづこ、1920年〈大正9年〉3月26日 - 1987年〈昭和62年〉7月)は、日本の実業家。日本メナード化粧品創業者。 愛知県東春日井郡篠岡村大字大草において、稲垣美寿子として生まれる。1942年(昭和17年)、野々川大介と結婚。名古屋市中村区上米野町に文具および事務用品を商う店を構えた。 1959年(昭和34年)には「メナード」と称する総合化粧品会社を設立。メナードは訪問販売による化粧品販売であり、当初は理解されず苦労した。 女性の美との関連で多くの美術品を収集。社会還元のために美術館設立に奮闘したが、実現を見ることなくこの世を去った。
矢橋 浩吉(やばし こうきち、1919年3月15日 - 20… 矢橋 浩吉(やばし こうきち、1919年3月15日 - 2016年10月6日)は、昭和期の実業家。元揖斐川電気工業(現・イビデン)社長。愛知県名古屋市出身。旧制名古屋高等商業学校卒。 旧姓は亀山。父・亀山恭平、母・正子の三男。時期は不明だが、矢橋家(大垣市赤坂町の県内屈指の旧家)に婿入りしている。 在任中はプリント配線板、セラミックスといった事業を育て、今日のイビデンの主力事業の礎を築いた。その一方、オイルショック等の影響で業績が悪化したため、1976年に緊急合理化対策を発表し、大量の人員整理等を行った。さらに事業の分社化を行い、イビデン電子工業、イビデングラファイト、イビデン計算センター(現・タック)、イビデン興産)などを設立した。
柴田 泰男(しばた やすお、1919年〈大正8年〉3月3日 … 柴田 泰男(しばた やすお、1919年〈大正8年〉3月3日 - 2014年〈平成26年〉4月16日)は日本の実業家、元豊田通商社長。元トヨタ自動車・元愛知陸運各監査役。元豊田理化学研究所監事。愛知県瀬戸市出身。 この項目は、人物に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(プロジェクト:人物伝、Portal:人物伝)。
岩間 和夫(いわま かずお、1919年2月7日 - 1982… 岩間 和夫(いわま かずお、1919年2月7日 - 1982年8月24日)は日本の技術者、経営者、実業家である。第4代ソニー社長。トランジスタに着目し、日本における半導体産業の基盤を創った男ともいわれた。愛知県名古屋市出身。
鈴木 正雄(すずき まさお、1918年(大正7年)8月29日… 鈴木 正雄(すずき まさお、1918年(大正7年)8月29日 - 2007年(平成19年)12月10日)は、日本の実業家。松坂屋社長・会長。愛知県岡崎市出身。 1936年、岡崎市立商業学校(現・愛知県立岡崎商業高等学校)卒業後、松坂屋に入社。 1972年、取締役名古屋店長に就任し、伊藤鈴三郎社長の片腕として頭角を現し、常務、専務を経て、1978年副社長となる。 1980年、会長の16代目・伊藤次郎左衛門(伊藤祐茲)は、任期半ばの弟・鈴三郎に辞任を迫り、長男・伊藤洋太郎を社長の座に据える。鈴三郎は一族の序列をわきまえて沈黙を守ったが、彼の腹心たちはこの不条理な行為を許さなかった。 1984年12月、16代目が死去し、会長が空席になると、1985年1月に鈴木は会長に就任した。
柴田 秀利(しばた ひでとし、1917年7月 - 1986年… 柴田 秀利(しばた ひでとし、1917年7月 - 1986年11月)は、日本のジャーナリスト、実業家。日米にまたがる広い人脈を駆使して、日本へのテレビ導入と日本テレビ設立、原子力利用、ゴルフブームに重要な役割を果たした。正力松太郎とも深く関係している。
小島 要治(こじま ようじ、1917年2月28日 - 199… 小島 要治(こじま ようじ、1917年2月28日 - 1991年10月23日)は、日本の経営者。カゴメ社長、会長を務めた。愛知県名古屋市出身。 1935年、旧制愛知県熱田中学校(現・愛知県立瑞陵高等学校)を卒業し、同年に愛知トマト製造(現在のカゴメ)に入社した。1949年に取締役に就任し、1962年に常務、1969年に副社長を歴任し、1979年から1982年までに社長を務めた。 1991年10月23日、心不全のために死去。74歳没。
大隈 孝一(おおくま こういち、1915年12月22日 - … 大隈 孝一(おおくま こういち、1915年12月22日 - 1997年8月23日)は、日本の経営者。大隈鉄工所(のちのオークマ)社長、会長を務めた。愛知県名古屋市出身。 1940年に東京帝国大学工学部機械工学科を卒業し、1943年に大隈鉄工所に入社した。副社長などを歴任し、1948年から1978年までに社長を務めた。 名古屋青年会議所初代会頭、中部経済連合会副会長、名城大学理事長、南山大学非常勤講師なども務めた。1977年に藍綬褒章を受章し、1992年に勲三等旭日中綬章を受章した。 1997年8月23日脳梗塞のために死去。81歳没。
岡谷 康治(おかや やすはる、1915年9月9日 - 199… 岡谷 康治(おかや やすはる、1915年9月9日 - 1996年3月21日)は、日本の実業家。岡谷鋼機創業家十二代目当主で、同社代表取締役社長や、中部経済同友会代表幹事、名古屋商工会議所副会頭等を務めた。 愛知県名古屋市出身。愛知県第一中学校(現愛知県立旭丘高等学校)を経て、1937年名古屋高等商業学校(現名古屋大学経済学部)卒業。1941年に東京商科大学(現一橋大学)卒業後、鉄鋼統制会に入る。 1945年鉄鋼統制会を退職し、岡谷鋼機取締役に就任。1948年常務。1958年社長。1982年からはキタン会会長も務め、1990年から岡谷鋼機会長となった。 中部経済同友会代表幹事、名古屋商工会議所副会頭、愛知県日韓協会副会長などを歴任し、大隈鐵工所取締役、中部日本放送取締役、旭精機工業監査役、愛知時計電機監査役、名古屋鉄道監査役、東邦瓦斯監査役を兼務した。
古川 勝巳(ふるかわ かつみ、1914年9月21日 - 19… 古川 勝巳(ふるかわ かつみ、1914年9月21日 - 1986年7月12日)は日本ヘラルド映画代表取締役社長。本名は古川 一巳(ふるかわ かつみ)。愛知県名古屋市中区出身。父はヘラルドグループ創業者の古川為三郎。 出生地は名古屋市であったが、父の経営する古川商店の東京進出の関係で東京に住み、橋本小学校に入学する。しかし、関東大震災を機に父が東京支店を畳むことになったため、南久屋小学校(現・名古屋市立栄小学校)に転入した。1927年に愛知県惟信中学校に入学し、1931年に名古屋高等商業学校へと進んだ。1935年に同校を卒業すると同時に資生堂に入社。1939年に結婚した。1956年に父親が立ち上げたヘラルド映画の設立に参加、同社初代代表取締役社長となる。
平岩 外四(ひらいわ がいし、1914年(大正3年)8月31… 平岩 外四(ひらいわ がいし、1914年(大正3年)8月31日 - 2007年(平成19年)5月22日)は、愛知県常滑市出身の財界人、経営者。東京電力会長、第7代日本経済団体連合会(経団連)会長(在任、1990年(平成2年)12月21日 - 1994年(平成6年)5月27日)。 1987年(昭和62年)に名誉大英帝国勲章KBE受勲[要出典]。1997年(平成9年)、レジオンドヌール勲章受勲[要出典]。2006年(平成18年)秋の叙勲にて桐花大綬章を受章。 6歳で父親を亡くし、母親に育てられる。愛知県立第七中学校(現・愛知県立半田高等学校)の入学祝いに母親から夏目漱石全集を贈られる。一族から大学進学を反対されるが、母親が反対を押し切り、旧制第八高等学校を経て東京帝国大学法学部法律学科へと進学させた。