得丸 伸二(とくまる しんじ、1959年2月25日 - )は… 得丸 伸二(とくまる しんじ、1959年2月25日 - )は、日本の俳優。文学座所属。京都府出身。
京都府:104人
得丸 伸二(とくまる しんじ、1959年2月25日 - )は… 得丸 伸二(とくまる しんじ、1959年2月25日 - )は、日本の俳優。文学座所属。京都府出身。
太川 陽介(たがわ ようすけ、1959年〈昭和34年〉1月1… 太川 陽介(たがわ ようすけ、1959年〈昭和34年〉1月13日 - )は、日本の俳優、タレント、司会者、YouTuber、元アイドル歌手。京都府中郡大宮町(現・京丹後市)出身。サンミュージックプロダクション所属。妻は女優の藤吉久美子。 1975年に公開された桜田淳子主演映画『スプーン一杯の幸せ』の相手役オーディションに応募するも、そのときすでに締め切りを過ぎていたため選外となった。しかし、その履歴書がスタッフの目に留まったことが芸能界デビューのきっかけとなった。上京にあたり、京都府立峰山高等学校から日本学園高等学校へ転校。 1976年、「陽だまりの中で」でレコードデビュー。デビュー時のキャッチフレーズは「昇れ!太陽くん」。
段田 安則(だんた やすのり、1957年1月24日 - )は… 段田 安則(だんた やすのり、1957年1月24日 - )は、日本の俳優・声優・ナレーター・司会者。京都府京都市山科区(出生当時は東山区)出身。シス・カンパニー所属。 京都市立花山中学校、龍谷大学付属平安高等学校卒業。 立命館大学文学部日本文学専攻中退後、劇団青年座附属の青年座研究所に入所、第5期生として1981年卒業。同年、野田秀樹主宰の「夢の遊眠社」入団、1992年の劇団解散まで主力俳優として活動。 1996年、『ふたりっ子』で主人公の父親役を好演(同作以降、大石静脚本の常連出演者である)。シリアスもコミカルも巧みにこなす名バイプレイヤーとして活躍。2009年の『夜の来訪者(英語版)』では演出にも挑戦した。
武見 龍磨(たけみ りょうま、本名:武田 良史、1955年1… 武見 龍磨(たけみ りょうま、本名:武田 良史、1955年1月3日 - )は、日本の俳優、演出家、演劇企画室「劇論◎三者会談」主宰。京都市生まれ。母親は元大映女優の小柳圭子。 1973年、京都市私立東山高等学校卒業後、京都造形芸術学院(旧藤川学園)グラフィックデザイン科に入学。1975年卒業後、京都の中堅広告代理店に入社。グラフィック・デザイナーとして活動する。 1977年、広告代理店を退社すると同時にグラフィック・デザイナーを廃業。俳優を志し上京する。劇団青俳の付属俳優養成所に入り、1年間の基礎訓練を受ける。本科終了後、1980年俳優事務所の現代制作舎に所属。また、1981年名倉ジャズダンススタジオに入り名倉加代子に師事。
国広 富之(くにひろ とみゆき、1953年4月23日 - )… 国広 富之(くにひろ とみゆき、1953年4月23日 - )は、日本の俳優。京都府京都市左京区出身。所属事務所は長らく山田栖峯子事務所だったが、2011年4月1日より高岡事務所に所属している。京都学園大学経済学部卒業。愛称はトミー。ファッションモデル兼女優の谷内里早は、実娘。現在は東京都在住。
植木 義晴(うえき よしはる、1952年(昭和27年)9月1… 植木 義晴(うえき よしはる、1952年(昭和27年)9月16日 - )は、日本の実業家、操縦士、元俳優、元日本航空株式会社会長。 京都府出身。父は昭和期の剣戟映画の大スターであった俳優の片岡千恵蔵で、千恵蔵が49歳の時に生まれた子である。5人兄弟の4番目。実兄に植木基晴、実姉に女優の植木千恵がいる。1956年からの3年間、『黒田騒動』(1956)『赤穂浪士 天の巻 地の巻』(1956)『大菩薩峠 第二部』(1958)『大菩薩峠 完結篇』(1959)など子役としての映画出演もあるが、演技でうまく泣けなかった時に、千恵蔵から頬を叩かれたのをきっかけに俳優を辞めた。 京都教育大学附属高等学校卒業後、慶應義塾大学法学部を1年で中退し航空大学校に入学。
ひさうち みちお(1951年11月17日 - )は、日本の漫… ひさうち みちお(1951年11月17日 - )は、日本の漫画家、イラストレーター、エッセイスト、俳優。京都府京都市出身。本名は久内道夫。1976年に、『パースペクティブ・キッド』が「ガロ」の新人賞に入選し、以後は同誌を中心に漫画作品を発表した。作画には製図ペンを用いる。『理髪店主の悲しみ』は2002年に映画化された。また、俳優として笑殺軍団リリパットアーミーや、映画・CMなどに出演している。
小林 薫(こばやし かおる、1951年9月4日 - )は、日… 小林 薫(こばやし かおる、1951年9月4日 - )は、日本の俳優、馬主。ニコフイルム所属。 京都府生まれ。京都府立洛東高等学校卒業。1971年から1980年まで唐十郎が主宰する状況劇場に在籍。退団の際、その才能を惜しんだ唐が説得のために包丁持参で小林の住むアパートを訪れるも、危機を感じた小林が先に逃げ出して説得は失敗、そのままうやむやのうちに退団を認めたというエピソードがある[出典無効]。 役者以外にも、声優としてアニメ映画『もののけ姫』や『ゲド戦記』に出演し、ドキュメンタリー番組『美の巨人たち』(テレビ東京)ではナレーションも務めている。 糸井重里とは30年来の友人である。 1984年に中村久美と結婚するが、1995年に離婚。
白井 滋郎(しらい じろう、1950年9月18日 - )は、… 白井 滋郎(しらい じろう、1950年9月18日 - )は、日本の俳優。 京都府出身。兵庫県立三木高等学校卒業。旧芸名は、白井孝史、白井孝志。 高倉健に会いたい一心で東映入りする。東映入社後は川谷拓三、小林稔侍らと共にピラニア軍団の一員として、ヤクザ映画の端役として出演した。 高倉とは背格好が似ていたため、吹き替えもしばらく担当していた。 1973年、『狂走セックス族』で当初主演だった白石襄が撮影中のバイク事故で負傷して降板したため、代役として主人公に抜擢()される。 『暴れん坊将軍』では、め組の若い衆・常吉役でレギュラー出演していた。また渡瀬恒彦主演の『おみやさん』では、ピラニア軍団メンバーだった片桐竜次演じる刑事課長の部下の刑事役でレギュラー出演していた。
団 時朗(だん じろう、1949年〈昭和24年〉1月30日 … 団 時朗(だん じろう、1949年〈昭和24年〉1月30日 - 2023年〈令和5年〉3月22日)は、日本の俳優。旧芸名は、団 次郎や団 次朗(いずれも読みは同じ)。本名は村田 秀雄(むらた ひでお)。 京都府京都市出身。平安高等学校卒業。生前はアルファエージェンシーに所属していた。 イギリス系アメリカ人の父と小唄の師匠である日本人の母の間に生まれたハーフ。 1966年、母が知り合いである大映の三隅研次監督に頼み、勝新太郎主演の『酔いどれ博士』の端役で俳優デビュー。同年に髙島屋と提携したピエール・カルダンのスーツを一度に3着購入するほどファッションへの想いが強かったことからも、1967年3月に平安高等学校を卒業するとただちに上京し、セントラルファッションに所属する。
中 康次(なか こうじ、1948年6月26日 - 2015年… 中 康次(なか こうじ、1948年6月26日 - 2015年12月19日)は、日本の俳優。旧芸名は中 康治(読み同一)、中 孝舟()。本名は福中 康治。 京都府京都市出身。京都府立嵯峨野高等学校卒業。 高校時代に父が病死し、高校卒業直後に上京。ファッションモデル、CMモデルの仕事をしながら生計を立てていた。 1979年、映画『戦国自衛隊』では上杉と武田の争う真っ只中にタイムスリップする自衛隊員を演じ、191cmの長身と甘いマスクで正統派の二枚目として注目を集めた。以後、『柳生あばれ旅』(テレビ朝日)、『宮本武蔵』(NHK)、『スケバン刑事』(フジテレビ)などのテレビドラマで活躍。 1986年の東京宝塚劇場『三味線お千代』で初舞台を踏んでからは、多くの舞台にも出演した。
壤 晴彦(じょう はるひこ、1948年1月25日 - )は、… 壤 晴彦(じょう はるひこ、1948年1月25日 - )は、日本の俳優、声優、演出家。京都府京都市出身。ヘリンボーン所属。 演劇倶楽部『座』主宰。略字:壌晴彦。かつては麦 草平の芸名でも活動していた。 京都府京都市出身。実家は料亭を経営していた。京都市立堀川高等学校、同志社大学経済学部卒業。 高校時代に惚れ込んだ狂言大藏流、茂山千五郎(現茂山千作・人間国宝)に弟子入りし師事。だがある時、「毎日お狂言の稽古の声が聞こえてくるような環境に育った者が相手では、もうどうにもならない」と考えたことがきっかけで狂言からは離れる。 狂言を離れてからも「芝居はやりたい」という思いがあり、別の側面から興味を持っていたフランス演劇をしようと劇団四季に入団。
塩見 三省(しおみ さんせい、1948年〈昭和23年〉1月1… 塩見 三省(しおみ さんせい、1948年〈昭和23年〉1月12日 - )は、日本の俳優。本名同じ。京都府綾部市出身。同志社大学卒業。身長177 cm、体重72 kg。 1978年に演劇集団 円に入団。演劇『幕末純情伝』『熱海殺人事件』や1980年代はテレビドラマ、1990年代から映画にも活動の場を拡げ、『12人の優しい日本人』『Love Letter』に出演した。 『アウトレイジ ビヨンド』及び『アウトレイジ 最終章』での凄味のあるヤクザの若頭補佐から、『モリのアサガオ』の看守長に代表される人情味あふれる人格者まで、現在は名脇役として活躍している。2013年にはNHK連続テレビ小説『あまちゃん』に出演し「琥珀の勉さん」役を演じて注目を集めた。
岸部 一徳(きしべ いっとく、本名:岸部 修三(きしべ しゅ… 岸部 一徳(きしべ いっとく、本名:岸部 修三(きしべ しゅうぞう)、1947年1月9日 - )は、日本の俳優、ミュージシャン。旧芸名:岸部 修三(きしべ おさみ)、岸部 おさみ。愛称:サリー[4]、一徳兄さん。ザ・タイガース、PYG、井上堯之バンドのベーシスト。身長181cm。京都府京都市出身。京都市立伏見工業高等学校建築科[4]卒業。所属事務所はアン・ヌフ。
北村 晃一(きたむら こういち、1946年7月8日 - )は… 北村 晃一(きたむら こういち、1946年7月8日 - )は、日本の俳優。本名同じ。 京都府京都市出身。身長172cm。京都府立桃山高等学校、多摩芸術学園(現・多摩美術大学)卒業。 1969年、新国劇に入り俳優となる。 1970年『新網走番外地 大森林の決斗』で準主役に抜擢されて以降、東映の映画やテレビドラマに出演し、テレビでは『特別機動捜査隊』(NET)や『イナズマン』(同)にレギュラー出演した。『イナズマン』では主人公の相棒・丸目豪作を演じ、共演した伴大介は「自分の存在意義をわきまえて、譲るべきところは譲るということがきちんとできる役者だった」と評している。また、当時すでに既婚者であった。 その後は、時代劇などの悪役に転じ、映像作品を中心に活躍。
石田 太郎(いしだ たろう、本名:石田 弦太郎(いしだ げん… 石田 太郎(いしだ たろう、本名:石田 弦太郎(いしだ げんたろう)。1944年3月16日 - 2013年9月21日)は、日本の男性俳優、声優、僧侶。別名義として本名のほか、石田 絃太郎(いしだ げんたろう)を1980年代の一時期に使用していた。京都府京都市出身。 父は俳優の石田茂樹。妻は女優の立花房子。 上智大学外国語学部イスパニア語学科中退。 劇団雲、劇団昴、野間事務所、オフィスPSCなどを経て、最後はグランパパプロダクションに所属していた。 浄土真宗本願寺派の僧侶でもあり、石川県金沢市乗敬寺の住職も務めた。 2013年9月21日午後1時頃、フジテレビ系で放送された連続ドラマ『独身貴族』第1話の収録において、神奈川県相模原市緑区の城山スタジオにて水着姿でプールに入っての撮影後、突然意識を失って倒れた。
清水 綋治(しみず こうじ、1944年〈昭和19年〉2月11… 清水 綋治(しみず こうじ、1944年〈昭和19年〉2月11日 - )は、日本の俳優。京都府京都市左京区出身。活動屋所属。元妻は女優の大谷直子。娘は女優の華子。 実家は東映の京都撮影所や松竹の京都撮影所のある太秦、父は映画プロデューサーという環境で育ち、少年時代から映画などに出演。 京都府立嵯峨野高等学校を卒業後、俳優座養成所の第14期生となる。同期は串田和美、吉田日出子、佐藤信、樋浦勉、原田芳雄、新橋耐子、有川博、辻萬長など。 文学座の研究生を経て1966年夏に「劇団自由劇場」を串田、吉田、佐藤ら14名と共に旗揚げ。その後、佐藤と黒色テント68/71(現・黒テント)の設立にも関わるなど、いわゆるアングラ演劇で活躍。
田村 正和(たむら まさかず、1943年〈昭和18年〉8月1… 田村 正和(たむら まさかず、1943年〈昭和18年〉8月1日 - 2021年〈令和3年〉4月3日)は、日本の俳優。京都府京都市右京区太秦生まれ。東京都世田谷区育ち。成城大学経済学部卒業。最終所属は自身の個人事務所である新和事務所。 阪東妻三郎の三男で、長兄の田村高廣、弟の田村亮と共に、「田村三兄弟」と呼ばれるが、実際には次兄の田村俊磨を含め4兄弟である。異母弟に俳優の水上保広。家族は妻(一般人女性)と娘。 父・阪東妻三郎が建てた阪妻プロダクションの跡地に建つ東映京都撮影所近くの京都太秦に生まれる。その後同じ京都の嵯峨野に移住した。小学4年生(9歳)の時に父・阪東妻三郎を亡くすが、翌年小学5年生の時に世田谷・成城へ移住。
山前 五十洋(やまさき いそみ、1943年4月28日 - 2… 山前 五十洋(やまさき いそみ、1943年4月28日 - 2020年4月5日)は、日本の実業家、映画監督、俳優である。京都市出身。関西大学法学部2部中退。娘は歌手の倉木麻衣。父は詩人の山前実治。 京都府京都市下京区に生まれ。厳格な父親は京都で出版社、印刷会社を経営する傍ら詩人としても活動し、比較的裕福な家庭で育つ。3歳頃に父親の故郷、岐阜県大野郡荘川村(現在の高山市)へ一時疎開している。小学校入学時は京都市東山区に居住し、小学校5年生から新聞配達などを務める。 京都市立日吉ヶ丘高等学校2年生時、少年画報連載中の堀江卓原作「天馬天平」がフジテレビでテレビ映画化された際、一般公募3万人中から主役天平役に抜擢され、当時の編成局長草間浩之が8チャンネルにちなみ芸名を富士八郎とする。
北大路 欣也(きたおおじ きんや、1943年〈昭和18年〉2… 北大路 欣也(きたおおじ きんや、1943年〈昭和18年〉2月23日 ‐ )は、日本の俳優、声優。本名、淺井 将勝(あさい まさかつ)。京都府京都市紫竹出身。ホリプロ・ブッキング・エージェンシー所属。 父は戦前の時代劇から戦後の東映時代劇全盛時代に活動した映画俳優の市川右太衛門。芸名の由来は右太衛門の邸宅が京都市内の北大路に在ったことから、右太衛門が「北大路の御大」と呼ばれていたため。田村正和など同世代の俳優仲間からは「きんやちゃん」と呼ばれている[要出典]。 市川右太衛門の次男として生誕。京都市立紫竹小学校、同志社香里中学校から暁星中学校に編入。暁星高等学校を卒業後、早稲田大学第二文学部演劇専修卒業。
近藤 正臣(こんどう まさおみ、1942年〈昭和17年〉2月… 近藤 正臣(こんどう まさおみ、1942年〈昭和17年〉2月15日 - )は、日本の俳優。星野事務所を経て、シーズ・マネージメント所属。身長172cm(1972年3月)。本名、川口 正臣。 京都市東山区(現在の山科区域)に生まれる。母親は元祇園の芸妓であった。父方の叔父に人間国宝で染付けの大家・近藤悠三(1902年 - 1985年)、曾祖父に幕末の尊王攘夷運動家の近藤正慎がいる。清水寺の境内にある舌切茶屋は近藤正慎の子孫が営む茶屋である。 2歳で父を亡くし、河原町三条で小料理店を営む母の手一つで育てられる。 京都府立洛東高等学校に入学。演劇部に所属し、ボクシングも習っていた。高校演劇コンクールでは、銀賞を受賞している。
志賀 勝(しが まさる、1942年〈昭和17年〉1月13日 … 志賀 勝(しが まさる、1942年〈昭和17年〉1月13日 - 2020年〈令和2年〉4月3日)は、日本の俳優・歌手・タレント。 京都府京都市出身。東映俳優センター、RIKIプロジェクト、ケイズファクトリーを経て、ウォークオン(制作プロダクションおよび広告代理店)に業務提携の形で籍を置いていた。 本名は亀山勝彦(かめやま・かつひこ)。父親は東映時代劇で活躍した加賀邦男。兄は俳優・亀山達也。平安高等学校卒業。1960年に東映京都に入社。 東映京都撮影所の大部屋俳優出身であり、下積み時代は時代劇やヤクザ映画の斬られ役などが主だった。後にピラニア軍団として売り出す室田日出男・川谷拓三・岩尾正隆らと『仁義なき戦い』シリーズに出演。
杉山 元(すぎやま はじめ、1941年7月22日 - )は、… 杉山 元(すぎやま はじめ、1941年7月22日 - )は、日本の元俳優。本名同じ。 京都府出身。身長163cm。立命館高等学校卒業。父は撮影技師であった杉山公平。兄は元俳優の杉山俊夫。 俳優として活動していた兄の後をおって、1960年に日活に入社。歌唱及びギターを得意としており、1962年には兄・俊夫、日活の俳優仲間であった山内賢、木下雅弘、和田浩治とともにヤングアンドフレッシュというバンドを結成し、レコードをリリース。また、彼らをフィーチャーした映画も数本製作された。 その後も多数の映画に出演したが、1970年に日活を離れフリーとなる。フリーとなってからはテレビに活動の場を移し、円谷プロ制作の特撮ドラマ『ミラーマン』『ジャンボーグA』などに出演する。
津田 喬(つだ たかし、1941年5月6日 - )は、日本の… 津田 喬(つだ たかし、1941年5月6日 - )は、日本の俳優、声優、ナレーター。京都府出身。京都市立伏見工業高等学校卒。リベルタ所属。特技はウクレレ、京言葉。実父は翻訳家の津田穣。 劇団俳優座養成所第12期生として俳優デビュー。同期には東野英心、松山英太郎など。その他、劇団東宝現代劇、劇団仲間、劇団河にも在籍していた。 演劇、テレビ、ラジオ、日本舞踊の舞台の黒子兼司会者など幅広く活動し、ボランティアではデイサービスでの舞踊司会者、ウクレレ弾き語りなどを披露している。
津川 雅彦(つがわ まさひこ、1940年〈昭和15年〉1月2… 津川 雅彦(つがわ まさひこ、1940年〈昭和15年〉1月2日 - 2018年〈平成30年〉8月4日)は、日本の俳優・映画監督・芸能プロモーター・時事評論家。 芸能事務所グランパパプロダクションに所属し、同社の代表取締役を務めた。位階は従五位。 俳優としては1956年の映画『狂った果実』が本格デビューであり、1959年に木下恵介監督の『惜春鳥』、1960年には大島渚監督の『太陽の墓場』など多くの話題作に出演。1980年代以降は『マルサの女』や『スーパーの女』など伊丹十三監督作品に多数出演し存在感を示した。1999年には『プライド・運命の瞬間』で東條英機役を演じ日本アカデミー賞優秀主演男優賞を受賞。
西田 良(にしだ りょう、1939年1月20日 - )は、日… 西田 良(にしだ りょう、1939年1月20日 - )は、日本の俳優。京都府亀岡市保津町出身。本名および旧芸名は西田 良明。代表作は『燃えよ剣』の原田左之助。オフィス ユーリー所属。
山城 新伍(やましろ しんご、1938年〈昭和13年〉11月… 山城 新伍(やましろ しんご、1938年〈昭和13年〉11月10日 - 2009年〈平成21年〉8月12日)は、日本の俳優・司会者・タレント・映画監督・映画評論家・声優。大橋巨泉と同様、知的・反権力・少しエッチな芸風の司会者として活躍した。最終所属はオフィスタッチ。本名は渡辺 安治(わたなべ やすじ)。京都市上京区出身。 元妻は花園ひろみ、娘は南夕花。 京都府京都市で開業医の子として生まれる。京都府立山城高等学校卒業。高校ではラグビー部に入っていた。両親と同じ道に進もうと医大への進学を考えて大阪医科大学、関西医科大学を受験したが、いずれも不合格だった。 医師の道を諦め、時代劇スターに憧れ、エキストラをやった後、東映ニューフェイス第4期に応募して、1957年に東映へ入社。
泉 ひろし(いずみ ひろし、1938年6月25日 - )は、… 泉 ひろし(いずみ ひろし、1938年6月25日 - )は、元吉本新喜劇、松竹新喜劇の座員、元漫才師、俳優。本名は小泉賢麿。 京都府京都市の出身。最初は新劇・アクタープロ所属の役者。その後1957年に小人座に入座。1959年に柳枝劇団の三遊亭柳枝門下に入門、同年6月に柳豊作の名で柳万作と漫才コンビを結成し新花月で初舞台。1961年に松竹トンボリ座に入座し「泉ゆたか」の名でコメディアン。1964年から泉スナップの名で中田チャックとコンビを結成。1968年に解散し同年9月11日に吉本新喜劇入団、1991年よりライバルの松竹新喜劇に移籍。2000年4月に退団後はフリーの俳優でNHKなどのドラマに出演。
横井 徹(よこい とおる、1938年〈昭和13年〉3月3日 … 横井 徹(よこい とおる、1938年〈昭和13年〉3月3日 - )は、日本の俳優。京都府出身。身長170cm。体重70kg。血液型はO型。劇団朋友所属。劇団くるみ座付属研究所、劇団俳優座第13期生を経て、1964年に劇団新人会に入団。以前は六芸社、九プロダクションに所属していた。京都府立山城高等学校卒業。
小川 欽也(おがわ きんや、1934年12月28日 - 20… 小川 欽也(おがわ きんや、1934年12月28日 - 2024年12月10日)は、日本の映画監督、脚本家、俳優、映画プロデューサーである。監督としての別名に三川 和久(みかわ かずひさ)、小川 卓寛(おかわ たかひろ)、小川 和久(おかわ かずひさ)、上田 光生(うえだ みつお)があり、俳優としては姿 良三(すがた りょうぞう)、脚本家としては水谷 一二三(みずたに ひふみ)と名乗る。成人映画の黎明期からの映画作家として知られ、異分野で活躍する山本晋也を除けば、成人映画の世界で長く現役として作品を発表し続けた人物であった。監督作は400本を超える。 1934年(昭和9年)12月28日、京都府京都市下京区烏丸通綾小路下ルに生まれる。
林 彰太郎(はやし しょうたろう、1934年6月21日 - … 林 彰太郎(はやし しょうたろう、1934年6月21日 - 2000年代)は、日本の俳優。京都府京都市北区出身。本名は高橋 徹(たかはし とおる)。別名は池 徹(いけ とおる)。 京都府立山城高校卒業後、同志社大学経済学部に進学するが1958年に中退し、松竹俳優養成所に入る。同年、池 徹の芸名で『七人若衆大いに売り出す』で映画初出演。1960年に東映へ移籍し、林 彰太郎と改名。東映京都撮影所を拠点に活動した。 嶋田景一郎・坂口祐三郎と共に三野郎として売り出されていた。身長180cmの体格を活かし、時代劇・アクション映画・ヤクザ映画などの脇役を演じてきた。晩年は東映太秦映画村の俳優養成所で講師として後進の育成に当たった。
長門 裕之(ながと ひろゆき、1934年〈昭和9年〉1月10… 長門 裕之(ながと ひろゆき、1934年〈昭和9年〉1月10日 - 2011年〈平成23年〉5月21日)は、日本の俳優。昭和時代の日活映画の「青春スター」。(今村昌平監督と組んだ)『にあんちゃん』で1959年(昭和34年)のブルーリボン男優主演賞受賞。『豚と軍艦』『秋津温泉』などで主演。テレビドラマなどでも活躍。俳優の津川雅彦は実弟。 歌舞伎俳優の沢村国太郎を父に、女優のマキノ智子を母に、本名 加藤 晃夫(かとう あきお)として、京都府京都市中京区で誕生。両親もそうだが、祖父は「日本映画の父」と呼ばれる牧野省三、狂言作者の竹芝伝蔵、叔父に加東大介、叔母に沢村貞子がいるという演劇・映画などを本業とする芸能一家の一員として誕生。
田中 浩(たなか ひろし、1934年〈昭和9年〉1月1日 -… 田中 浩(たなか ひろし、1934年〈昭和9年〉1月1日 - 1993年〈平成5年〉1月2日)は、日本の俳優。本名は同じ。 京都府出身。京都商業高等学校卒業。オフィス青柳、ファミリープロに所属していた。 父は昭和初期から中期にかけて活躍した俳優・寺島貢、母は昭和初期の女優・対馬ルイ子。 東宝を経て三船プロダクションに入社し、殺陣師・久世竜に師事。当時は同社製作の映画・テレビのほぼすべてに脇役で出演しており、斬られ役などとして重用されていた。退社後は各社のテレビドラマ・映画に出演したが、アクション作品でのやくざ役、時代劇での悪代官役など悪役が多く、1979年の『戦国自衛隊』では武田信玄を演じた。一方、「わんぱくでもいい、たくましく育ってほしい」のキャッチコピーで知られる丸大食品のCMに長らく出演していたことから、その知名度は高かった。
芦屋 小雁(、1933年12月4日 - 2025年3月28日… 芦屋 小雁(、1933年12月4日 - 2025年3月28日)は、日本の喜劇俳優。本名は西部 秀郎()。所属事務所は小雁倶楽部、さち子プロ。 京都府京都市出身。生家は友禅染工場であったという。兄に俳優の芦屋雁之助、弟に芦屋雁平(初代芦屋凡凡)がいる。雁之助の娘の西部里菜は姪。父親も芸界が好きで、漫才師になり、雁之助と地方巡業していたことがあった。芸人にならなかった長兄は、京都の交通局に勤務したが、職場の劇団でプロレタリア演劇にかかわっていた。 旧制中学中退後、さまざまな職業についた後、絵が好きだったことから、商業美術の世界に入り、映画看板などを描く。 やがて、雁之助と漫才コンビ「若松ただし・きよし」を結成して活動する。
伊丹 十三(いたみ じゅうぞう、1933年5月15日 - 1… 伊丹 十三(いたみ じゅうぞう、1933年5月15日 - 1997年12月20日)は、日本の映画監督・俳優・脚本家・エッセイスト。本名は池内 義弘(いけうち よしひろ)。雑誌編集長・商業デザイナー・イラストレーター・CMプランナー・ドキュメンタリー映像作家としても活動し、料理通としても知られた。 監督デビューは51歳と遅咲きだったが、それまでに表現手段を追究する職を多数経験し、その集大成として映画に挑戦し、ヒットメーカーとなった。 1984年の監督デビュー作である『お葬式』からいきなり数々の映画賞を獲得するなど絶賛を浴びた。その後、『タンポポ』『マルサの女』『マルサの女2』『あげまん』『ミンボーの女』『大病人』『スーパーの女』『マルタイの女』などを演出し、いずれも大ヒットを記録した。
林 成年(はやし なりとし、1931年9月14日 - 200… 林 成年(はやし なりとし、1931年9月14日 - 2008年2月6日)は、日本の俳優。京都府京都市伏見区出身。慶應義塾大学文学部卒業。本名は長谷川 寿(はせがわ ひさし)。父は俳優の長谷川一夫。女優の長谷川季子、長谷川稀世は妹。妻は上田吉二郎の養女。 1937年、大阪歌舞伎座で初舞台、同年に父・一夫主演の映画『土屋主悦』で映画デビューした。大学卒業後は大映に入社し、『新・平家物語』、『赤胴鈴之助』シリーズなど数多くの映画に出演。1960年に大映を退社し、1962年、東宝に移った。以降は東宝歌舞伎にレギュラー出演するなど、舞台を中心に活躍した。他に杉良太郎などの舞台に客演した。 2008年2月6日、心不全のため死去、76歳だった。
芦屋 雁之助(あしや がんのすけ、1931年5月29日 - … 芦屋 雁之助(あしや がんのすけ、1931年5月29日 - 2004年4月7日)は、日本の俳優、歌手。本名、西部 清(にしべ きよし)。愛称は、雁ちゃん。血液型O型。京都府京都市出身。京都市立朱雀中学校卒業。 実家の家業は京都で友禅染の染物屋を営んでいたが、芸事、道楽事が好きであった父は戦後、「若松家」の亭号を名乗り、芸人として活動し始めるばかりか、一座を組んで巡業の日々となる。清は父について芸をこなしながら、一時、漫才師・五條家弁慶の弟子となり、前座として中国の服を着て手品をしたり師匠と漫才や芝居の舞台に立った。その後、18歳の時に弟・秀郎と当時人気の漫才師、芦の家雁玉・林田十郎に弟子入りし、「雁之助(清)・小雁(秀郎)」の名をもらうが、弟子入りしてまもなく亭号「芦の家」を勝手に「芦屋」に変えたため破門される(後に活躍が認められ破門を解かれる)。
田村 保(たむら たもつ、1931年2月8日 - )は、福井… 田村 保(たむら たもつ、1931年2月8日 - )は、福井県福井市の俳優。本名は田村 正義。 京都府立東舞鶴高等学校卒業。東京映画俳優協会研究所出身。松竹、劇団三期会を経て、1966年9月、劇団青年座に入団。 1950年代から1970年代にかけ、映画・テレビドラマに端役として出演。
有川 正治(ありかわ まさはる、1930年10月13日 - … 有川 正治(ありかわ まさはる、1930年10月13日 - )は、日本の俳優。京都市出身。東映京都撮影所所属。本名同じ。 京都府京都市北区紫竹生まれ。出生前に父親が死去し、養家の「有川」姓を名乗る。1949年、京都府立機械工業学校を卒業。1951年に立命館大学経済学部を中退した後は養父経営の牧場で働いていたが、俳優志望だった甥のマネージャーになるつもりで29歳の時に東映京都撮影所へ入社。甥は外交官を目指して先に俳優を辞めたものの、有川は入社3年目頃から台詞つきの役を与えられるようになり、以降、大柄な体格と強面の風貌を活かして悪役を中心に東映京都制作の時代劇映画や任侠映画、テレビ時代劇などで50年近くに渡って活躍した。
二谷 英明(にたに ひであき、1930年1月28日 - 20… 二谷 英明(にたに ひであき、1930年1月28日 - 2012年1月7日)は、日本の俳優。京都府舞鶴市出身。京都府立東舞鶴高等学校卒業、同志社大学文学部英文学科中退。妻は白川由美。長女は二谷友里恵。 8人兄弟の5番目の三男として生まれる。兄が3人、弟が1人、姉妹が4人いる。父の吉秀は運送業や港湾業、倉庫管理などを営み、海軍舞鶴鎮守府に物を納めるなどしていたが、1937年に亡くなったため母が女手一つで育てた。カトリックの幼稚園に通い、1936年に東舞鶴小学校に入学。1942年、東舞鶴中学校に入学。同志社予科から1947年同志社大学文学部英文学科に入学し、アーモスト館に入寮したが、2年生の時に家計が傾いたため、後に大学を中退した。
田村 高廣(たむら たかひろ、1928年〈昭和3年〉8月31… 田村 高廣(たむら たかひろ、1928年〈昭和3年〉8月31日 - 2006年〈平成18年〉5月16日)は、日本の俳優、田村高広と表記されることもある。阪東妻三郎の長男。弟は田村俊磨(元マネージャー、株式会社タムサプライヤ元社長)、俳優の田村正和、田村亮、田村兄弟の長男である。夫人は日本舞踊家の花柳駒。異母弟に俳優の水上保広がいる。京都府京都市出身。身長170cm。後年は世田谷区三宿に住んでいた。 京都府京都市出生、東京府東京市神田区(現・東京都千代田区)出身。京都府立京都第三中学校(現・京都府立山城高等学校)、同志社大学経済学部卒業。京都三中在学中に、動員学徒として愛知県の中島飛行機半田製作所で働いた経歴を持つ。
飯沼 慧(いいぬま けい、1926年〈大正15年〉5月17日… 飯沼 慧(いいぬま けい、1926年〈大正15年〉5月17日 - 2011年〈平成23年〉12月24日)は、日本の俳優、声優。大阪府出身。 京都府京都市に生まれて幼少時代に大阪府に移住。 関西工業学校(現・常翔学園高等学校=旧・大阪工業大学高等学校)土木科卒業後、兵庫県土木部西宮土木出張所(現・近畿中国森林管理局)に就職するも兵役に就く。終戦後に帰還。 1948年に大阪に本拠地を置く劇団芸術劇場→民衆劇場に入団。青年期より、飄々とした風貌から老け役を得意とする。直後に三座が合併したため関西芸術座となり座員となる。 1960年に『関西芸術座』を退座した後、劇団プロメテに移籍。 1966年、劇団プロメテ退団後に上京して文学座養成所に入所。
月形 哲之介(つきがた てつのすけ、1926年(大正15年)… 月形 哲之介(つきがた てつのすけ、1926年(大正15年)2月15日 - 2009年(平成21年)9月26日)は、戦後昭和に活躍した俳優、教育者。本名:門田 彊介(もんでん きょうすけ)。 京都府京都市上京区大将軍鷹司町の生まれ。父は俳優の月形龍之介である。立命館中学校卒業後、海軍に入隊。終戦後、マキノ芸能社から俳優としてデビュー、その後東映専属を経て、晩年は俳優の育成に携わった。
吉田 義夫(よしだ よしお、1911年1月3日 - 1986… 吉田 義夫(よしだ よしお、1911年1月3日 - 1986年12月22日)は、1950年代から1980年代にかけて活躍した日本の俳優である。本名は同じ。 京都府京都市出身。京都市立絵画専門学校卒業。東映出身。プロモーション・プラスワンに所属していた。 京都市立絵画専門学校(現・京都市立芸術大学)で日本画を学び、卒業後は法隆寺昭和大修理の一環として行われた金堂壁画模写事業に壁画摸写技官として参加し、入江波光画伯の指導の下、第八号壁(文殊菩薩像)を主任として担当した。失火による壁画損傷で模写事業が中止されると下鴨中学や立命館高等学校の美術講師を務めた。そうした才能を活かしてか、役者転向後は自分の衣装を自分で考えていたという。
マキノ 登六(マキノ とうろく、1910年4月8日 - 19… マキノ 登六(マキノ とうろく、1910年4月8日 - 1932年6月7日)は、日本の俳優である。本名は林 喜一郎()、マキノ家の人間ではない。当初は片岡 十六()を芸名とし、マキノ 十六()、嵐寛寿郎プロダクションでは片岡 市太郎()と名乗った。 1910年(明治43年)4月8日、京都市に生まれる。下京区中立売通猪熊通下ルの京都市立聚楽小学校(1997年に西陣中央小学校に統合されて廃校)を卒業、旧制東山中学校に在学、天然色活動写真を経て、1923年(大正12年)に牧野省三のマキノ映画製作所に入社した。まだ13歳のときであった。 「マキノ・プロダクション」設立後の1926年(大正15年)には、井上金太郎のオリジナル脚本による監督作『喧嘩日記』で、主演のマキノ正唯(のちのマキノ正博)の友人役を、「片岡十六」名義で、滝沢憲(のちの映画監督滝沢英輔)や玉木潤一郎(のちの映画プロデューサー)とともに演じている。
星 英府(ほし えいふ、1907年3月 - 没年不詳)は、日… 星 英府(ほし えいふ、1907年3月 - 没年不詳)は、日本の俳優である。本名は川上 英男(かわかみ ひでお)。マキノ・プロダクションの主要人物の一人である。 1907年(明治40年)3月、神奈川県横浜市北方町(現在の同県中区同町)に生まれる。 京都市立工業学校(現在の京都市立洛陽工業高等学校)を卒業後、貿易商社に入るが、1926年(大正15年)7月、マキノ・プロダクションへ入社する。同年8月27日公開の曽根純三監督映画『砕かれた人形』で映画デビューを果たし、金が有り余るという男役を演じた。以後、マキノの中堅俳優として多数の作品に出演した。翌々年1928年(昭和3年)に発行された『日本映画俳優名鑑 昭和四年版』(映画世界社)など一部の資料によれば、京都府葛野郡花園村天授ヶ丘(現在の同府京都市右京区花園天授ヶ岡町、マキノ・プロダクション内)、京都府京都市一条通大将軍坂田町7番地(現在の同府同市北区大将軍坂田町)と転々と住み、趣味は絵描き、ダンス、散歩であり、洋酒と外国煙草が嗜好であるという。
志茂山 剛(しもやま つよし、1903年7月16日 - 没年… 志茂山 剛(しもやま つよし、1903年7月16日 - 没年不詳)は、日本の俳優である。 1903年(明治36年)7月16日、秋田県に生まれる。 のちに京都に移り、勝見庸太郎に入門、1922年(大正11年)には旧制・東山中学校(現在の東山高等学校)を卒業している。1926年(大正15年)、勝見が「勝見庸太郎プロダクション」を設立、マキノ・プロダクションと配給提携を交わし、映画の製作を開始すると、それに参加する。その後、島耕二と離婚した大谷良子と結婚している。 1937年(昭和12年)には、日活京都撮影所に入社、多く脇役を務めた。1942年(昭和17年)1月27日、戦時統合によって大映が設立され、日活京都撮影所は大映京都撮影所となり、志茂山は同社に継続入社する。
嵐 寛壽郎(あらし かんじゅうろう、新字体:寛寿郎、本名:高… 嵐 寛壽郎(あらし かんじゅうろう、新字体:寛寿郎、本名:高橋 照一(たかはし てるいち)、1902年〈明治35年〉12月8日 - 1980年〈昭和55年〉10月21日)は、日本の映画俳優、映画プロデューサーである。 戦前・戦後期にわたって活躍した時代劇スターで、300本以上の映画に出演し、「アラカン」の愛称で親しまれた。同時代の時代劇スターの阪東妻三郎、大河内傳次郎、片岡千恵蔵、市川右太衛門、長谷川一夫とともに「時代劇六大スタア」と呼ばれた。当たり役は鞍馬天狗と『右門捕物帖』のむっつり右門で、前者は40本、後者は36本シリーズ化されている。また、新東宝の『明治天皇と日露大戦争』では、俳優の中で初めて天皇を演じて話題となった(本作では明治天皇を演じた)。
深見 泰三(ふかみ たいぞう、1901年1月22日 - 没年… 深見 泰三(ふかみ たいぞう、1901年1月22日 - 没年不詳)は、日本の俳優である。本名は植岡 隆逸(うえおか たかいつ)。 1901年(明治34年)1月22日、宮崎県に生まれる。実家は旅館業を経営していた。京都府立美術工芸学校(現在の京都市立銅駝美術工芸高等学校)中退。 1926年(大正15年)5月、坪内士行(1887年 - 1986年)等の宝塚国民座の創立に参加し俳優となる。1929年(昭和4年)、松竹大阪の専属俳優となり、同年8月には大阪浪花座で旗揚げした関西歌舞伎の阪東壽三郎(1886年 - 1954年)を中心とする第一劇場に参加した。同劇場には小堀誠、吉田豊作、進藤英太郎、八雲恵美子などがいた。
宮田文子(みやた ふみこ、1888年7月21日 - 1966… 宮田文子(みやた ふみこ、1888年7月21日 - 1966年6月25日)は日本の新聞記者、随筆家、ファッションデザイナー、俳優、実業家。旧姓名は、中平文子(なかひら ふみこ)、武林文子(たけばやし ふみこ)。新聞記者時代の筆名は「なでし子」。 「化け込み」の新聞記者として注目を集めた後、モンテカルロで愛人に顔を銃撃され国内外でスキャンダラスに取り上げられるなど、異色のエピソードの持ち主として知られる。複数の結婚歴と離婚歴があり、三番目の夫は小説家の武林無想庵、四番目の夫は貿易商の宮田耕三。 愛媛県松山市唐人町(現三番町)にて、伊予松山の鉄道局に勤務する中平盛太郎(寿太郎の説もあり)の一女として生まれる。