根來 泰周(ねごろ やすちか、1932年〈昭和7年〉7月31… 根來 泰周(ねごろ やすちか、1932年〈昭和7年〉7月31日 - 2013年〈平成25年〉11月4日)は、日本の検察官。位階は正三位。 東京高等検察庁検事長を最後に検察官を定年退官した後、弁護士(第一東京弁護士会所属)、公正取引委員会委員長、日本野球機構コミッショナーなどを務めた。 和歌山県和歌山市出身。和歌山県立向陽高等学校、京都大学法学部を卒業。京大在学中に司法試験と国家公務員I種試験に合格、法曹への道を選ぶ。 生家が浄土真宗本願寺派の寺であるため、僧侶の資格も取得している。浄土真宗本願寺派玄妙寺住職、浄土真宗本願寺派特別審事・監正局長を務めた。好きな言葉は親鸞聖人の開いた浄土真宗の教えを漢字四字で表した平生業成という。
鈴木 幸雄(すずき さちお、1932年1月8日 - 2022… 鈴木 幸雄(すずき さちお、1932年1月8日 - 2022年9月26日)は、和歌山県和歌山市小松原出身のプロ野球選手(投手)・解説者。 幼少期に通学していた吹上小の先輩に真田重蔵がいる。戦後光風工業高等学校に入学し、そこで野球を始める。卒業後、1951年に阪急ブレーブスへ入団。1年目から一軍に出場し、南海キラーとして活躍。アンダースローからカーブ、シュートを武器とした。 その後はサンテレビボックス席解説者(1974年)を経て、2002年から2016年まで智弁学園和歌山高校で投手コーチを務め、在任中は岡田俊哉らを育て上げた。2008年秋から半年間は髙嶋仁に代わり同校の監督として大分国体、秋季県2次予選、秋季近畿大会で指揮を執った。
石垣 一夫(いしがき かずお、1931年8月4日 - 200… 石垣 一夫(いしがき かずお、1931年8月4日 - 2004年7月23日)は、和歌山県新宮市出身のプロ野球選手、コーチ、政治家。
上横手 雅敬(うわよこて まさたか、1931年〈昭和6年〉3… 上横手 雅敬(うわよこて まさたか、1931年〈昭和6年〉3月7日 - )は、日本の歴史学者。専門は、日本中世政治史・日本中世社会史。学位は、文学博士。京都大学名誉教授。和歌山県出身。 若き日に中世史において画期的で洞察に満ちた見解を数多く示した。 後鳥羽は当初武家の臣従を前提とする公武融和路線を取り、建保6年(1218年)の政子上洛時に、幕府と後鳥羽との間に後鳥羽の皇子を実朝の養子として東下させ、後継将軍とする密約が成立していたと説いた(「北条泰時」1958年、「承久の乱」1962年)。 また、承久の乱に際し、大江広元以外の武士たちが唱えた迎撃によれば鎌倉方は敗れていたであろうとし、広元の功績を特筆した。
有吉 佐和子(ありよし さわこ、1931年(昭和6年)1月2… 有吉 佐和子(ありよし さわこ、1931年(昭和6年)1月20日 - 1984年(昭和59年)8月30日)は、日本の小説家、劇作家、演出家。和歌山県和歌山市出身。日本の歴史や古典芸能から現代の社会問題まで広いテーマをカバーし、読者を惹きこむ多くのベストセラー小説を発表した。カトリック教徒で、洗礼名はマリア=マグダレーナといった。代表作は『紀ノ川』、『華岡青洲の妻』、『恍惚の人』など。娘にエッセイストの有吉玉青がいる。正確には「吉」の字は下が長いのだが、小説を書いていた頃には活字がなかった。
井上 安雄(いのうえ やすお、1931年1月10日 - 20… 井上 安雄(いのうえ やすお、1931年1月10日 - 2014年1月2日[1])は、和歌山県[2]出身のプロ野球選手。
魚津 郁夫(うおづ いくお、1931年(昭和6年) - )は… 魚津 郁夫(うおづ いくお、1931年(昭和6年) - )は、日本の哲学者。熊本大学名誉教授。プラグマティズム研究の第一人者とされる。 和歌山県出身。1953年東京大学文学部哲学科卒。1959年東京大学人文科学研究科博士課程修了。岩崎武雄に学ぶ。ハーバードでプラグマティズムを学んだ鶴見俊輔を事実上のリーダーとし、母校旧制田辺中学(現在の和歌山県立田辺中学校・高等学校)の社会科の元教諭でプラグマティストである上山春平も在籍していた思想集団、思想の科学研究会に、東大時代の友人 後藤宏行とともに入会。同研究会で共同研究「転向」等に参加した。1959年熊本大学講師。1970年熊本大学教授。1996年同大学定年退官。
北 大象(きた たいしょう、本名 北 茂行(きた しげゆき)… 北 大象(きた たいしょう、本名 北 茂行(きた しげゆき)、1930年12月24日 - 2009年1月1日)は日本の書家。和歌山県田辺市出身。朱月社代表。伊丹書作家協会元理事長。 2009年1月1日に下咽頭癌のため死去。 この項目は、美術家・芸術家に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(P:美術/PJ:美術)。 この項目は、まだ閲覧者の調べものの参照としては役立たない、人物に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(P:人物伝/PJ:人物伝)。
岩本 堯(いわもと たかし、1930年4月20日 - )は、… 岩本 堯(いわもと たかし、1930年4月20日 - )は、和歌山県田辺市出身の元プロ野球選手(外野手、内野手)・コーチ・監督。 旧制田辺中学校では2年次の1947年に一塁手・控え投手として春の選抜へ出場。1回戦で富田中から22点を奪い快勝。この試合で5回からリリーフに立ち甲子園初登板を果たすが、11四球を与えている。2回戦では先発を任され、城東中の前田祐吉と投げ合い、先制するが9回に追いつかれて延長11回サヨナラ負けを喫した。夏の大会が終わると、野球部を退部して陸上競技部に入る。陸上部では、コーチに来た南部忠平から「野球より陸上競技でオリンピックを目指したほうがよい」と勧められたという。1ヶ月ほどで野球部に復帰すると、3年次の1948年には右翼手に回り、2年連続で春の選抜へ出場。
岩本 堯(いわもと たかし、1930年4月20日 - )は、… 岩本 堯(いわもと たかし、1930年4月20日 - )は、和歌山県田辺市出身の元プロ野球選手(外野手、内野手)・コーチ・監督。
保富 康午(ほとみ こうご、1930年〈昭和5年〉3月2日 … 保富 康午(ほとみ こうご、1930年〈昭和5年〉3月2日 - 1984年〈昭和59年〉9月19日)は、日本の作詞家。和歌山県西牟婁郡すさみ町出身。名前の別表記は苗字が「保冨」、名前に「庚午」がある(庚午が本名)。現在日本で広く知られている「大きな古時計」の日本語訳の詞を作詞したことで著名。 幼少期は千里山に在住し千里第二小学校を卒業した。のちに同志社大学卒業後、詩人である村野四郎に弟子入りしていたが、知人からミュージカルの台本依頼をされたことを機にテレビの仕事に携わるようになる。 構成作家として『サンデーサン』、フジテレビ『ミュージックフェア』などの歌番組を始め、演歌歌手達のショーの舞台も数多く担当。
正木 健雄(まさき たけお、1930年 - 2015年7月1… 正木 健雄(まさき たけお、1930年 - 2015年7月19日)は、日本の体育学者。日本体育大学大学院名誉教授。和歌山県新宮市生まれ。
松長 有慶(まつなが ゆうけい、1929年〈昭和4年〉7月2… 松長 有慶(まつなが ゆうけい、1929年〈昭和4年〉7月21日 - 2023年〈令和5年〉4月16日)は、高野山真言宗の僧侶。仏教学者。補陀落院住職。金剛峯寺第412世座主。同宗管長(2006-2014年)。 全日本仏教会会長(2008-2010年)。高野山大学名誉教授。元同大学長。21世紀高野山医療フォーラム名誉会長。和歌山県高野町出身。 1929年(昭和4年)、和歌山県高野町の高野山南院住職で高野山大学教授・松長有見の長男として誕生。1941年(昭和16年)、高野山南院道場において藤村密憧を戒師として得度。1951年(昭和26年)、高野山大学密教学科を卒業。1959年(昭和34年)、東北大学大学院文学研究科博士課程を修了。
津本 陽(つもと よう、1929年〈昭和4年〉3月23日 -… 津本 陽(つもと よう、1929年〈昭和4年〉3月23日 - 2018年〈平成30年〉5月26日)は、日本の小説家。本名、寅吉(とらよし)。 和歌山県和歌山市出身。旧制和歌山中学校から旧制大阪専門学校(現・近畿大学) を経て、1951年東北大学法学部卒。明間輝行は同期。同人誌『VIKING』で活動し、掲載作『丘の家』が第56回直木賞候補。1978年(昭和53年)、故郷和歌山を舞台にした『深重の海』で第79回直木賞を受賞。膨大な資料をたどり、小説の中で逐次資料の内容の提示と解説をしながら話を展開してゆく形式が多い。文体は情緒性を排した重厚で簡潔な表現が主体。 題材は主に剣豪や戦国大名、幕末英傑を主題にした歴史小説が多い。
沼 正作(ぬま しょうさく、1929年2月7日 - 1992… 沼 正作(ぬま しょうさく、1929年2月7日 - 1992年2月15日)は、日本の生化学者。元京都大学医学部教授。和歌山県和歌山市生まれ。 1952年京都大学医学部卒業。一年間のインターン期間ののち、臨床研修のため第1内科学教室に入局する。後に基礎医学研究に転向することを決意し、1956年フルブライト奨学生として渡米、ボストンのハーバード大学医学部生化学部門でJohn Lawrence Oncley教授の研究室で血清リポタンパク質の分析の研究を開始する。1958年アレクサンダー・フォン・フンボルト奨学生として渡独ミュンヘンのマックス・プランク細胞化学研究所へ移籍し、フェオドル・リュネン教授の研究室で酵素学と脂質の代謝制御の研究を開始した。
弓倉 礼一(ゆみくら れいいち、1929年1月2日 - 20… 弓倉 礼一(ゆみくら れいいち、1929年1月2日 - 2009年8月20日)は、日本の経営者。旭化成工業社長を務めた。 和歌山県和歌山市出身。1952年に京都大学法学部を卒業し、同年に旭化成工業に入社。 1976年6月に取締役に就任し、常務、副社長を経て、1989年6月に社長に就任し、1997年6月までに務めた。 1999年6月に藍綬褒章を受章。 2009年8月20日、急性心不全のために死去。83歳没。 この項目は、まだ閲覧者の調べものの参照としては役立たない、人物に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(P:人物伝/PJ:人物伝)。
疋田 耕造(ひきた こうぞう、1929年(昭和4年)1月1日… 疋田 耕造(ひきた こうぞう、1929年(昭和4年)1月1日 - )は、日本の実業家。コーナン商事創業者、初代代表取締役社長。 和歌山県新宮市生まれ。1945年(昭和20年)大阪市立住吉商業高等学校卒業。1951年(昭和26年)関西大学文学部英文科卒業。 寺下石油、木津川タンカー勤務を経て、28歳で石油商社「木津川石油商会」を立ち上げ、1961年「港南石油商会」創業、1970年(昭和45年)石油販売会社・日本燃料販売設立。石油危機をきっかけに事業の多角化を図るため、1978年(昭和53年)ホームセンター事業のコーナン商事設立。ホームセンターの草分けとして発展し、近畿地区トップのチェーンに成長させ、2001年には東証一部上場を果たした。
辻岡 靖仁(つじおか せいじ、1929年 - 2015年)は… 辻岡 靖仁(つじおか せいじ、1929年 - 2015年)は、日本の経済学者、労働問題研究者。 和歌山県和歌山市出身。 旧制大阪商科大学卒。大学卒業後、関西労働者教育協会を立ち上げ、労働学校の開催など大阪での労働者教育に従事する。 1968年、労働者教育協会理事長に就任、同協会が主催する通信講座「勤労者通信大学」の講師、同協会が編集する『学習の友』への寄稿、全国の学習組織が開催する労働学校や「資本論」教室などに携わる。 1988年、前任の畑田重夫の後を引き継ぎ会長に就任。2004年まで労働者教育協会会長・勤労者通信大学学長として、科学的社会主義の立場に立つ労働者教育の中心的役割を担った。 2015年1月7日、急性心不全で死去。
橋爪 四郎(はしづめ しろう、1928年〈昭和3年〉9月20… 橋爪 四郎(はしづめ しろう、1928年〈昭和3年〉9月20日 - 2023年〈令和5年〉3月9日)は、日本の競泳選手、スポーツ指導者。ヘルシンキオリンピック競泳男子1500m自由形銀メダリスト。和歌山県和歌山市出身。日本大学卒業。 終戦直後の1946年、古橋廣之進に誘われて日本大学に進学。その後、世界トップレベルの記録を連発。1948年のロンドンオリンピックではメダル獲得が確実視されたが、日本の参加は認められなかった。ロンドン五輪の代わりとして日本水泳連盟が開催した全日本水上選手権大会では1500m自由形で当時の世界記録を上回る18分37秒8を記録した(当時の日本は敗戦国であったことから国際水泳連盟(FINA)から除名されていたため、世界記録としては公認されなかった)。
宮路 年雄(みやじ としお、1928年8月20日 - 199… 宮路 年雄(みやじ としお、1928年8月20日 - 1998年5月9日)は、日本の実業家。信光電機有限会社の代表取締役社長として家電量販店「城南電機」を経営した。 身長154センチメートル (cm) と小さな体躯と独特のダミ声に加え、明るいキャラクターで「城南電機の宮路社長」としてテレビ番組などに出演した。 和歌山県日高郡中津村(現在の日高川町)出身。1928年8月20日に地元で有数の材木商に四男四女の次男として出生する。 高津尾小学校を卒業後、1940年に和歌山県立和歌山工業学校機械科へ進学する。その後に太平洋戦争が勃発し、1941年12月から1年半、兵庫県明石市内の飛行機部品工場へ学徒動員される。
斎東 満(さいとう みつる、1928年5月5日 - 2010… 斎東 満(さいとう みつる、1928年5月5日 - 2010年10月24日)は、浪曲師。本名は、東野一 巳(ひがしの かずみ)。浪曲親友協会元理事長。 和歌山県海南市出身。1933年12月初代日吉川秋斎に弟子入り。1934年3月大阪千日前愛進館で初舞台。少年浪曲師として全国を巡業した。 海南中学卒業し日本大学に進学したが、戦中のどさくさのため中退。戦後本格的に浪曲師として再修行した。 その後、NHK浪曲台本研究会や、民放の「浪花節天狗道場」の指南役をやり、1953年に新日本放送の浪曲コンクール第1期で第2位になり、翌年1954年の決選投票で第4位に入賞した。(その時の第1位は酒井雲坊(のちの村田英雄)である。
塩見 栄一(しおみ えいいち、1928年4月29日 - )は… 塩見 栄一(しおみ えいいち、1928年4月29日 - )は和歌山県出身の元プロ野球選手。
織田 昭(おだ あきら、1927年9月22日 - 2008年… 織田 昭(おだ あきら、1927年9月22日 - 2008年1月20日)は、日本の牧師、ギリシア語学者。
平野 謙二(ひらの けんじ、1927年9月16日 - )は、… 平野 謙二(ひらの けんじ、1927年9月16日 - )は、和歌山県出身の元プロ野球選手。ポジションは三塁手、外野手。1946年から1949年までの登録名は平野徳松。
内山 清(うちやま きよし、1927年4月22日 - 201… 内山 清(うちやま きよし、1927年4月22日 - 2013年8月24日)は和歌山県西牟婁郡上富田町出身の元プロ野球選手(投手)。元高校野球指導者。
神坂 次郎(こうさか じろう、1927年3月2日 - 202… 神坂 次郎(こうさか じろう、1927年3月2日 - 2022年9月6日)は、日本の小説家。本名、中西久夫。三田文学会員。社団法人日本ペンクラブ理事。 1927年3月2日、和歌山県和歌山市出身。1943年4月、陸軍航空学校に入校し、鹿児島県知覧飛行場を経て、航空通信隊員として愛知県小牧飛行場で任務時に終戦を迎える。終戦に際し、日本陸軍の暗号書等の重要書類を処分する役目を荷った[要出典]。書類を燃やしながら涙が止めどなく流れたと後に回想している[要出典]。 戦後、故郷に帰り、株式会社淺川組の土木技師として24年間従事。 後に演劇関係の仕事に就き、長谷川伸と知り合い、時代小説を書き始める。1982年、『黒潮の岸辺』にて第2回日本文芸大賞受賞。
田中 正雄(たなか まさお、1927年2月8日 - 2014… 田中 正雄(たなか まさお、1927年2月8日 - 2014年3月25日)は、和歌山県和歌山市出身の漫画家。1947年(昭和22年)に大正日日新聞や『新少年』にマンガを連載したのを皮切りに、『ニャンチャン』『漫画の缶詰』など、多数の作品を発表。また源頼朝や伊藤博文、平清盛など歴史上の人物の伝記漫画など児童漫画の執筆に関わってきた。娘は画家の田中恵子。 この項目は、漫画家・漫画原作者に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(P:漫画/PJ漫画家)。
西 貞三郎(にし ていさぶろう、1927年 -2012年6月… 西 貞三郎(にし ていさぶろう、1927年 -2012年6月30日)は、日本の銀行家で住友銀行副頭取。 1946年和歌山県立和歌山商業学校卒業後に住友銀行に入行し、1953年関西大学経済学部卒業。 商業高校出身のノンキャリア組としては異例の出世を果たし、新宿支店長などを経て、住友銀行副頭取を歴任した。しかし、イトマン事件により1990年に副頭取を退任した。 ・日本経済新聞社編『ドキュメント イトマン・住銀事件』日本経済新聞社、1991年。
北村 翼(きたむら よく、1926年〈大正15年〉8月18日… 北村 翼(きたむら よく、1926年〈大正15年〉8月18日 - 2020年〈令和2年〉8月15日)は、日本の政治家。和歌山県橋本市長(3期)。和歌山県議会議員(2期)。位階は正五位。旭日小綬章受章。 和歌山県出身。旧制和歌山県立伊都中学校(のち和歌山県立伊都高等学校、現・和歌山県立伊都中央高等学校)卒。橋本市助役、橋本市議会議員を経て、和歌山県議会議員に当選、2期務める。1993年〈平成5年〉橋本市長選挙に立候補し無投票で当選する。1997年〈平成9年〉も無投票当選。2001年〈平成13年〉の市長選挙で三選した。2005年〈平成17年〉に退任。2006年春の叙勲で旭日小綬章を受章。2020年〈令和2年〉死去。
中谷 鉄也(なかたに てつや、1926年(大正15年)5月1… 中谷 鉄也(なかたに てつや、1926年(大正15年)5月1日 – 1992年(平成4年)3月20日)は、昭和期の弁護士、政治家。衆議院議員。位階は正五位。 満州鉄嶺で陸軍将校・中谷亮一の長男として生まれる。1931年(昭和6年)に父の死去に伴い本籍地和歌山県伊都郡高野口町大字大野(現橋本市)に移った。名古屋陸軍幼年学校を経て陸軍士官学校(59期)に進み、終戦により1945年(昭和20年)8月31日に修業した。 1946年(昭和21年)関西大学法学部に入学。1948年(昭和23年)高等試験司法科試験に合格し、同年、関西大学を中退した。極東国際軍事裁判弁護人を務め、日本労働組合総評議会(総評)弁護団に加わった。
大林 辰蔵(おおばやし たつぞう、1926年4月10日 - … 大林 辰蔵(おおばやし たつぞう、1926年4月10日 - 1992年2月19日)は、日本の物理学者(宇宙物理学)。国産ロケット、人工衛星の開発と打ち上げに尽力した。 東京大学理学部卒業後、郵政省電波研究所に入る。1961年京都大学工学部教授、1966年東京大学教授、1981年文部省宇宙科学研究所教授。1990年退官し、東京大学名誉教授、宇宙科学研究所名誉教授。1976年東レ科学技術賞受賞。 1992年2月19日、急性心不全により65歳で死去。
坂本 文次郎(さかもと ぶんじろう、1926年3月15日 -… 坂本 文次郎(さかもと ぶんじろう、1926年3月15日 - 1994年11月25日)は、和歌山県和歌山市出身のプロ野球選手(内野手)。 旧制海草中学卒業後は、社会人野球の日本発送電と海南日東紡を経て、1951年に大映スターズへ入団。同年は主に三塁手として起用され、規定打席(31位、打率.242)にも到達した。1953年には全試合出場を果たし、打率.280(15位)を記録。1954年には三塁手シーズン最多補殺をマークした。これは今でも日本記録である。1955年は自己最高の打率.295(12位)を残す。1958年までレギュラーを守るが、同年のシーズン終盤から葛城隆雄が台頭し定位置を譲る。しかし1960年には二塁手、遊撃手として復活、96試合に先発し初のリーグ優勝に貢献した。
江崎 正義(えざき まさよし、1926年3月5日 - )は、… 江崎 正義(えざき まさよし、1926年3月5日 - )は、和歌山県[1]出身の元プロ野球選手(外野手)。
久喜 勲(きゅうき いさお、1926年2月12日 - 199… 久喜 勲(きゅうき いさお、1926年2月12日 - 1993年9月12日)は、和歌山県海南市出身の元プロ野球審判員、プロ野球選手。
山本 真理子(やまもと まりこ、1926年 - )は、日本の… 山本 真理子(やまもと まりこ、1926年 - )は、日本の児童文学作家。広島原爆の被爆者で、その経験を題材にも取り入れた作品を発表している。 軍人の父の下に生まれる。そのため日本各地で転居を重ねて成長し、1944年に和歌山県立和歌山高等女学校を卒業後、同年春に広島県広島市打越町(現・西区)に家族とともに移り住んだ。山本は同年夏から広島城近くにあった陸軍司令部に職員として勤務した。眼病に罹患して在宅療養していた1945年8月6日に自宅で被爆。瓦礫に首から下が埋まったが、同居の姉に救出される。終戦後の8月18日に司令部に出向いた際に同僚はほぼ全員死亡したと聞かされ「自分が生き残ったのは何のため?」という深い悩みを抱いたという。
筒井 敬三(つつい けいぞう、1925年6月24日 - 19… 筒井 敬三(つつい けいぞう、1925年6月24日 - 1959年12月6日)は、和歌山県出身の元プロ野球選手(捕手)。
石本 泰雄(いしもと やすお、1924年(大正13年)12月… 石本 泰雄(いしもと やすお、1924年(大正13年)12月5日 - 2015年(平成27年)12月8日)は、日本の法学者。専門は国際法。学位は、法学博士(東京大学・論文博士・1962年)。大阪市立大学名誉教授。日本学士院会員。 和歌山県西牟婁郡(のちの田辺市)出身の法学者である。専門は国際法であり、特に戦争法の研究に従事した。近代国際法から現代国際法への構造転換の実証に取り組んだことで知られている。また、中立の地位の研究や、国際法学に社会経済史の視点を導入したことでも知られている。1962年に東京大学より法学博士の学位を取得した。東京大学、大阪市立大学、上智大学、神奈川大学短期大学部などで教鞭を執った。
長井 彬(ながい あきら、1924年11月18日 - 200… 長井 彬(ながい あきら、1924年11月18日 - 2002年5月25日)は、日本の小説家。 和歌山県田辺市生まれ。東京大学文学部哲学科卒業後、毎日新聞社入社。整理部を経て編集委員。整理部時代の先輩に作家の小峰元がいる。1979年(昭和54年)定年退職。 定年退職後江戸川乱歩賞をめざし、昭和55年東海地震をテーマとした「M8以前」で第26回の最終候補作となるも落選。翌昭和56年原子力発電所の建設にまつわる疑惑をテーマとした「原子炉の蟹」で第27回江戸川乱歩賞を受賞。当初は社会派推理小説、後に山岳小説を得意分野とした。 2002年5月25日、脳梗塞のため大阪府吹田市の病院で逝去。享年77。 この項目は、文人(小説家・詩人・歌人・俳人・著作家・作詞家・脚本家・作家・劇作家・放送作家・随筆家/コラムニスト・文芸評論家)に関連した書きかけの項目です。
清滝 一也(きよたき かずや、1924年〈大正13年〉5月3… 清滝 一也(きよたき かずや、1924年〈大正13年〉5月31日 - 2024年〈令和6年〉5月10日)は、日本の経営者。大阪府池田市名誉市民。池田銀行頭取を務めた。プリンストン大学教授の清滝信宏は次男。実父は内外除虫菊社長の上山薫、養父は池田銀行頭取の清滝幸次郎。 和歌山県有田市出身。旧制佐賀高等学校を経て、1950年に東京大学法学部を卒業し、同年に日本興業銀行に入行。1979年11月に池田銀行に転じ、専務に就任し、1980年6月には頭取に就任。 1998年、いけだ市民文化振興財団理事長。2001年1月に会長に就任。2004年、相談役に就任。2012年、池田泉州銀行名誉顧問。 2024年5月10日、死去。
真田 重蔵(さなだ じゅうぞう、1923年5月27日 - 1… 真田 重蔵(さなだ じゅうぞう、1923年5月27日 - 1994年5月30日)は、和歌山県和歌山市出身のプロ野球選手(投手、内野手)・コーチ、解説者・評論家。
辻原 弘市(つじはら ひろいち、1923年(大正12年)1月… 辻原 弘市(つじはら ひろいち、1923年(大正12年)1月23日 - 1985年(昭和60年)10月19日)は、日本の教育者、政治家。日本社会党衆議院議員(8期)。日本武道館常任理事。 和歌山県出身。1940年(昭和15年)和歌山県立田辺中学校(現和歌山県立田辺中学校・高等学校)を卒業。朝鮮窒素肥料に入社し研究部に配属された。1943年(昭和18年)和歌山師範学校本科を卒業。和歌山県内の小中学校の教諭を務め、和歌山県教職員組合書記長、日本教職員組合中央執行委員、日本労働組合総評議会常任幹事などを歴任。 1952年(昭和27年)の第25回衆議院議員総選挙で和歌山2区から日本社会党左派公認で立候補して初当選する。
玉置 和郎(たまき かずお、1923年1月1日 - 1987… 玉置 和郎(たまき かずお、1923年1月1日 - 1987年1月25日)は、日本の政治家。参議院および衆議院議員、総務庁長官を務めた。和歌山県御坊市出身。 五人兄弟の三男として生まれ、中学入学直前に父親を亡くす。御坊商業学校(現・和歌山県立紀央館高等学校)卒業後中国大陸に渡り、華北交通の給費学生として1941年北京中央鉄路学院本科を修了。1943年に満鉄に入社。終戦後、製塩業、ゴム工場などの様々な仕事に就く。その後、上京し自由民主党本部に就職、党職員になる。和歌山県選出の早川崇衆議院議員に見出され、早川が労働大臣に就任した際、大臣秘書官となった。 生長の家政治連合の支援を得て、1965年の第7回参議院議員通常選挙に自民党公認で立候補し、当選する。
近藤 正雄(こんどう まさお、1922年10月25日 - 1… 近藤 正雄(こんどう まさお、1922年10月25日 - 1997年7月16日[1])は、和歌山県[1]出身の元プロ野球選手(外野手)。
小野田 寛郎(おのだ ひろお、1922年3月19日 - 20… 小野田 寛郎(おのだ ひろお、1922年3月19日 - 2014年1月16日)は、日本の陸軍軍人、実業家。最終階級は予備陸軍少尉。旧制海南中学校・久留米第一陸軍予備士官学校・陸軍中野学校二俣分校卒。和歌山県出身。 情報将校とし第二次世界大戦に従軍し遊撃戦(ゲリラ戦)を展開、第二次世界大戦終結から29年を経て、フィリピン・ルバング島から日本へ帰還した。その後は、メディアにつきまとわれた事もあり、戦後の日本への適応は困難であった。 大正11年(1922年)、和歌山県海草郡亀川村(現・海南市)にて父・小野田種次郎(県議会議員)、母・タマエ(教師)の間に小野田家の四男として生まれる。小野田家は海南市小野田の宇賀部神社の宮司を代々務める家柄で、寛郎の家はその分家。
松葉 昇(まつば のぼる、1922年3月9日 - 1995年… 松葉 昇(まつば のぼる、1922年3月9日 - 1995年10月26日)は、和歌山県出身のプロ野球選手。ポジションは外野手。1947年から1948年の登録名は旧姓の朝井昇。
薗村 泰彦(そのむら やすひこ、1921年11月30日 - … 薗村 泰彦(そのむら やすひこ、1921年11月30日 - 1994年5月22日)は、日本の運輸官僚。海上保安庁長官、帝都高速度交通営団総裁を務めた。和歌山県和歌山市出身。 1944年に東京帝国大学法学部政治学科を卒業し、同年に運輸省に入省した。官房長、海運局長を経て、1975年から1978年までに海上保安庁長官を務めた。帝都高速度交通営団を経て、1983年から1986年までに総裁を務めた。 1994年には勲二等旭日重光章を受章した。 1994年5月22日心不全のために死去。72歳没。
橘 公子(たちばな きみこ、1921年10月10日 - 、本… 橘 公子(たちばな きみこ、1921年10月10日 - 、本名は豊田喜三子。旧姓・川村)は、日本の女優。
小野 協一(おの きょういち、1921年8月16日 - 20… 小野 協一(おの きょういち、1921年8月16日 - 2002年10月18日)は、日本の英文学者。 和歌山県新宮市出身。1944年東京帝国大学文学部英文科卒。1951年東京外国語大学講師、助教授、教授、1984年定年退官、名誉教授、和光大学教授、鶴見大学教授。1992年退職。ジョージ・オーウェルが専門。 この項目は、学者に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(PJ:人物伝/P:教育)。
古角 俊郎(こすみ としろう、1921年7月19日 - 20… 古角 俊郎(こすみ としろう、1921年7月19日 - 2013年1月8日[1])は、日本の高校野球指導者。和歌山県立新宮高等学校硬式野球部元監督、明治大学硬式野球部OB会の駿台倶楽部顧問を務めた。
伊勢川 真澄(いせがわ ますみ、1921年6月30日 - 1… 伊勢川 真澄(いせがわ ますみ、1921年6月30日 - 1996年7月26日)は、和歌山県紀の川市出身のプロ野球選手(捕手)。 粉河中学を卒業後、1940年にライオン軍(1941年から朝日軍)へ入団。新人ながら正捕手・広田修三の控えとして49試合に捕手として出場し、1941年・1942年は正捕手を務めた。42年暮れに応召。戦後の1946年に旧朝日軍の選手が独立してゴールドスターを立ち上げる中、伊勢川は旧朝日軍の流れを汲むパシフィックに参加する。ここでも引き続き正捕手を務め、1946年は打率.230(リーグ37位)ながら、主砲の森下重好(54打点)に次ぐ51打点を挙げ、1947年は打率.257(リーグ19位)を記録している。