緒方 宏志郎(おがた こうしろう、1995年3月5日 - )… 緒方 宏志郎(おがた こうしろう、1995年3月5日 - )は、和歌山県出身の日本の経営者、グラブ職人、和歌山県岩出市を拠点とする野球用品メーカー株式会社Wan Lix代表取締役社長、株式会社RED代表取締役である。投手用グラブブランド「NoLimit ProWave」(ノーリミット プロウェーブ)を主力とし、年間1,000個近くのグラブを扱う。 和歌山県立和歌山高等学校野球部で投手として活動した。高校時代から仲間のグラブ修理やメンテナンスを行うことを好んだ。 高校卒業後、一般企業の会社員となったが、趣味と副業としてグラブの修理を継続した。2019年9月にWebマーケティングを学び創業し、2020年1月にWebを用いて野球用品のメンテナンス・修理等の全国受注を開始した。
岡本 恵典(おかもと けいすけ、1991年2月22日 - )… 岡本 恵典(おかもと けいすけ、1991年2月22日 - )は、日本の実業家、人事コンサルタント、著作家、就活評論家、就活セミナー講師。株式会社Synergy Careerの代表取締役社長であり、WEBメディア「就活の教科書」の運営者である。国家資格キャリア・コンサルタント所有。 大学院時代自身の理系としてのキャリアに悩み、大学同期が研究職として就職するなか、ITベンチャー企業である株式会社イノベーションに総合職として新卒入社。 2018年6月頃に「就活の教科書」を立ち上げ、多い月は約220万回のアクセスがある。
櫻井 雄一郎(さくらい ゆういちろう、1977年8月6日 -… 櫻井 雄一郎(さくらい ゆういちろう、1977年8月6日 - )は、日本の実業家、格闘技プロモーター、イベントプロデューサー。 有限会社櫻井 代表取締役、株式会社アドヴァンス櫻井 代表取締役、総合格闘技道場 創道塾会長、格闘技団体GLADIATOR会長、GLADIATOR KICK会長、KYOKENアマチュアキック名誉会長。 アマチュア部門のアマチュアGLADIATOR、組技大会GLADIATOR CUPのプロデュースも務める。 和歌山県和歌山市出身。 幼少期に地元の空手道場に入門し、約10年の間通う。空手における実績は組手大会の小学3,4年部優勝、同5,6年部優勝。 2010年、和歌山県和歌山市に総合格闘技道場 創道塾を設立。
KISAKI(きさき、本名:松浦 忠史、1976年3月10日… KISAKI(きさき、本名:松浦 忠史、1976年3月10日 - )は、日本のベーシスト、音楽プロデューサー、実業家。和歌山県海南市出身。ヴィジュアル系音楽シーンを中心に活動している。自身が設立したインディーズレーベル「Matina」および「UNDER CODE PRODUCTION」を通じて、100バンド以上のヴィジュアル系バンドのプロデュースやマネジメントを手がけた。1990年代前半から2000年代にかけて、インディーズを中心としたヴィジュアル系シーンの展開に関与した人物の一人とされる。 MIRAGE、Syndrome、そして代表的バンドPhantasmagoriaを率い、2007年8月31日、大阪国際交流センターでのワンマン公演をもって活動を休止した。
川口 力哉(かわぐち りきや、1975年1月17日 - )は… 川口 力哉(かわぐち りきや、1975年1月17日 - )は、日本の俳優、実業家で、元ファッションモデルである。和歌山県和歌山市出身。ホリプロ・ブッキング・エージェンシー所属。 旧芸名はRIKIYA(黒川 力矢)。 特技はボクシング(プロライセンス所持)。趣味は釣り、草野球、料理。 智辯学園和歌山高等学校、早稲田大学理工学部環境資源工学科を卒業。 大学時代は帝拳ジムに所属していた。プロボクサーを目指してトレーニングに励んでいたがプロテストに合格したものの、レーシック手術を受けていたことからプロデビューを断念した。 21歳でモデルデビューし、PRADAのミラノ・コレクションで日本人初の専属モデルとして脚光を浴びた。
道浦 誠(みちうら まこと、1972年5月6日 - )は日本… 道浦 誠(みちうら まこと、1972年5月6日 - )は日本の元陸上競技選手・現治療院経営者、アスレティックトレーナー兼指導者。専門は中・長距離種目。3000m障害を得意とする。和歌山県和歌山市出身。和歌山県立和歌山北高等学校体育科卒業。ダイエー⇒佐川急便所属。身長171cm、体重49kg。配偶者は元800m陸上選手の道浦陽子。 1988年4月、和歌山県立和歌山北高等学校体育科入学、陸上競技部に所属。 1990年8月、仙台インターハイ3000m障害で優勝。 1990年10月、とびうめ国体(福岡県)少年A3000m障害で2位入賞。 1990年12月、第41回全国高等学校駅伝競走大会に和歌山北高校が和歌山県代表として出場し、1区(10 km)で3位に入る(29分51秒) (区間賞は渡辺康幸の29分42秒)。
平藤 真治(ひらとう しんじ、1968年3月30日 - )は… 平藤 真治(ひらとう しんじ、1968年3月30日 - )は、日本の実業家、イベントプロデューサー。『神戸コレクション』『東京ランウェイ』創業者・プロデューサー、『超十代』統括プロデューサー、映画『パラダイスキス』ファッションプロデューサー。株式会社ソニマージュ代表取締役社長。和歌山県岩出市出身、身長171センチ、血液型はA型。 ファッション業界の風雲児。2002年に誕生した、リアルクローズファッションショーの先駆け、「神戸コレクション」の制作からスタートし、「超十代」「東京ランウェイ」「静岡コレクション」「東京ボックス」など、ファッションイベントの企画制作。そのムーブメントを20年近くに渡り成長させてきた。
栄永 英幸(えいなが ひでゆき、1966年11月18日 - … 栄永 英幸(えいなが ひでゆき、1966年11月18日 - )は、日本のテレビプロデューサー、株式会社パッション代表取締役社長。和歌山県海南市出身。 智辯学園和歌山高等学校、佛教大学社会学部卒業。高校在学時には野球部、大学在学時にはスキー部に所属し、インカレや国体にも出場した。 大学卒業後、1989年に株式会社マイプランに入社。同社でスポーツ番組、情報番組、ドキュメンタリー、バラエティ番組の演出を数多く手掛けた後、2007年10月に株式会社パッションを設立した。現在ではテレビプロデューサーのほか、イベントプロデューサーとしても活動中。
谷本 龍哉(たにもと たつや、1966年10月26日 - )… 谷本 龍哉(たにもと たつや、1966年10月26日 - )は、日本の実業家、政治家。元エアアジア・ジャパン代表取締役会長。衆議院議員(3期)を務めた。 和歌山市出身。智辯学園和歌山中学・高等学校を卒業後、東京大学法学部に入学。在学時代から飲食業界にかかわり、大学卒業後28歳までバーテンダーをしながら店舗企画の仕事に従事。 1995年 二階俊博秘書。和歌山県議会議員を経て、2000年に衆議院議員に初当選する。 2003年衆議院議員2期目当選。同年、第40代自由民主党青年局長に就任。 2006年9月発足の安倍内閣で、内閣府大臣政務官(沖縄及び北方対策、科学技術政策、イノベーション、少子化対策、男女共同参画、食品安全行政関係等の施策及び情報通信技術政策などの担当)に任命された。
南 昌宏(みなみ まさひろ、1965年(昭和40年)6月6日… 南 昌宏(みなみ まさひろ、1965年(昭和40年)6月6日 - )は、日本の実業家。りそなホールディングス取締役兼代表執行役社長兼グループCEO、りそな銀行取締役。 和歌山県出身。和歌山県立海南高等学校を経て、1989年関西学院大学商学部卒業、埼玉銀行入行。 2009年りそなホールディングスグループ戦略部グループリーダー。 2013年りそなホールディングスグループ戦略部長、りそな銀行経営管理部長。 2017年りそなホールディングス執行役オムニチャネル戦略部担当兼グループ戦略部長、りそな銀行執行役員オムニチャネル戦略部担当兼経営管理部長。 2018年りそなホールディングス執行役オムニチャネル戦略部担当、りそな銀行執行役員営業サポート統括部担当兼オムニチャネル戦略部担当。
山口 明夫(やまぐち あきお、1964年8月29日 - )は… 山口 明夫(やまぐち あきお、1964年8月29日 - )は、日本のシステムエンジニア、実業家。日本アイ・ビー・エム(日本IBM)代表取締役社長、経済同友会代表幹事。東京理科大学大学院経営学研究科技術経営(MOT)専攻上席特任教授。 和歌山県那賀郡桃山町(現:紀の川市桃山町)で、あら川の桃やミカンなどを栽培していた農家の長男として生まれる。和歌山県立那賀高等学校を経て、理系の勉強が好きで情報技術に将来性を感じたため、大阪工業大学工学部経営工学科(現:情報科学部データサイエンス学科)に進学し、FORTRANなどを学んだ。在学中は風呂なしトイレ共同の家賃1万円強のアパートに住み、千林商店街のスポーツ用品店や、守口市のコンビニエンスストア、関目駅のハンバーガー店などでアルバイトをし、成績は不振だった。
泉 清(いずみ きよし、1963年5月11日 - )は、日本… 泉 清(いずみ きよし、1963年5月11日 - )は、日本の実業家。FM TANABE株式会社の創業者。和歌山県田辺市で毎年10月に行われる「弁慶まつり」の第8代目武蔵坊弁慶役。身長181cm。体重は約100kg 血液はO型。趣味はバイク。特技は水泳。 田辺納税協会理事、田辺市商店街振興組合連合会元理事長(2012年5月-2017年3月)田辺商工会議所元常議員。弁慶まつり実行委員(1993年-2025年)、紀州弁慶伝説保存会会長(2002年-2013年解散)、弁慶まつり応援団(2014年-2018退会)として地域活動に参加。 和歌山県田辺市で新聞販売店の三人姉妹の長男として産まれる。小学校時代肥満気味の体型を解消するため水泳の特練に通い水泳に目覚める。
木村 竹志(きむら たけし、1961年7月10日 - )は、… 木村 竹志(きむら たけし、1961年7月10日 - )は、和歌山県有田市出身の元プロ野球選手(投手)、監督、実業家。旧名:石井 毅(いしい たけし)。
樫畑 直尚(かしはた なおひさ、1957年5月10日 - )… 樫畑 直尚(かしはた なおひさ、1957年5月10日 - )は、和歌山県出身の実業家。株式会社南北相談役。日本青年会議所(JC)の第45代会頭を務めた。次女は演出家の樫畑亜依子。 和歌山市生まれ。和歌山県立星林高等学校、甲南大学経済学部卒業、国立大学法人和歌山大学大学院経済研究科修士課程修了(経済学修士)。 大学卒業後、株式会社南北に入社。1999年(平成11年)10月に代表取締役社長、2017年(平成29年)11月に取締役会長、2024年11月に取締役相談役に就任。 1989年(平成元年)に社団法人和歌山青年会議所理事長を務め、1996年(平成8年)に日本青年会議所第45代会頭に就任した。1994年(平成6年)には国際青年会議所アジア太平洋地区協議会議長。
福田 良之(ふくだ よしゆき、1956年 - )は、日本の実… 福田 良之(ふくだ よしゆき、1956年 - )は、日本の実業家。新光投信取締役会長等を経て、海外通信・放送・郵便事業支援機構代表取締役社長。 和歌山県田辺市出身。東陽中学校、和歌山県立田辺高等学校を経て、1979年一橋大学商学部を卒業し、株式会社日本興業銀行(現みずほ銀行)入行。一橋大学陸上競技部出身。 2006年株式会社みずほコーポレート銀行(現みずほ銀行)執行役員営業第十五部長、2007年執行役員証券部長、2008年常務執行役員・営業担当役員、2010年常務執行役員・コンプライアンス統括グループ統括役員兼審査グループ統括役員、2011年常務執行役員・コーポレートバンキングユニット統括役員、2012年株式会社みずほ銀行常務執行役員・大企業法人ユニット長兼事業法人ユニット担当、2013年みずほ証券株式会社取締役副社長・投資銀行部門長兼金融公共グループ長、2014年新光投信株式会社取締役会長。
川崎 博也(かわさき ひろや、1954年8月4日 - )は、… 川崎 博也(かわさき ひろや、1954年8月4日 - )は、日本の実業家。神戸製鋼所元代表取締役社長。第31代神戸商工会議所会頭。 和歌山県伊都郡かつらぎ町生まれ。かつらぎ町立笠田中学校、和歌山県立笠田高等学校を卒業。1980年、京都大学大学院工学研究科修了、神戸製鋼所に入社。2001年IPP本部建設部長、2002年加古川製鉄所設備部長、2007年執行役員、2010年常務執行役員、2012年専務執行役員を経て、2013年代表取締役社長、2016年代表取締役会長兼社長に就任。2018年、検査データ改竄問題に対する責任を取り退任。現在は神戸製鋼所特任顧問。2022年11月より神戸商工会議所第31代会頭に就任。
南方 敏尚(みなかた としひさ、1953年11月29日 - … 南方 敏尚(みなかた としひさ、1953年11月29日 - )は、日本の郵政官僚、実業家。かんぽ生命保険取締役兼代表執行役副社長を務めた。 和歌山県立桐蔭高等学校、京都大学法学部卒業。1977年4月に郵政省に入省した(人事局要員訓練課)。同期入省に桜井俊(元総務事務次官)、髙橋亨(日本郵便会長)、山川鉃郎(元総務審議官)、中田睦(KDDI常務)などがいる。 郵政省では、放送行政や人事など、行政・事業双方の経験を積み、放送行政局放送政策課長や郵政事業庁人事課長、関東郵政局次長などを歴任した。平成16年(2004年)4月に日本郵政公社執行役員経営企画部門経営企画部長に、平成18年(2006年)4月に同社常務執行役員経営企画部、平成22年(2010年)6月に株式会社かんぽ生命保険専務執行役に、平成24年(2012年)7月に同社執行役副社長に、平成25年(2013年)6月に同社取締役兼代表執行役副社長(現任)に就任した。
志賀 俊之(しが としゆき、1953年9月16日 - )は、… 志賀 俊之(しが としゆき、1953年9月16日 - )は、日本の実業家。INCJ代表取締役会長、武田薬品工業社外取締役、ダイナミックマップ基盤社外取締役。日産自動車取締役、最高執行責任者、産業革新機構会長、経済同友会副代表幹事、日本自動車工業会会長等を歴任した。 和歌山県和歌山市出身。小学校4年から新宮市へ、中学・高校では打田町で過ごした。和歌山市に戻り、和歌山県立那賀高等学校を経て、1976年大阪府立大学経済学部卒業。 1976年に日産自動車に入社。最初の配属先は自動車関連ではなく、マリーン事業部だった。その後、アジア大洋州営業部ジャカルタ事務所長・企画室長を歴任。 1999年に日産がルノーと提携しCOOとなったカルロス・ゴーンの下、アライアンス推進室長を兼任。
湯川 哲生 (ゆかわ てつお、1953年(昭和28年)6月3… 湯川 哲生 (ゆかわ てつお、1953年(昭和28年)6月30日 - ) は、テレビユー山形取締役相談役、元同社代表取締役社長。元TBSホールディングス・TBSテレビ取締役、赤坂熱供給代表取締役社長。 和歌山県和歌山市出身。和歌山県立桐蔭高等学校、東京大学文学部卒業後、1978年4月にTBS入社。緑山スタジオ・シティ代表取締役会長、テレビユー福島顧問で元代表取締役社長の信国一朗、元TBS報道局主席解説委員の岩城浩幸、映画プロデューサーの永田守(大映元社長永田雅一の孫)は同期。特に信国とは東京大学でも同期にあたる。 TBS時代はメディア推進局1セグ放送開発部長、取締役コンテンツデジタルモバイル事業部長、取締役総務局広報部長、取締役総務局長、取締役経営企画室担当局長、赤坂熱供給代表取締役社長を歴任。
高岡 伸夫(たかおか のぶお、1953年‐)は日本の実業家で… 高岡 伸夫(たかおか のぶお、1953年‐)は日本の実業家である。株式会社タカショー 代表取締役社長。和歌山県出身。 1974年大阪経済大学卒業、1980年に大学時代の仲間とともに株式会社タカショー設立。 1998年にはジャスダック上場を果たす(2017年に東証二部へ市場変更)。社名の「タカショー」は前身の「高岡正一商店」の短縮形として名付けた。
竹中 平蔵(たけなか へいぞう、1951年〈昭和26年〉3月… 竹中 平蔵(たけなか へいぞう、1951年〈昭和26年〉3月3日 - )は、日本の実業家、政治家、経済学者。勲等は旭日大綬章。東洋大学グローバル・イノベーション学研究センター客員研究員。慶應義塾大学名誉教授。専門は経済政策。 世界経済フォーラム理事、SBIホールディングス社外取締役、森ビルアカデミーヒルズ理事長、日本経済研究センター研究顧問、外為どっとコム総合研究所首席研究理事、アドビ International Advisory Board メンバー、特定非営利活動法人万年野党アドバイザリーボードメンバー、一般社団法人外国人雇用協議会顧問、一般財団法人教育支援グローバル基金(BEYOND Tomorrow)アドバイザー、新生ホームサービス株式会社特別顧問、内閣日本経済再生本部産業競争力会議(民間)議員、内閣府国家戦略特別区域諮問会議(有識者)議員、RIZAPグループ経営諮問委員会委員、日本からヘイトをなくす会アドバイザー等を務める。
竹中 宣雄(たけなか のぶお、1948年(昭和23年)7月1… 竹中 宣雄(たけなか のぶお、1948年(昭和23年)7月16日 - )は、日本の実業家。ミサワホーム代表取締役社長を経て、同社取締役会長、プレハブ建築協会副会長。 和歌山県和歌山市生まれ。1972年に法政大学社会学部を卒業し、(旧)ミサワホームに入社した。松本での新人時代には、3年半で100棟売った逸話を持つ。ミサワホーム青森(現:東北ミサワホーム)赴任時には、39歳で代表取締役青森支店店長に就任。猛烈な営業で業績を向上させた。 1992年には、三澤千代治からの抜擢によって本社の営業企画部長に就任。1995年取締役に選出される。その後、千葉ミサワホーム(現:ミサワホーム東関東)、ミサワホーム東京の地域販社社長を歴任した。
和田 勇(わだ いさみ、1941年4月29日 - )は、日本… 和田 勇(わだ いさみ、1941年4月29日 - )は、日本の実業家。積水ハウス元代表取締役会長兼CEO、同社元相談役。 和歌山県橋本市の第一生命保険職員の家に生まれる。父が従軍のため、父の実家のある那賀郡上名手村(現紀の川市)に2歳のとき転居。村立上名手小学校卒業、紀の川市立那賀中学校(当時:応神中学校)卒業。叔父の養子となり、野球部が強かった和歌山県立伊都高等学校に進学。和歌山県立粉河高等学校に転校し、同校卒業。 中学・高校では野球部に所属したが、肩をケガして退部し、受験勉強を開始。1961年、1年間の浪人を経て第二志望の関西学院大学法学部に入学。大阪府泉佐野市に転居した父の家から大学に通ったものの、学業には力を入れず、麻雀や旅行をして過ごした。
浄弘 美津子(じょうぐ みつこ、1938年7月29日 - )… 浄弘 美津子(じょうぐ みつこ、1938年7月29日 - )は、日本の経営者。上新電機社長、会長を務めた。和歌山県出身。 1957年に和歌山県立桐蔭高等学校を卒業し、上新電機に入社。1985年11月に相談役に就任し、1986年5月に相談役を経て、1988年11月には会長に就任。1991年1月には社長も兼任し、1993年6月に相談役に就任。
島 正博(しま まさひろ、1937年3月10日 - )は、日… 島 正博(しま まさひろ、1937年3月10日 - )は、日本の実業家・発明家。島精機製作所代表取締役会長。血液型はA型。妻は和島興産社長の島和代。 和歌山県和歌山市出身。10代の頃から発明に熱中し、16歳の時には手袋編み機の特許を取得している。 県立和歌山工業高校卒業後、1962年に「手袋編機の自動化」という課題を掲げて島精機製作所を設立した。「研究開発」に力を注いでおり、1995年には画期的な無縫製ニット横編み機「ホールガーメント」を世に送り出した。 2014年7月11日、アメリカ合衆国ペンシルバニア州フィラデルフィアに在るドレクセル大学より名誉経営学博士号が授与された。 2017年6月28日、会長に就任。
亀井 敬之(かめい よしゆき、1934年11月9日 - )は… 亀井 敬之(かめい よしゆき、1934年11月9日 - )は、日本の経営者、銀行家。泉州銀行頭取を務めた。 和歌山県和歌山市出身。1957年に東京大学法学部を卒業し、同年に大蔵省に入省。1982年6月に関東信越国税局長、1985年6月に大臣官房審議官、1986年6月に造幣局長、1987年7月に住宅金融公庫理事を経て、1989年6月には泉州銀行専務に就任。1992年5月に副頭取を経て、1993年3月には頭取に就任。1999年6月に会長を経て、2000年6月には相談役に就任。 2007年4月に瑞宝中綬章を受章。
雜賀 慶二(さいか けいじ、1934年 - )は、日本の実業… 雜賀 慶二(さいか けいじ、1934年 - )は、日本の実業家。東洋ライス代表取締役。創業者。東京農業大学客員教授。一般社団法人和歌山県発明協会副会長。和歌山市少年少女発明クラブ副会長。一般財団法人雑賀技術研究所名誉会長。全国無洗米協会顧問。 和歌山県和歌山市に生まれる。1949年、和歌山市立城東中学校を卒業。祖父が1916年(大正5年)に設立した雜賀商会を手伝う。1961年に石抜機を発明(無石米)。11月1日、株式会社東洋精米機製作所を設立。1963年4月8日、財団法人雑賀技術研究所を設立し会長に就任。1985年、東洋精米機製作所社長に就任。1990年、味度計を開発。1991年、無洗米を発明。
玉本 敏雄(たまもと としお、ぎょくもと としお、1933年… 玉本 敏雄(たまもと としお、ぎょくもと としお、1933年9月 - )は、日本の実業家、艶福家。タイやカンボジアで多くの女性を囲い込んでいたことで知られる。 和歌山県かつらぎ町出身。1956年に大阪経済大学を卒業後、和歌山相互銀行に就職。1964年に砂利会社に転職して一時は社長を務めるものの砂利不足で会社が解散、別の砂利会社に転職したものの退職している。 1968年頃からタイに渡るようになる。1973年段階では、永住ビザの申請を試みていた。1972年、チエンマイ県で多数の少女を囲い込んでいることが日本の週刊誌で報道され内外で批難にさらされる。当時のタイでは学生らによる反日運動が激化していたことも問題を複雑化させた。
弓倉 礼一(ゆみくら れいいち、1929年1月2日 - 20… 弓倉 礼一(ゆみくら れいいち、1929年1月2日 - 2009年8月20日)は、日本の経営者。旭化成工業社長を務めた。 和歌山県和歌山市出身。1952年に京都大学法学部を卒業し、同年に旭化成工業に入社。 1976年6月に取締役に就任し、常務、副社長を経て、1989年6月に社長に就任し、1997年6月までに務めた。 1999年6月に藍綬褒章を受章。 2009年8月20日、急性心不全のために死去。83歳没。 この項目は、まだ閲覧者の調べものの参照としては役立たない、人物に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(P:人物伝/PJ:人物伝)。
疋田 耕造(ひきた こうぞう、1929年(昭和4年)1月1日… 疋田 耕造(ひきた こうぞう、1929年(昭和4年)1月1日 - )は、日本の実業家。コーナン商事創業者、初代代表取締役社長。 和歌山県新宮市生まれ。1945年(昭和20年)大阪市立住吉商業高等学校卒業。1951年(昭和26年)関西大学文学部英文科卒業。 寺下石油、木津川タンカー勤務を経て、28歳で石油商社「木津川石油商会」を立ち上げ、1961年「港南石油商会」創業、1970年(昭和45年)石油販売会社・日本燃料販売設立。石油危機をきっかけに事業の多角化を図るため、1978年(昭和53年)ホームセンター事業のコーナン商事設立。ホームセンターの草分けとして発展し、近畿地区トップのチェーンに成長させ、2001年には東証一部上場を果たした。
宮路 年雄(みやじ としお、1928年8月20日 - 199… 宮路 年雄(みやじ としお、1928年8月20日 - 1998年5月9日)は、日本の実業家。信光電機有限会社の代表取締役社長として家電量販店「城南電機」を経営した。 身長154センチメートル (cm) と小さな体躯と独特のダミ声に加え、明るいキャラクターで「城南電機の宮路社長」としてテレビ番組などに出演した。 和歌山県日高郡中津村(現在の日高川町)出身。1928年8月20日に地元で有数の材木商に四男四女の次男として出生する。 高津尾小学校を卒業後、1940年に和歌山県立和歌山工業学校機械科へ進学する。その後に太平洋戦争が勃発し、1941年12月から1年半、兵庫県明石市内の飛行機部品工場へ学徒動員される。
清滝 一也(きよたき かずや、1924年〈大正13年〉5月3… 清滝 一也(きよたき かずや、1924年〈大正13年〉5月31日 - 2024年〈令和6年〉5月10日)は、日本の経営者。大阪府池田市名誉市民。池田銀行頭取を務めた。プリンストン大学教授の清滝信宏は次男。実父は内外除虫菊社長の上山薫、養父は池田銀行頭取の清滝幸次郎。 和歌山県有田市出身。旧制佐賀高等学校を経て、1950年に東京大学法学部を卒業し、同年に日本興業銀行に入行。1979年11月に池田銀行に転じ、専務に就任し、1980年6月には頭取に就任。 1998年、いけだ市民文化振興財団理事長。2001年1月に会長に就任。2004年、相談役に就任。2012年、池田泉州銀行名誉顧問。 2024年5月10日、死去。
小野田 寛郎(おのだ ひろお、1922年3月19日 - 20… 小野田 寛郎(おのだ ひろお、1922年3月19日 - 2014年1月16日)は、日本の陸軍軍人、実業家。最終階級は予備陸軍少尉。旧制海南中学校・久留米第一陸軍予備士官学校・陸軍中野学校二俣分校卒。和歌山県出身。 情報将校とし第二次世界大戦に従軍し遊撃戦(ゲリラ戦)を展開、第二次世界大戦終結から29年を経て、フィリピン・ルバング島から日本へ帰還した。その後は、メディアにつきまとわれた事もあり、戦後の日本への適応は困難であった。 大正11年(1922年)、和歌山県海草郡亀川村(現・海南市)にて父・小野田種次郎(県議会議員)、母・タマエ(教師)の間に小野田家の四男として生まれる。小野田家は海南市小野田の宇賀部神社の宮司を代々務める家柄で、寛郎の家はその分家。
吉村 茂夫(よしむら しげお、1918年5月10日 - 20… 吉村 茂夫(よしむら しげお、1918年5月10日 - 2009年12月9日)は、日本の実業家。南海電気鉄道(南海電鉄)元社長・会長。 和歌山県岩出市出身。大阪商科大学(現・大阪市立大学)卒業後の1942年に南海鉄道へ入社。常務取締役、専務取締役を経て、1985年に南海電鉄代表取締役社長に就任し、1992年に代表取締役会長を歴任。 社長時代の1988年4月、南海ホークスのオーナーだった川勝傳の死去に伴い、後任としてオーナーを務めた。前任者の川勝時代から大阪スタヂアムを含めた「難波再開発」(後の「なんばパークス」)案が浮上した時から川勝は「ワシの目が黒いうちは球団は売らん!!」と表面上は強い姿勢を見せていたが(ただし青木一三は、川勝が秘密裏に売却先の候補として来島どっくやダイエーと接触していたことを自著で証言している)、南海ホークスは年間10億円の赤字だった。
神前 善一(こうざき よしかず、1914年8月19日 - 1… 神前 善一(こうざき よしかず、1914年8月19日 - 1984年2月6日)は、日本の経営者。和歌山県出身。 1932年に和歌山商業学校を卒業し、同年に松下電工に入社。1947年7月に取締役に就任し、1955年1月に常務、1964年9月に専務を経て、1977年2月には社長に就任。1982年2月から副会長を務めた。 1984年2月6日急性心筋梗塞のために死去。69歳没。
谷水 信夫(たにみず のぶお、1912年6月24日 - 19… 谷水 信夫(たにみず のぶお、1912年6月24日 - 1971年11月8日)は、日本の実業家、競走馬生産者、馬主。 関西でゴルフ場を運営するタニミズ企画株式会社の創業者。サラブレッド競走馬のオーナーブリーダー(生産馬主)としても著名であり、北海道にカントリー牧場を創業してタニノムーティエなど数々の活躍馬を輩出した。 1912年、和歌山県に生まれる。後に大阪府へ移って町工場規模の鉄工所を営んだが、太平洋戦争中に大阪大空襲で工場を焼かれ、一時廃業を余儀なくされた。終戦後は京都府に移り、駄馬による運送業を営んで資力の立て直しを図った。後に新たな鉄工所「マルナカ製作所」を興し、当時人気のあったポン菓子の製造機を量産、関西で8割のシェアを獲得した。
島田 賢一(しまだ けんいち、1910年5月24日 - 19… 島田 賢一(しまだ けんいち、1910年5月24日 - 1978年2月20日)は、日本の実業家。チッソ代表取締役社長として、水俣病患者との交渉にあたった。 和歌山県田辺市出身。1934年、東京商科大学(現・一橋大学)卒業。同年、日本窒素肥料(現・チッソ)入社。1949年、日本窒素肥料水俣工場総務部長。同年、日本窒素肥料営業部長。1950年、新日本窒素肥料営業部長。1952年、第二営業部長。1955年、繊維部長。1956年、ミナロン営業部長。1959年、取締役。1963年、常務取締役。1967年11月、副社長。 1971年5月26日に開かれた株主総会は一株運動との対決で大きな騒動となり、チッソは世論の厳しい批判を浴びた。
河本 春男(かわもと はるお、1910年3月28日 - 20… 河本 春男(かわもと はるお、1910年3月28日 - 2004年1月27日)は、愛知県出身の実業家、サッカー選手・指導者。 愛知県の出身。1923年に入学した愛知県立刈谷中学校(現・愛知県立刈谷高等学校)時代よりサッカーを始める。1928年に入学した東京高等師範学校(現・筑波大学)でも蹴球部(現在の筑波大学蹴球部)に所属した。1932年に同校を卒業後は兵庫県立第一神戸中学校の体育教諭となり、同校サッカー部の部長も務め、同年に開催された全国中等学校蹴球選手権大会で優勝に導いた。 1941年に第二次世界大戦に伴って従軍するが、1943年に除隊した。1947年より実業界に進んで、1958年に「アルプスバター神戸直売所」を創業。
新山 滋(にいやま しげる、1909年4月1日 - 1994… 新山 滋(にいやま しげる、1909年4月1日 - 1994年7月18日)は、日本の経営者。 和歌山県和歌山市出身。1927年に海草中学校を卒業し、同年に南海鉄道(南海電気鉄道の前身)に入社し、1959年6月に総務部長に就任した。その一方で、1964年10月から1974年10月までに南海ホークス球団社長を務め、1972年にはパ・リーグ理事長に就任した。 1994年7月18日、急性肺炎のために堺市の病院で死去。85歳没。
藤本 一郎(ふじもと いちろう、1909年1月21日 - 1… 藤本 一郎(ふじもと いちろう、1909年1月21日 - 1998年8月27日)は、日本の経営者。川崎製鉄社長、会長を務めた。 和歌山県新宮市出身。1928年に東京帝国大学工学部冶金学科を卒業し、同年に川崎造船所に入社。1950年8月に川崎製鉄に転じ、1953年10月に取締役に就任し、常務、専務を経て、1964年6月に副社長に就任した。1966年7月に社長に昇格し、1977年6月には会長に就任し、1981年6月から相談役を務めた。社長在任時には、千葉製鉄所や水島製鉄所などの臨海大型製鉄所の建設と溶鉱炉の大型化を推進し、1974年にはブラジルにツバロン製鉄を設立し、川崎製鉄の基盤を築いた。 日本鉄鋼協会会長も務めた。
黒田龍馬(くろだ りょうま、1904年(明治37年)1月3日… 黒田龍馬(くろだ りょうま、1904年(明治37年)1月3日 - 1986年(昭和61年)6月18日)は、日本のジャーナリストで経営者。 毎日新聞社取締役、中部本社社長や毎日大阪会館社長を務めた。1921年 全国中学校大会で走高飛1m69cmの日本記録を樹立しアジア大会(当時:極東選手権大会)に出場。日本学生陸上競技連合の設立に関わる。 1904年 (明治37年)1月3日 東京市神田区小川町3番地にて父 安吉と母 くりの長男として生まれる。二人の弟と3人の妹の6人兄弟。 1911年(明治44年)4月 東京市小川尋常小学校(平成2年に閉校)に入学 1917年(大正6年)龍馬13歳 小川尋常小学校卒業。
田中 四郎(たなか しろう、1901年 - 1945年8月1… 田中 四郎(たなか しろう、1901年 - 1945年8月15日)は、日本の実業家。歌人・俳人としても知られ、青野 梓のペンネームでも活動した。神戸高等商業学校在学中に初代学生横綱になった経歴があるほか、戦時期には出版統制機関である日本出版文化協会で要職を務めている。夫人は金子直吉の次女・須磨子。 和歌山県出身。和歌山商業学校(現在の和歌山県立和歌山商業高等学校)時代、全国少年相撲大会で優勝した。 1918年(大正7年)、神戸高等商業学校に入学(第16回生)、相撲部に所属。全国少年相撲大会での優勝経験によって相撲部キャプテンであった久琢磨がスカウトをかけたという。1919年(大正8年)、第1回全国学生相撲大会で優勝し、初代学生横綱となった。
竹中 治(たけなか おさむ、1900年4月10日 - 196… 竹中 治(たけなか おさむ、1900年4月10日 - 1967年4月15日)は、日本の実業家。ジャパンライン(現商船三井)創業者・初代社長。 和歌山県和歌山市出身。東京商科大学(現一橋大学)卒業後、商工省入省。小学校で両親を失い、家庭教師をしながら大学に通った。 その後退官し、1937年日東鉱業汽船設立。海運業のほか証券業、新聞業、石油、ガス、石炭、金属、不動産、化学などを幅広い事業を手がける。 戦後1947年に日東商船創立。1964年大阪商船との合併交渉が決裂し、大同海運と合併し、ジャパンライン設立、同社社長に就任。 1956年の第4回参議院議員通常選挙に全国区から自由民主党公認で立候補したが落選した。
今村 長太郎(いまむら ちょうたろう、1900年(明治33年… 今村 長太郎(いまむら ちょうたろう、1900年(明治33年)3月25日 – 1969年(昭和44年)6月1日)は、大正から昭和期の実業家、政治家。衆議院議員(2期)。 和歌山県和歌山市で生まれた。メリヤス製造業を営み、和歌山商工会議所議員、和歌山メリヤス生地工業組合理事長、和歌山県莫大小製造統制組合理事長、同県メリヤス商工業協同組合理事長、日本メリヤス工業会理事、同会生地部全国委員長、日本メリヤス統制取締役などを務めた。 政界では、1940年(昭和15年)から1947年(昭和22年)まで和歌山市会議員に在任。1947年4月、第23回衆議院議員総選挙で和歌山県第1区から日本自由党公認で立候補して当選し、次の第24回総選挙でも当選し、衆議院議員に連続2期在任した。
阪田 誠盛(さかた しげもり、1900年3月21日 - 19… 阪田 誠盛(さかた しげもり、1900年3月21日 - 1975年2月)は、日本の実業家。陸軍将校。日本陸軍の特務機関である「松機関(阪田機関)」を組織、満州・上海・香港を舞台に数々の謀略に携わる。帝国陸軍はもとより、蔣介石率いる国民軍からも絶大な信頼を得た稀有な日本人。中国名は田誠。 1900年3月21日、和歌山県田辺市生まれ。幼名は文吉。生家は阿部で藤原の流れをくむ、代々神官を務めた名家である。父親は阿部誠輝(しげてる)。剣の達人であった誠輝は、西南戦争で官軍将校として出征、田原坂の戦闘において武功をあげた。後に明治政府より男爵位を叙せられるが「分不相応」と返上している。誠輝の死後、母親のタツが奈良の豪商、阪田作次郎の養女となり、阪田姓を名乗るようになる。
田淵 光一(田渕 光一、たぶち こういち、1900年(明治3… 田淵 光一(田渕 光一、たぶち こういち、1900年(明治33年)2月3日 – 1972年(昭和47年)5月3日)は、昭和期の実業家、政治家。衆議院議員。「田渕」と表記される場合がある。 和歌山県有田郡、のちの金屋町(現有田川町)で生まれた。法政大学専門部法律科で学んだが、関東大震災で負傷し中退した。 1937年(昭和12年)日本林産鉱業取締役社長、1938年(昭和13年)明治採炭鉱業社長にそれぞれ就任し、1942年(昭和17年)から三重県、奈良県で亜炭鉱山上野炭鉱などを経営した。その他、奈良県亜炭鉱業会長、近畿亜炭鉱業会理事、全国亜炭鉱業連合会常任理事、奈良県亜炭協同組合理事長、石炭増産協力会推進専門委員、全国亜炭産業会総務理事、全国亜炭協会長、国際化成社長、伊賀窯業取締役などを務めた。
田嶋 一雄(たしま かずお、1899年11月20日 - 19… 田嶋 一雄(たしま かずお、1899年11月20日 - 1985年11月19日)は、日本の実業家。ミノルタカメラ(現:コニカミノルタ)創業者。和歌山県海南市出身。 座右の銘は「難有り有難し」。 1899年11月20日、和歌山県海草郡日方町(現:海南市日方)で父・田嶋常吉と母・きくえの長男として生まれた。田嶋家は鎌倉時代に大野荘を管理していた大野十番頭を務めた家柄で、祖父・長三郎の代から漆器製造卸業の田嶋長三郎商店を営んでいた。父親は神戸で貿易会社を経営していた。 日方尋常高等小学校、和歌山商業学校を経て、神戸高商を受験したが受からず、親戚が慶應義塾長の鎌田栄吉と知り合いであったことから同大経済学部に進学し、1923年に卒業。
森川 仙太(もりかわ せんた、1895年(明治28年)10月… 森川 仙太(もりかわ せんた、1895年(明治28年)10月16日 - 1981年(昭和56年)12月27日)は、大正から昭和期の実業家、政治家。衆議院議員、和歌山県有田市長。位階は従五位。 和歌山県有田郡宮崎村(箕島町、有田町を経て現有田市新堂)で、森川仙太郎の二男として生まれる。1914年(大正3年)和歌山県立和歌山中学校(現和歌山県立桐蔭中学校・高等学校)を卒業した。 柿本銀行に入行。簑島信用組合理事、日本除虫菊輸出組合理事、和歌山県除虫菊製品工業組合専務理事、帝国除虫菊取締役社長、北海道除虫菊工業取締役社長、紀ノ川製粉取締役社長、キング除虫菊取締役社長、北王製油取締役社長などを務めた。 1918年(大正7年)紀勢西線鉄道敷設期成同盟会幹事長に就任。
松下 幸之助(まつした こうのすけ、1894年〈明治27年〉… 松下 幸之助(まつした こうのすけ、1894年〈明治27年〉11月27日 - 1989年〈平成元年〉4月27日)は、日本の実業家、発明家、著述家。位階は正三位。 パナソニックホールディングスを一代で築き上げた経営者である。異名は「経営の神様」。その他、PHP研究所を設立して倫理教育や出版活動に乗り出した。さらに晩年は松下政経塾を立ち上げ、政治家の育成にも意を注いだ。 1894年11月27日、和歌山県海草郡和佐村千旦ノ木(現:和歌山市禰宜)に、小地主松下政楠・とく枝の三男として出生。家が松の大樹の下にあったところから松下の姓を用いたとする。 1899年頃、父が米相場で失敗して破産したため、一家で和歌山市本町1丁目に転居し、下駄屋を始めた。
前田 善治(まえだ ぜんじ、1893年(明治26年)5月31… 前田 善治(まえだ ぜんじ、1893年(明治26年)5月31日 - 1970年(昭和45年)6月2日)は、日本の農業経営者、実業家、政治家。衆議院議員。 和歌山県名草郡安原村字吉原(現・和歌山市)で前田和一の長男として生まれ、1910年、前田勝之助の養子となる。北海道庁立上川中学校を経て、慶應義塾大学部理財科で学んだ。北海道に戻り農業を営む。 旭川信用組合監事、北日本無尽 (株) 監査役、下村育英財団理事、前田和一商店社長、旭川小型モータース社長、旭川信用金庫理事、旭川瓦斯 (株) 常任監査役、人事調停委員などを務めた。 政界では、旭川市会議員、同議長、北海道会議員、同参事会員を歴任。この間、旭川市長候補者に推薦されたが承諾しなかった。