久光 正郎(ひさみつ まさお、1948年1月2日 - 201… 久光 正郎(ひさみつ まさお、1948年1月2日 - 2018年3月6日)は、日本の実業家。中部飼料代表取締役社長や、日本飼料工業会会長を務めたが、任期途中で退任し急逝した。 1966年、岡山県立勝間田農林高等学校(現 岡山県立勝間田高等学校)卒業。 同1966年、中部飼料入社。1998年中部飼料開発営業部長。2001年中部飼料鹿島工場長兼開発営業部長。2002年中部飼料取締役鹿島工場長。2006年中部飼料取締役岡山工場長兼水島工場長。2008年中部飼料常務取締役岡山工場長兼水島工場長。2010年中部飼料専務取締役飼料本部長兼研究技術部長。2012年中部飼料専務取締役飼料本部長兼営業推進室長。2014年中部飼料専務取締役飼料本部長。
原 憲一(はら けんいち、1947年(昭和22年)5月27日… 原 憲一(はら けんいち、1947年(昭和22年)5月27日 - )は、日本のジャーナリスト、実業家。RSKホールディングス会長。元(RSK)山陽放送アナウンサー、JNNカイロ支局長。岡山県備前市出身。 1970年、当時の山陽放送にアナウンサーとして入社し、ニュース・報道を中心に担当。RSKラジオディレクター時代には岡山刑務所で行われる刑務所内放送のディスクジョッキーの指導に携わる。その後RSKテレビ報道部に配属、ハンセン病療養所の取材などに携わる。 1990年、TBS報道局へ出向、JNNカイロ支局長に赴任し、湾岸戦争と、その引き金を作るイラクのクウェート侵攻などの取材に携わり、海鳥が湾岸戦争による重油流出で油まみれになった様子を、CNNの記者共々アジア人で唯一取材した。
矢尾 宏(やお ひろし、1946年8月2日 - )は日本の実… 矢尾 宏(やお ひろし、1946年8月2日 - )は日本の実業家。三菱マテリアル代表取締役社長、代表取締役会長、日本鉱業協会会長、セメント協会会長、日本アルミニウム協会会長等を歴任。 岡山県出身。岡山県立倉敷青陵高等学校を経て、1969年一橋大学社会学部卒業。1969年三菱金属鉱業(現三菱マテリアル)入社。1982年からシカゴに赴任。各国の工場を訪ね、世界に販売網を築く。 1997年三菱マテリアル株式会社加工事業本部超硬製品部長、1998年米国三菱マテリアル社長、2001年三菱マテリアル執行役員、2002年経営企画室長、2003年常務執行役員、2004年常務取締役、2006年副社長兼ユニバーサル製缶代表取締役社長、2008年三菱アルミニウム代表取締役社長、2010年三菱マテリアル経営顧問。
小池 明夫(こいけ あきお、1946年(昭和21年)7月28… 小池 明夫(こいけ あきお、1946年(昭和21年)7月28日 - )は、日本の実業家、北海道旅客鉄道(JR北海道)第5代・第7代社長、第3代・第5代会長。現アークス社外取締役。岡山県高梁市出身。 1946年、岡山県高梁市に生まれる。1962年(昭和37年)、岡山県立高梁高等学校へ進学する。高校の同期には、最高裁判所司法研修所教官・電通監査役を務める濱田俊郎や、画家の平松利昭がいた。また、同校の仲の良い後輩として2個下には、後に東芝の副社長となる田井一郎もいる。1965年(昭和40年)同校を卒業し、東京大学へ入学。1969年(昭和44年)には東京大学経済学部を卒業し、日本国有鉄道(国鉄)に入社した。
吉村 武司(よしむらたけし、1946年(昭和21年)7月24… 吉村 武司(よしむらたけし、1946年(昭和21年)7月24日 - )は、日本の実業家。元・政治家。 全国27か所の事業所で自動車教習所事業を展開するSDS(Safety Driving System)グループの代表取締役である。 2013年4月14日に行われた備前市長選挙に出馬し初当選。 2025年4月、任期満了で市長退任。 吉村が市長に就任した2013年度より備前市の将来像を『古くて新しい「教育のまち備前」~学びの現郷 閑谷学校が開かれたまち』と設定して総合計画を策定。平成27年度に文化庁が創設した「日本遺産魅力発信推進事業」に備前市、水戸市、足利市、日田市の共同で申請。2015年4月24日に旧閑谷学校は「近世日本の教育遺産群─学ぶ心・礼節の本源─」として、日本遺産第一号登録を果たした。
三村 益一郎(みむら ますいちろう、1946年(昭和21年)… 三村 益一郎(みむら ますいちろう、1946年(昭和21年)4月3日 - )は、日本の実業家である。日本ビクター(現:JVCケンウッド)取締役の後、第5代アドテック代表取締役社長。岡山県出身。 1946年(昭和21年)岡山県に生れる。その後、地元の岡山県立高梁高校へ進学する。同期には、JR北海道社長をつとめた小池明夫、画家の平松利昭、最高裁判所司法研修所教官・電通監査役を務める濱田俊郎がいる。1965年(昭和40年)同校を卒業し、静岡大学工学部へ進学する。1969年(昭和44年)同校を卒業し、就職する。 1969年4月、日本ビクターへ入社する。その後、順調に出世していき、1995年(平成7年)4月にカーエレクトロニクス事業副部長に就任する。
宮原 耕治(みやはら こうじ、1945年12月3日 - )は… 宮原 耕治(みやはら こうじ、1945年12月3日 - )は、日本の経営者、財界人。第18代日本郵船社長。岡山県出身。
野津 喬(のづ たかし、1945年〈昭和20年〉9月19日 … 野津 喬(のづ たかし、1945年〈昭和20年〉9月19日 - 2017年〈平成29年〉11月24日)は、日本の経営者。オハヨー乳業代表取締役社長、カバヤ食品代表取締役社長などを務めた。長男は池田基煕(旧名:野津基弘、旧岡山藩主池田家第16代当主池田隆政の妻で昭和天皇第4皇女池田厚子の養子)。 岡山県総社市出身。野津克巳の長男。1968年に慶應義塾大学商学部を卒業、同年にオハヨー乳業に入社し、常務にも就任。1971年に副社長に就任し、1975年には社長に昇格。 2015年から日本カバヤ・オハヨーホールディングス会長を務めた。カバヤ食品代表取締役社長や岡山日日新聞社代表取締役社長、岡山放送取締役相談役、日本青年会議所会頭なども務めた。
小川富太郎(おがわ とみたろう、1945年4月16日 - )… 小川富太郎(おがわ とみたろう、1945年4月16日 - )は、日本の技術者、実業家。岡山県笠岡市出身。住友ベークライト代表取締役社長、代表取締役会長を務めた。 この項目は、まだ閲覧者の調べものの参照としては役立たない、人物に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(P:人物伝/PJ:人物伝)。
廣瀨 博(ひろせ ひろし、1944年8月23日 - )は、日… 廣瀨 博(ひろせ ひろし、1944年8月23日 - )は、日本の実業家。岡山県生まれ。住友化学代表取締役社長。
藤原 隆昭(ふじわら たかあき、1944年 - )は、日本の… 藤原 隆昭(ふじわら たかあき、1944年 - )は、日本の経営者。山陽放送社長を務めた。 岡山県岡山市出身。1968年に関西大学法学部法律学科を卒業し、同年に山陽放送に入社。2007年6月に社長に就任し、2011年6月までに務めた。
大西 正躬(おおにし まさみ、1943年10月21日 - )… 大西 正躬(おおにし まさみ、1943年10月21日 - )は、日本の経営者。 岡山県出身。岡山県立和気閑谷高等学校を経て、1968年に大阪大学理学部大学院を修了し、同年に鐘淵化学工業(のちのカネカ)に入社。1996年6月に取締役に就任し、2000年6月に常務、2003年6月に専務を経て、2005年6月に社長に就任した。2008年4月に健康上の理由で退く。
長瀬 寧次(ながせ やすじ、1943年5月13日 - )は、… 長瀬 寧次(ながせ やすじ、1943年5月13日 - )は、日本の経営者。日立化成工業社長を務めた。岡山県出身。 岡山県立瀬戸高等学校を経て、1966年に京都大学工学部を卒業し、1967年に日立化成工業に入社した。1995年に取締役に就任し、1996年に常務、1997年6月に専務、1999年12月に副社長、2001年5月に日立ハウステック社長を経て、2003年4月には社長に就任。2009年4月には取締役に退いた。
本多 義弘(ほんだ みちひろ、1942年10月13日- )… 本多 義弘(ほんだ みちひろ、1942年10月13日- )は、日本の経営者。日立金属社長、会長を務めた。岡山県出身。 1965年に静岡大学工学部工業化学科を卒業し、同年に日立金属に入社した。1995年6月に取締役に就任し、1999年6月に常務に就任し、2003年6月には社長に昇格した。2006年6月から2010年4月までに会長を務めた。
立木 正夫(たちき まさお、1941年3月31日 - 201… 立木 正夫(たちき まさお、1941年3月31日 - 2018年8月6日)は、日本の経営者。サントリー取締役を経て日本バレーボール協会第7代会長となる。地元の市政アドバイザーも務めた。岡山県高梁市出身。 1941年、岡山県高梁市生まれ。地元の岡山県立高梁高等学校を卒業後、東京大学へ入学。東大では、バレーボール部に所属していた。その後、1964年に東京大学法学部を卒業し、同年にサントリーに入社した。 サントリーでは、1987年に取締役に就任し、宣伝担当となった。1990年には、日本マーケティングジャーナルへ「マス広告への期待」と題して寄稿している。 1991年に常務を経て、2003年4月に専務に就任する。
川端 正男(かわばた まさお、1941年(昭和16年)3月2… 川端 正男(かわばた まさお、1941年(昭和16年)3月21日 - 2018年(平成30年)6月22日 )は、日本の実業家である。大手非鉄金属メーカーであるフジクラ代表取締役・副社長を務めた。岡山県高梁市出身。 1941年(昭和16年)岡山県上房郡高梁町(現:高梁市)に生れる。高梁北小学校時代は、1学年上に、ANAホールディングス会長になる大橋洋治がいた。大橋は途中で岡大附属小学校へ転校するが、以降生涯に渡り仲が良かった。その後、市立高梁中学校を経て、地元の岡山県立高梁高等学校へ進学、1959年(昭和34年)同校を卒業する。同年、岡山大学文学部へ進学し、1963年(昭和38年)同大学を卒業する。
大橋 洋治(おおはし ようじ、1940年(昭和15年)1月2… 大橋 洋治(おおはし ようじ、1940年(昭和15年)1月21日 - )は、日本の実業家。全日本空輸(全日空)社長、 ANAホールディングス会長、日本経済団体連合会副会長。 現在の中華人民共和国東北部の佳木斯で生まれ、岡山県高梁市で育つ。 父親は長崎高等商業学校卒で、ブリヂストンの石橋正二郎の秘書的な仕事を経て、大連で貿易商を営み、シベリア抑留を経験した。柔道四段の腕前で、大橋もその影響で高校時代は柔道部に所属した。 1964年4月、慶應義塾大学法学部政治学科を卒業後、全日本空輸入社。 2001年4月に社長に就任。在任中は、アメリカ同時多発テロ事件や日本航空と旧日本エアシステムの統合など業界の激変に直面。
野瀬 勝三(のせ かつぞう、1940年(昭和15年)- )は… 野瀬 勝三(のせ かつぞう、1940年(昭和15年)- )は、日本の実業家である。岡山県庁職員となった後、健康づくり財団の職員となり、井原鉄道の経営危機に際して取締役として経営再建に取り組んだ。岡山県倉敷市出身。 1940年(昭和15年)、岡山県倉敷市で野瀬富男の長男として出生する。その後、1956年(昭和31年)4月に岡山県立高梁高等学校へ進学する。同期には、第7代日本バレーボール協会会長、サントリー取締役となる立木正夫がいた。1959年(昭和34年)3月に同校を卒業後、同年、岡山県庁へ就職する。 岡山県庁では総務畑を歩み、空港対策室長代理を経験した後、1996年(平成8年)55歳で津山地方振興局総務課長となり、1997年(平成9年)総務部参与・総務部総務学事課長(次長扱い)となる。
石部 修平( いしべ しゅうへい、1939年10月13日- … 石部 修平( いしべ しゅうへい、1939年10月13日- )は、日本の経営者。荒川化学工業元代表取締役社長である。 1939年の生まれ。岡山県の出身である。1958年3月に岡山県立倉敷青陵高等学校を卒業。1962年3月に山口大学文理学部を卒業し、荒川化学工業に入社。同社商品開発部長・生産部長・常務取締役を経て、1992年に同社の2代目代表取締役社長に就任した。2002年に同社会長・相談役となる。 2003年に「近畿おかやま会」会長に就く。
天野 肇(あまの はじめ、1939年4月29日 - 2022… 天野 肇(あまの はじめ、1939年4月29日 - 2022年12月30日)は、日本の実業家。元天野実業取締役会長。元福山商工会議所会頭。元広島県教育委員会委員長。 元々天野実業は、粉末調味料の製造を主な事業としていた(ちなみに、カラメルの粉末技術は日本初)。そんな中、真空凍結乾燥機を設置したことによって、大手食品メーカーから技術力への注目が高まり、日清製粉からインスタントラーメンの具を共同開発しようと持ちかけてた。当時、常務取締役だった天野は、開発に取り組み、世界初のインスタントラーメンの具(フリーズドライ)を完成させることができた。その後、1972年に起こったあさま山荘事件で、警察官が犯人との持久戦でカップラーメンを食べている姿をテレビで見て、「フリーズドライの下請けもいいが、どうせなら自社でオリジナルの商品を作ってはどうだろうか」と思い。
好川 純一(よしかわ じゅんいち、1939年3月7日 - )… 好川 純一(よしかわ じゅんいち、1939年3月7日 - )は、日本の自動車技術者・実業家。トヨタ自動車取締役や、豊田紡織代表取締役社長、トヨタ紡織代表取締役会長、岡山大学経済学部特任教授等を歴任した。 岡山県久米郡美咲町出身。1961年徳島大学工学部機械工学科卒業、トヨタ自動車工業入社。大野耐一に師事しトヨタ生産方式の整備にあたり、楠兼敬の下でトヨタ自動車生産調査室主査(部長)として、生産調査室の活動の確立を進めたのち、1988年トヨタ自動車取締役に昇格。トヨタ自動車高岡工場長、上郷工場長を経て、1994年豊田紡織取締役副社長。 1996年から豊田紡織代表取締役社長を務め、2004年にはアラコ、タカニチとの合併契約を締結し、トヨタ紡織への商号変更を行った。
伊原木 一衛(いはらぎ かずえ、1939年1月4日 -)は、… 伊原木 一衛(いはらぎ かずえ、1939年1月4日 -)は、日本の経営者。天満屋社長、会長を務めた。 岡山県岡山市出身。1961年に慶應義塾大学法学部政治学科を卒業。1960年7月に天満屋社長に就任。1998年5月には会長。 1980年4月からは岡山商工会議所会頭を務めた。 1964年に紺綬褒章を受章した。
河内 洋輔(かわうち ようすけ、1938年(昭和13年) -… 河内 洋輔(かわうち ようすけ、1938年(昭和13年) - )は、日本の実業家であり、作家でもある。日本統治下の台湾・高雄市で生れる。戦後台湾から引き揚げて、両親の故郷である岡山県へ帰郷する。東京都荒川区にある町工場の太陽興業社長を務め、現会長となる。岡山県加賀郡吉備中央町出身。 1938年(昭和13年)台湾警察に勤めていた岡山県出身の父・河内極の長男として出生。河内一家は、台湾南部の高雄市に住んでおり、父は特高警察に勤務、他に母と生れて間もない妹のマスミがいた。 第二次世界大戦で日本が負けると、その当日(1945年8月15日)の晩から翌日にかけて日本人への襲撃や暴動が台湾各地で発生する。この時、河内は、父親の勤める台湾警察の官舎に住んでいた。
高谷 茂男(たかや しげお、1937年〈昭和12年〉1月1日… 高谷 茂男(たかや しげお、1937年〈昭和12年〉1月1日 - 2024年〈令和6年〉8月8日)は、日本の政治家、実業家。岡山県岡山市長(第33・34代)。 岡山県総社市出身。岡山大学法経短期大学部法経科第二部卒業。1959年、岡三證券(現:岡三証券グループ)に入社し、岡山支店に勤務する。1964年、山陽玩具(現:サンヨープレジャー)代表取締役社長に就任。その後、1995年におもちゃ王国代表取締役社長、2001年にチボリ・ジャパン(倉敷チボリ公園の運営企業)代表取締役社長に就任する。また社団法人日本青年会議所岡山ブロック協議会副会長(1977年〜)、岡山市商店会連合会副会長(1985年〜)、岡山商工会議所副会頭(1995年〜)、社団法人岡山西法人会会長(2003年〜)、社団法人岡山経済同友会常任幹事(2005年~)等の役職を歴任した。
伊達 美徳(だて よしのり、1937年 - )は、アール・ア… 伊達 美徳(だて よしのり、1937年 - )は、アール・アイ・エーの元取締役。伊達計画文化研究所代表取締役所長。日本都市計画家協会常務理事事務局長。日本の都市計画家。岡山県高梁市出身。 1937年(昭和12年)、岡山県高梁市に生まれる。実家は神社の境内にあった。その後、地元の岡山県立高梁高校を1956年(昭和31年)に卒業し、東京工業大学理工学部(建築学課程)へ進学。1961年3月、同大学を卒業した。卒業後、都市計画コンサルタント事務所であるアール・アイ・エーに就職した。 入社後、様々な都市計画を担当した。1963年には、日本住宅公団の名古屋港地区再開発計画を担当し、1980年代には東京都中央区勝どきの再開発を担当した。
安原 裕(やすはら ひろし、1936年8月19日 - )は、… 安原 裕(やすはら ひろし、1936年8月19日 - )は、日本の経営者。富士紡績社長、会長を務めた。 岡山県高梁市出身。1961年に学習院大学政経学部政治学科を卒業し、同年に富士紡績に入社。1990年6月に取締役に就任し、1991年6月に常務、1996年12月に専務を経て、1998年6月に社長に就任。2001年6月に取締役相談役を経て、2002年6月には顧問に就任。
岡野 利道(おかの としみち、1936年8月6日 - )は、… 岡野 利道(おかの としみち、1936年8月6日 - )は、日本の経営者。三井造船社長を務めた。岡山県玉野市出身。 1959年に九州大学工学部造船学科を卒業し、同年に三井造船に入社。1992年6月に取締役に就任し、1995年6月に常務を経て、1997年6月に社長に就任。2001年6月には会長に就任し、2003年6月に相談役に退いた。
西山 孝(にしやま たかし、1935年8月18日 - 201… 西山 孝(にしやま たかし、1935年8月18日 - 2016年4月25日)は、日本の経営者。ミニストップ社長、会長を務めた。岡山県岡山市出身。 1958年に大阪市立大学商学部を卒業。野村證券での勤務を経て、1968年に明星食品取締役に就任し、1978年に常務を経て、1983年5月にミニストップ社長に就任。1995年5月に会長を経て、1998年5月には監査役に就任。 2016年4月25日、喘息のために死去。80歳没。
森澤 寛二(もりさわ かんじ、1934年(昭和9年)- )は… 森澤 寛二(もりさわ かんじ、1934年(昭和9年)- )は、日本の実業家。元・伊藤忠商事副社長、顧問を経て岡山県高梁市の市政アドバイザーを務める。 1934年(昭和9年)父親の仕事の関係で旧満州に生まれる。終戦後、中学2年の時に親の実家のある高梁へ引き揚げた。その後、岡山県立高梁高等学校へ進学した。高梁高校時代は、同期に富士銀行頭取を務めた橋本徹が友人にいる。高校卒業後、慶応義塾大学へ進学。1955年(昭和30年)頃、東京での学生の生活費は月1万円程度であり、仕送りと育英会援助やアルバイトで捻出した。二年間、同郷の大学友人と同じ下宿で生活し、たまに友人の実家から送られてくる米や野菜で食事をつくってたべる生活だったと語っている。
福島 吉治(ふくしま よしじ、1933年10月5日 - )は… 福島 吉治(ふくしま よしじ、1933年10月5日 - )は、日本の実業家。元CSK会長、元セガ会長、元野村證券投資信託委託(現野村アセットマネジメント)会長、元野村證券副社長。岡山県津山市出身。 1933年岡山県津山市に生まれる。1956年に滋賀大学経済学部を卒業後、野村證券へ入社。同社取締役、常務取締役、代表取締役専務、代表取締役副社長、野村證券投資信託委託代表取締役社長を経て、1995年代表取締役会長。翌1996年にCSK代表取締役社長就任し、2000年代表取締役会長。2001年セガ取締役会長。 この項目は、人物に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(プロジェクト:人物伝、Portal:人物伝)。
橋本 實(はしもと みのる、1931年(昭和6年)8月17日… 橋本 實(はしもと みのる、1931年(昭和6年)8月17日 - )は、日本の実業家。日本鋼管常務を務めた後、日本鋼管子会社の社長を務めた。日本鋼管が川崎製鉄と合併し、JFEスチールが誕生すると子会社のJFE物流特別顧問となる。東京都渋谷区出身。 大日本麦酒(現:サッポロビール)の常務を務めた橋本卯太郎の孫。ジャーナリストの橋本明、外交官の橋本宏は弟。首相を務めた橋本龍太郎、高知県知事を務めた橋本大二郎は従弟にあたる。 1931年(昭和6年)後に最高検察庁検事になる東京在住の父・橋本乾三と母・千代の長男として出生する。東京の学校に通うが、小学校在学中に日本の戦況が徐々に悪化するに伴い、学習院初等科の3年生以上が疎開を開始する。
赤木 恭平(あかぎ きょうへい、1931年(昭和6年) - … 赤木 恭平(あかぎ きょうへい、1931年(昭和6年) - )は、日本の実業家で、スポーツ団体役員。世界のボウリング普及活動が認められて、2002年より日本オリンピック委員会名誉委員になる。岡山県高梁市出身。 地元の岡山県立高梁高等学校に進み、1950年(昭和25年)に卒業後、上京して早稲田大学法学部に進学した。早稲田大学法学部を卒業後、サラリーマン生活を経てから一念発起して起業。知人の誘いで1971年から全日本ボウリング協会(1964年設立)を財団法人化する活動に協力するようになった。認可を得てからも自身の会社を経営するかたわら協会の運営に携わり、1995年から16年にわたり会長を務め上げると同時に、世界ボウリング連盟の会長(1995年 - 1998年)として力を尽くしてきた。
吉田 憲治(よしだ けんじ、1930年(昭和5年)1月17日… 吉田 憲治(よしだ けんじ、1930年(昭和5年)1月17日 - 2014年(平成26年)6月29日)は日本の実業家、元トマト銀行社長・会長。岡山県津山市出身。 この項目は、人物に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(プロジェクト:人物伝、Portal:人物伝)。
有田 英世(ありた えいせい、1929年(昭和4年)8月23… 有田 英世(ありた えいせい、1929年(昭和4年)8月23日- 2006年(平成18年)9月2日)は、実業家である。元資生堂取締役。岡山県出身。 岡山県に生まれる。旧制高梁中学校(現在の岡山県立高梁高等学校)に進み、1947年(昭和22年)に卒業し、旧制高松経済専門学校(現在の香川大学経済学部)に入学した。同期の友人には、香川銀行の第5代頭取だった大林一友がいる。 旧制高梁中学校を卒業した有田は、憧れである第六高等学校に進み、帝国大学を目指したかった。しかし、家庭の経済状態が良くなく、歴史が得意だったため、広島高等師範学校に進み、学校の教師になろうとも考えていたが、結局、高松経専へ進んだ。1950年(昭和25年)、21歳のときに同校を卒業し、資生堂に入社した。
笹田 泰敏(ささだ やすとし、1929年(昭和4年)3月18… 笹田 泰敏(ささだ やすとし、1929年(昭和4年)3月18日 - )は、日本の実業家であり、投資家でもある。大和証券の専務取締役を経て、日本インベストメント・ファイナンス(後の大和SMBCキャピタル)初代社長を務め、日本にベンチャーキャピタルを広めた。岡山県出身。 1929年(昭和4年)岡山県に生れる。その後、旧制岡山県立高梁中学(現:岡山県立高梁高等学校)へ進学する。同期には、芸術家の大西茂や国立国際美術館館長となる小倉忠夫がいた。1946年(昭和21年)に同校を卒業する。この後、旧制高校を経て、1949年(昭和24年)京都大学法学部へ入学し、1952年(昭和27年)同校を卒業する。 京大卒業後、大和証券(現:大和証券グループ本社)へ入社する。
藤田 正蔵(ふじた しょうぞう、1928年10月30日- 2… 藤田 正蔵(ふじた しょうぞう、1928年10月30日- 2012年5月29日 )は、日本の経営者、馬主。中鉄バスとテレビせとうちで社長を務めた。 岡山県岡山市出身。1952年に同志社大学経済学部を卒業し、同年に中鉄バスに入社し、取締役にも就任。1953年に社長に就任し、1954年には中国交通社長に就任。1984年10月から1999年12月までにテレビせとうち社長を務めた。 1984年6月に運輸大臣表彰を受けた。1965年9月に紺綬褒章を受章し、1990年5月に藍綬褒章を受章した。 2012年5月29日、心不全のために死去。83歳没。 日本中央競馬会(JRA)に登録していた馬主としても知られた。
大野 茂(おおの しげる、1928年1月8日 - 2006年… 大野 茂(おおの しげる、1928年1月8日 - 2006年6月2日)は、日本の実業家。九州電力代表取締役社長や、同社代表取締役会長、九州・山口経済連合会会長等を歴任した。旭日大綬章受章。岡山県岡山市出身。 1951年九州大学経済学部卒業、日本発送電入社。九州電力東京支社長、九州電力取締役副社長を経て1991年から九州電力代表取締役社長を務めた。1997年九州電力代表取締役会長。同年より九州・山口経済連合会(現九州経済連合会)会長を務め、九州・沖縄サミット協力特別委員会を設立。2000年の第26回主要国首脳会議への対応にあたった。王貞治後援会王友会会長等も歴任。2004年秋の叙勲で旭日大綬章受章。
石井 泰之助(いしい やすのすけ、1927年5月21日 - … 石井 泰之助(いしい やすのすけ、1927年5月21日 - 2004年4月3日)は、日本の経営者。三井造船社長を務めた。岡山県岡山市出身。 1950年に東京大学工学部機械学科を卒業し、同年に三井造船に入社。1979年6月に取締役に就任し、1982年6月に常務、1984年6月に専務を経て、1988年6月に社長に就任。1993年6月には会長に就任し、1996年6月には相談役に就任。 2004年4月3日、心室性不整脈のために死去。76歳没。
森政 逸郎(もりまさ いつろう、1923年(大正12年)3月… 森政 逸郎(もりまさ いつろう、1923年(大正12年)3月2日 - 1992年(平成4年)6月8日)は、実業家である。元日清製粉(現:日清製粉グループ)取締役。広島県出身。 1923年(大正11年)、広島県に生れる。旧制岡山県立高梁中学(現:岡山県立高梁高校)へ進学し、同期には、日本原子力研究所副理事長となる天野昇、新見市長となる福田正彦、丸善石油副参与・北海道の丸善石油関連社長となる古米初男、大学教授となる田井庄之助がいた。1940年(昭和15年)3月に同校卒業した。 その後、同年に旧制松山高等学校文科乙類へ進学する。1943年(昭和18年)に同校を卒業を経て、京都帝国大学法学部へ進学。1946年(昭和21年)3月に京都帝国大学法学部を卒業する。
古米 初男(ふるまい はつお、1922年〈大正11年〉7月2… 古米 初男(ふるまい はつお、1922年〈大正11年〉7月25日 - )は、日本の実業家である。丸善石油(現:コスモ石油)副参与を経て、北海道ツバメ石油社長、札幌小野田レミコン社長を務めた。岡山県新見市出身。 1922年(大正11年)に岡山県阿哲郡石蟹郷村(現:新見市)に生れる。地元の旧制岡山県立高梁中学(現:岡山県立高梁高等学校)へ進学。同期には、日本原子力研究所副理事長を務める天野昇、岡山県新見市長になる福田正彦、中世芸能史の研究者で大学教授になる田井庄之助がいた。特に、同級生の田井庄之助は自身の著書『碧い霧』で、高梁時代で一番印象に残った人物として同学年で最も秀才であった古米初男を挙げていた。
山田 徹一(やまだ てついち、1921年〈大正10年〉3月1… 山田 徹一(やまだ てついち、1921年〈大正10年〉3月12日 - 1997年〈平成9年〉2月28日)は、昭和期の実業家、政治家。参議院議員。 岡山県岡山市で生まれる。1940年(昭和15年)関西中学校(現関西高等学校)を卒業した。会社経営を行う。 1965年(昭和40年)7月の第7回参議院議員通常選挙に全国区から公明党公認で出馬して当選。1971年(昭和46年)6月の第9回通常選挙でも再選され、参議院議員に連続2期在任した。その間、創価学会総務、公明党中小企業局長、同統制委員長、参議院公明党議員団長、参議院懲罰委員長、公明党財務委員長、同岡山県本部長、国土開発幹線自動車道建設審議会委員などを務めた。
氏平 競重(うじひら たかしげ、1921年2月28日 - 2… 氏平 競重(うじひら たかしげ、1921年2月28日 - 2012年4月6日) は、岡山県久米郡久米町出身の実業家。尼崎信用金庫元理事長、元会長。元尼崎商工会議所会頭。 1921年、岡山県久米郡久米町(現:津山市)で出生する。旧制閑谷中学(現:岡山県立和気閑谷高等学校)へ入学。1940年に卒業する。その後、法政大学へ進学し、1944年(昭和19年)法政大学経済学部を卒業する。しかしながら、第二次世界大戦で日本がアメリカと戦争を始めると、徐々に戦況が悪化し、大学卒業後、学徒動員で中国大陸へ出征する。そのまま、中国で敗戦を迎える。 終戦後、1947年(昭和22年)大蔵省(現:財務省)へ入省する。中国財務局金融検査官、金融課長補佐などを経て、1962年尼崎信用金庫へ転職する。
石井 多加三(いしい たかぞう、1921年(大正10年)2月… 石井 多加三(いしい たかぞう、1921年(大正10年)2月14日 - 2014年(平成26年)6月15日)は、日本の実業家、元国際電信電話(現・KDDI)社長、元郵政事務次官。岡山県岡山市出身。長男の石井健一郎は名古屋大学名誉教授、次男の石井洋二郎は東京大学名誉教授で元東京大学大学院総合文化研究科長・教養学部長。 旧制岡山県第一岡山中学校、旧制第六高等学校文科甲類卒業。
岸本 泰延(きしもと やすのぶ、1919年9月23日 - 2… 岸本 泰延(きしもと やすのぶ、1919年9月23日 - 2012年10月17日)は、日本の経営者。昭和電工社長、会長を務めた。 岡山県岡山市出身。1941年に東京帝国大学工学部応用化学科を卒業し、翌年に昭和電工に入社した。1967年2月に取締役に就任し、同年8月に常務、1973年2月に専務を経て、1979年7月に副社長に就任し、1981年3月には社長に昇格した。1987年3月に会長に就任し、1995年3月から相談役を務めた。 2012年10月17日、転移性肺がんのために死去。93歳没。 この項目は、人物に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(プロジェクト:人物伝、Portal:人物伝)。
松本孝之(まつもと たかゆき、1919年9月20日 - 20… 松本孝之(まつもと たかゆき、1919年9月20日 - 2002年4月9日 )は日本の実業家。上新電機の元代表取締役社長。岡山県岡山市出身。 1941年昭和高等商業学校(現大阪経済大学)卒業、大阪貯蓄銀行(現りそな銀行)入行。1972年上新電機常務取締役、1976年同社専務取締役、1985年同社代表取締役社長。 元上新電機社長で、同社創業者・浄弘信三郎の子息・2代目社長の浄弘博光が急死したことにともない後を継いで社長に就任。社長在任中には同社の東証1部上場も果たした。 1986年には会長に退いた。 この項目は、人物に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(プロジェクト:人物伝、Portal:人物伝)。
丸濱 徹郎(まるはま てつろう、1918年(大正7年)7月2… 丸濱 徹郎(まるはま てつろう、1918年(大正7年)7月22日 - 詳細不明)は、実業家である。三菱スペース・ソフトウエア(現:三菱電機ソフトウエア)取締役となり、郵政省電波技術審議会専門委員、鉄道通信協会副会長を務めた。岡山県高梁市出身。 1918年(大正7年)、岡山県川上郡成羽町(現・高梁市)に生れる。その後、1931年(昭和6年)に地元の旧制岡山県立高梁中学(現:岡山県立高梁高等学校)へ進学した。1936年(昭和11年)に同校を卒業し、同年、岡山市にある旧制第六高等学校へ進学する。その後、1939年(昭和14年)3月に同校を卒業し、京都帝国大学理学部へ入学する。1942年(昭和17年)に同校物理学科を卒業した。
池田 一郎(いけだ いちろう、1918年4月8日 - 199… 池田 一郎(いけだ いちろう、1918年4月8日 - 1997年1月6日 )は、日本の経営者。日本旅行社長を務めた。 岡山県出身。旧制矢掛中学(現:岡山県立矢掛高等学校)、旧制第六高等学校を経て、1941年に東京帝国大学法学部政治学科を卒業し、同年に高文行政科に合格。鉄道省、日本国有鉄道での勤務を経て、1966年9月に日本旅行専務に就任し、1977年1月には社長に昇格した。1984年5月に取締役相談役を経て、1988年4月から顧問を務めた。 1997年1月6日脳梗塞で死去。78歳没。
野津 克巳(のづ かつみ、1917年〈大正6年〉1月16日 … 野津 克巳(のづ かつみ、1917年〈大正6年〉1月16日 - 2002年〈平成14年〉9月13日)は、日本の実業家。野津総業代表取締役会長、カバヤ食品会長、オハヨー乳業社長、会長を務めた。長男は野津喬(日本カバヤ・オハヨーホールディングス会長)、孫は池田基煕(喬の長男、旧岡山藩主池田家第16代当主池田隆政の妻で昭和天皇第4皇女池田厚子の養子、日本カバヤ・オハヨーホールディングスCEO)。 岡山県総社市真壁出身。1941年、ハルビン学院出身、満鉄に入社し、奉天鉄道局総務部での勤務を経て、1946年に林原に入社。 1948年12月にカバヤ食品に転じた。常務、専務を経て、1979年に会長に就任した。
宮原 正吾(みやはら しょうご、1916年(大正5年)7月1… 宮原 正吾(みやはら しょうご、1916年(大正5年)7月11日 - 1977年(昭和52年)9月21日)は、日本の実業家。備前信用金庫理事長(現・備前日生信用金庫)。岡山県高梁市出身。 1916年(大正5年)岡山県に生まれる。1929年(昭和4年)に旧制高梁中学校(現・岡山県立高梁高等学校)へ進学した。1934年(昭和9年)同校を卒業して、第六高等学校文科乙類へ入学した。1937年(昭和12年)、同高校を卒業し、浪人した後、1938年(昭和13年)東北帝国大学法学部へ入学した。1941年(昭和16年)同大学を卒業し、就職した。その後、1974年(昭和49年)8月、備前信用金庫の第3代理事長に就任した。
壷井 宗一(つぼい そういち、1916年(大正5年)6月5日… 壷井 宗一(つぼい そういち、1916年(大正5年)6月5日 - 没年不明)は、日本の実業家。国鉄広報部長を経てJR東海の関連会社である中央リネンサプライ社長・会長・顧問となる。岡山県高梁市出身。 1916年(大正5年)岡山県高梁町(現:高梁市)に生まれる。1929年(昭和4年)に旧制高梁中学校(現・岡山県立高梁高等学校)へ進学した。同期には、宮原正吾、三宅真助がいた。1934年(昭和9年)同校を卒業して、1936年(昭和11年)に山口県にある旧制山口高等学校へ入学した。1939年(昭和14年)3月、同高校を卒業し、4月に東京商科大学(現:一橋大学)へ入学する。大学の研究室は、米谷ゼミナールに所属した。