岡田みゆき(おかだ みゆき、1917年(大正6年)10月5日… 岡田みゆき(おかだ みゆき、1917年(大正6年)10月5日 - 2008年(平成20年)1月12日)は、日本の小説家。徳島県徳島市出身。徳島県女子師範学校専攻科卒業。 徳島市で生まれ、徳島県女子師範学校専攻科を卒業。卒業後は小・中学校教諭を務める傍ら、同人誌『徳島作家』に参加し創作を続ける。1960年(昭和35年)に「谷間の神」が第3回婦人公論新人賞佳作に選ばれる。1961年(昭和36年)、「石ころ」が芥川龍之介賞候補に選ばれる。徳島県作家協会理事を歴任。 この項目は、文人(小説家・詩人・歌人・俳人・著作家・作詞家・脚本家・作家・劇作家・放送作家・随筆家/コラムニスト・文芸評論家)に関連した書きかけの項目です。
美馬 昇(みま のぼる、1917年(大正6年)6月8日 - … 美馬 昇(みま のぼる、1917年(大正6年)6月8日 - 1995年(平成7年)4月27日)は、日本の教育者。学校法人生光学園創立者。徳島県徳島市出身。藍綬褒章受章。 名東郡国府町中村(現在の徳島市国府町中)に生まれる。1929年(昭和4年)、三重実業学校教員養成所(現在の三重大学)を卒業。1933年(昭和8年)に地元である国府町中村に美馬学習塾を設立。 1941年(昭和16年)より徳島県立商業学校(現在の徳島県立徳島商業高等学校)で教務を務める。1945年(昭和20年)に徳島市中吉野町に生光商業学院を創立し、後の学校法人生光学園の基礎をかためる。 1995年(平成7年)4月27日、77歳で没する。
武市 恭信(たけいち やすのぶ、1917年(大正6年)1月1… 武市 恭信(たけいち やすのぶ、1917年(大正6年)1月17日 - 2005年(平成17年)7月28日)は、日本の政治家。貞光町長(3期)、衆議院議員(1期)、徳島県知事(4期)を歴任した。 1917年1月17日、徳島県美馬郡貞光町(現在の同郡つるぎ町)に生まれる。旧制池田中学校、姫路高等学校を経て、京都帝国大学法学部卒業。 1947年より貞光町長を三期務めた後、1963年に衆議院議員に当選、1965年には徳島県知事に当選した。1965年10月9日から1981年10月4日の16年間、徳島県知事を務めた。1981年9月27日の第10回徳島県知事選挙には現職として立候補したが新人に敗れて徳島県知事を退任した。
河野 健二(かわの けんじ、1916年11月25日 - 19… 河野 健二(かわの けんじ、1916年11月25日 - 1996年8月10日)は、日本の歴史学者・経済史家(専攻はフランス経済思想史)。京都大学名誉教授・京都市立芸術大学名誉教授。新京都学派の一人。 1916年、徳島県生まれ。旧制徳島中学校を経て、京都帝国大学経済学部に入学。1940年に卒業した。同1940年、京都帝国大学助手に採用された。 戦後の1946年、山口経済専門学校(現・山口大学経済学部)教授となった。1947年、京都大学助教授に転じ、1960年京都大学教養部教授となった。1961年、学位論文『フランス革命と経済思想』を京都大学に提出して経済学博士の学位を取得。1968年、京都大学人文科学研究所教授に異動となり、1970年からは2期6年にわたって第7代所長を務めた。
大塚 正士(おおつか まさひと、1916年 <大正5年> 1… 大塚 正士(おおつか まさひと、1916年 <大正5年> 10月24日 - 2000年 <平成12年> 4月17日)は、日本の実業家、大塚グループ元総帥。位階は従四位。 徳島県鳴門市出身。中学校を出た後、父親が興した当時は個人商店形態の大塚製薬工業部に勤め、1947年に代表者となる。その後、大塚製薬工業部は大塚製薬工場として法人化し、社長、会長に就任する。医薬品の原料だけでなく医薬品そのものの製造や食品事業にも進出し、17人の零細企業をグループ従業員1万5900人、売上高6500億円(1991年当時)に育て上げた。 1970年、アース製薬を買収した。1973年にアース製薬から発売された「ごきぶりホイホイ」の名付け親である。
阿部 謙四郎(あべ けんしろう、1915年〈大正4年〉12月… 阿部 謙四郎(あべ けんしろう、1915年〈大正4年〉12月15日 - 1985年〈昭和60年〉12月1日)は、日本の柔道家、合気道家、剣道家である。柔道7段(1960年代末に8段を授与されたとする情報もある)、合気道6段、剣道6段。 日本では戦前の著名な柔道家として知られる。戦後は日本の柔道界と対立して1955年にイギリスに渡った。イギリスではKenshiro Abbeの名で、1960年代のイギリスに合気道・剣道などを紹介した人物として知られる。1960年代にイギリス柔道カウンシル(BJC)を設立した。求心道(英語版)(Kyūshindō)を創始し、その理論に基づいて武道を教える道場が現在も多くある。
坂東 文夫(ばんどう ふみお、1915年(大正4年)9月28… 坂東 文夫(ばんどう ふみお、1915年(大正4年)9月28日 - 2006年(平成18年)5月2日)は、日本の彫刻家。元徳島大学教授。徳島県鳴門市出身。東京美術学校彫刻科(現在の東京藝術大学)卒業。 東京美術学校彫刻科(現在の東京藝術大学)卒業。徳島大学教授を歴任。徳島県の彫刻に大きな発展を貢献したとされ、1985年(昭和60年)に徳島県文化賞を受賞。 2006年(平成18年)5月2日に急性心不全のため徳島市の病院で死去。享年90。 この項目は、美術家・芸術家に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(P:美術/PJ:美術)。
鹿山 誉(かやま ほまれ、1915年〈大正4年〉2月26日 … 鹿山 誉(かやま ほまれ、1915年〈大正4年〉2月26日 - 没年不明)は、日本の海軍軍人、実業家、作家。最終階級は海軍少佐。『海軍第十六防空隊』など多数の日本軍関係本の著者。 徳島県生。旧制徳島県立徳島中学校(現・徳島県立城南高等学校)卒業後、1934年(昭和9年)に海軍兵学校に入学した。 海兵65期として1938年(昭和13年)に卒業する。八雲・陸奥・剣埼・夕立・村雨・五月雨などの海軍軍艦および艦艇に乗船した。[要出典] 1940年(昭和15年)に舞鶴鎮守府第一特別陸戦隊副官になる。1941年(昭和16年)に夕立と村雨の砲術長兼分隊長、1943年(昭和18年)に海軍第16防空隊長になる。1944年(昭和19年)海軍少佐に昇進し、1945年(昭和20年)に海軍兵学校教官兼海軍兵学校監事となる。
北条 民雄(ほうじょう たみお、旧字体:北條 民雄、1914… 北条 民雄(ほうじょう たみお、旧字体:北條 民雄、1914年(大正3年)9月22日 - 1937年(昭和12年)12月5日)は、徳島県出身の小説家。ハンセン病となり隔離生活を余儀なくされながら、自身の体験に基づく作品「いのちの初夜」などを遺した。本名:七條 晃司(しちじょう てるじ)。 1914年9月、日本統治時代の朝鮮の首都京城(現・ソウル)に生まれる。生後間もなく母親と死別し、徳島県阿南市下大野町に育つ。 1932年に結婚。1933年、19歳のとき、ハンセン病を発病し破婚。翌1934年、東京府北多摩郡東村山村の全生園に入院。入院後、創作を開始した。川端康成に書簡を送って原稿の閲読を乞い、以降は川端に師事する。
西谷 三四郎(にしたに さんしろう、1914年8月24日 -… 西谷 三四郎(にしたに さんしろう、1914年8月24日 - 1994年1月25日)は、日本の精神医学者。 徳島県阿波市生まれ。旧姓・吉田。1943年千葉医科大学卒業、1950年学位論文「頭部通電の重積による精神障碍の研究」で金沢大学より医学博士の学位を取得。 金沢大学医学部助手、1948年国立金沢病院精神科医長、1959年東京教育大学教授、筑波大学教授、1978年定年退官、東京教育大学名誉教授、1981-85年文教大学教授。1963年11月に榊原清、尾島碩心らとともに一般社団法人日本特殊教育学会を創立した。 この項目は、学者に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(PJ:人物伝/P:教育)。
後藤田 正晴(ごとうだ まさはる、1914年8月9日 - 2… 後藤田 正晴(ごとうだ まさはる、1914年8月9日 - 2005年9月19日)は、日本の内務・警察・防衛・自治官僚、政治家。
大山 敏子(おおやま としこ、1914年2月28日 - 19… 大山 敏子(おおやま としこ、1914年2月28日 - 1978年4月13日)は、日本の英文学者、翻訳家。専門はシェイクスピア作品の研究。旧姓は吉成(よしなり)。 徳島県徳島市生まれで、1935年3月に津田塾専門学校本科を卒業した後、1942年9月に東京文理科大学(英語英文学専攻)を卒業し、同年10月に同大学院文学研究科に入学、1944年9月に同大学院を退学した後、同年10月に同大学副手となり、戦後は1946年4月から翌年3月まで津田塾専門学校教授を務め、1947年4月に東京第一師範学校に就職、文部教官となり世田谷分校で勤務し、1949年4月に東京学芸大学助教授となり、1962年3月に退職。この間、1950年10月に米国オハイオ州立大学大学院に留学、翌年に卒業しマスター・オブ・アーツ(英語版)の学位を取得した。
村崎 凡人(むらさき ただひと、1914年(大正3年)1月1… 村崎 凡人(むらさき ただひと、1914年(大正3年)1月12日 - 1989年(平成1年)5月10日)は、日本の国文学者・歌人・教育者。徳島文理大学等を経営する村崎学園の理事長。徳島県徳島市出身。息子は村崎学園理事長村崎正人、孫は村崎文彦。 徳島県徳島市出身。旧制徳島中学校、早稲田大学文学部卒業。窪田空穂に師事し、歌誌「槻の木」同人となる。大学卒業後は早稲田図書出版社で勤めた。 村崎学園の創業者であり祖母である村崎サイの「自立協同」の遺志を継ぎ、1949年に同学園の理事長に就任する。1961年に徳島女子短期大学(現・徳島文理大学短期大学部)、1966年に徳島女子大学(現・徳島文理大学)を創設するなど、村崎学園を幼稚園から大学院までを一貫する総合学園に成長させるなどの実績をあげた。
菊茂 琴昇(きくしげ きんしょう、1914年 - 2007年… 菊茂 琴昇(きくしげ きんしょう、1914年 - 2007年)は、日本の検校。 徳島県阿南市生まれ。建設業藤代宇一・あさ夫婦の長男として出生。本名藤代一市。生後間もなく眼病罹り失明。2歳で神戸に移り、5歳で菊西繁樹に師事。大阪系生田流(菊筋)箏曲、野川流三味線の免許皆伝、大検校となる。 妹弟弟子に菊端園子、菊艶操山の他、師匠菊西繁樹の四女菊西正子(大勾当)がいる。CDに「最後の大検校菊茂琴昇の芸」「米寿記念大検校菊茂琴昇」「三下り八段~菊茂琴昇の三弦」がある。 この項目は、まだ閲覧者の調べものの参照としては役立たない、音楽関係者(バンド等)に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(P:音楽/PJ:芸能人)。
高橋 尚孝(たかはし ひさたか、1914年(大正3年) - … 高橋 尚孝(たかはし ひさたか、1914年(大正3年) - 1993年(平成5年))は、日本の昆虫学者。徳島県徳島市出身。田宮尋常小学校(現徳島市立千松小学校)、旧制撫養中学(現徳島県立鳴門高等学校)、東京農業大学卒業。 徳島県加茂村矢三に4男として生まれる。鳴門市の親族の家の養子となり、1933年(昭和8年)に旧制撫養中学(現徳島県立鳴門高等学校)を卒業。同級生に植物研究家・高知女子大学元教授の赤沢時之がいる。 昆虫館系雑誌「昆蟲界」に、「吉野川下流地方の昆虫相(1)~(完)」(1933年-1937年)を報告し、徳島県内の昆虫約700種を記録・報告した。 1937年(昭和12年)に東京農業大学を卒業。
富士 正晴(ふじ まさはる、本名:冨士正明、1913年10月… 富士 正晴(ふじ まさはる、本名:冨士正明、1913年10月30日 - 1987年7月15日)は、日本の小説家、詩人、版画家。多くの有名作家を輩出した『VIKING (同人誌)』の創刊同人であり、3度の芥川賞候補、直木賞候補となり、晩年は竹やぶに囲まれた自宅に引きこもって活動し、「竹林の隠者」と呼ばれた。毎日出版文化賞、大阪芸術賞、関西大賞大詩仙賞受賞。 徳島県三好郡山城谷村(現三好市)出身。両親はともに小学校の訓導をしていた。家族と神戸に転居し、神戸第三中学校卒業。 1931年旧制第三高等学校理科甲類に進学。志賀直哉を訪問したところ、竹内勝太郎を紹介されて師事する。1932年、野間宏(のちに富士の妹と結婚して義弟となる)や桑原静雄とともに、詩の同人誌『三人』を創刊。
宮本 光庸(みやもと こうよう、本名:宮本 正雄、1913年… 宮本 光庸(みやもと こうよう、本名:宮本 正雄、1913年(大正2年)3月20日 - 2001年(平成13年)3月8日)は、日本の彫刻家。徳島県徳島市出身。帝国美術学校(現在の武蔵野美術大学)卒業。 帝国美術学校(現在の武蔵野美術大学)卒業。清水多嘉示、建畠大夢に師事する。 日本美術展覧会参与を務め、1981年には徳島県文化賞を受賞。また1953年と1954年に朝倉賞を受賞するなど日本の彫刻界に功績を残した。鳴門市の妙見山公園の遊歩道沿いには彼の作品が展示されている。2001年3月8日、腎肺不全のため死去。 この項目は、美術家・芸術家に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(P:美術/PJ:美術)。
木本 正次(きもと しょうじ、1912年10月5日 - 19… 木本 正次(きもと しょうじ、1912年10月5日 - 1995年1月26日)は、日本の小説家。毎日新聞元編集委員。 1912年(大正元年)10月5日、徳島県海部郡牟岐町出身。 神宮皇學館(現皇學館大学)卒業後、毎日新聞に入社。 毎日新聞時代は新聞記者として数々の出来事の現場取材を経験。 毎日新聞中部本社報道部長、毎日新聞西部本社ラジオ報道部長、毎日新聞大阪本社整理部顧問を務め、毎日新聞東京本社及び大阪本社では出版局参与を務めた。 毎日新聞記者を務める傍ら、小説家としての活動を並行して進め、1960年(昭和35年)に『刀塚』が直木賞候補となった。 木本の代表作である『黒部の太陽』は、毎日新聞東京本社編集委員在任中の1964年(昭和39年)に、毎日新聞連載小説として発表した作品である。
澤田 紋(さわだ あや、1912年(明治45年)4月14日 … 澤田 紋(さわだ あや、1912年(明治45年)4月14日 - 1986年(昭和61年)7月24日)は、日本の政治家。初代阿南市長。早稲田大学法学部中退。徳島県阿南市日開野町出身。 早稲田大学法学部を中退後、旧富岡町収入役・町長を歴任。 1958年(昭和33年)5月に阿南市が発足し、初代市長に就任。1970年(昭和45年)まで12年間に渡り阿南市長を務めた。市長在任中は旧神崎製紙、阿南工業高等専門学校、徳島県立阿南工業高等学校等の誘致や各産業の振興に努めた。市長退任後は社会福祉協議会会長、四国治水期成同盟会会長、阿南信用金庫理事長等を歴任した。 1986年(昭和61年)の没日をもって阿南市名誉市民に選定される。
美馬 儀一郎(みま ぎいちろう、1911年(明治44年)11… 美馬 儀一郎(みま ぎいちろう、1911年(明治44年)11月14日 - 2009年(平成21年)4月6日)は、日本の銀行家。阿波銀行頭取、徳島商工会議所会頭。高松高等商業学校卒業。徳島県徳島市出身。旧名・勤一。 徳島市の豪商・美馬家に生まれる。父は祖父美馬儀一郎の養子・美馬弘美、母は祖父の二女・久で、その長男。父が離縁となり、祖父の死後、1939年8月に家督を相続した。 この項目は、実業家に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(P:経済学、PJ:経済)。
酒井 暊(さかい あきら、1911年(明治44年)9月29日… 酒井 暊(さかい あきら、1911年(明治44年)9月29日 - 1993年(平成5年)11月28日)は、日本の政治家。元小松島市長(4期)。徳島県小松島市出身。 1933年(昭和8年)、早稲田大学専門部商科卒業。同年に徳島県庁に就職。県庁では秘書課長・労政課長・福祉課長・建築課長・板野地方事務所長・農政課長を歴任。 1957年(昭和32年)に小松島市長に当選。1973年(昭和48年)まで4期を務めた。 この項目は、日本の政治家に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(P:政治学/PJ政治)。
天野 節(あまの みさお、1911年2月10日 - 没年不明… 天野 節(あまの みさお、1911年2月10日 - 没年不明)は、日本の洋画家。徳島県麻植郡美郷村(現吉野川市)出身。徳島県師範学校卒業。 日本色彩学会名誉会員。奉天省美術展特選、新世紀美術展大内賞、徳島県出版文化賞などを受賞。 この項目は、美術家・芸術家に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(P:美術/PJ:美術)。
一原 有徳(いちはら ありのり、1910年8月23日 - 2… 一原 有徳(いちはら ありのり、1910年8月23日 - 2010年10月1日)は、北海道小樽市に居住していた版画家。モノタイプ手法を用いた特異な作風で、国際的にも名高い。また、俳人・登山家としても知られる。 この項目は、文人(小説家・詩人・歌人・俳人・著作家・作詞家・脚本家・作家・劇作家・放送作家・随筆家/コラムニスト・文芸評論家)に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(P:文学/PJ作家)。
久保 勇(1908年〈明治41年〉10月28日 - 1990… 久保 勇(1908年〈明治41年〉10月28日 - 1990年〈平成2年〉4月8日)は、徳島県出身の剣道家、銃剣道家、教育者、大日本帝国陸軍近衛師団。柳生神影流第十一世、久武館道場第三代館長、剣道七段範士、銃剣道八段範士。陸軍戸山学校卒。 徳島県阿波郡市場町(現阿波市市場町)出身。大日本帝国陸軍近衛師団所属。近衛師団では中隊・大隊・連隊のいずれも銃剣道一位の実績を残す。近衛師団が全国の選抜された兵から編成されることを考慮すると日本有数の腕前である。当時、近衛師団の剣道指南中であった柳生神影流第十世であり大日本忠孝館道場館長の久保義八郎の目にとまり、娘婿として迎えられ大日本忠孝館道場にて柳生神影流を伝授される。
津峯山 政雄(つみねさん まさお、1908年10月8日 - … 津峯山 政雄(つみねさん まさお、1908年10月8日 - 没年不明)は、昭和時代の大相撲力士。出羽海部屋所属。本名は岩戸 政雄。最高位は十両4枚目。 徳島県阿南市出身。出羽海部屋に入門し、1926年5月に序ノ口に就く。1933年5月十両に昇進。この場所3勝8敗と負け越し、幕下に落ちる。1934年5月に十両に復帰。しかし、この場所から3場所続けて負け越し、十両で一度も勝ち越すことなく再び幕下に落ち、1938年5月で廃業した。
ディック・ミネ(1908年10月5日 - 1991年6月10… ディック・ミネ(1908年10月5日 - 1991年6月10日)は、徳島県徳島市出身の日本人ジャズ・ブルース・流行歌歌手、ギタリスト、俳優、タレント。訳詞家・編曲家としては本名の三根 徳一(みね とくいち)を名乗り、第二次世界大戦中の敵性語規制の時代には三根 耕一(みね こういち)と名乗った。創成期のテイチクレコードの立役者で、日本のジャズ・シンガーの嚆矢として数多くの名演を残すとともに、日本の創成期の流行歌においても多くのヒットを飛ばした。また、トーキー以降の日活と同社が提携したミュージカル映画をはじめとして映画にも多く出演し、その後純然たる俳優としても活躍した。結婚は3回、初婚相手は死別、2回目と3回目の女性は姉妹。
久住 忠男(くすみ ただお、1908年2月23日 - 199… 久住 忠男(くすみ ただお、1908年2月23日 - 1993年12月21日)は、日本の軍事評論家、海軍軍人。 海軍兵学校〔1928年〕・海軍大学校〔1944年〕を卒業した。海軍中佐となり、大本営参謀兼南方軍参謀として終戦を迎える。 戦後、1953年より軍事評論家として活躍。1968年には沖縄基地問題研究会の座長を務め、沖縄返還の基本政策の提言に関わった。 著書に『戦後世界軍事史』『核時代の軍縮問題』『平和問題の理解』『戦争・平和・ベトコン』など多数。 この項目は、人物に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(プロジェクト:人物伝、Portal:人物伝)。
千眼 智見(せんがん ちけん、1907年(明治40年)7月9… 千眼 智見(せんがん ちけん、1907年(明治40年)7月9日 - 2001年(平成13年)12月2日)は、日本の哲学者。元徳島県農業大学校校長。元高野山大学教授。元徳島女子大学教授。九州帝国大学法学部卒業。徳島県美馬市出身。 美馬郡脇町(現在の美馬市)生まれ。九州帝国大学法学部卒業。高野山大学教授・徳島女子大学教授・高野山高等学校校長・徳島県立池田中学校校長・徳島県立穴吹高等学校校長・徳島県立脇町高等学校校長・徳島県立城北高等学校校長を歴任。 1969年(昭和44年)より徳島県農業大学校校長に就任。徳島文理小学校名誉校長に就任。 この項目は、学者に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(PJ:人物伝/P:教育)。
大江 巳之助(おおえ みのすけ、本名:大江 武雄、1907年… 大江 巳之助(おおえ みのすけ、本名:大江 武雄、1907年(明治40年)5月4日 - 1997年(平成9年)1月24日)は、徳島県鳴門市出身の人形製作者。撫養中学(現徳島県立鳴門高等学校)中退。 2009年現在、文楽で用いられている人形の首(かしら)の大部分は彼が製作したものである。 板野郡大津村大代(現鳴門市大津町大代)の人形師の二男として生まれる。1930年(昭和5年)に人形師見習いとして大阪文楽座に入る。同年8月に美之助(のちに巳之助)四代目大江巳之助を襲名。 1969年に学術功労者として徳島県知事表彰、1971年に紫綬褒章、1974年に第十回キワニス文化賞、1976年に吉川英治文化賞、徳島県文化賞、1982年に勲四等瑞宝章、1988年に文楽協会功労者表彰、1990年に国際ソロプチミスト千嘉代子賞、第三回文化庁長官賞、鳴門市市民栄誉賞など、数々の賞を受賞している。
多田小餘綾(ただ こゆるぎ、1907年4月27日 - 200… 多田小餘綾(ただ こゆるぎ、1907年4月27日 - 2008年4月6日)は、阿波踊りのおはやし「阿波よしこの」の歌い手である。 また、お鯉さんの名で伝統文化の継承と「よしこの」の普及に貢献し続けた。 徳島県徳島市富田町出身。徳島市名誉市民。とくしま市民遺産選定。 日本コロムビア大阪支社、ポリドール・レコードに所属していた。2006年に『お鯉〜唄声は時代を超えて〜』のCDが発売され、2007年には徳島県民栄誉賞を受賞し、自身が目標としていた「100歳での現役よしこの歌手」を実現する。 2008年4月6日6時40分、老衰のため死去。享年102(100歳没)。晩年は公演時に車椅子で移動する姿が多くみられていた。
谷 光次(たに みつじ、1907年〈明治40年〉2月2日 -… 谷 光次(たに みつじ、1907年〈明治40年〉2月2日 - 2002年〈平成14年〉11月30日)は、日本の政治家。弁護士。鳴門市長。京都帝国大学法学部法科卒業。徳島県鳴門市出身。 板野郡撫養町(現在の鳴門市)で生まれた。父は撫養町長を務めた谷伊七郎。旧制山口高等学校を経て、1931年(昭和6年)に京都帝国大学法学部法科卒業。 大学卒業後、京都市と徳島市で弁護士として務め、徳島市選管委員長、徳島県出納長、徳島県弁護士会会長を経て1959年(昭和34年)に鳴門市長に初当選。その後、28年間、7期に渡り鳴門市長を務めた。1978年(昭和53年)には、西ドイツ政府からドイツ連邦共和国功労勲章大功労十字章が贈られた。
田上 穰治(たがみ じょうじ、1907年(明治40年)1月1… 田上 穰治(たがみ じょうじ、1907年(明治40年)1月12日 - 1991年(平成3年)10月21日 )は、日本の法学者。一橋大学名誉教授。法学博士。専門は公法学(憲法・比較憲法・行政法)。キリスト教徒であったが、キリスト教徒の殉職自衛官の訴訟では国側の証人として、宗教上の人格権を否定した。美濃部達吉門下。弟子に長谷川正安、杉原泰雄、山内敏弘など。 1907年(明治40年)1月12日、静岡県三島市に生まれる。1923年(大正12年)、徳島県立徳島中学校卒業。1927年(昭和2年)、第一高等学校文科乙類卒業。1929年(昭和4年)12月、高等試験司法科合格。1930年(昭和5年)、東京帝国大学法学部法律学科卒業。
高橋 赫一(たかはし かくいち、1906年(明治39年)11… 高橋 赫一(たかはし かくいち、1906年(明治39年)11月29日 - 1942年(昭和17年)5月8日)は、日本の海軍軍人。海兵56期。珊瑚海海戦に空母「翔鶴」艦上爆撃機搭乗員として参加し、米空母「レキシントン」攻撃後に戦死。最終階級は海軍大佐。 徳島県出身。旧制徳島中学校(現・徳島県立城南高等学校)より海軍兵学校56期で入校。 あだ名は「親分」。妻マツエの妹の夫は真珠湾攻撃の第二次攻撃隊長嶋崎重和少佐(海軍兵学校57期)。海兵での同期に久住忠男、田辺弥八、前田実穂、唐島辰男、白相定男、橋口喬らがいる。 1931年(昭和6年)12月、第22期飛行学生となり1932年(昭和7年)11月に修了。
吉野岩 畄吉(よしのいわ とめきち、1906年3月8日 - … 吉野岩 畄吉(よしのいわ とめきち、1906年3月8日 - 1954年1月30日)は、徳島県那賀郡見能林村(現在の阿南市)出身で出羽海部屋に所属した元大相撲力士。本名は高島 留吉(たかしま とめきち)。最高位は西前頭5枚目(1933年5月場所)。身長173cm。体重82kg。 土地相撲で大関を務めていたことがきっかけで、幕下付出で初土俵を踏む。しかし負け越して翌場では序二段に降下する。その後着実に昇進し、1931年5月場所に十両に昇進するがすぐに陥落、1932年1月場所は幕下で迎えた。しかし、春秋園事件で出羽海部屋の関取のほとんどが脱退、穴埋めとして1932年2月場所の番付では十両に返り咲き、それをきっかけにして1933年1月場所で幕内昇進を果たした。
生田 宏一(いくた こういち、1905年(明治38年)9月8… 生田 宏一(いくた こういち、1905年(明治38年)9月8日 - 1982年(昭和57年)9月15日)は、日本の政治家。衆議院議員(4期)。 徳島県名西郡石井村石井で生田和平の息子として生まれる。徳島県立徳島中学校を卒業。 1935年(昭和10年)、徳島県会議員に当選。父の後継として1953年(昭和28年)、第26回衆議院議員総選挙に徳島県全県区から立候補し初当選。以来、1963年(昭和38年)まで4期を務める。 1958年(昭和33年)に第2次岸内閣で労働政務次官、1962年(昭和37年)に第2次池田第2次改造内閣で防衛政務次官を歴任した。 1975年(昭和50年)11月の秋の叙勲で勲八等から勲二等に叙され、瑞宝章を受章する。
富永 眉峰(とみなが びほう、本名:富永 三喜男、1905年… 富永 眉峰(とみなが びほう、本名:富永 三喜男、1905年(明治38年) - 1987年(昭和62年))は、日本の書家。徳島県徳島市出身。 徳島県徳島市新南福島出身。1932年(昭和7年)に文検習字科への合格を経て炭山南木(1895-1979)に師事し、1953年(昭和28年)に日展への初入選を経て6回入選。 徳島県書道協会会長などの役職を歴任し、徳島県の書道発展に大きく貢献した書道教育の第一人者として1982年(昭和57年)に徳島県文化賞を受賞。同年4月4日には石井町に句碑が建てられた。 1987年(昭和62年)、死去。墓所は徳島県徳島市城南町の実相寺。 この項目は、美術家・芸術家に関連した書きかけの項目です。
小笠 公韶(おがさ こうしょう、1904年12月16日 - … 小笠 公韶(おがさ こうしょう、1904年12月16日 - 1985年9月13日)は、参議院議員(1期)。衆議院議員(5期)。岸派。
阿部 五郎(あべ ごろう、1904年(明治37年)3月19日… 阿部 五郎(あべ ごろう、1904年(明治37年)3月19日 - 1963年(昭和38年)1月23日)は、日本の政治家。 初代公選徳島県知事。日本社会党の衆議院議員(5期)。徳島県立商業学校卒業。徳島県徳島市出身。 徳島市出身。徳島県立商業学校(現・徳島県立徳島商業高等学校)を卒業。久原鉱業に入社するも病気により退社、九州に転じ門司港の荷役事務員、労働共済会の主事などを経て労働農民党に入党。労働運動家となる。1930年徳島に帰郷、全国農民組合徳島支部連合会顧問となる。その後独学で司法科高等試験に合格し、徳島市内で弁護士を開業した。 終戦後の1945年、日本社会党に入党。同党徳島県連会長を務め、1947年4月5日に徳島県知事に当選。
都築 賴助(つづき よりすけ、1903年8月3日 - 197… 都築 賴助(つづき よりすけ、1903年8月3日 - 1972年10月28日)は、日本の教育者、都築学園グループの創始者。妻は都築貞枝、次男は都築泰壽。 徳島県美馬郡美馬町(現・美馬市)生まれ。九州帝国大学(法文学部文科)卒業、同大学院修了、福岡学芸大学、福岡教育大学教授歴任。産業教育振興に寄与した功績により紺綬褒章を受く。 学校法人都築学園、都築育英学園を創設し、第一薬科大学・第一経済大学(現 日本経済大学)・福岡第一高等学校・福岡第一商業高等学校(現 第一薬科大学付属高等学校)・みやこ幼稚園・だいいち幼稚園・むろずみ幼稚園の学園総長。 正四位勲三等に叙せられ旭日中綬章を受章。
森 三樹二(もり みきじ、1903年6月24日 - 1958… 森 三樹二(もり みきじ、1903年6月24日 - 1958年12月1日)は、日本社会党衆議院議員(6期)。弁護士。中央大学評議員。中央大学講師。父は徳島県議会副議長を務めた。
武原 はん(たけはら はん、1903年(明治36年)2月4日… 武原 はん(たけはら はん、1903年(明治36年)2月4日 - 1998年(平成10年)2月5日)は、徳島県出身の日本舞踊家。本名・武原幸子。 1903年2月4日、徳島県徳島市籠屋町に生まれる。家は花街の裏手にあり、父親はブリキ職人だった。1915年、大阪宗右衛門町の大和屋芸妓学校に入学。山村流の上方舞を修行。14歳で芸者になり、20歳まで大和屋で働いた。1930年、青山二郎の後妻として結婚。青山を通じて小林秀雄、永井龍男、中原中也、宇野千代らとの交流が始まる。1931年、上京し、料亭「灘万」の若女将を務める。藤間勘十郎や二世西川鯉三郎に師事、関西の上方舞を東京に根付かせるのに尽力した。1934年、青山と離婚。
林 雲渓(林 雲谿、はやし うんけい、本名:林 勇、1903… 林 雲渓(林 雲谿、はやし うんけい、本名:林 勇、1903年(明治36年)1月6日 - 1990年(平成2年)9月11日)は、日本画家。徳島県麻植郡鴨島町(現吉野川市)出身。 1984年(昭和59年)に南画に優れた功績を挙げた第一人者として徳島県文化賞を受賞。 四国八十八箇所11番札所である藤井寺本堂の天井絵には雲渓の描いた雲龍が描かれている。30畳ほどの大きさがあり、繊細な線と睨みをきかせた迫力のある顔が薬師如来を守つているかのように見える。 現在、鴨島町の吉野川市立森山小学校に雲渓の記念碑が建てられている。 この項目は、美術家・芸術家に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(P:美術/PJ:美術)。
近藤 尚之(こんどう ひろゆき、1902年(明治35年)12… 近藤 尚之(こんどう ひろゆき、1902年(明治35年)12月18日 - 1970年(昭和45年))は、日本の政治家。初代鳴門市長。 旧板野郡撫養町出身。1920年(大正9年)、徳島県立撫養中学校(現在の徳島県立鳴門高等学校)卒業。1927年(昭和2年)、製塩業に従事し1939年(昭和14年)に徳島県塩業組合幹事に就任。 1942年(昭和17年)、旧撫養町議会議員に当選。1947年(昭和22年)に鳴門市が誕生し初代市長に就任する。1951年(昭和26年)に退任し、その後は徳島県人事委員会委員となる。1955年(昭和30年)に再び鳴門市長に就任し1959年(昭和34年)まで務めた。 この項目は、日本の政治家に関連した書きかけの項目です。
豊崎 稔(とよさき みのる、1901年11月28日 - 19… 豊崎 稔(とよさき みのる、1901年11月28日 - 1984年9月13日)は、日本の経済学者。京都大学名誉教授。 1901年、徳島県徳島市生まれ。徳島県立徳島中学校(現徳島県立城南高等学校)を卒業し、山口高等商業学校を経て、1927年東北帝国大学法文学部経済学科を卒業した。 卒業後、母校の東北帝国大学助手に採用。1931年より大阪商科大学講師。1932年に同助教授、1941年に同教授に昇進。1945年に大阪商科大学に学位論文を提出して経済学博士号を取得。1946年、京都帝国大学経済学部教授となった。1949年より経済学部長。1951年からは日本学術会議会員となった。また、1959年税制調査会委員。
広岡 謙二(廣岡 謙二、ひろおか けんじ、1901年〈明治3… 広岡 謙二(廣岡 謙二、ひろおか けんじ、1901年〈明治34年〉1月27日 - 1995年〈平成7年〉6月30日)は、日本の内務官僚。石川県知事、警視総監。位階は正四位。 徳島県出身。広岡四郎の二男として生まれる。徳島中校、第一高等学校を経て、1923年4月、東京帝国大学文学部に入学したが、翌年3月に退学。1926年11月、高等試験行政科試験に合格。1927年3月、東北帝国大学法文学部英法科を卒業。同年4月、内務省に入り山口県属として内務部庶務課兼地方課に配属された。 1929年5月、山口県警部を兼務。以後、山口県商工水産課長、地方警視・鹿児島県保安課長、宮城県特高課長、警視庁特別高等警察部特高第一課長、同部労働課長、山口県学務部長、大分県書記官・警察部長、警視庁消防部長、熊本県書記官・警察部長、福岡県部長・警察部長などを歴任。
三田 華子(みた はなこ、本名:三ツ田 ハナ子、1900年(… 三田 華子(みた はなこ、本名:三ツ田 ハナ子、1900年(明治33年)5月15日 - 1983年(昭和58年)10月13日)は、徳島県徳島市出身の小説家。 徳島の民話や伝説に取材した郷土色豊かな作品を残しており、その功績が認められ1977年に第3回徳島県文化賞を受賞。 1900年5月15日、徳島県徳島市古物町(現・南新町)に生まれる。1916年11月、三ツ田富蔵と結婚する。1932年、新聞社募集の民謡に『阿波小唄』が一等に入選する。 1935年、一家で上京する。1939年、日本大学文学部芸術科に入学する。在学中、1年生の時に『二つの公休日』が文芸推薦候補となり、2年生の時に『石切場』が芥川賞候補となり、3年生の時に『祖父』が文芸推薦賞となる。
貴司 山治(きし やまじ、本名:伊藤 好市、明治32年(18… 貴司 山治(きし やまじ、本名:伊藤 好市、明治32年(1899年)12月22日 - 昭和48年(1973年)11月20日)は、日本のプロレタリア文学の小説家、劇作家。 徳島県鳴門市鳴門町高島生まれ。新聞記者などの職業を経て文筆家となる。 昭和2年(1927年)、朝日新聞が阪東妻三郎のために「五千円」(当時)の懸賞をかけ、映画小説を募集。本名伊藤好市名でこれに応募した『霊の審判』が一等入選。朝日新聞紙上で連載される。 昭和3年(1928年)、松竹配給・阪妻プロ製作で新春早々に『霊の審判』映画化が発表され話題となるが、松竹と阪妻の思惑が一致せず、三月封切りの予定が結局製作中止となる。 昭和4年(1929年)日本プロレタリア作家同盟の創立に参加し、プロレタリア文学の大衆化を唱える。
阿部 邦一(あべ くにいち、1899年12月5日 - 198… 阿部 邦一(あべ くにいち、1899年12月5日 - 1988年3月14日)は、日本の内務官僚、政治家、弁護士。徳島県知事を務めた。 1899(明治32)年に麻植郡鴨島町牛島に生まれる。旧制徳島中学校を卒業後、旧制第一高等学校を経て東京帝国大学法学部卒業。 在学中に高等文官試験行政科に合格し、卒業後内務省に入省。戦前においては、石川県河北郡長、大阪府警察部調停課長、兵庫県都市計画課長・学務部学務課長、鹿児島県経済部長、内務省土木局道路課長、愛知県内務部長、三重県書記官・総務部長などをつとめ、戦後は 1951年、公選第二代目の徳島県知事に就任する(在任期間1951年 - 1955年)。高度経済成長期の産業構造を見通した県政運営を行った。
西岡 喜平(にしおか きっぺい、1899年(明治32年)9月… 西岡 喜平(にしおか きっぺい、1899年(明治32年)9月8日 - 没年不明)は、日本の政治家。元小松島市長。旧制神戸育英高等学校卒業。徳島県小松島市出身。 小松島市出身。1916年(大正5年)、旧制神戸育英高等学校中退。 その後、小松島町役場に就職し、土木係技手・土木係主任・土木課長を経て1947年(昭和22年)に小松島町助役に就任。1949年(昭和24年)には小松島町長に就任。 1951年(昭和26年)に初代小松島市長に当選。1953年(昭和28年)まで2期を務めた。また小松島選挙管理委員長等を歴任した。 この項目は、日本の政治家に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(P:政治学/PJ政治)。
佐野 まもる(さの まもる、1899年(明治32年)5月10… 佐野 まもる(さの まもる、1899年(明治32年)5月10日 - 1984年(昭和59年)7月14日)は、日本の俳人。 徳島県徳島市出身。旧制徳島中学(現徳島県立城南高等学校)卒業。 徳島県徳島市に生まれ、旧制徳島中学を卒業後は専売局へ奉職し、1955年(昭和30年)に高知支局長として勤めたのを最後に退職。 仕事の傍ら俳句をしており、1922年(大正11年)から始めた。1933年(昭和8年)に「馬酔木」同人。1956年(昭和31年)に「海郷」創刊、主宰。 現在は板野郡上板町大山寺(四国別格二十霊場1番札所)に句碑が建てられている。