桑原 一司(くわばら かずし、1949年 - )は、日本の民… 桑原 一司(くわばら かずし、1949年 - )は、日本の民間学者。新日本ガラパゴス協会会長。元広島市安佐動物公園副園長。JAZA種保存委員会爬虫両生類類別調整者。日本オオサンショウウオの会会長。瑞穂ハンザケ自然館館長。アンフィビアン・アーク日本代表理事。愛媛県松山市出身。 子供の頃より自然に親しんでおり、「愛媛県立博物館に育てられた」と後に綴っている。 愛媛大学理学部生物学科卒、熊本大学大学院理学研究科修士、広島大学大学院国際協力研究科博士。 1974年より広島市安佐動物公園に勤務。その傍ら、里山の動植物の観察や研究を続けてきた。 2009年より広島市安佐動物公園副園長。2024年7月より瑞穂ハンザケ自然館館長に就任。
本江 邦夫(もとえ くにお、1948年9月25日 - 201… 本江 邦夫(もとえ くにお、1948年9月25日 - 2019年6月3日)は、日本の美術史学者、多摩美術大学名誉教授、多摩美術大学美術館館長、美術愛住館館長。元府中市美術館館長。 愛媛県松山市生まれ。東京で小学校入学、中学2年の夏まで札幌と小樽で過ごす。 1973年東京大学文学部美術史学科卒業。1976年東京大学大学院人文科学研究科修士課程西洋美術史専攻修了。同年秋より東京国立近代美術館勤務。1986年同主任研究員、1992年同企画・資料課長、1994年同美術課長(~98年)。 1981年マチス、1983年ピカソ、1987年ゴーギャン、1989年ルドン、1994年木村忠太などの回顧展を手がける一方、1984年「メタファーとシンボル」、1990年手塚治虫、1992年「形象のはざまに」、1993年黒田アキ、1995年辰野登恵子などの現代的な企画に関与。
渡辺 順次(渡邉 順次、わたなべ じゅんじ、1948年 - … 渡辺 順次(渡邉 順次、わたなべ じゅんじ、1948年 - )は、日本の化学者。東京工業大学名誉教授。高分子化学を専門とする。 高分子液晶の権威であり、後述のバナナ型液晶の発見者である。このバナナ液晶の拡がりは大きく、現在では欧米でも盛んになっている。また、バナナ液晶に関する国際会議 (International Symposium on Banana Liquid Crystals) も行われているほどである。 もともとは高分子構造化学が専門であり、天然高分子の構造や主鎖型ポリエステル液晶の一連の研究を行っている。さらに実用化されたものもある。また生命の作り出す構造色に関する研究でも知られている。
山内 康伸(やまうち やすのぶ、1947年 - )は、日本の… 山内 康伸(やまうち やすのぶ、1947年 - )は、日本の弁理士・法学者。専門は知的財産法。
大松 繁(おおまつ しげる、1946年12月16日 - )は… 大松 繁(おおまつ しげる、1946年12月16日 - )は、愛媛県出身の日本の電子情報工学・システム工学者。大阪府立大学名誉教授。元大阪工業大学および徳島大学教授。工学博士(大阪府立大学)。日本学術振興会科学研究費委員会元専門委員。文部科学省科学研究費専門委員会元委員。システム制御情報学会2007会長。計測自動制御学会フェロー・元理事。電気学会フェロー・電子・情報・システム部門2007副部門長。スペインのITイノベーション研究機関AIR Instituteテクニカルアドバイザー。元Springer Lecture Notes on Distributed Computation and Artificial Intelligence Editor。
前園 実知雄(まえぞの みちお、1946年8月12日 - )… 前園 実知雄(まえぞの みちお、1946年8月12日 - )は、日本の考古学者、奈良芸術短期大学教授。公益財団法人愛媛県埋蔵文化財センター理事長、橿原考古学研究所特別指導研究員、真言宗豊山派法蓮寺住職。 愛媛県生まれ。愛媛県立松山東高等学校、同志社大学文学部卒業。1969年奈良県立橿原考古学研究所勤務。太安萬侶墓、藤ノ木古墳、法隆寺、唐招提寺など多くの発掘調査をおこなう。1981~1983年の二年間、中国へ留学。98年同研究所資料室長を経て、奈良芸術短期大学教授、橿原考古学研究所指導研究員。
繁桝 算男(しげます かずお、1946年2月6日 - )は、… 繁桝 算男(しげます かずお、1946年2月6日 - )は、日本の心理学者・統計学者。専門は計量心理学、ベイズ統計学、パーソナリティ理論。東京大学名誉教授、帝京大学教授。 愛媛県生まれ。愛媛県立八幡浜高等学校、東京大学教育学部教育心理学科卒業。1970年に東京大学大学院教育学研究科修士課程修了。1974年アイオワ大学大学院修了 (Ph.D.)。 帰国後は1977年より東北大学助教授、1990年より東京工業大学教授を経て、1996年より東京大学総合文化研究科教授。2009年に定年退任、名誉教授、帝京大学教授となる。 2009年-2011年の間、日本心理学会理事長を務めた。 子に認知心理学者で高知工科大学教授の繁桝博昭や社会心理学者で青山学院大学教授の繁桝江里がいる。
上田 龍三(うえだ りゅうぞう、1944年9月20日 - )… 上田 龍三(うえだ りゅうぞう、1944年9月20日 - )は、日本の医学者。主な業績は成人T細胞白血病・リンパ腫に対する抗体医薬開発のトランスレーショナル・リサーチの実践。朝鮮・京城府生まれ、愛媛県松山市出身。医学博士(名古屋大学、1981年)。
向井 久了(むかい ながのり、1944年9月13日 - 20… 向井 久了(むかい ながのり、1944年9月13日 - 2010年5月24日)は、日本の法学者。専門は憲法、憲法訴訟。帝京大学法学部法律学科教授、中央大学・慶應義塾大学非常勤講師を歴任。愛媛県出身。佐藤功門下。
青野 勝広(あおの かつひろ、1944年2月7日 - )は、… 青野 勝広(あおの かつひろ、1944年2月7日 - )は、日本の経済学者、松山大学経済学部教授、元松山大学学長。経済学博士。専門は土地問題。 愛媛県松山市出身。松山商業高校および松山大学卒業後、1971年神戸大学大学院博士課程修了。 1980年より松山大学経済学部教授、1983年~1987年に松山大学経済経営研究所長、1992年~1993年は松山大学副学長、2001年~2003年には松山大学理事長・学長をそれぞれ務めた。学長当時、将来を展望して新学部構想として「総合政策学部」の開設を構想したが、既存の学部と重複する、あるいは改革が急であるとの反発を受けたために実現しなかった。2018年からは倉敷芸術科学大学危機管理学部の非常勤講師を務める。
桐野 豊(きりの ゆたか、1944年(昭和19年)1月22日… 桐野 豊(きりの ゆたか、1944年(昭和19年)1月22日 - )は、日本の薬学者。薬学博士(東京大学、1972年)。東京大学名誉教授。元徳島文理大学学長。東京大学薬学部卒業。同大学大学院薬学系研究科博士課程修了。愛媛県西条市出身。 愛媛県西条市出身。1962年(昭和37年)、愛媛県立丹原高等学校を卒業。1967年(昭和42年)、東京大学薬学部を卒業。1972年(昭和47年)、同大学大学院薬学系研究科博士課程修了。東京大学薬学博士、論文の名は「アスコルビン酸酸化反応中間体のESRによる研究」。 1973年(昭和48年)、カーネギーメロン大学放射線研究所のポスト・ドクトラルフェローに就任。1975年(昭和50年)、東京大学薬学部の助手に就職。
藤岡 一郎(ふじおか いちろう、1943年 - )は、日本の… 藤岡 一郎(ふじおか いちろう、1943年 - )は、日本の法学者、第5代京都産業大学学長、京都産業大学名誉教授。刑法、犯罪学、刑事政策を専門とし、大学では、副学長、学長を歴任し、また、京都市生活安全懇話会会長なども務めた。 『刑法判例百選』には、第3版から第6版まで寄稿している。 愛媛県に生まれ、愛光学園の4期生として学ぶ。 1973年、同志社大学大学院法学研究科修士課程を修了した。 1980年に京都産業大学法学部講師となり、1990年に教授に昇任し、その後長く、法学部や法学研究科、法務研究科の教育にあたり、また、就職部長、法務研究科長などを歴任した。1996年、京都産業大学学長補佐職となり、制度変更により2000年に副学長となって、2002年までその任にあった。
木村 紀子(きむら のりこ、1943年(昭和18年) - )… 木村 紀子(きむら のりこ、1943年(昭和18年) - )は、日本の言語学者、国語学者、奈良大学名誉教授。専攻は言語文化論・意味論。 愛媛県松山市出身。奈良女子大学文学部卒業。奈良大学助教授、教授、2008年名誉教授。
村上 周三(むらかみ しゅうぞう、1942年11月24日 -… 村上 周三(むらかみ しゅうぞう、1942年11月24日 - )は、日本の工学者。研究分野は、計算流体力学、人体周辺環境、建築・都市環境工学、地球環境工学、サステナブル建築。学位は、工学博士(東京大学・1972年)。東京大学名誉教授。独立行政法人建築研究所理事長。慶應義塾大学大学院システムデザイン・マネジメント研究科特別研究教授。 慶應義塾大学教授や日本建築学会会長、空気調和・衛生工学会会長を歴任。 愛媛県出身。私立愛光高等学校卒業 (1961)、東京大学工学部建築学科卒業 (1965)、東京大学大学院工学系研究科修士課程建築学専攻修了 (1967)、同大学大学院工学研究科博士課程建築学専攻中退 (1968)。
松原 正毅(まつばら まさたけ、1942年3月15日 - )… 松原 正毅(まつばら まさたけ、1942年3月15日 - )は、日本の社会人類学者。国立民族学博物館名誉教授、総合研究大学院大学名誉教授。元大阪外国語大学理事。専門は社会人類学・遊牧社会論。 広島市出身、愛媛県松山市育ち。1960年3月に 愛光高等学校を卒業し、京都大学文学部へ進む。1965年3月、同大学文学部を卒業(考古学)。1967年3月 京都大学大学院文学研究科修士課程修了、1970年3月 京都大学大学院文学研究科博士課程中退。 生前の司馬遼太郎との親交があり、これが縁で2007年4月に開館した坂の上の雲ミュージアム館長を務めている(2017年3月末まで)。
佐伯 守(さえき まもる、1942年 - )は、日本の哲学者… 佐伯 守(さえき まもる、1942年 - )は、日本の哲学者・法学者(法哲学)。元松山大学法学部教授。哲学・倫理学・法哲学専門。 松山市生まれ。東洋大学大学院博士課程満期退学、毎日新聞嘱託。横浜国立大学講師、琉球大学教育学部助教授、1989年松山大学法学部教授、2013年退職。
兵頭 勲(ひょうどう いさお、1942年 - 2022年6月… 兵頭 勲(ひょうどう いさお、1942年 - 2022年6月15日)は、日本の農学博士(畜産学)、元東京都畜産試験場長。 1942年、愛媛県東宇和郡野村町前石(現・西予市)に生まれる。 1960年、愛媛県立野村高等学校を卒業。同年東京農業大学に入学、同大学院農学科畜産を専攻する。大学院修了後は、駒沢学園女子高等学校で生物の教鞭を執っていた。しかし、日本の農業に携わる仕事への欲求から、1971年に東京都職員となり、新島での養豚の技術指導に当たる。その後、東京都畜産試験場で研究員として養豚を担当する。 東京都畜産試験場で、環境畜産部長、畜産試験場長を経て2002年3月に東京都畜産試験場を退職する。 その後は、東京都農業会議や民間会社の役員を歴任。
佐藤 恒雄(さとう つねお、1941年2月 - 2025年1… 佐藤 恒雄(さとう つねお、1941年2月 - 2025年10月8日)は、日本の国文学者、香川大学名誉教授、広島女学院大学教授。 愛媛県四国中央市出身。 1965年東京教育大学国文科卒。1971年同大学院文学研究科博士課程単位取得退学。 香川大学にて助手、教育学部講師を経て1973年に助教授、1981年に教授となる。 2004年香川大学を定年退職し、名誉教授となり、その後は2005年に広島女学院大学文学部教授を務める。 2002年に『藤原定家研究』で角川源義賞を受賞し、2004年同書で筑波大学から文学博士を贈られる。 2025年10月8日死去。85歳没。没後に正四位に叙された。
一色 浩一郎(いっしき こういちろう、1941年 - )は、… 一色 浩一郎(いっしき こういちろう、1941年 - )は、日本の経営学者、経営学博士(UCLA)。 愛媛県松山市出身。松山南高等学校、松山商科大学(現松山大学)卒業。百十四銀行勤務を経て渡米、UCLA博士後期課程修了、博士号取得。 現在カリフォルニア州立理工大学ポモナ校教授(コンピュータ情報学)。 米国のNCCでは委員長、講演者として著名。朝日新聞、日本経済新聞、日刊工業新聞などが主催する日本における講演も多数。 著書の1つである「Small Business Computer」は、米国・欧州の約200の大学でテキストになっている。
松岡 紀雄(まつおか としお、1940年9月14日 - )は… 松岡 紀雄(まつおか としお、1940年9月14日 - )は、日本の経営学者。神奈川大学名誉教授。専門は、海外広報論、企業市民論、英文出版・編集、アメリカ社会事情、ボランティア論、市民協働。「企業市民」の提唱者。英文国際比較統計集「Japan 1980」シリーズの生みの親。「松岡紀雄の公式YouTube」に、本人が80歳を超えて作成したスライド471枚、4時間24分のナレーションで構成するユニークな自分史、「自分勝手な記憶で綴るスライド自叙伝-松岡紀雄の80年の歩み」を公開。 愛媛県松山市出身。1964年京都大学法学部卒業後、松下電器産業(株)(現パナソニック)入社。松下幸之助の下でアメリカPHP研究所初代代表や英文国際版PHP編集長等を歴任。
奥島 孝康(おくしま たかやす、1939年4月16日 - 2… 奥島 孝康(おくしま たかやす、1939年4月16日 - 2024年5月1日)は、日本の法学者。位階は従三位、勲章は瑞宝大綬章。 専門は会社法。学位は、法学博士(早稲田大学・論文博士・1976年、学位論文『現代会社法における支配と参加-現代フランス会社法研究』)。大野實雄(早稲田大学名誉教授)門下。 早稲田大学名誉教授、早稲田大学第14代総長(1994年11月 - 2002年11月)、白鷗大学第5代学長(2013年4月 - 2021年3月)、日本高等学校野球連盟第6代会長、ボーイスカウト日本連盟第10代理事長(2010年 - 2020年)、ボーイスカウト日本連盟第9代総長、元埼玉県公安委員会委員長を歴任した。
渡辺 弘之(わたなべ ひろゆき、1939年2月20日 - )… 渡辺 弘之(わたなべ ひろゆき、1939年2月20日 - )は、日本の森林生態学者。京都大学名誉教授。
山下 治広(やました はるひろ、1938年11月11日 - … 山下 治広(やました はるひろ、1938年11月11日 - )は、愛媛県宇和島市出身の元体操競技選手で、日本体育大学名誉教授。跳馬のスペシャリストとしてその名を世界に知らしめた人物でもある。結婚後に叔母の松田家に養子縁組したために、松田治広と姓名を改めた。なお名前は、旧字体の「治廣」表記も用いられる。 愛媛県立宇和島東高等学校、日本体育大学出身。 1961年に日本体育大学を卒業し、同大学助手となり選手としても活動する。日本体育大学の体操体育館に寝泊まりしながら猛練習に明け暮れる中、ある学生が高く飛んで屈伸させながら跳馬を飛ぶ姿にヒントを得て前転と屈伸での着地を組み込んだ「山下跳び」を編み出す。山下はこの新技を引っさげて1962年世界体操競技選手権(チェコスロバキア・プラハ)の種目別跳馬で銀メダルを獲得した。
福居 純(ふくい あつし、1938年9月5日 - )は、日本… 福居 純(ふくい あつし、1938年9月5日 - )は、日本の哲学者、文学部哲学科元教授(一橋大学・東京都立大学名誉教授)。
篠原 重則(しのはら しげのり、1938年3月31日 - 2… 篠原 重則(しのはら しげのり、1938年3月31日 - 2010年7月16日)は、日本の地理学者。香川大学名誉教授。 愛媛県生まれ。1960年愛媛大学教育学部卒、愛媛県立津島高等学校教諭、愛媛県立宇和島南高等学校教諭、1977年愛媛県立松山北高等学校教諭、1988年愛媛県立東温高等学校教諭、1990年香川大学教育学部助教授、91年教授、2001年定年退官、松山大学教授。1990年「四国山地における集落の変貌過程に関する地理学的研究」で筑波大学理学博士。 2010年7月16日、急性腎盂腎炎により死去。72歳没。
浜本 純逸(はまもと じゅんいつ、1937年(昭和12年)1… 浜本 純逸(はまもと じゅんいつ、1937年(昭和12年)11月28日 - )は、日本の教育学者、国語教育学者。神戸大学名誉教授。 愛媛県今治市生まれ。1960年広島大学教育学部卒業、1962年同大学大学院教育学研究科修士課程修了、1967年同大学院博士課程単位取得退学。1969年福岡教育大学講師、1971年同助教授、1979年神戸大学教育学部教授。1984年「ロシア・ソビエトにおける文学教育の成立と発展に関する研究」で広島大学教育学博士。2001年神戸大学を定年退官、名誉教授、鳥取大学教育学部教授。2003年早稲田大学教育学部特任教授。 1981年石井賞(全国大学国語教育学会)、1998年大村はま賞(大村はまの会)、2002年教育研究賞(日本教育研究連合会)をそれぞれ受賞した。
堀川 哲男(ほりかわ てつお、1936年7月15日 - 19… 堀川 哲男(ほりかわ てつお、1936年7月15日 - 1990年10月5日)は、日本の中国史学者。中国近代史専攻。 1936年、愛媛県松山市生まれ。京都大学文学部史学科、同大学院文学研究科博士課程満期退学。岐阜大学助教授、京都大学教養部助教授、教授。1990年、腎腫瘍のため死去。
野本 亀久雄(のもと きくお、1936年6月5日 - )は、… 野本 亀久雄(のもと きくお、1936年6月5日 - )は、日本の免疫学者。愛媛県松山市生まれ。九州大学名誉教授、元社団法人日本臓器移植ネットワーク理事長、元日本移植学会理事長。九州大学生体防御医学研究所の創立者。九州大学医学部卒業、九州大学大学院修了。 野本教授は生命科学を理解するための新しい学問領域として「生体防御学」を提唱し、その理論体系である生体防御論の確立と科学的実証を行ってきた。生体防御論では、生体防御機構を、外来異物あるいは異物的自己を排除することにより生体の恒常性を維持するメカニズムの全体と位置付けている。現在では、この「生体防御」が学術用語として定着し、大きな学問領域として認知されるに至った。
星川順一(ほしかわ じゅんいち、1934年3月11日- )は… 星川順一(ほしかわ じゅんいち、1934年3月11日- )は、日本の経済学者、大阪市立大学名誉教授。 愛媛県松山市出身。1956年松山大学経済学部卒、1961年大阪市立大学大学院経済学博士課程満期退学、72年「価格体系と経済機構」で経済学博士。立命館大学講師、大阪市大経済学部助教授、教授を務める。97年定年退官、名誉教授、大阪経済法科大学教授。2014年退職。
成田修身(なりた おさみ、1934年1月10日- )は、日本… 成田修身(なりた おさみ、1934年1月10日- )は、日本の会計学者、日本大学名誉教授。 愛媛県内子町出身。1956年明治大学商学部卒、58年同大学院会計学修士課程修了。1960年明治大学経理研究所研究員、1967年東京都立商科短期大学助教授、1976年日本大学商学部助教授、教授。2004年定年となり、名誉教授。93年「減価償却の史的展開」で日大商学博士。2013年11月瑞宝中綬章受章。
品川嘉也(しながわ よしや、1932年9月15日 - 199… 品川嘉也(しながわ よしや、1932年9月15日 - 1992年10月24日)は、日本の脳生理学者・文筆家。 京都大学助教授を経て、日本医科大学教授。 愛媛県松山市生まれ。俳号・品川良夜。 1957年京都大学医学部卒。1964年医学博士。 1960年京都大学助手、1962年講師、1968年京都大学助教授、京都大学大型計算機センター研究開発部長、1983年日本医科大学教授となる。 右脳ブームの仕掛け人として多くの一般書を著した。
白方 勝(しらかた まさる、1932年(昭和7年)8月19日… 白方 勝(しらかた まさる、1932年(昭和7年)8月19日 - )は、国文学者、愛媛大学名誉教授。愛媛県松山市生まれ。1955年愛媛大学教育学部中等教育国語科卒業、愛媛県立松山東高等学校教諭、1962年新居浜工業高等専門学校講師、1974年愛媛大学教育学部助教授、78年教授。1997年定年退官、名誉教授、松山東雲女子大学教授。2003年退職。第26回河竹賞受賞。愛媛出版文化賞受賞。2012年4月瑞宝中綬章受章。
佐藤 陽三(さとう ようぞう、1932年(昭和7年)3月12… 佐藤 陽三(さとう ようぞう、1932年(昭和7年)3月12日 - )は、日本の教育学者。合唱指揮者。愛媛大学名誉教授。 全日本合唱連盟名誉会長。国際合唱連合顧問。四国二期会顧問。愛媛県文化協会名誉会長。東京芸術大学音楽学部卒業。愛媛県松山市出身。 愛媛県松山市出身。東京芸術大学音楽学部卒業。大学卒業後は愛媛大学教育学部で講師となり、合唱の指導者として全国的に評さた。愛媛大学では助教授・教授を経て、退官後に名誉教授に就任。 またこれまでに四国二期会顧問・全日本合唱連盟名誉会長・国際合唱連合顧問・愛媛県文化協会名誉会長などを歴任。 2017年(平成29年)4月に瑞宝中綬章を受章した。 この項目は、音楽家(演奏者・作詞家・作曲家・編曲家・バンドなど)に関連した書きかけの項目です。
眞鍋 淑郞(まなべ しゅくろう、新字体:真鍋 淑郎、英語: … 眞鍋 淑郞(まなべ しゅくろう、新字体:真鍋 淑郎、英語: Syukuro "Suki" Manabe、1931年(昭和6年)9月21日 - )は、日系アメリカ人一世の地球科学者(気象学・気候学)。プリンストン大学上席研究員。国立研究開発法人海洋研究開発機構フェロー。米国科学アカデミー会員。2021年ノーベル物理学賞受賞。 理学博士(東京大学、1958年)。アメリカ国立気象局大循環研究部門の研究員、アメリカ海洋大気庁地球流体力学研究所の上級研究員、プリンストン大学大気海洋科学プログラムの上級研究員などを歴任した。 国際的には専ら Suki Manabe(スーキー・マナベ)として知られる。 気候モデルの研究者であり、地球科学分野でコンピュータでシミュレーションを行うための数値モデルの開発の先駆者の一人として知られる。
重松 一義(しげまつ かずよし、1931年 - )は、日本の… 重松 一義(しげまつ かずよし、1931年 - )は、日本の法制史研究者、犯罪学者。 愛媛県松山市生まれ。中央大学法学部卒業。 矯正研修所教官(行刑史・少年保護史)、中央学院大学法学部教授(刑事政策・日本法制史・法学)、同比較文化研究所長、2002年定年退任。 犯罪と非行に関する全国協議会常任理事・福岡県警察史編纂顧問・網走監獄保存財団顧問・東京家庭裁判所調停委員。
藤田 省三(ふじた しょうぞう、1927年9月17日 - 2… 藤田 省三(ふじた しょうぞう、1927年9月17日 - 2003年5月28日)は、日本の政治学者(日本政治思想史)、法政大学名誉教授。戦後、丸山学派を代表する左派系の思想史家。 丸山眞男の弟子で、寡作ではあるが丸山学派を代表する。天皇制国家の構造分析は戦後思想史において画期的意味をもちつづける。鶴見俊輔らとともに行った『共同研究 転向』では中心的役割を果す。晩年に『藤田省三著作集』(みすず書房)が刊行されている。 愛媛県今治市出身。父藤作は大三島出身の小学校代用教員。兄2人姉2人の5人兄弟の末っ子だが、2人の兄はともに太平洋戦争で戦死した。今治中学校(現・愛媛県立今治西高等学校)を経て、陸軍予科士官学校に入学(当時の校長は牟田口廉也)。
岩村 昇(いわむら のぼる、1927年5月26日 - 200… 岩村 昇(いわむら のぼる、1927年5月26日 - 2005年11月27日)は、日本の医学者、医師。愛媛県宇和島市出身。
伊達 功(だて いさお、1924年4月12日 - )は、思想… 伊達 功(だて いさお、1924年4月12日 - )は、思想史学者、松山大学名誉教授。 愛媛県喜多郡内子町出身。1949年京都帝国大学経済学部卒。1952年同大学院(旧制)修了、1967年「トマス・モアユートピア研究」で京大経済学博士。1953年島根大学助手、1961年松山商科大学経済学部講師、助教授、1971年教授、松山大学教授。1990年退任、名誉教授。2001年勲四等旭日小綬章受勲。
服藤 弘司(はらふじ ひろし、1921年〈大正10年〉7月2… 服藤 弘司(はらふじ ひろし、1921年〈大正10年〉7月20日 - 2005年〈平成17年〉7月15日)は、法制史学者、東北大学名誉教授。専門は近世武家法。 愛媛県新居浜市生まれ。1939年愛媛県立西条中学校卒、1942年旧制広島高等学校卒、同年九州帝国大学法文学部入学、1943年学徒動員、1945年復員。 1946年九州帝国大学法文学部卒、1952年同大学院(旧制)特別研究生修了(指導教授:金田平一郎)、九州大学九州文化史研究所研究員、1953年金沢大学法文学部助教授、1957年同教授、1962年九州大学にて論題「近世封建法の性格」で法学博士受く、1967年東北大学法学部教授、1979年同図書館長、1985年定年退官、名誉教授。
野地 潤家(のじ じゅんや、1920年11月4日 - 201… 野地 潤家(のじ じゅんや、1920年11月4日 - 2016年5月15日)は、日本の国語教育学者、広島大学名誉教授。愛媛県大洲市出身。
矢内原 伊作(やないはら・いさく、1918年5月2日 - 1… 矢内原 伊作(やないはら・いさく、1918年5月2日 - 1989年8月16日)は、日本の哲学者、評論家。
菅 季治(かん すえはる、1917年(大正6年)7月19日 … 菅 季治(かん すえはる、1917年(大正6年)7月19日 - 1950年(昭和25年)4月6日)は、日本の哲学者。シベリア抑留後、徳田要請問題に巻き込まれ悲劇的最期を遂げた人物として知られる。 愛媛県宇摩郡津根村(現四国中央市)で父勝吉・母ツ子の7人兄弟姉妹の三男として生まれ、5歳で北海道常呂郡野付牛町(現・北見市)に移住。父母は染物屋「三吉堂染舗」を経営し、近在の木材工場の印伴天や漁場の大漁旗を一手に引き受けていた。地元の小学校、野付中学校(現・北見北斗高等学校)を卒業し、1935年(昭和10年)に東京高等師範学校文科に入学、3学年終了後、東京文理科大学哲学科に入学し、務台理作、田中美知太郎に師事し、ギリシャ哲学、ヘーゲル哲学を学ぶ。
松本 新八郎(まつもと しんぱちろう、1913年11月24日… 松本 新八郎(まつもと しんぱちろう、1913年11月24日 - 2005年12月10日)は、日本の歴史学者、専修大学教授。 愛媛県で生まれる。1931年愛媛県立松山中学校を卒業、1934年に松山高等学校を卒業し、同年、東京帝国大学文学部国史学科に入学。同期入学に、家永三郎、石母田正らがいた。1937年、東京帝国大学を卒業。 1937年から東京帝国大学史料編纂所に勤務する傍ら、1940年からは早稲田実業学校第二本科で講師も勤めた。戦後の1945年、松山経済専門学校(現・松山大学)教授となった(1948年まで)。 1947年4月20日に行われた第1回参議院議員選挙に愛媛県選挙区から立候補するが落選。
福岡 正信(ふくおか まさのぶ、1913年2月2日 - 20… 福岡 正信(ふくおか まさのぶ、1913年2月2日 - 2008年8月16日)は愛媛県出身の農学者。自然農法を提唱した。世界各地で粘土団子による砂漠緑化にも取り組んだ。 愛媛県伊予郡南山崎村(現・伊予市大平)に生まれる。旧制松山中学校、岐阜高等農林学校(現・岐阜大学応用生物科学部)卒。 若い頃は横浜税関の植物検査課に所属していたが、急性肺炎にかかり死に直面すると、「この世には何もない」と悟り、仕事をやめて地元に戻り農業を始めた。「やらなくてもいい」ことを探しながら、自然農法を確立した。 著作『無Ⅲ 自然農法』の口絵の説明では、不耕起(耕さない)、無肥料、無農薬、無除草を四大原則とする自然農法を行うとしているが、著作中には肥料と農薬(除草剤、除虫剤)の使用について記述がある。
藻利 重隆(もうり しげたか、1911年11月30日 - 2… 藻利 重隆(もうり しげたか、1911年11月30日 - 2000年2月18日)は、日本の経営学者。専門は労務管理。一橋大学名誉教授、山梨学院大学名誉教授である。博士(商学)(1960年、一橋大学にて取得)。紫綬褒章及び勲二等瑞宝章受章。元日本経営学会理事長。 1911年、愛媛県松山市で生まれた。1924年3月、愛媛師範学校附属小学校(現・愛媛大学教育学部附属小学校)を卒業し、愛媛県立松山商業学校(現・愛媛県立松山商業高等学校)に進学。1929年3月に卒業し、同年4月に無試験で山口高等商業学校(現・山口大学経済学部)に入学した。在学中の1930年4月から1932年3月まで、山口高等商業学校特待生であった。
秋山 博(あきやま ひろし、1909年3月15日 - 199… 秋山 博(あきやま ひろし、1909年3月15日 - 1990年4月11日)は、日本の電気工学・半導体物理学者。工学博士。大阪工業大学名誉教授。元電気工学教室担当。 専門は、半導体物理学・電磁気学。 愛媛県今治市出身。東京帝国大学工学部卒業。1950年大阪工業大学工学部電気工学科に着任し、電気工学教室を担当。その後、同学部電気工学科教授を経て、1973年大阪工業大学名誉教授。 大阪工業大学工学部電気工学科にて20年以上の長きに渡り教鞭を執り、大学初期の半導体物理学(のちの半導体工学)・電磁気学の研究育成に貢献した。 主な所属学会は、電気学会、日本物理学会、応用物理学会など。
日野 開三郎(ひの かいざぶろう、1908年 <明治41年>… 日野 開三郎(ひの かいざぶろう、1908年 <明治41年> 5月11日 - 1989年 <平成元年> 9月29日)は、昭和期の東洋史学者。文学博士(学位論文『小高句麗国の研究』、1958年)。位階は正四位。 1909年、愛媛県伊予郡(現在の伊予市)で生まれた。愛媛県立松山中学校、官立松山高等学校を経て、1928年に東京帝国大学文学部東洋史学科に入学。池内宏・和田清・加藤繁らのもとで学んだ。1931年に卒業。 その後は府立第九中学教諭を経て、1935年に九州帝国大学法文学部で勤務。昭和10年代より社会経済史的方法を東洋史分野に導入して、中世中国の社会史・経済史の研究で知られるようになった。 1946年に九州帝国大学(1947年九州大学に改称)教授に昇格。
土居 真俊(どい まさとし、1907年10月24日 - 19… 土居 真俊(どい まさとし、1907年10月24日 - 1988年12月7日)は、日本の神学者、宗教学者。同志社大学名誉教授。 愛媛県西宇和郡双岩村(現・八幡浜市)生まれ。同志社大学文学部神学科卒、シカゴ神学校(英語版)、ハートフォード神学校(英語版)でPh.D.。1956年同志社大神学部教授。1973年紫綬褒章受章。1978年定年退任、名誉教授。1979年勲三等瑞宝章受章。
猪野 俊平(いの しゅんぺい、1907年(明治40年) - … 猪野 俊平(いの しゅんぺい、1907年(明治40年) - 1981年(昭和56年)7月4日)は、日本の植物形態学者。愛媛県生まれ。松山中学校(現・愛媛県立松山東高等学校)、松山高等学校卒、東京帝国大学理学部生物学科卒。1946年「ネジモクの胚発生について」で東北帝国大学理学博士。北海道帝国大学理学部講師、岡山大学助教授、教授。1970年定年退官、名誉教授。
友近 晋(ともちか すすむ、1903年4月11日 - 196… 友近 晋(ともちか すすむ、1903年4月11日 - 1964年12月9日)は、日本の機械工学・物理学者。理学博士(東京帝国大学)。京都大学元理学部部長および大阪帝国大学理学部元教授。日本物理学会第14代会長。日本学術会議会員(1期)。国際理論応用力学連合日本代表。流体力学・航空物理学の第一人者の一人。 専門は、流体力学・流体機械、航空物理学。 愛媛県松山市生まれ。1926年東京帝国大学理学部物理学科卒業(指導教授は、理論物理学者の第一人者の一人で東京帝国大学航空研究所所長を務めた寺沢寛一)。同大学助手を経て、1929年同大学理学部助教授。1932年理学博士(東京帝国大学)。同大学航空研究所所員も務める。