森 清(もり きよし、1925年5月6日 - 2008年6月… 森 清(もり きよし、1925年5月6日 - 2008年6月24日)は、日本の政治家。自由民主党衆議院議員。正四位勲二等。 愛媛県新居浜市出身。1948年に東京大学法学部政治学科を卒業後、自治省に入省する。自治省官房長などを経て、消防大学校校長を最後に退官。1976年に行われた第34回衆議院議員総選挙に旧愛媛2区から自由民主党公認で立候補し当選(当選同期に愛知和男・鳩山邦夫・中村喜四郎・中島衛・西田司・池田行彦・堀内光雄・相澤英之・津島雄二・鹿野道彦・塚原俊平・中西啓介・与謝野馨・渡辺秀央・中川秀直・甘利正など)。以後、1度の落選を挟んで通算当選4回。防衛政務次官などを歴任した。自民党では福田赳夫-安倍晋太郎派(清和会)に所属し、中川派の旗揚げにも参加した。
楯甲 幸男(たてかぶと さちお、1924年10月27日 - … 楯甲 幸男(たてかぶと さちお、1924年10月27日 - 2002年5月28日)は、愛媛県越智郡宮窪町(現役当時、現・同県今治市宮窪町)大字宮窪出身で中村部屋に所属した大相撲力士。本名は南 幸男(みなみ さちお)。最高位は西前頭18枚目(1955年9月場所)。現役時代の体格は170cm、140kg。得意手は左四つ、寄り、押し。 17歳の時に中村部屋へ入門し、1942年1月場所で初土俵を踏んだ。因みに、当初の四股名は、「能嶋城」であった。 三段目時代の1945年夏、徴兵され、短期間ながら日本軍の一員として第二次世界大戦に参加。戦場から帰還後は徐々に番付を上げ、1951年1月場所で新十両に昇進した。
石津 栄一(榮一、いしづ えいいち、1924年(大正13年)… 石津 栄一(榮一、いしづ えいいち、1924年(大正13年)4月24日 - 2009年(平成21年)1月18日)は、昭和から平成時代の政治家。愛媛県川之江市長。 川之江市出身。建築業を営む家に育ち、関西工業学校建築科の夜間部に学んだ。1943年(昭和18年)同校卒業。戦時中は海軍航空隊へ志願し、瑞鶴乗組となった。 復員後は代用教員を経て、愛媛県立川之江高等学校定時制に学び、1950年(昭和25年)卒業。家業を継ぎ、のち礎工業社長となった。 1951年(昭和26年)川之江町議会議員に28歳で初当選。その後、川之江市議会議員2期を経て、1974年(昭和49年)以来、川之江市長に4選。1990年(平成2年)落選した。
伊達 功(だて いさお、1924年4月12日 - )は、思想… 伊達 功(だて いさお、1924年4月12日 - )は、思想史学者、松山大学名誉教授。 愛媛県喜多郡内子町出身。1949年京都帝国大学経済学部卒。1952年同大学院(旧制)修了、1967年「トマス・モアユートピア研究」で京大経済学博士。1953年島根大学助手、1961年松山商科大学経済学部講師、助教授、1971年教授、松山大学教授。1990年退任、名誉教授。2001年勲四等旭日小綬章受勲。
井上 宗和(いのうえ むねかず、1924年2月25日 - 2… 井上 宗和(いのうえ むねかず、1924年2月25日 - 2000年1月1日)は、日本の写真家、城郭研究家、ワイン評論家。推理小説も手がけた。 愛媛県宇和島市生まれ。日本大学農学部拓殖学科に在学中に学徒出陣し、名古屋の高射砲兵科に配属。陸軍病院に入院中、名古屋大空襲により名古屋城天守閣が焼け落ちる様子を目撃している。これを機に、城郭に関心をもち続けた。 戦後は公職追放を受け一時帰郷。復学後、元担任教授の今村忠助の勧めで新設の新聞学科を卒業。カメラマン編集者として雑誌・新聞社に勤務。1955年2月日本城郭協会を設立し、代表世話人に就任。のちに常務理事を務めた。 1964年、井上フォトプロダクションを設立。
矢野 徹(やの てつ、1923年〈大正12年〉10月5日 -… 矢野 徹(やの てつ、1923年〈大正12年〉10月5日 - 2004年〈平成16年〉10月13日)は、日本のSF作家、翻訳家。坂田 治名義による作品もある。 愛媛県松山市生まれ。兵庫県立第二神戸中学校を経て、中央大学法学部卒。第二次世界大戦中は学徒出陣で陸軍第11師団騎兵第11連隊に所属。階級は軍曹。 日本に本格的なSF出版が芽生える前の、海外SFのファン1号といわれ、SFに興味があった晩年の江戸川乱歩に面識を得る。そのまま、SF翻訳家、SF作家となり、幅広く活躍した。 冒険小説『カムイの剣』は角川書店によりアニメ映画化された。また、代表作『折紙宇宙船の伝説』は日本国外でも出版され、高い評価を受けた。
前ヶ汐 英太郎(まえがしお えいたろう、1923年10月1日… 前ヶ汐 英太郎(まえがしお えいたろう、1923年10月1日 - 没年不明)は、高砂部屋に所属した元力士。本名は徳野 剛(とくの ごう)。愛媛県西宇和郡伊方町出身。173cm、92kg。最高位は西十両11枚目。得意技は小股掬い。 同郷の前田山英五郎(のちの第39代横綱)が所属する高砂部屋に入門、1938年1月場所に初土俵を踏んだ。1944年11月場所、前田山に倣い前ヶ汐英太郎と四股名を改めた場所に幕下優勝を果たし、1945年6月場所に十両に昇進する。新十両の場所は3勝4敗と負け越し、1場所で幕下陥落。翌1946年11月場所に再十両を果たすも5勝8敗と負け越したところで23歳で廃業。俊敏さを活かしたバリエーションが豊富な激しい取り口であり、特に小股救いを得意とした。
大石 慎三郎(おおいし しんざぶろう、1923年9月6日 -… 大石 慎三郎(おおいし しんざぶろう、1923年9月6日 - 2004年5月10日)は、日本の歴史学者。専門は近世日本史。学習院大学名誉教授。 近世農村史の研究から歴史研究に入り、その後享保の改革を生涯の研究テーマとした。また、江戸時代が舞台となったNHK大河ドラマの時代考証を数多く担当した。 愛媛県温泉郡正岡村(現松山市)出身で、1949年東京大学文学部国史学科を卒業。東京大学より文学博士の学位を取得。 文部省史料館(現国文学研究資料館)、 高崎短期大学、神奈川大学を経て、1963年学習院大学経済学部教授となり、1975年から1984年まで学習院大学史料館長を兼ね、1983年から1987年まで学習院大学経済学部学部長を2期務めた。
朝見山 峻一郎(あさみやま しゅんいちろう、1923年9月1… 朝見山 峻一郎(あさみやま しゅんいちろう、1923年9月1日 - 2001年12月)は、現在の愛媛県西予市出身で高砂部屋に所属した元大相撲力士。本名は水野 元幸。180cm、86kg。最高位は東十両13枚目。得意技は右四つ、寄り。 1940年5月場所初土俵、1946年11月場所十両昇進。以後3場所務める。1949年1月場所限りで廃業した。
藤田 高敏(ふじた たかとし、1923年8月30日 - 20… 藤田 高敏(ふじた たかとし、1923年8月30日 - 2016年2月15日)は、日本の政治家。元衆議院議員(通算8期)。元社会民主党愛媛県連顧問。元愛媛県議会議員(通算4期)。 愛媛県西条市出身。1938年に住友重機械工業に入社。その後、出征。復員後、復職、労組に加入し労働運動に携わる。 1951年、愛媛県議会議員選挙に立候補し初当選。以後4期連続当選。1963年に行われた第30回衆議院議員総選挙に日本社会党公認で旧愛媛県第2区より立候補し当選。以後落選を挟んで8期の当選を果たす。 篤実な人柄で知られ、都市部では常に一定の支持層を持っていた。また、住友グループ労組の支援を受けていたものの保守系が圧倒的に強い地域ということもあり決して選挙に強いわけではなかった。
景浦 賢一(かげうら けんいち、1923年6月26日 - 没… 景浦 賢一(かげうら けんいち、1923年6月26日 - 没年不明)は、愛媛県松山市出身のプロ野球選手。ポジションは二塁手、三塁手。
桑原 富雄(くわばら とみお、1923年(大正12年)5月2… 桑原 富雄(くわばら とみお、1923年(大正12年)5月26日 - 2010年(平成22年)2月7日)は、日本の政治家。愛媛県西条市長、西条市名誉市民。 愛媛県西条市本町に生まれる。西条農業学校卒業(現愛媛県立西条農業高等学校)を卒業。旧 西条市職員、助役を経て、1979年(昭和54年)当時現職の伊藤一を破り市長に初当選、以後、1995年(平成7年)12月まで4期16年(13 - 16代)にわたり西条市長を務めた。 市長在任中、東部臨海土地造成による臨海造成地への企業誘致を図り、同地には電機・機械・食品飲料等の有力企業が立地し、愛媛県東部の工業都市としての発展の礎を築いた。 また、「水の都」として、市中心部における親水公園や公共下水道の整備を推進したほか、「市民の森」、西条運動公園、「こどもの国」や、刑務所跡地への文化会館の設置など都市施設を整備充実させたほか、松山自動車道の開通や主要幹線道路など都市基盤の整備にも尽力した。
後藤 康男(ごとう やすお、1923年3月6日 - 2002… 後藤 康男(ごとう やすお、1923年3月6日 - 2002年11月27日)は、日本の実業家で、安田火災海上保険(現・損害保険ジャパン)元会長。 愛媛県松山市出身。1949年安田火災海上保険株式会社に入社。働きながら法政大学に通った。1951年法政大学経済学部卒業。 福岡支店長、社長室長などを経て1983年から取締役社長に。社長時代に、ゴッホの名画「ひまわり」を購入したことは有名。1992年から経団連自然保護基金運営協議会会長となった。環境派の経済人としてさまざまな活動を行ったことでも評価が高い。1988年藍綬褒章を受章。 「ひまわり」について、購入者(漠然と後藤康男を指すと思われる)が「死んだら棺おけに一緒に入れて焼いてくれ」という旨の発言をしたとの都市伝説があるが、そのような発言があったのはゴッホ作「医師ガシェの肖像」を購入した当時大昭和製紙名誉会長の齊藤了英であり、高額購入されたゴッホ作ということで勘違いされているものと思われる。
朝若 佐太郎(あさわか さたろう、1923年1月8日 - 1… 朝若 佐太郎(あさわか さたろう、1923年1月8日 - 1969年11月25日)は、愛媛県松山市西垣生町出身で高砂部屋に所属した大相撲力士。本名は中矢 悟(なかや さとし)。最高位は東前頭21枚目(1950年5月場所)。現役時代の体格は168cm、101kg。得意手は左四つ、寄り。 15歳の時に上京し、同郷の元大関・朝潮が率いる高砂部屋へ入門。1939年1月場所で初土俵を踏んだ。 身長170cmに満たない短身で、体重も100kg前後と軽量であったが、そうした体のハンディを克服して順調に出世。 1946年11月場所で新十両に昇進し、以後、暫くはこの地位で一進一退を繰り返した。だが、次第に十両上位でも好成績を残せるようになり、1950年5月場所にて新入幕を果たした。
重松 泰雄(しげまつ やすお、1923年1月6日-1999年… 重松 泰雄(しげまつ やすお、1923年1月6日-1999年6月19日)は、日本の日本近代文学研究者。
伊賀 貞雪(いが さだゆき、1922年11月14日 - )は… 伊賀 貞雪(いが さだゆき、1922年11月14日 - )は、日本の政治家。元愛媛県知事(3期)。 1987年に初当選し、以後連続三選を果たす。1999年には四選を目指したが、反対派の推す新人の元文部省の官僚・加戸守行に敗れた。 愛媛県温泉郡北吉井村(後の同郡重信町、現:東温市)出身。旧制愛媛県立松山商業学校(現:愛媛県立松山商業高等学校)を卒業し、1946年に愛媛県庁に入庁。財政課長、出納長などの要職(県庁の本流の中の本流とされる財政畑)を歴任し、行政職としてキャリアを重ねた。白石春樹知事第3期の後半から副知事に就任し、白石が退任する第4期までの県政を支えた。 1987年(昭和62年)、白石の後継として指名を受け、愛媛県知事選挙に立候補し、県議会議員と知事の座を争ったが県議が急逝、結果的に事実上白石より禅譲を受ける形で(別の候補者がおり選挙自体は実施された)、知事の座についた。
森 雅功(もり まさのり、1922年9月9日 - 没年不明)… 森 雅功(もり まさのり、1922年9月9日 - 没年不明)は、愛媛県出身のプロ野球選手。
羽藤 一志(はとう かずし、1922年(大正11年)8月18… 羽藤 一志(はとう かずし、1922年(大正11年)8月18日 - 1942年(昭和17年)9月13日)は、日本の海軍軍人。太平洋戦争のエース・パイロット。戦死による特進で最終階級は二等飛行兵曹。 1922年8月18日、愛媛県今治市(旧越智郡玉川町)に生まれる。生後、父親の仕事で今治市常盤町に転居。父親が早くに亡くなり、母親が再婚、異父兄弟の妹と弟がいたが、兄弟仲は良かった。 1938年(昭和13年)6月、海軍飛行予科練習生乙飛9期生として入隊。同期の本間猛は、羽藤は予科練時代から温和な優男であり、級友は羽藤が戦闘機に行ったというので「羽藤が戦闘機にねえ」と言ったが、ひとたび戦場に出るや、闘志満々、戦意旺盛、零戦を駆って縦横無尽の活躍をして敵機十数機を撃墜したと語っている。
川崎 宏(かわさき ひろし、1921年11月28日 - 20… 川崎 宏(かわさき ひろし、1921年11月28日 - 2009年1月13日)は、漢文・中国文学、明治文学研究家。 愛媛県宇和島市出身(ただし生まれはアメリカ合衆国モンタナ州ディアロッジ)。宇和島中学(現愛媛県立宇和島東高等学校)、大東文化学院(現大東文化大学)卒業。元関東学院女子短期大学教授。 「明治村通信」の編集長を長くつとめた。 母方祖父母の住む吉田町の吉田尋常高等小学校に途中編入、母国語による学習をはじめ、のち宇和島の父母のもとに転じ宇和島市立第二尋常小学校を卒業、愛媛県立宇和島中学校在学、のち大東文化学院で漢学を学ぶ。 帝国海軍従軍後、東京にて「文芸新誌」編集人、中河与一編「現代フランス素描集」などの発行名義人に任じ、やがて新制度による中学校、高等学校発足後、宇和島市立城南中学校、愛媛県立吉田高等学校を含む県下の公立学校4校で教員勤務。
はた たかし(1921年(大正10年)11月22日 - 20… はた たかし(1921年(大正10年)11月22日 - 2013年(平成25年)8月11日)は、日本の児童文学作家。元桃山学院短期大学教授。本名は秦敬。 愛媛県新居郡大町村(現西条市)に生まれる。名教中学校(現・東海大学付属浦安高等学校)卒業。早稲田大学専門部を中退し、1945年(昭和20年)に法政大学高等師範部国語漢文科を卒業する。1946年(昭和21年)に西条高等実践女学校教諭となり、1947年(昭和22年)より西条市内で小・中学校で教師を務める。教師定年退職ののち、1981年(昭和56年)桃山学院短期大学教授(1992年1月まで)に就任する。一方、児童文学作家として作品を発表し、同人誌「ぷりずむ」を主宰するなど、愛媛県の児童文学活動で指導的役割を担った。
渡辺 絢吾(わたなべ じゅんご、1921年11月15日 - … 渡辺 絢吾(わたなべ じゅんご、1921年11月15日 - )は、愛媛県出身の元プロ野球選手。
三好 俊夫(みよし としお、1921年10月22日 - 20… 三好 俊夫(みよし としお、1921年10月22日 - 2000年6月29日)は、松下電工代表取締役名誉会長、日経連副会長、日中経済貿易センター会長。愛媛県松山市出身。 1946年に神戸経済大学経済学部(現神戸大学経済学部)を卒業と同時に松山経専(現松山大学)の教授となる。1950年に松下電工に入社。1977年に取締役に就任。その後、1981年に常務取締役、1982年に専務取締役、1987年2月に代表取締役副社長を経て、1988年2月に代表取締役社長に就任。グローバル経営を推進し、丹羽正治に次いで同社を1兆円企業に育て上げた。その後、1993年に関西経営者協会会長を6年間務め、1994年2月に代表取締役会長に退く、1997年4月28日に亡くなった藤井貞夫相談役の葬儀・告別式の委員長を務めた。
関 行男(せき ゆきお、1921年(大正10年)8月29日 … 関 行男(せき ゆきお、1921年(大正10年)8月29日 - 1944年(昭和19年)10月25日)は、日本の海軍軍人。海兵70期。最終階級は海軍中佐。 レイテ沖海戦において、初の神風特別攻撃隊の一隊である「敷島隊」(爆装零戦5機)を指揮して、アメリカ海軍の護衛空母「セント・ロー」を撃沈し、さらに護衛空母3隻を撃破した武功で知られる。 1921年8月29日に、愛媛県新居郡大町村(現:西条市)で、父・勝太郎(骨董商)と母・サカエの一人息子として生まれた。 大町尋常小学校(現:西条市立大町小学校)、愛媛県立西条中学校(現:愛媛県立西条高等学校)を経て、1938年12月に海軍兵学校(70期)へ入校。
高月 ことば(たかつき ことば、1921年7月30日 - 2… 高月 ことば(たかつき ことば、1921年7月30日 - 2006年10月18日)は、日本の作詞家である。本名は-辞(-ことば)。渡哲也の『東京流れ者』(1965年)や、白根一男の『はたちの詩集』(1961年)、木立じゅんの『484のブルース』(1968年、補作詞)で知られる。 1921年(大正10年)、愛媛県宇和島市に生まれる。 1955年(昭和30年)、作詞家の清水みのるに師事する。その後、東芝レコードに「専属作詞家第1号」として入社し、その後、テイチクレコードを経て、フリーランスの作詞家となった。 日本音楽著作権協会(JASRAC)、日本作詩家協会で、それぞれ評議員を務めた。 2006年(平成18年)10月18日、18時30分、胃がんのため岡山県倉敷市の病院で死去、84歳没。
服藤 弘司(はらふじ ひろし、1921年〈大正10年〉7月2… 服藤 弘司(はらふじ ひろし、1921年〈大正10年〉7月20日 - 2005年〈平成17年〉7月15日)は、法制史学者、東北大学名誉教授。専門は近世武家法。 愛媛県新居浜市生まれ。1939年愛媛県立西条中学校卒、1942年旧制広島高等学校卒、同年九州帝国大学法文学部入学、1943年学徒動員、1945年復員。 1946年九州帝国大学法文学部卒、1952年同大学院(旧制)特別研究生修了(指導教授:金田平一郎)、九州大学九州文化史研究所研究員、1953年金沢大学法文学部助教授、1957年同教授、1962年九州大学にて論題「近世封建法の性格」で法学博士受く、1967年東北大学法学部教授、1979年同図書館長、1985年定年退官、名誉教授。
浅田 孝(あさだ たかし、1921年3月19日 - 1990… 浅田 孝(あさだ たかし、1921年3月19日 - 1990年12月4日)は、日本の都市計画家・建築家。 香川県出身。戦後活躍する丹下健三の右腕として、丹下の数々の建築作品に関与。他、後に大阪万博を主導することになる建築家・デザイナーグループ「メタボリズム」を結成するなど、多方面で活躍。 南極大陸昭和基地プレファブユニットの設計、横浜市六大事業(みなとみらい21地区の開発、横浜ベイブリッジ構想、港北ニュータウン等)横浜市における都市計画の骨格つくりから、横浜こどもの国、世界デザイン会議、香川県の五色台開発や坂出人工土地、美濃部亮吉東京都知事時代の「広場と青空の東京構想」、大阪万博と沖縄海洋博プロデュース、国レベルの政策研究機関である総合研究開発機構(NIRA)設立、さらに本四連絡橋(瀬戸大橋)を架ける提案をした人物として知られている。
山田 潔(やまだ きよし、1921年1月16日 - 1984… 山田 潔(やまだ きよし、1921年1月16日 - 1984年6月15日)は、愛媛県松山市出身の元プロ野球選手(内野手)・コーチ・監督。
神尾季羊(かみお きよう、1921年1月2日 - 1997年… 神尾季羊(かみお きよう、1921年1月2日 - 1997年6月16日)は、俳人。愛媛県松山市出身。本名・匡。神尾久美子は妻。宮崎商業学校卒。宮崎神宮嘱託。1946年『ホトトギス』の高浜虚子に師事。1950年『菜穀美』の野見山朱鳥に師事し同人となる。1954年『椎の実』主催。73年『鷹』の藤田湘子に師事。1971年宮崎県文化賞受賞。宮崎県俳句協会名誉顧問。
沼田 春雄(ぬまた はるお、1921年 - )は、愛媛県出身… 沼田 春雄(ぬまた はるお、1921年 - )は、愛媛県出身のプロ野球選手(捕手)。
越智 伊平(おち いへい、1920年〈大正9年〉12月10日… 越智 伊平(おち いへい、1920年〈大正9年〉12月10日 - 2000年〈平成12年〉3月24日)は、日本の政治家。衆議院議員(10期、自由民主党)。越智電気商会(現四国通建)創業者。位階は正三位、勲等は勲一等。 愛媛県越智郡(旧玉川町、現今治市)鈍川出身。1941年相模原工学校卒。戦後、越智電気商会を設立。1954年7月、鈍川公民館建設費として22万円寄付により1955年1月18日紺綬褒章受章。 1955年今治市議会議員選挙にトップで初当選、1959年愛媛県議会議員選挙でもトップで初当選。1962年10月、今治市立今治小学校給食費として10万円寄付により1963年10月24日、紺綬褒章受章(飾版)。
野地 潤家(のじ じゅんや、1920年11月4日 - 201… 野地 潤家(のじ じゅんや、1920年11月4日 - 2016年5月15日)は、日本の国語教育学者、広島大学名誉教授。愛媛県大洲市出身。
石崎 亀喜(いしざき きよし、1920年1月1日 - )は、… 石崎 亀喜(いしざき きよし、1920年1月1日 - )は、愛媛県出身の元プロ野球選手。
今村 好信(いまむら よしのぶ、1919年(大正8年)12月… 今村 好信(いまむら よしのぶ、1919年(大正8年)12月3日 - )は、日本の技術者。日立機電工業の元取締役社長、名誉相談役。大日本帝国海軍の魚雷艇開発史についての著作がある。 1919年12月3日に、愛媛県上分町(現在の四国中央市の一部)で、今村家の二男一女の次男として生まれる。愛媛県立三島中学校(愛媛県立三島高等学校の前身の旧制中学校)、松山高等学校理科乙類を経て、1942年9月に東京帝国大学工学部機械工学科を卒業する。 大学卒業後、日立製作所に入社するが、太平洋戦争中であったため、ただちに海軍の短期現役技術科士官に志願する。見習尉官としての半年の教育を経て、造機技術大尉(第32期技術科士官)として呉海軍工廠造機部機械工場や艦政本部5部で服務し、新兵器であった魚雷艇のエンジン開発などに従事する。
高久保 豊三(たかくぼ とよぞう、1919年 - 没年不明)… 高久保 豊三(たかくぼ とよぞう、1919年 - 没年不明)は、愛媛県出身の元プロ野球選手(外野手)。
伊藤 五百亀(いとう いおき、男性、1918年5月11日 -… 伊藤 五百亀(いとう いおき、男性、1918年5月11日 - 1992年3月4日)は、日本の彫刻家。1974年に『うたかたの譜』で文部大臣賞、1982年に『渚』で日本芸術院賞を受賞している。 1918年、愛媛県新居郡大保木村(現、西条市黒瀬)にて出生。17歳の時、雑誌に掲載されていた帝展(現、日展)作品の彫刻を見て感動、彫刻家を志し、上京して多摩帝国美術学校に入学。中途退学するも、その後も吉田三郎に師事し、本格的な創作活動を行った。 1942年、第5回文部省美術展覧会に出品した「立像」が入選、翌年の文部省美術展では「鍬の戦士」が特選となる。 終戦後、五百亀は帰郷し、彫刻活動を断念した。しかし、当時の大保木村村長・伊藤一らが後援会を組織し、五百亀を励ました。
矢内原 伊作(やないはら・いさく、1918年5月2日 - 1… 矢内原 伊作(やないはら・いさく、1918年5月2日 - 1989年8月16日)は、日本の哲学者、評論家。
今岡 謙次郎(いまおか けんじろう、1918年2月13日 -… 今岡 謙次郎(いまおか けんじろう、1918年2月13日 - 生没不明)は、愛媛県出身のプロ野球選手。 北予中学校から1936年に東京セネタースへ入団。1938年秋のシーズン終了後に応召された。
大原 敏夫(おおはら としお、1918年1月7日 - 193… 大原 敏夫(おおはら としお、1918年1月7日 - 1939年)は、愛媛県出身のプロ野球選手(捕手)。 愛媛県立越智中学校(現・愛媛県立今治南高等学校)在学時代は内野手だった。その後呉海軍工廠では捕手を務め、1937年に阪急軍に入団。 当時の阪急の捕手には倉本信護(ちなみに、彼とは呉海軍工廠でチームメイトだった)、島本義文がいて出場が難しいかと思われたが、デビュー戦となった1937年4月12日のイーグルス戦で、8番捕手として先発出場。2打数1安打1打点1盗塁と活躍し、2人の正捕手争いに割って入る事ができた。その後、倉本が名古屋軍へ移籍し、島本が持病の肩痛で出場機会が減少したことから、翌1938年に阪急の正捕手になった。
古茂田 守介(こもだ もりすけ、1918年〈大正7年〉1月5… 古茂田 守介(こもだ もりすけ、1918年〈大正7年〉1月5日 - 1960年〈昭和35年〉7月21日)は、昭和期の洋画家。新制作派協会物故会員。愛媛県道後村(現:松山市)出身。 人物画、静物画を得意分野とした。黄土色や暗褐色、くすんだ緑色等を主調として、色彩より形を重視し、均整のとれた構図の人物や静物を描いた。その色彩から、彫刻的な量感や実在感が作品に強く表れ、特別個性のある画風であった。戦後の日本美術で抽象表現主義の流行するなか、自身の信念を貫いて具象絵画を追究し続けた。 愛媛県道後村大字祝谷にて、元町会議員の父・文平の三男として生まれる。兄2人、姉1人、弟2人の6人兄弟。生まれながらにして喘息をかかえており、生涯闘病することとなる。
篠崎 勝(しのざき まさる、1917年(大正6年)9月14日… 篠崎 勝(しのざき まさる、1917年(大正6年)9月14日 - 1999年(平成11年)3月14日)は日本の歴史学者。京都大学卒業。愛媛大学教授、愛媛大学学生部長、近代史文庫代表者、愛媛県歴史教育者協議会委員長、愛媛民主教育研究所所長等歴任。専攻は日本史。 愛媛県伊予郡北伊予村大字横田(現在の伊予郡松前町)で、篠崎昌宜・幸枝の長男として生まれた。父は松山に移り質屋業を営むことになるが、高浜虚子の弟子・富安風生に俳句を習い、自宅で俳句会を開いていた。勝は父に頼まれて俳句を選び、句評もしていた。 1930年愛媛県立松山中学校(現・愛媛県立松山東高等学校)、1934年松山高等学校(文科乙類)へ進学した。
菅 季治(かん すえはる、1917年(大正6年)7月19日 … 菅 季治(かん すえはる、1917年(大正6年)7月19日 - 1950年(昭和25年)4月6日)は、日本の哲学者。シベリア抑留後、徳田要請問題に巻き込まれ悲劇的最期を遂げた人物として知られる。 愛媛県宇摩郡津根村(現四国中央市)で父勝吉・母ツ子の7人兄弟姉妹の三男として生まれ、5歳で北海道常呂郡野付牛町(現・北見市)に移住。父母は染物屋「三吉堂染舗」を経営し、近在の木材工場の印伴天や漁場の大漁旗を一手に引き受けていた。地元の小学校、野付中学校(現・北見北斗高等学校)を卒業し、1935年(昭和10年)に東京高等師範学校文科に入学、3学年終了後、東京文理科大学哲学科に入学し、務台理作、田中美知太郎に師事し、ギリシャ哲学、ヘーゲル哲学を学ぶ。
中山 正嘉(なかやま まさよし、1917年7月3日 - 19… 中山 正嘉(なかやま まさよし、1917年7月3日 - 1994年7月4日)は、愛媛県出身のプロ野球選手(投手)。
塩崎 潤(しおざき じゅん、1917年5月31日 - 201… 塩崎 潤(しおざき じゅん、1917年5月31日 - 2011年5月27日)は、日本の政治家(衆議院議員)、大蔵官僚、翻訳家。位階は正三位。 長男は衆議院議員の塩崎恭久。長女は法学者の山根裕子。次女は外交官角崎利夫の妻でアジア防災センター主任研究員の角崎悦子。 愛媛県松山市出身。松山中学、旧制松山高校を経て、東京帝国大学(現・東京大学)法学部政治学科を卒業。東京帝大法学部政治学科在学中の1940年10月に高等試験行政科を合格。1941年 大蔵省に入省する。主計局に配属。1942年10月、神田橋税務署長。1943年1月、宇都宮税務署長。同年8月、東京財務局経理部長。1952年8月1日、主税局調査課長。
伊賀上 良平(いがうえ りょうへい、1917年4月29日 -… 伊賀上 良平(いがうえ りょうへい、1917年4月29日 - 2000年2月27日)は、プロ野球選手(内野手)。右投右打。1952年以降は「伊賀上 潤伍」(いがうえ じゅんご)と名乗った(「-良平」が本名)。
中川 晶輝(なかがわ あきてる、1917年2月25日 - )… 中川 晶輝(なかがわ あきてる、1917年2月25日 - )は、日本の眼科医・キリスト教活動家。 愛媛県松山市生まれ。1942年9月東京慈恵会医科大学卒業。12月北京同仁医院(眼科)勤務。45年8月北京仁民医院(眼科)に留用。同時に日本人戦犯拘置所に一日おきに往診。1947年11月帰国。1948年3月衣笠病院眼科勤務。1953年2月白十字会村山療養園(現∶東京白十字病院・結核科)勤務。1972年7月特別養護老人ホーム白十字ホーム園長就任。89年3月園長退任。引き続き専任医師として勤務。93年7月白十字ホーム退職。キリスト者平和の会委員、安保反対キリスト者平和会議事務局長、日本友和会理事長及び理事、白十字会理事、アルヴィン学院理事、友愛の灯協会会長、全国老人福祉問題研究会会長などを歴任。
檜垣 徳太郎(ひがき とくたろう、1916年〈大正5年〉10… 檜垣 徳太郎(ひがき とくたろう、1916年〈大正5年〉10月31日 - 2006年〈平成18年〉10月15日)は、日本の農林官僚・政治家。自由民主党参議院議員(3期)。 愛媛県松山市出身。旧制松山高校を経て、1941年(昭和16年)東京帝国大学法学部卒業。農林省に入省(水産局嘱託)。入省成績は下から2番目。短期現役海軍主計科士官(8期)を志願し、1942年1月、海軍主計中尉に任官し海軍経理学校に入校。同年5月に卒業。1943年11月、海軍主計大尉に昇進。1945年に解員(復員)。 農林経済局肥料課長、大臣官房予算課長、農地局管理部長、大臣官房長、畜産局長、大臣官房長(再任)、1968年(昭和43年)食糧庁長官を経て、1969年(昭和44年)農林事務次官。
重松 通雄(しげまつ みちお、1916年9月16日 - 19… 重松 通雄(しげまつ みちお、1916年9月16日 - 1979年12月16日)は、愛媛県出身のプロ野球選手(投手)・コーチ・監督。 NPBにおけるアンダースロー第1号ともいわれる。 越智中学校から広島県呉市の呉海軍工廠電気部に所属し、11チームあった同社の硬式野球部の電気部エースとして「オール呉」が編成されるといつも選抜された。また、1936年に創設された現行プロ野球に名乗りを上げたが、加盟は認められなかった名古屋市の球団「セントラル・シティ」に偽名で登録し、数試合投げていた。しかし、試合後に酒を飲んで警察に拘留された件で呉工廠への復帰が閉ざされ、先に阪急入りしていた倉本信護から阪急入団テストの話を聞いてテストに合格し、1936年に創立したばかりの阪急軍に入団すると、三宅大輔監督からアンダースローへの変更を言い渡される。
仲川 幸男(なかがわ ゆきお、1916年9月15日 - 20… 仲川 幸男(なかがわ ゆきお、1916年9月15日 - 2008年(平成20年)10月18日)は、日本の政治家。参議院議員(2期)。 愛媛県伊予郡南山崎村(現伊予市)出身。伊予実業学校(現愛媛県立伊予農業高等学校)卒業。松山市議会議員、愛媛県議会議員を経て1980年、青井政美の後任で愛媛県選挙区から自民党公認で参院選に出馬し当選。1986年の参院選にも再選。国会議員を務めた間に、農林水産政務次官、参議院文教委員会委員長、同農林水産委員長を歴任した。1992年の参院選には出馬せず、愛媛選挙区からは野間赳が当選した。引退後、山本順三に自分の後援会を提供した。愛媛県建設業協会長、自由民主党愛媛県連合会幹事長、愛媛県議会議長、全国高等学校PTA連合会会長も務めた。
筒井 良武(つつい よしたけ、1916年5月27日 - 没年… 筒井 良武(つつい よしたけ、1916年5月27日 - 没年不明)は、愛媛県出身のプロ野球選手(捕手、内野手)。
平井 滋二(ひらい しげじ、1916年 <大正5年> 5月2… 平井 滋二(ひらい しげじ、1916年 <大正5年> 5月26日 - 2006年 <平成18年> 4月8日)は、日本の経営者。工学博士。四国電力社長、会長を歴任。位階は正四位。 愛媛県西条市出身。1941年に京都帝国大学工学部を卒業し、技術士官として、海軍技術研究所での勤務を経て、1947年5月に四国配電(のちの四国電力)に入社。 1968年5月に取締役に就任し、1969年6月に常務、1974年11月に副社長を経て、1981年6月には社長に就任。1985年6月に相談役に就任。 1978年5月に藍綬褒章を受章し、1987年11月に勲二等旭日重光章を受章。 2006年4月8日老衰のために死去。89歳没。