赤松 貞明(あかまつ さだあき、1910年(明治43年)7月… 赤松 貞明(あかまつ さだあき、1910年(明治43年)7月30日 - 1980年(昭和55年)2月22日)は、日本の海軍軍人。最終階級は海軍中尉。日中戦争、太平洋戦争の撃墜王。 1910年(明治43年)7月30日高知県土佐郡秦村(現高知市)で測候所長の子として生まれる。中学海南学校を卒業し、1928年(昭和3年)6月佐世保海兵団に入隊、四等水兵。1929年(昭和4年)大村航空隊所属の柴田武雄中尉の従兵となる。柴田によれば、赤松は外出しては酔って暴れ、そのたびに柴田がもらい下げにいったという。1931年(昭和6年)6月、第17期操縦練習生。教官は源田実大尉。1932年(昭和7年)3月、同修了。その後、大村航空隊、空母「赤城」、「龍驤」、「加賀」に配属。
奥宮 正武(おくみや まさたけ、1909年(明治42年)7月… 奥宮 正武(おくみや まさたけ、1909年(明治42年)7月27日 - 2007年(平成19年)2月22日)は、日本の海軍軍人、航空自衛官。海兵58期。最終階級は海軍中佐、空将。高知県出身。航空主兵論の急先鋒であり、戦艦無用論を主張した。 1909年(明治42年)7月27日、高知県に父・奥宮正治と母・虎の三男として生まれる。生家は土佐藩藩校の教授であった奥宮慥斎の本家になる。母は土佐の旧家である入交家の出身。市岡中学卒を経て、1926年(大正15年)11月、海軍兵学校58期入校。1930年(昭和5年)11月、海軍兵学校卒業。1932年(昭和7年)4月、海軍少尉任官。 1933年(昭和8年)11月、海軍練習航空隊第24期飛行学生を卒業、大村海軍航空隊付(延長教育を受ける)。
乾 一郎(いぬい いちろう、1908年(明治41年)1月13… 乾 一郎(いぬい いちろう、1908年(明治41年)1月13日 - 2000年(平成12年)9月19日)は、日本の教育者(英語・ドイツ語科)、牧師、軍人。旧土佐藩士族 乾市郎兵衛家・第9代当主。板垣退助の孫。日本福音ルーテル芦屋教会初代牧師。 1908年(明治41年)1月13日、高知県貫属士族・乾正士の長男として、高知県土佐郡潮江村412番屋敷に生まれる。母は、長野県上水内郡柳里村8番地(現・長野県上水内郡飯綱町柳里中宿164番地)高野直作の長女・八重野。父乾正士は板垣退助の次男にあたる。乾姓を称したのは、退助が戊辰戦争の際、乾姓から板垣に復姓したが、旧来の乾姓が無くなるのを惜しみ正士を後嗣の無い分家の土佐藩士・乾正厚の家督を相続させる形で残そうとしたため。
島村 矩康(しまむら のりやす、1904年(明治37年)1月… 島村 矩康(しまむら のりやす、1904年(明治37年)1月22日 - 1945年(昭和20年)1月15日)は、日本の陸軍軍人。最終階級は陸軍少将。位階勲等は従四位勲四等。 高知県土佐郡初月村久万(現・高知市)出身。島村民衛・千代の長男。高知第一中学校(現高知県立高知追手前高等学校)、大阪陸軍地方幼年学校を経て、1924年(大正13年)7月、陸軍士官学校(36期)を卒業。同年10月、歩兵少尉に任官し歩兵第38連隊付となる。1931年(昭和6年)11月、陸軍大学校(43期)を優等で卒業した。 1932年(昭和7年)9月、参謀本部付勤務となる。参謀本部員、中国・ソビエト連邦駐在、関東軍参謀を務め、1938年(昭和13年)3月、歩兵少佐に昇進。
荒尾 興功(あらお おきかつ、1902年(明治35年)3月1… 荒尾 興功(あらお おきかつ、1902年(明治35年)3月18日 - 1974年(昭和49年)8月22日)は、日本の陸軍軍人、官僚。最終階級は陸軍大佐。 高知県出身。荒尾大吉海軍大尉の長男として生まれる。 横須賀中学、仙台陸軍地方幼年学校、中央幼年学校を経て、1923年(大正12年)7月、陸軍士官学校(第35期)を卒業。 同年10月、陸軍少尉に任官し歩兵第61連隊付となる。 1930年(昭和5年)11月、陸軍大学校(42期)を優等で卒業した。 1931年(昭和6年)12月、陸軍省軍務局付勤務となり、軍務局課員(徴募課)を経て、1934年(昭和9年)11月からソ連駐在。 1936年(昭和11年)3月から1937年(昭和12年)5月までポーランド公使館附武官補佐官に在任。
大岸 頼好(おおぎし よりよし、1902年〈明治35年〉2月… 大岸 頼好(おおぎし よりよし、1902年〈明治35年〉2月18日 - 1952年〈昭和27年〉1月29日)は、日本の陸軍軍人、右翼活動家。 高知県香美郡片地村(土佐山田町を経て現香美市)出身。大岸蓑吉、岩尾の息子として生まれた。陸軍士官学校卒(35期)。1930年西田税の指導する秘密結社「天剣党」に参加、皇道派青年将校運動のリーダーとなり、1931年9月「皇政維新法案大綱」という国家改造計画を起草した。1936年の2.26事件に関係して待命となり、左翼から転向の中村義明とともに右翼団体「あけぼの社」を設立。同年12月大尉で予備役。1940年9月近衛新体制に即応、革新青年団結のため結成された皇道翼賛青年連盟委員となった。
岡村 基春(おかむら もとはる、1901年 - 1948年7… 岡村 基春(おかむら もとはる、1901年 - 1948年7月13日)は、日本の海軍軍人。海軍兵学校第50期卒業。最終階級は海軍大佐。 1901年高知県安芸郡井ノ口村(現在の安芸市井ノ口)の瓦葺き職人の父岡村熊之助のもとに生まれる。兄に岡村徳長、妹聖子の夫に江草隆繁がいる。1922年6月1日海軍兵学校50期を卒業。第13期飛行学生を戦闘機搭乗員として卒業。1928年鳳翔勤務時、振武盃を下賜される。 飛行学生17期の出身で、三式艦上戦闘機搭乗以来の長いキャリアを持つ戦闘機搭乗員で、特に編隊飛行の名手であり、横須賀航空隊分隊長時代、戦闘機の特殊編隊飛行の公演を行って「岡村サーカス」の名前で知られた。
大石 保(おおいし たもつ、1900年(明治33年)1月28… 大石 保(おおいし たもつ、1900年(明治33年)1月28日 - 1946年(昭和21年)2月13日)は、日本の海軍軍人。最終階級は海軍少将。 1900年1月28日、高知県で大石寛の長男として生れる。中学海南学校(同級生に横山一郎が首席でいた)を経て、1920年7月、海軍兵学校(48期)を卒業。1921年6月、海軍少尉任官。1923年12月、海軍中尉に昇進し、砲術学校普通科学生を拝命。1925年12月、海軍大尉に昇進し、海軍大学校航海科に入学。1926年12月、「浦風」航海長に就任。1928年12月、練習艦隊参謀に就任。1929年12月、「迅鯨」航海長に就任。1930年4月、「対馬」航海長に就任。
岡村 徳長(おかむら とくなが、1897年1月10日 - 1… 岡村 徳長(おかむら とくなが、1897年1月10日 - 1972年7月19日)は、日本の海軍軍人。最終階級は海軍中佐。戦後は日本共産党員として活動した。弟は名戦闘機搭乗員で鹿屋基地司令・岡村基春大佐(海軍兵学校50期)。末妹の清子は艦爆の神様江草隆繁大佐の妻。 1897年(明治30年)に高知県安芸郡井ノ口村(現在の安芸市井ノ口)で生まれる。海軍兵学校45期。岡村は天衣無縫の好漢でその奇行で海軍内でも有名だった。航空機開発に情熱を燃やし大西瀧治郎中将に心酔していた。 横須賀航空隊教官時代、計器飛行の実験中に、主翼が海に接触し危うく一命を落としかけた。1928年(昭和3年)2月29日、悪天候の中、搭乗していた一三式艦上攻撃機が佐賀県鹿島付近に墜落・炎上し、岡村は顔に大火傷を負った。
東 平作(ひがし へいさく、1896年9月2日 - 1966… 東 平作(ひがし へいさく、1896年9月2日 - 1966年6月22日)は、日本の陸軍軍人。陸士31期。最終階級は大佐。 1896年(明治29年)9月、高知県幡多郡東山村古津賀(現在の四万十市)にて東仁太郎の次男として生まれた。県立第三中学を経て、1919年(大正8年)5月、陸軍士官学校(31期)を卒業。同年12月、歩兵少尉に任官。 広島師団司令部付、北京公使館付武官などを歴任。支那事変では、1938年(昭和13年)5月の徐州戦の大運河作戦、同10月の仏山市占領に参加。1939年(昭和14年)11月南寧の上陸作戦などを歴戦、絶妙の戦略を示し武功をたてる。以後、仏印、シンガポール、ジャワ島、ガダルカナル島を歴戦。
土居 明夫(どい あきお、1896年(明治29年)6月30日… 土居 明夫(どい あきお、1896年(明治29年)6月30日 - 1976年(昭和51年)5月10日)は、日本の陸軍軍人。最終階級は陸軍中将。 旧土佐郷士、警察署長・土居正明の二男として生まれる。海南中学校、大阪陸軍地方幼年学校、中央幼年学校を経て、1917年(大正6年)5月、陸軍士官学校(29期)を卒業。同年12月、騎兵少尉に任官し騎兵第11連隊付となる。1920年(大正9年)9月から翌年11月まで、シベリア出兵に出征。1927年(昭和2年)12月、陸軍大学校(39期)を優等で卒業し騎兵第11連隊中隊長に就任。 1928年(昭和3年)12月、陸軍騎兵学校教官に就任し、参謀本部付を経て、1932年(昭和7年)1月から1934年(昭和9年)9月までポーランド・ソ連に駐在した。
小川 莚喜(おがわ のぶき、1895年(明治28年)11月1… 小川 莚喜(おがわ のぶき、1895年(明治28年)11月12日 - 1944年(昭和19年)2月24日)は、日本海軍の軍人。最終階級は海軍少将。 1895年(明治28年)、高知県高岡郡高石村用石(現土佐市)で生まれた。1915年(大正4年)高知県立第一中学校(現:高知県立高知追手前高等学校)を卒業後、1918年(大正7年)11月、海軍兵学校(46期)を卒業。 海軍水雷学校高等科を経て、駆逐艦「灘風」、重巡洋艦「高雄」「五十鈴」「衣笠」、戦艦「霧島」などの水雷長兼務分隊長、駆逐艦「水無月」「夕霧」「白雪」「白雲」などの艦長、巡洋艦「天龍」「筑摩」の副長、第5駆逐隊司令などを歴任。 太平洋戦争開戦当時は、第12駆逐隊司令としてマレー上陸作戦、ジャワ島上陸作戦、ジャカルタ沖海戦などに参加。
渋谷 清見(しぶや きよみ、1895年9月27日 - 198… 渋谷 清見(しぶや きよみ、1895年9月27日 - 1985年2月20日)は、日本の海軍軍人。最終階級は海軍少将。 高知県出身。渋谷周・茂兎夫妻の息子として生れる。海南中学校を経て、海軍兵学校および陸軍士官学校(第29期)を受験し、双方に合格している。1917年(大正6年)11月、海軍兵学校(45期)を卒業。1918年(大正7年)8月、海軍少尉任官。海軍大学校で航海学生として学ぶ。 1923年(大正12年)12月、「澤風」航海長となり、「沖風」航海長、「第17号駆逐艦」艤装員、「大泊」「安宅」「鶴見」「迅鯨」「川内」の各航海長を歴任し、1929年(昭和4年)11月、海軍少佐に昇進。 1931年(昭和6年)12月、「由良」航海長に転じ、「青葉」「磐手」の各航海長、横須賀鎮守府付、海軍航海学校教官などを務める。
山本 健児(やまもと けんじ、1895年(明治28年)9月2… 山本 健児(やまもと けんじ、1895年(明治28年)9月20日 - 1975年(昭和50年)4月14日)は、日本の陸軍軍人。最終階級は陸軍中将。 高知県高知市西町出身。山本雄秀・駒の二男として生れる。幼少期は神童と呼ばれ、友人の遊びを断り蔵に籠り読書三昧が日課であったという。県立中学海南学校、大阪陸軍地方幼年学校、中央幼年学校を経て、1916年(大正5年)5月、陸軍士官学校(28期)を卒業。同年12月、歩兵少尉に任官し歩兵第62連隊付となる。1920年(大正9年)4月、歩兵中尉に進み、1923年(大正12年)11月、陸軍大学校(35期)を卒業した。 1924年(大正13年)2月から10月まで操縦学生として訓練を行った。
浜田 平(濱田、はまだ ひとし、1895年(明治28年)1月… 浜田 平(濱田、はまだ ひとし、1895年(明治28年)1月18日 - 1945年(昭和20年)9月17日)は、日本の陸軍軍人。最終階級は陸軍中将。 高知県長岡郡大篠村明見(現・南国市明見)出身。浜田正之・礼の四男として生まれた。高知第一中学校(現高知県立高知追手前高等学校)卒業を経て、1916年(大正5年)5月、陸軍士官学校(28期)を卒業。同年12月、砲兵少尉に任官。1918年(大正7年)11月、陸軍砲工学校普通科を卒業し、1919年(大正8年)11月、同校高等科(25期)を卒業。陸軍工科学校教官などを経て、1925年(大正14年)11月、陸軍大学校(37期)を卒業した。 1925年12月、野砲兵第4連隊中隊長に就任。
久野村 桃代(くのむら とうだい、1893年12月22日 -… 久野村 桃代(くのむら とうだい、1893年12月22日 - 1979年11月12日)は、日本の陸軍軍人。最終階級は陸軍中将。 高知県出身。医師・久野村桃蹊の三男として生れる。海南中学校、広島陸軍地方幼年学校、中央幼年学校を経て、1915年5月、陸軍士官学校(27期)を卒業。同年12月、歩兵少尉に任官し歩兵第44連隊付となる。1925年11月、陸軍大学校(37期)を卒業した。 歩兵第44連隊中隊長、教育総監部付勤務、教育総監部課員、ドイツ駐在、歩兵第37連隊大隊長、陸軍省軍務局課員、教育総監部課員、独立歩兵第13連隊長、教育総監部第3課長などを経て、1940年12月、陸軍少将に昇進。 第36歩兵団長、陸士幹事を歴任し、太平洋戦争には1943年5月、第15軍参謀長として出征した。
山崎 重暉(やまざき しげあき、1893年1月21日 - 1… 山崎 重暉(やまざき しげあき、1893年1月21日 - 1980年12月28日)は、日本の海軍軍人。最終階級は海軍中将。 警察署長・山崎重光の長男として生れる。海南中学校を経て、1913年12月、海軍兵学校(41期)を卒業。席次は入校時120名中16番、卒業時118名中20番。翌年12月、海軍少尉任官。1920年11月、海軍水雷学校高等科を卒業し、海軍潜水学校教官、「第13潜水艦」艦長、第2潜水戦隊参謀などを歴任。1925年11月、海軍大学校(甲種23期)を卒業した。第一次世界大戦末期に第二特務艦隊に配属となり、戦利潜水艦の回航に携わる。 「呂号第18潜水艦」・「呂号第67潜水艦」の各艦長、第1潜水戦隊参謀、潜水学校教官、海大教官などを歴任。
川口 清健(かわぐち きよたけ、1892年(明治25年)12… 川口 清健(かわぐち きよたけ、1892年(明治25年)12月3日 - 1961年(昭和36年)5月16日)は、日本の陸軍軍人。最終階級は陸軍少将。位階勲等は従四位勲二等。 高知県高知市西町出身。川口清俊陸軍中佐・母スガの息子として生まれる。高知一中(城東中学)、大阪陸軍地方幼年学校、中央幼年学校を経て、1914年(大正3年)5月、陸軍士官学校(26期)を卒業。同年12月、陸軍歩兵少尉に任官し歩兵第8連隊付となる。当時は陸軍一といわれるほどの「ショーネン」(美少年)であった[要出典]。参謀本部付勤務を経て、1922年(大正11年)11月、陸軍大学校(34期)を卒業した。 歩兵第8連隊中隊長、参謀本部付勤務、第4師団参謀、台湾軍参謀、陸軍重砲兵学校教官、陸軍省軍務局課員、陸軍省副官、支那駐屯軍参謀、第4師団司令部付(外事主任)、東京湾要塞参謀、北支那方面軍司令部付(宣伝部長)などを経て、1937年(昭和12年)11月、陸軍大佐に進級。
西田 祥実(にしだ よしみ、1892年(明治25年)3月1日… 西田 祥実(にしだ よしみ、1892年(明治25年)3月1日 - 1944年(昭和19年)2月24日)は、日本の陸軍軍人。陸士25期。第二次世界大戦中、エニウェトクの戦いにて戦死した。最終階級は陸軍少将、死後中将に特進。位階勲等功級は従四位勲二等功三級。 高知県土佐郡一宮村薊野(現・高知市薊野)に又吉・令の次男として生まれる。高知県尋常中学海南学校(現・高知県立高知小津高等学校)、陸軍中央幼年学校を経て、陸軍士官学校卒業後、歩兵第41連隊附となり、中国東北部に駐屯する。 内地帰還後、陸軍士官学校生徒隊附、歩兵第41連隊中隊長、歩兵第25連隊大隊長を経て、1933年(昭和8年)歩兵第13旅団副官となり、再び中国東北部に出征する。
明石 猛繁(あかし たけしげ、1891年(明治24年)10月… 明石 猛繁(あかし たけしげ、1891年(明治24年)10月12日 - 1941年(昭和16年)7月28日)は、日本の陸軍軍人。最終階級は陸軍主計少将。 高知県香美郡美良布村(現在の香美市)で、明石秀太郎、秀の長男として生まれた。1910年(明治43年)県立第一中学校卒を経て、1914年(大正3年)5月、陸軍経理学校(8期)を卒業した。三等主計に任官し歩兵第43連隊付となり、1920年(大正9年)歩兵第44連隊付となりシベリア出兵に従軍。 1928年(昭和3年)陸軍経理学校高等科を卒業。以後、近衛師団経理部員、陸軍被服本廠員兼陸軍経理学校教育部教官、関東軍司令部付などを務める。1938年(昭和13年)主計大佐に昇進。
宇賀 武(うが たけし、1891年(明治24年)9月23日 … 宇賀 武(うが たけし、1891年(明治24年)9月23日 - 1945年(昭和20年)3月29日)は、日本の陸軍軍人。最終階級は陸軍少将。 1891年(明治24年)9月、高知県幡多郡中村町(中村市を経て現四万十市)に生まれた。県立第三中学校を経て、1913年(大正2年)5月、陸軍士官学校(25期)を卒業。同年12月、砲兵少尉に任官。 1920年(大正9年)から1922年(大正11年)の間、シベリア出兵に従軍。1932年(昭和7年)、満州事変に出兵。1937年(昭和12年)には日中戦争(支那事変)に従軍し中南支各地を転戦。功により1940年(昭和15年)、旭三、功四級金鵄勲章を受ける。同年、山砲兵第55連隊長になる。
山下 知彦(やました ともひこ、1891年(明治24年)6月… 山下 知彦(やました ともひこ、1891年(明治24年)6月23日 - 1959年(昭和34年)5月2日)は、日本の海軍軍人、華族。山下源太郎の養嗣子で艦隊派の一員である海軍大佐、男爵である。 高知市に生まれる。米沢の医師、水野廉平の次男。山本五十六夫人の礼子は従妹。山下源太郎の長女、千鶴子と結婚し山下家の養嗣子となる。米沢中学を経て海軍兵学校40期を卒業。席次は144名中30番。山口多聞、大西滝治郎、宇垣纏らが同期生である。1913年(大正2年)12月に少尉任官。 第一次世界大戦では「周防」乗組みとして出征し、青島攻略戦で陸戦隊を指揮して功五級に叙せられた。山下は砲術学校高等科、および同校の教官養成課程である専攻科を修了した砲術専攻の士官で、同校教官や軽巡洋艦「球磨」砲術長などを務めた。
葛目 直幸(くずめ なおゆき、1890年(明治23年)10月… 葛目 直幸(くずめ なおゆき、1890年(明治23年)10月10日 - 1944年(昭和19年)7月2日)は、日本の陸軍軍人。最終階級は陸軍中将。位階勲等功級は従四位勲二等功二級。 高知県長岡郡岡豊村笠ノ川(現・南国市岡豊町笠ノ川)出身。農業・葛目倉次・ふさの二男として生まれる。高知第一中学校(現高知県立高知追手前高等学校)卒業を経て、1913年(大正2年)5月、陸軍士官学校(25期)を卒業。歩兵第22連隊附としてシベリア出兵に従軍。内地帰還後の同年12月、歩兵少尉に任官し近衛歩兵第4連隊付に転じる。 1923年(大正12年)8月、歩兵大尉に昇進し近衛歩兵第4連隊中隊長に就任。東京警備副官を経て、1931年(昭和6年)8月、歩兵少佐に昇進し独立守備歩兵第3大隊付となる。
関田 繁里(せきた しげさと、旧姓:井上(いのうえ)、188… 関田 繁里(せきた しげさと、旧姓:井上(いのうえ)、1888年 (明治21年)9月28日 - 1937年(昭和12年)5月18日)は、日本の海軍軍人。最終階級は海軍大佐。位階は正五位。勲等は勲三等。 高知県長岡郡稲生村(現南国市)において井上虎吉と益の三男として生まれる。高知県立中学海南学校を経て、1910年7月、海軍兵学校(38期)を卒業。卒業席次は149名中78番。少尉候補生として練習艦隊の浅間乗組、香取乗組を経て、1911年12月、海軍少尉に任官。1913年11月、海軍中尉に任官。1914年5月、海軍砲術学校普通科を卒業、同年12月、海軍水雷学校普通科を卒業。曙乗組、鞍馬乗組、扶桑乗組、扶桑分隊長心得を経て、1917年12月、海軍大尉に任官。
石本 貞直(いしもと さだなお、1888年(明治21年)2月… 石本 貞直(いしもと さだなお、1888年(明治21年)2月18日 - 1965年(昭和40年)8月30日)は、大日本帝国陸軍軍人。最終階級は陸軍中将。功四級 高知県土佐郡神田村(鴨田村大字神田を経て現高知市)で、石本正直、菊枝の長男として生まれた。陸軍士官学校第22期卒業。1937年(昭和12年)8月に陸軍歩兵大佐に進級し、9月に歩兵第1連隊留守隊長に就任した。1938年(昭和13年)に台湾歩兵第1連隊長を経て、1939年(昭和14年)8月に陸軍少将に進級し、留守第11師団司令部附となった。 同年10月に第40歩兵団長に転じ、日中戦争に出動。宜昌作戦に参加した。1940年(昭和15年)に第4歩兵団長に転じ、1941年(昭和16年)に第62独立歩兵団長を経て、1943年(昭和18年)に釜山要塞司令官兼釜山陸軍軍需輸送統制部長に就任した。
松永 寿雄(まつなが ひさお/としお、1888年1月15日 … 松永 寿雄(まつなが ひさお/としお、1888年1月15日 - 1955年12月21日)は、日本の海軍軍人。最終階級は海軍少将。 1888年(明治21年)、香美郡山田村(現在の香美市)に生まれた。海南中学校を経て、1909年(明治42年)11月、海軍兵学校(37期)を卒業し、1910年(明治43年)12月、海軍少尉任官。1921年(大正10年)11月、海軍大学校(甲種19期)を卒業。 1921年12月、海軍少佐に昇進し横須賀海軍航空隊附兼臨時航空術講習部部員に就任。1922年(大正11年)11月、霞ヶ浦海軍航空隊教官となり、横須賀鎮守府参謀、軍令部出仕兼海軍省出仕、軍務局局員(一課)などを歴任。
島本 正一(しまもと まさいち、1887年(明治20年)11… 島本 正一(しまもと まさいち、1887年(明治20年)11月16日 - 1967年(昭和42年)4月7日)は、日本の陸軍軍人。最終階級は陸軍中将。 高知県土佐郡初月村(現・高知市)出身。島本宗次郎・志賀の息子として生まれる。海南中学校(現高知県立高知小津高等学校)、広島陸軍地方幼年学校、中央幼年学校を経て、1909年(明治42年)5月、陸軍士官学校(21期)を卒業。同年12月、陸軍歩兵少尉に任官し歩兵第49連隊付となる。1918年(大正7年)11月、陸軍大学校(30期)を卒業した。 1919年(大正8年)7月、参謀本部付勤務となり、同年10月、浦塩派遣軍司令部付に発令されシベリア出兵に出征。同年11月から12月までイルクーツク特務機関に勤務。
下村 定(しもむら さだむ、1887年(明治20年)9月23… 下村 定(しもむら さだむ、1887年(明治20年)9月23日 - 1968年(昭和43年)3月25日)は、日本の陸軍軍人、政治家。最終階級は陸軍大将。位階勲等功級は正三位勲一等功三級。 陸軍大臣(第56・57代)、教育総監(第27代)、参議院議員(1期)などを歴任した。 本籍地は高知県。旧土佐藩士で、陸軍中佐・金沢聯隊区司令官の下村定辞の長男として石川県金沢市に生まれる。 金沢第一中学校、名古屋陸軍幼年学校を経て、1908年(明治41年)12月、陸軍士官学校第20期を皇族を除いた6番/273名の成績で卒業する。砲兵科では、橋本群(陸軍省軍務局軍事課長、参謀本部第1部長を歴任、のち中将)に次いで2番の成績であった。
沢田 茂(さわだ しげる、1887年(明治20年)3月29日… 沢田 茂(さわだ しげる、1887年(明治20年)3月29日 - 1980年(昭和55年)12月1日)は、日本陸軍の軍人。最終階級は陸軍中将。 高知県高知郡鴨部村(現・高知市鴨部町)出身。農業・沢田栄之助の三男として生まれる。兄弟四人のうち、長男を除く三兄弟が陸軍将校となった。1899年(明治32年)4月に高知県立海南中学校に入校。同期は山下奉文で、永らく交友を結んだ。広島陸軍地方幼年学校を経て、1905年(明治38年)11月15日、陸軍士官学校(第18期)を卒業。翌年6月26日、砲兵少尉に任官し野戦砲兵第16連隊付となる。野戦砲兵第22連隊付などを経て、1910年(明治43年)11月26日、陸軍砲工学校高等科を卒業。
山脇 正隆(やまわき まさたか、1886年(明治19年)3月… 山脇 正隆(やまわき まさたか、1886年(明治19年)3月2日 - 1974年(昭和49年)4月21日)は、日本の陸軍軍人、陸軍大将従三位勲一等功三級。 高知県高岡郡甲原村(現:土佐市)に於いて士族で、北原村の村長を務めた山脇豊正の長男として生まれる。生家は山内家に代々仕えた土器(かわらけ)師の家系だった。 1900年広島陸軍地方幼年学校、1905年陸軍士官学校18期、1914年陸軍大学校(26期)卒業、首席により天皇より軍刀を下賜。1927年参謀本部編成班長。1929年参謀本部編成動員課長。1931年歩兵第22連隊長。1932年教育総監部第一課長。1934年3月ポーランド大使館付武官、同年8月陸軍少将に。
黒岩 義勝(くろいわ よしかつ、1886年(明治19年)2月… 黒岩 義勝(くろいわ よしかつ、1886年(明治19年)2月13日 - 1947年(昭和22年)8月1日)は、日本の陸軍軍人。最終階級は陸軍中将。 1886年(明治19年)2月、高知県香美郡山北村(現・香南市)に生まれた。1904年(明治37年)第一中学校卒を経て、1905年(明治38年)11月、陸軍士官学校(第18期)を卒業。翌年6月、歩兵少尉任官。 歩兵第78連隊(龍山)付などを経て、1932年(昭和7年)12月、歩兵大佐に昇進し福島連隊区司令官に就任。1934年(昭和9年)1月、歩兵第27連隊長(旭川)となり、陸軍士官学校予科生徒隊長を経て、1937年(昭和12年)8月、陸軍少将に進級し歩兵第22旅団長に就任、満州に赴任した。
山下 奉文(やました ともゆき、1885年(明治18年)11… 山下 奉文(やました ともゆき、1885年(明治18年)11月8日 - 1946年(昭和21年)2月23日)は、日本の陸軍軍人。最終階級は陸軍大将、位階勲等は従三位勲一等功三級。 高知県出身。陸士18期・陸大28期恩賜。太平洋戦争の劈頭、第25軍司令官としてイギリス領マレーとシンガポールを攻略した武功、「マレーの虎」の異名で知られる。 1885年(明治18年)11月8日、開業医である父・佐吉、豪農だった森田家の長女である母・由宇の次男として高知県香美郡暁霞村(現香美市)に生まれる。2歳の時、父親の故郷である長岡郡大杉村(現大豊町)に移る。兄・奉表は海軍の軍医となり最終階級は海軍軍医少将。弟・奉守、妹・照猪、妹・久寿猪の五人兄妹。
岡村 畯児(おかむら しゅんじ、1885年(明治18年)5月… 岡村 畯児(おかむら しゅんじ、1885年(明治18年)5月13日 - 1943年(昭和18年)6月4日)は、日本の陸軍法務官。最終階級は陸軍法務中将。軍法の権威として知られた。 1885年(明治18年)5月、高知県幡多郡平田村(現在の宿毛市)に生まれた。海南中学校を経て、東京帝国大学法学部を卒業。 第2師団法官部理事、陸軍法務官近衛師団軍法会議法務官、兼憲兵練習所教官、兼法務部司法事務官、関東軍軍法会議法務官、陸軍法務官、兼陸軍司法事務官、兼陸軍監獄長、朝鮮軍軍法会議法務官、朝鮮軍法務部部長、兼第24師団法務部長、朝鮮衛戍刑務所所長などを歴任。 1942年(昭和17年)4月、陸軍法務少将に昇進し、南方軍法務部長に就任。
佐竹 僴一郎(さたけ かんいちろう、1885年 - 1937… 佐竹 僴一郎(さたけ かんいちろう、1885年 - 1937年3月16日)は、日本の陸軍軍人。最終階級は騎兵大佐。 高知県香美郡田村(現在の南国市)に生まれる。共立学校、海南学校(現在の高知県立高知小津高等学校)を経て、1905年(明治38年)11月、陸軍士官学校(第18期)を卒業。翌年6月、陸軍騎兵少尉に任官。 陸軍騎兵学校教導隊長、陸軍士官学校馬術部教官、朝鮮龍山騎兵第28連隊長、豊橋陸軍教導学校騎兵隊長などを歴任。1936年(昭和11年)満洲に派遣され佐竹部隊長として活躍中に公傷を負い、翌年3月16日没。
浜田 勇(はまだ いさむ、1884年12月20日 - 194… 浜田 勇(はまだ いさむ、1884年12月20日 - 1945年1月12日)は、日本の陸軍軍人。最終階級は陸軍少将。 1884年(明治17年)12月、高知県安芸郡羽根村(現在の室戸市)に浜田勇次郎の子として生まれた。海南中学を経て、1907年(明治40年)5月、陸軍士官学校(19期)を卒業。同年12月、歩兵少尉任官。 1917年(大正6年)、歩兵大尉になり歩兵第44連隊中隊長に就任。1919年(大正8年)、シベリア出兵に従軍。1929年(昭和4年)、歩兵中佐に進級。1931年(昭和6年)、予備役に編入された。1937年(昭和12年)、日中戦争(日華事変)で召集。1943年(昭和18年)、陸軍大佐に進んだ。
浦 澄江(うら すみえ、1884年(明治17年)8月18日 … 浦 澄江(うら すみえ、1884年(明治17年)8月18日 - 1951年(昭和26年)1月24日)は、大日本帝国陸軍軍人。最終階級は陸軍中将。 高知県長岡郡、のちの三里村(現高知市)で生まれた。高知県尋常中学海南学校(現高知県立高知小津高等学校)を経て、陸軍士官学校第16期、陸軍大学校第29期卒業。1928年(昭和3年)6月7日に奉天軍に応聘され、8月10日に陸軍砲兵大佐に進級した。1929年(昭和4年)3月に山砲兵第9連隊長に転じ、1931年(昭和6年)8月に台湾軍参謀に就任した。 1933年(昭和8年)8月1日に陸軍少将進級と同時に佐世保要塞司令官に着任した。1934年(昭和9年)8月に第6師団司令部附となり、1936年(昭和11年)3月に由良要塞司令官に就任。
中村 亀三郎(なかむら かめざぶろう、1884年1月28日 … 中村 亀三郎(なかむら かめざぶろう、1884年1月28日 - 1944年11月2日)は、日本の海軍軍人。最終階級は海軍中将。
渋谷 伊之彦(しぶや いのひこ、1881年11月14日 - … 渋谷 伊之彦(しぶや いのひこ、1881年11月14日 - 1935年12月14日)は、日本の陸軍軍人。最終階級は陸軍中将。
中山 友次郎(なかやま ともじろう、1881年(明治14年)… 中山 友次郎(なかやま ともじろう、1881年(明治14年)8月6日 - 1946年(昭和21年)11月15日)は、日本の海軍軍人、教育者。最終階級は海軍大佐。 1881年(明治14年)8月6日、高知街通町の商家阿波屋・中山友治の長男に生まれる。海南学校(現在の高知県立高知小津高等学校)を経て、1901年(明治34年)12月、海軍兵学校(29期)を卒業し、少尉候補生になる。1903年(明治36年)1月に海軍少尉任官。 その後、兵学校教官、「富士」航海長などを歴任。第一次世界大戦では駆逐艦艦長として紀淡海峡の警備につく。また地中海では第二特務艦隊第22駆逐隊(第10駆逐隊から改称)司令として英国商船の護衛に当り、ドイツ潜水艦を捕獲し勇名をあげた。
沖 直道(おき なおみち、1880年12月25日 - 193… 沖 直道(おき なおみち、1880年12月25日 - 1932年10月16日)は、日本の陸軍軍人。最終階級は陸軍少将。 1880年(明治13年)、高知県土佐郡小高坂村(現在の高知市)に生まれた。海南中学校を経て、1902年(明治35年)11月、陸軍士官学校(14期)を卒業。1903年(明治36年)6月、歩兵少尉に任官。1912年(大正元年)11月、陸軍大学校(24期)を卒業した。 平和条約実施委員、陸軍大学校兵学教官などを経て、1923年(大正12年)8月、歩兵大佐に昇進し参謀本部運輸課長に就任。1924年(大正13年)7月、歩兵第68連隊長となり、参謀本部運輸課長、陸軍省人事局補任課長を歴任。
永野 修身(ながの おさみ、1880年〈明治13年〉6月15… 永野 修身(ながの おさみ、1880年〈明治13年〉6月15日 - 1947年〈昭和22年〉1月5日)は、日本の海軍軍人、教育者。 海軍兵学校28期、海軍大学校甲種8期。最終階級および栄典は元帥海軍大将、従二位勲一等功五級。第24代連合艦隊司令長官。第38代海軍大臣。第16代軍令部総長。海軍の三顕職(連合艦隊司令長官、海軍大臣、軍令部総長)を全て経験した唯一の海軍軍人であると同時に、大戦中に生前元帥府に列された唯一の海軍軍人でもある。 千葉工業大学の創設発案者。A級戦犯の容疑で東京裁判中に巣鴨プリズンで急性肺炎を患い、米国陸軍病院(US Army Hosp)へ搬送され治療を受けたがその後死亡する。
大川 寿賀(おおかわ すが、1879年(明治12年)12月2… 大川 寿賀(おおかわ すが、1879年(明治12年)12月28日 - 1970年(昭和45年)10月1日)は、日本の陸軍軍人。最終階級は陸軍少将。 1879年(明治12年)12月28日、高知県土佐郡小高坂村(現在の高知市)で生まれた。海南中学を経て、1901年(明治34年)11月、陸軍士官学校(13期)を卒業。1903年(明治36年)6月、歩兵少尉に任官。1929年(昭和4年)8月、歩兵第23連隊長(宮崎)に就任。1932年(昭和7年)4月、陸軍少将になる。 退役後は土佐在郷将校会副会長、帝国在郷軍人会高知市連合会長等を歴任。1947年(昭和22年)11月28日、公職追放仮指定を受けた。 1970年(昭和45年)10月、90歳で死去した。
大谷 一男(おおたに かずお、1879年(明治12年)12月… 大谷 一男(おおたに かずお、1879年(明治12年)12月7日 - 1949年(昭和24年)8月9日[要出典])は、日本の陸軍軍人。最終階級は陸軍中将。 高知県長岡郡五台山村(現在の高知市)に生まれた。1898年(明治31年)高知県尋常中学校卒を経て、1900年(明治33年)11月、陸軍士官学校(12期)を卒業。翌年6月、歩兵少尉に任官。1912年(大正元年)11月、陸軍大学校(24期)を卒業。 1922年(大正11年)11月、歩兵大佐に昇進し、陸士本科訓育部長に就任。近衛歩兵第2連隊長、第8師団参謀長を歴任。1927年(昭和2年)7月、陸軍少将に進級し歩兵第38旅団長となる。1930年(昭和5年)3月、近衛師団司令部付となり、1931年(昭和6年)10月、旅順要塞司令官に着任。
坂本 政右衛門(さかもと まさえもん、1879年1月20日 … 坂本 政右衛門(さかもと まさえもん、1879年1月20日 - 1942年2月27日)は、日本陸軍の軍人。最終階級は陸軍中将。 1879年(明治12年)、高知県高岡郡宇佐村(現・土佐市)に生まれた。1899年(明治32年)11月、陸軍士官学校(11期)を卒業し、翌年6月、歩兵少尉に任官。1911年(明治44年)11月、陸軍大学校(23期)を卒業。 1920年(大正9年)8月、陸軍兵器本廠付となり、1921年(大正10年)4月、歩兵大佐に昇進。同年7月、歩兵第55連隊長に就任。1922年(大正11年)8月、第8師団参謀長に転じ、教育総監部第1課長に移る。1925年(大正14年)5月、陸軍少将に進級し第3師団司令部付となる。
武田 秀一(たけだ ひでいち、1878年(明治11年)9月3… 武田 秀一(たけだ ひでいち、1878年(明治11年)9月3日 - 1939年(昭和14年)5月6日)は、日本の陸軍軍人。最終階級は陸軍中将。正四位勲三等功四級。字は魯男。 1878年(明治11年)9月、高知県香美郡野市村(現在の香南市)に武田秀山の長男として生まれる。1900年(明治33年)11月、陸軍士官学校(12期)を卒業。翌年6月、歩兵少尉に任官。 千葉陸軍歩兵学校教官などを経て、1923年(大正12年)8月、歩兵大佐に昇進し青森連隊区司令官に就任。1924年(大正13年)8月、歩兵学校教導連隊長となり、豊橋陸軍教導学校長に転じ、1929年(昭和4年)8月、陸軍少将に進級。 1930年(昭和5年)8月、歩兵第37旅団長となり、近衛師団司令部付を経て、1933年(昭和8年)8月、陸軍中将に進んだ。
津田 増次郎(津田 增次郎、つだ ますじろう、1877年(明… 津田 増次郎(津田 增次郎、つだ ますじろう、1877年(明治10年)2月11日 - 1951年(昭和26年)11月24日)は、大日本帝国陸軍軍人。最終階級は陸軍少将。功四級。 高知県香美郡赤岡村(現・香南市赤岡町)に生まれる。高知県尋常中学海南学校(現・高知県立高知小津高等学校)を経て、1897年(明治30年)陸軍士官学校第9期卒業。 1918年(大正7年)7月に水戸連隊区司令官、1920年(大正9年)8月に陸軍歩兵大佐を経て、1922年(大正11年)2月に歩兵第19連隊長に任官。その後、1924年(大正13年)12月15日に陸軍少将に昇進と同時に待命、同月20日に予備役に編入した。 退役後は、在郷軍人会長、帝国在郷軍人会高知支部顧問、高知市議会議員などを務めた。
宮地 久衛(みやじ ひさえ、1876年11月6日 - 193… 宮地 久衛(みやじ ひさえ、1876年11月6日 - 1939年2月18日)は、日本の陸軍軍人、陸軍大佐。社会事業家、部落解放運動家。 1876年11月6日、高知県幡多郡小筑紫村田ノ浦(現宿毛市)で宮地重政の長男として生まれた。祖父の宮地重勝は、土佐国幡多郡津ノ川の郷士であり、安政3年(1856年)伊賀家に仕え、田ノ浦村や津賀川村(現小筑紫町都賀川)の庄屋や戸長を勤めた。 3歳で母と離別し、祖母に育てられた。1892年7月に中村小学校高等科を卒業した。同年9月に高知海南学校へ入学したが、学資が足らず2年で退学した。1896年に陸軍に入営し、陸軍士官学校や騎兵実施学校などに学んだ。1901年11月22日、陸軍士官学校(13期)を卒業し、1902年6月23日、騎兵少尉となり、日露戦争では騎兵第15聯隊付として出征した。
小牧 自然(こまき じねん、1876年(明治9年)3月22日… 小牧 自然(こまき じねん、1876年(明治9年)3月22日 - 1939年(昭和14年)6月7日)は、日本の海軍軍人、政治家。最終階級は海軍少将。 高知県安芸郡土居村(現・安芸市)に生まれる。海南中学校を経て、1897年(明治30年)12月、海軍兵学校(25期)を卒業し、1899年(明治32年)2月、海軍少尉任官。日露戦争には「常磐」分隊長として出征し、さらに「平壌丸」「厳島」の各航海長を歴任した。1909年(明治42年)5月、海軍大学校(甲種6期)を卒業し「吾妻」航海長に就任。 1909年10月、「香取」航海長心得となり、呉鎮守府参謀兼望楼監督官、海軍省軍務局局員兼教育本部員(二部)、「出雲」副長心得を歴任。
関田 駒吉(せきだ こまきち、1875年(明治8年)2月15… 関田 駒吉(せきだ こまきち、1875年(明治8年)2月15日 - 1939年(昭和14年)11月5日)は、日本の海軍軍人。最終階級は海軍少将。 1875年(明治8年)2月15日、高知県長岡郡大篠村(現在の南国市)に生まれた。初め宮地氏を称し、3歳にして父に別れ、醫家関田修斎に養われて、その家を継いだ。夙に才学に秀で、海南学校より海軍兵学校に進学し卒業(24期)。明治30年10月、少尉候補生を命ぜられるとともに軍艦比叡乗組となり、後、松島や厳島に転じ、翌年4月1日海軍少尉に任ぜられ、尋いで5月10日正八位に叙せられた。宇治艦長、最上艦長、松江艦長、満州艦長などを歴任。のち少将を任官。退役後は郷土史の研究をした余生を過ごした。
久野 工(ひさの たくみ、1874年〈明治7年〉11月10日… 久野 工(ひさの たくみ、1874年〈明治7年〉11月10日 - 1960年〈昭和35年〉6月3日)は、日本の海軍軍人、実業家、政治家。神奈川県横須賀市長。海軍主計中将正四位勲二等。 旧土佐藩士・久野克記と母・亀の長男として高知県土佐郡久万村(初月村を経て現・高知市)に生まれ、1922年(大正11年)家督を相続する。1891年(明治24年)高知県尋常中学海南学校(現・高知県立高知小津高等学校)を経て、明治法律学校2年修了。 1896年(明治29年)海軍少主計候補生を命ぜられ、佐世保海兵団附、佐世保鎮守府監督部附を経て、1905年(明治38年)海軍主計少監に進む。ついで、英国出張(鹿島回航委員)に赴き、1910年(明治43年)造船造兵監督会計官に任官すると、英国へ再度赴任し、1912年(明治45年)帰朝する。