関口章(せきぐち あきら、1952年2月14日 - )は、日… 関口章(せきぐち あきら、1952年2月14日 - )は、日本の化学者。専門は有機化学。群馬県出身。理学博士(筑波大学)。ケイ素 などの高周期有機元素化学分野で有名。 群馬大学時代は右田俊彦教授、筑波大学時代は安藤亘教授、東北大学時代は櫻井英樹教授の下で研究。
群馬大学:120人
関口章(せきぐち あきら、1952年2月14日 - )は、日… 関口章(せきぐち あきら、1952年2月14日 - )は、日本の化学者。専門は有機化学。群馬県出身。理学博士(筑波大学)。ケイ素 などの高周期有機元素化学分野で有名。 群馬大学時代は右田俊彦教授、筑波大学時代は安藤亘教授、東北大学時代は櫻井英樹教授の下で研究。
井上 登美夫(いのうえ とみお、1952年 - )は、日本の… 井上 登美夫(いのうえ とみお、1952年 - )は、日本の医師、医学者。学位は医学博士(群馬大学)。横浜市立大学名誉教授。専門は放射線医学、核医学。医療法人沖縄徳洲会湘南鎌倉総合病院先端医療センター長。横浜市立大学医学部放射線医学講座教授、先端医科学研究センター長、附属市民総合医療センター病院長、医学部長などを歴任した。ポジトロン断層法を用いた分子イメージングに関する研究を行い、日本におけるPET検査の普及に貢献した。 放射線科医としてPET検査の黎明期から研究に取り組み、後にPET検査やMRI検査を応用して細胞や分子レベルの生物学的現象を可視化する分子イメージング分野で研究を展開した。また、PET検査の第一人者として、2005年から2014年まで日本学術会議連携会員、2011年から2015年まで日本核医学会理事長を務めながら、日本におけるPET検査関連法令の整備と普及に携わった。
小川 正行(おがわ まさゆき、1951年4月7日 - 201… 小川 正行(おがわ まさゆき、1951年4月7日 - 2017年4月22日)は、日本の教育学者、公衆衛生学者。群馬大学教育学部教授。専門は公衆衛生学、健康教育学、保健統計学。位階は従四位。 趣味で始めた柔道では講道館七段を持ち、大学でも柔道実習の講師、またスキー実習の講師を務めて一級の運動指導者として名を馳せていた。平成2年に腹部手術により容姿が変貌したが、晩年まで柔道指導を行い、群馬大学柔道部顧問も務めた。長男は教育者のおがわしんたろう。
福島 博(ふくしま ひろし、1950年10月 - )は、日本… 福島 博(ふくしま ひろし、1950年10月 - )は、日本の数学者。群馬大学教授。専門は代数学(群論)。 2018年現在、群馬大学教育学部数学専攻教授、学位は理学博士。 代数学(群論)・・・表現、有限群、指標有限群の表現に関する研究 この項目は、数学者に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(プロジェクト:人物伝/Portal:自然科学)。
福島 大吉(ふくしま だいきち、1950年9月5日 - )は… 福島 大吉(ふくしま だいきち、1950年9月5日 - )は、日本の実業家、理学博士。小野薬品工業代表取締役社長や、同社代表取締役会長を務めた。 埼玉県出身。1973年群馬大学工学部卒業。1975年群馬大学大学院工学研究科修士課程修了。1978年筑波大学大学院化学系博士課程修了、理学博士、シカゴ大学化学科博士研究員。 1980年小野薬品工業入社。研究を行い、2006年には常務取締役研究本部長兼医薬品化学研究所長に昇格。2008年に代表取締役社長を務め、グローバル研究戦略立案室の新設や、新薬候補化合物の海外からの導入などにあたった。同年代表取締役会長。小野医学研究財団理事長も務めた。
三田 純義(みた すみよし、1949年12月6日 - )は、… 三田 純義(みた すみよし、1949年12月6日 - )は、日本の学者・教育学者である。群馬大学教授。専門は金属加工、機械・電気・電子・情報技術教育。 (技術教育研究、1983年) (工業教育、1984年) (技術教育研究第36号、1990年) (小山工業高等専門学校研究紀要第29号、1997年) この項目は、学者に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(PJ:人物伝/P:教育)。
能島 龍三(のじま りゅうぞう、1949年 - )は、日本の… 能島 龍三(のじま りゅうぞう、1949年 - )は、日本の小説家。 群馬県出身。群馬大学教育学部卒業後、教員をつとめながら文学に志す。1991年、「ワイマール近郊にて」が『民主文学』に掲載され、全国誌に登場する。戦争責任や現代の教育事情に材をとった作品が多い。 2021年から日本民主主義文学会の会長をつとめている。 著書[要文献特定詳細情報]に記された経歴 この項目は、文人(小説家・詩人・歌人・俳人・著作家・作詞家・脚本家・作家・劇作家・放送作家・随筆家/コラムニスト・文芸評論家)に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(P:文学/PJ作家)。
村上 隆夫(むらかみ たかお、1947年12月 - )は、日… 村上 隆夫(むらかみ たかお、1947年12月 - )は、日本の倫理学者、群馬大学名誉教授。専門は倫理学(模倣論・身体論・人格論)。
石田 肇(いしだ はじめ、1947年6月 - )は、日本の歴… 石田 肇(いしだ はじめ、1947年6月 - )は、日本の歴史学者である。群馬大学教育学部社会科教育講座名誉教授。専門は東洋史(中国、日中関係史)。
内山 安男(うちやま やすお、1947年 - ) は、日本の… 内山 安男(うちやま やすお、1947年 - ) は、日本の生物学者、医師。専門は神経科学、細胞生物学。大阪大学大学院医学系研究科教授や、国際組織細胞学会理事長、日本解剖学会理事長を務めた。 1972年群馬大学医学部医学科卒業。同期に森昌朋群馬大学名誉教授など。群馬大学小児科で研修を受けたのち、1973年自治医科大学助手。1979年東北大学医学部助手。1981年東北大学医学部助教授、東北大学医学博士。同年筑波大学基礎医学系助教授。1991年岩手医科大学医学部教授。1995年大阪大学大学院医学系研究科情報伝達医学専攻機能形態学解剖学第一講座教授。1998年国際組織細胞学会理事長。2008年順天堂大学大学院医学研究科教授。
清水 和夫(しみず かずお、1946年8月 - )は、日本の… 清水 和夫(しみず かずお、1946年8月 - )は、日本の教育学者である。 群馬県前橋市出身。群馬県教育委員会特別表彰。 現在群馬大学大学院教育学研究科 (教職リーダーコース) 教授。専門は教育学、学校経営学。 1946年8月 群馬県前橋市で出生。幼少時代の将来の夢は『大工さん』。1965年8月 群馬県立前橋高等学校普通科卒業。1970年3月 群馬大学教育学部社会科教育専修卒業(考古学専攻)。 1970年4月 - 1973年3月 前橋市立下川淵小学校教諭。1973年4月 - 1976年3月 群馬県教育委員会文化財保護課文化財保護主事。1976年4月 - 1981年3月 前橋市立朝倉小学校教諭。
星野 富弘(ほしの とみひろ、1946年4月24日 - )は… 星野 富弘(ほしの とみひろ、1946年4月24日 - )は、日本の詩人・画家。現在も詩画や随筆の創作を続けており、また国内外で「花の詩画展」が開かれている。
黒古 一夫(くろこ かずお、1945年12月12日 - )は… 黒古 一夫(くろこ かずお、1945年12月12日 - )は、日本近代文学研究者、文芸評論家、筑波大学名誉教授。 群馬県安中市生まれ。群馬県立高崎工業高等学校、群馬大学教育学部卒業後、群馬県内の公立学校教員を6年間務める。法政大学大学院文学研究科博士課程修了。小田切秀雄に師事し、大学院在学中の1979年に修士論文を書き直した『北村透谷論-天空への渇望』を刊行し、『文学的立場』(第三次)や『流動』等の雑誌で批評家の仕事を始める。予備校講師・群馬大学、法政大学等の非常勤講師を経て、図書館情報大学助教授、教授、統合により筑波大学大学院図書館情報メディア研究科教授(〇合教授)。大学では近現代文学の他出版文化論や書誌学などを講じる。
鈴木 一行(すずき かずゆき、1944年5月23日 - 20… 鈴木 一行(すずき かずゆき、1944年5月23日 - 2010年7月17日)は、日本の技術者、実業家。サンデン株式会社代表取締役社長や、同社相談役を務めた。 群馬県出身。1968年群馬大学工学部卒業、三共電器入社。199年サンデン八斗島事業所カーエアコン工場長。1993年サンデン・インターナショナル・台湾社長。1997年サンデン八斗島事業所長。1999年サンデン取締役製造本部長。2003年サンデン常務執行役員、サンデン・マニュファクチャリング・ヨーロッパ社長。2006年サンデン取締役兼副社長執行役員。2007年からサンデン代表取締役社長を務め、経営改革を進めた。2010年サンデン相談役に退き、同年伊勢崎市内の病院で死去した。
貫井 英明(ぬくい ひであき、1941年 - )は、日本の医… 貫井 英明(ぬくい ひであき、1941年 - )は、日本の医師、研究者。元山梨大学学長。 1941年に埼玉県で生まれる。埼玉県立熊谷高等学校を経て1966年、群馬大学医学部医学科卒業。1984年に山梨医科大学脳神経外科を開講し初代教授となる。2002年、山梨大学との統合により山梨大学脳神経外科初代教授となる。2004年10月から2009年3月まで山梨大学学長を務める。現在は名誉教授。 2017年の春に瑞宝重光章を受章する。2020年に齋藤眞賞社会賞を受賞する。
久保田 博南(くぼた ひろなみ、1940年〈昭和10年〉10… 久保田 博南(くぼた ひろなみ、1940年〈昭和10年〉10月10日 - )は、群馬県太田市出身の医療機器開発コンサルタント、サイエンスライターである。生体情報モニタの創始を手始めとして、心電図モニタ、パルスオキシメーターなどのワイヤレス化、小型・省エネ化、ポータブル化などによる関連機器群の普及活動に尽力している。 1963年、群馬大学工学部電気工学科を卒業後、日本光電工業株式会社に入社し医療機器の研究開発に従事した。1965年に生体情報モニタ、1975年にワイヤレス式の生体情報モニタを商品化し、ともに世界初の開発だったことから「ミスタモニタ」や「生体モニタの父」と呼ばれる。このとき開発された初号機「MBM-40」は現在麻酔博物館に展示されている。
林 紀子(はやし としこ、1940年〈昭和15年〉2月27日… 林 紀子(はやし としこ、1940年〈昭和15年〉2月27日 - 2022年〈令和4年〉1月25日)は、日本共産党所属の政治家、元アナウンサーである。参議院議員(2期)。群馬県前橋市出身。群馬大学学芸学部卒業。 1940年、職業軍人であった父の赴任先の中国東北部で生まれる。群馬大学卒業後の1962年、ラジオ関東(現・アール・エフ・ラジオ日本)に入社。労働組合の婦人部副部長を務める。その後、退職。 1974年に広島へ移り住み、新日本婦人の会広島県本部事務局長を務めた。 1983年の第13回参議院議員通常選挙に比例代表で立候補するも落選。1986年の 第14回参議院議員通常選挙比例代表でも落選となった。
小川 龍(おがわ りょう、1940年2月11日 - 2015… 小川 龍(おがわ りょう、1940年2月11日 - 2015年3月21日)は、日本の麻酔科医・歴史家。 群馬県生まれ。1965年群馬大学医学部卒業。66年群馬大学医師・麻酔科学専攻。72年群馬大学より医学博士の学位を取得。 1987年日本医科大学麻酔科教授、医学部学部長、付属病院副院長、2005年新潟県阿賀町鹿瀬診療所勤務。 仏教・歴史に関心を持ち医療論、歴史書なども著した。日本文藝家協会会員。
鈴木 守(すずき まもる、1938年11月30日 - )は、… 鈴木 守(すずき まもる、1938年11月30日 - )は、日本の医学者・教育者。元群馬大学学長、医学部長、上武大学学長、医学博士。 専門は寄生虫学。特に、マラリア対策研究、熱帯医学。 静岡県出身。私立武蔵高校卒業後、1964年千葉大学医学部卒業。1969年千葉大学大学院医学研究科博士課程修了。学位論文名は「トキソプラズマ色素試験Acessory Faetorの研究マウス細胞溶解因子の意義」。同年、東京大学医科学研究所細菌感染研究部を経て、1972年WHO上級研究者としてイギリスおよびアメリカに留学。 1974年東海大学助教授。1976年群馬大学教授となる。1998年、群馬大学医学部長。2001年、群馬大学副学長を経て、2003年より群馬大学長。
武藤 英男(むとう ひでお、1938年〈昭和13年〉5月24… 武藤 英男(むとう ひでお、1938年〈昭和13年〉5月24日 - 2017年〈平成29年〉5月23日)は、日本の数学者、教育学者。理学博士。群馬大学名誉教授。群馬大学教育学部長などを歴任。帝京平成大学元教授の浅井真理子は長女。東北大学教授の武藤泉は甥。 日本数学会、アメリカ数学会(American Methematical Society)
倉茂 達徳(くらしげ さとのり、1937年(昭和12年)7月… 倉茂 達徳(くらしげ さとのり、1937年(昭和12年)7月5日 - 2013年(平成25年)3月21日)は、日本の医学者。群馬大学名誉教授、東京福祉大学元学長、医学博士。専門は微生物学、免疫学。 1937年(昭和12年)、栃木県に生まれる。1962年(昭和37年)、 群馬大学医学部を卒業し、1967年(昭和42年)、 群馬大学大学院医学研究科を修了。「細胞性免疫及び細胞抗体」により医学博士(群馬大学)を取得。群馬大学医学部講師、群馬大学医療技術短期大学部教授、群馬大学医学部教授を経て、2003年(平成15年)、東京福祉大学社会福祉学部教授・副学長に就任。2008年(平成20年)から2009年(平成21年)まで東京福祉大学学長となる。
中沢 正夫(なかざわ まさお、1937年 - )は、日本の精… 中沢 正夫(なかざわ まさお、1937年 - )は、日本の精神科医。中澤と表記するときもある。統合失調症の治療に定評があり、著書多数。椎名誠率いる「東ケト会」のメンバー(付き医)であったとしても有名。 ある精神科医は自身が卒業した1968年ごろの中沢および群馬大学・生活臨床グループの様子を「時代的には生活臨床理論が完成し、それを武器に優れたオルガナイザーである中沢氏が『精神衛生をはじめようとする人のための100ケ条』を携え、保健婦を標的に全国制覇に乗り出した時代であった」と述懐した
須藤 隆一(すどう りゅういち、1936年8月15日 - 2… 須藤 隆一(すどう りゅういち、1936年8月15日 - 2021年10月21日) は、日本の環境工学者。東北大学名誉教授。初代埼玉県環境科学国際センター総長。元環境省政策評価委員会委員長。 群馬県出身。1959年群馬大学学芸学部自然科学科生物学専攻課程卒業。1960年国立公衆衛生院衛生技術学科衛生工学專攻課程修了、東京都下水道局技師。1968年東京大学応用微生物研究所助手。1974年東北大学理学博士、国立公害研究所水質土壤環境部陸水環境研究室長。1987年国立公害研究所技術部長。1989年国立公害研究所技術部長兼水質土壤環境部長。1990年東北大学工学部土木工学科教授。2000年定年退職、東北大学名誉教授、埼玉県環境科学国際センター総長。
大澤 豊(おおさわ ゆたか、1935年〈昭和10年〉11月1… 大澤 豊(おおさわ ゆたか、1935年〈昭和10年〉11月15日 - 2020年〈令和2年〉1月1日)は、日本の映画監督。有限会社こぶしプロダクション代表。 群馬県高崎市出身。群馬県立高崎高等学校、群馬大学教育学部卒業。太平洋戦争中の疎開を描いた『ボクちゃんの戦場』(原作:奥田継夫、出演:前田吟・藤田弓子)で1985年(昭和60年)ベルリン国際映画祭児童映画部門3賞を受賞した。 そのほか、1997年(平成9年)日本映画ペンクラブ賞を、2000年手話をテーマにした『アイ・ラヴ・ユー』で日本アカデミー賞特別賞を、2011年『いのちの山河〜日本の青空II〜』で岩手県いのちの灯文化賞を受賞した。 東京都葛飾区在住。
千本木 康亘(せんぼんぎ やすもと、1935年〈昭和10年〉… 千本木 康亘(せんぼんぎ やすもと、1935年〈昭和10年〉7月10日 - 2018年〈平成30年〉12月28日)、日本の彫刻家。群馬大学教育学部教授。二科展会員、役員。 群馬県前橋市に生まれる。1955年(昭和30年)群馬県立前橋高等学校卒業後、群馬大学に進み油絵から彫刻に転向する。清水刀根に師事し、群馬大学在学中の1961年(昭和36年)第47回二科展特選。1968年(昭和43年)二科展金賞。翌年、二科展会員となる。 1969年(昭和44年)群馬大学学芸学部美術専攻卒業。 1987年(昭和62年)から群馬県美術会副会長を務め、2004年(平成16年)に彫刻部門から初となる会長に就任した。
向井 正剛(むかい まさかた、1935年(昭和10年)2月1… 向井 正剛(むかい まさかた、1935年(昭和10年)2月11日 - )は、日本の教育者であり、高校野球監督でもある。岡山県下の高校野球監督として春夏通じて唯一の優勝経験者。岡山東商業高等学校の監督時代に、同郷のエース平松政次を擁して春の甲子園で優勝した。岡山県高梁市出身。 1935年(昭和10年)に岡山県高梁市で生まれる。戦後に地元の岡山県立高梁高等学校に進み、同期には富士銀行(現:みずほFG)頭取・日本政策投資銀行社長になる橋本徹、伊藤忠商事副社長になる森澤寛二、群馬大学医学部教授の伊吹令人、ノートルダム清心女子大学教授の南智、新宿で高級和食料理店「車屋」を起業する佐藤勇がいた。 高校時代は硬式野球部に所属したが、普通科高校であるため、野球部の人気が無く部員不足により2年秋で休部となった。
伊吹 令人(いぶき よしと、1935年(昭和10年)1月19… 伊吹 令人(いぶき よしと、1935年(昭和10年)1月19日 - 2015年(平成27年)12月19日)は、日本の医学者であり、教育者である。群馬大学医学部教授を務めた後、日本産婦人科学会名誉会員。岡山県高梁市出身。 1935年(昭和10年)岡山県上房郡高梁町(現:高梁市)に生れる。母・三千子は、漢詩人・磯部杳坡の孫であり、磯部にとって初曽孫であった。親戚にUCLAに留学後、お茶の水女子大学名誉教授の伊吹知勢がいる。 その後、1950年(昭和25年)地元の岡山県立高梁高等学校へ進学する。同期には、富士銀行頭取になる橋本徹、伊藤忠商事副社長になる森澤寛二、岡山東商を甲子園優勝に導いた向井正剛、大学教授の南智、新宿で高級和食料理店「車屋」を起業する佐藤勇がいた。
野村 哲(のむら さとし、1935年(昭和10年) - )は… 野村 哲(のむら さとし、1935年(昭和10年) - )は、日本の地球科学者。群馬大学名誉教授。 長野県生まれ。長野県松本県ヶ丘高等学校、信州大学理学部を経て、1962年(昭和37年)東京教育大学大学院理学研究科修了。理学博士。 群馬大学社会情報学部教授、学部長を務めた。2000年(平成12年)定年退官。 その後、下仁田町自然学校校長を務めた。 1950年代の後半から海洋の地磁気測定が始まったが、1960年代の前半にはほぼ全海洋の地磁気の資料が出そろった。その結果、平行する磁気異常のしま模様は海底山脈の中軸部を境に左右対称であることがわかった。これは『海洋底が開いているために左右対称になった』という「海洋底拡大説」が生まれる。
阿部 百合子(あべ ゆりこ、1933年6月11日 - )は、… 阿部 百合子(あべ ゆりこ、1933年6月11日 - )は、群馬県出身の女優、タレント。俳優座所属。身長161cm、体重47kg。矢野宣は夫。 群馬県立高崎女子高等学校、群馬大学教育学部音楽専攻卒業後、俳優座養成所を経て俳優デビュー。 趣味は映画鑑賞。特技は習字・料理。
武田 文和(たけだ ふみかず、1933年- 2022年4月3… 武田 文和(たけだ ふみかず、1933年- 2022年4月3日)は、日本の外科医師。埼玉医科大学客員教授。がん疼痛治療の第一人者。 埼玉県熊谷市で出生。埼玉県立熊谷高等学校、群馬大学医学部医学科(昭和32年)卒業。 1973年、群馬大学医学部脳神経外科助教授。 1975年、埼玉県立がんセンター手術部長。 1989年、同センター病院長。 1993年、同センター総長。 1982年 - 2000年、WHO専門家諮問部会委員(がん疼痛担当)。『WHO方式がん疼痛治療法』の作成メンバーのひとり。 2000年、日本麻酔学会社会賞受賞。
片岡 政義(かたおか まさよし、1930年 - 2021年8… 片岡 政義(かたおか まさよし、1930年 - 2021年8月21日)は、日本のテレビプロデューサー、元テレビ朝日社員。 東京電機大学卒業(1951年)、群馬大学工学部電機部門卒業(1953年)。大学卒業後、多くの職業を経て1960年に東映テレビ・プロダクションにプロデューサーとして入社、1962年に日本教育テレビ(NET、現・テレビ朝日)に入社、同じくプロデューサーを務める。 東映制作のテレビドラマを主とした数多くの番組の企画・プロデュースを手掛ける。そのような中で、1967年のテレビドラマ『白い巨塔』のロケでドイツのベルリン、フランクフルト、ハイデルベルクを回った時に、将来の海外移住を初めて考えるようになる。
湯浅 修一(ゆあさ しゅういち、1929年〈昭和4年〉12月… 湯浅 修一(ゆあさ しゅういち、1929年〈昭和4年〉12月18日 - 没年不明 )は、日本の医学者・精神科医。群馬県生まれ。専門は精神病理学。医学博士(群馬大学・1963年)。分裂病(現・統合失調症)の予後研究で知られる。江熊要一、臺弘、中沢正夫らとともに生活臨床グループの創成期メンバー。 1929年群馬県前橋市に生まれる。旧制松本高等学校理科を経て、1953年前橋医科大学(現・群馬大学)卒業。1963年医学博士(群馬大学)。赤城病院院長、群馬大学医学部講師、岸病院神経科医長、東京都精神医学総合研究所副参事研究員、東京大学医学部講師などを経て、榛名病院常勤顧問 。
山本 鉱太郎(やまもと こうたろう、1929年9月15日 -… 山本 鉱太郎(やまもと こうたろう、1929年9月15日 - )は東京都江東区深川木場出身の旅行作家、劇作家。現在千葉県流山市在住。栃木県立足利高等学校、群馬大学卒。旅行をテーマにした作品の小説が多い。日本旅のペンクラブ代表。 2005年12月、社会教育功労者として文部科学大臣より表彰される。日本ペンクラブ、日本推理作家協会、旅行記者クラブ、日本旅のぺンクラブ、旅行作家の会会員。趣味はカメラ、郷土玩具収集、料理、水泳、ハーモニカ、スケッチ。いまも年間100日は国内外の旅を続けている。
戸部 満壽夫(とべ ますお、1929年〈昭和4年〉2月15日… 戸部 満壽夫(とべ ますお、1929年〈昭和4年〉2月15日 - 2008年〈平成19年〉11月23日)は、厚生労働省厚生技官・研究者、専門は薬理学、毒性学。AF-2の毒性評価などの研究がある。医学博士。 群馬県吾妻郡嬬恋村に生まれる。旧制山梨高等学校を経て、1954年(昭和29年)前橋医科大学(現・群馬大学医学部)を卒業。日本医科大学講師として勤めたのち、1964年(昭和39年)より国立衛生試験所毒性部に勤務し、同毒性部長を務めた。 日本薬理学会、日本毒科学会、日本食品衛生学会に所属。中央薬事審議会、中央公害対策審議会審議会、生活環境審議会委員、薬剤師国家試験委員などを歴任。 1987年(昭和62年)国立衛生試験所安全性生物試験研究センター長に就任。
辻 信太郎(つじ しんたろう、1927年(昭和2年)12月7… 辻 信太郎(つじ しんたろう、1927年(昭和2年)12月7日 - )は、日本の実業家、作家。山梨県庁職員を経て、株式会社サンリオを創業。同社代表取締役社長・会長を歴任し、現在は同社の名誉会長。 1960年8月の創業以来、2020年6月までサンリオの社長を務めた。サンリオ作品の原作・脚本を執筆するなどの創作活動も手がけている。日本文芸家協会・日本ペンクラブ会員。 長男はサンリオ副社長を務めた辻邦彦(2013年没)。また現社長・辻朋邦は孫。 サンリオが発行する『いちご新聞』で毎号コラムを掲げる「いちごの王さま」は辻の分身的存在であり、王さまの姿を借りて「世界中がみんな仲良く平和に暮らせるように」との願いを発信し続けている。
田所 作太郎(たどころ さくたろう、1927年〈昭和2年〉1… 田所 作太郎(たどころ さくたろう、1927年〈昭和2年〉1月7日 - 2011年〈平成23年〉9月25日)は、日本の医学者・薬理学者。医学博士。群馬大学名誉教授。 群馬県前橋市生まれ。旧制前橋中学校を経て、1949年(昭和24年)前橋医学専門学校卒業。1955年(昭和30年)東京慈恵会医科大学医学博士。1959年(昭和34年)群馬大学医学部助教授。1965年(昭和40年)よりアメリカ・ミシガン大学へ留学。1972年(昭和47年)群馬大学医学部教授。1978年(昭和53年)日本アルコール医学会会長。1983年(昭和58年)群馬大学医学部付属動物実験施設長。1991年(平成2年)定年退官、名誉教授、群馬県立医療短期大学学長。
渡 仲三(わたり なかぞう、1926年〈大正15年〉11月2… 渡 仲三(わたり なかぞう、1926年〈大正15年〉11月2日 - 2018年〈平成30年〉2月15日)は、日本の解剖学者、性科学者、名古屋市立大学名誉教授。医学博士。 群馬県吾妻郡岩島村矢倉(現・東吾妻町)の農家に生まれる。岩島高等小学校を卒業後、群馬師範学校に入学し、群馬大学学芸学部から医学部に転部し1955年卒業。1960年同大学院博士課程を修了。 1960年群馬大学助手、1961年同講師。1963年から1965年までハーバード大学・ニューヨーク州立大学に留学する。1966年群馬大学内分泌研究所助教授。1969年名古屋市立大学医学部教授。1979年日本臨床電子顕微鏡学会賞を受賞。 日本解剖学会、日本電子顕微鏡学会、日本臨床電子顕微鏡学会所属。
大谷 杉郎(おおたに すぎお、1925年12月10日 - 2… 大谷 杉郎(おおたに すぎお、1925年12月10日 - 2010年7月1日)は日本の化学者、工学博士。 1962年より群馬大学工学部教授。1991年より東海大学開発工学部教授、群馬大学名誉教授。コールタールピッチや石油ピッチを原料とする、ピッチ系炭素繊維を発明したことで知られる。 専門は炭素材料の研究で、炭素化過程の基礎研究と新材料開発に従事した。 1963年、ピッチを原料にして炭素繊維を作ることに成功。1969年には、ピッチを熱処理して得られるメゾフェーズ・ピッチを原料に用いると性能の高い炭素繊維が得られることを発見し、ピッチ系メゾフェーズ炭素繊維を発明した。これを受けて1970年には呉羽化学工業株式会社(現・株式会社クレハ)がピッチ系炭素繊維(等方性)の生産を開始している。
山口 鶴男(やまぐち つるお、1925年〈大正14年〉10月… 山口 鶴男(やまぐち つるお、1925年〈大正14年〉10月4日 - 2015年〈平成27年〉8月3日)は、日本の政治家。総務庁長官(第15代)、衆議院議員(11期)、日本社会党書記長(第11代)、日本社会党国会対策委員長(第14代)、衆議院予算委員長、群馬県議会議員(2期)などを歴任した。位階は正三位。勲章は勲一等旭日大綬章。通称「ヤマツル」。 群馬県吾妻郡草津町生まれ。旧制前橋中学校(現・群馬県立前橋高等学校)を経て、桐生高等工業学校(現群馬大学工学部)卒業。1946年前橋商業学校の教員となり、その後草津中学校に勤務する。教職員組合活動に取り組み、群馬県教組書記長となる。 1955年に群馬県議会議員選挙に立候補し当選。
岡本 佐四郎(おかもと さしろう、1925年9月14日 - … 岡本 佐四郎(おかもと さしろう、1925年9月14日 - )は、日本の技術者、実業家。帝人代表取締役社長や、日本化学繊維協会会長を務めた。化学工学会賞技術賞受賞。 1945年桐生工業専門学校応用化学科選科修了。1948年東京工業大学高分子化学科卒業、帝国人造絹絲入社。1964年帝人三原工場ナイロン製造部次長。1965年帝人松山工場ナイロン第1製造部長。1968年帝人徳山工場副長。1969年帝人徳山工場長。1970年帝人松山工場長。1971年帝人取締役に昇格。1983年帝人代表取締役社長。ナイロンタイヤコ-ドの改良などを実現した。1969年には「ポリエステル連続重合、直接紡糸法の開発および工業化」により、化学工学会賞技術賞受賞。
根岸 謙之助(ねぎし けんのすけ、1925年〈大正14年〉6… 根岸 謙之助(ねぎし けんのすけ、1925年〈大正14年〉6月1日 - 1995年〈平成7年〉3月15日)は、日本の国文学者・民俗学者。 群馬県利根郡糸之瀬村(現・昭和村)出身。旧制沼田中学校(現・群馬県立沼田高等学校)を経て、國學院大學文学部を卒業。折口信夫に師事する。 群馬県立前橋工業高等学校教諭、群馬県立高崎工業高等学校教諭、群馬県立前橋高等学校教諭をへて、群馬大学医療技術短期大学部教授。 1991年に定年退官、名誉教授、上武大学教授。 1991年に『医療民俗論』で柳田賞受賞。1992年に「医療民俗学論」で國學院大學民俗学博士となる。群馬県史編纂調査委員、群馬県文学賞選考委員も務めた。日本民俗学会会員。
毒島 邦雄(ぶすじま くにお、1925年〈大正14年〉4月1… 毒島 邦雄(ぶすじま くにお、1925年〈大正14年〉4月1日 - 2016年〈平成28年〉10月22日)は、日本の実業家。パチンコメーカーである三共の創業者であり、同社名誉会長。息子の毒島秀行は2008年より三共のCEOを務めている。 群馬県桐生市境野町に生まれる。1943年に桐生工専(現:群馬大学工学部)附属桐生商工学校を卒業。戦後間もなくして三共電機製作所を創業、その後三共運送、桐生フードセンター、三共技研などを創業。 パチンコ業平和工業の常務を経て、1966年4月に名古屋市で株式会社中央製作所を設立し、同年5月に三共製作所、11月に三共へ商号変更。1981年4月に桐生市へ本社を移転、1995年には東京証券取引所2部に上場、1997年には1部上場、2008年8月に渋谷区渋谷に移転した。
殿岡 政雄(とのおか まさお、1925年〈大正14年〉1月1… 殿岡 政雄(とのおか まさお、1925年〈大正14年〉1月15日 - )は、日本の経営者。栃木県足利市出身。 興国化学工業(現在のアキレス)創立者・殿岡利男の長男。1945年に桐生工業専門学校を卒業し、1947年に興国化学工業に入社。 取締役、常務、専務を経て、1971年6月に副社長に就任し、1977年1月には社長に昇格した。1992年6月に会長を経て、2001年6月には取締役相談役に就任した。 1986年11月に藍綬褒章を受章し、1995年11月に勲三等瑞宝章を受章した。
江熊 要一(えぐま よういち、1924年7月29日 - 19… 江熊 要一(えぐま よういち、1924年7月29日 - 1974年1月27日)は、日本の精神科医。生活臨床の創始者。群馬大学助教授。 1924年東京に生まれる。群馬大学医学部卒業。 佐久総合病院で始めた療法が注目され、台弘教授がいた群馬大学に助教授として迎えられる。 1958年、群馬大学より医学博士の学位を取得、論文の題は「精神分裂病患者で試みた脳髓アレルギー性侵襲の臨床的研究 」。 1974年1月の新人医師の結婚披露宴で来賓祝辞をスピーチ中、心筋梗塞で倒れ急死する。享年51(満49歳)。
堀江 文夫(ほりえ ふみお、1924年〈大正13年〉4月2日… 堀江 文夫(ほりえ ふみお、1924年〈大正13年〉4月2日 - 2016年〈平成28年〉4月22日)は、日本の政治家。群馬県沼田市長(4期)。 群馬県利根郡薄根村(現・沼田市町田町)出身。旧制沼田中学を卒業後、1945年(昭和20年)、桐生工業専門学校(現・群馬大学工学部)機械科卒。1951年(昭和26年)、薄根村議会議員となる。1954年(昭和29年)、薄根村は合併により沼田市となったため、沼田市議会議員となる。沼田市議を5期務めた後、1970年(昭和45年)、沼田市長に当選する。沼田市長を連続4期務め、1986年(昭和61年)に退任した。 1980年(昭和55年)4月藍綬褒章、1994年(平成6年)4月勲三等瑞宝章(地方自治功労)を受章。
大川 栄二(おおかわ えいじ、1924年〈大正13年〉3月3… 大川 栄二(おおかわ えいじ、1924年〈大正13年〉3月31日 - 2008年〈平成20年〉12月5日)は、群馬県桐生市出身の実業家、美術品蒐集家。大川美術館創設者・初代館長。 群馬県桐生市生まれ、実家は畳屋であった。桐生高等工業学校(現・群馬大学工学部)染色化学科卒業。1946年、三井物産入社。1969年、株式会社ダイエーへ移り、副社長を経て1976年にマルエツ株式会社(旧サンコー)代表取締役社長。1981年、株式会社ダイエー取締役副社長。1983年株式会社丸興(後ダイエーファイナンス、現セディナ)会長。中内㓛社長付きの部長という肩書きで、新店舗開発など最前線で指揮をとり、急成長するダイエーを影から支えた。
田口 玄一(たぐち げんいち、1924年1月1日 - 201… 田口 玄一(たぐち げんいち、1924年1月1日 - 2012年6月2日)は、日本の工学者。品質工学(タグチメソッド)の創始者。 タグチメソッドは1980年代のアメリカ合衆国の技術停滞打破に大きく貢献した。これにより「アメリカを蘇らせた男」と呼ばれ、日本人として3人目のアメリカの自動車殿堂入りを果たした。また、日本でも多くの支持者によって品質工学会が設置されており、2年間で200事例に適用し、100億円以上の効果があった企業もあると言われている。 青山学院大学教授、日本規格協会参与、品質工学フォーラム会長、株式会社オーケン社長を歴任。品質工学会名誉会長、理学博士(九州大学)。 田口は開発・設計工程に品質管理手法を取り入れるタグチメソッドを提唱し、トヨタ自動車、日産自動車、デンソー、フォード・モーターなどを指導した。
都丸 十九一(とまる とくいち、1917年7月15日 - 2… 都丸 十九一(とまる とくいち、1917年7月15日 - 2000年3月21日)は日本の民俗学者。群馬県勢多郡北橘村(現渋川市)出身。 民俗学研究、特に地史の分野で活躍し、地名を成り立ちから分類して自然地名・人文地名・修飾地名・新付地名という概念を打ち立てるなど、顕著な功績を残した。 1937年 群馬県師範学校卒業。1941年 今井善一郎と勢多郡誌作成のために民俗調査を行う。1946年 上毛民俗の会が発足し入会する。1947年 民俗学研究所例会で柳田國男と出会う。教師として、群馬県玉村町、高崎市、赤城村、北橘村、富士見村、黒保根村などの小中学校に勤務し、中学校長をつとめ1976年に退職。1983年からは群馬大学教育学部非常勤講師を勤める(1986年まで)。
丸田 芳郎(まるた よしお、1914年12月16日 - 20… 丸田 芳郎(まるた よしお、1914年12月16日 - 2006年5月30日)は、日本の実業家。京都大学工学博士。花王の社長、会長を歴任した。 長野県更級郡信田村(現長野市)で教師の両親の元に生まれる。1932年旧制長野中学(後の長野県長野高等学校)卒業、1935年桐生高等工業学校(後の群馬大学工学部)卒業。花王の前々身、大日本油脂株式会社に入社。1948年3月、京都大学工学博士の称号を得る。学位は丸田たちが研究した航空潤滑油の合成に関する功績による。 1954年取締役。1956年常務、1968年専務を経て、1969年、副社長に就任。1971年、伊藤英三の死去にともない社長に就任。バイヤスドルフとの提携でニベア花王を設立し、1982年には「ソフィーナ」を発売して化粧品事業に進出するなど経営の多角化・省力化を進め、公害防止にも努めた。
斎藤 喜博(さいとう きはく、1911年〈明治44年〉3月2… 斎藤 喜博(さいとう きはく、1911年〈明治44年〉3月20日 - 1981年〈昭和56年〉7月24日)は、日本の教育者。群馬県佐波郡芝根村(現・玉村町)生まれ。群馬師範学校(現・群馬大学共同教育学部)本科第一部卒業。小中学校の教師や群馬県教職員組合常任委員(文化部長)を経て、1952年、佐波郡島小学校長となり、11年間、「島小教育」の名で教育史に残る子どもたちの表現力を育てる実践を展開した。計8回開かれた公開研究会には、全国から延べ1万人近い教師、研究者らが参観に来た。 併行して民間教育研究運動にも積極的に携わり、自ら設立に関与した教育科学研究会(教科研)教授学部会や教授学研究の会で現職教員を指導した。