渡部 博文(わたなべ ひろふみ、1987年7月7日 - )は… 渡部 博文(わたなべ ひろふみ、1987年7月7日 - )は、日本の実業家。株式会社レノファ山口代表取締役社長、株式会社ESPORTES代表取締役社長。元プロサッカー選手で、サッカー選手としてのポジションはディフェンダー。山形県長井市出身。 本人曰く「5歳年上の姉が好きだった男の子がサッカーをしていたという理由で、小学校2年生の時に無理矢理やらされた」のがサッカーを始めたきっかけとのこと。元々は攻撃的なポジションだったが、山形中央高校サッカー部時代にボランチに、専修大学進学後にセンターバックへ転向。2008年、柏レイソルの特別指定選手に登録された が、出場機会はなかった。 2010年、柏へ正式加入。
石丸 修平(いしまる しゅうへい、1979年10月18日 -… 石丸 修平(いしまる しゅうへい、1979年10月18日 - )は、日本の社会起業家。福岡地域戦略推進協議会(FDC)事務局長。 福岡県飯塚市出身、九州国際大学付属高校卒、専修大学法学部卒。経済産業省、プライスウォーターハウスクーパース(PwC)等を経て、2015年4月より福岡地域戦略推進協議会(FDC)事務局長。アビスパ福岡アドバイザリーボード(経営諮問委員会)委員長、九州大学科学技術イノベーション政策教育研究センター(CSTIPS)客員教授、九州大学地域政策デザインスクール理事、Future Center Alliance Japan(FCAJ)理事、九州経済連合会規制改革推進部会長等を歴任。
赤井田 真希(あかいだ まき、1978年12月23日 - )… 赤井田 真希(あかいだ まき、1978年12月23日 - )は、日本の実業家。株式会社ユニクロ日本事業最高経営責任者(CEO)、株式会社ファーストリテイリング グループ執行役員。 新潟県阿賀野市出身。就職活動では、小学校から憧れだった英語の教師を目指し、母校の中学校で教育実習を行ったが、「人を育てる仕事はほかにもある」と考えを変えた。「自分の成長が実感できる勢いある会社へ」と、当時フリースの拡販や店舗網の拡大で急成長を遂げていたファーストリテイリングへ入社した。入社後、「頑張れば最短半年で店長になれる」と聞き、寝食を惜しんで猛勉強して、半年で店長試験に合格。群馬県、北海道での店長を経て、東京・銀座や中国・上海など国内外の大型店で成果を上げた。
尾関 茂雄(おぜき しげお、1974年(昭和49年)11月6… 尾関 茂雄(おぜき しげお、1974年(昭和49年)11月6日 - )は、日本の実業家。東京都出身。
依田 和孝(よだ かずたか、1974年(昭和49年)6月20… 依田 和孝(よだ かずたか、1974年(昭和49年)6月20日 - )は、日本の政治家、福祉事業経営者、第一勧業銀行・みずほ銀行、日本維新の会所属の衆議院千葉1区支部長。 東京都葛飾区生まれ、ロサンゼルスK・LCarver School、目黒区立東山小学校、葛飾区立末広小学校、葛飾区立新宿中学校、帝京高校、 1998年、専修大学法学部法律学科卒業。 1998年、第一勧業銀行入社し、中小企業、医療法人、融資業務を担当。 2009年、みずほ銀行を退社。 2010年、社会福祉法人双樹苑に入社。 2011年、株式会社在宅支援総合ケアーサービス設立、稲毛駅前訪問看護ステーションを開設。 2012年、居宅介護支援事業所「在宅コーディネート稲毛」開設。
猪股 真(いのまた まこと、男性、1973年2月6日 - )… 猪股 真(いのまた まこと、男性、1973年2月6日 - )は、神奈川県出身の実業家であり、経営コンサルタント、行政書士、SBI大学院大学非常勤講師。東京商工会議所登録エキスパート。 1973年、神奈川県に生まれる。1997年に専修大学法学部法律学科卒業後、ソフトウェア開発会社に入社。その後1998年、デザイン業、ソフトウェア開発業として独立。株価分析ソフトを開発し、ヴェクターで公開していたこともあった。2002年、行政書士試験を受験し合格。2003年には行政書士登録を行い事務所である「あつぎ法務事務所」を開設。会社設立・相続手続・遺言・公正証書作成支援・家系図・契約書作成・内容証明等を主業務とし、同年には設業支援、農地転用、古物商支援、運輸・運送業支援、人材派遣業・人材紹介業の取扱を開始している。
栗田 穣崇(くりた しげたか、1972年5月9日 - )は、… 栗田 穣崇(くりた しげたか、1972年5月9日 - )は、日本の経営者。iモードの立ち上げメンバーで、携帯電話の絵文字(iモード絵文字など)の開発者。 現在は株式会社ドワンゴ取締役兼ニコニコ代表、株式会社カスタムキャスト取締役。岐阜県大垣市出身。 1991年、岐阜県立大垣北高等学校を卒業。1995年、専修大学経済学部を卒業し、NTTドコモに入社、コンテンツ開拓担当課長を務めた。2000年からはドコモ・ドットコムに出向し、チーフクリエイティブオフィサーを務めた。2004年からは楽天株式会社に出向し、楽天オークション企画・マーケティング部長を務めた。その後、ぴあ株式会社セールスプロモーション局次長、株式会社バンダイナムコゲームスネットサービス推進部ゼネラルマネージャー、株式会社ドワンゴ執行役員、株式会社テクテック取締役、株式会社大百科ニュース社取締役、株式会社ドワンゴ取締役などを歴任し、2017年12月、niconico運営責任者に就任。
阿久津 知洋(あくつ ともひろ、1970年〈昭和45年〉12… 阿久津 知洋(あくつ ともひろ、1970年〈昭和45年〉12月7日 - )は、日本の実業家。セブン-イレブン・ジャパン代表取締役社長。宮城県出身。 宮城県に生まれる。1994年(平成6年)に専修大学商学部を卒業し、同年3月にセブン-イレブン・ジャパンに入社した。 コンビニエンスストアのフランチャイズ加盟店支援などの現場経験を長く積み、セブン-イレブン・ジャパンオペレーション本部西東京ゾーン調布地区ディストリクトマネジャー等を経て、2012年(平成24年)4月に同本部西東京ゾーンゾーンマネジャーに就任した。2014年(平成26年)1月には同本部群馬・新潟・北陸ゾーンのゾーンマネジャーに異動し、2015年(平成27年)年1月の組織変更に伴い新潟・北陸ゾーンのゾーンマネジャーとなった。
秋山 準(あきやま じゅん、1969年10月9日 - )は、… 秋山 準(あきやま じゅん、1969年10月9日 - )は、日本のプロレスラー、実業家。本名:秋山 潤(あきやま じゅん)。大阪府和泉市出身。全日本プロレス所属。本名の秋山潤の名義で全日本プロレス運営会社「オールジャパン・プロレスリング株式会社」および有限会社アキヤマ・インターナショナル・コミュニケーションの代表取締役社長を務める。
坂下 英樹(さかした ひでき、1967年8月30日 - )は… 坂下 英樹(さかした ひでき、1967年8月30日 - )は、日本の実業家。リンクアンドモチベーション代表取締役社長。 群馬県高崎市出身。専修大学商学部卒業。 1991年リクルート入社。2000年に小笹芳央らと共にリンクアンドモチベーションを設立し、取締役就任。2013年より代表取締役社長に就任。 2017年より、株式会社リンクグローバルソリューション取締役・株式会社リンクコーポレイトコミュニケーションズ取締役・株式会社リンクイベントプロデュース取締役を兼任。 この項目は、実業家に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(P:経済学、PJ:経済)。
塩井 賢一(しおい けんいち、1961年8月23日 - )は… 塩井 賢一(しおい けんいち、1961年8月23日 - )は、日本の経営者。プレナス社長を務めた。 長崎県出身。プレナス創業者・塩井末幸の長男。1985年に専修大学商学部を卒業し、同年にほっかほっか亭に入社。1987年にタイヨー(のちのプレナス)取締役、1997年4月に常務を経て、1998年5月には社長に就任。2003年5月には顧問に就任。 この項目は、人物に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(プロジェクト:人物伝、Portal:人物伝)。
永島 敏行(、1956年〈昭和31年〉10月21日 - )は… 永島 敏行(、1956年〈昭和31年〉10月21日 - )は、日本の俳優、実業家。本名同じ。血液型はO型。所属事務所はグランドスラム。 千葉県千葉市中央区今井出身。千葉市立高等学校を経て、専修大学文学部人文学科卒業。 父は競輪選手だったが、定宿だった旅館の娘(永島の母)と結ばれて結婚。これを機に競輪選手を引退し、蘇我駅前(千葉市中央区今井)にビジネスマン向けの旅館を開業することになった(旅館は現在廃業)。なお、永島家のルーツは和歌山県である。 中学校時代から親しみ、自らのチームを持つなど熱中している野球や、殺陣、さらには米作りなど幅広い趣味を持つ。農林水産物に関するコンサルティングならびに講演などを行う「有限会社青空市場」の代表取締役でもある。
石田 満(いしだ みつる、1956年1月20日 - )は、日… 石田 満(いしだ みつる、1956年1月20日 - )は、日本の実業家。株式会社銚子丸代表取締役社長。 東京都出身。1978年に専修大学法学部を卒業後、亀有信用金庫に入庫。1995年12月に株式会社シチエ(現ウェアハウス)に入社した後、1998年10月にオーケー株式会社に入社。2003年6月には同社取締役店舗運営本部長に就任し、2006年5月に同社取締役管理本部長に着任。2010年8月に株式会社ウェアハウス(現株式会社ゲオ)へ入社し、2011年6月には同社代表取締役に就任。2014年1月に株式会社銚子丸へ入社し、2014年2月に同社執行役員経営企画部長に就任し、2014年8月に代表取締役社長に就任。
桑野 光正(くわの みつまさ、1954年(昭和29年)12月… 桑野 光正(くわの みつまさ、1954年(昭和29年)12月19日 - )は、日本の経営者。 神奈川県鎌倉市大船の町工場の家に生まれる。鎌倉市立御成小学校、鎌倉市立御成中学校、湘南学園高等学校を経て、1977年に専修大学経済学部経済学科を卒業後、イトーヨーカ堂に入社。 1985年にイトーヨーカ堂グループ会社のダイクマに移り、やがてダイクマがヤマダ電機に買収されたことに伴い、2004年ヤマダ電機に入社し、同社礎生塾塾長となる。 2005年ヤマダ電機執行役員礎生塾塾長。2006年ヤマダ電機取締役常務執行役員総務本部副本部長。2008年ヤマダ電機取締役兼執行役員専務総務本部副本部長。2010年ヤマダ電機取締役兼執行役員専務総務本部長兼礎生塾塾長。
尾堂 真一(おどう しんいち、1954年4月3日 - )は日… 尾堂 真一(おどう しんいち、1954年4月3日 - )は日本の実業家。日本特殊陶業代表取締役会長兼社長や、日本ファインセラミックス協会会長、日本自動車部品工業会会長、中部経済同友会代表幹事、涼仙ゴルフ倶楽部理事長、愛知県公安委員会委員等を歴任した。 鹿児島県で家具製造販売業者の子として生まれる。1967年鹿児島大学教育学部附属小学校卒業。1970年鹿児島大学教育学部附属中学校卒業。1973年鹿児島県立鹿児島中央高等学校卒業。1977年専修大学商学部卒業、日本特殊陶業入社。2005年米国特殊陶業社長。2007年取締役に昇格。2010年常務取締役。2011年から代表取締役社長を務め、自動車向け点火プラグの生産能力増強などを進めた。
太田 元治(おおた もとはる、1951年〈昭和26年〉7月5… 太田 元治(おおた もとはる、1951年〈昭和26年〉7月5日 - )は、日本のアナウンサー、テレビディレクター・プロデューサー、実業家。朝日放送(ABC)のアナウンサー→スポーツ局局次長・業務担当部長、スカイ・エー(スカイ・A)のディレクター・プロデューサー、ゴルフキャスター、常務取締役・編成局長。 東京都豊島区長崎出身、専修大学経営学部卒業。1974年にABCへアナウンサーとして入社。趣味はオートバイ。 プロ野球中継などスポーツ実況で長らく活躍し、その独特の語り口で人気があった。中でも日本シリーズでは1979年と1980年の近鉄対広島戦(大阪球場)、1989年の近鉄対巨人戦(藤井寺球場の第1戦)など、近鉄戦の実況やリポートを多く担当した。
小林 高行(こばやし たかゆき、1950年5月26日 - )… 小林 高行(こばやし たかゆき、1950年5月26日 - )は、日本の実業家、東武宇都宮百貨店社長。栃木県経済同友会幹事。 1973年に、専修大学商学部を卒業して、東武宇都宮百貨店に入社し、2003年に取締役に昇格した。2004年から2009年まで東武百貨店に出向し、東武宇都宮百貨店に戻ってからは、取締役として大田原店長、本店長、常務取締役営業本部長兼本店長を経て、2013年に代表取締役社長となった。 この項目は、人物に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(プロジェクト:人物伝、Portal:人物伝)。
斎藤 統(さいとう おさむ、1949年3月2日 - )は、パ… 斎藤 統(さいとう おさむ、1949年3月2日 - )は、パリを拠点とする日本人実業家。日本でも書籍を出版。 1980年(昭和55年)、ヨウジヤマモト社の要請により同社のフランス支社であるYohji Europe(ヨウジ ヨーロッパ)社を設立し、同ブランドのヨーロッパ・アメリカ進出を手掛ける。ヨウジヤマモト社はこの海外進出の成功により「世界のヨウジ ヤマモト」としての地位を確固たるものとした。以降15年間同社社長を務めた後、1997年にはイギリスのラグジュアリーブランド「JOSEPH(ジョセフ)」に日本進出における総責任者として招聘され、JOSEPH Japon(ジョセフ・ジャポン)社社長に就任。
小杉理宇造(こすぎ りゅうぞう、本名同じ、1947年11月1… 小杉理宇造(こすぎ りゅうぞう、本名同じ、1947年11月10日 - )は、日本の実業家、音楽プロデューサー。スマイルカンパニー元代表取締役社長。ジャニーズ事務所(現・SMILE-UP.)元顧問、元ジャニーズ・エンタテイメント(現・ストームレーベルズ)代表取締役社長。長男は作曲家でスマイルカンパニー代表取締役社長の小杉周水。
中川 晋(なかがわ すすむ、1946年11月3日- )は、… 中川 晋(なかがわ すすむ、1946年11月3日- )は、日本の経営者。日清食品社長を務めた。香川県出身。 1969年に専修大学経済学部を卒業し、同年に日清食品に入社した。2002年6月に取締役、2004年6月に常務、2007年6月に専務を経て、2008年10月には日清食品ホールディングス専務と日清食品社長に就任した。2010年6月には日清食品ホールディングス副社長に就任し、2013年4月までに社長と兼任した。
池澤 秀夫(いけざわ ひでお、1946年6月30日 - )… 池澤 秀夫(いけざわ ひでお、1946年6月30日 - )は、日本の経営者。千葉興業銀行頭取を務めた。 茨城県出身。1969年に専修大学商学部を卒業し、同年4月に千葉興業銀行に入行した。1999年6月に執行役員に就任し、2000年6月に常務を経て、2004年6月には頭取に就任。2009年6月に会長に就任。 この項目は、人物に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(プロジェクト:人物伝、Portal:人物伝)。
豊岡 憲治(とよおか けんじ、1945年10月 - )は日本… 豊岡 憲治(とよおか けんじ、1945年10月 - )は日本の実業家。株式会社豊月代表取締役会長CEO、協同組合セルコチェーン理事、株式会社日本セルコ取締役。 1945年10月樺太で生まれる。実父は樺太の恵須取交通のバス運転手だった。戦後、芦別へ引き揚げ、両親が菓子店を始めた。 芦別高校から専修大学商学部に進学。卒業後は西友への就職が決まっていたが、実家の菓子店は一番弟子が引き継ぎ、両親は野菜や雑貨を置いた戸板商売で成功を収めつつあり、「お前にスーパーを任せたい」と両親が反対。西友入社を諦め、卸会社の古谷に入社。山の手ストアー(現在の北雄ラッキー)や丸井今井の食品部門などへのセールスを3年間経験。
乙津 宜男(おつ よしお、1941年5月1日 - )は、日本… 乙津 宜男(おつ よしお、1941年5月1日 - )は、日本の経営者。紀伊國屋書店社長、会長を務めた。 東京都出身。1964年に専修大学経済学部を卒業し、同年に紀伊國屋書店に入社。専務を経て、2002年に副社長に就任し、2006年11月には社長に昇格。2008年11月には副会長に就任。
横山 哲夫(よこやま てつお、1928年〈昭和3年〉1月24… 横山 哲夫(よこやま てつお、1928年〈昭和3年〉1月24日 - )は、日本の政治家、実業家。第85代神奈川県議会議長、自民党神奈川県連顧問。朗月代表取締役。横山企業取締役。横浜市鶴見区ソフトボール協会会長。 神奈川県横浜市出身。横山四郎の三男。専修大学経済学科出身。1961年に横山企業設立、代表。1963年に鶴見青果、1971年に横山商事、1972年に横山殖産、1974年に横山ストアー各取締役。 県議会議員を8期務めた。1992年5月から1993年5月まで県議会議長を務めた。 趣味はダンス、旅行。住所は神奈川県横浜市鶴見区下末吉3丁目。 横山一族は横浜で事業を営んでいる。「朗月株式会社」の本店は「神奈川県横浜市鶴見区下末吉三丁目」。
近藤 健次(こんどう けんじ、1926年1月13日 - 20… 近藤 健次(こんどう けんじ、1926年1月13日 - 2017年2月17日)は、日本の実業家。株式会社ビー・エム・エル創業者・元代表取締役社長。 静岡県磐田郡幸浦村大野(現袋井市大野)で万屋の四男として生まれる。幸浦尋常小学校(現袋井市立浅羽南小学校)、陸軍少年通信兵学校を経て、1954年専修大学商経学部卒業。 1955年相互ブラッド・バンク(のちのビー・エム・エル)を設立し、代表取締役社長に就任。1986年同社代表取締役会長。1997年勲五等瑞宝章受章。 2005年浅羽町善行表彰受賞。2007年ビー・エム・エル代表取締役最高顧問。同年袋井市に3億円を寄付し、2008年に袋井市市政功労賞受賞。
橋本 善次郎(はしもと ぜんじろう、1917年 - 1990… 橋本 善次郎(はしもと ぜんじろう、1917年 - 1990年)は探偵公論社の編集者兼経営者。江戸川乱歩等による連作小説『江川蘭子』や、探偵小説雑誌などを編集・発行した。日本推理作家協会所属。 中央大学・専修大学卒。 本業は会計士。江戸川乱歩によれば、「戦前の「ぷろふいる」の寄稿家で、古い探偵ファン」であり、「面白い風格の人で作家たちにも敬愛されていた」という。 1947年(昭和22年)4月に探偵公論社から『真珠』を創刊するが、1948年(昭和23年)8月発行の第7号で廃刊。1949年(昭和24年)1月に真珠文庫社から『探偵趣味』を創刊するが、1号限りで廃刊。このほか、探偵公論社からは『殺人迷路』『江川蘭子』などの探偵小説本も刊行した。
金 南中(キム・ナムジュン、朝鮮語: 김남중、1915年10… 金 南中(キム・ナムジュン、朝鮮語: 김남중、1915年10月8日または1917年10月8日 - 1982年3月30日または1987年3月31日)は、日本統治時代の朝鮮および大韓民国のジャーナリスト、随筆家、コラムニスト、実業家、政治家。全南日報(現・光州日報)会長、第5代韓国国会議員(参議員)を歴任した。 本貫は光山金氏、号は南鳳(ナムボン、남봉)。 日本統治時代の全羅南道光州郡(現・光州広域市)に富農の次男として生まれた。1930年光州公立普通学校(現・光州瑞石初等学校)卒、1942年専修大学専門部中退あるいは卒業。同年から報知新聞(現・スポーツ報知)記者を務めた後、翌1943年に帰郷し、全南新報編集局社会部長・主幹、湖南新聞主筆・編集局長を経て朝鮮戦争中の1951年に全南日報を創刊し、発行者・主筆・社長・会長(~1980年)を務めた。
早川清(はやかわ きよし、1912年7月28日 - 1993… 早川清(はやかわ きよし、1912年7月28日 - 1993年7月9日)は、早川書房の創業者、社長。東京府(現:東京都)生まれ。 専修大学経済学部卒業。大学時代は相撲部に参加。海音寺潮五郎、戸川貞雄主催の同人誌『文学建設』に、黒沼健、乾信一郎らとともに参加。 1935年に早川書房を設立。1945年8月に正式に創業し、文芸書、演劇書を中心として出版を始め、1947年演劇雑誌『悲劇喜劇』を創刊、1952年、株式会社に改組し社長に就任する。 海外ミステリーの翻訳に力を入れ、1953年よりハヤカワ・ポケット・ミステリを創刊し今日まで続いている。1956年『エラリイ・クイーンズ・ミステリマガジン』を創刊、1966年より『ミステリマガジン』として続いている。
寿原 正一(壽原、すはら しょういち、1911年(明治44年… 寿原 正一(壽原、すはら しょういち、1911年(明治44年)1月1日 - 1975年(昭和50年)12月13日)は、昭和期の実業家、政治家。衆議院議員。 北海道古平郡古平町で寿原要太郎の息子として生まれる。1958年(昭和33年)専修大学会計学本科を卒業した。 1928年(昭和3年)頃、札幌市に移り海産物商のトラック助手となる。1932年(昭和7年)頃、日の出ハイヤーに運転手として就職。その後上京し、病人輸送専門の東京寝台自動車に務め、戦後に労働組合を結成して委員長に就任し、1948年(昭和23年)常務として経営陣に加わり、1953年(昭和28年)社長となった。同年、札幌つばめ自動車会長、1955年(昭和30年)新宿交通社長に就任。
柳沢 義男(柳澤、やなぎさわ よしお、1907年(明治40年… 柳沢 義男(柳澤、やなぎさわ よしお、1907年(明治40年)8月1日 – 1990年(平成2年)12月2日)は、昭和期の法学者、弁護士、計理士、実業家、政治家。衆議院議員、法学博士。 千葉県流山市出身出身。専修大学経済学部卒を経て、1931年(昭和6年)中央大学法学部を卒業し、さらに同大学院を修了。1938年(昭和13年)パリ大学を卒業した。 その後、弁護士、計理士の業務に従事しながら中央大学教授に就任。1946年(昭和21年)4月の第22回衆議院議員総選挙で千葉県全県区に無所属で出馬して落選。1947年(昭和22年)4月の第23回総選挙で千葉県第1区に日本自由党所属で出馬して次点で落選。1949年(昭和24年)1月、第24回総選挙で民主自由党公認で出馬して当選し、衆議院議員に1期在任した。
具 乙会(ク・ウルェ、朝鮮語: 구을회/具乙會、1905年5… 具 乙会(ク・ウルェ、朝鮮語: 구을회/具乙會、1905年5月9日 - 没年不詳)は、大韓民国の政治家、実業家。第2代韓国国会議員。本貫は綾城具氏。 忠清南道唐津郡あるいはソウル出身。20歳までに漢文を学び、普成専門学校法科卒、専修大学法学部修了(3年時に中退したという情報もある)。図們東興銀行監査役、大韓物産株式会社共同管理人、大韓独立促成国民会唐津支部副委員長、大韓国政会中央分科委員を経て、1950年の第2代総選挙で唐津郡選挙区から無所属で当選し、国会において外務委員、捕虜実情調査委員などを歴任した。
関 俊吉(せき しゅんきち、1888年(明治21年)1月 -… 関 俊吉(せき しゅんきち、1888年(明治21年)1月 - 1961年(昭和36年)5月8日)は、日本の政治家、実業家。衆議院議員(奈良県第一区選出、当選1回)。岡合名会社、大和毎日新聞社各社長。関藤商店取締役。族籍は奈良県平民。 奈良市生まれ。呉服商、実業家関藤次郎の二男。実業家関信太郎の弟。専修大学経済科卒業。東洋拓殖、豊国火災保険各会社員となる。1915年、分家して一家を創立する。 1924年、第15回衆議院議員総選挙に立候補し、当選。立憲民政党に所属。関は新思想の所有者として普通選挙の即行を高唱していた。奈良県在籍で、住所は奈良市紀寺町。 この項目は、日本の政治家に関連した書きかけの項目です。
後藤 彦三郎(ごとう ひこさぶろう、前名・寛一郎、1883年… 後藤 彦三郎(ごとう ひこさぶろう、前名・寛一郎、1883年〈明治16年〉1月1日 - 1938年〈昭和13年〉6月9日)は、日本の実業家。族籍は鳥取県平民。 島根県人・後藤彦三郎の長男。1898年、家督を相続し、後に前名・寛一郎を改め襲名する。1906年、専修大学経済科を卒業。鉱業を営む。日東格魯謨鉱業常務取締役、同社専務取締役、同社社長などをつとめる。 1933年7月に国幣中社美保神社新営費金1千円を寄付したため1934年3月5日に褒状が下賜される。 米子飛行場建設の頃、多額の資金を提供する。1938年、自治制発布五十周年記念式が挙行される時、市会の決議により、波文黒手付果実盛一個並彰功録自治史各一部を贈呈され、その功労を表彰される。
妹尾 順平(せのお じゅんぺい、1880年〈明治13年〉2月… 妹尾 順平(せのお じゅんぺい、1880年〈明治13年〉2月2日 - 1942年〈昭和17年〉5月20日)は、日本の政治家、実業家。衆議院議員(1期)。妻・ミツは林忠崇の次女。 妹尾与一郎の次男として岡山県真庭郡木山村(現・真庭市)に生まれる。1904年(明治37年)、専修大学卒。妹尾銀行(現・中国銀行)に入り、行員となる。岡山商事(株)社長、日丸米肥(株)監査役を務める。 1920年(大正9年)の第14回衆議院議員総選挙において岡山8区から立憲政友会公認で立候補して当選した。2年後、岡山8区の選挙が無効となった。1922年(大正11年)3月6日付けで失職した。 1942年(昭和17年)5月20日、横浜市磯子区の自宅で死去した。
森川 桑三郎(もりかわ そうざぶろう、旧姓・住田、1879年… 森川 桑三郎(もりかわ そうざぶろう、旧姓・住田、1879年〈明治12年〉10月 - 没年不明)は、日本の実業家、大阪府多額納税者。森川印刷所社長。族籍は大阪府平民。 鳥取県西伯郡米子町(現・米子市)、住田善平の三男。鳥取中学を経て、東京専修学校理財部を卒業。日本銀行に勤務する。森川竹窓の曽孫である先代桑三郎の養子となり1900年に家督を相続、前名隆吉を改め襲名し、印刷業を営む。 森川印刷所社長、大日本金粉箔工業、満州金属粉工業、新中国印書館、三共商事各取締役、日本印刷材料監査役などをつとめる。 趣味は旅行。宗教は真宗。大阪府在籍で、住所は大阪市北区東梅ヶ枝町、同市住吉区阿倍野筋、同市天王寺区東平野町。
15代 西野 嘉右衛門(にしの かえもん、1878年(明治1… 15代 西野 嘉右衛門(にしの かえもん、1878年(明治11年)1月10日 - 1967年(昭和42年)5月16日)は、日本の実業家、政治家。藍商・酒造業、西野嘉右衛門家15代当主、貴族院多額納税者議員。旧名・保太郎。 徳島県勝浦郡小松島浦(現小松島市)で、豪商・西野保太郎の二男として生まれた。西野家は創業万治元年といわれる阿波藍商人(屋号・野上屋)で、現在は酒造の西野金陵として知られる。 1900年、専修学校(現専修大学)理財課を卒業。一年志願兵として入隊し陸軍二等主計に進み日露戦争に出征した。兄・14代嘉右衛門の死去により、1905年3月27日に家督を継承し15代嘉右衛門を襲名した。 家業の藍商が、外国産の安価な藍の輸入によって影響を受けたため、化学染料製造を開始した。
横山 隆俊(よこやま たかとし、1876年(明治9年)9月2… 横山 隆俊(よこやま たかとし、1876年(明治9年)9月25日 - 1933年(昭和8年)12月19日)は、明治から昭和期の実業家、政治家、華族。貴族院男爵議員。従三位勲四等。加賀八家横山家第14代当主。 石川県石川郡金沢で加賀八家横山家当主・横山隆平の長男として生まれる。父の死去に伴い、1903年(明治36年)8月14日に男爵を襲爵した。 第四高等学校補充科で学び、その後、東京に出て専修学校に入学し、田尻稲次郎、阪谷芳郎などから理財学を学び、1897年(明治30年)に卒業し帰郷した。父が経営していた尾小屋鉱山に入り事業の拡大を図った。また親族横山隆興が経営していた平金鉱山(岐阜県)と合併して横山鉱業部を設立し、さらに大蔵鉱山(山形県)、宮田又鉱山(秋田県)などを買収して経営を拡大した。
原 吉郎(はら きちろう、1874年〈明治7年〉9月30日 … 原 吉郎(はら きちろう、1874年〈明治7年〉9月30日 - 1955年〈昭和30年〉12月17日)は、明治後期から昭和前期の実業家、政治家。衆議院議員(2期)、新潟県刈羽郡枇杷島村(のち同郡柏崎町、現在の柏崎市)長、同郡柏崎町長、初代柏崎市長。 現在の新潟県柏崎市出身。東京専修学校(現専修大学)に学び、日露戦争に参加する。その後は代々続く造酒屋(原酒造)の四代目として経営、同社の中興の祖となる。枇杷島村会議員、同村長、刈羽郡会議員を歴任した。1903年(明治36年)、新潟県会議員選挙に刈羽郡選挙区から進歩党公認で立候補して当選した。同年10月から1904年(明治37年)3月まで第17代新潟県会副議長を務めた。
荒井 建三(あらい けんぞう、1873年〈明治6年〉9月15… 荒井 建三(あらい けんぞう、1873年〈明治6年〉9月15日 - 1956年〈昭和31年〉7月22日)は、日本の実業家、政治家。衆議院議員(1期)。旧姓・正村。 新川県射水郡高岡町源平町(現富山県高岡市)で、実業家・正村義平の三男として生まれ、1887年(明治20年)実業家・荒井荘蔵の養子となる。富山県尋常中学校(現富山県立富山高等学校)を経て、1897年(明治30年)専修大学卒。高岡市参事会員、富山県議、同議長、高岡商業会議所会頭、高岡紡績(株)常務取締役、高岡銀行、高岡商業銀行、高岡電燈、山又機業、オリエンタル写真工業各(株)取締役、北陸信託(株)、高岡信用組合各社長、日本米穀(株)高岡市場参与となる。
土井 八郎兵衛(どい はちろうべえ、1872年11月10日〈… 土井 八郎兵衛(どい はちろうべえ、1872年11月10日〈明治5年10月10日〉 - 1954年〈昭和29年〉8月12日)は、明治 - 昭和時代の日本の林業家・実業家・三重県多額納税者・慈善家。土井林業代表取締役。尾鷲索道社長。尾鷲銀行頭取。百五銀行、三重共同貯蓄銀行、北山索道各取締役。族籍は三重県平民。三重県立尾鷲高等女学校校舎建築・関東大震災救援・三重県立尾鷲中学校建設のために寄附を行なった。 三重県牟婁郡尾鷲に生まれる。土井嘉八郎の長男。4歳の時に父・嘉八郎が病のため早世する。 専修大学理財科を卒業する。祖業の山林業及び林産物製出販売業を継承し、三重県多額納税者に列し、傍ら銀行会社の重役を兼ねる。
坂本 志魯雄(さかもと しろお、1871年5月19日(明治4… 坂本 志魯雄(さかもと しろお、1871年5月19日(明治4年4月1日) – 1931年(昭和6年)4月11日)は、日本の政治家、実業家、記者。高知県生まれ。号は弔民(ちょうみん)。坂本素魯哉の弟。 1871年5月19日(明治4年4月1日)、土佐国長岡郡瓶岩村亀岩(現・高知県南国市)に生まれる。 1887年(明治20年)土佐立志社に入社。専修学校(現・専修大学)を卒業後、朝鮮政府内務顧問秘書となる。 中外商業新報(現・産経新聞、日経新聞)の記者となり、1894年(明治27年)、日清戦争に際しては、軍事探偵となって満蒙の情報を収集。その後、臨時台湾総督府鉄道隊に奉職。1896年(明治29年)、フィリピン独立運動の時、台湾総督・乃木希典の密命を帯び、フィリピン群島の内情を探査。
田中 定吉(たなか さだきち、1870年3月26日(明治3年… 田中 定吉(たなか さだきち、1870年3月26日(明治3年2月25日)- 1929年(昭和4年)1月5日)は、明治から昭和初期の実業家、政治家。衆議院議員、香川県会議長。号・虚堂、俳号・笑蛙。 讃岐国香川郡高松紺屋町(現香川県高松市紺屋町)で、富豪・田中仁八郎の二男として生まれる。1889年(明治22年)に上京し、1892年(明治25年)専修学校理財科を卒業した。1893年(明治26年)3月、家督相続した。 帰郷して、高松銀行取締役を務めた。その他、高松商業会議所会頭、讃紙取締役、高松煉瓦取締役社長、第百十四銀行監査役、高松土地建物監査役、東京郊外土地監査役などに在任。また、讃岐実業新聞社の2代社長に就任し、讃岐日報社に改称して香川新報との競争を繰り広げた。
伊東 祐賢(いとう すけたか、1869年3月5日〈明治2年1… 伊東 祐賢(いとう すけたか、1869年3月5日〈明治2年1月23日〉- 1945年〈昭和20年〉1月25日)は、明治後期から昭和前期の実業家、政治家。衆議院議員、富山県下新川郡泊町長。幼名・柳太郎。 越中国新川郡沼保村(富山県下新川郡泊町沼保を経て現朝日町沼保)で、温泉業・伊東次郎左衛門祐明の長男として生まれる。祐明の養子・祐寛の相続人となり1891年(明治24年)家督を相続した。岡田信之に師事し漢籍を修めた。富山県尋常中学校(現富山県立富山高等学校)を卒業し、上京して専修学校(現専修大学)で経済学を学んだ。 家業の小川温泉の経営を行う。1912年(明治45年)の大洪水で小川温泉が多大な損害を受けたため、移転も検討されたが泊町での再建が決定され、1913年(大正2年)7月、小川温泉株式会社が設立され社長に就任した。
宮崎 友太郎(みやさき ともたろう、1868年9月23日(明… 宮崎 友太郎(みやさき ともたろう、1868年9月23日(明治元年8月8日) - 1929年(昭和4年)12月18日)は、明治から昭和時代初期の政治家、実業家、銀行家。衆議院議員(2期)。 駿河国有渡郡弥勒町(静岡県有渡郡大里村、安倍郡大里村、静岡市を経て現静岡市葵区)出身。宮崎安七郎の長男として生まれ、1898年(明治31年)3月、家督を相続する。静岡中学、専修学校に学び、大里村会議員、所得税調査委員、安倍川水害予防組合議員を務める。 財界では、静岡実業銀行常務取締役、静岡印刷取締役、静岡米穀株式取引所、東海瓦斯、静岡軽便鉄道監査役、富士電気工業、銅山川電力、東洋醸造各取締役、静岡瓦斯監査役、駿河銀行取締役、静岡漁業監査役、静岡貯蓄銀行、吉野水電興業、此花商事各取締役などを歴任した。
橋本 辰二郎(はしもと たつじろう、1868年6月30日〈明… 橋本 辰二郎(はしもと たつじろう、1868年6月30日〈明治元年5月11日〉- 1951年〈昭和26年〉4月12日)は、明治末から昭和前期の実業家、政治家。貴族院多額納税者議員。位階は正五位。勲等は勲二等。 豊前国、のちの大分県で橋本建平の二男として生まれる。1885年(明治18年)3月、伯父橋本雄造の養子となった。専修学校(現専修大学) を修了し、1911年(明治44年)家督を相続した。 1906年(明治39年)以降、長崎商業会議所会頭、橋本汽船社長、福洋汽船社長、橋本商事社長、山下コークス社長、日本タイプライター社長、九州汽船社長、長崎製鉄社長、長崎県商工経済会会頭などを務めた。 政界では長崎市会議員に選出された。
堀 卯三郎(ほり うさぶろう、1867年8月5日(慶應3年7… 堀 卯三郎(ほり うさぶろう、1867年8月5日(慶應3年7月6日)- 1923年(大正12年)12月20日)は、日本の実業家・聖職者。 日本鉄工株式会社取締役、三光合資会社代表社員。日本メソヂスト下谷教会日曜学校長。族籍は山形県平民。 長男は工学者の堀義路。孫は社会学者の杉山明子。曽孫はグロービス経営大学院大学学長の堀義人。 医師・堀東順の三男として山形県鶴岡町に生まれ、後に令兄・義水の養嗣子となる。16歳のときに父・東順が亡くなったため上京し、東京専修学校(現・専修大学)に学び理財科を卒業する。 日本メソヂスト下谷教会に通い始め、1886年(明治19年)に同教会で洗礼を受ける。 1893年(明治26年)頃、ミッションより派遣されて教会日曜学校のために働いていた潮田宇多婦人伝道師(婦人運動家・潮田千勢子の娘)と結婚。
永瀧 久吉(えいたき ひさきち、1867年1月17日(慶應2… 永瀧 久吉(えいたき ひさきち、1867年1月17日(慶應2年12月12日) - 1942年(昭和17年)10月20日)は、日本の外交官、実業家。上海総領事、ホノルル総領事を経て退官後、安田保善社参事や、東京建物常務取締役、満州興業社長等を歴任した。 越後国刈羽郡野田村(現柏崎市)生まれ。元野田村戸長の永瀧治助は祖父。新潟県立新潟中学校(現新潟県立新潟高等学校)を経て、1889年英吉利法律学校(現中央大学)及び専修学校(現専修大学)法律科卒業。専修学校創設者田尻稲次郎などに師事。1890年代言人試験及文官高等試験合格。1891年司法省入省、東京地方裁判所司法官試補。同年外務省入省、取調局配属。 1893年釜山領事官補。
鈴木 久次郎(すずき きゅうじろう、1866年9月4日(慶応… 鈴木 久次郎(すずき きゅうじろう、1866年9月4日(慶応2年7月26日)- 1931年(昭和6年)11月29日)は、明治から昭和初期の実業家、政治家。衆議院議員(7期)。 上総国望陀郡岩出村(千葉県望陀郡小櫃村、君津郡小櫃村、君津町を経て現君津市岩出)で、農業・醤油醸造業・製糸業、鈴木市太郎の長男として生まれた。小学校卒業後、平島亮胤から漢学を学び、南総英語学校を卒業。1887年(明治20年)専修学校(現専修大学)で英語、経済学を学んだ。 帰郷して家業に従事。文房具、ペン先製造業を開始し、南総銀行取締役、久留里銀行取締役も務めた。その後、東京に拠点を移し、日本緬羊社長、日本衛生肥料取締役、日本炭礦社長、日東炭坑取締役、光行電線取締役、南部製鉄取締役、三重セメント取締役、富士鉱業監査役、満鮮塩業監査役などを務めた。
井原 喜代太郎(いはら きよたろう、1863年8月5日(文久… 井原 喜代太郎(いはら きよたろう、1863年8月5日(文久3年6月21日)- 1920年(大正9年)8月6日)は、明治から大正期の実業家、政治家。衆議院議員、佐賀県会議長、佐賀県藤津郡南鹿島村長。俳号・黄渓。 肥前国藤津郡高津原村(佐賀県藤津郡南鹿島村、鹿島町、現鹿島市横田)で、鹿島藩士・井原五兵衛(陶一、為助)の長男(長子)として生まれる。谷口藍田(中秋)から漢学を学び、鹿島変則中学で普通学を修めた。その後上京し、専修学校(現専修大学)で学び、慶應義塾を卒業した。1882年(明治15年)12月、家督を相続した。 1886年(明治19年)鹿島銀行の創立に参画し、佐世保支店長、取締役、頭取を歴任。
森本 確也(もりもと かくや、1862年5月11日(文久2年… 森本 確也(もりもと かくや、1862年5月11日(文久2年4月13日)- 1927年(昭和2年)2月10日)は、明治から大正期の地主、農業経営者、実業家、政治家。衆議院議員。号・得堂。 志摩国英虞郡、のちの三重県志摩郡鵜方村(鵜方町、阿児町を経て現志摩市阿児町鵜方)で、大地主・森本佐左衛門、なつ の長男として生まれる。1877年(明治10年)三重県師範学校を卒業。さらに同人社英学科及び漢学科を卒業し、専修学校(現専修大学)で経済学を学んだ。帰郷して、しばらく著作業に従事した。 1891年(明治24年)3月、家督を相続して農業を営み、三重県会議員に選出され、同常置委員も務めた。また、三重県農工銀行取締役、同頭取、三重銀行取締役、津商業会議所特別議員などに在任した。