道脇 裕(みちわき ひろし、1977年 - )は、日本の発明… 道脇 裕(みちわき ひろし、1977年 - )は、日本の発明家、実業家である。株式会社NejiLawと株式会社NejiLaw MO IP Innovationの代表取締役社長を務める。 「小学校中退」という異例の学歴の持ち主。緩まないとされるネジ「L/Rネジ」を考案したことで知られる。幼少期から発明・考案をしてきたといわれる。東京都ベンチャー技術大賞、グッドデザイン賞金賞などを受賞。「世界に誇るべきニッポンの100人」、「日本を動かすベンチャー100」などにも選出された。 大手化学メーカーの研究所所長・役員を務めた父と東京外国語大学名誉教授の母・道脇綾子のもとに群馬県桐生市で誕生した。祖父は群馬大学名誉教授で前橋工科大学初代学長も務めた数学者の道脇義正。
岩上 敦宏(いわかみ あつひろ、1972年2月7日 - )は… 岩上 敦宏(いわかみ あつひろ、1972年2月7日 - )は、日本のアニメプロデューサー、実業家。株式会社ソニー・ミュージックエンタテインメント取締役執行役員 ビジュアル&キャラクタービジネスグループ統括、株式会社アニプレックス代表取締役執行役員社長、株式会社ラセングル代表取締役執行役員会長。群馬県前橋市出身。 群馬県立前橋高等学校を経て、東京外国語大学を卒業。大学卒業後は映画監督を目指しつつフリーターであったが、参加していた映像講座を契機に、1997年にSPE・ビジュアルワークス(現・アニプレックス)に入社し白川隆三の薫陶を受ける。2016年に代表取締役社長に就任。2021年に渡辺晋賞、藤本賞を受賞。
森田 俊生(もりた としお、1966年 - )は、日本の実業… 森田 俊生(もりた としお、1966年 - )は、日本の実業家。フォード・ジャパン最後の代表取締役社長兼CEOを務めた。 東京都出身。東京外国語大学卒業。日産自動車を経て、1994年フォード入社。2008年にはCFOに就任。2011年からフォード・ジャパン代表取締役社長兼CEOを務め、出店調整などを進めたが、2016年にフォードの日本からの撤退が決定され、対応にあたった。 この項目は、まだ閲覧者の調べものの参照としては役立たない、人物に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(P:人物伝/PJ:人物伝)。
田中 実(たなか みのる、1962年5月6日 - )は、日本… 田中 実(たなか みのる、1962年5月6日 - )は、日本の実業家。カカクコム代表取締役社長を経て、同社取締役副会長。 兵庫県神戸市出身。開成中学校・高等学校を経て、1986年東京外国語大学外国語学部ロシア語学科卒業、三菱銀行(現:三菱UFJ銀行)入行。ヒューストン支店コーポレートファイナンスバイスプレジデント、台北支店日系課長などを経て、2001年デジタルガレージ入社。 2002年カカクコム取締役。取締役CFO、取締役副社長を経て、2006年からカカクコム代表取締役社長を務め、10年間の在任中に業容を拡大して継続的な増収増益を実現した。2016年カカクコム取締役副会長に退いた。2017年ロコンド取締役・監査等委員。
松木 健(まつき けん、1961年(昭和36年) - )は、… 松木 健(まつき けん、1961年(昭和36年) - )は、日本の実業家、ジャーナリスト。毎日新聞社代表取締役会長執行役員。毎日新聞グループホールディングス代表取締役社長。 岩手県出身。1985年に東京外国語大学を卒業後、毎日新聞社に入社した。 経済部長、編集編成局長、執行役員を経て、2019年に取締役に選任。東京本社代表・デジタル担当を委嘱される。 2022年2月21日に毎日新聞が創刊150年を迎えるのを機に、経営陣の世代交代を図るべく、4月1日付けで社長に昇格した。デジタル分野の強化や新規事業の開拓などによる改革を加速させるとしている。日本新聞協会理事も務める。2023年6月27日、毎日新聞グループホールディングス(GHD)代表取締役社長も兼務する。
石原 隆(いしはら たかし、1960年(昭和35年)10月1… 石原 隆(いしはら たかし、1960年(昭和35年)10月14日 - )は、日本のテレビプロデューサー、実業家。共同テレビジョン代表取締役社長。 愛知県名古屋市出身。東京外国語大学ドイツ語学科卒業。1984年フジテレビジョン入社後、編成部所属。テレビドラマの企画、バラエティ番組の編成に携わる。1987年、『スケバン刑事III 少女忍法帖伝奇』から編成部のプロデューサーになるが、石原が担当になった途端に視聴率が3%落ち、シリーズ自体が打ち切りになるなど、当初はなかなか高視聴率番組に恵まれなかった。 1990年の『世にも奇妙な物語』のヒットを機に、ジャンルを問わずにヒット作を出し始め、三谷幸喜作品、草彅剛出演のテレビドラマには欠かせない存在。
小野 真紀子 (おの まきこ 1960年3月16日 - )は… 小野 真紀子 (おの まきこ 1960年3月16日 - )は、日本の実業家。 1982年東京外国語大学外国語学部ポルトガル・ブラジル語学科卒業後、サントリー入社。サントリーホールディングス常務を経て、2023年サントリー食品インターナショナル社長に就任。時価総額1兆円を超す企業の社長に女性が就くのは小野が初めてである。
江利川 宗光(えりかわ むねみつ、1960年 - )は、日本… 江利川 宗光(えりかわ むねみつ、1960年 - )は、日本の実業家。東京外国語大学理事、株式会社良知経営取締役専務執行役員。元株式会社ジャルパック代表取締役社長。 1960年、群馬県前橋市の青果店を営む家に生まれる。高校時代、父親が海外で働く同級生の写真を見たことをきっかけに、外国での仕事に憧れを抱くようになった。群馬県立前橋高等学校ではラグビー部に所属。同級生には、高校野球の全国大会史上初の完全試合を達成した松本稔がいる。 その後、東京外国語大学外国語学部ポルトガル・ブラジル語学科に進学。大学でもラグビー部に所属し、4年次には主将を務めた。在学中の1981年から1982年にかけて、日本ブラジル青少年交流協会の派遣留学生としてブラジル南部ポルト・アレグレに留学した。
薄井 シンシア(うすい シンシア、1959年 - )は、日本… 薄井 シンシア(うすい シンシア、1959年 - )は、日本の実業家。Salesforce社のEvent Manager。フィリピン出身。 1959年、フィリピン生まれ。1980年、国費外国人留学生として来日。1985年、東京外国語大学を卒業後、貿易会社入社。 1986年、外務省職員の日本人と結婚、海外赴任ののち日本に戻る。広告代理店に就職するが、出産のため退職、その後は20年弱、専業主婦として生活。 2007年、48歳で娘の母校だったタイのインターナショナルスクールのカフェテリアでパートを始める。3カ月でマネージャーに昇格。2011年、日本に戻り職を探したが、専業主婦のキャリアは評価されず、なかなか決まらなかった。
芝田 浩二(しばた こうじ、1957年〈昭和32年〉8月16… 芝田 浩二(しばた こうじ、1957年〈昭和32年〉8月16日 - )は、日本の実業家。ANAホールディングス代表取締役社長。 鹿児島県大島郡瀬戸内町の加計呂麻島(奄美群島)出身。1976年に鹿児島県立甲南高等学校を卒業し、東京外国語大学に進学。大学在学中の1979~1981年に休学して北京の日本大使館に勤める。その頃に北京空港で、当時日中間のチャーター便を運航していた全日本空輸(ANA)の客室乗務員を見かけ、故郷の鹿児島空港を想起するその光景に衝撃を受けて、国際定期便進出を目指すANAへの入社を志す。 1982年に東京外国語大学外国語学部を卒業し、全日本空輸入社。入社2年目の1983年に国際部に入る。
浦野 邦子 (うらの くにこ 1956年 - ) は、日本の… 浦野 邦子 (うらの くにこ 1956年 - ) は、日本の実業家。小松製作所で初の女性執行役員、取締役を歴任した。 東京都出身。東京外国語大学外国語学部ドイツ語学科卒業後、小松製作所入社。 1994年生産本部生産管理部主査、1999年生産本部大阪工場管理部担当部長、2005年生産本部物流企画部長、2010年コーポレートコミュニケーション部長、2011年執行役員、2014年常務執行役員を経て、2018年取締役常務執行役員・クオリカ取締役。2021年退職。 2021年森永製菓取締役、横河電機取締役。2022年日本製鉄取締役。
棚田 京一(たなだ きょういち、1954年10月22日 - … 棚田 京一(たなだ きょういち、1954年10月22日 - 2021年8月17日)は、日本の実業家。タイトヨタ自動車取締役社長や、トヨタ モーター アジア パシフィック取締役社長、デルフィス取締役社長、バンコク日本人商工会議所会頭等を歴任した。 東京都生まれ。1979年、東京外国語大学外国語学部インドシナ語学科(タイ語専攻)卒業。在学中は東京外国語大学硬式野球部の活動に熱中した。同年、トヨタ自動車販売(現・トヨタ自動車)入社。トヨタ自動車人事部人事室室長、厚生労働省高卒者の職業生活の移行に関する研究会委員等を経て、2001年にデルフィス出向。2005年、トヨタ自動車豪亜中近東業務部計画室室長。2006年、トヨタ自動車豪亜中近東事業部部長。
鹿間 千尋(しかま ちひろ、1951年4月3日 - )は、日… 鹿間 千尋(しかま ちひろ、1951年4月3日 - )は、日本の実業家。日清丸紅飼料代表取締役社長や、日本飼料工業会会長、中国日本商会会長などを務めた。 長崎県出身。1975年東京外国語大学外国語学部フランス語学科卒業、丸紅入社。1997年広州支店長兼丸紅広州会社社長。2000年海外電力事業部長。2001年丸紅パワーシステムズ出向。2002年ユーティリティ・インフラ部門長補佐。2003年ユーティリティ・インフラ総括部長。2005年人事部長。2007年執行役員人事部長。2009年には執行役員アセアン支配人として、アセアン地域統括会社としてシンガポールに新設された丸紅アセアン会社の初代社長に就任した。
大久保 好男(おおくぼ よしお、1950年(昭和25年)7月… 大久保 好男(おおくぼ よしお、1950年(昭和25年)7月8日 - )は、日本の実業家、ジャーナリスト。日本テレビホールディングス代表取締役社長兼日本テレビ放送網代表取締役社長、一般社団法人日本民間放送連盟会長、公益財団法人徳間記念アニメーション文化財団理事を務めた。山梨県出身。 山梨県立甲府第一高等学校を経て東京外国語大学外国語学部フランス語学科卒業。フジテレビアナウンサーを務めた田丸美寿々は大学の同期。 1975年4月、読売新聞社(現・読売新聞グループ本社)に入社。東北総局や成田支局などを経て、東京本社編集局に移動。世論調査部に籍を置き、1983年に政治部へ異動。防衛庁、自治省(いずれも当時)担当となる。
桑原 道夫(くわはら みちお、昭和23年10月24日 - )… 桑原 道夫(くわはら みちお、昭和23年10月24日 - )は、埼玉県出身の実業家。国立大学法人東京外国語大学監事、東芝テック取締役。ダイエー元代表取締役社長。元丸紅代表取締役副社長。 丸紅に入社後、自動車畑を進む。その後副社長に就任、2010年にはダイエー社長に就任した。業態転換を推進し、黒字転換を達成するなど経営に貢献した。
森川 桂造(もりかわ けいぞう、1948年1月29日 - )… 森川 桂造(もりかわ けいぞう、1948年1月29日 - )は、日本の実業家。コスモエネルギーホールディングス相談役。元石油連盟副会長。日本アラブ協会会長、日本アラブ首長国連邦協会会長。 東京外国語大学外国語学部インド・パーキスターン語学科(ヒンディー語専攻)卒業後、1971年4月大協石油(現:コスモ石油)入社。入社後、イリノイ大学アーバナ・シャンペーン校大学院に留学し、地理学で修士号を取得。入社後は一貫して原油輸入など海外関連の業務に従事し、ニューヨークやシンガポールに駐在。1997年経営企画部長、2000年取締役、2002年常務取締役、2004年専務取締役を経て、2008年6月より副社長。2012年6月に社長に就任。
青木 哲(あおき さとし、1946年 - )は、日本の実業家… 青木 哲(あおき さとし、1946年 - )は、日本の実業家で、本田技研工業会長。日本自動車工業会会長、NPO法人日本防災士機構評議員も務める。 群馬県立前橋高等学校卒業。1969年東京外国語大学外国語学部英米語学科卒業、同年ホンダ入社。管理部門が長く、イタリア現地法人2社の社長、ホンダ財務部長、取締役、常務、専務、副社長を経て2007年から会長。2008年自工会会長にも就任。趣味はモータースポーツの観戦とヒストリックカーの鑑賞。
佐藤 富男(さとう とみお、1944年11月15日 - )は… 佐藤 富男(さとう とみお、1944年11月15日 - )は、日本の経営者。テレビ愛知社長を務めた。東京都出身。 1960年に東京外国語大学英米科を卒業し、同年に日本経済新聞社に入社。1998年に取締役に就任し、2001年に常務、2002年にテレビ愛知常務を経て、2003年6月には社長に就任。2007年6月には会長に就任。
酒井 邦弥(さかい くにや、1944年(昭和19年)5月 -… 酒井 邦弥(さかい くにや、1944年(昭和19年)5月 - )は、日本の実業家、神田外語大学特別顧問。みずほホールディングス取締役副社長や神田外語大学学長などを歴任した。 中国北京生まれ。1968年3月、東京外国語大学外国語学部ドイツ語学科を卒業。同年4月、第一銀行(現・みずほ銀行)に入行。その後、第一勧業銀行取締役人事企画部長などを歴任し、1999年第一勧業銀行専務取締役に就任。2000年、みずほホールディングス取締役副社長。 2007年、国立大学法人東京外国語大学理事。2010年4月、神田外語大学第5代学長(2010~2018年)。2018年4月、神田外語大学特別顧問。 この項目は、実業家に関連した書きかけの項目です。
荒川 詔四(あらかわ しょうし、1944年(昭和19年)4月… 荒川 詔四(あらかわ しょうし、1944年(昭和19年)4月8日 - )は、日本の経営者。株式会社ブリヂストン代表取締役社長や会長を歴任した。 山形県出身。山形県立長井高等学校を経て、東京外国語大学外国語学部卒業後、ブリヂストン入社。タイ現地法人社長、本社取締役、常務、専務、副社長、ヨーロッパ現地法人会長 を経て、2006年本社社長に就任。主に海外事業を手がけ、同社の海外展開に貢献。2012年3月に会長就任。2013年3月に相談役に退いた。
鎌原 正直(かんばら まさなお、1943年3月26日 - )… 鎌原 正直(かんばら まさなお、1943年3月26日 - )は、日本の経営者。三菱レイヨン(現在の三菱ケミカル)社長を務めた。 長野県長野市出身。1965年に東京外国語大学を卒業し、同年に三菱レイヨンに入社。1997年6月に取締役に就任し、常務、専務を経て、2006年6月に社長に就任。2012年4月に取締役に就任し、2016年4月に相談役を退く。 この項目は、人物に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(プロジェクト:人物伝、Portal:人物伝)。
長谷川 康司(はせがわ こうじ、 1940年5月5日-)は、… 長谷川 康司(はせがわ こうじ、 1940年5月5日-)は、日本の経営者。元首都高速道路株式会社代表取締役会長兼最高経営責任者、トヨフジ海運代表取締役社長、トヨタ自動車専務取締役。 東京外国語大学外国語学部インドシナ語学科卒業後、トヨタ自動車販売(現在のトヨタ自動車)入社。主にアジア畑を歩み、アジア部長や常務取締役(アジア統括)等を歴任。 専務取締役を経て、2002年にグループ会社のトヨフジ海運社長に就任。 2005年10月、道路関係4公団が民営化されて高速道路6社が発足することに伴い、民間を代表して首都高速道路の会長兼最高経営責任者に就任した。2010年6月に退任。 2022年、旭日中綬章受章。
佐藤 芳之(さとう よしゆき、1939年 - )は、ケニア在… 佐藤 芳之(さとう よしゆき、1939年 - )は、ケニア在住の日本人実業家である。 1939年、宮城県志津川町(現在の南三陸町)で生まれる。小学三年生の時に左目を失明する。1963年、東京外国語大学を卒業した後、ガーナ大学の大学院に留学した。一時帰国後、1966年からケニアに渡って5年間、日系繊維企業に就職して経験を積み、後に鉛筆製造と建材を扱う会社を起業。1973年に訪れたナイロビの農業試験場でマカダミアナッツに出会って感銘を受け、日本政府や明治製菓の協力をとりつけ、翌1974年、食品会社のケニア・ナッツ・カンパニー(KNC)を立ち上げた。同社は1990年代にはマカダミアナッツ生産量で世界トップ3の一角となる成長を遂げる。
清水 慎次郎(しみず しんじろう、1937年11月24日 -… 清水 慎次郎(しみず しんじろう、1937年11月24日 - 2013年5月30日)は、日本の実業家。第9代目三井物産社長。台湾新幹線の受注を実現させたほか、IT(情報技術)、物流、金融など新事業に本格参入するなど商社のビジネス範囲を広げた。2002年、国後島のディーゼル発電施設の不正入札事件などの責任を取り、社長辞任。 この項目は、人物に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(プロジェクト:人物伝、Portal:人物伝)。
青柳 健(あおやぎ けん、1930年6月9日 - 没年不明)… 青柳 健(あおやぎ けん、1930年6月9日 - 没年不明)は、日本の実業家。書店創業者、登山家、詩人、随筆家。 長野県南安曇郡(現:安曇野市)生まれ。民族学者の岡正雄に影響を受ける。 1950年に長野県松本深志高等学校を卒業後、東京外国語大学フランス語学科入学。哲学科教授であった串田孫一に出会い、山岳部創設に関わる。東京外国語大学山岳会会員。まいんべるく会創立会員。もんたにゆ会(1971年 - 2011年)主宰。1968年穂高書店を創業する。2017年現在は同社の会長を務める。
泉 三太郎(いずみ さんたろう、1926年4月21日 - 2… 泉 三太郎(いずみ さんたろう、1926年4月21日 - 2003年1月10日)は、日本のロシア文学者、翻訳家、図書出版社社長。 本名・山下三郎。兄にドイツ文学者の山下肇。弟に三浦大四郎(文芸座プロモーション代表取締役)。 東京生まれ。1949年、東京外国語大学ロシア科を卒業し、泉 三太郎名義で『イルクーツク物語』の翻訳(1961年度テアトロン賞)など、当時のソビエト文学の翻訳、紹介とともに、自作の小説、評論等を発表する。さらにソビエトの演劇を紹介し、「イルクーツク物語」「私のかわいそうなマラート」などの日本での上演にも関わった。 1955年に大病を患ったのを機に、出版社経営に注力するようになり、図書出版社社長、ダヴィッド社取締役などを務めた。
水上 健也(みずかみ けんや、1926年2月28日 - 20… 水上 健也(みずかみ けんや、1926年2月28日 - 2009年6月20日)は、日本の新聞記者、実業家。
橋立 孝一郎(はしだて こういちろう、1920年(大正9年)… 橋立 孝一郎(はしだて こういちろう、1920年(大正9年)8月5日 – 1988年(昭和63年))は、日本の実業家。キデイランドの創業者。 1920年、東京府渋谷町に出生。東京外国語学校、明治大学を経て、陸軍主計将校となり、勤務地の秩父で終戦を迎える。秩父で地元の女性と結婚。1946年7月に秩父で読書クラブ橋立書店を開設、これがキデイランドの前身となる。1950年、幼少時代を過ごした原宿に、橋立書店(現・キデイランド原宿店)を構える。周辺に外国人が多かったことから、洋書や外国人向け雑貨を取扱い始め、更にはハイクオリティの日本の玩具をメインに扱うこととなった。情報の発信基地として知られるようになり、海外の王室やタレントが来日の際に訪れる定番コースにもなった。
石川 義吉(いしかわ よしきち、1918年(大正7年)- 2… 石川 義吉(いしかわ よしきち、1918年(大正7年)- 2002年(平成14年)は、日本の軍属、事業家。 太平洋戦争において東京外語大学インド語科在学中にF機関に通訳として従事、インド国民軍の編成や戦後のインド独立に影響を与えた藤原岩市を補佐した。戦後は三菱商事のインド駐在員として日印関係に尽力した。晩年は東京大学で長崎暢子教授と共にインド学の研究をしていた。 山形県鶴岡市大山町にて粂太郎、元江の子として生まれる。兄弟は12人、妹1人の大家族であった。1935年上京。この頃大川周明やA.M.サーハエの影響を受ける。東京外語大学進学時、インド人教師バルラースからヒンズー語、ウルドゥ語を学ぶ。1941年10月中旬、在学中に参謀本部からの命令により急遽タイへ送られる。
昆布 猛(こんぶ たけし、1916年4月30日 - 2001… 昆布 猛(こんぶ たけし、1916年4月30日 - 2001年12月16日)は、日本の経営者。三楽オーシャン(現在のメルシャン)社長、会長を務めた。福井県出身。 1938年に東京外国語大学中国語学科を卒業し、同年に味の素に入社した。1967年11月に取締役に就任し、1969年11月に常務、1973年10月に専務、1979年6月に三楽オーシャン副社長を経て、1985年3月に社長に就任した。1987年3月に会長を経て、1988年3月には相談役に就任。 2001年12月16日肺炎のために死去。85歳没。
大塚 和(おおつか かのう、1915年7月18日 - 199… 大塚 和(おおつか かのう、1915年7月18日 - 1990年9月26日)は、日本の映画プロデューサー、映画プロダクション社長。1955年に日活とプロデューサー契約を結び、今村昌平、浦山桐郎、藤田敏八、神代辰巳、長谷川和彦ら13名もの新人監督を世に送り出したことで知られる。 高知県長岡郡田村(現・南国市田村)に生まれる。父親は開業医で、9人姉弟の末っ子。 1937年、東京外国語学校ロシア語科(現・東京外国語大学)卒業。映画世界社に入社。1943年、同社が戦時雑誌統合令によって解散したため、都新聞社(現・東京新聞社)文化部に転職した。 1946年、再開した映画世界社に復職。『映画ファン』の編集長になる。
倉岡 克行(くらおか かつゆき、1909年(明治42年)7月… 倉岡 克行(くらおか かつゆき、1909年(明治42年)7月21日 - 1978年(昭和53年)7月2日)は、日本の実業家。亜細亜大学教養学部教授。満州国協和会開原弁事処主事。開原電気・開原市場株式会社取締役。上郡山倉岡合名会社開原屠殺場無限社員。盛京時報開原支局長。父親は在満活動家・実業家の倉岡岩。弟・利行は国際信託取締役・龍岡栄吉の養子。息子は俳優の岡崎二朗。孫は元俳優、神真都Q会理事の倉岡宏行。 鹿児島県士族・倉岡岩の長男として鹿児島県に生まれる。1928年(昭和3年)に家督を相続。1932年(昭和7年)東京外国語学校支那語科・貿易科卒業後、同年満州国執政府諮議室科に奉職。翌年、同内務処技士に就任するも家業管理のため辞職。
前田 義徳(まえだ よしのり、1906年(明治39年)1月3… 前田 義徳(まえだ よしのり、1906年(明治39年)1月31日 - 1983年(昭和58年)12月17日)は、日本の放送経営者、ジャーナリスト。 第10代NHK会長。ワンマン会長として組織の拡大充実に努め、『NHK中興の祖』と仰がれた。 北海道旭川市出身。庁立旭川中学校を経て東京外語学校(現東京外国語大学)イタリア語科卒業後、ヨーロッパに留学、ローマ大学法科に学ぶ。 1936年朝日新聞ローマ支局に現地入社、記者としてイタリアのエチオピア侵入(第二次エチオピア戦争)などをスクープ。1947年大阪本社外報部長を最後に退社。 出版社経営を経て1950年、NHKに解説委員として入局。その後報道局長・編成局長・専務理事・副会長などを経て1964年、阿部眞之助会長が在職中に死去した事に伴い会長就任、1973年まで務めた。
松平 忠久(まつだいら ただひさ、1904年〈明治37年〉2… 松平 忠久(まつだいら ただひさ、1904年〈明治37年〉2月11日 - 1991年〈平成3年〉10月27日)は、日本の外交官、政治家、実業家。衆議院議員。 長野県小県郡(現・上田市)出身。1925年(大正14年)、東京外国語学校(現・東京外国語大学)中国語科を卒業し、1930年(昭和5年)、広東嶺南大学(現・中山大学)を卒業。さらに、北京大学、ミシガン大学で学んだ。1930年(昭和5年)、外務省に入省し広東書記生に任官。1934年(昭和9年)10月、高等試験外交科試験に合格。以後、上海大使館報道部長、広東領事、南京領事などを歴任。 1951年(昭和26年)、長野県副知事に就任。1953年(昭和28年)4月の第26回衆議院議員総選挙で旧長野2区に右派社会党から出馬し当選。
高岡 大輔(たかおか だいすけ、1901年9月15日 - 1… 高岡 大輔(たかおか だいすけ、1901年9月15日 - 1992年7月10日)は、昭和期の実業家、政治家。衆議院議員。 新潟県中蒲原郡十全村(村松町を経て現五泉市)で、高岡忠興の二男として生まれる。1923年(大正12年)東京外国語学校印度語部拓殖科を卒業した。 新潟新聞社員、大倉土木(現大成建設)社員を務めた。1926年(大正15年)日印協会勤務となる。参謀本部嘱託、台湾総督府総務長官政治顧問などを務めた。 1936年(昭和11年)2月、第19回衆議院議員総選挙に新潟県第2区から国民同盟公認で出馬して初当選。第20回総選挙でも再選され、1942年(昭和17年)4月、第21回総選挙に翼賛政治体制協議会の推薦を受け出馬して当選した。
小林 富佐雄(こばやし ふさお、1901年6月30日 - 1… 小林 富佐雄(こばやし ふさお、1901年6月30日 - 1957年10月1日)は、日本の実業家、東宝、東洋製罐代表取締役社長。 小林一三の長男として山梨県に生まれる。東京外国語学校(現東京外国語大学)卒業。1929年に東洋製罐入社。1936年に取締役に就任。その後常務を経て1946年に代表取締役社長に就任。1941年8月29日に東京宝塚劇場取締役、大阪電気軌道を経て、阪神急行電鉄取締役、帝国劇場代表取締役社長を経て1950年9月28日に東宝代表取締役社長に就任。それ以外に日経連常任理事を務めた。新東宝分裂後の東宝再建などに尽力した。1951年9月28日に社長の座を父・一三に譲り代表取締役に退く。
佐々木 孝三郎(ささき こうざぶろう、1896年6月10日 … 佐々木 孝三郎(ささき こうざぶろう、1896年6月10日 - 1969年9月29日)は、日本の経営者。 宮城県出身。1917年に東京外語学校蒙古語科を卒業。南満洲製糖、満蒙毛織を経て、奉天新聞社副社長、奉天銀行取締役、奉天商工会議所評議員を歴任。1951年に宮城第一信用組合組合長に就任し、1957年4月から1962年2月までに東北放送社長を務めた。 1969年9月29日食道がんのために死去。73歳没。
北野 吉内(きたの きちない、1892年(明治25年)3月1… 北野 吉内(きたの きちない、1892年(明治25年)3月10日 - 1956年(昭和31年)3月15日)は、日本のジャーナリスト、実業家である。旧姓は佐藤。 山形県山形市七日町の生まれ。兄に尾崎紅葉門下の佐藤流葉を持つ。旧制山形中学を経て東京外国語学校(現在の東京外国語大学)に入学し、卒業後はジャパン・アドバタイザー(現在のジャパンタイムズ)に勤務する。その後は萬朝報に転勤し、1916年(大正5年)には北野量子と結婚し婿入りの形で北野姓に改姓した。同年末には東京朝日新聞に転勤し、アサヒグラフ編集部および整理部次長を歴任した。1926年(大正15年)には同社のニューヨーク特派員となり、1929年(昭和4年)の帰国まで同職にあたった。
中島 陟(なかじま のぼる、1889年7月 - 1958年2… 中島 陟(なかじま のぼる、1889年7月 - 1958年2月)は、日本の実業家・都市計画家。多摩湖鉄道株式会社常務、駿豆鉄道、箱根土地各株式会社取締役歴任。堤康次郎の正妻川崎文の妹婿。兵庫県生まれ。 明治22年(1889年)兵庫県出石郡に生まれる。 1907年から東京物理学校(現東京理科大学)、及び日英義塾で2年間ずつ学ぶ。 大正3年(1914年)宮内省帝室林野管理局に勤務。大正8年(1919年)宮内省御料野境界査定官吏。 大正9年(1920年)東京外国語学校(現東京外国語大学)専修科独逸語部入学。大正10年(1921年)攻玉社工学校で講師を勤める。大正11年3月大学を卒業。箱根土地株式会社に入社し、堤康次郎と西武グループの形成を図る。
山本 惣治(やまもと そうじ、1888年(明治21年)10月… 山本 惣治(やまもと そうじ、1888年(明治21年)10月25日 - 1962年(昭和37年)4月21日)は、日本の実業家。富士自動車、メトロポリタンエージェンシーズ、大日本機械工業、山本発条分岐、富士不動産、富士倉庫の経営者や、京浜不動産、日新商事、大同メタル鉱業の役員を歴任した。 経団連理事、関東経営者協会委員、日本工業倶楽部、交詢社会員。長男の岳父に外務官僚で事業家の日高信六郎。 1888年、新潟県高田市呉服町で骨董商「山静堂」を営む山本家の養子仙介の二男として生まれた。兄弟姉妹は男6名、女3名。 1911年(明治45年)に東京外国語学校卒業して、久保田鐵工所に就職し、鮎川義介に恩顧を受ける。
植村 家治(うえむら いえさだ、1887年〈明治20年〉3月… 植村 家治(うえむら いえさだ、1887年〈明治20年〉3月14日 - 1962年〈昭和37年〉10月22日)は、明治から昭和期の実業家、政治家、華族。貴族院子爵議員。元高取町長。旧大和高取藩第15代当主。 子爵・植村家壺の三男として生まれる。父の死去に伴い、1920年(大正9年)8月10日、子爵を襲爵した。 1913年(大正2年)東京外国語学校仏語専修科を卒業。1908年(明治41年)宮内省内匠寮京都派出所勤務となる。以後、鉄道院書記、鉄道省嘱託などを務めた。実業界では、日東化学研究所社長、満州パルプ工業監査役、昭和理化学研究所所長、東京大宮電気鉄道取締役などを務めた。 1930年(昭和5年)8月30日、貴族院子爵議員補欠選挙で当選し、研究会に所属して活動し1947年(昭和22年)5月2日の貴族院廃止まで3期在任した。
豊田 貞次郎(とよだ ていじろう、1885年(明治18年)8… 豊田 貞次郎(とよだ ていじろう、1885年(明治18年)8月7日 - 1961年(昭和36年)11月21日)は、日本の海軍軍人、政治家、実業家。最終階級は海軍大将。従二位勲一等。 和歌山県出身。紀伊田辺藩士・豊田信太郎の次男。海兵33期首席、海大甲種17期首席。 旧制天王寺中学校より東京外語学校英語科を経て海軍兵学校に入校し第33期を首席卒業。同期に卒業順位第26位の豊田副武大将がいるが、大分県出身の副武とは兵学校入学まで面識がなかった他人同士である。苦労人の副武と天才肌の貞次郎はタイプこそ正反対だが、将官に昇進する頃は「両豊田」と呼ばれ、将来を嘱望された。日露戦争が終わったばかりの1905年(明治38年)11月に第33期は卒業し、東南アジア方面へ遠洋航海に出た。
島田 勝之助(しまだ かつのすけ、1884年(明治17年)3… 島田 勝之助(しまだ かつのすけ、1884年(明治17年)3月5日 - 1960年(昭和35年)2月10日)は、大正から昭和期の実業家、政治家。北海道炭礦汽船会長、貴族院勅選議員。 東京府で島田慶助の三男として生まれる。1903年(明治36年)東京外国語学校仏語科を卒業した。 卒業後、三井物産に入社した。1931年(昭和6年)ロンドン支店長に就任し、1934年(昭和9年)取締役となる。1935年(昭和10年)三井合名に転じて理事に就任。1936年(昭和11年)常務理事となり、北海道炭礦汽船取締役、三井鉱山取締役、三井農林会長を兼務した。1939年(昭和14年)三井合名、三井鉱山の役員を辞して北海道炭礦汽船取締役会長に就任した。
草鹿 丁卯次郎(くさか ちょうじろう、1867年3月7日(慶… 草鹿 丁卯次郎(くさか ちょうじろう、1867年3月7日(慶応3年2月2日) - 1931年(昭和6年)4月24日)は、日本の学者、実業家。現在の石川県加賀市大聖寺出身。加賀国大聖寺藩藩医(禄高:150石)・草鹿泰冲(蓮浦)の次男。兄は草鹿甲子太郎(衆議院議員、弁護士、神戸日華実業協会理事長)。子息については後節を参照。 大聖寺小学校(現・加賀市立錦城小学校)を経て、金沢一中を[要検証 – ノート]卒業。1884年(明治17年)に東京外国語学校(現・東京外国語大学)を卒業し、翌年東京にて学習院助教授を務めたがその後ドイツに留学、1887年(明治20年)に留学先のイェーナ大学を卒業し、哲学の学位を取得している。
山口 熊野(やまぐち ゆや、元治元年11月11日(1864年… 山口 熊野(やまぐち ゆや、元治元年11月11日(1864年12月9日) - 昭和25年(1950年)6月24日)は、日本の実業家、政治家。紀勢本線敷設の功労者。 元治元年(1864年)11月11日、紀伊国牟婁郡浦神村(現:和歌山県東牟婁郡那智勝浦町浦神)で山口俊道の長男として生まれる。幼名は俊太。和歌山医学校を経て東京外国語学校ドイツ語科を卒業し、東京大学予備門に転じて医学部への入学準備に専念した。しかし、当時盛んになっていた自由民権運動に共鳴して板垣退助の自由党へ入党し、議会開設の急務を提唱した。 明治18年(1885年)に扶桑政談社を設立し、雑誌通信録を発行したが、法に抵触して禁固1年6ヶ月、罰金100円に処せられて投獄された。
川上 俊彦(かわかみ としつね、1862年1月28日(文久元… 川上 俊彦(かわかみ としつね、1862年1月28日(文久元年12月29日) - 1935年(昭和10年)9月12日)は、明治から昭和初期にかけて活躍した外交官、実業家である。外交官時代はロシア関連の役職を歴任し、日露戦争では旅順要塞陥落時の水師営の会見で通訳を務め、ハルビン総領事時代には伊藤博文暗殺事件に遭遇した。退官後は日魯漁業社長などを務めた。 村上藩士・川上泉太郎の長男として越後国村上(現在の新潟県村上市)で生まれる。幼名は銀太郎。 新潟師範学校を中退し東京外国語学校ロシア語学科に入学。1884年に卒業後、外務省に入省。1886年在釜山領事館書記生。1889年在ウラジオストック貿易事務館領事館書記生。
広瀬 満正(ひろせ みつまさ、1860年1月10日(安政6年… 広瀬 満正(ひろせ みつまさ、1860年1月10日(安政6年12月18日)- 1928年(昭和3年)12月5日)は、明治から大正時代の政治家、実業家。貴族院多額納税者議員。 広瀬宰平の長男として伊予国新居郡金子村久保田(現愛媛県新居浜市久保田町)に生まれる。東京外国語学校を卒業後、郷里に帰り中萩、金子両村で数千ヘクタールに及ぶ開墾を行う。ほか、川崎汽船や朝鮮殖産銀行などの重役も務めた。 1911年(明治44年)愛媛県多額納税者として貴族院議員に互選され、同年9月29日から1918年(大正7年)9月28日まで在任した。
佐々木 良一(ささき りょういち)は、日本の実業家。タイトヨ… 佐々木 良一(ささき りょういち)は、日本の実業家。タイトヨタ自動車社長、バンコク日本人商工会議所会頭、トヨタ モーター アジア パシフィック社長、トヨタ輸送社長、日本陸送協会会長等を歴任した。 1974年東京外国語大学外国語学部中国語学科卒業、トヨタ自動車入社。トヨタ自動車アジア部アジア室長を経て、2000年トヨタ自動車アジア部事業室長。2001年タイトヨタ自動車取締役社長。2003年第39代盤谷日本人商工会議所会頭。 2005年トヨタ自動車理事。2006年トヨタ自動車常務役員に昇格し、タイに新設されたアジア太平洋地域の生産事業を支援組織・トヨタ モーター アジア パシフィック(TMAPタイ)取締役社長に就任。