千蔵 八郎(ちくら はちろう、1923年1月20日 - 20… 千蔵 八郎(ちくら はちろう、1923年1月20日 - 2010年7月15日)は、日本の音楽学者、音楽教育学者。武蔵野音楽大学名誉教授。 東京(現豊島区)生まれ。1948年東京音楽学校卒、1954年東京芸術大学音楽学部卒業。島根大学助教授、武蔵野音楽大学教授、93年名誉教授。
東京芸術大学:128人
千蔵 八郎(ちくら はちろう、1923年1月20日 - 20… 千蔵 八郎(ちくら はちろう、1923年1月20日 - 2010年7月15日)は、日本の音楽学者、音楽教育学者。武蔵野音楽大学名誉教授。 東京(現豊島区)生まれ。1948年東京音楽学校卒、1954年東京芸術大学音楽学部卒業。島根大学助教授、武蔵野音楽大学教授、93年名誉教授。
吉田 漱(よしだ すすぐ、1922年3月11日 - 2001… 吉田 漱(よしだ すすぐ、1922年3月11日 - 2001年8月21日)は、日本の歌人、美術史家。筆名・利根光一。美術史、特に浮世絵に関する研究書で知られる。 東京府で彫刻家の吉田久継の長男として生まれる。1941年、東京美術学校油絵科に入学。1943年、学徒出陣により中国大陸中部を転戦。復員後の1947年に東京美術学校を卒業。同年、アララギ歌会に出席し土屋文明に入門。1948年、アララギの若手集団「芽」に参加。1951年、近藤芳美を中心とする歌誌『未来』の創刊に参加、編集を担当するなど、同誌のの推進的リーダーとなる。青年歌人会議、東京歌人集会、定型詩の会にも参加して、現代短歌運動を推し進めた。
前田 幸市郎(まえだ こういちろう、1921年(大正10年)… 前田 幸市郎(まえだ こういちろう、1921年(大正10年)6月16日 - 1989年(平成元年)9月18日)は東京都出身の指揮者、大学教授。 東京都生まれ。加賀前田家の支藩である富山藩の前田家、男爵前田利功の三男。 1942年東京音楽学校(現東京藝術大学)声楽科卒業。同研究科にて指揮法を学ぶ。橋本國彦、尾高尚忠、クルト・ヴェスに師事。 NHK交響楽団、東京混声合唱団、神奈川フィルハーモニー管弦楽団等を指揮。 また東京室内混声合唱団、東京大学音楽部コールアカデミーなどの指導に当たった。 教育者として、山形大学、横浜国立大学、東京音楽大学にて教鞭をとった。 息子にチェロ奏者・上野学園大学教授の前田幸康がいる。
駒井 哲郎(こまい てつろう、1920年(大正9年)6月14… 駒井 哲郎(こまい てつろう、1920年(大正9年)6月14日 - 1976年(昭和51年)11月20日)は、昭和期の日本の銅版画家、東京藝術大学教授。 油絵や色彩版画の作品も少数あるが、生涯にわたり一貫してエッチングを制作し、モノクロームの世界で、自己の内面、幻想、夢などを表現し続けた。作風は、パウル・クレーの影響が濃い抽象的・幻想的なもの、樹木や風景を繊細で写実的なタッチで描いたものなどがある。大岡信(詩人、評論家)、安東次男(詩人)ら文学者との交流も多く、安東とのコラボレーションによる詩画集『からんどりえ』(1960年)は、版画と詩を同じ紙に刷った、日本では初の試みと言われている。棟方志功、浜口陽三など、同時代の版画家に比べやや地味な存在ではあるが、日本美術界では長らくマイナーな分野であった銅版画の普及と地位向上に貢献した作家として高く評価されている。
山田 浅蔵(やまだ あさぞう、1919年12月19日 - 2… 山田 浅蔵(やまだ あさぞう、1919年12月19日 - 2008年8月21日)は、日本の音楽教育者・学者。 滋賀県出身。東京音楽学校卒。東京都立白鴎高等学校音楽教諭、武蔵野音楽大学教授。90年定年退職。
西村 公朝(にしむら こうちょう、1915年(大正4年)6月… 西村 公朝(にしむら こうちょう、1915年(大正4年)6月4日 - 2003年(平成15年)12月2日)は、日本の仏師・仏像修理技師・僧侶・東京芸術大学名誉教授。勲三等瑞宝章。前名:西村利作。位階は従四位。 大正4年(1915年)6月4日、大阪府三島郡富田村(現・高槻市富田町2丁目)に、父・利兵衛と母・ミツの長男として生まれた。 1935年、東京美術学校(現東京芸術大学)に入学。彫刻科木彫部で現代彫刻家を志す。4年生の時に同校の古美術研究旅行で京都・奈良をまわり、法隆寺・夢殿の救世観音に感激。1940年に卒業し、いったんは私立大阪工科学校(旧制)の図画教師となる。 1940年頃、学生時代の縁で法隆寺に通っていた際、偶然日本美術院(第二部)初代院長である新納忠之介も同寺を訪ねており、後進の明珍恒男が亡くなったばかりで、「美大出で誰か仏像の好きなやつはおらんか」と法隆寺の僧に尋ねると、「丁度相応しい者が金堂におります」と紹介され、新納から美術院への入所の誘いを受けた。
三宅 洋一郎(みやけ よういちろう、1914年11月8日 -… 三宅 洋一郎(みやけ よういちろう、1914年11月8日 - 1994年8月1日)は、日本の音楽家、ピアニスト、合唱指揮者、フェリス女学院短期大学名誉教授。 長年にわたり日本女声合唱団の指導にあたるとともに、フェリス女学院短期大学学長などを務めた。 熊本県に生まれたが、間もなく神奈川県横浜市へ移った。東京音楽学校に学び、ケルン音楽大学へ留学した。1941年からフェリス女学院(戦時下では「横浜山手女学院」)で教鞭を執り、専門学校音楽科を開設する際には團伊玖磨とともに中心的な役割を果たし、戦後における短期大学音楽科への昇格でも中心となって、後の大学音楽学部への発展の基礎を築いた。 1969年には第18回横浜文化賞を受賞し、1978年には第27回神奈川文化賞を妻である三宅春恵とともに受賞した。
浜野 政雄(はまの まさお、1914年(大正3年)7月18日… 浜野 政雄(はまの まさお、1914年(大正3年)7月18日 - 2007年(平成19年)1月9日)は、日本の音楽教育学者。 東京出身。1941年東京音楽学校甲種師範科卒。1941年福井県鯖江師範学校、42年8月青山師範学校(のち東京第一師範学校)教授、1949年東京都教育庁指導主事、56年文部省教科書調査官、1965年東京芸術大学講師、助教授、教授、音楽学部長。1983年名誉教授、武蔵野音楽大学教授。90年春、勲三等旭日中綬章受勲。
山本 正男(やまもと まさお、1912年1月12日 - 20… 山本 正男(やまもと まさお、1912年1月12日 - 2007年10月10日)は、日本の美術史学者。専攻は美学、芸術史。第4代東京芸術大学学長、初代沖縄県立芸術大学学長。長野県長野市出身。 日本学術会議第13・14期会員、文部省学術審議会委員、日本美学会委員などを歴任した。
金子 登(かねこ のぼり、1911年11月23日 - 198… 金子 登(かねこ のぼり、1911年11月23日 - 1987年7月6日)は、日本の指揮者、東京芸術大学名誉教授。 1934年に東京音楽学校ピアノ科を卒業し、ヨゼフ・ローゼンシュトックに指揮を学び、1936年に東京音楽学校研究科を修了した。また副科でファゴットを学び、紀元二千六百年奉祝交響楽団にもファゴット奏者として参加している。 1936年に服部正が創設したコンセール・ポピュレール(後の青年日本交響楽団)にファゴット奏者として参加し、1942年には指揮者も務めた 。 1943年から1945年に東京交響楽団常任指揮者を務めた。1945年にはアーニーパイル交響楽団を組織している。 1952年から1956年にウィーンへ留学し、クレメンス・クラウス、カール・ベームらに師事する。
薗田 誠一(そのだ せいいち、1905年〈明治38年〉10月… 薗田 誠一(そのだ せいいち、1905年〈明治38年〉10月5日 - 1986年〈昭和61年〉8月3日)は、日本の声楽家(テノール)、オペラ歌手、音楽教育者、音楽評論家、音楽学者、合唱指揮者。お茶の水女子大学名誉教授。 千葉県出身。1930年(昭和5年)東京音楽学校(現: 東京藝術大学音楽学部)卒業。マルガレーテ・ネトケ=レーヴェ、ヘルマン・ヴーハープフェニッヒに師事。 卒業後、戦前からリサイタル、コンサートで活動し、特にドイツ歌曲を得意とした。 戦後まもなく演奏活動に復帰。門下生の柴田睦陸が結成し、二期会の母体となった東京藝術大学歌劇研究部 ベルリオーズ『ファウストの劫罰』の主役ファウストを務めている。
土方 久功(ひじかた ひさかつ、1900年7月13日 - 1… 土方 久功(ひじかた ひさかつ、1900年7月13日 - 1977年1月11日)は、日本の彫刻家・民俗学者。パラオなど広く南洋に取材し、民族学的資料を多く残すとともに、芸術作品のテーマとして作品を残した。 1900年(明治33年)7月13日、東京府東京市(現在の東京都)に生まれる。父は陸軍砲兵大佐の土方久路、伯父は伯爵・土方久元、母方の祖父は海軍大将・男爵・柴山矢八、築地小劇場の演出家・土方与志(本名は久敬)はいとこ甥に当たる。 旧制・学習院初等科、同中等科を経て、父の病気退職による経済的理由から1919年(大正8年)東京美術学校(現在の東京芸術大学)彫刻科に入学する。三沢寛、林謙三、小室達、岡鹿之助、小泉清、山本丘人らが当時の同学に在籍した。
小出 浩平(こいで こうへい、1897年8月14日 - 19… 小出 浩平(こいで こうへい、1897年8月14日 - 1986年3月17日)は、日本の音楽教育学者。 新潟県南魚沼郡塩沢町(現南魚沼市)出身。1921年東京音楽学校甲種師範科卒。南西海小学校・香川師範学校・東京赤坂小学校・同城東小学校教員。1937年学習院教授。1964年東邦音楽大学教授、のち名誉教授。日本教育音楽協会会長。初等音楽教育の重鎮で、学習院時代、初、中等科の明仁皇太子、現天皇徳仁に音楽を教えた。1947年勲六等。
中野 義見(なかの よしみ、1897年8月2日 - 1969… 中野 義見(なかの よしみ、1897年8月2日 - 1969年4月3日)は、日本の音楽教育学者。 広島県出身。東京音楽学校卒業、佐賀師範学校教諭となる。のち東京の文京区立湯島小学校訓導、東京都指導主事などを経て、1945年中野区立江古田小学校校長。1956年国立音楽大学教授。
溝口 三郎(みぞぐち さぶろう、1896年(明治29年)8月… 溝口 三郎(みぞぐち さぶろう、1896年(明治29年)8月10日 - 1973年(昭和48年)1月1日)は、日本の美術史家、漆工研究家、漆芸家。東京国立博物館工芸課長。 東京府で伯爵・溝口直正の八男として生まれ、叔父・溝口武五郎の養子となる。1916年(大正5年)東京美術学校漆工科本科を卒業し、同研究科に進み漆芸史の研究を行い1921年(大正10年)に修了した。 舞台美術家として築地小劇場に参加した。その後、漆工品の修理・模造を担い、国宝の扇散蒔絵手箱、籬菊蒔絵硯箱、舟橋蒔絵硯箱の模造で知られた。 1928年(昭和3年)東京帝室博物館(現東京国立博物館)嘱託となり、戦後も引き続いて勤務し漆工史の研究を行った。
岡田 捷五郎(おかだしょうごろう、1894年(明治27年)1… 岡田 捷五郎(おかだしょうごろう、1894年(明治27年)11月24日 - 1976年(昭和51年)10月2日)は東京芸術大学教授、建築家。建築家岡田信一郎の弟である。 東京美術学校図案科第2部(現東京芸術大学建築科)を卒業。病弱な兄・信一郎を補佐して設計に従事し、兄の逝去後は建築事務所を引き継ぎ、明治生命館、琵琶湖ホテルを完成させた。また、母校の東京美術学校建築科の講師となり、後に教授に就任。第2次世界大戦後は東京芸術大学教授。日本建築士会理事長などを務めた。 この間、吉村順三、宮脇檀らの後進を育成する。 妻は伊庭秀栄(東大医学部卒)の四女・春。 この項目は、建築・土木に関連した書きかけの項目です。
霜田 静志(しもだ せいし、1890年7月9日 - 1973… 霜田 静志(しもだ せいし、1890年7月9日 - 1973年1月28日)は、日本の物理学者・教育者・教育学者。東京大学名誉教授、日本学士院会員の霜田光一は息子。 埼玉県出身。本名・利平。1912年東京美術学校卒。小・中学校教師を経て、1920年東京帝国大学で美学・心理学の研究をする。1928年英国へ留学、教育家A・S・ニイルに師事。帰国後、主婦之友社で児童相談を担当。のち、井荻児童研究所を設立し所長となる。多摩美術大学教授、長野女子短期大学教授も務めた。1968年『ニイル著作集』で第5回日本翻訳文化賞受賞。堀真一郎、國分康孝が門下にいる。
田辺 孝次(たなべ たかつぐ、1890年4月21日 - 19… 田辺 孝次(たなべ たかつぐ、1890年4月21日 - 1945年4月16日)は、日本の美術史家。 石川県金沢市生まれ。息子は美術史家の田辺徹。室生犀星とは幼馴染。1913年東京美術学校彫刻科を卒業、18年同校美術史研究室の助手、19年教授となり、工芸史を講じた。1924年から25年工芸史研究のため欧米諸国に学び、1927年東京高等工芸学校講師を兼ねた。1937年再び欧洲各国に出張して38年帰国、1939年には石川県立工業学校長となり42年退職した。
信時 潔(のぶとき きよし、1887年〈明治20年〉12月2… 信時 潔(のぶとき きよし、1887年〈明治20年〉12月29日 - 1965年〈昭和40年〉8月1日)は、大正・昭和時代の日本の作曲家・音楽学者・チェロ奏者。大阪市出身。 牧師・吉岡弘毅(元津山藩士の外交官で明治初期の日朝外交を担当)の子として大阪市北区中之島に生まれ、幼少より賛美歌に親しんだ。大阪の市岡中学を経て、東京音楽学校器楽部および研究科器楽部でチェロを学んだ後、同科作曲部に移り、アウグスト・ユンケルに指揮法、ハインリヒ・ヴェルクマイスターにチェロと作曲、ルドルフ・ロイテルに対位法と和声学を師事する。東京音楽学校助教授を務めたのち、留学先のドイツでゲオルク・シューマンに師事、帰国後に東京音楽学校教授となる。
神戸 絢(かんべ あや、1879年(明治12年)2月16日 … 神戸 絢(かんべ あや、1879年(明治12年)2月16日 - 1956年(昭和31年)2月23日)は、日本のピアニスト、音楽家、音楽学校教授。別名、神戸 絢子。 日本の洋楽界最古のピアニスト(洋琴家)として知られた。東京音楽学校 (旧制)を卒業後、母校で30年以上にわたって後進を指導し、従四位勲四等に叙せられた。 東京府人・梁田正直(元鳥取藩士族)の長女として、東京に生まれた。第百銀行監査役・神戸信義(元岡山藩士族・元藩主侯爵池田章政家扶)の養女となり、姫路水力電気技師長・神戸順三郎(明治3年7月生、神戸信義の養子)と結婚、長女貞子(明治34年3月生)をもうけた。一家は1914年(大正3年)に分家した。
小場恒吉(おば つねきち、1878年〈明治11年〉1月25日… 小場恒吉(おば つねきち、1878年〈明治11年〉1月25日 - 1958年〈昭和33年〉5月29日)は、日本の紋様学者、美術史家、画家。東京美術学校および東京芸術大学で工芸史・紋様史を講じ、日本・中国・朝鮮の古美術に見られる紋様の比較研究と、高句麗古墳壁画や朝鮮古蹟の調査・模写に従事した。研究の一部をなす「日本紋様の研究」により、1950年(昭和25年)に恩賜賞を受賞した。 秋田藩主佐竹家の一族である小場家の分家にあたる小場新吾の長男として、秋田県秋田町亀ノ丁堀反町に生まれた。 13歳のとき、親戚の画人小室怡々斎(こむろ いいさい)に師事して狩野派の日本画を学んだ。上京後は、荒木寛畝に日本画を、岡本椿所に篆刻を学んだ。
平子 鐸嶺(ひらこ たくれい、1877年5月4日 - 191… 平子 鐸嶺(ひらこ たくれい、1877年5月4日 - 1911年5月10日)は、日本の美術史家である。本名は平子 尚(ひらこ ひさし)。「鐸嶺」の号は、郷里である鈴鹿の嶺に由来するものである。ほかに昔瓦・鈴岱子・古柏艸堂主人・古柏陳人・塵庵といった号をもった。 1877年(明治10年)5月4日、三重県津町片浜町(現在の津市東丸之内近辺)に長子として生まれる。父の尚次郎は「津の断髪三人男」とも呼ばれた開明的な人物で、横浜で生糸貿易商を営み、帰郷ののちは弁理士、米穀商、妓楼の運営、参宮鉄道の建設などに参画した。母のかうは津の呉服商・伊阪屋の長女で藩主・藤堂家の奥向として仕えた。 津市立養正小学校を経て、1889年(明治22年)に旧津藩士のための私塾である励精館に入学。
大村 西崖(おおむら せいがい、明治元年10月12日(186… 大村 西崖(おおむら せいがい、明治元年10月12日(1868年11月25日) - 昭和2年(1927年)3月8日)は、日本の美術史家・美術評論家。幼名は、塩沢峰吉。雅号は、無記庵、など。多数の著書、美術書を刊行した。 駿河国富士郡水戸島村(現在の静岡県富士市)で、塩沢茂三郎の次男として生まれる。庵原郡富士川村岩淵(現・静岡県富士市)の大村桂蔵の養子として、明治25年(1892年)12月19日大村家に入籍。新間雲屏に師事して絵画・彫刻・鑑定を学ぶ。 1893年に東京美術学校彫刻科を卒業(第1回の卒業生であった)後、京都に赴き、教員や雑誌編集者を務める。1896年に母校である東京美術学校の助教授に採用される。
小野 迪孝(おの みちたか)は、日本の美術史学者、元東海大学… 小野 迪孝(おの みちたか)は、日本の美術史学者、元東海大学教養学部芸術学科美術学課程教授、元山梨県立美術館学芸員。研究分野は中世イタリア美術史。 1973年、東京芸術大学美術学部(芸術学)卒業。1976年、同大学大学院美術研究科(西洋美術史)修了。1977年、山梨県立美術館建設準備室学芸員(1978年開館)。1984年、東海大学教養学部芸術学科美術学課程専任講師。1990年、同助教授(2007年から准教授)。2009年から2015年まで、同教授。 イタリア、トスカナ地方の13世紀後半のロマネスク時代末期の絵画について、ロマネスクからゴシックへの移り変わりを研究。
川上 晃(かわかみ あきら)は、日本の音楽教育者・音楽学者。… 川上 晃(かわかみ あきら)は、日本の音楽教育者・音楽学者。群馬大学教育学部教授。専門は音楽学。 1975年東京芸術大学音楽学部卒業、1978年同大学院音楽研究科修了、芸術学修士。 東京音楽大学紀要 (大学・研究所等紀要、1985年) 東京音楽大学紀要 (大学・研究所等紀要、1979年) 群馬大学教育学部紀要 (大学・研究所等紀要、1988年) この項目は、音楽に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(ポータル 音楽/ウィキプロジェクト 音楽)。 この項目は、学者に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(PJ:人物伝/P:教育)。
夏本 健司(なつもと けんじ)は、日本の起業家。 スプリント… 夏本 健司(なつもと けんじ)は、日本の起業家。 スプリントジャパン株式会社 代表取締役。東京藝術大学美術学部卒業後、テレビ朝日グループ、電通グループを経て2002年に独立されました。 20年間UIデザイナー業務を行ったのち、2016年よりデザインスプリントのテストマーケティングとメソッドのローカライズ化を始められました。 その後、2019年にスプリントジャパン株式会社を」設立され、ファシリテーターの育成や、AIを活用したアイディエーションの研究、AIを用いた新しいアートの創造など、多岐にわたる活動を展開されています。 YouTubeチャンネル「夏本健司@スプリントジャパン」では、デザインスプリントに関する情報や、生成AIの効果的な使い方、新機能の紹介などを発信されています。
吉永 誠吾(よしなが せいご)は日本の音楽教育学者、芸術家。… 吉永 誠吾(よしなが せいご)は日本の音楽教育学者、芸術家。熊本県出身。 熊本県生まれ。熊本県立玉名高等学校を経て、1977年3月に東京藝術大学大学院音楽研究科を卒業した。 その後、熊本大学教育学部の音楽専攻課程の講師となった。そのまま、助教授と昇格し、1988年に教育学部教授となった。 主な分野はバイオリンである。コンサートの開催の実績も複数回ある。
米野 みちよ(よねの みちよ、英語: Michiyo Yon… 米野 みちよ(よねの みちよ、英語: Michiyo Yoneno-Reyes)は、日本の音楽学者・人類学者(音楽学・文化人類学・移民研究・アジア研究・東南アジア研究・フィリピン研究)。学位はDoctor of Philosophy(フィリピン大学・2011年)。静岡県立大学国際関係学部教授・大学院国際関係学研究科教授。 フィリピン大学アジアセンター准教授、東京大学東洋文化研究所准教授などを歴任した。 音楽学者であると同時に人類学者でもあり、音楽学、文化人類学、移民研究、アジア研究、東南アジア研究、フィリピン研究を専攻する。在日フィリピン人の音楽活動についての研究や、経済連携協定の下での東南アジアの看護師の移動に関する研究などで知られている。