曽根 幸一(そね こういち、1936年12月7日 - )は日… 曽根 幸一(そね こういち、1936年12月7日 - )は日本の都市計画家。建築家。アーバンデザイナー。曽根幸一環境設計研究所所長。芝浦工業大学システム工学部環境システム学科名誉教授。静岡県出身。息子は国際的なアーティストの曽根裕。
東京芸術大学:335人
曽根 幸一(そね こういち、1936年12月7日 - )は日… 曽根 幸一(そね こういち、1936年12月7日 - )は日本の都市計画家。建築家。アーバンデザイナー。曽根幸一環境設計研究所所長。芝浦工業大学システム工学部環境システム学科名誉教授。静岡県出身。息子は国際的なアーティストの曽根裕。
白岩 伸介(しろいわ しんすけ、1935年7月18日 - )… 白岩 伸介(しろいわ しんすけ、1935年7月18日 - )は日本画家、教育者。本名は圭介(けいすけ) 。 福島県常葉町生まれ。東京藝術大学日本画科卒・専攻科修了。青郁会、鎌倉会所属。前田青邨、平山郁夫、須田珙中に師事。日本美術院院友。魚と人との関係のテーマの作品多数、その他ヨーロッパ風景画等。昭和49年、高松塚古墳復刻プロジェクトに携わる(白虎担当)農林水産省分室会議室、長官室、ウズベキスタン・日本人材開発センター等に飾られている。
入江 観(いりえ かん、1935年2月14日 - )は、日本… 入江 観(いりえ かん、1935年2月14日 - )は、日本の洋画家。女子美術大学名誉教授/女子美術大学付属高等学校・中学校顧問、日本美術家連盟理事長/国際造形芸術連盟(IAA)日本委員会委員長、春陽会会員。 栃木県日光町(現・日光市)出身。日光町第一国民学校(現・日光市立日光小学校)で油絵の指導を受け、1953年に東京藝術大学美術学部芸術学科へ入学。藝大で加山四郎に師事しポール・セザンヌの影響を受ける。1956年に春陽会展に初入選。1957年に東京藝術大学を卒業し、中学校の美術教師を勤めながら春陽会展に出品。柳亮の主宰する「黎明会」に参画。 1962年にフランス政府給費留学生として渡仏。国立高等美術学校でモーリス・ブリアンション(フランス語版)に師事しセザンヌの研究を行う。
奥谷 博(おくたに ひろし、1934年8月12日 - )は、… 奥谷 博(おくたに ひろし、1934年8月12日 - )は、日本の洋画家。勲等は文化勲章。日本芸術院会員、文化功労者。 愛知県立芸術大学美術学部講師、愛知県立芸術大学美術学部助教授、東京芸術大学美術学部客員教授などを歴任した。 高知県出身の洋画家である。独立美術協会に所属し、神奈川県三浦郡葉山町に居住している。愛知県立芸術大学では講師を経て助教授を務め、東京芸術大学では客員教授を務めるなど、後進の育成にも力を注いだ。1996年には日本芸術院の会員に選出されている。2007年には文化功労者として顕彰された。2017年には文化勲章を受章した。 1934年高知県幡多郡宿毛町(現在の宿毛市)に生まれる 。
池田 満寿夫(いけだ ますお、1934年〈昭和9年〉2月23… 池田 満寿夫(いけだ ますお、1934年〈昭和9年〉2月23日 - 1997年〈平成9年〉3月8日)は、日本の画家・版画家・挿絵画家・彫刻家・陶芸家・作家・映画監督などの従来の芸術の枠にとどまらず多彩に活躍した芸術家。エロスの作家といわれるように、官能的な作風が多い。しかし、多岐にわたる活動や多才さは、かえって“池田芸術”の高い知名度にふさわしい正当な評価を困難にしている。 旧満洲国奉天市(現在の瀋陽市)に生まれ、戦後長野県長野市で育つ。長野市立柳町中学校、長野北高等学校(現・長野県長野高等学校)定時制課程卒業。高校在学中に絵画が入選、画家を志し上京するが、東京芸術大学の受験に3度失敗し大学進学を断念。
笠木 茂(かさぎ しげる、1934年2月 - )は、岐阜県出… 笠木 茂(かさぎ しげる、1934年2月 - )は、岐阜県出身の洋画家。ル・サロン会員、日本美術連盟会員。 岐阜県中津川市に生まれる。東京芸術大学卒業。特許庁を経て、東京芸術大学大学院修了。伊藤廉、中根寛、フランス国立高等装飾美校・デピェール教授に師事。安宅賞受賞。ル・サロン、サロン・ドートンヌなどに出品。資生堂ギャラリー、梅田画廊などで個展を開く。 地元の恵那山など、古里の中津川市を描いた作品を多く手掛ける。かつてはカラフルな、柔らかいタッチの油彩画や、シルクスクリーンを使用した花を描いたものが多かった。近年では油彩でありながら水彩画のような風合いのものを、海洋を主題として描くことが多い。 2012年、岐阜県各界功労者表彰(文化・芸術)を受けた。
馬越 陽子(まこし ようこ、1934年(昭和9年)1月27日… 馬越 陽子(まこし ようこ、1934年(昭和9年)1月27日 - )は、日本の洋画家。本名は瀬谷陽子。現在の東京都港区青山出身。 独立美術協会会員、女流画家協会委員、多摩美術大学大学院客員教授、2014年より日本美術家連盟洋画部理事。 1934年(昭和9年)1月27日、東京府東京市赤坂区青山に生まれる。 1952年(昭和27年)東京都立三田高等学校卒業 1964年(昭和39年)東京芸術大学油画科卒業、同年独立美術協会の独立展へ初出品、初入選。1966年(昭和41年)東京芸術大学大学院を修了。翌1967年(昭和42年)、「夜明けをまつ人達」が女流画家協会展でH夫人賞を受賞。 1973年(昭和48年)、文化庁芸術家在外研修員のうち初の女性芸術家としてヨーロッパの10カ国およびアメリカ合衆国、旧ソビエト連邦など欧米各国200箇所以上の美術館で1974年(昭和49年)まで1年間に渡って研修を行った。
松本 英一郎(まつもと えいいちろう、1932年7月8日 -… 松本 英一郎(まつもと えいいちろう、1932年7月8日 - 2001年6月17日)は、日本の洋画家である。 福岡県久留米市出身、福岡県立明善高等学校から東京芸術大学に進学、卒業時に大橋賞を受ける。独立展を拠点に活動する。東京都立駒場高等学校で教鞭をとり、その後多摩美術大学に転じ、教授職をつとめ、後進の指導に力を注いだ。 風景画を中心に描き、〈平均的肥満体 1965~1970〉〈退屈な風景 1971~1986〉〈さくら・うし 1987~1996〉〈花と雲と牛 1997~2001〉の連作をのこす。 義父は教育学者の石川謙、義兄に石川松太郎がいる。 青森県立美術館、栃木県立美術館、東京都現代美術館、府中市美術館、多摩美術大学美術館、八王子市夢美術館、青梅市立美術館、佐久市立近代美術館、池田20世紀美術館、愛知県美術館、京都国立近代美術館、広島市現代美術館、高松市美術館、北九州市立美術館、福岡県立美術館、福岡市美術館、久留米市美術館、熊本県立美術館、宇城市不知火美術館、都城市立美術館
鈴木 美江(すずき みえ、1932年 - )は、日本画家。一… 鈴木 美江(すずき みえ、1932年 - )は、日本画家。一般社団法人日本画院理事長。産経学園自由が丘の日本画講師。 1932年、日本画家の望月春江の長女として、東京府東京市下谷区(現在の東京都台東区)池之端にて出生。 193年、川﨑小虎、望月春江ら日本画院設立する。1939年、御茶ノ水大学付属小学校に入学する。1994年、甲府市に縁故疎開、甲府市立相生小学校に通う。1945年、甲府高等女学校に入学する。1946年、春江の生家である山梨県増坪町より一家で帰京する。御茶ノ水女子大中学校に編入学する。 1948年、寺内萬治郎(洋画家)と朝倉摂(舞台美術家) にデッサンの指導を受ける。1951年、御茶ノ水高等学校卒業する。
笠井 誠一(かさい せいいち、1932年 - 2025年6月… 笠井 誠一(かさい せいいち、1932年 - 2025年6月12日)は、日本の洋画家。立軌会同人、愛知県立芸術大学名誉教授。シンプルな描線で、緻密に構築された静物画を描いた。 1932年、北海道札幌市生まれ。生家は札幌時計台近くに店を構えるマリヤ手芸店。北海道札幌西高等学校を経て、1957年東京芸術大学卒業。1959~66年、滞仏。1985年から立軌会同人。1991年、名古屋市芸術賞芸術特賞。2001年、安田火災東郷青児美術館大賞受賞・同記念展。2015年、笠井誠一展(札幌芸術の森美術館)、2018年、笠井誠一展(練馬区立美術館)。2018年、瑞宝中綬章受章。 2025年6月12日、老衰のため、自宅で亡くなった。
小川游(おがわ ゆう、1932年 - )は、満洲国出身の洋画… 小川游(おがわ ゆう、1932年 - )は、満洲国出身の洋画家。浦和画家のひとり。一水会代表。さいたま市美術家協会会長。 満洲国四平街に生まれ、戦後引き揚げて浦和中学校に編入学、在学中に高田誠に師事してデッサンや油彩画を学んだ。東京芸術大学美術科卒業後、浦和市内の中学校の美術教師となった。2016年(平成28年)には北海道河西郡中札内村にある中札内美術村にて小川游作品館が開館。
小松崎 邦雄(こまつざき くにお、1931年9月2日 - 1… 小松崎 邦雄(こまつざき くにお、1931年9月2日 - 1992年12月28日)は、東京都出身の画家。浦和画家のひとり。 日暮里に生まれ、9歳の時、浦和で料亭を営んでいた叔母の縁で浦和市高砂町に転居。浦和中学校(現埼玉県立浦和高等学校)に入学し、2年生だった14歳の時に高田誠につきデッサン、油彩を学んだ。 東京芸術大学油画科に入学すると高田の師であった安井曾太郎の教室に入った。翌年に安井が退職したため林武の教室に入った。大学卒業後、同大学油絵専攻科に進み、一水会への出品が始まった。東京芸術大学講師も務めた。
小野 かおる(おの かおる、1930年8月19日 - 202… 小野 かおる(おの かおる、1930年8月19日 - 2020年10月13日)は、日本の絵本作家・画家、スペースデザイナー。東京造形大学名誉教授。 本名は成子(=しげこ)。父は詩人でロシア文学者の中山省三郎。娘は絵本作家おのりえん(小野里宴)。 東京芸術大学美術学部油絵科卒業。2007年、長年にわたる昔話絵本の創作活動に対して第30回巖谷小波文芸賞受賞。厚生大臣賞、サンケイJR賞、吉村証子賞のほか、『オンロックがやってくる』(福音館書店)で第43回産経児童出版文化賞受賞。
高塚 省吾(たかつか せいご、1930年7月26日 - 20… 高塚 省吾(たかつか せいご、1930年7月26日 - 2007年5月28日)は、日本の洋画家。美人画・裸婦で絶大な人気を誇った。 岡山市出身、東京芸術大学で梅原龍三郎、林武、硲伊之助に師事、1953年卒業。同年、恩師で日本美術会の委員長を務めた硲伊之助の影響から、第7回日本アンデパンダン展(日本美術会主催)に出品。以後、第11回まで出品。新東宝撮影所美術課に勤務のかたわら「8人の会」を結成、個展を開くなどしたが作品に恵まれず、1955年には谷桃子バレエ団の美術担当となり台本も書く。1956年NHK広報室嘱託となり、1968年まで勤める。1957年より小津安二郎監督映画のタイトルを担当するなど多方面に活躍。
平山 郁夫(ひらやま いくお、1930年6月15日 - 20… 平山 郁夫(ひらやま いくお、1930年6月15日 - 2009年12月2日)は、日本の日本画家、教育者。位階は従三位。勲等は文化勲章。東京芸術大学名誉教授、文化功労者。 東京芸術大学美術学部教授、東京芸術大学美術学部学部長、東京藝術大学学長(第6・8代)、財団法人文化財保護振興財団理事長、日本育英会会長、財団法人日本美術院理事長、東京国立博物館特任館長などを歴任した。 広島県出身の日本画家、教育者である。日本美術院理事長、一ツ橋綜合財団理事、第6代・第8代東京芸術大学学長などを務めた。文化功労者として顕彰され、のちに文化勲章を受章した。広島県名誉県民、広島市名誉市民、鎌倉市名誉市民などの称号を授与されている。
小林 トミ(こばやし トミ、1930年5月15日 - 200… 小林 トミ(こばやし トミ、1930年5月15日 - 2003年1月2日)は、日本の市民運動家、画家。市民グループ「声なき声の会」の中心メンバーとして安保闘争、反戦活動に従事し、鶴見俊輔や高畠通敏らとベ平連スタイルの市民運動の原型をつくった。 茨城県土浦市に生まれる。父親はパン屋を営んでいたが、米相場に手を出して事業不振に陥り、1934年(昭和9年)に一家で千葉県浦安町(現・浦安市)に移って下駄と鼻緒の行商を始めた。 東京都立葛飾高等女学校(現・東京都立南葛飾高等学校)に進学するも、1944年(昭和19年)11月以降は授業はなかった。1945年(昭和20年)3月10日の東京大空襲後、一家は浦安も危ないと判断し、土浦市に疎開。
橘野 富彦(きつの とみひこ、1930年4月29日 - 19… 橘野 富彦(きつの とみひこ、1930年4月29日 - 1994年12月24日)は、日本の洋画家。国画会会員。 山口県生まれ。肖像画を描きながら全国を旅していた洋画家の父の影響で、幼い頃から絵画に没頭する。1950年、東京芸術大学油学科卒業後、フランスのパリで洋画に影響を受け、帰国し洋画家安井曽太郎に師事。国画会で第29回国画会展1955年にプールブ賞、1956年に30周年記念賞を受賞し、翌年には早くも同会会員となり、異例の若さで入会する。数々の賞を受賞し、名誉会員として名が刻まれる。妻は二科会会員の恵委子(1932年 - 2002年1月)。女子美術大学を卒業し渡仏していた彼女と、パリで知り合った。
保田 春彦(やすだ はるひこ、1930年2月21日 - 20… 保田 春彦(やすだ はるひこ、1930年2月21日 - 2018年1月20日)は、日本の彫刻家・画家。武蔵野美術大学名誉教授。 1930年和歌山県生まれ。父は、南方熊楠の肖像彫刻で有名な彫刻家の保田龍門。娘婿は彫刻家の西村浩幸。 東京美術学校(現東京芸術大学)を卒業。1958年2月より10年近くヨーロッパ各地で滞在、制作を行う。オシップ・ザッキン等に師事。1968年、日本に帰国。1975年に武蔵野美術大学教授に就任し、1999年まで在職した。2018年1月20日、老衰のため死去。
浮田 克躬(うきた かつみ、1930年2月17日 - 198… 浮田 克躬(うきた かつみ、1930年2月17日 - 1989年8月30日)は、洋画家。 1930年2月17日、東京都杉並区に江幡寛夫の長男として生まれる。母が病気のため、母方の祖父である政治学者の浮田和民により育てられる。のち離婚のため、浮田姓を名乗る。高座郡茅ケ崎尋常高等小学校の4年時に第1回聖戦美術展を見て感動し、油絵画家を志す。その後、藤嶺学園藤沢中学校に入学。14歳の時には小林萬吾に石膏デッサンの個人指導を受けている。 中学3年修了後に15歳で東京美術学校(現在の東京芸術大学美術学部)油画科に特例で入学する。安井教室に入り、安井曾太郎と伊藤廉の指導を受ける。1950年に20歳で東京美術学校油画科を卒業。
中谷 千代子(なかたに ちよこ、1930年1月16日 - 1… 中谷 千代子(なかたに ちよこ、1930年1月16日 - 1981年12月26日)は、日本の画家、絵本作家。 1930年1月16日、東京府生まれ。東京府立第十一高等女学校(現東京都立桜町高等学校)卒業後、東京美術学校(現・東京芸術大学)油絵科に進学。美術学校在学中は梅原龍三郎に師事した。後に詩人として活躍する岸田衿子は同級生で、親友となった。美術学校卒業後、先輩だった中谷貞彦と結婚。 在学中から子どもに絵を教える中で、子どもの絵の表現から学んでいたが、1957年ごろから絵本の仕事に興味を持つ。岸田に誘われて、福音館書店の編集長松居直を訪ね、絵本を作ることになる。 最初の作品は『ジオジオのかんむり』(「こどものとも」52号(1960年7月号))で、主人公のライオンのジオジオを描くために動物園でイメージに合うライオンを探し、原画は7回描きなおした。
今井 珠泉(いまい しゅせん、1930年1月14日 - 20… 今井 珠泉(いまい しゅせん、1930年1月14日 - 2023年1月15日)は、日本の画家。広島市立大学名誉教授、尾道市立大学名誉教授。本名は、今井昭吾。 福島県白河市生まれ。1947年、旧制白河中学校(現 白河高等学校)を卒業。1956年、東京藝術大学美術学部日本画科卒業。在学中は、前田青邨に師事した。 同年、院展に「禮拝」が初入選。1969年、愛知県立芸術大学助教(- 1971年)。1978年と1988年に紺綬褒章を受章する。1992年・1994年・1999年の三度にわたり、日本美術院賞(大観賞)を受賞する。2003年10月30日、日本美術院同人に推挙される。2009年、院展に出品した「静日(イヌワシ)」「静夜(流氷)」が文部科学大臣賞を受賞する。
白鳥 三郎(しらとり さぶろう、1930年 - 2018年1… 白鳥 三郎(しらとり さぶろう、1930年 - 2018年10月22日)は、日本生まれの画家であり、独立美術協会の審査員を務めた経歴を持つ。宮城県古川市(現:大崎市古川)出身。戦後の日本美術界において独自の画風を確立し、数々の展覧会で評価された。 宮城県大崎市古川(旧・古川市)の出身、宮城県古川高等学校を卒業後東京芸術大学(旧東京美術学校)に進学。大学では日本画と洋画の基礎を学びながら、美術史に関心を深めた。在学中に樋口加六、海老原喜之助ら日本の美術界の著名な画家に師事。これにより白鳥は、フランスの巨匠アンリ・ルソーや藤田嗣治(レオナール・フジタ)の影響を受けた芸術潮流を間接的に受け継ぐこととなった。
上田 薫(うえだ かおる、UEDA, Kaoru、1928年… 上田 薫(うえだ かおる、UEDA, Kaoru、1928年〈昭和3年〉12月4日 - 2025年9月26日)は、洋画家。茨城大学名誉教授。 東京都渋谷区代々木出身。妻は上田葉子。日本のスーパーリアリズムの第一人者である。ただし、上田自身は自らの作風は抽象絵画であり、リアリズムとは大きく異なると語っている。代表作は、中学校や高等学校の美術の教科書にも掲載された割れた生玉子の殻から中身が落ちる瞬間を描いた作品である。ほかにもスプーンですくい取られたアイスクリーム、シャボン玉、ゼリー、水の流れといった作品も高く評価されている。 1928年(昭和3年)東京都出身。医学部受験に失敗した時期に富永惣一と出会い、東京藝術大学に進学する。
薮崎 昭(やぶざき あきら、1928年(昭和3年)8月19日… 薮崎 昭(やぶざき あきら、1928年(昭和3年)8月19日 - )は日本の油彩画家。本来の表記は藪崎。 1928年8月、福岡県久留米市で生まれる。本籍は静岡県焼津市。3歳の時、静岡市に移り、1941年、静岡市立城内尋常小学校卒業。1945年3月、静岡県立静岡中学校(61回)卒業。五年制の中学を戦争の激化で四年で繰り上げ卒業となり、1年上級の60回と同時に卒業した。終戦後間もなく父を亡くしたが、医者の兄が復員し生活できるようになると「公立なら美術学校に入ってもよい」と言われた。東京美術学校は当時、新制大学への移行の為募集せず、翌年受験規則書を取り寄せると、受験資格が学歴11年となっており、旧制中学繰り上げ卒業のため、受験に必要な学歴が一年足りず、新制となっていた母校に三年次編入した。
黒沢 吉蔵(くろさわ きちぞう、1928年4月11日 - 2… 黒沢 吉蔵(くろさわ きちぞう、1928年4月11日 - 2009年2月22日)は、日本画家。 1928年に福島県郡山市で生まれる。東京芸術大学の日本画科を卒業し、1955年、1965年、1966年の3回にわたり新制作協会の日本画部新作家賞を受賞している。 2009年2月22日に心筋梗塞のため死去した。 この項目は、美術家・芸術家に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(P:美術/PJ:美術)。 この項目は、まだ閲覧者の調べものの参照としては役立たない、人物に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(P:人物伝/PJ:人物伝)。
三栖 右嗣(みす ゆうじ、1927年4月25日 - 2010… 三栖 右嗣(みす ゆうじ、1927年4月25日 - 2010年4月18日)は、神奈川県出身の洋画家である。本名は三栖 英二。 この項目は、美術家・芸術家に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(P:美術/PJ:美術)。
岡田 春生(おかだ はるお、1926年 - 2002年)は、… 岡田 春生(おかだ はるお、1926年 - 2002年)は、東京都出身の日本画家。浦和画家。 埼玉県浦和市(現さいたま市浦和区)本太に居住し、東京芸術大学を卒業。加藤栄三に師事し、日展入選20回。微妙な諧調の色彩と堅確な構図により現代的な視点で花鳥や風景を描いた。日展会友、埼玉県展審査員・運営委員。
川﨑 鈴彦(かわさき すずひこ、1925年7月13日 - )… 川﨑 鈴彦(かわさき すずひこ、1925年7月13日 - )は、日本画家。 東京都新宿区出身。父は川﨑小虎。父方の曽祖父は川崎千虎という日本画家の一家に生まれ、弟の川崎春彦も日本画家となった。親戚に元京成電鉄社長の川﨑千春。 父と義兄の東山魁夷に師事。東京美術学校(現東京藝術大学)卒。日展を中心に日本画院展、日本美術協会展などで活躍。 東京美術学校在学中に太平洋戦争が激化し、1945年1月に応召を受け出征(学徒出陣)。香川県三豊郡豊浜町の船舶兵特別幹部候補生隊へ所属中に同年8月の終戦を迎え、父の川﨑小虎や弟の川﨑春彦らが疎開していた山梨県中巨摩郡落合村(現・南アルプス市)へ復員。義兄の東山魁夷も合流し、自然の写生を励んだ。
中根 寛(なかね ひろし、1925年3月26日 - 2018… 中根 寛(なかね ひろし、1925年3月26日 - 2018年1月17日)は、日本の洋画家。繊細で清澄な点描が特徴である。東京芸術大学名誉教授。 愛知県額田郡豊富村夏山(現・岡崎市夏山町)に生まれた。額田郡本宿村(現・岡崎市本宿町)で少年時代を過ごす。1931年(昭和6年)4月、父親が校長を務めていた本宿尋常小学校(現・岡崎市立本宿小学校)に入学。高等科を経て、1937年(昭和12年)に愛知県岡崎中学校(現・愛知県立岡崎高等学校)に入学。中学で東京美術学校(現・東京芸術大学)出身の図画教師の山本鍬太郎と出会い、山本から絵を描くことの楽しさを教えられる。 1939年(昭和14年)、愛知県岡崎師範学校(愛知教育大学の前身)に入学。
加藤 一(かとう はじめ、1925年2月7日 - 2000年… 加藤 一(かとう はじめ、1925年2月7日 - 2000年2月10日)は画家。元競輪選手、元自転車競技選手。競輪選手選手登録番号1690。 東京・神田小川町生まれ。幼い頃から趣味として絵を描き続ける傍ら、生家の自転車を乗り回していた。旧制法政中学校から法政大学経済学部に入学し、自転車競技において活躍する最中に太平洋戦争で召集を受ける。復員後は法大を休学して東京美術学校(現・東京藝術大学)図案科に入学したが数か月で退学し、法大に復学して自転車競技を続けることになった。 大学卒業後から国民体育大会において短距離種目だけでなくロード種目においても優勝を重ねたことからヘルシンキオリンピックの代表候補に内定していた。
稲田 年行(いなだ ねんこう、1925年1月4日 - 201… 稲田 年行(いなだ ねんこう、1925年1月4日 - 2014年2月3日、本名:稻田俊志、いなだ としゆき)は、日本の版画家、浮世絵研究家、郷土玩具収集家、岐阜大学名誉教授、浜松大学教授( - 2000年)。位階は従四位。 東京美術学校卒、同専修科修了。安井曽太郎に師事。日本美術家連盟会員、大学版画協会会員、竹とんぼの会会員。水府森家の末裔で、森鴻次郎の孫。建築家稲田尚之の兄、版画家松田ハルミの夫、哲学者純丘曜彰、版画家稲田醍伊祐の父。憲法学者小林直樹の甥。 この項目は、学者に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(PJ:人物伝/P:教育)。 この項目は、美術家・芸術家に関連した書きかけの項目です。
小泉 淳作(こいずみ じゅんさく、1924年10月26日 -… 小泉 淳作(こいずみ じゅんさく、1924年10月26日 - 2012年1月9日)は、日本の日本画家、陶芸家。特定の美術団体に属さず、画壇とも距離を置いたことから「孤高の画家」と呼ばれた。 神奈川県鎌倉市生まれ。政治家小泉策太郎の七男で、俳優小泉博は弟にあたる。慶應義塾幼稚舎、普通部を経て、慶應義塾大学文学部予科に入学。1943年、慶應義塾大学予科を中退し、東京美術学校日本画科に入学。山本丘人に師事し、1952年同学科を卒業。1944年応召となるが、結核で療養生活に入る。陸軍予備士官学校の経験からか、戦争には強烈な嫌悪感を抱いていた。 その後、デザイナーとして活動し、1954年第18回新制作展に「花火」「床やにて」が初入選。
深沢 幸雄(ふかざわ ゆきお、1924年7月1日 - 201… 深沢 幸雄(ふかざわ ゆきお、1924年7月1日 - 2017年1月2日)は、日本の版画家、銅版画家。多摩美術大学名誉教授。深澤幸雄と表記されることもある。 銅版画の一種であるメゾチントを中心とした作品を制作し、日本における戦後銅版画の第一人者のひとりとされている。版画だけでなく、書(詩)、陶芸、ガラス絵、パステル画の創作も行なっている。 初期には人間の内面や感情の奥底を表現したモノクロの作品が多かったが、やがて壮大で叙事詩的なテーマを取りあげるようになり、鮮烈な色彩といくつもの銅版画技法を用いるようになった。深沢の作品はニューヨーク近代美術館(MoMA)、ボルティモア美術館(英語版)(いずれもアメリカ)、メキシコ国立版画美術館(メキシコ)、ケルン文化会館(ドイツ)、ウフィツィ美術館(イタリア)、チェコ国立近代美術館(チェコ)、山梨県立美術館、南アルプス市立春仙美術館などに所蔵されている。
芥川(間所) 紗織(あくたがわ〈まどころ〉さおり、1924年… 芥川(間所) 紗織(あくたがわ〈まどころ〉さおり、1924年〈大正13年〉5月24日 - 1966年〈昭和41年〉1月31日)は、愛知県渥美郡高師村(現・豊橋市)出身の画家。 1950年代から急逝するまで、当時はほとんどいなかった前衛の女性画家の一人であり、また「染色」という全く独自の技法で道を切り開いた作家である。 「芥川」は芥川也寸志との最初の結婚時の、「間所」は間所幸雄との再婚後の姓で、旧姓は山田である。「芥川紗織」とも「間所紗織」とも呼ばれるが、2つの姓を併記して「芥川(間所)紗織」と書かれることも多い。 旧姓を山田といった。東京音楽学校(現・東京藝術大学)本科声楽部を卒業後、作曲家の芥川也寸志と結婚し、芥川麻実子ら2女をもうけた。
大塚 清六(おおつか せいろく、1923年8月18日 - 1… 大塚 清六(おおつか せいろく、1923年8月18日 - 1974年6月5日)は、日本の画家、イラストレーター、装幀家、グラフィックデザイナー。先駆的なミニマリストとしても知られる。 1950年代から1970年代前半にかけて、小説の挿絵や装幀、油彩画などを手がける一方、商業デザインでも活躍。1962年(昭和37年)からは広瀬鎌二設計の自邸「SH-60」に居住した。 1923年(大正12年)8月18日、福島県喜多方町(現:喜多方市)に生まれる。女手ひとつで育てられ、町立喜多方幼稚園、喜多方小学校を経て、1941年(昭和16年)に喜多方商業学校を卒業する。1943年(昭和18年)、父親の位牌を鉈で割って上京し、東京美術学校に入学。
佐藤 圀夫(さとう くにお、1922年 <大正11年> 8月… 佐藤 圀夫(さとう くにお、1922年 <大正11年> 8月16日 - 2006年 <平成18年> 1月24日)は、日本画家、日本芸術院会員。岩手県出身。日展理事。名古屋芸術大学教授。主に風景を題材とし、重厚な色感ながら情感あふれる作品を描いた。位階は正五位。 岩手県九戸郡野田村出身。1946年東京美術学校日本画科首席卒業、同年第31回院展初入選。1948年に髙山辰雄らの日本画研究団体一采社に参加。1949年日展初入選。1951年から山口蓬春に師事。1954年、第10回日展で「冬」が特選・白寿賞を受賞。1959年第2回新日展「津軽の浜」が特選・白寿賞となり、1962年第5回新日展「夕凪」で菊華賞を受賞。
斎藤 真一(さいとう しんいち、1922年7月6日 - 19… 斎藤 真一(さいとう しんいち、1922年7月6日 - 1994年9月18日)は、岡山県倉敷市出身の洋画家、作家。映画「吉原炎上」の原作者としても知られる。 斎藤真一は1922年(大正11年)、岡山県児島郡味野町(現・倉敷市児島味野)に父・斎藤藤太郎(都山流尺八大師範)、母・益の長男として生まれる。1935年(昭和10年)に岡山県立天城中学校に入学すると、味野から峠を越えて天城中学まで3里半の道のりを5年間、自転車で通学する。2年生で陸上部に入部、秋から県大会に出場し始めるとしばしば入賞し、3年生で県下の駅伝大会にアンカーとして出場し優勝、天城中学の名を高める。その実績を買われて4年次にマラソンに誘われるが、好きな絵を優先させて断念する。
大山 忠作(おおやま ちゅうさく、1922年5月5日 - 2… 大山 忠作(おおやま ちゅうさく、1922年5月5日 - 2009年2月19日)は、日本画家。日展会長。福島県二本松市出身。妻和子。 長男は日本テレビフットボールクラブ(東京ヴェルディ)役員の大山昌作、娘は女優の一色采子。 1943年、学徒出陣の為、東京美術学校(現在の東京芸術大学美術学部)を繰り上げ卒業。埼玉県で特別操縦見習士官3期となり、台湾の航空隊で終戦を迎えた。 1946年、復員し、その年の第2回日展『O先生』が初入選。翌年、高山辰雄らの日本画研究団体「一采社」に参加。山口蓬春に師事した。人物画、宗教的作品、花鳥、風景など高範な題材を得意とする。1961年、日展会員となり、事務局長、理事長などを歴任。
三尾 彰藍(みお しょうらん、1922年 - 2011年)は… 三尾 彰藍(みお しょうらん、1922年 - 2011年)は、埼玉県北足立郡浦和町(現・さいたま市浦和区)出身の日本画家。本名、三尾雄治。浦和画家のひとり。 浦和画家、三尾呉石の二男。1歳の時に関東大震災に被災し、父と共に埼玉県浦和町(のち浦和市)に転居、生涯浦和に居住。東京美術学校卒業。山口蓬春、髙山辰雄に師事した。院展で活躍し、風景画や静物画を得意とした。1979年までは本名(三尾雄治)で発表していた。2013年3月には埼玉県立近代美術館で回顧展が行われた。県展運営委員。
牛玖 健治(うしく けんじ、1922年 - 2012年)は、… 牛玖 健治(うしく けんじ、1922年 - 2012年)は、日本の版画家、洋画家。千葉県出身。 1922年(大正11年)、千葉県に生まれる。旧制佐倉中学校(現在の千葉県立佐倉高等学校)を経て、東京美術学校(現在の東京芸術大学)を卒業。東京版画国際展をはじめ、毎日国際展、毎日現代展、朝日秀作美術展、JAA国際展などで活躍する。河童絵の牛玖博は実弟。
広瀬功(ひろせ こう、1921年9月15日 - 2006年2… 広瀬功(ひろせ こう、1921年9月15日 - 2006年2月16日)は、日本の洋画家。日展を中心に活動し、風景画や静物画で知られた。日本芸術院賞受賞者。 神奈川県に生まれる。1946年に東京美術学校油絵科を卒業し、同年日展に初入選した。1950年に日展特選を受賞し、1963年には日展審査員を務めた。 風景画や静物画を主に手がけ、日展を主な発表の場とした。1982年には日展内閣総理大臣賞を受賞し、1985年には日展出品作「高原の秋」に対して日本芸術院賞を受賞した。翌1986年には小山敬三賞を受賞した。 山岳、高原、湖沼、都市風景などを主題とし、代表作に「妙高高原新雪」などの風景画を残した。
安谷屋 正義(あだにや まさよし、1921年〈大正10年〉8… 安谷屋 正義(あだにや まさよし、1921年〈大正10年〉8月26日 - 1967年〈昭和42年〉7月29日)は、昭和時代に沖縄県で活躍した洋画家。 東京府北豊島郡滝野川町田端(現・東京都北区田端)に生まれる。1929年(昭和4年)に沖縄県に転居し、沖縄県立第二中学校で比嘉景常の指導を受け、西洋画を志す。1940年(昭和15年)、東京美術学校図案科に入学し、在学時に出征するが、1945年(昭和20年)の敗戦で除隊する。その後、大分県日田市の日田漆器に入社するが、米軍占領下の沖縄に戻り、1948年、首里市儀保町(現・那覇市首里儀保町)のニシムイ美術村に住宅兼アトリエを建てて住む。 1949年、第1回沖縄美術展覧会(沖展)が開かれると、名渡山愛順・大嶺政寛ら戦後第一世代の審査内容に反発し、1950年に安次嶺金正・玉那覇正吉らと「五人会」(1954年に「グループとしての活動の意義が終わった」という理由で解散)を結成した。
小栗 潮(おぐり うしお、男性、1921年(大正10年)3月… 小栗 潮(おぐり うしお、男性、1921年(大正10年)3月11日 - 2013年(平成25年)6月20日)は、日本画家。日展参与。 佐賀県西松浦郡有田町出身。1944年(昭和19年)東京美術学校(現東京芸術大学)日本画科卒。同年学徒出陣。1947年(昭和22年)第一作「不忍池」が院展入選。1956年(昭和31年)日展に所属、同年「尾瀬沼畔」入選。翌年、第十三回展において「尾瀬沼」が初の特選を受賞した。1991年、第23回日展にて文部大臣賞を受賞。 山口蓬春、山本丘人らに師事した。2013年6月20日死去、92歳。 この項目は、美術家・芸術家に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(P:美術/PJ:美術)。
稗田 一穂(ひえだ かずほ、1920年8月23日 - 202… 稗田 一穂(ひえだ かずほ、1920年8月23日 - 2021年3月23日)は、日本画家、文化功労者。東京芸術大学名誉教授。女子美術大学大学院客員教授。創画会会員。 和歌山県西牟婁郡田辺町(現・田辺市)生まれ。父はデザイナーの稗田耕一(号・彩花)。その後大阪に転居、9歳から阿倍野橋洋画研究所に通う。1933年、大阪市立工芸学校工芸図案科に入学。卒業後上京、東京美術学校日本画科に入学。1943年、戦時体制のため繰上げ卒業。その後山本丘人に師事。 戦後1948年、丘人、上村松篁らが創造美術を結成し、第1回展より出品、奨励賞受賞。1951年、創造美術と新制作派協会が合併し新制作協会日本画部が発足、会員に推挙される。
駒井 哲郎(こまい てつろう、1920年(大正9年)6月14… 駒井 哲郎(こまい てつろう、1920年(大正9年)6月14日 - 1976年(昭和51年)11月20日)は、昭和期の日本の銅版画家、東京藝術大学教授。 油絵や色彩版画の作品も少数あるが、生涯にわたり一貫してエッチングを制作し、モノクロームの世界で、自己の内面、幻想、夢などを表現し続けた。作風は、パウル・クレーの影響が濃い抽象的・幻想的なもの、樹木や風景を繊細で写実的なタッチで描いたものなどがある。大岡信(詩人、評論家)、安東次男(詩人)ら文学者との交流も多く、安東とのコラボレーションによる詩画集『からんどりえ』(1960年)は、版画と詩を同じ紙に刷った、日本では初の試みと言われている。棟方志功、浜口陽三など、同時代の版画家に比べやや地味な存在ではあるが、日本美術界では長らくマイナーな分野であった銅版画の普及と地位向上に貢献した作家として高く評価されている。
弦田 英太郎(つるた えいたろう、1920年5月1日 - 2… 弦田 英太郎(つるた えいたろう、1920年5月1日 - 2014年9月21日)は日本の洋画家、日展会員、一水会常任委員を務めた。 舞妓や裸婦、バレリーナなどを得意とし、神秘的色香を追求した。 1920年、東京都大森区新井宿(現大田区中央)に生まれる。 東京美術学校(現東京芸術大学)に入学し、油絵科(藤島武二教室)を1942年に卒業する。卒業する年から1949年まで第二次世界大戦のためヨーロッパに戻れずにいたスイス人画家コンラッド・メイリ(Conrad Meili, 1895年-1969年)に師事する。1942年には第6回一水会展で初入選している。また、1949年には有島生馬にも師事している。 1950年に裸婦画「マヤ」で日展の特選となる。
甲斐 文融(かい ぶんゆう、号 : 古璋、大正9年(1920… 甲斐 文融(かい ぶんゆう、号 : 古璋、大正9年(1920年)3月15日 - 1997年12月26日)は、日本の画家、曹洞宗の僧侶(大分県中津市崇禅寺の13世住職)。白日会会員で油彩、日本画、彫刻をよくした。 大正9年、大分県宇佐市清水の清水寺に生まれる。地方画家であった祖父、叔父の絵画を見、また兄の作画する姿に接し、幼少時より絵画に憧憬を抱く。その後、兄から自分の果たせなかった夢を託され、東京美術学校(現東京芸術大学)図画師範科に進学し、小林萬吾、南薫造、伊原宇三郎、石橋犀水、川﨑小虎、矢澤弦月、関野聖雲に学び、1941年に卒業した。 1948年の創元展に「渓流」が初入選。1951年には「石彿」により受賞。
佐藤 昌祐(さとう しょうすけ、1920年3月4日 - 20… 佐藤 昌祐(さとう しょうすけ、1920年3月4日 - 2005年6月30日)は日本の洋画家。大正9年3月4日に山形県酒田市中之口町12番地(現-本町)に生まれる。旧制琢成第一小学校、山形県立酒田中学校、東京美術学校(現・東京藝術大学)を卒業。山形師範学校(現・山形大学地域教育文化学部)助教授となる。山形大学を退職後、東京へ移住。上京後は美術団体展や個展等で作品を発表。昭和34年に同志とともに洋画の公募美術団体「蒼騎会」を創立。1978年には第18回蒼騎会展が文部大臣賞を受賞。練馬区文化事業功労者表彰。
加倉井 和夫(かくらい かずお、1919年9月11日 - 1… 加倉井 和夫(かくらい かずお、1919年9月11日 - 1995年9月24日)は、日本画家。日本芸術院会員。俳人・建築家の加倉井秋を(加倉井昭夫)は兄。 神奈川県横浜市に生まれる。1938年、茨城県立太田中学校(現在の茨城県立太田第一高等学校)卒業。1944年、東京美術学校日本画科卒業。山口蓬春に師事。第8回日展(1952年)から第13回日展(1957年)まで入選を重ねる。1981年、「青苑」で日本芸術院賞受賞。1989年、日本芸術院会員。1990年、日展常務理事。1992年、勲三等瑞宝章受章。1995年春、ニューヨークで「私の映像 - 加倉井和夫展」を開催。 同年9月24日、急性心不全のため横浜市内の病院で死去。
関 主税(せき ちから、1919年1月4日 - 2000年1… 関 主税(せき ちから、1919年1月4日 - 2000年11月1日)は、日本画家、日本芸術院会員。 千葉県出身。1941年東京美術学校卒。戦後日展に出品、1986年日本芸術院賞受賞。1992年日本芸術院会員。1994年勲三等瑞宝章受章。1999年日展理事長。