稲垣 勝巳(いながき かつみ、1948年-)は日本の教育者、… 稲垣 勝巳(いながき かつみ、1948年-)は日本の教育者、学校心理士、臨床催眠実践者、SAM前世療法()の創始者であり、稲垣勝巳メンタルヘルス研究室主宰。日本教育催眠学会理事。日本教育催眠学会研修委員長(稲垣勝巳 2010)。 超心理学におけるサバイバル仮説を裏付ける応答型真性異言発現事例・ラタラジューの事例におけるセラピストである。 幼少の頃より、催眠の施療を行う祖父を見て育つ。岐阜県立岐阜高等学校を卒業後、国立岐阜大学教育学部に進学、教員として岐阜市立加納中学校などに勤務。35歳で、現職のまま上越教育大学大学院に研修派遣され、マズローの研究から、教育催眠の可能性に目覚め、その実践を志す。 教育催眠としての児童生徒を対象とした催眠面接は、教員在職期間中だけで1200名、のべ3000回を超え、児童生徒とその保護者が希望した場合のみ、面接記録を逐一カルテに残す形式で実施。
三輪 實(みわ みのる、1946年(昭和21年)10月 - … 三輪 實(みわ みのる、1946年(昭和21年)10月 - )は、日本の工学者。岐阜大学工学部名誉教授。工学博士(大阪市立大学)。 愛知県海部郡八開村(現・愛西市)生まれ[要出典]。1965年(昭和40年)愛知県立津島高等学校卒業[要出典]。1969年(昭和44年)岐阜大学工学部繊維工学科卒業。1971年(昭和46年)同大学院工学研究科繊維工学専攻修士課程修了。 東洋化学株式会社勤務を経て、1975年(昭和50年)に岐阜大学工学部助手、1988年(昭和63年)に助教授、1995年(平成7年)に教授となった。 2008年(平成20年)、同大学金型創成技術研究センター長。2012年(平成24年)、名誉教授。
福島 弘文(ふくしま ひろふみ、1946年 - )は、日本の… 福島 弘文(ふくしま ひろふみ、1946年 - )は、日本の法医学者。科学警察研究所所長。 福井県出身。1976年岐阜大学医学部大学院博士課程修了(医学博士)。「生体膜脂質の調節機構に関する研究 : 細胞生育温度による脂質構成の変動」。信州大学名誉教授。岐阜大医学部講師を経て1984年に信州大学医学部助教授になり、翌1985年から2007年まで、松本サリン事件(1994年)や長野・愛知4連続強盗殺人事件(2004年)などで973体の司法解剖に携わった。2008年3月末に信州大を退職、同年には警察庁科学警察研究所所長に就任。同月には20年以上にわたって多くの司法解剖に貢献したとして、長野県公安委員会と長野県警察から感謝状を贈呈された。
駒田 格知(こまだ のりとも、1945年5月12日 - 20… 駒田 格知(こまだ のりとも、1945年5月12日 - 2025年10月23日以前)は、日本の魚類学者。医学博士。 1945年、三重県出身。岐阜大学大学院農学研究科(修士課程)を修了し、朝日大学歯学部及び同学大学院歯学研究科助教授を務めた後、名古屋女子大学家政学部及び同学大学院生活学研究科教授に就任。朝日大学に就職後は、当時長良川河口堰の建設や魚類の奇形の発生が社会問題となっていたこともあり、木曽三川でアユの研究を開始した。駒田が研究を開始した1970年代には多くのアユに関する研究が世界中で発表されていたことから、周囲は冷ややかな反応を示したが、アユに形態異常の多い理由を解明した研究がなのことを知り、長期的にその研究に取り組んだ。
土川 健之(つちかわ けんじ、1944年6月28日 - )は… 土川 健之(つちかわ けんじ、1944年6月28日 - )は、日本の獣医師。日本中央競馬会(JRA)理事長(第14代)。
粕渕 辰昭(かすぶち たつあき、1944年 - )は、日本の… 粕渕 辰昭(かすぶち たつあき、1944年 - )は、日本の農学者。学位は、農学博士。農林官僚。山形大学農学部教授を経て、同大学名誉教授。粕渕の専門は土壌物理学で、在官中から「多数回中耕除草」の研究を始め、退官後も自ら水稲ほ場で研究を継続している。これらの研究と実践により、無肥料・無農薬栽培による水稲栽培は可能として、自著『土と地球―土は地球の生命維持装置』にも触れている。 2015~2023年には、岡山県にて自然栽培のコメづくりを普及するNPOより特別栽培顧問として招聘され、木村秋則氏が提唱する自然栽培(水稲)に新たな示唆を与えた。 彼はまた、江戸時代を中心に出版された「農書」を詳しく調査し、江戸時代末には日本各地で「多数回中耕除草」が実施されていたことを発見し、有機栽培農家・自然栽培農家へ紹介。
竹中 登一(たけなか とういち、1941年12月21日 - … 竹中 登一(たけなか とういち、1941年12月21日 - )は、日本の実業家、獣医師、医学博士。アステラス製薬代表取締役社長CEO、同社代表取締役会長、日本製薬団体連合会会長、筑波大学連携大学院基礎医学系客員教授、東京大学大学院薬学系研究科特任教授等を歴任した。旭日重光章、紫綬褒章受章。 愛知県刈谷市生まれ。愛知県立刈谷高等学校を経て、1964年岐阜大学農学部獣医学科卒業、獣医師免許取得、山之内製薬(現アステラス製薬)中央研究所薬理研究員。1980年東邦大学医学博士。2006年岐阜大学名誉博士。 1993年山之内製薬取締役創薬研究本部長。1997年常務取締役創薬研究本部長兼研究開発本部長。1999年専務取締役(経営企画・海外事業担当)。
川島 豪(かわしま つよし[要出典]、1941年5月1日 -… 川島 豪(かわしま つよし[要出典]、1941年5月1日 - 1990年12月9日)は、新左翼活動家。日本共産党(革命左派)神奈川県委員会議長。岐阜県大垣市出身。 癌で死去。1990年12月9日 1960年、岐阜県立大垣北高等学校卒業、岐阜大学入学。60年安保闘争に参加。1962年、東京水産大学に再入学。1964年に大学自治会会長に就任。党派としては社学同マル戦派に属していたが、大学卒業後、社学同ML派議長だった河北三男と「警鐘」グループを結成する。 「警鐘」はやがて毛沢東思想を掲げるようになり、1968年には日本共産党(左派)神奈川県委員会に合流するが、武装闘争に否定的な左派党員とは意見が合わず、河北・川島らは1969年3月に分裂し日本共産党(革命左派)神奈川県委員会を結成する。
鵜飼 武彦(うかい たけひこ、1939年12月21日 - )… 鵜飼 武彦(うかい たけひこ、1939年12月21日 - )は、日本の慈善活動家。男性。 滋賀県甲賀市出身。甲賀忍者甲賀二十一家荘内三家の内の一家鵜飼党本家鵜飼孫六の直系16代目、勝山より7代目、玄達より11代目、鵜飼舎杖より12代目の直系の子孫。生家は代々医家(博天堂医院)を営む。15代鵜飼晃の3男としてに生まれる。滋賀県立膳所高等学校を卒業後、株式会社高島屋に就職。一般社団法人恵水会、株式会社恵水会等を運営し障がい者福祉に尽力している。 高校卒業後、髙島屋に勤務。定年後はユニマットライフ顧問、鵜飼行政法務事務所所長、有限会社ユーアイシー代表取締役、株式会社恵水会取締役社長、特定非営利活動法人あけぼの会理事長、一般社団法人恵水会理事長、特定非営利活動法人健康倶楽部緑の会理事長、株式会社恵水会社長を務める。
岩田 義文(いわた よしふみ、1939年5月4日 - )は、… 岩田 義文(いわた よしふみ、1939年5月4日 - )は、平成期の実業家。前イビデン社長(現会長)。岐阜県揖斐郡谷汲村(現・揖斐川町)出身。
笠木 透(かさぎ とおる、1937年11月2日 - 2014… 笠木 透(かさぎ とおる、1937年11月2日 - 2014年12月22日)は、岐阜県恵那市生まれの日本のフォークシンガー。 1937年11月2日、岐阜県恵那郡岩村町(現・恵那市)に生まれる。岐阜大学卒業後、教員、出版社勤務を経てフリーのフォークシンガーに。1969年から1971年の3回にわたり中津川労音の事務局長として中津川フォークジャンボリーの企画・運営に携わる。 その後、フィールド・フォークを提唱し、テレビ出演などのマスメディアにほとんど頼らない活動を続けて、小さな町や村など全国津々浦々でコンサートを行っていた。1971年、「我夢土下座」(カムトゲザ、COME TOGETHER)を結成。1985年、坂庭省悟、安達元彦、進藤了彦、赤木一孝らと「フォークス」を結成(後に松崎博彦が参加)し、リーダーをつとめる。
栗田 靖(くりた きよし、1937年6月13日 - )は、俳… 栗田 靖(くりた きよし、1937年6月13日 - )は、俳人、俳句研究者。日本大学国際関係学部名誉教授。 満洲・ハイラル生まれ。岐阜大学卒業、立命館大学大学院修了、日本大学大学院博士課程単位取得。東海学園女子短期大学講師、日本大学国際関係学部助教授、教授を経て、2008年より同名誉教授。 実作者としては栗田やすしの俳号を用いる。1958年、「岐大二十才句会」で俳句を始め、1966年「風」に入会、沢木欣一に師事。「風」同人を経て1998年に「伊吹嶺」を創刊・主宰。 著書に『子規と碧梧桐』『山口誓子』『河東碧梧桐の基礎的研究』など多数。句集に『伊吹嶺』『遠方』『霜華』『海光』などがある。2000年『河東碧梧桐の基礎的研究』で第15回俳人協会評論賞、2009年句集『海光』で第49回俳人協会賞受賞。
粟田 哲夫(あわた てつお、1937年 - )は、日本の画家… 粟田 哲夫(あわた てつお、1937年 - )は、日本の画家。岐阜県土岐郡笠原町(現多治見市)出身。岐阜県大垣市のシューニャ美術館を運営し、自らの作品を展示している。 この項目は、美術家・芸術家に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(P:美術/PJ:美術)。 この項目は、まだ閲覧者の調べものの参照としては役立たない、人物に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(P:人物伝/PJ:人物伝)。
竹田津 実(たけたづ みのる、1937年 - )は、日本の随… 竹田津 実(たけたづ みのる、1937年 - )は、日本の随筆家・写真家・獣医師。大分県東国東郡竹田津町出身。大学卒業後、1991年まで獣医師として北海道の家畜診療所に勤務。キタキツネなどの野生動物の観察、撮影、治療、リハビリなどにも取り組む。写真集、随筆、児童書などの多数の著作がある。 幼い頃の夢は動物園の園長になることであった。このことが獣医学を専攻する切っ掛けとなる。大学入学直後に動物園の園長になることが難しいことがわかり、園長になることを諦める。大学時代は、カナダのアルバータ州で獣医をすることを希望していたが断念。大学卒業後は、北海道の知床の野生動物に憧れて、斜里町への就職をもとめたがかなえられず、隣の町である斜里郡小清水町の家畜診療所に獣医師として勤務し、家畜の診療に携わる。
後藤 忠彦(ごとう ただひこ、1935年(昭和10年)12月… 後藤 忠彦(ごとう ただひこ、1935年(昭和10年)12月25日 - )は、日本の教育学者、教育工学専攻。岐阜県出身。岐阜大学教育学部卒。愛知県一宮高等学校教諭、岐阜大学助手を経て、岐阜大学教育学部付属カリキュラム開発研究センター助教授、同教授を歴任。岐阜大学名誉教授。退官後、岐阜女子大学に移り、同女子大学副学長、岐阜女子大学文化情報研究センター長。2019年、瑞宝中綬章受章。 遠隔教育、教育情報システム、地域情報システムの構築などを専門とする。日本教育情報学会理事、日本教育情報学会情報部会代表、日本教育工学会理事などを歴任。
小本 章(こもと あきら、1935年8月14日[要出典] -… 小本 章(こもと あきら、1935年8月14日[要出典] - 2017年)は、日本の画家。本名は小本 昌彰(こもと まさあき)[要出典]。 野外での作品を中心に活動した。景観写真に屋内でのスケッチを組み合わせた作品を制作し、「美術の新しい表現方法の1つ」と評された。 東京府東京市大森区(現・東京都大田区)に生まれる。間もなく母の実家のある岐阜県武儀郡関町(現・関市)に移る。少年期より図画工作を好み、小学校高学年で水彩画コンクールに入賞。中学時代に油絵を学び、祖父所蔵のカメラで写真撮影も始める。[要出典] 1954年、岐阜大学学芸学部美術工芸学科(現・教育学部美術教育講座)に入学し坂井範一に師事。
真鍋 賢二(まなべ けんじ、1935年〈昭和10年〉7月14… 真鍋 賢二(まなべ けんじ、1935年〈昭和10年〉7月14日 - 2024年〈令和6年〉3月2日)は、日本の政治家。自由民主党所属。 環境庁長官(第36代)、参議院議員(4期)、参議院予算委員長、裁判官弾劾裁判所裁判長などを歴任。 香川県三豊郡仁尾町(現 三豊市仁尾町)出身。香川県立観音寺第一高等学校、岐阜大学農学部農学科卒業。 1958年(昭和33年)岐阜大学卒業後、植物病理学を専攻し、学究の道を選択した同年4月、大平正芳衆議院議員と出会い、以後19年間秘書を務めた。1977年(昭和52年)7月に参議院議員に初当選した。 1998年(平成10年)7月、環境庁長官に就任。1993年(平成5年)に名古屋市がゴミ処分場として計画した藤前干潟の埋立てについて、長官在任直後の1998年8月「鳥類・海洋生物保護の立場から反対する」と当時としては異例の表明を行い、2000年(平成12年)の同計画中止のきっかけとなった。
冨長 覚梁(とみなが かくりょう、1934年9月15日 -2… 冨長 覚梁(とみなが かくりょう、1934年9月15日 -2024年4月1日 )は、日本の詩人、浄土真宗僧侶。長願寺住職。 岐阜県養老町生まれ。岐阜大学卒。2002年「そして秘儀そして」で第35回日本詩人クラブ賞受賞。2009年度岐阜県芸術文化顕彰受賞。2023年地域文化功労者。愛情に満ちた心温まる「愛の詩」審査委員長。代々養老町の文人で、曾祖父は冨長覚民、祖父は冨長静丸(覚静、1865-1930)で広瀬淡窓の門に学び県議会議員も務めた。父は冨長蝶如、真宗大谷派長願寺の御住職であり、1956年から3年かけて完結に導いた『梁川星巌全集』編集の功労者にして、岐阜に限らぬ広く東海地方全域の旧世代知識人の師表として仰がれた漢詩人であってみれば。
坂本与市(さかもと よいち、1934年(昭和9年)- )は、… 坂本与市(さかもと よいち、1934年(昭和9年)- )は、日本の昆虫学者。元酪農学園大学短期大学部学長。農学博士。 石川県能登島町(現 七尾市)生まれ。1956年岐阜大学農学部卒。地元の中学校教諭や高等学校教諭を経て、1961年酪農学園大学酪農学部助手。その後、同酪農学部講師。同酪農学部助教授。同酪農学部教授。同学生部長を経て、1989年北海道文理科短期大学学長に就任。1997年学長退任。1999年酪農学園大学定年退職。同名誉教授。 1979年 北海道大学 農学博士 「クローバーゾウムシ類の生態学的研究 」。 この項目は、科学者に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(プロジェクト:人物伝/Portal:自然科学)。
伏屋 修治(ふせや しゅうじ、1930年1月25日 - 20… 伏屋 修治(ふせや しゅうじ、1930年1月25日 - 2014年11月30日)は、日本の政治家。元公明党衆議院議員(5期)。 岐阜県羽島郡出身。1947年4月に、岐阜商業高校を卒業して、小学校の助教諭となった。1951年、岐阜師範学校(現・岐阜大学)卒業後、正教員となった。24年間の教員生活を経て、1974年の参議院選挙に岐阜県選挙区から公明党で立候補するが、4位で落選した。1976年の総選挙で旧岐阜1区から立候補して1位で初当選を果たした。1979年の総選挙で再選を果たした。1980年の総選挙では落選した。1983年の総選挙で返り咲き、以後1993年の総選挙まで合わせて5期務めた。1993年の総選挙には立候補せずに引退した。
都築 利夫(つづき としお、1930年 - )は、日本の農業… 都築 利夫(つづき としお、1930年 - )は、日本の農業経済学者。政治活動家。専門は農業経済学、農業政策。 愛知県常滑市出身。1953年岐阜大学農学部卒業。1961年ドイツ・クリスティアン・アルブレヒト大学キール大学院博士課程修了。1964年酪農学園大学酪農学部農業経済学科助教授。1968年札幌大学経済学部経済学科助教授。1976年第34回衆議院議員総選挙に北海道第5区 (中選挙区)から出馬するも落選。1979年札幌大学を退職し、第35回衆議院議員総選挙に地元の愛知県第2区 (中選挙区)から出馬するも落選。同年、北海学園北見大学商学部商学科教授。1987年北海道広尾郡大樹町の町長選挙に出馬するも落選。
上野 一惠(うえの かずえ、男性、1929年7月24日 - … 上野 一惠(うえの かずえ、男性、1929年7月24日 - 2005年9月16日)は、日本の細菌学者。 岐阜県関市生まれ。岐阜大学医学部附属嫌気性菌実験施設(現岐阜大学科学研究基盤センター嫌気性菌研究分野)初代教授。岐阜大学名誉教授。1950年代後半から、日本において無芽胞嫌気性菌の臨床細菌学的研究を開始し、日本におけるこの分野の基礎および臨床における研究の礎を築いた。
大牧 冨士夫(おおまき ふじお、1928年(昭和3年) - … 大牧 冨士夫(おおまき ふじお、1928年(昭和3年) - 2021年(令和3年)1月15日)は、日本の文学研究者・郷土史研究者・小説家。 1928年(昭和3年)、岐阜県の揖斐川上流、旧徳山村漆原(下開田地区)に生まれ育つ。太平洋戦争末期を新潟県の村松陸軍少年通信兵学校で過ごす。戦後は、岐阜大学卒業後、岐阜市での業界紙記者などを経て、1963年(昭和38年)より故郷の徳山村で教鞭をとる。この間、中野重治に関する論文を『新日本文学』などに発表する。その傍ら、郷土史に興味を寄せ、『徳山村史』の編集執筆などに携わる。1985年(昭和60年)、徳山ダム建設に先立ち、徳山村を離村。1980年に『中野鈴子全詩集』の解題、年譜を書いて編集に加わった。
赤座 憲久(あかざ のりひさ、1927年3月21日 - 20… 赤座 憲久(あかざ のりひさ、1927年3月21日 - 2012年8月31日)は、日本の児童文学者。 岐阜県稲葉郡那加村(現各務原市)生まれ。岐阜師範学校(後の岐阜大学教育学部)卒。 はじめは「短歌人」に入会して短歌を創作。斎藤史に師事し、のちに「原型」に移る。岐阜県内の小学校、岐阜県立岐阜盲学校の教員を経て1971年より大垣女子短期大学教授。 1962年『目のみえぬ子ら』で毎日出版文化賞、1964年『大杉の地蔵』で講談社児童文学新人賞、1988年『雨のにおい星の声』で新美南吉児童文学賞、産経児童出版文化賞、絵本にっぽん大賞、1989年『かかみ野の土』『かかみ野の空』で日本児童文芸家協会賞受賞。
手代木 渉 (てしろぎ わたる; 1925年(大正14… 手代木 渉 (てしろぎ わたる; 1925年(大正14年)5月6日 – 2007年(平成19年)3月7日) は、主に昭和時代の第二次世界大戦後に活躍した発生生物学者で、弘前大学理学部(現、理工学部)教授、学生部長、学部長、学長を歴任した。プラナリア(ウズムシ)の研究で理学博士(東北大学1962年)、後に斯学の国際学会(Turbellarian Biology 1990)を主催した。 1925年(大正14年)5月6日]、福島県耶麻郡豊川村沢部(現、喜多方市豊川町沢部長尾)に生まれる。父の名は藤一(とういち)母の名はマツヨ、四男だった。生家はかつて世襲の肝煎(きもいり)の家系。会津盆地北西部に位置する稲作を主とする農村で自然が豊かな地元の村立豊川小学校(現、喜多方市立豊川小学校)に通学した。
呉 元善(オ・ウォンソン、朝鮮語: 오원선/吳元善、1922… 呉 元善(オ・ウォンソン、朝鮮語: 오원선/吳元善、1922年2月7日または1923年 - 1978年5月31日)は、大韓民国の軍医、海軍軍人(海軍准将)、海兵隊員、政治家。原子力院院長、保健社会部長官、第7代韓国国会議員を歴任した。本貫は海州呉氏。 日本統治時代の忠清北道陰城郡出身。1943年または1944年セブランス医学専門学校(現・延世大学校)卒。1961年または1962年岐阜医科大学で医学博士取得。1949年にセブランス医科大学講師を務めたが、1950年の朝鮮戦争中に大韓民国軍に入隊した。1955年から仁川陸軍病院長、大韓民国海軍医務参謀、海軍本部医務次監、海軍軍医学校校長を経て、5・16軍事クーデターの後の1961年6月から現役の海軍大領として第3代原子力院(現・原子力安全委員会)院長を約2年間務めた。
安藤 三郎(あんどう さぶろう、1922年(大正11年)1月… 安藤 三郎(あんどう さぶろう、1922年(大正11年)1月11日 - 1998年(平成10年)2月1日)は、昭和から平成時代の政治家。岐阜県瑞浪市長。 岐阜県出身。1946年(昭和21年)岐阜農林専門学校卒業。 1946年(昭和21年)土岐郡日吉村農地調査会書記、1963年(昭和38年)瑞浪市総務課長、1975年(昭和50年)総務部長、1977年(昭和52年)収入役、1980年(昭和55年)助役を経て、1987年(昭和62年)7月、瑞浪市長に無投票で当選した。 2期務め、1995年(平成7年)7月に引退した。
片山 滉(かたやま あきら、1922年1月7日 - 1978… 片山 滉(かたやま あきら、1922年1月7日 - 1978年10月7日)は、宮城県仙台市出身の俳優。岐阜大学卒。本名同じ。東映に所属していた。 東映の映画・テレビで脇役中心に活動。 1978年10月4日、自動車で外出した後に消息を絶ち、3日後の10月7日、静岡県賀茂郡南伊豆町の県道下に転落した自動車内で遺体となって発見された。56歳没。 この項目は、まだ閲覧者の調べものの参照としては役立たない、俳優(男優・女優)に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(P:映画/PJ芸能人)。
高橋 百之(たかはし ももゆき、1918年5月20日 - 1… 高橋 百之(たかはし ももゆき、1918年5月20日 - 1985年7月8日)は日本の地理学者。岐阜大学名誉教授。岐阜県本巣郡本巣町(現・本巣市)出身。 1961年に東京教育大学より理学博士号授与。論文の題は「冬季における天気境界帯についての研究」。 1957年岐阜大学助教授、1967年教授。1982年名誉教授となり、東海女子大学教授就任。1985年学長となったが同年に没した。 この項目は、まだ閲覧者の調べものの参照としては役立たない、人物に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(P:人物伝/PJ:人物伝)。
中村 好明(なかむら よしあき、1917年(大正6年)9月2… 中村 好明(なかむら よしあき、1917年(大正6年)9月28日 - 2019年(平成31年)2月[要出典])は、日本の音楽教育者。名前は「こうめい」と通称された。ふしづくりの音楽教育を山本弘、下通進平らと確立した。旧姓・飯島。 1917年、岐阜県大野郡高山町上三之町(現・高山市)に生まれる。東尋常小学校を卒業後、特進で岐阜県師範学校(現・岐阜大学教育学部)に入学。このとき高山から同時に入学したのが山本弘・下通進平だった。 1937年(昭和12年)、岐阜県師範学校を卒業し、音楽教諭となる。高山市立西小学校在勤中、『国民学校音楽教育』(1942年)、『音楽教育基本指導』(1948年)、『基底カリキュラム 音楽編』(1950年)といった音楽教育指導書を執筆し、1954年には『音楽のおけいこ』を上梓する。
福田 治郎(ふくた じろう、1913年10月 - 2005年… 福田 治郎(ふくた じろう、1913年10月 - 2005年6月19日)は、日本の数学者(幾何学)。岐阜大学名誉教授。従四位勲三等旭日中綬章。岐阜県出身。 その他、数学学会誌Mathematicsなどへの投稿多数
福岡 正信(ふくおか まさのぶ、1913年2月2日 - 20… 福岡 正信(ふくおか まさのぶ、1913年2月2日 - 2008年8月16日)は愛媛県出身の農学者。自然農法を提唱した。世界各地で粘土団子による砂漠緑化にも取り組んだ。 愛媛県伊予郡南山崎村(現・伊予市大平)に生まれる。旧制松山中学校、岐阜高等農林学校(現・岐阜大学応用生物科学部)卒。 若い頃は横浜税関の植物検査課に所属していたが、急性肺炎にかかり死に直面すると、「この世には何もない」と悟り、仕事をやめて地元に戻り農業を始めた。「やらなくてもいい」ことを探しながら、自然農法を確立した。 著作『無Ⅲ 自然農法』の口絵の説明では、不耕起(耕さない)、無肥料、無農薬、無除草を四大原則とする自然農法を行うとしているが、著作中には肥料と農薬(除草剤、除虫剤)の使用について記述がある。
松野 友(まつの とも、女性、1912年(明治45年)7月7… 松野 友(まつの とも、女性、1912年(明治45年)7月7日 - 1997年(平成9年)7月21日)は、日本の政治家。元岐阜県本巣郡穂積町(現:瑞穂市)町長。 夫は松野幸泰(元岐阜県議会議員、岐阜県知事、自由民主党衆議院議員、国土庁長官・北海道開発庁長官)。子に元瑞穂市長の松野幸信と元岐阜県議会議員松野幸昭、孫に自民党衆議院議員の棚橋泰文がいる。 1912年(明治45年)7月7日、岐阜県安八郡浅草村(現在の大垣市)で生まれた。1930年(昭和5年)に岐阜県女子師範学校本科第二部を卒業し、数年間小学校教員を務めた。1932年(昭和7年)5月に松野幸泰と結婚した。 夫の幸泰は岐阜県本巣郡穂積村の村会議員となり、太平洋戦争下では翼賛壮年団長を務めた。
岸 武雄(きし たけお、1912年7月6日 - 2002年1… 岸 武雄(きし たけお、1912年7月6日 - 2002年1月21日)は、日本の児童文学作家、教育者。 岐阜県出身。1932年岐阜師範学校卒業。小・中学校教諭を経て岐阜教育大学教授、1986年定年。 58歳から創作を始め、中部地方の歴史的事件をもとに底辺に生きる人びとを描き、1971年「千本松原」で野間児童文芸推奨作品賞。1979年「花ぶさとうげ」で小学館文学賞受賞。「千本松原」は1992年に「せんぼんまつばら 川と生きる少年たち」としてアニメ映画化された。 80歳を過ぎても旺盛な執筆活動を行い、2002年1月21日に死去。享年89。 この項目は、文人(小説家・詩人・歌人・俳人・著作家・作詞家・脚本家・作家・劇作家・放送作家・随筆家/コラムニスト・文芸評論家)に関連した書きかけの項目です。
今井 誉次郎(いまい たかじろう、1906年〈明治39年〉1… 今井 誉次郎(いまい たかじろう、1906年〈明治39年〉1月25日 - 1977年〈昭和52年〉12月16日)は、日本の国語教育者、児童文学作家。 岐阜県出身。岐阜師範学校卒。岐阜県で小学校教師となり、のち上京、雑誌『綴方生活』の編集に携わる。東京で再度教師となり、1950年『農村社会科カリキュラムの実践』で毎日出版文化賞受賞。52年設立された日本作文の会委員長に就任。著作集全6巻がある。
町田 増夫(まちだ ますお、1903年〈明治36年〉12月2… 町田 増夫(まちだ ますお、1903年〈明治36年〉12月26日 - 1994年〈平成6年〉3月7日)は、昭和期の教育者、農業技師、政治家。長野県小諸市長。位階は従五位。 長野県更級郡八幡村(現千曲市)で、町田新治郎、しげ の長男として生まれた。更級農学校(現長野県更級農業高等学校)を経て、旧制岐阜高等農林学校農芸化学科卒業。昭和2年(1927年)埴科郡埴南農蚕学校(現長野県坂城高等学校)教諭となり、飯山高等女学校(のち長野県飯山南高等学校)教諭、旧制飯山中学校(のち長野県飯山北高等学校)教諭、旧制伊那高等女学校(現長野県伊那弥生ヶ丘高等学校)教諭を歴任。 1935年(昭和10年)以後、長野県農林技師、高知県農林技師、新潟県農林技師を務め、1944年(昭和19年)軍需省管理官に転じ、1949年(昭和24年)通商産業省長野事務所長に就任。
阿部 栄之助(あべ えいのすけ、1880年8月1日 - 19… 阿部 栄之助(あべ えいのすけ、1880年8月1日 - 1954年4月26日)は、日本の郷土史研究家である。岐阜県の郷土史研究に従事。岐阜大学学芸学部講師。 長野県小県郡滋野村(現・東御市)に生まれる。長野師範学校在学中、小諸義塾の教師として赴任していた島崎藤村に英語を学ぶ。1908年、東京高等師範学校を卒業。東京高師では三宅米吉に師事。卒業後は、岐阜師範学校教諭となる。以後、岐阜県の歴史研究を志し、1915年「濃飛仏教史綱」(『岐阜県教育会雑誌』(途中から『岐阜県教育』に改題)に連載)を発表し、1923~1924年に『濃飛両国通史』(上下2冊)の大著を刊行。 1922年、岐阜県立恵那中学校(現在の岐阜県立恵那高等学校)が創設されると、初代校長に就任。
平田 盛胤(ひらた もりたね、文久3年8月14日(1863年… 平田 盛胤(ひらた もりたね、文久3年8月14日(1863年9月26日) - 1945年(昭和20年)2月28日)は、日本の神職、国学者、神田神社社司。美濃国(後の岐阜県南部)出身、東京帝国大学(後の東京大学)文学部古典講習科卒業。首府神社界の1人とされる。 父は美濃郡代(美濃国代官)を勤めた旗本戸沢盛恭で、旧名を戸沢盛定と称した。美濃国羽栗郡笠松町生まれ。1886年(明治19年)頃に平田銕胤の長男平田延胤の養子となり、盛胤と改名した。 岐阜県師範学校(後の岐阜大学)卒業後、1880年(明治13年)に上京。1882年(明治15年)9月に創設された帝国大学古典講習科(乙部・国語課)に入学。第一期の同期生に松本愛重、小中村(池辺)義象、萩野由之、関根正直、落合直文らがいる。
矢野 才治郎(やの さいじろう、1858年(安政5年12月)… 矢野 才治郎(やの さいじろう、1858年(安政5年12月) - 1899年(明治32年)5月21日)は、明治時代の政治家。教育者。衆議院議員(1期)。 美濃国大野郡唐栗村(岐阜県本巣郡唐栗村、本巣郡川崎村、巣南村、巣南町を経て現瑞穂市)に生まれる。1873年(明治6年)旧大垣藩儒の野村藤陰の門に入り漢学を修め、1875年(明治8年)岐阜県師範研修学校(岐阜大学教育学部の前身)を経て、小学校教員となる。学務委員を経て、1882年(明治15年)12月、大野・池田郡書記となり、1884年(明治17年)2月、岐阜県会議員に当選。のち県議を辞し、唐栗村外6箇村戸長などを経て再び県議となり同常置委員などを歴任した。
清水 粲蔵(しみず さんぞう、1852年(嘉永5年2月) -… 清水 粲蔵(しみず さんぞう、1852年(嘉永5年2月) - 1895年(明治28年)11月29日)は、明治時代の政治家。教育者。衆議院議員(1期)。 清水金六の子として美濃大垣藩領安八郡上開発村(岐阜県安八郡和合村を経て現大垣市)に生まれ、のち清水又市の養嗣子となる。京都に遊学したのち、吉田秀穀に漢学を学び、大垣藩儒の員野村煥の門に入った。1876年(明治9年)岐阜師範学校を卒業し、同校助教授となる。岐阜伊奈波学校に転じたのち教職を辞し、1880年(明治13年)岐阜県属となった。1882年(明治15年)岐阜県会議員に当選し、同常置委員などを歴任した。 1890年(明治23年)7月の第1回衆議院議員総選挙では岐阜県第2区から出馬し当選。
磯野 日出夫(いその ひでお、生年不明 - 2022年5月2… 磯野 日出夫(いその ひでお、生年不明 - 2022年5月22日)は、日本の医学者・教育者および理事長である。岐阜県立医科大学(現:岐阜大学医学部)卒業。医学に関する論文・著作が多数ある。位階勲等は正四位瑞宝中綬章。
森 信人(もり のぶひと)は、日本の海岸工学者。京都大学防災… 森 信人(もり のぶひと)は、日本の海岸工学者。京都大学防災研究所副所長、横浜国立大学台風科学技術研究センター副センター長、文部科学省技術参与。 岐阜県郡上八幡出身。1987年岐阜県立郡上高等学校卒業。1991年岐阜大学工学部土木工学科卒業。1993年岐阜大学大学院工学研究科修士課程土木工学専攻修了、修士(工学)、日本学術振興会特別研究員。1995年デラウェア大学応用海岸研究センター客員研究員。1996年岐阜大学大学院工学研究科博士後期課程生産開発システム工学専攻修了、博士(工学)、電力中央研究所流体科学部(旧水理部) 主任研究員。2001年テキサスA&M大学土木工学科客員講師。2004年大阪市立大学大学院工学研究科都市系専攻講師。
安藤匡子(あんどう まさこ、Masako ANDOH)は、日… 安藤匡子(あんどう まさこ、Masako ANDOH)は、日本の獣医師、獣医学者。学位は獣医学博士(岐阜大学大学院・2004年)。鹿児島大学 共同獣医学部・准教授。 この項目は、学者に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(PJ:人物伝/P:教育)。
酒向 隆憲(さこう たかのり)は、岐阜県岐阜市在住のテノール… 酒向 隆憲(さこう たかのり)は、岐阜県岐阜市在住のテノールオペラ歌手。東京国際芸術協会演奏家会員、岐阜日伊協会会員。音楽科の教師も勤めている。 岐阜大学教育学部音楽科を卒業。1998年より継続して夏季・冬期の休暇に毎年イタリアに短期留学をし、これまで[いつ?]に24回計短期留学をしている。その際にベルカント唱法を習い、現在[いつ?]はレッスンや質問を受け付けている。 近年[いつ?]は多くコンサートに出演しており、中学校や高等学校の芸術鑑賞会や野外コンサートなど、様々なコンサートを行っている。コンクールでは、 など、優秀な成績を修めている物もあり、その他様々なコンクールに入賞している。
チャン ヨンチョル(張 傛喆)は、応用環境微生物学者。室蘭工… チャン ヨンチョル(張 傛喆)は、応用環境微生物学者。室蘭工業大学工学部教授。専門は環境微生物工学・土壌地下水汚染修復・生分解性プラスチック生産。 低温での難分解性物質の分解に関する研究 張 傛喆,微生物による芳香族化合物の分解と生分解性プラスチックへの転換, 2021 北海道新聞社刊,2014年7月 北海道新聞, 室蘭工業大学ホームページ, 三共出版, St. Petersburg Times誌
三宅 正紀(みやけ まさき)は、日本の薬学者・生物学者・生理… 三宅 正紀(みやけ まさき)は、日本の薬学者・生物学者・生理学者(細菌学・微生物学・感染症学)。博士(医学)(岐阜大学・1998年)。静岡県立大学薬学部講師・大学院薬学研究院講師。 静岡県立大学薬学部助手、コロンビア大学博士研究員などを歴任。 専門は、細菌学・微生物学・感染症学等。分子細胞生物学の見地からのレジオネラ属の細胞内寄生や増殖性に関する研究が知られている。 静岡県立大学、コロンビア大学等で勤務した。 同名の学校法人により設置・運営される東京薬科大学に進学し、薬学部の衛生薬学科にて学んだ。1990年(平成2年)3月、東京薬科大学を卒業した。それにともない、薬学士の称号を取得した。さらに東京薬科大学の薬学部にて専攻生となり、1991年(平成3年)3月に修了した。
森次 保雄(もりつぐ やすお)は、日本の微生物学者・医師。不… 森次 保雄(もりつぐ やすお)は、日本の微生物学者・医師。不活化A型肝炎ワクチンを開発し、国立予防衛生研究所(現国立感染症研究所)副所長を務めた。 国立予防衛生研究所において肝炎などの研究を行い、セアカゴケグモ等対策専門家会議座長(1995年 - 1996年)、中央薬事審議会バイオテクノロジー特別部会副座長(1997年)などを歴任。退官後、日本検疫衛生協会東京診療所長を経て、往診専門で海外渡航前の予防接種を行う森次医院を東京都八王子市に開業している。