松平 莉奈(まつだいら りな、1989年〈平成元年〉 - )… 松平 莉奈(まつだいら りな、1989年〈平成元年〉 - )は日本の画家。「デジタルアーカイブ模写派」の提唱者。2026年現在、京都芸術大学芸術学部美術工芸学科専任講師。日本画家グループ「景聴園」や日本画教室「日本画アトリエ こま」講師としても活動した。京都市芸術新人賞や京都府文化賞奨励賞の受賞者。モチーフの「ひも」には「私たちを縛り、隔てるものを打ち破りたい」という想いがあり、「他者について想像すること」をテーマとする。日本画からの解放を指向し、日本画の手法を活用した人物の具象画を中心に手掛けている。 1989年兵庫県生まれ。中高生の頃に美術に興味を持つ。高校時代に美術教員の影響で伊藤若沖のブームを知り、さらに曾我蕭白などの絵や『美術手帖』2005年5月号の特集「『日本画』ってなんだろう?」に触れる。
石田 翔太(いしだ しょうた、1983年 - )は日本画家。… 石田 翔太(いしだ しょうた、1983年 - )は日本画家。滋賀県出身。 1983年、滋賀県に生まれる。 2007年、日展初入選。 2008年、日春展初入選。 2010年、京都市立芸術大学大学院美術研究科絵画専攻日本画を修了。京都市立芸術大学制作展にて大学院市長賞を受賞。個展「桂川初会」。 2015年、第2回続・京都日本画新展(2018年賞候補)。 2016年、第3回改組新日展にて特選受賞。 2017年、第1回新日春展 新日春賞受賞、第78回応用物理学会秋季学術講演会JSAPフォト&イラストコンテストにて最優秀賞受賞。 2018年、個展「発色/フラクタル/エントロピー」。 2019年、IWGS symposium 国際睡蓮/水生園芸協会シンポジウムやRockship painting展にて作品展示。
樫木 知子(かしき ともこ、1982年 - )は、京都を拠点… 樫木 知子(かしき ともこ、1982年 - )は、京都を拠点に活動している画家。芸術家。孤独な女性の夢のような情景を描いた作品が多いことで知られている。 京都市生まれ。2006年に、油絵で学士(美術)を取得、2008年に修士(美術)、2011年に絵画の博士号をいずれも京都市立芸術大学で取得した。 日本画を学んできた樫木の作品は、シュルレアリスムの作品と比較されることもあるが、その「とろけたような」主題と個性的な技法は、樫木が持つ特徴の一つである。 また、東日本大震災など、日本国内の自然災害による社会の不安からの逃避を視覚的に表現した作品も見られる。 2011年、ニューヨークのジャパン・ソサエティーで開催された"BYE BYE KITTY!!! Between Heaven and Hell in Contemporary Japanese Art"展に、15人の現代日本のアーティストと共に参加した。
押江 千衣子(おしえ ちえこ、1969年6月5日 - )は、… 押江 千衣子(おしえ ちえこ、1969年6月5日 - )は、日本の画家・現代美術家。京都嵯峨芸術大学造形学科芸術学部講師。植物の作品で知られる。オイルパステルを使った油彩である。 1969年、大阪に生まれる。1995年、京都市立芸術大学大学院美術研究科終了。
片岡れいこ(かたおか れいこ、1967年 - )は、日本の版… 片岡れいこ(かたおか れいこ、1967年 - )は、日本の版画家、デザイナー、編集者、映画監督、俳優、占い師である。 1967年(昭和42年)、京都生まれ。クリエイター、版画家(吉原英雄、黒崎彰に師事)、映画監督、俳優、グラフィックデザイナー、編集者、占い師。京都市立芸術大学卒業後、広告代理店、英国留学を経て、アトリエニコラ主宰。日本版画協会準会員。デザインや書籍の執筆や編集を手がける傍ら、幼い頃からの感性を生かして占い師として活動(四柱推命は緒方泰州に師事)、オリジナルタロットを制作。近年、自身でも映画制作にたどり着き、2021年ワンウェイフィルムを立ち上げ、監督として活動中。
清水 豊(しみず ゆたか、1967年 - )は、大阪府出身の… 清水 豊(しみず ゆたか、1967年 - )は、大阪府出身の日本画家。創画会会員。 京都市立芸術大学大学院日本画科修了。大学在学中から創画賞や三渓展優秀賞などを受賞。2007年現在、創画会の会員の中では最年少。趣味はクライミング。 この項目は、美術家・芸術家に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(P:美術/PJ:美術)。
藤井 湧泉(ふじい ゆうせん、1964年 - )は、日本で活… 藤井 湧泉(ふじい ゆうせん、1964年 - )は、日本で活動する中国出身の水墨画家。 1964年に中華人民共和国江蘇省啓東市に生まれる(中国名:黄稚)。1984年に蘇州大学藝術学院を卒業し、1985年に北京服装学院講師に採用される。1992年に京都に来日し、1993年に京都市立芸術大学大学院に研究生として留学する。1994年に日本人女性と結婚する。2012年に哲学者梅原猛より「湧泉」の雅号を授かる(日本名:藤井湧泉)。現在までに、一休寺、西大寺、圓徳院、鹿苑寺(金閣寺)、相国寺、林光院、高台寺などの有名寺院に水墨画作品が収蔵されている。
斉藤 和(さいとう かず、1960年6月18日 - )は、日… 斉藤 和(さいとう かず、1960年6月18日 - )は、日本の画家。(京都市立芸術大学・1987年)。 1960年 京都府久美浜町に生まれる。京都府出身の日本画家である。 1987年 京都市立芸術大学日本画専攻卒業後、前田青邨記念大賞展の奨励賞受賞など多岐にわたり受賞している。 雑誌の取材の中では「最初に見た岩絵具が天然緑青。日本画を始めるきっかけとなった色。宝石よりも綺麗でその力は絶対的」とも語っている。
奥田 輝芳(おくだ きよし、Okuda Kiyoshi、19… 奥田 輝芳(おくだ きよし、Okuda Kiyoshi、1958年 - )は、日本の現代美術画家。京都市立芸術大学大学院美術研究科油画修了。京都芸術大学教授。
浅野 均(あさの ひとし、1955年3月21日 - )は日本… 浅野 均(あさの ひとし、1955年3月21日 - )は日本画家。現在、創画会会員、京都市立芸術大学教授。
清水 信行(しみず のぶゆき、1950年(昭和25年) - … 清水 信行(しみず のぶゆき、1950年(昭和25年) - )は日本の画家。京都府出身。 1950年(昭和25年)、京都府に生まれる。1972年(昭和47年)、日展初入選し、以降4回連続入選。1974年(昭和49年)、京都市立芸術大学日本画科卒業。1976年(昭和51年)、京都市立芸術大学専攻科修了。1984年(昭和59年)、日仏現代美術展出品、第二席、同フランスソワール賞受賞。1985年(昭和60年)、個展(東京セントラル絵画展)。1986年(昭和61年)、東京セントラル美術館日本画大賞展に招待出品。1987年(昭和62年)、京都画壇日本画秀作展選抜出品。2001年(平成13年)、画文集「心の山河 心の森」(芸艸堂)発刊。
大野 俊明(おおの としあき、1948年-)は、日本画家。成… 大野 俊明(おおの としあき、1948年-)は、日本画家。成安造形大学名誉教授(美術領域)。京都日本画家協会会員。滋賀県旧安土町名誉町民。 1948年、京都市に生まれる。1972年より京都二条城二之丸御殿障壁画模写事業に従事。1973年、京都市立芸術大学美術専攻科日本画専攻修了。1987年、山種美術館賞展優秀賞受賞、1993年京都市芸術新人賞受賞。 この項目は、美術家・芸術家に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(P:美術/PJ:美術)。 この項目は、学者に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(PJ:人物伝/P:教育)。
小嶋 悠司(こじま ゆうじ、1944年〈昭和19年〉3月12… 小嶋 悠司(こじま ゆうじ、1944年〈昭和19年〉3月12日 - 2016年6月7日)は京都府出身の日本画家。元京都市立芸術大学名誉教授。 石工であった祖父の影響を受け、幼少期から彫刻に関心を持っていた。また、実家から近距離にあった東寺(主に境内)を遊び場としており、そこで平安時代の密教美術を嗜んでいた。 中学・高校在学中にパブロ・ピカソや須田国太郎を知ったという。 京都市立美術大学(現京都市立芸術大学)に入学し、秋野不矩や石本正に学んだ。1969年に専攻科を修了した。在学中に「花鳥画は保守的」と判断し、人物画を描くことを決意した。また、同時期の1967年9月に第32回新制作協会展で新作家賞を受章している。
木村 英輝(きむら ひでき、1942年 - )は、大阪府泉大… 木村 英輝(きむら ひでき、1942年 - )は、大阪府泉大津市出身の画家。元音楽プロデューサー。京都市立美術大学(現:京都市立芸術大学)卒業。 大学卒業後、ロック音楽プロデューサーとなる。1970年代後半から1980年代は、広告やポスターのデザインも含めたコンセプチュアルデザイナーとして活躍する。60歳から画家になることを宣言した。 大阪府泉大津市に生まれる。1965年(昭和40年) 京都市立美術大学(現:京都市立芸術大学)工芸科デザイン専攻卒業。非常勤講師として大学に残る。その後、ロックプロデューサー・コンセプチュアルデザイナーとして活躍する。 2001年(平成13年) 画家宣言。 この項目は、美術家・芸術家に関連した書きかけの項目です。
三橋 節子(みつはし せつこ、1939年3月3日 - 197… 三橋 節子(みつはし せつこ、1939年3月3日 - 1975年2月24日)は大阪府に生まれ、京都府京都市で育った画家。京都市立美術大学(現 京都市立芸術大学)美術学部出身。夫は日本画家の鈴木靖将。長男は元バドミントン選手の鈴木草麻生。姪はチェンバロ奏者の三橋桜子。 1973年に利き手の右手を鎖骨の癌により手術で切断。その後は左手で創作を続けたが、35歳で癌の転移により他界した。 晩年には地元近江の昔話を基にした作品を多く手がけた。 没後50年を迎えた2025年(令和7年)、三橋節子をしのぶ展覧会「没後50年 三橋節子回顧展 野草から家族への想いを描いて」が、1月7日から5月25日まで大津市の三橋節子美術館で開催された。
佐々木 壮六(ささき そうろく、1936年11月21日 - … 佐々木 壮六(ささき そうろく、1936年11月21日 - 2000年2月13日)は日本の画家、洋画家。油彩で静物画や欧州の古都の風景などを、温かく柔らかな作風で描き出すことに特徴。本名は佐々木弘安。 1936年(昭和11年)大阪府に生まれる。大阪明星学園と京都市立美術大学を卒業し、大石七凰に師事。関西地方で活動して出品を重ねた。主な受賞歴はシェル美術展で一等など。その後は居を神奈川県藤沢市に移し活動を続けた。 1977年(昭和52年)ユーゴスラビア国際美術展選抜出品、1983年(昭和58年)第1回上野の森美術館絵画大賞展特別優秀賞、1991年(平成3年)サロン・ドートンヌに出品、1993年(平成5年)雪梁舎美術館フィレンツェ賞展顧問。
岩倉 壽(いわくら ひさし、1936年6月30日 - 201… 岩倉 壽(いわくら ひさし、1936年6月30日 - 2018年10月11日)は、日本画家。元日本藝術院会員。元日展常務理事。京都市立芸術大学名誉教授。 香川県三豊郡山本町(現 三豊市山本町)出身。香川県立観音寺第一高等学校、京都市立美術大学(現 京都市立芸術大学)日本画科卒業。同大学専攻科修了。 風景や花鳥などの題材を淡い色彩で描く。京都市立美術大学在学中に日展への初入選を果たす。1959年(昭和34年)同大学卒業後、晨鳥社に入り、山口華楊に師事。日展を中心に活躍する一方、大学に残り、後進の指導に当たってきた。1961年(昭和36年)同大学専攻科修了。1962年(昭和37年)同大学教授に就任。
木村 光佑(きむら こうすけ、1936年5月24日 - )は… 木村 光佑(きむら こうすけ、1936年5月24日 - )は 日本の版画家・彫刻家・作家・画家。京都工芸繊維大学名誉教授(第9代学長)。 大阪府大阪市生まれ。日本経済の高度成長と同時に美術の大衆化が顕著となる中、木村光佑は30歳を超えた1968年に作家としてデビューを果たした。シルクスクリーンや写真製版をはじめ多様な製版・印刷の最新技術を駆使し、現在社会の虚像と実像入り交じる様々なイメージを重ね合わせることで、情報過剰な同時代人の視覚的経験を作品化し、デビューと同時に「時代の申し子」として立て続けに国際コンクールでの受賞を重ねていく。一方で、自由な版表現への挑戦は、当時の日本版画界においては異色であり、版画の範疇や概念に対する議論を巻き起こした。
上村 淳之(うえむら あつし、1933年〈昭和8年〉4月12… 上村 淳之(うえむら あつし、1933年〈昭和8年〉4月12日 - 2024年〈令和6年〉11月1日)は、日本の日本画家。特に花鳥画を能くした。本名は上村 淳(読み同じ)。位階は従三位。画業で日本芸術院会員に選ばれ、文化勲章を受章したほか、大学で美術教育にも努め、京都市立芸術大学教授(のちに名誉教授)、京都市立美術大学教授・副学長を務めた。愛鳥家であり、作画の参考を兼ねて自宅で数百種類の鳥を飼っていた。日本鳥類保護連盟奈良研究所所長。 美人画の巨匠である上村松園(しょうえん)を祖母に、花鳥画の名手上村松篁(しょうこう)を父とする画家の家系で京都市に生まれ、自らは晩年にかけて奈良市に暮らした。 京都市に生まれ、京都小学校特別科学学級での同級に伊丹十三がいた。
浜田泰介(はまだたいすけ、1932年〈昭和7年〉3月28日 … 浜田泰介(はまだたいすけ、1932年〈昭和7年〉3月28日 - )は愛媛県宇和島市出身の画家。 1985年(昭和60年) ART GRAPH 9月号に巻頭特集
吉原 英雄(よしはら ひでお、1931年(昭和6年)1月3日… 吉原 英雄(よしはら ひでお、1931年(昭和6年)1月3日 - 2007年(平成19年)1月13日)は、日本の画家、版画家。 広島県因島市出身。大阪府立天王寺高等学校卒業。京都市立芸術大学名誉教授。2007年に膵臓癌のため死去。 初期にはリトグラフの制作を行なうが、後にリトグラフと銅版を併用した。女性や静物などをモチーフとし、臨場感のある虚構空間を描き出すことで知られる。作品は現代人の不安や心理的真空感を反映したものと評される。
山岸 純(やまぎし じゅん、1930年 <昭和5年> 9月1… 山岸 純(やまぎし じゅん、1930年 <昭和5年> 9月14日 - 2000年 <平成12年> 12月17日)は、日本画家、日本芸術院会員。位階は正四位。 京都市生まれ。1953年京都市立美術大学日本画科卒。1955年同研究科修了、徳岡神泉に師事。1955年日展初入選。1961年日展特選・白寿賞。1966年日展菊花賞。1974年京都市立美術大学助教授、日展評議員。1975年日展文部大臣賞、京都市立芸術大学教授。1990年京都府文化賞功労賞受賞。1992年日本芸術院賞受賞。1993年日展理事。1996年京都市立芸術大学を退職、名誉教授、京都市文化功労者。1997年名古屋芸術大学教授。1999年日本芸術院会員。
野々内 良樹(ののうち よしき、1930年 - 2009年)… 野々内 良樹(ののうち よしき、1930年 - 2009年)は、京都府出身の日本画家。日展会員。 父親は、日本画家の野々内保太郎。 この項目は、日本の文化に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(ポータル 日本・ウィキプロジェクト 日本文化)。 この項目は、美術家・芸術家に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(P:美術/PJ:美術)。
大政 穗積(おおまさ ほづみ、1929年6月12日 - 20… 大政 穗積(おおまさ ほづみ、1929年6月12日 - 2007年9月19日)は、日展会友として京都、奈良、愛媛県の神社仏閣、鎧、風景等を画き続けた京都市在住の日本画家である。特に人物画は妻と幼子を描いた1点のみであり、今も大政邸に保管されている。 1929年愛媛県松山市に生れる。小野竹喬に師事し、1952年京都市立美術大学(現:京都市立芸術大学)日本画科を経て制作活動を続ける。1959年京展 市長賞受賞を受賞し、福田平八郎に認められる。翌年以降は1960年京展 NHK賞受賞、1961年京展 紅賞受賞、1962年朝日新人展 招待出品をし、1963年に日展初入選する。以降入選回数25回。また、同年からの3年間の第1回京都秀作展、第2回京都秀作展、第3回京都秀作展推薦出品をする。
梵天 太郎(初代 梵天)(ぼんてん たろう、1929年1月5… 梵天 太郎(初代 梵天)(ぼんてん たろう、1929年1月5日 - 2008年6月30日)は、日本の刺青師、画家、劇画家、デザイナー、漫画家。 凡天 太郎と表記する場合もある。少女漫画を描く時は石井 きよみ(いしい きよみ、まれに清美とも表記)のペンネームを使用。刺青師としては彫清(ほりきよ)を名乗った時期もある。本名は田中 清美(たなか きよみ)。 「刺青=極道者」というマイナスイメージを払拭し、絵で肌を飾るという「最も原始的なファッション」としての刺青を世に認知させるために尽力した。刺青のファッション性を向上させるために、刺青を「肌絵」「スキン・イラストレーション」と呼び、刑罰としての「入れ墨」と、装飾としての「刺青・文身」の歴史的区別を説いた。
麻田 鷹司(あさだ たかし、1928年(昭和3年)8月8日 … 麻田 鷹司(あさだ たかし、1928年(昭和3年)8月8日 - 1987年(昭和62年)7月1日)は、昭和時代の日本画家。父は日本画家の麻田辨自、弟は洋画家の麻田浩。義弟は、国文学者・万葉学者の佐竹昭広、本名は麻田 昂(読み同じ)。風景画を描き、晩年には出身地の京都を主に描く。
堂本 尚郎(どうもと ひさお、1928年〈昭和3年〉3月2日… 堂本 尚郎(どうもと ひさお、1928年〈昭和3年〉3月2日 - 2013年〈平成25年〉10月4日)は、京都市出身の洋画家、文化功労者。東京都在住。 日本画家・堂本印象の甥。父は堂本四郎。妻は洋画家の洋画家の毛利眞美。 この項目は、美術家・芸術家に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(P:美術/PJ:美術)。
不動 茂弥(ふどう しげや、1928年1月11日 - 201… 不動 茂弥(ふどう しげや、1928年1月11日 - 2016年12月15日)は、戦後活躍した日本画家である。 1928年1月11日兵庫県三原郡賀集福井(現・南あわじ市)に生まれ、京都市で育つ。1944年京都市立絵画専門学校(45年に京都市立美術専門学校と改称。現・京都市立芸術大学)入学。戦中、東京近辺の陸軍の諸学校へ教材用掛図の作成に学生の勤労動員として派遣される。戦後1947年学内で行なわれた作品展への出品をきっかけに、同校の三上誠や山崎隆、星野眞吾らと親交を深める。1948年同校日本画科を卒業。 同1948年3月同校卒業生の日本画家・洋画家・陶芸家によってパンリアルを結成。翌1949年陶芸家たちの脱退に伴い、日本画家たちによってパンリアル美術協会を結成。
真野 岩夫(まの いわお、1927年(昭和2年)11月28日… 真野 岩夫(まの いわお、1927年(昭和2年)11月28日 - 2014年5月27日)は日本の画家。京都市立芸術大学名誉教授、国画会会員。抽象絵画を得意とした。正四位。 京都府出身、京都市立美術大学卒業。1953年より京都市立芸術大学で教鞭をとり1988年(昭和63年)から1992年(平成4年)までの4年間、大学院美術研究科長を務めロイヤル・カレッジ・オブ・アートとの間の交流協定締結に力を尽くした。1993年(平成5年)3月に退職。同年4月から同大名誉教授。2007年(平成19年)に瑞宝中綬章を受章した。 2009年(平成21年)、京都市在住の長男より滋賀県長浜市に抽象画14点が寄贈された。 この項目は、美術家・芸術家に関連した書きかけの項目です。
岩澤 重夫(いわさわ しげお、1927年 <昭和2年> 11… 岩澤 重夫(いわさわ しげお、1927年 <昭和2年> 11月25日 - 2009年 <平成21年> 11月7日)は、日本の画家、日本芸術院会員、文化功労者。位階は正四位。旭日重光章。 大分県日田市出身。京都府京都市に在住していた。大分県立日田中学校、京都市立美術専門学校卒。 1927年に現在の大分県日田市豆田町に生まれる。幼少の頃は、学校に行く前に魚釣りのに行くほど川が大好きな少年だった。晩年水辺に緑の山や季節の花を描いた小品を制作したが、それは全て魚釣りをするときの視点に基づいている。14歳の時に真珠湾攻撃が勃発、父親の勧めで17歳にして自ら入隊を志願。終戦までの1年5ヶ月の間に滋賀県で訓練を受けた後、盛岡、福生、万世、横田と日本各地を転々と移動。
加山 又造(かやま またぞう、1927年9月24日 - 20… 加山 又造(かやま またぞう、1927年9月24日 - 2004年4月6日)は、日本画家、版画家である。京都府京都市上京区相国寺東門前町生まれ。 祖父・田辺玉田は北陸若狭の出身で、京都で活動の後、旅をしながら各地の風景を描いていく「旅の絵師」となり、旅先の一つ、広島県で結婚し、父・田辺勝也も広島で生まれた。祖父は広島を中心に中国地方で画家として活躍し、作品が二点広島県立美術館に収蔵されている。父は幼少期を広島で過ごした後に父(又造の祖父)と共に京都に移り住み加山勝也と改名。西陣織の図案家(デザイナー)となり、1927年、又造は京都で生まれた。 京都市立美術工芸学校(現 京都市立銅駝美術工芸高等学校ならびに京都市立芸術大学)、東京美術学校(現 東京芸術大学)を卒業。
田中 進(たなか すすむ、1927年 - 2014年)は、戦… 田中 進(たなか すすむ、1927年 - 2014年)は、戦後期に前衛美術集団「パンリアル美術協会」及び「具体」に参加し活動した日本画家である。別名・田中竜児。 1927年兵庫県加古郡二見町(現・明石市)に生まれる。1944年京都市立絵画専門学校(絵専、現・京都市立芸術大学)に入学し、日本画を学ぶ。1948年三上誠ら絵専出身の日本画家たちを中心とした前衛美術グループ「パンリアル」及び「パンリアル美術協会」の結成に参加、1951年退会。1952年京都市立美術大学(絵専の後身)日本画研究科修了。在学中から兵庫県日本画家連盟に出品。1962年新美術協会会員となる。同年第5回現代日本美術展の日本画公募部門においてコンクール賞受賞、第15回芦屋市展で教育委員会賞受賞。
野村 耕(のむら こう、1927年 - 1991年1月4日)… 野村 耕(のむら こう、1927年 - 1991年1月4日)は、戦後活動した日本画家である。 1927年京都府京都市に生まれる。本名・耕二郎。1943年12月京都市立美術工芸学校(現・京都市立芸術大学)絵画科を繰り上げ卒業、1948年後身の京都市立美術専門学校日本画科を卒業。1950年同校の同級生である星野眞吾や不動茂弥が結成したパンリアル美術協会に参加。第4回展以降、1965年に退会するまで出品を続けた。その後は毎年開催される個展と、1978年から参加した、関西の現代美術家達が集まる「Ge展」で作品を発表した。1989年京都市美術館で初期からの作品を網羅した「京都の美術昨日・きょう・明日Ⅲ―野村耕」展が開催され、その二年後の1991年京都で死去。
池田 道夫(いけだ みちお、1925年12月5日 - 202… 池田 道夫(いけだ みちお、1925年12月5日 - 2022年9月1日)は、京都府出身の日本画家。日本美術展覧会(日展)の評議員。父は文化勲章受章者の日本画家・池田遙邨。長男は日展会員(洋画)の池田良則。 京都府出身。京都市立絵画専門学校(現・京都市立芸術大学)卒業。日展を中心に活動した。岡山大学非常勤講師も務めた。 父・遙邨が主宰した日本画画塾・青塔社を没後に引き継ぎ、主幹として後進の指導にあたった。 2022年9月1日、老衰のため京都市左京区の自宅で死去、96歳。
白髪 一雄(しらが かずお、1924年8月12日 - 200… 白髪 一雄(しらが かずお、1924年8月12日 - 2008年4月8日)は、日本の抽象画家。
下村 良之介(しもむら りょうのすけ、1923年10月15日… 下村 良之介(しもむら りょうのすけ、1923年10月15日 - 1998年12月30日)は、戦後に活躍した日本画家である。本名・良之助。 1923年(大正12年)10月15日大阪市に生まれる。1935年(昭和5年)12歳の時に京都府に移る。1943年(昭和18年)京都市立絵画専門学校日本画科を学徒動員のため繰上げ卒業。 1949年(昭和24年)パンリアル美術協会の結成に参加。戦後の日本画界にあって革新運動を展開した同協会第1回展から出品を続け、やがて指導者的役割を果たし、旺盛な活動を展開、最晩年まで協会とともに歩んだ。「反骨の画人」とも称されているその貴重な足跡は、「日本画」という伝統的なジャンルにとどまりながら開拓精神に貫かれている。
星野 眞吾(ほしの しんご、1923年〈大正12年〉8月15… 星野 眞吾(ほしの しんご、1923年〈大正12年〉8月15日 - 1997年〈平成9年〉12月29日)は、昭和期から平成期にかけて活動した日本の画家である。妻は、同じく画家の高畑郁子(創画会会員)。 愛知県豊橋市魚町に生まれ、同県豊川市牛久保町で育った。豊橋第二中学校(現・豊橋東高等学校)在学中から、水彩画・油彩画を描くようになった。また、この時期に中村正義と出会った。 1944年(昭和19年)に京都市立絵画専門学校(現・京都市立芸術大学)図案科を、1948年(昭和23年)に京都市立美術専門学校(現・京都市立芸術大学)日本画科を卒業。同窓生11人と「グループ・パンリアル」(翌年、「パンリアル美術協会」に改称)の設立に参画した。
堂本 元次(どうもと もとつぐ、1923年〈大正12年〉4月… 堂本 元次(どうもと もとつぐ、1923年〈大正12年〉4月9日 - 2010年〈平成22年〉1月4日)は、京都市出身の日本画家。本名は塩谷 元次。 日本画家堂本印象の長兄、堂本寒星の養子。 この項目は、美術家・芸術家に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(P:美術/PJ:美術)。
藤井 千秋(ふじい ちあき、1923年〈大正12年〉 - 1… 藤井 千秋(ふじい ちあき、1923年〈大正12年〉 - 1985年〈昭和60年〉5月5日)は、岐阜県出身の画家、イラストレーター。美少女を描いた抒情画で知られる。 1923年(大正12年)岐阜県に生まれる。1941年(昭和16年)京都絵画専門学校へ入学する。1943年(昭和18年)には学徒出陣で入隊する。軍隊生活中に脚を痛め陸軍病院に入院、招集解除となり海軍省用達の漫画映画の背景を一年描きながら、絵画専門学校を卒業した。 戦後、駐留米軍人の勧めで京都の有名な画商の元に少女の絵を数点持ち込んだところすぐに売れ、このときに絵を買った客の一人に大翠書院の社長がおり、本の表紙や挿絵の依頼が来るようになる。
赤松 燎(あかまつ りょう、1922年9月9日 - 1996… 赤松 燎(あかまつ りょう、1922年9月9日 - 1996年5月31日)は、昭和・平成期の日本画家。 1922年9月9日、岡山県倉敷市に生まれる。 1947年に京都市立絵画専門学校(現京都市立芸術大学)に入学。卒業後、晨鳥社に入塾し山口華楊に師事する。その後、京都を拠点に作家活動に専念する。土地柄もあってか、舞妓を描いた作品や陶工を描いた作品を残す。 1956年に日本美術展覧会に初入選し以後、生涯で日本美術展覧会に25回の入選をしている。1978年4月に自身のもと京都の伝統産業に携わるものが中心となり燎友会を結成。赤松燎本人の死亡後も燎友会は存在している。 1996年5月、圓徳院の襖絵「白龍の図」を制作中に逝去。
大野 俶嵩(おおの ひでたか、1922年(大正11年)1月2… 大野 俶嵩(おおの ひでたか、1922年(大正11年)1月20日 - 2002年(平成14年)9月5日)は、昭和・平成期の日本画家であり、京都市立芸術大学名誉教授である。 京都府京都市生まれ。本名は大野 秀隆。 須田国太郎の指導を受けた1941年(昭和16年)京都市立美術工芸学校日本画科を終えると、京都市立絵画専専門学校日本画科(現・京都市立芸術大学)を1943年(昭和18年)に卒業。 1948年には星野眞吾の推薦を受けパンリアル美術協会に参加し、下村良之介らと翌1949年に「パンリアル宣言」を発表、パンリアル美術協会を公に結成する。同年、第1回展を開催し、1958年(昭和33年)まで同展に出品。
堂本 阿岐羅(どうもと あきら、1922年〈大正11年〉 -… 堂本 阿岐羅(どうもと あきら、1922年〈大正11年〉 - 2008年〈平成20年〉12月12日)は、京都市出身の日本画家。本名は堂本 亮。 日本画家堂本印象の次兄、堂本漆軒の子。 この項目は、美術家・芸術家に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(P:美術/PJ:美術)。
石本 正(いしもと しょう(本名読み:ただし)、1920年7… 石本 正(いしもと しょう(本名読み:ただし)、1920年7月3日 - 2015年9月26日)は、日本画家。創画会会員、京都市立芸術大学名誉教授、京都造形芸術大学教授。 島根県那賀郡岡見村(現浜田市三隅町)出身。島根県立浜田中学(現:島根県立浜田高等学校)卒業。京都市立絵画専門学校(現:京都市立芸術大学)に入学したが在学中に徴兵され中国に渡る。復員後、人物や風景を描く。1944年(昭和19年)9月、京都市立絵画専門学校(現:京都市立芸術大学)日本画科卒業。1947年(昭和22年)第3回日展で「三人の少女」が初入選。1950年(昭和25年)より創造美術、新制作展に出品し、1951年(昭和26年)「旅へのいざない」など四度新作家賞を受賞。
三上 誠(みかみ まこと、1919年8月8日 - 1972年… 三上 誠(みかみ まこと、1919年8月8日 - 1972年1月16日)は、昭和戦後期に活躍した日本画家である。 1919年大阪市に生まれ、福井市で育つ。旧姓・嶋田。1940年東京美術学校 (旧制)油画科受験に失敗し、京都市立絵画専門学校(絵専、現・京都市立芸術大学)日本画科予科に入学。1944年絵専本科を卒業し、同校副手となる。 1948年の日本画家・洋画家・陶芸家から成るパンリアルを経て、翌1949年日本画家達によってパンリアル美術協会を結成。"パンリアル"という名称を発案し、パンリアル美術協会結成時には宣言文の草稿を執筆した。1951年同協会会長に就任し、中心的役割を果たす。 1952年肺結核のため京都病院に入院。
小野 春男(おの はるお、1917年 - 1943年12月2… 小野 春男(おの はるお、1917年 - 1943年12月2日)は、京都市出身の日本画家。日本画家小野竹喬の長男。 この項目は、美術家・芸術家に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(P:美術/PJ:美術)。
山崎 隆(やまざき たかし、1916年1月2日 - 2004… 山崎 隆(やまざき たかし、1916年1月2日 - 2004年3月31日)は、昭和戦中戦後に活躍した前衛の日本画家である。 1916年1月2日京都市に生まれる。1933年京都市立絵画専門学校(絵専、現・京都市立芸術大学)に入学、梥本一洋に師事した。在学中に革新的な若手日本画家たちによって結成された新日本画研究会に参加。1936年同校卒業後、研究科に進学。翌1937年日華事変に応召するが、翌年中国北部で負傷し召集解除。 1938年歴程美術協会第1回試作展に《象》を出品。同展に出品された山岡良文《シュパンヌンク》と並び、それまでの日本画にまったく見られない「純粋抽象」表現として記録される。翌年同協会の会員となり、1942年第8回展まで出品を続けた。
川面 稜一(かわも りょういち、1914年 - 2005年1… 川面 稜一(かわも りょういち、1914年 - 2005年1月9日)は、日本の日本画家、文化財修復技術者。古建築の彩色復原や障壁画・壁画の模写に従事し、建造物彩色の選定保存技術保持者として知られる。また、都をどりの舞台背景画制作にも長年携わった。 川面は、戦前から法隆寺金堂壁画模写事業に参加し、戦後は寺社建築の彩色復原、壁画・障壁画の現状模写・復原模写などに従事した。とくに、建築部材に残る彩色痕跡を調査したうえで修理・復原彩色を施す建造物彩色の分野で重要な役割を果たした。1997年には文部大臣から建造物彩色の選定保存技術保持者に認定された。 大阪市に生まれる。1934年、京都市立絵画専門学校を卒業した。
加藤美代三(かとう みよぞう、1912年1月25日 - 20… 加藤美代三(かとう みよぞう、1912年1月25日 - 2012年5月10日)は、日本画家。兵庫県豊岡市生まれ。京都市立絵画専門学校(現京都市立芸術大学)卒業。中村大三郎に師事。日展に出品を続ける現役最高齢の日本画家として有名。朴土グループメンバー。 この項目は、美術家・芸術家に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(P:美術/PJ:美術)。
山岡 良文(やまおか りょうぶん、1911年 - 1970年… 山岡 良文(やまおか りょうぶん、1911年 - 1970年11月17日)は、昭和戦中戦後に活躍した前衛の日本画家である。 東京に生まれる。1931年京都市立絵画専門学校(絵専、現・京都市立芸術大学)に入学。石崎光瑤の指導を受け、翌年退学。帰郷して川端龍子に師事し、青龍社展に出品した《ガソリン風景》が初入選。1934年福田豊四郎、吉岡堅二らと新日本画研究会を結成。1938年第2回自由美術家協会展にも出品し会友となる。 同1938年岩橋英遠、田口壮、船田玉樹らと歴程美術協会を結成。 また、翌年に発行された機関誌『歴程美術』の編集兼発行人となる。第1回歴程美術協会展に出品した《シュパンヌンク》は、それまでの「日本画」にまったく見られない「純粋抽象(非対象)」表現として知られる。
阿部 合成(あべ ごうせい / まさなり、1910年(明治4… 阿部 合成(あべ ごうせい / まさなり、1910年(明治43年)9月14日 - 1972年(昭和47年)6月18日)は、昭和に活躍した洋画家。 青森県南津軽郡浪岡村(現在の青森市浪岡)に、父阿部政太郎、母由みの5男6女の末っ子として生まれる。阿部家は北畠顕家の末裔と言われ、代々浪岡八幡宮の宮司をしていた。合成の名は、同年の韓国併合に因んでいるが、後年合成はこの名を嫌ったという。父は当時衆議院議員だったが、1917年(大正6年)青森市長に就任したことで、一家は青森に移転。4月青森市橋本尋常小学校に入学。1922年(大正11年)1月に母を亡くし、墓前で一人泣きじゃくったという。翌年、青森県立青森中学校(現在の青森県立青森高等学校)に入学。