牧本 幹男(まきもと みきお、1941年〈昭和16年〉7月3… 牧本 幹男(まきもと みきお、1941年〈昭和16年〉7月3日 - )は、日本の政治家。第10代福山市長(2期)。 広島県福山市に生まれる。牧本利夫の長男。1960年 (昭和35年) に広島大学附属福山高等学校、1964年(昭和39年)に同志社大学商学部を卒業、琴の生産で知られる牧本楽器株式会社に入社。1974年(昭和49年)、同社専務に就任。 1983年(昭和58年)8月21日に行われた福山市長選挙に、日本鋼管福山製鉄所の全面的な支持を受けて立候補。現職市長の中川弘、元市長の立石定夫、日本共産党公認の新人らを相手に戦い初当選した。市長選の前年12月、土木行政をめぐる汚職事件で助役の土屋陽光が逮捕されており、中川は1期で退くこととなった。
田端 正広(たばた まさひろ、1940年〈昭和15年〉1月4… 田端 正広(たばた まさひろ、1940年〈昭和15年〉1月4日 - 2025年〈令和7年〉1月5日)は、日本の政治家。元衆議院議員(5期)。 和歌山県和歌山市生まれ。大阪府立三国丘高等学校、同志社大学経済学部卒業後、公明新聞に入社。1986年の第14回参議院議員通常選挙では比例区から公明党名簿第14位に登載され立候補したが、この時には落選している。 1993年の第40回衆議院議員総選挙で公明党の公認候補として旧大阪1区(定数3)から立候補し、同区でトップ当選。小選挙区比例代表並立制が導入された1996年の第41回衆議院議員総選挙以降は大阪3区から新進党公認で立候補し、2期連続当選を果たした。その後は新進党の解党により新党平和を経て、再結成された公明党と所属政党を変えつつも、連続当選した。
北之坊 皓司(きたのぼう こうじ、1939年または1940年… 北之坊 皓司(きたのぼう こうじ、1939年または1940年 - )は、日本の政治家。無所属。大阪府議会議員 (3期)、豊中市議会議員 (4期)、豊中市選挙管理委員会委員長を歴任。旭日小綬章受章。 1963年 (昭和38年) 同志社大学経済学部卒業。豊中市議会議員を4期務め、衣料品販売会社役員を経て、1995年4月 大阪府議会議員選挙豊中市選挙区に無所属で出馬し4位初当選 (定数5)。1999年4月 大阪府議会議員選挙豊中市選挙区で3位再選 (定数5)。2003年4月 大阪府議会議員選挙で4位三選 (定数5) 。大阪府日華友好交流協会理事。豊中市選挙管理委員会委員長。 この項目は、政治に関連した書きかけの項目です。
甲斐 道清(かい みちきよ、1937年(昭和12年)11月1… 甲斐 道清(かい みちきよ、1937年(昭和12年)11月11日 - 2025年(令和7年)10月24日)は、日本の政治家。元滋賀県守山市長(2期)。 滋賀県守山市出身。実家は守山市にある臨済宗大徳寺派少林寺。6歳で得度する。同志社大学文学部を卒業。卒業後はマツダオート京都に就職し、課長となる。その後、守山市役所に入り、守山市土地開発公社に勤務し、同事務局長になる。1989年少林寺の住職に就く。 1995年守山市長選挙に立候補し初当選。1999年は無投票で再選。2003年に三選を目指したが、元守山市議の山田亘宏に敗れた。 2008年春の叙勲で旭日双光章を受章する。 2025年10月24日、病気療養中に守山市内の病院で死去した。
笹野 貞子(ささの ていこ、1933年5月27日 - )は、… 笹野 貞子(ささの ていこ、1933年5月27日 - )は、日本の政治家、法学者。元参議院議員(2期)、京都創政塾理事長。 北海道函館市出身。北海道釧路江南高等学校、同志社大学法学部卒業。1962年、同志社大学大学院法学研究科修士課程修了。その後、堺女子短期大学教授などを務め、憲法学を教えた。 1978年から毎日放送『スタジオ2時』に出演。1980年、京都府明るい選挙推進協議会長に就任。 1989年、第15回参議院議員通常選挙に向けて、日本労働組合総連合会を支持母体とする「連合の会」(日本社会党・公明党・民社党・社会民主連合推薦)が結成され、全国で多数候補者が擁立される。笹野は連合の会公認で立候補し、長年、「自共指定席」と呼ばれた京都府選挙区で自民党新人西田吉宏や日本共産党現職佐藤昭夫を凌ぎトップで初当選した。
谷村 啓介(たにむら けいすけ、1932年1月15日 - 2… 谷村 啓介(たにむら けいすけ、1932年1月15日 - 2017年2月21日)は、日本の政治家。日本社会党衆議院議員(1期)。 岡山県高梁市出身。1954年同志社大学経済学部卒。新聞記者、岡山市議会議員を経て、1967年より岡山県議会議員を6期務める。1990年の総選挙で旧岡山1区から立候補して初当選。1993年の総選挙で落選した。 2017年2月21日、多臓器不全のため、死去した。85歳没。 この項目は、日本の政治家に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(P:政治学/PJ政治)。
井上 一成(いのうえ いっせい、1932年〈昭和7年〉1月5… 井上 一成(いのうえ いっせい、1932年〈昭和7年〉1月5日 - 2025年〈令和7年〉8月25日)は、日本の元政治家、元大学教授。位階は従三位、勲等は勲一等。大阪府摂津市長、衆議院議員、衆議院運輸委員会委員長、日本社会党副委員長、郵政大臣を歴任した。 大阪府三島郡鳥飼村(現在の摂津市鳥飼野々)で農家の長男として生まれる。1950年(昭和25年)に大阪府立茨木高等学校、1954年(昭和29年)に同志社大学経済学部卒業。 1968年(昭和43年)、地元摂津市の市制施行後最初の市長選挙に36歳で当選し、前身である三島町の成立以来町長・市長を12年務めた深田丈夫に代わって市長に就任した(当時の史上最年少市長)。
渡邊 行雄(わたなべ ゆきお、1931年〈昭和6年〉11月6… 渡邊 行雄(わたなべ ゆきお、1931年〈昭和6年〉11月6日 - 1996年〈平成8年〉4月1日)は、昭和から平成時代の政治家。実業家。岡山県倉敷市長。 倉敷市出身。1954年(昭和29年)同志社大学経済学部卒業。百十四銀行勤務を経て、1975年(昭和50年)以来、岡山県議会議員に4選し、1987年(昭和62年)同副議長に就任する。1991年(平成3年)倉敷市長に当選し、2期目在任中に死去した。ほか、水島ゴム工業用品社長を務めた。 市長在任中は、倉敷チボリ公園、くらしき作陽大学、倉敷芸術科学大学の誘致、下水の倍増計画に尽力した。
立石 定夫(たていし さだお、1928年(昭和3年)2月29… 立石 定夫(たていし さだお、1928年(昭和3年)2月29日 - 1995年(平成7年)6月8日)は、日本の政治家、弁護士、歴史研究家。第8代福山市長(3期)。位階は従五位。勲四等旭日小綬章。 広島県福山市東堀端町(現・福山市城見町)に生まれる。1945年(昭和20年)、広島県立福山誠之館中学校(現・広島県立福山誠之館高等学校)卒業。1948年(昭和23年)、旧制広島高等学校卒業。1951年(昭和26年)、同志社大学法学部卒業。 1955年(昭和30年)4月、弁護士を開業。1960年(昭和35年)4月、広島弁護士会福山地区会会長に就任。 1963年(昭和37年)4月、広島県議会議員に初当選。1967年(昭和42年)に再選。
菅原 喜重郎(すがはら きじゅうろう、1926年11月9日 … 菅原 喜重郎(すがはら きじゅうろう、1926年11月9日 - 2019年6月26日)は、日本の政治家。衆議院議員(4期)。位階は従四位。 同志社大学神学部卒業。岩手県東磐井郡東山町(現在の一関市)長を経て、1979年の総選挙に当時の岩手2区から出馬するも落選。翌1980年の総選挙でも落選し、民社党に入党して1983年の総選挙で初当選した。しかし民社党が社会党や公明党・社民連との野党連合路線に向かうことに反発し、1992年3月に民社党を離党。自民党入党を目指して加藤六月グループに入るものの、翌1993年の総選挙では自民党の公認を得られぬまま無所属で戦うことを強いられる。定数4の岩手2区は定数を3に削減された上に民社党も独自候補を擁立、自民党を離党して新生党を結成した小沢一郎の大量得票も影響し落選に終わった。
東中 光雄(ひがしなか みつお、1924年7月23日 - 2… 東中 光雄(ひがしなか みつお、1924年7月23日 - 2014年8月7日)は、日本の元政治家。日本共産党所属の衆議院議員(日本共産党中央委員会委員)。弁護士(大阪弁護士会)。
王 相殷(ワン・サンウン、朝鮮語: 왕상은、1920年3月3… 王 相殷(ワン・サンウン、朝鮮語: 왕상은、1920年3月31日 - 2019年10月16日)は、韓国の実業家、政治家。韓国の海運業と釜山の地域発展には多大な貢献をしたほか、第11・12代国会議員を歴任した。 本貫は開城王氏。号は草渓(チョゲ、초계)。仏教徒。 日本統治時代の黄海道黄州郡黄州面に生まれ、釜山出身。釜山第8小学校、釜山公立中学を経て、1941年に同志社大学商科大学卒。 1951年に協成海運を設立し、同社代表取締役を経て、国際商業会議所委員、釜山商工会議所副会長を務めた。特に1960年代に韓国初の船員派遣業への参入、釜山と下関を繋ぐ釜関フェリーの導入、国籍取得条件付裸傭船の運航などを主導し、韓国の海運業の発展に多大な貢献をした。
権 東哲(クォン・ドンチョル、朝鮮語: 권동철/權東哲、19… 権 東哲(クォン・ドンチョル、朝鮮語: 권동철/權東哲、1916年1月1日または1月21日 - 2006年11月24日)は、日本統治時代の朝鮮の教育者、大韓民国の公務員、政治家。青松郡守、第8代義城郡守、第4代達城郡守、参議員などを歴任した。 本貫は安東権氏(朝鮮語版)、号は汾谷(プンゴク、분곡)。キリスト教徒。 日本統治時代の慶尚北道義城郡出身。同志社大学文学部神学科卒。私立白牙島(朝鮮語版)学院院長、義城学院院長、米軍政庁人事行政処職員、慶尚北道人事処補任課長、青松郡守、第8代義城郡守(1950年9月24日 - 1951年9月19日)、第4代達城郡守(1951年9月19日 - 1955年8月23日)、慶尚北道農道院長、サムソン中学校長、学校法人サムソン学院理事長、大韓民国憲政会(朝鮮語版)運営委員などを務めた。
李 万根(イ・マングン、朝鮮語: 이만근、1913年1月11… 李 万根(イ・マングン、朝鮮語: 이만근、1913年1月11日 - 1959年9月2日)は、日本統治時代の朝鮮、大韓民国、朝鮮民主主義人民共和国の実業家、警察官僚、政治家。制憲韓国国会議員。 忠清北道清原郡出身。清州公立高等普通学校を卒業後、1937年に同志社大学法学部経済学科卒。光復後は米軍政庁警務部官房勤務を経て、行政官補官房庶務課長、監察官、総警補官房長、第1管区警察庁副庁長(1947年8月より)、制憲国会議員、国会内務治安委員会委員、無所属議員からなる国策研究会メンバー、国会治安・民政視察団(慶尚道)メンバーを務めた。1949年9月に民主国民党に入党し、1950年4月に趙炳玉を次期国務総理に推薦したが、朝鮮戦争中の1950年7月2日にソウルで北朝鮮に拉致され、西大門刑務所に収容された。
吉田 法晴(よしだ ほうせい、本名:法晴(みちはる)、190… 吉田 法晴(よしだ ほうせい、本名:法晴(みちはる)、1908年〈明治41年〉3月13日 - 1981年〈昭和56年〉1月19日)は、日本の政治家、衆議院議員(1期)、参議院議員(3期)。初代北九州市長(1期)。 福岡県宗像郡河東村(現宗像市)出身。旧制福岡高校を経て1936年同志社大学法学部卒業後、日本炭鉱に入社。 1947年日本社会党から福岡県議会議員に初当選。 1950年の第1回参議院議員通常選挙福岡県地方区補選で日本社会党公認で立候補して当選。以来、参議院議員を3期務め、その間に参議院労働委員長となる。 参議院議員任期途中の1963年、北九州市の発足に伴い選出される市長選挙に立候補(告示日の同年2月28日付で公職選挙法の規定により参議院議員を退職(自動失職))。
奥村 悦造(おくむら えつぞう、1907年(明治40年)10… 奥村 悦造(おくむら えつぞう、1907年(明治40年)10月9日 - 1980年(昭和55年)1月31日)は、日本の実業家、政治家。位階は正五位。 参議院議員(1期)、滋賀県副知事。 滋賀県出身。1930年(昭和5年) 同志社高等商業学校を卒業した。 奥村鉱業社長、滋賀新聞取締役社長、琵琶湖ホテル取締役社長などを務めた。 政界では、大津市議会議員、滋賀県議会議員、同議長、滋賀県副知事、自由民主党滋賀県支部連会長などを務めた。1961年(昭和34年)3月、滋賀県立琵琶湖文化館建設資材として砕石を寄付により1964年(昭和37年)2月27日に紺綬褒章受章。1965年(昭和40年)7月の第7回参議院議員通常選挙に滋賀地方区から自由民主党所属で出馬して当選し、参議院議員を1期務めた。
権 泰羲(クォン・テヒ、朝鮮語: 권태희/權泰羲、1907年… 権 泰羲(クォン・テヒ、朝鮮語: 권태희/權泰羲、1907年4月2日 - 1983年5月29日)は、日本統治時代の朝鮮および大韓民国の牧師、教員、中学校校長、政治家。制憲国会議員、文教社会分科委員長。本貫は安東権氏(朝鮮語版)。 作曲家・声楽家の権泰浩(朝鮮語版)は兄。 慶尚北道金泉または慶尚南道密陽生まれ。大邱啓聖中学校、平壌崇実専門学校文科卒業。平壌神学校で牧師の按手を受け、同志社大学神学科修了(聴講生)。その後帰国し、安東と密陽の教会の牧師、キリスト教安東連合会会長を歴任した。解放後は京城神学校講師、密陽公立農林学校教師・校長を経て、1947年に金泉公立中学校校長を務めた。1948年の初代総選挙で金泉郡から無所属で出馬し当選した後、国会で文教社会分科委員長などを務め、農地改革、国軍の組織にも参加したが、朝鮮戦争の際に北朝鮮に拉致された。
朴 済煥(パク・チェファン、朝鮮語: 박제환/朴濟煥、190… 朴 済煥(パク・チェファン、朝鮮語: 박제환/朴濟煥、1905年2月10日または2月11日 - 1995年3月23日)は、日本統治時代の朝鮮の独立運動家、大韓民国の公務員、政治家。第2・5代韓国国会議員、第17代農林部長官を歴任した。 本貫は竹山朴氏(朝鮮語版)。号は芝峰/芝峯。カトリック教徒。実業家の朴範植は息子、第12・14代国会議員の朴珪植(朝鮮語版)は甥。 京畿道富川市駅谷洞出身。1917年に水下公立普通学校に2学年編入したが、1919年の三・一運動の時にデモを主導したという理由で退学させられ、同年徽文高等普通学校に編入。1923年、徽文高4年修了し、同志社大学予科に入学した。日本留学中に新幹会京都支部長を務め、1929年同志社大学法学部経済学科を卒業した。
猿丸 吉左衛門(さるまる きちざえもん、1903年(明治36… 猿丸 吉左衛門(さるまる きちざえもん、1903年(明治36年)2月4日 - 1983年(昭和58年)1月4日)は、日本の実業家・政治家。芦屋市長(1948年 - 1952年)、兵庫県議会議員。初名は吉雄。 スポーツ黎明期に万能選手として知られた人物である。相撲では学生横綱となり、柔道でも活躍、陸上競技では砲丸投とハンマー投で日本記録を残した。 現在の兵庫県芦屋市出身。芦屋の猿丸家は猿丸大夫の末裔を称する旧家で、そのうち当主が「吉左衛門」の名を世襲する家系の出身である。 同じ名を名乗った父の猿丸吉左衛門(1853年 - 1932年)は、1928年から1930年にかけて精道村(芦屋市の前身)の村長を務めた。
林 基奉(イム・ギボン、朝鮮語: 임기봉、1903年 - 1… 林 基奉(イム・ギボン、朝鮮語: 임기봉、1903年 - 1982年9月26日または9月27日)は、日本統治時代の朝鮮および大韓民国の牧師、労働運動家、政治家。第2代韓国国会議員。 全南木浦出身。平壌神学校、同志社大学本科卒。キリスト教の牧師として15年ほど活動し、大韓労働総連盟木浦海上連盟委員長・初代中央本部副委員長、初代鉄道労組委員長を務めた。国会議員在任中は主に勤労基準法および船員法案などの分野で活躍した。 1982年9月26日、ソウル市恩平区亀山洞の自宅で持病または老衰のため死去。享年77。
大橋 理祐(おおはし りすけ、1899年(明治32年)10月… 大橋 理祐(おおはし りすけ、1899年(明治32年)10月 - 1954年(昭和29年)4月4日)は、大正から昭和前期の実業家、政治家。貴族院多額納税者議員。旧名・理三。 京都府京都市で西陣織物業・大橋理八の二男として生まれる。同志社大学経済科で学んだ。1925年(大正14年)家督を相続し理祐に改名した。 1923年(大正12年)陸軍歩兵少尉に任官し同中尉に昇進。退役後、家業の西陣織物業を営む。1930年(昭和5年)洋服部蝶屋商会を創業。その他、京都商工会議所副会頭、西陣織物工業組合理事長、全日本絹織物工業組合連合会理事、綾部製作所社長、(株) 三星取締役、京和商事取締役などを務めた。 日中戦争に出征し、留守第16師団副官、同司令部附、参謀本部調査事務嘱託などを務めた。
今尾 登(いまお のぼる、1899年(明治32年)8月7日 … 今尾 登(いまお のぼる、1899年(明治32年)8月7日 - 1970年(昭和45年)12月18日)は、日本のジャーナリスト、教育者、政治家。衆議院議員、法学博士。旧姓・小林。 兵庫県加東郡河合村(現小野市)で、小林兵太郎の6男として生まれ、京都府の画家・今尾政之助の養子となる。1924年(大正13年)同志社大学法学部政治学科を卒業した。 大阪毎日新聞社に入社。その後、渡米しコロンビア大学で学んだ。帰国後、大阪毎日新聞本社、京城支局、大連支局、京都支局で勤務。東京日日新聞社に転じ、政治部副部長、事業課長、講演課長、横浜支局長、編輯局参事などを歴任。従軍記者として済南事件、満州事変、日中戦争(支那事変)を取材し戦傷も受けた。
田中 源三郎(たなか げんざぶろう、1895年(明治28年)… 田中 源三郎(たなか げんざぶろう、1895年(明治28年)8月12日 - 1953年(昭和28年)12月24日)は、大正から昭和期の実業家、政治家。衆議院議員。 兵庫県明石郡大久保村江井島(大久保町を経て現明石市)で生まれる。同志社大学、法政大学で学んだ。 兵庫県会議員に選出され、同参事会員も務めた。1937年(昭和12年)4月の第20回衆議院議員総選挙で兵庫県第3区から立憲政友会公認で出馬して当選したが、1939年(昭和14年)8月4日、衆議院議員選挙法違反事件の上告が大審院で棄却され判決が確定したため議員を退職した。戦後、1946年(昭和21年)4月の第22回総選挙で兵庫県第1区から日本自由党公認で出馬して再選され、1947年(昭和22年)4月の第23回総選挙で兵庫県第3区から民主党公認で出馬して当選し、衆議院議員に通算3期在任した。
清水 仁三郎(しみず にさぶろう、1878年(明治11年)2… 清水 仁三郎(しみず にさぶろう、1878年(明治11年)2月19日 - 1951年(昭和26年)11月12日)は、日本の衆議院議員(立憲国民党)。建築家。実業家。 京都府京都市出身。建築家清水仁兵衛の二男として生まれ、同志社で学んだ。建築工学を学び、京都武徳殿の建築に参加した。宮内省・農商務省の委嘱を受け、1900年(明治33年)のパリ万国博覧会では日本建築・庭園模型を出品した。1902年(明治35年)、岩崎男爵家の設計技師となり、邸宅の設計を担当した。1910年(明治43年)の日英博覧会の際には、再び宮内省・農商務省の委嘱を受け日本庭園の設計を担当した。1911年(明治44年)、岩崎家の建築事務閉鎖に伴って独立し、清水建築工務所を開いた。
山口 左一(やまぐち さいち、1875年(明治8年)6月26… 山口 左一(やまぐち さいち、1875年(明治8年)6月26日 - 1936年(昭和11年)9月8日)は、大正から昭和時代前期の政治家、実業家。衆議院議員。神奈川県中郡高部屋村長。 山口左七郎の長男として、神奈川県、のちの中郡高部屋村(伊勢原町を経て現伊勢原市)に生まれる。1912年(明治45年)2月に家督を相続する。 同志社卒業。農業を営む傍ら、高部屋村収入役、同村長、同村会議員、所得税調査委員、中郡農会副会長、県農会議員、帝国農会議員を歴任した。 実業界では産業組合中央会県支会副会長、伊勢原銀行頭取、伊勢原電気、横浜興業信託、相武電力、神奈川県農工銀行各取締役、相模銀行、農工信託各監査役を務めた。
古谷 久綱(ふるや ひさつな、明治7年(1874年)6月17… 古谷 久綱(ふるや ひさつな、明治7年(1874年)6月17日 - 大正8年(1919年)2月12日)は、日本の官僚、政治家。衆議院議員(立憲政友会)。伊藤博文の秘書官を長く務めた。 愛媛県東宇和郡明間村(現在の西予市)出身。明治26年(1893年)、同志社を卒業した。日清戦争の際には、国民新聞記者として第2軍司令部に従軍した。明治32年(1899年)、ブリュッセル自由大学に論文を提出し、博士号を得た。 明治33年(1900年)、帝室制度調査局事務嘱託・東京高等商業学校(現在の一橋大学)教授となったが、帝室制度調査局総裁伊藤博文の目に留まり、同年に伊藤が内閣総理大臣に就任すると、内閣総理大臣秘書官に起用された。
伊達 源一郎(だて げんいちろう、1874年(明治7年)3月… 伊達 源一郎(だて げんいちろう、1874年(明治7年)3月15日 - 1961年(昭和36年)7月15日)は、日本の政治家。緑風会参議院議員(1期)。読売新聞主筆。鳥類研究家。号・樸堂。 島根県出身。1899年同志社大学政治学部卒。1901年国民新聞に入り、編集局長、国際通信社ニュース部長、読売新聞主筆、ジャパンタイムス、島根新聞の各社の社長などを経て、1947年の第1回参議院議員通常選挙において島根地方区から無所属で立候補して当選する。国会内では内閣委員長を務めた。1953年の第3回参議院議員通常選挙には立候補しなかった。1961年死去。
根津 啓吉(ねづ けいきち、1874年(明治7年)2月15日… 根津 啓吉(ねづ けいきち、1874年(明治7年)2月15日 - 1954年(昭和29年)12月4日)は、山梨県出身の地主、政治家、実業家。貴族院議員を務めた。 明治7年2月15日、山梨県巨摩郡築地新居村(現在の中巨摩郡昭和町)で、父・内藤宇兵衛(思温)、母・とよの間に四男として生まれた。1893年(明治26年)に同志社普通学校を卒業、この頃にキリスト教の洗礼を受けた。1896年(明治29年)には同志社ハリス理科学校(現在の同志社大学理工学部)を卒業した。京都滞在は通算9年に及んだ。 卒業後、茨城県立水戸中学校(現在の茨城県立水戸第一高等学校)、同下妻中学校(現在の茨城県立下妻第一高等学校)で教職を務めた。
清水 勇三郎(しみず ゆうざぶろう、1873年(明治6年)9… 清水 勇三郎(しみず ゆうざぶろう、1873年(明治6年)9月25日 - 1949年(昭和24年)11月26日)は、大正から昭和時代前期の政治家、実業家。愛媛県松山市長。 愛媛県久米郡山之内村(現・東温市)にて生まれる。同志社予備校を経て、早稲田専門学校を卒業する。北吉井村で酒造業および鉱山業に従事。松山市に移り住み、日本織物取締役、久万索道会社専務取締役、海南新聞(愛媛新聞の前身)専務取締役を歴任する。 1922年(大正11年)1月より松山市会議員に3選し、1933年(昭和8年)11月に松山市助役に就任し2期務めた。1938年(昭和13年)9月8日に松山市長に当選。同15日、助役を辞し、市長に就任した。
児玉 亮太郎(こだま りょうたろう、1872年10月15日〈… 児玉 亮太郎(こだま りょうたろう、1872年10月15日〈明治5年9月13日〉 - 1921年〈大正10年〉10月25日)は、日本の政治家。衆議院議員(立憲政友会)などを歴任。 和歌山県那賀郡粉河村(現在の紀の川市)に、後の衆議院議員児玉仲児の長男として生まれる。同志社卒業後、ミシガン大学に留学し、哲学博士の称号を受けた。帰国後、大阪毎日新聞記者、京都帝国大学法科大学経済学講師、同志社大学講師、北海道拓殖銀行営業部長、富士製紙主事などを歴任した。 原敬の知遇を得、1900年(明治33年)に原が逓信省大臣に就任すると、秘書官に任命された。1912年(明治45年)、第11回衆議院議員総選挙に出馬し当選。
万代 嘉平治(萬代、まんだい かへいじ、1872年6月27日… 万代 嘉平治(萬代、まんだい かへいじ、1872年6月27日(明治5年5月22日)- 1917年(大正6年)3月9日)は、明治から大正前期の園芸家、政治家。衆議院議員(1期)、岡山県赤磐郡石生村長。 岡山県磐梨郡原村(石生村、赤磐郡石生村を経て現和気郡和気町)で生れた。同志社(現同志社大学)を卒業した。 1901年(明治34年)石生村長に就任し1914年(大正3年)まで在任。この間、難航していた同村田原上・下耕地整理事業を推進した。その他、赤磐郡会議員(1900年-1904年、1911年-1913年)、岡山県会議員(1899年-1917年)を務め、郡会議長、岡山県参事会員にも在任した。立憲国民党に所属し第一次護憲運動を推進し、和気橋の架橋に尽力した。
加藤 小太郎(かとう こたろう、明治5年4月16日(1872… 加藤 小太郎(かとう こたろう、明治5年4月16日(1872年5月22日) – 昭和10年(1935年)4月27日)は、日本の日本の政治家・衆議院議員(立憲同志会→憲政会)。京都市助役。実業家。旧名太郎松。族籍は新潟県士族。 新潟県北蒲原郡新発田町(現在の新発田市)出身。新潟県士族・先代小太郎の長男。1898年(明治31年)、同志社大学部政治科を卒業。1902年(明治35年)まで滋賀県立商業学校で教壇に立った。その後、国民新聞社大阪支局長、『東京日日新聞』を発行する日報社の業務担当社員・理事を歴任した。1909年(明治42年)、京都市助役に就任。1914年(大正4年)までの在任中、京都市三大事業を手掛け、また京都商品陳列所所長、京都市盲唖院院長、京都市水道事務所所長、京都市立第一商業学校校長などを兼ねた。
石橋 為之助(いしばし ためのすけ、1871年7月19日〈明… 石橋 為之助(いしばし ためのすけ、1871年7月19日〈明治4年6月2日〉 - 1927年〈昭和2年〉4月28日)は、日本の政治家、実業家、新聞記者。第6代神戸市長。衆議院議員(大阪府大阪市選出、当選3回、公正会)。族籍は大阪府平民。大阪生まれ。 1871年7月19日(明治4年6月2日)、大阪府西成郡曾根崎村(現・大阪府大阪市)で石橋有三郎の二男として生まれた。1886年(明治19年)、15歳の時に小学校教員検定試験に合格し、20歳まで教員として働きながら英語を勉強し、1891年(明治24年)9月に京都同志社神学部選科に入学、学資が続かず中途退学し、以来独学自修する。米国に遊学。 朝日新聞社(大阪朝日新聞)に入社すると在職中に衆議院選挙に立候補・当選し、10年間国会議員も務めた。
津田 鍛雄(つだ かじお、1871年6月22日(明治4年5月… 津田 鍛雄(つだ かじお、1871年6月22日(明治4年5月5日)- 1921年(大正10年)11月30日)は、明治から大正期の実業家、政治家。衆議院議員。 備前国児島郡天城村(岡山県児島郡藤戸村、藤戸町を経て現倉敷市藤戸町天城)で、岡山藩天城池田家家臣・津田一陣の長男として生まれた。6歳で父(陸軍少尉)は西南戦争(田原坂の戦い)で戦死した。小学校、大津開達学校を経て、1894年(明治17年)9月、京都同志社に入り、1889年(明治22年)同志社普通学校を卒業。その後、東京専門学校(現早稲田大学)英語政治科で学んだ。 1895年(明治28年)9月に帰郷。有志と岡山英学校を設立。また、味野紡績、児島銀行の創設にも参画し、同行相談役、同支配人を務めた。
安部 磯雄(あべ いそお、1865年3月1日〈元治2年2月4… 安部 磯雄(あべ いそお、1865年3月1日〈元治2年2月4日〉- 1949年〈昭和24年〉2月10日)は、日本の教師、牧師、経済学者、社会主義者、政治家。 キリスト教的人道主義の立場から社会主義を活発に宣伝し、日本社会主義運動の先駆者であった。また、日本における野球の発展に貢献し「日本野球の父」と呼ばれる。早稲田大学野球部創設者でもある。 福岡藩士岡本権之丞の次男として現在の福岡市に生まれる。安部姓を名乗るようになったのは徴兵忌避のためである。当時60歳以上の扶養家族がいれば徴兵免除の特典が与えられたため、60歳以上の老人のいる家を探して謝礼を支払い名義上安部家の養子となる。 小学校を卒業したのち附属小学校に進んで山座円次郎、不破彦麿、塚本道遠らと級友となり、1879年3月に優秀な成績で卒業したが、実家が貧しかったこと、付近に中学が設立されていなかったこともあり、地元の漢学塾に入門した。
山本 覚馬(やまもと かくま、旧字体: 山本 覺馬、文政11… 山本 覚馬(やまもと かくま、旧字体: 山本 覺馬、文政11年1月11日(1828年2月25日) - 明治25年(1892年)12月28日)は、幕末の会津藩士、砲術家(津田流炮術)、明治時代の地方官吏、政治家。京都府顧問、府議会議員(初代議長)として初期の京都府政を指導した。また、同志社英学校(現:同志社大学)の創立者・新島襄の協力者として、現在の同志社大学今出川校地の敷地を譲った人物としても知られている。号は相応斎。 会津藩士で砲術指南役の山本権八(禄高は22石4人扶持)の長男として、鶴ヶ城近くの武家屋敷に生まれる。山本家の遠祖は甲州流軍学の祖とされる山本勘助で、代々兵学をもって藩に仕えた。母は佐久。
福山 哲郎 は、日本の政治家。参議院副議長(第34代)、立憲… 福山 哲郎 は、日本の政治家。参議院副議長(第34代)、立憲民主党所属の参議院議員(5期)、立憲民主党京都府連合代表、学校法人瓜生山学園理事、学校法人龍谷大学理事。