国光 文乃 (くにみつ あやの、1979年〈昭和54年〉3月… 国光 文乃 (くにみつ あやの、1979年〈昭和54年〉3月20日 - )は、日本の政治家、医師、医学博士。自由民主党所属の衆議院議員(4期)、外務副大臣。 厚生労働技官、総務大臣政務官、自由民主党女性局長代理、厚生労働部会、文部科学部会、国土交通部会、農林部会、外交部会副部会長などを歴任。 議会登録名等では「国光あやの」の名義を用いている。 山口県の屋代島(行政区分は周防大島町)に生まれる。家は代々続くみかん農家であったが、父親が建築系の会社員で転勤族であったため、小学校入学前に島を出る。母親は薬剤師。 岡山県岡山市立宇野小学校、広島県立広島観音高等学校、長崎大学医学部医学科を卒業。国立病院機構災害医療センター、東京医療センター等に勤務し、2005年に厚生労働省に入る。
前田 晋太郎(まえだ しんたろう、1976年〈昭和51年〉6… 前田 晋太郎(まえだ しんたろう、1976年〈昭和51年〉6月30日 - )は、日本の政治家。山口県下関市長(3期)。元下関市議会議員(2期)。 山口県下関市新地西町生まれ。下関市立桜山小学校、下関市立文洋中学校、山口県立下関西高等学校、長崎大学水産学部卒業。 大学卒業後、25歳で山口県に帰郷し、山口県議会議員の友田有の運転手となる。2003年に安倍晋三の地元事務所に入所。 2009年3月の下関市長選挙に友田有は安倍の支援を受けて立候補するも、参議院議員の林芳正が推す中尾友昭に敗れ落選。前田は安倍の秘書を7年4ヶ月務めたのち退職。2011年1月30日に行われた下関市議会議員選挙に自民党公認で立候補し、初当選した。
池尻 浩一(いけじり こういち、1969年4月6日 - )は… 池尻 浩一(いけじり こういち、1969年4月6日 - )は、日本の政治家、元競輪選手、福岡県八女郡広川町の町議会議員(3期)。日本競輪学校(当時。以下、競輪学校)第63期生。現役時は日本競輪選手会福岡支部所属。ホームバンクは久留米競輪場。師匠は香月英二。 福岡県立八女高等学校在学中は陸上競技を行ない、熊本大学と長崎大学をいずれも現役合格している。しかし、後に某テレビ番組で紹介されたが、高校時代より競輪選手を志望していた本人にとってみれば、大学入試は「滑り止め」としか考えていなかったようで、1988年に競輪学校の適性試験に合格し入学する。同期には出口眞浩らがおり、在校成績5勝の42位で卒業後、1989年4月14日、豊橋競輪場でデビューし、初勝利も同日。
秋野 公造(あきの こうぞう、1967年7月11日 - )は… 秋野 公造(あきの こうぞう、1967年7月11日 - )は、日本の医師、政治家。公明党所属の参議院議員(3期│福岡県選出)、公明党政務調査会長。 兵庫県神戸市生まれ。幼少時に喘息とアトピー性皮膚炎を併発。病苦がきっかけで医者を目指すこととなった。白陵中学校・高等学校卒業後、長崎大学医学部、長崎大学大学院医歯薬学総合研究科に進学。山下俊一教授のもとで最先端の医学研究に励む。 研究を続けながら、在学中から臨床医(内科医)として長崎県島原市の個人病院に勤務する。医師として、日本内分泌学会若手研究奨励賞(2002年6月)、ヨーロッパ組織再建学会若手研究奨励賞(2005年10月)、日本創傷治癒学会研究奨励賞、日米創傷治癒学会第一回優秀演題賞など多くの賞を受賞した。
大久保 潔重(おおくぼ ゆきしげ、1966年〈昭和41年〉3… 大久保 潔重(おおくぼ ゆきしげ、1966年〈昭和41年〉3月12日 - )は、日本の政治家、歯科医師。長崎県諫早市長(2期)。元長崎県議会議員(4期)。元参議院議員(1期)。 長崎県諫早市生まれ。長崎県立諫早高等学校、長崎大学歯学部卒業。東京都、神奈川県の歯科医院勤務を経て、福岡県福岡市博多区で歯科医院を開業し、地域の歯科医療に携わる。2002年、小沢一郎政治塾修了(同塾の第1期生)。 2003年、長崎県議会議員選挙に出馬し、初当選した。2005年、長崎県議を任期途中で辞職し、第44回衆議院議員総選挙に長崎2区から民主党公認で出馬したが、自由民主党前職の久間章生に敗れ、落選した。2006年、長崎県議会補欠選挙に出馬し、当選。
西岡 秀子(にしおか ひでこ、1964年3月15日 ‐ )は… 西岡 秀子(にしおか ひでこ、1964年3月15日 ‐ )は、日本の政治家。国民民主党所属の衆議院議員(4期)。国民民主党長崎県連代表。 父は参議院議長、文部大臣、参議院議員、自由民主党総務会長などを務めた西岡武夫。 長崎県長崎市生まれ。長崎大学教育学部附属小学校、長崎大学教育学部附属中学校、活水高等学校、学習院女子短期大学、学習院大学法学部卒業。大学卒業後、NEC勤務を経て、父・西岡武夫の秘書を務めた。 2016年1月、次期参議院議員通常選挙に民主党公認で長崎県選挙区(定数1)から立候補する意向を表明した。同年3月17日、市民団体が仲介する形で、民主党、日本共産党、社会民主党、生活の党の4党が西岡を長崎県選挙区の野党統一候補とすることに合意した。
饗庭 敦子(あいば あつこ、1962年11月12日 - )は… 饗庭 敦子(あいば あつこ、1962年11月12日 - )は、日本の政治家。 1962年11月12日、長崎県出身。長崎県立長崎西高等学校、長崎大学商科短期大学部を経て、長与町議会議員。2019年長崎県議会議員西彼杵郡選挙区にて初当選。 2011年4月、長与町議会議員選挙に立候補。無投票で当選となり、2期務める。 2019年4月、長崎県議会議員選挙西彼杵選挙区で立候補。7,761票を獲得し、当選となった。次点とは59票差と接戦であった。
野口 市太郎(のぐち いちたろう、1955年〈昭和30年〉1… 野口 市太郎(のぐち いちたろう、1955年〈昭和30年〉11月28日 - )は、日本の政治家。元長崎県五島市長(3期)。 長崎県福江市(現・五島市)に生まれる。1978年(昭和53年)3月、長崎大学経済学部卒業。同年4月、長崎県庁に入庁。五島地方局長、長崎振興局長、長崎県水産部長などを歴任。 2012年(平成24年)8月26日に行われた五島市長選挙に民主党・自民党・公明党の推薦、現職市長の中尾郁子の支援を受けて出馬。五島新報新聞社社長の永冶克行を破り初当選した。投票率は61.90%。9月5日、市長就任。 2016年(平成28年)、無投票で再選。2020年(令和2年)、立憲民主党推薦の新人を破り3選。
松尾 勝利(まつお かつとし、1954年8月5日 - )は、… 松尾 勝利(まつお かつとし、1954年8月5日 - )は、日本の政治家。佐賀県鹿島市長(1期)、元鹿島市議会議員(4期)。 佐賀県鹿島市出身。佐賀県立鹿島高等学校出身。長崎大学水産学部卒業後、鹿島市内の実家に戻り農漁業を継ぎ、2008年からは佐賀県有明海漁業協同組合で監事及び鹿島支所の運営委員長も務めた。2007年に有明海漁協の仲間から「漁業者の声を議会に届けてほしい」と後押しされ、鹿島市議に初当選し、4期務めた。 2021年12月22日、翌年4月の鹿島市長選挙への立候補を表明し、2022年1月11日付で市議を辞職。4月24日の投開票の結果、元市議の稲富雅和を1,412票差で破り、初当選を果たした。
中村 法道(なかむら ほうどう、1950年11月29日 - … 中村 法道(なかむら ほうどう、1950年11月29日 - )は、日本の政治家。勲等は旭日重光章。長崎県知事(公選第17・18・19代)を歴任。名前の本来の読みは「のりみち」。 長崎県南高来郡有家町(現:南島原市有家町)の一本釣り漁師の家に生まれる。長崎県立島原高等学校、長崎大学経済学部卒業。1973年、長崎県庁に入庁。最初の配属先である税務課の上司に二井関成(第42・43・44・45代山口県知事)がいた。その後国際課長、日蘭交流400周年記念事業推進室長、秘書課長、対馬支庁(現:対馬振興局)長、農林部長、総務部長等を歴任し、2009年4月に長崎県副知事に就任した。 2009年11月4日、金子原二郎長崎県知事が2010年2月に行われる長崎県知事選挙に出馬しない意向を表明。
冨岡 勉(とみおか つとむ、1948年7月4日 - )は、日… 冨岡 勉(とみおか つとむ、1948年7月4日 - )は、日本の政治家、医師。自由民主党所属の元衆議院議員(4期)。文部科学副大臣、文部科学大臣政務官、衆議院文部科学委員長、衆議院厚生労働委員長、公益財団法人東京オリンピック・パラリンピック競技大会組織委員会副会長等を歴任。 福岡県中間市出身。福岡県立東筑高等学校、長崎大学医学部卒業。同大学助教授に就任。 1999年、長崎県議会議員に初当選。県議会で文教委員会委員長を務めるが、2003年の選挙で落選。 2005年の第44回衆議院議員総選挙で長崎1区から自由民主党公認候補として出馬。選挙区では労働組合の厚い組織票に支えられた民主党の高木義明に敗れたが、比例九州ブロックで復活し初当選した。
渡辺 純忠(渡邊 純忠、わたなべ すみただ、1945年(昭和… 渡辺 純忠(渡邊 純忠、わたなべ すみただ、1945年(昭和20年)1月4日 - )は、日本の政治家。山口県山口市長(4期)を務めた。 山口県徳地町生まれ。山口県立山口高等学校、長崎大学教育学部卒業。1968年、長崎大を卒業し山口県庁に就職した。山口県では商工労働部、総務部、企画部、教育庁、環境生活部等に勤務し、2001年に山口県水産部長に就任。翌2002年には山口市へ出向し、山口市長・合志栄一の下で山口市助役に起用された。 2005年、市町村合併による新・山口市の発足に伴う山口市長選挙に、山口市・防府市の合併を掲げて立候補。旧・山口市長の合志栄一を破り初当選を果たした。2009年、元徳地町長の伊藤青波らを破り、山口市長に再選。
田浦 直(たうら ただし、1937年〈昭和12年〉4月5日 … 田浦 直(たうら ただし、1937年〈昭和12年〉4月5日 - 2025年〈令和7年〉5月6日)は、日本の政治家。自由民主党所属の元参議院議員(2期)。皮膚科医。医学博士(長崎大学)。 社会福祉法人橘会理事長、NPO法人長崎こども囲碁普及会理事長、長崎ペンクラブ会長、文芸誌「ら・めえる」発行人。 長崎県佐世保市出身。1962年(昭和37年)に長崎大学医学部を卒業し、長崎大学医学部助手、日本赤十字社長崎原爆病院皮膚科部長などを歴任した。 1969年(昭和44年)、長崎大学で医学博士を取得した。論文の題は「正常皮膚表面の水素イオン濃度に関する研究 」。 1975年(昭和50年)に田浦皮膚科診療所を開設。
田中 範隆(たなか のりたか、1924年(大正13年)3月2… 田中 範隆(たなか のりたか、1924年(大正13年)3月21日 - )は、日本の政治家。元福岡県筑紫野市長(2期)。 福岡県出身。1945年、長崎高等商業学校(現・長崎大学経済学部)卒。卒業後は田中油糧工業に入り、専務を経て、社長となる。また、筑紫野市商工会議所会頭も務めた。筑紫野市議会議員を経て、1995年、筑紫野市長に初当選。1999年は無投票で再選。2003年に元筑紫野市議の平原四郎に敗れた。
朴 璟遠(パク・キョンウォン、朝鮮語: 박경원、1923年1… 朴 璟遠(パク・キョンウォン、朝鮮語: 박경원、1923年1月3日 - 2008年2月20日)は、大韓民国の政治家。第10代大韓民国国会議員。元内務部長官(3回)、第19代逓信部長官、第17代交通部長官。統一主体国民会議事務総長。 本貫は密陽朴氏。号は蓮牛(ヨヌ、연우)。カトリック教徒。 日本統治時代の全羅南道霊光郡に生まれた。木浦商業高等学校(現・木商高等学校(朝鮮語版))、長崎高等商業学校卒業。学徒出陣して日本軍少尉。千葉陸軍高射学校卒業。1946年6月12日付で軍事英語学校を卒業して任少尉(軍番10106番)。1960年に檀国大学校法律学科を卒業し、翌年に国防大学院を修了した。韓国陸軍入隊後は少将・中将を務めた。
谷口 是巨(たにぐち よしのり、1922年(大正11年)2月… 谷口 是巨(たにぐち よしのり、1922年(大正11年)2月2日 - 2010年(平成22年)12月25日)は、日本の政治家。公明党衆議院議員(2期)。 長崎県出身。1942年(昭和17年)長崎医大附属薬学専門部(現長崎大学薬学部)卒。薬剤師免許を取得。同年、徴兵され陸軍西部第47部隊に入隊し、1946年(昭和21年)に復員。 1947年(昭和22年)から長崎市立西浦上中学校教員を務めた。1963年(昭和38年)長崎県議会議員に当選し3期在任。1974年(昭和49年)の第10回参議院議員通常選挙で長崎県地方区から公明党公認で立候補して落選。1976年の第34回衆議院議員総選挙で長崎1区から公明党公認で立候補して初当選し、連続2期務めた。
鄭 煕燮(チョン・ヒソプ、朝鮮語: 정희섭、1920年2月1… 鄭 煕燮(チョン・ヒソプ、朝鮮語: 정희섭、1920年2月1日 - 1987年10月26日)は、大韓民国の官僚、医師、政治家、陸軍軍人。初代労働庁(現・雇用労働部)長、第9・12代保健社会部(現・保健福祉部)長官、第9・10代韓国国会議員などを歴任した。キリスト教徒。 日本統治時代の平安南道平原郡(現・朝鮮民主主義人民共和国領)出身。崇実中学校、平壌医学専門学校(現・平壌医科大学)卒業。1943年に卒業後は医師となり、中国の河南省、浙江省の病院に勤務した。開封の河南医院勤務中に韓国光復軍徴募第3分処と内通し、徴募などの地下活動に協力していた。光復後に帰国し、ソウルで開業医として活動した。 1954年、長崎医科大学(現・長崎大学)で医学博士学位を取得した。
久保 勘一(くぼ かんいち、1910年9月25日 - 199… 久保 勘一(くぼ かんいち、1910年9月25日 - 1993年11月23日)は、日本の政治家。長崎県知事(公選第7-9代)、参議院議員(2期)。愛称は「クボカン」。元五島市長の中尾郁子は娘。 長崎県五島列島の三井楽町(現五島市)で生まれる。長崎県師範学校(現長崎大学)を卒業後、五島の農協組合長を経て長崎県議会議員に当選。1961年から1962年に同議会議長。 1962年の第6回参議院議員通常選挙に出馬し、長崎地方区で初当選。参議院文教委員長などを務め、2期目途中の1970年に長崎県知事選挙に出馬。4選をめざす佐藤勝也に挑戦し、地元生え抜きの久保と官僚出身の佐藤という構図の対決となり、自民党県連が2つに割れた。
柳田 桃太郎(やなぎだ ももたろう、1907年(明治40年)… 柳田 桃太郎(やなぎだ ももたろう、1907年(明治40年)2月13日 - 2004年(平成16年)8月8日)は、日本の政治家。参議院議員(2期)、門司市長。 福岡県門司市大字畑(現北九州市門司区畑)で、農業・柳田春太郎、ミチ夫妻の三男として生まれる。福岡県立小倉中学校を経て、1928年、長崎高等商業学校を卒業。 1928年、大連市の国際運輸(株)に入社。1933年、満洲国官吏に転じ、ハルビン市、国務院官需局、同興農部、同経済部で勤務し、地方行政、農林行政、鉱山行政担当の部課長を歴任した。 1946年、満洲から引揚げて、故郷で農業を営む。農業協同組合理事を経て、1949年、中央経済調査庁に入庁し、監査部の部課長を務めた。
松尾 信人(まつお のぶと 、1905年〈明治38年〉4月9… 松尾 信人(まつお のぶと 、1905年〈明治38年〉4月9日 - 1990年〈平成2年〉9月19日)は、日本の政治家。公明党衆議院議員(2期)。 長崎県長崎市生まれ。1928年(昭和3年)、長崎高等商業学校(現・長崎大学経済学部)卒業。同年、長崎税関に入った。長崎税関総務部長、離島振興対策審議会委員を務めた。1969年(昭和44年)の第32回衆議院議員総選挙で長崎1区に公明党から出馬し、初当選。以後連続2期務める。同年の選挙には立候補せずに引退した。 その他、創価学会副理事長や中央選挙管理会予備委員務めた。 1990年(平成2年)9月19日、心不全のため東京都千代田区の東京警察病院で死去した。
辻 一三(つじ いちぞう、1903年(明治36年)3月14日… 辻 一三(つじ いちぞう、1903年(明治36年)3月14日 - 1989年(平成元年)9月6日)は、昭和期の日本の政治家で、公選3人目の佐世保市長である。同市名誉市民。 広島県安芸郡音戸町(現在の呉市)出身。1925年長崎高等商業学校(現長崎大学経済学部)卒。辻産業、西九州倉庫など会社経営から1958年、佐世保商工会議所会頭、市議会議員及び議長を経て1963年4月の市長選で現職を破り、第17代佐世保市長に就任。以後1979年まで、4期16年に及び市長を務めた。 市長就任2年後の1965年、喉頭がんが発見され手術を受けた。この際に声帯も切除せざるを得ず、前例のない「声なき市長」となる。一時は辞任も検討したが、食道発声法を習得して職務復帰を果たした。
羽田野 次郎(はたの じろう、1903年(明治36年)2月2… 羽田野 次郎(はたの じろう、1903年(明治36年)2月26日 - 1988年(昭和63年)4月29日)は、昭和期の農業協同組合指導者、政治家。衆議院議員。旧姓・前田。 大分県大野郡緒方村(緒方町を経て現豊後大野市)で、篤農家・前田弥三郎の二男として生まれる。大分県立竹田中学校(現大分県立竹田高等学校)を経て、1928年(昭和3年)長崎高等商業学校(現長崎大学)を卒業した。 同郷の羽田野ワキと結婚して羽田野に改姓し、東京市役所に勤務。その後帰郷し、教員、産業組合理事を務めたが、病のため療養した。 1946年(昭和21年)緒方村農地委員会長に就任し、大分県農地委員、緒方村助役を歴任。緒方村農業協同組合長、大分県農業協同組合連絡協議会長を務め、1948年(昭和23年)農協五連(信用、購買、販売、指導、厚生)結成発起人会総代表となり各連合会の結成に尽力し、大分県信用農業協同組合連合会長に就任した。
朴 在洪(パク・チェホン、朝鮮語: 박재홍、1903年1月1… 朴 在洪(パク・チェホン、朝鮮語: 박재홍、1903年1月18日または1906年1月18日 - 1979年6月28日または6月29日)は、日本統治時代の朝鮮および大韓民国のアナキスト、独立有功者、実業家、政治家。第3代韓国国会議員。浄土宗の仏教徒。 慶尚南道金海郡(現・金海市)出身。大成中学校、長崎商高、山口高商を卒業後、早稲田大学政経科2年修了。日本社会党幹部を務めたが、朴烈らと無政府運動を行ったため、大阪刑務所で3年8か月間留置された。その他は日活キネマ脚本部勤務、釜山朝紡会社人事課勤務を経て、大邱府で映画館大鏡館を経営し、大分県別府市で日鮮貿易商会を経営した。その後は満洲へ渡り、満州事変の時は長春市居留民僑胞団副委員長を務めたが、1932年に満洲派遣関東軍に従軍して1等通訳官として奉天、熱河、吉林、黒龍江各省を転戦した。
吉田 敬太郎(よしだ けいたろう、1899年5月8日 - 1… 吉田 敬太郎(よしだ けいたろう、1899年5月8日 - 1988年7月28日)は、日本の実業家、政治家、牧師。第二次世界大戦の戦時下で衆議院議員を1期務めたが、政府批判をして投獄された。獄中で聖書に出会い、戦後キリスト教に入信、公職追放に指定されて牧師となった。追放解除後には若松市長となり、5市合併によって北九州市が成立した際には市長職務執行者を務めた。位階は正五位。勲三等瑞宝章。 俠客出身の実業家で、衆議院議員も務めた吉田磯吉の養子として育ち、小倉中学校(後の福岡県立小倉高等学校の前身)、長崎高等商業学校に学んだ。 東京商科大学を卒業後、三菱鉱業勤務を経て、大倉高等商業学校(後の東京経済大学)講師となった。
今牧 嘉雄(いままき よしお、1897年(明治30年)12月… 今牧 嘉雄(いままき よしお、1897年(明治30年)12月15日 - 1980年(昭和55年)5月17日)は、大正から昭和期の内科医、右翼活動家、政治家。衆議院議員、医学博士。 富山県射水郡新湊町(高岡市、新湊町、新湊市を経て現射水市)で生まれる。1920年(大正9年)長崎医学専門学校(のち長崎医科大学、現長崎大学)を卒業し、その後、京都帝国大学医学部で研究した。 別府市の朝見病院長を経て、1930年(昭和5年)東京市京橋区で開業した。大川周明の雑誌『満蒙』に執筆し、大川の治療を行ったことなどから神武会に加盟した。1936年(昭和11年)大日本青年党に加わり、その後、大日本赤誠会に改称。また、日本医師会理事、日本医療団評議員、富士工業社長などを務めた。
大橋 博(おおはし ひろし、1897年3月 - 1965年1… 大橋 博(おおはし ひろし、1897年3月 - 1965年12月1日)は、日本の政治家。長崎市長(1期)。 長崎高等商業学校(現・長崎大学経済学部)卒業後、三菱長崎造船所に入り、その後、三菱製鋼長崎製鋼所副長となった。 1947年4月、第1回長崎市長選挙に長崎地区労や民主党の推薦を得て立候補し、選挙の結果、前助役らを破り、当選した。 当選後の最大の課題は食糧不足の解消で、食糧確保のため市外の住民の市内への転入制限や飲食店の休業が相次いだ。市民への食糧は米軍の援助もあり、まず確保された。 長崎市は原爆による戦災からの復興が進み、市民生活も徐々に安定を保ち、原爆投下から3年後の1948年8月9日初の市主催による原爆犠牲者の慰霊祭が行われ、大橋は市長として挨拶を述べ、市議会議長が「平和宣言」を行った。
岸田 正記(きしだ まさき、1895年〈明治28年〉12月1… 岸田 正記(きしだ まさき、1895年〈明治28年〉12月1日 - 1961年〈昭和36年〉6月3日)は、日本の実業家、政治家。衆議院議員。幾久屋百貨店店主。 元衆議院議員岸田文武の父。元広島県知事宮澤弘(元内閣総理大臣宮澤喜一の実弟)の岳父。元科学技術庁長官岩動道行は妻・和子の従姉妹。衆議院議員で第100・101代内閣総理大臣の岸田文雄と参議院議員宮澤洋一は孫。 広島県賀茂郡西志和村(現:東広島市)出身。岸田幾太郎の長男。西志和高等小学校卒業。1913年(大正2年)、広島県立広島商業学校卒業。広商時代の同級生に大木惇夫がいる。長崎高等商業学校、京都帝国大学法学部卒業。在学中の1922年(大正11年)高等文官試験行政科合格。
中村 継男(なかむら つぐお、1888年(明治21年)10月… 中村 継男(なかむら つぐお、1888年(明治21年)10月15日 - 1946年(昭和21年))は、日本の衆議院議員(立憲民政党→国民同盟)、大蔵官僚。 熊本県熊本市に中村午五郎の長男として生まれる。1912年(明治45年)に長崎高等商業学校(現在の長崎大学経済学部)を卒業後、一年志願兵となり、陸軍三等主計として退役した。熊本税務監督局に属官として勤務し、認められて1917年(大正6年)に東京税務監督局事務官に昇進した。1923年(大正12年)、官を辞して税務懇話会を組織し、納税思想の普及と税務に関する官民協調に尽力した。後の1938年(昭和13年)には税務懇話会は社団法人化された。 1925年(大正14年)、滝野川町の町会議員に当選した。
今泉 政喜(いまいずみ まさき、1886年〈明治19年〉10… 今泉 政喜(いまいずみ まさき、1886年〈明治19年〉10月 - 1976年〈昭和51年〉3月12日)は、大正から昭和期の薬剤師、政治家。参議院議員。 佐賀県小城郡小城町(現小城市)で今泉愛助の三男として生まれる。1912年(大正元年)長崎医学専門学校(のち長崎医科大学)薬学科を卒業した。 1921年(大正10年)今泉製薬会社代表社員に就任。その他、佐賀県地方薬品配給社長、全国薬品配給協会監事、佐賀県薬剤師会会長などを務めた。 1947年(昭和22年)4月、第1回参議院議員通常選挙で佐賀県選挙区から日本自由党公認で立候補して当選し(補欠、任期3年)、参議院議員に1期3年在任した。 1965年(昭和40年)秋の叙勲で勲四等に叙され、旭日小綬章を受章する。
一ノ瀬 俊民(いちのせ としたみ、1885年(明治18年)1… 一ノ瀬 俊民(いちのせ としたみ、1885年(明治18年)12月27日 - 1958年(昭和33年)6月16日)は、大正から昭和前期の実業家、政治家。衆議院議員、佐賀県杵島郡武雄町長。 佐賀県杵島郡、のちの武雄町(現武雄市)で、一ノ瀬傳三郎の長男として生まれる。1915年(大正4年)長崎高等商業学校(現長崎大学)を卒業。1920年(大正9年)家督を相続し農業を営む。 政界では、武雄町長、佐賀県会議員を務めた。1937年(昭和12年)4月、第20回衆議院議員総選挙に佐賀県第2区から立憲政友会公認で出馬して当選し、翼賛議員同盟に所属して衆議院議員に1期在任した。 戦後、公職追放となる。1951年(昭和26年)追放解除。
小見山 七十五郎(こみやま なそごろう / おみやま しちじ… 小見山 七十五郎(こみやま なそごろう / おみやま しちじゅうごろう、1885年(明治18年)6月28日 - 1948年(昭和23年)3月16日)は、日本の実業家、政治家。衆議院議員。
田辺 徳五郎(田邊 徳五郎、たなべ とくごろう、1885年(… 田辺 徳五郎(田邊 徳五郎、たなべ とくごろう、1885年(明治18年)2月1日 - 1947年(昭和22年)5月20日)は、大正から昭和時代前期の政治家、実業家、銀行家、地主、神奈川県多額納税者。衆議院議員(神奈川県第1区選出、当選1回)。旧姓は渡邊、旧名は眞吉、あるいは真吉。 神奈川県鎌倉郡戸塚駅(戸塚町を経て現横浜市戸塚区)に生まれる。渡邊三左衛門の弟。1909年(明治42年)長崎高等商業学校を卒業。横浜石川中村町(現南区中村町)の地主で金融業を営む田辺徳五郎の養嗣子となり、先代の没後に襲名する。 1914年(大正3年)田辺合資会社を設立。1922年(大正11年)横浜市会議員に当選し、1942年(昭和17年)まで務めた。
盛島 明長(もりしま めいちょう、1880年(明治13年)1… 盛島 明長(もりしま めいちょう、1880年(明治13年)12月19日 – 1941年(昭和16年)3月24日)は、衆議院議員(立憲政友会)、医師。 沖縄県宮古郡下地村(現在の宮古島市)出身。1902年(明治35年)に沖縄県師範学校を卒業し、小学校訓導を務めた。その後、長崎医学専門学校に入学し、1908年(明治41年)に卒業。翌年、郷里に医院を開業した。 医業のかたわら、1917年(大正6年)より県会議員となり、副議長、議長を歴任した。 1936年(昭和11年)、第19回衆議院議員総選挙に出馬し当選。翌年の第20回衆議院議員総選挙でも再選されたが、1938年(昭和13年)4月7日、衆議院議員選挙法違反事件で大審院で上告棄却となり長崎控訴院判決が確定して退職した。
松下 禎二(まつした ていじ、1875年(明治8年)6月21… 松下 禎二(まつした ていじ、1875年(明治8年)6月21日 - 1932年(昭和7年)6月23日)は、日本の衆議院議員(庚申倶楽部)、医学者。 鹿児島県高城郡西方村(現在の薩摩川内市西方町)出身。1890年(明治23年)、第五高等中学校医学部に入学し、1894年(明治27年)に卒業した。 1897年(明治30年)よりドイツに留学し、フライブルク大学・ギーセン大学・ハレ大学・ブレスラウ大学で植物学・動物学・物理学・鉱物学・内科学・病理学・衛生学・細菌学・耳鼻咽喉科学・哲学・心理学・論理学などを学んだ。 1902年(明治35年)に帰国し、翌年3月17日に医学博士の学位を得た。同年、京都帝国大学医科大学教授となり、衛生学講座を担当した。
大岡 育造(おおおか いくぞう、1856年7月4日〈安政3年… 大岡 育造(おおおか いくぞう、1856年7月4日〈安政3年6月3日〉- 1928年〈昭和3年〉1月26日)は、明治・大正期の弁護士・政治家。号は硯海。 医師大岡尚斎の長男として、長門国豊浦郡小串村(現:山口県下関市)に生まれた。1873年(明治6年)、長崎医学校(現:長崎大学医学部)に入ったが、翌年廃校となった為、上京して大井憲太郎らの講法学舎で法律を学んだ。司法省法学校に通ったとの記事は、裏付けを欠くとも言う。 1880年(明治13年)12月、代言人(現在の弁護士)の資格を取り、講法学舎の幹事になった。沼間守一に兄事して、1881年(明治14年)、板垣退助らの自由党に入党した。また、共立学校の幹事に転じ、1882年(明治15年)、校長になった。