高岩 淡(たかいわ たん、1930年11月13日 - )は、… 高岩 淡(たかいわ たん、1930年11月13日 - )は、日本の映画プロデューサー、実業家。東映代表取締役社長、会長、相談役を歴任した。
九州大学:167人
高岩 淡(たかいわ たん、1930年11月13日 - )は、… 高岩 淡(たかいわ たん、1930年11月13日 - )は、日本の映画プロデューサー、実業家。東映代表取締役社長、会長、相談役を歴任した。
清水 晃(しみず ひかる、1930年11月5日 - 2016… 清水 晃(しみず ひかる、1930年11月5日 - 2016年7月20日)は、日本の経営者。西日本新聞社社長を務めた。 福岡県田川市出身。1954年に九州大学法学部を卒業し、同年に西日本新聞社に入社。1985年に取締役に就任し、1987年に常務、1989年6月に専務を経て、1995年6月に社長に就任。2001年6月に会長に就任し、2007年6月から1年間相談役を務めた。 テレビ西日本会長、共同通信社理事なども歴任。 2016年7月20日心不全のために死去。85歳没。 この項目は、人物に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(プロジェクト:人物伝、Portal:人物伝)。
神宮寺 順(じんぐうじ じゅん、1930年1月16日 - 1… 神宮寺 順(じんぐうじ じゅん、1930年1月16日 - 1997年4月18日)は、日本の経営者。沖電気工業社長を務めた。鹿児島県出身。 1953年に九州大学工学部通信工学科を卒業し、同年に日本電信電話公社に入社した。1978年3月に沖電気工業に転じ、同年6月に取締役に就任し、1979年6月に常務、1988年6月に専務を経て、1992年10月に社長に就任。1995年8月に取締役に就任し、1996年6月から特別顧問を務めた。 1997年4月18日脳腫瘍のために神奈川県大和市の病院で死去。67歳没。
岡 誠(おか まこと、1929年8月10日 - )は、日本の… 岡 誠(おか まこと、1929年8月10日 - )は、日本の実業家。 福岡県に生まれる。1947年福岡県中学修猷館を経て、1954年九州大学経済学部を卒業しNHKに入社。 1972年トリオ(後にケンウッドと改称、日本ビクターと合併して現在JVCケンウッド)に入社。1973年1月取締役となり、1980年8月常務、1983年8月専務、1989年2月副社長を経て、1990年2月社長に就任。1999年6月会長、2000年6月相談役となる。
蝶野 照正 (ちょうの てるまさ、1929年(昭和4年)1月… 蝶野 照正 (ちょうの てるまさ、1929年(昭和4年)1月8日 - 1994年(平成6年))は、日本の実業家。 山陽国策パルプ(現:日本製紙)元専務取締役。山陽国策産業(現:日本製紙総合開発)元社長。 愛媛県新居浜市出身。蝶野勝四郎・ヒロの次男に生まれる。1952年(昭和27年)九州大学農学部林学科を卒業し、同年4月山陽パルプ(現:日本製紙)に入社。1972年(昭和47年)3月31日に山陽パルプと国策パルプ工業が合併し、山陽国策パルプ発足後、1981年(昭和56年)6月取締役に就任。 1985年(昭和60年)常務、1989年(平成元年)6月専務を経て、1991年(平成3年)6月退任。山陽国策パルプ(現:日本製紙総合開発)に就任した。
迎 靜雄(むかえ しずお、1928年9月2日 - 2010年… 迎 靜雄(むかえ しずお、1928年9月2日 - 2010年11月3日)は、九州工業大学第8代学長で、株式会社北九州テクノセンター代表取締役社長、学校法人九州国際大学理事長を歴任。 1928年福岡県に生まれ、1948年3月明治工業専門学校(現:九州工業大学)冶金科、1952年3月九州大学工学部冶金学科を卒業後、1957年3月九州大学大学院研究奨学生前後期を修了し、1958年7月に九州工業大学講師として母校の教壇に立つ。その後1960年4月助教授、1970年4月教授と、九州工業大学で29年に亘って溶接工学、特に鋼及びアルミニウム合金溶接部の金属学的特性に関する教育研究に尽力する。これらの研究成果は軽金属溶接構造協会賞、溶接学会賞、日本溶接協会業績賞及び嘉村記念賞などで高く評価され、溶接学会会長などの要職を歴任する。
大野 茂(おおの しげる、1928年1月8日 - 2006年… 大野 茂(おおの しげる、1928年1月8日 - 2006年6月2日)は、日本の実業家。九州電力代表取締役社長や、同社代表取締役会長、九州・山口経済連合会会長等を歴任した。旭日大綬章受章。岡山県岡山市出身。 1951年九州大学経済学部卒業、日本発送電入社。九州電力東京支社長、九州電力取締役副社長を経て1991年から九州電力代表取締役社長を務めた。1997年九州電力代表取締役会長。同年より九州・山口経済連合会(現九州経済連合会)会長を務め、九州・沖縄サミット協力特別委員会を設立。2000年の第26回主要国首脳会議への対応にあたった。王貞治後援会王友会会長等も歴任。2004年秋の叙勲で旭日大綬章受章。
加藤 幹夫(かとう みきお、1927年9月29日 - 199… 加藤 幹夫(かとう みきお、1927年9月29日 - 1991年8月2日)は、日本の経営者、農学博士。協和発酵工業社長、会長を務めた。島根県出身。社長を務めた加藤辨三郎は父。 1952年に九州大学農学部農業工学科を卒業し、1954年に協和発酵工業に入社。 1979年3月に取締役に就任し、1980年3月に常務、1981年3月に専務を経て、1982年5月に副社長に就任し、1984年3月には社長に昇格。 1991年8月2日急性肺炎のために死去。63歳没。
行徳 克己(ぎょうとく かつみ、1927年〈昭和2年〉2月1… 行徳 克己(ぎょうとく かつみ、1927年〈昭和2年〉2月14日 - 2014年〈平成26年〉7月2日)は、日本の実業家、元共栄火災海上保険社長・会長。福岡県出身。 この項目は、人物に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(プロジェクト:人物伝、Portal:人物伝)。
出光 裕治(いでみつ ゆうじ、1927年1月1日 - )は、… 出光 裕治(いでみつ ゆうじ、1927年1月1日 - )は、日本の実業家。第6代出光興産代表取締役社長。第6代日本プラントメンテナンス協会会長。第16代石油連盟会長。 出光興産創業者出光佐三の兄雄平の次男。1943年東京府立第一中学校4年修了。旧制浦和高等学校を経て、九州大学法文学部経済科卒業、マルクス経済学の高橋正雄ゼミ出身。1993年から出光興産社長を務めた。1994年日本プラントメンテナンス協会会長。 1995年には出光興産からは出光計助、石田正実に続き3人目となる石油連盟会長に就任。1998年出光興産相談役に退いた。 2012年旭日重光章受章。
賀来 龍三郎(かく りゅうざぶろう、1926年〈大正15年〉… 賀来 龍三郎(かく りゅうざぶろう、1926年〈大正15年〉5月19日 - 2001年〈平成13年〉6月23日)は、日本の経営者・実業家。キヤノン元社長・会長・名誉会長。キヤノンカメラを大手情報機器メーカーに成長させるなど「キヤノン中興の祖」と呼ばれている。長年に渡り、経済同友会副代表幹事を務めた。 愛知県岡崎市田町生まれ。生後半年で岡崎市を離れ、父の郷里である大分県中津市で育った。20歳で、太平洋戦争の敗戦を迎えた後、代用教員や行商など苦学を重ねながら青山中学校、第五高等学校を経て千葉工業大学工学部に入学するも中退。その後、故郷の九州大学経済学部へ入学し、1954年(昭和29年)に卒業する。 九州大学卒業後、現在のキヤノン(旧キヤノンカメラ)に入社。
工藤 冲(くどう とおる、1925年11月10日 - )は、… 工藤 冲(くどう とおる、1925年11月10日 - )は、日本の経営者。大分県出身。 1948年に九州大学法学部政治学科を卒業し、同年に野村證券に入社。1965年11月に取締役に就任し、1971年11月に常務、1974年11月に野村不動産専務を経て、1978年12月に副社長に就任し、1981年12月には社長に昇格。1985年12月には監査役に就任。
吉田 正樹(よしだ まさき、1925年2月3日 - 1993… 吉田 正樹(よしだ まさき、1925年2月3日 - 1993年2月6日)は、日本の経営者。三菱油化(現在の三菱ケミカル)社長を務めた。山口県下関市出身。 1947年に九州帝国大学工学部電気工学科を卒業し、同年に商工省に入省した。1963年4月に三菱油化に移り、1973年2月に取締役に就任し、常務、専務を経て、1981年3月に社長に就任した。 1984年11月に藍綬褒章を受章した。 1993年2月6日肝不全のため死亡。68歳没。
笹井 章(ささい あきら、1924年 <大正13年> 9月1… 笹井 章(ささい あきら、1924年 <大正13年> 9月19日 - 2004年 <平成16年> 7月16日)は、日本の経営者。明治製菓社長を務めた。位階は従四位。 東京都出身。旧制四高を経て1948年に九州大学農学部農芸化学科を卒業し、同年に明治製菓に入社。1974年11月に取締役に就任し、常務、専務を経て、1988年6月に社長に就任。1995年6月から会長を務めた。 1997年4月に勲三等旭日中綬章を受章。 2004年7月16日多臓器不全のために死去。79歳没。死没日付をもって従四位に叙された。 この項目は、人物に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(プロジェクト:人物伝、Portal:人物伝)。
上野 他一(うえの たいち、1924年6月10日 - 201… 上野 他一(うえの たいち、1924年6月10日 - 2015年5月4日)は、日本の経営者。クラレ社長を務めた。大分県大分市出身。 1958年に九州帝国大学法文学部を卒業し、同年に日本興業銀行に入行。 1972年11月に取締役に就任し、1975年5月には専務に就任した。 1978年5月にクラレに転じ、同年6月に専務に就任し、1981年6月に副社長に就任し、1982年10月には社長に昇格した。1990年6月から相談役に就任した。 2015年5月4日前立腺がんのために死去。90歳没。
本田 精一(ほんだ せいいち、1923年12月3日 - 20… 本田 精一(ほんだ せいいち、1923年12月3日 - 2019年6月23日)は、日本の実業家。 福岡県に生まれる。1941年、福岡県中学修猷館を経て、1950年、九州大学経済学部を卒業し日産火災海上に入社。 1973年6月、同社取締役となり福岡支店長、1974年6月大阪支店長、1977年7月常務、1978年11月専務、1980年7月副社長を経て、1981年7月社長に就任する。1989年6月相談役、1994年6月顧問となる。
属 正(さっか ただし、1923年7月24日 - 2022年… 属 正(さっか ただし、1923年7月24日 - 2022年9月6日)は、日本の経営者。山口県下関市出身。 1952年に九州大学理学部化学科を卒業し、同年に西部ガスに入社。1979年6月に理事に就任し、福岡支店長、取締役、常務、専務、副社長を経て、1989年6月に社長に就任し、1993年6月には副会長に就任。1998年6月から相談役を務めた。 1993年から2004年までに九州生産性本部会長を務めた。 1990年11月に藍綬褒章を受章し、2001年4月に勲二等瑞宝章を受章。 2022年9月6日、老衰のため死去。99歳没。
大城 金夫(おおき かねお、1923年3月13日 - 200… 大城 金夫(おおき かねお、1923年3月13日 - 2003年11月12日)は、日本の実業家。 盲人福祉運動家大城雪造の三男として、福岡県に生まれる。1940年福岡県中学修猷館を経て、1948年九州大学工学部土木工学科を卒業。 1948年福岡市に勤務した後、1954年防衛庁陸上自衛隊一等陸尉となる。 1959年日本道路公団に入り、福岡建設局長を経て、1980年理事。1984年8月前田建設工業顧問となり、1985年2月常務。1986年10月東京湾横断道路副社長となり、1995年6月代表取締役社長に就任。東京湾アクアラインを完成させ、1997年12月東京湾横断道路から日本道路公団に道路施設を引渡し、皇太子夫妻を招いて開通式を行った。
中川 正輔(なかがわ まさすけ、1923年2月21日 - 1… 中川 正輔(なかがわ まさすけ、1923年2月21日 - 1993年1月21日 )は、日本の経営者。 福岡県北九州市出身。1948年に九州大学法文学部を卒業し、同年に九州配電(のちの九州電力)に入社。鹿児島支店長、理事を経て、1977年6月に取締役に就任し、常務を経て、1983年6月に副社長に就任。1988年6月に九州旅客鉄道会長に就任し、福岡県公安委員会委員長も務めた。 1988年4月に藍綬褒章を受章。
山西 由之(やまにし よしゆき、1922年(大正11年)10… 山西 由之(やまにし よしゆき、1922年(大正11年)10月1日 - 1986年(昭和61年)3月22日)は日本の実業家。TBS社長を歴任した。 長崎県平戸市出身。東亜同文書院在学中に兵役に就き、1947年(昭和22年)九州大学法文学部を卒業後、改造社に入社。雑誌「改造」の編集に携わるが、1955年(昭和30年)の廃刊とともにTBSの前身であるラジオ東京に転じ、テレビ編成局長、テレビ本部長、取締役、常務、1975年(昭和50年)5月専務を歴任。 1977年(昭和52年)6月29日、諏訪博の後任として社長に昇格し、東京データビジョン、テレビユー福島などの設立に尽くした。1982年(昭和57年)から1984年(昭和59年)まで日本民間放送連盟会長。
小川 守正(おがわ もりまさ、1922年1月23日 - 20… 小川 守正(おがわ もりまさ、1922年1月23日 - 2019年3月2日)は、日本の実業家、文筆家。 旧制甲南高等学校卒業。1944年九州帝国大学工学部航空学科卒業。川西航空機へ入社するが戦後解散。小型三輪車の明和自動車に移り、同社で労組委員長をつとめた。 1955年松下電器産業入社。電子レンジ事業部長等を経て、1977年独立分社、松下住設機器専務、1982年社長。 1984年退職。甲南学園理事長、近畿大学工学部教授。松下電器産業客員、PHP研究所参与、甲南病院理事長。
寺井 久美(てらい ひさよし、1921年10月23日 - 2… 寺井 久美(てらい ひさよし、1921年10月23日 - 2007年3月4日)は、日本の運輸官僚、経営者。海上保安庁長官などを務めた。 和歌山県出身。1945年に九州帝国大学法学部経済学科を卒業し、同年に運輸省に入省し、1947年に高文行政科に合格。1973年9月に航空局長、1974年6月に海上保安庁長官を歴任し、1975年7月に運輸省顧問に就任。その後は、1979年9月に日本アジア航空副社長、1983年10月に日本貨物航空副社長、1990年7月に航空振興財団理事長を歴任。 1992年11月に勲二等瑞宝章を受章。 2007年3月4日に腹部大動脈瘤破裂のために死去。85歳没。 この項目は、人物に関連した書きかけの項目です。
中瀬 秀夫(なかせ ひでお、1920年8月1日 - 1991… 中瀬 秀夫(なかせ ひでお、1920年8月1日 - 1991年1月7日 )は、日本の経営者。日清紡績社長、会長を務めた。 長崎県出身。1947年に九州大学法文学部経済学科を卒業し、同年に日清紡績に入社した。1967年6月に取締役に就任し、1970年6月に常務、1976年7月に専務を経て、1979年7月に社長に就任。1986年6月に会長に就任。 1991年1月7日、急性心不全のために死去。70歳没。 この項目は、人物に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(プロジェクト:人物伝、Portal:人物伝)。
尾上 康治(おのえ やすはる、1919年2月15日- 200… 尾上 康治(おのえ やすはる、1919年2月15日- 2003年12月24日 )は、日本の経営者、理学博士。徳山曹達(現在のトクヤマ)社長、会長を務めた。 山口県出身。1947年に九州大学理学部化学科を卒業し、1948年に徳山曹達(のちのトクヤマ)に入社した。1969年に取締役に就任し、1974年5月に常務、1977年6月に専務を経て、1982年6月には社長に就任。1989年6月に会長に就任し、1995年6月には相談役に就任。 山口朝日放送社長も務めた。 1974年に紫綬褒章を受章し、1994年11月に勲二等瑞宝章を受章。 2003年12月24日、肺炎のために死去。84歳没。 この項目は、人物に関連した書きかけの項目です。
前田 和雄(まえだ かずお、1919年2月13日 - 200… 前田 和雄(まえだ かずお、1919年2月13日 - 2009年10月7日)は、日本の経営者、工学博士。三井造船社長を務めた。山口県出身。 1943年に九州帝国大学工学部造船学科を卒業し、同年に三井造船に入社。1968年に取締役に就任し、1974年5月に常務、1977年6月に専務を経て、1979年6月に社長に就任。1986年6月には会長に就任し、1993年に相談役を経て、1998年7月に特別顧問に就任。 1983年4月に藍綬褒章を受章し、1996年11月に勲二等旭日重光章を受章。 2009年10月7日、骨髄異形成症候群のために死去。90歳没。
石橋 周一(いしばし しゅういち、1918年1月10日 - … 石橋 周一(いしばし しゅういち、1918年1月10日 - 2007年8月9日)は、日本の経営者。九州電力副社長、福岡放送社長を務めた。東京都出身。 1941年に九州帝国大学工学部機械学科を卒業し、1942年に日本製鉄八幡製鉄所に入社。 1946年4月に日本発送電を経て、1951年5月に九州電力に転じ、1971年5月に取締役に就任し、1975年5月に常務を経て、1979年12月に副社長に就任。1987年6月から1991年4月までに福岡放送社長を務めた。 1982年11月に藍綬褒章を受章し、1988年11月に勲三等旭日中綬章を受章。 2007年8月9日肺炎のために死去。89歳没。 妻の喜和子(1925年生)は岩田屋百貨店社長中牟田喜兵衛(2代)の娘。
宮崎 善吾(みやざき ぜんご、1917年(大正6年)4月17… 宮崎 善吾(みやざき ぜんご、1917年(大正6年)4月17日 - 2006年(平成18年)12月13日)は、日本の政治家、会社役員。元・佐賀県副知事。 宮崎林三郎(2代目)の長男として佐賀県に生まれる。 九州大学卒業後、佐賀県職員となる。同県副知事まで登りつめ、1978年(昭和53年)6月から1979年(昭和54年)5月までその地位にあった。ほかに佐賀清和学園理事長、エフエム佐賀社長、財団法人佐賀経済調査協会理事長などを歴任。佐賀の顔役の1人であった。1987年、勲三等瑞宝章を受章。 第一勧業銀行頭取を務めた宮崎邦次は実弟。邦次は『第一勧業銀行総会屋利益供与事件』の発覚によって非業の死を遂げるが、善吾はその死について多くを語らず、香典やおくやみの言葉を贈ろうとする者はかなりの数にのぼったが、一切、断った。
國枝 忠雄(くにえだ ただお、1917年3月25日 - 20… 國枝 忠雄(くにえだ ただお、1917年3月25日 - 2015年1月10日)は、日本の実業家。中部日本放送社長を務めた。富山県富山市出身。 高岡高等商業学校を経て、1944年に九州帝国大学社会学科卒業。同年に日本放送協会に入社した。しかし、1950年に公職追放を受けたことにより解雇され、1952年に小嶋源作の紹介により、中部日本放送に入社した。 東京支社長、取締役、常務、専務を経て、1975年12月に社長に就任した。1987年6月から副会長に就任し、1989年6月から相談役に就任した。 1980年に藍綬褒章を受章し、1987年に勲二等瑞宝章を受章した。また、1979年にイタリア政府から「共和国有功勲章コンメダトーレ章」を受章し、1982年にオーストリア大使館からオーストリア大栄誉金章を受章し、1985年にフランス政府から国家功労章を受章した。
片山 仁八郎(かたやま にはちろう、1916年3月31日 -… 片山 仁八郎(かたやま にはちろう、1916年3月31日 - 1997年3月14日)は、日本の経営者。三菱電機社長、会長を務めた。佐賀県鳥栖市出身。 1935年に九州帝国大学工学部電気工学科を卒業し、同年に三菱電機に入社した。1974年に取締役に就任し、常務、副社長を経て、1980年から社長に就任し、1985年から会長に就任し、1991年から相談役に就任した。 日本電子工業振興会会長、新世代コンピュータ技術開発機構理事長なども歴任した。 1983年にマイクロ波放電光源装置の開発により、毎日工業技術賞に授賞し、1989年に勲一等瑞宝章を受章し、1993年にドイツ一等功労十字章を受章した。 1997年3月14日膀胱癌のために死去。
岡庭 博(おかにわ ひろし、1912年11月30日 - 20… 岡庭 博(おかにわ ひろし、1912年11月30日 - 2004年2月20日)は、日本の実業家、経営学者。日本興業銀行勤務を経て、三光汽船の代表取締役、会長を務めた。大阪産業大学名誉教授、経済学博士。 長男は評論家の岡庭昇。 兵庫県神戸市出身。姫路高等学校を経て、1935年に九州帝国大学法文学部に入学。在学中に高等文官試験に合格したが、官僚への道には進まず、卒業後、日本興業銀行に入行。調査部に配置され、大阪支店に勤務した。 1943年、姫路高校の先輩である河本敏夫に乞われて、三光汽船に取締役として入社。三光汽船の番頭格として河本を補佐し、財務担当役員として活躍した。 1949年、河本が第24回衆議院議員総選挙に兵庫県第4区から出馬し当選。
金森 政雄(かなもり まさお、1911年(明治44年)12月… 金森 政雄(かなもり まさお、1911年(明治44年)12月18日 - 2001年(平成13年)8月15日)は、日本の技術者、実業家。三菱重工業取締役社長や、同社取締役会長、経団連副会長、日本プラントメンテナンス協会会長、日本造船工業会会長などを歴任した。勲一等瑞宝章受章。 山口県山口市野田生まれ。1932年(昭和7年)旧制福岡高等学校を卒業。1935年(昭和10年)九州帝国大学工学部冶金学科卒業し、三菱重工業に入社。1971年(昭和46年)三菱重工業技術本部長。 1977年(昭和52年)三菱重工業取締役社長。1981年(昭和56年)三菱重工業取締役会長。 1986年(昭和61年)日本プラントメンテナンス協会会長。
麻生 太賀吉(あそう たかきち、1911年〈明治44年〉9月… 麻生 太賀吉(あそう たかきち、1911年〈明治44年〉9月29日 - 1980年〈昭和55年〉12月2日)は、日本の実業家、政治家。麻生セメント会長。衆議院議員(3期)。第92代内閣総理大臣麻生太郎の父。 1911年(明治44年)9月29日、九州の炭鉱王麻生太吉の三男・太郎を父に、子爵加納久朗の妹・夏子を母として福岡県嘉穂郡飯塚町(現・飯塚市)に生まれる。1929年(昭和4年)に旧制福岡中学校(現・福岡県立福岡高等学校)を卒業し、昭和4年から昭和7年まで九州帝国大学(現・九州大学)法文学部聴講生。1931年(昭和6年)に祖父の経営する麻生商店に入社し、1934年(昭和9年)に社長となる。1935年(昭和10年)、帝国軍人後援会福岡県支会経費として2000円寄付により1937年(昭和12年)褒状下賜。
大内田 正(おおうちだ ただし、1911年3月25日-199… 大内田 正(おおうちだ ただし、1911年3月25日-1998年3月5日 )は、日本の経営者。日立建機社長、会長を務めた。 福岡県出身。1933年に九州帝国大学工学部電気工学科を卒業し、同年に日立製作所に入社。 1963年11月に取締役に就任し、1968年11月に常務を経て、1970年9月に専務と日立建機取締役に就任し、1981年6月には社長に就任。1981年6月に会長に就任し、1985年6月に相談役に就任。 1975年4月に藍綬褒章を受章し、1981年4月に勲三等旭日中綬章を受章。 1998年3月5日腎不全のために死去。86歳没。 この項目は、実業家に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(P:経済学、PJ:経済)。
小林 春男(こばやし はるお、1911年3月4日 - 200… 小林 春男(こばやし はるお、1911年3月4日 - 2005年9月21日)は、日本の経営者。八十二銀行頭取を務めた。長野県出身。 1937年に九州帝国大学法文学部経済学科を卒業。東洋拓殖、大蔵省での勤務を経て、1951年に八十二銀行に入社し、常任監査役に就任。 1967年に取締役に就任し、1969年に常務を経て、1973年5月に副頭取に就任し、1975年12月に頭取に昇格。1989年6月から会長を務めた。 1981年11月に勲三等瑞宝章を受章し、1990年4月に勲二等瑞宝章を受章。 2005年9月21日心不全のために死去。94歳没。
市田 左右一(いちだ そういち、1910年12月30日 – … 市田 左右一(いちだ そういち、1910年12月30日 – 1986年6月30日)は、日本の実業家。国際サッカー連盟 (FIFA) 常任理事を日本人としてはじめて務めた。著名な切手収集家でもあり、日本の手彫切手の収集・研究に努めるとともに、多くの著作を通じてその成果を海外に紹介した。 1910年(明治43年)、市田幸四郎・四寿子夫妻の長男としてとして、東京に生まれる。父は日本におけるオフセット印刷の創始者と呼ばれる人物。母はキリスト教伝道者金森通倫の娘。市田家は神戸元町通で著名な写真館「市田写真館」を営んでおり、幸四郎は明治初年に神戸で活動した写真家市田左右太(1843年 - 1896年)から数えて3代目にあたる(ただし市田家は男子に恵まれず代々を養子で継いでおり、幸四郎も養子である)。
真藤 恒(しんとう ひさし、1910年7月2日 - 2003… 真藤 恒(しんとう ひさし、1910年7月2日 - 2003年1月26日)は、日本の実業家。福岡県久留米市出身。石川島播磨重工業(現:IHI)の社長、電電公社の最終代総裁、NTT初代社長・会長を務めた。また、ドクター合理化の異名を取った。 中学明善校(現・福岡県立明善高等学校)卒業。1934年春、九州帝国大学工学部造船学科を卒業後、播磨造船所(後の石川島播磨重工業)に入社。戦後はアメリカの「海運王」、ダニエル・ラドウィックと手を組み、当時としては画期的な手法で数々の船舶を建造し、専門の船ではそれまでの常識を破った「ズングリムックリ」型のタンカーを考え出したり、従来の貨物船が一隻ごとにオーナーと仕様を決めるオーダーメイドであったのを、あらかじめ造船所が主要スペックを決めてカタログ販売する標準船を世に送り出した。
進藤 貞和(しんどう さだかず、1910年3月4日 - 20… 進藤 貞和(しんどう さだかず、1910年3月4日 - 2002年2月22日)は、日本の実業家。三菱電機社長を歴任。広島県呉市生まれ、長崎県、高知県育ち。九州帝国大学工学部電気科卒。
間 端夫(あいだ まさお、1909年11月24日 - 199… 間 端夫(あいだ まさお、1909年11月24日 - 1994年5月29日)は、日本の経営者。福岡県出身。 1933年に九州帝国大学法学部法学科を卒業し、同年8月に八幡製鉄所に入社。1954年12月に参与に就任し、1961年2月に愛知製鋼専務を経て、1962年6¥2月に副社長に就任し、1964年2月から1969円12月までに社長を務めた。1972年5月から1976年9月までに日本特殊鋼社長を務めた。 1994年5月29日心不全のために死去。84歳没。
太田 清之助(おおた せいのすけ、1909年(明治42年)1… 太田 清之助(おおた せいのすけ、1909年(明治42年)1月19日 - 1989年(平成元年)2月26日)は、日本の実業家。元・博多大丸会長。元・大日本麦酒技師。 第一徴兵保険(後の東邦生命保険)社長、衆議院議員、貴族院議員などを務めた四代目太田清蔵の四男。東邦生命保険社長五代目太田清蔵の弟。元・自民党衆議院議員太田誠一、ホテル日航福岡社長太田輝幸の実父。妻・俊子は商工大臣、農林大臣、大蔵大臣など歴任した櫻内幸雄の三女。 福岡県福岡市出身。旧制福岡高等学校理科甲類を経て、1933年に九州帝国大学農学部農芸化学科を卒業。大日本麦酒に入り1938年、兵役。1946年香椎農園、1949年日東食品を各経営。
玉置 明善(たまき あきよし、1908年〈明治41年〉8月8… 玉置 明善(たまき あきよし、1908年〈明治41年〉8月8日 - 1981年〈昭和56年〉6月2日)は、昭和時代の実業家。 清の大連にて玉置準三の長男として生まれる。本籍は佐賀県。旧制佐賀高等学校、1930年に九州帝国大学工学部応用化学科を卒業。同年、三菱合資会社に入社。翌年1931年、三菱石油(現 JXTGエネルギー)に移る。1946年に工事部長、1948年に同社工事部が分離独立して千代田化工建設が発足すると常務取締役となる。1957年11月、初代社長の大久保繁雄に代わり社長に就任。1970年会長兼務。 安全工学協会(現: 特定非営利活動法人安全工学会)の第2代会長(1967年-1978年)や、化学工学協会(現: 公益社団法人化学工学会)の第16代会長(1967年-1969年)、日本プラントメンテナンス協会の初代会長(1981年)を務めた。
里井 達三良(さとい たつさぶろう、1908年(明治41年)… 里井 達三良(さとい たつさぶろう、1908年(明治41年)2月21日 - 1998年(平成10年)12月21日)は、昭和期の経営者である。 大阪府泉佐野市出身。九州大学経済学部卒業。大阪商工会議所の勤務を経て、関西国際空港ビルディング株式会社社長、大阪商工会議所副会頭など歴任し、1970年(昭和45年)の日本万国博覧会、1974年(昭和49年)には中国展覧会の運営に中枢的役割を果たす。 また、インターグループ株式会社設立時の顧問、大阪ロータリークラブ会長、文楽協会の評議員、大阪府「なにわ塾」創始時の委員など、多くの文化団体の役員や委員として大阪の文化の振興発展に精力的に活躍する。1984年(昭和59年)、大阪文化賞を受賞。
藤見 敬譲(ふじみ けいじょう、1907年3月20日 - 1… 藤見 敬譲(ふじみ けいじょう、1907年3月20日 - 1982年12月9日)は、日本の経営者。明治乳業社長を務めた。 山口県出身。1930年に九州帝国大学農学部農芸化学科を卒業。明治製菓での勤務を経て、1937年に明治乳業に転じ、1959年に取締役に就任し、常務、専務、副社長を経て、1977年6月に社長に就任した。 1982年12月9日、肝臓癌のために死去。75歳没。 この項目は、まだ閲覧者の調べものの参照としては役立たない、人物に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(P:人物伝/PJ:人物伝)。
由水 政次(よしみず まさじ、1907年3月10日 - 20… 由水 政次(よしみず まさじ、1907年3月10日 - 2004年10月24日)は、日本の経営者。北越製紙社長を務めた。 石川県出身。1931年に九州帝国大学法科を卒業し、同年に日本勧業銀行に入行。1958年5月に取締役に就任し、1960年6月には北越製紙専務に就任し、1972年6月に副社長を経て、同年12月には社長に就任した。1977年7月に会長を経て、1981年6月には相談役に退いた。 2004年10月24日、老衰のために死去。97歳没。 この項目は、まだ閲覧者の調べものの参照としては役立たない、人物に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(P:人物伝/PJ:人物伝)。
古賀 進(こが すすむ、1906年2月21日 - 1996年… 古賀 進(こが すすむ、1906年2月21日 - 1996年9月22日)は、日本の経営者。住友セメント(現在の住友大阪セメント)社長、会長を務めた福岡県出身。 1930年に九州帝国大学工学部採鉱学科を卒業し、同年に住友石炭鉱業に入社。1950年3月に取締役に就任し、1956年3月に常務、1960年8月に専務を経て、1963年5月に磐城セメント(のちの住友セメント)副社長に就任し、1970年4月には社長に昇格。1974年5月に会長、1978年6月に取締役相談役を経て、1980年6月に相談役に就任。 1996年9月22日脳梗塞のために死去。90歳没。
赤沢 与仁(赤澤 與仁、あかざわ よじん、1905年(明治3… 赤沢 与仁(赤澤 與仁、あかざわ よじん、1905年(明治38年)10月6日 – 1960年(昭和35年)2月13日)は、昭和期の農政家、実業家、政治家。位階は正五位。参議院議員。 徳島県板野郡大津村吉永(現鳴門市大津町吉永)で、赤沢時太郎、サキの長男として生まれる。1930年(昭和5年)九州帝国大学法文学部法科を卒業した。 1933年(昭和8年)産業組合中央会徳島県支会主事補に就任。その後、徳島県農業会長、全国農業会理事、大津農業協同組合長、徳島県農業協同組合連合会理事、同会長、全国農業協同組合連合会理事、徳島県信用農業協同組合連合会長、農林中央金庫評議員、全国農業共済組合連合会理事、徳島民報社監査役、日本ガイドショップ社長、石岡電機顧問などを務めた。
浜 正雄(はま まさお、1905年1月30日 - 没年不詳)… 浜 正雄(はま まさお、1905年1月30日 - 没年不詳)は、日本の実業家。 浜磯之助の長男として福岡県早良郡鳥飼村(現・福岡市)に生まれる。日本学士院会員の医学者浜清は実弟。1922年福岡県立中学修猷館、1925年3月旧制福岡高等学校文科甲類を経て、1928年3月九州帝国大学法文学部を卒業。 1928年3月徴兵により佐世保重砲兵大隊に1年間入隊。1931年4月外務省文化事業部補給生として中国に留学し北京大学、清華大学、東亜同文書院などで現代中国の研究を行う。 1934年4月南満洲鉄道(満鉄)に入社し、対中国要員として満鉄調査部に配属される。青島事務所を経て、1936年4月北京事務所へ異動し、同年12月中国における満鉄の権益拡大をコントロールする機構である、大連本社の総裁室東亜課に勤務。
川上 米男(かわかみ よねお、1904年11月29日 - 1… 川上 米男(かわかみ よねお、1904年11月29日 - 1990年2月25日)は、日本の実業家、技術者である。長府製作所の実質的創業者であり、同社の社長と会長を歴任した。 1904年に福岡県久留米市に生まれる。第七高等学校(旧制)を経て、1928年3月九州帝国大学農学部を卒業する。 卒業後、農林省に入省し、農業試験場で農機具の試験などを行った。1946年山口県農業会長府工場の製造部長に就任する。8カ月ほどで見切りをつけたが、1949年山口県経済連(旧山口農業会)長府工場の再建を依頼され工場長として復帰し、以降実質的な経営者となる。 1954年長府工場が「株式会社長府製作所」へ改組後、専務取締役に就任する。
森 清治(もり せいじ、1904年8月25日 - 1975年… 森 清治(もり せいじ、1904年8月25日 - 1975年5月29日)は、日本の経営者。 佐賀県出身。1929年に九州帝国大学工学部機械工学科を卒業し、同年に小野田セメントに入社。1955年5月に取締役に就任し、常務、専務を経て、1966年5月には社長に就任。1973年10月には会長に就任。 1974年11月に勲二等瑞宝章を受章。 1975年5月29日肝臓腫瘍のために死去。70歳没。
原田 源三郎(はらだ げんざぶろう、1904年2月16日 -… 原田 源三郎(はらだ げんざぶろう、1904年2月16日 - 1995年11月2日)は、日本の工学者、実業家。日本磁力選鉱の創業者。 現在の福岡県北九州市出身。明治専門学校(現九州工業大学)工学部電気工学科卒業後、九州帝国大学(現九州大学)で冶金を専攻。 大学卒業後は特殊合金、大倉鉱業、満洲本渓湖特殊鋼等で鉄鉱石に関する研究活動に従事、原料鉱石等の処理技術を習得。さらに、昭和19年(1944年)原料処理に欠かせない「原田式交流磁選機」を開発。これらの業績により、戦後、八幡製鐵所の高炉ガス灰処理研究を製鐵所から依頼され、ガス灰処理技術での事業化の確信を得て、昭和24年(1949年)日本磁力選鉱を設立。
森下 弘(もりした ひろむ、1903年10月25日 - 19… 森下 弘(もりした ひろむ、1903年10月25日 - 1990年1月17日)は、日本の実業家。日本新薬社長、会長を務めた。奈良県出身。 1929年に九州帝国大学法文学部を卒業し、1933年に日本新薬に入社した。1946年から社長に就任し、1987年から会長に就任した。 1970年から1983年までに京都商工会議所会頭と日本商工会議所副会頭を務め、1987年までに関西経済連合会副会長も務めた。 1990年1月17日うっ血性心不全のために死去。86歳没。死後に京都府から特別功労表彰を受けた。