三笠宮彬子女王(みかさのみや あきこじょおう、1981年〈昭… 三笠宮彬子女王(みかさのみや あきこじょおう、1981年〈昭和56年〉12月20日 - )は、日本の皇族。三笠宮家3代当主(2025年〈令和7年〉9月30日 - )。身位は女王。敬称は殿下。お印は雪(ゆき)。勲等は勲二等。学位は DPhil(オックスフォード大学・2011年)。 第126代・今上天皇(徳仁)の再従妹(はとこ)にあたる。第123代大正天皇のひ孫。寬仁親王と同妃信子の第1王女。 2026年現在、存命中かつ皇籍離脱していない皇族14名のうちのひとりであり、天皇の血を直系で受け継ぐ男系皇族(親王・内親王・王・女王)8名のうちのひとりである。 彬子は、2026年現在の内親王・女王(天皇と血縁関係にある女子で皇籍にある者)では最年長となる。
黒田 清子(くろだ さやこ、1969年〈昭和44年〉4月18… 黒田 清子(くろだ さやこ、1969年〈昭和44年〉4月18日 - )は、日本の元皇族。上皇明仁、上皇后美智子の長女。伊勢神宮祭主(2017年〈平成29年〉6月19日 - )で、東京動物園協会副理事長・黒田慶樹の妻。勲等は勲一等。皇籍離脱前の身位は内親王で、皇室典範における敬称は殿下。旧名、清子内親王(さやこないしんのう)、諱は清子、御称号は紀宮(のりのみや)、お印は未草(ひつじぐさ)であった。第125代天皇明仁(上皇)と美智子(上皇后)の第1皇女子(2男1女のうち第3子)。第126代天皇徳仁及び秋篠宮文仁親王(皇嗣)の妹。学位は学士(国文学)(学習院大学・1992年〈平成4年〉)。 1969年(昭和44年)4月18日午後8時36分、皇太子明仁親王と同妃美智子夫妻(当時)の第三子(2男1女のうち第1女子)として宮内庁病院にて誕生。
皇太子徳仁親王(こうたいし なるひとしんのう、1960年(昭… 皇太子徳仁親王(こうたいし なるひとしんのう、1960年(昭和35年)2月23日 - )は、日本の皇族。今上天皇の第一皇男子。母は皇后美智子。御称号は浩宮(ひろのみや)。身位は皇太子(法定推定相続人)、親王。皇室典範に定める敬称は殿下。お印は梓(あずさ)。勲等は大勲位。学位は人文科学修士(学習院大学)1988年(昭和63年)。その他、名誉学位・称号として名誉法学博士(ケンブリッジ大学)などがある。皇位継承順位第1位。
久邇 朝尊(くに あさたか、1959年〈昭和34年〉10月3… 久邇 朝尊(くに あさたか、1959年〈昭和34年〉10月30日 - 、66歳)は、日本の旧皇族 (久邇宮) の子孫。伊勢神宮大宮司、神宮司庁代表役員、日本会議顧問。今上天皇(徳仁)の再従兄弟にあたる。久邇家第5代。北朝第3代崇光天皇男系20世孫 (伏見宮邦家親王男系5世孫) 。叔祖母(おおおば)は香淳皇后。 1959年(昭和34年)、久邇邦昭の長男として、東京都に生まれる。1983年(昭和58年)、学習院大学法学部を卒業し、三菱商事株式会社に入社した。2009年(平成21年)、三菱商事ファイナンシャルサービス株式会社アカウンティングセンター長に就任、2015年(平成27年)には同社監査役に就任した。
高円宮 憲仁親王(たかまどのみや のりひとしんのう、1954… 高円宮 憲仁親王(たかまどのみや のりひとしんのう、1954年〈昭和29年〉12月29日 - 2002年〈平成14年〉11月21日)は、日本の皇族。高円宮家初代当主。身位は親王。お印は柊(ひいらぎ)。勲等は大勲位。学位は法学士(学習院大学)。大正天皇の皇孫(四男の三男である。皇室典範では薨去時の皇位継承順位は第7位である。生涯最下位の皇位継承者であった)。三笠宮崇仁親王と同妃百合子の第3男子(3男2女のうち第5子)。明仁(上皇)は従兄、徳仁(第126代天皇)は従甥にあたる。兄に寬仁親王、桂宮宜仁親王、姉に近衞甯子(甯子内親王)、千容子(容子内親王)がいる。高円宮の宮号は昭和天皇から賜ったものである。
千 容子(せん まさこ、1951年〈昭和26年〉10月23日… 千 容子(せん まさこ、1951年〈昭和26年〉10月23日 - )は、日本の元皇族。千宗室(茶道裏千家第16代家元)の妻。勲等は勲一等。皇籍離脱前の身位は内親王で、皇室典範における敬称は殿下。旧名、容子内親王(まさこないしんのう)、お印は楓(かえで)であった。三笠宮崇仁親王と同妃百合子の第2女子(3男2女のうち第4子)。明仁(上皇)は従兄、徳仁(第126代天皇)は従甥にあたる。姉に近衞甯子(甯子内親王)、兄に寬仁親王、桂宮宜仁親王、弟に高円宮憲仁親王がいる。学位は法学士。 松濤幼稚園、学習院初等科、学習院女子中等科、同高等科を経て、学習院大学法学部法学科に入学。3年修了後、スイスの全寮制の学校で学び、後にパリに移り、ソルボンヌ大学で学ぶ。
桂宮宜仁親王(かつらのみや よしひとしんのう、1948年〈昭… 桂宮宜仁親王(かつらのみや よしひとしんのう、1948年〈昭和23年〉2月11日 - 2014年〈平成26年〉6月8日)は、日本の皇族。身位は親王。敬称は殿下。お印は桂(かつら)。勲等は大勲位。宮号は桂宮。大正天皇の皇孫(四男の次男)。三笠宮崇仁親王と同妃百合子の第2男子(3男2女のうち第3子)。明仁(上皇)は従兄、徳仁(第126代天皇)は従甥にあたる。姉に近衞甯子(甯子内親王)、兄に寬仁親王、妹に千容子(容子内親王)、弟に高円宮憲仁親王がいる。学位は政治学士(学習院大学)。現皇室典範の下、独身で宮家を創設した最初の皇族である。住居(正式には「御仮寓」)は東京都千代田区三番町6番地18宮内庁分室。
寬仁親王(ともひとしんのう、1946年(昭和21年)1月5日… 寬仁親王(ともひとしんのう、1946年(昭和21年)1月5日 - 2012年(平成24年)6月6日)は、日本の皇族。三笠宮崇仁親王と同妃百合子の第一男子。今上天皇の従弟、麻生太郎元内閣総理大臣の義弟にあたる。身位は親王。皇室典範における敬称は殿下。お印は柏(かしわ)。勲等は大勲位。称号 (現学位)は政治学士(学習院大学)、鈴鹿国際大学名誉客員教授。そのほか名誉学位として名誉博士(アンカラ大学)の称号を有する。
小池 正毅(こいけ まさたけ、1945年(昭和20年)3月8… 小池 正毅(こいけ まさたけ、1945年(昭和20年)3月8日 - )は、日本の旧華族、旧男爵小池家4代当主。
近衞 甯子(このえ やすこ、1944年(昭和19年)4月26… 近衞 甯子(このえ やすこ、1944年(昭和19年)4月26日 - )は、日本の元皇族。三笠宮崇仁親王と同妃百合子の第一女子。旧名、甯子内親王。近衛忠煇(日本赤十字社社長)夫人。お印は楠。勲等は勲一等。学位は文学士(学習院大学)。
賀陽 健憲(かや たけのり、1942年〈昭和17年〉8月5日… 賀陽 健憲(かや たけのり、1942年〈昭和17年〉8月5日 - 2017年〈平成29年〉7月20日)は、日本旧皇族。皇籍離脱前の名は健憲王(たけのりおう)。賀陽宮恒憲王の第6王子。母は恒憲王妃敏子。1947年(昭和22年)10月14日、11宮家の皇籍離脱が行われた際、王も皇籍を離脱。学習院大学卒業後、日本交通公社に勤務した。2017年7月20日、東京都杉並区で逝去。
島津 貴子(しまづ たかこ、1939年〈昭和14年〉3月2日… 島津 貴子(しまづ たかこ、1939年〈昭和14年〉3月2日 - )は、日本の元皇族。島津久永の妻。勲等は勲一等。皇籍離脱前の身位は内親王で、皇室典範における敬称は殿下。旧名は、貴子内親王(たかこないしんのう)、諱は貴子、御称号は清宮、お印は橘であった。昭和天皇と香淳皇后の第5皇女子(第7子、末子)。第126代天皇・徳仁(今上天皇)と秋篠宮文仁親王の叔母。第125代天皇・明仁(上皇)と常陸宮正仁親王の妹。 1939年(昭和14年)3月2日午後3時55分、産気づいた香淳皇后は産殿に入り、午後4時35分に第5皇女(第7子、末子)を出産する。誕生時の身長は51.2cm(1尺6寸9分弱)、体重は3503g(935匁弱)であった。
北白川 道久(きたしらかわ みちひさ、1937年〈昭和12年… 北白川 道久(きたしらかわ みちひさ、1937年〈昭和12年〉5月2日 - 2018年〈平成30年〉10月20日)は、日本の旧皇族。北白川宮永久王と同妃祥子の第1王子。北白川宮第5代当主。皇籍離脱前の身位は王で、皇室典範における敬称は殿下。皇族時代の名は、北白川宮道久王(きたしらかわのみや みちひさおう)であった。男系では崇光天皇の19世子孫、女系では明治天皇の曾孫にあたる。 1937年(昭和12年)5月2日午前9時53分、北白川宮永久王と同妃祥子の第1王子として、東京市芝区高輪の北白川宮邸で誕生。1940年(昭和15年)9月4日、父宮・永久王が事故により薨去。わずか3歳で北白川宮家を継承。未成年のため終戦時の宮家の当主の中で唯一の非軍人だった。
常陸宮正仁親王(ひたちのみや まさひとしんのう、1935年〈… 常陸宮正仁親王(ひたちのみや まさひとしんのう、1935年〈昭和10年〉11月28日 - )は、日本の皇族。常陸宮家当主。御称号は義宮(よしのみや)、お印は黄心樹(おがたま)。身位は親王。敬称は殿下。勲等は大勲位。昭和天皇と香淳皇后の第2皇男子(第6子)。第125代天皇で現上皇(明仁)の弟。第126代天皇(徳仁)、皇嗣秋篠宮文仁親王の叔父。2019年(令和元年)5月1日時点の皇位継承順位は第3位。 1935年(昭和10年)11月28日午前7時57分、宮城(皇居)の明治宮殿奥宮殿内御産殿にて昭和天皇と香淳皇后の第2皇男子として誕生。御七夜の12月4日午前9時に浴湯の儀が、同日午前11時に命名の儀が執り行われ、「義宮」「正仁」と命名された。
賀陽 宗憲(かや むねのり、1935年〈昭和10年〉11月2… 賀陽 宗憲(かや むねのり、1935年〈昭和10年〉11月24日 - 2017年〈平成29年〉12月23日)は、日本の旧皇族。賀陽宮恒憲王の第5王子。皇籍離脱前の名は宗憲王(むねのりおう)。 1935年(昭和10年)11月24日誕生。1947年(昭和22年)10月14日、11宮家の皇籍離脱が行われた際、王も皇籍を離脱、賀陽宗憲となる(『官報』 第六二二六号 昭和二十二年十月十四日 告示 宮内府告示第十六号)。学習院大学卒業後、味の素に勤務した。同社の食の文化センター事務局長を歴任した他、大日本居合道連盟会長となる。2017年12月23日、東京都中野区の病院で、逝去。
酒井 通子(さかい みちこ、1933年〈昭和8年〉9月4日 … 酒井 通子(さかい みちこ、1933年〈昭和8年〉9月4日 - )は、日本の旧皇族。久邇宮朝融王と同妃知子女王の第3王女子。旧名、通子女王(みちこじょおう)。皇籍離脱前の身位は女王で、皇室典範における敬称は殿下。今上天皇の従伯母にあたる。 1933年(昭和8年)9月4日、久邇宮朝融王と同妃知子女王の第3王女子として誕生。御七夜の9月10日に「通子」と命名された。1947年(昭和22年)10月14日、皇室典範第11条1項により、皇籍離脱。皇籍離脱後は、「久邇 通子(くに みちこ)」と名乗った。その後は、大協石油(現・コスモ石油)に勤務。学習院大学時代の同級生だった永岡義久と結婚するも4年で離婚。その後、酒井省吾と知り合い結婚。
賀陽 文憲(かや ふみのり、1931年〈昭和6年〉7月12日… 賀陽 文憲(かや ふみのり、1931年〈昭和6年〉7月12日 - 2021年〈令和3年〉2月16日)は、日本の旧皇族。賀陽宮恒憲王の第4王子。皇籍離脱前の名・身位は文憲王(ふみのりおう)。 1931年(昭和6年)7月12日誕生。1947年(昭和22年)10月14日、11宮家の皇籍離脱が行われた際、王も皇籍を離脱、賀陽 文憲()となる。学習院大学卒業後、髙島屋に勤務した。伏見宮家の現当主である伏見博明と大韓帝国最後の皇太子と言われた李垠の子•李玖とは、学習院時代の学友である。
章憲王(あきのりおう、昭和4年(1929年)8月17日 - … 章憲王(あきのりおう、昭和4年(1929年)8月17日 - 平成6年(1994年)11月4日)は日本の旧皇族。賀陽宮恒憲王の第3王子。
伊達 興宗(だて おきむね、1906年(明治39年)10月2… 伊達 興宗(だて おきむね、1906年(明治39年)10月20日 - 1947年(昭和22年)7月2日)は、日本の華族(伯爵)。伊達宗家第32代当主。 1919年(大正8年)3月、学習院初等科を卒業。1923年(大正12年)5月、父の死去により伊達伯爵家を継いだ。その後、東京農業大学に進学する。没後、夫人が伊達家の所有する山林を勝手に売却するなど横暴な振る舞いをして、親族と争いごとに発展したとされ、世間で「新伊達騒動」と言われ注目された。 朝宗 - 宗村 - 義広 - 政依 - 宗綱 - 基宗 - 行宗 宗遠 - 政宗 - 氏宗 - 持宗 - 成宗 - 尚宗 - 稙宗 - 晴宗 - 輝宗 政宗 - 忠宗 - 綱宗 - 綱村 - 吉村 - 宗村 - 重村 - 斉村 - 周宗 - 斉宗 - 斉義 - 斉邦 - 慶邦 - 宗基 邦宗 - 興宗 - 貞宗 - 泰宗 この項目は、まだ閲覧者の調べものの参照としては役立たない、人物に関連した書きかけの項目です。
池田 宣政(いけだ のぶまさ、1904年(明治37年)7月1… 池田 宣政(いけだ のぶまさ、1904年(明治37年)7月1日 - 1988年(昭和63年)1月9日)は、昭和期の政治家、実業家、華族。侯爵、貴族院議員。旧岡山藩池田家第15代当主。初名は政鈞。 岡山県岡山市で、旧岡山藩主家13代当主、侯爵・池田詮政の三男として生まれる。学習院高等科で学んだ。兄で先代の池田禎政がスペインかぜのため26歳で早世し、未婚により子供がいなかったため1920年(大正9年)家督を相続し、同年3月10日、侯爵を襲爵した。1925年(大正14年)欧米各国を視察した。 1934年(昭和9年)6月30日、満30歳となり貴族院侯爵議員に就任。農林省委員、農商務省委員、厚生省行政委員、帝国飛行協会(現日本航空協会)理事などを務めた。
島津 忠承(しまづ ただつぐ、1903年〈明治36年〉5月1… 島津 忠承(しまづ ただつぐ、1903年〈明治36年〉5月19日 - 1990年〈平成2年〉8月26日)は、日本の華族。玉里島津家第3代当主。位階・勲等・爵位は正三位勲一等公爵。第8代日本赤十字社社長、結核予防会会長などを歴任した。 1903年(明治36年)5月19日、島津忠済の長男として、東京市麹町区三年町に生まれる。学習院女子部幼稚園に入る。学習院初等科、中等科、高等科を卒業。1915年(大正4年)、初等科在学中に父・忠済が58歳で死去して、家督を継ぐ。 1926年(大正15年)、京都大学文学部に入学、のち法学部に移り、在学中に結婚し、1930年(昭和5年)に卒業。同年、日本赤十字社本社に「社会事業調査の嘱託」として入社し、調査部に勤務。
七条 光明(七條、しちじょう みつきよ、1900年(明治33… 七条 光明(七條、しちじょう みつきよ、1900年(明治33年)8月15日 - 1964年(昭和39年)11月2日)は、昭和期の政治家、華族。貴族院子爵議員。旧姓・烏丸。 伯爵・烏丸光亨の三男として生まれ、先代七条信義の死跡を継承し、1924年(大正13年)6月16日、子爵を襲爵した。 学習院高等科を修了。1935年(昭和10年)豊島区役所嘱託に就任。以後、関東電気工業社員、同社農場主任、浅野カーリツト会社員などを務めた。 1946年(昭和21年)6月28日、貴族院子爵議員補欠選挙で当選し、研究会に所属して活動し1947年(昭和22年)5月2日の貴族院廃止まで在任した。
浅野 長武(あさの ながたけ、1895年(明治28年)7月5… 浅野 長武(あさの ながたけ、1895年(明治28年)7月5日 - 1969年(昭和44年)1月3日)は、日本の美術史家、政治家、華族。貴族院侯爵議員、東京国立博物館長を歴任した。 東京市出身。侯爵・浅野長之の息子として生まれる。学習院高等科を経て、1920年、東京帝国大学文学部国史科を卒業し、さらに同大学大学院を修了。父・長之が1940年12月20日に隠居し家督を相続する。同月28日、侯爵を襲爵し、貴族院侯爵議員に就任する。火曜会に所属し、1947年5月2日の貴族院廃止まで在任した。 1927年、学習院講師に就任する。その他、内務省嘱託、帝国学士院嘱託、東京府嘱託、文部省委員、歌御会始読師などを歴任する。
交野 政邁(かたの まさゆき、1893年(明治26年)7月3… 交野 政邁(かたの まさゆき、1893年(明治26年)7月3日 - 1966年(昭和41年)6月14日)は、大正から昭和期の実業家、政治家、華族。貴族院子爵議員。旧姓・内藤。青年期には陸上競技やスケートでスポーツ界に足跡を残し、のちにスケート団体の会長を務めている。 旧日向延岡藩主・内藤政挙の息子として生まれる。堂上(公家)華族の交野家の養子に迎えられ、先代・交野時正の隠居に伴い家督を継承し、1918年(大正7年)3月11日、子爵を襲爵した。 1921年(大正10年)3月、京都帝国大学経済学部を卒業。松坂屋取締役、朝日興業取締役、名陶チャイナ・コーポレーション社長、大同メタル工業監査役などを務めた。
黒田 長礼(黑田 長禮、くろだ ながみち、1889年〈明治2… 黒田 長礼(黑田 長禮、くろだ ながみち、1889年〈明治22年〉11月24日 - 1978年〈昭和53年〉4月16日)は、日本の華族(侯爵)、鳥類学者、政治家(貴族院議員)。 日本鳥学会会長を務めたことから、「日本鳥学の父」と呼ばれた[要出典]。旧筑前国福岡藩黒田家当主で、黒田長政から数えて14代目に当たる。 祖父は第12代福岡藩主・黒田長知。父は貴族院副議長を務めた黒田長成、母は清子(島津忠義の次女)である。姉妹のうち、幸子は長嶺公固の妻、良子は高倉永輝の妻。 妻は閑院宮載仁親王の第二王女の茂子。長男の長久も長じて鳥類学者となり、山階鳥類研究所所長を務めた。長女の政子(1915年生)は前田利建に、次女の光子(1921年生)は山内豊秋にそれぞれ嫁いだ。
松前 勝広(まつまえ よしひろ、1889年〈明治22年〉5月… 松前 勝広(まつまえ よしひろ、1889年〈明治22年〉5月10日 - 1940年〈昭和15年〉8月2日)は、明治時代から昭和時代前期の子爵。旧松前藩(館藩)松前氏の第20代当主。父は松前修広。妻は大藪房次郎(実業家、衆議院議員)の三女・スカ。子に松前正広(長男)、松前之広(次男)がいる。 明治38年(1905年)4月、父・修広が亡くなったため家督を継承する。明治44年(1911年)3月、学習院高等学科を卒業。大正10年(1921年)8月創立の帝国土地開拓(虚業企業として知られる)の取締役に就任。その後、養老信託(九条道孝の三男で男爵の九条良致が社長を務める会社で詐欺事件で知られる)監査役、東洋土地開拓取締役を務める。
前田 利功(まえだ としこと、1888年(明治21年)7月7… 前田 利功(まえだ としこと、1888年(明治21年)7月7日 - 1962年(昭和37年)2月21日)は、明治から昭和期の華族(男爵)。旧名・芳明。 富山前田家第12代当主前田利聲の子として生まれる。1890年5月22日、加賀前田家分家当主前田利武の臨終に際してその養子となり、利功と改名し男爵を襲爵した。 学習院高等科を卒業。中央生命保険(第一生命保険の前身の一つ)社長、国際製菓監査役などを務めた。
黒田 長敬(くろだ ながあつ、1885年(明治18年)7月2… 黒田 長敬(くろだ ながあつ、1885年(明治18年)7月21日 - 1963年(昭和38年)3月24日)は、明治後期から昭和期の宮内官、華族。旧秋月藩黒田家13代当主、黒田子爵家2代当主。貴族院子爵議員。初名は静男。 筑前福岡藩最後の藩主黒田長知の五男。筑前秋月藩最後の藩主で子爵の黒田長徳の養子となる。長徳の死去に伴い、1892年(明治25年)7月20日、家督を継ぎ子爵を襲爵。同年7月22日に長敬と改名した。1906年(明治39年)7月、学習院高等科を卒業した。その後、アメリカ合衆国に留学し1912年(明治45年)コーネル大学文理科を卒業。 帰国後、1914年(大正3年)宮内省に入省し大正天皇の侍従となり宮内事務官を兼務。
小笠原 長幹(おがさわら ながよし、1885年(明治18年)… 小笠原 長幹(おがさわら ながよし、1885年(明治18年)3月2日 - 1935年(昭和10年)2月9日)は、日本の政治家、華族。位階・爵位は従三位伯爵。小笠原宗家30代当主。 最後の小倉藩主だった華族の小笠原忠忱伯爵の長男。1897年(明治30年)3月、家督を相続する。学習院卒業後、イギリスのケンブリッジ大学に留学。帰国後に宮内省に入り式部官となり、1918年(大正7年)7月10日、貴族院議員となる。1920年(大正9年)に陸軍省参事官、1922年(大正11年)に国勢院総裁、その後、行政制度審議会委員などを歴任する。東京浅草の海禅寺に葬られたが、のちに多磨霊園に改葬。 1927年(昭和2年)、小倉藩下屋敷跡に建てられたスペイン風の邸宅(小笠原伯爵邸、新宿区河田町)は、東京都選定歴史的建造物第66号に指定され、2002年(平成14年)6月、民間によって修復され、結婚披露宴も行われるレストランとして利用されている。
二条 厚基(にじょう あつもと、1883年〈明治16年〉6月… 二条 厚基(にじょう あつもと、1883年〈明治16年〉6月14日 - 1927年〈昭和2年〉9月11日)は、日本の政治家、華族。貴族院公爵議員。 公爵・二条基弘の二男として生まれる。学習院高等科、東京帝国大学で学ぶ。父の隠居に伴い、1920年(大正9年)6月30日、公爵を襲爵し貴族院公爵議員に就任した。当選後は無所属だったが、1922年(大正11年)9月27日、研究会に所属した。 1917年(大正6年)以降、神奈川県嘱託、平和記念東京博覧会審査官、歌御会始読師控などを務めた。 1927年(昭和2年)9月11日、議員在職中のまま死去。実子がいなかったため相続争いが起こったが、二条正麿の三男である弼基が養子となり襲爵した。
黒田 長和(くろだ ながとし、1881年(明治14年)1月3… 黒田 長和(くろだ ながとし、1881年(明治14年)1月30日 - 1944年(昭和19年)3月8日)は、明治から昭和前期の華族、政治家。男爵、貴族院議員。幼名は峯太郎。 福岡藩最後の藩主・黒田長知の四男。母は側室・田代園子。異母兄に侯爵黒田長成がいる。 1896年(明治29年)断絶した黒田直方家の再興という形で分家し、1896年(明治29年)12月3日、男爵を叙爵し、同月、長和と改名した。1904年(明治37年)7月、学習院高等科を卒業し、東京帝国大学法科大学に入学した。1906年(明治39年)イギリス、ケンブリッジ大学に留学した。 1899年(明治32年)東宮職出仕。宗秩寮審議官、衆議院議員選挙革正審議会委員、内閣制度審議会委員、議会制度審議会委員、議院制度調査会委員、貴族院制度調査会委員などを務めた。
牧野 一成(まきの かずしげ、1880年(明治13年)7月2… 牧野 一成(まきの かずしげ、1880年(明治13年)7月22日 - 1958年(昭和33年)9月25日)は、大正から昭和期の政治家、華族。貴族院子爵議員。 旧丹後田辺藩主・牧野弼成の長男として生まれる。父の隠居に伴い、1916年2月21日、子爵を襲爵した。 学習院高等科を経て、同大学科を修了。1915年、大礼使典儀官を務めた。 1921年2月、貴族院子爵議員補欠選挙で当選し、研究会に所属して活動し、1932年7月まで2期在任した。
中川 良長(なかがわ たかなが、1876年〈明治9年〉10月… 中川 良長(なかがわ たかなが、1876年〈明治9年〉10月27日 - 1948年〈昭和23年〉8月20日)は、明治から昭和期の実業家、政治家、奈良華族。貴族院男爵議員。 華族・中川興長の長男として生まれる。父の死去に伴い、1920年(大正9年)6月10日、男爵を叙爵した。 1905年(明治38年)学習院大学科を卒業。同年、日本銀行に入行。その後、東京電燈監査役などを務めた。 1921年(大正10年)2月12日、貴族院男爵議員補欠選挙で当選し、1925年(大正14年)7月10日まで在任。さらに1939年(昭和14年)7月10日、貴族院男爵議員に選出され、公正会に所属して1946年(昭和21年)4月13日に辞職するまで通算二期在任した。
松平 親信(まつだいら ちかのぶ、1875年〈明治8年〉12… 松平 親信(まつだいら ちかのぶ、1875年〈明治8年〉12月21日 - 1914年〈大正3年〉12月18日)は、明治・大正期の政治家、華族。貴族院子爵議員。幼名・龍若。 旧杵築藩主松平親貴の長男として生まれる。父の死去に伴い1882年(明治15年)10月12日に家督を継承し親信と改名。1884年(明治17年)7月8日に子爵を叙爵した。 学習院高等科を経て、1900年(明治33年)東京帝国大学法科大学法律学科(独法)を卒業し、さらに同大学院を修了した。浅草区教育会長を務めた。 1906年(明治39年)2月9日、貴族院子爵議員補欠選挙で当選し、死去するまで在任した。会派は研究会に所属した。 1914年12月18日、東京市浅草区(現・台東区)浅草北三筋町の自宅で病のため死去した。
本多 正復(ほんだ まさもと、明治6年(1873年)12月2… 本多 正復(ほんだ まさもと、明治6年(1873年)12月23日 - 昭和9年(1934年)4月9日)は、日本の華族(子爵)。平戸藩主松浦詮の六男。初名は松浦復。長尾藩主本多正憲の娘・純子の婿養子となり名を改める。子に房子、本多正震、稲葉正弘(稲葉正顕養子)、恒子(田中真茂妻)。 学習院高等科を卒業。宮内省に入り、東宮侍従、掌典次長を歴任、その後宮中顧問官を務めた。大正15年(1926年)7月に養父が隠居し家督を継ぐ。昭和9年、62歳で没した。墓所は青山霊園(1イ20-23)で、藩主の墓所を浅草徳本寺や谷中霊園から改葬している。
京極 高備(きょうごく たかよし、1873年(明治6年)7月… 京極 高備(きょうごく たかよし、1873年(明治6年)7月30日 - 1933年(昭和8年)10月25日)は、明治から大正期の実業家、政治家、華族。貴族院子爵議員。旧名・於菟吉。 旧讃岐多度津藩主・京極高典の二男として生まれる。父の死去に伴い、1906年(明治39年)1月27日、子爵を襲爵した。 1898年(明治31年)学習院高等科を卒業し、さらに同大学部を修了した。1897年(明治30年)陸軍騎兵少尉に任官し、騎兵中尉に進んだ。退役後に司法属となる。 1910年(明治43年)10月29日、貴族院子爵議員補欠選挙で当選し、研究会に所属して活動し、1925年(大正14年)7月9日まで3期在任した。
二条 正麿(二條、にじょう おさまろ、1872年2月17日(… 二条 正麿(二條、にじょう おさまろ、1872年2月17日(明治5年1月9日)- 1929年(昭和4年)2月18日)は、明治から昭和期の政治家、華族。貴族院男爵議員。 二条家当主・二条斉敬の四男として生まれる。1902年(明治35年)12月5日、分家して男爵を叙爵した。 学習院高等科を経て、1899年(明治32年)7月、東京帝国大学法科大学法律学科(独法)を卒業し、さらに同大学院で行政法を研究して修了した。1904年(明治37年)司法官試補となり、東京区裁判所検事代理を務めた。 1905年(明治38年)3月、貴族院男爵議員補欠選挙で当選し、同月11日に就任し、公正会に所属して活動し、死去するまで4期在任した。
中川 久任(なかがわ ひさとう、1871年7月7日(明治4年… 中川 久任(なかがわ ひさとう、1871年7月7日(明治4年5月20日)- 1935年(昭和10年)7月14日)は、日本の政治家、華族。貴族院伯爵議員。旧姓・浅野、旧名・倉吉。 東京府出身。浅野家分家・浅野懋績の八男として生まれ、伯爵・中川久成の養子となる。養父・久成の死去に伴い、1897年(明治30年)5月18日、家督を相続し伯爵を襲爵、名を久任と改めた。学習院を卒業。 1909年(明治42年)9月16日、貴族院伯爵議員補欠選挙で当選し、研究会に属して1911年(明治44年)7月9日まで在任し、さらに1920年(大正9年)5月8日、補欠選挙で再選され、1925年(大正14年)7月9日まで在任した。
柳沢 保恵(やなぎさわ やすとし、1871年2月5日〈明治3… 柳沢 保恵(やなぎさわ やすとし、1871年2月5日〈明治3年12月16日〉 - 1936年〈昭和11年〉5月25日)は、日本の統計学者、政治家、実業家、華族(伯爵)。第一生命保険の初代社長。 柳沢氏傍系の越後柳沢家当主で黒川藩藩主の柳沢光昭の次男として、越後国北蒲原郡黒川村(現・新潟県胎内市)に生まれる。幼名は利丸、前名は光敏。保恵の出生前に父の家督は養子で大和郡山藩藩主の息子である柳沢光邦(高家旗本武田信之の六男)がすでに継いでいた。 柳沢一族のなかの優秀な男子ということで本家の養子に選ばれ、明治19年(1886年)、旧大和郡山藩主の柳沢保申の次女秀子と婚約し養子となった(光昭も郡山藩主家の出身であり、保申は保恵の従兄に当たる)。
酒井 忠亮(さかい ただあき、明治3年閏10月2日(1870… 酒井 忠亮(さかい ただあき、明治3年閏10月2日(1870年11月24日) - 昭和3年(1928年)8月1日)は、明治時代から昭和時代前期の華族。忠稠系小浜藩酒井家別家、越前国敦賀藩第8代藩主・酒井忠経の長男。幼名は松之助。正室は松平康英の娘鉚。子は酒井忠英、義男。 東京に生まれ、明治17年(1884年)7月8日の華族令により子爵となる。学習院高等科、帝国大学法科を卒業。明治34年(1901年)8月2日、補欠選挙で貴族院議員に選出され、研究会に属し常務委員を務めた。 大正2年(1913年)3月15日、伯剌西爾(ブラジル)拓殖株式会社が設立され、取締役会長となる。東華生命保険、東北電力、横浜倉庫の社長を務めたほか、横浜正金銀行、高砂商事、海外興産等の役員を務めた。
五辻 治仲(いつつじ はるなか、1867年12月8日(慶応3… 五辻 治仲(いつつじ はるなか、1867年12月8日(慶応3年11月13日)- 1932年(昭和7年)10月16日)は、明治から昭和期の政治家、実業家、華族。貴族院子爵議員。 山城国京都で大膳大夫・五辻安仲の長男として生まれる。父の死去に伴い、1906年(明治39年)3月22日、子爵を襲爵した。 1894年(明治27年)7月、学習院大学科を卒業。1911年(明治44年)臨時治水調査会委員に就任。その他、大国銀行取締役、高野山電気鉄道監査役などを務めた。 1911年7月10日、貴族院子爵議員に選出され、研究会に所属して活動し、死去するまで4期在任した。
千家 典子 は、日本の元皇族。出雲大社権宮司・千家国麿の妻。… 千家 典子 は、日本の元皇族。出雲大社権宮司・千家国麿の妻。勲等は宝冠牡丹章。