横井 久美子(よこい くみこ、1944年 - 2021年1月… 横井 久美子(よこい くみこ、1944年 - 2021年1月14日)は、日本のフォークシンガーであり、シンガーソングライターでもある。事務所は東京都国立市。「ノーモア・スモンの歌」など、公害や差別をテーマにした歌で知られる。 愛知県名古屋市出身。名古屋市立菊里高等学校、国立音楽大学声楽科卒業。大学在学中よりコーラスグループ「ボーチェ・アンジェリカ」に入団。1969年よりソロシンガーとして活動開始。創造集団「麦笛の会」を結成して全国を回る[要出典]。1998年、文化庁新進芸術家派遣研究員としてアイルランドのリムリック大学に留学した。1972年、ベトナムのハノイを訪れ、反戦歌を歌う。2005年、ベトナム政府よりベトナム戦争を勝利に導いた国際的友人として「国際平和友好勲章」を受けた。
繁下 和雄(しげした かずお、1943年10月30日 -20… 繁下 和雄(しげした かずお、1943年10月30日 -2024年3月29日)は、日本の音楽教育学者、国立音楽大学名誉教授。 北海道美唄市出身。1966年国立音楽大学教育音楽科卒、68年同専攻科修了、国立音大助教授、教授、副学長、2004年退任、名誉教授。妻の繁下敏子は和光学園で音楽教育に当たった。
拝田 正機(はいだ せいき、1943年1月28日 - )は、… 拝田 正機(はいだ せいき、1943年1月28日 - )は、日本のピアニスト、音楽教育者。 東京都出身。国立音楽大学音楽部卒業。オーストリアウィーン国立アカデミー音楽院、ウィーン市立音楽院へ留学。アメリカ合衆国コロンビア大学大学院修了。国立音楽大学で後進のピアノ指導にあたり国立音楽大学准教授を歴任。ピアノリサイタル、演奏会を多数開催。 ミュージカルアカデミー・ドリーム学院長、国際ピアノデュオ協会会員、立川市地域文化振興財団評議委員。
鯉沼 廣行(こいぬま ひろゆき、1943年(昭和18年) -… 鯉沼 廣行(こいぬま ひろゆき、1943年(昭和18年) - )は、神奈川県横浜市出身の横笛奏者である。 1967年に国立音楽大学を卒業し、はじめリコーダー奏者として活動していた。後、和楽器の横笛に惹かれるようになり、六代目福原百之助(現:四代目寶山左衛門)に篠笛と能管を師事した。1977年に最初の横笛リサイタルを開いて以来、フィンランド、中華人民共和国、ロシア、アメリカ合衆国、ブルガリア、フランス、イタリア、エストニアといった海外を含め、各地で横笛の演奏活動を行っている。CDも多い。 また、作曲を高田三郎に師事し、横笛のための作品や教則本を出版している。 弟子に金子由美子がいる。
天児 直美(あまこ なおみ、1942年4月8日 - )は、日… 天児 直美(あまこ なおみ、1942年4月8日 - )は、日本の俳人、浄土真宗の僧侶。俳号は照月。 岡山県生まれ。弟は天児慧。国立音楽大学卒。俳号・照月。ピアノ専攻。大学三年の時に作家・江馬修のもとへ出入りするようになり、1972年、江馬は戦後夫婦同然であった豊田正子と別れ、江馬の没時まで生活を共にした。江馬没後、美作女子大学短期大学部教授として音楽と江馬研究をしていたが、定年後、岡山県勝田郡勝央町の正行寺住職となる。 この項目は、文人(小説家・詩人・歌人・俳人・著作家・作詞家・脚本家・作家・劇作家・放送作家・随筆家/コラムニスト・文芸評論家)に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(P:文学/PJ作家)。
岸 信介(きし しんすけ、1942年 - )は、日本の合唱指… 岸 信介(きし しんすけ、1942年 - )は、日本の合唱指揮者である。埼玉県浦和市(現・さいたま市)出身で現在は東京都品川区在住。 埼玉県立浦和西高等学校を経て国立音楽大学声楽科卒業。指揮法を山田一雄、和声・合唱法を増田順平に師事。日本合唱協会(日唱)に入団し、コンサートマスターを務める。 日唱退団後、日唱ジュディ(日唱の合唱講座)を担当したのを機に合唱指揮者として独立。現在24の合唱団を擁する「舫の会」の指揮者として、演奏会、コンクール、新作の委嘱初演など多方面に活動する。1998年、全日本おかあさんコーラス大会全国大会において、女声合唱団はづきを指揮し、最高賞たるグランプリを受賞。全日本合唱コンクールにおいても多数の合唱団を全国大会に導く。
桑原 洋明(くわはら ひろあき、1941年9月12日 - 2… 桑原 洋明(くわはら ひろあき、1941年9月12日 - 2022年2月15日)は、日本の作曲家、編曲家。 東京都立川市生まれ。国立音楽大学作曲科卒業。菊川廸夫、外崎幹二、島岡譲、高田三郎に師事。1970年に「吹奏楽のための3つの断章」でJBA作曲賞を受賞。 藤田玄播、斎藤高順、岩河三郎、岩井直溥、名取吾朗、川崎優、奥村一とともに作曲家グループ「ニュー・エイトの会」を結成し、意欲的に吹奏楽曲の作曲を行った。また、クラシック曲からの吹奏楽編曲も多く手がけている。
岩田 英憲(いわた えいけん(ひでのり)、1941年6月23… 岩田 英憲(いわた えいけん(ひでのり)、1941年6月23日 - )は、日本のパンパイプ(パンフルート)奏者。 奈良時代以降初めて日本でパンパイプを演奏したパイオニアであり第一人者である。 パンパイプ・エイケントリオのメンバー。広島文化学園大学名誉教授、宮島観光大使、日本野鳥の会会員。妻は舞踊家の岩田玲子。 1941年、広島県生まれ。国立音楽大学を卒業後、1970年にオーストリア・ウィーンに音楽留学。 ウィーン市立音楽院、ウィーン国立音楽大学卒業、フルートを竹本博、吉田雅夫、カミロ・ヴァナウゼック、ゴッドフリード・ヘヒトゥル、ハンス・レズニチェックに師事。パンパイプはM,ファネルから基本的な奏法を学び、G,ザンフィル、D,ルカには技術だけではなく精神面での教えを受け、後の演奏スタイルに大きく影響を与えた。
田口 興輔(たぐち こうすけ、1941年(昭和16年)2月8… 田口 興輔(たぐち こうすけ、1941年(昭和16年)2月8日 - )は、日本の声楽家(テノール・カウンターテノール)・オペラ歌手・音楽教育者。息子はチェリストの田口裕。 鳥取県出身。鳥取県立境高等学校卒業。1963年(昭和38年)国立音楽大学卒業。1965年(昭和40年)同専攻科修了。武岡鶴代、渡邊高之助、疋田生次郎に師事。 オペラ初出演の記録は1969年(昭和44年)藤原歌劇研究所レオンカバッロ『道化師』ペッペ。出演6本目のオペラ1971年(昭和46年)オッフェンバック『ホフマン物語』ホフマンに抜擢される。1972年(昭和47年)にはプッチーニ『ラ・ボエーム』ロドルフォを務め、以降は、特にイタリアオペラの第一人者として今日に至っている。
天地 総子(あまち ふさこ、1941年〈昭和16年〉1月3日… 天地 総子(あまち ふさこ、1941年〈昭和16年〉1月3日 - 2019年〈平成31年〉1月6日)は、日本の歌手、声優、女優。最終所属はプロダクションフーコ。本名は岩澤 総子。 東京都出身。国立音楽大学付属高等学校卒業。父はピアニスト・ピアノ教師の天地真佐雄。 童謡や子供向けの歌から、大人向けの歌までレパートリーは広い。特にコマーシャルソングを数多く2000曲以上も歌っており、楠トシエ、スリー・グレイセスと共に「コマソンの女王」とも称される。 阪田寛夫作詞、服部公一作曲で1965年10月にレコードで発売された「マーチング・マーチ」が40万枚を売り上げ、1965年の第7回日本レコード大賞童謡賞を受賞した。
金沢 智恵子(かなざわ ちえこ、1941年 - )は、日本の… 金沢 智恵子(かなざわ ちえこ、1941年 - )は、日本の作詩家、詩人、合唱指導者。国立音楽大学声楽科卒業。NHK全国学校音楽コンクールの審査員や中学校の合唱指導、合唱曲や校歌の作詞などの活動をしている。 この項目は、まだ閲覧者の調べものの参照としては役立たない、人物に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(P:人物伝/PJ:人物伝)。
川人 洋二(かわひと ようじ、1939年(昭和14年)11月… 川人 洋二(かわひと ようじ、1939年(昭和14年)11月15日 - )は、日本のフルート奏者。東京フィルハーモニー交響楽団所属。 国立音楽大学音楽学部器楽科卒業。徳島県阿波市出身。父は作曲家の川人利夫。兄弟は同じくフルート奏者の川人昭夫の川人伸二。 徳島県阿波市出身。作曲科・川人利夫の長男として生まれ、阿波町立久勝中学校を卒業し、1958年(昭和33年)に徳島県立阿波高等学校を卒業。1964年(昭和39年)、国立音楽大学音楽学部器楽科を卒業。 大学在学中であった1963年(昭和38年)8月に東京フィルハーモニー交響楽団へフルート奏者として入団し、1973年(昭和48年)10月の香港、マニラ、シンガポール、クアラルンプールの公演に参加する。
菅野 光亮(かんの みつあき、1939年7月10日 - 19… 菅野 光亮(かんの みつあき、1939年7月10日 - 1983年8月15日)は日本の作曲家、ジャズピアニスト。宮城県仙台市出身。 国立音楽大学付属高等学校を経て、東京芸術大学音楽学部作曲科に入学し、長谷川良夫に師事。大学在学中の1966年に、第35回日本音楽コンクール作曲部門第2部(室内楽曲)に応募した「弦楽四重奏曲第3番作品24」が3位入賞を果たす。大学卒業後は主にジャズピアニストとして活躍。 男声カルテット「ロイヤルナイツ」の第1回ソ連公演(1966年12月 - 1967年1月)、東欧公演~第3回ソ連公演(1968年5月下旬 - 9月)には、菅野光亮クインテットのピアニストとして同行。 1974年に公開された松竹映画「砂の器」では、ラフマニノフばりの美しいテーマ曲「ピアノと管弦楽のための組曲 宿命」を作曲・ピアノ演奏し、第29回毎日映画コンクール音楽賞、モスクワ映画祭ソビエト作曲家同盟賞を受賞した。
仁木 多鶴子(にき たづこ、1939年1月3日 - 1983… 仁木 多鶴子(にき たづこ、1939年1月3日 - 1983年9月12日)は、日本の女優。本名は鶴田和子。 東京府(現東京都)出身。国立音楽大学附属中学校、附属高校を経て、国立音楽大学を中退後、1957年に大映に入社した。映画『猫は知っていた』に主演したのをきっかけに、仁木多鶴子と改名した。 人気絶頂期に、通算2244奪三振を記録した球史に残るプロ野球投手の小野正一(1933年9月30日 - 2003年3月19日)と結婚した。 1983年9月12日、クモ膜下出血で倒れ44歳で他界した。
リサ長尾(りさながお) (1938-04-13) 1938年… リサ長尾(りさながお) (1938-04-13) 1938年4月13日 - (2026-06-20) 2026年6月20日(88歳没)は、日本の女性歌手。日本歌手協会会員、日本ラテンアメリカ音楽協会会員、長尾ピアノアカデミー院長。ラテンボーカリストとして、三越劇場、ラテンフェスティバル、都民芸術フェスティバル、横浜アリーナライブ 等、数多くのステージで活躍。また、毎年後援会主催のリサイタルも開催している。 静岡県裾野市出身。国立音楽大学卒業後、不二聖心女学院音楽講師を経て、長尾ピアノアカデミーを設立。院長として幼児、小中高生、音大受験生、音大生、音楽教室講師、また、趣味で楽しむ人などにも技術の向上、感動する心、豊かな音楽性、それぞれ個性に合った教育を心がけ、後進の指導に積極的に取り組んでいる。
緒方 敏郎(おがた としろう、1938年 - )は声楽家。福… 緒方 敏郎(おがた としろう、1938年 - )は声楽家。福岡県出身 国立音楽大学声楽科卒業。藤原歌劇団、二期会に所属し、東京を中心に演奏活動を行ってきた。1968年、九州芸術工科大学(現九州大学)教官に着任。1972年からは、文部省在外研究員としてウィーン国立音楽大学に留学。帰国後は九州芸術工科大で教鞭を執る一方、福岡などで多くの合唱団を指導。 長男はテューバ奏者の緒方淳一、長女は声楽家の緒方美知子。 この項目は、クラシック音楽に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(ポータル クラシック音楽/ウィキプロジェクト クラシック音楽)。 この項目は、歌手に関連した書きかけの項目です。
藤田 玄播(ふじた げんば、1937年1月4日 - 2013… 藤田 玄播(ふじた げんば、1937年1月4日 - 2013年1月30日)は、日本の作曲家、編曲家。 東京府出身。キリスト教信者で洗礼名はミカエル。父はキリスト教会の牧師で、オルガンと讃美歌の響きで育つ。中学校の吹奏楽部でトランペットを担当。高校卒業後、神学校に入学し教会音楽に親しむが1年で中退。その後、国立音楽大学に入学し、フルートを専攻。在学中、大橋幸夫の指導する同大学ブラスオルケスターの編曲を担当。同大学を卒業後に作曲を学ぶ。尚美学園講師や洗足学園音楽大学で客員教授を務めた。 2002年から2006年まで、日本吹奏楽指導者協会(JBA)の第10代会長を務めた。 作曲活動のほか、管弦楽作品からジャズ、ポピュラー音楽などの幅広い吹奏楽編曲で知られる。
石井 眞木(いしい まき、1936年5月28日 - 2003… 石井 眞木(いしい まき、1936年5月28日 - 2003年4月8日)は、日本の作曲家、指揮者。東京府出身。父は舞踊家の石井漠、同じく作曲家の石井歓は兄、石井五郎は叔父。 幼少より、父の舞踊音楽を担当した縁で伊福部昭の薫陶を受ける。11歳よりヴァイオリンを学ぶ。1952年国立音楽大学付属高等学校ピアノ科に入学、学外で作曲を池内友次郎に、ピアノをL.コハンスキに、指揮法を渡邉暁雄に師事する。1955年に卒業後、伊福部昭に作曲を学ぶ。1958年、ベルリンに留学し、国立ベルリン音楽大学作曲科でボリス・ブラッハー、ヨーゼフ・ルーファーらに師事、十二音技法など最先端の音楽技法を学ぶ。1961年ダルムシュタット国際現代音楽祭で「9奏者のための前奏と変奏」が初演される。
松野 茂(まつの しげる、1936年(昭和11年)3月8日 … 松野 茂(まつの しげる、1936年(昭和11年)3月8日 - 2017年(平成29年)4月3日)は、日本のコントラバス奏者、教育家、国立音楽大学名誉教授。 神奈川県川崎市生まれ。小学生の時からギターを習い始める。東京都立青山高等学校を経て、1956年に東洋音楽短期大学(現・東京音楽大学)声楽科を卒業する。 1956年4月、国立音楽大学器楽科(コントラバス)に入学し、寺田日瑳三(NHK交響楽団コントラバス首席奏者)に師事する。1959年8月から東京交響楽団に在籍する。1960年に器楽科(コントラバス)を卒業した後、同大学専攻科に入学する。1961年、専攻科を卒業した後、同年9月から1963年5月までマンハッタン音楽学校に留学し、ロバート・ベレナンド(ニューヨーク・フィルハーモニック)に師事する。
田島 好一(たじま こういち、1935年〈昭和10年〉8月1… 田島 好一(たじま こういち、1935年〈昭和10年〉8月1日 - 2018年〈平成30年〉11月22日)は、日本のバリトン歌手。元藤原歌劇団正団員。 国立音楽大学名誉教授。元昭和音楽大学音楽学部教授。元徳島文理大学音楽学部教授。 国立音楽大学音楽学部声楽科卒業。サンタ・チェチーリア音楽院卒業。東京都出身。 東京都出身。1958年(昭和33年)、国立音楽大学音楽学部声楽科を卒業し、1965年(昭和40年)にサンタ・チェチーリア音楽院を卒業した。これまでに声楽を井上貞一、ジョルジュ・ファヴァレット、ロメオ・アルドゥイーニに師事する。 1958年(昭和33年)のウィーンでの第7回世界平和友好祭音楽コンクールに日本代表として参加して入賞し、1965年(昭和40年)のジュネーヴ国際音楽コンクールで2位、バルセロナのフランシスコ・ビニャス国際コンクールで2位、ベニャミーノ・ジーリ国際コンクールで1位グランプリとなる。
美輪 明宏(みわ あきひろ、1935年〈昭和10年〉5月15… 美輪 明宏(みわ あきひろ、1935年〈昭和10年〉5月15日 - )は、日本の歌手。俳優・演出家・タレント・声優・コメンテーター・ナレーターとしても活動している。 長崎県長崎市出身。本名及び1971年までの芸名は丸山 明宏(まるやま あきひろ)で、幼名は臣吾(しんご)。愛称はマルさん。 海星中学校を経て国立音楽大学附属高校を中退した。兄と姉と弟のいる五人兄弟の次男。自らの個人事務所である「株式会社オフィスミワ」所属。身長161cm。 1935年(昭和10年)5月15日(水曜日)、長崎県長崎市で、寺田作一・ヌメの間に、5人兄弟の次男として誕生する。出生名は寺田臣吾だった。母の実家の跡継ぎとして養子に出され、「丸山臣吾」へと改姓する。
平松 久司(ひらまつ ひさし、1935年〈昭和10年〉1月1… 平松 久司(ひらまつ ひさし、1935年〈昭和10年〉1月1日 - 2021年〈令和3年〉3月13日)は、日本の吹奏楽指導者で指揮者。2006年から2013年まで社団法人全日本吹奏楽連盟の理事長を務めた。 愛知県出身。国立音楽大学器楽科卒。トランペットを北野勝廣(元NHK交響楽団首席トランペット奏者)に師事。京都市交響楽団で第一トランペット奏者を務めたのち、1961年に京都橘女子高等学校(現京都橘高等学校)の音楽教諭へ転身し吹奏楽部を創設。正確な奏法と多彩な音楽表現指導を通じて日本屈指の高校マーチングバンドを作り上げた。1995年に同部顧問を勇退。 その後は社団法人全日本吹奏楽連盟第11代理事長や関西吹奏楽指導者研究会理事長をはじめとする数多の要職を務めながら後進の育成にあたっていた。
高原 宏文(たかはら ひろふみ、1934年3月27日 - )… 高原 宏文(たかはら ひろふみ、1934年3月27日 - )は、日本の作曲家。 鳥取県米子市出身。1958年、国立音楽大学作曲科卒業。作曲を高田三郎、島岡譲に師事。1959年、国立音楽大学専攻科(作曲専攻)修了。同年、第28回日本音楽コンクール作曲部門第3位入賞。 1974年〜1979年、国立音楽大学助教授、1980年〜1999年、同大学教授、現在、同大学名誉教授。 日本現代音楽協会、日本作曲家協議会で作品発表や楽譜の出版の活動を続けている。
三鷹 淳(みたか じゅん、1934年1月7日 - )は、日本… 三鷹 淳(みたか じゅん、1934年1月7日 - )は、日本の歌手・作詞家・作曲家・ボイストレーナー。本名:持光 正輝(もちみつ・まさてる)。 山口県宇部市出身。国立音楽大学卒業。NHK総合テレビジョンの音楽番組『歌の広場』でデビューした後、日本コロムビア専て活動。その傍ら、ボイストレーナーとして活動するほか、社歌、自治体の県民歌・市町村民歌を数多く手掛ける。 演歌歌手のわかばちどりは妻に当たる。
菅原 洋一(すがわら よういち、1933年(昭和8年)8月2… 菅原 洋一(すがわら よういち、1933年(昭和8年)8月21日 - )は、日本の男性歌手。兵庫県加古川市出身。兵庫県立加古川東高等学校卒業。国立音楽大学大学院修了。徳間ジャパンコミュニケーションズ所属。所属事務所はミュージック・オフィス合田、個人事務所はスガワラ企画。2016年の時点で、株式会社ハイブリッジと業務提携していた。 生家は、加古川市内の寺家町商店街にあった若松屋という商家で、乾物から棺桶まで扱っていた。実母は歌の上手な人だったが、菅原を生んで間もない頃に亡くなり、物心がつく前に父親が再婚し継母と暮らし始めた。菅原は子供の頃、ラジオから流れる流行歌を覚えて、従業員の休み時間に家の中で歌っていた。
ロミ・山田(ロミ・やまだ、1933年8月8日 - )は、日本… ロミ・山田(ロミ・やまだ、1933年8月8日 - )は、日本の女優、歌手。本名は山田ひろみ。朝鮮の京城生まれ、兵庫県育ち。小林聖心女子学院小学校・中学校・高等学校、国立音楽大学声楽科卒業。 実父の和辻廣樹は朝日新聞社会部記者。実父方の祖父は京都帝国大学医学部耳鼻咽喉科初代教授の和辻春次、母方の祖父は新聞記者で大韓協会、大韓自強会顧問、京城通信社記者の大垣丈夫。元夫は放送作家の岡田教和。親族に和辻春樹(実父の兄)、和辻哲郎(実父の従兄)がいる。 実父の赴任地、朝鮮の京城(現在の韓国・ソウル市)で生まれる。1歳で兵庫県へ帰国、宝塚市や神戸市で育つ。4歳のとき、実父の和辻廣樹が胃がんで逝去する。10歳のとき、母が毎日新聞社社員(のちに東京放送常務)の山田眞一と再婚する。
高井 達雄(たかい たつお、1933年6月15日 - )は、… 高井 達雄(たかい たつお、1933年6月15日 - )は、日本の作曲家・音楽家。兵庫県出身、東京都在住。アニメ・TVドラマなどの主題歌を手がけている。
山崎 唯(やまざき ただし、1933年5月29日 - 199… 山崎 唯(やまざき ただし、1933年5月29日 - 1990年12月30日)は、日本のピアニスト、作曲家、声優、タレント。東京都出身。妻は女優の久里千春。 大学教授の長男として誕生。当初は声楽家を目指し、国立音楽大学声楽科を卒業。同大学に進学した時は父の猛反対を受けていた。だがジャズやナット・キング・コールに傾倒してゆき、『渡辺晋とシックス・ジョーズ』のピアニストとしてデビュー。日本で最初のピアノの弾き語りを始める。 人形劇『トッポ・ジージョ』では主人公トッポ・ジージョの声を担当。その個性的な声から、声優としても話題を呼ぶ。 妻の久里千春とはおしどり夫婦として知られ、芸能活動も多かった。また、2人の娘がいて「仲良し家族」としてテレビ出演も多かった。
宮内 國郎(みやうち くにお、1932年(昭和7年)2月16… 宮内 國郎(みやうち くにお、1932年(昭和7年)2月16日 - 2006年(平成18年)11月27日)は、日本の作曲家。宮内 国郎と表記されることも多い。 東京府出身。実家は印刷業を営んでいた。 少年時代、音楽好きであった兄の影響でクラシック音楽に親しみ、16歳のときにジョージ・ガーシュウィンの伝記映画『アメリカ交響楽』を見てジャズに傾倒する。国立音楽大学附属高等学校に入学、松本文男に師事し、トランペット奏者を志したが、高校2年生の時、軽い肺結核を患い断念した。服部正、入野義朗、斎藤一郎などの指導を受けながら、作曲家としての修業を積む傍ら、フリーの立場でアレンジを中心に、民放ラジオ局ニッポン放送関係の仕事に従事する。
田中 敦(たなか あつし、1932年 - )は、日本のテレビ… 田中 敦(たなか あつし、1932年 - )は、日本のテレビプロデューサー・テレビディレクター・音楽評論家・音楽プロデューサー。 1955年、国立音楽大学卒業後にラジオ東京(のちの東京放送=TBS→東京放送ホールディングス)へ入社。同期にアナウンサーの鈴木治彦らがいる。入社当時ラジオ東京テレビ(のちのTBSテレビ)が開局しており、それと同時に数々の番組ディレクターを担当し、1958年5月4日からスタートした『ロッテ 歌のアルバム』ではプロデューサーを担当し、人気歌手の歌謡ショーの司会を担当していた玉置宏を司会に起用、正統の歌謡番組として王道を歩み続け数々のスターと歌手を育て上げた。更には無名のスポンサーだったロッテの知名度を上げた。
大橋 國一(おおはし くにかず、1931年(昭和6年)10月… 大橋 國一(おおはし くにかず、1931年(昭和6年)10月21日 - 1974年(昭和49年)3月21日)は、日本の声楽家(バス、バリトン)、オペラ歌手。ヨーロッパの歌劇場と専属契約を結んだ最初の日本人歌手であり、日本人歌手の海外進出の嚆矢となった。しばしば新字体で大橋国一と表記される。1973年11月に再発した結腸がんが肝臓に転移し、闘病の末、1974年3月21日に42歳の若さで亡くなりました。ヨーロッパで活躍し、将来を嘱望されながらも病によってその才能を断たれました。 東京府出身。東京都立新宿高等学校時代にコーラス部に入ったのがきっかけで、声の良さを認められ1951年(昭和26年)に東京藝術大学に入学。
友竹 正則(ともたけ まさのり、1931年〈昭和6年〉10月… 友竹 正則(ともたけ まさのり、1931年〈昭和6年〉10月9日 - 1993年〈平成5年〉3月23日)は、日本の声楽家・バリトン歌手・詩人。広島県福山市出身。 広島県福山南高等学校(現・広島県立福山葦陽高等学校)から国立音楽大学声楽科に進み、卒業後二期会に所属。1955年、「カルメン」のモラレス役でオペラデビュー。 1960年、キングレコード専属となる。その後、童謡・オペラ・ミュージカルなど幅広く活躍し多くの人に親しまれた。 1979年1月から1981年12月まで、料理番組『くいしん坊!万才』で3代目レポーターを務めた。しかし大の梅干し嫌いであったため、番組内で梅干しが出された際も断るわけにはいかず、結局苦渋の表情で食べるシーンが後年の「NG大賞」などでも放送された。
田中 利光(たなか としみつ、1930年7月17日 - 20… 田中 利光(たなか としみつ、1930年7月17日 - 2020年7月30日)は、日本の作曲家。 国立音楽大学名誉教授。キエフ・チャイコフスキー音楽大学名誉教授。青森県出身。 1930年(昭和5年)、青森市に生まれる。1956年(昭和31年)に国立音楽大学作曲科、翌1957年(昭和32年)に国立音楽大学専攻科を卒業。 1963年(昭和38年)に『ピアノ四重奏のための「アダージョとアレグロ」』で第32回日本音楽コンクール作曲部門の第1位となる。1965年(昭和40年)、中西音楽賞奨励賞を受賞。1967年(昭和42年)、混声合唱「四季」で芸術祭文部大臣賞を受賞。1988年(昭和63年)に第10回舞台芸術創作奨励賞、1993年(平成5年)に青森県褒章、2001年(平成13年)に青森県文化賞を受賞。
宇野 功芳(うの こうほう、1930年5月9日 - 2016… 宇野 功芳(うの こうほう、1930年5月9日 - 2016年6月10日)は、日本の音楽評論家、指揮者。東京都生まれ。国立音楽大学声楽科卒。 父は漫談家の牧野周一、長弟の宇野弘二は牧原弘二の芸名でジャズシンガーとして活動、次弟の宇野道義(筆名・宇野通芳、1945年 - 1997年)は帝京大学助教授を務めた。 なお功芳は筆名であり、本名は宇野功(うの いさお)である。あまりに身体が弱かったため父の牧野から心配され、功が23歳のとき牧野が姓名判断によって貰ってきた名前が功芳であるという。以前は宇野功芳を「うの いさお」と読み筆名としていた。 1930年5月9日、漫談家の牧野周一の長男として東京に生まれる。
伊原 徳(、1930年〈昭和5年〉3月27日 - )は、日本… 伊原 徳(、1930年〈昭和5年〉3月27日 - )は、日本の元俳優である。 1930年(昭和5年)3月27日、広島県広島市に生まれる。国立音楽学校卒業。 三及社(灰田兄弟事務所)を経て、1947年(昭和22年)に新東宝(現在の国際放映)へ入社。その後、1950年(昭和25年)には東宝の専属俳優となる。 1954年(昭和29年)に公開された黒澤明監督映画『七人の侍』で映画デビュー。以後、サラリーマンもの、東宝特撮、時代劇等ジャンルを問わず数多くの映画に出演した。東京俳優生活協同組合に所属していた時期もある。 1971年(昭和46年)以降、映画出演の記録がない。 東宝の俳優であった中島春雄は、伊原についておとなしくて真面目な印象であったと述懐している。
小山 章三(こやま しょうぞう、1930年(昭和5年)3月1… 小山 章三(こやま しょうぞう、1930年(昭和5年)3月10年 - 2017年(平成29年)12月22日)は、日本の音楽家、音楽教育者。専門は合唱曲作曲、合唱指導法。国立音楽大学教授を務め、児童合唱「わたしはだれでしょう」「ともだちはいいな」や、ふるさと長野を歌った「信濃の秋」「千曲川の水上を恋ふる歌」、賛美歌「行けども行けども」「やさしい目が」など長く愛唱されている曲を多く作った。 1930年、長野県丸子町(現・上田市)生まれ。丸子小学校卒業。小さい頃から歌を作るのが好きで、近所の子どもたちを集めては自作の歌で合唱をしていた。丸子実業高校農業土木科(現・丸子修学館高等学校)でも音楽部を作ったりしたが、土地測量の勉強ははだに合わず、技術者の道には進まなかった。
佐藤 菊夫(さとう きくお、1929年 11月4日- )は、… 佐藤 菊夫(さとう きくお、1929年 11月4日- )は、日本の指揮者。東京管弦楽団音楽監督。東京合奏団主宰・音楽監督。世田谷区民吹奏楽団音楽監督。 国立音楽大学卒業。ウィーン国立音楽大学修了。秋田県秋田市土崎港の生まれ。妻は西川清子(チェンバロ奏者)。 1954年、国立音楽大学卒業。1956年、ウィーン国立音楽大学(オーストリア)に留学し、1960年、同大学の指揮・作曲科を修了。なお、妻の西川清子(挙式は1957年5月)も一緒に留学していた。ウィーン・アカデミー管弦楽団、ウィーン古典合奏団に入団して活動。 その一方、ウィーン少年合唱団の日本招へいなど、オーストリアと日本の音楽交流で尽力。 1961年の日本帰国後、1962年から指揮者として東京交響楽団などを担当。
佐藤 勝(さとう まさる、1928年〈昭和3年〉5月29日 … 佐藤 勝(さとう まさる、1928年〈昭和3年〉5月29日 - 1999年〈平成11年〉12月5日)は、日本の作曲家。北海道留萌市出身。 生家の近くに映画館があり、母親が映画好きだった事を受け勝は映画に興味をもち、そこから流れる音楽に心打たれた彼は将来映画音楽を担当する作曲家になろうと心に決める。旧制留萌中を経て国立音楽学校にて音楽を学び、岡本敏明に師事。卒業後は映画音楽家を志して卒業1週間前に知り合った作曲家の早坂文雄の門下に入り、音楽学校の講師やバンドマンで生計をたてながら早坂に師事する。また、同じ北海道出身の作曲家・伊福部昭の作品にも大きな影響を受けた。 1952年(昭和27年)、映画『三太と千代ノ山』(新理研映画)で映画音楽を初担当。
石河 清(いしかわ きよし、1928年4月17日 -2016… 石河 清(いしかわ きよし、1928年4月17日 -2016年6月22日)は、日本の合唱指揮者・合唱指導者・合唱曲の作曲家。合唱王国福島を築く。[要出典]福島県合唱連盟名誉理事長。福島県いわき市生まれ。
栗山 昌良(くりやま まさよし、1926年(大正15年)1月… 栗山 昌良(くりやま まさよし、1926年(大正15年)1月18日 - 2023年(令和5年)6月23日)は、日本の演出家、オペラ演出家、教育者。国立音楽大学名誉教授。劇団青年座座友。妻は声楽家(メゾソプラノ)の松内和子。 東京出まれ。獨逸学協会学校中学部卒業。 1946年(昭和21年)千田是也、伊藤道郎主宰の舞台芸術アカデミーに入所、舞台芸術への道を歩み始める。舞台芸術アカデミー卒。1949年(昭和24年)劇団俳優座に入り、1950年(昭和25年) - 1965年(昭和40年)俳優座演劇研究所所員として近代リアリズム演劇の表現手法を研究。同時に附属俳優養成所発足に伴い、講師として演劇映画界の俳優養成にあたる。
宇賀神 光利(うがじん みつとし、1923年12月18日 -… 宇賀神 光利(うがじん みつとし、1923年12月18日 - 1967年2月)は、日本の作曲家。本名は宇賀神 敏道(うがじん としみち)。戦後の日本における童謡運動「新しいこどもの歌」を推進した作曲家グループ「ろばの会」の結成メンバーの一人。父は作曲家・指揮者の宇賀神味津男。デブパレードのギタリストugazinは孫にあたる。 東京府出身。音楽家の家系に育ち、国立音楽学校(現:国立音楽大学)本科を卒業。作曲を尾高尚忠、諸井三郎に師事した。 1950年(昭和25年)、第19回 日本音楽コンクールの作曲部門(第2部・室内楽曲)において、第3位に入賞。この時の1位は一柳慧、2位は中田喜直であった。 1955年(昭和30年)、中田喜直、大中恩、磯部俶、中田一次と共に、子供の生活感覚に即した芸術性の高い童謡を創造することを目指し、作曲家グループ「ろばの会」を結成。
富永三郎(とみながさぶろう、1916年11月30日 - 19… 富永三郎(とみながさぶろう、1916年11月30日 - 1987年6月20日)は日本の作曲家・教育家。 長兄は富永太郎、次兄は富永次郎。国立音楽大学卒。作曲を大中寅二、菅原明朗に師事。童謡や邦楽作品などを主に発表する。「赤穂浪士」などの時代劇を中心とした映画音楽を多く手がけた。戦後は明星学園、晩年に尚美学園で教鞭を取り、邦楽や編曲の実演などを強力に推薦し、ヨーロッパへの留学生の後押しを積極的に推し進める。 この項目は、まだ閲覧者の調べものの参照としては役立たない、音楽関係者(バンド等)に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(P:音楽/PJ:芸能人)。
志村 道夫(しむら みちお、1914年(大正3年) - 没年… 志村 道夫(しむら みちお、1914年(大正3年) - 没年不詳)は昭和期の歌手。『南から南から』の作曲者で知られる吉田信(加賀谷信)の実弟。本名は吉田義八郎。 兵庫県神戸市元町出身。関西学院中学部、国立音楽学校、日本高等音楽学校に在籍した。学生時代は、テニス選手として活躍。上京後、当時ビクターで作曲活動をしていた兄・吉田信(別名:加賀谷伸、塙六郎)の紹介で、声楽家徳山璉の門下となる。 1935年(昭和10年)ニットーのジャズ用レーベルだったクリスタルレコードからデビュー。初期の服部良一作品「流線型ジャズ」など、主にジャズ調の曲をレコーディングした。ニットーがタイヘイに吸収合併された後は、一時、マイナーレーベルからもレコードを出していた。
鷲見 四郎(すみ しろう、1913年3月6日 - 2003年… 鷲見 四郎(すみ しろう、1913年3月6日 - 2003年9月22日)は、日本のヴァイオリニストである。鷲見三郎の弟、鷲見加寿子の父、鷲見由希子と鷲見精一の祖父。 鳥取県米子市尾高町出身。1928年、レオポルト・アウアー門下のニコライ・シフェルブラットに師事する。1929年、新交響楽団(現在のNHK交響楽団)に入団する。 1932年、第1回音楽コンクール(現在の日本音楽コンクール)のヴァイオリン部門で最優秀者に贈られる「賞」(現在の第1位)を受賞し、翌1933年の第2回でも続けて「賞」を受賞した。戦後、NHK交響楽団のコンサートマスターを務めた。1961年から1981年まで国立音楽大学教授を務めた。
天池 真佐雄(あまち まさお、1910年9月18日 - 19… 天池 真佐雄(あまち まさお、1910年9月18日 - 1992年11月22日 本名・中野政雄)は、東京都出身の音楽家、作曲家、ピアニスト。 東京高等音楽学院(現・国立音楽大学)本科卒。その後東京中央放送局(のちのNHK)の専属ピアニストに就任。特に、戦後の『のど自慢素人演芸会』や、音楽ゲーム番組『三つの歌』では出場者の伴奏を展開した。 歌手・タレントの天地総子は実の娘である。 この項目は、音楽に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(ポータル 音楽/ウィキプロジェクト 音楽)。 この項目は、音楽家(演奏者・作詞家・作曲家・編曲家・バンドなど)に関連した書きかけの項目です。
牧 幹夫(まき みきお、1909年 - 1970年6月14日… 牧 幹夫(まき みきお、1909年 - 1970年6月14日)は、日本のバレエダンサー、インド文化研究家である。エリアナ・パヴロワのもとでバレエを始め、草創期の日本バレエ界で活躍した。妻は同じくエリアナ・パヴロワ門下の橘秋子。橘との間の一女、牧阿佐美も父母と同じくバレエの道に進んだ。1938年に単身でインドに渡航したが、日本への帰国が叶わないまま1970年にボンベイで死去した。 宇都宮の出身。本名は北沢 牧三郎といい、1909年に弁護士の三男として生まれた。生後すぐに母が死去し、父が顧問をしていた宇都宮四條町教会のE・C・フライ牧師夫妻に引き取られた。フライ牧師夫妻は、1904年に宇都宮に赴任した後に女学校や幼稚園を設立するなど、この地の教育に功績があった。
結城 道子(ゆうき みちこ、1908年(明治41年)6月13… 結城 道子(ゆうき みちこ、1908年(明治41年)6月13日 - 没年不明)は昭和期の歌手。群馬県前橋市出身。本名は由利 文子(ゆり ふみこ)。 1908年(昭和41年)6月13日、群馬県前橋市神明町で誕生。前橋高等女学校、東京高等音楽学院卒業後、奥田良三や太田恒子に師事。1933年(昭和8年)本名の由利文子でポリドール・レコードから「白帆は去りて」で歌手デビュー。後にニットーレコードを経てポリドールレコードの専属歌手となる。1937年(昭和12年)8月発売された上原敏との「裏町人生」が大ヒットした。その後もポリドールで「愛国行進曲」、「純情月夜」、「おもいで日記」、「雨の日曜日」などを吹き込んだほか、皇軍慰問団のメンバーとして戦地を訪れている。
深井 史郎(ふかい しろう、1907年4月4日 - 1959… 深井 史郎(ふかい しろう、1907年4月4日 - 1959年7月2日)は、日本のクラシック音楽の作曲家。 秋田県河辺郡新屋町(現在の秋田市新屋地区)に医者の三男として生まれる。秋田県立秋田中学校(現在の秋田県立秋田高等学校)を経て、1927年に旧制第七高等学校を卒業。中学校時代に、同校教諭の石田直太郎(同郷の音楽家、石田一郎の父)からレコードを聴かされたことが、西洋音楽と関わるきっかけとなり、主にストラヴィンスキー、ラヴェル、ファリャなどの影響を受ける。 当初は帝国大学理科を志すも、肺病を病んだため断念。療養後、東京高等音楽学院(現在の国立音楽大学)と帝国音楽学校に入学。学校に籍を置きながら菅原明朗に師事する。
岡本 敏明(おかもと としあき、明治40年(1907年)3月… 岡本 敏明(おかもと としあき、明治40年(1907年)3月19日 - 昭和52年(1977年)10月21日)は、昭和時代に活躍した日本の音楽家(作曲家)。 1929年(昭和4年)、玉川学園教師、1940年(昭和15年) 、日本放送合唱団で指揮を5年とった後、1942年(昭和17年)からは興亜工業大学(現・千葉工業大学)の音楽担当教員(正科目)などを務めた。戦後は国立音楽大学の設立に携わるとともに文部省図書編集委員として、音楽教科書、音楽学習の指導要領の作成に携わった。また日本基督教団讃美歌委員としても活躍。多くの讃美歌を残す。父は組合教会牧師岡本松籟。教会においてオルガンの音を聴きつつ育った。
安 益泰(アン・イクテ、1906年12月6日 - 1965年… 安 益泰(アン・イクテ、1906年12月6日 - 1965年9月16日)は、大韓帝国出身の作曲家、指揮者。本貫は順興安氏。 平壌出身。崇実中学校を修了後、1921年に渡日し正則中学校(現・正則高等学校)に入学、その後東京高等音楽学院でチェロを専攻した。 1930年渡米し、フィラデルフィアのカーティス音楽学校に入学、その後シンシナティー音楽学校でチェロと作曲を専攻した。1936年渡欧してウィーンへ留学し、アジア人で唯一リヒャルト・シュトラウスに学び、現在の大韓民国の国歌である愛国歌を作曲した。1939年、ブダペスト音楽学校に入学し、卒業後指揮者として各国を回り、ウィーン交響楽団、ベルリン交響楽団、ローマ交響楽団、ブダペスト交響楽団で指揮した。