斎藤 茂男(さいとう しげお、1928年3月16日 - 19… 斎藤 茂男(さいとう しげお、1928年3月16日 - 1999年5月28日)は、日本のジャーナリスト。 東京生まれ。慶應義塾大学経済学部卒。1952年共同通信社入社。社会部記者、次長、編集委員を経て1988年退社。1958年「菅生事件」報道で日本ジャーナリスト会議賞、1974年再度同賞受賞、1983年長年の報道活動で日本記者クラブ賞、1984年「日本の幸福」シリーズで日本新聞協会賞受賞。多くの著書があり、特に「ルポルタージュ父よ母よ!」を原作に、1980年に木下惠介監督『父よ母よ!』が映画化された。 晩年に著作集『ルポルタージュ日本の情景』全12巻が出された。
槌田 満文(つちだ みつふみ、1926年12月3日 - 20… 槌田 満文(つちだ みつふみ、1926年12月3日 - 2011年5月31日)は、ジャーナリスト、日本近代文学の研究者、武蔵野大学名誉教授。
岡本愛彦(おかもと よしひこ、1925年10月11日 - 2… 岡本愛彦(おかもと よしひこ、1925年10月11日 - 2004年10月24日)は、日本の映画監督、テレビドラマの演出家、ジャーナリスト。 1925年10月11日に、日本統治時代の朝鮮または鳥取県で生まれる。陸軍士官学校在学中に敗戦を迎え、1946年には日本社会党へ入党。1950年に慶應義塾大学を卒業し、NHK東京放送局に放送記者・社会報道番組ディレクターとして入局。その後、鳥取・東京・大阪と放送局を転々とし、後にテレビドラマを手掛ける様になる。1957年にNHKを退社して、ラジオ東京(KRT、現・東京放送ホールディングス / TBSテレビ)へ入社する。 黎明期のテレビドラマにおいて、社会性のある作品を中心に活躍した演出家である。
松尾 俊治(まつお しゅんじ、1924年8月 - 2016年… 松尾 俊治(まつお しゅんじ、1924年8月 - 2016年2月5日)は、日本のジャーナリスト、新聞記者、野球選手。 兵庫県出身。旧制灘中学校から慶應義塾大学に進学。野球部では捕手として活躍し、出陣学徒壮行早慶戦、いわゆる「最後の早慶戦」を経験した。 大学卒業後は毎日新聞に入社。運動部記者としてアマチュア野球を担当。東京六大学野球公式記録員、日本アマチュア野球規制委員や日本野球連盟参与、関東野球連盟顧問を歴任。毎日新聞社名誉職員。 笠原和夫との共著である『最後の早慶戦』は後に映画化された。
三雲 四郎(みくも しろう、1921年(大正10年)7月28… 三雲 四郎(みくも しろう、1921年(大正10年)7月28日 - 2007年(平成19年)1月11日)は、日本のジャーナリスト。産業経済新聞社取締役論説委員長。 鹿児島県出身。学徒出陣後に復学し、慶應義塾大学経済学部を卒業。 「自分はペンで生活していきたい」と、1946年産業経済新聞社に入社。本社経済部長や編集局次長、外信記者としてロンドン特派員、パリ支局長、欧州総局長を務めたほか、論説委員長も担った。娘・孝江も小学2年の夏から小学6年までロンドンで過ごしたという。 1971年に東京都公害審査委員会委員に就任し、1983年3月まで務めた。 2007年1月11日午後8時2分、肺炎のため東京都内の病院で死去。
向井 啓雄(むかい ひろお、1919年10月14日 - 19… 向井 啓雄(むかい ひろお、1919年10月14日 - 1983年)は、ジャーナリスト、翻訳家。ロンドン出身。向井忠晴の子。 1942年、慶應義塾大学英文科卒。45-52年、アメリカピッツバーグ大学でジャーナリズムを学ぶ。54-55年、イギリス、アフリカを視察。同盟通信社、共同通信社、進駐軍施設、凸版印刷などに勤務。
吉村 克己(よしむら かつみ、1919年(大正8年)3月14… 吉村 克己(よしむら かつみ、1919年(大正8年)3月14日 - 1997年(平成9年)7月2日)は、日本のジャーナリスト、実業家。産業経済新聞社編集局次長を経て、フジテレビジョン専務取締役、サンケイ出版会長等を歴任した。 広島県生まれ。慶應義塾大学経済学部を卒業。軍務の後、1946年に時事新報社へ入社。 1955年に産業経済新聞社に移り、政治部長、編集局次長。1970年にフジテレビへ移籍し、報道局長、取締役報道局長、取締役報道本部長、常務取締役、専務取締役。 1981年にサンケイ出版会長。 1997年7月2日、東京都江戸川区の病院で脳梗塞のため死去。78歳没。 水野成夫時代の産経新聞社は、政治的には池田勇人首相と水野の親密な関係から政権と密着し、他方、池田は新聞社の編集幹部人事などに介入した。
大島 一芳(おおしま かずよし、1912年6月14日 - 1… 大島 一芳(おおしま かずよし、1912年6月14日 - 1983年1月16日)は昭和時代日本のジャーナリスト、新聞経営者。元中日新聞社代表取締役。愛知県出身。 出生名は大島 克巳(おおしま かつみ)で、1952年(昭和27年)3月24日付で「一芳」へ改名した。 1912年(明治45年)、愛知県東春日井郡守山町(現在の名古屋市守山区)で大島寿太郎の長男として出生。祖父の大島竹三郎は小幡大島本家第12代当主で、分家の東大島家第2代当主となった後に新愛知新聞社を創業した大島宇吉は一芳の大叔父に当たる。 1936年(昭和11年)に慶應義塾大学経済学部を卒業して大叔父の宇吉が経営する新愛知新聞社へ入社、戦時中は上海支局駐在。
岸 松雄(きし まつお、1906年9月18日 - 1985年… 岸 松雄(きし まつお、1906年9月18日 - 1985年8月17日)は、日本の映画評論家、ジャーナリスト、脚本家、映画監督である。本名は阿字 周一郎(あじ しゅういちろう)、別名は和田山 滋(わだやま しげる)。映画作家・山中貞雄を発見した批評家として知られる。 1906年(明治39年)9月18日、東京府東京市日本橋区(現在の東京都中央区日本橋)の商家に「阿字周一郎」として生まれる。 慶應義塾大学に入学、同学在籍中の1925年(大正14年)ころには『キネマ旬報』、『映画往来』、『映画評論』、『映画時代』、『蒲田』(松竹蒲田撮影所の雑誌)等の雑誌の執筆者となる。やがて同学を卒業する。1927年(昭和2年)から1931年(昭和6年)までの時期、社会主義的言説に耽溺する。
島田 巽(しまだ たつみ、1905年1月25日 - 1994… 島田 巽(しまだ たつみ、1905年1月25日 - 1994年3月8日)は、日本のジャーナリスト。朝日新聞論説副主幹、ジャパン・クオータリー誌編集委員会委員。1965年から1976年まで人事官を務めた。 東京出身。1927年、慶應義塾大学政治学科を卒業。卒業後は朝日新聞社に就職し、東京本社欧米部長、論説副主幹などを歴任後、1965年3月2日から1976年4月1日まで、3期12年にわたり人事官を務めた。1975年、勲一等瑞宝章を受章。 1994年3月8日、膵臓癌により死去。89歳。
今村 武雄(いまむら たけお、1904年8月2日 - 199… 今村 武雄(いまむら たけお、1904年8月2日 - 1993年8月6日)は、日本のジャーナリスト、経済学者。 東京生まれ。1929年慶應義塾大学経済学部卒。報知新聞社に入り、日本経済新聞で論説委員、東京商工会議所理事、慶大新聞研究所教授、1970年定年、奥州大学教授、富士大学教授。女子学院理事長。
原 奎一郎(はら けいいちろう、1902年〈明治35年〉7月… 原 奎一郎(はら けいいちろう、1902年〈明治35年〉7月20日 - 1983年〈昭和58年〉7月24日)は、日本のジャーナリスト、著作家。本名は貢(みつぎ)。原敬の養嗣子。娘はスタイリストの原由美子。 大阪府出身。首相の原敬の姪の子で、幼児期に養嗣子となる。1915年(大正4年)東京府立一中入学。同期に小林秀雄、迫水久常、千頭暎臣、石丸重治(半途退学)、西竹一(半途退学)らがいる。以降、慶應義塾大学予科在学中に英国留学のため1921年(大正10年)中退。 1940年(昭和15年)、同盟通信記者。1946年(昭和21年)に退社して、ファッション評論なども手掛けた。1950年(昭和25年)に「原敬日記」を乾元社で公刊(原敬の遺言で、公開は没後30年程度を経てからと定めていた)。
有竹 修二(ありたけ しゅうじ、1902年5月2日 - 19… 有竹 修二(ありたけ しゅうじ、1902年5月2日 - 1976年6月3日)は、日本のジャーナリスト。 兵庫県出身。慶應義塾大学卒。1926年朝日新聞社に入社。1942年論説委員となり「神風賦」(「天声人語」の前身)を担当。1946年時事新報に移り、編集局長などをへて常務。のち産業経済新聞論説委員。政治家伝記を書いたほか、講談にも造詣が深かった。 この項目は、文人(小説家・詩人・歌人・俳人・著作家・作詞家・脚本家・作家・劇作家・放送作家・随筆家/コラムニスト・文芸評論家)に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(P:文学/PJ作家)。
竹山 晋民(たけやま しんみん、本名は竹山 晋一郎=たけやま… 竹山 晋民(たけやま しんみん、本名は竹山 晋一郎=たけやま しんいちろう、1900年 - 1969年)は、日本の鍼灸師・ジャーナリスト・政治家。 茨城県真壁郡出身。早稲田実業学校を経て1925年に慶應義塾大学経済学部を卒業、大阪時事新報に入社し社会部記者となる。病を得て一時危篤状態に陥った際に漢方医の治療で一命を取り留めたことから東洋医学に関心を持ち、駒井徳三の紹介で1938年に雑誌『東邦医学』編集部入り。1939年に弥生会(現経絡治療学会)の世話人となる。1941年に漢方医学復興の理論を出版し、1942年に鍼灸師資格を取得。戦後は1953年の第26回衆議院議員総選挙に日本共産党公認で茨城県第3区から出馬したものの落選した。
井之口 政雄(いのぐち まさお、明治28年(1895年)4月… 井之口 政雄(いのぐち まさお、明治28年(1895年)4月28日 - 昭和42年(1967年)6月30日)は、日本の政治運動家、革命家、ジャーナリスト、政治家。衆議院議員(1期)。 沖縄県那覇市出身。1912年(大正元年)鹿児島一中を卒業、1916年(大正5年)慶應義塾大学部予科に入学し、卒業。1918年(大正7年)同大学部理財科に進む(後に中退)。在学中に、「日本社会主義同盟」、山川均らが主宰していた水曜会で活躍。1921年(大正10年)12月より翌年11月まで一年志願兵として鹿児島歩兵連隊に入隊。24年春から秋頃まで大阪の『関西日報』の記者となる。 1923年(大正12年)に日本共産党に入党。
御手洗 辰雄(みたらい たつお、1895年(明治28年)3月… 御手洗 辰雄(みたらい たつお、1895年(明治28年)3月23日 - 1975年(昭和50年)9月7日)は、日本のジャーナリスト。政治評論家。 大分県大分市出身。旧制大分中学校を経て、慶応義塾大学に入るが、1914年(大正3年)に中退。地元の大分新聞(現・大分合同新聞)を経て、上京し、1917年(大正6年)報知新聞社に入り、社会部、政治部記者となり、1922年(大正11年)社会部長となる。1928年(昭和3年)に社内紛争のため退社。その後は東京毎夕新聞、国民新聞、二六新報の各編集局長などを務め、同郷の菊池寛の勧めにより『文藝春秋』に「城南隠士」のペンネームで政治評論を寄稿した。1936年(昭和11年)に朝鮮に渡り、京城日報副社長となる。
野依 秀市(のより ひでいち、1885年(明治18年)7月1… 野依 秀市(のより ひでいち、1885年(明治18年)7月19日 - 1968年(昭和43年)3月31日)は、日本のジャーナリスト、思想家、歴史家、評論家、政治家。本名同じ。旧名義は野依 秀一(のより しゅういち)。筆名は不屈生。 明治・大正・昭和の3つの時代にわたって活動し、雑誌『実業之世界』、日刊紙『帝都日日新聞』、仏教雑誌『真宗の世界』等を創刊・運営した。また、「右翼ジャーナリスト」、「言論ギャング」、「ブラック・ジャーナリズムの祖」等の異名を持った。敗戦後のGHQ検閲(プレスコード)による没収図書は個人では断トツであり、表の言論史では抹殺された存在である。慶應義塾で机を並べた石山賢吉とは表と裏の関係になった。
石山 賢吉(いしやま けんきち、1882年〈明治15年〉1月… 石山 賢吉(いしやま けんきち、1882年〈明治15年〉1月2日 - 1964年〈昭和39年〉7月23日)は、日本の実業家、ジャーナリスト、政治家。ダイヤモンド社創業者であり、東宝劇場や理研電線の役員、東京市会議員、衆議院議員、日本雑誌協会会長、日本読書推進協会会長、東京新潟県人会会長などを歴任した。位階勲等は従四位勲三等。 新潟県西蒲原郡曽根村(現在の新潟市西蒲区)生まれ。出生直後に父と死別し、同県中蒲原郡白根町(後の白根市、現在の新潟市南区)にあった母方の実家にて幼年期~青少年期を過ごした。白根尋常高等小学校卒業後、白根郵便局、加茂郵便局勤務を経て 22歳の時上京。日本大学別科中退後、慶應義塾商業学校(慶大の夜間商業学校)を卒業した。
平野 光雄(ひらの みつお、1881年(明治14年)1月1日… 平野 光雄(ひらの みつお、1881年(明治14年)1月1日 - 1958年(昭和33年)7月26日)は、日本のジャーナリスト・政治家。政治家としては憲政会→立憲民政党に所属し、衆議院議員選挙に通算6回当選し逓信参与官を務めた。 静岡県庵原郡由比町(現在の静岡市清水区)出身。1910年(明治43年)、慶應義塾大学部政治科を卒業。『時事新報』記者を務めた。 1922年(大正11年)、衆議院議員補欠選挙に出馬し当選。第20回衆議院議員総選挙に至るまで6回当選を果たした。その間、岡田内閣で逓信参与官を務めた。 1942年(昭和17年)の第21回衆議院議員総選挙では大政翼賛会の推薦を受けたが落選した。 戦後、公職追放となる。
浜田 精蔵(濱田 精藏、はまだ せいぞう、1880年(明治1… 浜田 精蔵(濱田 精藏、はまだ せいぞう、1880年(明治13年)12月9日 - 1926年(大正15年)9月8日)は、明治末から大正期のジャーナリスト、実業家、政治家。衆議院議員、福岡市会議長。清蔵の表記有り。 鹿児島県 姶良郡、のちの加治木村(加治木町を経て現姶良市)で、浜田清四郎の二男として生まれた。1905年(明治38年)慶應義塾大学政治科を卒業した。 時事新報記者となりロンドン特派員、経済部長などを務めた。千代田生命保険に転じ、福岡支部長などを務めた。その後、博多商業会議所副会頭、諏訪炭礦専務取締役、西部合同瓦斯会社(現西部ガスホールディングス)社長、日本水電取締役などを務めた。 政界では、福岡市会議員に選出され、同議長にも在任した。
板倉 卓造(いたくら たくぞう、明治12年(1879年)12… 板倉 卓造(いたくら たくぞう、明治12年(1879年)12月9日 - 昭和38年(1963年)12月23日)は、日本の法学者、ジャーナリスト、新聞経営者、政治家。慶應義塾大学法学部教授。時事新報社長。貴族院勅選議員。広島県比婆郡庄原村(現庄原市)生まれ。息子は三井銀行(現・三井住友銀行)社長を務めた板倉譲治。 庄原英学校を経て1895年、慶應義塾普通部に入学。その後大学部理財科に進んだが政治科に転じ、卒業後の1903年、普通部の英語教師となる。1905年恩師の福沢諭吉が創立した「時事新報」に入り社説を担当。自由主義の論陣を張り、福沢亡きあとの「時事新報」の論壇を支えた。1907年米英仏に留学し、コロンビア大学でウィリアム・アーチボルド・ダニング(英語版)に、イギリスでラサ・オッペンハイムに師事した。
高石 真五郎(たかいし しんごろう、1878年(明治11年)… 高石 真五郎(たかいし しんごろう、1878年(明治11年)9月22日 - 1967年(昭和42年)2月25日)は、日本のジャーナリスト、実業家。国際オリンピック委員会(IOC)委員。毎日新聞社最高顧問。特殊法人日本自転車振興会第2代会長。 千葉県鶴舞町(現在の市原市)で高石四郎治の五男として生まれた。1901年(明治34年)に慶應義塾大学法学部を卒業すると共に、紹介により小松原英太郎の秘書となるが、7月に小松原が当時社長を務めていた大阪毎日新聞社に外国通信部員として入社する。 1902年(明治35年)に三井家から援助を受け、社籍を置いたままイギリスに留学するが、1904年(明治37年)の日露戦争開戦によりデイリー・エクスプレスの嘱託記者となり、翌年末には大阪毎日の特派員としてロシアのサンクトペテルブルクに赴いて半年以上現地に滞在し、その状況を日本に伝えた。
奥村 信太郎(おくむら しんたろう、1875年9月22日 -… 奥村 信太郎(おくむら しんたろう、1875年9月22日 - 1951年3月4日)は、日本のジャーナリスト、元毎日新聞社社長。 東京府荏原郡品川村大字北品川宿(現東京都品川区北品川)で父奥平昌邁、母岡見りきの間に生まれ、奥平家の菩提寺である清光院住職奥村成岳の長男として入籍。慶應義塾幼稚舎を経て1896年12月慶應義塾大学文学部を卒業。在学中に森鷗外から美学を学んだ。1897年1月博文館編集局に入社。1899年に退社して真宗日報(後に広島日報)主筆として広島に赴任したが、翌1900年、道楽が原因で夜逃げし、東京に戻る。1901年4月、慶應義塾長鎌田栄吉の紹介で大阪毎日新聞社に入社、通信部員となる。
小山 完吾(こやま かんご、1875年〈明治8年〉5月18日… 小山 完吾(こやま かんご、1875年〈明治8年〉5月18日 - 1955年〈昭和30年〉7月23日)は、明治・大正時代に活動した日本のジャーナリスト、大正・昭和時代の実業家である。時事新報社の記者を経て実業界に入り、明治生命保険取締役や時事新報社社長を務めた。記者時代に衆議院議員(当選1回)、晩年に貴族院勅選議員も務めた。長野県出身。 1875年(明治8年)5月18日、長野県佐久郡小諸町(現・小諸市)に小山謙吾の五男として生まれる。実家の小山家は小諸の与良に居を構え酒造業を営む旧家であり、父・謙吾は長野県会議員も務めた人物である。兄に酒造業を継いだ謹之助、千代田生命保険に勤めた禎三がいる。上京して福澤諭吉が開いた慶應義塾に学び、1904年(明治37年)大学部法律科を卒業。
河上 清(かわかみ きよし、1873年〈明治6年〉8月2日 … 河上 清(かわかみ きよし、1873年〈明治6年〉8月2日 - 1949年〈昭和24年〉10月12日)は、米国で活躍した日本人ジャーナリスト。日本におけるキリスト教社会主義の活動家の1人である。山形県出身。筆名は翠陵、陵山。 1873年(明治6年)8月2日、旧米沢藩士宮下忠茂・きみの四男として誕生。宮下雄七と名づけられる。1892年(明治25年)に河上清と改姓改名。 米沢中学校(現山形県立米沢興譲館高等学校)卒業後、上京して篤志家(曽根俊虎、上杉茂憲ら)の援助を受けつつ慶應義塾、東京法学院、青山学院などで学び文筆で身を立てることを志す。 万朝報記者となり社会主義とキリスト教に関心を抱き、足尾銅山鉱毒事件などの追及を行った。
相島 勘次郎(あいしま かんじろう、慶応3年12月19日(1… 相島 勘次郎(あいしま かんじろう、慶応3年12月19日(1868年1月13日) - 昭和10年(1935年)4月4日)は、衆議院議員(立憲国民党)、ジャーナリスト。俳人としても活動し、虚吼と号した。 常陸国筑波郡小田村(現在の茨城県つくば市)出身。慶應義塾大学を卒業後、大阪毎日新聞社に入社。1900年(明治33年)から1902年(明治35年)までのアメリカ留学を経て、1906年(明治39年)に大阪毎日新聞社が東京に毎日電報社を創設すると副主幹となり、1911年(明治44年)に大阪毎日新聞社が東京日日新聞社を買収するとやはり副主幹として編集にあたった。 1912年(明治45年)の第11回衆議院議員総選挙に出馬し、当選。
高橋 光威(たかはし みつたけ、1868年1月13日〈慶応3… 高橋 光威(たかはし みつたけ、1868年1月13日〈慶応3年12月19日〉- 1932年〈昭和7年〉4月9日)は、日本のジャーナリスト、政治家。立憲政友会所属の衆議院議員として活動した。 慶応3年12月19日(1868年1月13日)、越後国蒲原郡菅谷村(現在の新潟県新発田市菅谷)において、父・幾左衛門と母・ヨシとの四男として生まれる。幼名は富吉。知人に同行して上京し、1884年(明治17年)に慶應義塾に入学するものの、生活に困窮するなどして卒業は1889年(明治22年)となる。 1890年(明治23年)に開設された慶應義塾の大学部(法律科)に再び入学。在学中は、洋書の翻訳などで生計を立てるほか、菊代と結婚する。
門田 正経(かどた まさつね、1862年(文久2年)1月 -… 門田 正経(かどた まさつね、1862年(文久2年)1月 - 1924年(大正13年)12月8日)は、日本のジャーナリスト、東洋協会幹事長、拓殖大学学友会初代会長。 伊予国松山生まれ。松山中学校(現在の愛媛県立松山東高等学校)から慶應義塾に入り、朝野新聞、馬場辰猪の國友会に入り、山陰新聞、海南新聞、大阪毎日新聞創立に参加。台湾協会専門学校の幹事となり、毎日新聞の特派員として台湾に渡り、台湾統治の一翼を担う。墓所は多磨霊園。
石河 幹明(いしかわ かんめい、安政6年10月17日(185… 石河 幹明(いしかわ かんめい、安政6年10月17日(1859年11月11日) - 昭和18年(1943年)7月25日)は、日本のジャーナリスト。新聞『時事新報』主筆、茨城県会議員。慶應義塾理事および評議員。交詢社常議員長。徳川家評議員。千代田生命取締役。 号は碩果生(せきかせい)。福澤諭吉の伝記『福澤諭吉伝』全4巻を執筆し、大正版『福澤全集』全10巻、昭和版『続福澤全集』全7巻を編纂した。 『慶應義塾豆百科』 No.80 『福澤諭吉傳』の復刊
前田 有花(まえだ ゆか)は、日本の元経済ジャーナリスト。テ… 前田 有花(まえだ ゆか)は、日本の元経済ジャーナリスト。テレビ東京報道局、編成局宣伝部を経て総合マーケティング局総合プロモーション部副部長を務める。
梶原 英之(かじわら ひでゆき)は日本のジャーナリスト、 経… 梶原 英之(かじわら ひでゆき)は日本のジャーナリスト、 経済評論家。元毎日新聞記者。 経済記者として大蔵・金融・通商産業・経団連などの第一線を長年取材し、経済・政治に歴史的な視点も交えた研究、分析を行っている。
大井 真理子(おおい まりこ、Mariko Oi)は、東京都… 大井 真理子(おおい まりこ、Mariko Oi)は、東京都生まれの日本人ジャーナリスト。イギリス・英国放送協会(BBC)のイギリス国外向けテレビチャンネル「BBCワールドニュース」で、同局初の日本人リポーター兼プレゼンターを務めている。 1981年、東京都生まれ。聖心女子学院中等科・高等科を卒業後、慶應義塾大学環境情報学部に入学。しかし、ジャーナリズム修学のため、1年生修了時にオーストラリア・RMIT大学ジャーナリズム学部に入学。 16歳(高校1年生)の時、父親の転勤がきっかけで、当時流行っていた『ビバリーヒルズ高校白書』をイメージして、深く考えもせずに、オーストラリアへの留学を決心した。それまでは、「玉の輿結婚が夢」と公言していたが、留学先で偶然視聴したBBCのドキュメンタリー番組に感動し、記者を目指そうと決心した他、留学先のオーストラリアのホストマザーから「不倫されたらどうするの?」と言われたことがきっかけで、夫に全面的に支えてもらう生活ではなく、自分1人でも生きられる人間になりたいと思うようになったという。
安積 明子(あづみ あきこ)は、日本の政治ジャーナリスト。兵… 安積 明子(あづみ あきこ)は、日本の政治ジャーナリスト。兵庫県出身。 兵庫県立姫路西高等学校、慶應義塾大学経済学部経済学科卒業。国会議員政策担当秘書資格試験に合格後、参議院議員の政策担当秘書として勤務。 その後、執筆活動に入り、フリーランスの政治ジャーナリストとして週刊誌や月刊誌など多数の媒体に寄稿している。 2020年3月14日に開かれた安倍晋三首相の会見で、内閣記者クラブに加盟していないフリーランスの記者として初めて質問した。 趣味は宝塚歌劇団やミュージカル鑑賞の他、美術館巡りなど。
聖 真一郎(ひじり しんいちろう)は、日本のプロフェッショナ… 聖 真一郎(ひじり しんいちろう)は、日本のプロフェッショナル翻訳家、通訳者、アマチュア・アスリート、ジャーナリスト、自然科学とりわけ宇宙論、量子論・量子コンピュータ、希少糖などの研究者、一般社団法人科学技術翻訳通訳・科学研究国際機構理事長。 香川県立丸亀高等学校卒業。 2014年、放送大学教養学部入学 2016年9月、一般社団法人科学技術翻訳通訳・科学研究国際機構の理事長に就任。 現在、地球規模で、インターネットとグローバリゼーションが巨大な翻訳マーケットを創出している。このマーケットでは世界に通用する翻訳専門職が求められている。聖真一郎は、このような翻訳専門職として、20世紀末から21世紀にかけて、わずかの間に、ヨーギ・バジャン、バグワン・シュリ・ラジニーシ、サティヤ・サイ・ババ、ジッドゥ・クリシュナムルティ、デヴィッド・ボームなど、当時、欧米を中心に国際世界を席巻していたニューエイジ・ニューサイエンスの旗手たちの代表作を翻訳出版していった。
海野 麻実(うんの あさみ)は、日本のジャーナリスト。 東京… 海野 麻実(うんの あさみ)は、日本のジャーナリスト。 東京都出身。慶應義塾大学卒業。2005年フジテレビ入社。報道局社会部記者を経て、報道番組やドキュメンタリー番組などのディレクターを務める。[要出典] 2013年に福島第一原子力発電所の作業員をテーマにした『1F作業員~福島第一原発を追った900日』を制作し、第22回FNSドキュメンタリー大賞にノミネートされる。 2016年にフジテレビを退社。シンガポールを経て、マレーシアを拠点にフリーで取材を続ける。
田嶋 智太郎(たじま ともたろう)(1964年 - )は経済… 田嶋 智太郎(たじま ともたろう)(1964年 - )は経済評論家、金融ジャーナリスト。 1988年慶應義塾大学卒業後、国際証券(現・三菱UFJ証券ホールディングス)勤務を経て転身。主に金融・経済全般から戦略的な企業経営、ひいては個人の資産形成、資金運用まで幅広い範囲を分析・研究する。株式会社アルフィナンツ代表。民間企業や金融機関、新聞社、自治体、各種商工団体等の主催する講演会、セミナー、研修等の講師を務める。 2011年1月、有料メルマガ配信サービス「foomii」より、有料メルマガ「FX&CFDで勝つ! 田嶋智太郎の投資レポート」を配信すると発表した。
松島 新(まつしま あらた)は、日本のジャーナリスト。 19… 松島 新(まつしま あらた)は、日本のジャーナリスト。 1985年慶應義塾大学卒業後、テレビ東京入社。ブリュッセル、モスクワ、ニューヨーク支局長、ワールドビジネスサテライトマーケットキャスター等を歴任。2001年ソニー入社後、CEO室、ソニー・コーポレーション・オブ・アメリカのバイスプレジデントなど歴任。 現在、金融情報サービス会社Market Editorsにて、エグゼクティブエディター(ジャーナリスト)として情報提供に携わる。ロサンゼルス在住。 この項目は、人物に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(プロジェクト:人物伝、Portal:人物伝)。
山口 敬之 は、日本のジャーナリスト、安倍晋三元首相の伝記作… 山口 敬之 は、日本のジャーナリスト、安倍晋三元首相の伝記作家。元TBSテレビ報道局記者、報道特集プロデューサー、ワシントン支局長。2016年からフリーになり、メールマガジンやニコニコ生放送、『月刊Hanada』『WiLL』などで活動。