木村 晟(きむら あきら、1934年4月7日 - )は、日本… 木村 晟(きむら あきら、1934年4月7日 - )は、日本の国語学者、駒澤大学名誉教授。 滋賀県中主町(現野洲市)生まれ。近江兄弟社学園を経て、1957年日本大学文学部国文学科国語学専攻卒業。桜美林大学講師、神戸女子大学助教授、駒澤大学文学部助教授、教授、2002年「中世韻書の基礎的研究」で日大文学博士。2005年駒沢大を定年退職、名誉教授。近江野田教会は母教会。東京都東久留米市の久留米キリスト教会会員。 日本の古辞書の研究が専門だが、近江兄弟社に関する単著がある。
立石 友男(たていし ともお、1933年6月4日 - 201… 立石 友男(たていし ともお、1933年6月4日 - 2017年7月11日)は、日本の地理学者。日本大学名誉教授。 1933年、長野県に生まれた。1952年に長野県諏訪清陵高等学校を卒業し、日本大学文学部人文地理学科に入学。1956年に同大学を卒業し、翌1957年に同大学大学院に進んだ。 1959年に日本大学文理学部副手に採用。1960年に助手、1970年に専任講師、1973年に助教授、1981年に教授へと昇任した。1982年、学位論文『庄内砂丘における海岸砂丘林に関する研究』を日本大学に提出して理学博士号を取得した。学界では、1999年から2002年まで歴史地理学会会長を務めた。2003年に日本大学を定年退職し、名誉教授となった。
上野 秀夫(うえの ひでお、1933年5月15日 - 202… 上野 秀夫(うえの ひでお、1933年5月15日 - 2023年5月30日)は、日本の中国経済学者、近畿大学名誉教授。 1933年、東京市(現目黒区)で生まれた。日本大学法学部政治学科を卒業し、同大学院経済学研究科に進んだ。1958年に修士課程を修了。 近畿大学世界経済研究所所員となり、1960年より商経学部専任講師、1963年より助教授、1969年より教授。1984年、学位論文『現代中国の外国貿易組織に関する理論的および実証的研究』を近畿大学に提出して商学博士号を取得。1996年からは商経学部長を務めた。1999年、近畿大学副学長に就任。2003年に近畿大学を定年退任して特任教授となり、2005年に名誉教授となった。
浦野 起央(うらの たつお、1933年(昭和8)3月11日 … 浦野 起央(うらの たつお、1933年(昭和8)3月11日 - )は、日本の政治学者。日本大学名誉教授。専門は国際政治学。 愛知県豊川市生まれ。日本大学法学部卒業、同大学院修了。1990年「現代における革命と自決の研究」で、政治学博士(東海大学)。日本大学法学部教授を経て、2003年定年、名誉教授となる。
高瀬 暢彦(たかせ のぶひこ、1933年2月22日 - )は… 高瀬 暢彦(たかせ のぶひこ、1933年2月22日 - )は、日本の法学者。日本大学名誉教授。専門は法哲学、基礎法学、日本近代法史。明治期の政治家である金子堅太郎研究の第一人者とされる。 日本大学大学院法学研究科私法学専攻修了。日本大学法学部教授を務め、筑波大学第三学群講師、埼玉大学経済学部講師を兼任した。
大野 和雄(おおの かずお、1932年〈昭和7年〉9月16日… 大野 和雄(おおの かずお、1932年〈昭和7年〉9月16日 - 2003年〈平成15年〉5月20日)は、日本の経営学者・教育者。専門は、マーケティング。函館大学名誉教授。同大学学長。北海道函館市出身 この他、1959年(昭和34年)函館経営セミナー専務理事、1960年(昭和35年)函館経営リサーチ・センター事務局長、日本大学経済学部通信教育課程学習会講師や、日本大学大学院経済研究科非常勤講師(1990年~2000年)なども務めた 函館市功労者表彰(1997年) この項目は、学者に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(PJ:人物伝/P:教育)。 この項目は、まだ閲覧者の調べものの参照としては役立たない、人物に関連した書きかけの項目です。
大野 誠(おおの まこと、1932年2月16日 -2022年… 大野 誠(おおの まこと、1932年2月16日 -2022年7月6日 )は、日本の衛生学者。医学博士(日本大学)。専門は、食品衛生学・大衆衛生学。国際学院埼玉短期大学初代学長。 1956年日本大学農獣医学部獣医学科卒業。1956年埼玉県熊谷保健所に入所。1963年同保健所退職し、大宮国際料理学院を設立し同理事長。1968年淑徳学園短期大学家政科助教授(1972年まで)。1971年大宮保育学校校長。国際栄養士専門学校校長。学校法人国際学院理事長・同学院長。1983年日本大学より医学博士受く。国際学院埼玉短期大学を設立し同初代学長。1988年国際学院高等学校校長(1999年まで)。1999年山脇学園短期大学栄養科客員教授(2003年まで)。
西條 隆繁(さいじょう たかしげ、1931年2月28日 - … 西條 隆繁(さいじょう たかしげ、1931年2月28日 - 2026年3月4日)は、元芝浦工業大学教授、工学博士(電気工学)。自然学園高等学校の創設者。 鉄道電気設備、リニアモーター、パワーエレクトロクスなどに関する研究に従事。IEEE、パワーエレクトロニクス研究会、鉄道電化協会、日本心理学会会員。 長女の不登校問題から既存の日本の教育方法を見つめ直し、将来の日本を担うような自立した人間を育てる必要があると学校を創立した。
木村 翔(きむら しょう、1931年- )は、日本の建築音響… 木村 翔(きむら しょう、1931年- )は、日本の建築音響工学者。日本大学名誉教授。日本騒音制御工学会認定技士。日大では理工学部建築学科で建築音響工学の木村研究室を主宰。出身者に杉山知之など。日本建築学会では学術理事(1984~1985)学会評議員(9期)学会音環境運営委員、学会環境工学委員会委員長(1988~1989)関東支部長(1990~1991)副会長(1992~1993)を歴任。他、日本建築センター遮音構造評定委員会委員長、日本音響学会評議員(第4期)等も務めた。工学博士。東京都生まれ。 1954年3月 日本大学旧工学部建築学科卒業。1956年3月 東京大学大学院数物系研究科建築学専攻修士課程(現・東京大学大学院工学系研究科建築学専攻修士課程)修了。
太田昭臣(おおた あきおみ、1930年9月18日- )は、日… 太田昭臣(おおた あきおみ、1930年9月18日- )は、日本の国語教育学者。 茨城県生まれ。日本大学芸術学部文藝学科卒。茨城県の民間会社勤務後、竜ケ崎市立城西中学校教諭など、茨城県内中学校教師として39年間勤務、退職。1991年琉球大学教授となり1996年退官。社会福祉法人栗の実福祉会理事。
瀬在 幸安(せざい ゆきやす、1930年〈昭和5年〉4月7日… 瀬在 幸安(せざい ゆきやす、1930年〈昭和5年〉4月7日 - 2025年〈令和7年〉2月15日)は、日本の医学者。位階勲等は従三位瑞宝大綬章。専門は心臓外科学。第10代日本大学総長。日本で初めて心筋梗塞の冠動脈バイパス手術を成功させ、その手術は人工心肺を用いないオフポンプで行われた。アジア初の冠動脈バイパス手術でもあり、心臓外科の国際的権威として知られる。また、補助人工心臓に関しても、日本初の臨床的応用・離脱に成功している。冠動脈バイパス術および補助人工心臓分野での離脱において、日本およびアジア・ヨーロッパ地域で最初に成功され、20世紀を代表する手術として『世界外科学史』に記載されている。医学界のみならず、教育界、外交・国際的権威との交流などさまざまな分野において活躍した。
櫻井 淳(さくらい じゅん、1930年3月16日 - )は、… 櫻井 淳(さくらい じゅん、1930年3月16日 - )は、日本の理学博士、経済学博士、法学博士、教養学博士。道都大学名誉総長(理事)。北海道室蘭市出身。
秋山 正幸(あきやま まさゆき、1930年2月5日- )は、… 秋山 正幸(あきやま まさゆき、1930年2月5日- )は、日本の英文学・比較文学者、日本大学名誉教授。 栃木県出身。1946年栃木県立石橋中学校卒業。1952年日本大学文学部英文学科卒業。1964-1965年ミシガン州立大学およびオレゴン大学大学院に留学。日本大学文理学部助教授、文理学部教授、国際関係学部教授、大学院国際関係研究科教授、国際関係学部長、大学院国際関係研究科長、日本大学副総長を経て、2001年定年退任、日本大学名誉教授、日本大学陸上競技部前部長。1999年「ヘンリー・ジェイムズの国際小説研究 -異文化の遭遇と相剋」で博士(国際関係)。2009年春、瑞宝中綬章受勲。
花沢 成一(はなざわ せいいち、1930年1月 - 2006… 花沢 成一(はなざわ せいいち、1930年1月 - 2006年10月3日)は、日本の臨床心理学者。臨床心理士・学校心理士・家族心理士。学位は、文学博士(日本大学)。専門は臨床心理学、親性(父性・母性)の発達、妊産婦の心理療法、催眠療法、自律訓練法、少年非行の研究、母性発達に関する研究、スケート選手に対するメンタルトレーニングに関する研究。 この項目は、科学者に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(プロジェクト:人物伝/Portal:自然科学)。
山口 和男(やまぐち かずお、1930年 - 2024年)は… 山口 和男(やまぐち かずお、1930年 - 2024年)は、日本の弁護士、大学講師。元裁判官、元公証人。 佐世保高等物理学校卒業後、日本大学法学部に進学。 1961年に判事補に任官し、那覇、東京、横浜の各地方裁判所民事部部総括や、東京地裁商事部部総括、旭川地裁所長などを歴任。また数多くの法律実務書の執筆・編集に関わった。 1992年、退官して公証人に。2000年から弁護士。篠崎・進士法律事務所所属。日本大学法学部法科大学院で非常勤講師。
藤井 繁(ふじい しげし、1929年3月25日 - )は、英… 藤井 繁(ふじい しげし、1929年3月25日 - )は、英文学者、聖徳大学名誉教授。 宮城県栗原郡築館町生まれ。日本大学文理学部英文科卒、同助教授、教授。93年「トマス・ハーディの叙事詩劇The Dynastsの研究」で日本大学文学博士。1990年聖徳大学教授・人文学部長、同名誉教授。筆名・白鳥繁。
水辺 芳郎(みずべ よしろう、1929年 - )は、日本の法… 水辺 芳郎(みずべ よしろう、1929年 - )は、日本の法学者(民法)。元日本大学法学部教授。 日本大学法学部卒。山梨学院大学講師、松山商科大学助教授、日本大学法学部助教授等を経て、1975年、日本大学法学部教授。ヨハネス・グーテンベルク(マインツ)大学客員研究員、愛媛県公害審査委員、日本住宅公団「住宅公団団地への親水施設等導入手法等策定委員会」委員、日本私法学会理事、日本土地法学会理事等を歴任した。 海没地の所有権等に関する業績で著名であり、その他、不動産関係法令の研究で知られる。古稀記念論文集に『日本法学第65巻第4号 水辺芳郎教授古稀記念号 私法学をめぐる現代的課題』(日本大学法学会)がある。
廣重 徹(広重 徹、ひろしげ てつ、1928年8月28日 -… 廣重 徹(広重 徹、ひろしげ てつ、1928年8月28日 - 1975年1月7日)は、日本の科学史家。元日本大学教授。 兵庫県神戸市生まれ。旧制兵庫県立第一神戸中学校、旧制第三高等学校を経て、1952年に京都大学理学部物理学科を卒業(旧制の大学は3年制)。素粒子論を志して大学院に進学したがドロップアウトした。在学中から民主主義科学者協会の活動をした。 1957年、日本大学理工学部講師(物理学教室物理学史研究室)となり、1973年より同教授を務めた。1962年、名古屋大学より理学博士の学位を取得。現代物理学史の研究、および明治以後の日本の自然科学の社会史的研究に業績を上げたが、若くして没した。 反核運動で著名な物理学者武谷三男の三段階説を実証により否定している[要出典]。
中村 義作(なかむら ぎさく、1928年1月22日 - 20… 中村 義作(なかむら ぎさく、1928年1月22日 - 2020年6月4日)は、日本の電通官僚、工学者(情報工学・ソフトウェア工学)、数学者(組み合わせ数学・有限数学・経営数学)。工学博士(東北大学・1970年)。静岡県立大学名誉教授。 電気通信省、日本電信電話公社での勤務を経て、信州大学工学部教授、静岡県立大学経営情報学部教授、静岡県立大学経営情報学部学部長(第3代)、東海大学教育開発研究所教授などを歴任。 1928年に日本の東京府で生まれた。中学生の頃、竹内端三の『群論』を購入したが、内容が高度すぎて当初は理解できなかった。しかし、何度も読み返すうち数学の面白さを知る。その後、高木貞治の『近世数学史談』を読み感銘を受けた。
松澤 智(まつざわ さとし、1927年(昭和2年)10月11… 松澤 智(まつざわ さとし、1927年(昭和2年)10月11日 - 2003年(平成15年)4月6日)は、日本の法学者。元日本大学法学部教授。元東京地裁判事。元TKC全国会最高顧問。専門は租税法。 静岡県立志太中学校(現藤枝東高等学校)を卒業後、日本大学法文学部に進学。1950年日本大学法文学部卒業。 弁護士・租税法学会理事、日本税法学会理事、日本公法学会会員、法務大臣官房訟務部付検事、国税不服審判所審判官、東京地方裁判所判事、日本大学法学部教授、政務税制調査会委員等を歴任。1997年TKC全国会会長。 東京地裁判事時代には、ロッキード事件の公判審理も担当をした。租税判例研究として従来からあった判例の解釈・解説に対して、憲法を基本に置いて判例研究と実践を行った北野弘久、会計と租税実務を基本に置いて緻密な論理を展開した松澤智の両名は1つの時代を築いたと言えるだろう。
荒居 英次(あらい えいじ、1927年9月6日 - 1981… 荒居 英次(あらい えいじ、1927年9月6日 - 1981年1月10日)は、日本の日本史学者。 東京市芝区(現港区)出身。1951年日本大学文学部史学科卒、1958年同大学院文学研究科博士課程修了。1968年「近世日本漁村史の研究」で日本大学より文学博士の学位を取得。1961年日本大学文理学部講師、1964年助教授。1970年渡欧して近世海産物輸出に関する史料の収集などにあたる。1972年日大教授。1965年漁業経済学会賞、1977年「近世海産物貿易史の研究」で日本学士院賞受賞。近世漁業史専攻。 この項目は、学者に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(PJ:人物伝/P:教育)。
藤岡 武雄(ふじおか たけお、1926年2月14日 - )は… 藤岡 武雄(ふじおか たけお、1926年2月14日 - )は、歌人、日本近代文学研究者、日本大学名誉教授。歌誌『あるご』主宰。斎藤茂吉研究の権威として知られる。日本歌人クラブ第4代会長。 山口県大津郡日置村(現長門市)生まれ。山口師範学校を経て、日本大学文学部国文科卒。同大学院修士課程修了。日大文理学部助教授、教授を歴任。1990年『評伝斎藤茂吉』で日大文学博士。1996年定年退任、名誉教授。1991年に三島市立山田中学校の校歌を作詞。2003年「書簡にみる斎藤茂吉」で第14回斎藤茂吉短歌文学賞、第1回日本歌人クラブ評論賞受賞。2017年『斎藤茂吉―生きた足あと』を中心とした永年の功績に対して第8回日本歌人クラブ大賞受賞。
村井 益男(むらい ますお、1926年 - 2011年)は、… 村井 益男(むらい ますお、1926年 - 2011年)は、日本の日本史学者。 1926年香川県に生まれる。1949年日本大学法文学部を卒業。東京大学史料編纂所教授、日本大学教授(法学部・文理学部兼任)を歴任。2011年に没。代表作「江戸城日本名城集成」や「年表日本歴史」などがある。
近江 榮(おうみ さかえ、1925年11月27日 - 200… 近江 榮(おうみ さかえ、1925年11月27日 - 2005年1月31日)は、日本の建築史家。工学博士(論文博士・1970年)。日本大学理工学部名誉教授。東京生まれ。 1950年日本大学旧工学部(現理工学部)建築学科卒業後、阿部允建築設計研究室で設計業務を行うが1951年退社、同年日本大学旧工学部建築史研究室の助手となる。 1954年からは山脇学園短期大学で住居学の、1966年からは千葉工業大学、1985年からは武蔵野美術大学大学院で近代建築史非常勤講師を務める。1970年工学博士。同年日本大学理工学部教授。1990年から日本大学総合科学研究所教授。1996年から日本大学名誉教授。 1986年から2年間、日本建築学会副会長を務めるほか、学会の監事や総務理事、委員会の理事や幹事、文化賞の選考委員も歴任し、また合唱部を創設。
小林 肇(こばやし はじめ、1925年(大正14年)10月2… 小林 肇(こばやし はじめ、1925年(大正14年)10月27日 - )は、日本の歴史学者、郷土史家。 現在の佐賀県鳥栖市に生まれる。1945年佐賀師範学校卒業、1952年日本大学法文学部人文地理学科卒業。 佐賀大学教育学部附属中学校教諭、佐賀県立佐賀西高等学校教諭、佐賀県立鳥栖高等学校教諭を経て西九州大学名誉教授。 1984年(昭和59年)4月1日 鳥栖市が公募する「鳥栖市民憲章」で最優秀賞を受賞し採用された。鳥栖市役所前にその市民憲章を彫った石碑が建っている。 ・田代売薬〔対馬田代領〕の史的研究 ・対馬領田代売薬の史的研究(第4報)領域経済と田代売薬の創業 ・対馬領田代売薬の史的研究-第5報-宝歴・天明期における田代売薬 この項目は、学者に関連した書きかけの項目です。
山口 廣(やまぐち ひろし、1925年10月11日 - 20… 山口 廣(やまぐち ひろし、1925年10月11日 - 2017年7月12日)は、日本の建築史家。工学博士(論文博士・1972年)(学位論文「ドイツ表現派の建築」)。日本大学名誉教授。東京生まれ。 1959年日本大学旧工学部卒業。1971年明治大学大学院工学研究科建築学専攻博士課程修了。1972年「ドイツ表現派の建築」で工学博士。 日本大学生産工学部助教授を経て1975年同教授。1987年日本建築学会賞論文賞受賞。1988年に日本建築学会副会長。96年日本大学を定年、名誉教授。
大村 政男(おおむら まさお、1925年10月4日 - 20… 大村 政男(おおむら まさお、1925年10月4日 - 2015年10月31日)は、日本の心理学者。文学博士(日本大学・論文博士・1982年)。日本大学名誉教授。2006年瑞宝中綬章受章。 東京府出身。日本大学第二高等学校、日本大学法文学部心理学科卒業、同大学院修士課程修了。1982年「顕現性不安の構造に関する研究」で日本大学より文学博士の学位を取得。少年鑑別所にて鑑別技官を務めた後、日本大学文理学部教授、1996年定年、名誉教授。2006年瑞宝中綬章を叙勲。1995年 日本応用心理学会名誉会員、2000年 日本心理学会名誉会員。 血液型と性格の関係に懐疑的な立場で一連の論文や著作を発表した。
進士 慶幹(しんじ よしもと、1925年〈大正14年〉2月1… 進士 慶幹(しんじ よしもと、1925年〈大正14年〉2月13日 - 1987年〈昭和62年〉3月10日)は、日本の日本史学者。 暁星中学校を経て、1947年日本大学法文学部文学科史学専攻卒業、文学部助手。1949年東京大学史料編纂所入所、1972年日本大学教授。1987年3月10日、咽頭腫瘍のため死去。没後、勲四等瑞宝章を贈られた。 この項目は、学者に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(PJ:人物伝/P:教育)。
安井久善(やすい ひさよし、1925年1月24日 - 200… 安井久善(やすい ひさよし、1925年1月24日 - 2001年7月14日)は、日本の国文学者、軍事史学者、日本大学名誉教授。 愛知県名古屋市生まれ。1944年4月、陸軍士官学校を卒業し(第57期)、陸軍中尉で終戦を迎える。1949年3月、日本大学法文学部国文科卒業。1951年4月、同大学院(旧制)終了し、1952年1月、宮内庁書陵部に入る。 1952年9月、保安隊に入る。1954年7月、陸上自衛隊発足とともに陸上自衛官。1960年、防衛大学校陸上防衞学助教授。この時代に軍事史の著作、論考を著しはじめる。 1965年日本大学商学部助教授、1970年教授、1976年「藤原光俊の研究」で日大文学博士。
澤村 良二(さわむら りょうじ、1925年〈大正14年〉 -… 澤村 良二(さわむら りょうじ、1925年〈大正14年〉 - 2010年〈平成22年〉2月24日)は、日本の薬学者、薬学博士、日本学校薬剤師会会長(第6代)、日本大学名誉教授。
岡安 大仁(おかやす まさひと、1924年1月9日 - 20… 岡安 大仁(おかやす まさひと、1924年1月9日 - 2017年1月12日)は栃木県出身の医学者。 栃木町入舟町(現・栃木市入舟町)に生まれる。旧制栃木県立栃木中学校を経て、日本大学医学部卒業。元日本大学医学部教授。 元日本歯科大学客員教授。ピースハウス病院ホスピス最高顧問。信愛病院ホスピス棟顧問。 兄の岡安恒武は詩人・歯科医、その妻の岡安歌子は日本画家であった。
石原 明(いしはら あきら、1924年 - 1980年7月2… 石原 明(いしはら あきら、1924年 - 1980年7月23日)は、医学者、東洋医学研究者。 日本大学医学科卒、1952年「幼態心臓の生理学的研究」で日大医学博士。横浜市立医学専門学校教員、横浜市立大学医学部専任講師、助教授。日本東洋医学会設立に参加。
岩城之徳(いわき ゆきのり、1923年11月3日 - 19… 岩城之徳(いわき ゆきのり、1923年11月3日 - 1995年8月3日)は、日本近代文学研究者、日本大学名誉教授。文学博士。石川啄木の実証的研究の基礎を築いた。 愛媛県松山市に生まれる。父は今治商業銀行(伊予銀行の前身の一つ)勤務から独立して商社を起こしたが失敗、伊予合同銀行(伊予銀行の前身)に復職後1947年に死去した。母は河東碧梧桐の縁者の出身であった。 日本大学法文学部文学科在学中の1943年11月に学徒出陣により従軍し、最終的に中国南部から1946年3月に復員、復学した。在学中の1947年には、開校したばかりの墨田区立隅田第二中学校で、日大OBの校長からの依頼により学生の身分で国語の専任授業嘱託となる。
宮城 弘(みやぎ ひろし、1923年6月11日 - 1989… 宮城 弘(みやぎ ひろし、1923年6月11日 - 1989年9月26日)は、日本の工学者。日本大学名誉教授。 長野県生まれ。1941年(昭和16年)旧制松本第二中学(現長野県松本県ヶ丘高等学校)卒業。1955年(昭和30年)日本大学大学院旧工学研究科(現理工学研究科)課程修了。1977年(昭和52年)~1985年(昭和60年)、1987年(昭和62年)~1989年(平成元年)の間、日本大学理工学部電気工学科主任を務めた。 1983年(昭和58年)8月、当時の宮城弘教授、木方靖二専任講師(後に理工学部教授)、鈴木勝行助手(後に理工学部教授)らにより、愛媛県来島海峡沖に設置された海上設置型潮流発電装置により、世界初の潮流発電(850w)に成功した。
角谷 光一(すみや こういち、1923年1月25日 - 20… 角谷 光一(すみや こういち、1923年1月25日 - 2000年9月20日)は、日本の会計学者。 東京市小石川区(現東京都文京区)出身。1942年旧制日本大学第一商業学校(現在の日本大学第一高等学校)卒。1949年明治大学商学科卒、1977年「営業費分析の研究」で経営学博士の学位を取得。明大経理研究所研究員、1957年明治大学経営学部専任講師、1960年助教授、1966年教授となる。1980-1982年経営学部長を務め、1993年定年、名誉教授。
世耕 政隆(せこう まさたか、1923年1月6日 - 199… 世耕 政隆(せこう まさたか、1923年1月6日 - 1998年9月25日)は、日本の政治家、医学者、学校法人理事長。位階は正三位。 日本大学第二高等学校卒業。1949年、日本大学医学部を卒業する。同大学に残り、同大医学部皮膚科学の教授に。1960年 日本大学 医学博士。論文の題は「紫斑性皮膚疾患の血液学的分布」。 1965年から父弘一のあとを継ぎ、2代目近畿大学総長・理事長を務める。 1967年に第31回衆議院議員総選挙に自民党公認で旧和歌山2区から立候補し当選するが(当選同期に山下元利・増岡博之・塩川正十郎・加藤六月・河野洋平・中尾栄一・藤波孝生・武藤嘉文・坂本三十次・塩谷一夫・山口敏夫・水野清など)、1969年の第32回衆議院議員総選挙で落選。
青木 清相(あおき きよみ、1922年(大正11年)1月6日… 青木 清相(あおき きよみ、1922年(大正11年)1月6日 - 1995年(平成7年)11月26日)は、日本の法学者。位階は正五位。 専門は法哲学、刑事法。元日本大学法学部教授。 高梨公之博士に師事し、法哲学、刑事法の分野においての業績で有名。 記念論文集に『青木清相教授古稀特別記念号』日本法学第57巻第4号平成4年(日本大学法学会)がある。 この項目は、学者に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(PJ:人物伝/P:教育)。 この項目は、まだ閲覧者の調べものの参照としては役立たない、人物に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(P:人物伝/PJ:人物伝)。
小島 健司(こじま けんじ、1921年2月23日 - )は、… 小島 健司(こじま けんじ、1921年2月23日 - )は、日本の労働運動家、日本福祉大学名誉教授。 横浜市生まれ。1943年日本大学経済学部卒業。44年荏原製作所入社。労働組合活動に参加し、49年総評調査副部長、1953年書記。60年同調査部長。1968年日本福祉大学教授。2002年定年退任、名誉教授。専攻は賃金論、日本産業史。時計産業史に関心をよせた。
浅沼 良次(あさぬま りょうじ、1921年 - 2002年7… 浅沼 良次(あさぬま りょうじ、1921年 - 2002年7月1日)は日本の郷土史家である。八丈島の歴史・民俗を専門とする。
長島 喜平(ながしま きへい、1920年〈大正9年〉10月1… 長島 喜平(ながしま きへい、1920年〈大正9年〉10月11日 - 2001年〈平成13年〉3月11日)は、日本の教員、郷土史家。位階は正五位。 埼玉県生まれ。1942年埼玉師範学校を、1953年日本大学文理学部を卒業。埼玉県で高校教師を務めながら、郷土史研究を行った。1982年に埼玉県立坂戸高校校長をもって教員を退職した。その後、埼玉県郷土文化会会長、埼玉県文化振興基金幹事、嵐山町文化財保護委員長、嵐山町博物誌編さん委員会委員と同委員会中世部会部会長などを務めた。 1990年に勲四等瑞宝章受章。没日をもって正五位に叙せらる。 この項目は、まだ閲覧者の調べものの参照としては役立たない、人物に関連した書きかけの項目です。
景山 克三(かげやま かつみ、1920年4月1日 - 200… 景山 克三(かげやま かつみ、1920年4月1日 - 2008年9月16日)は、日本の機械工学者、海軍軍人(技術大尉)、日本大学理工学部名誉教授。学位は工学博士。専攻は機械工学。勲三等瑞宝章受章者。 1920年、福岡県八幡市(現北九州市)生まれ。日本大学旧工学部(現・日本大学理工学部)卒業後、大日本帝国海軍技術士官として、航空発動機の製造に従事。戦後、日本大学の機械工学科に戻り、二輪車の研究で工学博士を取得(「二輪自動車の動力性能に関する研究」日本大学工学博士1961-3-31)。その後自動車の操縦性•安定性の研究に従事、(社)自動車技術会車両運動性能部門委員会委員長。後に同学会理事。1990年日本大学理工学部定年退職、名誉教授。
鵜澤 義行(うざわ よしゆき、1920年 - 2012年4月… 鵜澤 義行(うざわ よしゆき、1920年 - 2012年4月21日)は、日本の政治学者、日本大学名誉教授。 東京都生まれ。1938年、旧制日本大学中学校(現在の日本大学第一中学校・日本大学第一高等学校)卒。1938年、日本大学第一高等学院(予科文科)入学。1942年、日大法文学部法律学科卒。1948年、同講師、1953年、同法学部助教授、1958年、教授。1973年、「幕末政治思想の史的展開」で日大法学博士。1978年、日大副総長。1980年、日本大学第一学園8代同窓会長。1990年、定年退任、名誉教授。1994年、勲三等旭日中綬章受章。
佐古 純一郎(さこ じゅんいちろう、1919年〈大正8年〉3… 佐古 純一郎(さこ じゅんいちろう、1919年〈大正8年〉3月7日 - 2014年〈平成26年〉5月6日)は、日本の文芸評論家、二松学舎大学名誉教授、日本基督教団中渋谷教会名誉牧師。 大正8年(1919年)、徳島県名西郡神山町生まれ。旧制徳島中学校(現在の徳島県立城南高等学校)を経て朝鮮全羅南道光州東中学校を卒業。 昭和13年(1938年)、二松学舎専門学校入学。在学中の昭和15年(1940年)に亀井勝一郎を訪問。以後師事する。昭和16年(1941年)、二松学舎専門学校卒業。同年、日本大学法文学部宗教学科入学。同年5月、改造社が募集した第一回文芸推薦評論に『歴史と人間』が佳作入選。大学在学中の昭和18年(1943年)、創元社に入社。
染野 義信(そめの よしのぶ、1918年6月26日 - 20… 染野 義信(そめの よしのぶ、1918年6月26日 - 2007年)は、日本の法学者。専門は、民事訴訟法・裁判法。日本大学法文学部卒業。日本大学名誉教授。茨城県出身。 明治期以降の司法制度の研究で知られ、『講座 日本近代法発達史』(有斐閣)に収められた「司法制度」「裁判制度」は珠玉の業績として影響力をもった。染野の近代司法制度に関する研究業績は、東京大学より法学博士の学位が授与されている。また、日本学術会議会員に選出され、同会議第二部(法学・政治学部門)部長の要職も務めた。『民事訴訟法講義』『破産法講義』(ともに勁草書房)などの著作があり、『口語民事訴訟法』(自由国民社)の監修者でもある。 1992年、勲三等旭日中綬章を受章。
塩谷 正雄(しおたに まさお、1917年〈大正6年〉4月30… 塩谷 正雄(しおたに まさお、1917年〈大正6年〉4月30日 - 2005年〈平成17年〉9月15日)は、日本の運輸技官、気象学者。理学博士。元日本国有鉄道鉄道技術研究所防災研究室長、元日本大学生産工学部教授。日本風工学会名誉会員。 新潟県新潟市古町通12番町(現 新潟市中央区)出身。1934年(昭和9年)3月に新潟中学校を4年で修了(四修)、1937年(昭和12年)3月に新潟高等学校を卒業、1940年(昭和15年)3月に東京帝国大学理学部物理学科を卒業。 逓信省中央航空研究所技手に就任、1944年(昭和19年)に応召、1945年(昭和20年)に復員、12月に運輸省鉄道技術研究所技師に就任、交通気象研究室に勤務、1949年(昭和24年)から日本国有鉄道鉄道技術研究所防災研究室に勤務、1950年(昭和25年)5月に東北大学から理学博士の学位を取得、1954年(昭和29年)10月からアメリカのテキサス農工大学海洋学部で微気象について研究、1955年(昭和30年)11月からアメリカ各地の研究機関を視察、12月に帰国、1958年(昭和33年)5月に日本国有鉄道鉄道技術研究所防災研究室長に就任。
宇田川 竜男(うだがわ たつお、1917年(大正6年) - … 宇田川 竜男(うだがわ たつお、1917年(大正6年) - 2006年(平成18年))は、日本の鳥類学者、麻布大学名誉教授。別名に宇田川辰男、宇田川龍男、宇田川育男。 1917年(大正6年)、東京に生まれる。1937年(昭和12年)に東京高等獣医学校を卒業。上野恩賜公園動物園勤務を経て、1947年(昭和22年)に農林省林業試験場鳥獣研究室に移る。後に同研究室長。1958年(昭和33年)に北海道大学から理学博士の学位を授与され、1959年(昭和34年)には日本鳥学会学会賞を受賞した。麻生獣医科大学教授。後に同大学名誉教授。鳥獣類の研究、飼育の第一人者として、総理府動物保護審議会委員、財団法人山階鳥類研究所監査役なども歴任。
牧田 茂(まきた しげる、1916年7月25日 - 2002… 牧田 茂(まきた しげる、1916年7月25日 - 2002年3月22日)は、日本の民俗学者。 京都府京都市出身。別名=茅原茂(チハラ)。1940年國學院大學文学部国文科卒、朝日新聞社に入社。東京社会部次長、「週刊朝日」編集長、東京企画部長などを経て、1971年退社後、社友となる。1976年日本大学講師、1977年白梅学園短期大学教授を務めた。旧制京都二中時代に柳田國男に出した手紙が縁で門下生になる。1940年閑院宮賞。1947年日本民俗学会設立に参加。柳田民俗学の後継者として民俗学を中心に多くの著作がある。
塚原 美村(つかはら よしむら、1916年2月4日- 200… 塚原 美村(つかはら よしむら、1916年2月4日- 2009年)は、歴史家、小説家。 山梨県生まれ。東京府立第七中学校(現東京都立墨田川高等学校)卒、日本大学卒。山梨県立甲府第一高等学校教諭。 京都の部落問題研究所に所属。下層の人間の歴史を研究した。『金印惑伝』では漢委奴国王印の金印を江戸時代の製作と主張した。
加藤 渉(かとう わたる、1915年8月15日 - 1997… 加藤 渉(かとう わたる、1915年8月15日 - 1997年6月12日)は、日本の建築構造学者、海洋建築工学者、構造デザイナー。 東京神田生まれ。大学卒業後満洲国大陸科学院に勤務。小野薫に師事。その後仲間の建築技師らと現地召集により、陸軍造船中隊凌水屯部隊でコンクリート船設計に関与。 戦後は母校日本大学旧工学部、現理工学部で長く教鞭を執り、その後理工学部長を歴任。在任中海洋建築工学科を創設。大学外部では株式会社カトー設計事務所を主宰。シェル構造建築を1951年に「鶴見倉庫」を小野薫と試みる。こうしたシェル構造に関する一連の研究により、日本建築学会賞を受賞。
高梨 公之(たかなし まさゆき、1915年(大正4年)3月2… 高梨 公之(たかなし まさゆき、1915年(大正4年)3月2日 - 2005年(平成17年)1月14日)は、日本の法学者。日本大学名誉総長。学位は、法学博士(日本大学・論文博士・1962年)。弁護士。紫綬褒章、従三位勲一等瑞宝章。栃木県出身。 民法・家族法・婚姻法関係の数多くの著名な研究で知られている。監修した『口語民法』はロングセラーとなった。日大紛争の時代に、当時日大大学院生だった小沢一郎に、司法試験(弁護士教育)と論文指導をした。2005年1月14日(平成17年)に肺癌のため逝去。享年89。