中山 知子(なかやま ともこ、1926年2月25日 - 20… 中山 知子(なかやま ともこ、1926年2月25日 - 2008年5月24日)は、日本の童謡詩人、翻訳家。 東京生まれ。三重県出身。父は経済学者の中山伊知郎。日本女子大学卒業。同人誌「近代童話」などに短編を発表するかたわら、川端康成の知遇を得て(川端は『星の木の葉』に序文を寄せている)、多くの外国児童文学の翻訳を行う。また、作詞活動も並行して行い、NHK「みんなのうた」で放送された「ピエロのトランペット」など、童謡の訳詞・作詞を数多く手がける。日本音楽著作権協会のデータベースには、800件を超える詞の登録がなされている。 1950年代半ばからNHKラジオ番組の制作に関わるとともに、同人誌や新聞で創作童話を発表。
早坂 久子(はやさか ひさこ、1926年(大正15年)2月1… 早坂 久子(はやさか ひさこ、1926年(大正15年)2月12日 - 2017年(平成29年)8月11日)は、日本の劇作家である。脚本家としても活動し、日本脚本家連盟員でもあった。 東京の生まれ。日本女子大学卒業後の1953年(昭和28年)に早川書房に入社し、同社が発行する『悲劇喜劇』の編集に携わる。これによって同雑誌の戯曲研究会に加入し、その後は自身での制作した作品を発表した。 多くの舞台の劇作に携わり、賞を受賞する。後に劇作家のみならず小説の舞台の脚本も携わり、脚本家としても活動した。 この項目は、まだ閲覧者の調べものの参照としては役立たない、文人(小説家・詩人・歌人・俳人・作詞家・作家・放送作家・随筆家(コラムニスト)・文芸評論家)に関連した書きかけの項目です。
柳沢 孝(柳澤 孝、やなぎさわ たか、女性、1926年1月1… 柳沢 孝(柳澤 孝、やなぎさわ たか、女性、1926年1月16日 - 2003年9月6日)は、日本の美術史家。専門は仏教絵画史。東京文化財研究所名誉研究員。 1926年1月16日、長野県上田市に生まれる。1943年3月、長野県立上田高等女学校を卒業。1945年9月、日本女子大学校国文科卒業。1946年に帝国美術院付属美術研究所(現・東京文化財研究所)に入り、美術部長などを務めた後、東京芸術大学客員教授に就任する。 1960年「醍醐寺五重塔の壁画」(共同研究)で学士院恩賜賞を受賞。上野アキとともに、女性として初めての受賞者となった。 1987年3月、東京文化財研究所を定年退職する。1996年勲四等宝冠章を受章。
佐伯 千秋(さえき ちあき、1925年12月6日 - 200… 佐伯 千秋(さえき ちあき、1925年12月6日 - 2009年1月3日)は、日本の少女小説家。児童文学作家。少女小説やジュニア小説で知られる。 広島市出身。本名、薦田千賀子(こもだ・ちかこ)。佐伯は旧姓である。 広島県立広島第一高等女学校から日本女子大学校に進学したが、広島市への原子爆弾投下で両親を失ったのち退学。 作家となってからは西東京市 (旧保谷市)に住んだという。原爆ドーム永久保存を決定した当時の広島市長・浜井信三は義兄に当たる。1955年当時から日本児童文芸家協会会員。 1954年ごろから小学館の雑誌『女学生の友』や『小学〇年生』などの学習雑誌に読み切りの短編小説や小学生向けの読み物を執筆し、1959年「燃えよ黄の花」(『女学生の友』1958年9月号掲載)で第8回小学館児童文化賞を受賞。
河東 けい(かとう けい、1925年11月20日 - 202… 河東 けい(かとう けい、1925年11月20日 - 2024年7月17日)は、日本の女優。 本名は西川 紫洲江(にしかわ しづえ)。兵庫県神戸市出身。日本女子大学卒業。特技はピアノ、狂言。1952年に民衆劇場に入団。1957年に結成された関西芸術座創立メンバーの一人。 晩年までテレビドラマ、舞台などに多数、出演し、活躍していた。関西芸術座では演出もおこなった。関西新劇界を代表する女優の一人である。 2024年7月17日、老衰のため死去。98歳没。
田中 嫺玉(たなか かんぎょく、1925年3月2日 - 20… 田中 嫺玉(たなか かんぎょく、1925年3月2日 - 2011年7月20日)は、日本のベンガル語翻訳家、著作家。女性。「田中かん玉」とも表記。 1925年(大正14年)、北海道旭川市生まれ。北海道庁立旭川高等女学校(現・北海道旭川西高等学校)、日本女子大学家政科に進学。1945年(昭和20年)に戦争が終わると、中退して帰郷し、結婚して男の子2人を育てる。1954年(昭和29年)に東京都新宿区に引っ越した。1959年(昭和34年)、目白ロゴス英語学校を卒業。1969年(昭和44年)に仏教学者の渡辺照宏、東京外国語大学教授の奈良毅もとでベンガル語のラーマクリシュナの言行録『不滅の言葉』の翻訳を始め、5年後の1974年(昭和49年)に抄訳本を奈良毅と共訳で自費出版。
本田 寿賀(ほんだ すが、結婚後の姓は陸奥(むつ)、1925… 本田 寿賀(ほんだ すが、結婚後の姓は陸奥(むつ)、1925年(大正14年)1月28日 - 1985年(昭和60年)6月12日)は、元NHKアナウンサー。 千葉県君津郡生まれ。日本女子大学卒業。1946年、NHKに一般職員として入社後、同年戦後初のアナウンサー試験に合格、17期アナウンサーとなる。同期は野村泰治、のちに橋本登美三郎夫人となった後藤美也など。1953年1月2日放送の『第3回NHK紅白歌合戦』では、朗読の実績を買われて紅組司会に起用された。『NHK紅白歌合戦』でNHKアナウンサーが紅組司会を務めるのは本田が初めてだった。1956年7月から1961年8月まで大阪中央放送局勤務を経て再び東京勤務に戻る。
相見 とし子(あいみ としこ、1925年 - 2005年)は… 相見 とし子(あいみ としこ、1925年 - 2005年)は、日本の小説家。 京都府竹野郡間人町(現・京丹後市)生まれ。二人兄妹であったが、兄は第二次世界大戦で戦死した。 日本女子大学国文学部卒業。 後に同志社大学教授(現・名誉教授)となった相見志郎と結婚し、創作活動に入る。ドイツ文学者・前田敬作が京都大学助教授時代に出していた同人誌『集団55』に発表した初創作の『魔法瓶』で1957年(昭和32年)上半期の芥川賞、直木賞の女性としては初めての同時候補となる。 執筆活動を続けながら、1973年(昭和48年)から平成初め頃まで20年間ほど、左京区の自宅敷地内で文化人の集う居酒屋「木の目会」を実質経営。
塩沢 美代子(しおざわ みよこ、1924年9月18日 - 2… 塩沢 美代子(しおざわ みよこ、1924年9月18日 - 2018年)は、昭和から平成時代の労働問題評論家。 東京生まれ。父は経済学者の塩沢昌貞。1944年日本女子大学校家政学部第3類(社会事業専攻)卒。1946年から1947年同学部社会福祉学科助手。戦時中の勤労動員の経験から年少労働者の指導を志し、YWCA体育専門学院及び指導者養成コースに学ぶ。1948年東京YWCA体育専門学院修了。鐘淵紡績に入社、東京工場の社内学校に勤務。 1949年全国蚕糸労働組合連合会(全蚕糸労連)書記に転職、1963年まで14年間オルグ活動に従事。この間、日本繊維産業労働組合連合会(繊維労連)への改称(1960年)、主要組合の繊維労連から全繊同盟への分裂を経験。
いぬい とみこ(本名:乾 富子、1924年〈大正13年〉3月… いぬい とみこ(本名:乾 富子、1924年〈大正13年〉3月3日 - 2002年〈平成14年〉1月16日)は、日本の児童文学作家。 静岡県で生まれ、2歳の時に東京府東京市麻布区(現・港区)、4歳の時に大森区(現・大田区)へ移る。東京府立第六高等女学校(現・東京都立三田高等学校)を卒業。1941年4月11日、日本女子大学校国文学部(現・日本女子大学文学部日本文学科)に42回生として入学するが、父親の転勤に伴い兵庫県伊丹市に引っ越すため翌年6月2日付けで同校を中退。京都の平安女学院専攻部保育科を1944年に卒業し、東京・大森の幼稚園(母園)と京都の幼稚園に勤務した。その後まもなく、父親が富士紡績柳井化学工業の工場長に就任したため1947年まで山口県玖珂郡柳井町(現・柳井市)に在住し、山口県立柳井高等女学校併設の戦時保育園で保母を務めた。
原條 あき子(はらじょう あきこ、1923年3月9日 - 2… 原條 あき子(はらじょう あきこ、1923年3月9日 - 2003年)は、日本の詩人。マチネ・ポエティクに属し、押韻定型詩を試みた。芥川賞作家池澤夏樹の母。声優の池澤春菜と起業家、投資家の池澤摩耶は孫。画家のSaya(摩耶の娘)は曽孫。 本名は山下澄。兵庫県神戸市に生まれる。兵庫県立第一高等女学校(現在の兵庫県立神戸高等学校)を卒業後上京、日本女子大学に学ぶ。第2外国語として学んでいたフランス語の力をつけるためにアテネ・フランセに通い、福永武彦と知り合う。福永の誘いによって、マチネ・ポエティクの集まりに参加し、原條あき子の筆名を使用するようになる。1944年、女子大卒業直後に福永と結婚、1945年に長子夏樹をもうける。
玉井 美知子(たまい みちこ、1923年 - )は、教育・保… 玉井 美知子(たまい みちこ、1923年 - )は、教育・保育学者、教師。 東京生まれ。日本女子大学校家政学部卒業。神奈川県立横浜立野高等学校教諭、同県教育委員会指導主事・主幹。神奈川県立横浜幼稚園長、神奈川県立中原養護学校校長、神奈川県立藤沢高等学校校長、文教大学女子短期大学部教授、東京成徳短期大学講師、教育課程審議会委員、高等学校学習指導要領改訂協力者委員、幼稚園教育要領指導書作成委員、総理府「青少年の性意識調査」企画調査委員、NHK、文化放送、テレビ朝日番組審議会委員。全日本家庭教育研究会「文書による教育相談」の担当。
田中 美智子(たなか みちこ、1922年10月5日 - 20… 田中 美智子(たなか みちこ、1922年10月5日 - 2019年2月11日)は、日本の政治家、家政学研究者。元衆議院議員(5期)。夫は経済学者の田中礼蔵。 広島県出身。父親は師範学校の校長だった。日本女子大学家政学部社会福祉科卒業。27歳のとき結核で3年間療養、右肺を切除した。日本福祉大学助教授、名古屋家庭裁判所調停委員長などを歴任。 1972年12月の第33回衆議院議員総選挙に旧愛知1区から、日本共産党員ではあったものの、無所属(日本共産党・革新共同推薦)で立候補し初当選した。この年の総選挙で現職の丹羽久章(旧愛知1区)と辻寛一(旧愛知6区)は落選。自民党は名古屋市内の議席をすべて失った。 在職中、アスベスト問題や高額療養費制度の是正などに取り組んだ。
西川 勢津子(にしかわ せつこ、1922年9月13日 - )… 西川 勢津子(にしかわ せつこ、1922年9月13日 - )は、日本の家事評論家。筆名に、山田のぶ、東山花子、桑井いねがある。 奈良県出身。日本女子大学校卒業。 掃除、洗濯、料理、家族関係まで多岐にわたる家事評論で活躍。1961年西武百貨店池袋店の家庭用品コンサルタントとなる。 桑井いねの筆名で書いた『おばあさんの知恵袋』(文化出版局)がロングセラーとなった。
真山 美保(眞山 美保、まやま みほ、1922年7月30日 … 真山 美保(眞山 美保、まやま みほ、1922年7月30日 - 2006年3月12日)は、劇作家、演出家。新歌舞伎で著名な劇作家真山青果の長女。本名は美保子。東京都出身。牛込生まれ小石川育ち。夫は俳優の槙村浩吉。孫(養子・真山正治の養子であり、血はつながっていない)の眞山蘭里(らんり)は、美保死去後の新制作座の理事長。 新制作座文化センター主宰(理事長)。日本演出家協会・国際演劇協会日本センター会員。 東京文化会館及び東京芸術劇場の運営審議委員。文部省・視学委員であった。 1943年日本女子大学国文科卒。1943年に晩年の父と離反し、女優として前進座に入団。1947年新協劇団に転じ、1950年、槙村浩吉らと劇団新制作座を設立。
尾﨑 公子(おざき きみこ、1922年<大正11年>5月3日… 尾﨑 公子(おざき きみこ、1922年<大正11年>5月3日 - 2019年<平成31年>4月29日)は、日本の実業家。紙パルプ・フィルムなどの専門商社オザックスの取締役相談役。大阪・船場の紙問屋を年商1000億円に迫る素材商社に育て上げた。大阪商工会議所で初の女性の常議員で、同女性会連合会名誉会長。全国商工会議所女性会連合会特別顧問も務めた。2010年旭日双光章。 船場(長堀橋)の金属雑貨輸出商の家に生まれる。大阪府立清水谷高等女学校(現・大阪府立清水谷高等学校)卒業後、日本女子大学に入学。太平洋戦争中の1943年(昭和18年)10月に繰り上げ卒業し、船場の老舗「尾﨑洋紙店」(後の尾﨑商産。現・オザックス)創業家に嫁ぐ。
品川 孝子(しながわ たかこ、1922年1月2日- 2016… 品川 孝子(しながわ たかこ、1922年1月2日- 2016年1月27日)は、日本の教育評論家。新潟県妙高高原町生まれ。日本女子大学家政学部卒。児童科で児童心理学を専攻し卒業。田中教育相談所、主婦の友相談室で教育相談を担当。品川不二郎と結婚、共著も多く、マスコミ、講演を行った。
中曽根 蔦子(なかそね つたこ、1921年〈大正10年〉10… 中曽根 蔦子(なかそね つたこ、1921年〈大正10年〉10月30日 - 2012年〈平成24年〉11月7日)は、日本の71・72・73代内閣総理大臣である中曽根康弘の妻。 東京府(現在の東京都)出身。明治大学教授で理学博士であった小林儀一郎の三女として1921年(大正10年)10月30日に生まれる。学制改革前の専門学校であった日本女子大学校の国文科を卒業。戦時中、海軍士官として台湾の高雄の海軍施設部にいた中曽根康弘と東京で出会い、1945年(昭和20年)2月11日に結婚。 1947年(昭和22年)に康弘が衆議院議員選挙に初当選し、代議士の妻となる。また1982年(昭和57年)11月27日から1987年(昭和62年)11月6日までは康弘が内閣総理大臣に在任し、長期にわたってファーストレディとして活動をした。
角 圭子(すみ けいこ、1920年10月31日 - 2012… 角 圭子(すみ けいこ、1920年10月31日 - 2012年10月29日)は、日本の作家、ロシア文学者。東京都生まれ。本名・石山芳。日本女子大学校国文科中退。ロシア文学を研究し、ほか小説を執筆した。1967年『大正の女』で小説新潮賞候補。
三枝 佐枝子(さいぐさ さえこ、1920年(大正9年)10月… 三枝 佐枝子(さいぐさ さえこ、1920年(大正9年)10月4日 - 2023年(令和5年)1月12日)は、日本の編集者、著述家。中央公論社編集局長、商品科学研究所所長などを務めた。旧姓、若尾。 若尾金造の三女として山梨県甲府市に生まれる。生家の若尾家は甲州財閥の中心的存在だった。 1938年東洋英和女学院高等部、1941年日本女子大学を卒業。1942年、同郷の三枝守雄と結婚。守雄は東大生時代に本郷追分のYMCAに寄宿していたことから佐枝子と知り合った。 守雄が気付いた新聞の三行広告をきっかけに、1946年4月に中央公論社に入社。 1958年9月、嶋中鵬二に代わって『婦人公論』編集長となり、日本で初めて商業誌の女性編集長となった。
大橋 鎭子(おおはし しずこ、1920年〈大正9年〉3月10… 大橋 鎭子(おおはし しずこ、1920年〈大正9年〉3月10日 - 2013年〈平成25年〉3月23日)は、日本の女性編集者・エッセイスト。暮しの手帖社社主・元社長で同社の雑誌『暮しの手帖』を創刊した。妹の大橋芳子も同社創業メンバーの一人で、エッセイスト。 父の大橋武雄は岐阜県大垣市出身。武雄は父親を結核で早くに亡くし、10歳の時に東京・深川の材木商をしていた親戚の大橋谷吉の養子となり、府立一中を経て北海道帝国大学農学部卒業後1919年4月中越製布(現・日本製麻)に就職。母、宮原久子は京都生まれ小樽育ちで、父の宮原満吉は新潟で油田を掘り当て財を築いた実業家だった。久子は女子美術学校を卒業後、北海道時代に知り合った武雄と1919年5月に結婚。
愛新覚羅 顕琦(あいしんかくら けんき、1918年9月14日… 愛新覚羅 顕琦(あいしんかくら けんき、1918年9月14日 - 2014年5月26日)は、清朝八大親王の一人、第10代粛親王善耆の末娘(第十七女)として旅順に生まれた人物である。天津郊外在住。最後の生存王女であった。旧字体では愛新覺羅顯琦。簡体字:爱新觉罗显琦、拼音: Àixīnjuéluó Xiǎnqí(アイシンジュエルオ・シエンチー)。中国名は金 黙玉。 1918年(大正7年)9月14日、第四側室の末子(第17女)として旅順(現在の遼寧省大連市)で生まれる。同側室が生んだ子は男王6人、女王3人で、母を同じくする2人の姉の1人が、第十四王女「男装の麗人」こと川島芳子であった。父は、1922年(大正11年)3月15日に旅順で死去している。
籾山 政子(もみやま まさこ、1918年〈大正7年〉5月8日… 籾山 政子(もみやま まさこ、1918年〈大正7年〉5月8日 - 1989年〈平成元年〉4月11日)は、日本の科学者、医学地理学者、生気象学者。医学地理学の草分けとされ、病気の多発時期をグラフ化した「季節病カレンダー」の作成者として知られており、疾病と季節と地理の因果関係を追求することで、新しい研究分野を開拓した人物である。籾山姓は出生名であり、結婚後の本名は坂元政子。 東京府東京市(現・東京都区部)で出生した。東京府立第五高等女学校から日本女子大学校英文科に入学、元来の地理好きに加えて、女学校の地理教員の影響を受け、その後の方針が地理学に定まった。大学の公開講座で、前もって用意していた質問を講師にぶつける熱心さで、東京帝国大学の研究室で学ぶ異例の許可を得た。
三井 ふたばこ(みつい ふたばこ、1918年〈大正7年〉5月… 三井 ふたばこ(みつい ふたばこ、1918年〈大正7年〉5月3日 - 1990年〈平成2年〉10月29日)は、日本の童話作家、詩人、随筆家。本名・嫩子。 西条八十の長女として東京府に生まれる。弟に西條八束。 東京府立第五高等女学校(現東京都立富士高等学校)を経て、日本女子大学英文科中退。父とともに詩誌『ポエトロア』を発行、童話、詩集、翻訳、父の詩集の編纂などを行う。1970年に父が没した後は、父の思い出などを書いた。当初、三井嫩子、三井ふたばこ、三井ふたば子などの表記を用いたが、夫が亡くなったこともあり、父の没後は西條嫩子の名を用いた。
磯野 富士子(いその ふじこ、1918年3月24日 - 20… 磯野 富士子(いその ふじこ、1918年3月24日 - 2008年1月5日)は、日本のモンゴル研究家、翻訳家。 広島県生まれ。日本女子大学附属高等女学校卒業。日本女子大学校英文科卒業。磯野誠一と結婚、1943年誠一とともにモンゴルに行き、西北研究所の所員となる。 戦後帰国、『冬のモンゴル』を刊行。1961年「再び主婦労働について」を発表し、第二次主婦論争の口火を切る。1966年『オルドス口碑集』の翻訳を出版、パリのラティモア-モンゴル学研究所主任研究員となる。 父は海軍技術少将穂積律之助、伯父に東大教授穂積重遠と叔父に京城電気取締役穂積真六郎。祖父東大教授穂積陳重、祖母歌子は渋沢栄一の長女であり、父の律之助は栄一の2番目の孫であった
広津 桃子(ひろつ ももこ 廣津桃子、1918年3月21日 … 広津 桃子(ひろつ ももこ 廣津桃子、1918年3月21日 - 1988年11月24日)は、日本の作家、随筆家。広津和郎の娘。 広津和郎と下宿屋の娘神山ふくの長女として生まれる。神山家は幕末に御家人から町人になり、桃子の祖父の代には麴町の英国大使館近くで薪炭を商っていたが、永田町で下宿屋を始めた一家である。生まれて間もなく両親は別居し、母のもとで育つ。日本女子大学国文科卒業後、叔母の神山かねが経営する目黒区駒場町の下宿屋「西山寮」で母と暮らしながら、女学校で教鞭を取っていたが、1945年5月の空襲で西山寮が全焼する。戦後、同人雑誌『文学行動』に「窓」を発表し、1952年より母、叔母とともに藤沢市鵠沼に暮らす。
松田 瓊子(まつだ けいこ、1916年(大正5年)3月19日… 松田 瓊子(まつだ けいこ、1916年(大正5年)3月19日 - 1940年(昭和15年)1月13日)は、日本の小説家。父は小説家の野村胡堂。夫は政治学者の松田智雄。 東京市小石川区(現在の東京都文京区)に4人兄弟の次女として生まれる。作家の父と高等女学校の教員であった母のもと、文化的に恵まれた家庭に育つ。日本女子大附属高等女学校(現在の日本女子大学附属中学校・高等学校)に入学した頃から少女小説を書き始め、女学校卒業の頃に初めての長編である『人形の歌』を完成する。女学校卒業後は日本女子大学校(現在の日本女子大学)英文科に入学する。卒業生名簿に名前が記載されていないことから、卒業はしなかったとされている。
鬼頭 イツ子(きとう いつこ、1916年? - 1970年1… 鬼頭 イツ子(きとう いつこ、1916年? - 1970年12月19日)は英文学者。鶴見女子大学教授。 1960年代前半に、文化放送(JOQR) をキー局とするラジオ番組「百万人の英語」(提供:旺文社)で、講師を務めた。 顔写真は『百万人の英語』または改題後の『English Age』(ともに旺文社発行)で見られる。 1970年12月19日、54歳で死去。 この項目は、まだ閲覧者の調べものの参照としては役立たない、人物に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(P:人物伝/PJ:人物伝)。
堀 多恵子(ほり たえこ、1913年(大正2年)7月30日 … 堀 多恵子(ほり たえこ、1913年(大正2年)7月30日 - 2010年(平成22年)4月16日)は、日本の随筆家。 静岡県出身。堀辰雄の妻。旧名・加藤多恵。父は日本郵船の駐在員で、香港、広東で育つ。東京女子大学卒。1937年弟の俊彦とともに静養のため軽井沢に行く。辰雄の婚約者・矢野綾子の死後、山下三郎(山下汽船)の弟の波郎に辰雄を紹介され、1938年室生犀星の媒酌で堀辰雄と結婚。1953年に辰雄が死去、以後信濃追分にある辰雄の家(その後堀辰雄文学記念館となる)を守り、彼の思い出などを書いて半世紀生きた。
岡上 鈴江(おかのうえ すずえ、1913年5月3日 - 20… 岡上 鈴江(おかのうえ すずえ、1913年5月3日 - 2011年1月27日)は、日本の児童文学者・翻訳家。 小川未明の次女として東京に生まれる。日本女子大学英文学科卒。外務省勤務ののち、児童文学の再話・翻訳などの著述生活に入る。日本児童文芸家協会顧問。 「日本近代童話の父」と讃えられた未明の没後30周年を記念し、1991年に小川未明文学賞が創設された際には小川未明文学賞委員会会長に就任。以来、理想と現実の問題に真摯に取り組む児童文学作家を世に送り出してきた。未明の精神である「誠実な人間愛と強靭な正義感」を育むよう、その生涯を通して子供たちにエールを送り続けた。 2011年1月27日、心筋梗塞のため東京都杉並区の自宅で死去。
戸塚 文子(とつか あやこ、1913年〈大正2年〉3月25日… 戸塚 文子(とつか あやこ、1913年〈大正2年〉3月25日 - 1997年〈平成9年〉11月7日)は、日本の紀行文作家、編集者。1983年(昭和58年)に第1回日本旅行作家協会賞を受賞した。 東京府(後の東京都)日本橋浜町生まれ。父の仕事の関係で、5歳の頃から小学4年までを横浜市神奈川区で過ごし、日本国外への憧れを抱いて育った後に、東京への転居を経て兵庫県神戸市に移った。 1934年(昭和9年)に日本女子大学英文科卒業後、女性として初めてジャパン・ツーリスト・ビューロー(JTB)に入社した。東京駅案内所の案内係を経て、同社発行の雑誌『旅』編集部に移り、世界各国の数々の旅行情報を読者へ紹介した。
久保田 きぬ子(くぼた きぬこ、1913年2月10日 - 1… 久保田 きぬ子(くぼた きぬこ、1913年2月10日 - 1985年12月24日)は、日本の憲法学者。元立教大学法学部教授、元成蹊大学法学部教授、元東北学院大学法学部教授。比較憲法とプライバシーの権威として知られるほか、1961年(昭和36年)から3回にわたり国連総会の日本政府代表代理を務めた。東京大学初の女性学生の一人。中央教育審議会委員や文部省教育職員養成審議会委員などを歴任。勲三等宝冠章受賞。専門はアメリカ憲法、プライバシー権など。 旧相川町(現新潟県佐渡市)出身。国連総会の政府代表代理、中央教育審議会や被爆者対策基本問題懇談会の委員、東京都知事顧問などを歴任。父は元相川町長の久保田金五郎 (8代目)、祖父は新潟県第27大区副大区長を務めた久保田金五郎 (7代目)。
真野 さよ(まの さよ、1913年 - )は、日本の小説家、… 真野 さよ(まの さよ、1913年 - )は、日本の小説家、詩人。 高知県出身。1955年、広島県立高等女学校(現広島県立広島皆実高等学校)卒業、1958年、日本女子大学国文学部中退。 戦後、河井醉茗の塔影社に入り創作活動を開始し、1977年、詩集『葡萄祭』出版。小説『蜂』にて婦人公論新人小説賞受賞。 読売新聞「人生案内」の回答者として活躍するほか、各地で「伊勢物語」「枕草子」などの古典文学や女性問題などの講義を重ねた。
阿部光子(あべ みつこ、1912年12月25日 - 2008… 阿部光子(あべ みつこ、1912年12月25日 - 2008年2月26日)は、作家、キリスト教伝道者。本名、山室光(みつ)。
桝本 セツ(ますもと せつ、1912年2月 - 没年不明)は… 桝本 セツ(ますもと せつ、1912年2月 - 没年不明)は、日本のロシア語翻訳家、政治運動家。岡邦雄の愛人として知られる。名前は節子とも。 長崎県生まれ。父は造船技師の桝本卯平、母は長崎の料亭で働いており、3歳のときに死別。日本女子大学附属女学校卒、東京女子高等師範学校中退。朝鮮京城で2年間ロシア語を学び帰国。唯物論研究会に入り、1936年に妻のある岡邦雄と恋におち、アパートに同棲。 1938年、岡とともに治安維持法違反で検挙される。1942年に男児、1944年に女児を生む。1946年、岡と日本共産党に入党。1957年に離党。1971年岡が死去する。
阿部 富美子(あべ ふみこ、1912年〈明治45年〉1月4日… 阿部 富美子(あべ ふみこ、1912年〈明治45年〉1月4日 - 2005年〈平成17年〉)は、日本の詩人。群馬県文学賞(詩部門)選考委員を務めた。本名・瓦井。 群馬県渋川市生まれ。渋川高等女学校(現・群馬県立渋川女子高等学校)を経て日本女子大学を卒業。 1941年(昭和16年)詩作を始め、笹沢美明・岡田刀水士に師事。1954年(昭和29年)『詩学』推薦詩人となった。1950年(昭和25年)日本女詩人会員。1951年(昭和26年)『青猫』同人になる。1957年(昭和32年)日本現代詩人会員。 1963年(昭和38年)第1回群馬県文学賞受賞。1976年(昭和51年)『風雷』に代表作「赤城のこころ」を発表。
長門 美保(ながと みほ、1911年(明治44年)6月23日… 長門 美保(ながと みほ、1911年(明治44年)6月23日 - 1994年(平成6年)11月11日)は、日本の声楽家(ソプラノ)、歌手、オペラ歌手、翻訳家(訳詞家)、歌劇団主宰者・総監督、オペラ演出家。本名は鈴木 美保。 福岡県若松市(現: 北九州市若松区)出身。3歳の時、家族とともにドイツに渡り、幼時をドイツで過ごす。小学校1年のとき帰国し、日本女子大学附属豊明小学校に半年遅れで編入。日本女子大学校附属高等女学校を経て、東京音楽学校に入学。在学中に東京音楽学校春期演奏会におけるマーラーの交響曲第2番(指揮: クラウス・プリングスハイム)のソリストとなる。1933年(昭和8年)同校を卒業し研究科に進む。
田栗 テル(たぐり てる、1911年〈明治44年〉 - 19… 田栗 テル(たぐり てる、1911年〈明治44年〉 - 1983年〈昭和58年〉6月27日)は、日本の洋画家である。 東京都出身。日本女子大学校卒。1961年(昭和36年)朱葉会会員、一水会会員。女流画家で、2回の受賞歴を持つ。文部大臣賞他2。選抜展出品。個展15回。欧東南ア遊。田崎広助を師とする。 小鳥や野鳥を題材にした作品を数多く遺しており、静物画の中に逢えて鳥獣等の小動物を織り交ぜる事により、従来の油彩画には無かった、斬新なイメージを画界に吹き込んだことで知られている。愛情溢れる情緒豊かな画風で、大自然のふくよかな叡智を表現する事に長けている。また、観照する者の心を優しく包み込む、温もり在る画風が特徴的で、その明るくも強烈な色使いと観る者を圧倒させる大胆な構図からは、師である田崎広助ら後期印象派の影響を受けており、独特の色使いから高い絶賛を受けた。
中村 佐喜子(なかむら さきこ、1910年5月7日 - 19… 中村 佐喜子(なかむら さきこ、1910年5月7日 - 1999年10月10日)は、日本の翻訳家・作家。本名は石川佐喜子 北海道札幌市出身。日本女子大学英文科卒業。1942年に発表した小説『雪のりんご畑』が改造社の文芸推薦を受け、その後数作を発表。戦後は翻訳家としての活動が中心となり、数多くの英米文学の翻訳を行う。中でも角川文庫版『赤毛のアンシリーズ』は、その格調高く、且つ温かみのある訳文によって親しまれ、村岡花子訳の新潮文庫版とともにロングセラーとなった。 その他の著書に評伝『ロレンスを愛した女たち』、エッセイ『トマス・ハーディの全小説を楽しむ』などがある。
高島 満兎(たかしま まと 、1909年10月28日 - 1… 高島 満兎(たかしま まと 、1909年10月28日 - 1934年7月13日)は、日本の社会運動家。 福岡県三井郡合川村(現久留米市)で、造り酒屋の二女に生まれた。福岡県立久留米高等女学校(現福岡県立明善高等学校)を経て、1926年日本女子大学に入学。労働農民党の活動に参加していた長兄・日郎(じつろう)の影響で、在学中の1929年頃から学生社会科学連合会(学連)目白班の運動に参加し、卒業前に日本共産青年同盟(共青)に加盟。同大学国文科を卒業、1930年4月より機関紙『無産青年』編集局で働くかたわら、各地でオルグ活動を行なった。結核のため1931年暮れから1932年にかけて入院したが、途中で病院を抜け出し活動に復帰。
沢村 貞子(さわむら さだこ、旧字体:澤村、1908年11月… 沢村 貞子(さわむら さだこ、旧字体:澤村、1908年11月11日 - 1996年8月16日)は、日本の女優、随筆家。本名は大橋 貞子(おおはし ていこ)。
上村 悦子(うえむら えつこ、1908年10月11日 - 1… 上村 悦子(うえむら えつこ、1908年10月11日 - 1999年2月12日)は、日本の国文学者。専門は王朝女流文学、特に『蜻蛉日記』。日本女子大学名誉教授。 京都市生まれ。1933年日本女子大学校大学本科文学科国文学部卒業。1943年日本女子大学校国文学部教員。1948年日本女子大学専任講師、1949年助教授、1958年教授。1964年「蜻蛉日記 校本・書入・諸本の研究」で名古屋大学文学博士。1977年日本女子大を定年退職、名誉教授、東洋女子短期大学教授、図書館長。1986年教授職を退職し、翌年東洋女子短期大学を退職。1982年勲四等宝冠章。没後、従五位を贈られた。 この項目は、学者に関連した書きかけの項目です。
杉田 馨子(すぎた けいこ、1908年(明治41年)3月29… 杉田 馨子(すぎた けいこ、1908年(明治41年)3月29日 – 1992年(平成4年)12月23日)は日本の政治家、衆議院議員(1期)。旧姓塚本。 東京市麻布区(現・東京都港区)に生まれる。実家は精密機械製造・輸入業を営んでいた。1930年日本女子大学高等学部英文科卒。萬朝報の記者だった杉田省吾と結婚。その後は北京中央広播電台放送科に勤務する。1946年の第22回衆議院議員総選挙に茨城県から公職追放により立候補不可となった夫に代わって日本自由党公認で立候補して当選した。同年暮れに夫が死去した。 翌年の総選挙で茨城3区から立候補したが落選。落選後の1948年、政治資金に関する問題で衆議院不当財産取引調査特別委員会に証人喚問された。
小河内 芳子(こごうち よしこ、1908年3月16日 - 2… 小河内 芳子(こごうち よしこ、1908年3月16日 - 2010年3月3日)は、日本の児童図書館員。東京の公共図書館に勤務し、児童サービスに従事した。児童図書館研究会の設立メンバーであり、30年ちかく会長をつとめたほか、日本図書館協会児童青少年委員会の設立に寄与し初代委員長をつとめるなど、児童サービスの普及と発展に尽力した。「児童図書館員の草分け」「児童図書館員のパイオニア」と評されている。 1908年(明治41年)3月16日、三重県桑名町に生まれた。小河内家は桑名藩の重役で、父の小河内弥兵衛は桑名町助役をつとめる有力者だった。 1924年(大正13年)三重県立桑名高等女学校を卒業。1925年(大正14年)に上京して日本女子大学校国文科に入学した。
粟山 ひで(粟山 秀、もみやま ひで、1907年12月13日… 粟山 ひで(粟山 秀、もみやま ひで、1907年12月13日 - 1996年5月18日)は、日本の政治家。自由民主党衆議院議員(4期)。衆議院議員を務めた粟山博は義父、同じく衆議院議員を務めた粟山明は弟。 北海道空知郡歌志内町(現・歌志内市)出身。生家は内科医であった。10歳の時、伊達郡桑折町に移る。福島県立福島高等女学校(現:福島県立橘高等学校)卒業後、日本女子大学で学ぶ。その後は義父の粟山博の秘書を務める。1959年義父が死去。 翌1960年の第29回衆議院議員総選挙で福島1区から自民党公認で立候補するが、次点に終わる。次の1963年の第30回衆議院議員総選挙で立候補して初当選し、以来連続4期務める。
小泉 芳江(こいずみ よしえ、〈出生名:石川 エシエ、いしか… 小泉 芳江(こいずみ よしえ、〈出生名:石川 エシエ、いしかわ エシエ〉、1907年〈明治40年〉11月29日 - 2001年〈平成13年〉10月30日)は、政治家で日本の第87・88・89代内閣総理大臣・小泉純一郎の母。また、政治家の小泉又次郎の娘、政治家の小泉純也の妻、請負師の小泉由兵衛の孫、俳優の小泉孝太郎・政治家の小泉進次郎の祖母でもある。 神奈川県横須賀市出身。父は小泉又次郎、母は石川ハツ(小泉家の女中、又次郎の妾、富山県の滑川出身)。 又次郎は正妻・ナオとの間に子どもがいなかった。そんな中、小泉家の女中の石川ハツが又次郎の子を産み、産まれた女児は「石川 エシエ」と名付けられた。ハツは後に神輿などを作る宮大工の山口忠蔵と結婚したが、エシエは又次郎に認知されて、小泉家が引き取った。
細見 綾子(ほそみ あやこ、1907年3月31日 - 199… 細見 綾子(ほそみ あやこ、1907年3月31日 - 1997年9月6日)は、兵庫県出身の俳人。松瀬青々に師事、「倦鳥」を経て「風」同人。夫は沢木欣一。 1907年(明治40年)、父・細見喜市、母・とりの長女として兵庫県氷上郡芦田村、現・兵庫県丹波市青垣町東芦田に生まれる。実家は江戸時代から名主をつとめた素封家。 1919年、柏原高等女学校に入学、寮生活を送る。1923年、日本女子大学校国文科入学。1927年(昭和2年)、同大学を卒業、同時に東京大学医学部助手の太田庄一と結婚。1929年、夫を結核で失い、秋に肋膜炎を発病したため帰郷。佐治町の医師でもあった俳人・田村菁斎の勧めで俳句を始め、松瀬青々の俳誌「倦鳥」に入会、その年に投句し初入選する。
石井 桃子(いしい ももこ、1907年3月10日 - 200… 石井 桃子(いしい ももこ、1907年3月10日 - 2008年4月2日)は、日本の児童文学作家・翻訳家。位階は従四位。日本芸術院会員。 「くまのプーさん」「ピーターラビットのおはなし」「うさこちゃん」といった数々の欧米の児童文学の翻訳を手がける一方、絵本や児童文学作品の創作も行い、日本の児童文学普及に貢献した。 埼玉県北足立郡浦和町(後の浦和市、現:さいたま市)常盤に兄1人姉4人のきょうだいの末っ子として生まれる。生家は旧中山道沿いで金物店を営む旧家だった。父は小学校教師を経て友人と銀行を興し、浦和商業銀行の支配人をつとめていた。 1913年4月、埼玉県立女子師範附属小学校(現在の埼玉大学教育学部附属小学校)入学。
厚木 たか(あつぎ たか、1907年〈明治40年〉3月3日 … 厚木 たか(あつぎ たか、1907年〈明治40年〉3月3日 - 1998年〈平成10年〉5月19日)は、日本の記録映画作家。本名・芳賀 松江。 1907年(明治40年)群馬県伊勢崎市新町に岡田清平・すみの長女として生まれる。1929年(昭和4年)日本女子大学英文科卒。 1930年(昭和5年)、日本プロレタリア映画同盟に参加。1934年(昭和9年)にPCL(現・東宝)に入社。1938年(昭和13年)芸術映画社に移る。構成を担当した『或る保姆の記録』(芸術映画社、1942年)が国民映画賞を受賞[要検証 – ノート]。 朝日映画にも一時所属したが、1945年(昭和20年)以降はフリーの脚本家となる。1958年(昭和33年)『おふくろのバス旅行』で教育映画祭最高賞ブルーリボン賞受賞。
岩崎 盈子(いわさき えいこ、1906年7月19日 - 19… 岩崎 盈子(いわさき えいこ、1906年7月19日 - 1935年5月14日)は、日本の社会活動家、フェミニスト、評論家である。 日本女子大学校卒業後、大阪府庁の社会課に委託職員として勤める。日本共産党の秘密党員であった川上貫一は上司であり、その影響で岩崎も日本共産党に秘密入党して社会運動に携わりつつ、女性や児童についての評論活動を行った。1933年、昭和8年大阪共産党大検挙事件で治安維持法の容疑で逮捕、1935年5月に結核に罹患して病死した。享年29歳。病死する直前に評論集「婦人と児童の問題」を刊行した。岩崎の評論集は1995年に久山社から再版されている。友人に松本員枝がいる。 この項目は、人物に関連した書きかけの項目です。