中村 英夫(なかむら ひでお、1929年 - 2024年)は… 中村 英夫(なかむら ひでお、1929年 - 2024年)は、日本の洋画家・絵物語作家・挿絵画家。北海道、信州など、日本の各地の渓流、海、民家、富士を写実的なタッチで描く。 現在の東京都中央区入船で生まれ育つ。実家は製本工場で、製本師・装丁家の中村重義の三男。名付け親は、書物研究家・「書物展望社」の齋藤昌三であった。 明治大学政経学部を卒業。連合国軍最高司令官総司令部に1年間勤務した後、実家の製本工場の関係で秋田書店に創業時に入社。社員として勤務しながら独学で学んだ絵で『譚海』誌に絵物語を描く。社外の仕事がきっかけとなり秋田書店社長から独立を勧められ、退社して専業の絵物語作家となった。中本達也(元多摩美術大学教授、第3回安井賞受賞者)と舞台美術の仕事にも携わる。
李 進熙(り じんひ、イ・ジンヒ、韓: 이진희、1929年 … 李 進熙(り じんひ、イ・ジンヒ、韓: 이진희、1929年 - 2012年4月15日)は、在日韓国人の歴史研究者・著述家。和光大学名誉教授。文学博士(明治大学)。専門は考古学、古代史、日朝関係史。慶尚南道出身。1984年に韓国籍を取得。 1970年代に李の提唱した仮説は大きな論議を呼んだが、歴史小説的イマジネーションに富む反面、実証的な考古学の立場からは否定的に扱われる部分がある。主なものとしては以下の通りである。
北島 忠男(きたじま ただお、1928年11月22日 - 2… 北島 忠男(きたじま ただお、1928年11月22日 - 2009年)は、日本の経営学者。 埼玉県生まれ。明治大学商学部卒、1957年同大学院商学研究科博士課程満期退学。1966年「株式所有権の分散と集中に関する研究」で明大商学博士。明治大学商学部講師、助教授、教授。1999年定年、名誉教授。アジア市場経済学会初代会長。
河野 典男(こうの のりお、1928年11月19日 - 20… 河野 典男(こうの のりお、1928年11月19日 - 2020年1月23日)は、日本の実業家。東急グループの建設会社である世紀東急工業株式会社の社長・会長を務めた。 1928年11月19日、東京府荏原郡東調布町(現・大田区)に生まれる。東京実業学校、海兵団砲術学校を経て、1953年に明治大学商学部を卒業した。 1953年、父・河野一三と五島慶太の縁で東急電鉄に入社し、改札係、車掌、運転士などを経験した。その後、私鉄経営者協会への派遣、本社勤労部勤務などを経て、1961年に東急建設へ出向した。 東急建設では総務課係長、総務部長、横浜副支店長などを歴任し、1973年に取締役、1976年に常務、1981年に専務、1988年に副社長に就任した。
曽根 康治(そね こうじ、1928年11月14日 - 198… 曽根 康治(そね こうじ、1928年11月14日 - 1981年4月27日)は、日本の柔道家(講道館8段)。 1958年の世界選手権で優勝。得意技は内股や大外刈など。 埼玉県大里郡寄居町出身。父親が柔道6段、叔父がのち柔道9段の曽根幸蔵、兄も有段者という柔道一家に生まれる。7歳の時に地元・寄居町にて、長谷吉重郎(講道館8段)が館主を務める明道館に入門。 県立熊谷商業高校を卒業後は明治大学に進学し、入学直後には当時まだ少なかった3段に昇段した。しかし1・2年生の頃の柔道部はGHQの圧力で武道は禁止されていたため稽古を大っぴらにはできず、“第2レスリング部”と称する柔道同好者の集いに過ぎなかった。当時は寮も無く寄居から駿河台の校舎まで電車に2時間半揺られて通学していたが、3年生になりようやく“柔道部”が創設されて葛飾区の堀切に白雲寮ができるとそちらに移り住んだ。
内田 庶(うちだ ちかし、1928年11月6日 - 2019… 内田 庶(うちだ ちかし、1928年11月6日 - 2019年3月14日)は、日本の児童文学作家、翻訳家、編集者、著作権コンサルタント、実業家。東京都出身。日本ユニ著作権センター代表理事理事兼顧問著作権相談員。本名は宮田 昇(みやた のぼる)。1953年、明治大学文学部文学科中退。 戦後、近代文学社、南雲堂などに勤務ののち、1952年から早川書房の編集者となり、ハヤカワ・ポケット・ミステリの創刊を企画する。のち1955年に退社し、チャールズ・イー・タトル商会で勤務するかたわら、ペンネーム内田庶(うちだ ちかし)名で数多くの児童書の執筆・翻訳を手がける。1967年、独立して矢野浩三郎と矢野著作権事務所を興す。
山口 桂三郎(やまぐち けいざぶろう、1928年11月3日 … 山口 桂三郎(やまぐち けいざぶろう、1928年11月3日 - 2012年1月17日)は、日本の美術史家。立正大学名誉教授。クリスティーズ・ジャパン代表取締役社長の山口桂は実子。 東京府生まれ。明治大学大学院史学専攻博士課程中退。立正大学教授、2004年「浮世絵における美人・役者絵の史的研究」で立正大学文学博士。1999年定年退任、名誉教授。 日本浮世絵協会の設立に尽力し、理事長を経て、国際浮世絵学会に改称後は会長を務めた。また、櫛形町立春仙美術館(現・南アルプス市立春仙美術館)館長を務めた。 2012年1月17日、心不全のため死去。83歳没。
三枝 安茂(みえだ やすしげ、1928年〈昭和3年〉10月2… 三枝 安茂(みえだ やすしげ、1928年〈昭和3年〉10月24日 - 2025年〈令和7年〉2月28日)は、日本の政治家。位階勲等は従四位旭日中綬章。埼玉県春日部市長(5期)等を歴任した。 埼玉県出身。旧制埼玉県立粕壁中学校(現在の埼玉県立春日部高等学校)を経て、海軍通信学校に入る。戦後、明治大学商学部に入り、1949年(昭和24年)に卒業する。卒業後は幸手町(現在の幸手市)の肥料店に勤務する、1955年(昭和30年)、春日部市議会議員に当選。市議を6期務め、副議長、議長になる。6期目途中の1978年(昭和53年)、春日部市助役となる。1986年(昭和61年)春日部市長に当選。春日部市長を5期務める。
入谷 正典(いりたに まさのり、1928年10月15日 - … 入谷 正典(いりたに まさのり、1928年10月15日 - )は、大阪府大阪市出身の元プロ野球選手(投手)・コーチ、解説者。
五十嵐 悦郎(いがらし えつろう、1928年(昭和3年)9月… 五十嵐 悦郎(いがらし えつろう、1928年(昭和3年)9月30日 - 2000年(平成12年)1月3日)は、昭和から平成時代の政治家。北海道留萌市長。留萌市名誉市民。位階は従六位。勲五等瑞宝章。 留萌市出身。旧制留萌中学校を経て、明治大学商学部を卒業。 1951年(昭和26年)北海道庁に入り、留萌支庁総務課勤務を経て、1969年(昭和44年)留萌市役所に転じた。企画室長、産業港湾部長、総務部長を経て、1983年(昭和58年)助役に就任。1984年(昭和59年)7月、退任。 留萌商工会議所専務理事を経て、1986年(昭和61年)の留萌市長選に市民党として出馬し、当選。1994年(平成6年)まで2期8年間市長を務めた。
高林 清高(たかばやし きよたか、1928年7月10日 - … 高林 清高(たかばやし きよたか、1928年7月10日 - 没年不詳)は、日本の元スピードスケート選手である。 長野県下諏訪町出身。明治大学在学中の1952年にオスロオリンピックへ出場し、500mで6位入賞、これは1936年ガルミッシュ・パルテンキルヘンオリンピック500mで4位となった石原省三以来2人目の入賞である。また、1500mで34位となった。4年後のコルティナダンペッツォオリンピックでは500mで30位に終わった。インスブルックオリンピックではスケートチームのコーチを務めた。 1953年(昭和28年)増沢工業に入社し、1956年(昭和31年)高林スケート工業専務に就任、1960年(昭和35年)明治精機製作所を創業し代表者となった。
許 佶(ホ・ギル、朝鮮語: 허길、1928年7月10日 - … 許 佶(ホ・ギル、朝鮮語: 허길、1928年7月10日 - 2016年3月18日)は、大韓民国の実業家、政治家。第5代韓国国会議員。 本貫は陽川許氏。キリスト教徒。元法務法人太平洋顧問の許京旭(朝鮮語版)は息子。 日本統治時代の京畿道金浦郡(現・金浦市)出身。城東高等学校、東国大学(現・東国大学校)専門部文科大学卒。高麗大学校政法大学法科2年修了。明治大学政経学部3年卒、同大学院国際政治科2年修了。共盛染料株式会社専務理事・専務取締役、大韓行政学会理事、陽川許氏中央宗親会顧問、陽川許氏本山宗親会長・長安宗親会長、民主党中央党常務委員・中央委員・金浦郡党委員長を務めた。 2016年に死去。享年88。
村上 不二夫(むらかみ ふじお、1928年5月24日 - 2… 村上 不二夫(むらかみ ふじお、1928年5月24日 - 2023年11月29日)は、日本の俳優・タレントである。本名は深浦 不二夫。 旧芸名は三村 恭二、三村 俊夫。 東京都出身。旧制日大三中・明治大学商学部卒。新東宝に入社後、1954年に映画『月の光』で俳優デビュー。『遊星王子』(1958年、NTV) の遊星王子 / ワクさん役で有名。 大映を経て、テレビ朝日『アフタヌーンショー』などワイドショー・情報番組のレポーターとして活躍。 1992年7月から9月までテレビ朝日『お昼の独占!女の60分』のメイン司会を担当した。 その後も情報番組のコメンテーター、講演や執筆活動などで活躍している。 2020年2月21日放送のテレビ朝日『ビートたけしのTVタックル』日本の景気を考えるのコーナーで当時84歳の干しイモ製造の男性が出演。
常見 昇(つねみ のぼる、1928年3月30日 - 2005… 常見 昇(つねみ のぼる、1928年3月30日 - 2005年11月16日)は、群馬県桐生市稲荷町出身の元プロ野球選手。1954年の登録名は常見泰生。「常見三兄弟」の次男であり、兄の常見茂、弟の常見忠も桐生中、東急フライヤーズに在籍している。 桐生中学では1940年の選抜、1941年夏の甲子園(戦局の悪化により中止)に出場。4学年上には兄・茂や中村栄、深沢督、3学年上に木暮力三、2学年上に池田力、1学年上に木暮英路、1学年下には斎藤宏が在籍していた。 桐生中学卒業後は野球部OBである皆川定之との関係で、タイガース入りが内定していたが、軍事徴用されたために契約破棄をせざるを得なくなった。徴用先の小学校代用教諭として1年勤務した後、終戦を迎える。
世良 明芳(せら あきよし、1928年(昭和3年)3月1日 … 世良 明芳(せら あきよし、1928年(昭和3年)3月1日 - 1995年)は、日本の声楽家(バス歌手)。東京マイスタージンガーの元メンバー。 島根県出身。1954年、明治大学法学部卒業。1955年、藤原歌劇団に入団。歌劇「セビリアの理髪師」でデビューし、「ボエーム」「トスカ」「蝶々夫人」などに出演。舞台以外でも、「ジャングル大帝」や「ひょっこりひょうたん島」などのTVドラマや、ディズニー映画「おしゃれキャット」などの映画作品で歌唱を務めた。NHK番組「歌のメリーゴーランド」では1964年からにレギュラー出演した。後に、鳥取女子短期大学教授、島根県合唱連盟副理事長、松江コーラルソサエティ会長なども務めた。
鍛治 清(かじ きよし、1928年2月18日 - 2019年… 鍛治 清(かじ きよし、1928年2月18日 - 2019年3月6日)は、日本の政治家。位階は従四位。 元公明党衆議院議員(5期)。 福岡県小倉市(現・北九州市小倉北区)出身。1948年明治工専 (現・明治大学工学部) 卒。北九州市議を3期務めた後、1975年の北九州市市長選挙に立候補したが落選した。翌1976年の第34回衆議院議員総選挙で旧福岡4区から立候補して初当選。この間、公明党福岡県副本部長、公明党中央委員を務めた。1993年に政界から引退した。1998年勲二等瑞宝章受章。 2019年3月6日、心不全のため北九州市内の病院で死去。91歳没。叙従四位。 この項目は、日本の政治家に関連した書きかけの項目です。
佐藤 孝行(さとう こうこう、本名読み:さとう たかゆき、1… 佐藤 孝行(さとう こうこう、本名読み:さとう たかゆき、1928年〈昭和3年〉2月1日 - 2011年〈平成23年〉5月18日)は、日本の政治家。衆議院議員(11期)、運輸政務次官、国務大臣総務庁長官(第20代)、自民党総務会長(第34代)、自由民主党行政改革推進本部長などを歴任した。 北海道瀬棚郡北檜山町(現久遠郡せたな町)出身。旧制函館中学定時制、明治大学政治経済学部政治学科卒業。 自民党の実力者・河野一郎の秘書を経て、1963年の衆院選で旧北海道3区から初当選し以後11期当選(当選同期に小渕恵三・橋本龍太郎・小宮山重四郎・伊東正義・田中六助・渡辺美智雄・藤尾正行・中川一郎・三原朝雄・鯨岡兵輔・西岡武夫・奥野誠亮など)。
保住 昭一(ほずみ しょういち、1928年 - 2005年)… 保住 昭一(ほずみ しょういち、1928年 - 2005年)は、日本の法学者・弁護士。商法学者。明治大学名誉教授。福島県二本松市出身。 1953年司法試験合格。1954年明治大学法学部卒業。司法修習生。 1956年明治大学法学部助手。1958年明治大学法学部講師。1961年明治大学法学部助教授。1966年明治大学法学部教授。弁護士登録(第二東京弁護士会所属)。1971年西ドイツ・ハンブルク大学に留学。1976年明治大学法学部法律学科長。1984年明治大学法学部長。1999年明治大学定年退職。同名誉教授。 この他、明治大学評議員(1976年、1980年-1984年、1988年-1992年)、藤沢市情報公開審査会(1986年-1998年)も務めた。
滝口 豊広(たきぐち とよひろ、1927年12月22日 - … 滝口 豊広(たきぐち とよひろ、1927年12月22日 - 没年不明)は、福岡県出身の元プロ野球選手。 戦前の来歴は不明。戦後の1946年に西南学院中学部に入学するが、小倉中学監督の鬼塚格三郎にその才能を見出され、鬼塚の推薦で1947年に明治大学に入学。入学時すでに20歳と高齢だったため、若手捕手との争いに敗れ、主にブルペン捕手として活躍した。同期には牧野茂、山崎善平、菅原道裕などがいた他、1学年下に実弟が在籍していた。 明大専門部卒業後、同郷の先輩の誘いで1949年に大映スターズへ入団。しかしプロでもブルペン捕手としての起用が中心で、1軍出場は1試合のみだった。 その後は門司鉄道局でプレー。1952年、1953年の全国鉄硬式野球大会にも出場している。
木元 進一郎(きもと しんいちろう、1927年12月2日 -… 木元 進一郎(きもと しんいちろう、1927年12月2日 - 2012年5月25日)は、日本の経営学者。明治大学名誉教授。 大阪府大阪市出身。1950年明治大学商学科卒、1972年「経営参加制度研究」で経営学博士の学位を取得。明治大学経営学部講師、助教授、1962年教授となり、1996年退任、名誉教授となり、浜松大学教授、同大学学長を務めた。 労務管理が専門で、労務理論学会の創設(1991年)に尽力し、同学会第二代会長、最高顧問。2004年 旭日中綬章叙勲。
中田 耕治(なかだ こうじ、1927年11月5日 - 202… 中田 耕治(なかだ こうじ、1927年11月5日 - 2021年11月26日)は、日本の評論家、小説家、翻訳家、演出家。 東京市大森区生まれ。明治大学文学部英文科卒。在学中の1946年より『近代文学』への投稿を始め、「戦後派」の最も若い批評家として注目を集める。初期評論はのちに『怪蛇(バジリスク)の眼』(1975年)にまとめられている。 1956年、「俳優座」養成所の講師として、戯曲論、アメリカ演劇研究などを講義し、やがて「青年座」などで演出にあたる。 1958年、アメリカ版『MANHUNT』誌の日本語版として創刊された雑誌『マンハント』に翻訳スタッフとして参加。同誌は創刊号で「珍訳誌、超訳誌」を宣言しており、中田も原文に縛られない自在な「超訳」を披露した。
原田 奈翁雄(はらだ なおお、1927年10月1日 - 20… 原田 奈翁雄(はらだ なおお、1927年10月1日 - 2024年7月6日)は、日本の編集者、出版者。 東京府生まれ。皇国少年として戦時下を送る。1952年明治大学を卒業、筑摩書房入社。『展望』『人間として』『終末から』編集長などを務める。べ平連の活動にも積極的に参加する。1978年の同社倒産の責任をとって退社。当時の役職は取締役編集局次長。原田の薫陶を受けた編集者に柏原成光、松田哲夫がいる。 1980年に山代巴、林竹二、上野英信らの後押しを受けて径書房を創業。発刊1冊目は筑摩書房創業者・古田晃の回想文集『そのひと ある出版者の肖像』(臼井吉見編)。山代巴『囚われの女たち』(全10巻)『山代巴文庫』(全8巻)、上野英信『上野英信集』(全5巻)、林竹二『問いつづけて』『教育の根底にあるもの』、桑原史成『水俣 終わりなき30年 原点から転生へ』、『長崎市長への7300通の手紙』(径書房編集部編。
藤井 一雄(ふじい かずお、1927年9月2日 - )は、日… 藤井 一雄(ふじい かずお、1927年9月2日 - )は、日本の実業家、馬主、競走馬生産者。 1960年代に障害競走で活躍したフジノオーの馬主として知られる。 1927年、山口県出身。明治大学商学部卒業後、1971年に果実、家畜などの貿易を行う藤井治商事株式会社の取締役社長に就任。1963年11月には日本バナナ輸入組合理事長、1969年7月には日本柑橘輸入組合理事長に就任している。1967年11月には農事功労章を受章した。1978年には、藤井治商事が日本中央競馬会の代理としてアメリカから種牡馬・ハンザダンサーを購入したが、その際に日本中央競馬会へ提出した明細と、アメリカの売主が証言した売却額に食い違いがあったことで、藤井治商事が「手数料」を不正に受領した疑惑が持ち上がった(詳細はハンザダンサー事件を参照)。
十代目 岩井 半四郎(いわい はんしろう、1927年〈昭和2… 十代目 岩井 半四郎(いわい はんしろう、1927年〈昭和2年〉8月8日 - 2011年〈平成23年〉12月25日)は、俳優、歌舞伎役者、日本舞踊家。屋号は大和屋。定紋は丸に三ツ扇、替紋は杜若丁字。俳名に杜若・紫若・扇蝶。本名は仁科 周芳(にしな ただよし)。所属事務所はミナァバ。明治大学文芸科卒業。 舞踊家花柳壽太郎の長男として東京に生まれる。1935年有楽座の『侠艶録』で仁科周芳で初舞台。1939年2月、二代目市川猿之助の門人となり二代目市川笑猿を襲名。同年5月有楽座『隅田川続俤』「法界坊」で里の子喜三松。1951年10月歌舞伎座『源氏物語』の若き光の君と『寿曽我対面』の化粧坂少将で十代目岩井半四郎を襲名。
小川 進(おがわ すすむ、1927年〈昭和2年〉6月2日 -… 小川 進(おがわ すすむ、1927年〈昭和2年〉6月2日 - 1996年〈平成8年〉9月11日)は、日本の政治家、千葉県四街道市長(2期)。 千葉県出身。明治大学政治経済学部卒。印旛郡千代田町(のち四街道町を経て、四街道市)役場に入り、教育長、収入役を務めた。1992年の四街道市長選挙に立候補し、初当選する。1996年に再選。当選後の9月に死去した。
藤沢良一(ふじさわ りょういち、1927年5月25日 - )… 藤沢良一(ふじさわ りょういち、1927年5月25日 - )は、北海道小樽市出身で1950年代に活躍した日本の元クロスカントリースキー、ノルディック複合、スキージャンプ選手。小樽水産高校から明治大学を経て松尾鉱山。1998年の長野オリンピックでは、聖火リレーの走者を務めた。
松井 康成(まつい こうせい、1927年(昭和2年)5月20… 松井 康成(まつい こうせい、1927年(昭和2年)5月20日 - 2003年(平成15年)4月11日)は、日本の陶芸家。国の重要無形文化財「練上手(ねりあげで)」保持者(人間国宝)。本名、美明。 練上手という技法を集大成し、伝統技術を基盤にした現代の個性豊かな陶芸のあり方を提示した。
武内 亨(たけうち とおる、1927年5月16日 - 200… 武内 亨(たけうち とおる、1927年5月16日 - 2006年8月4日)は、日本の俳優。本名:武内 享。 愛媛県今治市出身。明治大学予科中退。劇団俳優座養成所第2期生を経て、劇団俳優座に所属していた。 テレビ時代劇『水戸黄門』では、徳川綱吉・大名・商人・梅小路大納言などを演じた。 2006年8月4日、肝内胆管癌のため神奈川県川崎市の病院で死去。79歳没。
たなか ゆきを(1927年4月26日−2020年10月22日… たなか ゆきを(1927年4月26日−2020年10月22日 )は、東京都出身の作詞家。 明治大学商学部卒業。印刷会社の取締役に就任後、明治大学付属明治高等学校・中学校で教鞭をとりつつ作詞家を志す日々を過ごした。1957年(昭和32年)、既に著名作詞家であった石本美由起の門下生となり、同氏が主宰する歌謡同人誌「新歌謡界」に準同人として入会する。三宅立美、秋田泰治、星野哲郎、八反ふじを、松井由利夫、若山かほる、岩瀬ひろしは、当初からの同門詩友である。1958年(昭和33年)にキングレコードの専属作詞家となり、以後42年間、同社が専属制度を廃止するまで契約を継続し、フリーの作詞家として活動していた。
山口 孝(やまぐち たかし、1927年4月8日 - )は、日… 山口 孝(やまぐち たかし、1927年4月8日 - )は、日本の会計学者、明治大学名誉教授、学校法人東京家政学院理事長、公益財団法人政治経済研究所理事長。専門は、会計学、経営分析論、会計監査論。 愛知県生まれ。明治大学大学院(旧制)商学研究科に学び、愛知県立松蔭高等学校教諭を経て、1952年、明治大学商学部助手補。1956年に専任講師、1959年に助教授、1965年に教授へと昇任。その後、商学部産業経営学科長、学生部長、学務常勤理事などを歴任した。 2008年6月、利谷信義の後任者として、学校法人東京家政学院(東京家政学院大学、筑波学院大学、東京家政学院中学校・高等学校などを経営)理事長に就任した。
関口 功(せきぐち いさお、1927年3月21日 - 201… 関口 功(せきぐち いさお、1927年3月21日 - 2016年4月8日)は、日本のアメリカ文学者、翻訳家。アメリカの黒人文学が専門。 東京出身。明治大学専門部文科文芸科、早稲田大学第二文学部英文科を卒業。明治大学文学部助教授、1968年教授。文学部長、1997年定年退任。
蒲生 正男(がもう まさお、1927年2月17日 - 198… 蒲生 正男(がもう まさお、1927年2月17日 - 1981年6月2日)は、日本の社会人類学者。 1927年、東京で生まれた。明治大学政治経済学部政治学科に進学し、泉靖一に師事。1950年に卒業。 その後、東京都立大学助手に採用された。後に明治大学教授。学界では、日本民族学会会長を務めた。1981年に死去。 専門は文化人類学。アルフレッド・ラドクリフ=ブラウンの影響を受け、全体主義的機能主義よるフィールドワーク重視の実証的研究を試みた。
中嶋 英一(なかじま えいいち、1927年〈昭和2年〉1月1… 中嶋 英一(なかじま えいいち、1927年〈昭和2年〉1月17日 - 2004年〈平成16年〉11月25日)は、日本の元男子フェンシング選手。元日本フェンシング協会会長。宮城県出身。 1927年1月17日、宮城県栗原郡若柳町にて誕生。宮城県築館中学校(現在の宮城県築館高等学校)に進学した。中嶋は走ることが子供の頃から好きであったため、中学校では陸上部へ入部する。中学校卒業後は明治大学へと入学。明治大学にて友人にフェンシングを誘われ当日明治大学にコーチをしていた森寅雄から「足が良いし、反射神経も中々良いぞ」と褒められ、その後本格的にフェンシング選手へとなった。明治大学に在学中チームの中心選手として活躍後、東北フェンシング連盟会長、日本フェンシング協会副会長などを経て、1999年から2002年に日本フェンシング協会会長を務めた。
山本 麟一(やまもと りんいち、1927年〈昭和2年〉1月1… 山本 麟一(やまもと りんいち、1927年〈昭和2年〉1月16日 - 1980年〈昭和55年〉10月16日)は、日本の俳優。愛称は山麟(ヤマリン)。北海道旭川市出身。 札幌市の北海中学出身。明治大学時代はラグビー部に所属し、1946年12月8日に神宮競技場で行われた明早戦にロック(4番)のポジションで出場。 卒業後の1953年、第1期東映ニューフェイスとして東映へ入社。翌年『学生五人男』に主演デビュー。以後『警視庁物語シリーズ』(全24作)の刑事役、『網走番外地シリーズ』の囚人役・看守役など、主にアクション映画の脇役・悪役として活躍。特に1960年代後半以降のヤクザ映画では悪役として活動し、『日本侠客伝シリーズ』、『昭和残侠伝シリーズ』における強面のヤクザ役を演じた。
塩路 一郎(しおじ いちろう、1927年〈昭和2年〉1月1日… 塩路 一郎(しおじ いちろう、1927年〈昭和2年〉1月1日 - 2013年〈平成25年〉2月1日)は、日本の労働運動家。東京出身で明治大学法学部夜間部卒。1953年(昭和28年)の日産争議における活動で日産自動車社内で権力を得て、日産自動車労働組合書記長として、1986年(昭和61年)の失脚まで経営陣よりも日産の経営や人事を牛耳る絶対的権力者・独裁者であった 。自動車労連(日本自動車産業労働組合連合会)会長(1962年〈昭和37年〉就任)、ILO(国際労働機関)理事(1969年〈昭和44年〉就任)、自動車総連会長(1972年〈昭和47年〉の結成時に就任)も務めた。 東京市神田(現・東京都千代田区北東部)生まれ。
野村二郎(のむら じろう、1927年 - )は、日本の司法ジ… 野村二郎(のむら じろう、1927年 - )は、日本の司法ジャーナリスト。 東京生まれ。明治大学卒、朝日新聞東京本社社会部記者(司法記者クラブ所属)、同編集委員として裁判関係の取材を行う。その後1987年から1998年まで千葉工業大学人文系教授(憲法・法学)を務めた。また、1987年から2000年まで早稲田セミナーマスコミ講座講師。
尾崎 健一(おざき けんいち、1926年(大正15年)12月… 尾崎 健一(おざき けんいち、1926年(大正15年)12月6日 - 2018年(平成30年)11月28日)は、日本の元陸上自衛隊防衛事務官、社会保険労務士、都山流尺八師範、著作家。 現在の愛知県半田市に生まれる(岐阜県生まれとなっている著書もあるが、両親が岐阜県出身である)。明治大学法学部卒業後、防衛庁(現・防衛省)に入庁。陸上自衛隊事務官任官、練馬駐屯地勤務。1960年、長男の尾崎康が誕生。1965年(昭和40年)11月29日、次男の尾崎豊が誕生。1972年(昭和47年)頃から趣味を探しその結果尺八と短歌を習い始める。そして朝霞駐屯地勤務を経て、防衛庁退官後3年以内に社会保険労務士となる。 1992年(平成4年)4月25日、しかし次男の尾崎豊が死去し、彼にまつわるエッセイなどを数多く出版する。
大塚 初重(おおつか はつしげ、1926年(大正15年)11… 大塚 初重(おおつか はつしげ、1926年(大正15年)11月22日 - )は、日本の考古学者。明治大学名誉教授。主として弥生時代と古墳時代を研究領域としている。
古賀 梶夫(こが かじお、1926年(大正15年)11月18… 古賀 梶夫(こが かじお、1926年(大正15年)11月18日 - )は、日本の実業家、建築技術者。国土総合建設(現:あおみ建設)元社長。神奈川県川崎市在籍。元通産・経産官僚、政治経済評論家の古賀茂明の父。 福岡県出身。古賀要市・ユクの次男として生まれる。1945年(昭和20年)海軍経理学校(36期)、1952年(昭和27年)明治大学商学部を卒業し、同年4月鉄鉱業に入社。 1961年(昭和36年)12月退社し、ブルドーザー工事(現:青木あすなろ建設)に入社。1967年(昭和42年)9月経理部長、1968年(昭和43年)5月取締役に就任。1971年(昭和46年)2月経理部長兼電算部長、1972年(昭和47年)7月事務本部副本部長委嘱。
三島 敏夫(みしま としお、1926年11月10日 - 20… 三島 敏夫(みしま としお、1926年11月10日 - 2014年8月17日)は、日本のハワイアン歌手、演歌歌手。
斎藤 尞(さいとう りょう、1926年10月30日 - 20… 斎藤 尞(さいとう りょう、1926年10月30日 - 2015年10月30日)は、日本の元ラグビー選手及び同監督。 北海中学を経て明治大学へと進んだ。 第二次世界大戦後初めて行われた1946年を手始めに、明早戦に5シーズン連続で出場。1949年度シーズンには主将として、東西学生ラグビーフットボール対抗王座決定戦制覇など、11戦全勝の記録をもたらした。その後、大映に進み、ここでもプレーした。 また、1952年のオックスフォード大学戦(2試合)、1953年のケンブリッジ大学戦(2試合)に日本代表選手として出場し、キャップ4を獲得。 現役から退いた後は、長らく監督の北島忠治を補佐するヘッドコーチとして母校・明治大学の指導にあたる傍ら、1974年に日本代表監督に就任。
川島 喜代詩(かわしま きよし、1926年10月29日‐20… 川島 喜代詩(かわしま きよし、1926年10月29日‐2007年4月24日)は昭和から平成期の日本の歌人である。出版業に携わりながら佐藤佐太郎門下で活躍した。後「歩道」を離れ「運河」を結成、同人として活躍した。 第一歌集『波動』を上梓した42歳の川島喜代詩はその後記のなかで、「なぜ歌をつくるのか」と自らに問い「歌は生のあかし・・・。歌をつくる営みは世界の深奥とかかわる、この5句31音の詩型が世界への飛翔を可能にしてくれる・・・。歌が生をささえる」と述べている。 20代はじめから佐藤佐太郎の短歌に親しみ、「歩道」に入門した川島喜代詩は、正師の「純粋短歌」の写実に徹し、都会的な景物から次第に自然、世界の事物を見る目を深め、天性のしなやかな語調で自らの生の憂いをうたう短歌を詠んだ。
寺田 雷太(てらだ らいた、1926年10月13日 - )は… 寺田 雷太(てらだ らいた、1926年10月13日 - )は、愛知県出身のプロ野球選手(外野手)。
川島 弘三(かわしま こうぞう、1926年9月26日 - )… 川島 弘三(かわしま こうぞう、1926年9月26日 - )は、北海道小樽市出身の元スキージャンプ選手。 スキーの名門旧制小樽中学(現:北海道小樽潮陵高等学校)入学時は野球の選手で1年からセカンドのレギュラーとなったが、3年の冬にスキー部へ移り本格的にジャンプを始める。戦後明治大学に進学し、1948年の全日本学生スキー選手権大会(インカレ)で優勝、1952年のオスロオリンピック代表(42位)。
加藤 卓二(かとう たくじ、1926年9月19日 - 200… 加藤 卓二(かとう たくじ、1926年9月19日 - 2004年7月22日)は、日本の政治家。衆議院議員(5期、自由民主党)。 埼玉県小鹿野町出身。1951年明治大学専門部法科卒。 秩父長瀞の舟下りの会社や、池袋のロサ会館経営など、さまざまな事業を手がけた。1983年の第37回衆議院議員総選挙で旧埼玉3区から立候補して当選。衆議院議員を5期務めた。 竹下改造内閣の総務政務次官、第2次海部内閣の労働政務次官、小渕第2次改造内閣と第1次森内閣の建設政務次官などを務めた。 2000年(平成12年)春の叙勲で勲一等瑞宝章受章。 2004年7月22日、敗血症のため東京都新宿区の病院で死去、77歳。
加茂 秀男(かも ひでお、1926年(大正15年)9月5日 … 加茂 秀男(かも ひでお、1926年(大正15年)9月5日 - )は、日本の映画プロデューサー。千葉県市川市出身。明治大学卒業。 鉄道ドラマを得意とし、東映東京撮影所のプロデューサーとして『大いなる旅路』『大いなる驀進』(1960年)や、東映教育映画部製作の児童映画『なかよし特急』(1961年)、「東映列車シリーズ」(1967年 - 1968年)、東映動画製作の『きかんしゃやえもん D51の大冒険』(1974年)などの映画や、鉄道関係の多くのテレビドラマを企画した。 1974年の『きかんしゃやえもん D51の大冒険』以降は製作実績がなく、『キネマ旬報』1966年3月上旬号で「娯楽映画は大いに作りたいと思うが、社会悪、特に青少年に対する影響を考えて企画したい。
渡辺 行男(渡邊 行男、わたなべ ゆきお、1926年8月16… 渡辺 行男(渡邊 行男、わたなべ ゆきお、1926年8月16日 - )は、日本近代政治史学者。 福岡県豊前市生まれ。明治大学文学部中退。衆議院事務局に入り、1977年より憲政記念館で憲政資料の調査・収集・展示に当る(企画調査主幹)。帰郷し福岡県豊前市立図書館長を経て著述業に専念する。
鍛冶 良堅(かじ よしかた、1926年8月5日 - 2018… 鍛冶 良堅(かじ よしかた、1926年8月5日 - 2018年2月15日)は、日本の法学者、弁護士。明治大学名誉教授。家族法が専門。妻は鍛冶千鶴子。 東京生まれ。鍛冶良作の次男。明治大学法学部卒。明治大学法学部助教授、教授、1997年定年、名誉教授となる。弁護士。
秋元 秀雄(あきもと ひでお、1926年7月6日 - 200… 秋元 秀雄(あきもと ひでお、1926年7月6日 - 2002年4月4日)は、日本のジャーナリスト、経営評論家。 明治大学商学部卒業。読売新聞経済部記者を経て評論活動を始める。 1977年4月から1979年2月まで放送された日本テレビの朝のニュース番組『NNNおはよう!ニュースワイド』ではメインキャスター、その後継番組『ズームイン!!朝!』のコメンテーターを経て、1983年10月から1989年9月まで放送されたTBSテレビの情報番組『情報デスクToday』ではコメンテーターをそれぞれ務めた。晩年はハワイで暮らしていた。 この項目は、文人(小説家・詩人・歌人・俳人・著作家・作詞家・脚本家・作家・劇作家・放送作家・随筆家/コラムニスト・文芸評論家)に関連した書きかけの項目です。
宮沢 澄也(みやざわ すみや、1926年5月29日 - 没年… 宮沢 澄也(みやざわ すみや、1926年5月29日 - 没年不明)は、長野県出身の元プロ野球選手。ポジションは投手。