中村 吉治(なかむら きちじ、1905年2月4日 - 198… 中村 吉治(なかむら きちじ、1905年2月4日 - 1986年12月10日)は、日本の歴史学者。東北大学名誉教授。社会史・農民史および村落共同体に関する著書多数。 長野県上伊那郡朝日村平出(現在の辰野町)に生まれる。朝日尋常高等小学校、長野県諏訪中学校を経て、旧制第三高等学校に進学し、中村直勝の講義を聞き、歴史学に興味を持つ。1925年3月に同校文科丙類を卒業。京都帝国大学入学後、1926年、東京帝国大学文学部国史学科に再入学し、卒業論文「近世初期の農政」をまとめ、1929年3月に同大学文学部卒業。 1929年、東京大学史料編纂所に入所し、1933年3月まで勤めたのち、東北帝国大学法文学部助教授。
大森 志郎(おおもり しろう、1905年2月4日 - 199… 大森 志郎(おおもり しろう、1905年2月4日 - 1992年9月9日)は、日本史・民俗学者。 福島県生まれ。1928年東北帝国大学史学科卒。同大学院、南満州鉄道撫順図書館長、建国大学教授。戦後、東京女子大学教授、1956年「魏志倭人伝の研究」で東北大学文学博士。創価大学教授。
生田 乃木次(いくた のぎじ、1905年(明治38年)2月3… 生田 乃木次(いくた のぎじ、1905年(明治38年)2月3日 - 2002年(平成14年)2月22日)は、日本海軍士官・戦闘機操縦士。福井県出身。日本軍のパイロットとして初めて敵機を撃墜した人物である。 1905年(明治38年)2月3日福井県に生まれた。「日露戦争で活躍した乃木将軍に続け」という意味で乃木次と命名された。1924年海軍兵学校52期卒業、1929年19期飛行学生修了。 1931年空母「加賀」に戦闘機隊分隊長として乗組み。1932年1月第一次上海事変勃発に伴い「加賀」は上海沖に出動、飛行隊は公大基地に進出した。2月22日、生田は三式艦上戦闘機の小隊3機を率い、艦攻隊3機とともに出撃、蘇州上空において、アメリカ人義勇兵のロバート・ショートの操縦するボーイング218と交戦し、撃墜した。
漆野 寿一(うるしの じゅいち、1905年2月3日 - 19… 漆野 寿一(うるしの じゅいち、1905年2月3日 - 1992年8月4日)は、茨城県出身の実業家。山下汽船(現:商船三井)常務、山栄船舶社長等を歴任した。 1905年2月3日、茨城県新治郡志士庫村宍倉に於いて漆野佐一郎と孝子の長男として生まれる。父佐一郎は1903年に東京帝国大学工学部を卒業後、大倉鉱業や入山採炭などの重役を務めた。母孝子は利根運河開鑿など地方産業開発に貢献した、茨城県北相馬郡高井村の広瀬誠一郎の次女。 1928年に弘前高校を卒業後、京都帝国大学経済学部に入学。在学中は剣道に打ち込んだ。1931年に同大学を卒業して山下汽船に入社。1935年、会社に命じられてアメリカ・カナダを視察。
佐谷 靖(さたに やすし、1905年(明治38年)2月2日 … 佐谷 靖(さたに やすし、1905年(明治38年)2月2日 - 1978年(昭和53年)8月29日)は、日本の医師。京都府舞鶴市長(6期)。 京都府舞鶴市出身。旧制京都府立第三中学校(現・京都府立福知山高等学校)を経て、1928年(昭和3年)京都府立医科大学卒。1930年(昭和5年)舞鶴で佐谷医院を開業。小学校の校医や舞鶴医師会評議員、京都府医師会代議員などを歴任する。1942年(昭和17年)舞鶴市会議員に当選。1945年(昭和20年)には軍医として召集された。 戦後すぐ、日本社会党舞鶴支部を結成し、支部長に就任する。京都府議会議員となり、舞鶴市の東西分離問題が起きたとき、府議会議員として分離反対運動をして、撤回させた。
新延 修三(にいのべ しゅうぞう、1905年2月2日 - 1… 新延 修三(にいのべ しゅうぞう、1905年2月2日 - 1985年5月10日)は、新聞記者、随筆家。 大阪生まれ。1928年慶應義塾大学卒。東京朝日新聞社入社、学芸部次長、社会部次長、1942年マカッサル支局長、43年ジャワ新聞出版部長。46年2月帰還。8月中京新聞社編集局長に出向。1950年朝日新聞社に戻る。『婦人朝日』『アサヒグラフ』編集長。60年定年退職。随筆雑誌『いさり火』主宰。
岩倉 具実(いわくら ともざね、1905年2月1日 - 19… 岩倉 具実(いわくら ともざね、1905年2月1日 - 1978年10月18日)は、日本の言語学者。同志社大学名誉教授。東京府出身。 公爵岩倉具張の次男として東京市麹町区裏霞ヶ関に生まれる。母方の祖父は西郷従道。1917年に学習院初等科を卒業して学習院中等科に進んだが、母から陸軍大将になることを望まれたため2年次の途中で退学し、1918年、陸軍中央幼年学校に入学。1921年、陸軍士官学校に入ったが肺炎カタルのため療養を命じられ、1922年に健康上の理由で陸軍士官学校を退学し、獨逸学協会学校中等部4年次に編入学。1924年に獨逸学協会学校中等部を卒業し、静岡高等学校理科乙類に入学。1925年、持病の脚気により静岡高校を退学し、1926年、成城高等学校入学。
中地 シゲヨ(なかち シゲヨ、1905年〈明治38年〉2月1… 中地 シゲヨ(なかち シゲヨ、1905年〈明治38年〉2月1日 - 2021年〈令和3年〉1月11日)は、日本の教育者、長寿の女性(スーパーセンテナリアン)。佐賀県佐賀市出身。存命中は田中カ子に次いで日本国内で2番目の長寿者であった。 1905年(明治38年)2月1日、佐賀県佐賀市西与賀町の米屋の5人兄弟の2番目の長女として生まれる。12歳で佐賀高等女学校に入学。女学校時代に大隈重信から講義を受けた経験を持つ。卒業後、17歳から小学校教員として30年間勤務し、戦後は資格を取得して62歳まで幼稚園教員として14年間働いた。 小学校教員の頃は厳しい指導がモットーで、勉強が苦手な児童を毎日放課後居残りで指導したが、頑張ったご褒美にあんパンを食べさせた。
舟山 正吉(ふなやま しょうきち、1905年2月1日 - 1… 舟山 正吉(ふなやま しょうきち、1905年2月1日 - 1996年9月20日)は、日本の大蔵官僚。大蔵事務次官、日本開発銀行総裁。 三重県出身。旧制開成中学、旧制第一高等学校を経て、1928年(昭和3年)、東京帝国大学法学部政治学科卒業。大学在学中に高等試験行政科に合格。同年4月、大蔵省入省(預金部配属)。1932年(昭和7年)3月、高崎税務署長。1933年(昭和8年)6月、亀戸税務署長。1934年(昭和9年)11月、主税局(兼)高橋是清大蔵大臣秘書官事務取扱。その後は銀行局調査課長、銀行保険局普通銀行課長、銀行局長などを経て、1951年(昭和26年)より大蔵事務次官に就任した。大蔵事務次官時代の1952年(昭和27年)4月、衆議院行政監察特別委員会に証人喚問された。
神山 茂夫(かみやま しげお、1905年(明治38年)2月1… 神山 茂夫(かみやま しげお、1905年(明治38年)2月1日 - 1974年(昭和49年)7月8日)は、日本の左翼の革命運動家、共産主義者。衆議院議員(1期)。 山口県下関市伊崎町に生まれ、小学生のころ一家で台湾に転居し、1917年、台北城南小学校卒業。その後、父が夜警をしていた台湾銀行の給仕として働きながら夜間中学(私立(尾崎秀真経営)台北中学会)を終え、1919年、銀行員見習いとなる。 1921年、東京の成城中学3年生編入。「筋張っているのが気に食わぬ」と上級生杉浦に簿記棒で打擲されるも睨み返す。『赤旗』など社会主義文献を読み始め、学校自治会運動を通じ、革命運動に全生涯をかける決意をする。
林 寛(はやし ひろし、1905年1月31日 - 1971年… 林 寛(はやし ひろし、1905年1月31日 - 1971年12月22日)は、日本の俳優である。本名稲垣 三郎(いながき さぶろう)。音読みが同一の俳優林幹、極東映画の俳優、林寛(はやし かん)とは別人である。 1905年(明治38年)1月31日、京都府京都市に「稲垣三郎」として生まれる。 旧制・同志社中学校(現在の同志社高等学校)を中途退学し、東京に移る。「東京オペラ座」、石井漠主宰の「石井漠一座」、松旭斎天華主宰の「松旭斎天華一座」等、舞台の実演畑を渡り歩く。1926年(大正15年)ころに島幹雄が設立した「日本少女歌劇団」に参加し、地方巡業に関わる。 1940年(昭和15年)、竹田モト(1915年 - 2006年)と結婚、その後2児をもうける。
万城目 正(まんじょうめ ただし、1905年1月31日 - … 万城目 正(まんじょうめ ただし、1905年1月31日 - 1968年4月25日)は、日本の作曲家。本名は萬城目 侃(読みは同じ)。 北海道十勝支庁中川郡幕別村(現在の幕別町)出身。 旧制中学校を卒業後に上京し、武蔵野音楽学校で学ぶ。その後一時帰道するが再び上京して松竹楽団に入社し、多くの劇伴を作曲・指揮を担当。1938年の映画『愛染かつら』の主題歌「旅の夜風」など多くの映画音楽を手がけ、そのほとんどの作品はコロムビアレコードからレコードとして発売され、専属作曲家として長年に渡り活動した。 戦後は映画『そよかぜ』の音楽を担当し、主題歌の「リンゴの唄」は並木路子が歌い大ヒットした。 また歌謡曲では高峰三枝子、美空ひばり、島倉千代子の歌を多く作曲し、戦前から多くの歌手や俳優の歌唱指導を担当した経験を活かして1957年には松竹大船撮影所の近くに「万城目正歌謡音楽院」を開校した。
浜 正雄(はま まさお、1905年1月30日 - 没年不詳)… 浜 正雄(はま まさお、1905年1月30日 - 没年不詳)は、日本の実業家。 浜磯之助の長男として福岡県早良郡鳥飼村(現・福岡市)に生まれる。日本学士院会員の医学者浜清は実弟。1922年福岡県立中学修猷館、1925年3月旧制福岡高等学校文科甲類を経て、1928年3月九州帝国大学法文学部を卒業。 1928年3月徴兵により佐世保重砲兵大隊に1年間入隊。1931年4月外務省文化事業部補給生として中国に留学し北京大学、清華大学、東亜同文書院などで現代中国の研究を行う。 1934年4月南満洲鉄道(満鉄)に入社し、対中国要員として満鉄調査部に配属される。青島事務所を経て、1936年4月北京事務所へ異動し、同年12月中国における満鉄の権益拡大をコントロールする機構である、大連本社の総裁室東亜課に勤務。
田辺 貞之助(たなべ ていのすけ、1905年1月30日 - … 田辺 貞之助(たなべ ていのすけ、1905年1月30日 - 1984年9月7日)は、日本のフランス文学者、翻訳家。 東京市深川区(現・東京都江東区深川)に生まれる。旧制一高を経て、1928年東京帝国大学文学部仏文科卒。暁星中学校講師、浦和高等学校教授を務め、戦後は東京大学教養学部助教授・教授、1966年に定年で退任後は、早稲田大学客員教授、埼玉医科大学教授を務め、1976年に名誉教授となった。 フランス文学作品は、ユイスマンス、ゴーティエほかの幻想文学、また自然主義文学ではエミール・ゾラ、ギ・ド・モーパッサンなど多数を訳し、数多くのフランス艶笑譚の翻訳から近世小咄の研究まで洒脱な随筆調の作品を著した。
三瓶 孝子(さんぺい こうこ、1905年〈明治38年〉1月3… 三瓶 孝子(さんぺい こうこ、1905年〈明治38年〉1月30日 - 1978年〈昭和53年〉10月16日)は、日本の経済史学者。 福島県出身。東京女子大学卒。高橋経済研究所研究員となり日本経済史を研究。1939年退所、1940年日本労働科学研究所に入所、農村や工場の実態を調査。1941年女性による初めての経済史研究書『日本綿業発達史』を刊行した。
斎藤 寅次郎(さいとう とらじろう、1905年(明治38年)… 斎藤 寅次郎(さいとう とらじろう、1905年(明治38年)1月30日 - 1982年(昭和57年)5月1日)は、日本の映画監督である。本名は寅二郎。喜劇映画を非常に得意とし、しばしば「喜劇の神様」と称される。 妻は自作のコメディエンヌでもあった女優の浪花友子。晩年の1972年に芸名を本名の寅二郎に改めている。 1905年(明治38年)1月30日、秋田県由利郡矢島町(現在の由利本荘市矢島町)舘町で役場収入役の父・孝一郎の子として生まれる。8人兄弟の次男であった。子供のころは一年に一度巡業しに来た活動写真に夢中になっていた。 1919年(大正8年)、矢島小学校小学校高等科を卒業する目前に上京して、祖父の弟が経営する医院に住み込みの書生となる。
大河内 一男(おおこうち かずお、1905年〈明治38年〉1… 大河内 一男(おおこうち かずお、1905年〈明治38年〉1月29日 - 1984年〈昭和59年〉8月9日)は、日本の経済学者。位階は正三位。 東京大学総長、同名誉教授。専修大学学長。日本学士院会員。専攻は社会政策。 1905年、東京下谷生まれ。東京府立第三中学校、旧制第三高等学校を経て、東京帝国大学に入学。大学では河合栄治郎に師事した。 大学卒業後、東京帝国大学経済学部助手に採用され、のちに講師昇進。しかし、平賀粛学に際して1939年(昭和14年)1月30日に辞表を提出。しかし平賀譲総長から慰留され、対処をめぐって改めて師の河合栄治郎、河合門下の三羽烏と呼ばれた木村健康・安井琢磨と相談をしたところ、あくまで辞表を撤回するなとする師のメッセージに、それまで持っていた師のイメージが変わってしまい、師と袂を分かつ決意をする。
川口 浩(かわぐち ひろし、1905年1月29日 - 198… 川口 浩(かわぐち ひろし、1905年1月29日 - 1984年8月18日)は、日本のドイツ文学者、文芸理論家。中央大学名誉教授。 神奈川県横浜市生まれ。本名・山口忠幸。浦和高等学校(旧制)卒、1929年東京帝国大学文学部独文科卒。在学中から左翼文学運動に携わり、林房雄、中野重治、久板栄二郎らとマルクス主義芸術研究会を作る。27年、蔵原惟人、林らと労農芸術家連盟を脱退、前衛芸術家同盟の結成に参画。その後はナップの線に沿って活動した。非公然活動をしていた蔵原惟人の論文に名義貸しをしたこともある。戦後は中央大学教授、1975年定年退任。
大橋 喜美(おおはし きみ、1905年(明治38年)1月29… 大橋 喜美(おおはし きみ、1905年(明治38年)1月29日 – 1999年(平成11年)6月1日)は、日本の教育者、政治家。衆議院議員(1期)。 栃木県鹿沼市出身。1925年、東京女子高等師範学校文科卒。島根県立浜田高等女学校、滋賀県大津市高等女学校の教員を経て、結婚により宮崎県延岡市に移る。夫の死後、故郷の鹿沼へ戻り、栃木県立鹿沼高等女学校講師になる。 1946年の第22回衆議院議員総選挙では宮崎県から日向民主党公認で立候補して初当選した。当選後は国民協同党に入るが、翌1947年の第23回衆議院議員総選挙では宮崎1区から民主党公認で立候補したが落選。1949年の第24回衆議院議員総選挙では選挙区を栃木1区に移して立候補したが落選した。
吉橋 鐸美(よしはし たくみ、1905年1月28日 - 没年… 吉橋 鐸美(よしはし たくみ、1905年1月28日 - 没年不明)は日本の大蔵官僚。名古屋財務局理財部長、名古屋財務部長、東海財務局長(初代)、近畿財務局長、名古屋証券取引所理事長などを歴任。 愛知県出身。1929年12月に高等試験司法科に合格し、1930年10月には高等試験行政科に合格。関西大学法文学部法律学科卒業。1932年1月 大蔵省入省(専売局書記・大阪地方専売局)。1946年11月 銀行局監査課長。1947年9月 名古屋財務局理財部長。1949年6月1日 名古屋財務部長。1950年5月4日 東海財務局長。1952年3月1日 近畿財務局長。1953年11月2日 退官。同年11月 地方銀行協会常務理事。
稲村 松雄(いなむら まつお、1905年1月28日 - 19… 稲村 松雄(いなむら まつお、1905年1月28日 - 1996年11月12日)は、日本の英語教育学者。 東京府八王子に織染工場の子として生まれる。静岡高等学校卒業、1929年東京帝国大学文学部英文科卒業。1931年静岡高等学校教授、1950年静岡大学教授、1952年学習院大学教授、1975年定年、名誉教授。1974年『ランダムハウス英和大辞典』で日本翻訳出版文化賞受賞。
井手 光治(いで みつじ、1905年(明治38年)1月26日… 井手 光治(いで みつじ、1905年(明治38年)1月26日 - 1986年(昭和61年)12月30日)は、昭和期の公吏、政治家、実業家。衆議院議員(1期)、芝区長、港区長(公選初代) 長崎県出身。1924年(大正13年)長崎商業学校(現長崎市立長崎商業高等学校)を卒業。その後、早稲田専門学校で学んだ。 東京市役所に入り事務員となる。その後、東京都制施行に伴い東京都事務官に就任。1945年(昭和20年)12月、芝区長に就任。1947年(昭和22年)4月、公選初代港区長に選出された。 1949年(昭和24年)1月の第24回衆議院議員総選挙で東京都第1区から民主自由党公認で立候補して当選し、衆議院議員に1期在任した。
島田 巽(しまだ たつみ、1905年1月25日 - 1994… 島田 巽(しまだ たつみ、1905年1月25日 - 1994年3月8日)は、日本のジャーナリスト。朝日新聞論説副主幹、ジャパン・クオータリー誌編集委員会委員。1965年から1976年まで人事官を務めた。 東京出身。1927年、慶應義塾大学政治学科を卒業。卒業後は朝日新聞社に就職し、東京本社欧米部長、論説副主幹などを歴任後、1965年3月2日から1976年4月1日まで、3期12年にわたり人事官を務めた。1975年、勲一等瑞宝章を受章。 1994年3月8日、膵臓癌により死去。89歳。
広田 精一郎(ひろた せいいちろう、1905年1月25日 -… 広田 精一郎(ひろた せいいちろう、1905年1月25日 - 1993年8月2日)は、日本の経営者。 福岡県遠賀郡遠賀町出身。1927年に広島高等工業学校を卒業し、同年に東洋レーヨン(のちの東レ)に入社。 名古屋、滋賀での各工場長を務め、1956年に取締役に就任し、1963年に副社長に就任し、1966年から1971年までに社長を務めた。 1968年に藍綬褒章を受章。 1993年8月2日急性心不全のために死去。88歳没。
倉田 文人(くらた ふみんど、1905年1月25日 - 19… 倉田 文人(くらた ふみんど、1905年1月25日 - 1988年1月28日)は、日本の映画監督、脚本家、映画プロデューサーである。 1905年(明治38年)1月25日、大分県速見郡山香町(現在の同県杵築市山香町)に生まれる。 1929年(昭和4年)、日活太秦撮影所現代劇監督部に入社、木村次郎に師事、同年、木村の監督した『名なし鳥』に助監督としてクレジットされる。同撮影所の同部で、溝口健二や田坂具隆に師事する助監督の熊谷久虎と知り合う。1932年(昭和7年)、谷幹一主演の『とかく女と言ふものは』で監督に昇進した。 1934年(昭和9年)、新たに開所した日活多摩川撮影所(現在の角川大映撮影所)に異動する。
大隅 芳雄(おおすみ よしお、1905年(明治38年)1月2… 大隅 芳雄(おおすみ よしお、1905年(明治38年)1月24日 - 1987年(昭和62年)6月7日)は、日本の鉱山学者。九州大学名誉教授。岳父は日本史学者で九州大学名誉教授の長沼賢海。長男は日本史学者で東京女子大学名誉教授の大隅和雄、二男は生物学者でノーベル賞受賞者の大隅良典。孫は歴史学者の大隅清陽。 1905年、広島県広島市生まれ。旧制広島高師附属中学、旧制山口高等学校を経て、1929年に東京帝国大学工学部鉱山学科を卒業。 大学卒業後は九州帝国大学講師に採用。助教授を経て、1943年に教授昇進。1961年より工学部長を務めた。 趣味は刀剣。宗教は真宗。 九州帝国大学に勤務し、福岡県福岡市大字香椎に居住していた。
岩倉 具正(いわくら ともまさ、1905年(明治38年)1月… 岩倉 具正(いわくら ともまさ、1905年(明治38年)1月24日 - 1964年(昭和39年)7月31日)は、昭和期の宮内官、政治家、華族。貴族院子爵議員。 東京府出身。子爵・岩倉具明の長男として生まれる。父の隠居に伴い、1938年(昭和13年)2月1日、子爵を襲爵した。 学習院を経て、1933年(昭和8年)東京帝国大学文学部支那哲学科を卒業。宮内省勤務、国際電気通信会社員を務めた。 1946年(昭和21年)5月10日、貴族院子爵議員補欠選挙で当選したが、翌月14日に辞職した。
山室 三良(やまむろ さぶろう、1905年1月23日 - 1… 山室 三良(やまむろ さぶろう、1905年1月23日 - 1997年1月15日)は、日本の中国哲学者。兄に山室次郎(中部日本新聞社社長)、弟に作家の山室静がいる。 長野県北佐久郡志賀村(現在の佐久市志賀)生まれ。旧制野沢中学(長野県野沢北高等学校)を経て、九州帝国大学法文学部選科支那哲学科修了。1933年九州帝大副手を経て、1934年外務省留学生として北京に赴き、1936年北京近代科学図書館初代館長、銭稲孫に委嘱して日本文学の中国語訳をさせる。帰国し、1947年九州帝大法文学部助教授、1960年九州大学文学部教授、1968年定年退官、名誉教授、1970年から1977年まで福岡大学教授、福岡県文化財専門委員、九州管区警察学校講師を務め、1980年から1983年まで東海大学教授。
久山 秀雄(ひさやま ひでお、1905年〈明治38年〉1月2… 久山 秀雄(ひさやま ひでお、1905年〈明治38年〉1月23日 - 1971年〈昭和46年〉8月23日)は、日本の内務・警察官僚。陸軍司政官、内務省警保局長。位階は正四位。勲三等旭日中綬章。 兵庫県出身。久山春次郎の長男として生まれる。兵庫県立第二神戸中学校を経て、第一高等学校を卒業。1927年11月、文官高等試験行政科試験に合格。1923年3月、東京帝国大学法学部政治学科を卒業。同年4月、内務省に入省し兵庫県属となり内務部地方課に配属。 以後、地方警視・福井県警察部保安課長、青森県警察部特別高等警察課長、神奈川県警察部警務課長、内務事務官・警保局図書館勤務、山梨県書記官・警察部長、内閣情報部書記官・第一課長、同第二課長兼務、警保局警務課長などを歴任。
椋 鳩十(むく はとじゅう、1905年1月22日 - 198… 椋 鳩十(むく はとじゅう、1905年1月22日 - 1987年12月27日)は、日本の小説家、児童文学作家、鹿児島県立図書館長、教員。本名は久保田 彦穂(くぼた ひこほ)。日本における動物文学の代表的人物である。 1947年から19年間務めた鹿児島県立図書館長時代には、第二次世界大戦で崩壊した図書館機能の再建のため、市町村図書館と共同運営を行い、市町村図書館を設置できない市町村には図書館を設置して県立図書館が支援するという、のちの図書館ネットワークの原型となる、図書館学において「鹿児島方式」と呼ばれるものを構築した。 1905年1月長野県下伊那郡喬木村阿島北にて、父(金太郎)、母(たき)の次男として誕生。
関谷 源兵衛(せきや げんべい、1905年(明治38年)1月… 関谷 源兵衛(せきや げんべい、1905年(明治38年)1月22日 - 1945年(昭和20年)8月2日)は第7 - 9代八王子市長。
岩崎 克己(いわさき かつみ、1905年1月21日(明治38… 岩崎 克己(いわさき かつみ、1905年1月21日(明治38年) - 1993年11月20日)は日本の言語学者、歴史学者。 1905年1月21日、愛知県豊橋市で生まれた。旧制第八高等学校を卒業後上京し、東京帝国大学英文科に進学。同大学大学院に進み、修了。その後、東京外国語大学に入学。東京外国語大学ではオランダ語、ポルトガル語、スペイン語、ロシア語、ドイツ語、中国語、チベット語等を習得し、卒業した。 修了後は、郁文館、早稲田実業学校、桜蔭学園などで英語教師として勤務。専門は語学であったが、東洋史に関する問題についても研究し、『書物展望』、『歴史地理』、『学鐙』などの論文を残した。1943年に応召し、中華民国に渡った。
金子 武蔵(かねこ たけぞう、1905年1月21日 - 19… 金子 武蔵(かねこ たけぞう、1905年1月21日 - 1987年12月31日)は、日本の哲学者、倫理学者。東京大学名誉教授。日本学士院会員。 1905年、高知県で実業家・金子直吉の次男として生まれた。第三高等学校を経て、東京帝国大学文学部哲学科を卒業。 法政大学教員などを経て、1935年に東京帝国大学倫理学講座講師に就任。1938年、同助教授に昇格。1945年、学位論文『ヘーゲルの国家論』を東京帝国大学に提出して文学博士号を取得。 和辻哲郎の後任として東京大学倫理学科教授となった。1957年2月2日、実存主義協会を設立し、機関誌『実存主義』を通して日本における研究をリードした。学内では文学部長を務め、1965年に東京大学を定年退官。
大井 征(おおい ただす、1905年〈明治38年〉1月21日… 大井 征(おおい ただす、1905年〈明治38年〉1月21日 - 1960年〈昭和35年〉4月15日)は、昭和のフランス文学者・フランス語学者・翻訳家。筆名は、映画評論で用いた春巴。戦前はアナトール・フランス、戦後はジャン=ジャック・ルソーの作品を主に翻訳したことで知られる。 山口県山口市に生まれ、幼少の頃に東京へ移った。1927年(昭和2年)3月、法政大学を卒業。1929年(昭和4年)1月から法政大学予科でフランス語を講じ、1939年(昭和14年)まで在任した。同年、広島陸軍幼年学校陸軍教授として赴任し、1941年(昭和16年)には東京陸軍幼年学校教授へ転じ、終戦を迎えている。戦後は法政大学に戻り、文学部教授や第二教養部長となった。
田中勇(たなか いさむ、1905年(明治38年)1月20日 … 田中勇(たなか いさむ、1905年(明治38年)1月20日 - 2000年(平成12年)2月12日)は、日本の実業家。東京急行電鉄副社長、伊豆急行社長、東亜国内航空社長。五島慶太・昇父子に仕え「東急グループの大番頭」の異名で呼ばれた。
畠山 久尚(はたけやま ひさなお、1905年1月20日 - … 畠山 久尚(はたけやま ひさなお、1905年1月20日 - 1994年2月11日)は、日本の地球物理学者。 新潟県北蒲原郡新発田町生まれ。1922年旧制東京府立第三中学校卒業。1925年旧制第一高等学校理科甲類卒業。1928年東京帝国大学理学部物理学科を卒業し、中央気象台に入る。1949年気象研究所長、1958年東京管区気象台長、1963年気象庁長官。1965年退官、のち二松學舍大学教授、1975年名誉教授。 1938年10月に、地磁気湾形変化の研究を発表した。1940年「地磁気及び地電流の湾型変化並に脈動に関する研究」で理学博士の学位を取得。
佐藤 義美(さとう よしみ、男性、1905年1月20日 - … 佐藤 義美(さとう よしみ、男性、1905年1月20日 - 1968年12月16日)は、大分県竹田市出身の童謡作詞家、童話作家、詩人。代表曲に『犬のおまわりさん』など。ひらがな表記のさとう・よしみ名義の作品も存在する。 代表作の『犬のおまわりさん』は、2007年(平成19年)に日本の歌百選に選出されている。他に童謡の代表的な作品に、『グッドバイ』、『月の中』、『ともだちシンフォニー』、『おすもうくまちゃん』、『アイスクリームのうた』などがある。 また、童話集『あるいた雪だるま』は1954年(昭和29年)に第1回産経児童出版文化賞を、『佐藤義美全集』(全6巻)は1975年(昭和50年)に第5回赤い鳥文学賞を受賞している。
伊藤 秀五郎(いとう ひでごろう、1905年(明治38年)1… 伊藤 秀五郎(いとう ひでごろう、1905年(明治38年)1月20日 - 1976年(昭和51年)2月22日)は、日本の生物学者・登山家・アルピニスト・エスペランティスト。専門は、生物学・山岳文学論。元札幌静修短期大学学長。日本山岳会名誉会員。 神奈川県横浜市出身。北海道帝國大學予科卒。北海道帝國大學農学部卒。卒業後は、東京帝國大學医学部助手をしながら、日本各地の山々を登る。1935年(昭和10年)にはペンシルベニア大学にも生物学の研究のため留学。 1947年北海道学芸大学教育学部教授に就任。1958年北海道学芸大学退官。北海道教育庁教育長に就任。1965年教育庁停年退官。札幌医科大学教授。1972年札幌医科大学退官。
小林 正基(こばやし まさもと、1905年〈明治38年〉1月… 小林 正基(こばやし まさもと、1905年〈明治38年〉1月20日 - 1978年〈昭和53年〉10月27日)は、昭和時代の警察官・弁護士。 1905年1月、北海道空知郡中富良野村で小林権三郎の子として生まれる。1929年に高等試験行政科に合格。神奈川県巡査を拝命。1931年、明治大学法学部を卒業し、神奈川県警部補、神奈川県警部を経て1933年、高等試験司法科に合格。秦野警察署長、藤沢警察署長、神奈川県警察部保安課長、石川県警察部警務課長兼警防課長、福岡県警察部警務課長、海軍司政官、ボルネオ民政部に勤務。内務事務官、兵庫県警察部刑事課長、兵庫県警察部警務課長、青森県警察部長を歴任。1948年3月に横浜市警察局長に就任し、これをもって退官。
木曽 栄作(きそ えいさく、1905年1月19日 - 198… 木曽 栄作(きそ えいさく、1905年1月19日 - 1984年)は、日本の英語学者。専門は商業英語。 北海道小樽市出身。1927年(昭和2年)小樽高等商業学校卒業。1931年(昭和6年)小樽高等商業学校助教授。1937年、アメリカペンシルベニア大学経営学部大学院に入学し、商業英語と国際貿易の研究のため、文部省在外研究員として在留。1939年、同大学修士課程修了。1943年、正六位に叙される。1944年、小樽経済専門学校教授。翌年、勲六等に叙せられ瑞宝章を授与される。1950年、小樽商科大学教授と小樽経済専門学校教授を兼務。1960年、再びアメリカへの出張を命じられ、ミシガン大学大学院言語学科において、英語学と外国語教授法を学ぶ。
金 鳳祚(キム・ボンジョ、朝鮮語: 김봉조、1905年1月1… 金 鳳祚(キム・ボンジョ、朝鮮語: 김봉조、1905年1月19日または1907年 - 1983年5月5日)は、日本統治時代の朝鮮および大韓民国の教育者、公務員、政治家。制憲・第2代韓国国会議員。 本貫は義城金氏(朝鮮語版)、朝鮮時代の文臣の金漢卿の子孫である。字は致勲、号は松崗。 慶尚北道青松郡出身。和睦公立普通学校(現・和睦初等学校(朝鮮語版))、大邱啓聖中学校(朝鮮語版)、平壌崇実専門学校(現・崇実大学校)農科、中央大学法学科卒。 啓聖中学校教員を経て、光復後は金泉中学校(朝鮮語版)校長、金泉女子中学校(朝鮮語版)校長、慶北女子中学校(現・慶尚中学校(朝鮮語版)に統合)校長、釜山東新中学校(朝鮮語版)校長、嶺南商業高等学校(現・釜山情報高等学校(朝鮮語版))校長、慶尚北道学務課長を歴任した。
高田 なほ子(たかだ なほこ、1905年(明治38年)1月1… 高田 なほ子(たかだ なほこ、1905年(明治38年)1月18日 - 1991年(平成3年)5月19日)は、日本の教育者、政治家、平和運動家。参議院議員(2期)。旧姓は渡辺。 福島県信夫郡福島町(現福島市)で、裁判官・渡辺晶、トヨ夫妻の三女として生まれる。福島県立福島高等女学校を経て、1922年、福島県女子師範学校を卒業。福島県伊達郡掛田尋常高等小学校訓導に就任。1924年に依願退職して勉学のため上京し、東京府(東京都)下の小学校で勤務した。 1945年11月、日本社会党創立に際し党員となる。同年12月、東京都教育労働組合の結成に参加。1947年4月、東京都品川区議会議員に当選し1950年まで在任。
河野 広道(こうの ひろみち、1905年(明治38年)1月1… 河野 広道(こうの ひろみち、1905年(明治38年)1月17日 - 1963年(昭和38年)7月12日)は、日本の昆虫学者、考古学者。 1905年1月17日、北海道史研究者の河野常吉の息子として生まれる。北海道帝国大学農学部にて、昆虫学を学ぶ。 大学卒業後の1930年に、北海道帝国大学農学部の助手として採用される。1932年、27歳の時に「日本産象鼻虫科ノ研究(独文)」により、農学博士の学位を授与される。 また、考古学などの研究も始める。1935年に、「貝塚人骨とアイヌのイオマンテ」の論文を発表し、縄文遺跡の貝塚は、ゴミ捨て場というよりは、アイヌ儀礼の「物送り場」という解釈を論じる。1944年、北海道帝国大学を退職。
伊藤 整(いとう せい、1905年(明治38年)1月16日 … 伊藤 整(いとう せい、1905年(明治38年)1月16日 - 1969年(昭和44年)11月15日)は、日本の小説家、詩人、文芸評論家、翻訳家。位階は正五位。勲等は勲三等。 本名は伊藤整(いとう ひとし)。社団法人日本文藝家協会理事、東京工業大学教授、社団法人日本ペンクラブ副会長、財団法人日本近代文学館理事長などを歴任した。日本芸術院会員。 抒情派詩人として出発したが、その後詩作を離れて小説・評論に重心を移し、ジェイムズ・ジョイスらの影響を受けて「新心理主義」を提言。戦後は旺盛な著作活動に加え、ベストセラーや裁判の影響もあり、もっとも著名な評論家の一人となった。私小説的文学の理論化をめざすとともに自身も創作を行い、評論では『小説の方法』「近代日本人の発想の諸形式」「近代日本における『愛』の虚偽」『日本文壇史』などがあり、『氾濫』『変容』『発掘』は、夏目漱石の衣鉢を継ぐ近代小説三部作である。
児玉 洋一(こだま よういち、1905年1月16日 - 19… 児玉 洋一(こだま よういち、1905年1月16日 - 1981年3月24日)は、日本の経済史学者。 和歌山県那賀郡粉河町(現・紀の川市)出身。1926年和歌山高等商業学校(現和歌山大学)卒。1958年「近世瀬戸内海における塩業、特に入浜塩田の成立に関する研究」で経済学博士(大阪大学)。高松高等商業学校助教授、高松経済専門学校教授、1949年香川大学経済学部助教授、1951年教授。1963年経済学部長、1968年定年退官、名誉教授。1970年京都学園大学教授。1962年「近世塩田の成立」で日本学士院賞受賞。
藤原 釜足(ふじわら かまたり、1905年〈明治38年〉1月… 藤原 釜足(ふじわら かまたり、1905年〈明治38年〉1月15日 - 1985年〈昭和60年〉12月21日)は、日本の俳優。本名は安惠 重男、戦時中の芸名は藤原 鶏太。身長156cm。 実生活に根ざした芸風で知られた、黒澤明作品常連の名脇役。女優の沢村貞子は元妻。他に安恵一夫、藤原秀臣という芸名も用いた。 1905年1月15日、東京市深川区(現東京都江東区)に生まれる。家業の印刷屋不振のため、10歳で麹町の菓子屋に奉公に出る。四ツ谷第三小学校夜間部卒業。薬剤師を目指していた時期もあるが、浅草オペラ全盛時代とあってオペラ俳優に憧れ、滝野川俳優養成所に入る。 卒業後、浅草金龍館に出ていた黒木憲三に弟子入り。
福田 赳夫(ふくだ たけお、1905年〈明治38年〉1月14… 福田 赳夫(ふくだ たけお、1905年〈明治38年〉1月14日 - 1995年〈平成7年〉7月5日)は、日本の政治家、大蔵官僚。位階は正二位。勲等は大勲位。 大蔵省主計局長、衆議院議員(14期)、農林大臣(第2次岸改造内閣)、大蔵大臣(第1次佐藤第1次改造内閣・第1次佐藤第2次内閣・第2次佐藤第2次改造内閣・第3次佐藤内閣・第2次田中角栄第1次改造内閣)、外務大臣(第3次佐藤改造内閣)、行政管理庁長官(第2次田中角栄内閣)、経済企画庁長官(三木内閣)、自由民主党総裁(第8代)、内閣総理大臣(福田赳夫内閣)を歴任した。 東京帝国大学法学部から大蔵省入り。1947年主計局長となるが、翌年昭電疑獄に連座して退官。
佐野 碩(さの せき、1905年1月14日 - 1966年9… 佐野 碩(さの せき、1905年1月14日 - 1966年9月29日)は、日本の演出家・作詞家・社会主義運動家。日本では「インターナショナル」の訳詞の作詞者として知られる。後半生はメキシコを拠点とした演劇活動に費やし、メキシコでは「メキシコ演劇の父」と称される。
服部 英次郎(はっとり えいじろう、1905年1月14日 -… 服部 英次郎(はっとり えいじろう、1905年1月14日 - 1986年7月31日)は、日本の哲学研究者。関西大学名誉教授。 和歌山県生まれ。京都帝国大学文学部哲学科卒。神戸大学教授、名古屋大学教授、奈良女子大学教授、関西大学教授、1975年定年、名誉教授。 古代哲学末期のアウグスティヌスから中世哲学のトマス・アクィナス、ルネサンス期のベーコンなどの思想家を研究、アウグスティヌス『告白』『神の国』など多くの原典訳がある。
石渡 満子(いしわた みつこ、1905年(明治38年)1月1… 石渡 満子(いしわた みつこ、1905年(明治38年)1月13日 - 1974年(昭和49年)8月27日)は、日本の裁判官、弁護士。女性として日本で最初に裁判官となった。 神奈川県(京都府との説もある)にて、旧名主であり官吏の家の4人姉妹の長女として出生。1922年東京女子高等師範学校附属高等女学校本科卒業、1926年東京女子高等師範学校卒業。卒業と同時に結婚する。8年後に離婚し、法曹を志し、明治大学に進学し、1944年に卒業。1945年司法試験に合格。1948年婦人法律普及会を結成。 1949年女性初の判事補として東京地方裁判所に赴任。1950年婦人人権擁護同盟を組織。1961年判事となり、関東各地の地方裁判所に赴任。