スポーツ選手、俳優、学者、実業家、芸能人など各界で活躍する人物情報に加え、外の言語(多言語)で紹介されている内容や、その人物にゆかりのある地の観光資源データを集めました。
宇田川 洋(うだがわ ひろし、1944年 - )は日本の考古… 宇田川 洋(うだがわ ひろし、1944年 - )は日本の考古学者。専門は、アイヌ考古学・北方考古学。東京大学名誉教授。 1944年、北海道生まれ。北海道札幌西高等学校、北海道教育大学教育学部卒業。大学時代から常呂遺跡の発掘に携わる。東京大学大学院人文科学研究科博士課程で学ぶ。 1976年より東京大学文学部助手となり、東京大学常呂実習施設にて発掘、調査、研究を開始。1994年より東京大学教授。2002年に東京大学「アイヌ考古学研究・序論 : 「アイヌ考古学」の民族考古学的方法論による学問体系の確立を目指して(The study of Aynu archaeology : introduction) 」を提出して 文学博士号を取得。
館 淳一(たて じゅんいち、1943年8月16日 - )は、… 館 淳一(たて じゅんいち、1943年8月16日 - )は、日本の小説家、官能小説家、雑学研究家、エッセイスト。日本文芸家クラブ会員、日本推理作家協会会員。 北海道稚内市出身。北海道札幌西高等学校、日本大学藝術学部放送学科卒業。 フリーライター、週刊誌アンカーマン(週刊プレイボーイ、週刊明星など)、フリー編集者、日本版PLAYB0Y(月刊プレイボーイ)などで生計をたてる傍らSM小説を書き、蘭光生に認められ1975年雑誌デビュー。以後、官能小説界で活動。著書は190冊(2017年6月時点)。
長沼 修(ながぬま おさむ、1943年(昭和18年)7月19… 長沼 修(ながぬま おさむ、1943年(昭和18年)7月19日 - )は、日本の実業家で、元・北海道放送(HBC)プロデューサー。同局で常務取締役、代表取締役社長、会長を歴任した後に、2010年から2017年まで札幌ドームの運営会社(株式会社札幌ドーム)の代表取締役社長を務めた。 北海道安平郡早来町(現在は安平町)生まれ。父親は北海道庁の農林技師で、戦後現在の札幌市西区琴似に転居。母方の曽祖父は明治初期に琴似に入植した屯田兵であった。北海道札幌西高等学校から北海道大学農学部を経て、ラジオ・テレビ兼営局のHBCへ1967年に入社した。 地元で最も早く設立された民放局でもあるHBCとの縁は、大学生時代に在籍していたオーケストラ部での活動にまで遡る。
上出 洋介(かみで ようすけ、1943年5月15日 - 20… 上出 洋介(かみで ようすけ、1943年5月15日 - 2021年12月9日)は、日本の地球宇宙物理学者。学位は、理学博士(東京大学・1973年)。名古屋大学名誉教授。りくべつ宇宙地球科学館館長。北海道小樽市出身。オーロラ研究の第一人者。 北海道札幌西高等学校を経て、1972年、東京大学大学院理学系研究科博士課程修了(理学博士)。日本学術振興会学術奨励研究員(東京大学理学部)の後、渡米。アラスカ大学地球物理研究所、コロラド大学環境科学研究所、米国立地球物理データセンター、米国立宇宙環境研究所などを経て、1992年より名古屋大学太陽地球環境研究所教授(1999年より2005年まで同所長)。2008年より2010年まで京都大学生存圏研究所特任教授。
新山 惇(にいやま まこと、1942年5月24日 - )は、… 新山 惇(にいやま まこと、1942年5月24日 - )は、日本の総理府技官。博士(工学)、土木学会認定特別上級土木技術者(総合)。元北海道開発事務次官。 北海道出身。北海道札幌西高等学校を経て、1961年北海道大学理類合格。1964年国家公務員採用上級甲種試験(土木)合格。1967年北海道大学大学院修了後、北海道開発庁に入庁した。北海道開発局建設部道路計画課長を経て、1992年北海道開発庁地政課長に就任した。 1994年に北海道開発局札幌開発建設部長に就任し、1995年からは北海道開発局建設部長を務め、豊浜トンネル崩落事故では合同対策本部長として対応にあたった。1997年に北海道開発局長に就任し、1998年には鈴木宗男北海道開発庁長官の下、北海道開発事務次官に昇格した。
新川 詔夫(にいかわ のりお、1942年5月8日 - 202… 新川 詔夫(にいかわ のりお、1942年5月8日 - 2022年4月4日)は、日本の医学者・医師。学位は、医学博士(北海道大学)。長崎大学名誉教授、元長崎大学原爆後障害医療研究所長、北海道医療大学元学長。北海道小樽市出身。 専門は、人類遺伝学・遺伝医学・ゲノム医学・細胞遺伝学・分子遺伝学・先天異常など。 遺伝医学の世界的権威。妻の吉野あづちは詩人。 1961年北海道札幌西高等学校卒業、次いで1967年北海道大学医学部を卒業。道内の総合病院でのインターン医師や小児科医師を経て、1970年、北海道大学理学部動物染色体研究施設研究生。1972年、スイス・ジュネーブ大学産婦人科胎生学・細胞遺伝学研究室助手。
寺内 靖治(てらうち せいじ、1941年8月24日 - )は… 寺内 靖治(てらうち せいじ、1941年8月24日 - )は、日本の政治家・元地方公務員。北海道石狩市出身。北海道石狩町(現・石狩市)長(1980年-1994年)。 北海道札幌西高等学校、明治大学経済学部卒業。寺内弓道具店役員、石狩町議会議員を経て、1980年に新自由クラブ単独推薦・無所属で石狩町長に当選。3回目の挑戦での初当選だった。選挙戦では新自由クラブの河野洋平代表代行や土谷享道連代表が応援に訪れた。また横路孝弘は高校の同級生であり、日本社会党代議士時代から応援に駆けつけていた。町長は連続5期務め、石狩新港の建設に手腕を発揮した。 1994年に収賄で逮捕、町長を辞任した。翌1995年7月、裁判所から有罪判決を受けた。
山内 亮史(やまうち りょうじ、1941年5月6日 - )は… 山内 亮史(やまうち りょうじ、1941年5月6日 - )は、日本の社会学者。学校法人旭川大学(現:学校法人旭川志峯学院)の前理事長。旭川大学(現:旭川市立大学)及び旭川大学短期大学部(現:旭川市立大学短期大学部)の元学長。北海道出身。 北海道札幌西高等学校卒業。横路孝弘と同級生であった。北海道学芸大学札幌分校学芸学部卒業。1970年、北海道大学大学院教育学研究科博士課程教育社会学専攻単位修得後退学。1971年4月、旭川大学経済学部専任講師に就任。1975年に同経済学部助教授、1990年に同経済学部教授。1999年、旭川大学大学院研究科教授。2000年、旭川大学副学長。2003年4月、旭川大学学長、旭川大学女子短期大学部学長に就任(~2021年3月)。
横路 孝弘(よこみち たかひろ、1941年〈昭和16年〉1月… 横路 孝弘(よこみち たかひろ、1941年〈昭和16年〉1月3日 - 2023年〈令和5年〉2月2日)は、日本の政治家、弁護士。 衆議院議員(通算12期)、北海道知事(公選第10・11・12代)、衆議院議長(第73代)、衆議院副議長(第63代)、民主党総務会長を歴任。父は元日本社会党衆議院議員の横路節雄。 北海道札幌市で次男として生まれる。父・節雄は教員で、後に日本社会党で北海道議会議員、衆議院議員を務めた。母・美喜は経済学者の野呂栄太郎の妹である。札幌市立二条小学校を卒業。中学生時代に交通事故に遭い療養生活を余儀なくされ、4年かけて16歳で札幌市立啓明中学校を卒業する。北海道札幌西高等学校に入学するが、1年生の2学期から東京都立九段高等学校に転校し、同校を卒業。
村井 祐児(むらい ゆうじ、1940年3月13日 - 202… 村井 祐児(むらい ゆうじ、1940年3月13日 - 2025年4月7日)は、日本のクラリネット奏者。東京芸術大学名誉教授。日本音楽コンクール運営委員。 東京都出身。北海道札幌西高等学校から東京都立駒場高等学校を経て、1963年に東京芸術大学器楽科を卒業。三島勝輔、北爪利世に師事。 その後、東京交響楽団に入団。在団中に日独交換学生として、ドイツのデトモルト北西ドイツ音楽アカデミー(現デトモルト音楽大学)に留学。クラリネットをヨースト・ミハエルス、室内楽をヘルムート・ヴィンシャーマンに師事。1972年、同校にてソリスト試験を修める。日本ではヒンデミットのクラリネット協奏曲を東響定期にて日本初演している。
川村 隆(かわむら たかし、1939年12月19日 - )は… 川村 隆(かわむら たかし、1939年12月19日 - )は、日本の実業家。元東京電力ホールディングス取締役会長。元みずほフィナンシャルグループ社外取締役。元日立製作所取締役・代表執行役会長兼執行役社長、同相談役。元日本経済団体連合会(経団連)副会長。 父親は英文学者で元北海道大学教授の川村米一 北海道札幌西高等学校を経て、1962年3月東京大学工学部電気工学科卒業。在学中は原子力発電の研究に従事した。1962年4月、日立製作所入社。 日立では電力設計部に所属。1972年に主任技師となり、関西電力姫路第二発電所の火力6号機(略称「姫6」)、中国電力島根原子力発電所1号機などの開発に従事。東京本社火力技術本部を経て、1991年に日立工場副工場長となり、翌年工場長に就任。
長尾 克子(ながお かつこ、1939年10月18日 - 20… 長尾 克子(ながお かつこ、1939年10月18日 - 2003年6月23日)は、工業技術史学者。 1939年、北海道紋別郡遠軽町で生まれた。旧姓・加藤。北海道札幌西高等学校を卒業し、北海道学芸大学に進学。学生時代は革マル派に関わるが、後に離れた。1963年に北海道学芸大学を卒業し、高校教師となった。一方で北海道大学経済学部で学び、1967年に卒業。 卒業後は、北海道大学経済学部助手に採用された。1973年、法学者の長尾龍一と結婚。1974年、同大学大学院経済学研究科博士課程を中退し、旭川大学専任講師となった。しかし、1978年に東京へ移るため退職。 その後は、1980から1998年まで、法政大学経済学部非常勤講師として教鞭を執った。
蛇川 忠暉(じゃがわ ただあき、1938年6月29日 - )… 蛇川 忠暉(じゃがわ ただあき、1938年6月29日 - )は日本の技術者、実業家。トヨタ自動車取締役副社長を経て、トヨタ自動車が新たに子会社化した日野自動車で代表取締役社長や代表取締役会長として同社の再建にあたった。日本科学技術連盟理事長、型技術協会会長なども歴任。デミング賞本賞、大倉喜七郎賞受賞。 北海道小樽市生まれ。北海道札幌西高等学校を経て、1961年北海道大学工学部機械工学科卒業、トヨタ自動車工業(現トヨタ自動車)入社。1988年取締役に昇格。1994年常務。1996年専務。1999年取締役副社長。2001年相談役に退いた。 2001年からトヨタ自動車が子会社化した日野自動車の代表取締役社長を務め、経営危機にあった同社を、外部出身者として改革により再建を行って、赤字からの回復を達成。
荒木 俊夫(あらき としお、1937年3月23日 - 199… 荒木 俊夫(あらき としお、1937年3月23日 - 1993年7月28日)は、日本の政治学者。元・北海道大学教授。北海道利尻郡利尻町生まれ。生家は、利尻島有数の網元。 主に、国民の投票行動に関して研究。また亥年現象には批判的である。
糸田 省吾(いとだ しょうご、1937年(昭和12年)1月9… 糸田 省吾(いとだ しょうご、1937年(昭和12年)1月9日 - )は、日本の元官僚。元公正取引委員会委員。長島・大野・常松法律事務所顧問(弁護士登録はしていない)。
李 恢成(り かいせい、イ・フェソン、이회성、1935年2月… 李 恢成(り かいせい、イ・フェソン、이회성、1935年2月26日 - 2025年1月5日)は、在日コリアンの小説家。1972年に芥川賞を受賞した。 樺太真岡郡真岡町に生まれる。父親は黄海北道、母親は慶尚北道の出身。1944年に母が病死、1945年の敗戦後、家族で日本人引揚者とともに樺太より脱出。、GHQによって長崎県大村市の収容所に収監された後、朝鮮への帰還を図ったが果たせず、札幌市に住む。このとき、樺太に姉を残留させたことが、その後の作品内でもトラウマとして残っていたことが語られている(在樺コリアン参照)。 北海道札幌西高等学校から、早稲田大学第一文学部露文科に進学。早稲田大学時代は留学生運動の中で活動していた。
内山 斉(内山 齊、うちやま ひとし、1935年2月6日 -… 内山 斉(内山 齊、うちやま ひとし、1935年2月6日 - 2022年2月2日)は、読売新聞グループ本社顧問、同社元代表取締役社長、日本新聞協会会長、第13代横綱審議委員会委員長。位階は正三位。 北海道札幌市出身。北海道札幌西高等学校、日本大学文学部社会学科卒業。1957年4月、読売新聞社入社。地方部を中心に記者として活動する。制作局を担当していた当時、印刷拠点の分散化を経営トップに進言して功績が認められる。のちに渡邉恒雄から後継者指名を受ける。 2022年2月2日21時48分、心不全のため、東京都内の病院で死去。86歳没。同日付をもって正三位に叙され、旭日大綬章を受章した。
荒又 重雄(あらまた しげお、1934年(昭和9年)11月1… 荒又 重雄(あらまた しげお、1934年(昭和9年)11月11日 - )は、日本の経済学者。経済学博士(北海道大学)。北海道大学名誉教授、元釧路公立大学学長。北海道出身。恩師は新川士郎。 この他、1967年北海学園大学経済学部非常勤講師(~1969年)、北海道労働文化協会会長を務める。 福祉国家の変貌の方向性、ロシア極東の労働事情、女性の労働力化や雇用問題など幅広く研究。また、石川啄木の短歌の英訳も行なっている。 「荒又重雄学長略歴・業績一覧 (荒又重雄学長退職記念号)」『社会科学研究 (16)』(p3-14 2004.3 釧路公立大学編集・発行)
小林 充(こばやし みつる、1934年 <昭和9年> 8月1… 小林 充(こばやし みつる、1934年 <昭和9年> 8月13日 - 2013年 <平成25年> 12月28日)は、北海道出身の日本の刑事法学者。弁護士。元裁判官。位階は正三位。 専門は、刑法及び刑事訴訟法。元東洋大学及び元北海学園大学教授。北海道生まれ。 古希祝賀刑事裁判論集刊行会編『刑事裁判論集 上巻』(判例タイムズ社、2006年)
鈴木 昭雄(すずき あきお、1933年〈昭和8年〉8月29日… 鈴木 昭雄(すずき あきお、1933年〈昭和8年〉8月29日 - )は、日本の航空自衛官。第20代航空幕僚長。防大1期。 北海道出身。1957年(昭和32年)3月、防衛大学校電気工学科卒業(第1期)、航空自衛隊入隊。 1961年(昭和36年)12月、アクロバット飛行チーム「ブルーインパルス」に所属。 1977年(昭和52年)1月1日、1等空佐。1978年(昭和53年)8月1日、第8航空団飛行群司令。1980年(昭和55年)8月1日、航空幕僚監部防衛部防衛課長。 1982年(昭和57年)7月1日、空将補昇任。同年8月2日、第7航空団司令兼百里基地司令。1984年(昭和59年)3月2日、航空幕僚監部防衛部長。
中野 美代子(なかの みよこ、1933年3月4日 - )は、… 中野 美代子(なかの みよこ、1933年3月4日 - )は、日本の中国文学者、作家。北海道大学文学部、言語文化部教授を経て、北海道大学名誉教授。『西遊記』などの中国文学、中国文化をテーマにした論考・エッセイ、中国やアジア諸地域を舞台にした小説作品を多数発表。 北海道札幌市生まれ。北海道庁立札幌高等女学校(現北海道札幌北高等学校)、北海道札幌西高等学校を経て、1956年北海道大学文学部中国文学科卒業、同助手。 1961年に「世界ノンフィクション全集」監修者の吉川幸次郎に指名されて、耶律楚材「西遊録」を翻訳。また吉川には広く教えを受けた。65年オーストラリア国立大学高等学術研究所助手、67年退職、68年、香港、台湾で資料収集をへて帰国、71年北海道大学文学部助教授、81年教授、83年同言語文化部教授。
若山 弦蔵(わかやま げんぞう、1932年9月27日 - )… 若山 弦蔵(わかやま げんぞう、1932年9月27日 - )は、日本の男性俳優、ラジオパーソナリティ、ナレーター、声優、フリー。
岡部 政明(おかべ まさあき、1932年2月16日 - )は… 岡部 政明(おかべ まさあき、1932年2月16日 - )は、日本の男性俳優、声優、ナレーター。東京俳優生活協同組合所属。北海道深川市出身。リーディングドラマの会・伽羅主宰(をはり万造・森うたうと共同主宰)。
笠井 誠一(かさい せいいち、1932年 - 2025年6月… 笠井 誠一(かさい せいいち、1932年 - 2025年6月12日)は、日本の洋画家。立軌会同人、愛知県立芸術大学名誉教授。シンプルな描線で、緻密に構築された静物画を描いた。 1932年、北海道札幌市生まれ。生家は札幌時計台近くに店を構えるマリヤ手芸店。北海道札幌西高等学校を経て、1957年東京芸術大学卒業。1959~66年、滞仏。1985年から立軌会同人。1991年、名古屋市芸術賞芸術特賞。2001年、安田火災東郷青児美術館大賞受賞・同記念展。2015年、笠井誠一展(札幌芸術の森美術館)、2018年、笠井誠一展(練馬区立美術館)。2018年、瑞宝中綬章受章。 2025年6月12日、老衰のため、自宅で亡くなった。
森本 正夫(もりもと まさお、1931年10月3日 - 20… 森本 正夫(もりもと まさお、1931年10月3日 - 2021年6月1日)は、日本の経済学者(専門は開発政策・農業経済学)・教育者。学校法人北海学園元理事長。名誉法学博士(レスブリッジ大学)。名誉経営学博士(大田大学校)。北海商科大学元学長、日本私立大学協会副会長。 「経歴」節の出典は『北海学園大学経済論集 第39巻第3号』(北海学園大学経済学会、1992年2月)。
桂 信雄(かつら のぶお、1930年10月18日[要出典] … 桂 信雄(かつら のぶお、1930年10月18日[要出典] - 2020年11月16日)は、日本の政治家。元札幌市長(在任1991年 - 2003年、3期)。 1931年(昭和6年)、北海道札幌市に生まれる。札幌市立山鼻小学校、北海道立札幌第二高等学校(現:北海道札幌西高等学校)卒業。北海道大学法経学部を卒業後、札幌市役所に就職。札幌市役所では、施設局市街地開発部長、総務局財政部長、北区長、企画調整局長、教育長を歴任。1983年6月、札幌市助役に着任。 1991年、自民党・社会党・公明党・民社党の推薦を得て、札幌市長選挙に立候補。共産党推薦候補などに大差をつけて当選。初の札幌生まれの市長となる。
左右田 一平(そうだ いっぺい、1930年7月10日 - 2… 左右田 一平(そうだ いっぺい、1930年7月10日 - 2012年2月10日)は、日本の俳優。北海道札幌市出身。血液型はA型。本名は廣田 信夫(ひろた のぶお)。劇団中芸、東京芸術座、東京俳優生活協同組合を経て、最終所属はたむらプロ。舞台芸術学院卒業。 高校卒業後に兄を頼って上京。1955年に劇団中芸入団。1959年に東京芸術座が誕生すると団員の一人となる。東京芸術座の舞台やテレビ、映画で活躍した。1979年に京都市民映画祭でテレビ部門男優賞を受賞。 結束信二作品の常連的存在で、『忍びの者』から『燃えよ剣』までの全ての作品に出演していた。特にテレビ時代劇『用心棒』シリーズは、左右田のみ同じ品田万平役でシリーズ4作全て出演した。
小野 栄一(おの えいいち、1930年2月5日 - )は、日… 小野 栄一(おの えいいち、1930年2月5日 - )は、日本の司会者、コメディアン、ボードビリアン、実業家である。娘は歌手の小野ひとみ。 1930年(昭和5年)2月5日、北海道に生まれる。新制・北海道立札幌第二高等学校(現在の北海道札幌西高等学校)では映画評論家の品田雄吉と同期、俳優の左右田一平は一期下であった。同校卒業後、北海道大学に進学するも中途退学。 1952年(昭和27年)、日本コロムビアの司会者として舞台に立ち、デビューする。 昭和中期にテレビや寄席などで活躍、美空ひばりや灰田勝彦の物まね、テレビ番組『そっくりショー』の司会などで知られた。また、テレビ映画『オットいたゞき』では人情味あふれる詐欺師役を演じ、テレビ人形劇『ひょっこりひょうたん島』では声優を務めるなど、多方面で活躍した。
品田 雄吉(しなだ ゆうきち、1930年2月3日 - 201… 品田 雄吉(しなだ ゆうきち、1930年2月3日 - 2014年12月13日)は、日本の映画評論家。 北海道留萌管内遠別町生まれ。仏文学者で早稲田大学名誉教授の品田三和一良(品田一良)は実兄。北海道札幌西高等学校、北海道大学法文学部国文学科卒業。 北海道大学在学中に『キネマ旬報』編集部の荻昌弘に見出され、同誌の懸賞論文に入選。このことから1953年の大学卒業後にキネマ旬報社に入社して『キネマ旬報』編集部配属となり、1955年まで在籍。後に『映画旬刊』と『映画評論』の編集部に在籍。1965年にフリーとなり映画評論家として活動を始めた。 1989年から多摩美術大学教授、のち名誉教授。 日本芸術文化振興会運営委員・映画部会長、独立行政法人国立美術館運営委員、ゆうばり国際ファンタスティック映画祭顧問、ゆうばり応援映画祭実行委員長、川喜多記念映画文化財団理事、最北シネマ株式会社特別顧問、日本映画製作者連盟理事を歴任した。
原田 甫(はらだ はじめ、1930年1月20日 - 1993… 原田 甫(はらだ はじめ、1930年1月20日 - 1993年12月5日)は、日本の作曲家。 北海道旭川市出身。中学時代に伊福部昭の《交響譚詩》を聴いたことから作曲を志す。伊福部と同じ札幌第二中学校、札幌西高等学校を経て、1951年4月東京音楽学校作曲科(1952年に東京藝術大学音楽学部となる)に入学し、当時講師をつとめていた伊福部昭に師事するが、伊福部が辞任すると中退する。伊福部の映画音楽制作を手伝うようになり NHK電子音楽スタジオを利用していた 黛敏郎のアシスタントをつとめ、自身の記録映画音楽の作曲に携わり『海壁』『ぬれる』など多くの作品を手がける。 記録映画音楽、テレビドキュメンタリーの音楽などで活躍する一方、純音楽の分野では、《ギター・ソナタ》、《第一シンフォニー》などの作品があり、ギター曲は現在でも演奏されることが多い。
福岡 星児(ふくおか せいじ、1926年2月 - 2003年… 福岡 星児(ふくおか せいじ、1926年2月 - 2003年1月22日)は、日本の文学者。北海道大学教授としてロシア語、ロシア文学、スラヴ文献学の研究および教育に加えて北海道大学スラブ研究センターの発展にも貢献し、ロシア中世文学、ウクライナ文学、ポーランド文学などの分野でも優れた翻訳や研究論考を遺した。北海道大学名誉教授。 大正15年(1926年)兵庫県神戸市に生まれ、後に北海道札幌市に転居して札幌二中(現在の札幌西高)を卒業した後、満州国立大学哈爾浜学院(ハルピン学院)でロシア語を学ぶ。 1947年に北海道大学法文学部に第一期生として入学し、木村彰一の指導を受けてロシア文学、スラヴ文献学の研究を始めた。
石井 亨(いしい とおる、1925年(大正14年)11月11… 石井 亨(いしい とおる、1925年(大正14年)11月11日 - )は、日本の自治官僚、政治家。仙台市長(第26、27期)。 仙台市の政令指定都市昇格や市営地下鉄の開業などの実績があるが、ゼネコンに絡む贈収賄事件で失職した。 北海道空知郡赤平村(現:赤平市)出身。札幌二中、旧制一高を経て、1950年(昭和25年)に東京大学法学部政治学科を卒業した。地方自治庁(当時)に入庁し、千葉県開発部管理課長などを務めたが、1963年(昭和38年)、当時の宮城県知事・山本壮一郎に同県職員として招かれた。 その後、総務部次長、商工労働部長、総務部長を務め、1974年(昭和49年)に宮城県副知事に就任した。山本の後継者候補の一番手と見られていたが、1984年(昭和59年)11月に当時の仙台市長・島野武が急逝し、急遽、革新系とされた島野に代わる保守系の市長候補として担ぎ出されることとなった。
石井 次郎(いしい じろう、1923年12月18日-1992… 石井 次郎(いしい じろう、1923年12月18日-1992年4月1日)は、日本の地質学者。理学博士(北海道大学)。 北海道出身。北海道札幌師範学校付属小学校卒業。北海道庁立札幌第二中学校卒業。1946年北海道帝国大学理学部卒業。1946年同応用電気研究所助手。1955年北海道大学大学院(旧制)理学研究科修了。同理学部助手。北海道札幌西高等学校定時制教諭や、北海道農業専門学校教師を経て、1961年に北海道大学にて「北海道第四紀火山噴出物の風化過程」で理学博士受く。1961年北海道大学水産学部助教授。1968年東海大学海洋学部札幌教養課程教授。1988年北海道東海大学工学部教授。1992年3月31日北海道東海大学定年退職。
幾瀬 勝彬(いくせ かつあき、1921年8月15日 - 19… 幾瀬 勝彬(いくせ かつあき、1921年8月15日 - 1995年4月21日)は、日本の小説家、推理作家。旧姓は長島。 北海道出身。札幌第二中学(現北海道札幌西高等学校)を経て、早稲田大学文学部国文科に入学。大東亜戦争の戦況拡大により繰り上げ卒業して、海軍飛行科予備学生となる。ラバウルで終戦を迎えて1946年に復員後はNHK、ニッポン放送に勤務。 1970年、長編「ベネトナーシュの矢」が第16回江戸川乱歩賞の最終候補となる(受賞作は大谷羊太郎の『殺意の演奏』)。これを改題した『死を呼ぶクイズ』を翌1971年に刊行。以後も、A・E・W・メースン、エラリー・クイーンなどの影響を受けた本格志向の作品を発表。
田中 秀穂(たなか ひでほ、1919年5月17日 - )は、… 田中 秀穂(たなか ひでほ、1919年5月17日 - )は、日本の外交官。外務省中近東アフリカ局長、在フィリピン特命全権大使等を務めた。1993年4月勲二等旭日重光章受章。 北海道札幌市出身。北海道庁立札幌第二中学校(現北海道札幌西高等学校)を経て、1943年旧制東京商科大学(一橋大学の前身)を卒業し、外務省入省。 1974年にパレスチナゲリラ及び日本赤軍の和光晴生と山田義昭の混成部隊が、シンガポール沖にあったシェル石油傘下のシンガポール・イースタン・ペトローリアム社ブクム島製油所を爆破し、警官隊と銃撃戦を展開、さらにその6日後、パレスチナ解放人民戦線が在クウェート日本大使館を占拠、石川良孝(大使)らを人質にして、和光らを送還し南イエメンへ脱出させることを日本政府に要求した事件(シンガポール・クウェート事件)に、中近東アフリカ局長として対応にあたり、人質解放後、日本政府が派遣した特別機に、犯人グループが南イエメンのアデンに脱出するまで人質の身代わりとして同乗した。
伊福部 昭(、1914年〈大正3年〉5月31日 - 2006… 伊福部 昭(、1914年〈大正3年〉5月31日 - 2006年〈平成18年〉2月8日)は、日本の作曲家。位階は従四位。 ほぼ独学で作曲家となった。日本の民族性を追求した民族主義的な力強さが特徴の数多くの管弦楽作品や、『ゴジラ』を初めとする映画音楽のほか、音楽教育者としても知られる。北海道出身。 1914年(大正3年)、北海道釧路郡釧路町(現・釧路市)幣舞にて、警察官僚の伊福部利三、キワの三男として生まれる。小学生の時、父が音更村の村長となったため、音更村に移る。同地でアイヌと接し、彼らの生活・文化に大きな影響を受けた。代表作の一つ、『シンフォニア・タプカーラ』(1954年)は、アイヌの人々への共感と、ノスタルジアから書かれたという。
船山 馨(ふなやま かおる、1914年3月31日 - 198… 船山 馨(ふなやま かおる、1914年3月31日 - 1981年8月5日)は、日本の小説家。船山春子の夫。次男は彫刻家の船山滋生。戦後文学の旗手として活躍し、代表作に『石狩平野』『お登勢』などがある。 北海道札幌市生まれ。実父の小林甚三郎は余市町の出身で、馨の出生当時は東北帝国大学農科大学(現・北海道大学農学部)の学生であった(後に北海道拓殖銀行などに勤務)。母方の実家の意向で母方の船山姓を名乗り、実父とも生後間もなく離別した。なお、馨によると甚三郎はクリスチャンで、トルストイなどの文学愛好者でもあったという。養父は新聞記者・森笛川。 札幌二中(現北海道札幌西高等学校)に在学中、組合教会に通った。
大刀 豊(だいとう ゆたか、1914年2月19日 - 199… 大刀 豊(だいとう ゆたか、1914年2月19日 - 1998年1月10日)は、日本の地方公務員。札幌市交通局長、札幌副都心開発公社社長などを歴任した。 北海道札幌市または石狩郡当別町出身。実家は旅館「大刀館」を営んでいた。札幌第二中学校(現・北海道札幌西高等学校)を経て、1932年に北海道帝国大学予科農類へ入り、1938年に北海道帝国大学農学部卒業、卒業論文は「インドネシアの植民政策」。 大学卒業後は満洲興業銀行に入社、日中戦争の勃発に伴い、入社から8ヶ月後の同年12月に月寒連隊に現役招集され1943年5月まで兵役につき、復職後1945年3月に満州で再招集され、北支戦線で3年間に84回の戦闘を経験し「人斬り大刀中隊長」の異名で報じられ、大尉に進むものの、その後1945年8月にソ連軍に捉えられ、戦後3年間のシベリア抑留の後、1948年に引き揚げし当別町で郵便局長を務めていた弟の家に居候しながら職を求めた。
三浦 淳史(みうら あつし、1913年11月1日 - 199… 三浦 淳史(みうら あつし、1913年11月1日 - 1997年10月13日)は、日本の音楽評論家。秋田市生まれ。イギリス音楽の第一人者として知られた。 父は北海道帝国大学工学部で冶金学の教授を務めていた。札幌第二中学校(現札幌西高等学校)で伊福部昭、佐藤忠良らと知り合う。北大予科在学中の1934年、伊福部らと共に「新音楽連盟」を結成する。当時に映画『慕情』のモデルとなるイアン・モリソン(映画ではマーク・エリオット)に英語のてほどきを受ける。その後“落第”して東北帝国大学に転じる。1940年、同大学法文学部を卒業する。ここでは村岡典嗣による日本思想史の講義を受講したという。北大予科在学中から音楽誌『月刊楽譜』に「札幌楽信」等を寄稿、戦後音楽誌の復活に伴い、音楽ジャーナリズムで活躍するようになった。
郡司 正勝(ぐんじ まさかつ、1913年7月7日 - 199… 郡司 正勝(ぐんじ まさかつ、1913年7月7日 - 1998年4月15日)は、日本の歌舞伎研究家・演劇評論家・国文学者。早稲田大学名誉教授。 1913年、北海道札幌市生まれ。北海道庁立第二中学(現北海道札幌西高等学校)を経て、1939年早稲田大学文学部国文科を卒業。大学では河竹繁俊に師事した。卒業後は、早稲田大学演劇博物館学芸員となり、同大学講師などを経て、1960年から84年まで教授を務めた。 その著作は、『郡司正勝柵定集』(全6巻)にまとめられている。故郷である札幌大学に、郡司の蔵書を納めた「郡司文庫」が設けられている。
佐藤 忠良(さとう ちゅうりょう、1912年7月4日 - 2… 佐藤 忠良(さとう ちゅうりょう、1912年7月4日 - 2011年3月30日)は、日本の彫刻家。新制作協会彫刻部創立会員。 生き生きとした女性像などをブロンズや木彫で表現した。本の装幀の仕事もこなし、福音館書店版の絵本『おおきなかぶ』の挿絵なども手がけた。出身地にある宮城県美術館には、「佐藤忠良記念館」が併設、日本で最も多い約600点の彫刻作品を収蔵。その他、滋賀県の佐川美術館の佐藤忠良記念館、札幌芸術の森「佐藤忠良記念子どもアトリエ」、国立近代美術館、国立国際美術館など、日本全国各地に佐藤忠良の作品が収蔵・展示されている。 女優の佐藤オリエは娘。作品のモデルを務めた彫刻家の笹戸千津子は弟子。
山内 壮夫(やまうち たけお、1907年(明治40年)8月1… 山内 壮夫(やまうち たけお、1907年(明治40年)8月12日 - 1975年(昭和50年)4月11日)は、日本の彫刻家。新制作協会彫刻部創立会員。郷里である北海道をはじめ、日本各地に多くの野外彫刻が設置されている。
坂本 直行(さかもと なおゆき、1906年〈明治39年〉7月… 坂本 直行(さかもと なおゆき、1906年〈明治39年〉7月26日 - 1982年〈昭和57年〉5月2日)は、北海道出身の画家。北海道開拓民。郷士坂本家8代当主。「直行」を音読みした「ちょっこう」で知られる。 討幕運動の立役者として知られる坂本龍馬は、直行の祖父・坂本直寛のおじになる。龍馬の姉・高松千鶴が、直行の曽祖母となる。 1906年、のちに郷士坂本家7代当主となる坂本弥太郎(木材商社であるKing & Schulze商会釧路支店(本社 函館市 1910年設立)が発祥の坂本商会代表)・直意夫妻の次男として現在の釧路市で出生。1911年に郷士坂本家5代当主の坂本直寛(母・直意の父で、直行の祖父)が死去、1913年釧路大火で自宅家財を焼失し直寛の経営していた農場の施設の管理・処分のために、坂本家は1914年に札幌区に転居し、札幌二中(現・札幌西高)に通った。
本郷 新(ほんごう しん 、1905年(明治38年)12月9… 本郷 新(ほんごう しん 、1905年(明治38年)12月9日 - 1980年(昭和55年)2月13日)は、日本の彫刻家。新制作協会彫刻部創立会員。息子は俳優の本郷淳、義娘(息子の妻)は柳川慶子。孫は俳優の本郷弦(無名塾所属)。 北海道札幌区(現札幌市)生まれ。父・敏慎(びんしん)は島根県松江市出身で、札幌農学校を卒業後に種苗・農具の会社を設立した。母・楯(じゅん)は山形県鶴岡市出身で、スミス女学院を卒業。キリスト教的な雰囲気の教育方針をとった。6人兄弟の次男。実家は南1条西13丁目。 1919年、旧制・札幌第二中学校(現北海道札幌西高等学校)に入学。父の経営する会社が東京に進出したことから、東京の順天中学校に転入。
高杉 年雄(たかすぎ としお、1904年(明治37年)3月2… 高杉 年雄(たかすぎ としお、1904年(明治37年)3月29日-1984年(昭和59年)1月6日)は、日本の医学者、学校経営者。医学博士(北海道帝国大学)。 青森県弘前市で出生後、北海道札幌に移住。1921年北海道庁立札幌第二中学校卒業。1928年(昭和3年)北海道帝國大学医学部卒業。1930年同医学部助手。1933年北海道帝国大学にて論題「沃度代謝と消化器との関係」にて医学博士受く。1933年北海道帝国大学医学部第二内科講師。1934年同医学部第二内科助教授。1947年北海道大学医学部内科学第三講座初代教授及び北海道大学病院医科第三内科長に任命される。1955年(昭和30年)北海道大学医学部附属病院院長。
加藤 進(かとう すすむ、1902年8月10日 - 1993… 加藤 進(かとう すすむ、1902年8月10日 - 1993年11月10日)は、日本の昭和期の官僚。正三位勲一等瑞宝章。北海道札幌市出身。 札幌二中、一高を経て、1926年に東京帝国大学法学部を卒業し、会計検査院に入る。1933年宮内省に移り、内匠寮主計課長・人事課長・総務局長などを歴任した後、1946年宮内次官、翌年宮内府次長。 1946年神奈川県を皮切りに始まった全国巡幸では、宮内大臣の松平慶民・侍従長の大金益次郎とともに企画・立案・実施の中心人物として活躍した。また、1945年12月に梨本宮守正王がA級戦犯に指名されたことから、GHQの対皇室政策に対して危機感を抱き、皇室・直宮家保全の立場から1947年の皇籍離脱を積極的に推し進めた。
室谷 賢治郎(むろや けんじろう、1900年2月25日 - … 室谷 賢治郎(むろや けんじろう、1900年2月25日 - 1975年)、日本の経営学者。専門は商学、中小企業の経営について研究。小樽商科大学名誉教授。札幌短期大学学長、札幌商科大学初代学長、亜細亜大学教授などを務めた。
田辺 凌天(たなべ りょうてん、9月7日 - )は、講談協会… 田辺 凌天(たなべ りょうてん、9月7日 - )は、講談協会所属の講談師。 北海道札幌市出身。北海道札幌西高校卒業、北海道教育大学教育学部卒業、日本大学大学院芸術学研究科修了。司法書士事務所やテレビ番組制作会社に勤務。 2015年8月、田辺凌鶴に入門。11月より前座となり、「凌天」を名乗る。 2021年4月、二ツ目昇進。
藤原 規眞 は、日本の政治家、弁護士。衆議院議員(1期)を務… 藤原 規眞 は、日本の政治家、弁護士。衆議院議員(1期)を務めた。
加藤 哉子(かとう かなこ、5月8日生)は、日本の作詞家、歌… 加藤 哉子(かとう かなこ、5月8日生)は、日本の作詞家、歌手。北海道中川郡幕別町出身。北海道札幌西高等学校卒業、北海学園大学経済学部経営学科卒業。愛称は「かーちん」。 2000年5月、バンドCANNABISで(ボーカル担当)、ワーナーミュージック・ジャパンからメジャーデビュー。プロデュースは亀田誠治。シングル3枚、アルバム2枚をリリースするものの、2003年に解散。 2001年から2003年まで、MTVジャパン再開局当時の第1期VJとしても活動。 CANNABIS解散後は、コーラス参加や他アーティストへの作詞提供など、ボーカル以外の分野へも活動の幅を広げる。 2003年、平岡恵子(ex.桃乃未琴)と2人組ユニットのトリマトリシカを結成、2006年まで精力的に活動。