坂本 和一(さかもと かずいち、1939年10月31日 - … 坂本 和一(さかもと かずいち、1939年10月31日 - )は、日本の経済学者。立命館大学名誉教授、学校法人立命館評議員。専門は、現代企業論、アジア太平洋学。石川県生まれ。
茨城県立土浦第一高等学校:97人
坂本 和一(さかもと かずいち、1939年10月31日 - … 坂本 和一(さかもと かずいち、1939年10月31日 - )は、日本の経済学者。立命館大学名誉教授、学校法人立命館評議員。専門は、現代企業論、アジア太平洋学。石川県生まれ。
安藤 統男(あんどう もとお、本名・安藤 統夫※読み同じ、1… 安藤 統男(あんどう もとお、本名・安藤 統夫※読み同じ、1939年4月8日 - )は、茨城県土浦市出身(兵庫県西宮市生まれ)の元プロ野球選手(内野手)・コーチ・監督、解説者・評論家。 兵庫県西宮市平松町で出生後に、実父の転勤で土浦市内に転居。土浦一高進学後は、2年次の1956年まで木内幸男監督の指導を受け、3年次の1957年夏に遊撃手兼控え投手として夏の甲子園へ出場。山本秀一を擁する県和歌山商との初戦に勝利したものの、高木守道を擁する県岐阜商の前に完封負けを喫した。 高校卒業後は1958年に慶應義塾大学へ進学。東京六大学野球リーグでは優勝に届かなかったが、3年次の1960年秋季リーグの早慶六連戦では一番打者、遊撃手として活躍。
岡野 義光(おかの よしみつ、1938年11月28日 - )… 岡野 義光(おかの よしみつ、1938年11月28日 - )は、茨城県つくば市出身の元プロ野球選手(捕手、一塁手、外野手)。 土浦第一高校では、捕手として1956年春季関東大会県予選決勝に進出するが水戸商に惜敗。夏の甲子園県予選でも準決勝に進むが水戸一高に敗れる。高校の1年下に安藤統男がいた。 明治大学に進学。1年上に佐々木勲がおり、その後継として4年生からレギュラーとなる。東京六大学野球リーグでは優勝に届かなかった。卒業後は三協精機へ入社。1962年の産業対抗では準々決勝に進むが東黎工業に敗退。 強肩に定評があり、1962年シーズン途中に中日ドラゴンズへ入団。当時の中日は吉沢岳男が近鉄に移籍し、中心打者の江藤慎一を捕手に回すなど苦しい状況にあり、一軍定着が期待された。
柳生 博(やぎゅう ひろし、1937年〈昭和12年〉1月7日… 柳生 博(やぎゅう ひろし、1937年〈昭和12年〉1月7日 - 2022年〈令和4年〉4月16日)は、日本の俳優、司会者、タレント、声優、団体役員。 茨城県稲敷郡舟島村(現在の阿見町)出身。茨城県立土浦第一高等学校卒業。東京商船大学(現在の東京海洋大学)中退。竹内事務所に所属していた。 作庭家(庭師)としても活動し、第5代日本野鳥の会会長・名誉会長を務め、コウノトリファンクラブ会長も務めた。身長175cm。血液型O型。 柳生新陰流で知られる柳生宗厳(柳生氏)の末裔にあたる家系に誕生。 船員を目指し大学に入学したが、視力が悪く断念。その後体調を崩し中退。 その後、役者を志し、劇団俳優座の養成所へ入所。
石田 晴久(いしだ はるひさ、1936年10月30日 - 2… 石田 晴久(いしだ はるひさ、1936年10月30日 - 2009年3月9日)は、日本の計算機科学者。東京大学名誉教授、サイバー大学IT総合学部長。アイオワ州立大学でPh.D取得。 C言語のリファレンス本であった「The C Programming Language」(通称「K&R」)の日本語版「プログラミング言語C」の訳者としても有名。他にUNIX関連の著書、訳書を多数執筆した。東京大学時代には大型計算機センター長として、慶應義塾大学の村井純らと共に日本におけるインターネットの基礎を築いた。大学の仕事、一般向けの著作活動以外にも技術の普及、広報に力を注いだ。 1936年、台湾に生まれる。茨城県立土浦第一高等学校を経て、1959年東京大学理学部物理学科卒業、1961年東京大学大学院数物系研究科物理学専門課程修士課程修了。
狩野 明男(かのう あきお、1934年〈昭和9年〉10月2日… 狩野 明男(かのう あきお、1934年〈昭和9年〉10月2日 - 1992年〈平成4年〉2月26日)は、日本の政治家。衆議院議員(2期)、参議院議員(1期)。選挙に立候補するときは「かのう 明男」という表記だった。 1934年(昭和9年)10月3日、神奈川県三浦郡葉山町生まれ。茨城県新治郡志士庫村(後の出島村、霞ヶ浦町を経て現在のかすみがうら市)出身。 1941年(昭和16年)4月、志士庫村立宍倉国民学校入学。小学2年生のときに父がニューギニアの戦いで戦死し、母も6年生のとき死去、狩野他3人の兄弟は親戚で別々に育てられる。1947年(昭和22年)4月、荏原中学校入学。1950年(昭和25年)4月、茨城県立土浦第一高等学校入学。
川田 喜久治(かわだ きくじ、1933年1月1日 - )は、… 川田 喜久治(かわだ きくじ、1933年1月1日 - )は、日本の写真家。茨城県土浦市出身。立教大学経済学部卒業。 1933年 1月1日、現在の茨城県土浦市で冷凍事業会社を経営する家庭に生まれる。姉1人、兄1人の3人兄弟。茨城県立土浦第一高等学校に入学。後に東京・池袋にある立教高等学校に編入。毎朝、「マタイ受難曲」など賛美歌を歌う学生生活を送った。高校卒業時に伊豆長岡温泉で遊び、芸者をモデルに撮影した作品を土門拳・木村伊兵衛が審査員を務める『カメラ』に応募する(特選を獲得)。立教大学経済学部経済学科に入学し、写真部に在籍。写真部の共同制作として「池袋」のドキュメントを撮影。1955年 - 卒業後、新潮社に入社。
栗原 行雄(くりはら ゆきお、1933年 - )は、英文学の… 栗原 行雄(くりはら ゆきお、1933年 - )は、英文学の翻訳家、元早稲田大学教授。 茨城県出身。茨城県立土浦第一高等学校を経て、早稲田大学文学部卒。勤務のかたわら文芸作品の翻訳を行い、のち早大法学部教授を2002年まで務めた。羽成行央の別名での翻訳もある。
海野福寿(うんの ふくじゅ、1931年 - )は、日本史学者… 海野福寿(うんの ふくじゅ、1931年 - )は、日本史学者、明治大学名誉教授。専門は日本近代史。
倉田 弘(くらた ひろし、1930年〈昭和5年〉9月21日 … 倉田 弘(くらた ひろし、1930年〈昭和5年〉9月21日 - 2018年〈平成30年〉4月15日)は、昭和時代後期から平成時代の政治家。茨城県新治郡桜村長、つくば市長。 茨城県新治郡桜村栗原(現つくば市栗原)出身。1948年(昭和23年)茨城県立土浦中学校卒業。桜村助役を経て、1983年(昭和58年)桜村長に就任した。村長在任中は合併協議が難航する中で、6町村の合併を呼び掛け、協議をまとめ上げ、新市誕生に尽くした。1987年(昭和62年)11月30日、筑波郡谷田部町、大穂町、豊里町、新治郡桜村の3町1村が新設合併しつくば市が誕生。当初の市役所は旧第一圏民センター(現市民ホールやたべ)に置かれ、市長職務代理者には木村操旧谷田部町長が就任し、倉田は稲葉勝行旧大穂町長、野堀豊定旧豊里町長とともに副市長に就任した。
海老原 義彦(えびはら よしひこ、1928年(昭和3年)10… 海老原 義彦(えびはら よしひこ、1928年(昭和3年)10月7日 - )は、日本の官僚、政治家。元総理府次長。元参議院議員。日本会議代表委員。
川上 宏昭(かわかみ ひろあき、1927年11月6日 - )… 川上 宏昭(かわかみ ひろあき、1927年11月6日 - )は、日本の作詞家。別名義に日野 あきら(ひの あきら)がある。 茨城県水戸市出身。旧制土浦中学校(現在の茨城県立土浦第一高等学校)を経て1948年(昭和23年)に明治学院専門学校(現在の明治学院大学)を卒業。茨城県内の中学校・高等学校で教諭を務める。1963年(昭和38年)、県が歌詞を公募した「茨城県民の歌」で応募作が入選。これ以後も第29回茨城国体記念の国体音頭や県内の校歌・幼稚園の園歌などの作詞を多数手掛けている。 1964年(昭和39年)に茨城県庁へ入庁し、教育庁社会教育課主事・県立水戸青年の家所長・県立社会教育研修センター所長等を経て1982年(昭和57年)に社会教育課長へ至る。
幡谷 祐一(はたや ゆういち、1923年10月6日 - 20… 幡谷 祐一(はたや ゆういち、1923年10月6日 - 2018年1月11日)は、日本の実業家。茨城県東茨城郡小川町(現在の小美玉市)生まれ。 その他、茨城県特別功績章、自治大臣表彰、警察協力章、警視総監章、暴力追放栄誉金章、交通栄誉章緑十字金章など。
鶴岡 義雄(つるおか よしお、1917年 <大正6年> 4月… 鶴岡 義雄(つるおか よしお、1917年 <大正6年> 4月13日 - 2007年 <平成19年> 10月27日)は、茨城県土浦市出身の洋画家。代表作に「マドモアゼル・シリーズ」がある。日本芸術院会員。サロン・ドートンヌ会員。二科会常務理事。位階は従四位。 旧制土浦中学校(現在の茨城県立土浦第一高等学校)卒業。日本美術学校卒業。1941年、二科展初入選、1947年、二科賞、1950年、二科会員。1974年、二科展総理大臣賞、日本赤十字社銀色有功章。1980年、二科会常務理事、1981年、インターナショナルアメリカ展グランプリ、1990年、二科展で日本芸術院賞受賞、1993年、勲四等旭日小綬章受章。
茂在 寅男(もざい とらお、1914年2月10日 - 201… 茂在 寅男(もざい とらお、1914年2月10日 - 2013年5月31日)は、日本の工学博士(航海計器学)、作家、水中考古学(海洋考古学)研究者。 茨城県筑波郡筑波町大字北条(現・つくば市北条)出身、千葉県市川市に在住していた。勲三等旭日中綬章、東京商船大学(現・東京海洋大学)名誉教授、英国王立航海研究所名誉会員、日本水中考古学会副会長。ペンネームは、油棚憲一(あぶらだな けんいち)、茂在公望(もざい こうぼう)、鬼怒川公望(きぬがわ こうぼう)、他。 日本で初めてヨットを製作する。土浦中学校(現・茨城県立土浦第一高等学校)、東京高等商船学校(現・東京海洋大学)航海科卒業後、日本郵船を経て、鳥羽商船学校、東京高等商船学校(東京商船大学を含む)、横浜国立大学、東京大学、東海大学で教鞭をとりながら、先端研究分野である船舶のオートパイロットを視野にいれた航海計器の近代航海術の技術開発研究を行う。
池田 峯雄(いけだ みねお、1911年8月30日 - 199… 池田 峯雄(いけだ みねお、1911年8月30日 - 1998年12月3日)は、日本の農民運動家、政治家。衆議院議員(日本共産党公認、1期)を務めた。日本農民組合 (統一派)中央常任委員及び同常総同盟委員長などを歴任。 茨城県筑波郡作岡村安食(現在のつくば市安食)の小地主の家に生まれる。茨城県立下妻中学校(現在の茨城県立下妻第一高等学校)3年の時に、父の経営する会社が倒産し、新治郡土浦町(現在の土浦市)へ移住。同地の茨城県立土浦中学校(現在の茨城県立土浦第一高等学校)を卒業後、結城郡宗道村(現在の下妻市)で代用教員に就く。この間、土浦中学校同級生の小林孝祐を介して文化サークルに参加、加藤四海ら全日本農民組合連合会(全農)関係者と親交を深めた。
東郷 正延(とうごう まさのぶ、1908年7月13日 - 2… 東郷 正延(とうごう まさのぶ、1908年7月13日 - 2002年2月13日)は、日本のロシア語学者。 茨城県生まれ。土浦中学校(現在の茨城県立土浦第一高等学校)卒業。1931年東京外国語学校ロシヤ語科卒業。ソ連通商代表部、陸軍幼年学校ロシア語教官となり1945年の敗戦を迎える。1947年東京外事専門学校助教授、1949年東京外国語大学助教授、1957年教授、1971年定年退官、名誉教授。東京ロシア語学院院長。日本ロシア文学会会長。
色川 幸太郎(いろかわ こうたろう、1903年1月30日 -… 色川 幸太郎(いろかわ こうたろう、1903年1月30日 - 1993年8月5日)は日本の弁護士、最高裁判所裁判官。 千葉県出身。旧制土浦中学校(現在の土浦第一高等学校)、旧制第二高等学校卒業。東京帝国大学在学中に高文司法科試験に合格。1927年4月に大学卒業とともに弁護士となった。大阪の農民組合から法律顧問の水谷長三郎の後任を依頼されて大阪で開業し、関西で住むことになった。1947年、色川法律事務所を開設。 戦前は日本農民組合顧問として小作争議を支援。労働法に精通し、リベラル派として知られた。 戦中は陸軍に召集され法務将校として勤務。最終階級は法務中尉。 戦後は大阪地方公共企業体等調停委員、大阪市人事委員などを長く務め、大阪弁護士会会長も歴任。
金塚 孝(かなつか たかし、1902年(明治35年)8月5日… 金塚 孝(かなつか たかし、1902年(明治35年)8月5日 - 1973年(昭和48年)10月20日)は、大正から昭和期の実業家、政治家。衆議院議員。 茨城県新治郡真鍋町(土浦市大字真鍋を経て、現在は土浦市真鍋)で生まれる。1919年(大正8年)、茨城県立土浦中学校(現在の茨城県立土浦第一高等学校)を卒業した。 日神酒造社長、ニッシン興業社長、湖南通運専務取締役、アサヒ産業社長、土浦商工会議所会頭などを務めた。 1947年(昭和22年)、茨城県議会議員に当選。民主党に所属して同党茨城県支部総務に就任。1948年(昭和23年)に県議を辞職し、1949年(昭和24年)1月に実施された第24回衆議院議員総選挙で茨城県第3区に民主党公認で出馬して当選し、その後改進党に所属して衆議院議員に1期在任した。
中西 秀男(なかにし ひでお、1901年3月20日 - 19… 中西 秀男(なかにし ひでお、1901年3月20日 - 1996年3月30日)は、日本の英文学者、翻訳家。早稲田大学名誉教授。 茨城県土浦市生まれ。茨城県立土浦中学校を経て、1921年早稲田大学高等師範部英語科卒業。早稲田中学校専任教諭となり、46年まで務める。戦後47年母校講師、48年助教授、49年早大教育学部教授、71年定年退任、名誉教授。多くの翻訳をおこなった。
小野瀬 忠兵衛(小野瀨忠兵衞、おのせ ちゅうべえ、1899年… 小野瀬 忠兵衛(小野瀨忠兵衞、おのせ ちゅうべえ、1899年(明治32年)8月21日 - 1977年(昭和52年)12月11日)は、日本の政治家、実業家。衆議院議員(3期)。 茨城県新治郡九重村生まれ、同県河内郡龍ケ崎町出身。旧制土浦中学校(現茨城県立土浦第一高等学校)、慶應義塾大学部理財科を卒業後、興亜製作所社長、茨城県塩業株式会社取締役。 次いで茨城県肥料卸商業組合、竜ヶ崎地方生活必需品配給統制組合、同食料品配給統制組合、同食糧営団格理事長。1946年(昭和21年)の第22回衆議院議員総選挙に茨城全県区から出馬し当選。衆議院経済安定委員長となり、茨城県司法保護委員。日本進歩党院内総務、民主党民情部長、民主自由党会計監督を務める。
菊田 七平(きくた しちへい、1897年(明治30年)8月2… 菊田 七平(きくた しちへい、1897年(明治30年)8月20日 - 1976年(昭和51年)11月16日)は、大正から昭和期の実業家、政治家。参議院議員(1期)、茨城県議会議長。 茨城県新治郡真鍋町殿里(現在の土浦市殿里)で、旧家・菊田広恵の長男として生まれる。1912年(大正元年)茨城県立土浦中学校(現在の茨城県立土浦第一高等学校)を卒業した。 土浦商工会議所会頭、湖南通運社長、環産業社長、高津油機社長、霞ケ浦食品工業社長、日神酒造社長、丸果生果社長、関東銀行(現在の筑波銀行)取締役会長などを務めた。その他、茨城県農業会長、同県蚕種協同組合長、同県観光連盟会長、新治郡真壁町農会長、同町産業組合専務理事などに在任した。
高田 保(たかた たもつ / たかだ たもつ、1895年(明… 高田 保(たかた たもつ / たかだ たもつ、1895年(明治28年)3月28日 - 1952年(昭和27年)2月20日)は、茨城県出身の劇作家、随筆家。俳号は羊軒。母方の従兄に近世文学研究者の山口剛がいる。 1895年、茨城県新治郡土浦町(現在の土浦市)の旧家に生まれる。子供の頃より気遣いが出来てまた話も面白く、同級の者以外とも交流するなど人望が厚かったという。旧制土浦中学校(現在の茨城県立土浦第一高等学校)を経て早稲田大学英文科へと進んだ。大学在学中から新劇運動に参加して宇野浩二を知るようになる。また、在学中に創立者・大隈重信の妻の銅像を建てるかの問題で「銅像事件」と呼ばれる騒動が起きるが、その時代を描いた尾崎士郎の小説『人生劇場・青春編』に、高田をモデルとした「吹岡早雄」という人物が登場している。
下村 千秋(しもむら ちあき、男性、1893年9月4日 - … 下村 千秋(しもむら ちあき、男性、1893年9月4日 - 1955年1月31日)は、日本の作家。 茨城県信太郡朝日村(稲敷郡朝日村を経て、現在の阿見町)生まれ。1908年、茨城県立土浦中学校(現在の茨城県立土浦第一高等学校)へ進む。1919年、早稲田大学英文科卒業後、読売新聞社に入社し社会部記者となるが同年12月に退社し、文筆活動に入る。小説・短歌・戯曲などを発表するほか、ゴーリキー全集の翻訳も行う。1923年、結婚を機に東京市役所労務課翻訳係に就職するが、8ヵ月で退職して再び作家生活に入る。主に『赤い鳥』などに童話を発表した。 昭和時代に入ると、私娼を描いた「天国の記録」(『中央公論』1930年7月)で有名となり、「ルンペン小説」の作家として有名となる。
高杉 晋一(たかすぎしんいち、1892年(明治25年)3月1… 高杉 晋一(たかすぎしんいち、1892年(明治25年)3月1日 - 1978年(昭和53年)6月6日)は、日本の実業家。 1892年3月1日、茨城県鉾田町の高杉健作の子として生まれる。1910年(明治43年)、土浦中学校卒業(岡野保次郎と同期)。第二高等学校を経て、1917年(大正6年)東京帝国大学法学部を卒業。 同年三菱合資銀行部に入社。名古屋支店長を経験し、監査、取締常務を歴任する。1947年(昭和22年)1月、三菱電機社長となる。1956年(昭和31年)11月、三菱電機会長となる。1962年(昭和37年)、同会長を退任。 1964年(昭和39年)12月14日、日韓会談における日本側首席代表の杉道助が死去。
川並 密(かわなみ ひそか / みつ、1891年〈明治24年… 川並 密(かわなみ ひそか / みつ、1891年〈明治24年〉3月22日 - 1978年〈昭和53年〉11月4日)は、日本の陸軍軍人。最終階級は陸軍中将。 茨城県出身。土浦中学校を経て、1912年(明治45年)5月、陸軍士官学校(24期)を卒業。同年12月、陸軍歩兵少尉任官。1923年(大正12年)11月、陸軍大学校(35期)を卒業。陸軍歩兵学校勤務となる。 1936年(昭和11年)8月、歩兵大佐に昇進し歩兵学校教官に就任した。1937年(昭和12年)3月、陸軍通信学校教育部長に異動。同年9月、歩兵第6連隊長に戦死した前任者の後任として着任し日中戦争に出征。南京攻略戦、徐州会戦、武漢作戦に参加した。
永瀬 義郎(ながせ よしろう、1891年1月5日 - 197… 永瀬 義郎(ながせ よしろう、1891年1月5日 - 1978年3月8日)は、日本の版画家、画家。茨城県出身。大正初期の時代から昭和にかけて旺盛なる創作活動を続け、版画や油絵により、自分の信ずる「美の世界」を表現するために、様々な手法を試み社会に問い続けた。また、著書「版画を作る人へ」はその後の版画家たちへ影響を与えた。 茨城県西茨城郡北那珂村入野(現在の桜川市)に生まれる。土浦中学時代より絵画に興味を持ち始め、熊岡美彦、矢口達、高田保らと知り合う。1904年に創刊された美術雑誌『みずゑ』に水彩画を応募し、画家になることを本格的に意識し始める。東京美術学校(現在の東京藝術大学)彫刻科に入学するもすぐに中退。
矢口 達(やぐち たつ、1889年9月20日 - 1936年… 矢口 達(やぐち たつ、1889年9月20日 - 1936年4月4日)は、日本の英文学者、翻訳家。 茨城県新治郡高浜町(現在の石岡市)生まれ。土浦中学校在学中には、一期上の熊岡美彦や同期の永瀬義郎らと交流を持つ。1913年早稲田大学英文科卒業。 日夏耿之介らの『聖盃』同人。東京府立第三中学校(現在の東京都立両国高等学校・附属中学校)教師、早稲田高等学院教授、早稲田大学講師を歴任。 息子はエッセイストの矢口純。
熊岡 美彦(くまおか よしひこ、1889年3月9日 - 19… 熊岡 美彦(くまおか よしひこ、1889年3月9日 - 1944年10月1日)は茨城県出身の洋画家。 石岡市生まれ。実家は製糸業を営む素封家。石岡第一尋常小学校在学中に地元の南画家・鬼沢小蘭に日本画を学ぶ。土浦中学校を経て、1909年東京美術学校西洋画科に入学し和田英作、藤島武二に師事する。同期の首席は萬鉄五郎。1913年同校卒。1926年、第1回帝国美術院賞を受賞する。同年フランスへ遊学。1929年帰国。1932年、斎藤与里らとともに東光会を結成。 1939年(昭和14年)4月、陸軍美術協会が発足するに当たり発起人の一人として名を連ねた。同年『珠江口掃海』『虎門要塞攻撃』を第5回海洋美術展に出品。
天谷 虎之助(あまがい とらのすけ、1889年2月17日 -… 天谷 虎之助(あまがい とらのすけ、1889年2月17日 - 1977年3月6日)は、内務官僚。第6・7代茨城県土浦市長。 茨城県出身。茨城県立土浦中学校、第二高等学校を経て、1913年(大正2年)、東京帝国大学法科大学政治科を卒業した。高等文官試験に合格し、愛媛県属、同警視、同周桑郡長、同理事官、宮崎県理事官、福岡県理事官、福島県警察部長、岡山県警察部長、愛知県警察部長、京都府警察部長、秋田県内務部長、群馬県内務部長、福井県内務部長を歴任し、勅任官待遇となった。1932年(昭和7年)、退官。 その後、高松宮家嘱託、大正大学講師を務めた。 戦後は茨城県監査委員を務め、1951年(昭和26年)、土浦市長に初当選し1959年(昭和34年)まで2期務めた。
天谷 丑之助(あまがい うしのすけ、1888年〈明治21年〉… 天谷 丑之助(あまがい うしのすけ、1888年〈明治21年〉2月18日 - 1974年〈昭和49年〉7月15日)は、日本の政治家。茨城県土浦市長(3期)。位階は正五位。勲四等旭日小綬章。 茨城県出身。旧制土浦中学校(現・茨城県立土浦第一高等学校・附属中学校)を経て、1909年に早稲田大学商学部を卒業する。1919年に茨城県会議員となり、この間、1927年から真鍋町長も務めた。1931年10月に第36代茨城県会議長となる。1935年10月に議長を退任する。1936年の第19回衆議院議員総選挙では原脩次郎の後継者として茨城3区から立憲民政党公認で立候補したが落選した。 戦後の1947年、土浦市長選挙に立候補して当選した。
武井 大助(たけい だいすけ、1887年(明治20年)4月2… 武井 大助(たけい だいすけ、1887年(明治20年)4月25日 - 1972年(昭和47年)3月30日)は、日本の海軍軍人、実業家。最終階級は海軍主計中将。昭和産業・安田銀行・文化放送の社長を務めた。1940年勲一等旭日大綬章受章。 現在の茨城県土浦市田村町で、武井松太郎の三男として生まれる。旧制土浦中学校(茨城県立土浦第一高等学校の前身)卒業後、明治37年(1904年)7月、東京高等商業学校予科(一橋大学の前身)に入学し、翌月、海軍主計学生となる。一橋では福田徳三に師事し千駄ヶ谷の福田邸での読書会にも参加した。しかし、緒方竹虎らとともに申酉事件のリーダーとしての責任をとり専攻部へは進まず、明治42年(1909年)に本科卒業後、海軍少主計に任官し海軍経理学校乙種で学ぶ。
風見 章(かざみ あきら、1886年〈明治19年〉2月12日… 風見 章(かざみ あきら、1886年〈明治19年〉2月12日 - 1961年〈昭和36年〉12月20日)は、日本の政治家。位階は正三位。立憲民政党、国民同盟、日本社会党に所属し、衆議院議員を9期務めた。第1次近衛内閣で内閣書記官長、第2次近衛内閣で司法大臣を歴任。茨城県豊田郡水海道町(現在の常総市)出身。水海道市名誉市民。 茨城県豊田郡水海道町高野の農家に、二男三女の末子として生まれる。1898年、旧制土浦中学校(現在の茨城県立土浦第一高等学校)に入学(風見は入学者中最年少であり、周囲は年上ばかりだったという)。その後、家からの距離が遠かったため旧制下妻中学校(現在の茨城県立下妻第一高等学校)に転入する。
高須 四郎(たかす しろう、1884年10月27日 - 19… 高須 四郎(たかす しろう、1884年10月27日 - 1944年9月2日)は、日本の海軍軍人。海軍兵学校35期。最終階級は海軍大将。 1884年10月27日、茨城県稲敷郡桜川村(現・稲敷市)に生まれる。旧制土浦中学校(現・土浦第一高等学校)を経て、1907年(明治40年)11月20日、海軍兵学校35期を172名中10位で卒業。1917年(大正6年)12月1日、海軍大学校甲種学生(17期)。 1923年(大正12年)6月1日、在イギリス大使館付武官補佐官。 1932年(昭和7年)5月15日、五・一五事件発生。高須は軍令部出仕兼海軍省出仕として、この事件の海軍側関係者を裁く軍法会議の判士長を務めた。
山口 剛(やまぐち たけし、1884年(明治17年)3月1日… 山口 剛(やまぐち たけし、1884年(明治17年)3月1日 - 1932年(昭和7年)10月8日)は、日本の国文学者・中国文学者。早稲田大学教授。号は、聾阿弥・聾不言・不言斉主人など。 山口常太郎・なか夫妻の長男として、1885年(明治18年)茨城県新治郡土浦町(現:土浦市)に生まれた。父・常太郎は土浦小学校の校長を務め、退職後は代言人の傍ら俳句・新体詩を指導していた。 剛も土浦中学校(現:茨城県立土浦第一高等学校)から早稲田大学高等師範部卒業(現:早稲田大学教育学部)へと進学し、1912年(大正元年)に早稲田大学講師。更に、早稲田大学高等学院教授(1920年 / 大正9年)・早稲田大学高等師範部・文学部教授(1924年/大正13年)を歴任。
西 美香(にし みか、2月19日 - 、出生年非公表)は、日… 西 美香(にし みか、2月19日 - 、出生年非公表)は、日本のナレーター・声優。 茨城県土浦市出身。茨城県立土浦第一高等学校、立教大学卒業。東京アナウンスセミナーの6期生。 2006年4月にチューリップテレビに入社し、同局のアナウンサーになる。 2012年に第37回(2011年度)アノンシスト賞の「テレビ 読み・ナレーション部門」で優秀賞を、2023年に第48回(2022年度)アノンシスト賞の「CM部門」で最優秀賞を受賞した。また、2022年10月に気象予報士の資格を取得した。 その後体調を崩したことを理由に、2023年5月に自らの意思で内勤部署へ配置転換してもらったことを公表した。ただし異動後も、番組ナレーションなどの一部の業務は引き続き行っていた。
菊池 真以 は、日本の気象予報士、防災士、健康気象アドバイザ… 菊池 真以 は、日本の気象予報士、防災士、健康気象アドバイザー。ウェザーマップ所属。
宮崎 仁 は日本の大蔵技官。三重県副知事、経済企画庁総合開発… 宮崎 仁 は日本の大蔵技官。三重県副知事、経済企画庁総合開発局長、経済企画庁国民生活局長、経済企画庁総合計画局長、経済企画事務次官、石油公団副総裁、アラビア石油副社長、同社社長、同社会長などを歴任。
田山 正雄 は、日本のプロレスのレフェリーである。
藤川 雅海 は、日本の実業家。筑波銀行元代表取締役頭取、現代… 藤川 雅海 は、日本の実業家。筑波銀行元代表取締役頭取、現代表取締役会長。
中野 政樹 は、日本の金属工芸史の研究者。
岩崎 宏之 は、日本の歴史学者。筑波大学名誉教授。
堀健 太朗 は、日本の理論物理学者、数理物理学者。東京大学カ… 堀健 太朗 は、日本の理論物理学者、数理物理学者。東京大学カブリ数物連携宇宙研究機構教授。専門は弦理論。ミラー対称性や弦理論を通じ「数学分野の統合」を視野にいれた研究をしている。
池田 誠 は、日本の中国史学者。法学博士(立命館大学・論文博… 池田 誠 は、日本の中国史学者。法学博士(立命館大学・論文博士・1973年)(学位論文「中国現代政治史」)。立命館大学名誉教授。専門は中国現代史。
後藤 康雄 は、日本の経営者。はごろもフーズ代表取締役会長。… 後藤 康雄 は、日本の経営者。はごろもフーズ代表取締役会長。創業者後藤磯吉の次男。
大和田 秀樹(おおわだ ひでき)は、日本の漫画家。茨城県立土… 大和田 秀樹(おおわだ ひでき)は、日本の漫画家。茨城県立土浦第一高校卒業。東北大学工学部中退。
星野 由子(ほしの ゆうこ、旧姓:森本)は、日本の英語教育学… 星野 由子(ほしの ゆうこ、旧姓:森本)は、日本の英語教育学者。千葉大学教育学部准教授。専門は英語教育および外国語教育。語彙習得、語彙テスト開発、英語教育支援ツールの開発に取り組んでいる。博士(言語学)。 英語教育、外国語教育、語彙習得、語彙テスト開発、英語教育支援ツールの開発。