野中 成夫(のなか しげお、1938年(昭和13年) - )… 野中 成夫(のなか しげお、1938年(昭和13年) - )は、日本の独文学者。信州大学名誉教授。専門は近代ドイツ文学。 1956年、群馬県立沼田高等学校卒業。 1966年、早稲田大学大学院博士課程を修了。のち、信州大学教授を務めた。 2016年、秋の叙勲で瑞宝中綬章を受章した。
群馬県立沼田高等学校:98人
野中 成夫(のなか しげお、1938年(昭和13年) - )… 野中 成夫(のなか しげお、1938年(昭和13年) - )は、日本の独文学者。信州大学名誉教授。専門は近代ドイツ文学。 1956年、群馬県立沼田高等学校卒業。 1966年、早稲田大学大学院博士課程を修了。のち、信州大学教授を務めた。 2016年、秋の叙勲で瑞宝中綬章を受章した。
見城 慶和(けんじょう よしかず、1937年〈昭和12年〉1… 見城 慶和(けんじょう よしかず、1937年〈昭和12年〉11月27日 - )は、日本の夜間中学教師。山田洋次監督の映画『学校』(第1作)の主人公のモデルの一人として知られる。群馬県沼田市出身。 群馬県立沼田高等学校から東京学芸大学を卒業。大学卒業前にふと立ち寄った本屋で見つけた塚原雄太の『夜間中学生』に感銘を受け、夜間中学の教員になる決意をする。 地方公務員の教員となり、1961年から42年間、都内の公立中学校夜間部に国語担当教師として勤務。1993年には、見城らをモデルにした『学校』が公開される。1999年には長年の実績が評価され吉川英治文化賞を受賞。2003年の定年退職後もなお、夜間中学生を中心にした学びの場「えんぴつの会」を運営している。
平野 長靖(ひらの ちょうせい、1935年〈昭和10年〉8月… 平野 長靖(ひらの ちょうせい、1935年〈昭和10年〉8月24日 - 1971年〈昭和46年〉12月1日)は、日本の自然保護運動家。群馬県利根郡片品村出身。高度経済成長の中、尾瀬を自然破壊から守った人物として有名である。 尾瀬沼畔で山小屋・「長蔵(ちょうぞう)小屋」を経営する平野長英の長男として生まれる。沼田国民学校、片品中学校、群馬県立沼田高等学校を経て1954年に京都大学に進学。1959年に京都大学文学部国史学科を卒業した。大学卒業後は北海道新聞社に入社したが、家業を継承する予定であった弟が死亡したため、1963年に退職。長蔵小屋の3代目経営者となった。 当時は日本各地で道路建設が相次ぎ、1966年に着工された、大清水から尾瀬へ乗り入れ沼山峠と結ぶ自動車用道路(現在の国道401号線にあたる)建設も進もうとしていた。
中町 信(なかまち しん、1935年1月6日 - 2009年… 中町 信(なかまち しん、1935年1月6日 - 2009年6月17日)は、日本の小説家・推理作家。群馬県沼田市生まれ。早稲田大学第一文学部独文科卒業。本名は同じ字であきらと読む
楠部 大吉郎(くすべ だいきちろう、1934年12月10日 … 楠部 大吉郎(くすべ だいきちろう、1934年12月10日 - 2005年8月27日)は、日本の男性アニメーター。シンエイ動画株式会社創立者・前会長。旧・満洲国生まれ、群馬県沼田市出身。シンエイ動画2代目社長の楠部三吉郎は実弟。楠部工、楠部文は子。 満洲国に生まれる。戦後引き揚げて群馬県沼田市に住む。群馬県立沼田高等学校を卒業。彫刻家を志望し、東京芸術大学を3度受験したが合格できず、断念する。1957年に漫画を書き光文社の『少年』に持ち込みをする。光文社との打ち合わせで東映動画設立の話を聞き、完成したばかりの大泉スタジオを訪ねる。そこで山本早苗と面談し、アニメーター募集に応募することを決める。同社の第1回目の一般公募で入社。
堤 貞夫(つつみ さだお、1934年〈昭和9年〉10月30日… 堤 貞夫(つつみ さだお、1934年〈昭和9年〉10月30日 - )は、日本の鉱床学者(地球科学者)。工学博士。早稲田大学名誉教授。専門は鉱物学。群馬県利根郡久呂保村(現:昭和村)生まれ。 群馬県立沼田高等学校を経て、1957年早稲田大学第一理工学部鉱山学科を卒業。1962年、同大学院理工学研究科博士課程を修了。1965年工学博士(早稲田大学)。同年より同大学教育学部助手、講師、助教授を経て1975年教授。1986年から1990年にかけて教育学部長、1990年から1993年まで早稲田実業学校理事長、1995年から2003年まで早稲田中・高等学校長を歴任。2005年3月定年退職、名誉教授。 大学では稲門地学会会長、循環型環境技術研究会会長、また1981年から2005年までバスケットボール部の部長を務めた。
園部 勝(そのべ まさる、1934年〈昭和9年〉3月23日 … 園部 勝(そのべ まさる、1934年〈昭和9年〉3月23日 - )は、日本のスキー指導者。群馬県出身。 1934年(昭和9年)、群馬県利根郡水上町(現・みなかみ町)に、園部良雄の次男として生まれる。幼少から園部ヒュッテ前インターハイ発祥の地大穴スキー場でスキーを学ぶ。群馬県立沼田高等学校卒業後、国鉄大井工場で勤務。 法政大学に入学し、全日本学生選手権・全日本選手権を制覇。法政大学を中退し、1961年(昭和36年)プロに転向。1962年(昭和37年)に苗場スキースクールを立ち上げた。 プロ団体「日本職業スキー教師連盟」(SIA)を有志と発足。現在は、全日本スキー連盟(SAJ)でスキースクール代表を務める。
尾身 幸次(おみ こうじ、1932年〈昭和7年〉12月14日… 尾身 幸次(おみ こうじ、1932年〈昭和7年〉12月14日 - 2022年〈令和4年〉4月14日)は、日本の政治家、通商産業・科学技術官僚。位階勲等は正三位旭日大綬章。 衆議院議員(8期)、経済企画庁長官(第54代)、沖縄及び北方対策担当大臣(第2代)、科学技術政策担当大臣(第2代)、財務大臣(第6代)、自由民主党群馬県連会長などを歴任。 群馬県沼田市に8人兄弟の長男として生まれる。家が困窮していたため、少年期は父親の商売を手伝い、しばしば行商にも出た。群馬県立沼田高等学校在学中も家業に従事し、就職コースで簿記等を学んだ。高校2年から進学コースに変更し、1952年に一橋大学商学部入学。奨学金とアルバイトにより、1956年に同大学を卒業し、通商産業省に入省する。
津金沢 聡広(津金澤 聰廣、つがねさわ としひろ、1932年… 津金沢 聡広(津金澤 聰廣、つがねさわ としひろ、1932年11月8日 - )は、日本の社会学者、メディア研究者、関西学院大学名誉教授、関西学院大学博士(社会学)。
西田 洽司(にしだ こうじ、1932年〈昭和7年〉2月23日… 西田 洽司(にしだ こうじ、1932年〈昭和7年〉2月23日 - 2019年〈令和元年〉12月31日)は、日本の政治家。元群馬県沼田市長(4期)。位階は正五位。 群馬県渋川市に生まれる。1935年に父の事業の関係により沼田に転居。1950年に群馬県立沼田高等学校を卒業。 1961年、西田建材代表取締役となる。1974年、株式会社に組織変更し、代表取締役となる。1984年、社名を西田に変更し、引き続き代表取締役となる。 1982年に周囲から沼田市長に推す声が挙がり、立候補するも惜敗。1986年の沼田市長選挙で初当選を果たす。沼田市長を4期務め、2002年に退任する。 沼田市長として1990年に森林文化都市宣言を行い、玉原高原の第三セクター方式による開発や全国植樹祭の開催を行った。
高橋 繁男(たかはし しげお、1931年〈昭和6年〉1月30… 高橋 繁男(たかはし しげお、1931年〈昭和6年〉1月30日 - 1995年〈平成7年〉5月10日)は、日本のテレビドラマ監督・舞台演出家。「渥美清の泣いてたまるか」「遠山の金さん」などでお茶の間に親しまれた。群馬県沼田市出身。
桑原 幹夫(くわばら みきお、1930年〈昭和5年〉5月12… 桑原 幹夫(くわばら みきお、1930年〈昭和5年〉5月12日 - )は、日本の小説家、詩人、国文学者。 群馬県沼田市生まれ。兄は彫刻家の桑原巨守。群馬県立沼田高等学校を経て、早稲田大学第一文学部国文科を卒業。同大学院日本文学修士課程修了。1967年、『雨舌』で文學界新人賞を受賞。同年、『死の翼の下に』で第58回芥川賞候補となる。作家・野間宏に私淑し、表現主義的手法の作風で幻視・幻想の世界を描いたことに特色がある。その後は帝京大学教授を務めた。
生方 美智子(うぶかた みちこ、1928年〈昭和3年〉5月7… 生方 美智子(うぶかた みちこ、1928年〈昭和3年〉5月7日 - 2023年〈令和5年〉1月14日)は、日本の料理研究家。サロン・ド・ウブカタを主宰。 群馬県沼田市生まれ。歌人の生方たつゑと、のち国家公安委員となる生方誠の長女として生まれる。県立沼田女学校(現・群馬県立沼田高等学校)を経て、日本女子大学卒業後、飯田深雪に師事。1968年に独立し、テレビ、新聞、雑誌で料理研究家として活動した。1974年夫の生方(旧姓・鹿島)慶三を失う。1986年林雅子の設計で蔵を活用して生方記念文庫を開館。同文庫は1993年6月にたつゑの意志により沼田市へ寄贈された。
桑原 巨守(くわはら ひろもり、1927年〈昭和2年〉7月1… 桑原 巨守(くわはら ひろもり、1927年〈昭和2年〉7月15日 - 1993年〈平成5年〉8月26日)は、日本の彫刻家。女子美術大学名誉教授。旧名・昭夫(あきお)。 具象彫刻の第一人者と評され、群馬県渋川市に桑原巨守彫刻美術館がある。 群馬県沼田市出身。弟は小説家の桑原幹夫。1944年に旧制沼田中学校(現・群馬県立沼田高等学校)第4学年を修了し、1949年東京美術学校彫刻科卒業。在学中、関野聖雲に師事したため、桑原は高村光雲の孫弟子にあたる。 1949年東京都大田区立大森第十中学校教諭となる。1956年より女子美術大学選任講師。1961年「昭夫」から「巨守」に改名。 1963年、女子美術大学助教授に就任、同年二紀展に初入選、同人に推薦される。
宮下 久夫(みやした ひさお、1927年〈昭和2年〉 - 1… 宮下 久夫(みやした ひさお、1927年〈昭和2年〉 - 1997年〈平成9年〉1月)は日本の教育者(国語教師)。太郎次郎社のロングセラー『漢字がたのしくなる本』シリーズの共著者の一人として知られる。群馬県生まれ。 利根郡沼田町(現在の沼田市)坊新田に生まれる。旧制沼田中学校を卒業後、東京第三師範学校(現在の東京学芸大学)を卒業。1949年(昭和24年)より群馬県内で小学校教諭としての道を歩み始める。のち、子どもの間違いからヒントを得た文部省の指導要領にはない独自の「漢字教科書」を使った授業が、次第に注目を集めるようになる。 宮下は子どもたちの「修学旅行のときの生き生きとした顔が、教室ではどうして死んでしまうのだろう。
桑原 三郎(くわばら さぶろう、1926年12月20日 - … 桑原 三郎(くわばら さぶろう、1926年12月20日 - 2009年1月21日)は日本の教育者、児童文学者、文学博士。日本児童文芸家協会顧問、慶應義塾福澤研究センター顧問。 人形劇『きかんしゃトーマス』の原作となった絵本『汽車のえほん』の翻訳者のひとり。 1926年、群馬県利根郡池田村大字奈良(現沼田市奈良町)に桑原武一郎、志げの3男として生まれる[要出典]。父は誕生4ヶ月前に腹膜炎で急死、母も生後8ヶ月足らずで脳溢血で死亡、祖母そめとともに乳母杉野そうのもとで育った[要出典]。12歳年上の兄真一郎を父親代わりに、5歳年上の姉富子が教育係になって幼少期を過ごした[要出典]。その姉も18歳の時、災害死して兄1人ともう1人の姉朝子が記憶に残る兄弟となったためか、兄弟愛は強かった[要出典]。
根岸 謙之助(ねぎし けんのすけ、1925年〈大正14年〉6… 根岸 謙之助(ねぎし けんのすけ、1925年〈大正14年〉6月1日 - 1995年〈平成7年〉3月15日)は、日本の国文学者・民俗学者。 群馬県利根郡糸之瀬村(現・昭和村)出身。旧制沼田中学校(現・群馬県立沼田高等学校)を経て、國學院大學文学部を卒業。折口信夫に師事する。 群馬県立前橋工業高等学校教諭、群馬県立高崎工業高等学校教諭、群馬県立前橋高等学校教諭をへて、群馬大学医療技術短期大学部教授。 1991年に定年退官、名誉教授、上武大学教授。 1991年に『医療民俗論』で柳田賞受賞。1992年に「医療民俗学論」で國學院大學民俗学博士となる。群馬県史編纂調査委員、群馬県文学賞選考委員も務めた。日本民俗学会会員。
堀江 文夫(ほりえ ふみお、1924年〈大正13年〉4月2日… 堀江 文夫(ほりえ ふみお、1924年〈大正13年〉4月2日 - 2016年〈平成28年〉4月22日)は、日本の政治家。群馬県沼田市長(4期)。 群馬県利根郡薄根村(現・沼田市町田町)出身。旧制沼田中学を卒業後、1945年(昭和20年)、桐生工業専門学校(現・群馬大学工学部)機械科卒。1951年(昭和26年)、薄根村議会議員となる。1954年(昭和29年)、薄根村は合併により沼田市となったため、沼田市議会議員となる。沼田市議を5期務めた後、1970年(昭和45年)、沼田市長に当選する。沼田市長を連続4期務め、1986年(昭和61年)に退任した。 1980年(昭和55年)4月藍綬褒章、1994年(平成6年)4月勲三等瑞宝章(地方自治功労)を受章。
阿久津 哲造(あくつ てつぞう、1922年〈大正11年〉8月… 阿久津 哲造(あくつ てつぞう、1922年〈大正11年〉8月20日 - 2007年〈平成19年〉8月)は、日本の医学者。医学博士(名古屋大学)。ミシシッピ州立大学(英語版)医学部教授。テキサス・ハート・インスティテュート教授。国立循環器病センター研究所副所長。テルモ社長。日本人工臓器学会名誉会長。世界で初めて人工心臓を開発し、人工心臓の父と呼ばれる。 1957年、クリーブランド・クリニック(アメリカ・オハイオ州)に留学。そこで、人工心臓の開発に取り組み、1958年、ウィレム・コルフ博士とともに、世界で初めて開発した人工心臓を使って、イヌを約1.5時間生存させることに成功した。その後、ニューヨーク州立大学、ミシシッピ州立大学、テキサス・ハート・インスティテュートで研究開発、改良を進め、動物実験での生存記録更新等成果を出した。
宮田 敬助(みやた けいすけ、1921年(大正10年)1月1… 宮田 敬助(みやた けいすけ、1921年(大正10年)1月12日 - 2013年(平成25年)8月9日)は、日本の海軍軍人、海上自衛官。群馬県出身。 海軍大尉で終戦を迎えた後、警察予備隊・保安隊への入隊を経て海上自衛隊に転官し、少年術科学校長、第3護衛隊群司令、第11代護衛艦隊司令官、第17代横須賀地方総監などの要職を歴任した。海上自衛隊における最終階級は海将。 旧制沼田中学校を経て海軍兵学校を第69期で卒業。卒業後は重巡洋艦「那智」に乗組む。その後、重巡洋艦「三隈」乗組みを経て、戦艦「大和」乗組みとなり、太平洋戦争を迎えた。その後、駆逐艦の水雷長等で勤務し、戦争末期には人間魚雷「回天」を運用する部隊に配属され、大神基地で終戦を迎えた。
千明 武久(ちぎら たけひさ、1917年(大正6年)4月15… 千明 武久(ちぎら たけひさ、1917年(大正6年)4月15日 - 1944年(昭和19年)9月16日)は、日本の陸軍軍人。最終階級は陸軍少佐。ペリリューの戦いにおける千明大隊の奮戦で知られる。 群馬県利根郡片品村鎌田に近衛騎兵少尉、千明林蔵の次男として生まれる。旧制沼田中学校を経て、1935年(昭和10年)4月、陸軍士官学校に第53期生として入校。剣道の達人であり、在学中天覧試合にも出場した。1940年(昭和15年)3月の士官学校卒業と同時に歩兵第15連隊付中隊長教育主任に任官。1944年(昭和19年)2月、満州国チチハルより南方へ出陣、同連隊第3大隊長としてペリリュー島の守備に就いていた歩兵第2連隊に分遣され同島南部「高崎湾」近くに布陣する。
松永 藤雄(まつなが ふじお、1911年〈明治44年〉5月1… 松永 藤雄(まつなが ふじお、1911年〈明治44年〉5月12日 - 1997年〈平成9年〉10月11日)は、日本の内科医。専門は、消化器病学(特に、大腸疾患)。弘前大学名誉教授。勲二等瑞宝章、従三位。医学博士。 群馬県利根郡沼田町(現・沼田市)上久屋町に生まれる。旧制沼田中学校(現・群馬県立沼田高等学校)、第二高等学校を経て東北帝国大学医学部卒業。1936年、同医学部内科教室(教授山川章太郎、助教授黒川利雄)に入局。 1942年医学博士。1948年、弘前医科大学教授(1952年、弘前大学に改称)。1959年から1963年まで同大学附属病院長。1972年から1975年まで同大学医学部長。1975年、同大学退官後、都立駒込病院院長に就任、1984年より同病院名誉院長。
おの ちゅうこう(1908年〈明治41年〉2月2日 - 19… おの ちゅうこう(1908年〈明治41年〉2月2日 - 1990年〈平成2年〉6月25日)は、日本の児童文学作家、詩人。 群馬県利根郡白沢村(現・沼田市)出身。本名・小野 忠孝(おの ただよし)。 旧制沼田中学校(現・群馬県立沼田高等学校)から群馬師範学校(現・群馬大学教育学部)に進み卒業。5ヶ月間高崎連隊へ入営。 はじめは『少年倶楽部』などへ作文や詩を投稿していた。小学校教員として勤務するも辞職して文筆の道へ身を投じた。草野心平とは友人として交流を持った。河井酔茗に師事。 日本児童文芸家協会顧問、日本ペンクラブ会員、日本文芸家協会員、日本詩人クラブ会員。100冊を超える著作を残した。酒を愛したことから酒にまつわるエピソードも多い。
新井 耕吉郎(あらい こうきちろう、1904年〈明治37年〉… 新井 耕吉郎(あらい こうきちろう、1904年〈明治37年〉2月26日 - 1946年〈昭和21年〉6月19日)は、日本の農業技師。群馬県利根郡東村園原(現在の沼田市利根町園原)出身(昭和42年に勲五等瑞宝章叙勲)。 日本統治下の台湾において紅茶の栽培に尽力したことで知られる。その紅茶各種の研究・普及活動で台湾紅茶産業の発展に大きく寄与したことから「台湾紅茶の父」または「台湾紅茶の祖」と呼ばれている。 1921年、旧制沼田中学校(現在の群馬県立沼田高等学校)を卒業後、1925年、北海道帝国大学農学部農学実科を卒業。一年志願兵(幹部候補生)として歩兵第59連隊(宇都宮)で軍隊生活を送る。満期除隊後の1926年に台湾に渡り台湾総督府中央研究所平鎮茶業試験支所に助手として赴任。
米倉 大謙(よねくら たいけん、1904年〈明治37年〉2月… 米倉 大謙(よねくら たいけん、1904年〈明治37年〉2月1日 - 1994年〈平成6年〉10月22日)は、日本の書道家。元群馬大学教授。群馬県沼田市(旧利根郡白沢村)生まれ。白沢村名誉村民。 1904年(明治37年)、群馬県利根郡白沢村平出(現・沼田市白沢町平出)に生まれる。父は正眼寺住職・米倉謙龍。幼名・文二。 旧制沼田中学(現・群馬県立沼田高等学校)を経て東洋大学倫理学東洋文学科卒。長野原小学校や川場小学校への勤務を経て、旧制前橋中学校(現・群馬県立前橋高等学校)教諭となる。1940年(昭和15年)群馬師範学校兼女子師範学校教諭となり、1949年(昭和24年)より群馬大学助教授。 書道は鈴木翠軒に師事。
桑原 鶴(くわばら つる、1902年〈明治35年〉12月25… 桑原 鶴(くわばら つる、1902年〈明治35年〉12月25日 - 1969年〈昭和44年〉7月28日)は、日本の外交官・文筆家。外交官としてはエジプト王国代理公使などを勤めた。外務省内にあって日独防共協定締結に反対し、太平洋戦争の無条件降伏による敗戦を予見して講和による終結を唱えたことで知られる。戦後は外務省を退官し在野で著述活動を行った。 群馬県利根郡川場村門前に生まれる。川場村尋常小学校を経て、旧制沼田中学校(現在の群馬県立沼田高等学校)から第一高等学校に進み、東京帝国大学法学部に入学。1924年高等文官試験外交科、翌1925年同行政科に合格。 1926年に外務省入省。イタリアや青島で在勤の後、1936年に公使館三等書記官としてアフガニスタンに赴任。
西山 市三(にしやま いちぞう、1902年〈明治35年〉2月… 西山 市三(にしやま いちぞう、1902年〈明治35年〉2月19日 - 1999年〈平成11年〉7月16日)は、日本の遺伝学者。京都大学名誉教授・農学博士。専門は細胞遺伝学。位階は正四位。 群馬県利根郡沼田町(現在の沼田市)町田町に生まれる。旧制沼田中学校(現・群馬県立沼田高等学校)を経て、京都帝国大学農学部農林生物学科に入学、木原均に就いて学び、1927年に卒業。 卒業後は同大学でカラスムギの細胞遺伝の研究に取り組む。1937年に助教授、1946年には教授となり、同大食糧科学研究所に勤務。1956年、京都大学農学部に配置替えとなる。1965年定年により退官、同大学名誉教授となる。 退官後も1965年から67年まで米国ウィスコンシン大学客員教授、1967年から68年までミズーリ大学客員教授、帰国後の1971年から84年まで財団法人木原研究所評議員、1972年から74年まで名城大学教授を務めた。
森村 酉三(もりむら とりぞう、1897年〈明治30年〉6月… 森村 酉三(もりむら とりぞう、1897年〈明治30年〉6月12日 - 1949年〈昭和24年〉7月9日)は、日本の鋳金工芸家、彫刻家。高崎白衣大観音像の原型制作者として知られる。群馬県出身。 1897年(明治30年)、群馬県佐波郡宮郷村上連取(現・伊勢崎市連取町)に、森村連太の三男として生まれる。酉三の名は酉年生まれであることにちなむ。森村家は江戸時代には旗本・駒井氏の地方代官を勤めた旧家で、兄・鍋太は佐波郡会議員や宮郷村長を務め、分家の堯太(父の又従兄弟)は群馬県会議員を務めた。酉三の生家は「旧森村家住宅」として伊勢崎市指定重要文化財となっている。 酉三は幼い頃から絵画や粘土細工を得意としていたという。
東宮 鉄男(とうみや かねお、旧字体: 東宮 鐵男、1892… 東宮 鉄男(とうみや かねお、旧字体: 東宮 鐵男、1892年〈明治25年〉8月17日 - 1937年〈昭和12年〉11月14日)は、日本の陸軍軍人。「満洲移民の父」と呼ばれた。 満洲を中心に活動した。張作霖爆殺事件の実行者であり、満洲への移民を推進した中心人物として知られる。日中戦争初期の1937年、歩兵第102連隊大隊長として中国で戦死した。死後特進し陸軍大佐となる。 1892年(明治25年)8月17日、群馬県勢多郡宮城村大字苗ヶ島(現:前橋市苗ヶ島町)で9人兄弟の末弟として生まれる。父は群馬県士族で村長も務めた東宮吉勝。旧制前橋中学校利根分校で3年間学んだ後、同本校に編入し1911年(明治44年)に卒業。
林 柳波(はやし りゅうは、1892年〈明治25年〉3月18… 林 柳波(はやし りゅうは、1892年〈明治25年〉3月18日 - 1974年〈昭和49年〉3月27日)は、日本の童謡作詞家、詩人、薬剤師。本名は林 照寿(はやし てるひさ、旧字体: 林 照壽)。沼田市名誉市民。兄は陸軍獣医少将の林里二。作詞は1千編を超え、レコードに吹き込まれたものは500余りあるとされる。 1892年(明治25年)、群馬県利根郡沼田町材木町(現・沼田市)の農家・林菊三郎の三男として生まれた。父菊三郎は帰農はしていたものの階級は士族であったという。早くから雑誌へ童謡詩の投稿を行う文学少年だった。1905年(明治38年)沼田小学校高等科を卒業。県立前橋中学校利根分校(現・群馬県立沼田高等学校)に学ぶが中退し、兄・里二を頼って上京。
星野 鉄男(ほしの てつお、旧字体: 星野 鐵男、1890年… 星野 鉄男(ほしの てつお、旧字体: 星野 鐵男、1890年〈明治23年〉2月10日 - 1931年〈昭和6年〉12月20日)は、日本の医学者。専門は社会衛生学。日本初の性教育本(『性教育に就て』、1927年)を著したことで知られる。内閣書記官長や企画院総裁を務めた大蔵官僚・星野直樹は父方の従兄弟。東大総長を務めた政治学者の南原繁は義弟(妹の夫)。群馬県出身。無教会(無教会主義キリスト教)信徒。 内村鑑三に師事し、「衛生文化思想普及会」を発足、社会衛生学の知見とキリスト教信仰とを統合した独自の社会衛生政策を主張した。また、高野岩三郎らと共に日本における実証的な都市社会調査の先駆とされる労働者の生活実態調査「月島調査」を実施した。
土田 國太郎(つちだ くにたろう、1889年〈明治22年〉6… 土田 國太郎(つちだ くにたろう、1889年〈明治22年〉6月28日 - 1960年〈昭和35年〉3月26日)は、日本の醸造家、政治家。参議院議員(1期)。 群馬県利根郡川場村立岩に生まれる。父・茂八は新潟県の生まれで川場村に移住し貸蔵で酒造業を営んでいた。 國太郎は群馬県立前橋中学校利根分校(のち旧制群馬県立沼田中学校、現群馬県立沼田高等学校)を卒業したのち、1912年(大正元年)より沼田町(現・沼田市)下之町で酒造りを始める。1923年(大正12年)、同町の酒蔵を買い入れて土田酒造を創業、「譽之國光」の銘板の日本酒の醸造を開始。これが地酒の銘酒として県内外から称賛を浴びるようになる(のちに現名の「譽國光」(ほまれこっこう)に改名)。
井上 日召(いのうえ にっしょう、1886年〈明治19年〉4… 井上 日召(いのうえ にっしょう、1886年〈明治19年〉4月12日 - 1967年〈昭和42年〉3月4日)は、日本の宗教家、政治運動家、テロリスト、右翼指導者。本名は井上 昭(いのうえ あきら)、別号に日象。血盟団を結成して「一殺多生」を唱え、1932年に血盟団事件を起こした。無期懲役の判決を受けたが恩赦により出所。戦後は右翼団体・護国団を結成した。日蓮宗を信仰し、仲間からは「和尚」と呼ばれたものの僧籍は有していない。 群馬県利根郡川場村に、医師・井上好人の四男として生まれる。幼名は四郎、通称尚(たすく)。幼少期より母との関係が悪く、野火を付けたり脇差を持ちだして門松を斬り倒したりする悪童だった。
井上 二三雄(いのうえ ふみお、1883年〈明治16年〉12… 井上 二三雄(いのうえ ふみお、1883年〈明治16年〉12月25日 - 1919年〈大正8年〉3月5日)は、日本の海軍軍人。海軍航空草創期の搭乗員の一人で、第一次世界大戦において日本初の航空作戦に参戦し、のちに殉職した。最終階級は海軍中佐。血盟団指導者の井上日召は弟。 群馬県利根郡川場村谷地に、医師・村会議員の井上好人の子として生まれる。前橋中学校沼田分校(現・群馬県立沼田高等学校)卒業後、成城中学校を経て海軍兵学校33期。同期生に豊田副武、豊田貞次郎、中村亀三郎らがいる。1906年(明治39年)12月少尉任官。初級士官時代の「音羽」、「三笠」乗組みなどを経て、大尉進級後の1912年(大正元年)10月に航空術研究委員を命じられる。
角田 政之助(つのだ まさのすけ、1882年〈明治15年〉1… 角田 政之助(つのだ まさのすけ、1882年〈明治15年〉10月18日 - 1974年〈昭和49年〉1月24日)は、日本の陸軍軍人。最終階級は陸軍少将。 群馬県北勢多郡青木村(利根郡利根村青木を経て現・沼田市利根町青木)出身。群馬県尋常中学校利根分校を経て、1902年(明治35年)11月、陸軍士官学校(14期)を卒業。1903年(明治36年)6月、歩兵少尉に任官。日露戦争では連隊旗手を務め負傷する。1910年(明治43年)11月、陸軍大学校(22期)を優等で卒業した。陸大同期には畑俊六、杉山元両元帥、小磯國昭、二宮治重らがいる。 インド駐箚武官、参謀本部欧米課英国班長などを経て、1923年(大正12年)8月、歩兵大佐に昇進し歩兵第79連隊長に就任。
生方 敏郎(うぶかた としろう、1882年〈明治15年〉8月… 生方 敏郎(うぶかた としろう、1882年〈明治15年〉8月24日 - 1969年〈昭和44年〉8月6日)は、日本の随筆家、評論家。政治・社会への風刺を得意とし、太平洋戦争中も軍部に対する皮肉の手を緩めることがなかった。 群馬県利根郡沼田町上之町(現・沼田市上之町)に生まれる。旧制前橋中学校利根分校(現・群馬県立沼田高等学校)、明治学院中学を経て早稲田大学英文科を卒業。在学中からトルストイに傾倒し、アナトール・フランスやドーミエの影響も受けた。 大学卒業の翌1907年(明治40年)に渋川玄耳の紹介で東京朝日新聞記者となる。さらにやまと新聞、大正日日に転じ、早稲田文学記者でもあった。当時のほとんどの雑誌・新聞に随筆、翻訳、評論、小説、雑文を書き、その風刺の効いた文章は読者の支持を集めた。
生方 大吉(うぶかた だいきち、1882年〈明治15年〉3月… 生方 大吉(うぶかた だいきち、1882年〈明治15年〉3月28日 - 1964年〈昭和39年〉3月13日)は、大正から昭和期の実業家、政治家。衆議院議員(5期)。 群馬県利根郡、のちの新治村下新田(現みなかみ町)で、生方太吉の長男として生まれる。1898年(明治31年)利根学校(沼田中学を経て現群馬県立沼田高等学校)を卒業した。 1918年(大正7年)利根電気を設立して社長に就任し、鶴ヶ淵発電所を設けた。その他、新治製材社長、利根倉庫取締役、坂東自動車取締役、利根製糸監査役、群馬共栄合資会社代表社員、棒丸百貨店会長などを務めた。 1918年ころから政治家を志し、1924年(大正13年)5月、第15回衆議院議員総選挙で群馬県第5区から憲政会公認で初出馬して当選。
増田 金作(ますだ きんさく、1877年〈明治10年〉2月2… 増田 金作(ますだ きんさく、1877年〈明治10年〉2月26日 - 1947年〈昭和22年〉4月20日)は、日本の政治家。衆議院議員(1期)、群馬県会議員(3期)、群馬県利根郡沼田町長、白沢村長。 群馬県利根郡白沢村上古語父に、増田仁兵衛の次男として生まれる。兄・武市は群馬県会議員や白沢村長を務めた。沼田町の育修館(群馬県立沼田高等学校の前身)を卒業。 1907年(明治42年)4月に白沢村収入役となり、1908年(明治44年)10月利根郡会議員に当選。1912年(明治45年)、1920年(大正9年)、1923年(大正12年)の3度にわたり白沢村長に選出された。1917年(大正6年)には白沢村会議員となっている。
大木田 守(おおきた まもる)は、公明党の前東京都議会議員で… 大木田 守(おおきた まもる)は、公明党の前東京都議会議員で支持母体創価学会傘下の聖教新聞編集局次長を歴任。
森井 裕一(もりい ゆういち)は、日本の政治学者。東京大学大… 森井 裕一(もりい ゆういち)は、日本の政治学者。東京大学大学院総合文化研究科地域文化研究専攻教授。専門は、国際関係論、EU研究、ドイツ政治。
西山正彦(にしやま まさひこ)は、日本の医学者。日本癌治療学… 西山正彦(にしやま まさひこ)は、日本の医学者。日本癌治療学会会長、理事長、アジアがん治療学会会長を歴任した。がん治療、腫瘍学の研究、教育を活動分野としている。
生方 信(うぶかた まこと )は、日本の農芸化学者。北海道大… 生方 信(うぶかた まこと )は、日本の農芸化学者。北海道大学名誉教授、農学博士(北海道大学)。専門は応用分子細胞生物学、生物有機化学など。 群馬県立沼田高等学校を経て、1975年北海道大学農学部農芸化学科卒業、1980年同大学大学院農学研究科博士課程修了(農学博士)。 1980年インディアナ大学化学科博士研究員。1982年理化学研究所特別研究生、1984年同研究所研究員、1992年同研究所副主任研究員。1995年富山県立大学工学部教授(生物工学研究センター)、1998年同大学大学院工学研究科博士課程教授。2003年北海道大学大学院農学研究科教授、2015年同大学名誉教授、2015-2017年同大学大学院農学研究院特任教授。
金井 修 〈かない おさむ、1961年5月12日 - 〉は、… 金井 修 〈かない おさむ、1961年5月12日 - 〉は、日本の実業家。アクセンチュア株式会社テクノロジーコンサルティング本部マネジング・ディレクター。株式会社クライム創業者。群馬経済同友会 未来探索委員会 委員長 群馬県沼田市の出身。群馬県立沼田高等学校を卒業。東京の大学を卒業。株式会社群馬富士通〈現・株式会社富士通フロンテック〉でオペレーティングシステム〈OS〉開発に携わった後、26歳でソフトウェア開発を行うクライムを起業〈前橋市〉。1989年4月1日、株式会社クライム代表取締役。2001年、東京事務所開設。2016年9月5日、無料アプリ「真田のやぼう 3D沼田城」の提供開始。2017年5月23日、上毛かるたスタンプラリーで、未開の地グンマーを開拓せよ!群馬発!上毛かるたゆかりの地でスマートフォンをかざして、全44種のゲットを目指す位置情報をつかった上毛かるたゲーム「札ッシュ!! 上毛かるたGO!」を無料で配信。
さかい蔵人(さかい くらんと)は、日本のイラストレーター、デ… さかい蔵人(さかい くらんと)は、日本のイラストレーター、デザイン事務所「CSデジタルアートワークス」代表。群馬県月夜野町(現 みなかみ町)出身、同高山村在住。 群馬県利根郡月夜野町(現 みなかみ町)に生まれる。1歳下の妹の影響で、子供の頃は『ママレード・ボーイ』や『魔法騎士レイアース』など少女漫画に関心を持つ。群馬県立沼田高等学校、群馬県内の短期大学を卒業後営業系の企業に就職。デジタルイラストの世界を知り、会社勤めの傍らイラストの仕事を行うようになる。2011年よりプロのイラストレーターとして活動開始。地元である沼田地域が舞台の一つとなった2016年の大河ドラマ『真田丸』の放送をきっかけに、真田幸村など武将キャラクターも手掛ける。
代田 欣二(しろた きんじ)は、日本の獣医学者。専門は獣医病… 代田 欣二(しろた きんじ)は、日本の獣医学者。専門は獣医病理学。麻布大学名誉教授。 群馬県立沼田高等学校を経て、東京大学大学院を修了した。1981年に麻布大学獣医学部助手となり、同大学助教授を経て1998年に教授に就任する。2018年 名誉教授。この間、カナダ・マギル大学留学、JICA専門家として北京実験動物センター派遣などの経歴を持つ。 2015-2017年 日本獣医病理学専門家協会JCVP理事長。 1995年 日本獣医学会賞受賞。
高橋 信雄(たかはし のぶお)は、日本の教育学者。専門は特別… 高橋 信雄(たかはし のぶお)は、日本の教育学者。専門は特別支援教育、教育工学。愛媛大学名誉教授。 主な研究テーマは、「新生児期から高齢者までの聴力検査」、「幼児期から成人までの補聴器フィッティング」 「人工内耳装用後のリハビリテーション」、「きこえとことばの発達指導」、「学校での学習支援や情報保障」である。 1967年群馬県立沼田高等学校卒業。東京学芸大学卒業、筑波大学大学院博士課程修了、筑波大学文部技官、国立特殊教育総合研究所研究員、1983年より愛媛大学教育学部教員。1996年教授。2014年定年退職、同大学名誉教授。
林 貞夫(はやし さだお)は、日本の建築学者、前橋工科大学名… 林 貞夫(はやし さだお)は、日本の建築学者、前橋工科大学名誉教授。工学博士(日本大学)。 群馬県立沼田高等学校を経て、1980年に日本大学大学院修士課程を修了した。 木村俊彦構造設計事務所、前橋市立工業短期大学教員を経て、前橋工科大学教授に就任した。2012年に退職して、同大学名誉教授となる。 建築構造についての教科書執筆にも力を入れ、中でも『建築 基礎構造』(2002年)は初学者に好適との評価もあり、実際に大阪工業大学、信州大学ほかの大学で教科書に採用されている。
金井 康夫〈かない やすお、1969年2月16日 - 〉は、… 金井 康夫〈かない やすお、1969年2月16日 - 〉は、日本の政治家。群馬県議会議員(4期)。第100代群馬県議会議長。過去には自由民主党群馬県連幹事長を務めた。 群馬県沼田市の出身。1981年、沼田市立沼田小学校を卒業。1984年、沼田市立沼田中学校を卒業。1987年、群馬県立沼田高等学校を卒業。1991年、福山大学工学部を卒業。株式会社パスコに入社〈営業〉。1994年、退社。金井燃料店に入社。1995年、沼田市議会議員に初当選〈4期連続当選〉。2012年、沼田市議会議長に就任。2011年、群馬県議会議員に初当選。群馬大学大学院社会情報学研究科を修了。2013年、群馬県市議会議長会会長。2015年、群馬県議会議員2期目に当選。