スポーツ選手、俳優、学者、実業家、芸能人など各界で活躍する人物情報に加え、外の言語(多言語)で紹介されている内容や、その人物にゆかりのある地の観光資源データを集めました。
櫻井 万里子(さくらい まりこ、1943年7月26日 - )… 櫻井 万里子(さくらい まりこ、1943年7月26日 - )は、日本の歴史学者。専門は古代ギリシア史。学位は、博士(文学)(東京大学・論文博士・1999年)(学位論文「古代ギリシア社会史研究」)。東京大学名誉教授。ロンドン大学キングズ・カレッジ客員教授。 単著の『古代ギリシアの女たち』や『ソクラテスの隣人たち』で、女性やメトイコイ(在留外国人)をテーマとした動機として、スタンフォード大学の客員研究員としてカリフォルニアに住んだ際のカルチャーショックをあげている。 日本学術会議第20期、第21期会員、第22期連携会員
落合 信彦(おちあい のぶひこ、1942年1月8日 - )は… 落合 信彦(おちあい のぶひこ、1942年1月8日 - )は、日本出身のジャーナリスト、小説家である。
青木 英一(あおき ひでかず、1942年 - )は、おもに工… 青木 英一(あおき ひでかず、1942年 - )は、おもに工業地理学を研究した日本の経済地理学者、敬愛大学名誉教授。 1962年に日本大学文理学部地理学科に入学し、地理学を学んだ。進路は就職を希望していたが籠瀬良明の勧めを受け、大学院への進学を志し、工業地理学の研究を始めた。 1966年に理工学研究科地理学専攻に進学し、東京教育大学の幸田清喜や、生産工学部の笹生仁のもとにも通って学んだ。 1971年に大学院を満期退学し、東京都立両国高等学校の教員となって地理を担当し、以降、都立高校の教員として働きながら研究を続けた。1984年には、「日本における工業都市の地域構造に関する研究 労働力需給を通して」により、日本大学から理学博士を取得した。
木山 茂年(きやま しげとし、1942年 - )は日本の実業… 木山 茂年(きやま しげとし、1942年 - )は日本の実業家。株式会社東京デリカを設立し、同社代表取締役社長、代表取締役会長を歴任。シェア50パーセントを占めるカバン業界最大手に拡大させた。 東京都葛飾区新小岩出身。東京都立両国高等学校を経て、1964年一橋大学法学部を卒業し、三井造船株式会社入社。 1969年、父が死去したため商店街のよろず屋を経営する家業の合資会社丸二商会入社。しかし、「商店街のただのオヤジでは終わりたくない」との思いから、1970年からカバン屋の出店を始める。 1974年株式会社東京デリカ設立、同社代表取締役。1977年ころから全国展開を開始。1980年株式会社デリカ総業(現ディーアンドケー株式会社)設立、同社代表取締役。
飯島 延浩(いいじま のぶひろ、1941年7月28日 - )… 飯島 延浩(いいじま のぶひろ、1941年7月28日 - )は、日本の実業家。山崎製パン株式会社代表取締役社長(第3代)として、同社を売上高1,000億円台から、1兆円規模の食品コンツェルンに成長させた。 一般社団法人日本パン工業会会長を20年以上務めているほか、株式会社東ハト代表取締役会長、株式会社不二家取締役相談役、ヤマザキナビスコ株式会社会長、株式会社デイリーヤマザキ会長などを歴任した。 千葉県市川市生まれ。都立両国高校を経て、1964年3月一橋大学経済学部卒業。1964年4月山崎製パンに入社。1966年ボロー・ポリテクニック(現・ロンドン・サウス・バンク大学(英語版))卒業。1993年ロンドン・サウス・バンク大学名誉理学博士。
山本 安正(やまもと やすまさ、1940年(昭和15年)11… 山本 安正(やまもと やすまさ、1940年(昭和15年)11月13日 - )は、日本の海上自衛官、第23代海上幕僚長。防衛大学校第7期卒業。 東京府出身。両国高校を経て防衛大学校(第7期)を卒業し、海上自衛隊に入隊。護衛艦「とかち」艦長、第4護衛隊群司令、海上幕僚監部人事教育部長、統合幕僚会議事務局長、横須賀地方総監等の要職を歴任し、第23代海上幕僚長に就任。在任中の1998年(平成10年)には「北朝鮮によるミサイル発射実験」、翌1999年(平成11年)には「能登半島沖不審船事件」が発生。不審船事案では海上自衛隊創設以来初となる海上警備行動が発令され事態に対処した。
安斎 育郎(あんざい いくろう、1940年4月16日 - )… 安斎 育郎(あんざい いくろう、1940年4月16日 - )は、日本の医療工学者・物理学者・軍事学者・平和学研究者。工学博士(東京大学・1969年)(学位論文「放射線管理におけるPersonnel Monitoringに伴う不確定さの確率論的評価に関する研究」)。立命館大学特命教授・名誉教授、立命館大学国際平和ミュージアム名誉館長。専門は、放射線防護学、平和学。
井上 弘(いのうえ ひろし、1940年(昭和15年)1月5日… 井上 弘(いのうえ ひろし、1940年(昭和15年)1月5日 - )は、日本の実業家、株式会社TBSホールディングス及び株式会社TBSテレビ相談役。社長、会長を歴任した。東京都生まれ。東京大学文学部社会学科卒業。
宮田 隆(みやた たかし、1940年 - )は、日本の分子進… 宮田 隆(みやた たかし、1940年 - )は、日本の分子進化学者。京都大学名誉教授。DNA・タンパク質配列解析方法の開発と進化学的な発見の両面で成果を挙げた。 おもな研究業績として、ホモロジーサーチ(相同性検索)法の開発、同義・非同義置換数の概念と推定法の提案、オス駆動進化説の実証、複合系統樹による現存生物の最初の種分岐の解明、などがある。また、木村資生が提唱した分子進化の中立説(中立進化説)を実証する発見を多く行ったことでも有名。1990年代からは科学研究費プログラムのうち重点領域研究や学術創成研究の代表者として、日本の分子進化学を牽引した。その後の成果は、後生動物の遺伝子ファミリーの多様化時期の解析、最尤法を用いた分子系統樹推定法の改良、高速フーリエ変換を用いた多重配列整列法の開発、後生動物の系統関係と分岐時期についての解析など。
大森 義夫(おおもり よしお、1939年〈昭和14年〉12月… 大森 義夫(おおもり よしお、1939年〈昭和14年〉12月22日 - 2016年〈平成28年〉9月11日)は、日本の警察官僚。内閣情報調査室長、警察大学校長、日本文化大学学長などを歴任した。 警察大学校長、内閣情報調査室長などを歴任。父は大森寛(陸上幕僚長、防衛大学校長)、弟に大森敬治(防衛施設庁長官、内閣官房副長官補、駐オマーン大使) 2016年9月11日、腎盂癌のために死去。76歳没。
山元 清多(やまもと きよかず、1939年6月11日 - 2… 山元 清多(やまもと きよかず、1939年6月11日 - 2010年9月12日)は、日本の脚本家、劇作家、演出家。東京都江東区出身。東京都立両国高等学校卒業、東京大学教育学部教育心理学科卒業。劇団黒テント所属。妻は女優の稲葉良子。 5人兄弟の長男。父親は自営業だが、太平洋戦争終戦を境に事業がうまくいかなくなって仕事・住居ともに転々としていた。大学では演劇研究会に所属。大学在学中より芝居の執筆を開始。大学卒業後は時事通信社に入社し、運動部記者としてアマチュアスポーツを3年間担当。1967年に「六月劇場」の結成参加のため時事通信社を退職。その後六月劇場を経て、1968年に黒テントの前身である「演劇センター68」に参加。
郷 通子(ごう みちこ、1939年4月15日 - )は、日本… 郷 通子(ごう みちこ、1939年4月15日 - )は、日本の生物学者 ・生物物理学者。元お茶の水女子大学学長。名古屋大学名誉教授。元日本生物物理学会会長。理学博士(名古屋大学・1967年)(学位論文「生体高分子の統計力学とそれのポリヌクレオチドの融解転移への応用」)。 タンパク質の分子進化を研究。エクソン・イントロン構造の研究(GO Plot)からタンパク質の立体構造の単位であるモジュールの概念を初めて提唱した。 夫は生物物理学者で京都大学名誉教授の郷信広。 福岡県生まれ。1958年東京都立両国高等学校卒業。1962年お茶の水女子大学理学部物理学科卒業、1967年名古屋大学大学院理学研究科博士課程物理学専攻修了。
鷲尾 悦也(わしお えつや、1938年(昭和13年)9月20… 鷲尾 悦也(わしお えつや、1938年(昭和13年)9月20日 - 2012年(平成24年)2月26日)は、日本の労働運動家。日本社会事業大学理事長。従三位。旭日大綬章(2009年)。 日本労働組合総連合会会長(第3代)、日本鉄鋼産業労働組合連合会会長を歴任。2010年、日本社会事業大学理事長に就任。 東京都生まれ。東京大学経済学部卒業。弟は講談社の取締役も務めた歌人の小高賢(本名・鷲尾賢也)。 八幡製鐵(現在の新日本製鐵)入社。新日鉄労働組合連合会書記長を経て、鉄鋼労連書記長、委員長を歴任。1993年(平成5年)より連合事務局長を務め、1997年(平成9年)から連合会長に就任する。 東大時代には旅行研究会に在籍しており、1961年には現在知られている限り初めて最長片道切符による旅行を試みた4人のうちの1人でもある。
中野 誠也(なかの せいや、1938年〈昭和13年〉9月16… 中野 誠也(なかの せいや、1938年〈昭和13年〉9月16日 - )は、日本の俳優、演出家。本名は同じ。 千葉県市川市出身。東京都立両国高等学校卒。早稲田大学第一文学部演劇科中退。劇団俳優座に所属。 劇団俳優座の第10期生でデビュー。初舞台は『黄色い波』。 1960年代、1970年代に、テレビドラマで二枚目として活躍。「新劇の二枚目俳優」と呼ばれる。主演ドラマは『竜馬がゆく』『次郎長三国志』など。「洋画劇場」や「NHK」の外国ドラマなどで声優も務めた。また、1970年代以降は刑事ドラマや時代劇の常連悪役として活躍している(ただし時代劇でも善人役を演じることがあるなど完全な悪役専門ではない)。 趣味はピアノ、アコーディオン、ハーモニカ。
石川 文洋(いしかわ ぶんよう、1938年3月10日 - )… 石川 文洋(いしかわ ぶんよう、1938年3月10日 - )は、日本の報道写真家。辺野古基金共同代表。父は作家の石川文一。 沖縄県那覇市首里鳥堀に生まれる。4歳の時に、家族で沖縄から千葉県船橋市に移り住んだ。 東京都立両国高等学校定時制卒業後、19歳で毎日映画社に勤務。1964年、世界無銭旅行を計画し、香港へ渡る。毎日新聞香港支局長の江頭数馬が手配したアパートで数日間の保護を受けた後、彼の骨折りによりファーカススタジオに紹介を受けて勤務する。 1965~68年、ベトナム共和国の首都サイゴン(当時)に滞在し、フリーでベトナム共和国軍やアメリカ軍に従軍し、戦場取材をおこなった。 1969年から朝日新聞社出版局写真部勤務。
加藤 尚武(かとう ひさたけ、1937年5月18日 - )は… 加藤 尚武(かとう ひさたけ、1937年5月18日 - )は、日本の哲学者、倫理学者。京都大学名誉教授。公立鳥取環境大学名誉学長(初代学長)。人間総合科学大学特任教授。元東京大学特任教授。 ヘーゲル研究者であるが、シェリングなどドイツ観念論全般についての著述もある。1979年哲学奨励山崎賞受賞。 1980年代にバイオエシックス(生命倫理学)を日本に導入した。また近年は環境倫理についても積極的に発言を行っている。 環境倫理学と生命倫理学の分野をリード。脳死、原発など現代を鋭敏に捉える。著書に『ヘーゲルの「法」哲学』(1993年)、『新・環境倫理学のすすめ』(2005年)など。 東大在学中は共産主義者同盟(ブント)に加盟。
山根 成之(やまね しげゆき、1936年6月14日 - 19… 山根 成之(やまね しげゆき、1936年6月14日 - 1991年12月27日)は、日本の映画監督、脚本家。1970年代に松竹の映画で活動した。 東京府東京市向島区寺島町(現・東京都墨田区東向島)で帽子屋の息子として生まれた。小学生の頃から浅草の映画館に通うほどの大の映画好きで、都立両国高校3年の時には年間800本を記録した。その一方で演劇部で活躍し、舞台俳優を目指し劇団俳優座への入団を志したが、方向転換して日本大学芸術学部映画学科に入学し、1960年に卒業後、松竹に入社。高橋治、小林正樹、中村登、篠田正浩、野村芳太郎らの作品の助監督につく。作風では、他社(日活)であるが鈴木清順の作品の影響を受けたという。
三木 紀人(みき すみと、1935年5月27日 - )は、国… 三木 紀人(みき すみと、1935年5月27日 - )は、国文学者。お茶の水女子大学名誉教授、城西国際大学客員教授。兵庫県生まれ。
西村 恕彦(にしむら ひろひこ、1935年3月15日 - 2… 西村 恕彦(にしむら ひろひこ、1935年3月15日 - 2019年12月23日)は、日本の計算機科学者。機械翻訳や、COBOLをはじめとするプログラミング言語、情報処理に関わる用語、文字コード等の標準化を研究分野とした。 石川県金沢市に生まれる。父は旧制金沢医科大学(現・金沢大学)の医師であった。父の転勤により、富山市に移る。太平洋戦争中の1945年に魚津市にある母方の実家に疎開した。富山市立芝園中学校の1期生となり、校章をデザインする。 東京都立両国高等学校を経て東京大学に進学。1958年に東京大学理学部地質学科を卒業する。卒業後は東京大学文学部心理学科大学院に進み、1961年に修了した(修士号取得)。
戸田 禎佑(とだ ていすけ、1934年9月 - 2024年5… 戸田 禎佑(とだ ていすけ、1934年9月 - 2024年5月19日)は、日本の東洋美術史家、東京大学名誉教授。 千葉県出身。1953年東京都立両国高等学校卒、1957年東京大学文学部美術史卒、日本テレビ入社、同年退社。1959年大学院入学、1962年修士課程修了、博士課程中退、東京国立文化財研究所所員。 1971年東京大学東洋文化研究所専任講師、1972年助教授、1980-82年文献センター助教授併任、京都大学人文科学研究所助教授併任、早稲田大学、慶應義塾大学、上智大学、明治大学、名古屋大学、東北大学、神戸大学、岡山大学、九州大学、東京芸術大学、お茶の水女子大学、千葉大学非常勤講師併任。1982年東京国立文化財研究所教授、1988年文献センター教授併任、1992年文学部美術史学科教授、1995年定年退官。
伊東 一雄(いとう かずお、1934年4月7日 - 2002… 伊東 一雄(いとう かずお、1934年4月7日 - 2002年7月4日)は、日本の野球解説者、メジャーリーグ評論家。 「パンチョ伊東」の愛称・通称で広く知られた。 東京都豊島区西巣鴨に生まれ、小学生時は戦火を逃れるために千葉県市川市へ転居し、以後居住する。 子供時代から父親の影響で野球に親しみ、後楽園球場の東京巨人軍戦、神宮球場の大学野球に通いスコアカード記入などをした。1942年5月24日に後楽園球場の日本プロ野球史上最長の大洋軍対名古屋軍の延長28回戦や、1953年10月31日に大友工が日米野球でニューヨーク・ジャイアンツ相手に完投勝利を収めた試合も観戦した。 西巣鴨第四小、市川小、市川一中を経て、都立三高へ進学し、千葉大学文理学部を中退した。
島村 宜伸(しまむら よしのぶ、1934年〈昭和9年〉3月2… 島村 宜伸(しまむら よしのぶ、1934年〈昭和9年〉3月27日 - )は、日本の政治家、教育者。衆議院議員(9期)、文部大臣(第118代)、農林水産大臣(第26・36代)、自由民主党国会対策委員長(第40代)、自由民主党総裁特別補佐、志帥会名誉会長、学校法人杉並学院(杉並学院高等学校)理事長等を歴任した。元日本プロスポーツ協会会長。 元衆議院議員で石橋派や宏池会に属した島村一郎の六男。 東京都江戸川区生まれ。東京都立両国高等学校、学習院大学政経学部政治学科卒業。学習院大学入学後、学習院院長の安倍能成から頼まれ、皇太子(明仁親王)の学友になった。また島村は唯一、自身の同級生たる天皇から国務大臣に認証された政治家である。
早川 正昭(はやかわ まさあき、1934年1月7日 - 20… 早川 正昭(はやかわ まさあき、1934年1月7日 - 2024年8月20日)は、日本の作曲家、指揮者。広島大学名誉教授、新ヴィヴァルディ合奏団常任指揮者。 千葉県市川市出身。早くから音楽の才能を示し、6歳で最初の曲を書いた。東京都立両国高等学校を経て、東京大学で農学を学んだ後、東京芸術大学で長谷川良夫に作曲を、渡邉暁雄に指揮を学び、1960年に卒業した。 1961年に東京ヴィヴァルディ合奏団を創立し、日本のみならずヨーロッパ各地で公演を行った。 1978年にはウィーンとミュンヘンに留学し、バロック音楽を研究した。 1979年、東京ヴィヴァルディ合奏団のトップメンバーらとともに新ヴィヴァルディ合奏団を設立。
柿澤 弘治(かきざわ こうじ、1933年〈昭和8年〉11月2… 柿澤 弘治(かきざわ こうじ、1933年〈昭和8年〉11月26日 - 2009年〈平成21年〉1月27日)は、日本の政治家、大蔵官僚。位階は従三位、勲章は旭日大綬章。衆議院議員(7期)、参議院議員(1期)、外務大臣(第117代)、自由党党首、自由連合代表を歴任。長男は元衆議院議員の柿沢未途。 東京府東京市日本橋区小伝馬町(現東京都中央区日本橋小伝馬町)に柿澤常次郎の子として生まれる。生家は江戸時代創業の葛籠屋「柿澤常次郎商店」。東京都立両国高等学校、東京大学経済学部経済学科卒業。1958年、大蔵省(現財務省)に入省。本省勤務の他、外務省や経済企画庁への出向やフランス、ベルギーでの海外勤務を経験し、ベルギーに赴任中には長男の未途が誕生した。
半村 良(はんむら りょう、1933年10月27日 - 20… 半村 良(はんむら りょう、1933年10月27日 - 2002年3月4日)は、日本の男性小説家。 本名:清野 平太郎(きよの へいたろう)。 東京府東京市葛飾区生まれ。小学1年生の時に父を失う。1942年から1945年まで母親の実家である石川県能登地方に疎開していた。1952年、東京都立両国高等学校を卒業。その後は連込み宿の番頭やキャバレーのバーテンなど30近い職業を転々とした。広告代理店に勤務していた時代にはニッポン放送と密接な関係を持ち、5代目月の家圓鏡(後の8代目橘家圓蔵)をラジオパーソナリティとして発掘した。 1962年、短編小説『収穫』が第2回ハヤカワ・SFコンテストに入選(第3席)し、作家デビューした。
岡野 耕作(おかの こうさく、1933年2月9日 - )は、… 岡野 耕作(おかの こうさく、1933年2月9日 - )は、日本の俳優。東京都墨田区両国出身。 旧制都立第三中学(現;両国高校)、早稲田大学文学部仏文科卒業。 1955年、俳優として東映へ入社。 1967年、劇団青俳に入団。
石田 勝心(いしだ かつむね、1932年(昭和7年)10月2… 石田 勝心(いしだ かつむね、1932年(昭和7年)10月20日 - 2012年(平成24年)2月2日)は日本の映画監督。東京都駒込動坂町出身。 東京都立両国高等学校から東京芸術大学芸術学部美術学科に入学。1957年、卒業と同時に東宝撮影所の製作係に入社。当初は編集者を務めていたが、助監督に転向。1970年『喜劇 頑張れ!日本男児』で監督デビュー。 センチメンタリズムあふれる喜劇やホームドラマを得意としたが、東宝の主流分野ではないこともあり、後年はパニック映画、アクションものも手がけている。テレビ作品も多く手掛けた。 2012年2月2日、肺炎のため死去。79歳没。
熊川 好生(くまかわ よしお、1932年7月10日 - 20… 熊川 好生(くまかわ よしお、1932年7月10日 - 2002年2月15日)は、日本の政治家。浦安町長を経て、初代浦安市市長を務めた。 千葉県東葛飾郡浦安町(現・浦安市)出身。1951年、東京都立両国高等学校卒業。浦安町役場職員を経て1969年から浦安町長(2期)、1981年の市制施行後の浦安市にて1998年9月28日まで連続8期・29年、初代市長を務めた。東京ディズニーランドの誘致を始めとした数多くの政策を打ち出した。 1998年9月28日、体調不良を理由に浦安市長を辞任した。同年11月8日の市長選挙で松崎秀樹が当選し、第2代浦安市長となった。 2002年2月15日、急性心不全のため浦安市の病院で死去。
江沢 洋(えざわ ひろし、1932年6月2日 - 2023… 江沢 洋(えざわ ひろし、1932年6月2日 - 2023年9月10日)は、日本の物理学者。学習院大学名誉教授。学位は、理学博士(東京大学・1960年)。東京府出身。専門は理論物理学。
栗田 健(くりた けん、1931年11月3日 - 2022年… 栗田 健(くりた けん、1931年11月3日 - 2022年1月 )は、日本の経済学者、明治大学名誉教授、顧問。東京都出身。元明治大学総長。 この間に北海道大学、新潟大学、東京大学で非常勤講師など歴任
木村 光一(きむら こういち、1931年10月3日 - )は… 木村 光一(きむら こういち、1931年10月3日 - )は、日本の演出家。千葉県出身。 都立両国高等学校卒業、東京大学文学部中退。 文学座に文芸・演出部員として入り、1963年に演出家としてデビュー。1981年に文学座を退座した後は、2007年まで演劇制作体「地人会」を主宰し演劇分野で幅広い活動を行っていた。 桐朋学園芸術短期大学特任教授も務める。
望月 礼二郎(もちづき れいじろう、1931年1月20日 -… 望月 礼二郎(もちづき れいじろう、1931年1月20日 - 2021年2月1日)は、日本の法学者(英米法・比較法・民法)。東北大学名誉教授、神奈川大学名誉教授。東京出身
岡本 清(おかもと きよし、1930年3月25日 - )は、… 岡本 清(おかもと きよし、1930年3月25日 - )は、日本の会計学者。千葉県船橋市出身。一橋大学名誉教授、東京国際大学名誉教授。 専門は、原価計算・管理会計。日経・経済図書文化賞、日本会計研究学会学会賞受賞。第16期日本学術会議会員。2009年瑞宝中綬章受章。 千葉県船橋町(現:船橋市)出身。松本雅男門下。弟子に、廣本敏郎(一橋大学名誉教授、公認会計士・監査審査会長)・尾畑裕(一橋大学名誉教授)・小林啓孝(慶應義塾大学名誉教授)等がいる。モルガン銀行日本代表を務めた藤巻健史(元参議院議員)・石川千晶(公認会計士、情報公開・個人情報保護審査会委員)なども岡本ゼミ出身。 翻訳家の岡本浜江(日本児童文芸家協会顧問、児童文化功労者)は妻。
深代 惇郎(ふかしろ じゅんろう、1929年4月19日 - … 深代 惇郎(ふかしろ じゅんろう、1929年4月19日 - 1975年12月17日)は、日本の新聞記者。
伊東 光晴(いとう みつはる、1927年9月11日 - )は… 伊東 光晴(いとう みつはる、1927年9月11日 - )は、日本の経済学者。専門は理論経済学。京都大学名誉教授、復旦大学(中国)名誉教授、福井県立大学名誉教授。吉野作造賞等受賞。紫綬褒章受章。東京都出身。 一橋の杉本栄一ゼミや都留重人ゼミで学び、杉本の影響の下、近代経済学、マルクス主義を介した理論経済学の研究に従事する。また同期の山口敏明(東ソー社長や経済同友会副代表幹事を歴任)らとともに一橋新聞部にも参加。予科同期の佐藤金三郎(元横浜国立大学教授)とは生涯親しく交友した。 敗戦により、社会のロマンを解こうと経済学の道に入る。特別研究生時代は、日曜日朝から杉本の家で開かれるゼミに、同じく特別研究生の浅野栄一(中央大学名誉教授)や、ゼミOBの宮崎義一(京都大学名誉教授)、宮崎犀一(元東京女子大学教授)とともに出席し、杉本とともに宮川公男(一橋大学名誉教授)、玉井龍象(金沢大学名誉教授)、近藤鉄雄(大蔵官僚、元労働大臣)らの指導を行った。
平松 一朗(ひらまつ いちろう、1926年〈大正15年〉6月… 平松 一朗(ひらまつ いちろう、1926年〈大正15年〉6月6日 - 2022年〈令和4年〉8月15日)は、日本の実業家。京浜急行電鉄社長、同社会長、横浜新都市センター社長、横浜ポルタ会会長、日本民営鉄道協会会長等を歴任した。位階勲等は従三位旭日大綬章。 東京府品川生まれ。府立第三中学校(現東京都立両国高等学校)を経て、1945年(昭和20年)海軍兵学校卒業。海軍兵学校同期にノーリツ創業者の太田敏郎、阪急電鉄社長および平松の後任として日本民営鉄道協会会長を務めた小林公平等がいた。1949年(昭和24年)東京工業大学機械工学科卒業。1950年(昭和25年)京浜急行電鉄入社。経理部長等を経て、1981年(昭和56年)取締役に昇格。
藤田 近男(ふじた ちかお、1926年4月12日 - 200… 藤田 近男(ふじた ちかお、1926年4月12日 - 2005年2月6日)は、東京府出身の実業家。元キユーピー社長。 府立三中、陸軍幼年学校、陸士を経て、水産講習所(現東京海洋大学)卒業。中島董商店入店。中島董商店から1951年にグループ会社の食品工業(現キユーピー)設立に伴い移動。1971年社長、1993年副会長、1995年取締役相談役、1999年顧問、2001年特別顧問。勲三等旭日中綬章(1996年)。2005年2月6日死去。享年79。
中村 克郎(なかむら かつろう、1925年3月31日 - 2… 中村 克郎(なかむら かつろう、1925年3月31日 - 2012年1月22日)は日本戦没学生記念会「わだつみ会」元理事長。産婦人科医師。 山梨県で産婦人科を営む傍ら、太平洋戦争の学徒出陣に集い、その後戦死などをした学生の手記・随筆をまとめた文学作品「きけ わだつみのこえ」の著者の一人。同書は1949年出版後、増刷、映画化された。 その後「わだつみ会」の理事長に就任。太平洋戦争の恐ろしさと平和への尊さ・大切さを広く全国にPRする啓蒙活動を行った。2008年、「きけ わだつみのうた」の編纂・執筆に際して集めた戦争関係の資料を展示する史料・図書館である「わだつみ平和文庫」を設立。 2012年1月22日、肺炎のために逝去。
高城 淳一(たかぎ じゅんいち、1925年1月20日 - 2… 高城 淳一(たかぎ じゅんいち、1925年1月20日 - 2011年8月18日)は、日本の俳優、声優。演出家。本名:依田 郁夫(よだ いくお)。妻は女優の西乃砂恵(再婚)。 大阪府大阪市出身。東京府立第三中学校卒業。日本大学芸術科(現:日本大学藝術学部)中退(戦況悪化のため)。 1943年、劇団文芸劇場に入団。1945年に大学を中退した後、青年演劇集団に参加。1947年12月に劇団創造座に入団し、1949年12月まで所属、1950年6月、田中明夫、前沢迪雄、西乃砂恵、真木恭介、三島雅夫とともに劇団七曜会を設立に参画。1956年に劇団が分裂した後は七曜会の代表となり、演出家として活動も開始。1963年6月に七曜会を解散し、フリーランスで活動。
荒 松雄(あら まつお、1921年(大正10年)5月7日 -… 荒 松雄(あら まつお、1921年(大正10年)5月7日 - 2008年(平成20年)11月8日)は、日本の歴史学者(インド史・南アジア史)、小説家。位階は従四位。勲等は瑞宝重光章。学位は博士(史学)(専修大学・2001年)。筆名は「新谷 識」(しんたに しき)。東京大学名誉教授、恵泉女学園大学名誉教授、日本学士院会員。 東京大学東洋文化研究所教授、東京大学東洋文化研究所所長、津田塾大学学芸学部教授、恵泉女学園大学人文学部教授、財団法人東洋文庫研究員などを歴任した。 1921年、東京府東京市浅草区浅草材木町(現在の東京都台東区雷門二丁目)の裕福な商家、材木問屋に生まれた。5人きょうだいの末っ子であった。
田島 衛(たじま まもる、1921年(大正10年)2月23日… 田島 衛(たじま まもる、1921年(大正10年)2月23日 - 1988年(昭和63年)1月17日)は、日本の政治家。新自由クラブ衆議院議員(2期)。 東京府東京市(現東京都)江戸川区出身。府立三中(現都立両国高等学校)を経て早稲田大学法学部在学中、学徒出陣で海軍に入る。海軍特攻隊特殊潜航艇蛟龍艇長となり、海軍中尉で復員した。 その後、1951年(昭和26年)江戸川区議会議員に選出され4期在任。1969年(昭和44年)東京都議会議員となり2期務めた(自由民主党所属)。この間、都議会自民党副幹事長、同政調会長などを務めた。 1976年(昭和51年)第34回衆議院議員総選挙に東京都第10区から無所属で立候補して次点で落選。
鈴木 敬(すずき けい、1920年12月16日- 2007年… 鈴木 敬(すずき けい、1920年12月16日- 2007年10月18日)は、日本の美術史家。東京大学名誉教授、日本学士院会員。
奈良林 祥(ならばやし やすし、1919年(大正8年)4月2… 奈良林 祥(ならばやし やすし、1919年(大正8年)4月22日-2002年(平成14年)9月12日)は、日本の医学者・医学博士。性の研究者。東京生まれ。
トニー 谷(トニー たに、1917年〈大正6年〉10月14日… トニー 谷(トニー たに、1917年〈大正6年〉10月14日 - 1987年〈昭和62年〉7月16日)は、東京府東京市京橋区銀座(現:東京都中央区銀座)出身の舞台芸人(ヴォードヴィリアン)。本名、大谷 正太郎(おおたに しょうたろう)。 『モルガンお雪』
町田 甲一(まちだ こういち、1916年12月9日 - 19… 町田 甲一(まちだ こういち、1916年12月9日 - 1993年10月5日)は、日本の美術史家。名古屋大学教授等を経て、武蔵野美術大学名誉教授。 1916年、東京府東京市麹町区で日本画家・町田曲江の子として生まれた。東京府立第三中学校で学ぶが、病気のため2年遅れて1936年に卒業。同年、姫路高校に進学。卒業直前の1940年3月に治安維持法違反の疑いで神戸詩人事件に連座して検挙され、18ケ月にわたって拘禁された。1942年、東京帝国大学文学部に入学して美学を専攻した。大学では、児島喜久雄の下で学んだ。1944年に卒業し、その後は同大学大学院に進学。 1946年からは大学院在籍のまま、長尾美術館へ勤務。
後藤 譽之助(ごとう よのすけ、1916年10月25日 - … 後藤 譽之助(ごとう よのすけ、1916年10月25日 - 1960年4月13日)は、官僚、官庁エコノミスト、経済評論家。 経済白書執筆にあたり、第二次大戦後の日本の経済復興に対する政策立案に方向を与えた。 現在の東京都墨田区出身。大相撲年寄り、二十山親方(第二代小錦八十吉、本名後藤鶴松)の長子。母、菊。東京府立第三中学校(現東京都立両国高等学校)卒業。旧制第一高等学校卒業。 1941年12月、東京帝国大学工学部電気工学科卒。電気庁、大東亜省奉職。経済安定本部・経済審議庁・経済企画庁において、第二次大戦後の日本の経済復興政策立案及び景気循環分析にかかわる。直属の上司・先輩に大来佐武郎、部下に宍戸寿雄、金森久雄、内野達郎、丸茂明則等。
後藤 譽之助(ごとう よのすけ、1916年10月25日 - … 後藤 譽之助(ごとう よのすけ、1916年10月25日 - 1960年4月13日)は、官僚、官庁エコノミスト、経済評論家。経済白書執筆にあたり、第二次大戦後の日本の経済復興に対する政策立案に方向を与えた。
塩谷 賛(しおたに さん、1916年8月28日 - 1977… 塩谷 賛(しおたに さん、1916年8月28日 - 1977年5月8日)は、編集者、幸田露伴研究家。本名は土橋利彦。 東京府生まれ。東京府立第三中学校を卒業後、1942年甲鳥書林に入社、44年幸田露伴の許を訪れ、そのまま助手となり『評釈芭蕉七部集』などの口述筆記にたずさわる。46年『中央公論』に「天皇」を発表。47年露伴の没後は、岩波書店「露伴全集」ほかの編纂に携わり、娘の「幸田文全集」中央公論社ほかの編纂にも関わった。 1960年失明。音声テープ等を用い約五年がかりで評伝『幸田露伴』を執筆、1968年に第20回読売文学賞を受賞。
晝間 弘(ひるま ひろし、1916年3月5日 - 1984年… 晝間 弘(ひるま ひろし、1916年3月5日 - 1984年10月6日)は、彫刻家、日本芸術院会員。
中島 辰次郎(なかじま たつじろう、1916年3月 - 19… 中島 辰次郎(なかじま たつじろう、1916年3月 - 1989年6月22日)は大日本帝国陸軍の特務機関員。戦後はキャノン機関や公安警察の協力者であったとされる。 千葉県出身。東京府立第三中学校(現・東京都立両国高等学校・附属中学校)卒業。第二次世界大戦中は日高富明大佐の部下で陸軍特務機関員。 1960年12月24日に起きた漁船の船長らによる密出国事件「旭洋丸事件」の一審判決(松江地方裁判所浜田支部)における認定では、中島はかつての関東軍の特務機関員であり、終戦後には在日米軍の情報員となり、以後、「内閣調査室」「韓国景武台機関」に籍を置き、共産圏国家の情報蒐集にあたったとされている。 1963年9月、有楽町の喫茶店「ナイル」で、砒素の入ったコーヒーを飲まされ、暗殺されかかるが、応急処置で九死に一生を得る。