スポーツ選手、俳優、学者、実業家、芸能人など各界で活躍する人物情報に加え、外の言語(多言語)で紹介されている内容や、その人物にゆかりのある地の観光資源データを集めました。
水木 亮(みずき りょう、1942年 - )は、日本の作家。… 水木 亮(みずき りょう、1942年 - )は、日本の作家。在野の民俗学者。本名・望月弘美。 山梨県出身。戦時中、日本領であった現在の北朝鮮領に生まれ、戦後山梨県に住む。早稲田大学を卒業して、同大学院文学研究科に進み、修士課程を修了しした。修了後は山梨に帰り、国語科教諭として勤務する傍ら創作活動を行った。 山梨県立甲府第一高等学校教諭であった1975年、投稿作「いつか俺達のブルースを」が集英社主催の第8回『小説ジュニア』青春小説小説新人賞で最終選考に残り、入選作にはならなかったが『小説ジュニア』1975年8月号に掲載された。1977年に行われた第10回の同賞でも、「青春ブルース」が最終選考に残ったが、落選している。
柴辻 俊六(しばつじ しゅんろく、1941年9月10日 - … 柴辻 俊六(しばつじ しゅんろく、1941年9月10日 - 2022年5月21日 )は、日本の歴史学者・古文書学者・図書館員。元早稲田大学図書館司書。専門は日本の戦国時代史。 1941年、山梨県中巨摩郡竜王村(現甲斐市、旧竜王町)に生まれる。農家・斎藤家の次男。1957年に竜王村立竜王中学校、1960年に山梨県立甲府第一高等学校、1964年に早稲田大学教育学部を卒業。卒業論文において山梨県郷土史を題材とし、郷土史家の赤岡重樹の教示を受け「村落形成と水利潅漑」(主査、熊谷幸次郎)として発表する。同大学院文学研究科史学専修修士課程に入学すると荻野三七彦から古文書学の指導を受け、山梨県に現存する古文書を採集し『新編甲州古文書』として編纂する。
備仲 臣道(びんなか しげみち、1941年3月21日 - )… 備仲 臣道(びんなか しげみち、1941年3月21日 - )は、日本の著述家・在野史家。日朝関係史に造詣が深い。
辻 一幸(つじ かずゆき / いっこう、1940年(昭和15… 辻 一幸(つじ かずゆき / いっこう、1940年(昭和15年)10月2日 - )は日本の政治家。元山梨県早川町長(11期)。 1940年(昭和15年)早川町生まれ。甲府北中学校、甲府第一高等学校を経て、1964年(昭和39年)青山学院大学経済学部を卒業した。早川町で運送業を営む。 1980年(昭和55年)の早川町長選挙で初当選した。 一幸は1980年の町長就任以降、1992年と2012年の2回のみ選挙戦を行っており、他の9回は全て無投票での当選である。退任時点で当選回数と就任年数は全国最多だった。 2023年12月6日、定例の町議会で、「春ごろから体調不良が続いている」と述べ、2024年11月15日の任期満了を以ての退任を表明した。
渡辺 章(わたなべ あきら、1940年10月- )は、日本の… 渡辺 章(わたなべ あきら、1940年10月- )は、日本の法学者、筑波大学名誉教授。 山梨県生まれ。山梨県立甲府第一高等学校卒業、1964年中央大学法学部法律学科卒業、1970年東京大学大学院法学政治学研究科民刑事法専門課程博士課程単位取得退学、東京学芸大学講師、73年助教授、86年教授、90年筑波大学教授、2002年同名誉教授、東京経済大学現代法学部教授、2004年専修大学大学院法務研究科教授、2011年定年退職。労働法が専門。
坂本 孝(さかもと たかし、1940年〈昭和15年〉5月4日… 坂本 孝(さかもと たかし、1940年〈昭和15年〉5月4日 - 2022年〈令和4年〉1月26日)は、日本の実業家。 山梨県甲府市出身。ブックオフコーポレーション創業者(同社代表取締役社長→会長を歴任)。その後、俺の株式会社を創業し、同社名誉会長。 経営哲学などにおいて、京セラ創始者の稲盛和夫の影響を多大に受けている実業家のひとり。稲盛の提唱する「6つの精進」などを経営理念に取り入れている。 大学時代は慶應義塾ワグネル・ソサィエティー男声合唱団と慶應義塾大学落語研究会に所属。
高野 二郎(たかの じろう、1940年 - )は、日本の化学… 高野 二郎(たかの じろう、1940年 - )は、日本の化学者。理学博士。 専門は有機化学、環境化学、大学教育。東海大学理学部長、学長室長、副学長、学長などを歴任し、副総長を務める。 山梨県出身。東海大学生え抜きの学長。 山梨県立甲府第一高等学校卒業。1964年 東海大学工学部卒業。 2003年10月~2007年9月 学長職1期目の就任。2007年10月 学長代理に就任。2009年10月 学長職2期目の就任。 2012年 学校法人東海大学副総長に就任。2014年9月 学長職任期満了。 2014年10月 学校法人東海大学理事職に就任。
渡辺 利夫(わたなべ としお、1939年6月22日 - )は… 渡辺 利夫(わたなべ としお、1939年6月22日 - )は、日本の経済学者。学位は、経済学博士。東京工業大学名誉教授、拓殖大学名誉教授、公益財団法人オイスカ会長。日本李登輝友の会会長。一般社団法人高齢者活躍支援協議会会長。専門は開発経済学と現在アジア経済論。山梨県甲府市生まれ。
井尻 千男(いじり かずお、1938年8月2日 - 2015… 井尻 千男(いじり かずお、1938年8月2日 - 2015年6月3日)は、日本の評論家、コラムニスト。拓殖大学名誉教授、拓殖大学日本文化研究所顧問(前所長)。新しい歴史教科書をつくる会顧問。 山梨県出身。立教大学文学部日本文学科卒業後、日本経済新聞社入社。文化部に勤務し、読書面のコラム『とじ糸』 『活字のうちそと』などのコラムを25年間執筆し、コラムニストとして活動。 1982年7月、月刊誌『Voice』誌上において、佐々木敦というペンネームでコラム「ベストセラー最前線」の執筆を開始。連載は1991年3月に『流行の言説・不易の思想―ベストセラー書評社会学』、1996年4月に『読書の醍醐味―ベストセラーで読み解く世紀末』としてまとめられている。
平野 忠彦(ひらの ただひこ、1938年3月5日 - 201… 平野 忠彦(ひらの ただひこ、1938年3月5日 - 2014年6月13日)は日本の俳優、オペラ歌手。山梨県甲府市出身。
井上 幸彦(いのうえ ゆきひこ、1937年(昭和12年)11… 井上 幸彦(いのうえ ゆきひこ、1937年(昭和12年)11月4日 - )は、日本の警察官僚。第80代警視総監。オウム真理教事件の捜査で名を馳せる。日韓合同開催ワールドカップなど国内の重要イベントでは警備を通して危機管理強化に貢献した。退官後、政治家への転身を目指し、2003年(平成15年)2月2日に行われた山梨県知事選挙に立候補したが、山本栄彦甲府市長に敗れて約46,000票差で落選した。栄典は瑞宝重光章。 1995年、突如発生した地下鉄サリン事件に見舞われ、警視庁は日本犯罪史上最悪のテロ事件に対応する使命を急遽担うこととなる。一般市民を狙った無差別化学テロという未曾有の凶悪犯罪に対し、井上自身も時の警視総監として警視庁の陣頭指揮を執る立場となった。
保坂 司(ほさか つかさ、1937年3月3日 - 2018年… 保坂 司(ほさか つかさ、1937年3月3日 - 2018年1月21日)は、山梨県甲府市出身の元サッカー選手、サッカー指導者、政治家。 積翠寺温泉(甲府市)の旅館「古湯坊 坐忘庵」の保坂家の22代目であり、サッカーは山梨県立甲府第一高校の3年次より始めた。当初はウィングであったが、その後にGKにポジションを変更し、同年の第9回国民体育大会では準優勝を経験した。進学した明治大学でもサッカー部に所属、1年次よりスタメンに定着した。 大学卒業後は古河電工サッカー部に入部。古河では実業団初となる天皇杯獲得に貢献した。 1960年11月6日の韓国代表戦で日本代表として初出場。1964年の東京五輪でもレギュラーと目されていたが、大会直前の遠征で手を骨折してしまい、横山謙三にポジションを譲る事になった。
松野 春樹(まつの はるき、1937年1月24日 - 200… 松野 春樹(まつの はるき、1937年1月24日 - 2008年7月3日)は、山梨県出身の元郵政官僚、元郵政事務次官。 山梨県立甲府第一高等学校を経て、東京大学法学部第2類(公法コース)卒業後、1960年に郵政省に入省。1977年郵政局輸送課長。1979年人事局管理課長、1981年大臣官房経理部主計課長、1983年大臣官房秘書課長、1985年6月電気通信局電気通信事業部長、1988年6月大臣官房長、1989年6月簡易保険局長、1990年6月貯金局長、1992年7月通信政策局長、1993年7月電気通信局長、1994年7月より郵政事務次官を務めた。叙位叙勲は、従三位瑞宝中綬章。 郵政省退官後は、財団法人日本データ通信協会理事長、郵便貯金振興会理事長などを務め、2000年よりNTT代表取締役副社長。
神山 茂(かみやま しげる、1936年10月19日 - 20… 神山 茂(かみやま しげる、1936年10月19日 - 2024年11月18日)は、日本の実業家。株式会社ジャステック創業者・取締役会長。元情報サービス産業協会副会長。藍綬褒章受章。 山梨県立甲府第一高等学校を経て、1960年横浜国立大学教育学部数学科卒業、伊藤忠電子計算機(現伊藤忠テクノソリューションズ)入社。1962年日本ビジネスオートメーション(現東芝情報システム)入社。1971年ジャステックを設立し、代表取締役社長に就任。1997年情報サービス産業協会理事。2002年日本経済団体連合会評議員。2003年には東京証券取引所市場第一部に上場。2007年情報サービス産業協会副会長。2010年ジャステック取締役会長。
藤巻 義麿(ふじまき よしまろ、1936年(昭和11年)1月… 藤巻 義麿(ふじまき よしまろ、1936年(昭和11年)1月28日 - )は、日本の政治家。元山梨県甲斐市長(1期)。旭日小綬章受章。 山梨県立甲府第一高等学校卒。竜王町議会議員、同町長を経て、2004年に竜王町は合併により甲斐市となり、合併後の市長選挙に立候補し、無投票で当選した。甲斐市長は1期務め、2008年の市長選挙にには出馬しなかった。2009年秋の叙勲で旭日小綬章を受章。
山本 栄彦(やまもと たかひこ、1935年〈昭和10年〉9月… 山本 栄彦(やまもと たかひこ、1935年〈昭和10年〉9月6日 - 2023年〈令和5年〉4月9日)は、日本の政治家。第58代山梨県知事(2003年2月 - 2007年2月)、第33-35代山梨県甲府市長(1991年4月 - 2002年12月)。 明治大学経営学部を卒業。県経営者協会勤務の後、家業の旅館業を継ぐ(後述)。 伯父の山本達雄は元甲府市長で、自身も1991年4月に市民グループの公募に応じる形で甲府市長選挙に立候補。自民党の支援も得て初当選を果たし3期11年務める。この間、山梨県市長会長(1994年11月 - 1996年6月、2002年6月 - 2002年12月)・全国市長会副会長(1995年1月 - 1995年6月)・全国首長連携交流会会長(1997年4月 - 1999年5月)を歴任した。
清水 湛(しみず あつし、1934年(昭和9年)9月24日 … 清水 湛(しみず あつし、1934年(昭和9年)9月24日 - 2024年11月13日)は、日本の裁判官。弁護士(笠井総合法律事務所)。位階は正三位。元広島高等裁判所長官。山梨県出身。
深沢 建彦(ふかさわ たけひこ、1934年4月3日 - ) … 深沢 建彦(ふかさわ たけひこ、1934年4月3日 - ) は、山梨県出身のプロ野球選手。ポジションは投手。 甲府一高を卒業し、国鉄スワローズの入団テストを受け、合格し入団した。背番号は43。1955年に背番号が21に変更。 1956年に現役を引退し、1957年に先輩の中村栄に引き連れられ小林勝己とともに富士重工太田に入団。同年夏には都市対抗野球に出場した。
小林 俊一(こばやし しゅんいち、1933年1月2日 - 2… 小林 俊一(こばやし しゅんいち、1933年1月2日 - 2012年11月15日)は、日本のテレビプロデューサー、演出家。フジテレビジョンなどで活躍した。 山梨県出身。山梨県立甲府第一高等学校を経て日本大学芸術学部卒業。フジテレビジョンに1期生として入社。 1967年に渥美清とともに、コメディドラマ『おもろい夫婦』を成功させた。 渥美清を山田洋次に紹介し、連続ドラマの脚本執筆を依頼した、いわばドラマ・映画『男はつらいよ』の「生みの親」である。 1968年のテレビドラマ『男はつらいよ』で演出を手掛けた。同年8月27日、作詞家の星野哲郎に、渥美清が歌う主題歌『男はつらいよ』の作詞を依頼した。1969年公開の映画『続・男はつらいよ』では、山田洋次、宮崎晃と共同で脚本を書いた。
有泉 貞夫(ありいずみ さだお、1932年(昭和7年)12月… 有泉 貞夫(ありいずみ さだお、1932年(昭和7年)12月21日 - 2022年(令和4年)8月15日)は、日本の歴史学者、東京商船大学名誉教授。専門は日本近代政治史。 山梨県西八代郡市川大門町(現:市川三郷町)に生まれる。生家の市川有泉家は江戸後期に巨摩郡東南湖村出身(南アルプス市東南湖)の初代・久紀(市右衛門)を祖とする。酒造業を営み、父の直松は市川大門町長・政友会系の県議会議員。祖父は市川大門村初代村長で漢詩人の有泉米松(蘆堂)。兄の亨は県議会議員。 市川小学校、市川国民学校初等科を卒業し、1945年4月に山梨県立甲府中学校に入学する。戦時下には勤労動員され、陸軍飛行場(ロタコ)の工事にも従事する。
手沢 庄司(てざわ しょうじ、1932年4月2日 - 202… 手沢 庄司(てざわ しょうじ、1932年4月2日 - 2025年12月8日[要出典])は、山梨県甲府市出身のプロ野球選手、元プロ野球審判員。 1950年に甲府第一高校卒業後、内野手として1952年に松竹ロビンスに入団。1953年チームが大洋ホエールズと合併して大洋松竹ロビンスとなっても移籍せず所属していたが1954年に親会社の松竹が共同経営から撤退し大洋ホエールズに戻ると同時に引退。選手としては3試合に出場し、1打数0安打。 引退後は松竹演舞場に勤務していたが御世話になった先輩に導かれ1962年、セントラル・リーグ審判部に入局した。セ・リーグ袖番号は21(1988年初採用から1989年引退まで)。
依田 智治(よだ ともはる、1932年〈昭和7年〉3月31日… 依田 智治(よだ ともはる、1932年〈昭和7年〉3月31日 - 2026年〈令和8年〉2月27日)は、山梨県出身の元警察官僚、元参議院議員。元防衛事務次官。 ※参照:依田智治『依田智治の主張』(朝雲新聞社、2004年)
内藤 博文(ないとう ひろふみ、1931年〈昭和6年〉1月2… 内藤 博文(ないとう ひろふみ、1931年〈昭和6年〉1月20日 - 2013年〈平成25年〉4月29日)は、山梨県出身のプロ野球選手。ポジションは二塁手。 甲府中学(学制改革により1948年より甲府一高)では野球部と陸上部を掛け持ちし、1947年の第2回国民体育大会では短距離走種目に出場した。1948年に読売ジャイアンツが初めて開いた入団テストを受け、第一号の合格者となる。同年夏の大会では山梨県予選で優勝するも、山静大会で敗れたため、高校を中退して巨人に入団した。 入団3年目の1950年に前年度までの正遊撃手であった白石敏男が広島に移籍したことからチャンスを掴み、遊撃手として出場した66試合を含む113試合に出場し、準レギュラー格となる。
萩原 忠(はぎわら ただし、1931年 - )は、日本の実業… 萩原 忠(はぎわら ただし、1931年 - )は、日本の実業家、発明家。ハジー技研株式会社代表取締役、株式会社インターホールディングス名誉会長 1931年、山梨県甲府市生まれ。山梨県立甲府中学校(現・甲府第一高等学校)卒業。 立教大学卒業後、金門製作所(ガス、水道メーターの専門メーカーであるに就職。流体制御技術を習得し、LPG小型ガスメーター、高層ビル用流量測定メーターを開発、発明して高い評価を得る。 1962年、アメリカ(DYNAMIC ECOLOGY社)に招聘され、NASAアポロ計画に参加。 油圧機器の劣化防止装置の開発を担当。以降、製鉄、鉄鉱、石油、電力、化学、原子力、鉄道等すべての基幹産業における流体制御(濾過、分離、混合、劣化防止)の専門技術者として従事。
中尾 栄一(なかお えいいち、1930年1月27日 - 20… 中尾 栄一(なかお えいいち、1930年1月27日 - 2018年11月18日)は、日本の政治家。衆議院議員(11期)を務めた。山梨県出身。山梨県立甲府第一高等学校、青山学院大学文学部英米文学科卒業。早稲田大学大学院修士課程修了。元日本テコンドー連盟会長。渡辺派議長。 芦田均秘書などを経て、1967年、無所属で第31回衆議院議員総選挙に旧山梨全県区から出馬し初当選(当選同期に山下元利・増岡博之・加藤六月・塩川正十郎・河野洋平・藤波孝生・武藤嘉文・坂本三十次・塩谷一夫・山口敏夫など)。当選後、自由民主党の佐藤栄作総裁から追加公認を受け、自民党に入党した。 1973年には中川一郎、石原慎太郎らとタカ派政策集団 ・青嵐会を結成し名を売った。
堀内 光雄(ほりうち みつお、1930年〈昭和5年〉1月1日… 堀内 光雄(ほりうち みつお、1930年〈昭和5年〉1月1日 - 2016年〈平成28年〉5月17日)は、日本の政治家、実業家。血液型AB。 衆議院議員(10期)、富士急行株式会社会長、労働大臣(第51代)、通商産業大臣(第60代)、自由民主党総務会長(第43代)を歴任した。位階は正三位。勲等は勲一等旭日大綬章。 山梨県東八代郡御坂町(現笛吹市)出身。富士急行創業者一族の出身で、祖父、父ともに衆議院議員。生誕地は当時父・一雄が関東軍参謀として赴任していた関東州旅順。誕生時は元日だった為産婆がおらず、隣家に住む石原莞爾の妻が代わりに取り上げたという。父の転任に伴い奉天、新京、安東の日本人小学校に通った。
中村 啓信(なかむら ひろとし、1929年(昭和4年)4月2… 中村 啓信(なかむら ひろとし、1929年(昭和4年)4月23日 - )は、日本の日本文学者。國學院大學名誉教授。 1929年、山梨県甲府市山宮町で生まれた。山梨県立甲府第一高等学校を卒業し、國學院大學文学部国文科に進学。1953年に卒業し、同大学大学院に進んだ。1957年、博士課程を満期退学。 その後、國學院大學日本文化研究所研究員。1976年、同大学文学部教授に就き、日本文化研究所教授を兼ねた。1989年古事記学会代表理事に就任。また同年に日本学術会議推薦人となった。1993年、学位論文『荷田春満書入古事記とその研究』を國學院大学に提出して文学博士の学位を取得。2000年に國學院大學を定年退任し、名誉教授となった。
辻 信太郎(つじ しんたろう、1927年(昭和2年)12月7… 辻 信太郎(つじ しんたろう、1927年(昭和2年)12月7日 - )は、日本の実業家、作家。山梨県庁職員を経て、株式会社サンリオを創業。同社代表取締役社長・会長を歴任し、現在は同社の名誉会長。 1960年8月の創業以来、2020年6月までサンリオの社長を務めた。サンリオ作品の原作・脚本を執筆するなどの創作活動も手がけている。日本文芸家協会・日本ペンクラブ会員。 長男はサンリオ副社長を務めた辻邦彦(2013年没)。また現社長・辻朋邦は孫。 サンリオが発行する『いちご新聞』で毎号コラムを掲げる「いちごの王さま」は辻の分身的存在であり、王さまの姿を借りて「世界中がみんな仲良く平和に暮らせるように」との願いを発信し続けている。
増村 保造(ますむら やすぞう、1924年8月25日 - 1… 増村 保造(ますむら やすぞう、1924年8月25日 - 1986年11月23日)は、日本の映画監督、脚本家である。 山梨県甲府市出身。旧制甲府中学から旧制第一高等学校を経て東京大学法学部を卒業。東大法学部時代の知人に三島由紀夫がいる。 1947年、大映に助監督として入社。東京大学文学部哲学科に再入学。1952年、イタリア留学、イタリア国立映画実験センターでフェデリコ・フェリーニやルキノ・ヴィスコンティらに学ぶ。帰国後、溝口健二や市川崑の助監督として参加。1957年、『くちづけ』で監督デビュー。監督第2作『青空娘』より若尾文子とタッグを組み、『妻は告白する』『清作の妻』『「女の小箱」より 夫が見た』『赤い天使』『卍』『刺青』などの佳作にして重要な作品群を残す。
吉田 冨士雄(よしだ ふじお、大正13年(1924年)7月5… 吉田 冨士雄(よしだ ふじお、大正13年(1924年)7月5日 - 平成2年(1990年)7月28日)は、山梨県出身の大蔵官僚、サントリー株式会社副社長。 東京府豊多摩郡中野町(現在の東京都中野区)で、父吉田健(つよし)、母欣子の長男として生まれる。父親の転勤により小学校5年までを新潟県師範学校附属小学校、小学校6年まで鳥取県師範学校附属小学校、旧制中学校2年まで鳥取二中(現在の鳥取県立鳥取東高等学校)に通学。その後、甲府の父親の生家に帰り甲府中学(現在の山梨県立甲府第一高等学校)を経て、昭和18年(1943年)9月に第一高等学校文科丙類を卒業。東京帝国大学法学部に入学。 短期現役海軍主計科士官(12期)を志願。
竹前 重吉(たけまえ じゅうきち、1922年6月15日 - … 竹前 重吉(たけまえ じゅうきち、1922年6月15日 - 2011年9月11日)は、日本の映画監督である。名の読みは「しげきち」説あり。日本映画監督協会会員。 1922年(大正11年)6月15日、山梨県甲府市に生まれる。 1940年(昭和15年)、旧制・甲府中学校(現在の山梨県立甲府第一高等学校)を卒業、第二次世界大戦の召集を受け出征、戦後1946年(昭和21年)に南方戦線から復員する。1947年(昭和22年)、俳優の長谷川一夫が主宰する新演伎座の文芸部に入社し、映画監督の衣笠貞之助や冬島泰三に師事する。 1953年(昭和28年)、宝塚映画製作所(現在の宝塚映像)助監督課に移籍、冬島のほか、豊田四郎、丸根賛太郎、佐伯幸三らの助監督を務め、1959年(昭和29年)、同社が製作した劇場用映画『やりくりアパート』で監督に昇進、社員から契約監督となる。
末木 剛博(すえき たけひろ、1921年9月10日 - 20… 末木 剛博(すえき たけひろ、1921年9月10日 - 2007年12月1日)は、日本の哲学者、論理学者、比較思想研究者。東京大学教養学部名誉教授。 戦後いち早く現代論理学(記号論理学)を研究した一人。東大の大学院では科学史・科学哲学と比較文化を教えた。中村元を助け比較思想学会の創立に関わり、同学会の理事を務めた。 1921年、山梨県甲府市生まれ。旧制甲府中学、第一高等学校を経て、1945年東京帝国大学哲学科卒業。卒業後は東京帝国大学副手、電気通信大学助教授を経て、1954年より東京大学教養学部助教授となった。後に同大学教授に昇進。在職中には東京大学陵禪会の顧問を務め、学生と共に参禅していた。この陵禪会の繋がりで、野矢茂樹は末木を師の一人として仰ぐ様になる。
上條 馨(かみじょう かおる、大正10年(1921年)3月7… 上條 馨(かみじょう かおる、大正10年(1921年)3月7日 - 昭和36年(1961年)1月3日)は、山梨県の郷土史家、神職。 山梨県甲府市に御崎神社の宮司を務める上條定久、多津の二男として生まれる。昭和13年(1938年)3月に山梨県立甲府中学校(現在の山梨県立甲府第一高等学校)を卒業後、神宮皇學館(現在の皇學館大学)に入学し同校を卒業。山梨県立甲府中学校、山梨県立甲府第一高等学校に勤務し、昭和23年(1948年)には母校である山梨県立甲府第一高等学校の校歌を作詞、また、父の後を継ぎ御崎神社宮司を務める。その後、病気のため同校教諭を辞職。後に山梨学院大学講師、山梨学院大学附属高等学校教諭となる。
飯田 龍太(いいだ りゅうた、1920年(大正9年)7月10… 飯田 龍太(いいだ りゅうた、1920年(大正9年)7月10日 - 2007年(平成19年)2月25日)は、山梨県出身の俳人。飯田蛇笏の四男で、蛇笏を継ぎ俳誌「雲母」を主宰。戦後の俳壇において森澄雄とともに伝統俳句の中心的存在として活躍した。
川手 良萬(かわて よしかず、1920年3月29日 - 1… 川手 良萬(かわて よしかず、1920年3月29日 - 1986年10月18日)は、日本の実業家。山梨県建設業協会会長、山梨県サッカー協会会長。日本プロサッカーリーグ(Jリーグ)に加盟するヴァンフォーレ甲府の前身である甲府サッカークラブの創始者でもある。 山梨県北巨摩郡若神子村(現在の北杜市須玉町)生まれ。父の川手良雄は小学校長や無尽会社の支店長などを歴任した。長兄の川手良親は山梨県土木部長や須玉町長を務めた。良雄の従姉の夫は、昭和初期に衆議院議員を務めた川手甫雄 。 旧制甲府中学校(現在の山梨県立甲府第一高等学校、以下「甲府一高」と記述)に進学しサッカー部に所属していた。山梨高等工業学校(現在の山梨大学工学部)を卒業後、山梨県土木課に勤務した。
五味 芳夫(ごみ よしお、1917年11月14日 - 198… 五味 芳夫(ごみ よしお、1917年11月14日 - 1988年9月10日)は、山梨県甲府市出身のプロ野球選手。右投右打で、ポジションは内野手。 甲府中学では1年生からレギュラーとなり、第21回全国中等学校優勝野球大会に出場。1回戦の青島中学戦で1試合5盗塁を記録。この記録は現在も夏の甲子園の大会記録として残っている。 1936年に名古屋金鯱軍へ入団し、山梨県初のプロ野球選手となった。1939年は30盗塁を記録し、山田伝と並んで盗塁王を獲得した。これにより1937年の秋のシーズンに島秀之助が盗塁王を獲得してから、江口行男、佐々木常助、五味芳夫と、4シーズン連続で同一の球団(名古屋金鯱軍)の各選手が盗塁王を獲得するという、珍記録が達成されたことになる。
神沢 浄(かんざわ きよし、正式には「神澤淨」。1915年8… 神沢 浄(かんざわ きよし、正式には「神澤淨」。1915年8月25日 - 2007年3月1日)は、日本の政治家。日本社会党参議院議員、衆議院議員。 山梨県中巨摩郡竜王村(現・甲斐市)の農家に生まれる。1933年旧制甲府中学校(現・山梨県立甲府第一高等学校)を卒業。戦前は中国に渡り、貿易会社に勤務する。終戦後は郷里で青年団運動に打ち込み、1947年竜王村村長に当選する。同年4月15日に就任した。翌1948年に社会党に入党。1951年4月4日に村長を退任した。同年の山梨県議会議員選挙に中巨摩郡選挙区から社会党公認で立候補したが、この時は落選した。1955年の県議選では左派社会党から立候補して当選した。
川手 泰二(かわて たいじ、1911年9月1日 - 1986… 川手 泰二(かわて たいじ、1911年9月1日 - 1986年8月22日)は、日本の新聞記者、会社経営者。名古屋放送株式会社代表取締役社長、会長。全国朝日放送取締役。 山梨県北杜市(旧須玉町若神子)出身。父は、昭和初期に立憲政友会所属で山梨県選出の衆議院議員だった川手甫雄。兄は、山梨トヨタ自動車社長やテレビ山梨取締役を務めた川手淳一。弟は、日軽アルミニウム工業専務を務めた川手雄三。 山梨県立甲府中学校、日本大学法学部卒業。大学卒業後の1936年に朝日新聞社に入社。社会部の事件記者として鳴らし、警視庁キャップを務めた。1961年に東京本社特信部長に就任。 1962年4月、名古屋放送の開局に際して放送界に転じ、取締役東京支社長に就任。
他阿 一雲(たあ いちうん、本名:河野 憲善〈こうの けんぜ… 他阿 一雲(たあ いちうん、本名:河野 憲善〈こうの けんぜん〉、1910年〈明治43年〉6月 - 2004年〈平成16年〉8月26日)は、兵庫県神戸市生まれの時宗の73世法主(遊行上人)、藤沢市清浄光寺56世住職(藤沢上人)。島根大学名誉教授(専門は日本思想史)。 時宗の遊行上人は終身制であるため途中で病にかかって長期入院してしまっても代務者を立てることができなかった。このような制度により遊行上人が遷化(死亡)した後、前任に代わり法主候補者が新たに遊行上人となるのが従来の事務処理上手続きであった。 ただし、この制度には不都合な面があり、それは病などにより任務が遂行できなくなるような状態であっても遊行上人は任務を継続しなければならず、周囲の僧侶が運営する行事に停滞が発生することが問題としてあった。
古屋 五郎(ふるや ごろう、1910年 <明治43年> 1月… 古屋 五郎(ふるや ごろう、1910年 <明治43年> 1月2日 - 1994年 <平成6年> 9月4日)は、日本の政治家、陸軍軍人。山梨県北巨摩郡菅原村長および初代白州町長(ともに現在の北杜市)。最終階級は陸軍衛生兵長。位階は従六位。応召先の陸軍病院長が行った物資の横領や従軍看護婦の強姦行為を告発した人物として知られる。 1910年(明治43年)1月2日、山梨県北巨摩郡菅原村字竹宇(現北杜市)の旧家古屋浜吉・ふじの三男として生まれる。旧制甲府中学校(現・山梨県立甲府第一高等学校)に進学するも、兄二人が東京帝国大学在学中に病よって倒れたことから、同じ轍をふまないようにと両親の考えにより卒業後は進学を諦め、家業の農業を継ぐ傍ら1927年(昭和2年)から菅原村役場の書記として勤務をはじめる。
米倉 壽仁(よねくら ひさひと、1905年(明治38年)2月… 米倉 壽仁(よねくら ひさひと、1905年(明治38年)2月19日 - 1994年(平成6年)3月18日)は、日本のシュルレアリスムの洋画家、詩人。 山梨県甲府市にて甲陽館米倉旅館を営む両親のもとに、次男として生まれる。 1922年、山梨県立甲府中学校(現山梨県立甲府第一高等学校)を卒業。1923年、名古屋高等商業学校(現名古屋大学)経済学部に入学し、後に日本にシュルレアリスムの紹介をおこなう詩人、山中散生と親交を結ぶ。1926年、名古屋高等商業学校を卒業する。 1928年、伯母が経営する伊藤学園甲府女子商業学校および甲府湯田高等女学校(現甲斐清和高等学校)の教諭となる。1930年、甲府市において辻葦夫、中村宗久、小柳津経広、田中常太郎、小宮山堅次とともに六人社を結成し、第1回展を開く。
土橋 里木 (つちはし りき、明治38年(1905年)1月4… 土橋 里木 (つちはし りき、明治38年(1905年)1月4日) - 平成10年(1998年)11月25日)は、山梨県出身の郷土史家。民俗学、口承文芸研究者。本名は土橋 力。 山梨県西八代郡上九一色村古関(現在の甲府市古関町)に、父「喜一」、母「かん」の長男として生まれる。上九一色尋常小学校を経て、1922年(大正11年)に山梨県立甲府中学校(現在の山梨県立甲府第一高等学校)を卒業する。同年、父親が第四代局長を務める上九一色郵便局に勤務する。上九一色郵便局は1874年(明治7年)7月に開局し、里木の曽祖父である土橋助右衛門は初代局長を務めている。 昭和23年(1948年)に里木は五代目の上九一色郵便局長となり、昭和48年(1973年)に退官する。
菅野 義丸(かんの よしまる、1904年〈明治37年〉6月1… 菅野 義丸(かんの よしまる、1904年〈明治37年〉6月14日 - 1979年〈昭和54年〉5月7日)は、日本の鉄道官僚、実業家。内閣官房副長官、国際電信電話社長。旧姓は長田。 山梨県東八代郡上曽根村(現甲府市)の長田家に生まれ、その後、菅野家に婿入りして本籍を福島県に移す。山梨県立甲府中学校(現山梨県立甲府第一高等学校)を経て、検定試験に合格して、1931年3月、東京帝国大学法学部法律学科を卒業。1930年10月、高等試験行政科試験に合格。1931年、鉄道省に入省し仙台鉄道局書記となる。 以後、鉄道省事務官、鉄道局副参事、国際観光局事務官、大阪鉄道局運輸部長、同業務部長、運輸省大臣官房文書課長、日本国有鉄道職員局長などを歴任。
水上 達三(みずかみ たつぞう、1903年〈明治36年〉10… 水上 達三(みずかみ たつぞう、1903年〈明治36年〉10月15日 - 1989年〈平成元年〉6月16日)は、日本の実業家。 山梨県北巨摩郡清哲村字青木(現・韮崎市)に農業水上勘三郎・千鶴夫妻の五男として生まれる。水上家は江戸時代、庄屋を務めた家系という。国文学者の清水泰は実兄。 旧制甲府中学校(現山梨県立甲府第一高等学校)を経て、1928年東京商科大学(現一橋大学)卒。大学の同期には三井物産副社長や東レ副社長等を務めた町田栄次郎、三菱地所社長を務めた伊藤達二、松下電器理事を務めた乗松健二、第一電工社長等を務めた松原美義がいる。 1928年三井物産入社。高崎派出所駐在員を命ぜられ、以後6年間を同地で過ごす。
功力 金二郎(くぬぎ きんじろう、1903年2月20日 - … 功力 金二郎(くぬぎ きんじろう、1903年2月20日 - 1975年12月19日)は、日本の数学者。専門は集合論、位相空間論、関数論で、特に複素関数論。 山梨県韮崎市神山町武田出身。旧制甲府中学、松本高等学校 (旧制)を経て、1926年東京帝国大学理学部数学科卒業、旧制東京高等学校教授となる。1927年に北海道帝国大学への1930年理学部設置が決まり、数学関係の創立委員となった師の吉江琢児の指名により教授候補者の1人として内定したのは東京帝国大学卒業後1年余であった。 北海道帝国大学理学部数学科開講までの準備期間3年の内、教授候補者は約2年間を海外留学することとなっており、1928年3月よりフランスに留学、パリ大学のモーリス・ルネ・フレシェに師事し、Docteur ès Science(フランス政府理学博士号)を取得、1930年9月に帰国。
辻 葦夫(つじ あしお、1902年(明治35年) - 198… 辻 葦夫(つじ あしお、1902年(明治35年) - 1980年(昭和55年)11月13日)は、日本の洋画家。「葦夫」は筆名で、本名は芳雄。 山梨県甲府市に生まれる。山梨県立甲府中学校(山梨県立甲府第一高等学校)を卒業後、上京して慶應義塾大学に入学する。大学時代から油絵をはじめ、1929年(昭和4年)には福沢一郎に師事する。翌年には地元で米倉壽仁らとシュルレアリスム絵画グループである「六人社」を結成する。また、1937年(昭和12年)に設立された山梨美術協会の結成にも参加し、1941年(昭和16年)・翌42年(昭和17年)には副委員長を務める。 1944年(昭和19年)には独立美術協会で《秋》、《静物》が入選し、同年にはサロン・ド・ジュワン会員となる。
濱 健夫(はま たけお、1901年(明治34年)11月26日… 濱 健夫(はま たけお、1901年(明治34年)11月26日 - 1984年(昭和59年)4月13日)は、日本の植物学者、細菌学者。専門は海洋や温泉に含まれる硫黄細菌の研究。妻は宗教家の金森通倫の五女・壽々枝。義弟(妹の夫)は元八幡市長の守田道隆。 長野県諏訪郡中洲村(現諏訪市)出身。東京高等師範学校附属小学校、旧制甲府中学、旧制一高を経て、1925年東京帝国大学理学部植物学科を卒業し、広島高等師範学校教授。1943年日本大学教授、理学博士号取得、勲四等瑞宝章受章。1949年明治学院大学教授。 1916年、日本基督教会山梨教会で金井為一郎から洗礼を受けた。聖書中に出てくる植物に関する研究考察や、キリスト教信仰と自然科学との関係を論じた論文も多い。
野田 孝(のだ こう、1901年 <明治34年> 8月20日… 野田 孝(のだ こう、1901年 <明治34年> 8月20日 - 1984年 <昭和59年> 9月23日)は、日本の経営者。阪急百貨店社長、会長を務めた。位階は従三位。 山梨県竜王町(現在の甲斐市)出身。1920年に甲府中学校を卒業後、旧制第一高等学校を目指して浪人していた。しかし、同年に同郷の小林一三に「(浪人してまで高校・大学に進学するより)早いとこ、実務についた方が良い」と勧められて、阪神急行電鉄に入社した。結婚まで小林一三の自宅に下宿し、結婚後も隣に自宅を構えていた。 1947年2月に京阪神急行電鉄(阪急電鉄)から分離した阪急百貨店の常務に就任し、専務を経て、1957年11月に社長に就任。
野口 二郎(のぐち じろう、1900年(明治33年)3月3日… 野口 二郎(のぐち じろう、1900年(明治33年)3月3日) - 1976年(昭和51年)1月18日)は、日本の実業家、政治家、郷土史研究家。甲府市長(官選第18代)、山梨日日新聞社社長、山梨放送社長。 甲府市百石町に、父・英夫、母・いしの二男として生まれる。1906年(明治39年)4月に山梨県尋常師範学校付属小学校に入学、1917年(大正6年)3月に山梨県立甲府中学校(現在の山梨県立甲府第一高等学校)、1920年(大正9年)3月に第八高等学校を卒業後、同年4月に東京帝国大学法学部に入学。1922年(大正11年)2月20日に山梨日日新聞社社長であった父親の野口英夫が逝去し、同月21日に学生のまま同新聞社の社長に就任。
青柳 瑞穂(あおやぎ みずほ、1899年5月29日 - 19… 青柳 瑞穂(あおやぎ みずほ、1899年5月29日 - 1971年12月15日、男性)は、日本の仏文学者、詩人、美術評論家、翻訳家。骨董品収集・随筆でも著名であった。 山梨県西八代郡高田村印沢(現・市川三郷町)にて、四男五女の末子として生まれる。生家はかつて質屋を営んだことがある富裕な地主の旧家だった。幼い頃から書画骨董の詰まった質倉で遊び、骨董に対する鑑賞眼を培った。 1917年に山梨県立甲府中学校(旧制)を卒業後、詩作やフランス語独習に熱中。永井荷風と堀口大學に憧れ、1919年に慶應義塾大学仏文予科に入学。このとき蔵原伸二郎と知り合い、無二の親友となる。1920年、出席時間不足のために留年し、新入生と奥野信太郎と終生の親交を結ぶ。