松旭斎 天正(しょうきょくさい てんしょう、1931年1月1… 松旭斎 天正(しょうきょくさい てんしょう、1931年1月1日 - 2010年7月)は日本の奇術師。東京の出身。本名は清水 満。吉本興業所属。 実子は同じ奇術師の松旭斎小天正。 明治大学出身。松旭斎天洋の弟子。兄弟子には松旭斎滉洋がいた。最初天洋の後見だったが独立後は昭和30年中ごろから弟子の松旭斎幸子を後見に吉本興業の花月に出演。幸子が結婚を機に引退したために1978年10月より実子の松旭斎小天正を後見に活動した。後に引退。2010年7月に没。 また吉本きっての長身であった。
三浦 久(みうら ひさし、1931年1月1日 - 2024年… 三浦 久(みうら ひさし、1931年1月1日 - 2024年4月3日)は、日本の政治家、弁護士。元衆議院議員(日本共産党所属、通算5期)。日本共産党名誉幹部会顧問。 秋田県北秋田郡阿仁合町(阿仁町を経て現在は北秋田市)出身。1954年明治大学法学部を卒業後、弁護士となる。総評弁護団にて三井三池争議の弁護を担当していた縁で北九州市に居住、同地に弁護士事務所を開設。地元北九州市小倉北区(事件発生当時は小倉区)から西日本一帯に広まったカネミ油症事件では弁護団の副団長も務めた。 1971年の北九州市長選に社共共闘で出馬するも無所属現職の谷伍平(自民、民社推薦)に敗れる。翌年の総選挙で旧・福岡4区から出馬し初当選を果たす。
片桐 ユズル(かたぎり ゆずる、本名は譲。1931年1月1日… 片桐 ユズル(かたぎり ゆずる、本名は譲。1931年1月1日 - 2023年10月6日)は、日本の詩人、京都精華大学名誉教授。専門は意味論(正確には一般意味論)と英語など。 社会運動家、京都精華大学元学長の中尾ハジメは弟。妻は、「ほんやら洞」で英会話教室の講師をしていた片桐庸子。 1931年東京生まれ。早稲田大学卒。同大学院英文科修士課程修了。戦前の体験から、「ことばの魔術」に批判的な態度をもつようになり、ベーシック・イングリッシュや一般意味論に興味を持つようになった。1955年、東京都立杉並高等学校着任。以来、高校・大学で、英語教授法であるGDM(段階的直接法)による授業・講義を行う。 1959年〜1960年、サンフランシスコ州立大学留学。
水野恵(みずの けい、男性、1931年1月(昭和6年) - … 水野恵(みずの けい、男性、1931年1月(昭和6年) - )は日本の篆刻家。京都生まれ。 祖父栄次郎、父東洞ともに篆刻家である。 幼い頃から父の師河井章石に薫陶を受ける。京都府立大学文芸学科卒業後は、書を木村陽山に、篆刻は園田湖城に就いて学んだ。家業を継ぎ「鮟鱇屈」の主となる。この屋号は祖父の代に江戸時代からの御用印判司の屋号を引き継いだもの。俳句や水彩画も手掛け、篆刻・書とともに文人として四絶を目指す。元佛教大学四条センター篆刻講座講師。著書多数。現在、後継者育成のため篆刻と書の塾「辵爾林(ちゃくじりん)」を主宰。年に一度、社中の篆刻と書の展覧会「辵展」を京都の「ギャラリーみすや」で開催している。
北原 勇(きたはら いさむ、1931年1月 - )は、マルク… 北原 勇(きたはら いさむ、1931年1月 - )は、マルクス経済学者。慶應義塾大学名誉教授。 東京府巣鴨町生まれ。1953年慶應義塾大学経済学部卒業。1956年慶應義塾大学経済学部副主。1959年慶應義塾大学大学院経済学研究科博士課程単位取得退学。慶應義塾大学経済学部助手、1962年専任講師、1964年助教授、1972年教授。1979年「独占資本主義の理論」で経済学博士(慶應義塾大学)。1994年日本学術会議第16期会員。1996年慶應義塾大学を定年退職。 妻は井村喜代子(慶應義塾大学名誉教授)。慶應義塾大学経済学部のゼミ生に黒瀬直宏(嘉悦大学経営経済学部教授)、池上彰(ジャーナリスト)がいる。
谷田 正躬(たにだ まさみ、1931年1月 - )は、日本の… 谷田 正躬(たにだ まさみ、1931年1月 - )は、日本の外交官。リオ・デ・ジャネイロ総領事や、ブルガリア国駐箚特命全権大使、ヴァチカン国駐箚特命全権大使等を歴任した。 岡山県生まれ。1953年東京大学法学部第二類(公法コース)卒業、外務省入省。在ベルギー日本国大使館三等書記官、在ベルギー日本国大使館二等書記官、外務省条約局条約課首席事務官等を経て、1968年外務省経済局中近東課長。1969年外務省経済局国際経済課長。同年在レバノン日本国大使館一等書記官。 1971年在フランス日本国大使館一等書記官、ユネスコにおける日本政府代表。1973年外務省経済協力局経済協力第1課長。1975年外務大臣官房領事移住部外務参事官。
坂田 佳代(さかた かよ、1931年1月 - )は、愛知県碧… 坂田 佳代(さかた かよ、1931年1月 - )は、愛知県碧海郡新川町(現在の碧南市)出身の実業家・ジャーナリスト。『中部新報』を発行する中部新報社代表取締役社長。1992年(平成4年)に日本地方新聞協会の風雪賞を受賞。 「ローカル新聞の発行者としてはおそらく全国でもただ一人の女性」とされることがある。坂田は赤い原付で取材に走り回り、地元住民からは(「坂田記者」などではなく)「お佳代」「お佳代さん」「佳代さん」「佳代ちゃん」などと呼ばれた。 1931年(昭和6年)1月、愛知県碧海郡新川町(現在の碧南市)に生まれた。坂田家は安政年間(1855年~1860年)からこの地に住んでおり、三州瓦を伊勢国や志摩国に運搬して薪炭を持ち帰る入船問屋をしていた。
前田 ケイ(まえだ けい、女性、1931年1月 - )は、日… 前田 ケイ(まえだ けい、女性、1931年1月 - )は、日本のソーシャルスキルトレーニング(SST)普及協会認定講師。ルーテル学院大学名誉教授。 日本心理劇学会理事、SST普及協会運営委員。 1955年、ハワイ州立大学社会学科卒業。1957年、コロンビア大学大学院ソーシャルワーク修士課程修了。ルーテル学院大学大学院総合人間学研究科臨床心理学専攻教授を経て、現在名誉教授。 1988年より東京大学病院精神神経科デイホスピタルにおいて、障害者リハビリテーションの方法としてSSTを日本へ導入した。
岸田 正吉(きしだ せいきち、1931年1月 - 2002年… 岸田 正吉(きしだ せいきち、1931年1月 - 2002年(平成14年)2月3日)は東京都出身の国文学者。
玉村 文郎(たまむら ふみお、1931年(昭和6年)1月 -… 玉村 文郎(たまむら ふみお、1931年(昭和6年)1月 - )は、日本の言語学者・日本語学者。同志社大学名誉教授。 京都府京都市生まれ。1951年大阪外事専門学校フランス科卒業、1953年大阪外国語大学フランス語科卒業、1957年京都大学大学院言語学専攻修了。1955年京都府立高等学校教諭、1968年大阪外国語大学講師、71年同助教授、1974年同志社大学文学部助教授、82年同教授。この間、京都大学、大阪大学・同大学院、京都府立大学、龍谷大学、仏教大学、国立国語研究所等に出講。2001年定年、同志社大学名誉教授。2002年「日本語語彙の研究」で龍谷大学博士(文学)。 日本語教育学会理事・編集委員長・副会長、新村出記念財団代表理事、京都国際文化協会理事などを歴任した。
布施豊正(ふせ とよまさ、1931年- )は、日本出身の、北… 布施豊正(ふせ とよまさ、1931年- )は、日本出身の、北米で活動した自殺学者、ヨーク大学名誉教授。 札幌生まれ。札幌第一高等学校(現札幌南高校)卒。1950年戦後初の占領軍によるアメリカ留学生選抜試験に合格し渡米。1954年ミズーリバレーカレッジ卒業後、1956年カリフォルニア大学バークレー校に進学、修士号取得。61年同大学にて博士号取得。アンティオク大学、コーネル大学客員教授。1968年ベトナム反戦運動の一環として他のアメリカ人反戦教授と共にカナダに移住。フランス語系のモントリオール大学に准教授として赴任。同年12月、ノーベル委員会による特別招待で川端康成のノーベル賞授賞式に参加。1972年ヨーク大学に正教授(自殺学)として迎えられる。
末岡 外美夫 (すえおか とみお、Tomio SUEOKA、… 末岡 外美夫 (すえおか とみお、Tomio SUEOKA、男性、1931年〈昭和6年〉 - 2002年〈平成14年〉)は、日本のアイヌの星の伝承の研究者、執筆者。アマチュア天文家。 著作に『アイヌの星』『人間達(アイヌタリ)のみた星座と伝承』など。北海道旭川市生まれ。 北海道旭川市出身。アイヌの古老から伝承を採録し研究。野尻抱影に絶賛され、氏の改訂版『日本の星』に紹介されている。
川田 殖(かわだ しげる、1931年 - )は、日本の哲学者… 川田 殖(かわだ しげる、1931年 - )は、日本の哲学者、倫理学者。専門は古代ギリシア哲学。 1931年、北海道網走市で生まれた。国際基督教大学の第一期生として入学し、1957年に卒業。京都大学文学部哲学科に移り、在学時代は主としてエミール・ブルンナー、 神田盾夫、田中美知太郎の薫陶を受けた。1959年に卒業し、同大学大学院に進学。1964年に博士課程を満期退学した。 その後は母校の国際基督教大学助教授に就いた。大阪医科大学助教授を経て、山梨医科大学医学部教授となった。恵泉女学園学園長を経て、2000年から2005年まで日本聾話学校校長。
工藤 政司(くどう まさし、1931年 - )は、日本の翻訳… 工藤 政司(くどう まさし、1931年 - )は、日本の翻訳家。元東京国際大学教授。 弘前大学文理学部卒業。主として推理小説の翻訳をしてきたが、近年はジョージ・スタイナー、ジェイン・オースティンなどの文学作品も翻訳している。
鈴木 道子(すずき みちこ、1931年 - )は、日本の音楽… 鈴木 道子(すずき みちこ、1931年 - )は、日本の音楽評論家。祖父は鈴木貫太郎。 東京府出身。自由学園ピアノ学校に学び、林光は同級生であった。東京女子高等師範学校附属高等学校から東京女子大学文学部英米文学科に進む。高校の頃からNHKやTBSのラジオ放送に出演していた。大学卒業後、文化放送にアナウンサーとして入社したが、レコード室を経て、音楽番組を手がけるプロデューサーとなり、『モダン・ジャズを分析する』で『スイングジャーナル』誌のプロデューサー・オブ・ジ・イヤーを受賞した。 1960年にアメリカ合衆国へ渡り、1年半ほどで帰国して以降は、フリーランスとしてラジオ番組のプロデューサーやディスクジョッキー、音楽評論家として活動した。
宮本 悦也(みやもと えつや、1931年(昭和6年)- )は… 宮本 悦也(みやもと えつや、1931年(昭和6年)- )は、日本の実業家である。電通経済関西支社長を経て、企業向けコンサルタントとして活動し、東京アンドパリ社社長、流行学研究所社長となる。社会現象を分析、研究して流行学(英:modology)を創始した。東京都出身。 1931年(昭和6年)東京府で生れる。東京府立芝愛宕尋常小学校を経て、1944年(昭和19年)旧制東京府立二十二中学(現:東京都立六本木高等学校)へ入学する。その後、東京空襲に遭い岡山県へ疎開する。1945年(昭和20年)旧制岡山県立高梁中学(現:岡山県立高梁高等学校)へ2年次転入する。そのまま終戦を迎え、1948年(昭和23年)同校を卒業した。
國生 一彦(こくしょう かずひこ、1931年 - )は、日本… 國生 一彦(こくしょう かずひこ、1931年 - )は、日本の弁護士。國生法律事務所所長。
木村 翔(きむら しょう、1931年- )は、日本の建築音響… 木村 翔(きむら しょう、1931年- )は、日本の建築音響工学者。日本大学名誉教授。日本騒音制御工学会認定技士。日大では理工学部建築学科で建築音響工学の木村研究室を主宰。出身者に杉山知之など。日本建築学会では学術理事(1984~1985)学会評議員(9期)学会音環境運営委員、学会環境工学委員会委員長(1988~1989)関東支部長(1990~1991)副会長(1992~1993)を歴任。他、日本建築センター遮音構造評定委員会委員長、日本音響学会評議員(第4期)等も務めた。工学博士。東京都生まれ。 1954年3月 日本大学旧工学部建築学科卒業。1956年3月 東京大学大学院数物系研究科建築学専攻修士課程(現・東京大学大学院工学系研究科建築学専攻修士課程)修了。
磯部 定治(いそべ さだじ、1931年- )は、新潟県の地方… 磯部 定治(いそべ さだじ、1931年- )は、新潟県の地方史・文学研究家。 新潟県小出町(現魚沼市)に生まれる。1952年新潟県立小千谷高等学校小出分校(後の新潟県立小出高等学校)卒。同年、越南タイムズ社入社、92年同社退社。
杉浦 貞(すぎうら ただし、1931年〈昭和6年〉 - )は… 杉浦 貞(すぎうら ただし、1931年〈昭和6年〉 - )は、日本の紙芝居師。石川県羽咋市出身、石川県立羽咋高等学校卒業。1952年(昭和27年)からは大阪府大阪市に在住。 もとは大阪府内の染色工場に染色技師として勤めており、仕事の合間にボランティアグループに参加して紙芝居に触れたことで、職場の休日に紙芝居を行なっていた。1980年(昭和55年)、工場の倒産を機にプロの紙芝居師となり、大阪市内の公園などで興業を行なう。紙芝居師が激減している21世紀以降においては、兼業で活動する紙芝居師はいるものの、専業の紙芝居師は大阪では杉浦が唯一と見られており、テレビでも「最後の紙芝居師」と紹介されて話題を呼んでいる。
市石 巌(いちいし いわお、1931年 - )は、日本の野球… 市石 巌(いちいし いわお、1931年 - )は、日本の野球選手。大阪府立北野高等学校野球部を甲子園優勝に導いた数少ない人物として知られる。 西区内の小学校卒業後、旧制大阪府立高津中学(現・大阪府立高津高等学校)に入学。兵庫県西宮市甲子園在住中、大阪大空襲、神戸大空襲により、福井県小浜市へ縁故疎開し、旧制小浜中学校へ転校。野球部に所属した。 その後、再び大阪へ戻ると、学制改革に伴い、1948年、新制大阪府立北野高等学校へ入学し、第1回選抜高校野球に出場、準決勝まで進出した。1949年、甲子園で優勝を果たす。 北野高校卒業後は、京都大学に進学した。
萩原 忠(はぎわら ただし、1931年 - )は、日本の実業… 萩原 忠(はぎわら ただし、1931年 - )は、日本の実業家、発明家。ハジー技研株式会社代表取締役、株式会社インターホールディングス名誉会長 1931年、山梨県甲府市生まれ。山梨県立甲府中学校(現・甲府第一高等学校)卒業。 立教大学卒業後、金門製作所(ガス、水道メーターの専門メーカーであるに就職。流体制御技術を習得し、LPG小型ガスメーター、高層ビル用流量測定メーターを開発、発明して高い評価を得る。 1962年、アメリカ(DYNAMIC ECOLOGY社)に招聘され、NASAアポロ計画に参加。 油圧機器の劣化防止装置の開発を担当。以降、製鉄、鉄鉱、石油、電力、化学、原子力、鉄道等すべての基幹産業における流体制御(濾過、分離、混合、劣化防止)の専門技術者として従事。
野口 昌巳(のぐち まさみ、1931年 - )は、日本の森林… 野口 昌巳(のぐち まさみ、1931年 - )は、日本の森林学者。京都大学名誉教授。 長野県生まれ。長野県松本県ヶ丘高等学校を経て京都大学農学部卒業、同大学院修了。 東京農工大学農学部教授、京都大学農学部教授を務めた後、1992年(平成4年)定年退官。京都大学名誉教授。 野口は、1982年から1991年にかけて、シロアリの木材食害によって発生するAE(アコースティック・エミッション)をモニタリングすることによって、シロアリの活動を検出する研究を、今村祐嗣教授(現:京都大学名誉教授)と共に始める。 当時、住宅の耐久性向上に環境負荷の低い方法を導入する社会的気風が高まってきたことや、非破壊検査技術の分野における技術進歩を受け、木材の劣化診断法の開発研究に着手した。
花村 治郎(はなむら じろう、1931年 - )は、日本の法… 花村 治郎(はなむら じろう、1931年 - )は、日本の法学者。千葉大学名誉教授。 長野県松本県ヶ丘高等学校を経て、1957年(昭和32年)東北大学大学院法学研究科修了。東北大学法学部講師、助教授を経て、1977年(昭和52年)千葉大学法経学部(現法政経学部)教授。 1997年(平成9年)、定年退官。千葉大学名誉教授。専門は民事訴訟法。
原 徳安(はら のりやす 1931年 - )は、日本の自治官… 原 徳安(はら のりやす 1931年 - )は、日本の自治官僚。長野県出身。 1950年(昭和25年)長野県松本県ヶ丘高等学校を卒業、1954年(昭和29年)東京大学法学部を卒業。同年、自治省(現総務省)入省。以降、自治省から消防庁消防課長、香川県企画部長を経て、大阪府総務部長を務めた。 原の名前は、第65回通常国会「決算委員会」の中で二宮文造議員の都道府県主要ポストが中央省庁出身者で占められているという指摘の中で登場する。一例として、香川県の主要ポストが自治省出身派閥で占められ、権力関係が出来上がっているというものであり、原は当時自治省から香川県に出向し企画部長の職にあった。 消防庁消防課長時代には、第75回通常国会「災害対策特別委員会」での兒玉末男議員の質疑に対し説明員として答弁している。
細川 磐(ほそかわ いわお、1931年(昭和6年) - )は… 細川 磐(ほそかわ いわお、1931年(昭和6年) - )は、日本の体育学者。大阪体育大学名誉教授。 長野県松本市生まれ。長野県松本県ヶ丘高等学校を経て、1954年(昭和29年)東京教育大学体育学部体育学科卒業。大阪体育大学教授を務めた後、1992年(平成4年)定年退官。大阪体育大学名誉教授。1963年(昭和38年)から1965年(昭和40年)にかけて、同志社大学バスケットボール部コーチを務め、この間、西日本学生3年連続優勝を果たしている。公益財団法人ライフスポーツ財団常務理事を務めた。
吉江 信夫(よしえ のぶお、1931年 - )は、日本の医学… 吉江 信夫(よしえ のぶお、1931年 - )は、日本の医学者。筑波大学名誉教授。 1931年(昭和6年)長野県生まれ。長野県松本県ヶ丘高等学校 を経て、1956年(昭和31年)信州大学医学部医学研究科卒業。1964年(昭和39年)「条件瞬目反応による聴力測定」の論文で信州大学より博士号。 筑波大学助教授、教授を経て、1994年(平成6年)筑波大学名誉教授(臨床医学系)。 1970年代初期、蝸牛の臨床的研究法として電気生理学的検査法である蝸電図(EcoG:electrocochleography)を開発したことで知られる。
遠藤 寛子(えんどう ひろこ、1931年 - )は、日本の児… 遠藤 寛子(えんどう ひろこ、1931年 - )は、日本の児童文学作家、教師。 三重県に生まれる。三重県立津高等学校卒業。三重大学を経て法政大学文学部史学科卒業。三重県の中学校、都立の養護学校で勤務したのち、創作および評論活動に専念する。 主な作品に『深い雪の中で』(1969年、第1回北川千代賞受賞)、『算法少女』(1974年、サンケイ児童出版文化賞受賞)など。『算法少女』は復刊ドットコムの投票を得て、2006年にちくま学芸文庫から復刊された。 「少女の友」「少女倶楽部」といった明治期から昭和初期にかけて隆盛した少女向け文芸誌の研究者でもあり、復刻本の監修も行った。
田隅 恒生(たすみ つねお、1931年 - 2019年)は、… 田隅 恒生(たすみ つねお、1931年 - 2019年)は、日本の中東近代史研究家。 兵庫県出身。兵庫県立芦屋高等学校卒、1954年京都大学法学部卒業。丸紅に勤務。その間テヘラン、ニューヨーク、マニラに駐在。丸紅紙業を経て、1993年退職。 T・E・ロレンスの『知恵の七柱』を完訳した。
魚津 郁夫(うおづ いくお、1931年(昭和6年) - )は… 魚津 郁夫(うおづ いくお、1931年(昭和6年) - )は、日本の哲学者。熊本大学名誉教授。プラグマティズム研究の第一人者とされる。 和歌山県出身。1953年東京大学文学部哲学科卒。1959年東京大学人文科学研究科博士課程修了。岩崎武雄に学ぶ。ハーバードでプラグマティズムを学んだ鶴見俊輔を事実上のリーダーとし、母校旧制田辺中学(現在の和歌山県立田辺中学校・高等学校)の社会科の元教諭でプラグマティストである上山春平も在籍していた思想集団、思想の科学研究会に、東大時代の友人 後藤宏行とともに入会。同研究会で共同研究「転向」等に参加した。1959年熊本大学講師。1970年熊本大学教授。1996年同大学定年退官。
赤木 恭平(あかぎ きょうへい、1931年(昭和6年) - … 赤木 恭平(あかぎ きょうへい、1931年(昭和6年) - )は、日本の実業家で、スポーツ団体役員。世界のボウリング普及活動が認められて、2002年より日本オリンピック委員会名誉委員になる。岡山県高梁市出身。 地元の岡山県立高梁高等学校に進み、1950年(昭和25年)に卒業後、上京して早稲田大学法学部に進学した。早稲田大学法学部を卒業後、サラリーマン生活を経てから一念発起して起業。知人の誘いで1971年から全日本ボウリング協会(1964年設立)を財団法人化する活動に協力するようになった。認可を得てからも自身の会社を経営するかたわら協会の運営に携わり、1995年から16年にわたり会長を務め上げると同時に、世界ボウリング連盟の会長(1995年 - 1998年)として力を尽くしてきた。
多田 稔(ただ みのる、1931年 - )は、英米文学者、大… 多田 稔(ただ みのる、1931年 - )は、英米文学者、大谷大学名誉教授。専門は19世紀後半~20世紀前半の英米作家研究。 1931年、広島市生まれ。旧制山口県立徳山中学校を卒業し、旧制第六高等学校へ進む。その後京都大学文学部英文科へ進学し、1954年に卒業。 卒業後は京都府立嵯峨野高等学校教諭、明石工業高等専門学校助教授、1966年からは京都工芸繊維大学助教授、1971年同大学教授。セントオラフ大学で人文学博士(Ph.D.)を授与される。1984年より大谷大学教授、1987年文学研究科長、2002年帯広大谷短期大学学長。2008年退任。 京大英文学会(評議員歴任), 日本英文学会, 大学英語教育学会(関西支部長歴任), William Morris Sociely(ロンドン)(終身会員), 国際応用言語学会日本イエーツ協会, IASAIL JAPAN-アングロアイリッシュ協会アメリカ文学会, 国際真宗学会(評議員歴任), 東西宗教交流学会, 日本ソロー学会, 東京ラスキン協会 他
須賀 敬一(すか けいいち、1931年 - )は、日本の合唱… 須賀 敬一(すか けいいち、1931年 - )は、日本の合唱指揮者、編曲家。高知県出身、大阪府在住。豊中混声合唱団名誉指揮者、大阪府合唱連盟・関西合唱連盟最高顧問。 高知県立安芸高等学校を経て早稲田大学第一理工学部卒業。在学中は早稲田大学グリークラブに在団して学生指揮者を務める。磯部俶、高田三郎に師事。 大学卒業後は久我産業株式会社に勤務。その一方、1962年、豊中混声合唱団に入団、同年秋より指揮者となる。同団を指揮して1980年の第33回全日本合唱コンクール全国大会一般部門で金賞受賞、その後第35回(1982年)から第37回(1984年)と第44回(1991年)から第46回(1993年)、第48回(1995年)から第50回(1997年)と、3度の3年連続金賞に導く。
品川 洋子(しながわ ひろこ、1931年 - )は、日本の教… 品川 洋子(しながわ ひろこ、1931年 - )は、日本の教育者。東京都出身。福岡県にて育つ。「女性校長の草分け的存在」と紹介されることがある。 1931年、東京府に生まれる。12歳のとき、戦時疎開で、現在の福岡県みやこ町へ移住。京都高等女学校(現・福岡県立京都高等学校)を経て、1953年に福岡学芸大学(現・福岡教育大学)中学校教育課程社会科を卒業する。 教職に就き、1992年に北九州市の公立中学校校長をもって定年退職する。同年より福岡教育大学教育学部講師となる。 2001年、九州産業大学大学院国際文化研究科国際文化専攻で修士号を取得した。 2002年、九州女子大学文学部教授を定年退職する。 2007年、北九州森鷗外記念会会長に就任。
甲木 伸一(かっき しんいち、1931年 - )は、日本の… 甲木 伸一(かっき しんいち、1931年 - )は、日本の物理学者。 熊本県立玉名高等学校を経て九州大学理学部を卒業後、九州大学大学院修士課程を修了した。 大学院修了後は、九州大学教養部の助手や助教授、教授を歴任した。1971年に論文「Hg[1-x]Cd[x]Te系合金のバンド構造と、その圧力依存性」で、九州大学より工学博士号を取得した。 九州大学を退官後は名誉教授となり、カナダのアルバータ大学の客員教授も務めた。
大小田 八尋(おおこだ やひろ、1931年 - )は、鹿児島… 大小田 八尋(おおこだ やひろ、1931年 - )は、鹿児島県出身の陸上自衛官、軍事評論家、安全保障アナリスト、ノンフィクション作家。八尋総研代表。鹿児島県立指宿中学校 (旧制)から鹿児島県立甲南高等学校を卒業後、北海学園大学卒業。 大学卒業後、自衛隊に入隊。陸上自衛隊化学学校戦術教官、北部方面総監部広報室長、北部方面総監部法務課長などを経て退官。退官後、セントラル警備保障に再就職。札幌支社長などを歴任する。その傍ら、軍事評論家、安全保障アナリストとしての活動を開始し、八尋総研を立ち上げ代表に就任。ノンフィクション作家としても活躍している。他に、冬総研国際環境総合研究所所長などの要職を歴任した。
濱田 篤哉(はまだ あつや、1931年-1986年)は、陶芸… 濱田 篤哉(はまだ あつや、1931年-1986年)は、陶芸家。兄の濱田晋作、その息子の濱田友緒も陶芸家。
織井 青吾(おりい せいご:本名 浜井隆治、1931年(昭和… 織井 青吾(おりい せいご:本名 浜井隆治、1931年(昭和6年) - )は広島県出身のノンフィクション作家。
島田 喜十郎(しまだ きじゅうろう、1931年 - )は、日… 島田 喜十郎(しまだ きじゅうろう、1931年 - )は、日本の土木技師。技術士・土木学会フェロー会員。工学博士(京都大学)。元神戸市港湾局新埠頭連絡橋建設事務所長および垂水工事事務所長。元本州四国連絡橋公団(現:本州四国連絡高速道路)「橋の科学館」橋のマイスター。明石海峡大橋の建設推進および初期調査・技術設計者の1人。 専門は、土木工学・建設工学・橋梁工学。 1931年大阪市生まれ。1953年大阪工業大学工学部土木工学科卒業(土木工学科第1期生)。のちに、京都大学大学院工学研究科にて工学博士(京都大学)。京都大学工学部助手を経て、1959年明石海峡大橋の建設提唱者である原口忠次郎第12代神戸市長を慕い、神戸市に入庁。
樋口 欣三(ひぐち きんぞう、1931年 - )は、日本の英… 樋口 欣三(ひぐち きんぞう、1931年 - )は、日本の英文学者、大阪市立大学名誉教授。 大阪市生まれ。大阪市立大学人文学部英文科卒、同大学院文学研究科博士課程単位取得退学。大阪市立大学助教授、教授、名誉教授、関西大学教授、2000年退職。18-19世紀の英国文学を研究した。
児玉暁洋(こだま ぎょうよう、1931年 - 2018年)は… 児玉暁洋(こだま ぎょうよう、1931年 - 2018年)は、日本の仏教学者、浄土真宗僧侶、社会運動家。 岐阜県生まれ。1948年石川県、明達寺(暁烏敏)に入門。1958年金沢大学法文学部哲学科卒。1960年大谷大学大学院文学研究科真宗学科修士課程修了。1961年から1987年まで大谷専修学院に勤める。1985年から真宗大谷派教学研究所所員。1990-1995年同所長。満天星舎(どうだんしゃ)舎主。「宗教者九条の和」呼びかけ人。2018年5月逝去。
所 哲也(ところ てつや、1931年(昭和6年) - )は、… 所 哲也(ところ てつや、1931年(昭和6年) - )は、日本の経済学者。経済学博士(北海道大学)。北海道大学名誉教授。元北海道武蔵女子短期大学学長。専門は南北問題や国際経済論。 北海道茅部郡森町生まれ。1954年、小樽商科大学商学部卒業。同年、北海道追分高等学校教諭。1961年、北海道大学大学院経済学研究科博士課程修了。同年、山形大学理学部講師。1964年、北海道大学経済学部助教授。1975年(昭和50年)、同経済学部教授。1988年(昭和63年)、同経済学部長。1995年、北海道大学停年退官。同名誉教授。北海道武蔵女子短期大学経済学科教授。1998年(平成10年)、北海道武蔵女子短期大学学長。
大塚 義孝(おおつか よしたか、1931年 - )は、日本の… 大塚 義孝(おおつか よしたか、1931年 - )は、日本の臨床心理学者・臨床心理士。京都女子大学名誉教授。専門は臨床心理学。 滋賀県生まれ。1992年に博士(学術)(大阪市立大学)。日本における運命心理学の権威であり、実験衝動診断法(ソンディ・テスト)の第一人者である。 この項目は、科学者に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(プロジェクト:人物伝/Portal:自然科学)。 この項目は、心理学に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(PJ 心理学)。
橘 礼吉(たちばな れいきち、1931年 - 2019年)は… 橘 礼吉(たちばな れいきち、1931年 - 2019年)は、日本の民俗学者。白山麓において展開された農耕文化の全貌や、白山麓最奥の豪雪地における山の民の詳細な生態等の研究・著述がある。 1951年金沢大学在学中、幸田清喜の出作りの調査に同行。1953年金沢大学教育学部卒業。金沢市立工業高等学校教諭・石川県立歴史博物館副館長などを務め、退職後は加能民俗の会名誉会長、石川県立歴史博物館運営審議会審議員、白山自然保護研究会会員。1995年『白山麓の焼畑農耕―その民俗学的生態誌』で第34回柳田賞受賞。 この項目は、学者に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(PJ:人物伝/P:教育)。
関野 美三夫(せきの みさお、1931年 - )は、日本の建… 関野 美三夫(せきの みさお、1931年 - )は、日本の建築家。北海道出身。株式会社関野建築事務所取締役会長。尋常高等小学校(現在の新制中学)卒業とともに地元の大工に弟子入りした。20歳の時に高校卒業認定試験合格及び関東学院大学工学部2部建築学科入学。昼間は大学の営繕係に勤務し、休みの日に大工仕事をした勤労学生であった。大学卒業後は関野建築事務所に就職した。一級建築士、1級建築大工技能士の資格を持つ。一般社団法人日本建築大工技能士会会長、公益財団法人日本住宅木材技術センター理事などの職を歴任。平成25年に黄綬褒章を受章した。 この項目は、人物に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(プロジェクト:人物伝、Portal:人物伝)。
中村 廣治(なかむら ひろじ、1931年 - )は、日本の思… 中村 廣治(なかむら ひろじ、1931年 - )は、日本の思想史家で、デヴィッド・リカード研究を専門とした。広島大学名誉教授。元経済学史学会代表幹事。 福岡県生まれ。旧制福岡高等学校を経て、1953年九州大学経済学部卒業。高木暢哉門下で、1955年九州大学大学院経済学研究科博士課程進学。1958年大分大学着任。1964年九州大学大学院経済学研究科博士課程修了、経済学博士。広島大学教授、熊本学園大学教授、九州産業大学教授を歴任した。広島大学名誉教授。この間、1995年から1997年まで経済学史学会代表幹事。専門はデヴィッド・リカード。 この項目は、経済学者(経済評論家を含む)に関連した書きかけの項目です。
大江 慶治(おおえ けいじ、1931年 - )は、日本の医学… 大江 慶治(おおえ けいじ、1931年 - )は、日本の医学者。産業医科大学名誉教授。 旧制第五高等学校を経て、1955年京都大学医学部卒業。 1964年から1975年までアメリカ合衆国、カナダにてRNAの基礎研究に従事。VA RNAの塩基配列決定(サンガー法)の仕事は、現在[いつ?]、pre-mRNA splicing研究の基質に使われているadenovirus E1A transcriptとして引き継がれている。 帰国後、広島大学医学部講師から産業医科大学教授。消化管ホルモン分泌の研究と臨床、肥満と肝機能障害の健康管理に携わる。ことに胃酸を中和する十二指腸球部粘膜のアルカリ分泌の発見に貢献した。
勝藤 猛(かつふじ たけし、1931年 - 2019年)は、… 勝藤 猛(かつふじ たけし、1931年 - 2019年)は、日本の東洋史学者、ペルシア語学者、大阪外国語大学名誉教授。 徳島市に生まれる。1954年京都大学文学部(東洋史学専攻)卒業。同大学大学院文学研究科修士課程修了。大阪外国語大学助教授、教授を務め、95年定年退官、名誉教授、岩手県立大学教授。2001年退職。 2011年11月瑞宝中綬章受章。
高島 昌二(たかしま しょうじ、1931年 - 2016年)… 高島 昌二(たかしま しょうじ、1931年 - 2016年)は、日本の社会学者。龍谷大学名誉教授、皇學館大学名誉教授。文学博士(文博第9号 京都大学)。 専門は、国際社会福祉論、福祉政策論、政治社会学。近年はスウェーデンの社会福祉に関する論文などを多数発表している。 1955年、神戸大学文学部を卒業、京都大学大学院文学研究科社会学専攻修士課程社会福祉学専攻をへて、1960年同博士課程社会学専攻を修了し、課程博士の学位を取得。 その後、京都大学助手から愛知学芸大学(愛知教育大学に改称)講師・助教授・教授、京都府立大学文学部教授、龍谷大学文学部教授、同社会学部教授・学部長を経て、1998年、皇學館大学社会福祉学部開設と同時に同学部教授および学部長(2004年まで)に就任。
高橋 哲雄(たかはし てつお、1931年 - 2022年)は… 高橋 哲雄(たかはし てつお、1931年 - 2022年)は、日本の経済学者、英国経済史学者、甲南大学・大阪商業大学名誉教授。専攻は産業組織論・イギリス社会文化史。 兵庫県神戸市生まれ。1954年京都大学経済学部卒業。同大学院で大野英二に師事。1971年「イギリス鉄鋼独占の研究」で経済学博士。関西学院大学講師、甲南大学経済学部助教授、教授、副学長、1996年退職、名誉教授、大阪商業大学教授、同名誉教授。