藤本 能道(ふじもと よしみち、1919年1月10日 - 1… 藤本 能道(ふじもと よしみち、1919年1月10日 - 1992年5月16日)は日本の陶芸家。1986年に人間国宝に認定された。
1919年(大正8年)生まれ:572人
藤本 能道(ふじもと よしみち、1919年1月10日 - 1… 藤本 能道(ふじもと よしみち、1919年1月10日 - 1992年5月16日)は日本の陶芸家。1986年に人間国宝に認定された。
竹内 良知(たけうち よしとも、1919年1月10日 - 1… 竹内 良知(たけうち よしとも、1919年1月10日 - 1991年8月22日)は、日本の哲学者。関西大学名誉教授。 大分県出身。京都帝国大学卒。旧制松本高等学校教授、戦後は名古屋大学助教授、1977年関西大学教授。1989年定年退任。スピノザ、西田幾多郎を研究、戦後はマルクス主義に傾いた。
照國 萬藏(てるくに まんぞう、1919年1月10日 - 1… 照國 萬藏(てるくに まんぞう、1919年1月10日 - 1977年3月20日)は、秋田県雄勝郡秋ノ宮村(現:秋田県湯沢市)出身で伊勢ヶ濱部屋に所属した大相撲力士。第38代横綱。本名は菅 萬藏(すが まんぞう)で、のちに大野 萬蔵(おおの まんぞう)となる。 1919年1月10日に秋田県雄勝郡秋ノ宮村の農家で生まれ、秋ノ宮第一尋常小学校を卒業後は家業である農業を手伝う。畑作業で土を掘ったり、収穫した野菜などを運搬するうちに力が付き、1930年の夏に「秋田に怪童あり」との評判を聞きつけた母の遠縁である5代伊勢ヶ濱から熱心に勧誘されたが、入門が嫌で逃げ回り、5代伊勢ヶ濱が訪問している間は実家に近寄らなかったほどだった。
西沢 爽(にしざわ そう、本名、西澤 義久(にしざわ よしひ… 西沢 爽(にしざわ そう、本名、西澤 義久(にしざわ よしひさ)、1919年(大正8年)1月9日 - 2000年(平成12年)7月19日)は、日本の作詞家、元日本作詩家協会会長、文学博士。 東京府出身。1954年(昭和29年)から日本コロムビアの専属となり、島倉千代子「からたち日記」、「恋しているんだもん」「星空に両手を」、美空ひばり「ひばりの佐渡情話」、「波止場だよ、お父つぁん」、水原弘「女の爪あと」、小林旭「さすらい」、舟木一夫「学園広場」など数々のヒット曲を世に送り、戦後の大衆音楽に多大な影響を与えた。 1974年(昭和49年)、休筆を宣言し、作詞活動の第一線から身を引く。その後、中世以降の歌謡曲研究に専念し、「日本近代歌謡史」、「雑学歌謡昭和史」などを著した。
唐津 一(からつ はじめ、1919年1月9日 - 2016年… 唐津 一(からつ はじめ、1919年1月9日 - 2016年8月15日)は、日本の評論家、システム工学者。東海大学名誉教授。 旧満州安東(現丹東)生まれ。東京帝国大学工学部卒業後、逓信省電気試験所を経て、日本電信電話公社(現NTT)に入社。1961年、松下通信工業に移り、1978年常務取締役、1984年には松下電器産業技術顧問に就任。1986年より東海大学開発技術研究所教授。1990年から1993年まで東海大学福岡短期大学初代学長を兼ねた。1998年より東海大学教授。著書多数。 2016年8月15日、老衰のため死去。97歳没。
来栖 良(くるす りょう、1919年1月8日 - 1945年… 来栖 良(くるす りょう、1919年1月8日 - 1945年2月17日)は、日本の陸軍軍人、戦闘機操縦者。最終階級は陸軍技術少佐。 外交官である父・来栖三郎と、アメリカ人である母・アリスの三兄弟の長男としてアメリカのシカゴに生まれる。アメリカ滞在時は、「ベア」の愛称で呼ばれていた。1927年(昭和2年)に日本に帰国し、暁星中学校を経て、1937年(昭和12年)に横浜高等工業学校(現:横浜国立大学工学部)に入学。高工時代はラグビー部のキャプテンを務めていた。1940年(昭和15年)3月に同校機械科を繰上げ卒業し、翌4月に川西航空機に入社した。 その白人の血が色濃く出た混血ゆえに、普段から強い偏見やいじめに遭っていたが、高工時代や陸軍将校時代はその人柄の良さも相まり、周りから容貌について揶揄されることは無く、本人も弱音を漏らす事は少なかった。
光安 義光(みつやす よしみつ、1919年(大正8年)1月8… 光安 義光(みつやす よしみつ、1919年(大正8年)1月8日 - 1999年(平成11年)4月11日)は日本の建築家。兵庫県庁舎などモダニズムの作品を残した。位階は正五位。 福岡県出身。1942年、東京工業大学建築科卒業。召集を受け、ビルマ戦線で終戦を迎え、捕虜生活となる。日本に帰還後、1948年に兵庫県庁入り。1950年に営繕課へ配属され、以後、県庁舎や県立近代美術館の設計に当たる。1970年に退職し、明石工業高等専門学校教授。1979年、同校を辞し、光安建築設計事務所を開設する。兵庫県建築設計監理協会会長などを務めた。1999年死去。死没日付をもって正五位に叙された。
帆足 正音(ほあし まさと、1919年(大正8年)1月8日 … 帆足 正音(ほあし まさと、1919年(大正8年)1月8日 - 1942年(昭和17年)3月15日)は、日本の海軍軍人。 最終階級は海軍予備中尉。マレー沖海戦においてイギリス艦隊を発見した偵察機の機長である。 大分県玖珠郡森町(現・大分県玖珠郡玖珠町)出身。父は浄土真宗本願寺派・鷹巣山光林寺の住職である。龍谷大学専門部に入学し、1938年(昭和13年)1月から、1940年(昭和15年)3月まで海軍予備航空団で飛行訓練を受ける。大学を卒業し僧侶の資格を得た後、海軍航空予備学生となり霞ヶ浦海軍航空隊へ入隊。1941年(昭和16年)4月、訓練終了と共に予備少尉に任官した。同日充員召集を受け、木更津海軍航空隊附となる。
兪 鳳淳(ユ・ボンスン、朝鮮語: 유봉순、1919年1月7日… 兪 鳳淳(ユ・ボンスン、朝鮮語: 유봉순、1919年1月7日または1921年 - 1980年9月13日)は、大韓民国の警察官、政治家。居昌邑(朝鮮語版)邑長、第3・4代韓国国会議員を歴任した。 日本統治時代の慶尚南道陜川郡出身。陜川公立普通学校(現・陜川初等学校(朝鮮語版))、大邱農林学校(現・大邱農業マイスター高等学校(朝鮮語版))を経て、早稲田大学校外生講義録修了。国立警察専門学校(現・警察人材開発院(朝鮮語版))、建国大学法政学部卒。警察官在任中は反共闘士として智異山地区における共匪の討伐に功績を残した。政界入り後は初代民選居昌邑(朝鮮語版)邑長、自由党陜川郡党委員長・中央委員、民議員を務めた。
野口 二郎(のぐち じろう、1919年1月6日 - 2007… 野口 二郎(のぐち じろう、1919年1月6日 - 2007年5月21日)は、日本のプロ野球選手。愛知県名古屋市生まれ。明、二郎、昇、渉とプロ野球選手を輩出した野口四兄弟の次兄。中等学校野球で2度の優勝を飾り、プロ入り後は多投の中で好記録を残したことから「鉄腕」と称された。
六角 恒広(ろっかく つねひろ、1919年1月6日生まれ)は… 六角 恒広(ろっかく つねひろ、1919年1月6日生まれ)は、日本の中国語学者。故人。 東京生まれ。早稲田大学経済学部卒。同学商学部助教授・教授。1989年の定年後、名誉教授。倉石(武四郎)賞受賞。
相原 守(あいはら まもる、1919年1月5日 - 没年不明… 相原 守(あいはら まもる、1919年1月5日 - 没年不明)は、群馬県高崎市出身のプロ野球選手(外野手)。 高崎商業補習学校時代に甲子園出場はなし。中島飛行機製作所、全桐生を経て、1950年に国鉄スワローズに入団。26試合に出場するものの、目立った成績を残すことはできず、同年オフに退団。
関 晃(せき あきら、1919年(大正8年)1月5日 - 1… 関 晃(せき あきら、1919年(大正8年)1月5日 - 1996年(平成8年)4月20日)は、日本の歴史学者。東北大学名誉教授。専攻は日本古代史。熊本県飽託郡古町村(現・熊本市二本木)生まれ、東京都出身。
三田 政夫(さんた まさお、1919年1月4日 - 没年不明… 三田 政夫(さんた まさお、1919年1月4日 - 没年不明)は、兵庫県出身のプロ野球選手(外野手)。
梶木 又三(かじき またぞう、1919年1月4日 - 200… 梶木 又三(かじき またぞう、1919年1月4日 - 2008年5月21日)は、日本の官僚、政治家。自由民主党参議院議員(3期)。兵庫県神戸市出身。1990年勲一等瑞宝章受章。 1942年京都帝国大学農学部農林工学科卒業後、農林省に入省。農地局建設部長を退官後の1971年、参議院議員選挙に全国区から全国土地開発事業団を支持団体に自民党公認で出馬し初当選。 なお、この選挙を通じて選挙違反で関係者が17人逮捕されたほか、岡山県和気町議会副議長、町議員ら3人が被供応(料亭で梶木派関係者からもてなしを受けたもの)、文書頒布による選挙違反の疑いで逮捕されている。 その後比例代表区に回り連続当選3回。自民党内では佐藤栄作→田中角栄→竹下登派に所属し、大蔵政務次官(三木武夫内閣)、環境庁長官(第1次中曽根内閣)、自民党参議院幹事長などを歴任した。
関 主税(せき ちから、1919年1月4日 - 2000年1… 関 主税(せき ちから、1919年1月4日 - 2000年11月1日)は、日本画家、日本芸術院会員。 千葉県出身。1941年東京美術学校卒。戦後日展に出品、1986年日本芸術院賞受賞。1992年日本芸術院会員。1994年勲三等瑞宝章受章。1999年日展理事長。
菅 浦一(すが うらいち、1919年1月4日 - 2003年… 菅 浦一(すが うらいち、1919年1月4日 - 2003年11月23日)は、日本の実業家、馬主。 平和農産工業株式会社社長、日本馬主協会連合会第10代会長を務めた。 1919年、愛媛県出身。明治大学卒業後、三菱鉱業を経て1948年12月に製鉄原料の販売を手掛ける不二興産株式会社を設立した。ほかフェロアロイを取り扱う極東工業株式会社社長、ゴルフ場運営などを行う平和農産工業株式会社・西南観光開発株式会社各代表を歴任。2003年11月23日、肺気腫のため死去。83歳没。 趣味はゴルフ、読書。 日本中央競馬会に登録していた馬主としても知られた。勝負服の柄は黄、赤鋸歯形、冠名には「アモン」を用いた。「株式会社アモン」の法人名義も存在し、そちらの勝負服の柄は黄、袖青一本輪、赤鋸歯形となっている。
寺沢 恒信(てらさわ つねのぶ、1919年1月3日 - 19… 寺沢 恒信(てらさわ つねのぶ、1919年1月3日 - 1998年1月4日)は、日本の哲学者。東京都立大学 (1949-2011)名誉教授。 愛知県出身。1942年東京帝国大学文学部哲学科卒、同大学院修了。東京都立大学 (1949-2011)助教授、教授、83年定年退官、名誉教授となり、東京電機大学教授を務めた。日本学術会議会員。マルクス思想を研究した。門下に牧野紀之、許萬元がいる。
高橋 英夫(たかはし ひでお、1919年1月3日 - 201… 高橋 英夫(たかはし ひでお、1919年1月3日 - 2013年8月9日)は、日本の元騎手(中山競馬倶楽部、日本競馬会、国営競馬、日本中央競馬会)、元調教師(日本中央競馬会)。義父の鈴木信太郎は元調教師(日本競馬会、国営競馬、日本中央競馬会)次男の高橋祥泰は元調教師(日本中央競馬会〈JRA〉)。北海道上川郡屈足村(現・新得町)出身。 実家は農家で農耕馬の繁殖も手掛けていたため、幼少期から馬に親しんで育った。 1935年に上京して中山競馬場の函館孫作に入門。翌1937年春に騎手免許を取得し、同年秋に騎手デビュー。太平洋戦争中は徴兵されて室蘭に配属され、終戦後競馬界に復帰。当時函館が調教師を引退していたため、はじめは東京競馬場の藤本冨良厩舎に所属したが、結婚したのを機に中山競馬場の鈴木信太郎厩舎に移籍した。
安原 美穗(やすはら よしほ、1919年1月2日 - 199… 安原 美穗(やすはら よしほ、1919年1月2日 - 1997年3月20日)は、日本の検察官、法務官僚、検事総長、弁護士。 京都府出身。京都府第二中学校(現京都府立鳥羽高等学校)、第三高等学校 (旧制)を経て、京都帝国大学卒業。 1943年司法官試補。1947年検事となる。東京地方検察庁検事、オランダ大使館一等書記官などを経て、1973年法務省刑事局長、1977年法務事務次官、1979年東京高等検察庁検事長。1981年7月23日-1983年12月2日検事総長。 1984年弁護士を開業。のち財団法人国際研修協力機構理事長、財団法人矯正協会会長、株式会社住友銀行顧問弁護士を務めた。 著書『検察の窓から』(高文堂出版社、1985年)のほか、論文・記事を多数執筆している。
安原 美穗(やすはら よしほ、1919年1月2日 - 199… 安原 美穗(やすはら よしほ、1919年1月2日 - 1997年3月20日)は、日本の検察官、法務官僚、検事総長、弁護士。
吉原 正喜(よしはら まさき/まさよし、1919年1月2日 … 吉原 正喜(よしはら まさき/まさよし、1919年1月2日 - 1944年10月10日)は、熊本県熊本市出身のプロ野球選手(捕手)。
小野 健一(おの けんいち、1919年1月2日 - 2010… 小野 健一(おの けんいち、1919年1月2日 - 2010年10月8日 )は、日本の物理学者、科学史家、東京大学名誉教授。 神奈川県生まれ。東京帝国大学理学部物理学科卒。東大理学部助手、1953年東大教養学部助教授、教授、1979年定年退官、名誉教授。 1962年「重粒子崩壊の相互作用」で東京大学理学博士。1979年の『鳥の飛翔に関する手稿』の翻訳でマルコ・ポーロ賞受賞。1992年勲三等旭日中綬章受章。
高木 孝一(たかぎ こういち、1919年〈大正8年〉1月2日… 高木 孝一(たかぎ こういち、1919年〈大正8年〉1月2日 - 2012年〈平成24年〉6月1日)は、日本の政治家、実業家。高木建設創業者、同社社長。高木商事社長。福井県議会議員。敦賀市議会議員。第57代福井県議会議長、第13-16代敦賀市長などを歴任した。長男は第5代復興大臣、自由民主党衆議院議員の高木毅。 福井県敦賀市出身。1936年、国鉄敦賀機関区に勤務する。1950年、国鉄を退職する。 1951年、敦賀市議会議員に当選する。1954年、高木建設を創立する。1959年、福井県議会議員に当選する。 1966年6月28日から同年12月16日、第54代副議長を、1972年5月26日から1973年6月25日、第57代議長を務めた。
大宜見 小太郎(おおぎみ こたろう、1919年1月2日 - … 大宜見 小太郎(おおぎみ こたろう、1919年1月2日 - 1994年7月26日)は、沖縄県那覇市出身の俳優、脚本家、演出家、舞踊家。沖縄芝居の大御所として知られ、沖縄俳優協会会長もつとめた。なお、「大宣見小太郎」「大宜味小太郎」等と誤記されることも多い。 生誕時の本名は、當間朝義(幼名太郎)。やがて、沖縄芝居の役者の、大宜見朝良の養子に入り、本名「大宜見朝義」となった。さらに、当時の役者には、「太郎」と名乗る者が多かったことから、「大宜見小太郎」を芸名にした。また、南一郎のペンネームで200本以上の脚本を書いている。 妻は沖縄芝居女優の大宜見静子。 1926年(大正15年)7才の時に、石垣にて「瓦屋節由来記」で初舞台を踏み、その後も子役として活躍する。
細川 隆一郎(ほそかわ りゅういちろう、1919年1月1日 … 細川 隆一郎(ほそかわ りゅういちろう、1919年1月1日 - 2009年8月25日)は、日本の政治記者・評論家・コメンテーター、タレント・ラジオパーソナリティである。第79代内閣総理大臣の細川護熙は遠い親戚関係に当たる。
岡村 雅夫(おかむら まさお、1919年1月1日 - 200… 岡村 雅夫(おかむら まさお、1919年1月1日 - 2005年6月27日)は日本の政治家。高知県安芸郡芸西村長などを歴任する。 高知県出身。関西大学専門部卒。旧安芸郡西分村役場に入り、県水産課雇員、西分村の助役などを経て、1946年に27歳で官選時代の西分村長に就任。1947年に西分村長選挙で当選。1954年、西分、馬ノ上、和食の旧3村が合併して誕生した芸西村の初代村長に当選した。その後、連続13選(うち10選が無投票当選)を果たし、1996年8月に村長在任50年を迎えた。同年10月に最後は「体力の限界」と任期2年を残したまま引退した。芸西村役場に顕彰碑が建てられている。 地方自治体首長の連続13選は公選首長では全国最多である。
白井 泰四郎(しらい たいしろう、1919年1月1日- 20… 白井 泰四郎(しらい たいしろう、1919年1月1日- 2014年)は、労働問題研究者翻訳家。 鎌倉市生まれ。1944年東京帝国大学経済学部卒。日本労働協会主任研究員、法政大学経営学部教授、90年定年退任、名誉教授となった。城浩一の筆名をもち、アメリカ文学の翻訳もした。
森本 修(もりもと おさむ、1919年1月1日- 1998年… 森本 修(もりもと おさむ、1919年1月1日- 1998年9月28日 )は、日本の農林官僚。農林中央金庫理事長を務めた。 和歌山県海南市出身。1941年に東京帝国大学法学部政治学科を卒業し、1942年に農林省に入省した。短期現役海軍主計科士官(8期)を志願し、同年1月、海軍主計中尉に任官し海軍経理学校に入校。同年5月に卒業。第103軍需部に配属。1943年11月、海軍主計大尉に昇進し、海軍省軍務局第4課員として終戦を迎えた。 戦後、農林省に復帰。1965年6月に農林経済局長に就任し、1966年9月に農政局長、1968年6月に水産庁長官、1969年11月に食糧庁長官、1970年8月に農林事務次官、1973年7月に農業信用保険協会理事長を経て、1977年5月には農林中央金庫理事長に就任。
大谷 洌子(おおたに きよこ、1919年1月1日 - 201… 大谷 洌子(おおたに きよこ、1919年1月1日 - 2012年5月8日)は、昭和期の声楽家(ソプラノ)、歌手。出生年を1921年とする文献もある。 広島県広島市国泰寺町(現・中区国泰寺町)出身。両親はいずれも広島一中(現・広島国泰寺高校)の教師だった。1940年武蔵野音楽学校卒業。同期生に高英男、木下忠司がいる。原信子に師事。 同年、ビクターレコードから歌手デビュー。1941年に、柴田睦陸と「出せ一億の底力」を吹き込む。 1942年には、灰田勝彦と、「ジャワのマンゴ売り」や「空の神兵」を吹き込みヒットさせている。 前年、第10回毎日音楽コンクール声楽部門入賞をきっかけに藤原歌劇団歌舞伎座公演『ファウスト』の主役・マルガレーテ役に抜擢されオペラ界にデビュー、新人でマルガレーテを演じた冽子は「オペラ界のシンデレラ」ともてはやされた。
田端 義夫(たばた よしお、1919年〈大正8年〉1月1日 … 田端 義夫(たばた よしお、1919年〈大正8年〉1月1日 - 2013年〈平成25年〉4月25日)は、日本の歌手、ギタリスト。本名:田畑 義夫(読み同じ)。第二次世界大戦前から21世紀初頭まで現役歌手として活躍した。愛称はバタヤン。高い位置で構えるエレクトリック・ギター(ナショナル1124)、独特の哀愁を帯びた歌声、「オーッス!」という威勢のよい挨拶がトレードマークで、広く国民に親しまれた。 三重県松阪市生まれ。3歳の時に父を亡くし、大正14年(1925年)に一家とともに大阪に出て行く。小学校3年の半ばで中退。赤貧のため慢性的な栄養失調であった。トラコーマにかかり徐々に右目の視力を失う。 13歳より名古屋の薬屋やパン屋、鉄工所などで丁稚奉公。
宮辺 英夫(みやべ ひでお、1919年1月 - 1978年1… 宮辺 英夫(みやべ ひでお、1919年1月 - 1978年10月)は、日本の陸軍軍人、パイロット。 最終階級は陸軍少佐。加藤隼戦闘隊の最後の戦隊長として知られる。 熊本県に生まれる。1936年(昭和11年)に旧制玉名中(熊本県立玉名高等学校・附属中学校)、1939年(昭和14年)に陸軍士官学校を52期で卒業。 陸軍士官学校卒業後、明野陸軍飛行学校へ進み、卒業後は飛行第5戦隊へ配属。その後、明野陸軍飛行学校教官となる。1943年(昭和18年)2月に飛行第六十四戦隊(いわゆる加藤隼戦闘隊)第2中隊長関二郎大尉が戦死したことに伴い、第2中隊長になる。 1945年(昭和20年)4月26日には飛行第六十四戦隊戦隊長となり、クラコール飛行場にて終戦を迎えた。
伏見 五郎(ふしみ ごろう、1919年 - 1945年5月)… 伏見 五郎(ふしみ ごろう、1919年 - 1945年5月)は、北海道函館市出身のプロ野球選手。ポジションは捕手。 父は函館太洋倶楽部で活躍した伏見勇蔵。函館中卒業後、1937年にイーグルスに入団する。1939年、バッキー・ハリスの退団に伴い正捕手になるが、この年限りで退団、函館太洋倶楽部に入団する。試合中に送球を受けて死亡した久慈次郎に代わって、函館太洋倶楽部でも正捕手になった。翌1940年には、全道樺太実業団野球大会(前年に久慈が試合中に送球を受けて死亡したため、この年の大会が最後の大会〈第18回〉になった。)で、この年の都市対抗野球大会に北海道代表として出場した全旭川と延長27回の大熱戦を繰り広げた際には、捕手として出場し、3-2での勝利に貢献した。
大久保 正(おおくぼ ただし、1919年 - 1980年9月… 大久保 正(おおくぼ ただし、1919年 - 1980年9月)は、日本の国文学者、万葉学者。上代文学が専門。 1943年、東京帝国大学国文科卒。東京外国語大学助教授、北海道大学教授、国文学研究資料館教授。在職中に逝去。
大塚 鶴雄(おおつか つるお、1919年 - 没年不詳)は、… 大塚 鶴雄(おおつか つるお、1919年 - 没年不詳)は、群馬県出身のプロ野球選手。ポジションは内野手。 1939年から1942年までの登録名は柳 鶴震(やなぎ つるじ)。 桐生中学校から1939年に東京セネタースへ入団。同年3月26日の対巨人戦で1試合に2度の振り逃げを記録。1940年には104試合に出場するが、現在もプロ野球記録となる失策のシーズン記録となる75失策を記録している。 1941年に南海軍へ、1943年は大和軍に移籍した。戦後は社会人野球の全桐生でプレーした
飯塚 達雄(いいづか たつお、1919年 - 没年不明[要出… 飯塚 達雄(いいづか たつお、1919年 - 没年不明[要出典])は、千葉県出身のプロ野球選手。 関東中学校から1940年に名古屋金鯱軍へ入団し、同年退団した。
斎藤 平蔵(さいとう へいぞう、1919年 - 2005年)… 斎藤 平蔵(さいとう へいぞう、1919年 - 2005年)は、日本の建築環境学者。東京大学工学部教授、東京理科大学理工学部教授を歴任。工博。 著書に『建築気候』 (大学講座建築学環境編 1、共立出版)『都市環境と人間』『建築設備の実務Ⅰ』(現代建設実務大系、監修)など。受賞は空気調和・衛生工学会学会賞 論文賞、日本建築学会賞大賞受賞など。
小林 正三郎(こばやし しょうざぶろう、1919年 - 19… 小林 正三郎(こばやし しょうざぶろう、1919年 - 1945年2月) は、日本の元アマチュア野球選手。新潟県出身。 柏崎中学(現・新潟県立柏崎高等学校)を経て、1939年早稲田大学に入学。東京六大学リーグ戦で捕手として出場した。しかし学徒出陣により応召され、1945年2月、フィリピン北部・ルソン島にて戦死した。享年25。 東京ドーム内の野球殿堂博物館にある戦没野球人モニュメントに、彼の名前が刻まれている。
磯貝 元(いそがい はじめ、1919年(大正8年) - 20… 磯貝 元(いそがい はじめ、1919年(大正8年) - 2015年(平成27年))は、日本の医師。内科医。駒込病院副院長。医学博士。 静岡県立静岡中学校を経て、静岡高等学校 (旧制)卒業。1942年(昭和17年)、東京帝国大学医学部卒業。直ちに海軍短期現役軍医として従軍。朝鮮・元山駐在。1943年(昭和18年)1月、海軍軍医学校入学、4月卒業。海南島特別陸戦隊附、9月、第三航空艦隊附(八丈島)。1945年(昭和20年)8月、復員。上京して都立駒込病院(内山圭梧院長)に入局。伝染病患者の診療に従事。1962年(昭和37年)、アメリカ、ボルチモアのメリーランド大学ボルチモア校(英語版)に半年間海外研修。
荒木 政公(あらき まさきみ、1919年 - 没年不詳)は長… 荒木 政公(あらき まさきみ、1919年 - 没年不詳)は長崎県出身のプロ野球選手(投手)。 海星中学(現・海星中学校・高等学校)、門司鉄道管理局を経て、1939年に阪急軍に入団。海星中学時代は甲子園出場がなく、門司鉄道管理局でも九州地区決勝大会で八幡製鉄に敗れ、都市対抗野球には出場できなかったものの「九州の好投手」として知られていた。1938年には逸材として職業野球の各球団がスカウトに殺到。阪急の村上実球団代表が荒木家を訪ねた際に壁に貼られた各球団提示の契約金額を目撃し、他球団よりも高額の契約金を提示したため、阪急への入団を決意したと伝わっている。東京巨人軍も獲得を狙っており、翌1939年に入団した吉原正喜を抑えて、獲得候補№1選手にリストアップされていたのが荒木だった。
高橋 敏(たかはし さとし、1919年 - )は静岡県出身の… 高橋 敏(たかはし さとし、1919年 - )は静岡県出身の元プロ野球選手(投手、右翼手)。
平野 正太郎(ひらの しょうたろう、1919年 - 没年不明… 平野 正太郎(ひらの しょうたろう、1919年 - 没年不明)は、大阪府出身の元プロ野球選手(投手、内野手、外野手)。
湯浅 芳彰(ゆあさ よしあき、1919年 - 没年不明)は、… 湯浅 芳彰(ゆあさ よしあき、1919年 - 没年不明)は、兵庫県出身の元プロ野球選手。ポジションは投手。
梅本 政夫(うめもと まさお、1919年 - 没年不明)は、… 梅本 政夫(うめもと まさお、1919年 - 没年不明)は、岡山県出身のプロ野球選手。
高久保 豊三(たかくぼ とよぞう、1919年 - 没年不明)… 高久保 豊三(たかくぼ とよぞう、1919年 - 没年不明)は、愛媛県出身の元プロ野球選手(外野手)。
池田 美恵(いけだ みえ、1919年 - 1997年)は、日… 池田 美恵(いけだ みえ、1919年 - 1997年)は、日本のギリシア哲学研究者。 東京市下谷区黒門町(現東京都台東区上野)出身。津田英学塾(現在の津田塾大学前身)、東京文理科大学哲学科選科を修了。田中美知太郎に師事。津田塾大学講師、筑波大学助教授をつとめた。筑波大学を定年退官後は、法政大学文学部哲学科及び人文科学研究科哲学専攻兼任講師をつとめた。 主な論文に「エウクレイデスの無理量について」、「ソポクレスの宗教性」がある。
入沢 恒(いりさわ ひさし、1919年 - 1993年)は、… 入沢 恒(いりさわ ひさし、1919年 - 1993年)は、日本の都市計画および都市防災研究者。建設省建築研究所第1研究部長などを経て横浜国立大学工学部教授、日本都市計画学会会長、財団法人都市防災研究所理事長を歴任した。 1943年に東京帝国大学工学部建築学科を卒業。卒業論文は武藤清の指導による「耐弾床版に関する研究」で、卒業後は1941年に設立された内務省防空研究所に勤務した。この組織は1945年8月に内務省国土局分室に改組されたのち、1946年4月に大蔵省官房営繕課建築研究室、陸軍技術研究所等とともに新設の戦災復興院総裁官房技術研究所(所長:藤田金一郎)に統合された。 技術研究所では防火研究に従事していたが、技術研究所内に東大の同級生で陸軍に籍を置いていた日笠端らが組織した都市計画研究科に志願して移籍し、都市計画の研究に従事していく。
王 育霖(おう いくりん、台湾語: Ông Io̍k-lîm… 王 育霖(おう いくりん、台湾語: Ông Io̍k-lîm、1919年 - 1947年)は、台湾の検察官。日本本土初の台湾人検事。二・二八事件で中華民国政権により処刑される。台南市出身。 言語学者、台湾独立活動家の王育徳は弟。 旧制台北高等学校尋常科、同高等科を経て、東京帝国大学法科(東大法学部)卒業。東大在学中に高等試験司法科合格。東大の恩師の田中耕太郎(後に最高裁判所長官)や小野清一郎の推薦もあり、日本初の台湾人検事として京都地方裁判所に勤務した。 第二次世界大戦後、台湾に戻り、新竹市で検事として勤務した。台北市立建国高級中学(旧台北一中)の教師も務めた。 李筱峰によれば、二二八事件の掃討期間に、王育霖は私服憲兵や警察に逮捕され、保安司令部第二処(もと西本願寺)に監禁・拷問された後、三月末に処刑され、遺体は現在も見つかっていない。
山上 正太郎(やまのうえ しょうたろう、1919年 - 20… 山上 正太郎(やまのうえ しょうたろう、1919年 - 2010年)は、日本の歴史学者、電気通信大学名誉教授。西洋史専攻。 岡山県岡山市生まれ。東京帝国大学文学部西洋史学科卒業。学習院大学助教授、電気通信大学教授、1983年定年退官、名誉教授。第一次世界大戦、第二次世界大戦、フランス革命などを研究した。
清水 馨八郎(しみず けいはちろう、1919年〈大正8年〉 … 清水 馨八郎(しみず けいはちろう、1919年〈大正8年〉 - 2015年〈平成27年〉)は、日本の地理学者。学位は、理学博士。地理学者としては、都市地理学、交通地理学などの分野で業績を残した。晩年は自由主義史観系の評論家・論客として知られた。千葉大学名誉教授。 山梨県出身、(旧制)東京文理科大学(現・筑波大学)理学部地学科卒。 海軍兵学校教官、千葉大学教育学部教授を経て、千葉大学名誉教授。国際武道大学教授、イオンド大学筆頭教授を歴任した。理学博士。勲三等旭日中綬章。日本を守る国民会議発起人。 日本における交通地理学の体系化の進行に貢献した人物の1人であり、交通現象をもとに大都市の都市構造の分析を行い、都市問題や交通問題の研究や対処方法の提言などを行った。