栗原昭平(くりはら しょうへい、1927年9月16日 - 1… 栗原昭平(くりはら しょうへい、1927年9月16日 - 1992年3月12日)は、日本の官僚、実業家。 東京府出身。1950年東京大学法学部卒業、同年通商産業省入省。同期に林義郎、水野上晃章(貿易局長 1978年6月-、広島文理科大卒)ら全部で6人であった。 日本銀行政策委員会委員経済企画庁代表(1977年6月 - 1978年6月)、生活産業局長(1978年6月20日 - 1979年8月29日)、機械情報産業局長(1979年8月29日 - 1981年6月26日)、1981年に通商産業審議官(1981年6月26日 - 1982年10月15日 通産大臣:安倍晋太郎・山中貞則)に。機械情報産業局長時代は、局次長の小長啓一らと共に対米乗用車輸出自主規制導入に取組み、1981年から国内自動車各社への輸出台数割り当てが実施された。
中沖 豊(なかおき ゆたか、1927年9月16日 - 201… 中沖 豊(なかおき ゆたか、1927年9月16日 - 2018年6月24日)は、日本の政治家。富山県知事(6期)。 富山県富山市出身。旧制富山高等学校を経て、1950年東京大学法学部卒業後、地方自治庁(後の自治省、現在の総務省)に入庁。富山県総務部長、同県教育長、消防大学校校長、消防庁防災救急課長、石川県経済部長、北陸新幹線建設促進同盟会長を歴任。 1980年、当時の知事中田幸吉急死により行われた富山県知事選に立候補し初当選。以後、「健康・スポーツ」「花と緑」「科学・文化」の「三つの日本一」への挑戦を掲げた住みよい県作り等を推進。「いい人いい味いきいき富山」観光キャンペーンを展開したほか、富山空港のジェット化、北陸新幹線や北陸自動車道など交通インフラの整備、高志リハビリテーション病院(現・富山県リハビリテーション病院・こども支援センター)の開院、ジャパンエキスポ富山や2000年とやま国体の誘致、テレビユー富山(現・チューリップテレビ)の開局にも力を注いだ。
小宮山 重四郎(こみやま じゅうしろう、1927年(昭和2年… 小宮山 重四郎(こみやま じゅうしろう、1927年(昭和2年)9月15日 - 1994年(平成6年)11月21日)は、日本の政治家。 衆議院議員(11期)、郵政大臣を歴任。 山梨県甲府市出身。後に参議院議員となった小宮山常吉の四男。長兄・英蔵は平和相互銀行の創設者。東京府立葛飾中学校を経て、中央大学予科、日本大学法文学部を卒業。1948年に早稲田大学政治経済学部経済学科に入学。1951年に同大学を卒業しアメリカ・ニューヨーク州のアルフレッド大学に官費留学、経営学を学ぶ。アルフレッド大学卒業後、1955年に読売新聞社に入社し、大阪支局経済部に配属される。その後、読売新聞の英字新聞記者となる。 1958年に佐藤栄作の秘書となり政界入り。
西岡 昭夫(にしおか あきお、1927年(昭和2年)9月15… 西岡 昭夫(にしおか あきお、1927年(昭和2年)9月15日 - 2015年(平成27年)10月10日)は、日本の公害反対運動家である。 静岡県三島市出身。静岡県立沼津中学校(現在の静岡県立沼津東高等学校)卒業後、当時第二次世界大戦下にあった事により陸軍士官学校予科に入学する。しかし戦後に同学校を中退し、中央気象台付属気象技術官養成所(現在の気象大学校)に転校した。後東京理科大学を卒業 卒業後は高校教師として活動し、沼津学園高等学校(現在の飛龍高等学校)にて教鞭を執りその後は静岡県立下田北高等学校(現在は閉校)に勤務する。 後に静岡県立沼津工業高等学校に転勤し、同学校在学中の1964年(昭和39年)に三島地区の石油化学コンビナートの建設計画における公害調査団に加入した。
徳永 徹(とくなが とおる、1927年9月15日 -2018… 徳永 徹(とくなが とおる、1927年9月15日 -2018年9月3日)は、日本の医学者、福岡女学院名誉院長。 1927年、東京で生まれた。父の転勤に伴い、浦和、鎌倉、横浜、長崎と移り、県立長崎中学に入学。卒業後は第五高等学校に進んだ。1年次に太平洋戦争が終結し、原爆で廃墟となった長崎へ戻った。 九州大学医学部で学び、1952年に卒業。同大学大学院に進学し、1959年に博士課程を修了し、学位論文『ニトロフラン、ピロン、オメガ環状脂肪酸及びベンゾチアゾールなどの誘導体の抗菌作用に関する研究』を提出して医学博士号を取得。 国立予防衛生研究所(現感染症研究所)に勤務し、研究と診療にあたった。結核部長、細胞免疫部長、エイズセンター長、同研究所長を務め、定年退官。
中 久郎(なか ひさお、1927年(昭和2年)9月15日 -… 中 久郎(なか ひさお、1927年(昭和2年)9月15日 - 2005年(平成17年)2月22日)は、日本の社会学者。京都大学名誉教授。専攻は、社会学理論・社会学史・社会病理学。 京都府生まれ。1953年京都大学文学部哲学科社会学卒、1958年同大学院博士課程満期退学、大谷大学文学部講師、1961年助教授、1962年「自殺の社会的要因の研究」で京都大学より文学博士の学位を取得。1966年京都大学文学部助教授、1978年教授、1986-1988年文学部長。1991年停年退官、名誉教授、龍谷大学社会学部教授、1999年愛知新城大谷短期大学初代学長、2004年愛知新城大谷大学初代学長を併任。
大国 真彦(おおくに まさひこ、1927年(昭和2年)9月1… 大国 真彦(おおくに まさひこ、1927年(昭和2年)9月15日 - )は、日本の小児科医。日本大学名誉教授、大国小児科クリニック院長。 朝鮮釜山府生まれ。1951年東京大学医学部卒。52年東大医学部小児科助手。1958年東京大学医学博士。1959年東大講師、1963年日本大学医学部助教授、1973年教授、1986年日本大学医学部附属板橋病院副院長、1990-1992年院長、1988年日本小児科学会会長。1995年日大名誉教授、表参道眼科・小児科クリニック院長。成城に大国小児科クリニックを開設し院長。2008年春瑞宝中綬章受勲。小児のコレステロール値を研究し、動脈硬化や肥満などの小児成人病を指摘した。
千原 光雄(ちはら みつお、1927年9月15日 - 201… 千原 光雄(ちはら みつお、1927年9月15日 - 2016年8月17日)は、日本の藻類学者、筑波大学名誉教授。 千葉県生まれ。1952年、東京文理科大学生物学科卒業、東京教育大学下田臨海実験所助手。1961年、「日本産カギノリ科植物の生活環」で東京教育大学理学博士。 1964年より国立科学博物館植物研究部勤務、1972年、東京教育大学助教授、教授、筑波大学教授、91年定年退官、名誉教授。1991年より1998年まで日本赤十字看護大学教授、1998年より2003年まで千葉県立中央博物館館長。 2016年死去、叙従四位、瑞宝中綬章追贈。
金沢 規雄(かなざわ のりお、1927年9月15日 - )は… 金沢 規雄(かなざわ のりお、1927年9月15日 - )は、日本の国文学者、宮城教育大学名誉教授。 福島市生まれ。本籍・仙台市。海軍兵学校在学。1950年東北大学文学部国文科卒業。同大学院博士課程中退、宮城県第二女子高等学校教諭、宮城県仙台第一高等学校教諭、東北大学講師、宮城教育大学助教授、教授、図書館長をへて92年定年退官、名誉教授、山形女子短期大学教授。近世俳諧、特に『奥の細道』が専門。
小泉 功(こいずみ いさお、1927年9月15日 - 200… 小泉 功(こいずみ いさお、1927年9月15日 - 2009年9月1日 )は、日本の教師、考古学者。 東京に生まれる。1944年京北中学校卒業。同年、東洋大学専門部哲学科に入学。戦後、同大学史学科に転科し、和島誠一のもとで登呂遺跡の発掘調査に加わるなど、考古学を学ぶ。 1950年3月に東洋大学文学部史学科を卒業し、同年4月から1986年3月まで埼玉県立川越高等学校教諭を勤めた。同校では生徒と郷土部の活動を行い、同部の顧問として生徒の指導に当たった。教員の傍ら、水子貝塚などの発掘調査も行い、とりわけ1972年からは河越館の発掘調査にあたり、同遺跡の保存運動に取り組んだ。また、教員在職中から川越市史編纂委員や川越市文化財保護審議会委員の任にもあたり、1998年からは同審議会会長に任じられ、逝去するまで勤めた。
南澤 道人(みなみさわ どうにん、1927年(昭和2年)9月… 南澤 道人(みなみさわ どうにん、1927年(昭和2年)9月14日 - )は、日本の僧侶。曹洞宗管長。永平寺第80世貫首。駒澤大学卒業。道号法諱・祖苗道人 長野県更級郡桑原村(現在の千曲市大字桑原)の龍洞院という寺の長男として生まれる。長野県屋代中学校(旧制中学)を経て、1945年に海軍兵学校、1948年に駒澤大学専門部仏教科卒業。1949年、大本山永平寺僧堂に安居。 2003年まで長野県龍洞院住職。その間、1982年に大本山永平寺の副寺(ふうす)、副監院、監院、並びに道元禅師七百五十回大遠忌奉修の総監を務める。札幌中央寺住職。 2008年より大本山永平寺副貫首。2020年9月29日、永平寺貫首に就任。
斉藤 安代(さいとう やすのり、1927年9月14日 - 2… 斉藤 安代(さいとう やすのり、1927年9月14日 - 2005年4月6日)は、日本の映画プロデューサー、民間放送局経営者である。東映東京撮影所の企画部から日本教育テレビ(現在のテレビ朝日)へ転身して以降、同社常務取締役、同社常勤監査役、静岡朝日テレビ代表取締役副社長等を歴任した。 東映時代、斎藤 安代とクレジットされた作品がある。インターネット・ムービー・データベースの表記 Yasuyo Saitô も、Movie Walker での読み「サイトウヤスオ」も、いずれも誤りである。 1927年(昭和2年)9月14日、静岡県に生まれる。 第二次世界大戦後、旧制高等学校から東京大学文学部に入学、1949年(昭和24年)3月に卒業した。
蔦井 政信(つたい まさのぶ、1927年9月13日 - )は… 蔦井 政信(つたい まさのぶ、1927年9月13日 - )は、日本の実業家。北海道滝川市出身。 道南海運社長や東日本フェリー初代社長、北海道旅客船協会会長を務めた蔦井與三吉の息子として生まれ、1946年に旧制滝川中学校を卒業。父が経営する稚内利礼運輸の経営不振や終戦後の混乱で大学進学を断念し、同年蔦井木材工業所に入社、稚内へ移り家業に専念し、1951年には稚内利礼運輸取締役となる。1957年には日本通運札幌支店に監査役として入社し、昭和30年代序盤の3年間で支店の監査や指導を行った。 その後は1961年に桑園倉庫常務、1964年7月に道南海運専務、1965年7月に東日本フェリー専務取締役、蔦井商事監査役といった、蔦井グループの要職を務める。
安岡 昭男(やすおか あきお、1927年9月12日 - 20… 安岡 昭男(やすおか あきお、1927年9月12日 - 2016年7月27日)は、日本の歴史学者。法政大学名誉教授、文学博士(法政大学・論文博士・1971年)。専門は日本近代史。 1927年、後に山梨県知事となる安岡正光の子として兵庫県神戸市に生まれる。1945年、獨逸学協会学校中等部卒業、東京工業専門学校機械科第二へ進学(のち中退)。1949年、法政大学高等師範部歴史地理科卒業、法政大学二部文学部史学科に入学。1953年、法政大学二部文学部史学科卒業、川村高等学校教諭に着任するかたわら、法政大学大学院人文科学研究科日本史学専攻修士課程へ進学。1956年、川村短期大学専任講師に着任。1957年、法政大学大学院人文科学研究科日本史学専攻修士課程修了、同博士課程へ進学。
工藤 祐信(くどう すけのぶ、1927年9月11日 - 20… 工藤 祐信(くどう すけのぶ、1927年9月11日 - 2012年4月17日)は、岩手県盛岡市出身のスピードスケート選手。早稲田大学卒業。 予科練から戻ってからスケートを始めた。1948年の国民体育大会では1500mで2位となった。岩手県立盛岡農業高等学校(当時 岩手県立柏高等学校)教諭を務めていた1952年に、オスロオリンピックに出場。男子500mで15位、1,500mで33位という記録を残した。 現役引退後は、日本スケート連盟スピードスケート委員長を務めたり、1998年から2007年まで岩手県スケート連盟会長を務めた。 盛岡市が1998年冬季オリンピックの開催地に立候補した際、誘致活動に携わっている。
伊東 光晴(いとう みつはる、1927年9月11日 - )は… 伊東 光晴(いとう みつはる、1927年9月11日 - )は、日本の経済学者。専門は理論経済学。京都大学名誉教授、復旦大学(中国)名誉教授、福井県立大学名誉教授。吉野作造賞等受賞。紫綬褒章受章。東京都出身。 一橋の杉本栄一ゼミや都留重人ゼミで学び、杉本の影響の下、近代経済学、マルクス主義を介した理論経済学の研究に従事する。また同期の山口敏明(東ソー社長や経済同友会副代表幹事を歴任)らとともに一橋新聞部にも参加。予科同期の佐藤金三郎(元横浜国立大学教授)とは生涯親しく交友した。 敗戦により、社会のロマンを解こうと経済学の道に入る。特別研究生時代は、日曜日朝から杉本の家で開かれるゼミに、同じく特別研究生の浅野栄一(中央大学名誉教授)や、ゼミOBの宮崎義一(京都大学名誉教授)、宮崎犀一(元東京女子大学教授)とともに出席し、杉本とともに宮川公男(一橋大学名誉教授)、玉井龍象(金沢大学名誉教授)、近藤鉄雄(大蔵官僚、元労働大臣)らの指導を行った。
赤崎 義則(あかさき よしのり、あかざき よしのり、1927… 赤崎 義則(あかさき よしのり、あかざき よしのり、1927年(昭和2年)9月11日 - 2019年(平成31年)4月12日)は、日本の政治家。鹿児島市長(第19代、5期)。鹿児島市助役(第24代)。位階は従四位。 鹿児島県日置郡東市来村(後に東市来町、日置市)出身。東市来町の小学校から、旧制鹿児島県立伊集院中学校(現鹿児島県立伊集院高等学校)を経て、陸軍予科士官学校在籍中に敗戦により学校解散となり復員。1948年3月鹿児島農林専門学校農学科(現鹿児島大学農学部)卒業。1949年2月鹿児島市役所に入職。市役所では農林部経営課長(1965年11月)、農林部指導課長、財政部管財課長(1969年9月)、総務局行政部職員課長(1973年7月)、総務局行政部長(1975年7月)、総務局長(1977年7月)を経て、1984年3月助役に就任した。
有賀 和子(ありが かずこ 、1927年9月10日 - 20… 有賀 和子(ありが かずこ 、1927年9月10日 - 2020年5月24日)は、日本のピアニストおよびピアノ教育者。桐朋学園大学名誉教授。日本ショパン協会理事、および、財団法人日本ピアノ教育連盟相談役をつとめる。 1927年9月10日生まれ。井口基成、安川加壽子、ベヴァリッジ・ウェブスター(英語版)に師事する。1943年、17歳のとき、第12回毎日新聞社音楽コンクール(現在の日本音楽コンクール)のピアノ部門で第1位入賞を果たす。1948年、東京音楽学校を卒業する。 ピアニストとして活躍する。ソリストとして、また、NHK交響楽団や東京交響楽団と共演する。 ピアノ教育者としての活躍が、より有名である。
篠永 善雄(しのなが よしお、1927年〈昭和2年〉9月9日… 篠永 善雄(しのなが よしお、1927年〈昭和2年〉9月9日 - 2012年〈平成24年〉2月23日)は、日本の政治家。愛媛県伊予三島市(現・四国中央市)長。 愛媛県宇摩郡三島町(のち伊予三島市、現・四国中央市)出身。旧制愛媛県立三島中学校(現・愛媛県立三島高等学校)を経て、明治学院大学経済学部に入学するが、中退する。帰郷後は伊予三島市議会議員、同第25代副議長(1977年12月14日から1978年12月5日まで)、同第26代議長(1978年12月6日から1979年7月27日)となった。 1979年、森川孝夫の急死に伴い行われた市長選で伊予三島市長に自民党公認で立候補して、社会党・共産党推薦の新人ら2人を破って当選し、同年8月20日に就任した。
臼井 千秋(うすい ちあき、1927年(昭和2年)9月9日 … 臼井 千秋(うすい ちあき、1927年(昭和2年)9月9日 - 2023年(令和5年)2月1日)は、第2代東京都多摩市長。 1948年に東京農工大学を卒業。1977年に多摩市議会副議長を経て、1979年には市長に初当選。5期を務め、1999年に引退して勲三等瑞宝章を受章。2001年には名誉市民に選ばれる。趣味はゴルフ・ドライブ・写真。 2023年2月1日、老衰のため死去、95歳。生涯市内百草に居住していた。長男がいる。 この項目は、日本の政治家に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(P:政治学/PJ政治)。
佐復 良一(さまた りょういち、1927年9月8日 - 没年… 佐復 良一(さまた りょういち、1927年9月8日 - 没年不明)は、群馬県出身のプロ野球選手。 桐生工業、桐生大同レーヨン、福島日東紡を経て1950年に国鉄スワローズへ入団。同年に退団。 引退後は桐生OB野球クラブの代表を務めた。
岩村 卯一郎(いわむら ういちろう、1927年9月8日 - … 岩村 卯一郎(いわむら ういちろう、1927年9月8日 - 2004年8月28日)は、日本の政治家。衆議院議員(1期)。新潟県議会議員(6期)。新潟県議会議長。長男は、新潟県議会議員の岩村良一。 新潟県北蒲原郡(現在の新発田市)出身で、新発田中学校を経て17歳の時に予科練に志願。1953年、法政大学法学部卒業。渡邊良夫衆議院議員の秘書を務め、第2次岸内閣で厚生大臣に任命されたときは、大臣秘書官を務めた。 1967年から新潟県議会議員を6期務め、副議長と議長を各1年務めた。自民党新潟県連の幹事長だった1989年には、君健男が癌のため新潟県知事を辞職したのに伴って多数の同党県議から推されて知事選への立候補の意思を表明したが、後に金子清への候補者一本化に同意した。
松中 昭一(まつなか しょういち、1927年9月8日 - 2… 松中 昭一(まつなか しょういち、1927年9月8日 - 2014年3月20日)は、日本の農学者。 三重県出身。大阪大学工学部発酵工学科卒、同大学院博士課程満期退学、1961年東京大学農学博士。農林省農業技術研究所技官、生理遺伝部生理第1科生理第6研究室長、所長、1978年神戸大学農学部教授、1991年定年退官、名誉教授、関西大学工学部教授。1988-1989年日本雑草学会会長。日本農薬学会会長、日本学術会議会員。日本農薬学会業績賞(1978年)、アメリカ雑草学会名誉賞(1983年)、日本農学賞(1988年)、科学技術庁長官賞(1997年)、1998年紫綬褒章受勲。
高桐 真(たかぎり まこと、1927年9月8日 - )は、日… 高桐 真(たかぎり まこと、1927年9月8日 - )は、日本の俳優。本名、道下 真二。 東京俳優生活協同組合、芸峰制作、ワシオ企画、鳥プロを経て、大木由美子オフィスに所属していた。 大阪府大阪市出身。呉服屋を営む父と母の二男四女の次男。関西大学経済学部卒業。大学在学中の1948年、劇団制作座を結成し、中心俳優として『三人姉妹』『罪と罰』『ルノアール群島』などに出演する一方、ラジオドラマ、テレビドラマにも出演。映画にも劇団の資金集めのため、『江戸っ子野郎と娘たち』(1960年、第二東映)を皮切りに各社の作品に助演した。制作座はのちに解散し、関西芸術座の創立メンバーを経てフリーとなる。 テレビドラマでは、NHK大河ドラマ『太閤記』(1965年)、『新・平家物語』(1972年)、『元禄太平記』(1975年)や、特撮テレビドラマ『忍者キャプター』(1976年)などにレギュラー出演した。
藤井 昭平(ふじい しょうへい、1927年(昭和2年)9月8… 藤井 昭平(ふじい しょうへい、1927年(昭和2年)9月8日 - 2019年(令和元年)10月17日)は、日本の教育者。 岡山県川上郡川上町(現在の高梁市)生まれ。岡山師範学校(現岡山大学教育学部)卒業後、公立学校教職(小学校教諭、中学校教諭)に就く。その後、岡山県教育委員会教育次長として、長年にわたり、県の教育行政に携わる。社会福祉法人旭川荘江草安彦理事長を補佐し、旭川荘の理事、顧問として、医療福祉事業に携わる。旭川荘関連施設「老人保健施設ひだまり苑」役員等。 趣味は、散歩、読書、囲碁(関西棋院3段)。 この項目は、人物に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(プロジェクト:人物伝、Portal:人物伝)。
荒居 英次(あらい えいじ、1927年9月6日 - 1981… 荒居 英次(あらい えいじ、1927年9月6日 - 1981年1月10日)は、日本の日本史学者。 東京市芝区(現港区)出身。1951年日本大学文学部史学科卒、1958年同大学院文学研究科博士課程修了。1968年「近世日本漁村史の研究」で日本大学より文学博士の学位を取得。1961年日本大学文理学部講師、1964年助教授。1970年渡欧して近世海産物輸出に関する史料の収集などにあたる。1972年日大教授。1965年漁業経済学会賞、1977年「近世海産物貿易史の研究」で日本学士院賞受賞。近世漁業史専攻。 この項目は、学者に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(PJ:人物伝/P:教育)。
青木 正則(あおき まさのり、1927年9月6日 - )は日… 青木 正則(あおき まさのり、1927年9月6日 - )は日本の元スピードスケート選手である。北海道苫小牧市出身。王子製紙に所属した。 1952年のオスロオリンピックに出場し500mで12位、1500mで23位の成績を残した。 1950年の第19回全日本スピードスケート選手権大会で優勝。 この項目は、スポーツ関係者に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(ポータル スポーツ/プロジェクト スポーツ人物伝)。
市川 健夫(いちかわ たけお、1927年9月5日 - 201… 市川 健夫(いちかわ たけお、1927年9月5日 - 2016年12月7日)は、日本の地理学者(人文地理学・地誌学)。学位は、理学博士。地域学としての『信州学』の提唱者として知られる。 長野県上高井郡小布施村生まれ。旧制須坂中学(長野県須坂高等学校)を経て、東京高等師範学校文科第四部卒業。長野県都住村立都住中学校教諭、長野県須坂西高等学校教諭、長野県長野高等学校教諭、長野県総務部事務吏員長野県政史編纂、東京学芸大学助教授、教授、信州短期大学教授、学長、名誉学長、長野県県文化財保護審議会長、長野県立歴史館館長などを歴任する。東京学芸大学名誉教授、信州短期大学名誉教授。秋山郷常民大学学長。 学位論文「日本の中央高地における高冷地農業の諸類型」で東京教育大学より理学博士の学位を取得。
高 大基(コ デギ、こう だいき、1927年〈昭和2年〉9月… 高 大基(コ デギ、こう だいき、1927年〈昭和2年〉9月5日 - )は、愛媛県出身の北朝鮮工作員。両親とも在日朝鮮人である。在日本朝鮮人総連合会(朝鮮総連)傘下の朝鮮問題研究所資料室長。 1973年(昭和48年)6月頃、突然北朝鮮(朝鮮民主主義人民共和国)に召喚され(当時45歳)、そのことが原因で妻渡辺秀子(当時32歳)、長女高敬美(当時6歳)および長男高剛(当時3歳)が失踪する事件が起こっている。日本の警察庁は、彼の子ども2人は北朝鮮当局によって拉致されたものと断定している(2児拉致事件)。 1927年(昭和2年)9月5日愛媛県西宇和郡生まれ。九州大学、大阪外国語大学ロシア語学科を卒業。 朝鮮総連傘下の朝鮮問題研究所では「資料室長」の肩書をもっていたが、同研究所が発行する機関誌『月刊朝鮮資料』に研究論文を書いたことはなかった。
前田 宗正(まえだ むねまさ、1927年(昭和2年)9月5日… 前田 宗正(まえだ むねまさ、1927年(昭和2年)9月5日 - 2011年(平成23年)8月9日)は、日本の造園技師。 株式会社昭和造園の創設者で、社団法人東京都造園緑化業協会副理事長・協会設立理事・副会長、(高橋他(2003))[要出典]日本造園建設業協会広報委員長、東京都造園高等職業訓練校校長、遮断法事日本造園建設業協会理事を歴任した(高橋他(2003))。[要出典] 1947年、千葉農業専門学校(現・千葉大学園芸学部)を卒業し、春日造園に入社する。1957年、昭和造園を設立し代表となる。(高橋他(2003))[要出典]。 2002年、日本造園学会上原敬二賞を受賞した。2004年7月、東京都造園緑化業協会会長代行に就任する(会長の逝去に伴う)。
豊藏 一(とよくら はじめ、1927年9月5日 - 2013… 豊藏 一(とよくら はじめ、1927年9月5日 - 2013年12月30日)は、日本の建設官僚。 1927年9月5日 東京府北多摩郡立川町(現在の東京都立川市)出身。 満州・大連第一中学校、第六高等学校を経て、1953年 東京大学法学部卒業後、建設省入省。都市局都市政策課長、総理府総理大臣官房会計課長、大臣官房人事課長、道路局次長、住宅局長などを経て、1982年6月 大臣官房長に就任。1985年10月 建設事務次官に就任。 退官後は、阪神高速道路公団理事長、住宅・都市整備公団総裁、東日本建設業保証社長などを歴任。 2001年にプロ野球のセントラル・リーグ会長に就任し、2008年末にセントラル・リーグ及びパシフィック・リーグが日本プロ野球コミッショナー事務局(日本プロフェッショナル野球組織)に統合され、リーグ会長職が廃止されるまで務めた。
藤野 保(ふじの たもつ、1927年(昭和2年)9月5日 -… 藤野 保(ふじの たもつ、1927年(昭和2年)9月5日 - 2018年(平成30年)5月14日)は、日本の日本史学者。文学博士。専攻は日本近世史。 1927年、長崎県で生まれた。1951年、東京文理科大学史学科を卒業。1959年、東京教育大学大学院の博士課程を修了。 1962年、学位論文『幕藩体制史の研究』を東京文理科大学に提出して文学博士号を取得。同論文は、同時に東京文理科大学賞を受賞した。1965年、九州大学文学部附属九州文化史研究施設助教授となった。1972年に教授昇格。1975年から1983年には九州文化研究施設長を務めた。1986年、中央大学文学部教授に転じ、1998年に退職。 2018年5月14日、多臓器不全のため死去。
福田 儀(ふくだ ただし、1927年9月5日 - )は日本の… 福田 儀(ふくだ ただし、1927年9月5日 - )は日本の政治家。今市市長(1期)。 栃木県今市市(現・日光市)出身。栗山村教育長を経て、1974年5月の栃木県議会議員補欠選挙に今市市選挙区から自由民主党公認で立候補して、初当選を果たした。その後、1975年、1979年、1983年にも当選した。また、1985年3月から1986年3月まで第77代同副議長を務めた。同年4月6日に辞職した。 任期満了に伴う今市市長選挙に立候補して、4選を目指した斎藤昭男を破って初当選を果たした。 ※当日有権者数:-人 最終投票率:-%(前回比:-pts) しかし1987年2月25日、市長選に絡んでその前に東武建設社長らに学校建設受注を約束して見返りに2835万円の賄賂を受け取ったとして事前収賄罪容疑で逮捕された。
岩橋 徹(いわはし とおる、1927年9月4日 - )は、日… 岩橋 徹(いわはし とおる、1927年9月4日 - )は、日本の地質学者、教育者。静岡大学名誉教授。 1993年4月1日-1994年8月常葉学園大学教育学部教授。 2010年4月瑞宝中綬章受章。 アメリカ合衆国カリフォルニア州サンフランシスコに生まれる。1945年福岡県立中学修猷館、1948年旧制福岡高等学校理科甲類を経て、1952年九州大学理学部地質学科を卒業。同年同大学大学院前期課程(旧制)に入学し、1954年4月中退して同大学理学部助手となる。 1962年3月九州大学より論文「”佐世保炭田”炭の石炭化度の地質学的研究」で理学博士の学位を取得。1964年4月九州大学教養部講師となる。 1965年4月静岡大学教育学部助教授に転じ、1970年6月同教授に就任。
須原 昭二(すはら しょうじ、1927年(昭和2年)9月4日… 須原 昭二(すはら しょうじ、1927年(昭和2年)9月4日 - 1975年(昭和50年)3月4日)は、昭和期の薬剤師、政治家。参議院議員(1期) 愛知県出身。1949年(昭和24年)岐阜薬学専門学校(現岐阜薬科大学)を卒業した。名古屋市の赤松勇主宰日本社会党愛知県本部「市民学校」に入り卒業して社会党に入党した。 1955年(昭和30年)4月、愛知県議会議員選挙に名古屋市中村区選挙区から左派社会党公認で立候補し初当選。3期在任。社会党愛知県議団幹事長、同地方議員団長、同愛知県連書記長、同会長代行、名古屋競輪場管理組合議会議長などを務めた。また、社会党愛知県本部の平和運動の活動を担い「平和運動の須原」と称された。
榊原 昭二(さかきばら しょうじ、1927年9月4日- )は… 榊原 昭二(さかきばら しょうじ、1927年9月4日- )は、日本のジャーナリスト。 愛知県出身。東京大学法学部卒。朝日新聞社会部次長、編集委員、新潟大学教授を歴任。 この項目は、まだ閲覧者の調べものの参照としては役立たない、人物に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(P:人物伝/PJ:人物伝)。
小野 州一(おの しゅういち、1927年9月3日 - 200… 小野 州一(おの しゅういち、1927年9月3日 - 2000年4月1日)は、日本の洋画家。
日暮 雅信(ひぐらし まさのぶ、1927年9月3日 - 20… 日暮 雅信(ひぐらし まさのぶ、1927年9月3日 - 2003年3月11日)は千葉県出身の作曲家。 東京府立第一商業学校(現、東京都立第一商業高等学校)の吹奏楽部でフルートを演奏。中央大学経済学部に進学、進駐軍キャンプでジャズを演奏していた。同大学を卒業後の1952年、バンド「日暮雅信とブルーキューバン」を結成、クラブやNHKの音楽番組に出演。1956年にバンドを解散、作曲活動に専念することになる。 1961年、「管弦楽のための二つの祈り」で毎日音楽コンクール管弦楽部門に入選。以降、管弦楽、室内楽、声楽、舞踏音楽などの分野で活躍するほか、映像作品の音楽も手掛けた。また、楽器の入門書も数多く執筆している。
祖父江 昭二(そふえ しょうじ、1927年9月3日 - 20… 祖父江 昭二(そふえ しょうじ、1927年9月3日 - 2012年1月15日)は、日本近代文学・演劇の研究者。 兵庫県出身、愛知県名古屋市で育つ。武蔵高等学校卒、1952年東京大学文学部美学美術史学科卒業。1957年同大学文学部大学院(旧制)修了。1960-1965年東京都立戸山高等学校講師。和光大学助教授、教授を務め、1997年定年となり名誉教授。劇団民藝顧問。
大野 正男(おおの まさお、1927年9月3日 - 2006… 大野 正男(おおの まさお、1927年9月3日 - 2006年10月28日)は、日本の弁護士。最高裁判所判事。 東京府出身。小学生時代に大蔵官僚であった父大野龍太が帝人事件で逮捕・起訴され、無実の罪で3年半のあいだ未決勾留された経験から弁護士志望となる。 第一高等学校 (旧制)を経て、1951年、東京大学法学部卒業。在学中は政治思想史の丸山眞男ゼミに所属。一旦会社勤めをした後、1954年に弁護士登録。弁護士としては海野普吉に師事。弁護士としては悪徳の栄え事件、砂川事件、西山事件、全逓中郵事件、羽田空港デモ事件、飯塚事件、芸大事件を担当した。 1993年4月に最高裁判事に就任。1997年9月に定年退官。
京極 興一(きょうごく おきかず、1927年9月2日 - 2… 京極 興一(きょうごく おきかず、1927年9月2日 - 2009年6月23日)は、日本の国語学者。 長野県上水内郡戸隠村(現・長野市)の戸隠神社宮司の家に生まれる。1951年(昭和26年)、東京大学文学部国文学科卒業。1975年(昭和50年)、信州大学教育学部教授に就任、1993年(平成5年)に退官した。同年より上田女子短期大学学長を務めた。 この項目は、学者に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(PJ:人物伝/P:教育)。 この項目は、言語学に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(ウィキポータル 言語学)。
吉野 龍男(よしの たつお、1927年9月2日 - )は、日… 吉野 龍男(よしの たつお、1927年9月2日 - )は、日本の経営者。伊藤組土建社長を務めた。北海道札幌市出身。 1947年に北海道大学工学部専門部を卒業し、同年に鹿島建設に入社。1949年5月から1950年12月までに北海道大学工学部土木科で助手を務め、1951年4月に伊藤組土建に入社。1977年3月に取締役に就任し、1984年6月に常務、1986年6月に専務、1994年6月に副社長を経て、2002年6月に社長に就任。2008年4月から2009年3月までに会長を務めた。
藤井 一雄(ふじい かずお、1927年9月2日 - )は、日… 藤井 一雄(ふじい かずお、1927年9月2日 - )は、日本の実業家、馬主、競走馬生産者。 1960年代に障害競走で活躍したフジノオーの馬主として知られる。 1927年、山口県出身。明治大学商学部卒業後、1971年に果実、家畜などの貿易を行う藤井治商事株式会社の取締役社長に就任。1963年11月には日本バナナ輸入組合理事長、1969年7月には日本柑橘輸入組合理事長に就任している。1967年11月には農事功労章を受章した。1978年には、藤井治商事が日本中央競馬会の代理としてアメリカから種牡馬・ハンザダンサーを購入したが、その際に日本中央競馬会へ提出した明細と、アメリカの売主が証言した売却額に食い違いがあったことで、藤井治商事が「手数料」を不正に受領した疑惑が持ち上がった(詳細はハンザダンサー事件を参照)。
鶴田 卓彦(つるた たくひこ、1927年9月1日 - 202… 鶴田 卓彦(つるた たくひこ、1927年9月1日 - 2020年3月13日)は、日本の新聞経営者。日本経済新聞社社長、横綱審議委員会12代委員長。茨城県水戸市出身。 茨城県水戸市生まれ。旧制茨城中学校(現、私立茨城中学校・高等学校)を経て早稲田大学第一政治経済学部卒業後、日本経済新聞社入社。経済部長等を経て、1977年取締役選任。1993年社長に就任する。在任中は48ページ一連印刷体制の整備やカラー設備の増強で新聞増に貢献したほか、BSジャパン(現BSテレビ東京)の設立で衛星放送に参入し、日経グループを総合メディアとして発展させる。 2003年3月に会長に退くが、子会社の架空取引疑惑などが発覚し、5月に相談役に退いた。
大久保 昭男(おおくぼ てるお、1927年9月1日 - 20… 大久保 昭男(おおくぼ てるお、1927年9月1日 - 2024年3月12日)は、日本のイタリア文学者、フランス文学者、翻訳家。本名「てるお」だが「あきお」と読むこともある。 アルベルト・モラヴィアの作品を数多く訳した。(児童向けを含め)フランス文学の訳書も出している。 英文学の翻訳者大久保康雄は遠縁の親戚に当たる。 茨城県結城郡西豊田村(現・八千代町)生まれ。1945年第一高等学校入学を経て、東京大学文学部仏文科卒。 2024年3月12日、老衰のため死去。96歳没。
木内 昭胤(きうち あきたね、1927年〈昭和2年〉9月1日… 木内 昭胤(きうち あきたね、1927年〈昭和2年〉9月1日 - )は、日本の外交官。フランス駐箚特命全権大使などを歴任した。 東京都出身。父は外交官の木内良胤、母は宮内次官、枢密顧問官を歴任した関屋貞三郎の長女淑子。次男は元衆議院議員の木内孝胤。 東京大学法学部を卒業し、1951年(昭和26年)4月、外務省に入省する。外務省ではパリ、モスクワ、ワシントンD.C.、ロンドン等の在外公館勤務を経て、田中角栄が首相時代、総理大臣秘書官を務めた。 退官後は、住友銀行顧問、アクサ生命保険会長、アジア開発キャピタル会長などを歴任した。また、細川内閣では細川護熙首相の私的諮問機関であった「経済改革研究会」のメンバーとして規制改革に関するレポートを作成した。
福井 芳男(ふくい よしお、1927年9月1日 - 2014… 福井 芳男(ふくい よしお、1927年9月1日 - 2014年10月21日 )は、日本のフランス文学者、フランス語教師。東京大学教養学部教授を経て、東京大学名誉教授。 東京生まれ。1952年、東京大学文学部仏文科卒、同年、特別研究生。1953年より1年間、パリ大学に留学。1960年、CNRS研修生。国際基督教大学助教授。1962年、中央大学助教授。1964年、パリ大学文学博士、1965年、「17世紀フランス詩の洗練」で辰野隆賞受賞、フランス教育功労章オフィシエ受章。1969年、中央大学教授、1971年、東京大学教養学部教授。1986年、放送教育開発センター教授、1988年、東京大学を定年退官し名誉教授、1989年、放送教育開発センター研究開発部長、1991年、同定年退職し、放送大学客員教授、のち、帝京平成大学教授。
梶谷 哲男(かじたに てつお、1927年9月1日 - )は、… 梶谷 哲男(かじたに てつお、1927年9月1日 - )は、日本の精神病理学者。 島根県出雲市出身。本名・敬二。1950年徳島医科大学卒。57年「ヘモグロビン及びその誘導体の抗原性」で鳥取大学医学博士。鳥取大学医学部講師、1958年中央鉄道病院勤務、精神神経科医長、1981年晴和病院医長、1983年東京新生病院副院長。パトグラフィーで知られた。
本多 淳裕(ほんだ あつひろ、1927年9月1日 - 200… 本多 淳裕(ほんだ あつひろ、1927年9月1日 - 2003年12月5日)は、日本の環境工学者、工学博士。大阪府八尾市出身。 産業環境管理協会が1996年に本多にちなんだ「リサイクル技術開発本多賞」を設けた。 1927年大阪府八尾市に生まれる。 1948年新潟農林専門学校農芸化学科(現新潟大学農学部)卒。1948年から1983年まで、大阪市立生活科学研究所(現大阪市立環境科学研究センター)勤務。1962年工学博士号を取得。1970年大阪市立大学非常勤講師、1985年同大学工学部教授。 「ごみ博士」と呼ばれ、処理技術検討委員会委員として香川県の豊島ゴミ問題に関わった。 1983年紫綬褒章を受章。
福田 宏年(ふくだ ひろとし、1927年8月31日 - 19… 福田 宏年(ふくだ ひろとし、1927年8月31日 - 1997年6月8日)は、日本の文芸評論家、ドイツ文学者、翻訳家。 専門は、登山にまつわる随筆、紀行、ドイツ文学などの翻訳のほか、トーマス・マン、 テオドール・フォンターネ、ロベルト・ムジールを中心にドイツ近代小説の研究。また、井上靖夫人の次兄の娘婿で、最もよき理解者である。『井上靖の世界』『井上靖評伝覚』は、文献的にも作家論的にも井上靖に関する最高の業績である。 香川県三豊郡大野原村(現 観音寺市大野原町)出身。旧制香川県立三豊中学校、旧制松山高等学校を経て、1952年東京大学文学部独文科卒業。同年東京大学文学部助手。 1953年茨城大学講師、1955年立教大学文学部講師を経て、1967年立教大学文学部教授。