山谷 春翔(やまや はるか、2000年〈平成12年〉6月20… 山谷 春翔(やまや はるか、2000年〈平成12年〉6月20日 - )は、五所川原エフエム(Gラジ)のパーソナリティである。2014年から2018年まで女性アイドルグループ「アルプスおとめ」で「外崎」というメンバー名として活動後、2020年から五所川原エフエムのパーソナリティを務める。 青森県五所川原市出身。幼少の頃より歌うのが好きであり、アイドルを夢見ていたという。 中学1年生の時、パソコンで見たアルプスおとめの動画に興味を抱き、リンゴミュージックのオーディションを受験し合格した。練習生を経て、中学2年生の時にアルプスおとめに昇格した。2015年10月より、アルプスおとめのリーダーを務めた。 2018年12月、同年のRINGOMUSIC POWER LIVE 2018をもってアルプスおとめを卒業した。
尊富士 弥輝也(たけるふじ みきや、1999年〈平成11年〉… 尊富士 弥輝也(たけるふじ みきや、1999年〈平成11年〉4月9日 - )は、青森県北津軽郡金木町(現:五所川原市)出身で、伊勢ヶ濱部屋所属の現役大相撲力士。本名は石岡 弥輝也(いしおか みきや)。身長184cm、体重151kg。最高位は東前頭4枚目(2025年5月場所)。血液型はA型。 いわゆる「花のイチイチ組」の1人。 2024年3月場所において、新入幕力士としては1914年5月場所の両國以来110年ぶりとなる幕内最高優勝を果たした。 祖父が草相撲の強豪だった縁で、保育園の頃から相撲を始めた。保育園児の頃は、稽古後のコンビニで買ってもらっていた唐揚げが楽しみで、そのために相撲の稽古を行った。
下山 大地(しもやま だいち、1989年8月8日 - )は、… 下山 大地(しもやま だいち、1989年8月8日 - )は、青森県五所川原市出身のバスケットボール選手である。ポジションはガード(シューティングガード)。身長182cm、体重80kg。B3リーグのアースフレンズ東京Z所属。 五所川原市立第一中学校から青森県立弘前高等学校に進学。2年生時の2006年、弘前高校が初出場したインターハイ出場。1回戦の高岡工芸戦で16得点し、2回戦進出に貢献した。 2008年、岩手大学教育学部に進学。2011年には、田口成浩を抑えて東北3ポイント王となる。2012年に卒業した後、鶴田クラブに入団。同年、bjリーグトライアウトを受験し合格、7月に仙台89ERSと契約を締んだ。
三上 大和(みかみ やまと、1976年9月22日 - )は、… 三上 大和(みかみ やまと、1976年9月22日 - )は、日本の実業家。元タレント、元俳優。青森県五所川原市出身。青森県立五所川原農林高等学校農業土木科卒業。元太田プロダクション所属。 1994年に日本テレビ系『天才・たけしの元気が出るテレビ!!』の「平成口ゲンカ王決定戦」に出演し準優勝。その際独特の話し方(津軽弁)、キャラクターのユニークさで注目を集め、他のコーナーにも「素朴なヤンキー」として登場するようになる。 高校卒業後に上京して芸能界入り。1995年に「We Are YAMATO」で歌手デビュー。続くセカンドシングルとしてリリースした「Let's go 女 happy time」、「Break Out!」はオリコンチャートにはランクインせず(圏外)、歌手デビューした結果は不発に終わった。
藤田 博臣(ふじた ひろおみ、1976年2月23日 - )は… 藤田 博臣(ふじた ひろおみ、1976年2月23日 - )は、青森県五所川原市出身の日本の柔道家。現役時代は86kg級の選手。身長185cm。得意技は浮落、内股、大外刈。 柔道は父親の勧めで五所川原第三中学に入ってから始めた。 中学3年の時に全国中学校柔道大会78kg級で2位となった。東海大相模高校に進むと、1年の全国高校選手権では2位だったが、2年の時には優勝を飾った。 3年のインターハイ団体戦では優勝したが、個人戦中量級では5位にとどまった。 全日本ジュニアでは優勝を飾った。 東海大学に進むと、1年の時に世界ジュニアに出場するが、5位に終わった。 その後ケガなどもあってスランプに陥り、一時は柔道への情熱も失いかけたが、総監督の佐藤宣践による気遣いなどもあって立ち直ると、3年の時には正力杯で中央大学の近藤秀作を浮落で破って優勝し、全日本学生柔道優勝大会でも優勝した。
鈴城 芹(すずしろ せり、1976年2月20日 - )は、日… 鈴城 芹(すずしろ せり、1976年2月20日 - )は、日本の漫画家。男性。青森県五所川原市出身。青森県立五所川原農林高等学校卒業。代表作は『家族ゲーム』、『看板娘はさしおさえ』など。 作画作業中にネットラジオを聞くことが多い。また、その影響で作品中にラジオ内でのネタを自作品に取り入れることもある。例として、TRPGメーカーF.E.A.R.のラジオ(ふぃあ通)のコーナー名を作品内のキャラクターのシャツに描いたり、『さよなら絶望先生』のラジオ(さよなら絶望放送)内で出てくるキャラクターを作品のコマに登場させたりした。
北勝岩 治(ほくといわ おさむ、1974年6月1日- )は、… 北勝岩 治(ほくといわ おさむ、1974年6月1日- )は、青森県北津軽郡金木町(現在の五所川原市)出身で八角部屋に所属した元大相撲力士。本名は原田 治(はらだ おさむ)。身長177cm、体重167kg。得意手は突き、押し。最高位は東十両10枚目(2002年5月場所)、血液型はB型。 「原田酒店」の長男として生まれ、幼い頃から村祭りの相撲大会等に参加したが、本格的に始めたのは五所川原市立嘉瀬小学校2年生の頃で、体格の大きさを見出した担任から勧められたことがきっかけだった。嘉瀬小学校では通常は部活動に参加できるのは4年生からだったが、特別に認めてもらい、毎日の相撲の稽古に明け暮れた。五所川原市立金木南中学校、五所川原農林高校に進学しても相撲部に所属した。
古川 純一(こがわ じゅんいち、1972年2月12日 - )… 古川 純一(こがわ じゅんいち、1972年2月12日 - )は、日本の元ノルディック複合スキー選手。1994年リレハンメルオリンピック代表、1998年長野オリンピック代表。ザコパネユニバーシアードノルディックコンバインド金メダリスト。青森県北津軽郡金木町(現五所川原市)出身。東奥義塾高等学校、近畿大学卒業。 高校時代、インターハイ個人優勝、団体2連覇。特待生として近大に入学しインカレ等で活躍。1993年3月12日ではFISワールドカップホルメンコーレン大会で3位(自己最高位)入賞。また、ザコパネユニバーシアードでは金メダルを獲得する。1994年、リレハンメルオリンピック複合個人19位。大学卒業後リクルートに入社。
平山 幸司(ひらやま こうじ、1969年11月9日 - )は… 平山 幸司(ひらやま こうじ、1969年11月9日 - )は、日本の政治家。参議院議員(1期)、生活の党参議院幹事長代理、党青森県連代表などを務めた。青森県五所川原市出身。
稲葉 繭子(いなば まゆこ、1968年6月8日 - )は、青… 稲葉 繭子(いなば まゆこ、1968年6月8日 - )は、青森県五所川原市出身のアナウンサー、テレビディレクター。青森テレビ(ATV)在籍。 青森県立五所川原高等学校→明治学院大学を卒業後、1991年4月にATVへ嘱託契約で入社(1993年4月に正式入社する)。ATV入社後はアナウンサーとして情報番組の司会者などとして活躍。その後、2004年4月頃に制作部へ異動、ディレクターに転身。2006年から2010年まで英語教養番組「いいでば!英語塾」を手掛けていた。 趣味・特技:映画観賞・フラワーアレンジメント(講師としての資格も取得している)・ピアノ・旅行
福士 珠美(ふくし ますみ、1965年3月24日 - )は、… 福士 珠美(ふくし ますみ、1965年3月24日 - )は、日本の政治家、元アナウンサー。立憲民主党所属の参議院議員(1期)。1987年から2010年まで青森テレビでアナウンサーを務めた。 青森県北津軽郡金木町(現:五所川原市)生まれ。青森県立青森高等学校(33回生)、日本大学法学部新聞学科(牧田ゼミ)卒業。1987年に青森テレビへアナウンサーとして入社。生ワイド番組『おしゃべりハウス』の初代キャスターを務めたほか、放送部、ワイド番組部、編成部、報道部、業務部、営業部と転業転職に等しい異動を経験した。 2020年11月に同局を退社した後、2015年にあおもり藍に関する特別番組をプロデュースしたことがきっかけで株式会社BLUE LINK PEOJEECTを設立した。
千葉 広久(ちば ひろひさ、1958年〈昭和33年〉4月9日… 千葉 広久(ちば ひろひさ、1958年〈昭和33年〉4月9日 - )は、青森県五所川原市出身の日本の外交官。 アジア大洋州局南部アジア部南東アジア第二課地域調整官、在デンパサール総領事、駐バヌアツ大使などを経て、2023年11月退官。
佐々木 孝昌(ささき たかまさ、1954年5月27日 - )… 佐々木 孝昌(ささき たかまさ、1954年5月27日 - )は、日本の政治家。青森県五所川原市長(2期)。 青森県五所川原市出身。父親は青森県議会議員の佐々木啓二。青森県立五所川原高等学校、日本大学法学部卒業。 五所川原市でタクシー会社の津鉄観光株式会社を経営していた佐々木は2007年(平成19年)、地元の別のタクシー会社、相互タクシー株式会社に合併の話をもちかけ五所川原交通株式会社を設立。それと同時に同社の代表取締役社長に就任した。五所川原法人会会長を務める。 2018年(平成30年)4月13日、任期満了に伴う五所川原市長選挙に出馬する意向を表明した。同年6月25日に行われた市長選は、平山誠敏市長の長男でガス会社社長の平山敦士(自民党・公明党推薦)との一騎打ちとなった。
津島 恭一(つしま きょういち、1954年2月4日 - )は… 津島 恭一(つしま きょういち、1954年2月4日 - )は、日本の政治家。 衆議院議員(3期)、国土交通大臣政務官(野田内閣・野田第1次改造内閣・野田第2次改造内閣)などを歴任。 青森県北津軽郡金木町(現五所川原市)生まれ。青森県立青森東高等学校、武蔵大学経済学部卒業後、衆議院議員田沢吉郎の秘書を務める。1996年、第41回衆議院議員総選挙に青森4区(田沢の選出選挙区であった旧青森2区の一部)から自由民主党公認で出馬するが、新進党公認の木村太郎に敗れ落選した。2000年、第42回衆議院議員総選挙に自民党から比例東北ブロック単独で出馬するも再び落選。2003年、御法川英文の死去に伴い繰り上げ当選した。
佐原 若子(さわら わかこ、1953年〈昭和28年〉11月2… 佐原 若子(さわら わかこ、1953年〈昭和28年〉11月22日 - )は、日本の政治家、歯科医師。 衆議院議員(1期)、青森県保険医協会理事を歴任。 青森県五所川原市出身。青森県立五所川原高等学校から鶴見大学歯学部を卒業し、歯科医師となる。青森県保険医協会理事、歯科用レーザー認定医、小嶋歯科医院院長を務める。 2019年6月2日執行の青森県知事選挙に現職・三村申吾の対抗馬として、無所属(市民連合あおもり推薦)で立候補するが落選。 2024年10月27日執行の第50回衆議院議員総選挙に、比例東北ブロック単独の3位にてれいわ新選組公認で立候補。れいわ新選組は比例東北ブロックで1議席を獲得したが、名簿順位1位は小選挙区との重複立候補の候補2名で、共に供託金没収点(有効投票総数の10分の1)未満の得票に終わったため、佐原が初当選を果たす。
吉 幾三(よし いくぞう、1952年〈昭和27年〉11月11… 吉 幾三(よし いくぞう、1952年〈昭和27年〉11月11日 - )は、日本の演歌歌手、シンガーソングライター、俳優。 青森県五所川原市出身。公式愛称はIKZO、本名は鎌田 善人(かまた よしひと)。血液型はB型。既婚。子供が3人おり、長女は歌手のKU(くー)、次女は女優の寿三美(ことぶき みみ)。 1952年11月11日、民謡歌手の父鎌田稲一(いないち)、母せるの9人兄弟の末っ子として青森県で生まれる。地元の中学校を卒業後、父親の反対を押し切って歌手になるために上京し、米山正夫に師事する。 1973年3月1日にヤンマーディーゼル(現・ヤンマーホールディングス)のロータリーヤンマー船外機コマーシャルソング「恋人は君ひとり」を山岡英二の芸名で発売し、歌手デビュー。
晃山 昌士(こうざん まさし、1951年6月14日 - )は… 晃山 昌士(こうざん まさし、1951年6月14日 - )は、青森県五所川原市出身で高島部屋に所属した元大相撲力士。本名は高橋 力雄(旧姓・蒔田)。184cm、115kg。最高位は西十両筆頭。得意技は突き、押し。 1965年7月場所初土俵、1974年5月場所十両昇進、以後8場所連続で十両在位したが入幕ならず、1975年9月場所に幕下陥落、1980年9月場所限りで廃業。
三國谷 勝範(みくにや かつのり、1951年4月25日 - … 三國谷 勝範(みくにや かつのり、1951年4月25日 - )は、日本の大蔵官僚。元金融庁長官。 青森県五所川原市出身。青森県立弘前高等学校を経て(1970年卒)、東京大学法学部第1類(私法コース)卒業。東大卒業後、大蔵省(現・財務省及び金融庁)入省。2009年、金融庁長官に就任。2011年に退官。退官後は、預金保険機構理事長、ニトリホールディングス顧問、オープンハウスグループ顧問、プロクレアホールディングス取締役などに就任している。 2021年、瑞宝重光章受章。
渋谷 修(しぶたに おさむ、1950年7月1日 - )は、日… 渋谷 修(しぶたに おさむ、1950年7月1日 - )は、日本の政治家。元衆議院議員(2期)。 青森県出身。青森県立五所川原高等学校卒業。東海大学工学部航空宇宙学科を中退後、中小企業分野協、官公需適格、小売連絡協などの役員を経て、1990年に日本社会党から衆院初当選。社会党時代にはニューウェーブの会に所属。1992年12月、衆議院定数是正をめぐる「9増10減」案採決に社会党から唯一賛成にまわり、1993年5月、社会党を除名される。6月には新政党「板橋民主党」を結成。7月の衆議院総選挙で再選を目指すも落選。社会民主連合を離党した菅直人と共に1994年1月、新党さきがけに合流。1996年9月、鳩山由紀夫らとともに旧民主党結成に参加。
羽柴 誠三 秀吉(はしば せいぞう ひでよし 1949年〈昭… 羽柴 誠三 秀吉(はしば せいぞう ひでよし 1949年〈昭和24年〉10月11日 - 2015年〈平成27年〉4月11日)は、日本の実業家、政治活動家である。本名は三上 誠三(みかみ せいぞう)。別名は羽柴 秀吉。 羽柴企業グループ社主として羽柴観光小田川温泉株式会社(旅館「秀吉のやかた」)や東北興産建設株式会社などを経営していた。また、公認候補者として所属した自由連合では幹事を務めた。 青森県五所川原市(旧北津軽郡金木町)出身。若き日に近所の住職より「お前は戦国武将豊臣秀吉の生まれ変わり」と言われて以来、この名前を名乗ったという。 家は貧しく家庭環境は複雑で、中学を卒業すると製材工場で働いた。
田中 英壽(田中 英寿、たなか ひでとし、1946年〈昭和2… 田中 英壽(田中 英寿、たなか ひでとし、1946年〈昭和21年〉12月6日 - 2024年〈令和6年〉1月13日)は、学校法人日本大学第12代理事長、日本オリンピック委員会(JOC)元副会長。 青森県北津軽郡金木町(現在の五所川原市金木町)で農家の三男として生まれた。青森県立木造高等学校を経て1965年、日本大学経済学部に入学。日大紛争では、体育会系学生として日大全学共闘会議議長・秋田明大と対峙している。1969年、日本大学経済学部経済学科を卒業し、日本大学農獣医学部体育助手兼相撲部コーチに就任。1999年学校法人日本大学理事、2000年日本大学保健体育事務局長、2001年日本大学校友会本部事務局長、2002年学校法人日本大学常務理事、2005年日本大学校友会会長、2008年から2021年まで学校法人日本大学理事長などを歴任した。
藤本 一美(ふじもと かずみ、男性、1944年3月15日 -… 藤本 一美(ふじもと かずみ、男性、1944年3月15日 - )は、日本の政治学者、専修大学法学部名誉教授。専門は、アメリカ政治。日本政治学会理事。日本臨床政治学会第二代理事長。日本臨床政治研究所所長。 青森県五所川原市出身。弘前高校卒業後松木屋に就職するが退職し、2浪後明治大学農学部農芸化学科に入学。1969年、同学部卒業。1974年、同大学院政治経済学研究科博士課程修了。田口富久治に師事。日米友好基金賞受賞、2013年、日本政治法律学会より学会賞受賞。国立国会図書館職員、明治大学、東京大学講師、明海大学不動産学部教授を経て現在に至る。国立国会図書館では主に調査員として勤務した。また、近年では郷里・青森県の戦後政治史についての論文・著作を多数発表。
二子岳 武(ふたごだけ たけし、1943年11月15日 - … 二子岳 武(ふたごだけ たけし、1943年11月15日 - )は、青森県北津軽郡金木町(現在の五所川原市)出身で、二子山部屋(入門時は花籠部屋)に所属した大相撲力士。本名は山中 武(やまなか たけし)。現役時代の体格は178cm、113kg。最高位は西小結(1967年11月場所、1968年3月場所、同年5月場所)。得意手は左四つ、内無双、下手投げなど。 中学から相撲部に所属し、中学卒業後に相撲部の先生と再会した時、先生が横綱・初代若乃花から弟子探しを頼まれていたので勧誘され、1961年1月場所で花籠部屋から初土俵を踏んだ。 1962年5月場所をもって若乃花が引退して年寄・二子山を襲名し、間もなく二子山部屋を創設するとそれに同行し、1964年11月場所で十両に昇進。
平山 誠敏(ひらやま まさとし、1940年7月9日 - 20… 平山 誠敏(ひらやま まさとし、1940年7月9日 - 2018年8月14日)は、日本の政治家。青森県五所川原市長(3期)。元・青森県議会議員(2期)。 青森県五所川原市出身。青森県立弘前高等学校、早稲田大学政治経済学部卒業。 1999年(平成11年)4月30日、青森県議会議員となる。2003年(平成15年)、再選。 2006年(平成18年)5月27日、五所川原市長の成田守が健康上の理由により辞職。これに伴って7月9日に行われた市長選挙に自由民主党と公明党の推薦を受けて立候補。前市議の前田清勝、「羽柴誠三秀吉」や「羽柴秀吉」名義の政治活動で知られる三上誠三らを破り初当選した(平山:21,174票、前田:12,713票、三上:1,415票)。
澤田 長二郎(さわだ ちょうにろう、1940年 - )は、日… 澤田 長二郎(さわだ ちょうにろう、1940年 - )は、日本の実業家。勲等は旭日双光章。津軽鉄道第6代代表取締役社長、東北鉄道協会会長、日本民営鉄道協会理事。 青森県五所川原市生まれ。平山為之助初代津軽鉄道社長は外祖父。青森県立五所川原高等学校を経て、1963年に一橋大学商学部を卒業。今井祐元富士フイルム代表取締役副社長は一橋大バドミントン部の同期で親しい。大学卒業後は三菱商事に入社し、タイ王国駐在、オーストラリア珪砂採掘会社社長、三菱商事資材部長を経て、2003年までエム・シー砿産代表取締役社長。 2004年、五所川原市に帰郷し、債務超過となっていた津軽鉄道の第6代代表取締役社長に就任。経費削減やイベント列車の拡充等を進め、地元の協力を得て、2008年までに義務付けられていた緊急保全整備事業の資金調達に成功し、鉄道存続に繋げた。
草刈 潤(くさかり じゅん、1938年12月13日 - 20… 草刈 潤(くさかり じゅん、1938年12月13日 - 2018年12月29日 )は、日本の医学者。専門は耳鼻咽喉科学、特に内耳疾患。青森県五所川原市生まれ。宮城県仙台市で死去、享年80。 日本聴覚医学会。日本耳科学会。日本鼻科学会。日本平衡神経科学会。日本口腔咽頭学会。日本咽頭学会。日本頭頸部外科学会。
追風山 裕邦(おいてやま ひろくに、1938年6月16日 -… 追風山 裕邦(おいてやま ひろくに、1938年6月16日 - 2014年1月2日)は、青森県北津軽郡嘉瀬村(現・同県五所川原市)出身で立浪部屋(入門時は追手風部屋)に所属した大相撲力士。本名は山口 貢(やまぐち みつぐ)。最高位は東前頭6枚目(1962年11月場所)。現役時代の体格は181cm、 131kg。得意手は左四つ、寄り、上手投げ。現在の追手風親方(元前頭2・大翔山直樹)の岳父。 なお、夫人は最初の師匠・8代追手風(元大関・清水川)の義理の姪(夫人の叔母が、師匠の後妻に当たる)である。 5人兄弟の末っ子として生まれ、子供の時から体格が大きく多くの相撲大会に出て活躍していた。その活躍ぶりが、同郷で追手風部屋に所属した元幕下力士・清水岩の目に止まり、中学校在学中に同部屋へ入門する事となった。
成田 守(なりた まもる、1934年(昭和9年)8月21日 … 成田 守(なりた まもる、1934年(昭和9年)8月21日 - 2013年(平成25年)1月3日)は、平成時代の政治家。青森県五所川原市長。位階は従四位。 青森県北津軽郡松島村(現五所川原市)出身。1953年(昭和28年)青森県立五所川原農林高等学校を卒業。 1975年(昭和50年)五所川原市議会議員に当選し、1981年(昭和56年)同副議長に就任。五所川原市議会議員は3期務めた。1983年(昭和58年)より青森県議会議員を4期務め、1997年(平成9年)6月、五所川原市長に就任した。五所川原市長2期目途中の2005年(平成17年)3月28日に旧・五所川原市、金木町、市浦村が新設合併し、職務執行者を経て、新・五所川原市の初代市長に就任。
関 晴正(せき はれまさ、1923年11月26日 - 200… 関 晴正(せき はれまさ、1923年11月26日 - 2008年10月26日)は、日本の政治家。元日本社会党衆議院議員(4期)。 青森県五所川原市出身。旧制青森中学校(現青森県立青森高等学校)を経て1945年青森師範学校を卒業。小学校教師となり、日教組中央委員。1951年青森市議に初当選。のちに青森県議を経て、1977年の参院選に青森県選挙区から出馬するが、3位で落選。 1979年の総選挙で青森県第1区から立候補して初当選。当選3回を数えたが、1986年の総選挙で落選。1990年の総選挙で復帰、1993年に引退。地盤を今村修に譲った。 2008年10月26日、脳梗塞後遺症のため青森市内の病院で死去。
広島 清美(ひろしま きよみ、1923年6月20日 - 没年… 広島 清美(ひろしま きよみ、1923年6月20日 - 没年不明)は、青森県五所川原町(現:五所川原市)出身の元プロ野球選手(投手)。 青森県立五所川原農林高等学校から1942年に大和軍へ入団。8試合に登板し、完投を2度したものの0勝4敗に終わった。 翌1943年まで在籍し、この年は3試合の登板に留まった。5月23日の朝日軍戦では3回から4点ビハインドの場面で登板し5イニング2失点だったが、味方が7回に一挙7点を挙げ(広島自身も1打点をマーク)最後は片山栄次のリリーフを受けて唯一の勝利を記録した。 2025年時点において、五所川原出身で唯一のプロ野球選手である。
葛西 森夫(かさい もりお、1922年〈大正11年〉9月29… 葛西 森夫(かさい もりお、1922年〈大正11年〉9月29日 - 2008年12月8日)は、青森県市浦村(現・五所川原市)生まれの小児外科医。旧制第二高等学校・東北帝国大学(現・東北大学)出身。胆道閉鎖症に対する手術・肝門部腸吻合術(英語版)を開発したことで知られ、この術式は葛西の名前を取って葛西手術(英: Kasai's procedure)とも呼ばれる。 葛西は1922年に青森県市浦村(現・五所川原市)で生まれ、函館で育った。1935年に旧制函館中学校(現北海道函館中部高等学校)に進学し、1940年に卒業した。葛西の父は近代教養を重んじる敬虔なクリスチャンであり、この影響を受けた彼は、グリム童話やアンデルセンに親しんで育ったのだという。
佐々木 栄造(佐々木 榮造、ささき えいぞう、1920年(大… 佐々木 栄造(佐々木 榮造、ささき えいぞう、1920年(大正9年)12月16日 - 2019年(令和元年)12月26日)は、昭和から平成時代前期の政治家。青森県五所川原市長。号に遠城。位階は従四位。旭日中綬章。 青森県北津軽郡五所川原町(現五所川原市)出身。五所川原農学校を経て、日本大学法学部、同大学大学院法学研究科修士課程修了。1958年(昭和33年)日本青年団協議会長、1959年(昭和34年)青森県議会議員を経て、1962年(昭和37年)五所川原市長に当選。公職選挙法違反で1966年(昭和41年)に一度は失職しながらも直ぐに復帰、1979年(昭和54年)に病気で市長から退くものの2代後の森田稔夫がリコールによって解職されたことに伴い1989年(平成元年)6月に12年ぶり市長に返り咲き。
松ノ里 直市(まつのさと なおいち、1909年11月29日 … 松ノ里 直市(まつのさと なおいち、1909年11月29日 - 1985年1月26日)は、青森県五所川原市出身で出羽海部屋に所属した大相撲力士。本名は工藤 直市。身長は177cm、 体重は113kg。最高位は西前頭3枚目(1942年5月場所)。得意手は右四つ、寄り。 1926年1月場所に初土俵を踏む。その後、1932年1月の春秋園事件で天竜、大ノ里らにつき協会を脱退、翌年設立の関西角力協会にも参加した。 関西角力協会では幕内で活躍した。関西角力協会の解散後に帰参し、1938年1月場所に三段目筆頭格から再出発。その場所で10勝2敗の好成績を挙げ、翌5月場所には幕下に復帰して優勝を果たした。1939年1月場所は十両に昇進して9勝4敗の成績を挙げて、翌5月場所で新入幕を果たし、12勝3敗の好成績を挙げた。
太宰 治(だざい おさむ、本名:津島 修治〈つしま しゅうじ… 太宰 治(だざい おさむ、本名:津島 修治〈つしま しゅうじ〉、1909年〈明治42年〉6月19日 - 1948年〈昭和23年〉6月13日)は、日本の小説家。 太宰治はペンネームであり、1933年(昭和8年)に短編小説『列車』で初めて太宰治の名が使われた。弘前高等学校(現:弘前大学)の学生時代に始めた左翼活動は3年程で挫折し、その後は自殺未遂や薬物中毒を繰り返しながらも、第二次世界大戦前から戦後にかけて作品を次々に発表。主な作品に『走れメロス』『津軽』『人間失格』がある。没落した華族の女を主人公にした『斜陽』はベストセラーとなる。 戦後はその作風から、坂口安吾、織田作之助、石川淳、檀一雄らとともに新戯作派、無頼派と称された。
武ノ里 武三(たけのさと たけぞう、1909年4月20日 -… 武ノ里 武三(たけのさと たけぞう、1909年4月20日 - 没年不明)は、青森県五所川原市出身で出羽海部屋に所属した大相撲力士。本名は吉崎 武三。最高位は東前頭14枚目(1943年1月場所)。173cm・94kg。得意技は左四つ、寄り。 1926年1月場所に初土俵を踏んで以降順調に出世し、東幕下5枚目で迎えた1930年10月場所で幕下優勝し、翌1931年1月場所に十両に昇進。しかし当場所は体調不良により4勝7敗と振るわず、翌5月場所も全休したため幕下に陥落。その直後の1932年1月の春秋園事件で天竜・大ノ里らと行動を共にし協会を脱退、翌年設立の関西角力協会に参加した。 関西角力協会では幕内で活躍、松ノ里、中ノ里とともに「大ノ里門弟三羽烏」と言われていた。
三和 精一(みわ せいいち、1902年(明治35年)8月10… 三和 精一(みわ せいいち、1902年(明治35年)8月10日 - 1964年(昭和39年)6月14日)は、昭和期の新聞編集者、実業家、政治家。衆議院議員。 青森県北津軽郡相内村(市浦村を経て現五所川原市)で、三和松三郎、ユキの三男(5人兄弟の末子)として生まれる。生家は「相清」と呼ばれた旧家で、幼少時は西津軽郡十三村で水戸口役人を務めていた祖父のもとで成長し薫陶を受けた。1914年(大正3年)3月、金木明治高等小学校を卒業し、朝鮮在住のリンゴ業者の伯父のもとに寄寓した。開成夜学校を経て、中央大学専門部法科で学んだが1923年(大正12年)9月に中退した。 1927年(昭和2年)4月、東京民友新聞社に入社。
佐々木 彰造(ささき しょうぞう、1902年〈明治35年〉2… 佐々木 彰造(ささき しょうぞう、1902年〈明治35年〉2月 - 1966年〈昭和41年〉)は、日本の実業家、銀行家、青森県多額納税者、地主。佐々木銀行頭取。「布嘉」佐々木家4代目。青森県北津軽郡五所川原町長(15代)。 青森県北津軽郡五所川原町の人・佐々木嘉太郎の長男。1945年(昭和20年)、五所川原町長に就任、1946年(昭和21年)、退職。その後、青森自動車部品社長、青菱自動車社長を歴任し、県内のモータリストの草分けとなった。住所は青森県北津軽郡五所川原町(現五所川原市)。 この項目は、人物に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(プロジェクト:人物伝、Portal:人物伝)。
清水川 元吉(しみずがわ もときち、1900年1月13日 -… 清水川 元吉(しみずがわ もときち、1900年1月13日 - 1967年7月5日)は、青森県北津軽郡三好村(現:青森県五所川原市)出身で二十山部屋に所属した大相撲力士。本名は長尾 米作(ながお よねさく)。最高位は東大関。 1900年1月13日に、青森県北津軽郡三好村(現:青森県五所川原市)で農家を営む家に長男として生まれる。隣家は江戸相撲の名大関だった柏戸利助の生家で、米作少年の父親も地方相撲の強豪だったことから、米作自身も宮相撲で活躍、1916年の夏に二十山の一行が巡業へやってきた際に父親に伴われて入門、1917年に上京して同年1月場所で初土俵を踏んだ。「清水川」の四股名は、故郷を流れる川と宮相撲で大関を務めていた時に名乗っていた名前から付けた。
津島 文治(つしま ぶんじ、1898年〈明治31年〉1月20… 津島 文治(つしま ぶんじ、1898年〈明治31年〉1月20日 - 1973年〈昭和48年〉5月6日)は、日本の実業家、政治家、地主、青森県多額納税者。 金木銀行頭取。衆議院議員(3期)。参議院議員(2期)。青森県知事(公選初・第2・3代)。陸奥銀行、津軽鉄道、津軽酒造各取締役。東北鳩協会顧問。農業。 小説家の太宰治(津島修治)は弟、俳優の津島康一は長男。元衆議院議員の津島雄二は義理の甥。 大地主で銀行家の津島源右衛門(旧姓松木)とタ子(たね)の三男として青森県北津軽郡金木村(現在の五所川原市)に生まれた。 金木第一尋常小学校から五所川原農学校(現青森県立五所川原農林高等学校)を卒業後上京し、早稲田大学政治経済学部に入学。
外崎 千代吉(とのさき / とのざき ちよきち、1897年7… 外崎 千代吉(とのさき / とのざき ちよきち、1897年7月20日 - 1974年5月14日)は、日本の政治家。衆議院議員(1期)。五所川原市長。 青森県北津軽郡五所川原村出身。日本大学政治経済学部に入るが、中退する。北海道に渡り、函館の床屋で修業し、理髪店を開業する。五所川原町議、青森県議、脇元村村長を経て、1942年の第21回衆議院議員総選挙(いわゆる「翼賛選挙」)で青森2区(当時)から無所属(翼協非推薦)で立候補したが、3,000票余りで落選した。戦後の1946年の第22回衆議院議員総選挙でも無所属で立候補したが落選。翌1947年の第23回衆議院議員総選挙において青森2区から諸派の社会革新党で立候補して当選した。
板垣 直子(いたがき なおこ、1896年11月18日 - 1… 板垣 直子(いたがき なおこ、1896年11月18日 - 1977年1月21日)は、日本の文芸評論家、日本近代文学研究家。 青森県北津軽郡栄村湊(現五所川原市)に平山兼吉の次女「なを」として生まれる。1914年青森県立弘前高等女学校(現・青森県立弘前中央高等学校、太宰治の姉トシが2学年上で寄宿舎で同室)、1918年日本女子大学校英文科卒、1921年、東京帝国大学の第一回女子聴講生となる。美学、哲学を聴講。美術評論家の板垣鷹穂と結婚。夏目漱石などについて多くの著述を行い、比較文学研究では島田謹二、吉田精一らと並ぶ存在とされる。長谷川時雨主宰の「女人芸術」の編集委員として林芙美子を見出した。また、国士舘大学等で教鞭をとっている。
大岬 伝左衛門(おおみさき でんざえもん、1893年3月5日… 大岬 伝左衛門(おおみさき でんざえもん、1893年3月5日 - 1926年12月23日)は、大正時代の力士。二十山部屋所属。本名は川浪 伝左衛門。青森県北津軽郡三好村(現五所川原市)出身。最高位は西十両筆頭。 1910年元横綱小錦の二十山部屋一行が五所川原で巡業を行った際、同郷の十三ノ浦の勧めで入門。翌1911年2月場所「清水川」の四股名で初土俵を踏む。順調に出世し、1914年1月場所から「大岬」に改名した。1917年1月場所新十両。この場所は1勝しかできず翌場所幕下に落ちたが、4勝1敗と勝ち越し十両復帰を果たした。1919年1月場所西十両4枚目まで躍進。この場所勝ち越して千秋楽に勝って星を増やせば入幕確実だったが、対戦相手の綾川と引き分けた。
8代目 桂 文楽(かつら ぶんらく、1892年(明治25年)… 8代目 桂 文楽(かつら ぶんらく、1892年(明治25年)11月3日 - 1971年(昭和46年)12月12日)は、東京の落語家。本名∶並河 益義。位階は従五位勲四等、勲章は瑞宝章および旭日小綬章(死没時追贈)。 自宅住所から、「黒門町」「黒門町の師匠」「黒門町の文楽」などと呼ばれた。演じた演目の種類は多くはなかったが徹底的に練りこまれているとの定評がある。 落語における戦後の名人のひとりといわれ、2歳年上の5代目古今亭志ん生と併び称された。志ん生の八方破れな芸風とは対照的に、細部まで緻密に作り込み、寸分もゆるがせにしない完璧主義により、当時の贔屓を二分する人気を博した。 母は並河いく。並河家は武家で、常陸宍戸藩主松平家の家来筋。
阿部 規秀(あべ のりひで、1887年(明治20年) 9月8… 阿部 規秀(あべ のりひで、1887年(明治20年) 9月8日 ‐ 1939年(昭和14年) 11月7日)は、日本陸軍の軍人。陸士19期。最終階級は中将。正四位勲一等功三級(追贈)。 日中戦争にて八路軍との交戦中に戦死し、中将としては帝国陸軍の創設以来初の戦死者となった。 青森県旧北津軽郡七和村羽野木沢(現五所川原市)出身。衆議院議員・阿部武智雄の次男。就学前から一つ上の兄について行って小学校に出入りしており、教師の計らいで二年生に中途入学扱いとなる。そのため、兄と同学年として青森県立第一中学(現:青森県立弘前高等学校)に進学した。弘前では中士士族の鎌田家に下宿し、城陽館で剣道に打ち込んだ。 1907年(明治40年)5月、陸軍士官学校を卒業。
鳴海 周次郎(なるみ しゅうじろう、旧姓・平山、1887年(… 鳴海 周次郎(なるみ しゅうじろう、旧姓・平山、1887年(明治20年)3月1日 - 1969年(昭和44年)7月25日)は、日本の政治家、実業家、青森県多額納税者。青森県西津軽郡会議員。貴族院議員。鳴海銀行頭取。陸奥銀行、松木屋呉服店、津軽酒造各取締役。青森貯蓄銀行、第五十九銀行、金木銀行各監査役。立誠銀行、金兵衛銀行各頭取・鳴海廉之助の養孫。 青森県北津軽郡栄村(現・五所川原市)出身。平山雄太郎の二男、或いは三男。平山為之助の弟。古川和三郎の養子となり1920年、祖父・鳴海廉之助の後を承け家督を相続した。農業を営み、会社重役を務めた。 また、西津軽郡会議員、車力村会議員、青森県山林会評議員、同県産馬畜産組合連合会評議員、西北産馬組合副組長などを歴任し、1925年9月29日、貴族院多額納税者議員に選出され、交友倶楽部に所属、1932年9月28日まで一期務めた。
佐々木 哲造(ささき てつぞう、1886年〈明治19年〉1月… 佐々木 哲造(ささき てつぞう、1886年〈明治19年〉1月24日 - 1948年〈昭和23年〉)は、日本の政治家、会社重役。青森県会議員。青森県北津軽郡五所川原町長(10代 - 14代、5期)。津軽商事常務。津軽商事、五榮各取締役。 青森県北津軽郡五所川原村の人・佐々木眞平の三男。五所川原の呉服商で、大地主・初代佐々木嘉太郎の孫。1920年、兄・嘉太郎方より分かれて一家を創立した。 1928年9月、五所川原町長に就任、1945年7月に退職した。 宗教は曹洞宗。青森県在籍で、住所は北津軽郡五所川原町(現五所川原市)。 この項目は、日本の政治家に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(P:政治学/PJ政治)。
高橋 弥左衛門(たかはし やざえもん、1881年〈明治14年… 高橋 弥左衛門(たかはし やざえもん、1881年〈明治14年〉4月12日 - 没年不明)は、日本の実業家、青森県多額納税者、地主。金木商事代表取締役。金木銀行取締役。族籍は青森県平民。 青森県北津軽郡金木町(現・五所川原市)出身。高橋彌左衛門の養孫。高橋清吉の二男。1904年、家督を相続し、前名・徳三郎を改める。農業を営み、傍ら銀行会社の重役を兼ねる。 住所は青森県北津軽郡金木町。貴族院多額納税者議員選挙の互選資格を有する。 この項目は、実業家に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(P:経済学、PJ:経済)。
2代 佐々木 嘉太郎(ささき かたろう、前名・嘉造、1879… 2代 佐々木 嘉太郎(ささき かたろう、前名・嘉造、1879年〈明治12年〉5月27日 - 1961年〈昭和36年〉10月21日)は、日本の商人(呉服商)、青森県多額納税者、政治家(貴族院多額納税者議員)、実業家、銀行家。青森銀行頭取。津軽鉄道顧問。「布嘉」佐々木家3代目。 青森県北津軽郡五所川原村(五所川原町を経て現五所川原市)に生まれる。佐々木眞平の長男。初代・佐々木嘉太郎の孫。早逝した2代目の跡を継ぐ。呉服商を営む。1915年(大正4年)、五所川原町会議員に当選。 1918年(大正7年)には青森銀行頭取を兼ねて佐々木銀行を設立した。呉服屋稼業から金融業へと「布嘉」の看板を掛けかえた。ほか、陸奥鉄道社長、津軽鉄道取締役などを歴任した。
佐々木 亀吉(ささき かめきち、1875年〈明治8年〉1月1… 佐々木 亀吉(ささき かめきち、1875年〈明治8年〉1月13日 - 1950年〈昭和25年〉)は、日本の政治家、実業家。青森県北津軽郡五所川原町会議員。五所川原通運、木造合同運送各社長。佐々木銀行監査役。津軽鉄道社長、青森県議会議員佐々木啓二の祖父。 青森県北津軽郡五所川原町平井町の人。峰五郎の長男。初代佐々木嘉太郎の甥。分家する。 西北運送業界の先駆者。初代日通五所川原支店長。宗教は禅宗。趣味は謡曲。住所は青森県北津軽郡五所川原町(現五所川原市)。 この項目は、日本の政治家に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(P:政治学/PJ政治)。
平山 為之助(ひらやま ためのすけ、1874年(明治7年)1… 平山 為之助(ひらやま ためのすけ、1874年(明治7年)1月29日 - 1960年(昭和35年)3月18日)は、日本の政治家・衆議院議員(立憲政友会)、豪農、篤農家、実業家。五所川原銀行頭取。津軽鉄道社長。松木屋呉服店社長。陸奥銀行、佐々木銀行、青森貯蓄銀行、松木屋呉服店、津軽酒造各取締役。鳴海銀行監査役。 青森県北津軽郡栄村(現・五所川原市)生れ。平山雄太郎の長男。東奥義塾及び慶應義塾に学んだ。農業を営んだ。村会議員、青森県会議員同参事会員、衆議院議員に挙げられた。陸奥鉄道社長、国有化後に津軽鉄道の初代社長。 青森県北津軽郡栄村(現・五所川原市大字湊)にある平山為之助の住居は、1769年(明和6年)建立の古民家で、「旧平山家住宅」として国の重要文化財に指定され保存されている。