赤上 優人(あかがみ ゆうと、1999年2月10日 - )は… 赤上 優人(あかがみ ゆうと、1999年2月10日 - )は、秋田県仙北市出身の元プロ野球選手(投手)。右投右打。 仙北市立桧木内小学校3年時に桧木内ベアーズで野球を始める。桧木内中学校では軟式野球部に所属した。 秋田県立角館高等学校では、1年時に高校が第96回全国高等学校野球選手権大会に初出場したが自身は未出場だった。2年から遊撃手のレギュラーを獲得し、3年夏は秋田県大会準優勝。同期には、小木田敦也(TDK→オリックス)がいる。 東北公益文科大学では、当初は遊撃手であったが1年秋に投手に転向。転向直後から頭角を現し、2年夏には球速が最速150km/hを記録した。3年秋の南東北大学野球リーグ戦では4勝1敗、防御率1.11の成績を挙げ、最多勝とMVPを獲得した。
小木田 敦也(こぎた あつや、1998年10月10日 - )… 小木田 敦也(こぎた あつや、1998年10月10日 - )は、秋田県仙北市出身のプロ野球選手(投手・育成選手)。右投右打。オリックス・バファローズ所属。 仙北市立角館小学校3年生のときに角館マックスで野球を始め、仙北市立角館中学校では軟式野球部に所属。 秋田県立角館高等学校では1年夏から内野手としてベンチ入りすると、チームは県大会を制し、春夏通じて創部初の甲子園大会となる第96回全国高等学校野球選手権大会に出場。正三塁手(背番号5)として八頭との初戦(2回戦)に先発出場したが無安打に終わり、チームも敗れた。その後は投手も兼任し、2年夏はエースナンバーを背負い、“二刀流”として注目を集めたが、能代との初戦に先発し、4失点を喫して敗退。
菅原 大道(すがわら ひろみち、1995年8月10日 - )… 菅原 大道(すがわら ひろみち、1995年8月10日 - )は、秋田県出身のサッカー選手。Jリーグ・FC大阪所属。ポジションはGK。 2018年、北海道サッカーリーグの北海道十勝スカイアースに加入。 2020年、栃木シティFCに加入。 2022年、藤枝MYFCに完全移籍で加入。しかし藤枝では試合出場はなく、2024年11月14日に契約満了となった。 2024年12月27日にFC大阪へ完全移籍加入した。 北海道十勝スカイアース
田口 成浩(たぐち しげひろ、1990年〈平成2年〉3月25… 田口 成浩(たぐち しげひろ、1990年〈平成2年〉3月25日 - )は、日本のプロバスケットボール選手。秋田県仙北郡角館町(現仙北市)出身。ポジションはシューティングガード。B.LEAGUE・秋田ノーザンハピネッツに所属している。 2012年2月に秋田に入団してプロ選手となる。2013-14シーズンにはスリーポイント成功率1位のタイトルを獲得し、2014-15シーズンにはリーグのベストファイブに選ばれた。また、2012-13シーズンから4シーズン連続でbjリーグオールスターゲームに選出され、2015-16シーズンには全体1位の得票数を獲得した。2015年、2016年にはバスケットボール男子日本代表候補にも選出された。
三重野 葵(みえの あおい、1983年1月21日 - )は、… 三重野 葵(みえの あおい、1983年1月21日 - )は、秋田県仙北市出身の舞台俳優。劇団わらび座所属。血液型A型。 この項目は、俳優(男優・女優)に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(P:映画/PJ芸能人)。
高村 和人(たかむら かずと、1982年7月29日 - )は… 高村 和人(たかむら かずと、1982年7月29日 - )は、日本のパラスポーツ(クロスカントリースキー・バイアスロン)選手で、視覚障害者。 秋田県仙北市出身、岩手県盛岡市在住。 岩手県立盲学校理療科で鍼・灸・マッサージの免許を取得し、盛岡市内の治療院、病院勤務を経て2009年に岩手県立盛岡視覚支援学校(旧・岩手県立盲学校)に教員として採用される。 2011年に知人の誘いでマラソンを始め、2012年に障害者クロスカントリースキーを始める。2018年平昌パラリンピックに唯一の視覚障害日本代表選手としてクロスカントリースキーとバイアスロンの2種目に出場した。 進行性で難病の網膜色素変性症により、現在[いつ?]は光と人影がわかる程度の視力である。
本田 武久(ほんだ たけひさ、1971年(昭和46年)6月2… 本田 武久(ほんだ たけひさ、1971年(昭和46年)6月24日 - 2012年(平成24年)11月28日)は、日本のテノール歌手。秋田県仙北市出身。 北海道千歳市に生まれる。小学校を青森県三沢市で、中学校・高校時代を秋田県仙北郡角館町(現仙北市)で過ごす。
細川 甚孝(ほそかわ しげのり、1971年1月9日 - )は… 細川 甚孝(ほそかわ しげのり、1971年1月9日 - )は、パブリックセクターに関する政策/戦略立案、実施支援を専門とするコンサルタント。 秋田県仙北市生まれ。秋田県立角館高等学校卒業後、都留文科大学文学部社会学科入学。 2000年 上智大学大学院文学研究科社会学専攻博士後期課程(満期退学)。上智大学大学院在学時は、農業・食料の社会学を軸として、農業・食料に関する制度分析を実施。満期退学後は、松江市内の土木設計会社において、地域開発セクションを立ち上げる。その後、隠岐諸島、山陰の市町村における地域振興などに携わる。 2008年 早稲田大学大学院公共経営研究科修了(公共経営修士:専門職)。早稲田大学では、公共経営・公会計を学ぶ。
田口 知明(たぐち ともあき、1970年〈昭和45年〉10月… 田口 知明(たぐち ともあき、1970年〈昭和45年〉10月6日 - )は、日本の政治家、実業家。秋田県仙北市長(2期)。過去には秋田県商工会青年部連合会会長や秋田県中小企業家同友会代表理事など歴任した。 秋田県仙北郡田沢湖町(現・仙北市)出身。田沢湖町立生保内小学校、田沢湖町立生保内中学校を卒業後、秋田県立角館高等学校へ進学した。生保内中学校、角館高校時代はともに生徒会長で剣道部主将だった。1989年(平成元年)に秋田県立角館高等学校を卒業する。 2009年(平成21年)、田口木材株式会社の代表取締役社長に就任した。 2012年(平成24年)、東北醤油株式会社の代表取締役専務となったが、2020年(令和2年)に退任した。
ha-j(ハージェイ、1970年 - )は、日本の作詞家、作… ha-j(ハージェイ、1970年 - )は、日本の作詞家、作曲家、編曲家。秋田県仙北市出身。しし座。ホバーボード所属。
水沢 英樹(みずさわ ひでき、1969年5月9日 - )は、… 水沢 英樹(みずさわ ひでき、1969年5月9日 - )は、秋田県仙北郡田沢湖町(現:仙北市)出身の元プロ野球選手(投手)。 生保内小、生保内中を経て、秋田経法大附高時代は、2年春の東北大会決勝で完投するも同県の本荘高と引分けで同校優勝。秋も東北大会準々決勝で完投するも惜敗。1987年の3年次は春の東北大会で優勝し、夏の甲子園にも出場した。 1987年のプロ野球ドラフト会議において、広島東洋カープから4位指名を受け入団した。 一軍への昇格を果たせないまま1991年オフに現役を引退した。 引退後は、1992年から1997年まで西武ライオンズの打撃投手を務め、現在は編成部アマ担当(スカウト)として活動しており、北海道・東北地区を担当。
柳家 小平太(やなぎや こへいた、1969年3月24日 - … 柳家 小平太(やなぎや こへいた、1969年3月24日 - )は、落語家。落語協会所属の真打。紋∶三ツ柏。出囃子∶蟹がね。本名:山田 耕一郎。 秋田県仙北市生まれ。秋田県立大曲農業高等学校卒業。高校までを秋田で過ごし、卒業後に上京する。 2003年5月、柳家さん喬に入門。前座名は山田耕筰から「さん作」。2007年2月、二ツ目に昇進し「さん若」と改名する。 2018年9月、古今亭駒治、柳家勧之助、林家たこ蔵、古今亭駒子と共に真打に昇進し「小平太」と改名した。「小平太」の名は昔の役者に由来する。 2003年入門の同期、古今亭文菊、柳家小八・三遊亭ときん・鈴々舎馬るこ・桂三木助・柳亭こみち・古今亭志ん五・古今亭駒治・柳家小平太・柳家勧之助の10人で、「TEN」というユニットを組んでいた。
松本 豊(まつもと ゆたか、1963年4月14日 - )は、… 松本 豊(まつもと ゆたか、1963年4月14日 - )は、 秋田県仙北郡角館町(現在の仙北市)出身の元プロ野球選手(投手)。 父親とのキャッチボールをきっかけに野球を始める。小学校では本来4年生からのところ、3年生から野球部に入部した。6年生のときに全県大会で準優勝。角館中学校では1年生から投手を務めた。 秋田経大附高時代は1年春からベンチ入りし、1981年に春夏連続で甲子園に出場。春の選抜では丸亀商業高、音重鎮のいた星稜高を降し準々決勝に進出するが、この大会に準優勝した印旛高の佐藤文男投手と投げ合い、延長10回で敗退。夏の選手権ではエース竹下浩二を擁する興南高、古溝克之のいた福島商業高を破り3回戦に進むが、志度商業高に延長10回サヨナラ負け。
藤 あや子(ふじ あやこ、1961年〈昭和36年〉5月10日… 藤 あや子(ふじ あやこ、1961年〈昭和36年〉5月10日 - )は、日本の演歌歌手、シンガーソングライター。 秋田県仙北郡角館町(現・仙北市)出身。バーニングプロダクション所属。 小学4年から民謡を習い、高校卒業後に就職したものの、職を変えながら民謡歌手として活動。秋田県主催の『ミス花嫁コンテスト』に19歳で出場し優勝。1985年には、テレビ番組 『勝ち抜き歌謡天国』(NHK総合)に出演して優勝。 1987年6月21日、CBS・ソニーから村勢真奈美の芸名で、「ふたり川」でテビューした。1989年9月21日、藤あや子に芸名を変え「おんな」で再デビュー。この現芸名は事務所の社長の提案によるもので、最初は芸名を一般公募していた。
大石 一夫(おおいし かずお、1961年3月24日 - )は… 大石 一夫(おおいし かずお、1961年3月24日 - )は、日本 秋田県仙北市(旧田沢湖町)出身の元プロ自転車ロードレース選手である。 小学校卒業と同時に生まれ育った田沢湖町を父親の転勤により離れ東京に引越し、中学2年生頃から高校2年生頃まで、放課後は自宅近くにある荒川の堤防を一人黙々とランニングを続けた。この時に鍛えた心肺機能や体幹が後の自転車選手としての礎となる。1979年都立北豊島工業高等学校を卒業後、サーティーズ(横尾双輪館主宰のクラブチーム)主催の自転車走行会にサポートメンバーとして参加した際、負傷によって自走できなくなった選手に替わり、初めて本格的なロードレーサーに乗車。その時に感じた爽快感と才能に気付き走行会から帰宅後、横尾双輪館にて中古ロードレーサーを購入し練習に明け暮れる。
門脇 光浩(かどわき みつひろ、1960年(昭和35年)7月… 門脇 光浩(かどわき みつひろ、1960年(昭和35年)7月26日 - )は、日本の政治家。元秋田県仙北市長(3期)、秋田県議会議員(2期)。 秋田県仙北郡西木村(現仙北市西木町)出身。1979年(昭和54年)、秋田県立角館高等学校卒業。1981年(昭和56年)3月、秋田県立農業短期大学畜産科卒業。同年4月、西木村役場に採用される。2002年(平成14年)9月、西木村役場を退職。 2003年(平成15年)4月、秋田県議会議員選挙に出馬し初当選。2期務めたのち、2009年(平成21年)9月に辞職。 2009年(平成21年)10月25日に行われた仙北市長選挙に出馬。現職の石黒直次を破り初当選(門脇:13,229票、石黒:7,037票)。
白岩 政寿(しらいわ まさとし、1957年3月5日 - 20… 白岩 政寿(しらいわ まさとし、1957年3月5日 - 2022年2月17日)は、秋田県仙北郡角館町(現・仙北市)出身で伊勢ヶ濱部屋に所属した元大相撲力士。現役引退後は死去するまで若者頭をつとめた。本名は佐藤 政敏(さとう まさとし)。182cm、110kg。最高位は東十両7枚目。得意技は左四つ、上手投げ。 本人が語るところによると、相撲をはじめたきっかけは、中学2年の夏休みに器械体操で鉄棒から落下して負傷したことであった。両手首を脱臼骨折し、二学期中も学校を早退して通院しており、帰宅後に九月場所を見て興味を持った。体操をするには身体が大きかったこともあり、相撲界に入門する夢を抱いた佐藤少年であったが、担任の妻が大曲農業高校の教員であったことから進学して相撲部部員になることを勧められたという。
小松 ひとみ(こまつ ひとみ、1956年 - )は秋田県出身… 小松 ひとみ(こまつ ひとみ、1956年 - )は秋田県出身の写真家。北東北の自然を題材とした風景写真を中心に、風俗や文化など幅広く活動している。秋田県立角館南高等学校卒業。バスケットボール実業団出身というカメラマンとしては変わった経歴を持つ。
安達 和平(あだち わへい、1955年6月9日 - )は、秋… 安達 和平(あだち わへい、1955年6月9日 - )は、秋田県仙北市(旧田沢湖町)出身の舞台俳優。劇団わらび座所属。血液型B型。
荒木田 裕子(あらきだ ゆうこ、1954年2月14日 - 2… 荒木田 裕子(あらきだ ゆうこ、1954年2月14日 - 2024年8月30日)は、秋田県仙北郡田沢湖町(現仙北市)出身の元バレーボール日本代表、バレーボール指導者。2020年東京オリンピック・パラリンピック組織委員会副会長を務めた。 日本バレーボール協会強化事業本部長、女子強化委員会GM兼務。日本オリンピック委員会理事、同アスリート専門部会長、アジア・オリンピック評議会理事、国際オリンピック委員会プログラム委員などの要職を歴任。 2020年東京オリンピック・パラリンピック組織委員会理事だった2021年、森喜朗の女性に関する発言でにわかに組織委内で女性登用を進める必要が高まったため、3月の理事会で急遽7人目の副会長に選出された。
矢野 立美(やの たつみ、1949年4月21日 - )は日本… 矢野 立美(やの たつみ、1949年4月21日 - )は日本の作曲家である。秋田県仙北郡角館町(現・仙北市)出身。
佐竹 敬久(さたけ のりひさ、1947年〈昭和22年〉11月… 佐竹 敬久(さたけ のりひさ、1947年〈昭和22年〉11月15日 - )は、日本の政治家。前秋田県知事(公選第17・18・19・20代)。無所属。 秋田市長(第17代)、全国市長会会長(第27代)などを歴任。佐竹北家の末裔で21代目にあたる。秋田県仙北郡角館町(現在の仙北市)出身。曾祖父の佐竹義尚は男爵に列しており、華族の家柄である。 秋田県仙北郡角館町(現:仙北市)に生まれる。1966年(昭和41年)3月、地元の秋田県立角館高等学校卒業。1971年(昭和46年)3月、東北大学工学部精密工学科卒業。1972年(昭和47年)3月、秋田県庁に入庁して県庁職員(地方公務員)として勤務した。商工部門、総務部次長を歴任した。
塩野 米松(しおの よねまつ、1947年1月1日 - )は、… 塩野 米松(しおの よねまつ、1947年1月1日 - )は、日本の小説家。全国各地を旅して漁師や職人の聞き書きを行い、失われゆく伝統文化・技術の記録に精力的に取り組んでいる。 秋田県角館町(現仙北市)出身。秋田県立角館高等学校を経て、東京理科大学理学部応用化学科卒業。1992年に「昔の地図」で第107回芥川賞候補となる。以後、1993年「オレオレの日」、1994年「空っぽの巣」、1996年「ペーパーノーチラス」と計4回候補に挙がる。 2003年『なつのいけ』で日本絵本賞大賞を受賞。それまでの作家活動を讃え、国際天文連合より小惑星11987にYONEMATSUの名が授与された。2009年公開の映画『クヌート』の構成を担当した。
阿部 勉(あべ つとむ、1946年(昭和21年)8月30日 … 阿部 勉(あべ つとむ、1946年(昭和21年)8月30日 - 1999年(平成11年)10月11日 )は、日本の政治活動家。民族主義者。三島由紀夫が結成した「楯の会」の1期生で第5班(のち10班の憲法研究班)班長。一水会結成参加メンバー。古本店「閑人舎」代表。 1946年(昭和21年)8月30日、秋田県仙北郡雲沢村字雲然(現・仙北市角館町)で父・羹栄と母・俊子の次男として誕生。雲沢村役場に勤めていた父・羹栄は勉がまだ俊子の腹の中にいる時に病死。小学校教諭の母は当初「彊」と名付けようとしたが、役所から当用漢字にもなく誰も読めないから同じ意味の「勉」にしたら、と勧められて「勉」となった。秋田県立角館高等学校を経て、1965年(昭和40年)4月、早稲田大学法学部に入学。
草薙 良一(くさなぎ りょういち、1946年5月17日 - … 草薙 良一(くさなぎ りょういち、1946年5月17日 - 2023年8月2日)は、日本の俳優、演出家。秋田県仙北市出身。秋田県立角館高等学校卒業。最終所属は現代制作舎。 1970年代から1980年代前半にかけて日活ロマンポルノ映画で活躍。テレビでは刑事ドラマへの悪役としての出演が多数ある。 近年は時代劇や2時間ドラマに出演する一方、舞台公演を軸に活動し、2008年5月よりなぎプロダクション代表として、自身の作・演出による創作演劇のプロデュースに取り組んでいた。2008年11月には同プロダクションの旗揚げ記念公演として、故郷・秋田を舞台とした『新説 おばこ旅館物語 かたくりの花編』を上演した。 俳優の草薙幸二郎は同姓から兄と誤解されがちだったが、両者に縁類関係はない。
坂本 尚夫(さかもと たかお、1943年9月14日- )は、… 坂本 尚夫(さかもと たかお、1943年9月14日- )は、秋田県仙北市出身の薬学者。東北大学薬学部教授、東北大学高等教育開発推進センター長、東北大学大学院薬学研究科長、東北大学副学長、国立薬学部長会議議長などを歴任。東北7県(新潟県を含む)の産学官連携を具現化するための組織、インテリジェント・コスモス研究機構の社長を務めている。 月刊薬事2001年1月号で、「大学院重点化後の薬学教育および研究」について書いている。2002年11月、東北大学総長補佐及び同大学教育研究センター長、2005年には教務担当の副学長に就任した。2006年には日本薬学会教育賞を受賞している。
高階 航(たかしな こう、1942年 - 2018年)は、日… 高階 航(たかしな こう、1942年 - 2018年)は、日本の作家、脚本家。秋田県出身。高階 秋成(あきなり)は彼の別名である。本名は高階 茂嘉(しげよし)。 秋田県立角館高等学校卒業後に上京。1970年代から、映画やドラマ、アニメの脚本で活躍。代表作は『太陽にほえろ!』『ルパン三世』。 ルパン三世第二シリーズでは、最も登板数が多い脚本家である。第三シリーズでも数多く執筆している。その頃から、渡哲也、松田優作、宮崎駿らと親交があった。1989年に仙北市田沢湖町に帰郷し、作家として活動。秋田魁新報で「高階航のアラスカぼたっこ釣り騒動記」「振りかえれば」などを連載した。 2018年10月10日、高階の自宅で身元不明の遺体が発見された。
西木 正明(にしき まさあき、1940年5月25日 - 20… 西木 正明(にしき まさあき、1940年5月25日 - 2023年12月5日)は、日本の小説家。 新潟県生まれ、秋田県仙北郡西木村(現・仙北市)育ち。 1959年秋田県立秋田高等学校卒業。早稲田大学教育学部社会科中退。平凡出版(現マガジンハウス)に入社し『平凡パンチ』『週刊平凡』『ポパイ』等の編集に携わる。 1980年に独立して作家活動開始。デビュー作『オホーツク諜報船』で日本ノンフィクション賞新人賞、1988年にヴィクトル・スタルヒンを題材とした小説「凍れる瞳」及び「端島の女」で第99回直木三十五賞を受賞。以降、綿密な取材に基づくドキュメンタリーライクな作品を数多く発表する。妻は女優の桑原幸子。
御法川 英文(みのりかわ ひでふみ、1936年4月3日 - … 御法川 英文(みのりかわ ひでふみ、1936年4月3日 - 2003年4月24日)は、日本の政治家。自由民主党衆議院議員を4期務めた。秋田県仙北郡田沢湖町(現・仙北市)出身。秋田県立大曲農業高等学校を経て明治大学政治経済学部卒業。衆議院議員・御法川信英は長男。 自由民主党職員を経て、1975年に仙北郡選挙区から秋田県議会議員に初当選。3期務めた後、衆議院議員選挙に立候補。2度目の立候補となる1990年の第39回衆議院議員総選挙で初当選。1996年の総選挙以降は、自民党の村岡兼造衆議院議員とコスタリカ方式で比例区と小選挙区から2回おきに交互に立候補することで合意し、中選挙区(旧秋田2区)時代2期、比例選出2期を含め連続4期当選。
山谷 初男(やまや はつお、1933年〈昭和8年〉12月19… 山谷 初男(やまや はつお、1933年〈昭和8年〉12月19日 - 2019年〈令和元年〉10月31日)は、日本の俳優。本名:山谷 八男。旧芸名:山谷 初夫。舞プロモーションに所属。秋田県仙北郡角館町(現:仙北市)出身。秋田県立角館北高等学校(現:秋田県立角館高等学校)卒業。役者仲間からは「はっぽん」の愛称で親しまれた。 八か月の早産で産まれたことから、八男と名付けられたが、生死が危ぶまれていた中、奇跡的に生き続けたため、もう一つの名前として「初男」を与えられている。その「はつお」から「ハツ坊」「ハッポ」というあだ名がつけられた。 高校卒業後に画家を目指して上京。当初は中野の通信学校に入っていたが、昼は代々木の予備校、夜は阿佐ヶ谷の絵の学校にも通う。
千葉 治平(ちば じへい、1921年10月31日 - 199… 千葉 治平(ちば じへい、1921年10月31日 - 1991年6月23日)は、秋田県仙北市(旧田沢湖町)出身の小説家。本名は堀川 治平(ほりかわ じへい)。秋田県出身者としては、第41回(1959年)の渡辺喜恵子に次ぐ2人目の直木賞受賞者。 秋田工業学校(現・秋田県立秋田工業高等学校)で電気科を学び、1940年で旧満洲で満鉄調査部科学研究所入社を経て、南満洲工業専門学校を卒業した。 終戦後は故郷の秋田に戻り、農業の傍ら「月刊さきがけ」で懸賞小説に応募して、一席入選し、伊藤永之介に師事し、共に秋田文学を創刊する。 1966年に「秋田文学」23号から27号まで連載された「虜愁記」は第54回直木賞を受賞した。
三浦 久兵衛(みうら きゅうべえ、1921年頃[要出典] -… 三浦 久兵衛(みうら きゅうべえ、1921年頃[要出典] - 2006年)は、日本の漁師。 秋田県出身で、「最後のクニマス漁師」と言われ、田沢湖でクニマスが絶滅した後は、魚卵を分けたとされる地域での探索活動をおこなった。 田沢湖畔で代々漁師を営む家に生まれ、自身も漁師となる。長男によると、捕獲したクニマスについて「網を引き揚げる時の手の感触、キラキラ光る感じが忘れられない」と話していたという。 しかし、1940年に強酸性の川水を中和して発電や農業に利用する目的で、玉川の水が田沢湖に引き込まれ、それから1年以内にクニマスは姿を消した。三浦ら漁師は玉川の水を入れることで魚がいなくなることは予測していたが、「戦争に入って居り、国策遂行に逆らう事は国賊」(三浦自身の手記の表現)という事情で反対することはできなかった。
高橋 晄正(たかはし こうせい、1918年6月20日 - 2… 高橋 晄正(たかはし こうせい、1918年6月20日 - 2004年11月3日)は、日本の医師。 秋田県仙北郡西木村(現仙北市)生まれ。1936年(昭和11年)旧制秋田県立角舘中學校を卒業し1941年(昭和16年)東京帝國大學医学部を卒業する。その後物療内科に入局し増山元三郎に推計学を紹介される。 漢方医学(鍼、経絡など伝統中国医学全般)を研究し、1966年(昭和41年)『漢方の認識』(NHKブックス)を出版。その後 論文「西洋医学と東洋医学-科学論の立場から-」(『保健の科学』 37(1):4-、1995年(平成7年))や著作『漢方薬Q&A』(1990年、『漢方薬は危ない』、『漢方薬は効かない』などで伝統中国医学及び漢方薬(副作用)を批判した。
千葉禎介(ちばていすけ、1917年10月19日 - 1965… 千葉禎介(ちばていすけ、1917年10月19日 - 1965年)は、昭和の日本におけるアマチュア写真家である。秋田県仙北郡角館町に生まれ、2歳のとき横手市に転居した[出典無効]。1932年、高校卒業後、呉服店に勤務。コニカの蛇腹カメラBaby Pearlを手に入れて、1940年代~60年代に、主に横手市や平鹿郡の農村風景を撮影していた。2017年12月から2018年1月にかけ、千葉の生誕100年を記念し、彼の故郷に近い秋田県立近代美術館において、「生誕100年 千葉禎介写真展」が開催された。 この項目は、人物に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(プロジェクト:人物伝、Portal:人物伝)。
河原田 穣(かわらだ じょう、1917年1月3日 - 198… 河原田 穣(かわらだ じょう、1917年1月3日 - 1985年10月27日)は、日本の政治家。福島市長(2期)。 秋田県角館町(現仙北市)出身。1937年に福島高等商業学校を卒業し、横浜正金銀行に入る。1947年、福島県農地部開墾調査課勤務となり、翌年、福島県信用保証協会に入る。1956年福島市役所に入り、商工課長に就任する。その後、企画商工、厚生、総務の各部長を経て、助役に就任する。1979年から福島市長を2期務める。市長在職中の1985年10月27日死去。
渡辺 喜恵子(渡邊 喜惠子、わたなべ きえこ、1913年(大… 渡辺 喜恵子(渡邊 喜惠子、わたなべ きえこ、1913年(大正2年)11月6日 - 1997年(平成9年)8月8日)は日本の小説家。本名は木下喜惠子。秋田県出身者として初めて、直木賞を受賞した。 秋田県仙北郡檜木内村(後の西木村、現:仙北市)生まれ。2歳の時、父・栗生沢米太郎が鷹巣町(現:北秋田市)に木材工場を創業し転居する。能代高等女学校(現:秋田県立能代北高等学校)卒業後の1931年(昭和6年)に上京。1935年(昭和10年)、画学生・渡辺茂との結婚のため広島へ転地する。しかし、1939年(昭和14年)、25歳のときに夫が病死。1942年(昭和17年)、亡き夫のことを綴った短編小説集『いのちのあとさき』を刊行し創作活動に入る。
田口秋魚(たぐち しゅうぎょ、1903年(明治36年)-19… 田口秋魚(たぐち しゅうぎょ、1903年(明治36年)-1988年(昭和63年)1月24日)は、現在の秋田県仙北市角館町上新町生まれの画家。本名は田口徳蔵。 1926年(大正15年)荒川青亭に師事、1927年には上京して同郷の平福百穂の門に入り、1932年(昭和7年)には川端画学校に入学して日本画を学んだ。1933年10月30日の平福百穂の死に会した唯一の門人。百穂没後は吉田秋光に師事した。戦前在京中は童画を好み、三越百貨店で毎年ひらかれる童宝展に出品した。1937年(昭和12年)9月の日中戦争に応召したのち、満州・中国で約600枚の戦線スケッチをのこした。戦後は郷里角館に帰り、高等学校での美術指導や創作活動にたずさわった。
平岡 均之(ひらおか きんし、1901年12月23日 - 1… 平岡 均之(ひらおか きんし、1901年12月23日 - 1976年3月30日)は、日本の作曲家、小学校教員。教科書掲載の童謡『若葉』の作曲者として知られる。 本名は、均。秋田県仙北郡神代村(現・仙北市)に生まれる。秋田市立中通小学校に入学したが、父が中学校教員となり、旧制埼玉県立熊谷中学校(現・埼玉県立熊谷高等学校)に赴任したため均之自身も埼玉県熊谷町(現・熊谷市)に引っ越す。熊谷市立石原小学校を経て、旧制埼玉県立熊谷中学校に入学。 大正7年、父が亡くなった為熊谷中学校を5年で中退(4年終了)。 大正11年、群馬県新田郡強戸小学校代用教員となる。同年、小学校音楽専科正教員となり大正14年、足利尋常小学校相生校訓導となる。
富木 謙治(とみき けんじ、1900年3月15日 - 197… 富木 謙治(とみき けんじ、1900年3月15日 - 1979年12月25日)は、日本の武道(合気道・柔道)家。教育学者(武道論)。日本合気道協会、秋田県角館町(後の仙北市)出身。 満州建国大学教授、早稲田大学教育学部教授を歴任、合気道創始者・植芝盛平の高弟として成立期の合気道に理論面で影響を与え、自ら考案した競技合気道の普及発展に努めた。講道館柔道創始者・嘉納治五郎が柔術を柔道に昇華させたように、合気道をより昇華させることを目指し、合気道の乱取り稽古を考案し導入した。富木の合気道は乱取り稽古を行うなど、他の会派と異なる点も多く、区別するため、「富木流合気道」、「富木合気道」と通称される(ただし、富木自身はこの呼称を用いておらず、「新合気道」「合気道競技」と命名していた)。
円谷(圓谷)弘(つむらや ひろし、1888年1月7日 - 1… 円谷(圓谷)弘(つむらや ひろし、1888年1月7日 - 1949年11月1日)は、社会学者。日本大学初代理事長。 明治21年(1888年)1月7日、秋田県仙北郡角館町に秋田藩士の家に生まれる。文部省につとめ、日本大学教授を兼ねた。のちベルリン大学に留学後、日本大学の予科長、理事、常務理事を経て、昭和21年(1946年)初代理事長となる。 大正9年(1920年)、日本大学社会学科を創設。科長として就任 昭和2年(1927年)、月刊誌『社会学徒』を発刊(昭和2年4月〜昭和19年6月) 昭和9年(1934年)、『集団社会学の研究』で日本大学より文学博士を取得 昭和21年(1946年)、日本大学初代理事長に就任
佐藤貞子(さとう さだこ、1886年 - 1950年)は、秋… 佐藤貞子(さとう さだこ、1886年 - 1950年)は、秋田県仙北郡出身の民謡歌手である。 民謡「秋田おばこ」の生みの親として知られている。「秋田おばこの女王」とも、江戸時代初期にかぶき踊りで全国巡業した出雲の阿国になぞらえ「秋田の阿国」とも呼ばれた。「秋田おばこ」、「秋田甚句」などを収めたレコードは戦前としては「驚異的」とされる60万枚のヒットを記録した。 1886年(明治19年)、秋田県仙北郡神代村(現・仙北市)に生まれる。笛の名人であった父の影響で民謡をはじめ、幼いころより歌の上手さは近隣に知れ渡り、地元の祭のスターであった。1922年(大正11年)、東京上野で開催された平和博覧会に出演。
田口 掬汀(たぐち きくてい、1875年1月18日 - 19… 田口 掬汀(たぐち きくてい、1875年1月18日 - 1943年8月9日)は、日本の小説家、劇作家、美術評論家である。本名は田口 鏡次郎(たぐち きょうじろう)。息子に画家の田口省吾、孫に小説家の高井有一。 1875年(明治8年)1月18日、秋田県仙北郡角館町(現在の同県仙北市角館町)に生まれる。。 角館の小学校を卒業し、商家に奉公するなどして、1900年(明治33年)ころ、雑誌『新声』への投稿が認められて上京、佐藤義亮の新声社(新潮社の前身)に入社。編集・記者業務に従事する傍ら創作活動を開始した。 1903年(明治36年)朝報社に入社。1904年『萬朝報』に小説『女夫波』を連載、1905年『伯爵夫人』を連載、これらの家庭小説で人気作家となった。
下田 菊太郎(しもだ きくたろう、1866年6月14日(慶応… 下田 菊太郎(しもだ きくたろう、1866年6月14日(慶応2年5月2日) - 1931年(昭和6年)12月26日)は、日本の建築家。秋田県出身。 アメリカ合衆国の建築設計事務所での勤務後、横浜に建築事務所を開設した。昭和初期の官庁建築等に広く用いられた帝冠様式を初めて提案したことでも知られる。当時の建築界では異色の存在で、自ら「建築界の黒羊」と称した。 1866年、佐竹藩士・下田藤右衛門(幼名、勇助。後に順忠)の次男として、秋田県角館町(現仙北市)に生まれた。1871年(明治4年)一家で秋田市に転居。明治13年(1880年)秋田師範学校中学予備科に入学したが、1882年(明治15年)6月に中途退学して上京、工部大学校入学を志した。
平福 穂庵(ひらふく すいあん、1844年11月27日(天保… 平福 穂庵(ひらふく すいあん、1844年11月27日(天保15年10月18日) - 1890年(明治23年)12月11日)は、日本の幕末から明治時代前期に活動した日本画家。同じく画家の平福百穂の父。名は芸(うん)、通称は順蔵。別号に文池。 羽後国角館横町(現在の秋田県仙北市)で、父・平福太治右衛門(徳蔵)と母・キクの一人息子として生まれる。平福家は元々米や乾物を扱う商人だったが、父の代で染物屋に転向した。太治右衛門は文浪の画号を持つ郷土画家でもあり、祭りの人形や押絵なども手掛け、今も郷土にその作品が残っている。穂庵は初めは地元の絵師で父も入門していた武村文海に円山四条派の絵を学び、地元秋田の四条派絵師・長山孔寅の絵手本で自習する。