菅井 信也(すがい しんや、2003年6月28日 - )は、… 菅井 信也(すがい しんや、2003年6月28日 - )は、山形県南陽市出身のプロ野球選手(投手)。左投左打。埼玉西武ライオンズ所属。 南陽市立赤湯小学校3年時に赤湯ワイルドキッズで野球を始める。南陽市立赤湯中学校では軟式野球部に所属。 中学卒業時は、日本大学山形高等学校か山本学園高等学校(※現 惺山高等学校)のどちらに進学するか迷っていたが、「指導が合いそうなのでプロに行ける可能性が高まる」とし、山本学園への進学を決意。同校では1年夏からベンチ入りし、秋からエースナンバーを背負う。3年夏の山形大会では3回戦で羽黒と対戦して敗退するが、15イニングを投げ30個の三振を奪った。 プロ志望届を提出し、2021年10月11日に開催された2021年度ドラフト会議で埼玉西武ライオンズから育成3巡目で指名を受けた。
風間 太樹(かざま ひろき、1991年7月22日 - )は、… 風間 太樹(かざま ひろき、1991年7月22日 - )は、日本の映画監督である。山形県南陽市出身。東北芸術工科大学映像学科卒業。AOI Pro.エンタテインメントコンテンツプロデュース部 所属。 1991年、山形県生まれ。東北芸術工科大学在学中は映画監督の根岸吉太郎、前田哲に学ぶ。初監督映画「Halcyon days」が山形国際ムービーフェスティバル2013にて観客賞、武林未来賞を受賞。2014年には冬の山形・庄内を舞台にした冨樫森総監修による短編オムニバス企画で「海鳴り」を監督した。 卒業後、株式会社AOI Pro.に入社。CM制作部を経て、現在のエンタテインメントコンテンツプロデュース部に配属される。
山田 要平(やまだ ようへい、1988年10月9日 - )は… 山田 要平(やまだ ようへい、1988年10月9日 - )は、日本の元男子バレーボール選手、指導者である。 山形県南陽市出身。10歳の頃、スポーツ少年団にバレーボールしかなかったことを理由にバレーボールを始める。 山形南高等学校、順天堂大学を経て、大分三好ヴァイセアドラーに入団。 2015年、FC東京に移籍。大分三好同期入団の橘裕也も2シーズン前にFC東京に移籍している。 2020-21シーズン、2021年3月21日の堺ブレイザーズ戦でVリーグ通算230試合出場を達成し、Vリーグ栄誉賞を受賞した。 2021-22シーズン終了をもってFC東京を退団。移籍希望をしていたが、現役は続行せず、V3所属の千葉ZELVAのコーチに就任した。
中村 映里子(なかむら えりこ、1988年9月14日 - )… 中村 映里子(なかむら えりこ、1988年9月14日 - )は、日本の女優。山形県南陽市出身。 趣味は写真、絵を描くこと、特技は日本舞踊。 東海大学付属望星高等学校卒業。雑誌『Hana* chu→』『ラブベリー』専属モデルを経て、2006年から女優として活動。2010年、映画『カケラ』で主人公を不思議な力で魅了する準主役・坂田リコ役を演じた。2011年、レプロエンタテインメントからマツ・カンパニーへ移籍。2024年5月1日よりフリーに。
池田 めぐみ(いけだ めぐみ、1979年8月1日 - )は、… 池田 めぐみ(いけだ めぐみ、1979年8月1日 - )は、山形県南陽市出身の元フェンシング選手。旧姓は、原田。東京女子体育大学卒業。筑波大学大学院修了。 YAMAGATA ATHLETE LAB.(ヤマガタアスリートラボ) 創業者・代表。 日本アンチ・ドーピング機構(JADA)アスリート委員。
原田 めぐみ(はらだ めぐみ 1979年8月1日 - )は、… 原田 めぐみ(はらだ めぐみ 1979年8月1日 - )は、青森県生まれ、山形県南陽市出身のフェンシング選手。身長169cm。山形県立米沢興譲館高等学校、東京女子体育大学、筑波大学大学院卒。山形県体育協会所属。
柴田 正人(しばた まさと、1979年(昭和54年)5月5日… 柴田 正人(しばた まさと、1979年(昭和54年)5月5日 - )は、日本の政治家。山形県南陽市長就任予定者。元山形県議会議員(3期)。 山形県南陽市宮内生まれ。山形県立米沢興譲館高等学校、大東文化大学法学部政治学科卒業後、自由民主党本部に就職。2012年12月より鈴木憲和衆議院議員公設第一秘書を務める。2015年の山形県議会議員選挙南陽市選挙区で初当選し、県議を3期務める。 2026年5月27日、県議を辞職。6月5日に南陽市長選挙への立候補を表明した。7月5日に市長選挙が告示されたが、柴田以外に立候補の届け出がなく、無投票で初当選した。
熊谷 晋一郎(くまがや しんいちろう、1977年(昭和52年… 熊谷 晋一郎(くまがや しんいちろう、1977年(昭和52年)- )は、日本の医師、科学者。専門は、小児科学、当事者研究。博士(学術)(東京大学・2014年)。東京大学先端科学技術研究センター教授。「ちいさい・おおきい・よわい・つよい」編集長。山口県出身。 山口県新南陽市生まれ。新生児仮死の後遺症で脳性麻痺となり、車椅子生活を送る。小学校・中学校と普通学校で統合教育を経験し、山口県立徳山高等学校、東京大学医学部医学科を卒業。小児科医として病院勤務を経て2015年より現職。 パートナーはアスペルガー症候群当事者の綾屋紗月で、共に障害者の立場から当事者研究を行っている[要出典]。 「自立とは依存先を増やすことである」と述べている。
四代目 宝井 琴凌(たからい きんりょう、1976年7月26… 四代目 宝井 琴凌(たからい きんりょう、1976年7月26日 - )は、講談協会所属の講談師。山形県南陽市出身。本名∶高橋 和彦。出囃子∶『花笠音頭』。家紋:隅立て十二山形。 山形県立米沢工業高等学校卒業。 2010年2月 宝井琴梅に入門、講談協会前座見習いとなり、宝井 梅湯(たからい うめゆ)を名乗る。梅湯という芸名は師匠宝井琴梅の「梅」に故郷 赤湯温泉の「湯」から。5月に正式な前座になる。 2015年3月、二ツ目昇進。2018年5月よりやまがた特命観光・つや姫大使に就任。2019年3月、スターブル藤崎寄席若手演芸選手権で優勝。 2024年4月、真打に昇進し、四代目宝井琴凌を襲名した。同名跡は三代目が1936年3月に死去して以降は空き名跡になっていたが、88年ぶりの復活となる。
深町 秋生(ふかまち あきお、1975年11月19日 -)は… 深町 秋生(ふかまち あきお、1975年11月19日 -)は、日本の小説家。山形県南陽市出身。山辺町在住。 山形県立山形中央高等学校、専修大学経済学部経済学科卒業。 銀行に勤めながら、趣味で小説を執筆していた父の姿を見て、「オヤジが書けるなら俺も」と幼少時から漠然と小説家を志す。その夢を持ち続け、大学卒業後、長井市の製薬メーカーに勤務する傍ら、山形市で月に1度開催される「小説家(ライター)になろう講座(現:山形小説家・ライター講座)」に通い、腕を磨く。 加藤 小判(ニルヴァーナのカート・コバーンのもじり)名義で『山形新聞』の「山新文学賞」に投稿を続ける。2003年、「山新新人賞」の選考委員を務めていた文芸評論家の池上冬樹の紹介で佐藤広行とともに『完全自殺マニュアル』を小説化した『小説自殺マニュアル』を発表。
相田 健太郎(あいた けんたろう、1974年5月4日 - )… 相田 健太郎(あいた けんたろう、1974年5月4日 - )は、日本のスポーツ経営者。株式会社モンテディオ山形代表取締役社長。 山形県南陽市生まれ。4歳から9歳までと中学時代の3年間をアルゼンチンで過ごす。 東洋大学経営学部を卒業後、旅行会社での勤務を経て、2003年にJ2リーグ・水戸ホーリーホックの運営会社である株式会社フットボールクラブ水戸ホーリーホックに入社した。 2007年、日本プロ野球の東北楽天ゴールデンイーグルスを運営する株式会社楽天野球団に移り、新規営業を担当する。その後、2017年にはJ1リーグ・ヴィッセル神戸を運営する楽天ヴィッセル神戸株式会社に出向し、強化部長などを歴任した。
白岩 孝夫(しらいわ たかお、1969年(昭和44年)1月2… 白岩 孝夫(しらいわ たかお、1969年(昭和44年)1月29日 - )は、日本の政治家。山形県南陽市長(3期)。元・南陽市議会議員(1期)。 山形県南陽市出身。山形県立長井高等学校卒業。1992年(平成4年)3月、東北学院大学文学部卒業。税理士事務所に15年間勤務し、その後6年間新聞販売店に務める。2012年(平成24年)3月18日告示、3月25日投票の南陽市議会議員選挙に出馬し、無投票で初当選。 2014年(平成26年)4月、市議を辞職。同年7月13日に行われた南陽市長選挙に無所属(自由民主党・公明党推薦)で出馬し、現職の塩田秀雄を破り初当選。7月30日、市長就任。 2018年(平成30年)、無投票により再選。
吉村 龍一(よしむら りゅういち、1967年3月 - )は、… 吉村 龍一(よしむら りゅういち、1967年3月 - )は、日本の小説家。元自衛官。本名は斎藤順一(さいとう じゅんいち)。筆名は、小説家の吉村昭から影響を受けたもの。 山形県南陽市生まれ。高校卒業後の1985年4月に自衛隊に入隊し、陸上自衛隊施設科員として勤務。橋梁爆破や地雷埋設などの訓練に従事する。最終階級は三等陸曹。除隊後、近畿大学豊岡短期大学卒業。その後地元に帰郷し、小学校で技能士として子供たちと関わる仕事に携わる傍ら、さくらんぼテレビジョンが主催する「小説家(ライター)になろう講座」(池上冬樹世話役)を受講。その後、代表となる。2012年、「焔火(ほむらび)」で講談社が主催する第6回小説現代長編新人賞を受賞(同時受賞は長浦京「赤刃」)、小説家デビューを果たす。
黒澤 信彦(くろさわ のぶひこ、1964年11月16日 - … 黒澤 信彦(くろさわ のぶひこ、1964年11月16日 - )は、日本の篤農家。農業生産法人株式会社黒澤ファーム代表取締役。『やまがた有機 農業の匠』。山形県農業法人協会理事。南陽市体育協会理事。おきたま七福会メンバー。家訓である「生きている土作りと息づく稲作り」を信条として、夕鶴郷米の地域ブランド化に尽力している。 1958年11月16日、山形県南陽市池黒の戦国時代(永禄4年:1561年 - )から、500年続く農家の21代目に生まれる。山形県立置賜農業高等学校を卒業。航空自衛隊入間基地に入隊。 1986年に就農。1995年、「こめ工房南陽アスク」(青木・鈴木・黒澤の頭文字)を結成。1998年、低温倉庫を建設。
黒江 哲郎(くろえ てつろう、1958年(昭和33年)3月1… 黒江 哲郎(くろえ てつろう、1958年(昭和33年)3月18日 - )は、山形県出身の防衛省官僚。第31代防衛事務次官。
須貝智郎(すがい ともお、1953年1月23日 - )は、山… 須貝智郎(すがい ともお、1953年1月23日 - )は、山形県を拠点に活躍する農業経営者兼インディーズのローカル・シンガーソングライター。同県南陽市内に個人事務所「ブリード」を立ち上げ、自ら所属している。 江戸時代から15代続く農家の長男として、東置賜郡和郷村(現:南陽市)法師柳に生まれる。 山形県立赤湯園芸高等学校(現:山形県立南陽高等学校)卒業後、コメの減反政策や農作物の価格低迷など農業を取り巻く環境に失望したこと、さらには泥まみれで働く父の姿を見て、百姓をやめて土木作業で生活の糧を得ようと決意。卒業と同時に家を出て日雇い労働者として全国各地を渡り歩いた。 そうした中、宿舎のラジオから流れてきた岡林信康の「山谷ブルース」の歌詞に自身の姿に重なり、感動を覚え、自分もそんな歌をつくりたいとの思いを抱いた。
伊賀 和洋(いが かずひろ、1952年2月28日 - )は、… 伊賀 和洋(いが かずひろ、1952年2月28日 - )は、日本の漫画家。 1952年生まれ、山形県南陽市出身。高校卒業後の1970年、さいとう・たかをプロダクションに入社。劇画の手ほどきを受ける。1972年に小池一夫主宰のスタジオ・シップ(現・小池書院)に移り、数々の作品を発表。 初期のペンネームは伊賀一洋。小池一夫の原作で、『槓聴(カンテン)の女』(「週刊現代」1976年8月)、『筒子裸五面待(トンズラゴメンチャン)』(「週刊サンケイ」1976年8月)などの麻雀漫画を執筆した。 2025年、南陽市立結城豊太郎記念館にて、企画展「劇画の魂を受け継ぐ人・漫画家伊賀和洋の世界」が開催された。 この項目は、漫画家・漫画原作者に関連した書きかけの項目です。
3代目 橘ノ 圓(たちばなの まどか、1935年8月27日 … 3代目 橘ノ 圓(たちばなの まどか、1935年8月27日 - 2014年5月29日)は、山形県南陽市出身の落語家。落語芸術協会理事。本名∶布施 重雄。 南陽市立梨郷中学校を卒業。ガラス工場などの社会人を経験した後、1954年9月、4代目三遊亭圓馬に入門。三遊亭冨太馬で初高座を踏む。1958年3月に二ツ目に昇進し三遊亭扇馬と改名。[要出典] 1969年4月、3代目桂圓枝、2代目春風亭梅橋とともに真打昇進し、3代目橘ノ圓を襲名した。 2014年5月29日午前2時40分 肺炎のため埼玉県三郷市内の病院で死去(満78歳没)。戒名は「天真院和樂圓證信士」。墓所は東京都葛飾区の南蔵院 [要出典]。 没後、同じ落語芸術協会に所属する桂夏丸が『橘ノ圓物語』という新作を演じている。
近藤 鉄雄(近藤 鐵雄、こんどう てつお、1929年8月11… 近藤 鉄雄(近藤 鐵雄、こんどう てつお、1929年8月11日 ‐ 2010年3月4日)は、日本の政治家。位階は正三位。自由民主党衆議院議員。三木派・河本派に所属した。愛称は「コンテツ」。 母の実家のあった現在の山形県南陽市で生まれ、米沢市で育った。父の道雄は海軍軍人で、近藤が小学校3年時に37歳で戦死した。以後、織物工場の寮母となった母の手ひとつで育てられた。 海軍兵学校(77期)、高等商船学校を経て1953年3月に一橋大学経済学部を卒業。マルクス経済学の杉本栄一ゼミ出身。在学中は、ゼミの同期の宮川公男(一橋大学名誉教授)、玉井龍象(金沢大学名誉教授)とともに、日曜日朝から杉本の家で開かれるゼミで、杉本の指導の他、ゼミの特別研究生であった伊東光晴(京都大学名誉教授)や浅野栄一(中央大学名誉教授)、ゼミOBの宮崎義一(京都大学名誉教授)、宮崎犀一(元東京女子大学教授)からも指導を受けた。
若杉 嘉津子(わかすぎ かつこ、1926年3月23日 - 没… 若杉 嘉津子(わかすぎ かつこ、1926年3月23日 - 没年不明)は、日本の女優である。本名勝田 英津子(かつた えつこ)。女優時代の初期には、若杉 須美子(わかすぎ すみこ)、若杉 紀英子(わかすぎ きえこ)の芸名を使っていた。 1926年(大正15年)3月23日、山形県南陽市に生まれる。誕生の日に母を亡くし、1928年(昭和3年)、2歳で東京市大塚の勝田家に養子に出された。幼時の記憶をなくしていたために長らく勝田家の実子と思い込んでいたが、女学校時代に戸籍謄本を偶然目にして養子であることが判明する。出生時の真実については、2000年(平成12年)のインタビューで初めて明らかにしたため、それ以前に出版されたキネマ旬報社・刊『日本映画人名事典』(1995年)の若杉嘉津子の項目などでは「1928年東京市出身」となっている。
結城 よしを(ゆうき よしを、1920年 - 1944年9月… 結城 よしを(ゆうき よしを、1920年 - 1944年9月13日)は、日本の童謡詩人。童謡『ないしょ話』(山口保治作曲)の作詞者であるが、童謡が広く知られているのに対し、作詞者の知名度は高くない。 生涯で5000曲を超える童謡を作詞し、そのうち30数曲がレコード化されている。 本名は結城 芳夫(ゆうき よしお)。 歌人・結城健三と妻・えつの長男として山形県東置賜郡宮内町(現在の南陽市)で生まれる。父の仕事の都合で鶴岡町(現在の鶴岡市)、酒田町(現在の酒田市)へ移り、1930年より山形市内に移り住む。1934年に山形市立第四尋常高等小学校(現在の山形市立第四小学校)高等科を卒業すると「好きな本が読める」という理由から山形市内の八文字屋書店で住み込みの店員となる。
若緑(わかみどり、1917年4月15日 - 1977年)は、… 若緑(わかみどり、1917年4月15日 - 1977年)は、日本の昭和初期に活躍した女相撲の力士。興行女相撲の最高位である大関を務めた。 大正6年(1917年)、山形県東置賜郡宮内町(山形県南陽市)で生まれた。本名は遠藤志げの。 昭和9年(1934年)、志げのが17歳のとき、石山兵四郎を荷主とする石山興行の女相撲の興行が菊祭りにあわせて宮内町に来た。志げのの実家は遠藤商店という食品や雑貨を扱う店を営んでおり、志げのが軽々と石山興行へ米俵を配達しているのを女力士が見てその力に驚いた。その後、玉椿と若桜の取り組みを見たことで感銘を受け、志げの自身も石山興行に入り、しこ名を若緑とした。 入門から3年で大関となり、東の大関玉椿と並び、西の大関として人気を誇った。
宇留木 康二(、1917年3月1日 - 没年不詳)は、日本の… 宇留木 康二(、1917年3月1日 - 没年不詳)は、日本の元俳優。別名は宇留木 耕嗣(読み同じ)、宇留多耕司、宇留木康三など。姓は「宇畄木」と略字体で表記される場合もある。山形県出身。 東宝の俳優で同じ山形県出身の中島春雄によれば、宇留木は赤湯温泉にある旅館の息子であった。戦時中は陸軍に所属して満州へ出征しており、復員後に東宝の専属俳優となる。 クレジットされる作品は少ないが、特撮映画を始め、ジャンルを問わず数多くの作品に出演した。1965年頃には芸名を宇留木 康二(読み同じ)に改名している。 1971年に東宝専属俳優の一斉解雇が行われた後は主にテレビに活動の場を移し、1970年代末まで俳優業を続けた。
川合 辰雄(かわい たつお、1916年12月7日 - 201… 川合 辰雄(かわい たつお、1916年12月7日 - 2019年3月3日)は、日本の経営者。 山形県南陽市出身。1940年に早稲田大学理工学部電気工学科を卒業し、同年に九州水力電気に入社。 1942年4月に九州配電(のちの九州電力)に転じ、1971年5月に取締役に就任し、常務、副社長を経て、1983年6月に社長に就任した。1987年6月に会長に就任し、1997年7月から相談役を務めた。 1981年4月に藍綬褒章を受章し、1991年11月に勲一等瑞宝章を受章。 2019年3月3日誤嚥性肺炎のために死去。102歳没。
小田 仁二郎(おだ じんじろう、1910年12月8日 - 1… 小田 仁二郎(おだ じんじろう、1910年12月8日 - 1979年5月21日)は、日本の小説家。 山形県南陽市生まれ。旧制長井中学在学時に大竹俊雄らと同人雑誌『火花』を創刊。早稲田文学仏文科に進み、在学中は野田誠三らと「ヴァリエテ」を刊行、中原中也や山沢民喜等の同人「紀元」に参加。卒業後は都新聞に勤め、文化部文芸欄を担当するが、1941年退社。戦後になって丹羽文雄の『文学者』に参加。1948年に真善美社の「アプレゲール叢書」の一冊として刊行された「触手」で文壇の一部からは評価されたが、その難解さから商業誌には迎えられなかった。1952年「昆虫系」で芥川賞候補、53年「からかさ神」で芥川賞候補、54年「塔の沢」で直木賞候補。
須藤 憲三(すとう けんぞう、明治5年1月10日(1872年… 須藤 憲三(すとう けんぞう、明治5年1月10日(1872年2月18日) - 昭和9年(1934年)1月7日)は、日本の医師、医学者、医学博士、旧制金沢医科大学(現:金沢大学医学部)学長、生化学者。幼名は健蔵、後に上京してから憲三と名乗る。日本における糖尿病研究の先駆者であり、尿糖の定量法を確立した。金沢医科大学病院に国内の病院としては初めて栄養部を設立し、1923年に栄養部長に大橋タカ子を登用している。日本の脚気史に於いては、臨時脚気病調査会委員を務めたことで知られる。 「栄養」の提唱者でもある。「森鷗外、尾崎行雄などの支持を得て「栄養」に改めた」との説もある。 羽前国置賜郡赤湯村(現山形県南陽市の赤湯温泉)の町人宿「あぶらや」の主人富右ヱ門(一真)と母いわの長男として生を受ける。
多勢 亀五郎(たせ かめごろう、1849年8月31日(嘉永2… 多勢 亀五郎(たせ かめごろう、1849年8月31日(嘉永2年7月14日)- 1919年(大正8年)6月9日)は、明治から大正前期の実業家、政治家。貴族院多額納税者議員。蚕糸業功労者。山形県における機械製糸業の先駆者であり、世界的人気を博した生糸ブランド「羽前エキストラ」の生みの親として知られる。 出羽国置賜郡漆山村(山形県東置賜郡漆山村、宮内町を経て現・南陽市漆山)で、資産家である3代目・多勢長兵衛の三男として生まれる。1858年(安政5年)2月に分家した。 明治維新後、日本の主要輸出品であった生糸の品質向上のため、兄の4代目・多勢長兵衛とともに先進技術の導入に奔走する。1872年(明治5年)に設立された官営の富岡製糸場を視察して機械製糸の技術を習得し、1873年(明治6年)には漆山に初の機械製糸工場を建設した。