小澤京子(おざわ きょうこ、1976年8月7日 - )は、日… 小澤京子(おざわ きょうこ、1976年8月7日 - )は、日本の美術史家。専門は都市・建築論、イメージ分析、新古典主義など。 群馬県前橋市出身。群馬県立前橋女子高等学校、東京大学法学部第2類(公法コース)卒業。東大法学部第2類在学中は政治過程論を専門とする蒲島郁夫のゼミに所属。1999年 第一勧業銀行銀座支店勤務(〜2001年7月31日)。2004年 東京大学大学院総合文化研究科超域文化科学専攻表象文化論コース修士課程修了。2008年10月 ブルゴーニュ大学現代人間科学修士課程修了。2011年 東京大学大学院総合文化研究科超域文化科学専攻表象文化論コース博士課程修了。2021年4月 和洋女子大学人文学部日本文学文化学科文化芸術専攻教授。
関 良徳(せき よしのり、1971年 - )は、日本の法学者… 関 良徳(せき よしのり、1971年 - )は、日本の法学者。専門は法哲学。信州大学学術研究院教授。日本法哲学会事務局長。 群馬県前橋市出身。群馬県立前橋高等学校を経て、1994年一橋大学法学部卒業。1999年同大大学院法学研究科を修了し、論文「ミシェル・フーコーの権カ論と法の問題」により博士(法学)取得。審査員は森村進、佐々木滋子、青木人志。 一橋大学大学院法学研究科助手、日本学術振興会特別研究員を経て、2002年岩手大学教育学部専任講師。2003年信州大学教育学部専任講師。2007年同准教授。2011年日本法哲学会理事。2012年共通教育グッドプラクティス最優秀賞受賞。2017年信州大学学術研究院教授。
干川 剛史(ほしかわ つよし、1961年4月2日 - )は、… 干川 剛史(ほしかわ つよし、1961年4月2日 - )は、日本の社会学者、大妻女子大学教授。 もともと、公共圏やデジタル・ネットワーキングの議論に関心を寄せていた。阪神・淡路大震災を契機として、情報通信技術(ICT)の被災地支援への活用に取り組むようになり、災害時にネットワーク環境が保持されることを目指すシステムの提案や、被災地への支援者の呼び込みを目的とするポータルサイトの構築などを提案するなどの取り組みをしている。 1961年、群馬県前橋市生まれ。1980年、群馬県立前橋高等学校卒業。1984年、群馬大学教育学部社会科学学科Ⅱ類卒業。1987年、慶應義塾大学大学院社会学研究科社会学専攻修士課程修了(社会学修士)。
池田 潤(いけだ じゅん、1961年 - )は、ヘブライ語学… 池田 潤(いけだ じゅん、1961年 - )は、ヘブライ語学者、筑波大学理事・副学長・教授。専門は、聖書ヘブライ語・アッカド語を中心とするセム語学。 群馬県前橋市生まれ。1983年筑波大学第一学群人文学類卒業。1986年同大学院文芸・言語研究科修士課程修了、1995年テルアビブ大学大学院文化科学研究科Ph.D.。1996年関西外国語大学外国語学部助教授、2000年筑波大学文芸・言語学系講師、2003年助教授、2007年准教授、2009年教授。2013年筑波大学学長補佐室長。2018年 筑波大学大学執行役員(筑波会議担当)。2021年筑波大学副学長(企画評価・広報担当)、附属図書館長。2023年国立大学法人筑波大学理事・副学長(国際担当)。
小池 寿子(こいけ ひさこ、1956年5月4日 - )は、日… 小池 寿子(こいけ ひさこ、1956年5月4日 - )は、日本の美術史家。学位は文学修士。國學院大學文学部名誉教授。専門は15世紀北方フランドル美術・中世美術などの西洋美術史。 群馬県前橋市出身。美術作品から死生観を読み解く研究をしている。死の舞踏の研究者として知られる[誰によって?]一方、近年は運命観・身体観を探る研究も展開している。 この項目は、学者に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(PJ:人物伝/P:教育)。
篠崎 和子(しのざき かずこ、1954年5月26日 - ) … 篠崎 和子(しのざき かずこ、1954年5月26日 - ) は、日本の植物学者。植物分子生理学専攻。東京大学名誉教授。みどりの学術賞等受賞。夫は篠崎一雄。 群馬県前橋市生まれ。1973年群馬県立前橋女子高等学校卒業。1977年日本女子大学家政学部家政理学科(生物農芸学専攻)卒業。1979年東京工業大学(のちの東京科学大学)大学院総合理工学研究科修士課程修了。1982年同生命化学専攻博士課程修了、理学博士、日本学術振興会奨励研究員(国立遺伝学研究所)。1984年名古屋大学遺伝子実験施設特別研究員。1987年ロックフェラー大学博士研究員。1989年理化学研究所基礎科学特別研究員。1993年農林水産省国際農林水産業研究センター生物資源部主任研究官。
小川 正行(おがわ まさゆき、1951年4月7日 - 201… 小川 正行(おがわ まさゆき、1951年4月7日 - 2017年4月22日)は、日本の教育学者、公衆衛生学者。群馬大学教育学部教授。専門は公衆衛生学、健康教育学、保健統計学。位階は従四位。 趣味で始めた柔道では講道館七段を持ち、大学でも柔道実習の講師、またスキー実習の講師を務めて一級の運動指導者として名を馳せていた。平成2年に腹部手術により容姿が変貌したが、晩年まで柔道指導を行い、群馬大学柔道部顧問も務めた。長男は教育者のおがわしんたろう。
池島 政広(いけじま まさひろ、1948年〈昭和23年〉3月… 池島 政広(いけじま まさひろ、1948年〈昭和23年〉3月17日 - )は、群馬県前橋市出身の日本の商学者。亜細亜大学名誉教授。現環太平洋大学教授。 1966年4月:慶應義塾大学商学部入学。 1970年3月:慶應義塾大学 商学部卒業。 1970年4月:慶應義塾大学大学院商学研究科経営学専攻修士課程入学。 1972年3月:慶應義塾大学大学院商学研究科経営学専攻修士課程修了。 1972年4月:慶應義塾大学大学院商学研究科経営学専攻博士課程入学。 1975年3月 :慶應義塾大学大学院商学研究科経営学専攻博士課程単位取得。 1998年11月:慶應義塾大学博士号(商学)取得。 1973年9月:亜細亜大学経営学部に助手として着任(1976年3月まで)。
谷 喬夫(たに たかお、1947年12月 - )は、日本の政… 谷 喬夫(たに たかお、1947年12月 - )は、日本の政治学者。新潟大学名誉教授。専攻は、政治哲学・西洋政治思想史。 群馬県前橋市生まれ。1966年群馬県立前橋工業高等学校機械科卒業。1971年中央大学法学部政治学科卒業、1974年東北大学大学院法学研究科修士課程修了、1979年中央大学大学院法学研究科博士課程満期退学。 その後、中央大学法学部通信教育課程インストラクター、埼玉大学教養部・早稲田大学教育学部の兼任講師を経て、1983年日本福祉大学社会福祉学部専任講師(福祉政治論担当)。1989年同社会福祉学部助教授。同社会科学研究所長。1992年新潟大学法学部教授(西洋政治思想史など担当)。
清水 和夫(しみず かずお、1946年8月 - )は、日本の… 清水 和夫(しみず かずお、1946年8月 - )は、日本の教育学者である。 群馬県前橋市出身。群馬県教育委員会特別表彰。 現在群馬大学大学院教育学研究科 (教職リーダーコース) 教授。専門は教育学、学校経営学。 1946年8月 群馬県前橋市で出生。幼少時代の将来の夢は『大工さん』。1965年8月 群馬県立前橋高等学校普通科卒業。1970年3月 群馬大学教育学部社会科教育専修卒業(考古学専攻)。 1970年4月 - 1973年3月 前橋市立下川淵小学校教諭。1973年4月 - 1976年3月 群馬県教育委員会文化財保護課文化財保護主事。1976年4月 - 1981年3月 前橋市立朝倉小学校教諭。
松本 健一(まつもと けんいち、1946年1月22日 - 2… 松本 健一(まつもと けんいち、1946年1月22日 - 2014年11月27日)は、日本の評論家、思想家、作家、歴史家、思想史家。麗澤大学経済学部教授。 中国日本語研修センター教授、麗澤大学経済学部教授、麗澤大学比較文明文化研究センター所長、一般財団法人アジア総合研究機構評議員議長、東日本国際大学客員教授、内閣官房参与(東アジア外交問題担当)などを歴任した。 群馬県前橋市生まれ。埼玉県立熊谷高等学校を経て、1968年に東京大学経済学部を卒業。東大の同期生には川本三郎、仙谷由人、谷垣禎一、荒井正吾、溝口善兵衛、平沢勝栄がいた。旭硝子に入社するが、1969年に退職。1971年、法政大学大学院修士課程日本文学科修了。
吉田 賢右(よしだ まさすけ、1944年〈昭和19年〉2月 … 吉田 賢右(よしだ まさすけ、1944年〈昭和19年〉2月 - )は、日本の生物学者(分子生物学・生化学)。理学博士(東京大学・1972年)。東京工業大学名誉教授、京都産業大学シニアリサーチフェロー。 自治医科大学医学部講師、東京工業大学理学部教授、東京工業大学生命理工学部教授、東京工業大学資源化学研究所教授、東京工業大学資源化学研究所所長(第14代)、京都産業大学工学部教授、京都産業大学総合生命科学部教授、京都産業大学構造生物学研究センターセンター長などを歴任した。 群馬県前橋市出身の分子生物学者、生化学者である。ATP合成酵素を構成するサブユニットの単離精製と再構成に成功するとともに、世界で初めてサブユニットの構成比を明らかにするなど、ATP合成酵素の研究の先駆けとして知られている。
茂木 俊彦(もぎ としひこ、1942年〈昭和17年〉10月1… 茂木 俊彦(もぎ としひこ、1942年〈昭和17年〉10月13日 - 2015年〈平成27年〉9月25日)は、日本の教育心理学者。障害児教育が専門。東京都立大学第11代総長。東京都立大学名誉教授。 群馬県前橋市出身。東京大学大学院教育学研究科博士課程退学後、東京大学教育学部助手、広島大学教育学部助教授、立正大学文学部助教授、東京都立大学人文学部教授などを歴任。東京都の大学改革による首都大学東京の発足に伴い、東京都立大学総長職が廃止となったため、2005年3月に退任。最後の東京都立大学総長となった。
矢部 喜正(やべ よしまさ、1940年(昭和15年)4月1日… 矢部 喜正(やべ よしまさ、1940年(昭和15年)4月1日 - 2005年(平成17年)12月)は、日本の医学者(循環器病学)、東邦大学元教授。医学博士。 群馬県前橋市生まれ。群馬県立前橋高等学校、東京慈恵会医科大学医学部卒業。1973年に東邦大学より「冠動脈結紮犬における冠動脈間吻合の発達に関する研究」で医学博士の学位を取得。東邦大学医学部附属大森病院循環器センター長などを歴任。今では一般的となった心筋梗塞の治療に、バルーンによる血管拡張治療を始めた先駆者的存在であった。
高木 仁三郎(たかぎ じんざぶろう、1938年7月18日 -… 高木 仁三郎(たかぎ じんざぶろう、1938年7月18日 - 2000年10月8日)は、日本の物理学者。専門は核化学。理学博士(東京大学)。 群馬県前橋市出身。群馬県立前橋高等学校、東京大学理学部化学科卒業。 父は開業医。幼少時の仇名は「ジンザ」でエスペラントに関心を持っていた。 宮沢賢治文学を愛好した。群馬大学学芸学部附属小・中学校時代の同級生には、日本銀行で要職を務めたあとOECD経済総局長、ついでOECD副事務総長に栄進した重原久美春、SF作家の豊田有恒、がいる。 『高木仁三郎著作集』(全12巻)など多数の著書を七つ森書館より刊行。同社の中里英章社長(当時)は高木に師事した。 政府の原子力政策について自由な見地からの分析・提言を行う為、原子力業界から独立したシンクタンク・原子力資料情報室を設立して代表を務めた。
田村 紀雄(たむら のりお、1934年〈昭和9年〉9月11日… 田村 紀雄(たむら のりお、1934年〈昭和9年〉9月11日 - )は、日本の社会学者、ノンフィクション作家、東京経済大学名誉教授。 1934年群馬県前橋市曲輪町(現・大手町)に生まれる。栃木県立栃木高等学校を経て群馬県立太田高等学校卒業後、編集プロダクションでライターの仕事をし、蔵内数太、鶴見俊輔ら多くの社会学者と知り合い、権田保之助の仕事に学ぶ。1961年法政大学社会学部卒。1965年、日高六郎の招きで東京大学新聞研究所助手となり、その後桃山学院大学助教授を経て、1974年東京経済大学経営学部助教授、83年教授。1995年東京経済大学コミュニケーション学部創設と同時に、同学部学部長に就任。 2004年「エスニック・ジャーナリズム 日系カナダ人、その言論の勝利」で武蔵大学社会学博士(主査・白水繁彦)。
佐藤 俊夫(さとう としお、1934年〈昭和9年〉3月7日 … 佐藤 俊夫(さとう としお、1934年〈昭和9年〉3月7日 - 2019年〈令和元年〉5月18日)は、日本の会計学者、経済学者。元国士舘大学学長。会計学専攻。 群馬県前橋市出身。1957年3月、中央大学商学部卒業。1959年3月、青山学院大学大学院修了。 1964年4月より国士舘大学政経学部専任講師となり、1966年から助教授を経て、1973年より教授。1985年8月、政経学部長に就任。1991年12月より国士舘大学の学長に就任。国士舘短期大学学長を経て学校法人国士舘顧問を務めた。 2019年5月18日、心不全のため東京都内の自宅で死去。85歳没。 この項目は、学者に関連した書きかけの項目です。
森島 賢(もりしま まさる、1934年〈昭和9年〉1月21日… 森島 賢(もりしま まさる、1934年〈昭和9年〉1月21日 - )は、日本の農業経済学者、立正大学名誉教授。農学博士。 群馬県前橋市生まれ。1952年群馬県立前橋高等学校卒業、1957年東京大学工学部土木工学科卒業。1963年同大学院農業経済学専攻修了、「農業における用水生産力の計測的研究」で農学博士。1964年農林省農業技術研究所入所。1978年北海道大学農学部助教授。1981年東京大学農学部助教授、84年教授。94年定年退官、立正大学経済学部教授。2004年定年退職、名誉教授。2003年社団法人農協協会理事。各種委員、農林水産統計観測審議会委員。千葉県農政審議会委員。
富山 和子(とみやま かずこ、1933年〈昭和8年〉10月5… 富山 和子(とみやま かずこ、1933年〈昭和8年〉10月5日 - )は、日本の環境問題評論家、立正大学名誉教授。 群馬県前橋市出身。群馬県立前橋女子高等学校卒業後、1957年に早稲田大学第一文学部仏文科を卒業。講談社に入社し、『幼年クラブ』や『日本』の編集を担当する。1967年に退社。 立正大学短期大学部教授を経て、立正大学社会福祉学部教授。2004年に定年退任し、名誉教授。日本福祉大学教授。 国土利用における農業や林業の重要性を主張している。 富山は「水と緑と土は同義語」という標語に自身の思想を象徴させている。すなわち、森林が水を御し、植物すなわち食物を育む土壌をつくる。この三者は互いに密接に関係しあっており個々に取り出して議論することはできない。
霜田 一敏(しもだ かずとし、1931年5月26日 - 20… 霜田 一敏(しもだ かずとし、1931年5月26日 - 2021年10月31日)は、日本の教育学者、愛知教育大学名誉教授。 群馬県前橋市生まれ。1955年名古屋大学教育学部卒、1966年同大学院博士課程満期退学、帝塚山小学校教諭、福岡教育大学助教授、愛知教育大学教授。愛知教育大学附属岡崎小学校校長、1995年定年退官、名誉教授、愛知淑徳大学言語文化研究所教授。 2021年10月31日、肺がんのため、愛知県岡崎市内の病院で死去。90歳没。死没日をもって正四位に叙され、瑞宝中綬章を追贈された。
鈴木 直義(すずき なおよし、1931年5月23日 - 20… 鈴木 直義(すずき なおよし、1931年5月23日 - 2009年2月11日)は、日本の獣医学者。専門は、獣医生理学・原虫病免疫学。元帯広畜産大学学長。 群馬県前橋市出身。1955年(昭和30年)帯広畜産大学畜産学部獣医学科卒業。1965年(昭和40年)西ドイツ・ボン大学医学部寄生虫原生虫病研究所に留学。1965年(昭和40年)東京大学大学院農学系研究科博士課程修了、農学博士。学位論文は「Clinical studies on serum ionic calcium in domestic animals(家畜血清透析性カルシウムに関する臨床学的研究)」。1966年(昭和41年)帯広畜産大学畜産学部講師。
木村 俊房(きむら としふさ、1929年〈昭和4年〉3月13… 木村 俊房(きむら としふさ、1929年〈昭和4年〉3月13日 - 1997年〈平成9年〉1月5日)は、日本の数学者(理学博士)。東京大学教授、日本数学会理事長。 群馬県前橋市出身。父の転勤により浦和へ引っ越し、旧制浦和高等学校を経て、東京大学理学部数学科を卒業。 立教大学助教授を勤めたのち、東京大学理学部数学科教授。1977年(昭和52年)から2年間、日本数学会理事長を務めた。 複素微分方程式の研究で知られる。 常微分方程式、数値解析、確率論など様々な分野の著書がある。 木村俊房 - KAKEN 科学研究費助成事業データベース この項目は、科学者に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(プロジェクト:人物伝/Portal:自然科学)。
田所 作太郎(たどころ さくたろう、1927年〈昭和2年〉1… 田所 作太郎(たどころ さくたろう、1927年〈昭和2年〉1月7日 - 2011年〈平成23年〉9月25日)は、日本の医学者・薬理学者。医学博士。群馬大学名誉教授。 群馬県前橋市生まれ。旧制前橋中学校を経て、1949年(昭和24年)前橋医学専門学校卒業。1955年(昭和30年)東京慈恵会医科大学医学博士。1959年(昭和34年)群馬大学医学部助教授。1965年(昭和40年)よりアメリカ・ミシガン大学へ留学。1972年(昭和47年)群馬大学医学部教授。1978年(昭和53年)日本アルコール医学会会長。1983年(昭和58年)群馬大学医学部付属動物実験施設長。1991年(平成2年)定年退官、名誉教授、群馬県立医療短期大学学長。
今井 清一(いまい せいいち、 1924年〈大正13年〉2月… 今井 清一(いまい せいいち、 1924年〈大正13年〉2月7日 - 2020年〈令和2年〉3月9日)は、日本の歴史学者・政治学者。横浜市立大学名誉教授。専門は日本近現代史・政治史。 1924年、群馬県前橋市小柳町(現・住吉町)に生まれる。群馬県立前橋中学校(現・群馬県立前橋高等学校)、第一高等学校を経て、1942年東京帝国大学法学部政治学科に入学し、1945年9月卒業。編集人を経て1947年、東京帝国大学大学院に進学。丸山眞男に師事した。 卒業後は1952年より横浜市立大学専任講師となり、1955年より同校助教授。1965年同校教授に就任、1977年文理学部長。1991年より湘南国際女子短期大学教授を務めた。
大塚 仁(おおつか ひとし、1923年〈大正12年〉7月21… 大塚 仁(おおつか ひとし、1923年〈大正12年〉7月21日 - 2020年〈令和2年〉12月23日)は、日本の法学者。専攻は刑法。学位は、法学博士(東京大学・論文博士・1962年)(学位論文「間接正犯の研究」)。名古屋大学名誉教授。 群馬県勢多郡桂萱村(現・前橋市)生まれ。 福田平と共に団藤重光の指導を受ける(指導教授であった小野清一郎が公職追放となったための措置であり、もとは団藤の弟子でなかった)。同い年の福田平とはその後も深い親交を保った。また、福田とともに長く司法試験委員を務め、その著書は司法試験の基本書とされた。妻は弁護士で朝日大名誉教授の大塚錥子で、民法・環境法学者の大塚直(早稲田大学教授)は息子。
大崎 映晋(おおさき えいしん、1920年〈大正9年〉6月2… 大崎 映晋(おおさき えいしん、1920年〈大正9年〉6月21日- 2015年〈平成27年〉)は日本の水中写真家・水中考古学者・海女文化研究家。中央大学経済学部卒業、東京藝術大学油絵画科中退。1938年(昭和13年)、トレジャー・ダイバーの第一人者片岡弓八に師事し、海軍水路部勤務などを経て、戦後は名取洋之助の門下に入り、水中写真家として国内外の映画の水中撮影を数多く手掛ける。1960年から1961年(昭和35年-36年)、サンタモニカ国際写真コンクールにてアカデミー賞受賞。1970年(昭和45年)、ジャック・マイヨールが伊豆半島でフリー・ダイビングの世界新記録を出した時に彼をサポートし、以後、ジャックと交遊を続ける。
大島 正光(おおしま まさみつ、1915年〈大正4年〉1月7… 大島 正光(おおしま まさみつ、1915年〈大正4年〉1月7日 - 2010年〈平成10年〉5月1日)は、日本の医学者、海軍軍医、航空自衛官。東京大学名誉教授。初代航空医学実験隊隊長。医用電子工学、人間工学、宇宙医学、航空医学などを研究。群馬県出身。 ノーベル化学賞受賞者の野依良治と土佐藩山内家第19代当主の山内豊功は娘婿。 群馬県前橋市出身。旧制太田中学校を四年修了し、旧制第一高等学校に入学。 1938年(昭和13年)に東京帝国大学医学部を卒業後、海軍軍医となる。 戦後は労働科学研究所(現・大原記念労働科学研究所)を経て、1958年(昭和33年)11月、航空医学実験隊長。1951年(昭和26年)に「精神疲労に関する研究」によって医学博士号を取得。
金子 尚一(かねこ ひさかず、1900年〈明治33年〉12月… 金子 尚一(かねこ ひさかず、1900年〈明治33年〉12月12日 - 1997年〈平成9年〉)は、日本の英米文学者、教育者、立教大学名誉教授、立教大学文学部教授・予科教授・学生部長。立教大学オーケストラ部長を務めたほか、立教大学英語会(ESS)の支援も行うなど、学生らの活動にも深く携わった。 群馬県前橋市出身。1919年旧制前橋中学校卒。 1925年に立教大学文学部英文学科を卒業し、ただちに立教大学文学部助教授に就任。同年よりアメリカに留学してケニオン大学で文学修士(MA)を取得する。 1929年に立教大学予科教授に就任し、その後文学部教授も兼任し、予科では英作文と英訳を、文学部では英文学を講じた。
高畠 素之(たかばたけ もとゆき、1886年1月4日 - 1… 高畠 素之(たかばたけ もとゆき、1886年1月4日 - 1928年12月23日)は、日本の社会思想家、哲学者。資本論の全訳を行い、国家社会主義を唱えた。 旧前橋藩士の子。クリスチャンとなり同志社神学校に入るも、途中キリスト教を捨て中退。高崎市で社会主義雑誌『東北評論』を発刊、1908年新聞紙条例により禁固2ヶ月の刑を受け入獄、獄中で英訳のカール・マルクス『資本論』(1867年出版)に出合う。 1911年、売文社に入り社会主義活動に身を挺す。1915年、堺利彦・山川均らと『新社会』を発行することで、マルクス主義を紹介した。特に1917年からカール・カウツキーの『資本論解説』(原題『カール・マルクスの経済学説』、1887年出版)を翻訳したことは、彼のマルクス研究者としての地位を確固のものとした。
斎藤 玉男(さいとう たまお、1880年〈明治13年〉4月1… 斎藤 玉男(さいとう たまお、1880年〈明治13年〉4月14日 - 1972年〈昭和47年〉10月13日)は日本の医師、精神医学者。高村智恵子の晩年の主治医であった。 1880年(明治13年)、群馬県南勢多郡苗ヶ島村(勢多郡宮城村を経て現・前橋市苗ヶ島町)に生まれる。祖父は幕末から明治時代にかけて活躍した国学者・医師であった斎藤多須久(たすく)。群馬県中学校(現・群馬県立前橋高等学校)、旧制第二高等学校を経て、1906年(明治39年)東京帝国大学医科大学を卒業した。その後、ドイツやアメリカに留学。 東京府巣鴨病院医員として勤務。巣鴨病院の後輩には斎藤茂吉がおり親交を結んだ。1916年(大正5年)日本医学専門学校教授に就任し、1944年(昭和19年)まで務める。
小屋 道治(こや みちはる、1879年〈明治12年〉 - 1… 小屋 道治(こや みちはる、1879年〈明治12年〉 - 1921年〈大正10年〉6月27日)は、日本の工学者。秋田鉱山専門学校(現・秋田大学)教授。 小屋右兵衛の長男として1879年(明治12年)に群馬県勢多郡笂井村(現在の前橋市笂井町)に生まれる。父小屋右兵衛は南勢多郡木瀬村の村長(1896年から1904年まで)を務めた人物であり、美学者大塚保治(旧姓・小屋)の兄である。 現在の前橋市立笂井小学校、群馬県立前橋高等学校を卒業後、第二高等学校を経て、東京帝国大学工科大学応用化学科を卒業する。卒業後は東京砲兵工廠火薬製造技術にて研究に従事する。 中国広東省の高等工業学堂の教授を経て、1912年(明治45年)より秋田鉱山専門学校にて、講師、教授を務める。
遠藤 隆吉(えんどう りゅうきち、1874年〈明治7年〉10… 遠藤 隆吉(えんどう りゅうきち、1874年〈明治7年〉10月2日 - 1946年〈昭和21年〉2月5日)は、日本の思想家、社会学者、教育者。私立巣鴨学園の創設者である。 1874年(明治7年)前橋藩の下級士族・遠藤千次郎、はる夫妻の長男として現在の群馬県前橋市神明町で生まれた。父・千次郎は福澤諭吉の思想に共鳴していた。隆吉は桃井学校に学び、1892年(明治25年)群馬県尋常中学校(現・群馬県立前橋高等学校)を卒業した。第一高等学校に進学し、1896年(明治29年)に卒業。東京帝国大学文科大学哲学科に進んで、1899年(明治32年)に卒業。同校学長の井上哲次郎、心理学教授・元良勇次郎、外国人教師・ケーベルから強く影響を受けた。
大藤 鋳三郎(だいとう ちゅうさぶろう、1874年8月 - … 大藤 鋳三郎(だいとう ちゅうさぶろう、1874年8月 - 1961年4月7日)は、日本の聖職者、神学者、教育者。日本聖公会司祭、立教女学院第7代理事長、聖路加国際病院理事、学校法人聖路加看護学園(現・聖路加国際大学)理事。 1895年(明治28年)6月25日、立教学校(立教大学の前身校の一つ)を卒業。この時の卒業式は第3回生卒業式と、第4回生卒業式が併せて行われ、第3回生の卒業生には、木村重治、須藤吉之祐らがおり、同期である第4回生の卒業生には、大藤鋳三郎のほか、濱口梧洞(10代目濱口儀兵衛、ヤマサ醤油社長)、古河倍造、岩佐松太郎(島根出身)、曾根精(福井出身)、中村正路(熊本出身)、白井兵治(福井出身)、菅沼四郎(奈良出身)、鈴木一(千葉出身)らがいた。
大塚 保治(おおつか やすじ、明治元年12月20日〈1869… 大塚 保治(おおつか やすじ、明治元年12月20日〈1869年2月1日〉 - 1931年〈昭和6年〉3月2日)は、日本の美学者、東京帝国大学教授(文学博士)。日本における学術的な美学の創設者とされる。夏目漱石との交友でも知られる。旧姓・小屋。 明治元年(1869年)上野国勢多郡木瀬村大字笂井(現・群馬県前橋市笂井町)に、小屋宇平治(卯平治/宇兵衛)の次男として生まれる。兄・右兵衛は木瀬村長を務めた。笂井小学校を経て、1884年(明治17年)旧制前橋中学校(現・群馬県立前橋高等学校)を卒業。旧制第一高等学校を経て、1891年(明治24年)に帝国大学文科大学(現・東京大学文学部)哲学科を卒業。大学院で美学を専攻する。
矢部 規矩治(やべ きくじ、明治元年9月20日〈1868年1… 矢部 規矩治(やべ きくじ、明治元年9月20日〈1868年11月4日〉 - 1936年〈昭和11年〉10月2日)は、日本の農学者(醸造学)、大蔵技師。清酒酵母の発見者であり、醸造試験所(酒類総合研究所の前身)の設立に関わるなど、日本の酒造業の発展に貢献した。また、科学的に納豆を研究した先駆者としても知られている。 位階・勲等は正三位勲二等。学位は農学博士。 前橋藩士の長男として、上野国勢多郡一毛村(現在の群馬県前橋市城東町)で生まれた。 群馬県中学校(現在の群馬県立前橋高等学校)卒業後、1886年(明治19年)に第一高等学校に進学。東京帝国大学農科大学(現在の東京大学農学部)に進み、農芸化学を専攻した。