亜湖(あこ、1958年〈昭和33年〉4月12日 - )は日本… 亜湖(あこ、1958年〈昭和33年〉4月12日 - )は日本の女優。本名は大野 亜子(旧姓、中村)。旧芸名に中村 亜子、中村 亜湖。特技はバレエ。富士企画所属。 東京都渋谷区出身。青葉学園高等学校卒業。 中学生の時に劇団若草に入団。寺山修司に見出され、高校3年生の時から『演劇実験室天井桟敷』の公演に出演するようになる。 主演した映画『星空のマリオネット』で大胆でみずみずしい肢体を披露し、確かな演技力が評価され、山口百恵と共演したテレビドラマ『人はそれをスキャンダルという』で演じたヒロインの異母妹という難役を演じ、世間的な認知度を獲得した。 以後、テレビドラマや映画、舞台に多数出演するようになった。
坪田 直子(つぼた なおこ、1956年〈昭和31年〉1月22… 坪田 直子(つぼた なおこ、1956年〈昭和31年〉1月22日 - )は、日本の女優。東京都渋谷区出身。元劇団東京キッドブラザース。 立教女学院高等学校を経て、武蔵野音楽大学中退。東京キッドブラザースの舞台「十月は黄昏の国」のヒロイン募集の広告を見たのがきっかけで、1975年3月に東京キッドブラザースに入団し、東由多加や柴田恭兵らとともに活躍する。1975年6月、舞台「十月は黄昏の国」でデビュー。 1984年、脳梗塞のため休業、その後大澤事務所所属の声優としてテレビやラジオのCM、ドキュメンタリーのナレーション等多数。McDonald、1984年ロサンゼルスオリンピックから、リクルート、Maxell、午後の紅茶、花王のバブ、キユーピーマヨネーズ、東急グループ、ヱビスビール、キリンビバレッジ、ケンタッキークリスマスバーレル、Kubota、ロッテ等のCMナレーションを担当。
仲根 正広(なかね まさひろ、1954年9月24日 - 19… 仲根 正広(なかね まさひろ、1954年9月24日 - 1995年8月15日)は、東京都渋谷区出身の元プロ野球選手(投手、外野手)・解説者。一時期登録名を「仲根 政裕」(読みは同じ)としていた。
松尾 雄治(まつお ゆうじ、1954年1月20日 - )は、… 松尾 雄治(まつお ゆうじ、1954年1月20日 - )は、東京都出身の元ラグビーユニオン選手、スポーツキャスターである。立教大学ラグビー部OBの父親の影響もあり、成城学園中学校高等学校から、ラグビー強豪の私立目黒高校に転校。元祖ミスター・ラグビー。実弟である雄吾(元・三菱自動車工業京都)、雄太(元・栗田工業)、雄介(元・新日本製鐵釜石)も元ラグビー選手である。現在も東京都在住。 東京都渋谷区恵比寿生まれ、世田谷区成城育ち。目黒高校から明治大学、新日本製鐵釜石ラグビー部(現・日本製鉄釜石シーウェイブス)で活躍した。 高校時代は全国高校ラグビーで1年次の第49回大会は優勝、2年次の第50回大会は優勝を果たした盛岡工業にベスト8で抽選で敗れ、3年次の第51回大会は決勝まで進んだが、自軍インゴールに相手(天理高校)が蹴り込んだボールをタッチダウンせず、蹴り出そうとしたが空振り、直後に相手選手がそのボールを押さえ、決勝トライを奪われ準優勝で終わった。
渡辺 香津美(わたなべ かづみ、1953年<昭和28年>10… 渡辺 香津美(わたなべ かづみ、1953年<昭和28年>10月14日 - )は、東京都渋谷区出身のジャズギタリスト。現在、洗足学園音楽大学の特別講師も務める。ギタリストの中牟礼貞則は師匠にあたる。高校の同級生に山本達彦、先輩にモト冬樹やグッチ裕三がいる。妻はピアニスト・作曲家の谷川公子。 東京都渋谷区・宮益坂下交差点のたばこ屋に生まれる。山手幼稚園、暁星小学校、暁星中学校・高等学校出身。 音楽との出会いは小学2年生から始めたピアノ・オルガンの稽古。父がチャップリンの映画音楽やルイ・アームストロング、ラテン音楽などが好きだったことも影響している。「中学2年でベンチャーズに興味を持ち、初めてギターを手にした。
中川 昭一(なかがわ しょういち、1953年(昭和28年)7… 中川 昭一(なかがわ しょういち、1953年(昭和28年)7月19日 ‐ 2009年(平成21年)10月3日)は、日本の政治家。自由民主党衆議院議員。位階勲章は正三位旭日大綬章。称号(学位)は法学士(東京大学)。
吉松 隆(よしまつ たかし、1953年3月18日 - )は、… 吉松 隆(よしまつ たかし、1953年3月18日 - )は、日本の作曲家。東京都渋谷区生まれ。
秋川 リサ(あきかわ リサ、1952年5月12日 - )は、… 秋川 リサ(あきかわ リサ、1952年5月12日 - )は、日本のビーズ作家、女優、ファッションモデル、タレント。株式会社グリーンメディア所属。身長169cm。身長172cm(1975年7月)。身長173cm(1974年1月)、B86cm、W60cm、H90cm(1974年1月)。血液型はB型。1男、1女あり。元女優の伊藤麻里也は娘。 東京都渋谷区笹塚出身。父親がドイツ系アメリカ人(アメリカ軍)で母親が日本人。母子家庭で育つ。文化学院高等部英語科卒業。 1967年、15歳でテイジンのモデルとしてデビュー。16歳でファッション月刊誌『服装』の専属モデルを2年間務めた。 17歳で資生堂専属モデルとなり以降4年間務める。
八木 三枝子(やぎ みえこ、1950年6月9日 - 2015… 八木 三枝子(やぎ みえこ、1950年6月9日 - 2015年11月24日)は、日本の馬術選手。新大宗ドレッサージュチーム所属。身長160cm、体重52kg。東京都渋谷区生まれ。東洋英和女学院小学部、東洋英和女学院中学部・高等部、慶應義塾大学文学部卒業。 7歳で馬術を始めるが、15歳のときに馬術から離れる。子育てが一段落した38歳で再び馬術を始め、1994年に広島市で開催されたアジア競技大会で、個人、団体の2種目で優勝。全日本選手権では2003年まで10連覇、2007年は4年ぶりの優勝。現在はドイツ・パダボンを拠点にして、1年のうち8か月は海外で馬術修行である。国内では、東京乗馬倶楽部及び、筑波ライディングパークインターナショナルで騎乗している。
飯野 矢住代(いいの やすよ、1950年3月9日 - 197… 飯野 矢住代(いいの やすよ、1950年3月9日 - 1971年12月28日)は、日本のモデル、タレント、女優である。本名は飯野 裕代(読み同じ)。 1968年(昭和43年)のミス・ユニバース日本代表として知られるほか、ジャニーズ事務所として初めての女性タレントであったものの、21歳で死去した。なお、彼女はジャニーズ事務所出身のすべてのタレントの中で最初にこの世を去った人物である。 東京都文京区駒込に生まれる。1960年、渋谷区円山町に移る。 1965年3月31日、渋谷区内の中学校を卒業する。苦しい家計を考えて高校には進学しなかった。「何でもやってみよう、ぶつかってみよう(本人による)」とファッションモデルのアルバイトや作詞に手を染める。
アサダ二世(あさだにせい、1948年4月1日 - )は、落語… アサダ二世(あさだにせい、1948年4月1日 - )は、落語協会に所属する奇術師。出囃子は『新たぬき』。 この項目は、落語家に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(P:舞台芸術/PJ:お笑い)。
久美 かおり(くみ かおり、本名・深町陽子、1948年2月4… 久美 かおり(くみ かおり、本名・深町陽子、1948年2月4日 - )は、日本の元歌手、元女優。渡辺プロダクションに1967年から1970年まで所属していた。「くちづけが怖い」で、第10回日本レコード大賞・新人賞(女性)を受賞。ザ・タイガースの主演映画全て(3作)でヒロイン役を務めたことでも知られる。 東京都渋谷区出身。東洋音楽大学付属高等学校(現在の東京音楽大学付属高等学校)2年生の時、ジャズシンガーを志し、マーサ三宅(大橋巨泉の元夫人)に師事する。ホテルニューオータニなどでジャズを歌っていたところ平尾昌晃に認められたことがきっかけで、渡辺プロダクションに所属する。 東海林修に師事しながら、渡辺プロダクションが経営していたミュージック・スポット「メイツ」で活動。
堀 新太郎(ほり しんたろう、1948年 - )は日本の経営… 堀 新太郎(ほり しんたろう、1948年 - )は日本の経営コンサルタント。ベインキャピタル・ジャパン会長。UCC上島珈琲株式会社監査役。東京都渋谷区松濤在住。
井上 順(いのうえ じゅん、本名同じ、1947年〈昭和22年… 井上 順(いのうえ じゅん、本名同じ、1947年〈昭和22年〉2月21日 - )は、日本のタレント、歌手、俳優、コメディアン。東京都渋谷区生まれ・在住。一時は井上 順之(いのうえ じゅんじ)の芸名も使用していた。身長171cm。血液型はAB型。 東京都渋谷区の代々木公園前で馬場を営む家の3人兄弟の末子として生まれる。麻布龍土町で育った。祖父は日本で初めて競走馬を輸入し、富ヶ谷で「井上馬場」を経営していた。父は馬場専属の獣医師である。 父の影響もあり、幼少期は獣医に憧れていた。 渋谷区立大和田小学校、渋谷区立松濤中学校卒業。小学校の時分は映画が好きで、当時は保護者同伴の場合には小学生は無料であったため、父に相当する年齢の男性に付いて入館し、数多く鑑賞したという。
岩井 克人(いわい かつひと、1947年〈昭和22年〉2月1… 岩井 克人(いわい かつひと、1947年〈昭和22年〉2月13日 - )は、日本の経済学者(経済理論・法理論・日本経済論)。学位はPh.D.(マサチューセッツ工科大学・1972年)。国際基督教大学特別招聘教授、東京大学名誉教授、公益財団法人東京財団名誉研究員、日本学士院会員。 カリフォルニア大学バークレー校研究員、イェール大学経済学部助教授、コウルズ財団上席研究員、東京大学経済学部教授、東京大学大学院経済学研究科教授、東京大学大学院経済学研究科長、東京大学経済学部長、財団法人東京財団上席研究員、日本学術会議経済学委員会委員長、武蔵野大学特任教授を歴任した。 東大経済学部卒。マサチューセッツ工科大で経済学の博士号取得。
伊川 東吾(いがわ とうご、1946年9月26日 - )は、… 伊川 東吾(いがわ とうご、1946年9月26日 - )は、イギリスを拠点に活動している俳優・演出家。
吉永 小百合(よしなが さゆり、1945年〈昭和20年〉3月… 吉永 小百合(よしなが さゆり、1945年〈昭和20年〉3月13日 - )は、日本の俳優・歌手・ナレーター・司会者・タレント。本名:岡田 小百合(おかだ さゆり)。旧姓:吉永。 1960年代を代表する人気映画女優。10年間で、70本以上の映画に出演。吉田正(作曲家)の門下生として、数多くのレコードを世に送り出している。夫はフジテレビディレクター、共同テレビ社長、会長、取締役相談役を歴任した岡田太郎。ファンは「サユリスト」と呼称される。 1957年(昭和32年)、渋谷区立西原小学校6年生の時、ラジオドラマ『赤胴鈴之助』でデビュー。同年4月、渋谷区立代々木中学校に入学。同年10月、ラジオ東京制作のテレビドラマ『赤胴鈴之助』でテレビデビュー。
長嶋 亜希子(ながしま あきこ、旧姓:西村〈にしむら〉、19… 長嶋 亜希子(ながしま あきこ、旧姓:西村〈にしむら〉、1943年〈昭和18年〉1月5日 - 2007年〈平成19年〉9月18日)は、元読売ジャイアンツの長嶋茂雄の妻で、実業家。夫・茂雄の個人事務所である株式会社オフィスエヌの代表取締役を務めていた。 東京都渋谷区生まれ(両親の本籍地は鹿児島県)。祖父の西村辰五郎は出版社・東雲堂書店を経営し、石川啄木『一握の砂』『悲しき玩具』、斎藤茂吉『赤光』、北原白秋『桐の花』、若山牧水『別離』など、文学史に残る歌集を出版した人物であった。西村陽吉の名で自らも歌人として活躍し、口語短歌の先駆けの一人として知られる。父の西村光雄は内外出版社の代表を務めた。 田園調布雙葉中学校・高等学校在学中に、米国へ留学し、現地の高校、ミネソタ州の聖テレサ大学を卒業。
尾崎 紀世彦(おざき きよひこ、1943年〈昭和18年〉1月… 尾崎 紀世彦(おざき きよひこ、1943年〈昭和18年〉1月1日 - 2012年〈平成24年〉5月30日)は、日本のポップス歌手。東京都渋谷区生まれ、神奈川県茅ヶ崎市出身。1960年にハワイアンバンド「ヒロ・ハワイアンズ」結成、1965年にカントリーバンド「ジミー時田とマウンテンプレイボーイズ」加入。1967年からコーラス・グループ「ザ・ワンダース」を経て、1970年にソロ歌手としてデビュー。愛称は「キーヨ」。ダイナミックな歌唱力と、立派なもみあげや髭がトレードマーク。身長173cm(1972年3月)。 バレエダンサーの両親のもと、現在の東京都渋谷区に男3人兄弟の次男として生まれ、小学校入学時より神奈川県茅ヶ崎市で育つ。
生島 孝子(いくしま たかこ、1941年〈昭和16年〉6月1… 生島 孝子(いくしま たかこ、1941年〈昭和16年〉6月14日 - )は、東京都出身の特定失踪者。特定失踪者問題調査会では「拉致濃厚」(1000番台リスト)としている。1972年(昭和47年)11月、東京都渋谷区にて失踪した。失踪当時、彼女は31歳であった。 1941年(昭和16年)6月14日生まれ。失踪当時は妹とともに渋谷区笹塚に居住し、港区役所支所の電話交換手の仕事をしていた。彼女は身長153センチメートルくらいで血液型はO型である。 1972年(昭和47年)11月1日、一日の年次休暇届けを出して勤務先を休んだ。その日の朝、出勤する同居の妹に「夕方に電話があったら出かける」と声をかけた。妹が夜に帰宅すると彼女は不在で、秋冬の衣類の入れ替えを行うなどの家事を済ませており、翌日出勤時に着用する自身の衣服一式が揃えてあった。
真山 知子(まやま ともこ、1941年1月22日 - )は日… 真山 知子(まやま ともこ、1941年1月22日 - )は日本の女優・キルト作家。身長162cm、体重52kg。本名は蜷川 宏子。キルト作家での活動では本名を用いている。旧芸名は中条 宏美。
浅川 みゆ起(あさかわ みゆき、1940年5月23日 - )… 浅川 みゆ起(あさかわ みゆき、1940年5月23日 - )は、日本の女優、声優。本名は佐藤 登美子(さとう とみこ)。東京都渋谷区出身。 日本芸術学院アナウンス科卒。東京俳優生活協同組合、綜芸プロダクション、鈴木事務所、文芸ぷろだくしょん、エヌ・エー・シーなどに所属していた。趣味は日本舞踊、歌唱。 かつては渋沢詩子、日輪マコとともにヤンチャ・トリオとして活動していた。 この項目は、俳優(男優・女優)に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(P:映画/PJ芸能人)。 この項目は、声優(ナレーターを含む)に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(P:アニメ/PJ:アニメ/PJ:声優)。
小野 茂樹(おの しげき、1936年12月15日 - 197… 小野 茂樹(おの しげき、1936年12月15日 - 1970年5月7日)は、東京都渋谷区出身の歌人。 1955年に東京教育大学附属中学校・高等学校(現・筑波大学附属中学校・高等学校)を卒業後、早稲田大学文学部国文学科に進学、早稲田大学短歌会に入会。同じく会員であった石本隆一の紹介により前田夕暮系の短歌結社「地中海」に参加し、香川進に師事。1963年に大学を中退し、角川書店や河出書房新社に編集者として勤務する。 1968年に第一歌集『羊雲離散』を刊行し、翌年第13回現代歌人協会賞を受賞。瑞々しさにあふれたやわらかな相聞歌が高く評価された。また、少年期の学童疎開(9歳で長野県に集団疎開し、栄養失調状態で帰京)の経験が作品に濃厚な死の影を落としているとも評される。
飛鳥井 雅道(あすかい まさみち、1934年(昭和9年)11… 飛鳥井 雅道(あすかい まさみち、1934年(昭和9年)11月26日 - 2000年(平成12年)8月31日 )は、日本の歴史学者。京都大学名誉教授。専門は日本近代史・文化史。弟の飛鳥井雅慶は橿原神宮宮司。長男の飛鳥井雅友(1962年- )はドイツ文学者。
内田 至(うちだ いたる、1932年8月31日 - 2024… 内田 至(うちだ いたる、1932年8月31日 - 2024年9月28日)は、日本の水産生物学者。 東京渋谷生まれ。東京水産大学増殖科卒、1975年「太平洋産アカウミガメの資源生物学的研究」で東京大学農学博士。江ノ島水族館勤務、東京水産大学助手、1966年姫路市立水族館長となり、名古屋港水族館館長を務め、2008年退任。姉は現代舞踊家の内田裕子(1930-2016)。
平岩 弓枝(ひらいわ ゆみえ、1932年3月15日 - 20… 平岩 弓枝(ひらいわ ゆみえ、1932年3月15日 - 2023年6月9日)は、日本の小説家、脚本家。 長谷川伸門下。『鏨師』(たがねし)で直木賞を受賞。次いでテレビドラマの脚本家として多くのヒット作を生み出した。その後小説の世界に戻り、女の生き方を描いた国際色豊かな家庭物や恋愛物、推理物で人気を集め、やがて時代小説に専念し永く活躍した。代表作の『御宿かわせみ』シリーズは江戸情緒溢れる人情物語で、40年以上に及ぶ人気シリーズ、ベストセラーとなった。そのほか『はやぶさ新八御用帳』シリーズなどがある。 文化功労者、文化勲章受章者。位階は従三位。 代々木八幡宮の宮司の一人娘として生まれた。母親は箱根神社で育った女性。
後藤 英一(ごとう えいいち、1931年1月26日 - 20… 後藤 英一(ごとう えいいち、1931年1月26日 - 2005年6月12日)は、日本の物理学者・計算機科学者。東京大学名誉教授。 磁気による論理演算回路素子のパラメトロンを発明。数式処理の分野でも業績を上げる。紫綬褒章受章。 理化学研究所では特許を100近く出願したという。理研の物理学部門では特許収入が首位との事である。さまざまな原理は勉強したが、その原理がコンピュータにどう使われているかは勉強しなかったと語る。 これらの研究業績により1989年4月に紫綬褒章を受章した他、多数の受賞歴がある。ただし後藤自身は「半導体製造のための貢献で紫綬褒章をもらったが、半導体のために仕事をした事なんてない(笑)」と語る。
大庭 みな子(おおば みなこ、1930年〈昭和5年〉11月1… 大庭 みな子(おおば みなこ、1930年〈昭和5年〉11月11日 - 2007年〈平成19年〉5月24日)は、日本の小説家。本名・美奈子。東京市出身。出生名は椎名 美奈子。 東京渋谷に生まれる(生家は千駄ヶ谷)。海軍軍医の父の転勤に伴い、全国各地を転々とした他、海外転勤となった1941年(昭和16年)には数カ月だけ母の生家がある新潟の伯母の家で暮らしたこともあった。敗戦を広島で迎え、原爆の惨状が文学の原点となった。 津田塾大学英文学科を卒業後、結婚。夫の転勤によるアラスカ生活中、現地から投稿した『三匹の蟹』(1968年)で芥川賞受賞。以後、時空を超えて混沌とした人間関係と性の様態に迫った『寂兮寥兮』(1982年)などを発表。
七代目 市川 門之助(しちだいめ いちかわ もんのすけ、昭和… 七代目 市川 門之助(しちだいめ いちかわ もんのすけ、昭和3年(1928年)9月7日 - 平成2年(1990年)10月13日)は歌舞伎役者。屋号は瀧乃屋。定紋は四ツ紅葉。俳名に白魚がある。また舞踊家として花柳 蔦壽郎(はなやぎ ちょうじゅろう)も名乗った。本名は相馬 孝至(そうま たかし)。 東京市渋谷区宇田川町の生まれ。生後まもなく二代目市川松蔦の養子となる。 昭和10年 (1935年) 4月に初代市川たか志を名乗り初舞台。昭和21年 (1946) 8月、三代目市川松蔦を襲名。この頃は二代目市川猿之助一座で活躍。昭和38年 (1963) 2月に七代目市川門之助を襲名、以後は尾上菊五郎劇団に属した。
佐藤 寿々江(さとう すずえ、1928年6月1日- 2016… 佐藤 寿々江(さとう すずえ、1928年6月1日- 2016年11月13日)は、日本の彩色家。現在の東京都渋谷区出身。 以前は映画館で上映される映画のポスター写真に色づけを加える彩色の作業に携わっていたが、1951年3月場所に日本相撲協会が、幕内最高優勝賞品の一つとして優勝額の贈呈を再開するにあたり、掲額される優勝額のモノクロ写真に、手作業で着色する作業を延べ62年間にわたって担当し続けた。この優勝額は5年余りにわたって蔵前国技館、次いで両国国技館に掲額された。 晩年は体調を崩したため、以前の同僚が彩色作業を手伝うこともあったが、2014年1月、優勝額を提供する毎日新聞社から、佐藤が高齢になったことに伴い、優勝額の着色作業から引退することを正式に発表。
角川 照子(かどかわ てるこ、1928年2月14日 - 20… 角川 照子(かどかわ てるこ、1928年2月14日 - 2004年8月9日)は、東京府渋谷町(現東京都渋谷区)出身の俳人。1949年、角川源義と結婚する(源義は再婚)。のち一男一女をもうけるが、いずれも成人前に亡くなっている。 1949年7月26日に、長男(源義から見ると三男)・道夫を殺害し逮捕される。 1979年、源義創刊の「河」主宰に就任。1987年、『花行脚』により第11回現代俳句女流賞を受賞した。代表句に「さいはての句碑に掛け置く春ショール」(『幻戯微笑』所収)などがあり、格調と叙情を兼ね備えた句風である。 2004年8月9日、荻窪の自宅にて死去した。75歳。墓所は小平霊園。「河」主宰は源義と先妻の息子である角川春樹が継いだ。
久邇 正子(くに まさこ、1926年〈大正15年〉12月8日… 久邇 正子(くに まさこ、1926年〈大正15年〉12月8日 - )は日本の元皇族。久邇宮朝融王と同妃知子女王の第1王女。多嘉王の第3王子で伯爵梨本徳彦の元妻。旧名は、正子女王(まさこじょおう)。皇籍離脱前の身位は女王で、皇室典範における敬称は殿下。旧姓は、龍田、梨本。香淳皇后の姪、上皇の従姉、今上天皇の従伯母にあたる。 1926年(大正15年)12月8日午後1時3分、久邇宮朝融王と同妃知子女王の第1王女として誕生。御七夜の12月14日に「正子」と命名された。1944年(昭和19年)12月13日、父宮朝融王の従弟である龍田徳彦伯爵との結婚が勅許された。翌1945年(昭和20年)4月22日に降嫁した。
金子 徳好(かねこ とくよし、1924年7月24日 - 20… 金子 徳好(かねこ とくよし、1924年7月24日 - 2007年11月26日)は、反戦活動家・平和活動家・ミニコミ研究家である。 東京都渋谷区に生まれる。東京高等農林学校(現・東京農工大学)中退。 戦後渋谷でローカル新聞を主宰。労組書記(全銀連)を経て、日本機関紙協会勤務。 1965年、「アメリカはベトナムから手をひけ」を書いたゼッケンをつけて8年間にわたり通勤。その記録として『ゼッケン8年』(朝日新聞社)を1974年に刊行している。 1981年10月には核廃絶を訴え再びゼッケン通勤を始め、1984年の広島原爆忌まで続けられた。 退職後は地域のミニコミに力を入れ、地域からの平和運動を研究・促進。
川越 邦雄(かわごえ くにお、1920年12月12日 - 1… 川越 邦雄(かわごえ くにお、1920年12月12日 - 1994年11月2日)は、日本の建築学者。専門は防災科学および防火。日本火災学会会長などを歴任した。 東京府(現・東京都渋谷区)出身。父の丈雄は大蔵次官、平和相互銀行会長を歴任した。母のタミは陸軍大佐の長女。建設省建築研究所第5研究部長を経て、1969年に建設省建築研究所長となる。 1973年に東京理科大学教授に就任し、同大学火災科学研究所を主宰した。1984年に、日本建築設備安全センター理事長となった。 著書に『新建築学大系 12. 建築安全論』『建築施工』(建築士試験講座)など。日本建築学会特殊コンクリート造関係設計基準の基準作成関係委員も務めた。
飯村 繁(いいむら しげる、1919年〈大正8年〉9月 - … 飯村 繁(いいむら しげる、1919年〈大正8年〉9月 - 1993年〈平成5年〉1月6日)は、日本の元軍人、外交官。陸士53期卒(山砲)。最終階級は陸軍少佐。戦後は在ポーランド・在フィンランド大使館附書記官、内閣調査室調査官、官房会計課予算経理官を歴任した。父は陸軍中将で総力戦研究所所長の飯村穣、岳父は同じく陸軍中将で参謀次長の沢田茂。子は元駐仏大使の飯村豊。 東京府出身。飯村穣・光子の長男。幼少期は大戦の軍需景気に伴うインフレで電気代やガス代も払えないほど生活は困窮しており、休日の食事は白米のみという有様で、姉妹三人は茨城県の父の実家に預けられていた。 麻布中学より東京陸軍幼年学校に転じ、陸軍士官学校を53期生として卒業。
木村 威夫(きむら たけお、1918年4月1日 - 2010… 木村 威夫(きむら たけお、1918年4月1日 - 2010年3月21日)は、日本の美術監督、映画監督。 東京都恵比寿出身。日本映画・テレビ美術監督協会顧問、日本映像美術協議会JVA賞審査委員長、日活芸術学院学院長、映画美学校理事、東京工芸大学芸術学部客員教授、京都造形芸術大学映画学科准教授を務めた。 十代の頃より、舞台美術監督伊藤熹朔に師事。1941年、日活に入社。しかし、翌年に日活は新興キネマ、大都映画と合併して大映となる。『海の呼ぶ聲』(1945年 / 伊賀山正徳監督、封切は終戦後)で美術監督に昇進。1954年、映画製作を再開した日活へ移籍。 1963年、『悪太郎』をきっかけに鈴木清順監督作品の美術を担当、「清順美学」と呼ばれるその作風の創造に大きく貢献する。
阿部 青鞋(あべ せいあい、1914年11月7日 - 198… 阿部 青鞋(あべ せいあい、1914年11月7日 - 1989年2月5日)は、俳人。本名は麗正(よしまさ)。 現在の東京都渋谷区に生まれる。1933年高輪学園卒業。1936年、新興俳句系の「句帖」に参加。1937年渡辺白泉らの同人誌「風」に参加。「螺旋」「動線」を創刊。1940年住谷栄子と結婚。1941年8月に召集を受けるが、大陸で戦病となり11月に解除。1945年岡山県英田郡巨勢村(現・美作市)に疎開、以後33年間同地に居住した。1957年「花実」参加。1958年「俳句評論」参加。1959年受洗。1963年「瓶」(のち「壜」)創刊。「八幡船」参加。同年公務を退き林野協会牧師となる。1969年永田耕衣の初期句集『真風』を編集発行。
小林 康治(こばやし こうじ 1912年11月12日 - 1… 小林 康治(こばやし こうじ 1912年11月12日 - 1992年2月3日)は、東京出身の俳人。 渋谷生まれ。青山学院中等部卒。1938年、根岸麦寸の「燈影会」で俳句を学ぶ。1940年、「鶴」に入会し石田波郷に師事。1943年応召、1945年傷病兵として帰還。1953年、「鶴」復刊号発表の「四季貧窮」48句にて注目を浴びる。同年「鶴」同人、第1回鶴俳句賞受賞。1963年、『玄霜』にて第3回俳人協会賞受賞。1974年、「泉」を創刊・主宰。1980年、「泉」を辞し「林」を創刊・主宰。代表句「たかんなの光りて竹となりにけり」他。波郷の唱導する韻文精神を尊重し骨格のたしかな句を詠んだ。句集に『四季貧窮』『玄霜』『華髪』『叢林』『存念』『虚実』など。
松本 竣介(まつもと しゅんすけ、1912年4月19日 - … 松本 竣介(まつもと しゅんすけ、1912年4月19日 - 1948年6月8日)は、日本の洋画家。太平洋戦争が始まる8ヶ月前の1941年(昭和16年)4月、軍部による美術への干渉に抗議して、美術雑誌『みづゑ』437号に「生きてゐる画家」という文章を発表したことはよく知られている。都会の風景やそこに生きる人びとを、理知的な画風で描いた。 1912年(明治45年)に東京府渋谷に生まれ、その後、岩手県で育った。17歳になる年に再び上京し、その後は東京で絵を描き続けた。一方、文筆活動の活発だった画家でもある。中学にあがった時に聴力を失った。1944年(昭和19年)制作の作品以降、名前の文字を、本名の「俊介」から「竣介」に改めた。
及川 道子(おいかわ みちこ、1911年10月25日 - 1… 及川 道子(おいかわ みちこ、1911年10月25日 - 1938年9月30日)は、日本の女優。 1920年代後半〜1930年代前半の日本映画で、清楚で近代的なキャラクターを数多く演じ、「永遠の乙女」と呼ばれた。 1911年10月20日、東京府豊多摩郡渋谷町(現・東京都渋谷区)に生まれる。父・鼎寿は、社会主義運動家の経歴を持ち、後に出版社の春秋社に勤務した。両親ともにクリスチャンであり、その影響で道子も敬虔なキリスト教信者となる。1924年に小学校を卒業し、当時存在した東京音楽学校一橋分教場声楽科に入学。同年秋、小山内薫の紹介で、築地小劇場に加わる。 同年12月の第18回公演『そら豆の煮えるまで』で主役の少年に抜擢され初舞台。
美濃部 亮吉(みのべ りょうきち、1904年〈明治37年〉2… 美濃部 亮吉(みのべ りょうきち、1904年〈明治37年〉2月5日 - 1984年〈昭和59年〉12月24日)は、日本のマルクス経済学者、政治家。東京都知事(第6・7・8代)、参議院議員(全国区)も歴任した。
栗島 すみ子(くりしま すみこ、明治35年〈1902年〉3月… 栗島 すみ子(くりしま すみこ、明治35年〈1902年〉3月15日 - 昭和62年〈1987年〉8月16日)は、明治・大正・昭和期の女優。日本映画界初期の人気女優である。日本舞踊水木流家元水木歌紅でもある。 東京府豊多摩郡渋谷村大字中渋谷(現在の東京都渋谷区道玄坂)に生まれた。父の死後、母の再婚先である川村家を経て新派俳優栗島狭衣の養女となった。 明治40年(1907年)、5歳のとき狭衣の師である水木歌橘に入門し、日本舞踊を習い始めた。同年父の主宰するお伽劇『うそつき爺い』で初舞台を踏んだ。また、明治42年(1909年)には狭衣と共にM・パテー商会製作・公開の映画『新桃太郎』に出演した。 大正2年(1913年)、栗島狭衣一座の座員となり、巡業生活を送った。
押本 七之輔(おしもと しちのすけ、1899年 - 1970… 押本 七之輔(おしもと しちのすけ、1899年 - 1970年8月18日)は、日本の映画監督、脚本家、映画プロデューサー、元俳優である。本名および旧筆名押本 七之助、のちに押本 七乃輔とも表記した。市川右太衛門プロダクション設立第1作の監督に抜擢されたことで知られる。 1899年(明治32年)、東京府豊多摩郡渋谷村(現在の東京都渋谷区)に生まれる。『映画年鑑 1973』の「映画人物故録」には「68歳没」との記述があり、1902年(明治35年)前後の生まれの可能性がある。 学歴等は伝えられていないが、満21歳となる1920年(大正9年)、国際活映に入社している。同年、すぐに同社を退社して仁科熊彦らとともに映画の制作プロダクションに参加、奈良での撮影に携わったものの、同社が解散したため、東京に戻る。
生田 長江(いくた ちょうこう、1882年(明治15年)4月… 生田 長江(いくた ちょうこう、1882年(明治15年)4月21日 - 1936年(昭和11年)1月11日)は、日本の評論家・翻訳家・劇作家・小説家。 父喜平治と母かつとの三男一女の末子として、鳥取県日野郡貝原村(現・日野町根雨)に生まれた。1895年(明治28年)(13歳)、地元の日野郡高等小学校を卒業し、翌年、次兄がいる大阪へ出て、1897年、桃山学院の2年生になった。 本名は弘法大師(空海)に因んだ「弘治」ながら、1898年、プロテスタント系のユニバーサリスト教会で受洗し、聖書に親しんだ。翌年上京して青山学院中学部の4年生となり、1900年、第一高等学校文科に入り、1903年、東京帝国大学文科大学哲学科へ進み、美学を専攻した。
馬場 孤蝶(ばば こちょう、1869年12月10日(明治2年… 馬場 孤蝶(ばば こちょう、1869年12月10日(明治2年11月8日) - 1940年(昭和15年)6月22日)は、日本の英文学者、評論家、翻訳家、詩人、慶應義塾大学教授。 孤蝶は土佐藩士馬場来八の四男として、土佐国土佐郡(現・高知市)に生まれた。本名は勝弥といい、19歳上の次兄に自由民権運動家の馬場辰猪がいる。病弱で就学せずに、1878年両親と上京し、下谷茅町(現・台東区池之端二丁目)の忍ヶ丘小学校から三菱商業学校に進んで中退し、1884年から、共立学校で英語を学んだ。少年期から寄席に入り浸った。浄瑠璃を語った。弓術・盆栽・将棋・パイプ・俳画・古書漁り・旅行と、趣味が広かった。 1889年(明治22年)(20歳)、明治学院2年に入学し、島崎藤村、戸川秋骨と同級になった。
朝倉 徳次郎(あさくら とくじろう、1841年〈天保12年〉… 朝倉 徳次郎(あさくら とくじろう、1841年〈天保12年〉 - 1916年〈大正5年〉4月22日)は、日本の農民、米屋、精米業、水車業、地主、政治家。 武蔵国出身。金蔵の長男。朝倉家は江戸時代から米を作る傍ら、三田用水の水車を利用して米の賃搗きを行っていたが、明治のはじめに徳次郎は百姓が嫌になり「暁天に野菜を洗って出荷して5銭にしかならぬ」と言って精米業に転じた。 1869年、朝倉米店開業。米の賃搗きで得た現金により農民が安く手放した土地を次々と買い取った。 質朴勤勉な富民として平和な生活をなし、名望のため渋谷村会議員をつとめた。また徳次郎以来、代々朝倉家が渋谷の氷川神社の大総代をつとめた。 住所は東京府豊多摩郡渋谷村大字下渋谷(のち渋谷町、現・東京都渋谷区)。
デーモン閣下(デーモンかっか、紀元前98038年11月10日… デーモン閣下(デーモンかっか、紀元前98038年11月10日 - 、英語表記:His Excellency Demon Kakka)は、日本の音楽家、マルチタレント、ジャーナリスト。ロックバンド聖飢魔IIのボーカリスト。POWERPLAY所属。早稲田大学社会科学部卒業。デーモン小暮(1985年)、デーモン小暮閣下(2000年)、デーモン閣下(2010年以降)と名称を変更している。通称は、デーモン、閣下。自身は人間の体を借りた悪魔と自称しており、生年月日は「紀元前98038年11月10日」だとしている。「世を忍ぶ仮の姉」はTBSテレビ元報道キャスターの小暮裕美子。 「紀元前98038年11月10日に発生、地獄の都Bitter Valley地区出身」を称する、前地獄副大魔王にして悪魔教教祖。
小森 まなみ(こもり まなみ、10月16日 - )は、日本の… 小森 まなみ(こもり まなみ、10月16日 - )は、日本の元ラジオパーソナリティ、元歌手、元声優、元エッセイスト。夫はアニメーション監督の山崎理、長男は医師で小説家のあさぎり水脈。 2023年10月にすべての活動の「マイクオフ」を宣言して、2024年3月をもって芸能界を引退した。 作家として小森眞奈美、童話作家としてこもりまなみの名義でも活動していた。日本児童文芸家協会会員。NPO法人メディカルメイクアップアソシエーション認定員。ラクーンドッグ(声優活動時)所属。メディカルウィッグのボランティア組織アンジェリック代表。 東京都渋谷区生まれ。父は内科学者で、世界的な胃癌治療の第一人者だった医学博士、小黒八七郎(おぐろ やなお)。
甲田 真理(こうだ まり、mari koda、8月3日 - … 甲田 真理(こうだ まり、mari koda、8月3日 - )は、日本の女優、ダンサー、経営者。 東京都渋谷区出身(新宿区出生)。米国ニューヨーク在住。ダンサー名「kodance」(読み:コ-ダンス)。 映画、TV、CM等様々な分野で活躍中。世界的に有名なヒップホップ・アーティスト集団『ロック・ステディー・クルー』に所属。ヒップホップだけでなく、サルサ、ハッスル、ハウス、バレエなどジャンルに隔たりなく、音楽に合ったパフォーマンスを心がけている。ダンス映画の歴代興行成績をたった1週間で塗り替えたディズニー配給のハリウッド映画「ステップ・アップ2:ザ・ストリート」の一般公募オーディションに参加、1500人の中から役を勝ちとった彼女は『2』に出演するだけでなく、ディズニーから『3』出演の要望を受けた。
中谷真希枝(なかや まきえ、本名非公表、6月4日 - )は、… 中谷真希枝(なかや まきえ、本名非公表、6月4日 - )は、東京都渋谷区生まれ、東京都千代田区、栃木県足利市育ちの、日本のミュージカル女優・舞台女優。身長155cm。双子座。血液型B型。14歳頃より栃木県宇都宮市にあるジュニアミュージカル劇団どりーみんぐや、東京宝映テレビ(現・宝映テレビプロダクション)などを経て、現在劇団シアタージャパンに所属。