谷口 雄哉(たにぐち ゆうや、2000年4月1日 - )は、… 谷口 雄哉(たにぐち ゆうや、2000年4月1日 - )は、日本の映画監督、脚本家である。新潟県佐渡市出身。 足立学園中学校・高等学校卒業。中学1年の冬に何気なく見ていたテレビ朝日系列のドラマ『相棒』があまりに面白く『相棒』を制作したいと夢を抱き幾度となく東映東京撮影所をアポ無しで訪れた。その後通っていた中学校における夏期休暇中の課題として職業見学があり、正式に東映東京撮影所を訪れる。その際、所内の職員伝に相棒シリーズのメイン監督を務める橋本一と面識を持つ。中学、高校在学中はアメリカンフットボールの選手としても活躍し部活の練習の合間を縫って『相棒』の現場見学に没頭した。 法政大学法学部に進学後、助監督としての経験を積みながら脚本の勉強を始め、数多くの短編作品を制作。
魁渡 頌胆(かいと しょうた、1996年6月19日 - )は… 魁渡 頌胆(かいと しょうた、1996年6月19日 - )は、新潟県佐渡市出身で浅香山部屋(入門時は友綱部屋)所属の元大相撲力士。本名は萩原 頌胆(はぎわら しょうた)。身長181cm、体重166kg、血液型はA型。最高位は東幕下5枚目(2020年3月場所)。好物はアイス、メロン。 現在しょうタンという名前で【ピースオブケイク-Pice of Cake-】というグループでYouTube活動している。 母親はタイ人で、小学校4年までタイで生活した。小学校4年次に、未経験ながら出場した佐渡市の相撲大会で2位入賞したことをきっかけに地元の相撲道場(佐渡少年相撲教室)で本格的に相撲を始めた。佐渡市立金井中学校在学中は陸上部に所属し、砲丸投げで佐渡市の記録を更新しながら相撲も続けてきたが、3年生だった2011年に全国中学校体育大会の団体でベスト16、個人でも決勝トーナメント3回戦に進んだ。
朝前進 又一郎(あさぜんしん またいちろう、1995年6月2… 朝前進 又一郎(あさぜんしん またいちろう、1995年6月22日 - )は、新潟県佐渡市出身で、高砂部屋所属の現役大相撲力士。本名は寺沢 樹(てらさわ -)。身長183.2cm、体重133.4kg、血液型はA型。最高位は東十両4枚目(2022年3月場所、7月場所)。2025年7月場所以前の四股名は朝乃若 樹(あさのわか いつき)。 相撲は祖父に連れられて行った佐渡相撲教室で、佐渡市立金井小学校2年次から始めた。中学校からは石川県へ相撲留学。金沢市立鳴和中学校に進学して、3年次に全国中学校相撲選手権大会で個人準優勝。金沢市立工業高校では2年次に宇佐大会で団体優勝、金沢大会と高校総体で団体準優勝を経験。
赤坂 アカ(あかさか アカ、男性、1988年8月29日 - … 赤坂 アカ(あかさか アカ、男性、1988年8月29日 - )は、日本の元漫画家、漫画原作者、イラストレーター。新潟県佐渡市出身。血液型はO型。 漫画原作者である傍ら、イラストレーション講義、キャラクターデザインなどの分野で活動を展開している 。 この項目は、漫画家・漫画原作者に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(P:漫画/PJ漫画家)。
富田 美里(とみた みさと、1986年11月4日 - )本名… 富田 美里(とみた みさと、1986年11月4日 - )本名:山崎 美里(旧姓・富田)は、日本の元シュートボクサー、女性キックボクサー。新潟県佐渡市出身。 新潟明訓高校から専修大学に進学し「東洋伝拳法部」(キックボクシング部)に所属。その一方でキックボクシングジム山木ジムに「侍塾」に所属。 のちに正式にシーザージムに入門、シュートボクサーとしてプロデビューする。2008年5月28日の後楽園ホール大会でAACCの坂本ひとみ相手にデビュー戦をし、判定勝ち。 2戦目には、RENAと激戦を繰り広げ、終了のゴングと同時に首投げをきめるもノーカウントとなり、延長判定の末敗れる。 3戦目となる同年9月12日、坂本の先輩にあたる藤井惠と対戦し、終始前に出る戦いぶりで2-0の判定勝ち。
野口 智代(のぐち ともよ、1986年3月4日 - )は、新… 野口 智代(のぐち ともよ、1986年3月4日 - )は、新潟県佐渡市出身の女子プロボクサー。ジャパンスポーツジム所属。身長152cm。アトム級。JBC女子公認前は「郷 岬(ごう みさき)」のリングネームで活動していた。 2007年2月12日、平木陽子戦でデビュー、判定勝利を飾る。 JBC女子公認後、代々木ブルースカイジムからジャパンスポーツジムへ移籍。 2008年5月9日、JBC初の女子興行「G Legend」に出場、越石優を相手に判定勝利。 同年10月12日に越石と再戦、2回TKO負け。 2009年11月12日、後のIBF世界チャンピオン柴田直子に3回TKO負け。 2010年9月24日、3年前に敗れた相川周子に判定でリベンジを果たし、星を五分に戻して引退。
上松 秀実(うえまつ ひでみ、1986年1月16日 - )は… 上松 秀実(うえまつ ひでみ、1986年1月16日 - )は、日本の女性シンガーソングライター。血液型B型。新潟県佐渡市出身。 神津島出身の父と佐渡島出身の母の間に生まれ、両親の影響を受け幼い頃から郷土の民謡に親しむ。15歳から歌手を目指し、高校を中退して音楽活動に専念。オーディションを受けるなどの活動を始める。 20歳の時、埼玉県所沢市のギャル服店で働きながら、知り合いに作ってもらったオリジナルのトラックに乗せてクラブで歌い始める。この頃よりブラックミュージックの影響を受けた音楽作りを開始。オーディションを受けるなどの活動を継続していたところを現在の所属事務所の目に止まり、デビューが決定。 2008年10月8日、シングル「Dear My Friends/トラウマ」でメジャーデビュー。
角間 惇一郎 (かくま じゅんいちろう、1983年5月25日… 角間 惇一郎 (かくま じゅんいちろう、1983年5月25日 - )は日本の社会起業家、一般社団法人GrowAsPeople代表理事。 身長170cm。主に日本国内の性風俗産業に係る女性に対してのセカンドキャリア支援事業を行っている。元越谷市男女共同参画推進委員。
山田 かおり(やまだ かおり、1983年1月28日 - )は… 山田 かおり(やまだ かおり、1983年1月28日 - )は、新潟放送に所属した元ラジオパーソナリティ。愛称は「りんりん」。 新潟県佐渡郡相川町に生まれ、同郡佐和田町(現在はいずれも佐渡市)で育った。新潟県立佐渡高等学校を経て新潟青陵女子短期大学(現新潟青陵大学短期大学部)幼児教育学科卒業後の2003年、新潟放送にラジオ中継車「スナッピー」のリポーターとして採用。愛称「りんりん」は、中学の時のあだ名である。入社当初は『ブランチバスケット』などで新潟県内各所からの中継リポーターとして活動した。 当初は専らラジオのリポーターとしての活動が主だったが、その後はラジオパーソナリティやテレビ番組のリポーター、さらには同社主催のイベントの司会などにも活動の場を広げた。
松崎 友紀(まつざき ゆき、1978年11月4日 - )は日… 松崎 友紀(まつざき ゆき、1978年11月4日 - )は日本の即興舞踊家、ダンサー、アートモデル 新潟県佐渡市生まれ。2002年舞台芸術学院演劇別科修了後、厚木凡人に師事。2008年、手塚眞の8ミリフィルム映画『惑星TEトLA』出演を機に自身の即興表現活動を開始した。自然な反応より発生する、即興表現を通してどれだけ他と融合していけるかをテーマにその後新潟県十日町市にある笹山じょうもん市にて鼓童メンバーらとの共演から始まり、水と土の芸術祭、徳島LEDアートフェスティバル、中之条ビエンナーレ等芸術祭にて現代美術家たちや現代音楽家、舞踏家たちとのコラボレーションを行っている。 2010年にはスペイン・マドリードにて公演。
茂木 亜希子(もぎ あきこ、1977年7月13日 - )は… 茂木 亜希子(もぎ あきこ、1977年7月13日 - )は、日本のアナウンサー(NHK長野放送局契約キャスター→テレビユー福島アナウンサー→フリー)、絵本作家、保育士。 新潟県佐渡市生まれで、後に埼玉県さいたま市で育つ。埼玉県立伊奈学園総合高等学校卒業。武蔵野女子大学文学部英米文学科卒業。 幼少期よりピアノ、合唱を始める。高校では吹奏楽部に所属しコントラバス、チェロを担当。武蔵野女子大学入学後に武蔵野市民交響楽団に所属。定期演奏会やルーマニア公演などに参加する。 大学卒業後の2000年、まち情報842 (エフエム西東京キャスター)、エフエムむさしのでリポーターを務めた他、学校法人東放学園講師を経て、2002年4月、NHK長野放送局契約キャスターとなる。
宮城 マリオ(みやぎ まりお、本名:宮城剛(みやぎつよし)、… 宮城 マリオ(みやぎ まりお、本名:宮城剛(みやぎつよし)、1976年5月24日 - )は、日本のエア・ギタリスト。 日本エアギター協会幹事長。新潟県佐渡市生まれ、東京都板橋区育ち。日本大学芸術学部音楽学科卒業。 2005年、デイリーポータルZの記事「エアギター入門」に登場し注目を集める。その記事を見たテレビ番組ディレクターからの誘いで、テレビ東京「音神GIG TV!」内の「押忍!エアギター道場」に出演。その際、かながわIQ(日本エアギター協会会長)に「宮城マリオ」という芸名を付けられる。 日本国内においてのエア・ギター黎明期からエアギタリストとして活動。日本エアギター協会の幹事長を務める他、大学の後輩で、後に日本選手権で優勝する市川・ザ・ロックをエア・ギターに勧誘する等、日本のエア・ギター界の発展に貢献。
吉田 盛之(よしだ もりと、1972年3月24日 - )は、… 吉田 盛之(よしだ もりと、1972年3月24日 - )は、日本の美術家、アートディレクター、プロデューサー。新潟県佐渡市出身。「さどの島銀河芸術祭」のファウンダーおよび総合プロデューサーであり、同芸術祭の運営母体である一般社団法人佐渡国際芸術推進機構の代表理事を務める。また、現代アートギャラリー「TAACHI」の立ち上げ・運営にも携わっている。美術家としての活動は絵画、写真、文筆、音楽など多岐にわたる。教育現場における活動も長く、高等学校での美術非常勤講師を10年以上にわたって務めているほか、地域の小学校における放課後アート指導など美術教育に携わっている。能楽や鬼太鼓をはじめとする佐渡の伝統文化の継承や、現代表現と伝統芸能・食文化の融合による次世代の育成と地域振興活動を展開している。
齋藤 真一郎(さいとう しんいちろう、1971年9月22日 … 齋藤 真一郎(さいとう しんいちろう、1971年9月22日 - )は、日本の篤農家。 農業生産法人有限会社齋藤農園代表取締役。佐渡トキの田んぼを守る会会長。トキが棲む島だからこそできる農業に尽力している。 1961年9月22日、新潟県佐渡郡新穂村青木の江戸時代から続く農家に生まれる。1989年、新潟県立佐渡農業高等学校を卒業。1993年、新潟県農業技術大学校を卒業。JA佐渡営農指導員。1999年、農業生産法人有限会社齋藤農園を設立。2001年、佐渡トキの田んぼを守る会を発足。2007年、新潟県エコファーマーに認定される。2015年1月12日、Fruits Cafe SAITO(フルーツ&カフェさいとう)を開業。
山口 孝志(やまぐち たかし、1971年4月24日 - )は… 山口 孝志(やまぐち たかし、1971年4月24日 - )は、日本の投資家、FXトレーダー、企業経営者。クロスリテイリング株式会社の創業者。CrossGroup代表。新潟県生まれ。 大学時代はバックパック1つで放浪の旅をし、卒業後は地元の地方公務員として働く。 2009年7月クロスリテイリング株式会社を設立 その後、投資教育の専門会社を次々と設立・拡大。現在は、海外不動産業、飲食業、観光業、広告業など多岐にわたる企業の経営を手掛けている。またオーストラリア貿易投資促進庁からノミネートを受け、上級投資家ビザ(オーストラリア永住権)保有者としてQLD州への高額投資を継続しており、ニュージーランドをはじめとする世界各国での不動産投資・事業投資なども行っている。
本間正治(ほんま まさはる、1969年10月11日 - )は… 本間正治(ほんま まさはる、1969年10月11日 - )は、日本の経営者。株式会社マルエツ代表取締役社長、ユナイテッド・スーパーマーケット・ホールディングス株式会社代表取締役副社長、元マックスバリュ関東株式会社取締役。 1969年10月生まれ。新潟県佐渡市出身。1992年3月千葉商科大学商経学部卒業。同年3月株式会社マルエツ入社。2010年3月同社経営企画本部 経営計画部長、2013年5月同社執行役員 経営企画本部 経営計画部長、2015年5月同社執行役員 経営企画本部 経営計画部長、マックスバリュ関東株式会社取締役、2017年3月株式会社マルエツ執行役員 管理統括 経営企画本部長、2019年3月同社執行役員 経営企画本部長、2019年5月同社常務執行役員 経営企画本部長、2020年5月同社取締役 常務執行役員 経営企画本部長、2021年5月ユナイテッド・スーパーマーケット・ホールディングス株式会社取締役。
土屋 良太(つちや りょうた、1967年5月17日 - )は… 土屋 良太(つちや りょうた、1967年5月17日 - )は、日本の俳優。新潟県佐渡市出身。ノックアウト所属。血液型B型。身長178cm。 1998年 - 2010年 この項目は、まだ閲覧者の調べものの参照としては役立たない、俳優(男優・女優)に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(P:映画/PJ芸能人)。
松田 和久(まつだ かずひさ、1966年7月16日 - )は… 松田 和久(まつだ かずひさ、1966年7月16日 - )は、新潟県佐渡市出身の元プロ野球選手(外野手)。 父親が航空自衛隊勤務のため、佐渡島で生まれ、北海道と青森県に住んだ後、中学2年生の時に鳥取県境港市に定住。本籍地は広島県呉市である 。彼は地元の野球チームである広島東洋カープの熱烈なファンであり、子供の頃からの夢であったプロ野球選手になることができた。境高では、3年次に夏の甲子園に出場したが、1回戦で法政一高に延長の末、初被安打がサヨナラ本塁打となり敗れた。高校の1学年後輩に足立亘がいる。 高校卒業後、浪人を経て1987年6月から広島東洋カープの練習生となり、翌年から選手登録、4年間のプロ生活で一軍公式戦への出場がないまま1991年限りで現役を引退。
内田 ユキオ(うちだ ユキオ、1966年 - )は日本の写真… 内田 ユキオ(うちだ ユキオ、1966年 - )は日本の写真家。新潟県両津市(現在の佐渡市)生まれ。 公務員を経て独学で写真を学びフリーに。 ライカによるモノクロのスナップから始まり、音楽や文学、映画などからの影響を強く受け、人と街の写真を撮り続けている。 執筆も手がけ、カメラ雑誌や新聞などにも寄稿。 この項目は、まだ閲覧者の調べものの参照としては役立たない、人物に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(P:人物伝/PJ:人物伝)。
渡辺 竜五(わたなべ りゅうご、1965年〈昭和40年〉3月… 渡辺 竜五(わたなべ りゅうご、1965年〈昭和40年〉3月25日 - )は、日本の政治家。新潟県佐渡市長(2期)。 新潟県相川町(現・佐渡市)出身。1983年(昭和58年)3月、新潟県立相川高等学校卒業。同年4月、相川町役場に採用される。合併後の佐渡市役所では農林水産課長、総合政策課長、総務課長、社会教育課長などの要職を歴任した。2019年(平成31年)3月、退職。 2019年(平成31年)4月、サンフロンティア佐渡株式会社の専務取締役に就任。同年11月、退職。11月30日、任期満了に伴う佐渡市長選挙に立候補する意向を表明した。 2020年(令和2年)4月12日執行の市長選に市議15人から支援を受けて立候補。
高岩 ヨシヒロ(たかいわ ヨシヒロ、1960年〈昭和35年〉… 高岩 ヨシヒロ(たかいわ ヨシヒロ、1960年〈昭和35年〉 - )は、日本の漫画家。新潟県佐渡市出身、東京都葛飾区在住。別ペンネームに高岩吉浩、星野かずみ、みずもと高義。妻は漫画家の富田安紀子。 1978年、週刊少年ジャンプの月例賞応募作品『創世記』でデビュー。1981年、『ドタバタ時間旅行』で第22回手塚賞に佳作入選。 その後、『月刊少年ジャンプ』(集英社)を中心に『ラブラブYOUターン』『NBA STORY』などの作品を連載。また、『小説ジュニア』(集英社)での漫画作品やコバルト文庫の表紙・挿絵など少女向けの作品を描く際は、「星野かずみ」というペンネームを使用した。 1990年代頃からは集英社以外の出版社の雑誌にも進出。
堀口 智顕(ほりぐち ともあき、1958年 - )は、日本の… 堀口 智顕(ほりぐち ともあき、1958年 - )は、日本の実業家。サンフロンティア不動産創業者。サンフロンティア不動産代表取締役会長。佐渡市が設置した堀口基金の寄付者である。 1958年、新潟県佐渡市生まれ。高校卒業まで佐渡島で暮らす。建築士を志して18歳で上京し、翌年大学に入学。しかし、その進路には進むことができず、新宿の地下にあるカフェで店長を務める。26歳で建築事務所へ就職。31歳で独立し、不動産の売買仲介事業を始める。京セラ創業者、稲盛和夫にめぐり合い「他人(ヒト)に役立つこと」を学ぶ。以来、「社員を守る」の経営理念を掲げ、99年、サンフロンティア不動産を設立。2007年12月に「志を持って頑張る若者に支援してほしい」と佐渡市に寄付をし、その1億円をもとに佐渡市が堀口基金を設置した。
渡辺 みちお(わたなべ みちお、1954年7月27日 - )… 渡辺 みちお(わたなべ みちお、1954年7月27日 - )は、日本の漫画家。新潟県佐渡市出身。血液型はB型。代表作に『まるごし刑事』、『白竜』など。 小学3年生の頃に絵画コンクールで賞を貰った事をきっかけに絵を描く事に興味を抱くようになる。離島在住のため近くに本屋がなく、通信販売で当時刊行されていた漫画雑誌の『冒険王』や『少年』などを取り寄せて読んでいた。小学校の高学年の頃から友人と共に漫画を描くようになり、中学生の頃に石ノ森章太郎の『マンガ家入門』が発売されると、渡辺はそれを教科書にして本格的な漫画の描き方を覚えるようになる。 高校時代に作品を2本ほど投稿するも落選、実力不足と判断して高校を卒業した時点で漫画家の道は諦めていた。
近藤 基彦(こんどう もとひこ、1954年2月15日 - 2… 近藤 基彦(こんどう もとひこ、1954年2月15日 - 2018年11月17日)は、日本の政治家。自由民主党所属の衆議院議員(3期)。父は衆議院議員・農林水産大臣を務めた近藤元次。 新潟明訓高等学校を経て、1976年に日本大学理工学部建築学科を卒業。父・近藤元次衆議院議員の秘書となる。 1996年の第41回衆議院議員総選挙に新潟2区から無所属で立候補し落選。2000年の第42回衆議院議員総選挙で初当選。当選時は無所属で、保守系無所属議員による会派「21世紀クラブ」に所属していたが、のちに自民党に入党。以後、連続3期当選。自民党農林部会長など農政通として活動。農林水産委員会(理事)、文部科学委員会、北朝鮮による拉致問題等に関する特別委員会(理事)を務める。
大錦 一徹(おおにしき いってつ、1953年9月11日 - … 大錦 一徹(おおにしき いってつ、1953年9月11日 - )は、新潟県佐渡郡羽茂町(現役当時、現・同県佐渡市羽茂)出身で出羽海部屋に所属した元大相撲力士。本名は尾堀 盛夫(おほり もりお)。身長185cm、体重145kg。得意手は左四つ、寄り、下手投げ。最高位は東小結(1973年11月場所)。 中学在学時に、実家近くの味噌製造会社の常務から勧誘され、「好きなだけ食べられる」という口説き文句が決め手となって出羽海部屋に入門。1968年5月場所にて、14歳で初土俵を踏んだ。本人は「テレビに映る幕内以上の力士になる」と入門に際して意気込んでいた。 「稽古していれば何も言わなかった」という9代出羽海の元で熱心に相撲に励み、9代出羽海に言われたことは二度と繰り返して言われないように心構えを持っていた。
佐渡 稔(さわたり みのる、本名:田中 実(たなか みのる)… 佐渡 稔(さわたり みのる、本名:田中 実(たなか みのる)、1949年5月22日 - )は、新潟県佐渡市出身の日本の俳優。血液型A型。旧芸名三木 まうす(みき まうす)。劇団東京ヴォードヴィルショー、オフィスボードビル所属。芸名の「佐渡」は出身地の新潟県佐渡市(さどし)にちなむこともあって「さど みのる」と呼ばれることも多い。 新潟県立佐渡高等学校出身。劇団東京ヴォードヴィルショーの看板役者として活動しており、同劇団最古参メンバー。記録としては代表の佐藤B作ですら果たしていない唯一劇団東京ヴォードヴィルショーの公演に全出演を果たしている。 若い頃は『みごろ!たべごろ!笑いごろ!』にて、下宿の学生さんやピンクボーイを演じており、コント中は「田中さん」と呼称し、テロップは「まうす田中」と表記されていた。
山本 剛(やまもと つよし、1948年3月23日 - )は、… 山本 剛(やまもと つよし、1948年3月23日 - )は、日本のジャズピアニスト。 この項目は、まだ閲覧者の調べものの参照としては役立たない、音楽関係者(バンド等)に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(P:音楽/PJ:芸能人)。
池上 裕子(いけがみ ひろこ、1947年11月 - )は、日… 池上 裕子(いけがみ ひろこ、1947年11月 - )は、日本の歴史学者。専門は日本中世史。成蹊大学名誉教授、淑徳大学客員教授。角川源義賞受賞。専門は戦国時代および近世移行期の社会経済史。 1947年(昭和22年)新潟県佐渡郡(現佐渡市)赤玉出身。新潟県立佐渡高等学校、新潟大学人文学部経済学科卒業後、一橋大学大学院経済学研究科修士課程修了、1977年(昭和52年)同博士後期課程単位取得退学(経済史専攻で永原慶二門下)。 相模女子大学講師を経て、1991年(平成3年)成蹊大学助教授、1995年(平成7年)成蹊大学文学部教授。国際文学科主任。2001年(平成13年)日本国際文化学会発起人。同年中央大学で博士(史学)の学位を取得。
久保 敬親(くぼ けいしん、1947年5月25日 - 201… 久保 敬親(くぼ けいしん、1947年5月25日 - 2019年1月26日)は写真家。新潟県佐渡市出身。拓殖大学商学部貿易学科卒業。北海道中標津町在住。撮影のジャンルは日本の野生動物と自然。 この項目は、美術家・芸術家に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(P:美術/PJ:美術)。
高橋 和夫(たかはし かずお、1946年12月5日 - 20… 高橋 和夫(たかはし かずお、1946年12月5日 - 2021年12月20日)は、日本の哲学者、スウェーデンボリ研究者、文化女子大学名誉教授。日本スウェーデンボルグ協会会員。 新潟県佐渡市生まれ。1973年学習院大学文学部哲学科卒、80年同大学院博士課程満期退学。文化女子大学文学部講師、助教授、現代文化学部教授、学部長。2012年名誉教授。
宮田 亮平(みやた りょうへい、1945年6月8日 - )は… 宮田 亮平(みやた りょうへい、1945年6月8日 - )は、日本の金属工芸家。勲等は瑞宝重光章。第22代文化庁長官、第9代東京藝術大学学長。同名誉教授。パソナグループ社外取締役。公益社団法人日展理事長。文化功労者、日本芸術院会員。 新潟県佐渡市出身。佐渡に伝わる金属工芸「蝋型鋳金」技術保持者の二代目宮田藍堂(みやた らんどう)の三男。初代藍堂は祖父、三代目藍堂は長兄で元・東京藝大工芸科教授の宮田宏平(1926年 - 2007年)、次兄はデザイナーで三重大学名誉教授の宮田修平。兄二人、姉四人を持ち、家族全員芸術家の一家に育つ。次女は金属工芸家の宮田琴(東京藝大工芸科卒)。金属工芸家の山下恒雄(やました つねお、東京藝大工芸科名誉教授)の指導を受けた。
浅島 誠(あさしま まこと、1944年9月6日 - )は、日… 浅島 誠(あさしま まこと、1944年9月6日 - )は、日本の生物学者。専門は発生生物学。東京大学名誉教授。産業技術総合研究所名誉フェロー。横浜市立大学名誉教授。帝京大学学術顧問・特任教授。理学博士(東京大学、1972年)。新潟県佐渡市出身。 生物の分子発生プログラムと各器官形成に興味を持っていたが、1989年、胚発生における分化誘導物質として、アクチビンを世界で初めて同定した。これは世界的に追試されて確認され、高い評価を得た。アクチビンの濃度依存的に胚発生は制御される。 実験材料でもあるイモリをこよなく愛する。年2回のイモリ採取は40年間欠かしたことがない。好きな言葉は"passion(情熱を超えた熱情)"。
余湖三千雄(よご みちお、1943年4月4日 - )は、日本… 余湖三千雄(よご みちお、1943年4月4日 - )は、日本の教育者。鹿島学園高等学校の元理事長兼元学校長。 新潟県佐渡市出身。新潟県立佐渡農業高等学校卒業後、農業・土方・タクシー運転手と職を転々とする。働く傍ら日本大学文理学部英文学科(通信教育)に通い1980年に卒業。更に早稲田大学教育学部専攻科へ進み、卒業後に予備校の英語講師を務めながら心理学を学ぶために東京都立大学大学院に聴講生として通う。こうした研究や予備校講師としての経験から「SK方式」と呼ばれる独特の学習法を編み出し、1985年に「早慶外語ゼミ」を設立。大学受験生を教えると共に教師の養成にも力を入れていた。 1999年に常総学院から鹿島学園高等学校の運営を引き継ぎ、理事長並びに校長に就任。
川口 徳一(かわぐち とくいち、1939年(昭和14年)11… 川口 徳一(かわぐち とくいち、1939年(昭和14年)11月8日 - )は、日本の政治家。元新潟県両津市(現・佐渡市)長(3期)。 新潟県佐渡郡両津町(のち両津市、現・佐渡市)出身。1958年、新潟県立両津高等学校卒。地元の漁業協同組合に入り、参事を務める。1995年の両津市長選挙に立候補し初当選する。1999年、2003年と続けて当選した。2004年に両津市は合併で佐渡市となり、合併後の佐渡市長選挙に立候補したが、元真野町長の高野宏一郎に敗れた。4年後の佐渡市長選挙に再び立候補したが落選した。
髙野 宏一郎(たかの こういちろう、1939年4月27日 -… 髙野 宏一郎(たかの こういちろう、1939年4月27日 - )は、日本の政治家。初代新潟県佐渡市長(2期)。 新潟県佐渡市出身。慶應義塾大学商学部卒業。 佐渡テレビジョン代表取締役社長、マルゴ味噌代表取締役社長等を経て、2000年真野町長に就任。 2004年佐渡市初代市長に就任。2期8年務め、2012年任期満了に伴い退任。 現在は「曽我さん母娘を救う会」顧問を務める。
福田 真久(ふくだ まさひさ、1935年3月13日 - 20… 福田 真久(ふくだ まさひさ、1935年3月13日 - 2005年10月25日)は、日本の国語学者・国文学者。国士舘大学名誉教授。専攻は国語学・国文学(万葉集・俳諧・芭蕉)。 新潟県佐渡島生れ。中央大学大学院国文学博士課程単位取得満期退学。国士舘大学文学部助教授、教授、2005年退任、名誉教授。北京大学中日詩歌比較研究会名誉会長。 2005年10月25日、肝臓癌のため死去。没後、従五位瑞宝中綬章叙勲。
曽我 ミヨシ(そが ミヨシ、1931年(昭和6年)12月28… 曽我 ミヨシ(そが ミヨシ、1931年(昭和6年)12月28日 - )は、1978年(昭和53年)8月に新潟県佐渡郡真野町(現、佐渡市)から長女の曽我ひとみとともに北朝鮮(朝鮮民主主義人民共和国)に拉致された日本人女性。北朝鮮工作員による拉致被害者。 1932年(昭和7年)12月28日、新潟県佐渡郡真野村に生まれた曽我ミヨシは、中学卒業後に就職。茂を婿として迎え、ひとみ、富美子の二女をもうけた。親子は仲がよく、まるで友だちのようだと周囲から羨ましがられたという。母は優しい性格で、子どもたち2人に手をあげることもなく、少々わるいことをしても怒ることさえなかった。また、朝は農作業、昼は土建業できつい仕事をしたほかに帰宅してからはザルづくりの内職を夜12時まで続ける寡黙な働き者であった。
石塚 英夫(いしづか ひでお、1931年〈昭和6年〉8月14… 石塚 英夫(いしづか ひでお、1931年〈昭和6年〉8月14日 - 2009年〈平成21年〉11月11日)は、新潟県佐渡郡赤泊村(現在の佐渡市)長。 新潟県出身。赤泊小学校、新潟県立加茂農林高等学校卒。地元の青年団で活動し、1963年赤泊村議会議員となり、のちに議長となる。 1972年9月25日から2004年2月29日(合併による佐渡市誕生)まで赤泊村長を8期務める。在任中は県治山林道協会評議員、同砂防協会理事、全国離島振興協議会理事、佐渡治山林道協会会長などを務める。 2009年11月11日午後5時15分頃、佐渡市徳和の県道を歩いていたところ、軽乗用車にはねられ、全身を強く打って間もなく死亡、78歳。
磯部 欣三(いそべ きんぞう、1926年2月6日 - 200… 磯部 欣三(いそべ きんぞう、1926年2月6日 - 2006年1月4日)は、日本の郷土史家。本名は本間 寅雄。 新潟県佐渡郡相川町(現・佐渡市)生まれ。中根速記学校卒。日本放送協会嘱託を経て、1952年毎日新聞に入り、佐渡通信部長。同社の地方記者に与えられる第一回やまなみ賞受賞。佐渡博物館歴史部長をへて、館長、理事。良寛や世阿弥らと佐渡との関連を研究。1981年、良寛の母親がそれまでの定説だった人物とは別人であるとの説を発表した。トキの保護についても全鳥捕獲に反対するなど積極的に発言した。
伊豆野 一郎(いずの いちろう、1925年(大正14年)8月… 伊豆野 一郎(いずの いちろう、1925年(大正14年)8月18日 - 2001年(平成13年)6月7日)は、昭和から平成時代の政治家。新潟県両津市長。 新潟県出身。両津高等小学校卒業。 両津市議会議員2期、新潟県議会議員2期を経て、1984年(昭和59年)両津市長に当選。3期務め、1995年(平成7年)引退した。
粕谷 照美(かすや てるみ、1924年〈大正13年〉4月19… 粕谷 照美(かすや てるみ、1924年〈大正13年〉4月19日 - 2023年(令和5年)12月9日)は、日本の教育者、政治家。参議院議員(3期、日本社会党)。 新潟県佐渡郡(現・佐渡市)出身。1943年東京府女子師範学校(現東京学芸大学)卒。新潟県内の小中学校の教員を務め、新潟県教職員組合執行委員、日本教職員組合中央執行委員を経て、1974年の第10回参議院議員通常選挙で全国区から日本社会党公認で立候補して当選。3期務める。国会内では逓信委員長、環境対策特別委員長などを歴任、党内では中央執行委員、教育文化局長などを務めた。芸大事件の追及などを行った。1992年の第16回参議院議員通常選挙に出馬せず引退した。
梶原 武雄(かじわら たけお、1923年(大正12年)2月2… 梶原 武雄(かじわら たけお、1923年(大正12年)2月25日 - 2009年(平成21年)11月28日) は、囲碁の棋士。新潟県佐渡市出身、日本棋院所属、九段、関山利一九段門下。優れた大局観と石の形にこだわる求道的な姿勢、及び若手棋士への薫陶で囲碁界に大きな影響を与え、また多くの新定石も生み出した。抉るような厳しい棋風は「ドリル攻め」「ヤスリ攻め」「部分感覚天下一品」と呼ばれ恐れられた。武田みさを五段は姉。 新潟県佐渡郡畑野村(現:佐渡市畑野)に、商家の七人兄弟の長男として生まれる。父は碁好きで、姉みさをが父の中学の同級生で棋正社の藤原七司に習っていた影響で碁を覚えた。父の仕事の関係で一家で上京。
近衛 八郎(このえ はちろう、1913年〈大正2年〉11月1… 近衛 八郎(このえ はちろう、1913年〈大正2年〉11月16日 - 1995年〈平成7年〉)は昭和期の歌手、作曲家。本名は、釜田 俊雄。妻は、戦前キングレコードで活躍したミッキー松山こと松山映子(1912年‐2006年)。 新潟県佐渡郡沢根町(佐和田町を経て現在の佐渡市)出身。佐渡中学校、武蔵野音楽学校卒業。1936年(昭和11年)キングレコードから「あの夢この夢」でデビュー。「ああ我が戦友」や「男なら (軍歌)」などがヒット。その後応召により出征する。 戦後は作曲に転向し、鎌多俊与の名で作曲家として活躍。1956年(昭和31年)、三橋美智也の「哀愁列車」が大ヒットとなった。その他、若原一郎「風の吹きよで」、春日八郎「玄海船乗り」、「居酒屋」、三橋美智也「俺ら炭鉱夫」などを作曲した。
佐渡ヶ嶌 林蔵(さどがしま りんぞう、1909年10月5日 … 佐渡ヶ嶌 林蔵(さどがしま りんぞう、1909年10月5日 - 1955年3月17日)は、新潟県佐渡郡(現・佐渡市)出身で浅香山部屋、井筒部屋に所属した力士。本名は佐々木 林蔵。182cm、98kg。最高位は西前頭12枚目。 1933年1月初土俵。軍隊を終えた後だったため、23歳と遅い入門だった。入門した浅香山部屋が同年7月師匠(元横綱三代目西ノ海)の急逝により閉鎖されたため、井筒部屋に移籍した。左四つの吊り寄りが得意であったが、けたぐりの飛び道具もしばしば見せた。熱心な稽古の甲斐があって1939年1月十両昇進、1940年5月新入幕を果たし、翌1941年1月には最高位となる西前頭12枚目に昇進し、横綱男女ノ川と大関五ッ島を倒す殊勲を演じたものの4勝11敗と大きく負け越した。
氏田 良隆(うじた よしたか、1909年(明治42年)3月2… 氏田 良隆(うじた よしたか、1909年(明治42年)3月22日 - 没年不明)は、日本の政治家。新潟県両津市(現・佐渡市)長(4期)。 新潟県出身。1923年、加茂村(のち両津市、現・佐渡市)立尋常高等小学校卒。1933年、加茂村役場書記となり、のちに白瀬水電(株)に入り、会計課長となった。戦後の1947年、加茂村議会議員に当選、議長を務めた。1951年、加茂村長となる。1954年、加茂村は合併により、両津市が発足。合併後の市長選挙に立候補し、当選する。1958年に再選し、1962年は出馬しなかった。この間、新潟東観光(株)取締役、佐渡汽船(株)監査役を歴任した。4年後の1966年に両津市長に復帰、1970年に再選し、市長を1974年まで務めた。
長谷川 海太郎(はせがわ かいたろう、1900年1月17日 … 長谷川 海太郎(はせがわ かいたろう、1900年1月17日 - 1935年6月29日)は、日本の小説家、翻訳家。 林不忘(はやし ふぼう)、牧逸馬(まき いつま)、谷譲次(たに じょうじ)の3つのペンネームを使い分けて執筆した。林不忘は時代小説「丹下左膳」シリーズ、牧逸馬は犯罪実録小説、家庭小説、翻訳、谷譲次は米国体験記「めりけんじゃっぷ」物で知られる。 幕府の金座役人を祖父に持ち、新潟県立佐渡中学校で英語教師をし、後にジャーナリストとして活動する長谷川清(のちに改名した長谷川淑夫の名前で知られる。楽天、あるいは世民とも号した)の長男として新潟県佐渡郡赤泊村(現在の佐渡市赤泊)に生まれる。父・清は佐渡中学校の寄宿舎の舎監も務めており、当時佐渡中学校に在学していた北一輝にも感化を及ぼし、鈴木重嶺門下の清楽社同人として和歌を新潟新聞に寄稿していたが、海太郎が1歳のとき、北海新聞主筆に招かれ、のちに犬養木堂の依頼で函館新聞の主筆となる父に従って一家で函館に移住した。
中村 琢二(なかむら たくじ、1897年4月1日 - 198… 中村 琢二(なかむら たくじ、1897年4月1日 - 1988年1月31日)は、日本の洋画家である。日本芸術院会員。 鉱山技師であり、後に住友本社鉱山技師長となる中村啓二郎の二男として、当時啓二郎が勤務していた佐渡金山があった新潟県佐渡郡相川町(現・佐渡市)に生まれる。洋画家の中村研一は実兄。1899年、愛媛県新居浜に移り、1906年より、福岡県の祖父母のもとで育つ。旧制東筑中学(現福岡県立東筑高等学校)入学後、福岡県立中学修猷館に転校。在学中に兄・研一や児島善三郎らが創立した絵画同好会「パレット会」に参加して、西洋絵画を勉強している。1916年、父の跡を継ぐべく第五高等学校理科に進むが、健康上の理由で中退し、第六高等学校英法科に入学して、1924年、東京帝国大学経済学部を卒業する。
本間 一咲(ほんま かずさく、1896年12月13日 - 1… 本間 一咲(ほんま かずさく、1896年12月13日 - 1973年12月16日)は、日本の作詞家。新潟県佐渡島出身。 1896年(明治29年)、新潟県加茂郡新穂村(現在の佐渡市)に生まれる。1918年(大正7年)に東京府青山師範学校を卒業。 東京都内で45年にわたって教員を務める傍ら作詞の懸賞公募でたびたび入選し、戦前の懸賞歌謡界では「本間さんをしらない者はモグリといわれてもしかたがない」と評される存在であったと言われる。戦後は作詞と並行してふるさと詩社発行の雑誌『ふるさと』を中心に詩を発表している。 1973年(昭和48年)死去。享年78(満77歳没)。
菊地 勘左ェ門(きくち かんざえもん、1895年 - 198… 菊地 勘左ェ門(きくち かんざえもん、1895年 - 1980年)は、日本の動物学者。 新潟県河崎村(現 佐渡市)生まれ。広島高等師範学校卒業後、1921年に富山県立富山高等女学校(富山県立富山いずみ高等学校)へ着任。旧制富山高等学校(現富山大学)助教授などを経て、魚津中学校(現富山県立魚津高等学校)校長、富山県立高岡中部高等学校校長を歴任。富山県博物学会初代会長。佐渡博物館館長、両津市教育長を歴任。 富山湾の貝類研究の草分けで、コレクションの多くは富山市科学博物館に収蔵されている。貝類の他には甲殻類のエビ・カニ類の研究も行った。植物学にも通じていた。
近藤 伊與吉(こんどう いよきち、1894年〈明治27年〉8… 近藤 伊與吉(こんどう いよきち、1894年〈明治27年〉8月17日 - 1944年〈昭和19年〉)は、日本の俳優、脚本家、映画監督である。村田実らの起こした新劇の劇団「踏路社」を振り出しに、映画俳優になり、映画も監督し、無声映画時代のスター俳優となったことで知られる。 1894年、新潟県佐渡に生まれる。 その後上京し、1917年2月17日に村田実、青山杉作、関口存男、木村修吉郎らの起こした新劇の劇団「踏路社」(1917年 - 1920年)に参加し、俳優として舞台を踏む。1919年、25歳のとき、「天然色活動写真」(天活)の社員であり映画理論家として知られる帰山教正の「映画芸術協会」設立に、村田実、青山杉作らとともに参加、設立第一作『深山の乙女』および『生の輝き』にそろって出演する。