田嶋 伸博(、1950年6月28日 - )は、日本のレーシン… 田嶋 伸博(、1950年6月28日 - )は、日本のレーシングドライバー、実業家。石川県小松市出身。国士舘大学工学部機械工学科卒業。通称は「モンスター田嶋」。 レーシングコンストラクターであるアイアールディー、モンスタースポーツジャパン、自動車ディーラー・タジマモーターコーポレーションの創業者。 1968年にモータースポーツデビュー。主にラリーやダートトライアルを得意とし、1996年・1997年・1998年・2001年・2002年と、過去5回アジアパシフィックラリー選手権 (APRC) の2輪駆動部門でシリーズチャンピオンを獲得した。 また、1983年に「モンスターインターナショナル」(現:タジマモーターコーポレーション)を設立しモータースポーツに参戦するレーサーの後方支援活動も展開。
大車輪 松五郎(だいしゃりん まつごろう、1949年9月25… 大車輪 松五郎(だいしゃりん まつごろう、1949年9月25日 - )は、石川県小松市出身で時津風部屋に所属した元大相撲力士。本名は小坂 芳正(おさか よしまさ)。178cm、105kg。最高位は西十両6枚目。得意技は左四つ、寄り。 農家を営む実家に生まれ、丸の内中学校2年生の時に上京して入門し、上京するにあたって両国中学校に転校した。1964年5月場所に初土俵。1973年3月場所に新十両。その場所は8勝7敗と勝ち越すが、翌5月場所は3勝12敗と大きく負け越し、幕下へ陥落。幕下に陥落してからもしばらく低迷していたが、1977年3月場所に4年ぶりに十両に復帰する。復帰した場所は8勝7敗と新十両以来となる勝ち越しを決めるが、翌5月場所は3勝12敗と大きく負け越し、再度幕下へ陥落。
久保田 麻琴(くぼた まこと、本名:久保田 誠、1949年7… 久保田 麻琴(くぼた まこと、本名:久保田 誠、1949年7月11日 - )は、日本の男性音楽家。 80年代の一時期(Sunsetz /HEAT SCALE - Sandii & The Sunsetz / Rhythm Chemistry 頃まで)はJASRACの作家登録とアーティスト表記を久保田真箏(久保田眞箏)としていた(Sandii & The Sunsetz / One Love からはJASRACの作家登録表記を久保田麻琴に戻している)。本人のインタビューとかではない雑誌記事などで“久保田真琴”の誤クレジットもあり、JASRACのアーティスト登録でも11作品に“久保田真琴”の併記が見られる。
勝山 清次(かつやま せいじ、1948年6月 - )は、日本… 勝山 清次(かつやま せいじ、1948年6月 - )は、日本の歴史学者。京都大学名誉教授。専門は日本中世史。石川県小松市出身。
北 栄一郎(きた えいいちろう、1947年8月17日 - 2… 北 栄一郎(きた えいいちろう、1947年8月17日 - 2019年9月16日)は、日本の政治家。元石川県小松市長(2期)。石川県議会議員(1期)。 石川県小松市出身。1971年、東京大学法学部を卒業。同年自治省に入る。のち石川県企画開発部企画課長、総務部次長、企画開発部長、商工労働部長、参与を経て、1992年小松市長選挙に立候補し、現職を破り当選。1996年の市長選でも再選された。 1997年1月、日本海でロシアのタンカー「ナホトカ号」が座礁。大量の重油が沿岸に流出した(ナホトカ号重油流出事故)。この事故の最中、サイパンへ旅行に行っていたことが判明。しかも、休暇の理由が虚偽だったため、北は3月に市長を辞職。
元吉瑞枝(もとよし みずえ、1944年3月 - )は、日本の… 元吉瑞枝(もとよし みずえ、1944年3月 - )は、日本のドイツ文学者、熊本県立大学名誉教授。 石川県小松市に生まれる。1962年石川県立小松高等学校卒業、東京大学教養学部文科Ⅲ類入学。66年文学部ドイツ文学科卒業。68年同大学院人文科学研究科修士課程修了、熊本女子大学助手。講師、助教授、95年熊本県立大学教授。2004-06年文学部長、2009年定年退職、名誉教授。
北畠 能房(きたばたけ よしふさ、1944年 - )は、日本… 北畠 能房(きたばたけ よしふさ、1944年 - )は、日本の環境学者、神職。京都大学名誉教授、小松天満宮宮司、宗教法人小松天満宮代表役員。通称は北畠 佳房。 石川県小松市出身。金沢大学教育学部附属高等学校卒業。一橋大学社会学部で指導教官杉田元宜のゼミでサイバネティックス関連書の輪読を行った。1968年一橋大学社会学部卒業。1970年一橋大学大学院商学研究科修士課程修了。指導教官は宮川公男。杉田ゼミ及び宮川ゼミの同期にアイ・アール ジャパンホールディングス創業者の鶴野史朗がいた。1974年コーネル大学大学院政策計画・地域分析研究科博士課程修了 (Ph.D.)。 小松天満宮の禰宜や宮司を務めながら、大学で教鞭を執り、環境・資源経済学、環境政策論、公会計学についての研究を行った。
元谷 外志雄(もとや としお、1943年6月3日 - 202… 元谷 外志雄(もとや としお、1943年6月3日 - 2026年2月11日)は、日本の実業家。アパグループ創業者・会長。ペンネームは藤誠志(ふじせいじ)。 幼少期は父の事業を手伝っていた。1962年、石川県立小松高等学校を卒業。小松信用金庫(現・はくさん信用金庫)に入庫。勤務と並行して、慶應義塾大学経済学部通信教育部に通う(のちに中退)。北陸に拠点を置く金融機関の労働組合の会合にて、福井信用金庫に勤務していた西川芙美子と知り合い、結婚する。 9年後に退社し、注文住宅販売会社「信金開発株式会社」(のちアパ株式会社)を創業。33歳でマンション事業を起業。マンションやホテル、レストラン事業などを中核とする14の企業からなるアパグループの代表となる。
一川 保夫(いちかわ やすお、1942年〈昭和17年〉2月6… 一川 保夫(いちかわ やすお、1942年〈昭和17年〉2月6日 - )は、日本の政治家、農林官僚。 衆議院議員(3期)、参議院議員(1期)、防衛大臣(第9代)、参議院災害対策特別委員長、民主党参議院政策審議会長、同参議院幹事長、同幹事長代理、同石川県連代表、石川県議会議員(2期)等を歴任。 1942年に石川県小松市に生まれる。石川県立松任農業高等学校を卒業後、三重大学農学部農業土木学科を卒業した。1965年に農林省(現農林水産省)に入省し、以後25年間勤務する。1990年に農林水産省を退官した。 1991年4月に父・一川保正の後を継いで石川県議会議員選挙に自由民主党公認で出馬し、初当選。石川県議会では石川県選出の奥田敬和系列に属した。
石田 寛人(いしだ ひろと、1941年(昭和16年) - )… 石田 寛人(いしだ ひろと、1941年(昭和16年) - )は、日本の官僚。元科学技術事務次官。元駐チェコ大使、公立小松大学理事長、公益財団法人本田財団理事長、(公財)原子力安全技術センター会長、(公財)前田育徳会理事長。石川県小松市京町出身。
西村 徹(にしむら とおる、1939年11月20日 - )は… 西村 徹(にしむら とおる、1939年11月20日 - )は、日本の政治家。元石川県小松市長(3期)。 石川県小松市出身。石川県立小松高等学校を卒業後、石川県庁に入る。県庁内では農林水産部長などを歴任した。農林水産部長時代の1997年1月、日本海でロシアのタンカー「ナホトカ号」が座礁。大量の重油が沿岸に流出した(ナホトカ号重油流出事故)。この事故の最中、当時の小松市長の北栄一郎がサイパンへ旅行に行っていたことが判明。しかも、休暇の理由が虚偽だった。そのことが問題になり、北は市長を辞職。出直し市長選となった。この選挙で前市長の北が再出馬を表明、これに対して西村も県庁を退職し、自民、新進、社民の各党の推薦を受け出馬した。
白江 治彦(しらえ はるひこ、1938年1月16日 - )は… 白江 治彦(しらえ はるひこ、1938年1月16日 - )は、囲碁のプロ棋士、八段。石川県小松市出身、大窪一玄門下。日本棋院所属、2004年に引退。 アマチュアへの普及活動に献身し、多くのファンの指導に当たったため剣術の吉岡一門になぞらえて「門弟三千人」などとも言われた。軽妙なトークを生かして囲碁番組の司会などを数多く務めており、囲碁界の底辺拡大の功績は極めて高く評価されている。 棋風は中央戦を得意とし、珍しい着点である大高目(4線と6線の交点)や「浮かび」(第6線と第10線の交点)などを多用したことで知られる。 息子に、ダイアモンド囲碁サロン経営者の白江徹一。 図のように第六線を三連打する布石を一時期多用し、「アポロ流」と称していた。
吉田 美統(よした みのり、1932年7月7日 - )は日本… 吉田 美統(よした みのり、1932年7月7日 - )は日本の陶芸家。2001年に人間国宝に認定された。本名は吉田 稔。 石川県小松市出身。生家は作陶を生業としており、九谷焼独特の赤絵金襴手(きんらんで)を継承していた。美統も高校在学中から陶芸技法を学び始め、卒業後1951年に家業である錦山窯の三代目となり、九谷の伝統的な絵付け等の技法を習得。1962年には武蔵野美術短期大学の特修生として工芸デザインを学んでいる。釉裏金彩技法を用いた加藤土師萌の作品に出会ったことをきっかけに、自らの作陶にもその技術を取り入れる事を決意する。 九谷伝統の色絵具をかけた素地を本焼きして地色とし、その上に二種類の金箔を文様に切り取ったものを載せて焼き付け、更に仕上げとして全面に透明な釉薬をかけて焼き仕上げる。
塗師 祥一郎(ぬし しょういちろう、1932年4月24日 -… 塗師 祥一郎(ぬし しょういちろう、1932年4月24日 - 2016年9月21日)は、日本の洋画家(浦和画家)。2010年から日洋会理事長。石川県小松市生まれ。雪深い北国の風景画で知られた。陶芸家・塗師淡斉の長男。
嶋崎 丞(しまさき すすむ、1932年4月17日 - 201… 嶋崎 丞(しまさき すすむ、1932年4月17日 - 2019年12月19日)は、日本の陶磁器研究家。 石川県小松市生まれ。立教大学卒業、九州大学大学院文学研究科国史学専攻修士課程修了。1959年石川県美術館職員となる。資料課長、専業課長、1980年石川県立美術館開設準備室長、1983年石川県立美術館副館長、1991年館長。石川県七尾美術館館長、石川県文化財保存修復工房所長を兼任する。 2019年12月18日にホテル日航金沢で開かれていた「第60回美術家まつり」の席上で意識を失い、翌12月19日に虚血性心疾患のため石川県立中央病院で死去した。87歳没。 兄に嶋崎弘(雲井社長)、嶋崎均(参議院議員)、嶋崎譲(政治学者・衆議院議員)、東方歩(東洋交通社長)、妹に嶋崎晶子(立正短期大学教授)がいる。
大窪 一玄(おおくぼ いちげん、1929年(昭和4年)3月1… 大窪 一玄(おおくぼ いちげん、1929年(昭和4年)3月15日 - 2015年(平成27年)3月2日)は、日本の囲碁棋士。石川県出身、増淵辰子八段門下、日本棋院所属、九段。王座戦準優勝など。旧名幸雄。1999年現役引退。 石川県小松市に生まれる。1939年(昭和14年)増淵辰子に入門し、翌年院生。1944年初段。1946年に若手棋士の研究会「金曜会」参加。1948年大手合秋期2部優勝、同年藤沢庫之助を中心とした研究会「黎明会」参加。1949年五段。1950年大手合春期2部優勝。1953年青年棋士選手権戦2部優勝。1958年首相杯争奪高段者トーナメント優勝、七段。1963年十段戦敗者組決勝進出。
飴山 實(あめやま みのる、1926年(昭和元年)12月29… 飴山 實(あめやま みのる、1926年(昭和元年)12月29日 - 2000年(平成12年)3月16日)は、日本の俳人、化学者。山口大学名誉教授(農芸化学)。 石川県小松市生まれ。第四高等学校を経て、1950年、京都大学農学部農芸化学科卒。化学者としては酢酸菌の研究を専門とし、大阪府立大学助手、静岡大学助教授を経て、1969年、山口大学農学部教授。1988年、「酢酸菌の生化学的研究」にて日本農芸化学会功績賞、中国文化賞を受賞。1990年、山口大学を定年退職、関西大学工学部教授を務めた。2000年3月16日、腎不全により死去。 句作は高校在学中、『芭蕉七部集』を読み、寮の宿直だった大河寥々の指導を受けて始めた。
嶋崎 譲(嶋﨑 譲、しまさき ゆずる、1925年(大正14年… 嶋崎 譲(嶋﨑 譲、しまさき ゆずる、1925年(大正14年)1月21日 ‐ 2011年(平成23年)10月26日)は、日本の政治学者、政治家。衆議院議員(8期)。 石川県小松市粟津町に生まれる。兄の均は自由民主党所属の参議院議員、法務大臣を歴任し、兄弟で党籍が与野党に別れていた。また、弟の丞は石川県立美術館館長。 旧制第四高等学校を経て九州大学大学院法学研究科政治学専攻修士課程修了。 大学院修士課程修了後、九州大学助教授、教授となる。向坂逸郎らと共に社会主義協会系の学者として活躍するが、1967年(昭和42年)社会主義協会分裂の際は太田派の中心人物の一人となった。 1969年(昭和44年)、社会党執行部から求められて九州大学教授を辞職し、旧石川1区から第32回総選挙に立候補するが落選。
北元 喜雄(きたもと のぶお、1924年1月1日 - 201… 北元 喜雄(きたもと のぶお、1924年1月1日 - 2010年10月31日)は実業家。太陽グループ代表(本部は石川県金沢市)。石川県小松市出身。勲四等瑞宝章。 大阪経済大学卒業。1951年から1971年まで4期にわたり金沢市議会議員を務める。元参議院議員の林屋亀次郎の秘書も16年間務める。 1970年に太陽開発の常務に就任し、翌年には同社代表取締役社長に就任。1975年に北陸大学の運営母体である学校法人松雲学園の副理事長に就任。1985年から1994年は学校法人北陸大学理事長、1996年から2004年まではエフエム石川代表取締役社長、金沢名鉄丸越百貨店取締役、石川県留学生協会会長、石川県青年団協議会会長なども務め、不動産開発をはじめ教育、医療、福祉など様々な事業を手がけた。
石本 茂(いしもと しげる、女性、1913年9月6日 - 2… 石本 茂(いしもと しげる、女性、1913年9月6日 - 2007年10月10日)は、日本の女性政治家、看護師。自由民主党参議院議員(4期)。日本赤十字社富山県支部赤十字病院救護看護婦養成所卒業。石川県小松市出身。 救護看護婦養成所卒業後、看護師となり、戦後は厚生省国立病院課看護係長、国立がんセンター初代総婦長などを経て、1965年の参議院議員選挙に全国区から無所属で立候補し初当選。5年後に自民党に入党。党内では福田赳夫→安倍晋太郎派に属し、1984年11月から1985年12月まで史上3人目の女性閣僚として第2次中曽根改造内閣の環境庁長官を務めた。 1986年4月の春の叙勲で勲七等から勲一等に叙され、瑞宝章を受章する。
原谷 敬吾(はらたに けいご、1911年 <明治44年> 9… 原谷 敬吾(はらたに けいご、1911年 <明治44年> 9月20日 - 1999年 <平成11年> 1月22日)は、日本の経営者。北陸電力社長を務めた。石川県小松市出身。位階は従三位。 1932年に広島高等工業学校電気工学科を卒業。金沢市電気局、日本海電気、小松電気での勤務を経て、1960年に北陸電力理事に就任し、1962年に取締役、1964年に常務、1968年に副社長を経て、1979年に社長に就任。1979年に会長に就任し、1987年には取締役相談役に就任。 1979年から1991年までに北陸経済連合会会長を務めた。 1973年に藍綬褒章を受章し、1984年に勲一等瑞宝章を受章。 1999年1月22日心不全のために死去。
出羽ノ花 國市(でわのはな くにいち、1909年3月1日 -… 出羽ノ花 國市(でわのはな くにいち、1909年3月1日 - 1987年5月30日)は、元大相撲力士。位階は正五位。 石川県能美郡(現:石川県小松市)出身(出生地は東京都江東区)、出羽海部屋に所属した。本名は市川 國一(いちかわ くにいち)(旧姓:駒澤)。 1909年3月1日に東京府南葛飾郡大島町(現:東京都江東区大島)で肥料会社を営む家に生まれ、石川県能美郡(現:石川県小松市)で育つ。既に9歳で体重が60kgに達して怪童と話題になり、実家の得意先の世話で出羽ノ海部屋を紹介された。毎週土曜日には地元の巡査の迎えで部屋に行って関取と相撲を取らせてもらったり、出羽海によって遊びに連れて行ってもらったり、部屋に宿泊する時は豪華な文房具をお土産に貰ったりするなど可愛がられた。
陣出 達朗(じんで たつろう、1907年2月14日 - 19… 陣出 達朗(じんで たつろう、1907年2月14日 - 1986年4月19日)は、日本の時代小説家。第3代日本作家クラブ会長。石川県出身。 『遠山の金さん』シリーズ、『伝七捕物帳』シリーズ、『新五捕物帳』の作者として知られる。 小松市生まれ。本名・中村達男。兄が南満州鉄道に勤めていたため満州にわたり、奉天中学校に入学したが病気のため帰郷、金沢中学校(現・金沢高等学校)四年修了。1929年日活脚本部に入社する。のち右太プロ脚本部に転じたが、再び日活に戻る。 1933年、『さいころの政』で第12回「サンデー毎日」大衆文芸賞を受賞。1938年会社を辞し脚本家から作家に転身する。 1947年に探偵作家クラブ創設の際、捕物作家も入会するはずだったが、木々高太郎の反対で実現しなかった。
勝木 保次(かつき やすじ、1905年11月28日 - 19… 勝木 保次(かつき やすじ、1905年11月28日 - 1994年3月6日)は、生理学者、文化勲章受章者。聴覚の研究に大きく貢献した。 石川県小松生まれ。第三高等学校、東京帝国大学医学部卒業。当初は耳鼻科を専攻していたが、橋田邦彦の生理学教室に移る。1949年東京医科歯科大学教授、1971年に定年退職後に鶴見大学歯学部教授。1974年に東京医科歯科大学学長に就任し、1977年まで務める。1972年日本学士院会員。1977年生物科学総合研究機構長に就任し、1981年まで務めた。 1948年 東京大学 医学博士。論文は「日本語母音の構成と口腔及び附属管腔の研究」。 母音解析や魚類、哺乳類等の聴覚の研究から脳の聴覚機構を研究する。
宮本 三郎(みやもと さぶろう、1905年〈明治38年〉5月… 宮本 三郎(みやもと さぶろう、1905年〈明治38年〉5月23日 - 1974年〈昭和49年〉10月13日)は、日本の洋画家。金沢美術工芸大学名誉教授。石川県能美郡末佐美村(現・小松市)生まれ。 1905年、石川県小松市に生まれる。旧制小松中学校に在学中に陸軍幼年学校を受験するも落ちたため中学校を中退、画家になることを志す。1922年(大正11年)に上京すると川端画学校に入り富永勝重、藤島武二に師事する。また安井曾太郎、前田寛治からも教えを受けた。関東大震災後に京都に移り、関西美術院で黒田重太郎の指導を受ける。 1936年(昭和11年)、二科会に新会員として迎えられる。 油絵の他に雑誌の挿絵、新聞小説の挿絵も多く手がけた。
本陣 甚一(ほんじん じんいち、1904年1月5日 - 2… 本陣 甚一(ほんじん じんいち、1904年1月5日 - 2008年1月29日)は、日本の経営者、銀行家。北國銀行頭取を務めた。長男は北國銀行第6代頭取の本陣靖司。 石川県小松市出身。1929年に京都帝国大学法学部を卒業し、1930年2月に加越合同銀行に入行した。1943年12月に北國銀行に転じ、1948年2月に常務に就任し、1950年10月に専務、1954年11月に副頭取を経て、1961年1月には頭取に就任。1966年7月には会長も兼任し、1968年11月には頭取を退任。 近現代の日本画をはじめとした美術品収集を趣味としており、小松市立本陣記念美術館にコレクションが収蔵されている。 2008年1月29日、老衰のために死去。
佐々木 直次郎(ささき なおじろう、1901年(明治34年)… 佐々木 直次郎(ささき なおじろう、1901年(明治34年)3月27日 - 1943年(昭和18年)5月24日)は、日本の翻訳家。 石川県小松市生まれ。小松中学校を経て金沢第一中学校に転じ、四年修了で第四高等学校に進む。1925年、東京帝国大学文学部英吉利文学科卒。同大学院を経て、日本大学で短期間教える。 1931年9月から1932年11月にかけて第一書房より刊行された『エドガア・アラン・ポオ小説全集』を訳出。ポーの本格的翻訳として注目を浴びる。その他、ロバート・ルイス・スティーヴンスン『宝島』『ジーキル博士とハイド氏の怪事件』、チャールズ・ディッケンズ『二都物語』などの訳書がある。肺炎で急死。
北 政清(きた まさきよ、1891年〈明治24年〉10月11… 北 政清(きた まさきよ、1891年〈明治24年〉10月11日 - 1953年〈昭和28年〉9月1日)は、日本の農業経営者、政治家。衆議院議員。 石川県能美郡今江村(現小松市)で北小太郎の三男として生まれる。1895年、父と共に北海道空知郡奈井江に入植。公立砂川小学校を経て、1910年、北海道庁立空知農業学校農科を卒業し農業に従事。 1915年、札幌郡江別村付属員となる。以後、雨竜郡秩父別村農会技術員、兼同役場付属員、北海道庁農業技手、板谷農場管理人、北竜村土功組合長、板谷農場産業組合長理事、北竜村農会副会長、北竜村会議員、在郷軍人会分会長、板谷商船 (株) 農場支配人、北連販売部長、産業組合中央会空知部会理事、日本通運 (株) 滝川支店長などを務めた。
新木 栄吉(あらき えいきち、1891年〈明治24年〉4月2… 新木 栄吉(あらき えいきち、1891年〈明治24年〉4月24日 - 1959年〈昭和34年〉2月1日)は、大正から戦後昭和に活躍した日本の銀行家。日本銀行総裁を2度にわたって務めたほか、戦後初の駐米大使も務めた。 石川県小松町(現 小松市)出身。石川四中から第四高等学校 (旧制)首席を経て、1916年(大正5年)東京帝国大学法科大学政治学科を卒業。同年日本銀行に入行。 日本銀行では国庫局、大阪支店、ニューヨーク駐在(1922年-1926年および1935年-1937年の二度)などを経たのち、外国為替局長、営業局長、理事、副総裁を歴任。1945年(昭和20年)10月に渋沢敬三総裁が幣原内閣の大蔵大臣を拝命して入閣すると、その後任の日銀総裁に就任した。
北 勝太郎(きた かつたろう、1889年〈明治22年〉9月1… 北 勝太郎(きた かつたろう、1889年〈明治22年〉9月14日 - 1963年〈昭和38年〉2月21日)は、日本の政治家。衆議院議員(4期)・参議院議員(1期)。奈井江村初代村長。 石川県能美郡御幸村(現・小松市)出身。1894年、一家で砂川町奈井江に入植。1911年、空知農業学校卒業。卒業後は、家業の農業に従事。1915年大日本帝国陸軍に入営。少尉任官。砂川農村会長・奈井江産業組合長・奈井江水利組合長を兼任。1919年砂川町議会議員に当選。1920年保証責任北海道信用購買販売組合聯合会(北聯、のちのホクレン)理事および砂川農会会長。1924年大日本帝国陸軍中尉任官、同年北海道議会議員に当選し、以後連続3期務めた。
松山 二三郎(まつやま にさぶろう、1881年10月10日 … 松山 二三郎(まつやま にさぶろう、1881年10月10日 - 1991年4月3日)は男性長寿日本一であった石川県の男性。 寺子屋で学んだ後、家業の農業に従事。長男ら家族8人で暮らし、子7人、孫16人、ひ孫29人、やしゃご4人がいた。妻は1949年に亡くなった。耳が少し遠く、足腰は弱っていたが、103歳頃までは自宅から500メートル離れた畑にまで出かけ、毎日農作業に精を出していた。106歳頃から横になっていることが多くなった。 1990年3月6日、藤原喜一が109歳で亡くなったことにより、松山が108歳で長寿日本一の男性となる。 男性長寿日本一となった際「おかげさまで。みんなにかわいがられて」と何度もお礼を述べた。
小松山 与三松(こまつやま よさまつ、慶応3年12月14日(… 小松山 与三松(こまつやま よさまつ、慶応3年12月14日(1868年1月8日) - 大正6年(1917年)5月17日)は、加賀国能美郡(現在の石川県小松市)出身で八角部屋に所属した大相撲力士。本名は本田 与三松(ほんだ よさまつ、旧姓:太田)。身長175cm、体重90kg。最高位は西前頭2枚目。養女の夫は元小結鶴ヶ濱(13代玉垣)。 1889年1月幕下附出しで初土俵。1893年1月十両昇進、1893年5月入幕。粘り強い足腰を生かして吊るか打っ棄る取り口。1897年5月横綱小錦を破り、1898年5月にも小錦と預かりの相撲をとる。朝汐に強く、1896年1月、1902年1月に引分、1901年1月、1903年1月に勝利している。
中田 弥平(彌平、なかだ やへい、1864年(元治元年2月)… 中田 弥平(彌平、なかだ やへい、1864年(元治元年2月) - 1928年(昭和3年)5月25日)は、日本の政治家、衆議院議員(2期)。 加賀国能美郡浅井村(のち石川県能美郡苗代村、現・小松市)出身。農業を営む。1883年、自由党に加入し、石川県会議員、同参事会員となる。 1898年3月の第5回衆議院議員総選挙において石川2区から自由党公認で立候補して当選する。同年8月の第6回衆議院議員総選挙では憲政党公認で立候補して当選した。衆議院議員を2期務め、1902年の第7回衆議院議員総選挙は不出馬。1928年に死去した。
若湊 祐三郎(わかみなと すけさぶろう、1861年12月6日… 若湊 祐三郎(わかみなと すけさぶろう、1861年12月6日(文久元年11月5日) - 1920年9月21日)は、石川県能美郡(現小松市)出身で始め富士ヶ根部屋、伊勢ノ海部屋を経て高砂部屋に所属した大相撲力士。本名は村田 竹松(むらた たけまつ)一時期岡島姓を名乗ったことがある。最高位は関脇。現役時代の体格は169cm、90kg。得意手は突っ張り。 1888年に入幕。関脇を4場所、小結を6場所務めるなど、17年もの長きにわたり幕内上位を維持。小錦とは大相撲を展開して相撲場を札止めにする人気だった。1893年1月からは東方に回り、小錦、朝汐などと大戸平、大砲、鳳凰、荒岩などの強豪と対決した。1902年(明治35年)5月には40歳ながら当時大関であった2代目梅ヶ谷を倒す殊勲を挙げた。
6代 米谷 半平(こめたに はんべい、1852年1月3日(嘉… 6代 米谷 半平(こめたに はんべい、1852年1月3日(嘉永4年12月12日) - 1927年(昭和2年)5月27日)は、明治から大正時代の政治家。実業家。銀行家。貴族院多額納税者議員。 加賀国、のちの石川県能美郡安宅町(現小松市)出身。先代米谷半平の三男として生まれ、亡兄半平の跡を継ぎ襲名した。 米谷銀行を経営したほか、石川県農工銀行、北陸興業各取締役などを歴任した。また、公共事業に尽くし第五回関西府県連合共進会特別委員や日本赤十字社特別委員に挙げられ有功章を送られたほか、帝国義勇艦隊建設費を寄附し、愛国婦人会に尽力し賞状を授かった。このほか、日露戦争の功により勲四等旭日小綬章を受章した。 1899年(明治32年)石川県多額納税者として補欠選挙で貴族院議員に互選され、同年7月11日から1904年(明治37年)9月28日まで務めた。
小田 敏充 は、日本の声優、舞台俳優。石川県小松市出身。WO… 小田 敏充 は、日本の声優、舞台俳優。石川県小松市出身。WORD STUDIO代表取締役社長。アミューズメントメディア総合学院講師。
地井 明子(じい あきこ)は、日本のキャラクターデザイナー、… 地井 明子(じい あきこ)は、日本のキャラクターデザイナー、イラストレーター。 石川県小松市出身。石川県立小松高等学校。金沢美術工芸大学出身。 1989年にサンリオに入社、以降はサンリオに所属している。主にキャラクターデザイン活動の他にも、キャラクターサイン活動などで活動している。 ()内はキャラクターデビュー年。
洸 太朗(こう たろう)は、石川県小松市出身の演歌歌手である… 洸 太朗(こう たろう)は、石川県小松市出身の演歌歌手である。デビュー曲は「夢 ほたる」(日本クラウン)。 第63回粟津駅前商工祭カラオケ選手権で優勝を機に、第3回全日本カラオケ選手権大会、第10回ケーブルテレビカラオケグランプリで優勝する経歴を持つ。 日本クラウンより2009年8月5日にCDシングルデビューを果たす。 地元小松市、石川県出身の歌手として地元に愛される歌手を目指す。 この項目は、まだ閲覧者の調べものの参照としては役立たない、歌手に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(P:音楽/PJ:芸能人)。
野村 天圭衣(のむら てんけい)は、日本の華道家である。 石… 野村 天圭衣(のむら てんけい)は、日本の華道家である。 石川県小松市出身。2013年1月に石川県観光親善大使に就任した。石川県の観光PRを目的とした2014年カレンダーの制作を行い、観光名所と生け花の風景写真などを撮影した。 また、環境王国こまつ親善大使を務めている。 2025年 NHK「あさイチ」グリーンコーナー この項目は、人物に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(プロジェクト:人物伝、Portal:人物伝)。