タスク(TUSK、1993年1月22日 - 、旧芸名:足立匡… タスク(TUSK、1993年1月22日 - 、旧芸名:足立匡→永瀬匡→匡(Task))は、日本の俳優、モデル、ミュージシャンである。音楽活動での名義はTHE EMPTY ORCHESTRA(略:T.E.O)。鳥取県境港市出身。元関西ジャニーズJr.。2018年8月まで研音に所属していた。同年9月1日からフリーで活動し、2021年4月からHITOMEに所属。 元関西ジャニーズJr.であり、2008年には「足立匡」名義で関西ジャニーズJr.内ユニット・OSSaNのメンバーとしてライブにも出演していた。 高校2年生の時に父親が経営する鉄板焼き屋が横浜に出店するのを機に転校。日頃から役者になりたいと言っていたことを知っていた担当美容師が、客の芸能事務所のスカウト部の人間と縁をつなぎ、事務所入りすることになる。
黒木 文貴(くろき ふみたか、1991年6月3日 - )は、… 黒木 文貴(くろき ふみたか、1991年6月3日 - )は、日本の俳優である。鳥取県出身。2020年9月1日「黒貴」から「黒木文貴」に改名。愛称は黒貴(くろたか)。 大学卒業後に上京し舞台・テレビドラマ・CMなどに出演、モデルとしても活動。 約4年間を「黒貴」として活動していたが、2020年9月1日より黒木文貴へ改名。 As aroundに所属いていたが2020年に事務所閉鎖。2021年1月より和奏AGENCY(わかなエージェンシー)に所属。2024年12月末日をもって和奏AGENCYを円満退社し、2025年2月14日OFFICIAL SITE開設。フリーランスで数々の舞台、映像に出演し活動中。
佐野 マリア(さの マリア、1991年3月18日 - )は、… 佐野 マリア(さの マリア、1991年3月18日 - )は、日本のタレント、モデル、女優。鳥取県境港市出身。 上京後、地下アイドル活動をする傍ら、オーディションを受ける日々を送る。 2016年4月より株式会社MSエンタテインメントに所属。 2016年5月、京王閣競輪場東京オーヴァル京王閣マスコットガールに就任。カラーは8番車のピンク担当。 2018年7月、テレビ東京『さまスポ』にスポっ娘として水着で出演し、7月14日【三村ダイブ、ビーチ美女と真剣勝負!】、7月21日【美女と対決!ビーチバレーで大熱戦!】の2回に分けて放送された。過去に全国大会『春の高校バレー』に出場したことがあるグラビアアイドルとして紹介された。
みょーちゃん( (1975-09-23) 1975年9月23… みょーちゃん( (1975-09-23) 1975年9月23日(50歳) - )は、日本のお笑いタレント。本名、茗荷 貴史(みょうが たかふみ)。鳥取県境港市出身。松竹芸能所属。 身長173cm、体重60kg、血液型はA型。鳥取県立米子西高等学校時代に茗荷、山根、川田、永榮の4人で『川田とその愉快な仲間たち&戸塚ヨットスクールズ』というグループ名で活動を行っていたが、方向性の違いから川田、永榮が脱退。中心人物であった川田の脱退により求心力を失ったグループは解散を余儀無くされた。 高校を卒業後、大阪電気通信大学に進学。大阪で元メンバーの1人である山根と偶然に再会し、お笑いコンビ『荒波部屋』を結成、活動していたが2000年(平成12年)5月に解散。
大部 由美(おおべ ゆみ、1975年2月15日 - )は、鳥… 大部 由美(おおべ ゆみ、1975年2月15日 - )は、鳥取県境港市出身の元女子サッカー選手。サッカー指導者。元サッカー日本女子代表。現役時代のポジションはディフェンダー。 境港市立渡小学校、境港市立第三中学校、八千代松陰高等学校卒業。 小学生時代に姉の影響で渡スポーツ少年団で競技を始める。中学時代にはクラブチームの米子コスモスでプレー。 中学卒業後、日本女子サッカーリーグ(JLSL→L・リーグ)に参入した日興證券女子サッカー部ドリームレディースへ入団し、ヤングプレーヤー賞(新人賞)を獲得した。 日興證券廃部に伴い埼玉県にうつり、沖電気女子サッカー部であるOKI FC Windsに入団したが1999年度シーズン終了後に廃部となり退団。
はり たつお(畭 辰雄、1974年 - )は、日本の版画家・… はり たつお(畭 辰雄、1974年 - )は、日本の版画家・絵本作家・キャラクターデザイナー・グラフィックデザイナー・イラストレーター。 幼少の頃から漫画家の中島たを、画家の清家文博に師事。大阪の高等学校を卒業後、地元のデザイン会社に就職。 その後、全国に農業公園を展開する企業家 久門渡と出会い、久門が手掛ける観光開発のデザイン開発に従事。デザインの他に、店舗設計やプランニングを数多く手掛けている。近年では、兄でありシンガーソングライターの畭正義(はりまさよし)の遺作の詩をテーマに版画作品を発表。全国販売となる。 デザインの代表作としては、堺市ハーベストの丘、岐阜県美濃加茂市日本昭和村、横須賀市ソレイユの丘等のCI計画、キャラクターデザイン等がある。
木下 桂(きのした けい、1971年9月9日 - )は、鳥取… 木下 桂(きのした けい、1971年9月9日 - )は、鳥取県境港市出身の元サッカー選手、サッカー指導者。 1990年、川崎製鉄サッカー部(1995年以降はヴィッセル神戸)に入団。1997年からはアメリカ合衆国のシアトル・サウンダーズ(英語版)に移籍。ユースコーチを兼任しながら、2004年までプレイした。 2005年、アメリカ合衆国サッカー連盟公認Aライセンス(日本サッカー協会公認S級ライセンスに相当)を取得。故郷のクラブであるSC鳥取に移籍し、選手として1シーズンプレイした後、2006年、同チームの監督を1シーズン務めた。その後、再びアメリカに渡った。 2019年、自身が監督を務めたSC鳥取の後継チームであるガイナーレ鳥取のパフォーマンスディレクターに就任。
大田 祐樹(おおた ゆうき、1971年6月17日 - )は、… 大田 祐樹(おおた ゆうき、1971年6月17日 - )は、山陰放送のアナウンサー。 鳥取県境港市出身。鳥取県立米子東高等学校、明治大学経営学部卒業。 大学を卒業後、1998年に山陰放送に入社。同期に元同局アナウンサーの田中亜矢がいる。 入社後には、主にBSSラジオのパーソナリティとして活動。また、担当番組の脚本書きや演出などの制作業務にも携わっている。
伊田 武志(いだ たけし、1965年10月12日- )は鳥取… 伊田 武志(いだ たけし、1965年10月12日- )は鳥取県境港市出身の実業家、ボクシング指導者。株式会社クリエイティブサポート代表取締役。鳥取県米子市にあるシュガーナックルボクシングジム会長。神戸学院大学現代社会学部客員教授。元日本ボクシング連盟女子強化委員会委員長。JOC認定強化コーチングスタッフ。シュガーナックルボクシングスポーツ少年団団長。鳥取県ボクシング連盟理事。 2020年東京オリンピック ボクシング女子フェザー級金メダリストの入江聖奈を小学校2年生から東京オリンピックまでの15年間指導し、金メダルに導く。 また、日本人女子初のアジア選手権金メダリスト・ASBCアジアユース選手権大会銅メダリストである木下鈴花、第1回ユース国際ボクシングトーナメント銀メダリストの小川達也、2019全日本UJボクシング34キロ級チャンピオン作野辰嘉、その他全日本UJボクシング大会では9名のチャンピオンを輩出している。
谷口 篤史(たにぐち あつし、1963年12月10日 - )… 谷口 篤史(たにぐち あつし、1963年12月10日 - )は、山陰放送(BSS)アナウンサー。BSSニュース以外では谷口 あつし名義で通している(これは桑本みつよし(充悦)も同様)。
結城 豊弘(ゆうき とよひろ、1962年6月8日 - )は、… 結城 豊弘(ゆうき とよひろ、1962年6月8日 - )は、フリーのテレビプロデューサー。フリーアナウンサーとしてはオールラウンド所属。政治・経済評論家。合同会社ANOSA代表・CEO。 2022年3月までは読売テレビ所属。アナウンサー、ディレクター、営業部次長、報道局兼制作局部長待遇チーフプロデューサーなどを歴任した。 鳥取県境港市出身。駒澤大学法学部法律学科卒業後の1986年に、アナウンサーとして入社。「2時のワイドショー」「週刊トラトラタイガース」などを担当。1995年、アナウンサーから東京制作部に異動し「ザ・ワイド」の担当となる。同番組では「神戸連続児童殺傷事件」(1997年)や「和歌山毒物カレー事件」(1998年)を取材した他、政治経済デスクとして「石原慎太郎東京都知事誕生」(1999年)や「田中康夫長野県知事誕生」(2000年)「小泉政治」(2001年)などを担当した。
伊藤 ゆう(いとう ゆう、1959年1月20日 - )は、日… 伊藤 ゆう(いとう ゆう、1959年1月20日 - )は、日本の漫画家。血液型はA型。鳥取県境港市出身。女性。夫は漫画家の楠みちはる。1980年代から2000年ごろまで、『別冊フレンド』の一線で活躍した。代表作に『まっ赤なキャベツ』・『39℃ショック』・『ダイナマイトキッス』。 高校2年の時より、『別冊少女フレンド』に初投稿し、佳作二席を受賞。その後、2作ほど投稿したが、しばらく間をあけて、大学2年の時に久しぶりに応募した「誤解がもとではじまって」(『ラブリーフレンド』1979年3月号掲載)でデビュー。デビューから2年ほど、漫画家・大和和紀のアシスタント・大学生を掛け持ちしていた。 好きな漫画家として忠津陽子・岸裕子・萩尾望都・竹宮惠子をあげており、当初は『週刊マーガレット』・『りぼん』・『少女コミック』などを愛読しており、『花とゆめ』や『LaLa』などにも目を通していたそうである。
足立 伸(あだち のびる、1958年3月21日 - )は、日… 足立 伸(あだち のびる、1958年3月21日 - )は、日本の財務官僚。 鳥取県境港市出身、1976年鳥取県立米子東高等学校学校卒業、1980年東京大学法学部卒業、大蔵省入省。主計官、東京大学法学部助教授、財務総合政策研究所研究部長、函館税関長、ジャスダック証券取引所執行役等を経て、Jトラスト代表取締役。
足立 倫行(あだち のりゆき、1948年3月25日 - )は… 足立 倫行(あだち のりゆき、1948年3月25日 - )は、日本のノンフィクション作家。デビュー作の『人、旅に暮らす』以来、同時代人の生きる意味を探索している。2003年より「境港フィッシュ大使」を務める。現在はWEDGE Infinityで「大人の教養 週末の一冊」で著者インタビュー、、集英社インターナショナルの季刊「kotoba」で「古代史を考えなおす」を連載中。 鳥取県境港市外江町出身。半農半漁の町で、沖行く船をいつも見ていた。父は元・海軍軍人で、その後、海上自衛隊に入った。祖父は貨物船の船乗りでインドやハワイに行っていた。早稲田大学政治経済学部を中退。世界を放浪する。『平凡パンチ』取材記者をつとめたのちフリーとなる。
ふじろう(1948年1月26日 ‐2018年7月31日)は日… ふじろう(1948年1月26日 ‐2018年7月31日)は日本のシンガーソングライターである。本名杉谷 夫二朗、鳥取県境港市出身。作詞や作曲をするときは本名を使っている。テイチクエンタテインメント所属。デビュー当時のキャッチフレーズは『俺の生きざまは俺しか歌えない』であった。 1970年、第4回ヤマハ・ライト・ミュージック・コンテストにおいてロック部門全国3位となり、コマーシャルソングやスタジオミュージシャンとして活動を開始する。 1979年(昭和54年)にシングル「愛の唄など歌えない」でデビュー。 神戸や大阪を中心に活動していた。同年9月2日(収録は6月23日と7月7日)放送分の、当時NHK総合テレビジョンで放送されていた『あなたのメロディー』でテレビデビューする。
永見 文雄(ながみ ふみお、1947年4月29日 - )は、… 永見 文雄(ながみ ふみお、1947年4月29日 - )は、フランス文学者、中央大学名誉教授。ルソーなど18世紀文学が専門。 鳥取県境港市生まれ。1972年東京大学教養学部教養学科フランス科卒、78年同大学院仏文科博士課程中退、74-77年パリ第8大学で学ぶ。東京大学文学部助手、1981年中央大学文学部講師、84年助教授、90年教授。2006-2008年パリ国際大学都市日本館館長。2018年中央大学を定年退職。
中村 勝治(なかむら かつじ、1945年(昭和20年)6月2… 中村 勝治(なかむら かつじ、1945年(昭和20年)6月20日 - )は、日本の政治家。元鳥取県境港市長(4期)。 父は境港市議会議長を務めた中村実三。 鳥取県境港市生まれ。同市湊町在住。鳥取県立境高等学校を経て、1968年3月、国士舘大学政経学部卒業。日本電信電話公社に勤務する。1996年4月、境港市企画部次長。1998年1月、境港市市民生活部次長。同年12月、境港市市民生活部長。2002年4月、境港市総務部長。 2004年6月5日、境港市長の黒見哲夫が健康上の理由により辞職届を提出。里見の辞職に伴い7月25日に行われた市長選挙に立候補し初当選した。 2011年10月29日、全国豊かな海づくり大会レセプション出席のため、鳥取市へ向かう際に公用車が交通事故を起こし、腰骨骨折の重傷を負った。
足立 盛二郎(あだち せいじろう、1944年(昭和19年)7… 足立 盛二郎(あだち せいじろう、1944年(昭和19年)7月8日 - )は日本の郵政官僚、実業家。郵政事業庁長官(初代)、NTTドコモ代表取締役副社長、日本郵政取締役兼代表執行役副社長、ゆうちょ銀行代表執行役会長を歴任。公益財団法人日本棋院理事。東京大学法学部卒業。
小野 ヤスシ(おの ヤスシ、1940年〈昭和15年〉2月11… 小野 ヤスシ(おの ヤスシ、1940年〈昭和15年〉2月11日 - 2012年〈平成24年〉6月28日)は、日本のタレント、コメディアン、俳優、司会者、ミュージシャン。鳥取県境港市出身。自称「鳥取が生んだスーパースター」。本名∶小野 泰。 父親の仕事の関係で日本統治下の朝鮮元山市に生まれる。幼少の頃に日本に引き揚げ、鳥取県境港市で育つ。鳥取県立境高等学校卒業、成城大学文芸学部中退。 「ザ・ドリフターズ」の初期のメンバーで、1960年「桜井輝夫とザ・ドリフターズ」とグループ名を変更後、正式に参加する。 1964年、桜井輝夫の脱退後にリーダーの座を譲られた碇矢長一のワンマン体制に不満を持って、碇矢と対立した。
小泉 典子(こいずみ のりこ、昭和14年(1939年) - … 小泉 典子(こいずみ のりこ、昭和14年(1939年) - )は、日本の栄養学者。専門は食品科学。学位は、医学博士。相模女子大学名誉教授、前学長。2015年瑞宝中綬章受章。 1939年、鳥取県境港市中野町生まれ。鳥取県立境高等学校を経て、1962年、相模女子大学学芸学部食物学科(管理栄養士専攻)卒業。東京農工大学や東京栄養食糧専門学校での勤務を経て、1964年から相模女子大学と相模女子短大で教壇に立つ。1989年、相模女子大学教授。1993年、食生態学の論文で医学博士号取得。2005年、相模女子大学・相模女子大学短期大学部学長に就任(同大学初の女性学長であり、初の卒業生学長)。2008年、相模女子大学・相模女子大学短期大学部の学長を退任した。
根平 邦人(ねひら くにと、1936年9月6日 - 2026… 根平 邦人(ねひら くにと、1936年9月6日 - 2026年3月8日)は、日本の植物学者、自然科学者、理学博士。広島大学及び広島経済大学名誉教授。現在放送大学客員教授、実践生物教育研究会講師でもある。鳥取県境港市出身。広島市西区在住。
拝藤 宣雄(はいどう のりお、1935年5月2日- )は、鳥… 拝藤 宣雄(はいどう のりお、1935年5月2日- )は、鳥取県境港市出身の元プロ野球選手。右投右打で、ポジションは投手。 3歳上の実兄・聖雄(まさお)も元プロ野球選手で、こちらは近鉄パールスにて5年間、弟と同じく投手として活躍した。 境高校ではエースとして活躍。2年生時の1952年には、創部6年目の同高校野球部を夏の甲子園初出場へ導く奮投を見せた。しかし、全国大会では2回戦(初戦)で日大三高の若杉輝明と投げ合いの末、完封負け。翌1953年夏は東中国大会1回戦で浜田高に敗れ、甲子園には届かなかった。 高校卒業後は、立教大学へ進学。東京六大学野球リーグでは、同期のエース・杉浦忠とともに活躍した。1957年には春秋4勝を挙げ、チーム初となる春秋季リーグ連覇に貢献している。
司 葉子(つかさ ようこ、1934年〈昭和9年〉8月20日 … 司 葉子(つかさ ようこ、1934年〈昭和9年〉8月20日 - )は、日本の女優。日本大正村第2代村長。東京福祉大学特任教授。本名は相澤 葉子()。旧姓は庄司。東宝芸能所属。 夫は、弁護士で元自由民主党衆議院議員の相澤英之。三男・相澤宏光の妻は歌手・タレントの相田翔子。実業家・政治家の庄司廉は伯父にあたる。 鳥取県西伯郡渡村に庄司繁二郎の三女として生まれたが、6歳の頃に父を亡くした。鳥取県立境高等学校を経て共立女子短大卒業。 1954年4月、大阪の新日本放送(現・MBSメディアホールディングス)に入社し、社長秘書を務める。共立女子短大に在学中、ハリウッドビューティサロンを利用。ちょうど美容家のメイ牛山が雑誌モデルを探しており、同年『家庭よみうり』の表紙を飾ったのがきっかけでスカウトされ東宝と契約。
拝藤 聖雄(はいどう まさお、1932年6月22日 - 20… 拝藤 聖雄(はいどう まさお、1932年6月22日 - 2011年7月21日)は、鳥取県境港市出身で、近鉄パールスに在籍した元プロ野球選手(投手)である。 実弟の拝藤宣雄(‐のりお)も、元プロ野球選手(広島カープに在籍した)。 境高では、1949年秋季中国大会準決勝に進むが米子東高に敗退。翌1950年夏の甲子園予選東中国大会でも準決勝に進出するが、またも米子東高に敗退し甲子園出場を逸する。米子鉄道管理局を経て、1952年に近鉄パールスへ入団。 1956年3月24日の東映フライヤーズ戦でプロ初勝利を記録した。同年は主に中継ぎとして18試合に登板。しかし公式戦ではその1勝のみで、同年オフに24歳にして現役を引退。
黒見 哲夫(くろみ てつお、1932年(昭和7年)3月22日… 黒見 哲夫(くろみ てつお、1932年(昭和7年)3月22日 - 2017年(平成29年)5月19日)は、日本の政治家。鳥取県境港市長。 鳥取県西伯郡境町(現境港市)出身。父は印刷業黒見宗次。4歳の時母はるえが病死。 1947年鳥取県立境中学校中退。境町役場勤務。1970年境港市役所財政課長。1980年同総務部長。1983年同民生部長。1986年同助役。 1989年12月境港市長就任。体調を崩して療養が必要な状況となり、2004年6月5日に辞職届けを提出した。 2017年5月19日朝、境港市内の病院で亡くなった。
仲村研(なかむら けん、1931年12月24日 - 1990… 仲村研(なかむら けん、1931年12月24日 - 1990年3月13日)は日本の歴史学者。専門は日本中世史。文学博士(佛教大学、1985年)。 鳥取県境港市生まれ。1955年、同志社大学文学部文化学科文化史学専攻卒業。1963年、同志社大学大学院文学研究科文化史学専攻博士課程退学。1963年、同志社大学人文科学研究所専任研究員(助手待遇)に就任。1964年に専任研究員(専任講師待遇)、1967年に専任研究員(助教授待遇)、1975年に専任研究員(教授待遇)を経て、1978年、同志社大学人文科学研究所教授。1990年、死去。58歳没。 同志社大学で赤松俊秀に古文書学を学び、大学院では三品彰英・秋山国三らに学ぶ。
石指 集三(いしざし しゅうぞう、昭和6年(1931年)1月… 石指 集三(いしざし しゅうぞう、昭和6年(1931年)1月3日 - 昭和57年(1982年)10月28日)は日本の実業家。元・丸神海産取締役社長、キング食品工業代表取締役、神和工業取締役、神港商事取締役。 妻春子は弁護士、公証人雑賀愛造の次女。なお日本商工会議所会頭、王子製紙社長などを歴任した足立正の足立家と雑賀家は姻戚関係にある。 鳥取県境港市生まれ。 昭和22年(1947年)丸神海産入社、昭和28年(1953年)社長に就任。大篠津食品工業(株)、神和工業(株)各代表取締役のほか、日本輸出水産缶詰組合理事も務めた。 趣味は読書。住所は境港市明治町。
7代 式守 勘太夫(ななだい しきもり かんだゆう 1924… 7代 式守 勘太夫(ななだい しきもり かんだゆう 1924年〈大正13年〉10月16日 - 2002年〈平成14年〉9月30日)は大相撲の元三役格行司。三役格としての在位期間は1988年1月〜1989年9月。鏡山部屋→伊勢ヶ濱部屋所属。鳥取県境港市出身。本名は江川鶴夫。 師匠は5代式守勘太夫(6代鏡山勘太夫)である。 1938年に式守鶴夫の名で初土俵。以後貢市、勘之助、更一郎と改名し、1954年3月に式守勘之助の名で十両格に昇格。1958年7月6代式守与之吉襲名。1961年11月に幕内格昇格。1967年5月に7代式守勘太夫襲名。幕内格昇格から27年後の1988年1月に三役格に昇格。三役格を11場所務め、1989年9月場所後停年。
広島 了輔(ひろしま りょうすけ、1922年(大正11年)1… 広島 了輔(ひろしま りょうすけ、1922年(大正11年)11月6日 - 没年不明)は、日本の税理士、計理士、司法書士、政治家。広島税理士事務所所長。元境港市議会議員。第61代鳥取県議会副議長。 父は元境港市議会議員の広島馨。 鳥取県西伯郡境町(現在の境港市)出身。 立命館大学法学部中退。 1944年(昭和19年)から1950年(昭和25年)まで、組合立境高等家政女学校、組合立境女子商業学校→鳥取県立境高等女学校→鳥取県立境第二高校→鳥取県立境高等学校に勤務。 1950年、税務代理士となる。 1958年(昭和33年)、境港市議会議員に当選。 1967年(昭和42年)、鳥取県議会議員に当選。 元鳥取県米子市長森田隆朝によると「小学生時代の広島了輔氏はガキ大将だった。
水木 しげる(みずき しげる、男性、1922年[注 1]3月… 水木 しげる(みずき しげる、男性、1922年[注 1]3月8日 - 2015年11月30日)は、日本の漫画家。文化功労者、傷痍軍人。本名は武良 茂(むら しげる)。
安田 貞栄(やすだ さだえ、 1917年(大正6年)12月1… 安田 貞栄(やすだ さだえ、 1917年(大正6年)12月15日 - 1989年(平成元年)11月20日)は、日本の教育者、政治家。鳥取県議会議員、境港市長(第3代)。 元鳥取県議会副議長永井貞録の四男。元米子今井書店社長永井準の実弟。鳥取県議会議員安田優子の実父。 鳥取県西伯郡中浜村出身。永井貞録の四男として生まれ、叔母に子供がなかったため安田家の養子となる。実父貞録の「貞」と養父栄の「栄」をとって「貞栄」と命名された。 学期末通信簿を持って帰って、成績が一番になったことを言うと「百姓の跡取りにならなくなるぞ」と叱られた。部落の長老百太郎じいさんは特に説教の名人で「百姓の跡取りは百姓となるべきである。
下西 文雄(しもにし ふみお、大正2年(1913年)1月26… 下西 文雄(しもにし ふみお、大正2年(1913年)1月26日 - 平成5年(1993年)4月24日)は日本の政治家。元境港市議会議員。元境港市日朝友好協会会長。元山市との友好都市協定締結に尽力。 鳥取県境港市に生まれる。 早大政経学部中退。1935年満州国産業指導官。 帰国後、中学校教諭となる。1951年境町助役、1955年から境港市議会議員。正副議長など歴任。 1990年10月第6次訪朝にあたって、金日成主席は、多年にわたる日朝親善につとめる下西文雄団長に「人民親善勲章(第2級)」を贈ってその功労をたたえた。
松本 幸市(まつもと こういち、1908年3月10日 - 1… 松本 幸市(まつもと こういち、1908年3月10日 - 1978年1月7日)は、日本の経営者。 鳥取県境港市出身。1927年に山口高等商業学校を卒業し、同年に小野田セメントに入社。1960年に取締役に就任し、1963年に常務、1967年に専務、1969年に副社長を経て、1973年10月には社長に就任。 1976年6月16日心筋梗塞のために在任中に死去。68歳没。
南家 恭一(なんけ きょういち、1907年〈明治40年〉5月… 南家 恭一(なんけ きょういち、1907年〈明治40年〉5月1日 - 没年不明)は、日本の実業家。南家商事社長。 鳥取県西伯郡外江村(現・境港市外江町)出身。父は南家清一。鳥取県信用組合理事長、境港市監査委員会委員、境港商工会議所副会頭、鳥取県中小企業団体中央会理事などをつとめる。住所は境港市外江町。 この項目は、実業家に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(P:経済学、PJ:経済)。
松本 豊(まつもと ゆたか、明治39年(1906年)5月8日… 松本 豊(まつもと ゆたか、明治39年(1906年)5月8日 - 平成12年(2000年)12月25日)は日本の柔道家、実業家、政治家。境港商工会議所名誉会頭。元境町会議員、境港市会議員。 鳥取県境港市出身。万一の長男。 米中卒。松本材木店経営。姫路野砲第十連隊入隊、昭和19年(1944年)再応召、陸軍中尉。 昭和21年(1946年)松本木材(株)を設立、取締役社長に就任、同年境港商工会議所会頭(のち公職追放で辞任)。昭和30年(1955年)~昭和61年(1986年)境港商工会議所会頭。 昭和34年(1959年)(株)米子木材市場取締役社長、境港外材輸入(協)理事長、昭和38年(1963年)大山産業(株)取締役社長、昭和57年(1982年)松本木材(株)を境港木材工業(株)に改組、取締役顧問。
佐近 正晴(さこん まさはる、1906年〈明治39年〉 - … 佐近 正晴(さこん まさはる、1906年〈明治39年〉 - 1960年〈昭和35年〉)は、日本の実業家。弓浜漁業の元社長。 鳥取県西伯郡余子村大字福定(現在の境港市福定町)に佐近豊松の子として生まれる。 父・豊松と共に地引網の振興をはかり、“豊十網”は弓浜地方屈指の網元となった。更に大型木造船による沿岸漁業に着手、多くの朝鮮人を雇って鯔漁や鯖漁に専念し、境港漁業の発展につとめた。 戦後は就労の場のない地域の青少年を集めて「佐近船団」を組織したり、漁業協同組合結成に尽力したりと境港漁業史に大きな足跡を残した。
佐賀 省三(さが しょうぞう、明治38年(1905年)5月8… 佐賀 省三(さが しょうぞう、明治38年(1905年)5月8日 - 平成2年(1990年)以降)は日本の俳人、政治家。元境港市議会議員。号榎村。佐賀家の12代目。 俳人鹿島平堂は大おじにあたる。 鳥取県西伯郡上道村(現・境港市上道町)の農家に生まれる。 鳥取県立農学校(現・鳥取県立倉吉農業高等学校)、正則英語学校(現・正則学園高等学校)を経て、大正14年(1925年)3月に東京府立園芸学校(現・東京都立園芸高等学校)卒業。大正15年(1926年)3月、早稲田大学専門部中退。 帰郷して農業に従事する。上道村会議員、境港市会議員などをつとめた。 元農業会理事、村会議員、境港市農業委員等務め農業多角経営の指導、実践に努力、養鶏の大家として三十年の経験と共に県下に有名である。
増谷 慶一郎(ますたに けいいちろう、明治38年(1905年… 増谷 慶一郎(ますたに けいいちろう、明治38年(1905年)2月23日 - 昭和45年(1970年)12月13日)は日本の実業家、政治家。境港商工会議所第2代会頭。元増谷薬局代表取締役。元境町会議員。三代目当主。本名は正巳。 鳥取県境港市出身。実家は薬種商。 米子中学校(現米子東高校)、金沢医科大学付属薬学専門部(現在の金沢大学薬学部)卒業。 大正14年(1925年)から大阪で自家製剤を修行して帰郷し、家業の薬種商・増谷薬店“杏花堂”を手伝う。昭和22年(1947年)境町の町会議員を務める一方、境港商工会議所初代会頭松本豊の後を受けて2代目会頭に就任する。 昭和25年(1950年)境町だけでなく米子駅前にも出店し、実弟・芳郎とともに有限会社増谷薬局を設立するなど、会社を大きく発展させた。
面谷 誠(おもだに せい、明治37年(1904年)10月31… 面谷 誠(おもだに せい、明治37年(1904年)10月31日 - 昭和46年(1971年))は日本の実業家。銘酒暁山醸造元、面谷合名会社代表社員。元境港商工会議所会頭、顧問。 鳥取県境港市出身。米子中学校(現米子東高校)卒業後、東京大蔵省醸造試験所に入所。翌年、試験所の課程を修了すると、帰郷して家業に従事する。 昭和19年(1944年)面谷合名会社の代表社員に就任。鳥取県酒造組合理事、鳥取県醤油工業協同組合理事を歴任。酒造業界の発展に尽力。 昭和23年(1948年)境港商工会議所会頭に就任。 境町学務委員をはじめ、境高等学校水産教育振興会会長も務め、教育会でも活躍した。 酒面谷酒類醤油醸造場として、明治4年(1871年)創業、昭和17年(1942年)根平、面谷支店、生中各店の権利を譲り受ける。
松下 整吉(まつした せいきち、1904年〈明治37年〉3月… 松下 整吉(まつした せいきち、1904年〈明治37年〉3月31日 - 1986年〈昭和61年〉)は、日本の実業家、政治家。松下酒店社長。境港商工会議所副会頭。 鳥取県西伯郡境町松ヶ枝町(現境港市松ヶ枝町)出身。質屋・松下専次郎の息子。1947年から2期境町会議員を務める。境港魚市場社長、北陽産業社長、境港魚凾社長などを歴任する。 境港魚市場の大株主である。妻・さいは面谷代表、酒類醸造業の面谷友太郎の二女。住所は境港市松ヶ枝町。 この項目は、日本の政治家に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(P:政治学/PJ政治)。
井東 安久(いとう やすひさ、明治35年(1902年)11月… 井東 安久(いとう やすひさ、明治35年(1902年)11月7日 - 昭和58年(1983年)12月1日)は日本の実業家。井東建設元代表取締役。境港商工会議所の常議員、監事、参与などを歴任。井東家の八代目。 明治35年(1902年)11月7日、鳥取県西伯郡中浜村大字佐斐神(現在の境港市佐斐神町)に父・井東藤重、母・ゑせのの長男として生まれた。出身地の佐斐神は明治20年代から桑栽培・養蚕業が主産業になった。若いころは馬車曳きの仕事をした。 昭和22年(1947年)洋瓦の製造販売を創業、昭和30年(1955年)法人に改組した。 昭和30年(1955年)4月境港商工会議所議員に就任し、その後常議員、監事を歴任、昭和52年(1977年)4月から参与を務め、地域経済の振興、発展に尽力した。
富谷 栄(とみたに えい、1901年〈明治34年〉11月23… 富谷 栄(とみたに えい、1901年〈明治34年〉11月23日 - 1983年〈昭和58年〉4月24日)は、日本の政治家。鳥取県西伯郡余子村長(11代)。余子村会議員。境港町議会議員。境港市議会議長(3代、7代)。旧姓・嵯峨里。 鳥取県西伯郡余子村(現・境港市)出身。嵯峨里長太郎の三男。余子小学校卒業後、富谷家養嗣子となる。農業に従事する。 1933年、余子村会議員に当選する。松江連隊に服役後支那事変及び大戦に再度応召。1945年11月に朝鮮から復員した。 1947年、余子村長に就任する。村長として中浜村との組合立誠道中学校の開校建設、保育所開設と移転新築、小学校増築等次代を担う子供たちの育成に努める。
都田 恒太郎(みやこだ つねたろう、1897年(明治30年)… 都田 恒太郎(みやこだ つねたろう、1897年(明治30年)10月15日 - 1983年(昭和58年)11月16日)は、日本の牧師、日本基督教団の指導者、キリスト教学者、日本基督教協議会総書記、日本聖書協会総主事、青山学院理事長。長年、毎年秋にバックストン記念聖会の指導を行っていた。 岳父は、ホーリネスの都田友次郎。 1897年(明治30年)、鳥取県境港市に生まれる。旧制佐倉中学校に入学して、1908年(明治41年)笹尾鉄三郎が佐倉に巡回伝道に来た時に、佐倉中学四年生だった都田は笹尾の説教を聞いて深い感銘を受けた。1914年に笹尾鉄三郎から洗礼を授けられた。旧制佐倉中学校(現在の千葉県立佐倉高等学校)を卒業する。
長山 英一(ながやま えいいち、明治30年(1897年)10… 長山 英一(ながやま えいいち、明治30年(1897年)10月14日 - 没年不明)は、日本の陸上競技選手、登山家、政治家。元境港市議会議員。 鳥取県西伯郡中浜村大字佐斐神(現・境港市佐斐神町)出身。長山善完の長男。長山家は大農家だった。鳥取県立農学校(現・鳥取県立倉吉農業高等学校)卒業。 大正8年(1919年)日本体育会主催の第7回全国オリンピックに出場した英一は、1,500メートル、4分28秒(日本新記録)で第1位、同タイムの早大・麻生武治と優勝を分け合い、優勝カップを夫々受賞した。 大正11年(1922年)松本秀松(渡村出身)と鳥取県で初めて冬山大山登山に挑んだ。 戦後、村会議員、市会議員などをつとめた。
荒木 市次郎(あらき いちじろう、1895年〈明治28年〉6… 荒木 市次郎(あらき いちじろう、1895年〈明治28年〉6月11日 - 没年不明)は、日本の会社役員、鳥取県多額納税者、資産家、鳥取県の大地主。 鳥取県西伯郡境町(現・境港市)出身。荒木徳三郎の長男。1912年、家督を相続する。農業、金融業を営む。境貿易取締役・同専務取締役をつとめる。 境貿易の大株主である。境日本海写真倶楽部会員である。 貴族院多額納税者議員選挙の互選資格を有する。住所は鳥取県西伯郡境町栄町。 この項目は、実業家に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(P:経済学、PJ:経済)。
足立 実(あだち みのる、1895年(明治28年)1月28日… 足立 実(あだち みのる、1895年(明治28年)1月28日 - 1974年(昭和49年)4月2日)は、日本の政治家。鳥取県境港市長(初代)。 鳥取県西伯郡余子村大字福定(現境港市福定町)出身。 京都高等蚕糸学校(現京都工芸繊維大学)卒業。郡是製紙の技師として占領下の中国に渡り、帰国した昭和16年(1941年)から5年間、余子村長に、昭和29年(1954年)に境港町長に、昭和31年(1956年)市制施行に伴い初代の境港市長にそれぞれ就任した。 市長を退任するまで村長、町長を含め18年間、地方行政の長として境港市の基盤づくりに努めた。 足立について、次男の足立純一によると
阿部 浅十(あべ あさじゅう、1890年〈明治23年〉12月… 阿部 浅十(あべ あさじゅう、1890年〈明治23年〉12月6日 - 没年不明)は、日本の政治家、農民。鳥取県西伯郡余子村会議員。境港町議会議員。境港市議会議員。 鳥取県西伯郡余子村大字高松(現・境港市高松町)出身。久栄の長男。弓浜高等小学校を卒業後、家業の農業に専念し、傍ら弓浜組合製糸監事、農協理事、農会理事等を歴任する。1954年、境港町議会議員に当選する。西伯郡米子市養蚕農業協同組合連合会理事、誠道中組合議員を兼任する。1956年、市制実施とともに市会議員となる。 自治及び養蚕功労者として当局より再三表彰され、地区有力者として尊敬される。趣味は畜育。宗教は曹洞宗。住所は境港市高松町。 この項目は、日本の政治家に関連した書きかけの項目です。
佐近 益栄(さこん ますえ、明治23年(1890年)8月7日… 佐近 益栄(さこん ますえ、明治23年(1890年)8月7日 - 昭和5年(1930年)12月14日)は日本の小説家。ペンネームは江外(こうがい)。旧姓は江村、大田。 鳥取県西伯郡境町(現・境港市)の茶屋・江村家に生まれ、幼くして母を亡くし福定村の大田家に引き取られて成長する。1912年、佐近たみよと結婚して「佐近」姓となる。1913年に鳥取師範学校(現・鳥取大学)を卒業し境小学校、中浜小学校の教師となる。1919年、「大阪朝日新聞」の懸賞小説に応募、選外佳作となる。1920年には報知新聞社学芸部に入社し、名記者として知られ文化部長に昇進する。1930年10月、『文学時代』の「新鋭作家総出勤号」に川端康成、平林たい子、井伏鱒二、高見順ら四十六人の一人として名を連ね第一線作家としての地位を得たが、急性肺炎のため40歳で死去した。
松下 道蔵(まつした みちぞう、1888年〈明治21年〉10… 松下 道蔵(まつした みちぞう、1888年〈明治21年〉10月8日 - 1961年〈昭和36年〉10月25日)は、日本の実業家、政治家。鳥取県西伯郡境町長(第16代)。境町会議員。 鳥取県西伯郡境町栄町(現境港市)出身。中学校では学術優秀で、常に各級の首席を占める。石油、金物商を営む。また境港合同運送社長、岡田回漕店、境港合同運送各取締役、境實業新報監査役をつとめる。 1941年6月から同年8月まで境町長をつとめる。戦後、公職追放を受ける。 「境町の風習」、「八幡通りの変遷」を絵付きで書き残す。蔵書も多く、読書家であった。 父松下哲成(鉄、石油商)は、第8代境町長。妻は岡田汽船社長岡田庄作の二女、岡田商店社長岡田洲二の姉である。
永井 貞録(明治20年(1887年)9月25日 - 昭和17… 永井 貞録(明治20年(1887年)9月25日 - 昭和17年(1942年)7月24日)は、日本の政治家、実業家。元鳥取県議会議員。元中浜村会議員。 弓浜組合製糸組合長、西伯郡米子市連合養蚕組合組合長、伯西社組合長、鳥取県養蚕組合長などを勤め、全国屈指の養蚕王国といわれた県下の大御所的存在として、大日本蚕糸会副総裁でもあった。元鳥取県境港市長安田貞栄・元今井書店社長永井準の父、鳥取県議会議員安田優子の祖父。 旧麦垣集落(現在の鳥取県境港市麦垣町)の大農家に生まれる。綿に代わって蚕が主要作物になっていく頃であった。 昭和2年(1927年)鳥取県議会議員となり4期連続当選、昭和9年(1934年)副議長となる。